Opus · 紫式部

源氏物语

源氏物語
~1008

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01 桐壺

[#地から3字上げ]紫のかがやく花と日の光思ひあはざる
[#地から3字上げ]ことわりもなし      (晶子)

 どの天皇様の御代《みよ》であったか、女御《にょご》とか更衣《こうい》とかいわれる後宮《こうきゅう》がおおぜいいた中に、最上の貴族出身ではないが深い御|愛寵《あいちょう》を得ている人があった。最初から自分こそはという自信と、親兄弟の勢力に恃《たの》む所があって宮中にはいった女御たちからは失敬な女としてねたまれた。その人と同等、もしくはそれより地位の低い更衣たちはまして嫉妬《しっと》の焔《ほのお》を燃やさないわけもなかった。夜の御殿《おとど》の宿直所《とのいどころ》から退《さが》る朝、続いてその人ばかりが召される夜、目に見耳に聞いて口惜《くちお》しがらせた恨みのせいもあったかからだが弱くなって、心細くなった更衣は多く実家へ下がっていがちということになると、いよいよ帝《みかど》はこの人にばかり心をお引かれになるという御様子で、人が何と批評をしようともそれに御遠慮などというものがおできにならない。御聖徳を伝える歴史の上にも暗い影の一所残るようなことにもなりかねない状態になった。高官たちも殿上役人たちも困って、御|覚醒《かくせい》になるのを期しながら、当分は見ぬ顔をしていたいという態度をとるほどの御|寵愛《ちょうあい》ぶりであった。唐の国でもこの種類の寵姫《ちょうき》、楊家《ようか》の女《じょ》の出現によって乱が醸《かも》されたなどと蔭《かげ》ではいわれる。今やこの女性が一天下の煩《わざわ》いだとされるに至った。馬嵬《ばかい》の駅がいつ再現されるかもしれぬ。その人にとっては堪えがたいような苦しい雰囲気《ふんいき》の中でも、ただ深い御愛情だけをたよりにして暮らしていた。父の大納言《だいなごん》はもう故人であった。母の未亡人が生まれのよい見識のある女で、わが娘を現代に勢力のある派手《はで》な家の娘たちにひけをとらせないよき保護者たりえた。それでも大官の後援者を持たぬ更衣は、何かの場合にいつも心細い思いをするようだった。
 前生《ぜんしょう》の縁が深かったか、またもないような美しい皇子までがこの人からお生まれになった。寵姫を母とした御子《みこ》を早く御覧になりたい思召《おぼしめ》しから、正規の日数が立つとすぐに更衣|母子《おやこ》を宮中へお招きになった。小皇子《しょうおうじ》はいかなる美なるものよりも美しいお顔をしておいでになった。帝の第一皇子は右大臣の娘の女御からお生まれになって、重い外戚《がいせき》が背景になっていて、疑いもない未来の皇太子として世の人は尊敬をささげているが、第二の皇子の美貌《びぼう》にならぶことがおできにならぬため、それは皇家《おうけ》の長子として大事にあそばされ、これは御自身の愛子《あいし》として非常に大事がっておいでになった。更衣は初めから普通の朝廷の女官として奉仕するほどの軽い身分ではなかった。ただお愛しになるあまりに、その人自身は最高の貴女《きじょ》と言ってよいほどのりっぱな女ではあったが、始終おそばへお置きになろうとして、殿上で音楽その他のお催し事をあそばす際には、だれよりもまず先にこの人を常の御殿へお呼びになり、またある時はお引き留めになって更衣が夜の御殿から朝の退出ができずそのまま昼も侍しているようなことになったりして、やや軽いふうにも見られたのが、皇子のお生まれになって以後目に立って重々しくお扱いになったから、東宮にもどうかすればこの皇子をお立てになるかもしれぬと、第一の皇子の御生母の女御は疑いを持っていた。この人は帝の最もお若い時に入内《じゅだい》した最初の女御であった。この女御がする批難と恨み言だけは無関心にしておいでになれなかった。この女御へ済まないという気も十分に持っておいでになった。帝の深い愛を信じながらも、悪く言う者と、何かの欠点を捜し出そうとする者ばかりの宮中に、病身な、そして無力な家を背景としている心細い更衣は、愛されれば愛されるほど苦しみがふえるふうであった。
 住んでいる御殿《ごてん》は御所の中の東北の隅《すみ》のような桐壺《きりつぼ》であった。幾つかの女御や更衣たちの御殿の廊《ろう》を通い路《みち》にして帝がしばしばそこへおいでになり、宿直《とのい》をする更衣が上がり下がりして行く桐壺であったから、始終ながめていねばならぬ御殿の住人たちの恨みが量《かさ》んでいくのも道理と言わねばならない。召されることがあまり続くころは、打ち橋とか通い廊下のある戸口とかに意地の悪い仕掛けがされて、送り迎えをする女房たちの着物の裾《すそ》が一度でいたんでしまうようなことがあったりする。またある時はどうしてもそこを通らねばならぬ廊下の戸に錠がさされてあったり、そこが通れねばこちらを行くはずの御殿の人どうしが言い合わせて、桐壺の更衣の通り路《みち》をなくして辱《はずか》しめるようなことなどもしばしばあった。数え切れぬほどの苦しみを受けて、更衣が心をめいらせているのを御覧になると帝はいっそう憐《あわ》れを多くお加えになって、清涼殿《せいりょうでん》に続いた後涼殿《こうりょうでん》に住んでいた更衣をほかへお移しになって桐壺の更衣へ休息室としてお与えになった。移された人の恨みはどの後宮《こうきゅう》よりもまた深くなった。
 第二の皇子が三歳におなりになった時に袴着《はかまぎ》の式が行なわれた。前にあった第一の皇子のその式に劣らぬような派手《はで》な準備の費用が宮廷から支出された。それにつけても世間はいろいろに批評をしたが、成長されるこの皇子の美貌《びぼう》と聡明《そうめい》さとが類のないものであったから、だれも皇子を悪く思うことはできなかった。有識者はこの天才的な美しい小皇子を見て、こんな人も人間世界に生まれてくるものかと皆驚いていた。その年の夏のことである。御息所《みやすどころ》——皇子女《おうじじょ》の生母になった更衣はこう呼ばれるのである——はちょっとした病気になって、実家へさがろうとしたが帝はお許しにならなかった。どこかからだが悪いということはこの人の常のことになっていたから、帝はそれほどお驚きにならずに、
「もうしばらく御所で養生をしてみてからにするがよい」
 と言っておいでになるうちにしだいに悪くなって、そうなってからほんの五、六日のうちに病は重体になった。母の未亡人は泣く泣くお暇を願って帰宅させることにした。こんな場合にはまたどんな呪詛《じゅそ》が行なわれるかもしれない、皇子にまで禍《わざわ》いを及ぼしてはとの心づかいから、皇子だけを宮中にとどめて、目だたぬように御息所だけが退出するのであった。この上留めることは不可能であると帝は思召して、更衣が出かけて行くところを見送ることのできぬ御尊貴の御身の物足りなさを堪えがたく悲しんでおいでになった。
 はなやかな顔だちの美人が非常に痩《や》せてしまって、心の中には帝とお別れして行く無限の悲しみがあったが口へは何も出して言うことのできないのがこの人の性質である。あるかないかに弱っているのを御覧になると帝は過去も未来も真暗《まっくら》になった気があそばすのであった。泣く泣くいろいろな頼もしい将来の約束をあそばされても更衣はお返辞もできないのである。目つきもよほどだるそうで、平生からなよなよとした人がいっそう弱々しいふうになって寝ているのであったから、これはどうなることであろうという不安が大御心《おおみこころ》を襲うた。更衣が宮中から輦車《れんしゃ》で出てよい御許可の宣旨《せんじ》を役人へお下しになったりあそばされても、また病室へお帰りになると今行くということをお許しにならない。
「死の旅にも同時に出るのがわれわれ二人であるとあなたも約束したのだから、私を置いて家《うち》へ行ってしまうことはできないはずだ」
 と、帝がお言いになると、そのお心持ちのよくわかる女も、非常に悲しそうにお顔を見て、

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「限りとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり
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 死がそれほど私に迫って来ておりませんのでしたら」
 これだけのことを息も絶え絶えに言って、なお帝にお言いしたいことがありそうであるが、まったく気力はなくなってしまった。死ぬのであったらこのまま自分のそばで死なせたいと帝は思召《おぼしめ》したが、今日から始めるはずの祈祷《きとう》も高僧たちが承っていて、それもぜひ今夜から始めねばなりませぬというようなことも申し上げて方々から更衣の退出を促すので、別れがたく思召しながらお帰しになった。
 帝はお胸が悲しみでいっぱいになってお眠りになることが困難であった。帰った更衣の家へお出しになる尋ねの使いはすぐ帰って来るはずであるが、それすら返辞を聞くことが待ち遠しいであろうと仰せられた帝であるのに、お使いは、
「夜半過ぎにお卒去《かくれ》になりました」
 と言って、故大納言家の人たちの泣き騒いでいるのを見ると力が落ちてそのまま御所へ帰って来た。
 更衣の死をお聞きになった帝のお悲しみは非常で、そのまま引きこもっておいでになった。その中でも忘れがたみの皇子はそばへ置いておきたく思召したが、母の忌服《きふく》中の皇子が、穢《けが》れのやかましい宮中においでになる例などはないので、更衣の実家へ退出されることになった。皇子はどんな大事があったともお知りにならず、侍女たちが泣き騒ぎ、帝のお顔にも涙が流れてばかりいるのだけを不思議にお思いになるふうであった。父子の別れというようなことはなんでもない場合でも悲しいものであるから、この時の帝のお心持ちほどお気の毒なものはなかった。
 どんなに惜しい人でも遺骸《いがい》は遺骸として扱われねばならぬ、葬儀が行なわれることになって、母の未亡人は遺骸と同時に火葬の煙になりたいと泣きこがれていた。そして葬送の女房の車にしいて望んでいっしょに乗って愛宕《おたぎ》の野にいかめしく設けられた式場へ着いた時の未亡人の心はどんなに悲しかったであろう。
「死んだ人を見ながら、やはり生きている人のように思われてならない私の迷いをさますために行く必要があります」
 と賢そうに言っていたが、車から落ちてしまいそうに泣くので、こんなことになるのを恐れていたと女房たちは思った。
 宮中からお使いが葬場へ来た。更衣に三位《さんみ》を贈られたのである。勅使がその宣命《せんみょう》を読んだ時ほど未亡人にとって悲しいことはなかった。三位は女御《にょご》に相当する位階である。生きていた日に女御とも言わせなかったことが帝《みかど》には残り多く思召されて贈位を賜わったのである。こんなことででも後宮のある人々は反感を持った。同情のある人は故人の美しさ、性格のなだらかさなどで憎むことのできなかった人であると、今になって桐壺の更衣《こうい》の真価を思い出していた。あまりにひどい御|殊寵《しゅちょう》ぶりであったからその当時は嫉妬《しっと》を感じたのであるとそれらの人は以前のことを思っていた。優しい同情深い女性であったのを、帝付きの女官たちは皆恋しがっていた。「なくてぞ人は恋しかりける」とはこうした場合のことであろうと見えた。時は人の悲しみにかかわりもなく過ぎて七日七日の仏事が次々に行なわれる、そのたびに帝からはお弔いの品々が下された。
 愛人の死んだのちの日がたっていくにしたがってどうしようもない寂しさばかりを帝はお覚えになるのであって、女御、更衣を宿直《とのい》に召されることも絶えてしまった。ただ涙の中の御朝夕であって、拝見する人までがしめっぽい心になる秋であった。
「死んでからまでも人の気を悪くさせる御寵愛ぶりね」
 などと言って、右大臣の娘の弘徽殿《こきでん》の女御《にょご》などは今さえも嫉妬を捨てなかった。帝は一の皇子を御覧になっても更衣の忘れがたみの皇子の恋しさばかりをお覚えになって、親しい女官や、御自身のお乳母《めのと》などをその家へおつかわしになって若宮の様子を報告させておいでになった。
 野分《のわき》ふうに風が出て肌寒《はださむ》の覚えられる日の夕方に、平生よりもいっそう故人がお思われになって、靫負《ゆげい》の命婦《みょうぶ》という人を使いとしてお出しになった。夕月夜の美しい時刻に命婦を出かけさせて、そのまま深い物思いをしておいでになった。以前にこうした月夜は音楽の遊びが行なわれて、更衣はその一人に加わってすぐれた音楽者の素質を見せた。またそんな夜に詠《よ》む歌なども平凡ではなかった。彼女の幻は帝のお目に立ち添って少しも消えない。しかしながらどんなに濃い幻でも瞬間の現実の価値はないのである。
 命婦は故|大納言《だいなごん》家に着いて車が門から中へ引き入れられた刹那《せつな》からもう言いようのない寂しさが味わわれた。未亡人の家であるが、一人娘のために住居《すまい》の外見などにもみすぼらしさがないようにと、りっぱな体裁を保って暮らしていたのであるが、子を失った女主人《おんなあるじ》の無明《むみょう》の日が続くようになってからは、しばらくのうちに庭の雑草が行儀悪く高くなった。またこのごろの野分の風でいっそう邸内が荒れた気のするのであったが、月光だけは伸びた草にもさわらずさし込んだその南向きの座敷に命婦を招じて出て来た女主人はすぐにもものが言えないほどまたも悲しみに胸をいっぱいにしていた。
「娘を死なせました母親がよくも生きていられたものというように、運命がただ恨めしゅうございますのに、こうしたお使いが荒《あば》ら屋へおいでくださるとまたいっそう自分が恥ずかしくてなりません」
 と言って、実際堪えられないだろうと思われるほど泣く。
「こちらへ上がりますと、またいっそうお気の毒になりまして、魂も消えるようでございますと、先日|典侍《ないしのすけ》は陛下へ申し上げていらっしゃいましたが、私のようなあさはかな人間でもほんとうに悲しさが身にしみます」
 と言ってから、しばらくして命婦は帝の仰せを伝えた。
「当分夢ではないであろうかというようにばかり思われましたが、ようやく落ち着くとともに、どうしようもない悲しみを感じるようになりました。こんな時はどうすればよいのか、せめて話し合う人があればいいのですがそれもありません。目だたぬようにして時々御所へ来られてはどうですか。若宮を長く見ずにいて気がかりでならないし、また若宮も悲しんでおられる人ばかりの中にいてかわいそうですから、彼を早く宮中へ入れることにして、あなたもいっしょにおいでなさい」
「こういうお言葉ですが、涙にむせ返っておいでになって、しかも人に弱さを見せまいと御遠慮をなさらないでもない御様子がお気の毒で、ただおおよそだけを承っただけでまいりました」
 と言って、また帝のお言《こと》づてのほかの御消息を渡した。
「涙でこのごろは目も暗くなっておりますが、過分なかたじけない仰せを光明にいたしまして」
 未亡人はお文《ふみ》を拝見するのであった。
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時がたてば少しは寂しさも紛れるであろうかと、そんなことを頼みにして日を送っていても、日がたてばたつほど悲しみの深くなるのは困ったことである。どうしているかとばかり思いやっている小児《こども》も、そろった両親に育てられる幸福を失ったものであるから、子を失ったあなたに、せめてその子の代わりとして面倒《めんどう》を見てやってくれることを頼む。
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 などこまごまと書いておありになった。

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宮城野《みやぎの》の露吹き結ぶ風の音《おと》に小萩《こはぎ》が上を思ひこそやれ
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 という御歌もあったが、未亡人はわき出す涙が妨げて明らかには拝見することができなかった。
「長生きをするからこうした悲しい目にもあうのだと、それが世間の人の前に私をきまり悪くさせることなのでございますから、まして御所へ時々上がることなどは思いもよらぬことでございます。もったいない仰せを伺っているのですが、私が伺候いたしますことは今後も実行はできないでございましょう。若宮様は、やはり御父子の情というものが本能にありますものと見えて、御所へ早くおはいりになりたい御様子をお見せになりますから、私はごもっともだとおかわいそうに思っておりますということなどは、表向きの奏上でなしに何かのおついでに申し上げてくださいませ。良人《おっと》も早く亡《な》くしますし、娘も死なせてしまいましたような不幸ずくめの私が御いっしょにおりますことは、若宮のために縁起のよろしくないことと恐れ入っております」
 などと言った。そのうち若宮ももうお寝《やす》みになった。
「またお目ざめになりますのをお待ちして、若宮にお目にかかりまして、くわしく御様子も陛下へ御報告したいのでございますが、使いの私の帰りますのをお待ちかねでもいらっしゃいますでしょうから、それではあまりおそくなるでございましょう」
 と言って命婦は帰りを急いだ。
「子をなくしました母親の心の、悲しい暗さがせめて一部分でも晴れますほどの話をさせていただきたいのですから、公のお使いでなく、気楽なお気持ちでお休みがてらまたお立ち寄りください。以前はうれしいことでよくお使いにおいでくださいましたのでしたが、こんな悲しい勅使であなたをお迎えするとは何ということでしょう。返す返す運命が私に長生きさせるのが苦しゅうございます。故人のことを申せば、生まれました時から親たちに輝かしい未来の望みを持たせました子で、父の大納言《だいなごん》はいよいよ危篤になりますまで、この人を宮中へ差し上げようと自分の思ったことをぜひ実現させてくれ、自分が死んだからといって今までの考えを捨てるようなことをしてはならないと、何度も何度も遺言いたしましたが、確かな後援者なしの宮仕えは、かえって娘を不幸にするようなものではないだろうかとも思いながら、私にいたしましてはただ遺言を守りたいばかりに陛下へ差し上げましたが、過分な御寵愛を受けまして、そのお光でみすぼらしさも隠していただいて、娘はお仕えしていたのでしょうが、皆さんの御嫉妬の積もっていくのが重荷になりまして、寿命で死んだとは思えませんような死に方をいたしましたのですから、陛下のあまりに深い御愛情がかえって恨めしいように、盲目的な母の愛から私は思いもいたします」
 こんな話をまだ全部も言わないで未亡人は涙でむせ返ってしまったりしているうちにますます深更になった。
「それは陛下も仰せになります。自分の心でありながらあまりに穏やかでないほどの愛しようをしたのも前生《ぜんしょう》の約束で長くはいっしょにおられぬ二人であることを意識せずに感じていたのだ。自分らは恨めしい因縁でつながれていたのだ、自分は即位《そくい》してから、だれのためにも苦痛を与えるようなことはしなかったという自信を持っていたが、あの人によって負ってならぬ女の恨みを負い、ついには何よりもたいせつなものを失って、悲しみにくれて以前よりももっと愚劣な者になっているのを思うと、自分らの前生の約束はどんなものであったか知りたいとお話しになって湿っぽい御様子ばかりをお見せになっています」
 どちらも話すことにきりがない。命婦《みょうぶ》は泣く泣く、
「もう非常に遅《おそ》いようですから、復命は今晩のうちにいたしたいと存じますから」
 と言って、帰る仕度《したく》をした。落ちぎわに近い月夜の空が澄み切った中を涼しい風が吹き、人の悲しみを促すような虫の声がするのであるから帰りにくい。

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鈴虫の声の限りを尽くしても長き夜飽かず降る涙かな
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 車に乗ろうとして命婦はこんな歌を口ずさんだ。

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「いとどしく虫の音《ね》しげき浅茅生《あさぢふ》に露置き添ふる雲の上人《うへびと》
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 かえって御訪問が恨めしいと申し上げたいほどです」
 と未亡人は女房に言わせた。意匠を凝らせた贈り物などする場合でなかったから、故人の形見ということにして、唐衣《からぎぬ》と裳《も》の一揃《ひとそろ》えに、髪上げの用具のはいった箱を添えて贈った。
 若い女房たちの更衣の死を悲しむのはむろんであるが、宮中住まいをしなれていて、寂しく物足らず思われることが多く、お優しい帝《みかど》の御様子を思ったりして、若宮が早く御所へお帰りになるようにと促すのであるが、不幸な自分がごいっしょに上がっていることも、また世間に批難の材料を与えるようなものであろうし、またそれかといって若宮とお別れしている苦痛にも堪《た》えきれる自信がないと未亡人は思うので、結局若宮の宮中入りは実行性に乏しかった。
 御所へ帰った命婦は、まだ宵《よい》のままで御寝室へはいっておいでにならない帝を気の毒に思った。中庭の秋の花の盛りなのを愛していらっしゃるふうをあそばして凡庸でない女房四、五人をおそばに置いて話をしておいでになるのであった。このごろ始終帝の御覧になるものは、玄宗《げんそう》皇帝と楊貴妃《ようきひ》の恋を題材にした白楽天の長恨歌《ちょうごんか》を、亭子院《ていしいん》が絵にあそばして、伊勢《いせ》や貫之《つらゆき》に歌をお詠《よ》ませになった巻き物で、そのほか日本文学でも、支那《しな》のでも、愛人に別れた人の悲しみが歌われたものばかりを帝はお読みになった。帝は命婦にこまごまと大納言《だいなごん》家の様子をお聞きになった。身にしむ思いを得て来たことを命婦は外へ声をはばかりながら申し上げた。未亡人の御返事を帝は御覧になる。
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もったいなさをどう始末いたしてよろしゅうございますやら。こうした仰せを承りましても愚か者はただ悲しい悲しいとばかり思われるのでございます。

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荒き風防ぎし蔭《かげ》の枯れしより小萩《こはぎ》が上ぞしづ心無き
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 というような、歌の価値の疑わしいようなものも書かれてあるが、悲しみのために落ち着かない心で詠《よ》んでいるのであるからと寛大に御覧になった。帝はある程度まではおさえていねばならぬ悲しみであると思召すが、それが御困難であるらしい。はじめて桐壺《きりつぼ》の更衣《こうい》の上がって来たころのことなどまでがお心の表面に浮かび上がってきてはいっそう暗い悲しみに帝をお誘いした。その当時しばらく別れているということさえも自分にはつらかったのに、こうして一人でも生きていられるものであると思うと自分は偽り者のような気がするとも帝はお思いになった。
「死んだ大納言の遺言を苦労して実行した未亡人への酬《むく》いは、更衣を後宮の一段高い位置にすえることだ、そうしたいと自分はいつも思っていたが、何もかも皆夢になった」
 とお言いになって、未亡人に限りない同情をしておいでになった。
「しかし、あの人はいなくても若宮が天子にでもなる日が来れば、故人に后《きさき》の位を贈ることもできる。それまで生きていたいとあの夫人は思っているだろう」
 などという仰せがあった。命婦《みょうぶ》は贈られた物を御前《おまえ》へ並べた。これが唐《から》の幻術師が他界の楊貴妃《ようきひ》に逢《あ》って得て来た玉の簪《かざし》であったらと、帝はかいないこともお思いになった。

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尋ね行くまぼろしもがなつてにても魂《たま》のありかをそこと知るべく
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 絵で見る楊貴妃はどんなに名手の描《か》いたものでも、絵における表現は限りがあって、それほどのすぐれた顔も持っていない。太液《たいえき》の池の蓮花《れんげ》にも、未央宮《びおうきゅう》の柳の趣にもその人は似ていたであろうが、また唐《から》の服装は華美ではあったであろうが、更衣の持った柔らかい美、艶《えん》な姿態をそれに思い比べて御覧になると、これは花の色にも鳥の声にもたとえられぬ最上のものであった。お二人の間はいつも、天に在《あ》っては比翼の鳥、地に生まれれば連理の枝という言葉で永久の愛を誓っておいでになったが、運命はその一人に早く死を与えてしまった。秋風の音《ね》にも虫の声にも帝が悲しみを覚えておいでになる時、弘徽殿《こきでん》の女御《にょご》はもう久しく夜の御殿《おとど》の宿直《とのい》にもお上がりせずにいて、今夜の月明に更《ふ》けるまでその御殿で音楽の合奏をさせているのを帝は不愉快に思召した。このころの帝のお心持ちをよく知っている殿上役人や帝付きの女房なども皆弘徽殿の楽音に反感を持った。負けぎらいな性質の人で更衣の死などは眼中にないというふうをわざと見せているのであった。
 月も落ちてしまった。

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雲の上も涙にくるる秋の月いかですむらん浅茅生《あさぢふ》の宿
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 命婦が御報告した故人の家のことをなお帝は想像あそばしながら起きておいでになった。
 右近衛府《うこんえふ》の士官が宿直者の名を披露《ひろう》するのをもってすれば午前二時になったのであろう。人目をおはばかりになって御寝室へおはいりになってからも安眠を得たもうことはできなかった。
 朝のお目ざめにもまた、夜明けも知らずに語り合った昔の御追憶がお心を占めて、寵姫《ちょうき》の在《あ》った日も亡《な》いのちも朝の政務はお怠りになることになる。お食欲もない。簡単な御朝食はしるしだけお取りになるが、帝王の御|朝餐《ちょうさん》として用意される大床子《だいしょうじ》のお料理などは召し上がらないものになっていた。それには殿上役人のお給仕がつくのであるが、それらの人は皆この状態を歎《なげ》いていた。すべて側近する人は男女の別なしに困ったことであると歎いた。よくよく深い前生の御縁で、その当時は世の批難も後宮の恨みの声もお耳には留まらず、その人に関することだけは正しい判断を失っておしまいになり、また死んだあとではこうして悲しみに沈んでおいでになって政務も何もお顧みにならない、国家のためによろしくないことであるといって、支那《しな》の歴朝の例までも引き出して言う人もあった。
 幾月かののちに第二の皇子が宮中へおはいりになった。ごくお小さい時ですらこの世のものとはお見えにならぬ御美貌の備わった方であったが、今はまたいっそう輝くほどのものに見えた。その翌年立太子のことがあった。帝の思召《おぼしめ》しは第二の皇子にあったが、だれという後見の人がなく、まただれもが肯定しないことであるのを悟っておいでになって、かえってその地位は若宮の前途を危険にするものであるとお思いになって、御心中をだれにもお洩《も》らしにならなかった。東宮におなりになったのは第一親王である。この結果を見て、あれほどの御愛子でもやはり太子にはおできにならないのだと世間も言い、弘徽殿《こきでん》の女御《にょご》も安心した。その時から宮の外祖母の未亡人は落胆して更衣のいる世界へ行くことのほかには希望もないと言って一心に御仏《みほとけ》の来迎《らいごう》を求めて、とうとう亡《な》くなった。帝はまた若宮が祖母を失われたことでお悲しみになった。これは皇子が六歳の時のことであるから、今度は母の更衣の死に逢《あ》った時とは違い、皇子は祖母の死を知ってお悲しみになった。今まで始終お世話を申していた宮とお別れするのが悲しいということばかりを未亡人は言って死んだ。
 それから若宮はもう宮中にばかりおいでになることになった。七歳の時に書初《ふみはじ》めの式が行なわれて学問をお始めになったが、皇子の類のない聡明《そうめい》さに帝はお驚きになることが多かった。
「もうこの子をだれも憎むことができないでしょう。母親のないという点だけででもかわいがっておやりなさい」
 と帝はお言いになって、弘徽殿へ昼間おいでになる時もいっしょにおつれになったりしてそのまま御簾《みす》の中にまでもお入れになった。どんな強さ一方の武士だっても仇敵《きゅうてき》だってもこの人を見ては笑《え》みが自然にわくであろうと思われる美しい少童《しょうどう》でおありになったから、女御も愛を覚えずにはいられなかった。この女御は東宮のほかに姫宮をお二人お生みしていたが、その方々よりも第二の皇子のほうがおきれいであった。姫宮がたもお隠れにならないで賢い遊び相手としてお扱いになった。学問はもとより音楽の才も豊かであった。言えば不自然に聞こえるほどの天才児であった。
 その時分に高麗人《こまうど》が来朝した中に、上手《じょうず》な人相見の者が混じっていた。帝はそれをお聞きになったが、宮中へお呼びになることは亭子院のお誡《いまし》めがあっておできにならず、だれにも秘密にして皇子のお世話役のようになっている右大弁《うだいべん》の子のように思わせて、皇子を外人の旅宿する鴻臚館《こうろかん》へおやりになった。
 相人は不審そうに頭《こうべ》をたびたび傾けた。
「国の親になって最上の位を得る人相であって、さてそれでよいかと拝見すると、そうなることはこの人の幸福な道でない。国家の柱石になって帝王の輔佐をする人として見てもまた違うようです」
 と言った。弁も漢学のよくできる官人であったから、筆紙をもってする高麗人との問答にはおもしろいものがあった。詩の贈答もして高麗人はもう日本の旅が終わろうとする期《ご》に臨んで珍しい高貴の相を持つ人に逢《あ》ったことは、今さらにこの国を離れがたくすることであるというような意味の作をした。若宮も送別の意味を詩にお作りになったが、その詩を非常にほめていろいろなその国の贈り物をしたりした。
 朝廷からも高麗《こま》の相人へ多くの下賜品があった。その評判から東宮の外戚の右大臣などは第二の皇子と高麗の相人との関係に疑いを持った。好遇された点が腑《ふ》に落ちないのである。聡明《そうめい》な帝は高麗人の言葉以前に皇子の将来を見通して、幸福な道を選ぼうとしておいでになった。それでほとんど同じことを占った相人に価値をお認めになったのである。四品《しほん》以下の無品《むほん》親王などで、心細い皇族としてこの子を置きたくない、自分の代もいつ終わるかしれぬのであるから、将来に最も頼もしい位置をこの子に設けて置いてやらねばならぬ、臣下の列に入れて国家の柱石たらしめることがいちばんよいと、こうお決めになって、以前にもましていろいろの勉強をおさせになった。大きな天才らしい点の現われてくるのを御覧になると人臣にするのが惜しいというお心になるのであったが、親王にすれば天子に変わろうとする野心を持つような疑いを当然受けそうにお思われになった。上手な運命占いをする者にお尋ねになっても同じような答申をするので、元服後は源姓を賜わって源氏の某《なにがし》としようとお決めになった。
 年月がたっても帝は桐壺の更衣との死別の悲しみをお忘れになることができなかった。慰みになるかと思召して美しい評判のある人などを後宮へ召されることもあったが、結果はこの世界には故更衣の美に準ずるだけの人もないのであるという失望をお味わいになっただけである。そうしたころ、先帝——帝《みかど》の従兄《いとこ》あるいは叔父君《おじぎみ》——の第四の内親王でお美しいことをだれも言う方で、母君のお后《きさき》が大事にしておいでになる方のことを、帝のおそばに奉仕している典侍《ないしのすけ》は先帝の宮廷にいた人で、后の宮へも親しく出入りしていて、内親王の御幼少時代をも知り、現在でもほのかにお顔を拝見する機会を多く得ていたから、帝へお話しした。
「お亡《かく》れになりました御息所《みやすどころ》の御|容貌《ようぼう》に似た方を、三代も宮廷におりました私すらまだ見たことがございませんでしたのに、后の宮様の内親王様だけがあの方に似ていらっしゃいますことにはじめて気がつきました。非常にお美しい方でございます」
 もしそんなことがあったらと大御心《おおみこころ》が動いて、先帝の后の宮へ姫宮の御入内《ごじゅだい》のことを懇切にお申し入れになった。お后は、そんな恐ろしいこと、東宮のお母様の女御《にょご》が並みはずれな強い性格で、桐壺の更衣《こうい》が露骨ないじめ方をされた例もあるのに、と思召して話はそのままになっていた。そのうちお后もお崩《かく》れになった。姫宮がお一人で暮らしておいでになるのを帝はお聞きになって、
「女御というよりも自分の娘たちの内親王と同じように思って世話がしたい」
 となおも熱心に入内をお勧めになった。こうしておいでになって、母宮のことばかりを思っておいでになるよりは、宮中の御生活にお帰りになったら若いお心の慰みにもなろうと、お付きの女房やお世話係の者が言い、兄君の兵部卿《ひょうぶきょう》親王もその説に御賛成になって、それで先帝の第四の内親王は当帝の女御におなりになった。御殿は藤壺《ふじつぼ》である。典侍の話のとおりに、姫宮の容貌も身のおとりなしも不思議なまで、桐壺の更衣に似ておいでになった。この方は御身分に批《ひ》の打ち所がない。すべてごりっぱなものであって、だれも貶《おとし》める言葉を知らなかった。桐壺の更衣は身分と御愛寵とに比例の取れぬところがあった。お傷手《いたで》が新女御の宮で癒《いや》されたともいえないであろうが、自然に昔は昔として忘れられていくようになり、帝にまた楽しい御生活がかえってきた。あれほどのこともやはり永久不変でありえない人間の恋であったのであろう。
 源氏の君——まだ源姓にはなっておられない皇子であるが、やがてそうおなりになる方であるから筆者はこう書く。——はいつも帝のおそばをお離れしないのであるから、自然どの女御の御殿へも従って行く。帝がことにしばしばおいでになる御殿は藤壺《ふじつぼ》であって、お供して源氏のしばしば行く御殿は藤壺である。宮もお馴《な》れになって隠れてばかりはおいでにならなかった。どの後宮でも容貌の自信がなくて入内した者はないのであるから、皆それぞれの美を備えた人たちであったが、もう皆だいぶ年がいっていた。その中へ若いお美しい藤壺の宮が出現されてその方は非常に恥ずかしがってなるべく顔を見せぬようにとなすっても、自然に源氏の君が見ることになる場合もあった。母の更衣は面影も覚えていないが、よく似ておいでになると典侍が言ったので、子供心に母に似た人として恋しく、いつも藤壺へ行きたくなって、あの方と親しくなりたいという望みが心にあった。帝には二人とも最愛の妃であり、最愛の御子であった。
「彼を愛しておやりなさい。不思議なほどあなたとこの子の母とは似ているのです。失礼だと思わずにかわいがってやってください。この子の目つき顔つきがまたよく母に似ていますから、この子とあなたとを母と子と見てもよい気がします」
 など帝がおとりなしになると、子供心にも花や紅葉《もみじ》の美しい枝は、まずこの宮へ差し上げたい、自分の好意を受けていただきたいというこんな態度をとるようになった。現在の弘徽殿の女御の嫉妬《しっと》の対象は藤壺の宮であったからそちらへ好意を寄せる源氏に、一時忘れられていた旧怨《きゅうえん》も再燃して憎しみを持つことになった。女御が自慢にし、ほめられてもおいでになる幼内親王方の美を遠くこえた源氏の美貌《びぼう》を世間の人は言い現わすために光《ひかる》の君《きみ》と言った。女御として藤壺の宮の御|寵愛《ちょうあい》が並びないものであったから対句のように作って、輝く日の宮と一方を申していた。
 源氏の君の美しい童形《どうぎょう》をいつまでも変えたくないように帝は思召したのであったが、いよいよ十二の歳《とし》に元服をおさせになることになった。その式の準備も何も帝御自身でお指図《さしず》になった。前に東宮の御元服の式を紫宸殿《ししんでん》であげられた時の派手《はで》やかさに落とさず、その日官人たちが各階級別々にさずかる饗宴《きょうえん》の仕度《したく》を内蔵寮《くらりょう》、穀倉院などでするのはつまり公式の仕度で、それでは十分でないと思召して、特に仰せがあって、それらも華麗をきわめたものにされた。
 清涼殿は東面しているが、お庭の前のお座敷に玉座の椅子《いす》がすえられ、元服される皇子の席、加冠役の大臣の席がそのお前にできていた。午後四時に源氏の君が参った。上で二つに分けて耳の所で輪にした童形の礼髪を結った源氏の顔つき、少年の美、これを永久に保存しておくことが不可能なのであろうかと惜しまれた。理髪の役は大蔵卿《おおくらきょう》である。美しい髪を短く切るのを惜しく思うふうであった。帝は御息所《みやすどころ》がこの式を見たならばと、昔をお思い出しになることによって堪えがたくなる悲しみをおさえておいでになった。加冠が終わって、いったん休息所《きゅうそくじょ》に下がり、そこで源氏は服を変えて庭上の拝をした。参列の諸員は皆小さい大宮人の美に感激の涙をこぼしていた。帝はまして御自制なされがたい御感情があった。藤壺の宮をお得になって以来、紛れておいでになることもあった昔の哀愁が今一度にお胸へかえって来たのである。まだ小さくて大人《おとな》の頭の形になることは、その人の美を損じさせはしないかという御懸念もおありになったのであるが、源氏の君には今驚かれるほどの新彩が加わって見えた。加冠の大臣には夫人の内親王との間に生まれた令嬢があった。東宮から後宮にとお望みになったのをお受けせずにお返辞《へんじ》を躊躇《ちゅうちょ》していたのは、初めから源氏の君の配偶者に擬していたからである。大臣は帝の御意向をも伺った。
「それでは元服したのちの彼を世話する人もいることであるから、その人をいっしょにさせればよい」
 という仰せであったから、大臣はその実現を期していた。
 今日の侍所《さむらいどころ》になっている座敷で開かれた酒宴に、親王方の次の席へ源氏は着いた。娘の件を大臣がほのめかしても、きわめて若い源氏は何とも返辞をすることができないのであった。帝のお居間のほうから仰せによって内侍《ないし》が大臣を呼びに来たので、大臣はすぐに御前へ行った。加冠役としての下賜品はおそばの命婦が取り次いだ。白い大袿《おおうちぎ》に帝のお召し料のお服が一襲《ひとかさね》で、これは昔から定まった品である。酒杯を賜わる時に、次の歌を仰せられた。

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いときなき初元結ひに長き世を契る心は結びこめつや
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 大臣の女《むすめ》との結婚にまでお言い及ぼしになった御製は大臣を驚かした。

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結びつる心も深き元結ひに濃き紫の色しあせずば
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 と返歌を奏上してから大臣は、清涼殿《せいりょうでん》の正面の階段《きざはし》を下がって拝礼をした。左馬寮《さまりょう》の御馬と蔵人所《くろうどどころ》の鷹《たか》をその時に賜わった。そのあとで諸員が階前に出て、官等に従ってそれぞれの下賜品を得た。この日の御|饗宴《きょうえん》の席の折り詰めのお料理、籠《かご》詰めの菓子などは皆|右大弁《うだいべん》が御命令によって作った物であった。一般の官吏に賜う弁当の数、一般に下賜される絹を入れた箱の多かったことは、東宮の御元服の時以上であった。
 その夜源氏の君は左大臣家へ婿になって行った。この儀式にも善美は尽くされたのである。高貴な美少年の婿を大臣はかわいく思った。姫君のほうが少し年上であったから、年下の少年に配されたことを、不似合いに恥ずかしいことに思っていた。この大臣は大きい勢力を持った上に、姫君の母の夫人は帝の御同胞であったから、あくまでもはなやかな家である所へ、今度また帝の御愛子の源氏を婿に迎えたのであるから、東宮の外祖父で未来の関白と思われている右大臣の勢力は比較にならぬほど気押《けお》されていた。左大臣は何人かの妻妾《さいしょう》から生まれた子供を幾人も持っていた。内親王腹のは今|蔵人《くろうど》少将であって年少の美しい貴公子であるのを左右大臣の仲はよくないのであるが、その蔵人少将をよその者に見ていることができず、大事にしている四女の婿にした。これも左大臣が源氏の君をたいせつがるのに劣らず右大臣から大事な婿君としてかしずかれていたのはよい一対のうるわしいことであった。
 源氏の君は帝がおそばを離しにくくあそばすので、ゆっくりと妻の家に行っていることもできなかった。源氏の心には藤壺《ふじつぼ》の宮の美が最上のものに思われてあのような人を自分も妻にしたい、宮のような女性はもう一人とないであろう、左大臣の令嬢は大事にされて育った美しい貴族の娘とだけはうなずかれるがと、こんなふうに思われて単純な少年の心には藤壺の宮のことばかりが恋しくて苦しいほどであった。元服後の源氏はもう藤壺の御殿の御簾《みす》の中へは入れていただけなかった。琴や笛の音《ね》の中にその方がお弾《ひ》きになる物の声を求めるとか、今はもう物越しにより聞かれないほのかなお声を聞くとかが、せめてもの慰めになって宮中の宿直《とのい》ばかりが好きだった。五、六日御所にいて、二、三日大臣家へ行くなど絶え絶えの通い方を、まだ少年期であるからと見て大臣はとがめようとも思わず、相も変わらず婿君のかしずき騒ぎをしていた。新夫婦付きの女房はことにすぐれた者をもってしたり、気に入りそうな遊びを催したり、一所懸命である。御所では母の更衣のもとの桐壺を源氏の宿直所にお与えになって、御息所《みやすどころ》に侍していた女房をそのまま使わせておいでになった。更衣の家のほうは修理《しゅり》の役所、内匠寮《たくみりょう》などへ帝がお命じになって、非常なりっぱなものに改築されたのである。もとから築山《つきやま》のあるよい庭のついた家であったが、池なども今度はずっと広くされた。二条の院はこれである。源氏はこんな気に入った家に自分の理想どおりの妻と暮らすことができたらと思って始終|歎息《たんそく》をしていた。
 光《ひかる》の君という名は前に鴻臚館《こうろかん》へ来た高麗人《こまうど》が、源氏の美貌《びぼう》と天才をほめてつけた名だとそのころ言われたそうである。

桐壺 版本说明

底本:「全訳源氏物語 上巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年8月10日改版初版発行
   1994(平成6)年12月20日56版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月5日71版を使用しました。
入力:上田英代
校正:kompass
2003年4月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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02 帚木

[#地から3字上げ]中川の皐月《さつき》の水に人似たりかたればむ
[#地から3字上げ]せびよればわななく    (晶子)

 光源氏《ひかるげんじ》、すばらしい名で、青春を盛り上げてできたような人が思われる。自然奔放な好色生活が想像される。しかし実際はそれよりずっと質素《じみ》な心持ちの青年であった。その上恋愛という一つのことで後世へ自分が誤って伝えられるようになってはと、異性との交渉をずいぶん内輪にしていたのであるが、ここに書く話のような事が伝わっているのは世間がおしゃべりであるからなのだ。自重してまじめなふうの源氏は恋愛風流などには遠かった。好色小説の中の交野《かたの》の少将などには笑われていたであろうと思われる。
 中将時代にはおもに宮中の宿直所《とのいどころ》に暮らして、時たまにしか舅《しゅうと》の左大臣家へ行かないので、別に恋人を持っているかのような疑いを受けていたが、この人は世間にざらにあるような好色男の生活はきらいであった。まれには風変わりな恋をして、たやすい相手でない人に心を打ち込んだりする欠点はあった。
 梅雨《つゆ》のころ、帝《みかど》の御謹慎日が幾日かあって、近臣は家へも帰らずに皆|宿直《とのい》する、こんな日が続いて、例のとおりに源氏の御所住まいが長くなった。大臣家ではこうして途絶えの多い婿君を恨めしくは思っていたが、やはり衣服その他|贅沢《ぜいたく》を尽くした新調品を御所の桐壺《きりつぼ》へ運ぶのに倦《う》むことを知らなんだ。左大臣の子息たちは宮中の御用をするよりも、源氏の宿直所への勤めのほうが大事なふうだった。そのうちでも宮様腹の中将は最も源氏と親しくなっていて、遊戯をするにも何をするにも他の者の及ばない親交ぶりを見せた。大事がる舅の右大臣家へ行くことはこの人もきらいで、恋の遊びのほうが好きだった。結婚した男はだれも妻の家で生活するが、この人はまだ親の家のほうにりっぱに飾った居間や書斎を持っていて、源氏が行く時には必ずついて行って、夜も、昼も、学問をするのも、遊ぶのもいっしょにしていた。謙遜もせず、敬意を表することも忘れるほどぴったりと仲よしになっていた。
 五月雨《さみだれ》がその日も朝から降っていた夕方、殿上役人の詰め所もあまり人影がなく、源氏の桐壺も平生より静かな気のする時に、灯《ひ》を近くともしていろいろな書物を見ていると、その本を取り出した置き棚《だな》にあった、それぞれ違った色の紙に書かれた手紙の殻《から》の内容を頭中将《とうのちゅうじょう》は見たがった。
「無難なのを少しは見せてもいい。見苦しいのがありますから」
 と源氏は言っていた。
「見苦しくないかと気になさるのを見せていただきたいのですよ。平凡な女の手紙なら、私には私相当に書いてよこされるのがありますからいいんです。特色のある手紙ですね、怨みを言っているとか、ある夕方に来てほしそうに書いて来る手紙、そんなのを拝見できたらおもしろいだろうと思うのです」
 と恨まれて、初めからほんとうに秘密な大事の手紙などは、だれが盗んで行くか知れない棚などに置くわけもない、これはそれほどの物でないのであるから、源氏は見てもよいと許した。中将は少しずつ読んで見て言う。
「いろんなのがありますね」
 自身の想像だけで、だれとか彼とか筆者を当てようとするのであった。上手《じょうず》に言い当てるのもある、全然見当違いのことを、それであろうと深く追究したりするのもある。そんな時に源氏はおかしく思いながらあまり相手にならぬようにして、そして上手に皆を中将から取り返してしまった。
「あなたこそ女の手紙はたくさん持っているでしょう。少し見せてほしいものだ。そのあとなら棚のを全部見せてもいい」
「あなたの御覧になる価値のある物はないでしょうよ」
 こんな事から頭中将は女についての感想を言い出した。
「これならば完全だ、欠点がないという女は少ないものであると私は今やっと気がつきました。ただ上《うわ》っつらな感情で達者な手紙を書いたり、こちらの言うことに理解を持っているような利巧《りこう》らしい人はずいぶんあるでしょうが、しかもそこを長所として取ろうとすれば、きっと合格点にはいるという者はなかなかありません。自分が少し知っていることで得意になって、ほかの人を軽蔑《けいべつ》することのできる厭味《いやみ》な女が多いんですよ。親がついていて、大事にして、深窓に育っているうちは、その人の片端だけを知って男は自分の想像で十分補って恋をすることになるというようなこともあるのですね。顔がきれいで、娘らしくおおようで、そしてほかに用がないのですから、そんな娘には一つくらいの芸の上達が望めないこともありませんからね。それができると、仲に立った人間がいいことだけを話して、欠点は隠して言わないものですから、そんな時にそれはうそだなどと、こちらも空で断定することは不可能でしょう、真実だろうと思って結婚したあとで、だんだんあらが出てこないわけはありません」
 中将がこう言って歎息《たんそく》した時に、そんなありきたりの結婚失敗者ではない源氏も、何か心にうなずかれることがあるか微笑をしていた。
「あなたが今言った、一つくらいの芸ができるというほどのとりえね、それもできない人があるだろうか」
「そんな所へは初めからだれもだまされて行きませんよ、何もとりえのないのと、すべて完全であるのとは同じほどに少ないものでしょう。上流に生まれた人は大事にされて、欠点も目だたないで済みますから、その階級は別ですよ。中の階級の女によってはじめてわれわれはあざやかな、個性を見せてもらうことができるのだと思います。またそれから一段下の階級にはどんな女がいるのだか、まあ私にはあまり興味が持てない」
 こう言って、通《つう》を振りまく中将に、源氏はもう少しその観察を語らせたく思った。
「その階級の別はどんなふうにつけるのですか。上、中、下を何で決めるのですか。よい家柄でもその娘の父は不遇で、みじめな役人で貧しいのと、並み並みの身分から高官に成り上がっていて、それが得意で贅沢《ぜいたく》な生活をして、初めからの貴族に負けないふうでいる家の娘と、そんなのはどちらへ属させたらいいのだろう」
 こんな質問をしている所へ、左馬頭《さまのかみ》と藤式部丞《とうしきぶのじょう》とが、源氏の謹慎日を共にしようとして出て来た。風流男という名が通っているような人であったから、中将は喜んで左馬頭を問題の中へ引き入れた。不謹慎な言葉もそれから多く出た。
「いくら出世しても、もとの家柄が家柄だから世間の思わくだってやはり違う。またもとはいい家《うち》でも逆境に落ちて、何の昔の面影もないことになってみれば、貴族的な品のいいやり方で押し通せるものではなし、見苦しいことも人から見られるわけだから、それはどちらも中の品ですよ。受領《ずりょう》といって地方の政治にばかり関係している連中の中にもまたいろいろ階級がありましてね、いわゆる中の品として恥ずかしくないのがありますよ。また高官の部類へやっとはいれたくらいの家よりも、参議にならない四位の役人で、世間からも認められていて、もとの家柄もよく、富んでのんきな生活のできている所などはかえって朗らかなものですよ。不足のない暮らしができるのですから、倹約もせず、そんな空気の家に育った娘に軽蔑《けいべつ》のできないものがたくさんあるでしょう。宮仕えをして思いがけない幸福のもとを作ったりする例も多いのですよ」
 左馬頭がこう言う。
「それではまあ何でも金持ちでなければならないんだね」
 と源氏は笑っていた。
「あなたらしくないことをおっしゃるものじゃありませんよ」
 中将はたしなめるように言った。左馬頭はなお話し続けた。
「家柄も現在の境遇も一致している高貴な家のお嬢さんが凡庸であった場合、どうしてこんな人ができたのかと情けないことだろうと思います。そうじゃなくて地位に相応なすぐれたお嬢さんであったら、それはたいして驚きませんね。当然ですもの。私らにはよくわからない社会のことですから上の品は省くことにしましょう。こんなこともあります。世間からはそんな家のあることなども無視されているような寂しい家に、思いがけない娘が育てられていたとしたら、発見者は非常にうれしいでしょう。意外であったということは十分に男の心を引く力になります。父親がもういいかげん年寄りで、醜く肥《ふと》った男で、風采《ふうさい》のよくない兄を見ても、娘は知れたものだと軽蔑している家庭に、思い上がった娘がいて、歌も上手であったりなどしたら、それは本格的なものではないにしても、ずいぶん興味が持てるでしょう。完全な女の選にははいりにくいでしょうがね」
 と言いながら、同意を促すように式部丞のほうを見ると、自身の妹たちが若い男の中で相当な評判になっていることを思って、それを暗に言っているのだと取って、式部丞は何も言わなかった。そんなに男の心を引く女がいるであろうか、上の品にはいるものらしい女の中にだって、そんな女はなかなか少ないものだと自分にはわかっているがと源氏は思っているらしい。柔らかい白い着物を重ねた上に、袴《はかま》は着けずに直衣《のうし》だけをおおように掛けて、からだを横にしている源氏は平生よりもまた美しくて、女性であったらどんなにきれいな人だろうと思われた。この人の相手には上の上の品の中から選んでも飽き足りないことであろうと見えた。
「ただ世間の人として見れば無難でも、実際自分の妻にしようとすると、合格するものは見つからないものですよ。男だって官吏になって、お役所のお勤めというところまでは、だれもできますが、実際適所へ適材が行くということはむずかしいものですからね。しかしどんなに聡明《そうめい》な人でも一人や二人で政治はできないのですから、上官は下僚に助けられ、下僚は上に従って、多数の力で役所の仕事は済みますが、一家の主婦にする人を選ぶのには、ぜひ備えさせねばならぬ資格がいろいろと幾つも必要なのです。これがよくてもそれには適しない。少しは譲歩してもまだなかなか思うような人はない。世間の多数の男も、いろいろな女の関係を作るのが趣味ではなくても、生涯《しょうがい》の妻を捜す心で、できるなら一所懸命になって自分で妻の教育のやり直しをしたりなどする必要のない女はないかとだれも思うのでしょう。必ずしも理想に近い女ではなくても、結ばれた縁に引かれて、それと一生を共にする、そんなのはまじめな男に見え、また捨てられない女も世間体がよいことになります。しかし世間を見ると、そう都合よくはいっていませんよ。お二方のような貴公子にはまして対象になる女があるものですか。私などの気楽な階級の者の中にでも、これと打ち込んでいいのはありませんからね。見苦しくもない娘で、それ相応な自重心を持っていて、手紙を書く時には蘆手《あしで》のような簡単な文章を上手に書き、墨色のほのかな文字で相手を引きつけて置いて、もっと確かな手紙を書かせたいと男をあせらせて、声が聞かれる程度に接近して行って話そうとしても、息よりも低い声で少ししかものを言わないというようなのが、男の正しい判断を誤らせるのですよ。なよなよとしていて優し味のある女だと思うと、あまりに柔順すぎたりして、またそれが才気を見せれば多情でないかと不安になります。そんなことは選定の最初の関門ですよ。妻に必要な資格は家庭を預かることですから、文学趣味とかおもしろい才気などはなくてもいいようなものですが、まじめ一方で、なりふりもかまわないで、額髪《ひたいがみ》をうるさがって耳の後ろへはさんでばかりいる、ただ物質的な世話だけを一所懸命にやいてくれる、そんなのではね。お勤めに出れば出る、帰れば帰るで、役所のこと、友人や先輩のことなどで話したいことがたくさんあるんですから、それは他人には言えません。理解のある妻に話さないではつまりません。この話を早く聞かせたい、妻の意見も聞いて見たい、こんなことを思っているとそとででも独笑《ひとりえみ》が出ますし、一人で涙ぐまれもします。また自分のことでないことに公憤を起こしまして、自分の心にだけ置いておくことに我慢のできぬような時、けれども自分の妻はこんなことのわかる女でないのだと思うと、横を向いて一人で思い出し笑いをしたり、かわいそうなものだなどと独言《ひとりごと》を言うようになります。そんな時に何なんですかと突っ慳貪《けんどん》に言って自分の顔を見る細君などはたまらないではありませんか。ただ一概に子供らしくておとなしい妻を持った男はだれでもよく仕込むことに苦心するものです。たよりなくは見えても次第に養成されていく妻に多少の満足を感じるものです。一緒《いっしょ》にいる時は可憐さが不足を補って、それでも済むでしょうが、家を離れている時に用事を言ってやりましても何ができましょう。遊戯も風流も主婦としてすることも自発的には何もできない、教えられただけの芸を見せるにすぎないような女に、妻としての信頼を持つことはできません。ですからそんなのもまただめです。平生はしっくりといかぬ夫婦仲で、淡い憎しみも持たれる女で、何かの場合によい妻であることが痛感されるのもあります」
 こんなふうな通《つう》な左馬頭にも決定的なことは言えないと見えて、深い歎息《ためいき》をした。
「ですからもう階級も何も言いません。容貌《きりょう》もどうでもいいとします。片よった性質でさえなければ、まじめで素直な人を妻にすべきだと思います。その上に少し見識でもあれば、満足して少しの欠点はあってもよいことにするのですね。安心のできる点が多ければ、趣味の教育などはあとからできるものですよ。上品ぶって、恨みを言わなければならぬ時も知らぬ顔で済ませて、表面は賢女らしくしていても、そんな人は苦しくなってしまうと、凄文句《すごもんく》や身にしませる歌などを書いて、思い出してもらえる材料にそれを残して、遠い郊外とか、まったく世間と離れた海岸とかへ行ってしまいます。子供の時に女房などが小説を読んでいるのを聞いて、そんなふうの女主人公に同情したものでしてね、りっぱな態度だと涙までもこぼしたものです。今思うとそんな女のやり方は軽佻《けいちょう》で、わざとらしい。自分を愛していた男を捨てて置いて、その際にちょっとした恨めしいことがあっても、男の愛を信じないように家を出たりなどして、無用の心配をかけて、そうして男をためそうとしているうちに取り返しのならぬはめに至ります。いやなことです。りっぱな態度だなどとほめたてられると、図に乗ってどうかすると尼なんかにもなります。その時はきたない未練は持たずに、すっかり恋愛を清算した気でいますが、まあ悲しい、こんなにまであきらめておしまいになってなどと、知った人が訪問して言い、真底から憎くはなっていない男が、それを聞いて泣いたという話などが聞こえてくると、召使や古い女房などが、殿様はあんなにあなたを思っていらっしゃいますのに、若いおからだを尼になどしておしまいになって惜しい。こんなことを言われる時、短くして後ろ梳《ず》きにしてしまった額髪に手が行って、心細い気になると自然に物思いをするようになります。忍んでももう涙を一度流せばあとは始終泣くことになります。御弟子《みでし》になった上でこんなことでは仏様も未練をお憎みになるでしょう。俗であった時よりもそんな罪は深くて、かえって地獄へも落ちるように思われます。また夫婦の縁が切れずに、尼にはならずに、良人《おっと》に連れもどされて来ても、自分を捨てて家出をした妻であることを良人に忘れてもらうことはむずかしいでしょう。悪くてもよくてもいっしょにいて、どんな時もこんな時も許し合って暮らすのがほんとうの夫婦でしょう。一度そんなことがあったあとでは真実の夫婦愛がかえってこないものです。また男の愛がほんとうにさめている場合に家出をしたりすることは愚かですよ。恋はなくなっていても妻であるからと思っていっしょにいてくれた男から、これを機会に離縁を断行されることにもなります。なんでも穏やかに見て、男にほかの恋人ができた時にも、全然知らぬ顔はせずに感情を傷つけない程度の怨《うら》みを見せれば、それでまた愛を取り返すことにもなるものです。浮気《うわき》な習慣は妻次第でなおっていくものです。あまりに男に自由を与えすぎる女も、男にとっては気楽で、その細君の心がけがかわいく思われそうでありますが、しかしそれもですね、ほんとうは感心のできかねる妻の態度です。つながれない船は浮き歩くということになるじゃありませんか、ねえ」
 中将はうなずいた。
「現在の恋人で、深い愛着を覚えていながらその女の愛に信用が持てないということはよくない。自身の愛さえ深ければ女のあやふやな心持ちも直して見せることができるはずだが、どうだろうかね。方法はほかにありませんよ。長い心で見ていくだけですね」
 と頭中将《とうのちゅうじょう》は言って、自分の妹と源氏の中はこれに当たっているはずだと思うのに、源氏が目を閉じたままで何も言わぬのを、物足らずも口惜《くちお》しくも思った。左馬頭《さまのかみ》は女の品定めの審判者であるというような得意な顔をしていた。中将は左馬頭にもっと語らせたい心があってしきりに相槌《あいづち》を打っているのであった。
「まあほかのことにして考えてごらんなさい。指物師《さしものし》がいろいろな製作をしましても、一時的な飾り物で、決まった形式を必要としないものは、しゃれた形をこしらえたものなどに、これはおもしろいと思わせられて、いろいろなものが、次から次へ新しい物がいいように思われますが、ほんとうにそれがなければならない道具というような物を上手《じょうず》にこしらえ上げるのは名人でなければできないことです。また絵所《えどころ》に幾人も画家がいますが、席上の絵の描《か》き手に選ばれておおぜいで出ます時は、どれがよいのか悪いのかちょっとわかりませんが、非写実的な蓬莱山《ほうらいさん》とか、荒海の大魚とか、唐《から》にしかいない恐ろしい獣の形とかを描く人は、勝手ほうだいに誇張したもので人を驚かせて、それは実際に遠くてもそれで通ります。普通の山の姿とか、水の流れとか、自分たちが日常見ている美しい家や何かの図を写生的におもしろく混ぜて描き、われわれの近くにあるあまり高くない山を描き、木をたくさん描き、静寂な趣を出したり、あるいは人の住む邸《やしき》の中を忠実に描くような時に上手《じょうず》と下手《へた》の差がよくわかるものです。字でもそうです。深味がなくて、あちこちの線を長く引いたりするのに技巧を用いたものは、ちょっと見がおもしろいようでも、それと比べてまじめに丁寧に書いた字で見栄《みば》えのせぬものも、二度目によく比べて見れば技巧だけで書いた字よりもよく見えるものです。ちょっとしたことでもそうなんです、まして人間の問題ですから、技巧でおもしろく思わせるような人には永久の愛が持てないと私は決めています。好色がましい多情な男にお思いになるかもしれませんが、以前のことを少しお話しいたしましょう」
 と言って、左馬頭は膝《ひざ》を進めた。源氏も目をさまして聞いていた。中将は左馬頭の見方を尊重するというふうを見せて、頬杖《ほおづえ》をついて正面から相手を見ていた。坊様が過去未来の道理を説法する席のようで、おかしくないこともないのであるが、この機会に各自の恋の秘密を持ち出されることになった。
「ずっと前で、まだつまらぬ役をしていた時です。私に一人の愛人がございました。容貌《ようぼう》などはとても悪い女でしたから、若い浮気《うわき》な心には、この人とだけで一生を暮らそうとは思わなかったのです。妻とは思っていましたが物足りなくて外に情人も持っていました。それでとても嫉妬《しっと》をするものですから、いやで、こんなふうでなく穏やかに見ていてくれればよいのにと思いながらも、あまりにやかましく言われますと、自分のような者をどうしてそんなにまで思うのだろうとあわれむような気になる時もあって、自然身持ちが修まっていくようでした。この女というのは、自身にできぬものでも、この人のためにはと努力してかかるのです。教養の足りなさも自身でつとめて補って、恥のないようにと心がけるたちで、どんなにも行き届いた世話をしてくれまして、私の機嫌《きげん》をそこねまいとする心から勝ち気もあまり表面に出さなくなり、私だけには柔順な女になって、醜い容貌《きりょう》なんぞも私にきらわれまいとして化粧に骨を折りますし、この顔で他人に逢《あ》っては、良人《おっと》の不名誉になると思っては、遠慮して来客にも近づきませんし、とにかく賢妻にできていましたから、同棲《どうせい》しているうちに利巧《りこう》さに心が引かれてもいきましたが、ただ一つの嫉妬《しっと》癖、それだけは彼女自身すらどうすることもできない厄介《やっかい》なものでした。当時私はこう思ったのです。とにかくみじめなほど私に参っている女なんだから、懲らすような仕打ちに出ておどして嫉妬《やきもちやき》を改造してやろう、もうその嫉妬ぶりに堪えられない、いやでならないという態度に出たら、これほど自分を愛している女なら、うまく自分の計画は成功するだろうと、そんな気で、ある時にわざと冷酷に出まして、例のとおり女がおこり出している時、『こんなあさましいことを言うあなたなら、どんな深い縁で結ばれた夫婦の中でも私は別れる決心をする。この関係を破壊してよいのなら、今のような邪推でも何でももっとするがいい。将来まで夫婦でありたいなら、少々つらいことはあっても忍んで、気にかけないようにして、そして嫉妬のない女になったら、私はまたどんなにあなたを愛するかしれない、人並みに出世してひとかどの官吏になる時分にはあなたがりっぱな私の正夫人でありうるわけだ』などと、うまいものだと自分で思いながら利己的な主張をしたものですね。女は少し笑って、『あなたの貧弱な時代を我慢して、そのうち出世もできるだろうと待っていることは、それは待ち遠しいことであっても、私は苦痛とも思いません。あなたの多情さを辛抱《しんぼう》して、よい良人になってくださるのを待つことは堪えられないことだと思いますから、そんなことをお言いになることになったのは別れる時になったわけです』そう口惜《くちお》しそうに言ってこちらを憤慨させるのです。女も自制のできない性質で、私の手を引き寄せて一本の指にかみついてしまいました。私は『痛い痛い』とたいそうに言って、『こんな傷までもつけられた私は社会へ出られない。あなたに侮辱された小役人はそんなことではいよいよ人並みに上がってゆくことはできない。私は坊主にでもなることにするだろう』などとおどして、『じゃあこれがいよいよ別れだ』と言って、指を痛そうに曲げてその家を出て来たのです。

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『手を折りて相見しことを数ふればこれ一つやは君がうきふし
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 言いぶんはないでしょう』と言うと、さすがに泣き出して、

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『うき節を心一つに数へきてこや君が手を別るべきをり』
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 反抗的に言ったりもしましたが、本心ではわれわれの関係が解消されるものでないことをよく承知しながら、幾日も幾日も手紙一つやらずに私は勝手《かって》な生活をしていたのです。加茂《かも》の臨時祭りの調楽《ちょうがく》が御所であって、更《ふ》けて、それは霙《みぞれ》が降る夜なのです。皆が退散する時に、自分の帰って行く家庭というものを考えるとその女の所よりないのです。御所の宿直室で寝るのもみじめだし、また恋を風流遊戯にしている局《つぼね》の女房を訪《たず》ねて行くことも寒いことだろうと思われるものですから、どう思っているのだろうと様子も見がてらに雪の中を、少しきまりが悪いのですが、こんな晩に行ってやる志で女の恨みは消えてしまうわけだと思って、はいって行くと、暗い灯《ひ》を壁のほうに向けて据《す》え、暖かそうな柔らかい、綿のたくさんはいった着物を大きな炙《あぶ》り籠《かご》に掛けて、私が寝室へはいる時に上げる几帳《きちょう》のきれも上げて、こんな夜にはきっと来るだろうと待っていたふうが見えます。そう思っていたのだと私は得意になりましたが、妻自身はいません。何人かの女房だけが留守《るす》をしていまして、父親の家へちょうどこの晩移って行ったというのです。艶《えん》な歌も詠《よ》んで置かず、気のきいた言葉も残さずに、じみにすっと行ってしまったのですから、つまらない気がして、やかましく嫉妬をしたのも私にきらわせるためだったのかもしれないなどと、むしゃくしゃするものですからありうべくもないことまで忖度《そんたく》しましたものです。しかし考えてみると用意してあった着物なども平生以上によくできていますし、そういう点では実にありがたい親切が見えるのです。自分と別れた後のことまでも世話していったのですからね、彼女がどうして別れうるものかと私は慢心して、それからのち手紙で交渉を始めましたが、私へ帰る気がないでもないようだし、まったく知れない所へ隠れてしまおうともしませんし、あくまで反抗的態度を取ろうともせず、『前のようなふうでは我慢ができない、すっかり生活の態度を変えて、一夫一婦の道を取ろうとお言いになるのなら』と言っているのです。そんなことを言っても負けて来るだろうという自信を持って、しばらく懲らしてやる気で、一婦主義になるとも言わず、話を長引かせていますうちに、非常に精神的に苦しんで死んでしまいましたから、私は自分が責められてなりません。家の妻というものは、あれほどの者でなければならないと今でもその女が思い出されます。風流ごとにも、まじめな問題にも話し相手にすることができましたし、また家庭の仕事はどんなことにも通じておりました。染め物の立田《たつた》姫にもなれたし、七夕《たなばた》の織姫にもなれたわけです」
 と語った左馬頭は、いかにも亡《な》き妻が恋しそうであった。
「技術上の織姫でなく、永久の夫婦の道を行っている七夕姫だったらよかったですね。立田姫もわれわれには必要な神様だからね。男にまずい服装をさせておく細君はだめですよ。そんな人が早く死ぬんだから、いよいよ良妻は得がたいということになる」
 中将は指をかんだ女をほめちぎった。
「その時分にまたもう一人の情人がありましてね、身分もそれは少しいいし、才女らしく歌を詠《よ》んだり、達者に手紙を書いたりしますし、音楽のほうも相当なものだったようです。感じの悪い容貌《きりょう》でもありませんでしたから、やきもち焼きのほうを世話女房にして置いて、そこへはおりおり通って行ったころにはおもしろい相手でしたよ。あの女が亡くなりましたあとでは、いくら今さら愛惜しても死んだものはしかたがなくて、たびたびもう一人の女の所へ行くようになりますと、なんだか体裁屋で、風流女を標榜《ひょうぼう》している点が気に入らなくて、一生の妻にしてもよいという気はなくなりました。あまり通わなくなったころに、もうほかに恋愛の相手ができたらしいのですね、十一月ごろのよい月の晩に、私が御所から帰ろうとすると、ある殿上役人が来て私の車へいっしょに乗りました。私はその晩は父の大納言《だいなごん》の家へ行って泊まろうと思っていたのです。途中でその人が、『今夜私を待っている女の家があって、そこへちょっと寄って行ってやらないでは気が済みませんから』と言うのです。私の女の家は道筋に当たっているのですが、こわれた土塀《どべい》から池が見えて、庭に月のさしているのを見ると、私も寄って行ってやっていいという気になって、その男の降りた所で私も降りたものです。その男のはいって行くのはすなわち私の行こうとしている家なのです。初めから今日の約束があったのでしょう。男は夢中のようで、のぼせ上がったふうで、門から近い廊《ろう》の室の縁側に腰を掛けて、気どったふうに月を見上げているんですね。それは実際白菊が紫をぼかした庭へ、風で紅葉《もみじ》がたくさん降ってくるのですから、身にしむように思うのも無理はないのです。男は懐中から笛を出して吹きながら合い間に『飛鳥井《あすかゐ》に宿りはすべし蔭《かげ》もよし』などと歌うと、中ではいい音のする倭琴《やまとごと》をきれいに弾《ひ》いて合わせるのです。相当なものなんですね。律の調子は女の柔らかに弾くのが御簾《みす》の中から聞こえるのもはなやかな気のするものですから、明るい月夜にはしっくり合っています。男はたいへんおもしろがって、琴を弾いている所の前へ行って、『紅葉の積もり方を見るとだれもおいでになった様子はありませんね。あなたの恋人はなかなか冷淡なようですね』などといやがらせを言っています。菊を折って行って、『琴の音も菊もえならぬ宿ながらつれなき人を引きやとめける。だめですね』などと言ってまた『いい聞き手のおいでになった時にはもっとうんと弾いてお聞かせなさい』こんな嫌味《いやみ》なことを言うと、女は作り声をして『こがらしに吹きあはすめる笛の音を引きとどむべき言の葉ぞなき』などと言ってふざけ合っているのです。私がのぞいていて憎らしがっているのも知らないで、今度は十三|絃《げん》を派手《はで》に弾き出しました。才女でないことはありませんがきざな気がしました。遊戯的の恋愛をしている時は、宮中の女房たちとおもしろおかしく交際していて、それだけでいいのですが、時々にもせよ愛人として通って行く女がそんなふうではおもしろくないと思いまして、その晩のことを口実にして別れましたがね。この二人の女を比べて考えますと、若い時でさえもあとの風流女のほうは信頼のできないものだと知っていました。もう相当な年配になっている私は、これからはまたそのころ以上にそうした浮華なものがきらいになるでしょう。いたいたしい萩《はぎ》の露や、落ちそうな笹《ささ》の上の霰《あられ》などにたとえていいような艶《えん》な恋人を持つのがいいように今あなたがたはお思いになるでしょうが、私の年齢まで、まあ七年もすればよくおわかりになりますよ、私が申し上げておきますが、風流好みな多情な女には気をおつけなさい。三角関係を発見した時に良人《おっと》の嫉妬《しっと》で問題を起こしたりするものです」
 左馬頭は二人の貴公子に忠言を呈した。例のように中将はうなずく。少しほほえんだ源氏も左馬頭の言葉に真理がありそうだと思うらしい。あるいは二つともばかばかしい話であると笑っていたのかもしれない。
「私もばか者の話を一つしよう」
 中将は前置きをして語り出した。
「私がひそかに情人にした女というのは、見捨てずに置かれる程度のものでね、長い関係になろうとも思わずにかかった人だったのですが、馴《な》れていくとよい所ができて心が惹《ひ》かれていった。たまにしか行かないのだけれど、とにかく女も私を信頼するようになった。愛しておれば恨めしさの起こるわけのこちらの態度だがと、自分のことだけれど気のとがめる時があっても、その女は何も言わない。久しく間を置いて逢《あ》っても始終来る人といるようにするので、気の毒で、私も将来のことでいろんな約束をした。父親もない人だったから、私だけに頼らなければと思っている様子が何かの場合に見えて可憐《かれん》な女でした。こんなふうに穏やかなものだから、久しく訪《たず》ねて行かなかった時分に、ひどいことを私の妻の家のほうから、ちょうどまたそのほうへも出入りする女の知人を介して言わせたのです。私はあとで聞いたことなんだ。そんなかわいそうなことがあったとも知らず、心の中では忘れないでいながら手紙も書かず、長く行きもしないでいると、女はずいぶん心細がって、私との間に小さな子なんかもあったもんですから、煩悶《はんもん》した結果、撫子《なでしこ》の花を使いに持たせてよこしましたよ」
 中将は涙ぐんでいた。
「どんな手紙」
 と源氏が聞いた。
「なに、平凡なものですよ。『山がつの垣《かき》は荒るともをりをりに哀れはかけよ撫子の露』ってね。私はそれで行く気になって、行って見ると、例のとおり穏やかなものなんですが、少し物思いのある顔をして、秋の荒れた庭をながめながら、そのころの虫の声と同じような力のないふうでいるのが、なんだか小説のようでしたよ。『咲きまじる花は何《いづ》れとわかねどもなほ常夏《とこなつ》にしくものぞなき』子供のことは言わずに、まず母親の機嫌《きげん》を取ったのですよ。『打ち払ふ袖《そで》も露けき常夏に嵐《あらし》吹き添ふ秋も来にけり』こんな歌をはかなそうに言って、正面から私を恨むふうもありません。うっかり涙をこぼしても恥ずかしそうに紛らしてしまうのです。恨めしい理由をみずから追究して考えていくことが苦痛らしかったから、私は安心して帰って来て、またしばらく途絶えているうちに消えたようにいなくなってしまったのです。まだ生きておれば相当に苦労をしているでしょう。私も愛していたのだから、もう少し私をしっかり離さずにつかんでいてくれたなら、そうしたみじめな目に逢《あ》いはしなかったのです。長く途絶えて行かないというようなこともせず、妻の一人として待遇のしようもあったのです。撫子の花と母親の言った子もかわいい子でしたから、どうかして捜し出したいと思っていますが、今に手がかりがありません。これはさっきの話のたよりない性質の女にあたるでしょう。素知らぬ顔をしていて、心で恨めしく思っていたのに気もつかず、私のほうではあくまでも愛していたというのも、いわば一種の片恋と言えますね。もうぼつぼつ今は忘れかけていますが、あちらではまだ忘れられずに、今でも時々はつらい悲しい思いをしているだろうと思われます。これなどは男に永久性の愛を求めようとせぬ態度に出るもので、確かに完全な妻にはなれませんね。だからよく考えれば、左馬頭のお話の嫉妬《しっと》深い女も、思い出としてはいいでしょうが、今いっしょにいる妻であってはたまらない。どうかすれば断然いやになってしまうでしょう。琴の上手《じょうず》な才女というのも浮気《うわき》の罪がありますね。私の話した女も、よく本心の見せられない点に欠陥があります。どれがいちばんよいとも言えないことは、人生の何のこともそうですがこれも同じです。何人かの女からよいところを取って、悪いところの省かれたような、そんな女はどこにもあるものですか。吉祥天女《きちじょうてんにょ》を恋人にしようと思うと、それでは仏法くさくなって困るということになるだろうからしかたがない」
 中将がこう言ったので皆笑った。
「式部の所にはおもしろい話があるだろう、少しずつでも聞きたいものだね」
 と中将が言い出した。
「私どもは下の下の階級なんですよ。おもしろくお思いになるようなことがどうしてございますものですか」
 式部丞《しきぶのじょう》は話をことわっていたが、頭中将《とうのちゅうじょう》が本気になって、早く早くと話を責めるので、
「どんな話をいたしましてよろしいか考えましたが、こんなことがございます。まだ文章生《もんじょうせい》時代のことですが、私はある賢女の良人《おっと》になりました。さっきの左馬頭《さまのかみ》のお話のように、役所の仕事の相談相手にもなりますし、私の処世の方法なんかについても役だつことを教えていてくれました。学問などはちょっとした博士《はかせ》などは恥ずかしいほどのもので、私なんかは学問のことなどでは、前で口がきけるものじゃありませんでした。それはある博士の家へ弟子《でし》になって通っておりました時分に、先生に娘がおおぜいあることを聞いていたものですから、ちょっとした機会をとらえて接近してしまったのです。親の博士が二人の関係を知るとすぐに杯を持ち出して白楽天の結婚の詩などを歌ってくれましたが、実は私はあまり気が進みませんでした。ただ先生への遠慮でその関係はつながっておりました。先方では私をたいへんに愛して、よく世話をしまして、夜分|寝《やす》んでいる時にも、私に学問のつくような話をしたり、官吏としての心得方などを言ってくれたりいたすのです。手紙は皆きれいな字の漢文です。仮名《かな》なんか一字だって混じっておりません。よい文章などをよこされるものですから別れかねて通っていたのでございます。今でも師匠の恩というようなものをその女に感じますが、そんな細君を持つのは、学問の浅い人間や、まちがいだらけの生活をしている者にはたまらないことだとその当時思っておりました。またお二方のようなえらい貴公子方にはそんなずうずうしい先生細君なんかの必要はございません。私どもにしましても、そんなのとは反対に歯がゆいような女でも、気に入っておればそれでいいのですし、前生の縁というものもありますから、男から言えばあるがままの女でいいのでございます」
 これで式部丞《しきぶのじょう》が口をつぐもうとしたのを見て、頭中将は今の話の続きをさせようとして、
「とてもおもしろい女じゃないか」
 と言うと、その気持ちがわかっていながら式部丞は、自身をばかにしたふうで話す。
「そういたしまして、その女の所へずっと長く参らないでいました時分に、その近辺に用のございましたついでに、寄って見ますと、平生の居間の中へは入れないのです。物越しに席を作ってすわらせます。嫌味《いやみ》を言おうと思っているのか、ばかばかしい、そんなことでもすれば別れるのにいい機会がとらえられるというものだと私は思っていましたが、賢女ですもの、軽々しく嫉妬《しっと》などをするものではありません。人情にもよく通じていて恨んだりなんかもしやしません。しかも高い声で言うのです。『月来《げつらい》、風病《ふうびょう》重きに堪えかね極熱《ごくねつ》の草薬を服しました。それで私はくさいのでようお目にかかりません。物越しででも何か御用があれば承りましょう』ってもっともらしいのです。ばかばかしくて返辞ができるものですか、私はただ『承知いたしました』と言って帰ろうとしました。でも物足らず思ったのですか『このにおいのなくなるころ、お立ち寄りください』とまた大きな声で言いますから、返辞をしないで来るのは気の毒ですが、ぐずぐずもしていられません。なぜかというと草薬の蒜《ひる》なるものの臭気がいっぱいなんですから、私は逃げて出る方角を考えながら、『ささがにの振舞《ふるま》ひしるき夕暮れにひるま過ぐせと言ふがあやなき。何の口実なんだか』と言うか言わないうちに走って来ますと、あとから人を追いかけさせて返歌をくれました。『逢《あ》ふことの夜をし隔てぬ中ならばひるまも何か眩《まば》ゆからまし』というのです。歌などは早くできる女なんでございます」
 式部丞の話はしずしずと終わった。貴公子たちはあきれて、
「うそだろう」
 と爪弾《つまはじ》きをして見せて、式部をいじめた。
「もう少しよい話をしたまえ」
「これ以上珍しい話があるものですか」
 式部丞は退《さが》って行った。
「総体、男でも女でも、生かじりの者はそのわずかな知識を残らず人に見せようとするから困るんですよ。三史五経の学問を始終引き出されてはたまりませんよ。女も人間である以上、社会百般のことについてまったくの無知識なものはないわけです。わざわざ学問はしなくても、少し才のある人なら、耳からでも目からでもいろいろなことは覚えられていきます。自然男の知識に近い所へまでいっている女はつい漢字をたくさん書くことになって、女どうしで書く手紙にも半分以上漢字が混じっているのを見ると、いやなことだ、あの人にこの欠点がなければという気がします。書いた当人はそれほどの気で書いたのではなくても、読む時に音が強くて、言葉の舌ざわりがなめらかでなく嫌味《いやみ》になるものです。これは貴婦人もするまちがった趣味です。歌|詠《よ》みだといわれている人が、あまりに歌にとらわれて、むずかしい故事なんかを歌の中へ入れておいて、そんな相手になっている暇のない時などに詠《よ》みかけてよこされるのはいやになってしまうことです、返歌をせねば礼儀でなし、またようしないでいては恥だし困ってしまいますね。宮中の節会《せちえ》の日なんぞ、急いで家を出る時は歌も何もあったものではありません。そんな時に菖蒲《しょうぶ》に寄せた歌が贈られる、九月の菊の宴に作詩のことを思って一所懸命になっている時に、菊の歌。こんな思いやりのないことをしないでも場合さえよければ、真価が買ってもらえる歌を、今贈っては目にも留めてくれないということがわからないでよこしたりされると、ついその人が軽蔑《けいべつ》されるようになります。何にでも時と場合があるのに、それに気がつかないほどの人間は風流ぶらないのが無難ですね。知っていることでも知らぬ顔をして、言いたいことがあっても機会を一、二度ははずして、そのあとで言えばよいだろうと思いますね」
 こんなことがまた左馬頭《さまのかみ》によって言われている間にも、源氏は心の中でただ一人の恋しい方のことを思い続けていた。藤壺《ふじつぼ》の宮は足りない点もなく、才気の見えすぎる方でもないりっぱな貴女《きじょ》であるとうなずきながらも、その人を思うと例のとおりに胸が苦しみでいっぱいになった。いずれがよいのか決められずに、ついには筋の立たぬものになって朝まで話し続けた。
 やっと今日は天気が直った。源氏はこんなふうに宮中にばかりいることも左大臣家の人に気の毒になってそこへ行った。一糸の乱れも見えぬというような家であるから、こんなのがまじめということを第一の条件にしていた、昨夜の談話者たちには気に入るところだろうと源氏は思いながらも、今も初めどおりに行儀をくずさぬ、打ち解けぬ夫人であるのを物足らず思って、中納言の君、中務《なかつかさ》などという若いよい女房たちと冗談《じょうだん》を言いながら、暑さに部屋着だけになっている源氏を、その人たちは美しいと思い、こうした接触が得られる幸福を覚えていた。大臣も娘のいるほうへ出かけて来た。部屋着になっているのを知って、几帳《きちょう》を隔てた席について話そうとするのを、
「暑いのに」
 と源氏が顔をしかめて見せると、女房たちは笑った。
「静かに」
 と言って、脇息《きょうそく》に寄りかかった様子にも品のよさが見えた。
 暗くなってきたころに、
「今夜は中神のお通り路《みち》になっておりまして、御所からすぐにここへ来てお寝《やす》みになってはよろしくございません」
 という、源氏の家従たちのしらせがあった。
「そう、いつも中神は避けることになっているのだ。しかし二条の院も同じ方角だから、どこへ行ってよいかわからない。私はもう疲れていて寝てしまいたいのに」
 そして源氏は寝室にはいった。
「このままになすってはよろしくございません」
 また家従が言って来る。紀伊守《きいのかみ》で、家従の一人である男の家のことが上申される。
「中川辺でございますがこのごろ新築いたしまして、水などを庭へ引き込んでございまして、そこならばお涼しかろうと思います」
「それは非常によい。からだが大儀だから、車のままではいれる所にしたい」
 と源氏は言っていた。隠れた恋人の家は幾つもあるはずであるが、久しぶりに帰ってきて、方角|除《よ》けにほかの女の所へ行っては夫人に済まぬと思っているらしい。呼び出して泊まりに行くことを紀伊守に言うと、承知はして行ったが、同輩のいる所へ行って、
「父の伊予守——伊予は太守の国で、官名は介《すけ》になっているが事実上の長官である——の家のほうにこのごろ障《さわ》りがありまして、家族たちが私の家へ移って来ているのです。もとから狭い家なんですから失礼がないかと心配です」と迷惑げに言ったことがまた源氏の耳にはいると、
「そんなふうに人がたくさんいる家がうれしいのだよ、女の人の居所が遠いような所は夜がこわいよ。伊予守の家族のいる部屋の几帳《きちょう》の後ろでいいのだからね」
 冗談《じょうだん》混じりにまたこう言わせたものである。
「よいお泊まり所になればよろしいが」
 と言って、紀伊守は召使を家へ走らせた。源氏は微行《しのび》で移りたかったので、まもなく出かけるのに大臣へも告げず、親しい家従だけをつれて行った。あまりに急だと言って紀伊守がこぼすのを他の家従たちは耳に入れないで、寝殿《しんでん》の東向きの座敷を掃除《そうじ》させて主人へ提供させ、そこに宿泊の仕度《したく》ができた。庭に通した水の流れなどが地方官級の家としては凝《こ》ってできた住宅である。わざと田舎《いなか》の家らしい柴垣《しばがき》が作ってあったりして、庭の植え込みなどもよくできていた。涼しい風が吹いて、どこでともなく虫が鳴き、蛍《ほたる》がたくさん飛んでいた。源氏の従者たちは渡殿《わたどの》の下をくぐって出て来る水の流れに臨んで酒を飲んでいた。紀伊守が主人をよりよく待遇するために奔走している時、一人でいた源氏は、家の中をながめて、前夜の人たちが階級を三つに分けたその中《ちゅう》の品の列にはいる家であろうと思い、その話を思い出していた。思い上がった娘だという評判の伊予守の娘、すなわち紀伊守の妹であったから、源氏は初めからそれに興味を持っていて、どの辺の座敷にいるのであろうと物音に耳を立てていると、この座敷の西に続いた部屋で女の衣摺《きぬず》れが聞こえ、若々しい、媚《なま》めかしい声で、しかもさすがに声をひそめてものを言ったりしているのに気がついた。わざとらしいが悪い感じもしなかった。初めその前の縁の格子《こうし》が上げたままになっていたのを、不用意だといって紀伊守がしかって、今は皆戸がおろされてしまったので、その室の灯影《ほかげ》が、襖子《からかみ》の隙間《すきま》から赤くこちらへさしていた。源氏は静かにそこへ寄って行って中が見えるかと思ったが、それほどの隙間はない。しばらく立って聞いていると、それは襖子の向こうの中央の間に集まってしているらしい低いさざめきは、源氏自身が話題にされているらしい。
「まじめらしく早く奥様をお持ちになったのですからお寂しいわけですわね。でもずいぶん隠れてお通いになる所があるんですって」
 こんな言葉にも源氏ははっとした。自分の作っているあるまじい恋を人が知って、こうした場合に何とか言われていたらどうだろうと思ったのである。でも話はただ事ばかりであったから皆を聞こうとするほどの興味が起こらなかった。式部卿《しきぶきょう》の宮の姫君に朝顔を贈った時の歌などを、だれかが得意そうに語ってもいた。行儀がなくて、会話の中に節をつけて歌を入れたがる人たちだ、中の品がおもしろいといっても自分には我慢のできぬこともあるだろうと源氏は思った。
 紀伊守が出て来て、灯籠《とうろう》の数をふやさせたり、座敷の灯《ひ》を明るくしたりしてから、主人には遠慮をして菓子だけを献じた。
「わが家はとばり帳《ちょう》をも掛けたればって歌ね、大君来ませ婿にせんってね、そこへ気がつかないでは主人の手落ちかもしれない」
「通人でない主人でございまして、どうも」
 紀伊守は縁側でかしこまっていた。源氏は縁に近い寝床で、仮臥《かりね》のように横になっていた。随行者たちももう寝たようである。紀伊守は愛らしい子供を幾人も持っていた。御所の侍童を勤めて源氏の知った顔もある。縁側などを往来《ゆきき》する中には伊予守の子もあった。何人かの中に特別に上品な十二、三の子もある。どれが子で、どれが弟かなどと源氏は尋ねていた。
「ただ今通りました子は、亡《な》くなりました衛門督《えもんのかみ》の末の息子《むすこ》で、かわいがられていたのですが、小さいうちに父親に別れまして、姉の縁でこうして私の家にいるのでございます。将来のためにもなりますから、御所の侍童を勤めさせたいようですが、それも姉の手だけでははかばかしく運ばないのでございましょう」
 と紀伊守が説明した。
「あの子の姉さんが君の継母なんだね」
「そうでございます」
「似つかわしくないお母さんを持ったものだね。その人のことは陛下もお聞きになっていらっしって、宮仕えに出したいと衛門督が申していたが、その娘はどうなったのだろうって、いつかお言葉があった。人生はだれがどうなるかわからないものだね」
 老成者らしい口ぶりである。
「不意にそうなったのでございます。まあ人というものは昔も今も意外なふうにも変わってゆくものですが、その中でも女の運命ほどはかないものはございません」
 などと紀伊守は言っていた。
「伊予介は大事にするだろう。主君のように思うだろうな」
「さあ。まあ私生活の主君でございますかな。好色すぎると私はじめ兄弟はにがにがしがっております」
「だって君などのような当世男に伊予介は譲ってくれないだろう。あれはなかなか年は寄ってもりっぱな風采《ふうさい》を持っているのだからね」
 などと話しながら、
「その人どちらにいるの」
「皆|下屋《しもや》のほうへやってしまったのですが、間にあいませんで一部分だけは残っているかもしれません」
 と紀伊守は言った。
 深く酔った家従たちは皆夏の夜を板敷で仮寝してしまったのであるが、源氏は眠れない、一人|臥《ね》をしていると思うと目がさめがちであった。この室の北側の襖子《からかみ》の向こうに人のいるらしい音のする所は紀伊守の話した女のそっとしている室であろうと源氏は思った。かわいそうな女だとその時から思っていたのであったから、静かに起きて行って襖子越しに物声を聞き出そうとした。その弟の声で、
「ちょいと、どこにいらっしゃるの」
 と言う。少し涸《か》れたきれいな声である。
「私はここで寝《やす》んでいるの。お客様はお寝みになったの。ここと近くてどんなに困るかと思っていたけれど、まあ安心した」
 と、寝床から言う声もよく似ているので姉弟であることがわかった。
「廂《ひさし》の室でお寝みになりましたよ。評判のお顔を見ましたよ。ほんとうにお美しい方だった」
 一段声を低くして言っている。
「昼だったら私ものぞくのだけれど」
 睡《ね》むそうに言って、その顔は蒲団《ふとん》の中へ引き入れたらしい。もう少し熱心に聞けばよいのにと源氏は物足りない。
「私は縁の近くのほうへ行って寝ます。暗いなあ」
 子供は燈心を掻《か》き立てたりするものらしかった。女は襖子の所からすぐ斜《すじか》いにあたる辺で寝ているらしい。
「中将はどこへ行ったの。今夜は人がそばにいてくれないと何だか心細い気がする」
 低い下の室のほうから、女房が、
「あの人ちょうどお湯にはいりに参りまして、すぐ参ると申しました」
 と言っていた。源氏はその女房たちも皆寝静まったころに、掛鉄《かけがね》をはずして引いてみると襖子はさっとあいた。向こう側には掛鉄がなかったわけである。そのきわに几帳《きちょう》が立ててあった。ほのかな灯《ひ》の明りで衣服箱などがごたごたと置かれてあるのが見える。源氏はその中を分けるようにして歩いて行った。
 小さな形で女が一人寝ていた。やましく思いながら顔を掩《おお》うた着物を源氏が手で引きのけるまで女は、さっき呼んだ女房の中将が来たのだと思っていた。
「あなたが中将を呼んでいらっしゃったから、私の思いが通じたのだと思って」
 と源氏の宰相中将《さいしょうのちゅうじょう》は言いかけたが、女は恐ろしがって、夢に襲われているようなふうである。「や」と言うつもりがあるが、顔に夜着がさわって声にはならなかった。
「出来心のようにあなたは思うでしょう。もっともだけれど、私はそうじゃないのですよ。ずっと前からあなたを思っていたのです。それを聞いていただきたいのでこんな機会を待っていたのです。だからすべて皆|前生《ぜんしょう》の縁が導くのだと思ってください」
 柔らかい調子である。神様だってこの人には寛大であらねばならぬだろうと思われる美しさで近づいているのであるから、露骨に、
「知らぬ人がこんな所へ」
 ともののしることができない。しかも女は情けなくてならないのである。
「人まちがえでいらっしゃるのでしょう」
 やっと、息よりも低い声で言った。当惑しきった様子が柔らかい感じであり、可憐《かれん》でもあった。
「違うわけがないじゃありませんか。恋する人の直覚であなただと思って来たのに、あなたは知らぬ顔をなさるのだ。普通の好色者がするような失礼を私はしません。少しだけ私の心を聞いていただけばそれでよいのです」
 と言って、小柄な人であったから、片手で抱いて以前の襖子《からかみ》の所へ出て来ると、さっき呼ばれていた中将らしい女房が向こうから来た。
「ちょいと」
 と源氏が言ったので、不思議がって探り寄って来る時に、薫《た》き込めた源氏の衣服の香が顔に吹き寄ってきた。中将は、これがだれであるかも、何であるかもわかった。情けなくて、どうなることかと心配でならないが、何とも異論のはさみようがない。並み並みの男であったならできるだけの力の抵抗もしてみるはずであるが、しかもそれだって荒だてて多数の人に知らせることは夫人の不名誉になることであって、しないほうがよいのかもしれない。こう思って胸をとどろかせながら従ってきたが、源氏の中将はこの中将をまったく無視していた。初めの座敷へ抱いて行って女をおろして、それから襖子をしめて、
「夜明けにお迎えに来るがいい」
 と言った。中将はどう思うであろうと、女はそれを聞いただけでも死ぬほどの苦痛を味わった。流れるほどの汗になって悩ましそうな女に同情は覚えながら、女に対する例の誠実な調子で、女の心が当然動くはずだと思われるほどに言っても、女は人間の掟《おきて》に許されていない恋に共鳴してこない。
「こんな御無理を承ることが現実のことであろうとは思われません。卑しい私ですが、軽蔑《けいべつ》してもよいものだというあなたのお心持ちを私は深くお恨みに思います。私たちの階級とあなた様たちの階級とは、遠く離れて別々のものなのです」
 こう言って、強さで自分を征服しようとしている男を憎いと思う様子は、源氏を十分に反省さす力があった。
「私はまだ女性に階級のあることも何も知らない。はじめての経験なんです。普通の多情な男のようにお取り扱いになるのを恨めしく思います。あなたの耳にも自然はいっているでしょう、むやみな恋の冒険などを私はしたこともありません。それにもかかわらず前生の因縁は大きな力があって、私をあなたに近づけて、そしてあなたからこんなにはずかしめられています。ごもっともだとあなたになって考えれば考えられますが、そんなことをするまでに私はこの恋に盲目になっています」
 まじめになっていろいろと源氏は説くが、女の冷ややかな態度は変わっていくけしきもない。女は、一世の美男であればあるほど、この人の恋人になって安んじている自分にはなれない、冷血的な女だと思われてやむのが望みであると考えて、きわめて弱い人が強さをしいてつけているのは弱竹《なよたけ》のようで、さすがに折ることはできなかった。真からあさましいことだと思うふうに泣く様子などが可憐《かれん》であった。気の毒ではあるがこのままで別れたらのちのちまでも後悔が自分を苦しめるであろうと源氏は思ったのであった。
 もうどんなに勝手な考え方をしても救われない過失をしてしまったと、女の悲しんでいるのを見て、
「なぜそんなに私が憎くばかり思われるのですか。お嬢さんか何かのようにあなたの悲しむのが恨めしい」
 と、源氏が言うと、
「私の運命がまだ私を人妻にしません時、親の家の娘でございました時に、こうしたあなたの熱情で思われましたのなら、それは私の迷いであっても、他日に光明のあるようなことも思ったでございましょうが、もう何もだめでございます。私には恋も何もいりません。ですからせめてなかったことだと思ってしまってください」
 と言う。悲しみに沈んでいる女を源氏ももっともだと思った。真心から慰めの言葉を発しているのであった。
 鶏《とり》の声がしてきた。家従たちも起きて、
「寝坊をしたものだ。早くお車の用意をせい」
 そんな命令も下していた。
「女の家へ方違《かたたが》えにおいでになった場合とは違いますよ。早くお帰りになる必要は少しもないじゃありませんか」
 と言っているのは紀伊守であった。
 源氏はもうまたこんな機会が作り出せそうでないことと、今後どうして文通をすればよいか、どうもそれが不可能らしいことで胸を痛くしていた。女を行かせようとしてもまた引き留める源氏であった。
「どうしてあなたと通信をしたらいいでしょう。あくまで冷淡なあなたへの恨みも、恋も、一通りでない私が、今夜のことだけをいつまでも泣いて思っていなければならないのですか」
 泣いている源氏が非常に艶《えん》に見えた。何度も鶏《とり》が鳴いた。

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つれなさを恨みもはてぬしののめにとりあへぬまで驚かすらん
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 あわただしい心持ちで源氏はこうささやいた。女は己《おのれ》を省みると、不似合いという晴がましさを感ぜずにいられない源氏からどんなに熱情的に思われても、これをうれしいこととすることができないのである。それに自分としては愛情の持てない良人《おっと》のいる伊予の国が思われて、こんな夢を見てはいないだろうかと考えると恐ろしかった。

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身の憂《う》さを歎《なげ》くにあかで明くる夜はとり重ねても音《ね》ぞ泣かれける
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 と言った。ずんずん明るくなってゆく。女は襖子《からかみ》の所へまで送って行った。奥のほうの人も、こちらの縁のほうの人も起き出して来たんでざわついた。襖子をしめてもとの席へ帰って行く源氏は、一重の襖子が越えがたい隔ての関のように思われた。
 直衣《のうし》などを着て、姿を整えた源氏が縁側の高欄《こうらん》によりかかっているのが、隣室の縁低い衝立《ついたて》の上のほうから見えるのをのぞいて、源氏の美の放つ光が身の中へしみ通るように思っている女房もあった。残月のあるころで落ち着いた空の明かりが物をさわやかに照らしていた。変わったおもしろい夏の曙《あけぼの》である。だれも知らぬ物思いを、心に抱いた源氏であるから、主観的にひどく身にしむ夜明けの風景だと思った。言《こと》づて一つする便宜がないではないかと思って顧みがちに去った。
 家へ帰ってからも源氏はすぐに眠ることができなかった。再会の至難である悲しみだけを自分はしているが、自由な男でない人妻のあの人はこのほかにもいろいろな煩悶《はんもん》があるはずであると思いやっていた。すぐれた女ではないが、感じのよさを十分に備えた中の品だ。だから多くの経験を持った男の言うことには敬服される点があると、品定めの夜の話を思い出していた。
 このごろはずっと左大臣家に源氏はいた。あれきり何とも言ってやらないことは、女の身にとってどんなに苦しいことだろうと中川の女のことがあわれまれて、始終心にかかって苦しいはてに源氏は紀伊守を招いた。
「自分の手もとへ、この間見た中納言の子供をよこしてくれないか。かわいい子だったからそばで使おうと思う。御所へ出すことも私からしてやろう」
 と言うのであった。
「結構なことでございます。あの子の姉に相談してみましょう」
 その人が思わず引き合いに出されたことだけででも源氏の胸は鳴った。
「その姉さんは君の弟を生んでいるの」
「そうでもございません。この二年ほど前から父の妻になっていますが、死んだ父親が望んでいたことでないような結婚をしたと思うのでしょう。不満らしいということでございます」
「かわいそうだね、評判の娘だったが、ほんとうに美しいのか」
「さあ、悪くもないのでございましょう。年のいった息子《むすこ》と若い継母は親しくせぬものだと申しますから、私はその習慣に従っておりまして何も詳しいことは存じません」
 と紀伊守《きいのかみ》は答えていた。
 紀伊守は五、六日してからその子供をつれて来た。整った顔というのではないが、艶《えん》な風采《ふうさい》を備えていて、貴族の子らしいところがあった。そばへ呼んで源氏は打ち解けて話してやった。子供心に美しい源氏の君の恩顧を受けうる人になれたことを喜んでいた。姉のことも詳しく源氏は聞いた。返辞のできることだけは返辞をして、つつしみ深くしている子供に、源氏は秘密を打ちあけにくかった。けれども上手《じょうず》に嘘《うそ》まじりに話して聞かせると、そんなことがあったのかと、子供心におぼろげにわかればわかるほど意外であったが、子供は深い穿鑿《せんさく》をしようともしない。
 源氏の手紙を弟が持って来た。女はあきれて涙さえもこぼれてきた。弟がどんな想像をするだろうと苦しんだが、さすがに手紙は読むつもりらしくて、きまりの悪いのを隠すように顔の上でひろげた。さっきからからだは横にしていたのである。手紙は長かった。終わりに、

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見し夢を逢《あ》ふ夜ありやと歎《なげ》く間に目さへあはでぞ頃《ころ》も経にける

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安眠のできる夜がないのですから、夢が見られないわけです。
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 とあった。目もくらむほどの美しい字で書かれてある。涙で目が曇って、しまいには何も読めなくなって、苦しい思いの新しく加えられた運命を思い続けた。
 翌日源氏の所から小君《こぎみ》が召された。出かける時に小君は姉に返事をくれと言った。
「ああしたお手紙をいただくはずの人がありませんと申し上げればいい」
 と姉が言った。
「まちがわないように言っていらっしったのにそんなお返辞はできない」
 そう言うのから推《お》せば秘密はすっかり弟に打ち明けられたものらしい、こう思うと女は源氏が恨めしくてならない。
「そんなことを言うものじゃない。大人の言うようなことを子供が言ってはいけない。お断わりができなければお邸《やしき》へ行かなければいい」
 無理なことを言われて、弟は、
「呼びにおよこしになったのですもの、伺わないでは」
 と言って、そのまま行った。好色な紀伊守はこの継母が父の妻であることを惜しがって、取り入りたい心から小君にも優しくしてつれて歩きもするのだった。小君が来たというので源氏は居間へ呼んだ。
「昨日《きのう》も一日おまえを待っていたのに出て来なかったね。私だけがおまえを愛していても、おまえは私に冷淡なんだね」
 恨みを言われて、小君は顔を赤くしていた。
「返事はどこ」
 小君はありのままに告げるほかに術《すべ》はなかった。
「おまえは姉さんに無力なんだね、返事をくれないなんて」
 そう言ったあとで、また源氏から新しい手紙が小君に渡された。
「おまえは知らないだろうね、伊予の老人よりも私はさきに姉さんの恋人だったのだ。頸《くび》の細い貧弱な男だからといって、姉さんはあの不恰好《ぶかっこう》な老人を良人《おっと》に持って、今だって知らないなどと言って私を軽蔑《けいべつ》しているのだ。けれどもおまえは私の子になっておれ。姉さんがたよりにしている人はさきが短いよ」
 と源氏がでたらめを言うと、小君はそんなこともあったのか、済まないことをする姉さんだと思う様子をかわいく源氏は思った。小君は始終源氏のそばに置かれて、御所へもいっしょに連れられて行ったりした。源氏は自家の衣裳係《いしょうがかり》に命じて、小君の衣服を新調させたりして、言葉どおり親代わりらしく世話をしていた。女は始終源氏から手紙をもらった。けれども弟は子供であって、不用意に自分の書いた手紙を落とすようなことをしたら、もとから不運な自分がまた正しくもない恋の名を取って泣かねばならないことになるのはあまりに自分がみじめであるという考えが根底になっていて、恋を得るということも、こちらにその人の対象になれる自信のある場合にだけあることで、自分などは光源氏の相手になれる者ではないと思う心から返事をしないのであった。ほのかに見た美しい源氏を思い出さないわけではなかったのである。真実の感情を源氏に知らせてもさて何にもなるものでないと、苦しい反省をみずから強いている女であった。源氏はしばらくの間もその人が忘られなかった。気の毒にも思い恋しくも思った。女が自分とした過失に苦しんでいる様子が目から消えない。本能のおもむくままに忍んであいに行くことも、人目の多い家であるからそのことが知れては困ることになる、自分のためにも、女のためにもと思っては煩悶《はんもん》をしていた。
 例のようにまたずっと御所にいた頃、源氏は方角の障《さわ》りになる日を選んで、御所から来る途中でにわかに気がついたふうをして紀伊守の家へ来た。紀伊守は驚きながら、
「前栽《せんざい》の水の名誉でございます」
 こんな挨拶《あいさつ》をしていた。小君《こぎみ》の所へは昼のうちからこんな手はずにすると源氏は言ってやってあって、約束ができていたのである。
 始終そばへ置いている小君であったから、源氏はさっそく呼び出した。女のほうへも手紙は行っていた。自身に逢おうとして払われる苦心は女の身にうれしいことではあったが、そうかといって、源氏の言うままになって、自己が何であるかを知らないように恋人として逢う気にはならないのである。夢であったと思うこともできる過失を、また繰り返すことになってはならぬとも思った。妄想《もうそう》で源氏の恋人気どりになって待っていることは自分にできないと女は決めて、小君が源氏の座敷のほうへ出て行くとすぐに、
「あまりお客様の座敷に近いから失礼な気がする。私は少しからだが苦しくて、腰でもたたいてほしいのだから、遠い所のほうが都合がよい」
 と言って、渡殿《わたどの》に持っている中将という女房の部屋《へや》へ移って行った。初めから計画的に来た源氏であるから、家従たちを早く寝させて、女へ都合を聞かせに小君をやった。小君に姉の居所がわからなかった。やっと渡殿の部屋を捜しあてて来て、源氏への冷酷な姉の態度を恨んだ。
「こんなことをして、姉さん。どんなに私が無力な子供だと思われるでしょう」
 もう泣き出しそうになっている。
「なぜおまえは子供のくせによくない役なんかするの、子供がそんなことを頼まれてするのはとてもいけないことなのだよ」
 としかって、
「気分が悪くて、女房たちをそばへ呼んで介抱《かいほう》をしてもらっていますって申せばいいだろう。皆が怪しがりますよ、こんな所へまで来てそんなことを言っていて」
 取りつくしまもないように姉は言うのであったが、心の中では、こんなふうに運命が決まらないころ、父が生きていたころの自分の家へ、たまさかでも源氏を迎えることができたら自分は幸福だったであろう。しいて作るこの冷淡さを、源氏はどんなにわが身知らずの女だとお思いになることだろうと思って、自身の意志でしていることであるが胸が痛いようにさすがに思われた。どうしてもこうしても人妻という束縛は解かれないのであるから、どこまでも冷ややかな態度を押し通して変えまいという気に女はなっていた。
 源氏はどんなふうに計らってくるだろうと、頼みにする者が少年であることを気がかりに思いながら寝ているところへ、だめであるという報《しら》せを小君が持って来た。女のあさましいほどの冷淡さを知って源氏は言った。
「私はもう自分が恥ずかしくってならなくなった」
 気の毒なふうであった。それきりしばらくは何も言わない。そして苦しそうに吐息《といき》をしてからまた女を恨んだ。

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帚木《ははきぎ》の心を知らでその原の道にあやなくまどひぬるかな
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 今夜のこの心持ちはどう言っていいかわからない、と小君に言ってやった。女もさすがに眠れないで悶《もだ》えていたのである。それで、

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数ならぬ伏屋《ふせや》におふる身のうさにあるにもあらず消ゆる帚木
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 という歌を弟に言わせた。小君は源氏に同情して、眠がらずに往《い》ったり来たりしているのを、女は人が怪しまないかと気にしていた。
 いつものように酔った従者たちはよく眠っていたが、源氏一人はあさましくて寝入れない。普通の女と変わった意志の強さのますます明確になってくる相手が恨めしくて、もうどうでもよいとちょっとの間は思うがすぐにまた恋しさがかえってくる。
「どうだろう、隠れている場所へ私をつれて行ってくれないか」
「なかなか開《あ》きそうにもなく戸じまりがされていますし、女房もたくさんおります。そんな所へ、もったいないことだと思います」
 と小君が言った。源氏が気の毒でたまらないと小君は思っていた。
「じゃあもういい。おまえだけでも私を愛してくれ」
 と言って、源氏は小君をそばに寝させた。若い美しい源氏の君の横に寝ていることが子供心に非常にうれしいらしいので、この少年のほうが無情な恋人よりもかわいいと源氏は思った。

帚木 版本说明

底本:「全訳源氏物語 上巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年8月10日改版初版発行
   1994(平成6)年12月20日56版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月5日71版を使用しました。
入力:上田英代
校正:鈴木厚司、小林繁雄
2003年4月17日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

03 空蝉

[#地から3字上げ]うつせみのわがうすごろも風流男に馴《な》
[#地から3字上げ]れてぬるやとあぢきなきころ(晶子)

 眠れない源氏は、
「私はこんなにまで人から冷淡にされたことはこれまでないのだから、今晩はじめて人生は悲しいものだと教えられた。恥ずかしくて生きていられない気がする」
 などと言うのを小君《こぎみ》は聞いて涙さえもこぼしていた。非常にかわいく源氏は思った。思いなしか手あたりの小柄なからだ、そう長くは感じなかったあの人の髪もこれに似ているように思われてなつかしい気がした。この上しいて女を動かそうとすることも見苦しいことに思われたし、また真から恨めしくもなっている心から、それきり言《こと》づてをすることもやめて、翌朝早く帰って行ったのを、小君は気の毒な物足りないことに思った。女も非常にすまないと思っていたが、それからはもう手紙も来なかった。お憤《おこ》りになったのだと思うとともに、このまま自分が忘れられてしまうのは悲しいという気がした。それかといって無理な道をしいてあの方が通ろうとなさることの続くのはいやである。それを思うとこれで結末になってもよいのであると思って、理性では是認しながら物思いをしていた。
 源氏は、ひどい人であると思いながら、このまま成り行きにまかせておくことはできないような焦慮を覚えた。
「あんな無情な恨めしい人はないと私は思って、忘れようとしても自分の心が自分の思うようにならないから苦しんでいるのだよ。もう一度|逢《あ》えるようないい機会をおまえが作ってくれ」
 こんなことを始終小君は言われていた。困りながらこんなことででも自分を源氏が必要な人物にしてくれるのがうれしかった。子供心に機会をねらっていたが、そのうちに紀伊守《きいのかみ》が任地へ立ったりして、残っているのは女の家族だけになったころのある日、夕方の物の見分けの紛《まぎ》れやすい時間に、自身の車に源氏を同乗させて家へ来た。なんといっても案内者は子供なのであるからと源氏は不安な気はしたが、慎重になどしてかかれることでもなかった。目だたぬ服装をして紀伊守家の門のしめられないうちにと急いだのである。少年のことであるから家の侍などが追従して出迎えたりはしないのでまずよかった。東側の妻戸《つまど》の外に源氏を立たせて、小君自身は縁を一回りしてから、南の隅《すみ》の座敷の外から元気よくたたいて戸を上げさせて中へはいった。女房が、
「そんなにしては人がお座敷を見ます」
 と小言《こごと》を言っている。
「どうしたの、こんなに今日は暑いのに早く格子《こうし》をおろしたの」
「お昼から西の対《たい》——寝殿《しんでん》の左右にある対の屋の一つ——のお嬢様が来ていらっしって碁を打っていらっしゃるのです」
 と女房は言った。
 源氏は恋人とその継娘《ままむすめ》が碁盤を中にして対《むか》い合っているのをのぞいて見ようと思って開いた口からはいって、妻戸と御簾《みす》の間へ立った。小君の上げさせた格子がまだそのままになっていて、外から夕明かりがさしているから、西向きにずっと向こうの座敷までが見えた。こちらの室の御簾のそばに立てた屏風《びょうぶ》も端のほうが都合よく畳まれているのである。普通ならば目ざわりになるはずの几帳《きちょう》なども今日の暑さのせいで垂れは上げて棹《さお》にかけられている。灯《ひ》が人の座に近く置かれていた。中央の室の中柱に寄り添ってすわったのが恋しい人であろうかと、まずそれに目が行った。紫の濃い綾《あや》の単衣襲《ひとえがさね》の上に何かの上着をかけて、頭の恰好《かっこう》のほっそりとした小柄な女である。顔などは正面にすわった人からも全部が見られないように注意をしているふうだった。痩《や》せっぽちの手はほんの少しより袖《そで》から出ていない。もう一人は顔を東向きにしていたからすっかり見えた。白い薄衣《うすもの》の単衣襲に淡藍《うすあい》色の小袿《こうちぎ》らしいものを引きかけて、紅《あか》い袴《はかま》の紐《ひも》の結び目の所までも着物の襟《えり》がはだけて胸が出ていた。きわめて行儀のよくないふうである。色が白くて、よく肥えていて頭の形と、髪のかかった額つきが美しい。目つきと口もとに愛嬌《あいきょう》があって派手《はで》な顔である。髪は多くて、長くはないが、二つに分けて顔から肩へかかったあたりがきれいで、全体が朗らかな美人と見えた。源氏は、だから親が自慢にしているのだと興味がそそられた。静かな性質を少し添えてやりたいとちょっとそんな気がした。才走ったところはあるらしい。碁が終わって駄目石《だめいし》を入れる時など、いかにも利巧《りこう》に見えて、そして蓮葉《はすっぱ》に騒ぐのである。奥のほうの人は静かにそれをおさえるようにして、
「まあお待ちなさい。そこは両方ともいっしょの数でしょう。それからここにもあなたのほうの目がありますよ」
 などと言うが、
「いいえ、今度は負けましたよ。そうそう、この隅の所を勘定しなくては」
 指を折って、十、二十、三十、四十と数えるのを見ていると、無数だという伊予の温泉の湯桁《ゆげた》の数もこの人にはすぐわかるだろうと思われる。少し下品である。袖で十二分に口のあたりを掩《おお》うて隙見男《すきみおとこ》に顔をよく見せないが、その今一人に目をじっとつけていると次第によくわかってきた。少し腫《は》れぼったい目のようで、鼻などもよく筋が通っているとは見えない。はなやかなところはどこもなくて、一つずついえば醜いほうの顔であるが、姿態がいかにもよくて、美しい今一人よりも人の注意を多く引く価値があった。派手《はで》な愛嬌《あいきょう》のある顔を性格からあふれる誇りに輝かせて笑うほうの女は、普通の見方をもってすれば確かに美人である。軽佻《けいちょう》だと思いながらも若い源氏はそれにも関心が持てた。源氏のこれまで知っていたのは、皆正しく行儀よく、つつましく装った女性だけであった。こうしただらしなくしている女の姿を隙見したりしたことははじめての経験であったから、隙見男のいることを知らない女はかわいそうでも、もう少し立っていたく思った時に、小君が縁側へ出て来そうになったので静かにそこを退《の》いた。そして妻戸の向かいになった渡殿《わたどの》の入り口のほうに立っていると小君が来た。済まないような表情をしている。
「平生いない人が来ていまして、姉のそばへ行かれないのです」
「そして今晩のうちに帰すのだろうか。逢えなくてはつまらない」
「そんなことはないでしょう。あの人が行ってしまいましたら私がよくいたします」
 と言った。さも成功の自信があるようなことを言う、子供だけれど目はしがよく利《き》くのだからよくいくかもしれないと源氏は思っていた。碁の勝負がいよいよ終わったのか、人が分かれ分かれに立って行くような音がした。
「若様はどこにいらっしゃいますか。このお格子はしめてしまいますよ」
 と言って格子をことことと中から鳴らした。
「もう皆寝るのだろう、じゃあはいって行って上手にやれ」
 と源氏は言った。小君もきまじめな姉の心は動かせそうではないのを知って相談はせずに、そばに人の少ない時に寝室へ源氏を導いて行こうと思っているのである。
「紀伊守の妹もこちらにいるのか。私に隙見《すきみ》させてくれ」
「そんなこと、格子には几帳《きちょう》が添えて立ててあるのですから」
 と小君が言う。そのとおりだ、しかし、そうだけれどと源氏はおかしく思ったが、見たとは知らすまい、かわいそうだと考えて、ただ夜ふけまで待つ苦痛を言っていた。小君は、今度は横の妻戸をあけさせてはいって行った。
 女房たちは皆寝てしまった。
「この敷居の前で私は寝る。よく風が通るから」
 と言って、小君は板間《いたま》に上敷《うわしき》をひろげて寝た。女房たちは東南の隅《すみ》の室に皆はいって寝たようである。小君のために妻戸をあけに出て来た童女もそこへはいって寝た。しばらく空寝入りをして見せたあとで、小君はその隅の室からさしている灯《ひ》の明りのほうを、ひろげた屏風《びょうぶ》で隔ててこちらは暗くなった妻戸の前の室へ源氏を引き入れた。人目について恥をかきそうな不安を覚えながら、源氏は導かれるままに中央の母屋《もや》の几帳の垂絹《たれ》をはねて中へはいろうとした。
 それはきわめて細心に行なっていることであったが、家の中が寝静まった時間には、柔らかな源氏の衣摺《きぬず》れの音も耳立った。女は近ごろ源氏の手紙の来なくなったのを、安心のできることに思おうとするのであったが、今も夢のようなあの夜の思い出をなつかしがって、毎夜安眠もできなくなっているころであった。
 人知れぬ恋は昼は終日物思いをして、夜は寝ざめがちな女にこの人をしていた。碁の相手の娘は、今夜はこちらで泊まるといって若々しい屈託のない話をしながら寝てしまった。無邪気に娘はよく睡《ねむ》っていたが、源氏がこの室へ寄って来て、衣服の持つ薫物《たきもの》の香が流れてきた時に気づいて女は顔を上げた。夏の薄い几帳越しに人のみじろぐのが暗い中にもよく感じられるのであった。静かに起きて、薄衣《うすもの》の単衣《ひとえ》を一つ着ただけでそっと寝室を抜けて出た。
 はいって来た源氏は、外にだれもいず一人で女が寝ていたのに安心した。帳台から下の所に二人ほど女房が寝ていた。上に被《かず》いた着物をのけて寄って行った時に、あの時の女よりも大きい気がしてもまだ源氏は恋人だとばかり思っていた。あまりによく眠っていることなどに不審が起こってきて、やっと源氏にその人でないことがわかった。あきれるとともにくやしくてならぬ心になったが、人違いであるといってここから出て行くことも怪しがられることで困ったと源氏は思った。その人の隠れた場所へ行っても、これほどに自分から逃げようとするのに一心である人は快く自分に逢《あ》うはずもなくて、ただ侮蔑《ぶべつ》されるだけであろうという気がして、これがあの美人であったら今夜の情人にこれをしておいてもよいという心になった。これでつれない人への源氏の恋も何ほどの深さかと疑われる。
 やっと目がさめた女はあさましい成り行きにただ驚いているだけで、真から気の毒なような感情が源氏に起こってこない。娘であった割合には蓮葉《はすっぱ》な生意気なこの人はあわてもしない。源氏は自身でないようにしてしまいたかったが、どうしてこんなことがあったかと、あとで女を考えてみる時に、それは自分のためにはどうでもよいことであるが、自分の恋しい冷ややかな人が、世間をあんなにはばかっていたのであるから、このことで秘密を暴露させることになってはかわいそうであると思った。それでたびたび方違《かたたが》えにこの家を選んだのはあなたに接近したいためだったと告げた。少し考えてみる人には継母との関係がわかるであろうが、若い娘心はこんな生意気な人ではあってもそれに思い至らなかった。憎くはなくても心の惹《ひ》かれる点のない気がして、この時でさえ源氏の心は無情な人の恋しさでいっぱいだった。どこの隅にはいって自分の思い詰め方を笑っているのだろう、こんな真実心というものはざらにあるものでもないのにと、あざける気になってみても真底はやはりその人が恋しくてならないのである。
 しかし何の疑いも持たない新しい情人も可憐《かれん》に思われる点があって、源氏は言葉上手《ことばじょうず》にのちのちの約束をしたりしていた。
「公然の関係よりもこうした忍んだ中のほうが恋を深くするものだと昔から皆言ってます。あなたも私を愛してくださいよ。私は世間への遠慮がないでもないのだから、思ったとおりの行為はできないのです。あなたの側でも父や兄がこの関係に好意を持ってくれそうなことを私は今から心配している。忘れずにまた逢いに来る私を待っていてください」
 などと、安っぽい浮気《うわき》男の口ぶりでものを言っていた。
「人にこの秘密を知らせたくありませんから、私は手紙もようあげません」
 女は素直《すなお》に言っていた。
「皆に怪しがられるようにしてはいけないが、この家の小さい殿上人《てんじょうびと》ね、あれに託して私も手紙をあげよう。気をつけなくてはいけませんよ、秘密をだれにも知らせないように」
 と言い置いて、源氏は恋人がさっき脱いで行ったらしい一枚の薄衣《うすもの》を手に持って出た。
 隣の室に寝ていた小君《こぎみ》を起こすと、源氏のことを気がかりに思いながら寝ていたので、すぐに目をさました。小君が妻戸を静かにあけると、年の寄った女の声で、
「だれですか」
 おおげさに言った。めんどうだと思いながら小君は、
「私だ」
 と言う。
「こんな夜中にどこへおいでになるんですか」
 小賢《こざか》しい老女がこちらへ歩いて来るふうである。小君は憎らしく思って、
「ちょっと外へ出るだけだよ」
 と言いながら源氏を戸口から押し出した。夜明けに近い時刻の明るい月光が外にあって、ふと人影を老女は見た。
「もう一人の方はどなた」
 と言った老女が、また、
「民部《みんぶ》さんでしょう。すばらしく背の高い人だね」
 と言う。朋輩《ほうばい》の背高女のことをいうのであろう。老女は小君と民部がいっしょに行くのだと思っていた。
「今にあなたも負けない背丈《せたけ》になりますよ」
 と言いながら源氏たちの出た妻戸から老女も外へ出て来た。困りながらも老女を戸口へ押し返すこともできずに、向かい側の渡殿《わたどの》の入り口に添って立っていると、源氏のそばへ老女が寄って来た。
「あんた、今夜はお居間に行っていたの。私はお腹《なか》の具合《ぐあい》が悪くて部屋《へや》のほうで休んでいたのですがね。不用心だから来いと言って呼び出されたもんですよ。どうも苦しくて我慢ができませんよ」
 こぼして聞かせるのである。
「痛い、ああ痛い。またあとで」
 と言って行ってしまった。やっと源氏はそこを離れることができた。冒険はできないと源氏は懲りた。
 小君を車のあとに乗せて、源氏は二条の院へ帰った。その人に逃げられてしまった今夜の始末を源氏は話して、おまえは子供だ、やはりだめだと言い、その姉の態度があくまで恨めしいふうに語った。気の毒で小君は何とも返辞をすることができなかった。
「姉さんは私をよほどきらっているらしいから、そんなにきらわれる自分がいやになった。そうじゃないか、せめて話すことぐらいはしてくれてもよさそうじゃないか。私は伊予介よりつまらない男に違いない」
 恨めしい心から、こんなことを言った。そして持って来た薄い着物を寝床の中へ入れて寝た。小君をすぐ前に寝させて、恨めしく思うことも、恋しい心持ちも言っていた。
「おまえはかわいいけれど、恨めしい人の弟だから、いつまでも私の心がおまえを愛しうるかどうか」
 まじめそうに源氏がこう言うのを聞いて小君はしおれていた。しばらく目を閉じていたが源氏は寝られなかった。起きるとすぐに硯《すずり》を取り寄せて手紙らしい手紙でなく無駄《むだ》書きのようにして書いた。

[#ここから2字下げ]
空蝉《うつせみ》の身をかへてける木《こ》のもとになほ人がらのなつかしきかな
[#ここで字下げ終わり]

 この歌を渡された小君は懐《ふところ》の中へよくしまった。あの娘へも何か言ってやらねばと源氏は思ったが、いろいろ考えた末に手紙を書いて小君に託することはやめた。
 あの薄衣《うすもの》は小袿《こうちぎ》だった。なつかしい気のする匂《にお》いが深くついているのを源氏は自身のそばから離そうとしなかった。
 小君が姉のところへ行った。空蝉は待っていたようにきびしい小言《こごと》を言った。
「ほんとうに驚かされてしまった。私は隠れてしまったけれど、だれがどんなことを想像するかもしれないじゃないの。あさはかなことばかりするあなたを、あちらではかえって軽蔑《けいべつ》なさらないかと心配する」
 源氏と姉の中に立って、どちらからも受ける小言の多いことを小君は苦しく思いながらことづかった歌を出した。さすがに中をあけて空蝉は読んだ。抜け殻《がら》にして源氏に取られた小袿が、見苦しい着古しになっていなかったろうかなどと思いながらもその人の愛が身に沁《し》んだ。空蝉のしている煩悶《はんもん》は複雑だった。
 西の対の人も今朝《けさ》は恥ずかしい気持ちで帰って行ったのである。一人の女房すらも気のつかなかった事件であったから、ただ一人で物思いをしていた。小君が家の中を往来《ゆきき》する影を見ても胸をおどらせることが多いにもかかわらず手紙はもらえなかった。これを男の冷淡さからとはまだ考えることができないのであるが、蓮葉《はすっぱ》な心にも愁《うれい》を覚える日があったであろう。
 冷静を装っていながら空蝉も、源氏の真実が感ぜられるにつけて、娘の時代であったならとかえらぬ運命が悲しくばかりなって、源氏から来た歌の紙の端に、

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うつせみの羽《は》に置く露の木《こ》隠れて忍び忍びに濡《ぬ》るる袖《そで》かな
[#ここで字下げ終わり]

 こんな歌を書いていた。

空蝉 版本说明

底本:「全訳源氏物語 上巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年8月10日改版初版発行
   1994(平成6)年12月20日56版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月5日71版を使用しました。
入力:上田英代
校正:砂場清隆
2003年4月18日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

04 夕顔

[#地から3字上げ]うき夜半《よは》の悪夢と共になつかしきゆめ
[#地から3字上げ]もあとなく消えにけるかな (晶子)

 源氏が六条に恋人を持っていたころ、御所からそこへ通う途中で、だいぶ重い病気をし尼になった大弐《だいに》の乳母《めのと》を訪《たず》ねようとして、五条辺のその家へ来た。乗ったままで車を入れる大門がしめてあったので、従者に呼び出させた乳母の息子《むすこ》の惟光《これみつ》の来るまで、源氏はりっぱでないその辺の町を車からながめていた。惟光の家の隣に、新しい檜垣《ひがき》を外囲いにして、建物の前のほうは上げ格子《こうし》を四、五間ずっと上げ渡した高窓式になっていて、新しく白い簾《すだれ》を掛け、そこからは若いきれいな感じのする額を並べて、何人かの女が外をのぞいている家があった。高い窓に顔が当たっているその人たちは非常に背の高いもののように思われてならない。どんな身分の者の集まっている所だろう。風変わりな家だと源氏には思われた。今日は車も簡素なのにして目だたせない用意がしてあって、前駆の者にも人払いの声を立てさせなかったから、源氏は自分のだれであるかに町の人も気はつくまいという気楽な心持ちで、その家を少し深くのぞこうとした。門の戸も蔀風《しとみふう》になっていて上げられてある下から家の全部が見えるほどの簡単なものである。哀れに思ったが、ただ仮の世の相であるから宮も藁屋《わらや》も同じことという歌が思われて、われわれの住居《すまい》だって一所《いっしょ》だとも思えた。端隠しのような物に青々とした蔓草《つるくさ》が勢いよくかかっていて、それの白い花だけがその辺で見る何よりもうれしそうな顔で笑っていた。そこに白く咲いているのは何の花かという歌を口ずさんでいると、中将の源氏につけられた近衛《このえ》の随身《ずいしん》が車の前に膝《ひざ》をかがめて言った。
「あの白い花を夕顔と申します。人間のような名でございまして、こうした卑しい家の垣根《かきね》に咲くものでございます」
 その言葉どおりで、貧しげな小家がちのこの通りのあちら、こちら、あるものは倒れそうになった家の軒などにもこの花が咲いていた。
「気の毒な運命の花だね。一枝折ってこい」
 と源氏が言うと、蔀風《しとみふう》の門のある中へはいって随身は花を折った。ちょっとしゃれた作りになっている横戸の口に、黄色の生絹《すずし》の袴《はかま》を長めにはいた愛らしい童女が出て来て随身を招いて、白い扇を色のつくほど薫物《たきもの》で燻《くゆ》らしたのを渡した。
「これへ載せておあげなさいまし。手で提《さ》げては不恰好《ぶかっこう》な花ですもの」
 随身は、夕顔の花をちょうどこの時門をあけさせて出て来た惟光の手から源氏へ渡してもらった。
「鍵《かぎ》の置き所がわかりませんでして、たいへん失礼をいたしました。よいも悪いも見分けられない人の住む界わいではございましても、見苦しい通りにお待たせいたしまして」
 と惟光は恐縮していた。車を引き入れさせて源氏の乳母《めのと》の家へ下《お》りた。惟光の兄の阿闍梨《あじゃり》、乳母の婿の三河守《みかわのかみ》、娘などが皆このごろはここに来ていて、こんなふうに源氏自身で見舞いに来てくれたことを非常にありがたがっていた。尼も起き上がっていた。
「もう私は死んでもよいと見られる人間なんでございますが、少しこの世に未練を持っておりましたのはこうしてあなた様にお目にかかるということがあの世ではできませんからでございます。尼になりました功徳《くどく》で病気が楽になりまして、こうしてあなた様の御前へも出られたのですから、もうこれで阿弥陀《あみだ》様のお迎えも快くお待ちすることができるでしょう」
 などと言って弱々しく泣いた。
「長い間|恢復《かいふく》しないあなたの病気を心配しているうちに、こんなふうに尼になってしまわれたから残念です。長生きをして私の出世する時を見てください。そのあとで死ねば九品蓮台《くぼんれんだい》の最上位にだって生まれることができるでしょう。この世に少しでも飽き足りない心を残すのはよくないということだから」
 源氏は涙ぐんで言っていた。欠点のある人でも、乳母というような関係でその人を愛している者には、それが非常にりっぱな完全なものに見えるのであるから、まして養君《やしないぎみ》がこの世のだれよりもすぐれた源氏の君であっては、自身までも普通の者でないような誇りを覚えている彼女であったから、源氏からこんな言葉を聞いてはただうれし泣きをするばかりであった。息子《むすこ》や娘は母の態度を飽き足りない歯がゆいもののように思って、尼になっていながらこの世への未練をお見せするようなものである、俗縁のあった方に惜しんで泣いていただくのはともかくもだがというような意味を、肱《ひじ》を突いたり、目くばせをしたりして兄弟どうしで示し合っていた。源氏は乳母を憐《あわれ》んでいた。
「母や祖母を早く失《な》くした私のために、世話する役人などは多数にあっても、私の最も親しく思われた人はあなただったのだ。大人《おとな》になってからは少年時代のように、いつもいっしょにいることができず、思い立つ時にすぐに訪《たず》ねて来るようなこともできないのですが、今でもまだあなたと長く逢《あ》わないでいると心細い気がするほどなんだから、生死の別れというものがなければよいと昔の人が言ったようなことを私も思う」
 しみじみと話して、袖《そで》で涙を拭《ふ》いている美しい源氏を見ては、この方の乳母でありえたわが母もよい前生《ぜんしょう》の縁を持った人に違いないという気がして、さっきから批難がましくしていた兄弟たちも、しんみりとした同情を母へ持つようになった。源氏が引き受けて、もっと祈祷《きとう》を頼むことなどを命じてから、帰ろうとする時に惟光《これみつ》に蝋燭《ろうそく》を点《とも》させて、さっき夕顔の花の載せられて来た扇を見た。よく使い込んであって、よい薫物《たきもの》の香のする扇に、きれいな字で歌が書かれてある。

[#ここから2字下げ]
心あてにそれかとぞ見る白露の光添へたる夕顔の花
[#ここで字下げ終わり]

 散らし書きの字が上品に見えた。少し意外だった源氏は、風流遊戯をしかけた女性に好感を覚えた。惟光に、
「この隣の家にはだれが住んでいるのか、聞いたことがあるか」
 と言うと、惟光は主人の例の好色癖が出てきたと思った。
「この五、六日母の家におりますが、病人の世話をしておりますので、隣のことはまだ聞いておりません」
 惟光《これみつ》が冷淡に答えると、源氏は、
「こんなことを聞いたのでおもしろく思わないんだね。でもこの扇が私の興味をひくのだ。この辺のことに詳しい人を呼んで聞いてごらん」
 と言った。はいって行って隣の番人と逢って来た惟光は、
「地方庁の介《すけ》の名だけをいただいている人の家でございました。主人は田舎《いなか》へ行っているそうで、若い風流好きな細君がいて、女房勤めをしているその姉妹たちがよく出入りすると申します。詳しいことは下人《げにん》で、よくわからないのでございましょう」
 と報告した。ではその女房をしているという女たちなのであろうと源氏は解釈して、いい気になって、物馴《ものな》れた戯れをしかけたものだと思い、下の品であろうが、自分を光源氏と見て詠《よ》んだ歌をよこされたのに対して、何か言わねばならぬという気がした。というのは女性にはほだされやすい性格だからである。懐紙《ふところがみ》に、別人のような字体で書いた。

[#ここから2字下げ]
寄りてこそそれかとも見め黄昏《たそが》れにほのぼの見つる花の夕顔
[#ここで字下げ終わり]

 花を折りに行った随身に持たせてやった。夕顔の花の家の人は源氏を知らなかったが、隣の家の主人筋らしい貴人はそれらしく思われて贈った歌に、返事のないのにきまり悪さを感じていたところへ、わざわざ使いに返歌を持たせてよこされたので、またこれに対して何か言わねばならぬなどと皆で言い合ったであろうが、身分をわきまえないしかただと反感を持っていた随身は、渡す物を渡しただけですぐに帰って来た。
 前駆の者が馬上で掲げて行く松明《たいまつ》の明りがほのかにしか光らないで源氏の車は行った。高窓はもう戸がおろしてあった。その隙間《すきま》から蛍《ほたる》以上にかすかな灯《ひ》の光が見えた。
 源氏の恋人の六条|貴女《きじょ》の邸《やしき》は大きかった。広い美しい庭があって、家の中は気高《けだか》く上手《じょうず》に住み馴《な》らしてあった。まだまったく源氏の物とも思わせない、打ち解けぬ貴女を扱うのに心を奪われて、もう源氏は夕顔の花を思い出す余裕を持っていなかったのである。早朝の帰りが少しおくれて、日のさしそめたころに出かける源氏の姿には、世間から大騒ぎされるだけの美は十分に備わっていた。
 今朝《けさ》も五条の蔀風《しとみふう》の門の前を通った。以前からの通り路《みち》ではあるが、あのちょっとしたことに興味を持ってからは、行き来のたびにその家が源氏の目についた。幾日かして惟光が出て来た。
「病人がまだひどく衰弱しているものでございますから、どうしてもそのほうの手が離せませんで、失礼いたしました」
 こんな挨拶《あいさつ》をしたあとで、少し源氏の君の近くへ膝《ひざ》を進めて惟光朝臣《これみつあそん》は言った。
「お話がございましたあとで、隣のことによく通じております者を呼び寄せまして、聞かせたのでございますが、よくは話さないのでございます。この五月ごろからそっと来て同居している人があるようですが、どなたなのか、家の者にもわからせないようにしていますと申すのです。時々私の家との間の垣根《かきね》から私はのぞいて見るのですが、いかにもあの家には若い女の人たちがいるらしい影が簾《すだれ》から見えます。主人がいなければつけない裳《も》を言いわけほどにでも女たちがつけておりますから、主人である女が一人いるに違いございません。昨日《きのう》夕日がすっかり家の中へさし込んでいました時に、すわって手紙を書いている女の顔が非常にきれいでした。物思いがあるふうでございましたよ。女房の中には泣いている者も確かにおりました」
 源氏はほほえんでいたが、もっと詳しく知りたいと思うふうである。自重をなさらなければならない身分は身分でも、この若さと、この美の備わった方が、恋愛に興味をお持ちにならないでは、第三者が見ていても物足らないことである。恋愛をする資格がないように思われているわれわれでさえもずいぶん女のことでは好奇心が動くのであるからと惟光《これみつ》は主人をながめていた。
「そんなことから隣の家の内の秘密がわからないものでもないと思いまして、ちょっとした機会をとらえて隣の女へ手紙をやってみました。するとすぐに書き馴《な》れた達者な字で返事がまいりました、相当によい若い女房もいるらしいのです」
「おまえは、なおどしどし恋の手紙を送ってやるのだね。それがよい。その人の正体が知れないではなんだか安心ができない」
 と源氏が言った。家は下《げ》の下《げ》に属するものと品定《しなさだ》めの人たちに言われるはずの所でも、そんな所から意外な趣のある女を見つけ出すことがあればうれしいに違いないと源氏は思うのである。
 源氏は空蝉《うつせみ》の極端な冷淡さをこの世の女の心とは思われないと考えると、あの女が言うままになる女であったなら、気の毒な過失をさせたということだけで、もう過去へ葬ってしまったかもしれないが、強い態度を取り続けられるために、負けたくないと反抗心が起こるのであるとこんなふうに思われて、その人を忘れている時は少ないのである。これまでは空蝉《うつせみ》階級の女が源氏の心を引くようなこともなかったが、あの雨夜の品定めを聞いて以来好奇心はあらゆるものに動いて行った。何の疑いも持たずに一夜の男を思っているもう一人の女を憐《あわれ》まないのではないが、冷静にしている空蝉にそれが知れるのを、恥ずかしく思って、いよいよ望みのないことのわかる日まではと思ってそれきりにしてあるのであったが、そこへ伊予介《いよのすけ》が上京して来た。そして真先《まっさき》に源氏の所へ伺候した。長い旅をして来たせいで、色が黒くなりやつれた伊予の長官は見栄《みえ》も何もなかった。しかし家柄もいいものであったし、顔だちなどに老いてもなお整ったところがあって、どこか上品なところのある地方官とは見えた。任地の話などをしだすので、湯の郡《こおり》の温泉話も聞きたい気はあったが、何ゆえとなしにこの人を見るときまりが悪くなって、源氏の心に浮かんでくることは数々の罪の思い出であった。まじめな生一本《きいっぽん》の男と対《むか》っていて、やましい暗い心を抱くとはけしからぬことである。人妻に恋をして三角関係を作る男の愚かさを左馬頭《さまのかみ》の言ったのは真理であると思うと、源氏は自分に対して空蝉の冷淡なのは恨めしいが、この良人《おっと》のためには尊敬すべき態度であると思うようになった。
 伊予介が娘を結婚させて、今度は細君を同伴して行くという噂《うわさ》は、二つとも源氏が無関心で聞いていられないことだった。恋人が遠国へつれられて行くと聞いては、再会を気長に待っていられなくなって、もう一度だけ逢《あ》うことはできぬかと、小君《こぎみ》を味方にして空蝉に接近する策を講じたが、そんな機会を作るということは相手の女も同じ目的を持っている場合だっても困難なのであるのに、空蝉のほうでは源氏と恋をすることの不似合いを、思い過ぎるほどに思っていたのであるから、この上罪を重ねようとはしないのであって、とうてい源氏の思うようにはならないのである。空蝉はそれでも自分が全然源氏から忘れられるのも非常に悲しいことだと思って、おりおりの手紙の返事などに優しい心を見せていた。なんでもなく書く簡単な文字の中に可憐《かれん》な心が混じっていたり、芸術的な文章を書いたりして源氏の心を惹《ひ》くものがあったから、冷淡な恨めしい人であって、しかも忘れられない女になっていた。もう一人の女は他人と結婚をしても思いどおりに動かしうる女だと思っていたから、いろいろな噂を聞いても源氏は何とも思わなかった。秋になった。このごろの源氏はある発展を遂げた初恋のその続きの苦悶《くもん》の中にいて、自然左大臣家へ通うことも途絶えがちになって恨めしがられていた。六条の貴女《きじょ》との関係も、その恋を得る以前ほどの熱をまた持つことのできない悩みがあった。自分の態度によって女の名誉が傷つくことになってはならないと思うが、夢中になるほどその人の恋しかった心と今の心とは、多少|懸隔《へだたり》のあるものだった。六条の貴女はあまりにものを思い込む性質だった。源氏よりは八歳《やっつ》上の二十五であったから、不似合いな相手と恋に堕《お》ちて、すぐにまた愛されぬ物思いに沈む運命なのだろうかと、待ち明かしてしまう夜などには煩悶《はんもん》することが多かった。
 霧の濃くおりた朝、帰りをそそのかされて、睡《ね》むそうなふうで歎息《たんそく》をしながら源氏が出て行くのを、貴女の女房の中将が格子《こうし》を一間だけ上げて、女主人《おんなあるじ》に見送らせるために几帳《きちょう》を横へ引いてしまった。それで貴女は頭を上げて外をながめていた。いろいろに咲いた植え込みの花に心が引かれるようで、立ち止まりがちに源氏は歩いて行く。非常に美しい。廊のほうへ行くのに中将が供をして行った。この時節にふさわしい淡紫《うすむらさき》の薄物の裳《も》をきれいに結びつけた中将の腰つきが艶《えん》であった。源氏は振り返って曲がり角《かど》の高欄の所へしばらく中将を引き据《す》えた。なお主従の礼をくずさない態度も額髪《ひたいがみ》のかかりぎわのあざやかさもすぐれて優美な中将だった。

[#ここから1字下げ]
「咲く花に移るてふ名はつつめども折らで過ぎうき今朝《けさ》の朝顔
[#ここで字下げ終わり]

 どうすればいい」
 こう言って源氏は女の手を取った。物馴《ものな》れたふうで、すぐに、

[#ここから2字下げ]
朝霧の晴れ間も待たぬけしきにて花に心をとめぬとぞ見る
[#ここで字下げ終わり]

 と言う。源氏の焦点をはずして主人の侍女としての挨拶をしたのである。美しい童侍《わらわざむらい》の恰好《かっこう》のよい姿をした子が、指貫《さしぬき》の袴《はかま》を露で濡《ぬ》らしながら、草花の中へはいって行って朝顔の花を持って来たりもするのである、この秋の庭は絵にしたいほどの趣があった。源氏を遠くから知っているほどの人でもその美を敬愛しない者はない、情趣を解しない山の男でも、休み場所には桜の蔭《かげ》を選ぶようなわけで、その身分身分によって愛している娘を源氏の女房にさせたいと思ったり、相当な女であると思う妹を持った兄が、ぜひ源氏の出入りする家の召使にさせたいとか皆思った。まして何かの場合には優しい言葉を源氏からかけられる女房、この中将のような女はおろそかにこの幸福を思っていない。情人になろうなどとは思いも寄らぬことで、女主人の所へ毎日おいでになればどんなにうれしいであろうと思っているのであった。
 それから、あの惟光《これみつ》の受け持ちの五条の女の家を探る件、それについて惟光はいろいろな材料を得てきた。
「まだだれであるかは私にわからない人でございます。隠れていることの知れないようにとずいぶん苦心する様子です。閑暇《ひま》なものですから、南のほうの高い窓のある建物のほうへ行って、車の音がすると若い女房などは外をのぞくようですが、その主人らしい人も時にはそちらへ行っていることがございます。その人は、よくは見ませんがずいぶん美人らしゅうございます。この間先払いの声を立てさせて通る車がございましたが、それをのぞいて女《め》の童《わらわ》が後ろの建物のほうへ来て、『右近《うこん》さん、早くのぞいてごらんなさい、中将さんが通りをいらっしゃいます』と言いますと相当な女房が出て来まして、『まあ静かになさいよ』と手でおさえるようにしながら、『まあどうしてそれがわかったの、私がのぞいて見ましょう』と言って前の家のほうへ行くのですね、細い渡り板が通路なんですから、急いで行く人は着物の裾《すそ》を引っかけて倒れたりして、橋から落ちそうになって、『まあいやだ』などと大騒ぎで、もうのぞきに出る気もなくなりそうなんですね。車の人は直衣《のうし》姿で、随身たちもおりました。だれだれも、だれだれもと数えている名は頭中将《とうのちゅうじょう》の随身や少年侍の名でございました」
 などと言った。
「確かにその車の主が知りたいものだ」
 もしかすればそれは頭中将が忘られないように話した常夏《とこなつ》の歌の女ではないかと思った源氏の、も少しよく探りたいらしい顔色を見た惟光《これみつ》は、
「われわれ仲間の恋と見せかけておきまして、実はその上に御主人のいらっしゃることもこちらは承知しているのですが、女房相手の安価な恋の奴《やっこ》になりすましております。向こうでは上手《じょうず》に隠せていると思いまして私が訪ねて行ってる時などに、女の童《わらわ》などがうっかり言葉をすべらしたりいたしますと、いろいろに言い紛らしまして、自分たちだけだというふうを作ろうといたします」
 と言って笑った。
「おまえの所へ尼さんを見舞いに行った時に隣をのぞかせてくれ」
 と源氏は言っていた。たとえ仮住まいであってもあの五条の家にいる人なのだから、下の品の女であろうが、そうした中におもしろい女が発見できればと思うのである。源氏の機嫌《きげん》を取ろうと一所懸命の惟光であったし、彼自身も好色者で他の恋愛にさえも興味を持つほうであったから、いろいろと苦心をした末に源氏を隣の女の所へ通わせるようにした。
 女のだれであるかをぜひ知ろうともしないとともに、源氏は自身の名もあらわさずに、思いきり質素なふうをして多くは車にも乗らずに通った。深く愛しておらねばできぬことだと惟光は解釈して、自身の乗る馬に源氏を乗せて、自身は徒歩で供をした。
「私から申し込みを受けたあすこの女はこの態《てい》を見たら驚くでしょう」
 などとこぼしてみせたりしたが、このほかには最初夕顔の花を折りに行った随身と、それから源氏の召使であるともあまり顔を知られていない小侍だけを供にして行った。それから知れることになってはとの気づかいから、隣の家へ寄るようなこともしない。女のほうでも不思議でならない気がした。手紙の使いが来るとそっと人をつけてやったり、男の夜明けの帰りに道を窺《うかが》わせたりしても、先方は心得ていてそれらをはぐらかしてしまった。しかも源氏の心は十分に惹《ひ》かれて、一時的な関係にとどめられる気はしなかった。これを不名誉だと思う自尊心に悩みながらしばしば五条通いをした。恋愛問題ではまじめな人も過失をしがちなものであるが、この人だけはこれまで女のことで世間の批難を招くようなことをしなかったのに、夕顔の花に傾倒してしまった心だけは別だった。別れ行く間も昼の間もその人をかたわらに見がたい苦痛を強く感じた。源氏は自身で、気違いじみたことだ、それほどの価値がどこにある恋人かなどと反省もしてみるのである。驚くほど柔らかでおおような性質で、深味のあるような人でもない。若々しい一方の女であるが、処女であったわけでもない。貴婦人ではないようである。どこがそんなに自分を惹きつけるのであろうと不思議でならなかった。わざわざ平生の源氏に用のない狩衣《かりぎぬ》などを着て変装した源氏は顔なども全然見せない。ずっと更《ふ》けてから、人の寝静まったあとで行ったり、夜のうちに帰ったりするのであるから、女のほうでは昔の三輪《みわ》の神の話のような気がして気味悪く思われないではなかった。しかしどんな人であるかは手の触覚からでもわかるものであるから、若い風流男以外な者に源氏を観察していない。やはり好色な隣の五位《ごい》が導いて来た人に違いないと惟光《これみつ》を疑っているが、その人はまったく気がつかぬふうで相変わらず女房の所へ手紙を送って来たり、訪《たず》ねて来たりするので、どうしたことかと女のほうでも普通の恋の物思いとは違った煩悶《はんもん》をしていた。源氏もこんなに真実を隠し続ければ、自分も女のだれであるかを知りようがない、今の家が仮の住居《すまい》であることは間違いのないことらしいから、どこかへ移って行ってしまった時に、自分は呆然《ぼうぜん》とするばかりであろう。行くえを失ってもあきらめがすぐつくものならよいが、それは断然不可能である。世間をはばかって間を空《あ》ける夜などは堪えられない苦痛を覚えるのだと源氏は思って、世間へはだれとも知らせないで二条の院へ迎えよう、それを悪く言われても自分はそうなる前生の因縁だと思うほかはない、自分ながらもこれほど女に心を惹《ひ》かれた経験が過去にないことを思うと、どうしても約束事と解釈するのが至当である、こんなふうに源氏は思って、
「あなたもその気におなりなさい。私は気楽な家へあなたをつれて行って夫婦生活がしたい」こんなことを女に言い出した。
「でもまだあなたは私を普通には取り扱っていらっしゃらない方なんですから不安で」
 若々しく夕顔が言う。源氏は微笑された。
「そう、どちらかが狐《きつね》なんだろうね。でも欺《だま》されていらっしゃればいいじゃない」
 なつかしいふうに源氏が言うと、女はその気になっていく。どんな欠点があるにしても、これほど純な女を愛せずにはいられないではないかと思った時、源氏は初めからその疑いを持っていたが、頭中将《とうのちゅうじょう》の常夏《とこなつ》の女はいよいよこの人らしいという考えが浮かんだ。しかし隠しているのはわけのあることであろうからと思って、しいて聞く気にはなれなかった。感情を害した時などに突然そむいて行ってしまうような性格はなさそうである、自分が途絶えがちになったりした時には、あるいはそんな態度に出るかもしれぬが、自分ながら少し今の情熱が緩和された時にかえって女のよさがわかるのではないかと、それを望んでもできないのだから途絶えの起こってくるわけはない、したがって女の気持ちを不安に思う必要はないのだと知っていた。
 八月の十五夜であった。明るい月光が板屋根の隙間《すきま》だらけの家の中へさし込んで、狭い家の中の物が源氏の目に珍しく見えた。もう夜明けに近い時刻なのであろう。近所の家々で貧しい男たちが目をさまして高声で話すのが聞こえた。
「ああ寒い。今年《ことし》こそもう商売のうまくいく自信が持てなくなった。地方廻りもできそうでないんだから心細いものだ。北隣さん、まあお聞きなさい」
 などと言っているのである。哀れなその日その日の仕事のために起き出して、そろそろ労働を始める音なども近い所でするのを女は恥ずかしがっていた。気どった女であれば死ぬほどきまりの悪さを感じる場所に違いない。でも夕顔はおおようにしていた。人の恨めしさも、自分の悲しさも、体面の保たれぬきまり悪さも、できるだけ思ったとは見せまいとするふうで、自分自身は貴族の子らしく、娘らしくて、ひどい近所の会話の内容もわからぬようであるのが、恥じ入られたりするよりも感じがよかった。ごほごほと雷以上の恐《こわ》い音をさせる唐臼《からうす》なども、すぐ寝床のそばで鳴るように聞こえた。源氏もやかましいとこれは思った。けれどもこの貴公子も何から起こる音とは知らないのである。大きなたまらぬ音響のする何かだと思っていた。そのほかにもまだ多くの騒がしい雑音が聞こえた。白い麻布を打つ砧《きぬた》のかすかな音もあちこちにした。空を行く雁《かり》の声もした。秋の悲哀がしみじみと感じられる。庭に近い室であったから、横の引き戸を開けて二人で外をながめるのであった。小さい庭にしゃれた姿の竹が立っていて、草の上の露はこんなところのも二条の院の前栽《せんざい》のに変わらずきらきらと光っている。虫もたくさん鳴いていた。壁の中で鳴くといわれて人間の居場所に最も近く鳴くものになっている蟋蟀《こおろぎ》でさえも源氏は遠くの声だけしか聞いていなかったが、ここではどの虫も耳のそばへとまって鳴くような風変わりな情趣だと源氏が思うのも、夕顔を深く愛する心が何事も悪くは思わせないのであろう。白い袷《あわせ》に柔らかい淡紫《うすむらさき》を重ねたはなやかな姿ではない、ほっそりとした人で、どこかきわだって非常によいというところはないが繊細な感じのする美人で、ものを言う様子に弱々しい可憐《かれん》さが十分にあった。才気らしいものを少しこの人に添えたらと源氏は批評的に見ながらも、もっと深くこの人を知りたい気がして、
「さあ出かけましょう。この近くのある家へ行って、気楽に明日《あす》まで話しましょう。こんなふうでいつも暗い間に別れていかなければならないのは苦しいから」
 と言うと、
「どうしてそんなに急なことをお言い出しになりますの」
 おおように夕顔は言っていた。変わらぬ恋を死後の世界にまで続けようと源氏の誓うのを見ると何の疑念もはさまずに信じてよろこぶ様子などのうぶさは、一度結婚した経験のある女とは思えないほど可憐であった。源氏はもうだれの思わくもはばかる気がなくなって、右近《うこん》に随身を呼ばせて、車を庭へ入れることを命じた。夕顔の女房たちも、この通う男が女主人を深く愛していることを知っていたから、だれともわからずにいながら相当に信頼していた。
 ずっと明け方近くなってきた。この家に鶏《とり》の声は聞こえないで、現世|利益《りやく》の御岳教《みたけきょう》の信心なのか、老人らしい声で、起《た》ったりすわったりして、とても忙しく苦しそうにして祈る声が聞かれた。源氏は身にしむように思って、朝露と同じように短い命を持つ人間が、この世に何の慾《よく》を持って祈祷《きとう》などをするのだろうと聞いているうちに、
「南無《なむ》当来の導師」
 と阿弥陀如来《あみだにょらい》を呼びかけた。
「そら聞いてごらん。現世利益だけが目的じゃなかった」
 とほめて、

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優婆塞《うばそく》が行なふ道をしるべにて来ん世も深き契りたがふな
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 とも言った。玄宗《げんそう》と楊貴妃《ようきひ》の七月七日の長生殿の誓いは実現されない空想であったが、五十六億七千万年後の弥勒菩薩《みろくぼさつ》出現の世までも変わらぬ誓いを源氏はしたのである。

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前《さき》の世の契り知らるる身のうさに行く末かけて頼みがたさよ
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 と女は言った。歌を詠《よ》む才なども豊富であろうとは思われない。月夜に出れば月に誘惑されて行って帰らないことがあるということを思って出かけるのを躊躇《ちゅうちょ》する夕顔に、源氏はいろいろに言って同行を勧めているうちに月もはいってしまって東の空の白む秋のしののめが始まってきた。
 人目を引かぬ間にと思って源氏は出かけるのを急いだ。女のからだを源氏が軽々と抱いて車に乗せ右近が同乗したのであった。五条に近い帝室の後院である某院へ着いた。呼び出した院の預かり役の出て来るまで留めてある車から、忍ぶ草の生《お》い茂った門の廂《ひさし》が見上げられた。たくさんにある大木が暗さを作っているのである。霧も深く降っていて空気の湿《しめ》っぽいのに車の簾《すだれ》を上げさせてあったから源氏の袖《そで》もそのうちべったりと濡《ぬ》れてしまった。
「私にははじめての経験だが妙に不安なものだ。

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いにしへもかくやは人の惑ひけんわがまだしらぬしののめの道
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 前にこんなことがありましたか」
 と聞かれて女は恥ずかしそうだった。

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「山の端《は》の心も知らず行く月は上《うは》の空にて影や消えなん
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 心細うございます、私は」
 凄《すご》さに女がおびえてもいるように見えるのを、源氏はあの小さい家におおぜい住んでいた人なのだから道理であると思っておかしかった。
 門内へ車を入れさせて、西の対《たい》に仕度《したく》をさせている間、高欄に車の柄を引っかけて源氏らは庭にいた。右近は艶《えん》な情趣を味わいながら女主人の過去の恋愛時代のある場面なども思い出されるのであった。預かり役がみずから出てする客人の扱いが丁寧きわまるものであることから、右近にはこの風流男の何者であるかがわかった。物の形がほのぼの見えるころに家へはいった。にわかな仕度ではあったが体裁よく座敷がこしらえてあった。
「だれというほどの人がお供しておらないなどとは、どうもいやはや」
 などといって預かり役は始終出入りする源氏の下家司《しもけいし》でもあったから、座敷の近くへ来て右近に、
「御家司をどなたかお呼び寄せしたものでございましょうか」
 と取り次がせた。
「わざわざだれにもわからない場所にここを選んだのだから、おまえ以外の者にはすべて秘密にしておいてくれ」
 と源氏は口留めをした。さっそくに調えられた粥《かゆ》などが出た。給仕も食器も間に合わせを忍ぶよりほかはない。こんな経験を持たぬ源氏は、一切を切り放して気にかけぬこととして、恋人とはばからず語り合う愉楽に酔おうとした。
 源氏は昼ごろに起きて格子を自身で上げた。非常に荒れていて、人影などは見えずにはるばると遠くまでが見渡される。向こうのほうの木立ちは気味悪く古い大木に皆なっていた。近い植え込みの草や灌木《かんぼく》などには美しい姿もない。秋の荒野の景色《けしき》になっている。池も水草でうずめられた凄《すご》いものである。別れた棟《むね》のほうに部屋《へや》などを持って預かり役は住むらしいが、そことこことはよほど離れている。
「気味悪い家になっている。でも鬼なんかだって私だけはどうともしなかろう」
 と源氏は言った。まだこの時までは顔を隠していたが、この態度を女が恨めしがっているのを知って、何たる錯誤だ、不都合なのは自分である、こんなに愛していながらと気がついた。

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「夕露にひもとく花は玉鉾《たまぼこ》のたよりに見えし縁《えに》こそありけれ
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 あなたの心あてにそれかと思うと言った時の人の顔を近くに見て幻滅が起こりませんか」
 と言う源氏の君を後目《しりめ》に女は見上げて、

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光ありと見し夕顔のうは露は黄昏時《たそがれどき》のそら目なりけり
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 と言った。冗談《じょうだん》までも言う気になったのが源氏にはうれしかった。打ち解けた瞬間から源氏の美はあたりに放散した。古くさく荒れた家との対照はまして魅惑的だった。
「いつまでも真実のことを打ちあけてくれないのが恨めしくって、私もだれであるかを隠し通したのだが、負けた。もういいでしょう、名を言ってください、人間離れがあまりしすぎます」
 と源氏が言っても、
「家も何もない女ですもの」
 と言ってそこまではまだ打ち解けぬ様子も美しく感ぜられた。
「しかたがない。私が悪いのだから」
 と怨《うら》んでみたり、永久の恋の誓いをし合ったりして時を送った。
 惟光《これみつ》が源氏の居所を突きとめてきて、用意してきた菓子などを座敷へ持たせてよこした。これまで白《しら》ばくれていた態度を右近《うこん》に恨まれるのがつらくて、近い所へは顔を見せない。惟光は源氏が人騒がせに居所を不明にして、一日を犠牲にするまで熱心になりうる相手の女は、それに価する者であるらしいと想像をして、当然自己のものになしうるはずの人を主君にゆずった自分は広量なものだと嫉妬《しっと》に似た心で自嘲《じちょう》もし、羨望《せんぼう》もしていた。
 静かな静かな夕方の空をながめていて、奥のほうは暗くて気味が悪いと夕顔が思うふうなので、縁の簾《すだれ》を上げて夕映《ゆうば》えの雲をいっしょに見て、女も源氏とただ二人で暮らしえた一日に、まだまったく落ち着かぬ恋の境地とはいえ、過去に知らない満足が得られたらしく、少しずつ打ち解けた様子が可憐《かれん》であった。じっと源氏のそばへ寄って、この場所がこわくてならぬふうであるのがいかにも若々しい。格子《こうし》を早くおろして灯《ひ》をつけさせてからも、
「私のほうにはもう何も秘密が残っていないのに、あなたはまだそうでないのだからいけない」
 などと源氏は恨みを言っていた。陛下はきっと今日も自分をお召しになったに違いないが、捜す人たちはどう見当をつけてどこへ行っているだろう、などと想像をしながらも、これほどまでにこの女を溺愛《できあい》している自分を源氏は不思議に思った。六条の貴女《きじょ》もどんなに煩悶《はんもん》をしていることだろう、恨まれるのは苦しいが恨むのは道理であると、恋人のことはこんな時にもまず気にかかった。無邪気に男を信じていっしょにいる女に愛を感じるとともに、あまりにまで高い自尊心にみずから煩《わずら》わされている六条の貴女が思われて、少しその点を取り捨てたならと、眼前の人に比べて源氏は思うのであった。
 十時過ぎに少し寝入った源氏は枕《まくら》の所に美しい女がすわっているのを見た。
「私がどんなにあなたを愛しているかしれないのに、私を愛さないで、こんな平凡な人をつれていらっしって愛撫《あいぶ》なさるのはあまりにひどい。恨めしい方」
 と言って横にいる女に手をかけて起こそうとする。こんな光景を見た。苦しい襲われた気持ちになって、すぐ起きると、その時に灯《ひ》が消えた。不気味なので、太刀《たち》を引き抜いて枕もとに置いて、それから右近を起こした。右近も恐ろしくてならぬというふうで近くへ出て来た。
「渡殿《わたどの》にいる宿直《とのい》の人を起こして、蝋燭《ろうそく》をつけて来るように言うがいい」
「どうしてそんな所へまで参れるものでございますか、暗《くろ》うて」
「子供らしいじゃないか」
 笑って源氏が手をたたくとそれが反響になった。限りない気味悪さである。しかもその音を聞きつけて来る者はだれもない。夕顔は非常にこわがってふるえていて、どうすればいいだろうと思うふうである。汗をずっぷりとかいて、意識のありなしも疑わしい。
「非常に物恐れをなさいます御性質ですから、どんなお気持ちがなさるのでございましょうか」
 と右近も言った。弱々しい人で今日の昼間も部屋《へや》の中を見まわすことができずに空をばかりながめていたのであるからと思うと、源氏はかわいそうでならなかった。
「私が行って人を起こそう。手をたたくと山彦《やまびこ》がしてうるさくてならない。しばらくの間ここへ寄っていてくれ」
 と言って、右近を寝床のほうへ引き寄せておいて、両側の妻戸の口へ出て、戸を押しあけたのと同時に渡殿についていた灯も消えた。風が少し吹いている。こんな夜に侍者は少なくて、しかもありたけの人は寝てしまっていた。院の預かり役の息子《むすこ》で、平生源氏が手もとで使っていた若い男、それから侍童が一人、例の随身、それだけが宿直《とのい》をしていたのである。源氏が呼ぶと返辞をして起きて来た。
「蝋燭《ろうそく》をつけて参れ。随身に弓の絃打《つるう》ちをして絶えず声を出して魔性に備えるように命じてくれ。こんな寂しい所で安心をして寝ていていいわけはない。先刻《せんこく》惟光《これみつ》が来たと言っていたが、どうしたか」
「参っておりましたが、御用事もないから、夜明けにお迎えに参ると申して帰りましてございます」
 こう源氏と問答をしたのは、御所の滝口に勤めている男であったから、専門家的に弓絃《ゆづる》を鳴らして、
「火|危《あぶな》し、火危し」
 と言いながら、父である預かり役の住居《すまい》のほうへ行った。源氏はこの時刻の御所を思った。殿上《てんじょう》の宿直役人が姓名を奏上する名対面はもう終わっているだろう、滝口の武士の宿直の奏上があるころであると、こんなことを思ったところをみると、まだそう深更でなかったに違いない。寝室へ帰って、暗がりの中を手で探ると夕顔はもとのままの姿で寝ていて、右近がそのそばでうつ伏せになっていた。
「どうしたのだ。気違いじみたこわがりようだ。こんな荒れた家などというものは、狐《きつね》などが人をおどしてこわがらせるのだよ。私がおればそんなものにおどかされはしないよ」
 と言って、源氏は右近を引き起こした。
「とても気持ちが悪うございますので下を向いておりました。奥様はどんなお気持ちでいらっしゃいますことでしょう」
「そうだ、なぜこんなにばかりして」
 と言って、手で探ると夕顔は息もしていない。動かしてみてもなよなよとして気を失っているふうであったから、若々しい弱い人であったから、何かの物怪《もののけ》にこうされているのであろうと思うと、源氏は歎息《たんそく》されるばかりであった。蝋燭《ろうそく》の明りが来た。右近には立って行くだけの力がありそうもないので、閨《ねや》に近い几帳《きちょう》を引き寄せてから、
「もっとこちらへ持って来い」
 と源氏は言った。主君の寝室の中へはいるというまったくそんな不謹慎な行動をしたことがない滝口は座敷の上段になった所へもよう来ない。
「もっと近くへ持って来ないか。どんなことも場所によることだ」
 灯《ひ》を近くへ取って見ると、この閨の枕の近くに源氏が夢で見たとおりの容貌《ようぼう》をした女が見えて、そしてすっと消えてしまった。昔の小説などにはこんなことも書いてあるが、実際にあるとはと思うと源氏は恐ろしくてならないが、恋人はどうなったかという不安が先に立って、自身がどうされるだろうかという恐れはそれほどなくて横へ寝て、
「ちょいと」
 と言って不気味な眠りからさまさせようとするが、夕顔のからだは冷えはてていて、息はまったく絶えているのである。頼りにできる相談相手もない。坊様などはこんな時の力になるものであるがそんな人もむろんここにはいない。右近に対して強がって何かと言った源氏であったが、若いこの人は、恋人の死んだのを見ると分別も何もなくなって、じっと抱いて、
「あなた。生きてください。悲しい目を私に見せないで」
 と言っていたが、恋人のからだはますます冷たくて、すでに人ではなく遺骸《いがい》であるという感じが強くなっていく。右近はもう恐怖心も消えて夕顔の死を知って非常に泣く。紫宸殿《ししんでん》に出て来た鬼は貞信公《ていしんこう》を威嚇《いかく》したが、その人の威に押されて逃げた例などを思い出して、源氏はしいて強くなろうとした。
「それでもこのまま死んでしまうことはないだろう。夜というものは声を大きく響かせるから、そんなに泣かないで」
 と源氏は右近に注意しながらも、恋人との歓会がたちまちにこうなったことを思うと呆然《ぼうぜん》となるばかりであった。滝口を呼んで、
「ここに、急に何かに襲われた人があって、苦しんでいるから、すぐに惟光朝臣《これみつあそん》の泊まっている家に行って、早く来るように言えとだれかに命じてくれ。兄の阿闍梨《あじゃり》がそこに来ているのだったら、それもいっしょに来るようにと惟光に言わせるのだ。母親の尼さんなどが聞いて気にかけるから、たいそうには言わせないように。あれは私の忍び歩きなどをやかましく言って止める人だ」
 こんなふうに順序を立ててものを言いながらも、胸は詰まるようで、恋人を死なせることの悲しさがたまらないものに思われるのといっしょに、あたりの不気味さがひしひしと感ぜられるのであった。もう夜中過ぎになっているらしい。風がさっきより強くなってきて、それに鳴る松の枝の音は、それらの大木に深く囲まれた寂しく古い院であることを思わせ、一風変わった鳥がかれ声で鳴き出すのを、梟《ふくろう》とはこれであろうかと思われた。考えてみるとどこへも遠く離れて人声もしないこんな寂しい所へなぜ自分は泊まりに来たのであろうと、源氏は後悔の念もしきりに起こる。右近は夢中になって夕顔のそばへ寄り、このまま慄《ふる》え死にをするのでないかと思われた。それがまた心配で、源氏は一所懸命に右近をつかまえていた。一人は死に、一人はこうした正体もないふうで、自身一人だけが普通の人間なのであると思うと源氏はたまらない気がした。灯《ひ》はほのかに瞬《またた》いて、中央の室との仕切りの所に立てた屏風《びょうぶ》の上とか、室の中の隅々《すみずみ》とか、暗いところの見えるここへ、後ろからひしひしと足音をさせて何かが寄って来る気がしてならない、惟光が早く来てくれればよいとばかり源氏は思った。彼は泊まり歩く家を幾軒も持った男であったから、使いはあちらこちらと尋ねまわっているうちに夜がぼつぼつ明けてきた。この間の長さは千夜にもあたるように源氏には思われたのである。やっとはるかな所で鳴く鶏の声がしてきたのを聞いて、ほっとした源氏は、こんな危険な目にどうして自分はあうのだろう、自分の心ではあるが恋愛についてはもったいない、思うべからざる人を思った報いに、こんな後《あと》にも前《さき》にもない例となるようなみじめな目にあうのであろう、隠してもあった事実はすぐに噂《うわさ》になるであろう、陛下の思召《おぼしめ》しをはじめとして人が何と批評することだろう、世間の嘲笑《ちょうしょう》が自分の上に集まることであろう、とうとうついにこんなことで自分は名誉を傷つけるのだなと源氏は思っていた。
 やっと惟光《これみつ》が出て来た。夜中でも暁でも源氏の意のままに従って歩いた男が、今夜に限ってそばにおらず、呼びにやってもすぐの間に合わず、時間のおくれたことを源氏は憎みながらも寝室へ呼んだ。孤独の悲しみを救う手は惟光にだけあることを源氏は知っている。惟光をそばへ呼んだが、自分が今言わねばならぬことがあまりにも悲しいものであることを思うと、急には言葉が出ない。右近は隣家の惟光が来た気配《けはい》に、亡《な》き夫人と源氏との交渉の最初の時から今日までが連続的に思い出されて泣いていた。源氏も今までは自身一人が強い人になって右近を抱きかかえていたのであったが、惟光の来たのにほっとすると同時に、はじめて心の底から大きい悲しみが湧《わ》き上がってきた。非常に泣いたのちに源氏は躊躇《ちゅうちょ》しながら言い出した。
「奇怪なことが起こったのだ。驚くという言葉では現わせないような驚きをさせられた。人のからだにこんな急変があったりする時には、僧家へ物を贈って読経《どきょう》をしてもらうものだそうだから、それをさせよう、願を立てさせようと思って阿闍梨《あじゃり》も来てくれと言ってやったのだが、どうした」
「昨日《きのう》叡山《えいざん》へ帰りましたのでございます。まあ何ということでございましょう、奇怪なことでございます。前から少しはおからだが悪かったのでございますか」
「そんなこともなかった」
 と言って泣く源氏の様子に、惟光も感動させられて、この人までが声を立てて泣き出した。老人はめんどうなものとされているが、こんな場合には、年を取っていて世の中のいろいろな経験を持っている人が頼もしいのである。源氏も右近も惟光も皆若かった。どう処置をしていいのか手が出ないのであったが、やっと惟光が、
「この院の留守役などに真相を知らせることはよくございません。当人だけは信用ができましても、秘密の洩《も》れやすい家族を持っていましょうから。ともかくもここを出ていらっしゃいませ」
 と言った。
「でもここ以上に人の少ない場所はほかにないじゃないか」
「それはそうでございます。あの五条の家は女房などが悲しがって大騒ぎをするでしょう、多い小家の近所隣へそんな声が聞こえますとたちまち世間へ知れてしまいます、山寺と申すものはこうした死人などを取り扱い馴《な》れておりましょうから、人目を紛らすのには都合がよいように思われます」
 考えるふうだった惟光は、
「昔知っております女房が尼になって住んでいる家が東山にございますから、そこへお移しいたしましょう。私の父の乳母《めのと》をしておりまして、今は老人《としより》になっている者の家でございます。東山ですから人がたくさん行く所のようではございますが、そこだけは閑静です」
 と言って、夜と朝の入り替わる時刻の明暗の紛れに車を縁側へ寄せさせた。源氏自身が遺骸《いがい》を車へ載せることは無理らしかったから、茣蓙《ござ》に巻いて惟光《これみつ》が車へ載せた。小柄な人の死骸からは悪感は受けないできわめて美しいものに思われた。残酷に思われるような扱い方を遠慮して、確かにも巻かなんだから、茣蓙の横から髪が少しこぼれていた。それを見た源氏は目がくらむような悲しみを覚えて煙になる最後までも自分がついていたいという気になったのであるが、
「あなた様はさっそく二条の院へお帰りなさいませ。世間の者が起き出しませんうちに」
 と惟光は言って、遺骸には右近を添えて乗せた。自身の馬を源氏に提供して、自身は徒歩で、袴《はかま》のくくりを上げたりして出かけたのであった。ずいぶん迷惑な役のようにも思われたが、悲しんでいる源氏を見ては、自分のことなどはどうでもよいという気に惟光はなったのである。
 源氏は無我夢中で二条の院へ着いた。女房たちが、
「どちらからのお帰りなんでしょう。御気分がお悪いようですよ」
 などと言っているのを知っていたが、そのまま寝室へはいって、そして胸をおさえて考えてみると自身が今経験していることは非常な悲しいことであるということがわかった。なぜ自分はあの車に乗って行かなかったのだろう、もし蘇生《そせい》することがあったらあの人はどう思うだろう、見捨てて行ってしまったと恨めしく思わないだろうか、こんなことを思うと胸がせき上がってくるようで、頭も痛く、からだには発熱も感ぜられて苦しい。こうして自分も死んでしまうのであろうと思われるのである。八時ごろになっても源氏が起きぬので、女房たちは心配をしだして、朝の食事を寝室の主人へ勧めてみたが無駄《むだ》だった。源氏は苦しくて、そして生命《いのち》の危険が迫ってくるような心細さを覚えていると、宮中のお使いが来た。帝《みかど》は昨日《きのう》もお召しになった源氏を御覧になれなかったことで御心配をあそばされるのであった。左大臣家の子息たちも訪問して来たがそのうちの頭中将《とうのちゅうじょう》にだけ、
「お立ちになったままでちょっとこちらへ」
 と言わせて、源氏は招いた友と御簾《みす》を隔てて対した。
「私の乳母《めのと》の、この五月ごろから大病をしていました者が、尼になったりなどしたものですから、その効験《ききめ》でか一時|快《よ》くなっていましたが、またこのごろ悪くなりまして、生前にもう一度だけ訪問をしてくれなどと言ってきているので、小さい時から世話になった者に、最後に恨めしく思わせるのは残酷だと思って、訪問しましたところがその家の召使の男が前から病気をしていて、私のいるうちに亡《な》くなったのです。恐縮して私に隠して夜になってからそっと遺骸を外へ運び出したということを私は気がついたのです。御所では神事に関した御用の多い時期ですから、そうした穢《けが》れに触れた者は御遠慮すべきであると思って謹慎をしているのです。それに今朝方《けさがた》からなんだか風邪《かぜ》にかかったのですか、頭痛がして苦しいものですからこんなふうで失礼します」
 などと源氏は言うのであった。中将は、
「ではそのように奏上しておきましょう。昨夜も音楽のありました時に、御自身でお指図《さしず》をなさいましてあちこちとあなたをお捜させになったのですが、おいでにならなかったので、御機嫌《ごきげん》がよろしくありませんでした」
 と言って、帰ろうとしたがまた帰って来て、
「ねえ、どんな穢《けが》れにおあいになったのですか。さっきから伺ったのはどうもほんとうとは思われない」
 と、頭中将から言われた源氏ははっとした。
「今お話ししたようにこまかにではなく、ただ思いがけぬ穢れにあいましたと申し上げてください。こんなので今日は失礼します」
 素知らず顔には言っていても、心にはまた愛人の死が浮かんできて、源氏は気分も非常に悪くなった。だれの顔も見るのが物憂《ものう》かった。お使いの蔵人《くろうど》の弁《べん》を呼んで、またこまごまと頭中将に語ったような行触《ゆきぶ》れの事情を帝へ取り次いでもらった。左大臣家のほうへもそんなことで行かれぬという手紙が行ったのである。
 日が暮れてから惟光《これみつ》が来た。行触《ゆきぶ》れの件を発表したので、二条の院への来訪者は皆庭から取り次ぎをもって用事を申し入れて帰って行くので、めんどうな人はだれも源氏の居間にいなかった。惟光を見て源氏は、
「どうだった、だめだったか」
 と言うと同時に袖《そで》を顔へ当てて泣いた。惟光も泣く泣く言う、
「もう確かにお亡《かく》れになったのでございます。いつまでお置きしてもよくないことでございますから、それにちょうど明日は葬式によい日でしたから、式のことなどを私の尊敬する老僧がありまして、それとよく相談をして頼んでまいりました」
「いっしょに行った女は」
「それがまたあまりに悲しがりまして、生きていられないというふうなので、今朝《けさ》は渓《たに》へ飛び込むのでないかと心配されました。五条の家へ使いを出すというのですが、よく落ち着いてからにしなければいけないと申して、とにかく止めてまいりました」
 惟光の報告を聞いているうちに、源氏は前よりもいっそう悲しくなった。
「私も病気になったようで、死ぬのじゃないかと思う」
 と言った。
「そんなふうにまでお悲しみになるのでございますか、よろしくございません。皆運命でございます。どうかして秘密のうちに処置をしたいと思いまして、私も自身でどんなこともしているのでございますよ」
「そうだ、運命に違いない。私もそう思うが軽率《けいそつ》な恋愛|漁《あさ》りから、人を死なせてしまったという責任を感じるのだ。君の妹の少将の命婦《みょうぶ》などにも言うなよ。尼君なんかはまたいつもああいったふうのことをよくないよくないと小言《こごと》に言うほうだから、聞かれては恥ずかしくてならない」
「山の坊さんたちにもまるで話を変えてしてございます」
 と惟光が言うので源氏は安心したようである。主従がひそひそ話をしているのを見た女房などは、
「どうも不思議ですね、行触《ゆきぶ》れだとお言いになって参内もなさらないし、また何か悲しいことがあるようにあんなふうにして話していらっしゃる」
 腑《ふ》に落ちぬらしく言っていた。
「葬儀はあまり簡単な見苦しいものにしないほうがよい」
 と源氏が惟光《これみつ》に言った。
「そうでもございません。これは大層《たいそう》にいたしてよいことではございません」
 と否定してから、惟光が立って行こうとするのを見ると、急にまた源氏は悲しくなった。
「よくないことだとおまえは思うだろうが、私はもう一度|遺骸《いがい》を見たいのだ。それをしないではいつまでも憂鬱《ゆううつ》が続くように思われるから、馬ででも行こうと思うが」
 主人の望みを、とんでもない軽率なことであると思いながらも惟光は止めることができなかった。
「そんなに思召《おぼしめ》すのならしかたがございません。では早くいらっしゃいまして、夜の更《ふ》けぬうちにお帰りなさいませ」
 と惟光は言った。五条通いの変装のために作らせた狩衣《かりぎぬ》に着更《きが》えなどして源氏は出かけたのである。病苦が朝よりも加わったこともわかっていて源氏は、軽はずみにそうした所へ出かけて、そこでまたどんな危険が命をおびやかすかもしれない、やめたほうがいいのではないかとも思ったが、やはり死んだ夕顔に引かれる心が強くて、この世での顔を遺骸で見ておかなければ今後の世界でそれは見られないのであるという思いが心細さをおさえて、例の惟光と随身を従えて出た。非常に路《みち》のはかがゆかぬ気がした。十七日の月が出てきて、加茂川の河原を通るころ、前駆の者の持つ松明《たいまつ》の淡い明りに鳥辺野《とりべの》のほうが見えるというこんな不気味な景色《けしき》にも源氏の恐怖心はもう麻痺《まひ》してしまっていた。ただ悲しみに胸が掻《か》き乱されたふうで目的地に着いた。凄《すご》い気のする所である。そんな所に住居《すまい》の板屋があって、横に御堂《みどう》が続いているのである。仏前の燈明の影がほのかに戸からすいて見えた。部屋《へや》の中には一人の女の泣き声がして、その室の外と思われる所では、僧の二、三人が話しながら声を多く立てぬ念仏をしていた。近くにある東山の寺々の初夜の勤行《ごんぎょう》も終わったころで静かだった。清水《きよみず》の方角にだけ灯《ひ》がたくさんに見えて多くの参詣《さんけい》人の気配《けはい》も聞かれるのである。主人の尼の息子《むすこ》の僧が尊い声で経を読むのが聞こえてきた時に、源氏はからだじゅうの涙がことごとく流れて出る気もした。中へはいって見ると、灯をあちら向きに置いて、遺骸との間に立てた屏風《びょうぶ》のこちらに右近《うこん》は横になっていた。どんなに侘《わび》しい気のすることだろうと源氏は同情して見た。遺骸はまだ恐ろしいという気のしない物であった。美しい顔をしていて、まだ生きていた時の可憐《かれん》さと少しも変わっていなかった。
「私にもう一度、せめて声だけでも聞かせてください。どんな前生の縁だったかわずかな間の関係であったが、私はあなたに傾倒した。それだのに私をこの世に捨てて置いて、こんな悲しい目をあなたは見せる」
 もう泣き声も惜しまずはばからぬ源氏だった。僧たちもだれとはわからぬながら、死者に断ちがたい愛着を持つらしい男の出現を見て、皆涙をこぼした。源氏は右近に、
「あなたは二条の院へ来なければならない」
 と言ったのであるが、
「長い間、それは小さい時から片時もお離れしませんでお世話になりました御主人ににわかにお別れいたしまして、私は生きて帰ろうと思う所がございません。奥様がどうおなりになったかということを、どうほかの人に話ができましょう。奥様をお亡《な》くししましたほかに、私はまた皆にどう言われるかということも悲しゅうございます」
 こう言って右近は泣きやまない。
「私も奥様の煙といっしょにあの世へ参りとうございます」
「もっともだがしかし、人世とはこんなものだ。別れというものに悲しくないものはないのだ。どんなことがあっても寿命のある間には死ねないのだよ。気を静めて私を信頼してくれ」
 と言う源氏が、また、
「しかしそういう私も、この悲しみでどうなってしまうかわからない」
 と言うのであるから心細い。
「もう明け方に近いころだと思われます。早くお帰りにならなければいけません」
 惟光《これみつ》がこう促すので、源氏は顧みばかりがされて、胸も悲しみにふさがらせたまま帰途についた。露の多い路《みち》に厚い朝霧が立っていて、このままこの世でない国へ行くような寂しさが味わわれた。某院の閨《ねや》にいたままのふうで夕顔が寝ていたこと、その夜上に掛けて寝た源氏自身の紅の単衣《ひとえ》にまだ巻かれていたこと、などを思って、全体あの人と自分はどんな前生の因縁があったのであろうと、こんなことを途々《みちみち》源氏は思った。馬をはかばかしく御して行けるふうでもなかったから、惟光が横に添って行った。加茂川堤に来てとうとう源氏は落馬したのである。失心したふうで、
「家の中でもないこんな所で自分は死ぬ運命なんだろう。二条の院まではとうてい行けない気がする」
 と言った。惟光の頭も混乱状態にならざるをえない。自分が確《しか》とした人間だったら、あんなことを源氏がお言いになっても、軽率にこんな案内はしなかったはずだと思うと悲しかった。川の水で手を洗って清水《きよみず》の観音を拝みながらも、どんな処置をとるべきだろうと煩悶《はんもん》した。源氏もしいて自身を励まして、心の中で御仏《みほとけ》を念じ、そして惟光たちの助けも借りて二条の院へ行き着いた。
 毎夜続いて不規則な時間の出入りを女房たちが、
「見苦しいことですね、近ごろは平生よりもよく微行《おしのび》をなさる中でも昨日《きのう》はたいへんお加減が悪いふうだったでしょう。そんなでおありになってまたお出かけになったりなさるのですから、困ったことですね」
 こんなふうに歎息《たんそく》をしていた。
 源氏自身が予言をしたとおりに、それきり床について煩ったのである。重い容体が二、三日続いたあとはまた甚《はなはだ》しい衰弱が見えた。源氏の病気を聞こし召した帝《みかど》も非常に御心痛あそばされてあちらでもこちらでも間断なく祈祷《きとう》が行なわれた。特別な神の祭り、祓《はら》い、修法《しゅほう》などである。何にもすぐれた源氏のような人はあるいは短命で終わるのではないかといって、一天下の人がこの病気に関心を持つようにさえなった。
 病床にいながら源氏は右近を二条の院へ伴わせて、部屋《へや》なども近い所へ与えて、手もとで使う女房の一人にした。惟光《これみつ》は源氏の病の重いことに顛倒《てんとう》するほどの心配をしながら、じっとその気持ちをおさえて、馴染《なじみ》のない女房たちの中へはいった右近のたよりなさそうなのに同情してよく世話をしてやった。源氏の病の少し楽に感ぜられる時などには、右近を呼び出して居間の用などをさせていたから、右近はそのうち二条の院の生活に馴《な》れてきた。濃い色の喪服を着た右近は、容貌《ようぼう》などはよくもないが、見苦しくも思われぬ若い女房の一人と見られた。
「運命があの人に授けた短い夫婦の縁から、その片割れの私ももう長くは生きていないのだろう。長い間たよりにしてきた主人に別れたおまえが、さぞ心細いだろうと思うと、せめて私に命があれば、あの人の代わりの世話をしたいと思ったこともあったが、私もあの人のあとを追うらしいので、おまえには気の毒だね」
 と、ほかの者へは聞かせぬ声で言って、弱々しく泣く源氏を見る右近は、女主人に別れた悲しみは別として、源氏にもしまたそんなことがあれば悲しいことだろうと思った。二条の院の男女はだれも静かな心を失って主人の病を悲しんでいるのである。御所のお使いは雨の脚《あし》よりもしげく参入した。帝の御心痛が非常なものであることを聞く源氏は、もったいなくて、そのことによって病から脱しようとみずから励むようになった。左大臣も徹底的に世話をした。大臣自身が二条の院を見舞わない日もないのである。そしていろいろな医療や祈祷《きとう》をしたせいでか、二十日ほど重態だったあとに余病も起こらないで、源氏の病気は次第に回復していくように見えた。行触《ゆきぶ》れの遠慮の正規の日数もこの日で終わる夜であったから、源氏は逢《あ》いたく思召《おぼしめ》す帝《みかど》の御心中を察して、御所の宿直所《とのいどころ》にまで出かけた。退出の時は左大臣が自身の車へ乗せて邸《やしき》へ伴った。病後の人の謹慎のしかたなども大臣がきびしく監督したのである。この世界でない所へ蘇生《そせい》した人間のように当分源氏は思った。
 九月の二十日ごろに源氏はまったく回復して、痩《や》せるには痩せたがかえって艶《えん》な趣の添った源氏は、今も思いをよくして、またよく泣いた。その様子に不審を抱く人もあって、物怪《もののけ》が憑《つ》いているのであろうとも言っていた。源氏は右近を呼び出して、ひまな静かな日の夕方に話をして、
「今でも私にはわからぬ。なぜだれの娘であるということをどこまでも私に隠したのだろう。たとえどんな身分でも、私があれほどの熱情で思っていたのだから、打ち明けてくれていいわけだと思って恨めしかった」
 とも言った。
「そんなにどこまでも隠そうなどとあそばすわけはございません。そうしたお話をなさいます機会がなかったのじゃございませんか。最初があんなふうでございましたから、現実の関係のように思われないとお言いになって、それでもまじめな方ならいつまでもこのふうで進んで行くものでもないから、自分は一時的な対象にされているにすぎないのだとお言いになっては寂しがっていらっしゃいました」
 右近がこう言う。
「つまらない隠し合いをしたものだ。私の本心ではそんなにまで隠そうとは思っていなかった。ああいった関係は私に経験のないことだったから、ばかに世間がこわかったのだ。御所の御注意もあるし、そのほかいろんな所に遠慮があってね。ちょっとした恋をしても、それを大問題のように扱われるうるさい私が、あの夕顔の花の白かった日の夕方から、むやみに私の心はあの人へ惹《ひ》かれていくようになって、無理な関係を作るようになったのもしばらくしかない二人の縁だったからだと思われる。しかしまた恨めしくも思うよ。こんなに短い縁よりないのなら、あれほどにも私の心を惹いてくれなければよかったとね。まあ今でもよいから詳しく話してくれ、何も隠す必要はなかろう。七日七日に仏像を描《か》かせて寺へ納めても、名を知らないではね。それを表に出さないでも、せめて心の中でだれの菩提《ぼだい》のためにと思いたいじゃないか」
 と源氏が言った。
「お隠しなど決してしようとは思っておりません。ただ御自分のお口からお言いにならなかったことを、お亡《かく》れになってからおしゃべりするのは済まないような気がしただけでございます。御両親はずっと前にお亡《な》くなりになったのでございます。殿様は三位《さんみ》中将でいらっしゃいました。非常にかわいがっていらっしゃいまして、それにつけても御自身の不遇をもどかしく思召《おぼしめ》したでしょうが、その上寿命にも恵まれていらっしゃいませんで、お若くてお亡《な》くなりになりましたあとで、ちょっとしたことが初めで頭中将《とうのちゅうじょう》がまだ少将でいらっしったころに通っておいでになるようになったのでございます。三年間ほどは御愛情があるふうで御関係が続いていましたが、昨年の秋ごろに、あの方の奥様のお父様の右大臣の所からおどすようなことを言ってまいりましたのを、気の弱い方でございましたから、むやみに恐ろしがっておしまいになりまして、西の右京のほうに奥様の乳母《めのと》が住んでおりました家へ隠れて行っていらっしゃいましたが、その家もかなりひどい家でございましたからお困りになって、郊外へ移ろうとお思いになりましたが、今年は方角が悪いので、方角|避《よ》けにあの五条の小さい家へ行っておいでになりましたことから、あなた様がおいでになるようなことになりまして、あの家があの家でございますから侘《わび》しがっておいでになったようでございます。普通の人とはまるで違うほど内気で、物思いをしていると人から見られるだけでも恥ずかしくてならないようにお思いになりまして、どんな苦しいことも寂しいことも心に納めていらしったようでございます」
 右近のこの話で源氏は自身の想像が当たったことで満足ができたとともに、その優しい人がますます恋しく思われた。
「小さい子を一人|行方《ゆくえ》不明にしたと言って中将が憂鬱《ゆううつ》になっていたが、そんな小さい人があったのか」
 と問うてみた。
「さようでございます。一昨年の春お生まれになりました。お嬢様で、とてもおかわいらしい方でございます」
「で、その子はどこにいるの、人には私が引き取ったと知らせないようにして私にその子をくれないか。形見も何もなくて寂しくばかり思われるのだから、それが実現できたらいいね」
 源氏はこう言って、また、
「頭中将にもいずれは話をするが、あの人をああした所で死なせてしまったのが私だから、当分は恨みを言われるのがつらい。私の従兄《いとこ》の中将の子である点からいっても、私の恋人だった人の子である点からいっても、私の養女にして育てていいわけだから、その西の京の乳母にも何かほかのことにして、お嬢さんを私の所へつれて来てくれないか」
 と言った。
「そうなりましたらどんなに結構なことでございましょう。あの西の京でお育ちになってはあまりにお気の毒でございます。私ども若い者ばかりでしたから、行き届いたお世話ができないということであっちへお預けになったのでございます」
 と右近は言っていた。静かな夕方の空の色も身にしむ九月だった。庭の植え込みの草などがうら枯れて、もう虫の声もかすかにしかしなかった。そしてもう少しずつ紅葉《もみじ》の色づいた絵のような景色《けしき》を右近はながめながら、思いもよらぬ貴族の家の女房になっていることを感じた。五条の夕顔の花の咲きかかった家は思い出すだけでも恥ずかしいのである。竹の中で家鳩《いえばと》という鳥が調子はずれに鳴くのを聞いて源氏は、あの某院でこの鳥の鳴いた時に夕顔のこわがった顔が今も可憐《かれん》に思い出されてならない。
「年は幾つだったの、なんだか普通の若い人よりもずっと若いようなふうに見えたのも短命の人だったからだね」
「たしか十九におなりになったのでございましょう。私は奥様のもう一人のほうの乳母の忘れ形見でございましたので、三位《さんみ》様がかわいがってくださいまして、お嬢様といっしょに育ててくださいましたものでございます。そんなことを思いますと、あの方のお亡《な》くなりになりましたあとで、平気でよくも生きているものだと恥ずかしくなるのでございます。弱々しいあの方をただ一人のたよりになる御主人と思って右近は参りました」
「弱々しい女が私はいちばん好きだ。自分が賢くないせいか、あまり聡明《そうめい》で、人の感情に動かされないような女はいやなものだ。どうかすれば人の誘惑にもかかりそうな人でありながら、さすがに慎《つつ》ましくて恋人になった男に全生命を任せているというような人が私は好きで、おとなしいそうした人を自分の思うように教えて成長させていければよいと思う」
 源氏がこう言うと、
「そのお好みには遠いように思われません方の、お亡《かく》れになったことが残念で」
 と右近は言いながら泣いていた。空は曇って冷ややかな風が通っていた。
 寂しそうに見えた源氏は、

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見し人の煙を雲とながむれば夕《ゆふべ》の空もむつまじきかな
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 と独言《ひとりごと》のように言っていても、返しの歌は言い出されないで、右近は、こんな時に二人そろっておいでになったらという思いで胸の詰まる気がした。源氏はうるさかった砧《きぬた》の音を思い出してもその夜が恋しくて、「八月九月|正長夜《まさにながきよ》、千声万声《せんせいばんせい》無止時《やむときなし》」と歌っていた。
 今も伊予介《いよのすけ》の家の小君《こぎみ》は時々源氏の所へ行ったが、以前のように源氏から手紙を託されて来るようなことがなかった。自分の冷淡さに懲りておしまいになったのかと思って、空蝉《うつせみ》は心苦しかったが、源氏の病気をしていることを聞いた時にはさすがに歎《なげ》かれた。それに良人《おっと》の任国へ伴われる日が近づいてくるのも心細くて、自分を忘れておしまいになったかと試みる気で、
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このごろの御様子を承り、お案じ申し上げてはおりますが、それを私がどうしてお知らせすることができましょう。

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問はぬをもなどかと問はで程ふるにいかばかりかは思ひ乱るる

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苦しかるらん君よりもわれぞ益田《ますだ》のいける甲斐《かひ》なきという歌が思われます。
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 こんな手紙を書いた。
 思いがけぬあちらからの手紙を見て源氏は珍しくもうれしくも思った。この人を思う熱情も決して醒《さ》めていたのではないのである。
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生きがいがないとはだれが言いたい言葉でしょう。

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うつせみの世はうきものと知りにしをまた言の葉にかかる命よ

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はかないことです。
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 病後の慄《ふる》えの見える手で乱れ書きをした消息は美しかった。蝉《せみ》の脱殻《ぬけがら》が忘れずに歌われてあるのを、女は気の毒にも思い、うれしくも思えた。こんなふうに手紙などでは好意を見せながらも、これより深い交渉に進もうという意思は空蝉になかった。理解のある優しい女であったという思い出だけは源氏の心に留めておきたいと願っているのである。もう一人の女は蔵人《くろうど》少将と結婚したという噂《うわさ》を源氏は聞いた。それはおかしい、処女でない新妻を少将はどう思うだろうと、その良人《おっと》に同情もされたし、またあの空蝉の継娘《ままむすめ》はどんな気持ちでいるのだろうと、それも知りたさに小君を使いにして手紙を送った。
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死ぬほど煩悶《はんもん》している私の心はわかりますか。

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ほのかにも軒ばの荻《をぎ》をむすばずば露のかごとを何にかけまし
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 その手紙を枝の長い荻《おぎ》につけて、そっと見せるようにとは言ったが、源氏の内心では粗相《そそう》して少将に見つかった時、妻の以前の情人の自分であることを知ったら、その人の気持ちは慰められるであろうという高ぶった考えもあった。しかし小君は少将の来ていないひまをみて手紙の添った荻の枝を女に見せたのである。恨めしい人ではあるが自分を思い出して情人らしい手紙を送って来た点では憎くも女は思わなかった。悪い歌でも早いのが取柄《とりえ》であろうと書いて小君に返事を渡した。

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ほのめかす風につけても下荻《したをぎ》の半《なかば》は霜にむすぼほれつつ
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 下手《へた》であるのを洒落《しゃ》れた書き方で紛らしてある字の品の悪いものだった。灯《ひ》の前にいた夜の顔も連想《れんそう》されるのである。碁盤を中にして慎み深く向かい合ったほうの人の姿態にはどんなに悪い顔だちであるにもせよ、それによって男の恋の減じるものでないよさがあった。一方は何の深味もなく、自身の若い容貌《ようぼう》に誇ったふうだったと源氏は思い出して、やはりそれにも心の惹《ひ》かれるのを覚えた。まだ軒端の荻との情事は清算されたものではなさそうである。
 源氏は夕顔の四十九日の法要をそっと叡山《えいざん》の法華堂《ほっけどう》で行なわせることにした。それはかなり大層なもので、上流の家の法会《ほうえ》としてあるべきものは皆用意させたのである。寺へ納める故人の服も新調したし寄進のものも大きかった。書写の経巻にも、新しい仏像の装飾にも費用は惜しまれてなかった。惟光《これみつ》の兄の阿闍梨《あじゃり》は人格者だといわれている僧で、その人が皆引き受けてしたのである。源氏の詩文の師をしている親しい某|文章博士《もんじょうはかせ》を呼んで源氏は故人を仏に頼む願文《がんもん》を書かせた。普通の例と違って故人の名は現わさずに、死んだ愛人を阿弥陀仏《あみだぶつ》にお託しするという意味を、愛のこもった文章で下書きをして源氏は見せた。
「このままで結構でございます。これに筆を入れるところはございません」
 博士はこう言った。激情はおさえているがやはり源氏の目からは涙がこぼれ落ちて堪えがたいように見えた。その博士は、
「何という人なのだろう、そんな方のお亡《な》くなりになったことなど話も聞かないほどの人だのに、源氏の君があんなに悲しまれるほど愛されていた人というのはよほど運のいい人だ」
 とのちに言った。作らせた故人の衣裳《いしょう》を源氏は取り寄せて、袴《はかま》の腰に、

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泣く泣くも今日《けふ》はわが結《ゆ》ふ下紐《したひも》をいづれの世にか解けて見るべき
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 と書いた。四十九日の間はなおこの世界にさまよっているという霊魂は、支配者によって未来のどの道へ赴《おもむ》かせられるのであろうと、こんなことをいろいろと想像しながら般若心経《はんにゃしんぎょう》の章句を唱えることばかりを源氏はしていた。頭中将に逢《あ》うといつも胸騒ぎがして、あの故人が撫子《なでしこ》にたとえたという子供の近ごろの様子などを知らせてやりたく思ったが、恋人を死なせた恨みを聞くのがつらくて打ちいでにくかった。
 あの五条の家では女主人の行くえが知れないのを捜す方法もなかった。右近《うこん》までもそれきり便《たよ》りをして来ないことを不思議に思いながら絶えず心配をしていた。確かなことではないが通って来る人は源氏の君ではないかといわれていたことから、惟光になんらかの消息を得ようともしたが、まったく知らぬふうで、続いて今も女房の所へ恋の手紙が送られるのであったから、人々は絶望を感じて、主人を奪われたことを夢のようにばかり思った。あるいは地方官の息子《むすこ》などの好色男が、頭中将を恐れて、身の上を隠したままで父の任地へでも伴って行ってしまったのではないかとついにはこんな想像をするようになった。この家の持ち主は西の京の乳母《めのと》の娘だった。乳母の娘は三人で、右近だけが他人であったから便りを聞かせる親切がないのだと恨んで、そして皆夫人を恋しがった。右近のほうでは夫人を頓死《とんし》させた責任者のように言われるのをつらくも思っていたし、源氏も今になって故人の情人が自分であった秘密を人に知らせたくないと思うふうであったから、そんなことで小さいお嬢さんの消息も聞けないままになって不本意な月日が両方の間にたっていった。
 源氏はせめて夢にでも夕顔を見たいと、長く願っていたが比叡《ひえい》で法事をした次の晩、ほのかではあったが、やはりその人のいた場所は某《それがし》の院で、源氏が枕《まくら》もとにすわった姿を見た女もそこに添った夢を見た。このことで、荒廃した家などに住む妖怪《あやかし》が、美しい源氏に恋をしたがために、愛人を取り殺したのであると不思議が解決されたのである。源氏は自身もずいぶん危険だったことを知って恐ろしかった。
 伊予介《いよのすけ》が十月の初めに四国へ立つことになった。細君をつれて行くことになっていたから、普通の場合よりも多くの餞別《せんべつ》品が源氏から贈られた。またそのほかにも秘密な贈り物があった。ついでに空蝉《うつせみ》の脱殻《ぬけがら》と言った夏の薄衣《うすもの》も返してやった。

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逢《あ》ふまでの形見ばかりと見しほどにひたすら袖《そで》の朽ちにけるかな
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 細々《こまごま》しい手紙の内容は省略する。贈り物の使いは帰ってしまったが、そのあとで空蝉は小君《こぎみ》を使いにして小袿《こうちぎ》の返歌だけをした。

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蝉の羽もたち変へてける夏ごろもかへすを見ても音《ね》は泣かれけり
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 源氏は空蝉を思うと、普通の女性のとりえない態度をとり続けた女ともこれで別れてしまうのだと歎《なげ》かれて、運命の冷たさというようなものが感ぜられた。
 今日《きょう》から冬の季にはいる日は、いかにもそれらしく、時雨《しぐれ》がこぼれたりして、空の色も身に沁《し》んだ。終日源氏は物思いをしていて、

[#ここから2字下げ]
過ぎにしも今日別るるも二みちに行く方《かた》知らぬ秋の暮《くれ》かな
[#ここで字下げ終わり]

 などと思っていた。秘密な恋をする者の苦しさが源氏にわかったであろうと思われる。
 こうした空蝉とか夕顔とかいうようなはなやかでない女と源氏のした恋の話は、源氏自身が非常に隠していたことがあるからと思って、最初は書かなかったのであるが、帝王の子だからといって、その恋人までが皆完全に近い女性で、いいことばかりが書かれているではないかといって、仮作したもののように言う人があったから、これらを補って書いた。なんだか源氏に済まない気がする。

夕顔 版本说明

底本:「全訳源氏物語 上巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年8月10日改版初版発行
   1994(平成6)年12月20日56版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月5日71版を使用しました。
入力:上田英代
校正:小林繁雄、鈴木厚司
2003年4月20日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

05 若紫

[#地から3字上げ]春の野のうらわか草に親しみていとお
[#地から3字上げ]ほどかに恋もなりぬる   (晶子)

 源氏は瘧病《わらわやみ》にかかっていた。いろいろとまじないもし、僧の加持《かじ》も受けていたが効験《ききめ》がなくて、この病の特徴で発作的にたびたび起こってくるのをある人が、
「北山の某《なにがし》という寺に非常に上手《じょうず》な修験僧《しゅげんそう》がおります、去年の夏この病気がはやりました時など、まじないも効果《ききめ》がなく困っていた人がずいぶん救われました。病気をこじらせますと癒《なお》りにくくなりますから、早くためしてごらんになったらいいでしょう」
 こんなことを言って勧めたので、源氏はその山から修験者を自邸へ招こうとした。
「老体になっておりまして、岩窟《がんくつ》を一歩出ることもむずかしいのですから」
 僧の返辞《へんじ》はこんなだった。
「それではしかたがない、そっと微行《しのび》で行ってみよう」
 こう言っていた源氏は、親しい家司《けいし》四、五人だけを伴って、夜明けに京を立って出かけたのである。郊外のやや遠い山である。これは三月の三十日だった。京の桜はもう散っていたが、途中の花はまだ盛りで、山路を進んで行くにしたがって渓々《たにだに》をこめた霞《かすみ》にも都の霞にない美があった。窮屈《きゅうくつ》な境遇の源氏はこうした山歩きの経験がなくて、何事も皆珍しくおもしろく思われた。修験僧の寺は身にしむような清さがあって、高い峰を負った巌窟《いわや》の中に聖人《しょうにん》ははいっていた。
 源氏は自身のだれであるかを言わず、服装をはじめ思い切って簡単にして来ているのであるが、迎えた僧は言った。
「あ、もったいない、先日お召しになりました方様でいらっしゃいましょう。もう私はこの世界のことは考えないものですから、修験の術も忘れておりますのに、どうしてまあわざわざおいでくだすったのでしょう」
 驚きながらも笑《えみ》を含んで源氏を見ていた。非常に偉い僧なのである。源氏を形どった物を作って、瘧病《わらわやみ》をそれに移す祈祷《きとう》をした。加持《かじ》などをしている時分にはもう日が高く上っていた。
 源氏はその寺を出て少しの散歩を試みた。その辺をながめると、ここは高い所であったから、そこここに構えられた多くの僧坊が見渡されるのである。螺旋《らせん》状になった路《みち》のついたこの峰のすぐ下に、それもほかの僧坊と同じ小柴垣《こしばがき》ではあるが、目だってきれいに廻《めぐ》らされていて、よい座敷風の建物と廊とが優美に組み立てられ、庭の作りようなどもきわめて凝《こ》った一構えがあった。
「あれはだれの住んでいる所なのかね」
 と源氏が問うた。
「これが、某|僧都《そうず》がもう二年ほど引きこもっておられる坊でございます」
「そうか、あのりっぱな僧都、あの人の家なんだね。あの人に知れてはきまりが悪いね、こんな体裁で来ていて」
 などと、源氏は言った。美しい侍童などがたくさん庭へ出て来て仏の閼伽棚《あかだな》に水を盛ったり花を供えたりしているのもよく見えた。
「あすこの家に女がおりますよ。あの僧都がよもや隠し妻を置いてはいらっしゃらないでしょうが、いったい何者でしょう」
 こんなことを従者が言った。崖《がけ》を少しおりて行ってのぞく人もある。美しい女の子や若い女房やら召使の童女やらが見えると言った。
 源氏は寺へ帰って仏前の勤めをしながら昼になるともう発作《ほっさ》が起こるころであるがと不安だった。
「気をお紛《まぎ》らしになって、病気のことをお思いにならないのがいちばんよろしゅうございますよ」
 などと人が言うので、後ろのほうの山へ出て今度は京のほうをながめた。ずっと遠くまで霞《かす》んでいて、山の近い木立ちなどは淡く煙って見えた。
「絵によく似ている。こんな所に住めば人間の穢《きたな》い感情などは起こしようがないだろう」
 と源氏が言うと、
「この山などはまだ浅いものでございます。地方の海岸の風景や山の景色《けしき》をお目にかけましたら、その自然からお得《え》になるところがあって、絵がずいぶん御上達なさいますでしょうと思います。富士、それから何々山」
 こんな話をする者があった。また西のほうの国々のすぐれた風景を言って、浦々の名をたくさん並べ立てる者もあったりして、だれも皆病への関心から源氏を放そうと努めているのである。
「近い所では播磨《はりま》の明石《あかし》の浦がよろしゅうございます。特別に変わったよさはありませんが、ただそこから海のほうをながめた景色はどこよりもよく纏《まとま》っております。前《さきの》播磨守入道が大事な娘を住ませてある家はたいしたものでございます。二代ほど前は大臣だった家筋で、もっと出世すべきはずの人なんですが、変わり者で仲間の交際なんかをもきらって近衛《このえ》の中将を捨てて自分から願って出てなった播磨守なんですが、国の者に反抗されたりして、こんな不名誉なことになっては京へ帰れないと言って、その時に入道した人ですが、坊様になったのなら坊様らしく、深い山のほうへでも行って住めばよさそうなものですが、名所の明石の浦などに邸宅を構えております。播磨にはずいぶん坊様に似合った山なんかが多いのですがね、変わり者をてらってそうするかというとそれにも訳はあるのです。若い妻子が寂しがるだろうという思いやりなのです。そんな意味でずいぶん贅沢《ぜいたく》に住居《すまい》なども作ってございます。先日父の所へまいりました節、どんなふうにしているかも見たいので寄ってみました。京にいますうちは不遇なようでしたが、今の住居などはすばらしいもので、何といっても地方長官をしていますうちに財産ができていたのですから、生涯《しょうがい》の生活に事を欠かない準備は十分にしておいて、そして一方では仏弟子《ぶつでし》として感心に修行も積んでいるようです。あの人だけは入道してから真価が現われた人のように見受けます」
「その娘というのはどんな娘」
「まず無難な人らしゅうございます。あのあとの代々の長官が特に敬意を表して求婚するのですが、入道は決して承知いたしません。自分の一生は不遇だったのだから、娘の未来だけはこうありたいという理想を持っている。自分が死んで実現が困難になり、自分の希望しない結婚でもしなければならなくなった時には、海へ身を投げてしまえと遺言をしているそうです」
 源氏はこの話の播磨の海べの変わり者の入道の娘がおもしろく思えた。
「竜宮《りゅうぐう》の王様のお后《きさき》になるんだね。自尊心の強いったらないね。困り者だ」
 などと冷評する者があって人々は笑っていた。話をした良清《よしきよ》は現在の播磨守の息子《むすこ》で、さきには六位の蔵人《くろうど》をしていたが、位が一階上がって役から離れた男である。ほかの者は、
「好色な男なのだから、その入道の遺言を破りうる自信を持っているのだろう。それでよく訪問に行ったりするのだよ」
 とも言っていた。
「でもどうかね、どんなに美しい娘だといわれていても、やはり田舎者《いなかもの》らしかろうよ。小さい時からそんな所に育つし、頑固《がんこ》な親に教育されているのだから」
 こんなことも言う。
「しかし母親はりっぱなのだろう。若い女房や童女など、京のよい家にいた人などを何かの縁故からたくさん呼んだりして、たいそうなことを娘のためにしているらしいから、それでただの田舎娘ができ上がったら満足していられないわけだから、私などは娘も相当な価値のある女だろうと思うね」
 だれかが言う。源氏は、
「なぜお后にしなければならないのだろうね。それでなければ自殺させるという凝り固まりでは、ほかから見てもよい気持ちはしないだろうと思う」
 などと言いながらも、好奇心が動かないようでもなさそうである。平凡でないことに興味を持つ性質を知っている家司《けいし》たちは源氏の心持ちをそう観察していた。
「もう暮れに近うなっておりますが、今日《きょう》は御病気が起こらないで済むのでございましょう。もう京へお帰りになりましたら」
 と従者は言ったが、寺では聖人が、
「もう一晩静かに私に加持をおさせになってからお帰りになるのがよろしゅうございます」
 と言った。だれも皆この説に賛成した。源氏も旅で寝ることははじめてなのでうれしくて、
「では帰りは明日に延ばそう」
 こう言っていた。山の春の日はことに長くてつれづれでもあったから、夕方になって、この山が淡霞《うすがすみ》に包まれてしまった時刻に、午前にながめた小柴垣《こしばがき》の所へまで源氏は行って見た。ほかの従者は寺へ帰して惟光《これみつ》だけを供につれて、その山荘をのぞくとこの垣根のすぐ前になっている西向きの座敷に持仏《じぶつ》を置いてお勤めをする尼がいた。簾《すだれ》を少し上げて、その時に仏前へ花が供えられた。室の中央の柱に近くすわって、脇息《きょうそく》の上に経巻を置いて、病苦のあるふうでそれを読む尼はただの尼とは見えない。四十ぐらいで、色は非常に白くて上品に痩《や》せてはいるが頬《ほお》のあたりはふっくりとして、目つきの美しいのとともに、短く切り捨ててある髪の裾《すそ》のそろったのが、かえって長い髪よりも艶《えん》なものであるという感じを与えた。きれいな中年の女房が二人いて、そのほかにこの座敷を出たりはいったりして遊んでいる女の子供が幾人かあった。その中に十歳《とお》ぐらいに見えて、白の上に淡黄《うすき》の柔らかい着物を重ねて向こうから走って来た子は、さっきから何人も見た子供とはいっしょに言うことのできない麗質を備えていた。将来はどんな美しい人になるだろうと思われるところがあって、肩の垂《た》れ髪の裾が扇をひろげたようにたくさんでゆらゆらとしていた。顔は泣いたあとのようで、手でこすって赤くなっている。尼さんの横へ来て立つと、
「どうしたの、童女たちのことで憤《おこ》っているの」
 こう言って見上げた顔と少し似たところがあるので、この人の子なのであろうと源氏は思った。
「雀《すずめ》の子を犬君《いぬき》が逃がしてしまいましたの、伏籠《ふせご》の中に置いて逃げないようにしてあったのに」
 たいへん残念そうである。そばにいた中年の女が、
「またいつもの粗相《そそう》やさんがそんなことをしてお嬢様にしかられるのですね、困った人ですね。雀はどちらのほうへ参りました。だいぶ馴《な》れてきてかわゆうございましたのに、外へ出ては山の鳥に見つかってどんな目にあわされますか」
 と言いながら立って行った。髪のゆらゆらと動く後ろ姿も感じのよい女である。少納言《しょうなごん》の乳母《めのと》と他の人が言っているから、この美しい子供の世話役なのであろう。
「あなたはまあいつまでも子供らしくて困った方ね。私の命がもう今日《きょう》明日《あす》かと思われるのに、それは何とも思わないで、雀のほうが惜しいのだね。雀を籠《かご》に入れておいたりすることは仏様のお喜びにならないことだと私はいつも言っているのに」
 と尼君は言って、また、
「ここへ」
 と言うと美しい子は下へすわった。顔つきが非常にかわいくて、眉《まゆ》のほのかに伸びたところ、子供らしく自然に髪が横撫《よこな》でになっている額にも髪の性質にも、すぐれた美がひそんでいると見えた。大人《おとな》になった時を想像してすばらしい佳人の姿も源氏の君は目に描いてみた。なぜこんなに自分の目がこの子に引き寄せられるのか、それは恋しい藤壺《ふじつぼ》の宮によく似ているからであると気がついた刹那《せつな》にも、その人への思慕の涙が熱く頬《ほお》を伝わった。尼君は女の子の髪をなでながら、
「梳《す》かせるのもうるさがるけれどよい髪だね。あなたがこんなふうにあまり子供らしいことで私は心配している。あなたの年になればもうこんなふうでない人もあるのに、亡《な》くなったお姫さんは十二でお父様に別れたのだけれど、もうその時には悲しみも何もよくわかる人になっていましたよ。私が死んでしまったあとであなたはどうなるのだろう」
 あまりに泣くので隙見《すきみ》をしている源氏までも悲しくなった。子供心にもさすがにじっとしばらく尼君の顔をながめ入って、それからうつむいた。その時に額からこぼれかかった髪がつやつやと美しく見えた。

[#ここから2字下げ]
生《お》ひ立たんありかも知らぬ若草をおくらす露ぞ消えんそらなき
[#ここで字下げ終わり]

 一人の中年の女房が感動したふうで泣きながら、

[#ここから2字下げ]
初草の生ひ行く末も知らぬまにいかでか露の消えんとすらん
[#ここで字下げ終わり]

 と言った。この時に僧都《そうず》が向こうの座敷のほうから来た。
「この座敷はあまり開《あ》けひろげ過ぎています。今日に限ってこんなに端のほうにおいでになったのですね。山の上の聖人の所へ源氏の中将が瘧病《わらわやみ》のまじないにおいでになったという話を私は今はじめて聞いたのです。ずいぶん微行でいらっしゃったので私は知らないで、同じ山にいながら今まで伺候もしませんでした」
 と僧都は言った。
「たいへん、こんな所をだれか御一行の人がのぞいたかもしれない」
 尼君のこう言うのが聞こえて御簾《みす》はおろされた。
「世間で評判の源氏の君のお顔を、こんな機会に見せていただいたらどうですか、人間生活と絶縁している私らのような僧でも、あの方のお顔を拝見すると、世の中の歎《なげ》かわしいことなどは皆忘れることができて、長生きのできる気のするほどの美貌《びぼう》ですよ。私はこれからまず手紙で御挨拶《ごあいさつ》をすることにしましょう」
 僧都がこの座敷を出て行く気配《けはい》がするので源氏も山上の寺へ帰った。源氏は思った。自分は可憐な人を発見することができた、だから自分といっしょに来ている若い連中は旅というものをしたがるのである、そこで意外な収穫を得るのだ、たまさかに京を出て来ただけでもこんな思いがけないことがあると、それで源氏はうれしかった。それにしても美しい子である、どんな身分の人なのであろう、あの子を手もとに迎えて逢《あ》いがたい人の恋しさが慰められるものならぜひそうしたいと源氏は深く思ったのである。
 寺で皆が寝床についていると、僧都の弟子《でし》が訪問して来て、惟光《これみつ》に逢いたいと申し入れた。狭い場所であったから惟光へ言う事が源氏にもよく聞こえた。
「手前どもの坊の奥の寺へおいでになりましたことを人が申しますのでただ今承知いたしました。すぐに伺うべきでございますが、私がこの山におりますことを御承知のあなた様が素通りをあそばしたのは、何かお気に入らないことがあるかと御遠慮をする心もございます。御宿泊の設けも行き届きませんでも当坊でさせていただきたいものでございます」
 と言うのが使いの伝える僧都の挨拶だった。
「今月の十幾日ごろから私は瘧病《わらわやみ》にかかっておりましたが、たびたびの発作で堪えられなくなりまして、人の勧めどおりに山へ参ってみましたが、もし効験《ききめ》が見えませんでした時には一人の僧の不名誉になることですから、隠れて来ておりました。そちらへも後刻伺うつもりです」
 と源氏は惟光に言わせた。それから間もなく僧都が訪問して来た。尊敬される人格者で、僧ではあるが貴族出のこの人に軽い旅装で逢うことを源氏はきまり悪く思った。二年越しの山籠《やまごも》りの生活を僧都は語ってから、
「僧の家というものはどうせ皆寂しい貧弱なものですが、ここよりは少しきれいな水の流れなども庭にはできておりますから、お目にかけたいと思うのです」
 僧都は源氏の来宿を乞《こ》うてやまなかった。源氏を知らないあの女の人たちにたいそうな顔の吹聴《ふいちょう》などをされていたことを思うと、しりごみもされるのであるが、心を惹《ひ》いた少女のことも詳しく知りたいと思って源氏は僧都の坊へ移って行った。主人の言葉どおりに庭の作り一つをいってもここは優美な山荘であった、月はないころであったから、流れのほとりに篝《かがり》を焚《た》かせ、燈籠《とうろう》を吊《つ》らせなどしてある。南向きの室を美しく装飾して源氏の寝室ができていた。奥の座敷から洩《も》れてくる薫香《くんこう》のにおいと仏前に焚かれる名香の香が入り混じって漂っている山荘に、新しく源氏の追い風が加わったこの夜を女たちも晴れがましく思った。
 僧都は人世の無常さと来世の頼もしさを源氏に説いて聞かせた。源氏は自身の罪の恐ろしさが自覚され、来世で受ける罰の大きさを思うと、そうした常ない人生から遠ざかったこんな生活に自分もはいってしまいたいなどと思いながらも、夕方に見た小さい貴女《きじょ》が心にかかって恋しい源氏であった。
「ここへ来ていらっしゃるのはどなたなんですか、その方たちと自分とが因縁のあるというような夢を私は前に見たのですが、なんだか今日こちらへ伺って謎《なぞ》の糸口を得た気がします」
 と源氏が言うと、
「突然な夢のお話ですね。それがだれであるかをお聞きになっても興がおさめになるだけでございましょう。前の按察使《あぜち》大納言はもうずっと早く亡《な》くなったのでございますからご存じはありますまい。その夫人が私の姉です。未亡人になってから尼になりまして、それがこのごろ病気なものですから、私が山にこもったきりになっているので心細がってこちらへ来ているのです」
 僧都の答えはこうだった。
「その大納言にお嬢さんがおありになるということでしたが、それはどうなすったのですか。私は好色から伺うのじゃありません、まじめにお尋ね申し上げるのです」
 少女は大納言の遺子であろうと想像して源氏が言うと、
「ただ一人娘がございました。亡くなりましてもう十年余りになりますでしょうか、大納言は宮中へ入れたいように申して、非常に大事にして育てていたのですがそのままで死にますし、未亡人が一人で育てていますうちに、だれがお手引きをしたのか兵部卿《ひょうぶきょう》の宮が通っていらっしゃるようになりまして、それを宮の御本妻はなかなか権力のある夫人で、やかましくお言いになって、私の姪《めい》はそんなことからいろいろ苦労が多くて、物思いばかりをしたあげく亡くなりました。物思いで病気が出るものであることを私は姪を見てよくわかりました」
 などと僧都は語った。それではあの少女は昔の按察使大納言の姫君と兵部卿の宮の間にできた子であるに違いないと源氏は悟ったのである。藤壺の宮の兄君の子であるがためにその人に似ているのであろうと思うといっそう心の惹《ひ》かれるのを覚えた。身分のきわめてよいのがうれしい、愛する者を信じようとせずに疑いの多い女でなく、無邪気な子供を、自分が未来の妻として教養を与えていくことは楽しいことであろう、それを直ちに実行したいという心に源氏はなった。
「お気の毒なお話ですね。その方には忘れ形見がなかったのですか」
 なお明確に少女のだれであるかを知ろうとして源氏は言うのである。
「亡くなりますころに生まれました。それも女です。その子供が姉の信仰生活を静かにさせません。姉は年を取ってから一人の孫娘の将来ばかりを心配して暮らしております」
 聞いている話に、夕方見た尼君の涙を源氏は思い合わせた。
「妙なことを言い出すようですが、私にその小さいお嬢さんを、託していただけないかとお話ししてくださいませんか。私は妻について一つの理想がありまして、ただ今結婚はしていますが、普通の夫婦生活なるものは私に重荷に思えまして、まあ独身もののような暮らし方ばかりをしているのです。まだ年がつり合わぬなどと常識的に判断をなすって、失礼な申し出だと思召《おぼしめ》すでしょうか」
 と源氏は言った。
「それは非常に結構なことでございますが、まだまだとても幼稚なものでございますから、仮にもお手もとへなど迎えていただけるものではありません。まあ女というものは良人《おっと》のよい指導を得て一人前になるものなのですから、あながち早過ぎるお話とも何とも私は申されません。子供の祖母と相談をいたしましてお返辞をするといたしましょう」
 こんなふうにてきぱき言う人が僧形《そうぎょう》の厳《いか》めしい人であるだけ、若い源氏には恥ずかしくて、望んでいることをなお続けて言うことができなかった。
「阿弥陀《あみだ》様がいらっしゃる堂で用事のある時刻になりました。初夜の勤めがまだしてございません。済ませましてまた」
 こう言って僧都は御堂《みどう》のほうへ行った。
 病後の源氏は気分もすぐれなかった。雨がすこし降り冷ややかな山風が吹いてそのころから滝の音も強くなったように聞かれた。そしてやや眠そうな読経《どきょう》の声が絶え絶えに響いてくる、こうした山の夜はどんな人にも物悲しく寂しいものであるが、まして源氏はいろいろな思いに悩んでいて、眠ることはできないのであった。初夜だと言ったが実際はその時刻よりも更《ふ》けていた。奥のほうの室にいる人たちも起きたままでいるのが気配《けはい》で知れていた。静かにしようと気を配っているらしいが、数珠《じゅず》が脇息《きょうそく》に触れて鳴る音などがして、女の起居《たちい》の衣摺《きぬず》れもほのかになつかしい音に耳へ通ってくる。貴族的なよい感じである。
 源氏はすぐ隣の室でもあったからこの座敷の奥に立ててある二つの屏風《びょうぶ》の合わせ目を少し引きあけて、人を呼ぶために扇を鳴らした。先方は意外に思ったらしいが、無視しているように思わせたくないと思って、一人の女が膝行《いざり》寄って来た。襖子《からかみ》から少し遠いところで、
「不思議なこと、聞き違えかしら」
 と言うのを聞いて、源氏が、
「仏の導いてくださる道は暗いところもまちがいなく行きうるというのですから」
 という声の若々しい品のよさに、奥の女は答えることもできない気はしたが、
「何のお導きでございましょう、こちらでは何もわかっておりませんが」
 と言った。
「突然ものを言いかけて、失敬だとお思いになるのはごもっともですが、

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初草の若葉の上を見つるより旅寝の袖《そで》も露ぞ乾《かわ》かぬ
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 と申し上げてくださいませんか」
「そのようなお言葉を頂戴《ちょうだい》あそばす方がいらっしゃらないことはご存じのようですが、どなたに」
「そう申し上げるわけがあるのだとお思いになってください」
 源氏がこう言うので、女房は奥へ行ってそう言った。
 まあ艶《えん》な方らしい御挨拶である、女王《にょおう》さんがもう少し大人になっているように、お客様は勘違いをしていられるのではないか、それにしても若草にたとえた言葉がどうして源氏の耳にはいったのであろうと思って、尼君は多少不安な気もするのである。しかし返歌のおそくなることだけは見苦しいと思って、

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「枕《まくら》結《ゆ》ふ今宵《こよひ》ばかりの露けさを深山《みやま》の苔《こけ》にくらべざらなん
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 とてもかわく間などはございませんのに」
 と返辞をさせた。
「こんなお取り次ぎによっての会談は私に経験のないことです。失礼ですが、今夜こちらで御厄介《ごやっかい》になりましたのを機会にまじめに御相談のしたいことがございます」
 と源氏が言う。
「何をまちがえて聞いていらっしゃるのだろう。源氏の君にものを言うような晴れがましいこと、私には何もお返辞なんかできるものではない」
 尼君はこう言っていた。
「それでも冷淡なお扱いをするとお思いになるでございましょうから」
 と言って、人々は尼君の出るのを勧めた。
「そうだね、若い人こそ困るだろうが私など、まあよい。丁寧に言っていらっしゃるのだから」
 尼君は出て行った。
「出来心的な軽率な相談を持ちかける者だとお思いになるのがかえって当然なような、こんな時に申し上げるのは私のために不利なんですが、誠意をもってお話しいたそうとしておりますことは仏様がご存じでしょう」
 と源氏は言ったが、相当な年配の貴女が静かに前にいることを思うと急に希望の件が持ち出されないのである。
「思いがけぬ所で、お泊まり合わせになりました。あなた様から御相談を承りますのを前生《ぜんしょう》に根を置いていないこととどうして思えましょう」
 と尼君は言った。
「お母様をお亡《な》くしになりましたお気の毒な女王さんを、お母様の代わりとして私へお預けくださいませんでしょうか。私も早く母や祖母に別れたものですから、私もじっと落ち着いた気持ちもなく今日に至りました。女王さんも同じような御境遇なんですから、私たちが将来結婚することを今から許して置いていただきたいと、私はこんなことを前から御相談したかったので、今は悪くおとりになるかもしれない時である、折《お》りがよろしくないと思いながら申し上げてみます」
「それは非常にうれしいお話でございますが、何か話をまちがえて聞いておいでになるのではないかと思いますと、どうお返辞を申し上げてよいかに迷います。私のような者一人をたよりにしております子供が一人おりますが、まだごく幼稚なもので、どんなに寛大なお心ででも、将来の奥様にお擬しになることは無理でございますから、私のほうで御相談に乗せていただきようもございません」
 と尼君は言うのである。
「私は何もかも存じております。そんな年齢の差などはお考えにならずに、私がどれほどそうなるのを望むかという熱心の度を御覧ください」
 源氏がこんなに言っても、尼君のほうでは女王の幼齢なことを知らないでいるのだと思う先入見があって源氏の希望を問題にしようとはしない。僧都《そうず》が源氏の部屋《へや》のほうへ来るらしいのを機会に、
「まあよろしいです。御相談にもう取りかかったのですから、私は実現を期します」
 と言って、源氏は屏風《びょうぶ》をもとのように直して去った。もう明け方になっていた。法華《ほっけ》の三昧《ざんまい》を行なう堂の尊い懺法《せんぽう》の声が山おろしの音に混じり、滝がそれらと和する響きを作っているのである。

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吹き迷ふ深山《みやま》おろしに夢さめて涙催す滝の音かな
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 これは源氏の作。

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「さしぐみに袖|濡《ぬ》らしける山水にすめる心は騒ぎやはする
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 もう馴《な》れ切ったものですよ」
 と僧都は答えた。
 夜明けの空は十二分に霞んで、山の鳥声がどこで啼《な》くとなしに多く聞こえてきた。都人《みやこびと》には名のわかりにくい木や草の花が多く咲き多く地に散っていた。こんな深山の錦《にしき》の上へ鹿《しか》が出て来たりするのも珍しいながめで、源氏は病苦からまったく解放されたのである。聖人は動くことも容易でない老体であったが、源氏のために僧都の坊へ来て護身の法を行なったりしていた。嗄々《かれがれ》な所々が消えるような声で経を読んでいるのが身にしみもし、尊くも思われた。経は陀羅尼《だらに》である。
 京から源氏の迎えの一行が山へ着いて、病気の全快された喜びが述べられ、御所のお使いも来た。僧都は珍客のためによい菓子を種々《くさぐさ》作らせ、渓間《たにま》へまでも珍しい料理の材料を求めに人を出して饗応《きょうおう》に骨を折った。
「まだ今年じゅうは山籠《やまごも》りのお誓いがしてあって、お帰りの際に京までお送りしたいのができませんから、かえって御訪問が恨めしく思われるかもしれません」
 などと言いながら僧都は源氏に酒をすすめた。
「山の風景に十分愛着を感じているのですが、陛下に御心配をおかけ申すのももったいないことですから、またもう一度、この花の咲いているうちに参りましょう、

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宮人に行きて語らん山ざくら風よりさきに来ても見るべく」
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 歌の発声も態度もみごとな源氏であった。僧都が、

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優曇華《うどんげ》の花まち得たるここちして深山《みやま》桜に目こそ移らね
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 と言うと源氏は微笑しながら、
「長い間にまれに一度咲くという花は御覧になることが困難でしょう。私とは違います」
 と言っていた。巌窟《がんくつ》の聖人《しょうにん》は酒杯を得て、

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奥山の松の戸ぼそを稀《まれ》に開《あ》けてまだ見ぬ花の顔を見るかな
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 と言って泣きながら源氏をながめていた。聖人は源氏を護《まも》る法のこめられてある独鈷《どっこ》を献上した。それを見て僧都は聖徳太子が百済《くだら》の国からお得になった金剛子《こんごうし》の数珠《じゅず》に宝玉の飾りのついたのを、その当時のいかにも日本の物らしくない箱に入れたままで薄物の袋に包んだのを五葉の木の枝につけた物と、紺瑠璃《こんるり》などの宝石の壺《つぼ》へ薬を詰めた幾個かを藤《ふじ》や桜の枝につけた物と、山寺の僧都の贈り物らしい物を出した。源氏は巌窟の聖人をはじめとして、上の寺で経を読んだ僧たちへの布施の品々、料理の詰め合わせなどを京へ取りにやってあったので、それらが届いた時、山の仕事をする下級労働者までが皆相当な贈り物を受けたのである。なお僧都の堂で誦経《ずきょう》をしてもらうための寄進もして、山を源氏の立って行く前に、僧都は姉の所に行って源氏から頼まれた話を取り次ぎしたが、
「今のところでは何ともお返辞の申しようがありません。御縁がもしありましたならもう四、五年して改めておっしゃってくだすったら」
 と尼君は言うだけだった。源氏は前夜聞いたのと同じような返辞を僧都から伝えられて自身の気持ちの理解されないことを歎《なげ》いた。手紙を僧都の召使の小童に持たせてやった。

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夕まぐれほのかに花の色を見て今朝《けさ》は霞の立ちぞわづらふ
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 という歌である。返歌は、

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まことにや花のほとりは立ち憂《う》きと霞《かす》むる空のけしきをも見ん
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 こうだった。貴女《きじょ》らしい品のよい手で飾りけなしに書いてあった。
 ちょうど源氏が車に乗ろうとするころに、左大臣家から、どこへ行くともなく源氏が京を出かけて行ったので、その迎えとして家司《けいし》の人々や、子息たちなどがおおぜい出て来た。頭中将《とうのちゅうじょう》、左中弁《さちゅうべん》またそのほかの公達《きんだち》もいっしょに来たのである。
「こうした御旅行などにはぜひお供をしようと思っていますのに、お知らせがなくて」
 などと恨んで、
「美しい花の下で遊ぶ時間が許されないですぐにお帰りのお供をするのは惜しくてならないことですね」
 とも言っていた。岩の横の青い苔《こけ》の上に新しく来た公達は並んで、また酒盛りが始められたのである。前に流れた滝も情趣のある場所だった。頭中将は懐《ふところ》に入れてきた笛を出して吹き澄ましていた。弁は扇拍子をとって、「葛城《かつらぎ》の寺の前なるや、豊浦《とよら》の寺の西なるや」という歌を歌っていた。この人たちは決して平凡な若い人ではないが、悩ましそうに岩へよりかかっている源氏の美に比べてよい人はだれもなかった。いつも篳篥《ひちりき》を吹く役にあたる随身がそれを吹き、またわざわざ笙《しょう》の笛を持ち込んで来た風流好きもあった。僧都が自身で琴《きん》(七|絃《げん》の唐風の楽器)を運んで来て、
「これをただちょっとだけでもお弾《ひ》きくだすって、それによって山の鳥に音楽の何であるかを知らせてやっていただきたい」
 こう熱望するので、
「私はまだ病気に疲れていますが」
 と言いながらも、源氏が快く少し弾いたのを最後として皆帰って行った。名残《なごり》惜しく思って山の僧俗は皆涙をこぼした。家の中では年を取った尼君主従がまだ源氏のような人に出逢《であ》ったことのない人たちばかりで、その天才的な琴の音をも現実の世のものでないと評し合った。僧都も、
「何の約束事でこんな末世にお生まれになって人としてのうるさい束縛や干渉をお受けにならなければならないかと思ってみると悲しくてならない」
 と源氏の君のことを言って涙をぬぐっていた。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮の姫君は子供心に美しい人であると思って、
「宮様よりも御様子がごりっぱね」
 などとほめていた。
「ではあの方のお子様におなりなさいまし」
 と女房が言うとうなずいて、そうなってもよいと思う顔をしていた。それからは人形遊びをしても絵をかいても源氏の君というのをこしらえて、それにはきれいな着物を着せて大事がった。
 帰京した源氏はすぐに宮中へ上がって、病中の話をいろいろと申し上げた。ずいぶん痩《や》せてしまったと仰せられて帝《みかど》はそれをお気におかけあそばされた。聖人の尊敬すべき祈祷《きとう》力などについての御下問もあったのである。詳しく申し上げると、
「阿闍梨《あじゃり》にもなっていいだけの資格がありそうだね。名誉を求めないで修行一方で来た人なんだろう。それで一般人に知られなかったのだ」
 と敬意を表しておいでになった。左大臣も御所に来合わせていて、
「私もお迎えに参りたく思ったのですが、御微行《おしのび》の時にはかえって御迷惑かとも思いまして遠慮をしました。しかしまだ一日二日は静かにお休みになるほうがよろしいでしょう」
 と言って、また、
「ここからのお送りは私がいたしましょう」
 とも言ったので、その家へ行きたい気もなかったが、やむをえず源氏は同道して行くことにした。自分の車へ乗せて大臣自身はからだを小さくして乗って行ったのである。娘のかわいさからこれほどまでに誠意を見せた待遇を自分にしてくれるのだと思うと、大臣の親心なるものに源氏は感動せずにはいられなかった。
 こちらへ退出して来ることを予期した用意が左大臣家にできていた。しばらく行って見なかった源氏の目に美しいこの家がさらに磨き上げられた気もした。源氏の夫人は例のとおりにほかの座敷へはいってしまって出て来ようとしない。大臣がいろいろとなだめてやっと源氏と同席させた。絵にかいた何かの姫君というようにきれいに飾り立てられていて、身動きすることも自由でないようにきちんとした妻であったから、源氏は、山の二日の話をするとすればすぐに同感を表してくれるような人であれば情味が覚えられるであろう、いつまでも他人に対する羞恥《しゅうち》と同じものを見せて、同棲《どうせい》の歳月は重なってもこの傾向がますます目だってくるばかりであると思うと苦しくて、
「時々は普通の夫婦らしくしてください。ずいぶん病気で苦しんだのですから、どうだったかというぐらいは問うてくだすっていいのに、あなたは問わない。今はじめてのことではないが私としては恨めしいことですよ」
 と言った。
「問われないのは恨めしいものでしょうか」
 こう言って横に源氏のほうを見た目つきは恥ずかしそうで、そして気高《けだか》い美が顔に備わっていた。
「たまに言ってくださることがそれだ。情けないじゃありませんか。訪うて行かぬなどという間柄は、私たちのような神聖な夫婦の間柄とは違うのですよ。そんなことといっしょにして言うものじゃありません。時がたてばたつほどあなたは私を露骨に軽蔑《けいべつ》するようになるから、こうすればあなたの心持ちが直るか、そうしたら効果《ききめ》があるだろうかと私はいろんな試みをしているのですよ。そうすればするほどあなたはよそよそしくなる。まあいい。長い命さえあればよくわかってもらえるでしょう」
 と言って源氏は寝室のほうへはいったが、夫人はそのままもとの座にいた。就寝を促してみても聞かぬ人を置いて、歎息《たんそく》をしながら源氏は枕についていたというのも、夫人を動かすことにそう骨を折る気にはなれなかったのかもしれない。ただくたびれて眠いというふうを見せながらもいろいろな物思いをしていた。若草と祖母に歌われていた兵部卿の宮の小王女の登場する未来の舞台がしきりに思われる。年の不つりあいから先方の人たちが自分の提議を問題にしようとしなかったのも道理である。先方がそうでは積極的には出られない。しかし何らかの手段で自邸へ入れて、あの愛らしい人を物思いの慰めにながめていたい。兵部卿の宮は上品な艶《えん》なお顔ではあるがはなやかな美しさなどはおありにならないのに、どうして叔母《おば》君にそっくりなように見えたのだろう、宮と藤壺の宮とは同じお后《きさき》からお生まれになったからであろうか、などと考えるだけでもその子と恋人との縁故の深さがうれしくて、ぜひとも自分の希望は実現させないではならないものであると源氏は思った。
 源氏は翌日北山へ手紙を送った。僧都《そうず》へ書いたものにも女王《にょおう》の問題をほのめかして置かれたに違いない。尼君のには、
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問題にしてくださいませんでしたあなた様に気おくれがいたしまして、思っておりますこともことごとくは言葉に現わせませんでした。こう申しますだけでも並み並みでない執心のほどをおくみ取りくださいましたらうれしいでしょう。
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 などと書いてあった。別に小さく結んだ手紙が入れてあって、

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「面《おも》かげは身をも離れず山ざくら心の限りとめてこしかど
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 どんな風が私の忘れることのできない花を吹くかもしれないと思うと気がかりです」
 内容はこうだった。源氏の字を美しく思ったことは別として、老人たちは手紙の包み方などにさえ感心していた。困ってしまう。こんな問題はどうお返事すればいいことかと尼君は当惑していた。
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あの時のお話は遠い未来のことでございましたから、ただ今何とも申し上げませんでもと存じておりましたのに、またお手紙で仰せになりましたので恐縮いたしております。まだ手習いの難波津《なにわづ》の歌さえも続けて書けない子供でございますから失礼をお許しくださいませ、それにいたしましても、

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嵐《あらし》吹く尾上《をのへ》のさくら散らぬ間を心とめけるほどのはかなさ

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こちらこそたよりない気がいたします。
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 というのが尼君からの返事である。僧都の手紙にしるされたことも同じようであったから源氏は残念に思って二、三日たってから惟光《これみつ》を北山へやろうとした。
「少納言《しょうなごん》の乳母《めのと》という人がいるはずだから、その人に逢《あ》って詳しく私のほうの心持ちを伝えて来てくれ」
 などと源氏は命じた。どんな女性にも関心を持つ方だ、姫君はまだきわめて幼稚であったようだのにと惟光は思って、真正面から見たのではないが、自身がいっしょに隙見《すきみ》をした時のことを思ってみたりもしていた。
 今度は五位の男を使いにして手紙をもらったことに僧都は恐縮していた。惟光は少納言に面会を申し込んで逢った。源氏の望んでいることを詳しく伝えて、そのあとで源氏の日常の生活ぶりなどを語った。多弁な惟光は相手を説得する心で上手《じょうず》にいろいろ話したが、僧都も尼君も少納言も稚《おさな》い女王への結婚の申し込みはどう解釈すべきであろうとあきれているばかりだった。手紙のほうにもねんごろに申し入れが書かれてあって、
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一つずつ離してお書きになる姫君のお字をぜひ私に見せていただきたい。
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 ともあった。例の中に封じたほうの手紙には、

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浅香山浅くも人を思はぬになど山の井のかけ離るらん
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 この歌が書いてある。返事、

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汲《く》み初《そ》めてくやしと聞きし山の井の浅きながらや影を見すべき
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 尼君が書いたのである。惟光《これみつ》が聞いて来たのもその程度の返辞であった。
「尼様の御容体が少しおよろしくなりましたら京のお邸《やしき》へ帰りますから、そちらから改めてお返事を申し上げることにいたします」
 と言っていたというのである。源氏はたよりない気がしたのであった。
 藤壺の宮が少しお病気におなりになって宮中から自邸へ退出して来ておいでになった。帝《みかど》が日々恋しく思召《おぼしめ》す御様子に源氏は同情しながらも、稀《まれ》にしかないお実家《さと》住まいの機会をとらえないではまたいつ恋しいお顔が見られるかと夢中になって、それ以来どの恋人の所へも行かず宮中の宿直所《とのいどころ》ででも、二条の院ででも、昼間は終日物思いに暮らして、王命婦《おうみょうぶ》に手引きを迫ることのほかは何もしなかった。王命婦がどんな方法をとったのか与えられた無理なわずかな逢瀬《おうせ》の中にいる時も、幸福が現実の幸福とは思えないで夢としか思われないのが、源氏はみずから残念であった。宮も過去のある夜の思いがけぬ過失の罪悪感が一生忘れられないもののように思っておいでになって、せめてこの上の罪は重ねまいと深く思召したのであるのに、またもこうしたことを他動的に繰り返すことになったのを悲しくお思いになって、恨めしいふうでおありになりながら、柔らかな魅力があって、しかも打ち解けておいでにならない最高の貴女の態度が美しく思われる源氏は、やはりだれよりもすぐれた女性である、なぜ一所でも欠点を持っておいでにならないのであろう、それであれば自分の心はこうして死ぬほどにまで惹《ひ》かれないで楽であろうと思うと源氏はこの人の存在を自分に知らせた運命さえも恨めしく思われるのである。源氏の恋の万分の一も告げる時間のあるわけはない。永久の夜が欲《ほ》しいほどであるのに、逢わない時よりも恨めしい別れの時が至った。

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見てもまた逢《あ》ふ夜|稀《まれ》なる夢の中《うち》にやがてまぎるるわが身ともがな
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 涙にむせ返って言う源氏の様子を見ると、さすがに宮も悲しくて、

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世語りに人やつたへん類《たぐ》ひなく憂《う》き身をさめぬ夢になしても
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 とお言いになった。宮が煩悶《はんもん》しておいでになるのも道理なことで、恋にくらんだ源氏の目にももったいなく思われた。源氏の上着などは王命婦がかき集めて寝室の外へ持ってきた。源氏は二条の院へ帰って泣き寝に一日を暮らした。手紙を出しても、例のとおり御覧にならぬという王命婦の返事以外には得られないのが非常に恨めしくて、源氏は御所へも出ず二、三日引きこもっていた。これをまた病気のように解釈あそばして帝がお案じになるに違いないと思うともったいなく空恐ろしい気ばかりがされるのであった。
 宮も御自身の運命をお歎《なげ》きになって煩悶が続き、そのために御病気の経過もよろしくないのである。宮中のお使いが始終来て御所へお帰りになることを促されるのであったが、なお宮は里居《さとい》を続けておいでになった。宮は実際おからだが悩ましくて、しかもその悩ましさの中に生理的な現象らしいものもあるのを、宮御自身だけには思いあたることがないのではなかった。情けなくて、これで自分は子を産むのであろうかと煩悶をしておいでになった。まして夏の暑い間は起き上がることもできずにお寝みになったきりだった。御妊娠が三月であるから女房たちも気がついてきたようである。宿命の恐ろしさを宮はお思いになっても、人は知らぬことであったから、こんなに月が重なるまで御内奏もあそばされなかったと皆驚いてささやき合った。宮の御入浴のお世話などもきまってしていた宮の乳母の娘である弁とか、王命婦とかだけは不思議に思うことはあっても、この二人の間でさえ話し合うべき問題ではなかった。命婦は人間がどう努力しても避けがたい宿命というものの力に驚いていたのである。宮中へは御病気やら物怪《もののけ》やらで気のつくことのおくれたように奏上したはずである。だれも皆そう思っていた。帝はいっそうの熱愛を宮へお寄せになることになって、以前よりもおつかわしになるお使いの度数の多くなったことも、宮にとっては空恐ろしくお思われになることだった。煩悶の合い間というものがなくなった源氏の中将も変わった夢を見て夢解きを呼んで合わさせてみたが、及びもない、思いもかけぬ占いをした。そして、
「しかし順調にそこへお達しになろうとするのにはお慎みにならなければならぬ故障が一つございます」
 と言った。夢を現実にまざまざ続いたことのように言われて、源氏は恐怖を覚えた。
「私の夢ではないのだ。ある人の夢を解いてもらったのだ。今の占いが真実性を帯びるまではだれにも秘密にしておけ」
 とその男に言ったのであるが、源氏はそれ以来、どんなことがおこってくるのかと思っていた。その後に源氏は藤壺の宮の御懐妊を聞いて、そんなことがあの占いの男に言われたことなのではないかと思うと、恋人と自分の間に子が生まれてくるということに若い源氏は昂奮《こうふん》して、以前にもまして言葉を尽くして逢瀬《おうせ》を望むことになったが、王命婦《おうみょうぶ》も宮の御懐妊になって以来、以前に自身が、はげしい恋に身を亡《ほろぼ》しかねない源氏に同情してとった行為が重大性を帯びていることに気がついて、策をして源氏を宮に近づけようとすることを避けたのである。源氏はたまさかに宮から一行足らずのお返事の得られたこともあるが、それも絶えてしまった。
 初秋の七月になって宮は御所へおはいりになった。最愛の方が懐妊されたのであるから、帝のお志はますます藤壺の宮にそそがれるばかりであった。少しお腹《なか》がふっくりとなって悪阻《つわり》の悩みに顔の少しお痩《や》せになった宮のお美しさは、前よりも増したのではないかと見えた。以前もそうであったように帝は明け暮れ藤壺にばかり来ておいでになって、もう音楽の遊びをするのにも適した季節にもなっていたから、源氏の中将をも始終そこへお呼び出しになって、琴や笛の役をお命じになった。物思わしさを源氏は極力おさえていたが、時々には忍びがたい様子もうかがわれるのを、宮もお感じになって、さすがにその人にまつわるものの愁《うれ》わしさをお覚えになった。
 北山へ養生に行っていた按察使《あぜち》大納言の未亡人は病が快《よ》くなって京へ帰って来ていた。源氏は惟光《これみつ》などに京の家を訪《たず》ねさせて時々手紙などを送っていた。先方の態度は春も今も変わったところがないのである。それも道理に思えることであったし、またこの数月間というものは、過去の幾年間にもまさった恋の煩悶《はんもん》が源氏にあって、ほかのことは何一つ熱心にしようとは思われないのでもあったりして、より以上積極性を帯びていくようでもなかった。
 秋の末になって、恋する源氏は心細さを人よりも深くしみじみと味わっていた。ある月夜にある女の所を訪ねる気にやっとなった源氏が出かけようとするとさっと時雨《しぐれ》がした。源氏の行く所は六条の京極辺であったから、御所から出て来たのではやや遠い気がする。荒れた家の庭の木立ちが大家《たいけ》らしく深いその土塀《どべい》の外を通る時に、例の傍去《そばさ》らずの惟光が言った。
「これが前の按察使大納言の家でございます。先日ちょっとこの近くへ来ました時に寄ってみますと、あの尼さんからは、病気に弱ってしまっていまして、何も考えられませんという挨拶《あいさつ》がありました」
「気の毒だね。見舞いに行くのだった。なぜその時にそう言ってくれなかったのだ。ちょっと私が訪問に来たがと言ってやれ」
 源氏がこう言うので惟光は従者の一人をやった。この訪問が目的で来たと最初言わせたので、そのあとでまた惟光がはいって行って、
「主人が自身でお見舞いにおいでになりました」
 と言った。大納言家では驚いた。
「困りましたね。近ごろは以前よりもずっと弱っていらっしゃるから、お逢いにはなれないでしょうが、お断わりするのはもったいないことですから」
 などと女房は言って、南向きの縁座敷をきれいにして源氏を迎えたのである。
「見苦しい所でございますが、せめて御厚志のお礼を申し上げませんではと存じまして、思召《おぼしめ》しでもございませんでしょうが、こんな部屋《へや》などにお通しいたしまして」
 という挨拶《あいさつ》を家の者がした。そのとおりで、意外な所へ来ているという気が源氏にはした。
「いつも御訪問をしたく思っているのでしたが、私のお願いをとっぴなものか何かのようにこちらではお扱いになるので、きまりが悪かったのです。それで自然御病気もこんなに進んでいることを知りませんでした」
 と源氏が言った。
「私は病気であることが今では普通なようになっております。しかしもうこの命の終わりに近づきましたおりから、かたじけないお見舞いを受けました喜びを自分で申し上げません失礼をお許しくださいませ。あの話は今後もお忘れになりませんでしたら、もう少し年のゆきました時にお願いいたします。一人ぼっちになりますあの子に残る心が、私の参ります道の障《さわ》りになることかと思われます」
 取り次ぎの人に尼君が言いつけている言葉が隣室であったから、その心細そうな声も絶え絶え聞こえてくるのである。
「失礼なことでございます。孫がせめてお礼を申し上げる年になっておればよろしいのでございますのに」
 とも言う。源氏は哀れに思って聞いていた。
「今さらそんな御挨拶《ごあいさつ》はなさらないでください。通り一遍な考えでしたなら、風変わりな酔狂者《すいきょうもの》と誤解されるのも構わずに、こんな御相談は続けません。どんな前生の因縁でしょうか、女王さんをちょっとお見かけいたしました時から、女王さんのことをどうしても忘れられないようなことになりましたのも不思議なほどで、どうしてもこの世界だけのことでない、約束事としか思われません」
 などと源氏は言って、また、
「自分を理解していただけない点で私は苦しんでおります。あの小さい方が何か一言お言いになるのを伺えればと思うのですが」
 と望んだ。
「それは姫君は何もご存じなしに、もうお寝《やす》みになっていまして」
 女房がこんなふうに言っている時に、向こうからこの隣室へ来る足音がして、
「お祖母《ばあ》様、あのお寺にいらっしった源氏の君が来ていらっしゃるのですよ。なぜ御覧にならないの」
 と女王は言った。女房たちは困ってしまった。
「静かにあそばせよ」
 と言っていた。
「でも源氏の君を見たので病気がよくなったと言っていらしたからよ」
 自分の覚えているそのことが役に立つ時だと女王は考えている。源氏はおもしろく思って聞いていたが、女房たちの困りきったふうが気の毒になって、聞かない顔をして、まじめな見舞いの言葉を残して去った。子供らしい子供らしいというのはほんとうだ、けれども自分はよく教えていける気がすると源氏は思ったのであった。
 翌日もまた源氏は尼君へ丁寧に見舞いを書いて送った。例のように小さくしたほうの手紙には、

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いはけなき鶴《たづ》の一声聞きしより葦間《あしま》になづむ船ぞえならぬ

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いつまでも一人の人を対象にして考えているのですよ。
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 わざわざ子供にも読めるふうに書いた源氏のこの手紙の字もみごとなものであったから、そのまま姫君の習字の手本にしたらいいと女房らは言った。源氏の所へ少納言が返事を書いてよこした。
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お見舞いくださいました本人は、今日も危《あぶな》いようでございまして、ただ今から皆で山の寺へ移ってまいるところでございます。
かたじけないお見舞いのお礼はこの世界で果たしませんでもまた申し上げる時がございましょう。
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 というのである。秋の夕べはまして人の恋しさがつのって、せめてその人に縁故のある少女を得られるなら得たいという望みが濃くなっていくばかりの源氏であった。「消えん空なき」と尼君の歌った晩春の山の夕べに見た面影が思い出されて恋しいとともに、引き取って幻滅を感じるのではないかと危《あや》ぶむ心も源氏にはあった。

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手に摘みていつしかも見ん紫の根に通ひける野辺《のべ》の若草
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 このころの源氏の歌である。
 この十月に朱雀《すざく》院へ行幸があるはずだった。その日の舞楽には貴族の子息たち、高官、殿上役人などの中の優秀な人が舞い人に選ばれていて、親王方、大臣をはじめとして音楽の素養の深い人はそのために新しい稽古《けいこ》を始めていた。それで源氏の君も多忙であった。北山の寺へも久しく見舞わなかったことを思って、ある日わざわざ使いを立てた。山からは僧都《そうず》の返事だけが来た。
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先月の二十日にとうとう姉は亡《な》くなりまして、これが人生の掟《おきて》であるのを承知しながらも悲しんでおります。
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 源氏は今さらのように人間の生命の脆《もろ》さが思われた。尼君が気がかりでならなかったらしい小女王はどうしているだろう。小さいのであるから、祖母をどんなに恋しがってばかりいることであろうと想像しながらも、自身の小さくて母に別れた悲哀も確かに覚えないなりに思われるのであった。源氏からは丁寧な弔慰品が山へ贈られたのである。そんな場合にはいつも少納言が行き届いた返事を書いて来た。
 尼君の葬式のあとのことが済んで、一家は京の邸《やしき》へ帰って来ているということであったから、それから少しあとに源氏は自身で訪問した。凄《すご》いように荒れた邸に小人数で暮らしているのであったから、小さい人などは怖《おそろ》しい気がすることであろうと思われた。以前の座敷へ迎えて少納言が泣きながら哀れな若草を語った。源氏も涙のこぼれるのを覚えた。
「宮様のお邸へおつれになることになっておりますが、お母様の御生前にいろんな冷酷なことをなさいました奥さまがいらっしゃるのでございますから、それがいっそずっとお小さいとか、また何でもおわかりになる年ごろになっていらっしゃるとかすればいいのでございますが、中途|半端《はんぱ》なお年で、おおぜいお子様のいらっしゃる中で軽い者にお扱われになることになってはと、尼君も始終それを苦労になさいましたが、宮様のお内のことを聞きますと、まったく取り越し苦労でなさそうなんでございますから、あなた様のお気まぐれからおっしゃってくださいますことも、遠い将来にまでにはたとえどうなりますにしましても、お救いの手に違いないと私どもは思われますが、奥様になどとは想像も許されませんようなお子供らしさでございまして、普通のあの年ごろよりももっともっと赤様《あかさま》なのでございます」
 と少納言が言った。
「そんなことはどうでもいいじゃありませんか、私が繰り返し繰り返しこれまで申し上げてあることをなぜ無視しようとなさるのですか。その幼稚な方を私が好きでたまらないのは、こればかりは前生《ぜんしょう》の縁に違いないと、それを私が客観的に見ても思われます。許してくだすって、この心持ちを直接女王さんに話させてくださいませんか。

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あしわかの浦にみるめは難《かた》くともこは立ちながら帰る波かは
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 私をお見くびりになってはいけません」
 源氏がこう言うと、
「それはもうほんとうにもったいなく思っているのでございます。

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寄る波の心も知らで和歌の浦に玉藻《たまも》なびかんほどぞ浮きたる
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 このことだけは御信用ができませんけれど」
 物|馴《な》れた少納言の応接のしように、源氏は何を言われても不快には思われなかった。「年を経てなど越えざらん逢坂《あふさか》の関」という古歌を口ずさんでいる源氏の美音に若い女房たちは酔ったような気持ちになっていた。女王は今夜もまた祖母を恋しがって泣いていた時に、遊び相手の童女が、
「直衣《のうし》を着た方が来ていらっしゃいますよ。宮様が来ていらっしゃるのでしょう」
 と言ったので、起きて来て、
「少納言、直衣着た方どちら、宮様なの」
 こう言いながら乳母《めのと》のそばへ寄って来た声がかわいかった。これは父宮ではなかったが、やはり深い愛を小女王に持つ源氏であったから、心がときめいた。
「こちらへいらっしゃい」
 と言ったので、父宮でなく源氏の君であることを知った女王は、さすがにうっかりとしたことを言ってしまったと思うふうで、乳母のそばへ寄って、
「さあ行こう。私は眠いのだもの」
 と言う。
「もうあなたは私に御遠慮などしないでもいいんですよ。私の膝《ひざ》の上へお寝《やす》みなさい」
 と源氏が言った。
「お話しいたしましたとおりでございましょう。こんな赤様なのでございます」
 乳母に源氏のほうへ押し寄せられて、女王はそのまま無心にすわっていた。源氏が御簾《みす》の下から手を入れて探ってみると柔らかい着物の上に、ふさふさとかかった端の厚い髪が手に触れて美しさが思いやられるのである。手をとらえると、父宮でもない男性の近づいてきたことが恐ろしくて、
「私、眠いと言っているのに」
 と言って手を引き入れようとするのについて源氏は御簾の中へはいって来た。
「もう私だけがあなたを愛する人なんですよ。私をお憎みになってはいけない」
 源氏はこう言っている。少納言が、
「よろしくございません。たいへんでございます。お話しになりましても何の効果《ききめ》もございませんでしょうのに」
 と困ったように言う。
「いくら何でも私はこの小さい女王さんを情人にしようとはしない。まあ私がどれほど誠実であるかを御覧なさい」
 外には霙《みぞれ》が降っていて凄《すご》い夜である。
「こんなに小人数でこの寂しい邸《やしき》にどうして住めるのですか」
 と言って源氏は泣いていた。捨てて帰って行けない気がするのであった。
「もう戸をおろしておしまいなさい。こわいような夜だから、私が宿直《とのい》の男になりましょう。女房方は皆|女王《にょおう》さんの室へ来ていらっしゃい」
 と言って、馴《な》れたことのように女王さんを帳台の中へ抱いてはいった。だれもだれも意外なことにあきれていた。乳母は心配をしながらも普通の闖入者《ちんにゅうしゃ》を扱うようにはできぬ相手に歎息《たんそく》をしながら控えていた。小女王は恐ろしがってどうするのかと慄《ふる》えているので肌《はだ》も毛穴が立っている。かわいく思う源氏はささやかな異性を単衣《ひとえ》に巻きくるんで、それだけを隔てに寄り添っていた。この所作がわれながら是認しがたいものとは思いながらも愛情をこめていろいろと話していた。
「ねえ、いらっしゃいよ、おもしろい絵がたくさんある家で、お雛《ひな》様遊びなんかのよくできる私の家《うち》へね」
 こんなふうに小さい人の気に入るような話をしてくれる源氏の柔らかい調子に、姫君は恐ろしさから次第に解放されていった。しかし不気味であることは忘れずに、眠り入ることはなくて身じろぎしながら寝ていた。この晩は夜通し風が吹き荒れていた。
「ほんとうにお客様がお泊まりにならなかったらどんなに私たちは心細かったでしょう。同じことなら女王様がほんとうの御結婚のできるお年であればね」
 などと女房たちはささやいていた。心配でならない乳母は帳台の近くに侍していた。風の少し吹きやんだ時はまだ暗かったが、帰る源氏はほんとうの恋人のもとを別れて行く情景に似ていた。
「かわいそうな女王さんとこんなに親しくなってしまった以上、私はしばらくの間もこんな家へ置いておくことは気がかりでたまらない。私の始終住んでいる家《うち》へお移ししよう。こんな寂しい生活をばかりしていらっしゃっては女王さんが神経衰弱におなりになるから」
 と源氏が言った。
「宮様もそんなにおっしゃいますが、あちらへおいでになることも、四十九日が済んでからがよろしかろうと存じております」
「お父様のお邸《やしき》ではあっても、小さい時から別の所でお育ちになったのだから、私に対するお気持ちと親密さはそう違わないでしょう。今からいっしょにいることが将来の障《さわ》りになるようなことは断じてない。私の愛が根底の深いものになるだけだと思う」
 と女王の髪を撫《な》でながら源氏は言って顧みながら去った。深く霧に曇った空も艶《えん》であって、大地には霜が白かった。ほんとうの恋の忍び歩きにも適した朝の風景であると思うと、源氏は少し物足りなかった。近ごろ隠れて通っている人の家が途中にあるのを思い出して、その門をたたかせたが内へは聞こえないらしい。しかたがなくて供の中から声のいい男を選んで歌わせた。

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朝ぼらけ霧立つ空の迷ひにも行き過ぎがたき妹《いも》が門かな
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 二度繰り返させたのである。気のきいたふうをした下仕《しもづか》えの女中を出して、

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立ちとまり霧の籬《まがき》の過ぎうくば草の戸ざしに障《さは》りしもせじ
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 と言わせた。女はすぐに門へはいってしまった。それきりだれも出て来ないので、帰ってしまうのも冷淡な気がしたが、夜がどんどん明けてきそうで、きまりの悪さに二条の院へ車を進めさせた。
 かわいかった小女王を思い出して、源氏は独《ひと》り笑《え》みをしながら又寝《またね》をした。朝おそくなって起きた源氏は手紙をやろうとしたが、書く文章も普通の恋人扱いにはされないので、筆を休め休め考えて書いた。よい絵なども贈った。
 今日は按察使《あぜち》大納言家へ兵部卿《ひょうぶきょう》の宮が来ておいでになった。以前よりもずっと邸が荒れて、広くて古い家に小人数でいる寂しさが宮のお心を動かした。
「こんな所にしばらくでも小さい人がいられるものではない。やはり私の邸のほうへつれて行こう。たいしたむずかしい所ではないのだよ。乳母《めのと》は部屋《へや》をもらって住んでいればいいし、女王は何人も若い子がいるからいっしょに遊んでいれば非常にいいと思う」
 などとお言いになった。そばへお呼びになった小女王の着物には源氏の衣服の匂《にお》いが深く沁《し》んでいた。
「いい匂いだね。けれど着物は古くなっているね」
 心苦しく思召《おぼしめ》す様子だった。
「今までからも病身な年寄りとばかりいっしょにいるから、時々は邸のほうへよこして、母と子の情合いのできるようにするほうがよいと私は言ったのだけれど、絶対的にお祖母《ばあ》さんはそれをおさせにならなかったから、邸のほうでも反感を起こしていた。そしてついにその人が亡《な》くなったからといってつれて行くのは済まないような気もする」
 と宮がお言いになる。
「そんなに早くあそばす必要はございませんでしょう。お心細くても当分はこうしていらっしゃいますほうがよろしゅうございましょう。少し物の理解がおできになるお年ごろになりましてからおつれなさいますほうがよろしいかと存じます」
 少納言はこう答えていた。
「夜も昼もお祖母《ばあ》様が恋しくて泣いてばかりいらっしゃいまして、召し上がり物なども少のうございます」
 とも歎《なげ》いていた。実際姫君は痩《や》せてしまったが、上品な美しさがかえって添ったかのように見える。
「なぜそんなにお祖母様のことばかりをあなたはお思いになるの、亡《な》くなった人はしかたがないんですよ。お父様がおればいいのだよ」
 と宮は言っておいでになった。日が暮れるとお帰りになるのを見て、心細がって姫君が泣くと、宮もお泣きになって、
「なんでもそんなに悲しがってはしかたがない。今日明日にでもお父様の所へ来られるようにしよう」
 などと、いろいろになだめて宮はお帰りになった。母も祖母も失った女の将来の心細さなどを女王は思うのでなく、ただ小さい時から片時の間も離れず付き添っていた祖母が死んだと思うことだけが非常に悲しいのである。子供ながらも悲しみが胸をふさいでいる気がして遊び相手はいても遊ぼうとしなかった。それでも昼間は何かと紛れているのであったが、夕方ごろからめいりこんでしまう。こんなことで小さいおからだがどうなるかと思って、乳母も毎日泣いていた。その日源氏の所からは惟光《これみつ》をよこした。
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伺うはずですが宮中からお召しがあるので失礼します。おかわいそうに拝見した女王さんのことが気になってなりません。
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 源氏からの挨拶《あいさつ》はこれで惟光が代わりの宿直《とのい》をするわけである。
「困ってしまう。将来だれかと御結婚をなさらなければならない女王様を、これではもう源氏の君が奥様になすったような形をお取りになるのですもの。宮様がお聞きになったら私たちの責任だと言っておしかりになるでしょう」
「ねえ女王様、お気をおつけになって、源氏の君のことは宮様がいらっしゃいました時にうっかり言っておしまいにならないようになさいませね」
 と少納言が言っても、小女王は、それが何のためにそうしなければならないかがわからないのである。少納言は惟光の所へ来て、身にしむ話をした。
「将来あるいはそうおなりあそばす運命かもしれませんが、ただ今のところはどうしてもこれは不つりあいなお間柄だと私らは存じますのに、御熱心に御縁組のことをおっしゃるのですもの、御酔興か何かと私どもは思うばかりでございます。今日も宮様がおいでになりまして、女の子だからよく気をつけてお守りをせい、うっかり油断をしていてはいけないなどとおっしゃいました時は、私ども何だか平気でいられなく思われました。昨晩のことなんか思い出すものですから」
 などと言いながらも、あまりに歎《なげ》いて見せては姫君の処女であることをこの人に疑わせることになると用心もしていた。惟光もどんな関係なのかわからない気がした。帰って惟光が報告した話から、源氏はいろいろとその家のことが哀れに思いやられてならないのであったが、形式的には良人《おっと》らしく一泊したあとであるから、続いて通って行かねばならぬが、それはさすがに躊躇《ちゅうちょ》された。酔興な結婚をしたように世間が批評しそうな点もあるので、心がおけて行けないのである。二条の院へ迎えるのが良策であると源氏は思った。手紙は始終送った。日が暮れると惟光を見舞いに出した。
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やむをえぬ用事があって出かけられないのを、私の不誠実さからだとお思いにならぬかと不安です。
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 などという手紙が書かれてくる。
「宮様のほうから、にわかに明日迎えに行くと言っておよこしになりましたので、取り込んでおります。長い馴染《なじみ》の古いお邸《やしき》を離れますのも心細い気のすることと私どもめいめい申し合っております」
 と言葉数も少なく言って、大納言家の女房たちは今日はゆっくりと話し相手になっていなかった。忙しそうに物を縫ったり、何かを仕度《したく》したりする様子がよくわかるので、惟光《これみつ》は帰って行った。源氏は左大臣家へ行っていたが、例の夫人は急に出て来て逢《あ》おうともしなかったのである。面倒《めんどう》な気がして、源氏は東琴《あずまごと》(和琴《わごん》に同じ)を手すさびに弾《ひ》いて、「常陸《ひたち》には田をこそ作れ、仇心《あだごころ》かぬとや君が山を越え、野を越え雨夜《あまよ》来ませる」という田舎《いなか》めいた歌詞を、優美な声で歌っていた。惟光が来たというので、源氏は居間へ呼んで様子を聞こうとした。惟光によって、女王が兵部卿《ひょうぶきょう》の宮邸へ移転する前夜であることを源氏は聞いた。源氏は残念な気がした。宮邸へ移ったあとで、そういう幼い人に結婚を申し込むということも物好きに思われることだろう。小さい人を一人盗んで行ったという批難を受けるほうがまだよい。確かに秘密の保ち得られる手段を取って二条の院へつれて来ようと源氏は決心した。
「明日夜明けにあすこへ行ってみよう。ここへ来た車をそのままにして置かせて、随身を一人か二人仕度させておくようにしてくれ」
 という命令を受けて惟光は立った。源氏はそののちもいろいろと思い悩んでいた。人の娘を盗み出した噂《うわさ》の立てられる不名誉も、もう少しあの人が大人で思い合った仲であればその犠牲も自分は払ってよいわけであるが、これはそうでもないのである。父宮に取りもどされる時の不体裁も考えてみる必要があると思ったが、その機会をはずすことはどうしても惜しいことであると考えて、翌朝は明け切らぬ間に出かけることにした。
 夫人は昨夜の気持ちのままでまだ打ち解けてはいなかった。
「二条の院にぜひしなければならないことのあったのを私は思い出したから出かけます。用を済ませたらまた来ることにしましょう」
 と源氏は不機嫌《ふきげん》な妻に告げて、寝室をそっと出たので、女房たちも知らなかった。自身の部屋になっているほうで直衣《のうし》などは着た。馬に乗せた惟光だけを付き添いにして源氏は大納言家へ来た。門をたたくと何の気なしに下男が門をあけた。車を静かに中へ引き込ませて、源氏の伴った惟光が妻戸をたたいて、しわぶきをすると、少納言が聞きつけて出て来た。
「来ていらっしゃるのです」
 と言うと、
「女王様はやすんでいらっしゃいます。どちらから、どうしてこんなにお早く」
 と少納言が言う。源氏が人の所へ通って行った帰途だと解釈しているのである。
「宮様のほうへいらっしゃるそうですから、その前にちょっと一言お話をしておきたいと思って」
 と源氏が言った。
「どんなことでございましょう。まあどんなに確かなお返辞がおできになりますことやら」
 少納言は笑っていた。源氏が室内へはいって行こうとするので、この人は当惑したらしい。
「不行儀に女房たちがやすんでおりまして」
「まだ女王さんはお目ざめになっていないのでしょうね。私がお起こししましょう。もう朝霧がいっぱい降る時刻だのに、寝ているというのは」
 と言いながら寝室へはいる源氏を少納言は止めることもできなかった。源氏は無心によく眠っていた姫君を抱き上げて目をさまさせた。女王は父宮がお迎えにおいでになったのだと、まだまったくさめない心では思っていた。髪を撫《な》でて直したりして、
「さあ、いらっしゃい。宮様のお使いになって私が来たのですよ」
 と言う声を聞いた時に姫君は驚いて、恐ろしく思うふうに見えた。
「いやですね。私だって宮様だって同じ人ですよ。鬼などであるものですか」
 源氏の君が姫君をかかえて出て来た。少納言と、惟光《これみつ》と、外の女房とが、
「あ、どうなさいます」
 と同時に言った。
「ここへは始終来られないから、気楽な所へお移ししようと言ったのだけれど、それには同意をなさらないで、ほかへお移りになることになったから、そちらへおいでになってはいろいろ面倒《めんどう》だから、それでなのだ。だれか一人ついておいでなさい」
 こう源氏の言うのを聞いて少納言はあわててしまった。
「今日では非常に困るかと思います。宮様がお迎えにおいでになりました節、何とも申し上げようがないではございませんか。ある時間がたちましてから、ごいっしょにおなりになる御縁があるものでございましたら自然にそうなることでございましょう。まだあまりに御幼少でいらっしゃいますから。ただ今そんなことは皆の者の責任になることでございますから」
 と言うと、
「じゃいい。今すぐについて来られないのなら、人はあとで来るがよい」
 こんなふうに言って源氏は車を前へ寄せさせた。姫君も怪しくなって泣き出した。少納言は止めようがないので、昨夜縫った女王の着物を手にさげて、自身も着がえをしてから車に乗った。
 二条の院は近かったから、まだ明るくならないうちに着いて、西の対に車を寄せて降りた。源氏は姫君を軽そうに抱いて降ろした。
「夢のような気でここまでは参りましたが、私はどうしたら」
 少納言は下車するのを躊躇《ちゅうちょ》した。
「どうでもいいよ。もう女王さんがこちらへ来てしまったのだから、君だけ帰りたければ送らせよう」
 源氏が強かった。しかたなしに少納言も降りてしまった。このにわかの変動に先刻から胸が鳴り続けているのである。宮が自分をどうお責めになるだろうと思うことも苦労の一つであった。それにしても姫君はどうなっておしまいになる運命なのであろうと思って、ともかくも母や祖母に早くお別れになるような方は紛れもない不幸な方であることがわかると思うと、涙がとめどなく流れそうであったが、しかもこれが姫君の婚家へお移りになる第一日であると思うと、縁起悪く泣くことは遠慮しなくてはならないと努めていた。
 ここは平生あまり使われない御殿であったから帳台《ちょうだい》なども置かれてなかった。源氏は惟光《これみつ》を呼んで帳台、屏風《びょうぶ》などをその場所場所に据《す》えさせた。これまで上へあげて掛けてあった几帳《きちょう》の垂《た》れ絹はおろせばいいだけであったし、畳の座なども少し置き直すだけで済んだのである。東の対へ夜着類を取りにやって寝た。姫君は恐ろしがって、自分をどうするのだろうと思うと慄《ふる》えが出るのであったが、さすがに声を立てて泣くことはしなかった。
「少納言の所で私は寝るのよ」
 子供らしい声で言う。
「もうあなたは乳母《めのと》などと寝るものではありませんよ」
 と源氏が教えると、悲しがって泣き寝をしてしまった。乳母は眠ることもできず、ただむやみに泣かれた。
 明けてゆく朝の光を見渡すと、建物や室内の装飾はいうまでもなくりっぱで、庭の敷き砂なども玉を重ねたもののように美しかった。少納言は自身が貧弱に思われてきまりが悪かったが、この御殿には女房がいなかった。あまり親しくない客などを迎えるだけの座敷になっていたから、男の侍だけが縁の外で用を聞くだけだった。そうした人たちは新たに源氏が迎え入れた女性のあるのを聞いて、
「だれだろう、よほどお好きな方なんだろう」
 などとささやいていた。源氏の洗面の水も、朝の食事もこちらへ運ばれた。遅《おそ》くなってから起きて、源氏は少納言に、
「女房たちがいないでは不自由だろうから、あちらにいた何人かを夕方ごろに迎えにやればいい」
 と言って、それから特に小さい者だけが来るようにと東の対《たい》のほうへ童女を呼びにやった。しばらくして愛らしい姿の子が四人来た。女王は着物にくるまったままでまだ横になっていたのを源氏は無理に起こして、
「私に意地悪をしてはいけませんよ。薄情な男は決してこんなものじゃありませんよ。女は気持ちの柔らかなのがいいのですよ」
 もうこんなふうに教え始めた。姫君の顔は少し遠くから見ていた時よりもずっと美しかった。気に入るような話をしたり、おもしろい絵とか遊び事をする道具とかを東の対へ取りにやるとかして、源氏は女王の機嫌《きげん》を直させるのに骨を折った。やっと起きて喪服のやや濃い鼠《ねずみ》の服の着古して柔らかになったのを着た姫君の顔に笑《え》みが浮かぶようになると、源氏の顔にも自然笑みが上った。源氏が東の対へ行ったあとで姫君は寝室を出て、木立ちの美しい築山《つきやま》や池のほうなどを御簾《みす》の中からのぞくと、ちょうど霜枯れ時の庭の植え込みが描《か》いた絵のようによくて、平生見ることの少ない黒の正装をした四位や、赤を着た五位の官人がまじりまじりに出はいりしていた。源氏が言っていたようにほんとうにここはよい家であると女王は思った。屏風にかかれたおもしろい絵などを見てまわって、女王はたよりない今日の心の慰めにしているらしかった。
 源氏は二、三日御所へも出ずにこの人をなつけるのに一所懸命だった。手本帳に綴《と》じさせるつもりの字や絵をいろいろに書いて見せたりしていた。皆美しかった。「知らねどもむさし野と云《い》へばかこたれぬよしやさこそは紫の故《ゆゑ》」という歌の紫の紙に書かれたことによくできた一枚を手に持って姫君はながめていた。また少し小さい字で、

[#ここから2字下げ]
ねは見ねど哀れとぞ思ふ武蔵野《むさしの》の露分けわぶる草のゆかりを
[#ここで字下げ終わり]

 とも書いてある。
「あなたも書いてごらんなさい」
 と源氏が言うと、
「まだよくは書けませんの」
 見上げながら言う女王の顔が無邪気でかわいかったから、源氏は微笑をして言った。
「まずくても書かないのはよくない。教えてあげますよ」
 からだをすぼめるようにして字をかこうとする形も、筆の持ち方の子供らしいのもただかわいくばかり思われるのを、源氏は自分の心ながら不思議に思われた。
「書きそこねたわ」
 と言って、恥ずかしがって隠すのをしいて読んでみた。

[#ここから2字下げ]
かこつべき故を知らねばおぼつかないかなる草のゆかりなるらん
[#ここで字下げ終わり]

 子供らしい字ではあるが、将来の上達が予想されるような、ふっくりとしたものだった。死んだ尼君の字にも似ていた。現代の手本を習わせたならもっとよくなるだろうと源氏は思った。雛《ひな》なども屋根のある家などもたくさんに作らせて、若紫の女王と遊ぶことは源氏の物思いを紛らすのに最もよい方法のようだった。
 大納言家に残っていた女房たちは、宮がおいでになった時に御挨拶《ごあいさつ》のしようがなくて困った。当分は世間へ知らせずにおこうと、源氏も言っていたし、少納言もそれと同感なのであるから、秘密にすることをくれぐれも言ってやって、少納言がどこかへ隠したように申し上げさせたのである。宮は御落胆あそばされた。尼君も宮邸へ姫君の移って行くことを非常に嫌《きら》っていたから、乳母の出すぎた考えから、正面からは拒《こば》まずにおいて、そっと勝手に姫君をつれ出してしまったのだとお思いになって、宮は泣く泣くお帰りになったのである。
「もし居所がわかったら知らせてよこすように」
 宮のこのお言葉を女房たちは苦しい気持ちで聞いていたのである。宮は僧都《そうず》の所へも捜しにおやりになったが、姫君の行くえについては何も得る所がなかった。美しかった小女王の顔をお思い出しになって宮は悲しんでおいでになった。夫人はその母君をねたんでいた心も長い時間に忘れていって、自身の子として育てるのを楽しんでいたことが水泡《すいほう》に帰したのを残念に思った。
 そのうち二条の院の西の対に女房たちがそろった。若紫のお相手の子供たちは、大納言家から来たのは若い源氏の君、東の対のはきれいな女王といっしょに遊べるのを喜んだ。若紫は源氏が留守《るす》になったりした夕方などには尼君を恋しがって泣きもしたが、父宮を思い出すふうもなかった。初めから稀々《まれまれ》にしか見なかった父宮であったから、今は第二の父と思っている源氏にばかり馴染《なじ》んでいった。外から源氏の帰って来る時は、自身がだれよりも先に出迎えてかわいいふうにいろいろな話をして、懐《ふところ》の中に抱かれて少しもきまり悪くも恥ずかしくも思わない。こんな風変わりな交情がここにだけ見られるのである。
 大人の恋人との交渉には微妙な面倒《めんどう》があって、こんな障害で恋までもそこねられるのではないかと我ながら不安を感じることがあったり、女のほうはまた年じゅう恨み暮らしに暮らすことになって、ほかの恋がその間に芽ばえてくることにもなる。この相手にはそんな恐れは少しもない。ただ美しい心の慰めであるばかりであった。娘というものも、これほど大きくなれば父親はこんなにも接近して世話ができず、夜も同じ寝室にはいることは許されないわけであるから、こんなおもしろい間柄というものはないと源氏は思っているらしいのである。

若紫 版本说明

底本:「全訳源氏物語 上巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年8月10日改版初版発行
   1994(平成6)年12月20日56版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月5日71版を使用しました。
入力:上田英代
校正:Juki、多羅尾伴内
2003年6月29日作成
青空文庫作成ファイル:
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06 末摘花

[#地から3字上げ]皮ごろも上に着たれば我妹子《わぎもこ》は聞くこ
[#地から3字上げ]とのみな身に沁《し》まぬらし  (晶子)

 源氏の君の夕顔を失った悲しみは、月がたち年が変わっても忘れることができなかった。左大臣家にいる夫人も、六条の貴女《きじょ》も強い思い上がりと源氏の他の愛人を寛大に許すことのできない気むずかしさがあって、扱いにくいことによっても、源氏はあの気楽な自由な気持ちを与えてくれた恋人ばかりが追慕されるのである。どうかしてたいそうな身分のない女で、可憐《かれん》で、そして世間的にあまり恥ずかしくもないような恋人を見つけたいと懲りもせずに思っている。少しよいらしく言われる女にはすぐに源氏の好奇心は向く。さて接近して行こうと思うのにはまず短い手紙などを送るが、もうそれだけで女のほうからは好意を表してくる。冷淡な態度を取りうる者はあまりなさそうなのに源氏はかえって失望を覚えた。ある場合条件どおりなのがあっても、それは頭に欠陥のあるのとか、理智《りち》一方の女であって、源氏に対して一度は思い上がった態度に出ても、あまりにわが身知らずのようであるとか思い返してはつまらぬ男と結婚をしてしまったりするのもあったりして、話をかけたままになっている向きも多かった。空蝉《うつせみ》が何かのおりおりに思い出されて敬服するに似た気持ちもおこるのであった。軒端《のきば》の荻《おぎ》へは今も時々手紙が送られることと思われる。灯影《ほかげ》に見た顔のきれいであったことを思い出しては情人としておいてよい気が源氏にするのである。源氏の君は一度でも関係を作った女を忘れて捨ててしまうようなことはなかった。
 左衛門《さえもん》の乳母《めのと》といって、源氏からは大弐《だいに》の乳母の次にいたわられていた女の、一人娘は大輔《たゆう》の命婦《みょうぶ》といって御所勤めをしていた。王氏の兵部《ひょうぶ》大輔である人が父であった。多情な若い女であったが、源氏も宮中の宿直所《とのいどころ》では女房のようにして使っていた。左衛門の乳母は今は筑前守《ちくぜんのかみ》と結婚していて、九州へ行ってしまったので、父である兵部大輔の家を実家として女官を勤めているのである。常陸《ひたち》の太守であった親王(兵部大輔はその息《そく》である)が年をおとりになってからお持ちになった姫君が孤児になって残っていることを何かのついでに命婦が源氏へ話した。気の毒な気がして源氏は詳しくその人のことを尋ねた。
「どんな性質でいらっしゃるとか御容貌《ごきりょう》のこととか、私はよく知らないのでございます。内気なおとなしい方ですから、時々は几帳《きちょう》越しくらいのことでお話をいたします。琴《きん》がいちばんお友だちらしゅうございます」
「それはいいことだよ。琴と詩と酒を三つの友というのだよ。酒だけはお嬢さんの友だちにはいけないがね」
 こんな冗談《じょうだん》を源氏は言ったあとで、
「私にその女王さんの琴の音《ね》を聞かせないか。常陸の宮さんは、そうした音楽などのよくできた方らしいから、平凡な芸ではなかろうと思われる」
 と言った。
「そんなふうに思召《おぼしめ》してお聞きになります価値がございますか、どうか」
「思わせぶりをしないでもいいじゃないか。このごろは朧月《おぼろづき》があるからね、そっと行ってみよう。君も家《うち》へ退《さが》っていてくれ」
 源氏が熱心に言うので、大輔の命婦は迷惑になりそうなのを恐れながら、御所も御用のひまな時であったから、春の日永《ひなが》に退出をした。父の大輔は宮邸には住んでいないのである。その継母の家へ出入りすることをきらって、命婦は祖父の宮家へ帰るのである。
 源氏は言っていたように十六夜《いざよい》の月の朧《おぼ》ろに霞《かす》んだ夜に命婦を訪問した。
「困ります。こうした天気は決して音楽に適しませんのですもの」
「まあいいから御殿へ行って、ただ一声でいいからお弾《ひ》かせしてくれ。聞かれないで帰るのではあまりつまらないから」
 と強《し》いて望まれて、この貴公子を取り散らした自身の部屋へ置いて行くことを済まなく思いながら、命婦が寝殿《しんでん》へ行ってみると、まだ格子《こうし》をおろさないで梅の花のにおう庭を女王はながめていた。よいところであると命婦は心で思った。
「琴の声が聞かせていただけましたらと思うような夜分でございますから、部屋を出てまいりました。私はこちらへ寄せていただいていましても、いつも時間が少なくて、伺わせていただく間のないのが残念でなりません」
 と言うと、
「あなたのような批評家がいては手が出せない。御所に出ている人などに聞いてもらえる芸なものですか」
 こう言いながらも、すぐに女王が琴を持って来させるのを見ると、命婦がかえってはっとした。源氏の聞いていることを思うからである。女王はほのかな爪音《つまおと》を立てて行った。源氏はおもしろく聞いていた。たいした深い芸ではないが、琴の音というものは他の楽器の持たない異国風な声であったから、聞きにくくは思わなかった。この邸《やしき》は非常に荒れているが、こんな寂しい所に女王の身分を持っていて、大事がられた時代の名残《なごり》もないような生活をするのでは、どんなに味気ないことが多かろう。昔の小説にもこんな背景の前によく佳人が現われてくるものだなどと源氏は思って今から交渉の端緒を作ろうかとも考えたが、ぶしつけに思われることが恥ずかしくて座を立ちかねていた。
 命婦は才気のある女であったから、名手の域に遠い人の音楽を長く源氏に聞かせておくことは女王の損になると思った。
「雲が出て月が見えないがちの晩でございますわね。今夜私のほうへ訪問してくださるお約束の方がございましたから、私がおりませんとわざと避けたようにも当たりますから、またゆるりと聞かせていただきます。お格子をおろして行きましょう」
 命婦は琴を長く弾《ひ》かせないで部屋へ帰った。
「あれだけでは聞かせてもらいがいもない。どの程度の名手なのかわからなくてつまらない」
 源氏は女王に好感を持つらしく見えた。
「できるなら近いお座敷のほうへ案内して行ってくれて、よそながらでも女王さんの衣摺《きぬず》れの音のようなものを聞かせてくれないか」
 と言った。命婦は近づかせないで、よりよい想像をさせておきたかった。
「それはだめでございますよ。お気の毒なお暮らしをして、めいりこんでいらっしゃる方に、男の方を御紹介することなどはできません」
 と命婦の言うのが道理であるように源氏も思った。男女が思いがけなく会合して語り合うというような階級にははいらない、ともかくも貴女なんであるからと思ったのである。
「しかし、将来は交際ができるように私の話をしておいてくれ」
 こう命婦に頼んでから、源氏はまた今夜をほかに約束した人があるのか帰って行こうとした。
「あまりにまじめ過ぎるからと陛下がよく困るようにおっしゃっていらっしゃいますのが、私にはおかしくてならないことがおりおりございます。こんな浮気《うわき》なお忍び姿を陛下は御覧になりませんからね」
 と命婦が言うと、源氏は二足三足帰って来て、笑いながら言う。
「何を言うのだね。品行方正な人間でも言うように。これを浮気《うわき》と言ったら、君の恋愛生活は何なのだ」
 多情な女だと源氏が決めていて、おりおりこんなことを面と向かって言われるのを命婦は恥ずかしく思って何とも言わなかった。
 女暮らしの家の座敷の物音を聞きたいように思って源氏は静かに庭へ出たのである。大部分は朽ちてしまったあとの少し残った透垣《すいがき》のからだが隠せるほどの蔭《かげ》へ源氏が寄って行くと、そこに以前から立っていた男がある。だれであろう女王に恋をする好色男があるのだと思って、暗いほうへ隠れて立っていた。初めから庭にいたのは頭中将《とうのちゅうじょう》なのである。今日《きょう》も夕方御所を同時に退出しながら、源氏が左大臣家へも行かず、二条の院へも帰らないで、妙に途中で別れて行ったのを見た中将が、不審を起こして、自身のほうにも行く家があったのを行かずに、源氏のあとについて来たのである。わざと貧弱な馬に乗って狩衣《かりぎぬ》姿をしていた中将に源氏は気づかなかったのであったが、こんな思いがけない邸《やしき》へはいったのがまた中将の不審を倍にして、立ち去ることができなかったころに、琴を弾く音《ね》がしてきたので、それに心も惹《ひ》かれて庭に立ちながら、一方では源氏の出て来るのを待っていた。源氏はまだだれであるかに気がつかないで、顔を見られまいとして抜き足をして庭を離れようとする時にその男が近づいて来て言った。
「私をお撒《ま》きになったのが恨めしくて、こうしてお送りしてきたのですよ。

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もろともに大内山は出《い》でつれど入る方見せぬいざよひの月」
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 さも秘密を見現わしたように得意になって言うのが腹だたしかったが、源氏は頭中将であったことに安心もされ、おかしくなりもした。
「そんな失敬なことをする者はあなたのほかにありませんよ」
 憎らしがりながらまた言った。

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「里分かぬかげを見れども行く月のいるさの山を誰《たれ》かたづぬる
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 こんなふうに私が始終あなたについて歩いたらお困りになるでしょう、あなたはね」
「しかし、恋の成功はよい随身をつれて行くか行かないかで決まることもあるでしょう。これからはごいっしょにおつれください。お一人歩きは危険ですよ」
 頭中将はこんなことを言った。頭中将に得意がられていることを源氏は残念にも思ったが、あの撫子《なでしこ》の女が自身のものになったことを中将が知らないことだけが内心には誇らしかった。源氏にも頭中将にも第二の行く先は決まっていたが、戯談《じょうだん》を言い合っていることがおもしろくて、別れられずに一つの車に乗って、朧月夜《おぼろづきよ》の暗くなった時分に左大臣家に来た。前駆に声も立てさせずに、そっとはいって、人の来ない廊の部屋で直衣《のうし》に着かえなどしてから、素知らぬ顔で、今来たように笛を吹き合いながら源氏の住んでいるほうへ来たのである。その音《ね》に促されたように左大臣は高麗笛《こまぶえ》を持って来て源氏へ贈った。その笛も源氏は得意であったからおもしろく吹いた。合奏のために琴も持ち出されて女房の中でも音楽のできる人たちが選ばれて弾《ひ》き手になった。琵琶《びわ》が上手《じょうず》である中将という女房は、頭中将に恋をされながら、それにはなびかないで、このたまさかにしか来ない源氏の心にはたやすく従ってしまった女であって、源氏との関係がすぐに知れて、このごろは大臣の夫人の内親王様も中将を快くお思いにならなくなったのに悲観して、今日も仲間から離れて物蔭《ものかげ》で横になっていた。源氏を見る機会のない所へ行ってしまうのもさすがに心細くて、煩悶《はんもん》をしているのである。楽音の中にいながら二人の貴公子はあの荒れ邸の琴の音を思い出していた。ひどくなった家もおもしろいもののようにばかり思われて、空想がさまざまに伸びていく。可憐《かれん》な美人が、あの家の中で埋没されたようになって暮らしていたあとで、発見者の自分の情人にその人がなったら、自分はまたその人の愛におぼれてしまうかもしれない。それで方々で物議が起こることになったらまたちょっと自分は困るであろうなどとまで頭中将は思った。源氏が決してただの気持ちであの邸を訪問したのではないことだけは確かである。先を越すのはこの人であるかもしれないと思うと、頭中将は口惜《くちお》しくて、自身の期待が危《あぶな》かしいようにも思われた。
 それからのち二人の貴公子が常陸《ひたち》の宮の姫君へ手紙を送ったことは想像するにかたくない。しかしどちらへも返事は来ない。それが気になって頭中将は、いやな態度だ、あんな家に住んでいるような人は物の哀れに感じやすくなっていねばならないはずだ、自然の木や草や空のながめにも心と一致するものを見いだしておもしろい手紙を書いてよこすようでなければならない、いくら自尊心のあるのはよいものでも、こんなに返事をよこさない女には反感が起こるなどと思っていらいらとするのだった。仲のよい友だちであったから頭中将は隠し立てもせずにその話を源氏にするのである。
「常陸の宮の返事が来ますか、私もちょっとした手紙をやったのだけれど何にも言って来ない。侮辱された形ですね」
 自分の想像したとおりだ、頭中将はもう手紙を送っているのだと思うと源氏はおかしかった。
「返事を格別見たいと思わない女だからですか、来たか来なかったかよく覚えていませんよ」
 源氏は中将をじらす気なのである。返事の来ないことは同じなのである。中将は、そこへ行きこちらへは来ないのだと口惜《くちお》しがった。源氏はたいした執心を持つのでない女の冷淡な態度に厭気《いやき》がして捨てて置く気になっていたが、頭中将の話を聞いてからは、口上手《くちじょうず》な中将のほうに女は取られてしまうであろう、女はそれで好《い》い気になって、初めの求婚者のことなどは、それは止《よ》してしまったと冷ややかに自分を見くびるであろうと思うと、あるもどかしさを覚えたのである。それから大輔《たゆう》の命婦《みょうぶ》にまじめに仲介を頼んだ。
「いくら手紙をやっても冷淡なんだ。私がただ一時的な浮気《うわき》で、そうしたことを言っているのだと解釈しているのだね。私は女に対して薄情なことのできる男じゃない。いつも相手のほうが気短に私からそむいて行くことから悪い結果にもなって、結局私が捨ててしまったように言われるのだよ。孤独の人で、親や兄弟が夫婦の中を干渉するようなうるさいこともない、気楽な妻が得られたら、私は十分に愛してやることができるのだ」
「いいえ、そんな、あなた様が十分にお愛しになるようなお相手にあの方はなられそうもない気がします。非常に内気で、おとなしい点はちょっと珍らしいほどの方ですが」
 命婦は自分の知っているだけのことを源氏に話した。
「貴婦人らしい聡明《そうめい》さなどが見られないのだろう、いいのだよ、無邪気でおっとりとしていれば私は好きだ」
 命婦に逢《あ》えばいつもこんなふうに源氏は言っていた。その後源氏は瘧病《わらわやみ》になったり、病気がなおると少年時代からの苦しい恋の悩みに世の中に忘れてしまうほどに物思いをしたりして、この年の春と夏とが過ぎてしまった。秋になって、夕顔の五条の家で聞いた砧《きぬた》の耳についてうるさかったことさえ恋しく源氏に思い出されるころ、源氏はしばしば常陸の宮の女王へ手紙を送った。返事のないことは秋の今も初めに変わらなかった。あまりに人並みはずれな態度をとる女だと思うと、負けたくないというような意地も出て、命婦へ積極的に取り持ちを迫ることが多くなった。
「どんなふうに思っているのだろう。私はまだこんな態度を取り続ける女に出逢ったことはないよ」
 不快そうに源氏の言うのを聞いて命婦も気の毒がった。
「私は格別この御縁はよろしくございませんとも言っておりませんよ。ただあまり内気過ぎる方で男の方との交渉に手が出ないのでしょうと、お返事の来ないことを私はそう解釈しております」
「それがまちがっているじゃないか。とても年が若いとか、また親がいて自分の意志では何もできないというような人たちこそ、それがもっともだとは言えるが、あんな一人ぼっちの心細い生活をしている人というものは、異性の友だちを作って、それから優しい慰めを言われたり、自分のことも人に聞かせたりするのがよいことだと思うがね。私はもう面倒《めんどう》な結婚なんかどうでもいい。あの古い家を訪問して、気の毒なような荒れた縁側へ上がって話すだけのことをさせてほしいよ。あの人がよいと言わなくても、ともかくも私をあの人に接近させるようにしてくれないか。気短になって取り返しのならないような行為に出るようなことは断じてないだろう」
 などと源氏は言うのであった。女の噂《うわさ》を関心も持たないように聞いていながら、その中のある者に特別な興味を持つような癖が源氏にできたころ、源氏の宿直所《とのいどころ》のつれづれな夜話に、命婦が何の気なしに語った常陸の宮の女王のことを始終こんなふうに責任のあるもののように言われるのを命婦は迷惑に思っていた。女王の様子を思ってみると、それが似つかわしいこととは仮にも思えないのであったから、よけいな媒介役を勤めて、結局女王を不幸にしてしまうのではないかとも思えたが、源氏がきわめてまじめに言い出していることであったから、同意のできない理由もまたない気がした。常陸の太守の宮が御在世中でも古い御代《みよ》の残りの宮様として世間は扱って、御生活も豊かでなかった。お訪《たず》ねする人などはその時代から皆無といってよい状態だったのだから、今になってはまして草深い女王の邸へ出入りしようとする者はなかった。その家へ光源氏の手紙が来たのであるから、女房らは一陽来復の夢を作って、女王に返事を書くことも勧めたが、世間のあらゆる内気の人の中の最も引っ込み思案の女王は、手紙に語られる源氏の心に触れてみる気も何もなかったのである。命婦はそんなに源氏の望むことなら、自分が手引きして物越しにお逢わせしよう、お気に入らなければそれきりにすればいいし、また縁があって情人関係になっても、それを干渉して止める人は宮家にないわけであるなどと、命婦自身が恋愛を軽いものとして考えつけている若い心に思って、女王の兄にあたる自身の父にも話しておこうとはしなかった。
 八月の二十日過ぎである。八、九時にもまだ月が出ずに星だけが白く見える夜、古い邸《やしき》の松風が心細くて、父宮のことなどを言い出して、女王は命婦といて泣いたりしていた。源氏に訪《たず》ねて来させるのによいおりであると思った命婦のしらせが行ったか、この春のようにそっと源氏が出て来た。その時分になって昇《のぼ》った月の光が、古い庭をいっそう荒涼たるものに見せるのを寂しい気持ちで女王がながめていると命婦が勧めて琴を弾かせた。まずくはない、もう少し近代的の光沢が添ったらいいだろうなどと、ひそかなことを企てて心の落ち着かぬ命婦は思っていた。人のあまりいない家であったから源氏は気楽に中へはいって命婦を呼ばせた。命婦ははじめて知って驚くというふうに見せて、
「いらっしったお客様って、それは源氏の君なんですよ。始終御交際をする紹介役をするようにってやかましく言っていらっしゃるのですが、そんなことは私にだめでございますってお断わりばかりしておりますの、そしたら自分で直接お話しに行くってよくおっしゃるのです。お帰しはできませんわね。ぶしつけをなさるような方なら何ですが、そんな方じゃございません。物越しでお話をしておあげになることだけを許してあげてくださいましね」
 と言うと女王は非常に恥ずかしがって、
「私はお話のしかたも知らないのだから」
 と言いながら部屋の奥のほうへ膝行《いざ》って行くのがういういしく見えた。命婦は笑いながら、
「あまりに子供らしくいらっしゃいます。どんな貴婦人といいましても、親が十分に保護していてくださる間だけは子供らしくしていてよろしくても、こんな寂しいお暮らしをしていらっしゃりながら、あまりあなたのように羞恥《しゅうち》の観念の強いことはまちがっています」
 こんな忠告をした。人の言うことにそむかれない内気な性質の女王は、
「返辞をしないでただ聞いてだけいてもいいというのなら、格子でもおろしてここにいていい」
 と言った。
「縁側におすわらせすることなどは失礼でございます。無理なことは決してなさいませんでしょう」
 体裁よく言って、次の室との間の襖子《からかみ》を命婦自身が確かに閉《し》めて、隣室へ源氏の座の用意をしたのである。源氏は少し恥ずかしい気がした。人としてはじめて逢《あ》う女にはどんなことを言ってよいかを知らないが、命婦が世話をしてくれるであろうと決めて座についた。乳母のような役をする老女たちは部屋へはいって宵惑《よいまど》いの目を閉じているころである。若い二、三人の女房は有名な源氏の君の来訪に心をときめかせていた。よい服に着かえさせられながら女王自身は何の心の動揺もなさそうであった。男はもとよりの美貌《びぼう》を目だたぬように化粧して、今夜はことさら艶《えん》に見えた。美の価値のわかる人などのいない所だのにと命婦は気の毒に思った。命婦には女王がただおおようにしているに相違ない点だけが安心だと思われた。会話に出過ぎた失策をしそうには見えないからである。自分の責めのがれにしたことで、気の毒な女王をいっそう不幸にしないだろうかという不安はもっていた。源氏は相手の身柄を尊敬している心から利巧《りこう》ぶりを見せる洒落気《しゃれぎ》の多い女よりも、気の抜けたほどおおようなこんな人のほうが感じがよいと思っていたが、襖子の向こうで、女房たちに勧められて少し座を進めた時に、かすかな衣被香《えびこう》のにおいがしたので、自分の想像はまちがっていなかったと思い、長い間思い続けた恋であったことなどを上手《じょうず》に話しても、手紙の返事をしない人からはまた口ずからの返辞を受け取ることができなかった。
「どうすればいいのです」
 と源氏は歎息《たんそく》した。

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「いくそ度《たび》君が沈黙《しじま》に負けぬらん物な云《い》ひそと云はぬ頼みに
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 言いきってくださいませんか。私の恋を受けてくださるのか、受けてくださらないかを」
 女王の乳母の娘で侍従という気さくな若い女房が、見かねて、女王のそばへ寄って女王らしくして言った。

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鐘つきてとぢめんことはさすがにて答へまうきぞかつはあやなき
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 若々しい声で、重々しくものの言えない人が代人でないようにして言ったので、貴女《きじょ》としては甘ったれた態度だと源氏は思ったが、はじめて相手にものを言わせたことがうれしくて、
「こちらが何とも言えなくなります、

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云《い》はぬをも云ふに勝《まさ》ると知りながら押しこめたるは苦しかりけり」
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 いろいろと、それは実質のあることではなくても、誘惑的にもまじめにも源氏は語り続けたが、あの歌きりほかの返辞はなかった、こんな態度を男にとるのは特別な考えをもっている人なんだろうかと思うと、源氏は自身が軽侮されているような口惜《くちお》しい気がした。その時に源氏は女王の室のほうへ襖子《からかみ》をあけてはいったのである。命婦はうかうかと油断をさせられたことで女王を気の毒に思うと、そこにもおられなくて、そしらぬふうをして自身の部屋のほうへ帰った。侍従などという若い女房は光源氏ということに好意を持っていて、主人をかばうことにもたいして力が出なかったのである。こんなふうに何の心の用意もなくて結婚してしまう女王に同情しているばかりであった。女王はただ羞恥《しゅうち》の中にうずもれていた。源氏は結婚の初めのうちはこんなふうである女がよい、独身で長く大事がられてきた女はこんなものであろうと酌量《しゃくりょう》して思いながらも、手探りに知った女の様子に腑《ふ》に落ちぬところもあるようだった。愛情が新しく湧《わ》いてくるようなことは少しもなかった。歎息《たんそく》しながらまだ暁方に帰ろうと源氏はした。命婦はどうなったかと一夜じゅう心配で眠れなくて、この時の物音も知っていたが、黙っているほうがよいと思って、「お送りいたしましょう」と挨拶《あいさつ》の声も立てなかった。源氏は静かに門を出て行ったのである。
 二条の院へ帰って、源氏は又寝《またね》をしながら、何事も空想したようにはいかないものであると思って、ただ身分が並み並みの人でないために、一度きりの関係で退《の》いてしまうような態度の取れない点を煩悶《はんもん》するのだった。そんな所へ頭中将《とうのちゅうじょう》が訪問してきた。
「たいへんな朝寝なんですね。なんだかわけがありそうだ」
 と言われて源氏は起き上がった。
「気楽な独《ひと》り寝なものですから、いい気になって寝坊をしてしまいましたよ。御所からですか」
「そうです。まだ家《うち》へ帰っていないのですよ。朱雀《すざく》院の行幸の日の楽の役と舞《まい》の役の人選が今日あるのだそうですから、大臣にも相談しようと思って退出したのです。そしてまたすぐに御所へ帰ります」
 頭中将は忙しそうである。
「じゃあいっしょに行きましょう」
 こう言って、源氏は粥《かゆ》や強飯《こわめし》の朝食を客とともに済ませた。源氏の車も用意されてあったが二人は一つの車に乗ったのである。あなたは眠そうだなどと中将は言って、
「私に隠すような秘密をあなたはたくさん持っていそうだ」
 とも恨んでいた。
 その日御所ではいろんな決定事項が多くて源氏も終日宮中で暮らした。新郎はその翌朝に早く手紙を送り、第二夜からの訪問を忠実に続けることが一般の礼儀であるから、自身で出かけられないまでも、せめて手紙を送ってやりたいと源氏は思っていたが、閑暇《ひま》を得て夕方に使いを出すことができた。雨が降っていた。こんな夜にちょっとでも行ってみようというほどにも源氏の心を惹《ひ》くものは昨夜の新婦に見いだせなかった。
 あちらでは時刻を計って待っていたが源氏は来ない。命婦《みょうぶ》も女王をいたましく思っていた。女王自身はただ恥ずかしく思っているだけで、今朝来るべきはずの手紙が夜になってまで来ないことが何の苦労にもならなかった。

[#ここから2字下げ]
夕霧の晴るるけしきもまだ見ぬにいぶせさ添ふる宵《よひ》の雨かな

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この晴れ間をどんなに私は待ち遠しく思うことでしょう。
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 と源氏の手紙にはあった。来そうもない様子に女房たちは悲観した。返事だけはぜひお書きになるようにと勧めても、まだ昨夜から頭を混乱させている女王は、形式的に言えばいいこんな時の返歌も作れない。夜が更《ふ》けてしまうからと侍従が気をもんで代作した。

[#ここから2字下げ]
晴れぬ夜の月待つ里を思ひやれ同じ心にながめせずとも
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 書くことだけは自身でなければならないと皆から言われて、紫色の紙であるが、古いので灰色がかったのへ、字はさすがに力のある字で書いた。中古の書風である。一所も散らしては書かず上下そろえて書かれてあった。
 失望して源氏は手紙を手から捨てた。今夜自分の行かないことで女はさぞ煩悶《はんもん》をしているであろうとそんな情景を心に描いてみる源氏も煩悶はしているのだった。けれども今さらしかたのないことである、いつまでも捨てずに愛してやろうと、源氏は結論としてこう思ったのであるが、それを知らない常陸《ひたち》の宮家の人々はだれもだれも暗い気持ちから救われなかった。
 夜になってから退出する左大臣に伴われて源氏はその家へ行った。行幸の日を楽しみにして、若い公達《きんだち》が集まるとその話が出る。舞曲の勉強をするのが仕事のようになっていたころであったから、どこの家でも楽器の音をさせているのである。左大臣の子息たちも、平生の楽器のほかの大篳篥《おおひちりき》、尺八などの、大きいものから太い声をたてる物も混ぜて、大がかりの合奏の稽古《けいこ》をしていた。太鼓までも高欄の所へころがしてきて、そうした役はせぬことになっている公達が自身でたたいたりもしていた。こんなことで源氏も毎日|閑暇《ひま》がない。心から恋しい人の所へ行く時間を盗むことはできても、常陸の宮へ行ってよい時間はなくて九月が終わってしまった。それでいよいよ行幸の日が近づいて来たわけで、試楽とか何とか大騒ぎするころに命婦《みょうぶ》は宮中へ出仕した。
「どうしているだろう」
 源氏は不幸な相手をあわれむ心を顔に見せていた。大輔《たゆう》の命婦はいろいろと近ごろの様子を話した。
「あまりに御冷淡です。その方でなくても見ているものがこれではたまりません」
 泣き出しそうにまでなっていた。悪い感じも源氏にとめさせないで、きれいに結末をつけようと願っていたこの女の意志も尊重しなかったことで、どんなに恨んでいるだろうとさえ源氏は思った。またあの人自身は例の無口なままで物思いを続けていることであろうと想像されてかわいそうであった。
「とても忙しいのだよ。恨むのは無理だ」
 歎息《たんそく》をして、それから、
「こちらがどう思っても感受性の乏しい人だからね。懲らそうとも思って」
 こう言って源氏は微笑を見せた。若い美しいこの源氏の顔を見ていると、命婦も自身までが笑顔《えがお》になっていく気がした。だれからも恋の恨みを負わされる青春を持っていらっしゃるのだ、女に同情が薄くて我儘《わがまま》をするのも道理なのだと思った。この行幸準備の用が少なくなってから時々源氏は常陸の宮へ通った。そのうち若紫を二条の院へ迎えたのであったから、源氏は小女王を愛することに没頭していて、六条の貴女に逢うことも少なくなっていた。人の所へ通って行くことは始終心にかけながらもおっくうにばかり思えた。
 常陸の女王のまだ顔も見せない深い羞恥《しゅうち》を取りのけてみようとも格別しないで時がたった。あるいは源氏がこの人を顕《あら》わに見た刹那《せつな》から好きになる可能性があるとも言えるのである。手探りに不審な点があるのか、この人の顔を一度だけ見たいと思うこともあったが、引っ込みのつかぬ幻滅を味わわされることも思うと不安だった。だれも人の来ることを思わない、まだ深夜にならぬ時刻に源氏はそっと行って、格子の間からのぞいて見た。けれど姫君はそんな所から見えるものでもなかった。几帳《きちょう》などは非常に古びた物であるが、昔作られたままに皆きちんとかかっていた。どこからか隙見《すきみ》ができるかと源氏は縁側をあちこちと歩いたが、隅《すみ》の部屋にだけいる人が見えた。四、五人の女房である。食事台、食器、これらは支那《しな》製のものであるが、古くきたなくなって見る影もない。女王の部屋から下げたそんなものを置いて、晩の食事をこの人たちはしているのである。皆寒そうであった。白い服の何ともいえないほど煤《すす》けてきたなくなった物の上に、堅気《かたぎ》らしく裳《も》の形をした物を後ろにくくりつけている。しかも古風に髪を櫛《くし》で後ろへ押えた額のかっこうなどを見ると、内教坊《ないきょうぼう》(宮中の神前奉仕の女房が音楽の練習をしている所)や内侍所《ないしどころ》ではこんなかっこうをした者がいると思えて源氏はおかしかった。こんなふうを人間に仕える女房もしているものとはこれまで源氏は知らなんだ。
「まあ寒い年。長生きをしているとこんな冬にも逢《あ》いますよ」
 そう言って泣く者もある。
「宮様がおいでになった時代に、なぜ私は心細いお家《うち》だなどと思ったのだろう。その時よりもまたどれだけひどくなったかもしれないのに、やっぱり私らは我慢して御奉公している」
 その女は両|袖《そで》をばたばたといわせて、今にも空中へ飛び上がってしまうように慄《ふる》えている。生活についての剥《む》き出しな、きまりの悪くなるような話ばかりするので、聞いていて恥ずかしくなった源氏は、そこから退《の》いて、今来たように格子をたたいたのであった。
「さあ、さあ」
 などと言って、灯《ひ》を明るくして、格子を上げて源氏を迎えた。侍従は一方で斎院《さいいん》の女房を勤めていたからこのごろは来ていないのである。それがいないのでいっそうすべての調子が野暮《やぼ》らしかった。先刻老人たちの愁《うれ》えていた雪がますます大降りになってきた。すごい空の下を暴風が吹いて、灯の消えた時にも点《つ》け直そうとする者はない。某《なにがし》の院の物怪《もののけ》の出た夜が源氏に思い出されるのである。荒廃のしかたはそれに劣らない家であっても、室の狭いのと、人間があの時よりは多い点だけを慰めに思えば思えるのであるが、ものすごい夜で、不安な思いに絶えず目がさめた。こんなことはかえって女への愛を深くさせるものなのであるが、心を惹《ひ》きつける何物をも持たない相手に源氏は失望を覚えるばかりであった。やっと夜が明けて行きそうであったから、源氏は自身で格子を上げて、近い庭の雪の景色《けしき》を見た。人の踏み開いた跡もなく、遠い所まで白く寂しく雪が続いていた。今ここから出て行ってしまうのもかわいそうに思われて言った。
「夜明けのおもしろい空の色でもいっしょにおながめなさい。いつまでもよそよそしくしていらっしゃるのが苦しくてならない」
 まだ空はほの暗いのであるが、積もった雪の光で常よりも源氏の顔は若々しく美しく見えた。老いた女房たちは目の楽しみを与えられて幸福であった。
「さあ早くお出なさいまし、そんなにしていらっしゃるのはいけません。素直になさるのがいいのでございますよ」
 などと注意をすると、この極端に内気な人にも、人の言うことは何でもそむけないところがあって、姿を繕いながら膝行《いざ》って出た。源氏はその方は見ないようにして雪をながめるふうはしながらも横目は使わないのでもない。どうだろう、この人から美しい所を発見することができたらうれしかろうと源氏の思うのは無理な望みである。すわった背中の線の長く伸びていることが第一に目へ映った。はっとした。その次に並みはずれなものは鼻だった。注意がそれに引かれる。普賢菩薩《ふげんぼさつ》の乗った象という獣が思われるのである。高く長くて、先のほうが下に垂《た》れた形のそこだけが赤かった。それがいちばんひどい容貌《きりょう》の欠陥だと見える。顔色は雪以上に白くて青みがあった。額が腫《ふく》れたように高いのであるが、それでいて下方の長い顔に見えるというのは、全体がよくよく長い顔であることが思われる。痩《や》せぎすなことはかわいそうなくらいで、肩のあたりなどは痛かろうと思われるほど骨が着物を持ち上げていた。なぜすっかり見てしまったのであろうと後悔をしながらも源氏は、あまりに普通でない顔に気を取られていた。頭の形と、髪のかかりぐあいだけは、平生美人だと思っている人にもあまり劣っていないようで、裾《すそ》が袿《うちぎ》の裾をいっぱいにした余りがまだ一尺くらいも外へはずれていた。その女王の服装までも言うのはあまりにはしたないようではあるが、昔の小説にも女の着ている物のことは真先《まっさき》に語られるものであるから書いてもよいかと思う。桃色の変色してしまったのを重ねた上に、何色かの真黒《まっくろ》に見える袿《うちぎ》、黒貂《ふるき》の毛の香のする皮衣を着ていた。毛皮は古風な貴族らしい着用品ではあるが、若い女に似合うはずのものでなく、ただ目だって異様だった。しかしながらこの服装でなければ寒気が堪えられぬと思える顔であるのを源氏は気の毒に思って見た。何ともものが言えない。相手と同じように無言の人に自身までがなった気がしたが、この人が初めからものを言わなかったわけも明らかにしようとして何かと尋ねかけた。袖《そで》で深く口を被《おお》うているのもたまらなく野暮《やぼ》な形である。自然|肱《ひじ》が張られて練って歩く儀式官の袖が思われた。さすがに笑顔《えがお》になった女の顔は品も何もない醜さを現わしていた。源氏は長く見ていることがかわいそうになって、思ったよりも早く帰って行こうとした。
「どなたもお世話をする人のないあなたと知って結婚した私には何も御遠慮なんかなさらないで、必要なものがあったら言ってくださると私は満足しますよ。私を信じてくださらないから恨めしいのですよ」
 などと、早く出て行く口実をさえ作って、

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朝日さす軒のたるひは解けながらなどかつららの結ぼほるらん
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 と言ってみても、「むむ」と口の中で笑っただけで、返歌の出そうにない様子が気の毒なので、源氏はそこを出て行ってしまった。
 中門の車寄せの所が曲がってよろよろになっていた。夜と朝とは荒廃の度が違って見えるものである、どこもかしこも目に見える物はみじめでたまらない姿ばかりであるのに、松の木へだけは暖かそうに雪が積もっていた。田舎《いなか》で見るような身にしむ景色《けしき》であることを源氏は感じながら、いつか品定めに葎《むぐら》の門の中ということを人が言ったが、これはそれに相当する家であろう。ほんとうにあの人たちの言ったように、こんな家に可憐《かれん》な恋人を置いて、いつもその人を思っていたらおもしろいことであろう、自分の、思ってならぬ人を思う苦しみはそれによって慰められるであろうがと思って、これは詩的な境遇にいながらなんらの男を引きつける力のない女であると断案を下しながらも、自分以外の男はあの人を終世変わりない妻として置くことはできまい、自分があの人の良人《おっと》になったのも、気がかりにお思いになったはずの父宮の霊魂が導いて行ったことであろうと思ったのであった。うずめられている橘《たちばな》の木の雪を随身に払わせた時、横の松の木がうらやましそうに自力で起き上がって、さっと雪をこぼした。たいした教養はなくてもこんな時に風流を言葉で言いかわす人がせめて一人でもいないのだろうかと源氏は思った。車の通れる門はまだ開《あ》けてなかったので、供の者が鍵《かぎ》を借りに行くと、非常な老人《としより》の召使が出て来た。そのあとから、娘とも孫とも見える、子供と大人の間くらいの女が、着物は雪との対照であくまできたなく汚《よご》れて見えるようなのを着て、寒そうに何か小さい物に火を入れて袖《そで》の中で持ちながらついて来た。雪の中の門が老人の手で開《あ》かぬのを見てその娘が助けた。なかなか開かない。源氏の供の者が手伝ったのではじめて扉が左右に開かれた。

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ふりにける頭《かしら》の雪を見る人も劣らずぬらす朝の袖かな
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 と歌い、また、「霰雪白紛紛《さんせつはくふんぷん》、幼者形不蔽《えうしやはかたちをおおはず》」と吟じていたが、白楽天のその詩の終わりの句に鼻のことが言ってあるのを思って源氏は微笑された。頭中将があの自分の新婦を見たらどんな批評をすることだろう、何の譬喩《ひゆ》を用いて言うだろう、自分の行動に目を離さない人であるから、そのうちこの関係に気がつくであろうと思うと源氏は救われがたい気がした。女王が普通の容貌《きりょう》の女であったら、源氏はいつでもその人から離れて行ってもよかったであろうが、醜い姿をはっきりと見た時から、かえってあわれむ心が強くなって、良人《おっと》らしく、物質的の補助などもよくしてやるようになった。黒貂《ふるき》の毛皮でない絹、綾《あや》、綿、老いた女たちの着料になる物、門番の老人に与える物までも贈ったのである。こんなことは自尊心のある女には堪えがたいことに違いないが常陸《ひたち》の宮の女王はそれを素直に喜んで受けるのに源氏は安心して、せめてそうした世話をよくしてやりたいという気になり、生活費などものちには与えた。
 灯影《ほかげ》で見た空蝉《うつせみ》の横顔が美しいものではなかったが、姿態の優美さは十分の魅力があった。常陸《ひたち》の宮の姫君はそれより品の悪いはずもない身分の人ではないか、そんなことを思うと上品であるということは身柄によらぬことがわかる。男に対する洗練された態度、正義の観念の強さ、ついには負けて退却をしたなどと源氏は何かのことにつけて空蝉が思い出された。
 その年の暮れの押しつまったころに、源氏の御所の宿直所《とのいどころ》へ大輔《たゆう》の命婦《みょうぶ》が来た。源氏は髪を梳《す》かせたりする用事をさせるのには、恋愛関係などのない女で、しかも戯談《じょうだん》の言えるような女を選んで、この人などがよくその役に当たるのである。呼ばれない時でも大輔はそうした心安さからよく桐壺《きりつぼ》へ来た。
「変なことがあるのでございますがね。申し上げないでおりますのも意地が悪いようにとられることですし、困ってしまって上がったのでございます」
 微笑《ほほえみ》を見せながらそのあとを大輔は言わない。
「なんだろう。私には何も隠すことなんかない君だと思っているのに」
「いいえ、私自身のことでございましたら、もったいないことですがあなた様に御相談に上がって申し上げます。この話だけは困ってしまいました」
 なお言おうとしないのを、源氏は例のようにこの女がまた思わせぶりを始めたと見ていた。
「常陸の宮から参ったのでございます」
 こう言って命婦は手紙を出した。
「じゃ何も君が隠さねばならぬわけもないじゃないか」
 こうは言ったが、受け取った源氏は当惑した。もう古くて厚ぼったくなった檀紙《だんし》に薫香《くんこう》のにおいだけはよくつけてあった。ともかくも手紙の体《てい》はなしているのである。歌もある。

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唐衣《からごろも》君が心のつらければ袂《たもと》はかくぞそぼちつつのみ
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 何のことかと思っていると、おおげさな包みの衣裳箱《いしょうばこ》を命婦は前へ出した。
「これがきまり悪くなくてきまりの悪いことってございませんでしょう。お正月のお召《めし》にというつもりでわざわざおつかわしになったようでございますから、お返しする勇気も私にございません。私の所へ置いておきましても先様の志を無視することになるでしょうから、とにかくお目にかけましてから処分をいたすことにしようと思うのでございます」
「君の所へ留めて置かれたらたいへんだよ。着物の世話をしてくれる家族もないのだからね、御親切をありがたく受けるよ」
 とは言ったが、もう戯談《じょうだん》も口から出なかった。それにしてもまずい歌である。これは自作に違いない、侍従がおれば筆を入れるところなのだが、そのほかには先生はないのだからと思うと、その人の歌作に苦心をする様子が想像されておかしくて、
「もったいない貴婦人と言わなければならないのかもしれない」
 と言いながら源氏は微笑して手紙と贈り物の箱をながめていた。命婦は真赤《まっか》になっていた。臙脂《えんじ》の我慢のできないようないやな色に出た直衣《のうし》で、裏も野暮《やぼ》に濃い、思いきり下品なその端々が外から見えているのである。悪感を覚えた源氏が、女の手紙の上へ無駄《むだ》書きをするようにして書いているのを命婦が横目で見ていると、

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なつかしき色ともなしに何にこの末摘花《すゑつむはな》を袖《そで》に触れけん
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 色濃き花と見しかども、とも読まれた。花という字にわけがありそうだと、月のさし込んだ夜などに時々見た女王の顔を命婦は思い出して、源氏のいたずら書きをひどいと思いながらもしまいにはおかしくなった。

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「くれなゐのひとはな衣《ごろも》うすくともひたすら朽たす名をし立てずば
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 その我慢も人生の勤めでございますよ」
 理解があるらしくこんなことを言っている命婦もたいした女ではないが、せめてこれだけの才分でもあの人にあればよかったと源氏は残念な気がした。身分が身分である、自分から捨てられたというような気の毒な名は立てさせたくないと思うのが源氏の真意だった。ここへ伺候して来る人の足音がしたので、
「これを隠そうかね。男はこんな真似《まね》も時々しなくてはならないのかね」
 源氏はいまいましそうに言った。なぜお目にかけたろう、自分までが浅薄な人間に思われるだけだったと恥ずかしくなり命婦はそっと去ってしまった。
 翌日命婦が清涼殿に出ていると、その台盤所《だいばんどころ》を源氏がのぞいて、
「さあ返事だよ。どうも晴れがましくて堅くなってしまったよ」
 と手紙を投げた。おおぜいいた女官たちは源氏の手紙の内容をいろいろに想像した。「たたらめの花のごと、三笠《みかさ》の山の少女《をとめ》をば棄《す》てて」という歌詞を歌いながら源氏は行ってしまった。また赤い花の歌であると思うと、命婦はおかしくなって笑っていた。理由を知らない女房らは口々に、
「なぜひとり笑いをしていらっしゃるの」
 と言った。
「いいえ寒い霜の朝にね、『たたらめの花のごと掻練《かいねり》好むや』という歌のように、赤くなった鼻を紛らすように赤い掻練を着ていたのをいつか見つかったのでしょう」
 と大輔の命婦が言うと、
「わざわざあんな歌をお歌いになるほど赤い鼻の人もここにはいないでしょう。左近《さこん》の命婦さんか肥後《ひご》の采女《うねめ》がいっしょだったのでしょうか、その時は」
 などと、その人たちは源氏の謎《なぞ》の意味に自身らが関係のあるようにもないようにも言って騒いでいた。
 命婦が持たせてよこした源氏の返書を、常陸《ひたち》の宮では、女房が集まって大騒ぎして読んだ。

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逢《あ》はぬ夜を隔つる中の衣手《ころもで》に重ねていとど身も沁《し》みよとや
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 ただ白い紙へ無造作《むぞうさ》に書いてあるのが非常に美しい。
 三十日の夕方に宮家から贈った衣箱の中へ、源氏が他から贈られた白い小袖《こそで》の一重ね、赤紫の織物の上衣《うわぎ》、そのほかにも山吹《やまぶき》色とかいろいろな物を入れたのを命婦が持たせてよこした。
「こちらでお作りになったのがよい色じゃなかったというあてつけの意味があるのではないでしょうか」
 と一人の女房が言うように、だれも常識で考えてそうとれるのであるが、
「でもあれだって赤くて、重々しいできばえでしたよ。まさかこちらの好意がむだになるということはないはずですよ」
 老いた女どもはそう決めてしまった。
「お歌だって、こちらのは意味が強く徹底しておできになっていましたよ。御返歌は技巧が勝ち過ぎてますね」
 これもその連中の言うことである。末摘花《すえつむはな》も大苦心をした結晶であったから、自作を紙に書いておいた。
 元三日が過ぎてまた今年は男踏歌《おとことうか》であちらこちらと若い公達《きんだち》が歌舞をしてまわる騒ぎの中でも、寂しい常陸の宮を思いやっていた源氏は、七日の白馬《あおうま》の節会《せちえ》が済んでから、お常御殿を下がって、桐壺《きりつぼ》で泊まるふうを見せながら夜がふけてから末摘花の所へ来た。これまでに変わってこの家が普通の家らしくなっていた。女王の姿も少し女らしいところができたように思われた。すっかり見違えるほどの人にできればどんなに犠牲の払いがいがあるであろうなどとも源氏は思っていた。日の出るころまでもゆるりと翌朝はとどまっていたのである。東側の妻戸をあけると、そこから向こうへ続いた廊がこわれてしまっているので、すぐ戸口から日がはいってきた。少しばかり積もっていた雪の光も混じって室内の物が皆よく見えた。源氏が直衣《のうし》を着たりするのをながめながら横向きに寝た末摘花の頭の形もその辺の畳にこぼれ出している髪も美しかった。この人の顔も美しく見うる時が至ったらと、こんなことを未来に望みながら格子《こうし》を源氏が上げた。かつてこの人を残らず見てしまった雪の夜明けに後悔されたことも思い出して、ずっと上へは格子を押し上げずに、脇息《きょうそく》をそこへ寄せて支えにした。源氏が髪の乱れたのを直していると、非常に古くなった鏡台とか、支那《しな》出来の櫛箱《くしばこ》、掻《か》き上げの箱などを女房が運んで来た。さすがに普通の所にはちょっとそろえてあるものでもない男専用の髪道具もあるのを源氏はおもしろく思った。末摘花が現代人風になったと見えるのは三十日に贈られた衣箱の中の物がすべてそのまま用いられているからであるとは源氏の気づかないところであった。よい模様であると思った袿《うちぎ》にだけは見覚えのある気がした。
「春になったのですからね。今日は声も少しお聞かせなさいよ、鶯《うぐいす》よりも何よりもそれが待ち遠しかったのですよ」
 と言うと、「さへづる春は」(百千鳥《ももちどり》囀《さへづ》る春は物ごとに改まれどもわれぞ古《ふ》り行《ゆ》く)とだけをやっと小声で言った。
「ありがとう。二年越しにやっと報いられた」
 と笑って、「忘れては夢かとぞ思ふ」という古歌を口にしながら帰って行く源氏を見送るが、口を被《おお》うた袖《そで》の蔭《かげ》から例の末摘花が赤く見えていた。見苦しいことであると歩きながら源氏は思った。
 二条の院へ帰って源氏の見た、半分だけ大人のような姿の若紫がかわいかった。紅《あか》い色の感じはこの人からも受け取れるが、こんなになつかしい紅もあるのだったと見えた。無地の桜色の細長を柔らかに着なした人の無邪気な身の取りなしが美しくかわいいのである。昔風の祖母の好みでまだ染めてなかった歯を黒くさせたことによって、美しい眉《まゆ》も引き立って見えた。自分のすることであるがなぜつまらぬいろいろな女を情人に持つのだろう、こんなに可憐《かれん》な人とばかりいないでと源氏は思いながらいつものように雛《ひな》遊びの仲間になった。紫の君は絵をかいて彩色したりもしていた。何をしても美しい性質がそれにあふれて見えるようである。源氏もいっしょに絵をかいた。髪の長い女をかいて、鼻に紅をつけて見た。絵でもそんなのは醜い。源氏はまた鏡に写る美しい自身の顔を見ながら、筆で鼻を赤く塗ってみると、どんな美貌《びぼう》にも赤い鼻の一つ混じっていることは見苦しく思われた。若紫が見て、おかしがって笑った。
「私がこんな不具者になったらどうだろう」
 と言うと、
「いやでしょうね」
 と言って、しみ込んでしまわないかと紫の君は心配していた。源氏は拭《ふ》く真似《まね》だけをして見せて、
「どうしても白くならない。ばかなことをしましたね。陛下はどうおっしゃるだろう」
 まじめな顔をして言うと、かわいそうでならないように同情して、そばへ寄って硯《すずり》の水入れの水を檀紙《だんし》にしませて、若紫が鼻の紅を拭く。
「平仲《へいちゅう》の話のように墨なんかをこの上に塗ってはいけませんよ。赤いほうはまだ我慢ができる」
 こんなことをしてふざけている二人は若々しく美しい。
 初春らしく霞《かすみ》を帯びた空の下に、いつ花を咲かせるのかとたよりなく思われる木の多い中に、梅だけが美しく花を持っていて特別なすぐれた木のように思われたが、緑の階隠《はしかく》しのそばの紅梅はことに早く咲く木であったから、枝がもう真赤《まっか》に見えた。

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くれなゐの花ぞあやなく疎《うと》まるる梅の立枝《たちえ》はなつかしけれど
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 そんなことをだれが予期しようぞと源氏は歎息《たんそく》した。末摘花、若紫、こんな人たちはそれからどうなったか。
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(訳注) この巻は「若紫」の巻と同年の一月から始まっている。
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末摘花 版本说明

底本:「全訳源氏物語 上巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年8月10日改版初版発行
   1994(平成6)年12月20日56版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月5日71版を使用しました。
入力:上田英代
校正:門田裕志
2003年7月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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07 紅葉賀

[#地から3字上げ]青海の波しづかなるさまを舞ふ若き心
[#地から3字上げ]は下に鳴れども      (晶子)

 朱雀《すざく》院の行幸は十月の十幾日ということになっていた。その日の歌舞の演奏はことに選《よ》りすぐって行なわれるという評判であったから、後宮《こうきゅう》の人々はそれが御所でなくて陪観のできないことを残念がっていた。帝《みかど》も藤壺《ふじつぼ》の女御《にょご》にお見せになることのできないことを遺憾に思召《おぼしめ》して、当日と同じことを試楽として御前でやらせて御覧になった。
 源氏の中将は青海波《せいがいは》を舞ったのである。二人舞の相手は左大臣家の頭中将《とうのちゅうじょう》だった。人よりはすぐれた風采《ふうさい》のこの公子も、源氏のそばで見ては桜に隣った深山《みやま》の木というより言い方がない。夕方前のさっと明るくなった日光のもとで青海波は舞われたのである。地をする音楽もことに冴《さ》えて聞こえた。同じ舞ながらも面《おもて》づかい、足の踏み方などのみごとさに、ほかでも舞う青海波とは全然別な感じであった。舞い手が歌うところなどは、極楽の迦陵頻伽《かりょうびんが》の声と聞かれた。源氏の舞の巧妙さに帝は御落涙あそばされた。陪席した高官たちも親王方も同様である。歌が終わって袖《そで》が下へおろされると、待ち受けたようににぎわしく起こる楽音に舞い手の頬《ほお》が染まって常よりもまた光る君と見えた。東宮の母君の女御は舞い手の美しさを認識しながらも心が平らかでなかったのである。
「神様があの美貌《びぼう》に見入ってどうかなさらないかと思われるね、気味の悪い」
 こんなことを言うのを、若い女房などは情けなく思って聞いた。
 藤壺の宮は自分にやましい心がなかったらまして美しく見える舞であろうと見ながらも夢のような気があそばされた。その夜の宿直《とのい》の女御はこの宮であった。
「今日の試楽は青海波が王だったね。どう思いましたか」
 宮はお返辞がしにくくて、
「特別に結構でございました」
 とだけ。
「もう一人のほうも悪くないようだった。曲の意味の表現とか、手づかいとかに貴公子の舞はよいところがある。専門家の名人は上手《じょうず》であっても、無邪気な艶《えん》な趣をよう見せないよ。こんなに試楽の日に皆見てしまっては朱雀院の紅葉《もみじ》の日の興味がよほど薄くなると思ったが、あなたに見せたかったからね」
 など仰せになった。
 翌朝源氏は藤壺の宮へ手紙を送った。
[#ここから1字下げ]
どう御覧くださいましたか。苦しい思いに心を乱しながらでした。

[#ここから2字下げ]
物思ふに立ち舞ふべくもあらぬ身の袖うち振りし心知りきや

[#ここから1字下げ]
失礼をお許しください。
[#ここで字下げ終わり]
 とあった。目にくらむほど美しかった昨日の舞を無視することがおできにならなかったのか、宮はお書きになった。

[#ここから2字下げ]
から人の袖ふることは遠けれど起《た》ち居《ゐ》につけて哀れとは見き

[#ここから1字下げ]
一観衆として。
[#ここで字下げ終わり]
 たまさかに得た短い返事も、受けた源氏にとっては非常な幸福であった。支那《しな》における青海波の曲の起源なども知って作られた歌であることから、もう十分に后《きさき》らしい見識を備えていられると源氏は微笑して、手紙を仏の経巻のように拡《ひろ》げて見入っていた。
 行幸の日は親王方も公卿《くぎょう》もあるだけの人が帝の供奉《ぐぶ》をした。必ずあるはずの奏楽の船がこの日も池を漕《こ》ぎまわり、唐の曲も高麗《こうらい》の曲も舞われて盛んな宴賀《えんが》だった。試楽の日の源氏の舞い姿のあまりに美しかったことが魔障《ましょう》の耽美心《たんびしん》をそそりはしなかったかと帝は御心配になって、寺々で経をお読ませになったりしたことを聞く人も、御親子の情はそうあることと思ったが、東宮の母君の女御だけはあまりな御関心ぶりだとねたんでいた。楽人は殿上役人からも地下《じげ》からもすぐれた技倆を認められている人たちだけが選《よ》り整えられたのである。参議が二人、それから左衛門督《さえもんのかみ》、右衛門督が左右の楽を監督した。舞い手はめいめい今日まで良師を選んでした稽古《けいこ》の成果をここで見せたわけである。四十人の楽人が吹き立てた楽音に誘われて吹く松の風はほんとうの深山《みやま》おろしのようであった。いろいろの秋の紅葉《もみじ》の散りかう中へ青海波の舞い手が歩み出た時には、これ以上の美は地上にないであろうと見えた。挿《かざ》しにした紅葉が風のために葉数の少なくなったのを見て、左大将がそばへ寄って庭前の菊を折ってさし変えた。日暮れ前になってさっと時雨《しぐれ》がした。空もこの絶妙な舞い手に心を動かされたように。
 美貌の源氏が紫を染め出したころの白菊を冠《かむり》に挿《さ》して、今日は試楽の日に超《こ》えて細かな手までもおろそかにしない舞振りを見せた。終わりにちょっと引き返して来て舞うところなどでは、人が皆清い寒気をさえ覚えて、人間界のこととは思われなかった。物の価値のわからぬ下人《げにん》で、木の蔭《かげ》や岩の蔭、もしくは落ち葉の中にうずもれるようにして見ていた者さえも、少し賢い者は涙をこぼしていた。承香殿《じょうきょうでん》の女御を母にした第四親王がまだ童形《どうぎょう》で秋風楽をお舞いになったのがそれに続いての見物《みもの》だった。この二つがよかった。あとのはもう何の舞も人の興味を惹《ひ》かなかった。ないほうがよかったかもしれない。今夜源氏は従三位《じゅさんみ》から正三位に上った。頭中将は正四位下が上になった。他の高官たちにも波及して昇進するものが多いのである。当然これも源氏の恩であることを皆知っていた。この世でこんなに人を喜ばしうる源氏は前生《ぜんしょう》ですばらしい善業《ぜんごう》があったのであろう。
 それがあってから藤壺の宮は宮中から実家へお帰りになった。逢う機会をとらえようとして、源氏は宮邸の訪問にばかりかかずらっていて、左大臣家の夫人もあまり訪わなかった。その上紫の姫君を迎えてからは、二条の院へ新たな人を入れたと伝えた者があって、夫人の心はいっそう恨めしかった。真相を知らないのであるから恨んでいるのがもっともであるが、正直に普通の人のように口へ出して恨めば自分も事実を話して、自分の心持ちを説明もし慰めもできるのであるが、一人でいろいろな忖度《そんたく》をして恨んでいるという態度がいやで、自分はついほかの人に浮気《うわき》な心が寄っていくのである。とにかく完全な女で、欠点といっては何もない、だれよりもいちばん最初に結婚した妻であるから、どんなに心の中では尊重しているかしれない、それがわからない間はまだしかたがない。将来はきっと自分の思うような妻になしうるだろうと源氏は思って、その人が少しのことで源氏から離れるような軽率な行為に出ない性格であることも源氏は信じて疑わなかったのである。永久に結ばれた夫婦としてその人を思う愛にはまた特別なものがあった。
 若紫は馴《な》れていくにしたがって、性質のよさも容貌《ようぼう》の美も源氏の心を多く惹《ひ》いた。姫君は無邪気によく源氏を愛していた。家の者にも何人《なにびと》であるか知らすまいとして、今も初めの西の対《たい》を住居《すまい》にさせて、そこに華麗な設備をば加え、自身も始終こちらに来ていて若い女王《にょおう》を教育していくことに力を入れているのである。手本を書いて習わせなどもして、今までよそにいた娘を呼び寄せた善良な父のようになっていた。事務の扱い所を作り、家司《けいし》も別に命じて貴族生活をするのに何の不足も感じさせなかった。しかも惟光《これみつ》以外の者は西の対の主の何人《なにびと》であるかをいぶかしく思っていた。女王は今も時々は尼君を恋しがって泣くのである。源氏のいる間は紛れていたが、夜などまれにここで泊まることはあっても、通う家が多くて日が暮れると出かけるのを、悲しがって泣いたりするおりがあるのを源氏はかわいく思っていた。二、三日御所にいて、そのまま左大臣家へ行っていたりする時は若紫がまったくめいり込んでしまっているので、母親のない子を持っている気がして、恋人を見に行っても落ち着かぬ心になっているのである。僧都《そうず》はこうした報告を受けて、不思議に思いながらもうれしかった。尼君の法事の北山の寺であった時も源氏は厚く布施《ふせ》を贈った。
 藤壺《ふじつぼ》の宮の自邸である三条の宮へ、様子を知りたさに源氏が行くと王命婦《おうみょうぶ》、中納言の君、中務《なかつかさ》などという女房が出て応接した。源氏はよそよそしい扱いをされることに不平であったが自分をおさえながらただの話をしている時に兵部卿《ひょうぶきょう》の宮がおいでになった。源氏が来ていると聞いてこちらの座敷へおいでになった。貴人らしい、そして艶《えん》な風流男とお見えになる宮を、このまま女にした顔を源氏はかりに考えてみてもそれは美人らしく思えた。藤壺の宮の兄君で、また可憐《かれん》な若紫の父君であることにことさら親しみを覚えて源氏はいろいろな話をしていた。兵部卿の宮もこれまでよりも打ち解けて見える美しい源氏を、婿であるなどとはお知りにならないで、この人を女にしてみたいなどと若々しく考えておいでになった。夜になると兵部卿の宮は女御の宮のお座敷のほうへはいっておしまいになった。源氏はうらやましくて、昔は陛下が愛子としてよく藤壺の御簾《みす》の中へ自分をお入れになり、今日のように取り次ぎが中に立つ話ではなしに、宮口ずからのお話が伺えたものであると思うと、今の宮が恨めしかった。
「たびたび伺うはずですが、参っても御用がないと自然|怠《なま》けることになります。命じてくださることがありましたら、御遠慮なく言っておつかわしくださいましたら満足です」
 などと堅い挨拶《あいさつ》をして源氏は帰って行った。王命婦も策動のしようがなかった。宮のお気持ちをそれとなく観察してみても、自分の運命の陥擠《かんせい》であるものはこの恋である、源氏を忘れないことは自分を滅ぼす道であるということを過去よりもまた強く思っておいでになる御様子であったから手が出ないのである。はかない恋であると消極的に悲しむ人は藤壺の宮であって、積極的に思いつめている人は源氏の君であった。
 少納言は思いのほかの幸福が小女王の運命に現われてきたことを、死んだ尼君が絶え間ない祈願に愛孫のことを言って仏にすがったその効験《ききめ》であろうと思うのであったが、権力の強い左大臣家に第一の夫人があることであるし、そこかしこに愛人を持つ源氏であることを思うと、真実の結婚を見るころになって面倒《めんどう》が多くなり、姫君に苦労が始まるのではないかと恐れていた。しかしこれには特異性がある。少女の日にすでにこんなに愛している源氏であるから将来もたのもしいわけであると見えた。母方の祖母の喪は三か月であったから、師走《しわす》の三十日に喪服を替えさせた。母代わりをしていた祖母であったから除喪のあとも派手《はで》にはせず濃くはない紅の色、紫、山吹《やまぶき》の落ち着いた色などで、そして地質のきわめてよい織物の小袿《こうちぎ》を着た元日の紫の女王は、急に近代的な美人になったようである。源氏は宮中の朝拝の式に出かけるところで、ちょっと西の対へ寄った。
「今日からは、もう大人になりましたか」
 と笑顔《えがお》をして源氏は言った。光源氏の美しいことはいうまでもない。紫の君はもう雛《ひな》を出して遊びに夢中であった。三尺の据棚《すえだな》二つにいろいろな小道具を置いて、またそのほかに小さく作った家などを幾つも源氏が与えてあったのを、それらを座敷じゅうに並べて遊んでいるのである。
「儺追《なやら》いをするといって犬君《いぬき》がこれをこわしましたから、私よくしていますの」
 と姫君は言って、一所懸命になって小さい家を繕おうとしている。
「ほんとうにそそっかしい人ですね。すぐ直させてあげますよ。今日は縁起を祝う日ですからね、泣いてはいけませんよ」
 言い残して出て行く源氏の春の新装を女房たちは縁に近く出て見送っていた。紫の君も同じように見に立ってから、雛人形の中の源氏の君をきれいに装束させて真似《まね》の参内をさせたりしているのであった。
「もう今年からは少し大人におなりあそばせよ。十歳《とお》より上の人はお雛様遊びをしてはよくないと世間では申しますのよ。あなた様はもう良人《おっと》がいらっしゃる方なんですから、奥様らしく静かにしていらっしゃらなくてはなりません。髪をお梳《す》きするのもおうるさがりになるようなことではね」
 などと少納言が言った。遊びにばかり夢中になっているのを恥じさせようとして言ったのであるが、女王は心の中で、私にはもう良人があるのだって、源氏の君がそうなんだ。少納言などの良人は皆醜い顔をしている、私はあんなに美しい若い人を良人にした、こんなことをはじめて思った。というのも一つ年が加わったせいかもしれない。何ということなしにこうした幼稚さが御簾《みす》の外まで来る家司《けいし》や侍たちにも知れてきて、怪しんではいたが、だれもまだ名ばかりの夫人であるとは知らなんだ。
 源氏は御所から左大臣家のほうへ退出した。例のように夫人からは高いところから多情男を見くだしているというようなよそよそしい態度をとられるのが苦しくて、源氏は、
「せめて今年からでもあなたが暖かい心で私を見てくれるようになったらうれしいと思うのだが」
 と言ったが、夫人は、二条の院へある女性が迎えられたということを聞いてからは、本邸へ置くほどの人は源氏の最も愛する人で、やがては正夫人として公表するだけの用意がある人であろうとねたんでいた。自尊心の傷つけられていることはもとよりである。しかも何も気づかないふうで、戯談《じょうだん》を言いかけて行きなどする源氏に負けて、余儀なく返辞をする様子などに魅力がなくはなかった。四歳《よっつ》ほどの年上であることを夫人自身でもきまずく恥ずかしく思っているが、美の整った女盛りの貴女《きじょ》であることは源氏も認めているのである。どこに欠点もない妻を持っていて、ただ自分の多情からこの人に怨《うら》みを負うような愚か者になっているのだとこんなふうにも源氏は思った。同じ大臣でも特に大きな権力者である現代の左大臣が父で、内親王である夫人から生まれた唯一の娘であるから、思い上がった性質にでき上がっていて、少しでも敬意の足りない取り扱いを受けては、許すことができない。帝《みかど》の愛子として育った源氏の自負はそれを無視してよいと教えた。こんなことが夫妻の溝《みぞ》を作っているものらしい。左大臣も二条の院の新夫人の件などがあって、頼もしくない婿君の心をうらめしがりもしていたが、逢えば恨みも何も忘れて源氏を愛した。今もあらゆる歓待を尽くすのである。
 翌朝源氏が出て行こうとする時に、大臣は装束を着けている源氏に、有名な宝物になっている石の帯を自身で持って来て贈った。正装した源氏の形《すがた》を見て、後ろのほうを手で引いて直したりなど大臣はしていた。沓《くつ》も手で取らないばかりである。娘を思う親心が源氏の心を打った。
「こんないいのは、宮中の詩会があるでしょうから、その時に使いましょう」
 と贈り物の帯について言うと、
「それにはまたもっといいのがございます。これはただちょっと珍しいだけの物です」
 と言って、大臣はしいてそれを使わせた。この婿君を斎《かしず》くことに大臣は生きがいを感じていた。たまさかにもせよ婿としてこの人を出入りさせていれば幸福感は十分大臣にあるであろうと見えた。
 源氏の参賀の場所は数多くもなかった。東宮、一院、それから藤壺の三条の宮へ行った。
「今日はまたことにおきれいに見えますね、年がお行きになればなるほどごりっぱにおなりになる方なんですね」
 女房たちがこうささやいている時に、宮はわずかな几帳《きちょう》の間から源氏の顔をほのかに見て、お心にはいろいろなことが思われた。御出産のあるべきはずの十二月を過ぎ、この月こそと用意して三条の宮の人々も待ち、帝《みかど》もすでに、皇子女御出生についてのお心づもりをしておいでになったが、何ともなくて一月もたった。物怪《もののけ》が御出産を遅れさせているのであろうかとも世間で噂《うわさ》をする時、宮のお心は非常に苦しかった。このことによって救われない悪名を負う人になるのかと、こんな煩悶《はんもん》をされることが自然おからだにさわってお加減も悪いのであった。それを聞いても源氏はいろいろと思い合わすことがあって、目だたぬように産婦の宮のために修法《しゅほう》などをあちこちの寺でさせていた。この間に御病気で宮が亡《な》くなっておしまいにならぬかという不安が、源氏の心をいっそう暗くさせていたが、二月の十幾日に皇子が御誕生になったので、帝も御満足をあそばし、三条の宮の人たちも愁眉《しゅうび》を開いた。なお生きようとする自分の心は未練で恥ずかしいが、弘徽殿《こきでん》あたりで言う詛《のろ》いの言葉が伝えられている時に自分が死んでしまってはみじめな者として笑われるばかりであるから、とそうお思いになった時からつとめて今は死ぬまいと強くおなりになって、御衰弱も少しずつ恢復《かいふく》していった。
 帝は新皇子を非常に御覧になりたがっておいでになった。人知れぬ父性愛の火に心を燃やしながら源氏は伺候者の少ない隙《すき》をうかがって行った。
「陛下が若宮にどんなにお逢いになりたがっていらっしゃるかもしれません。それで私がまずお目にかかりまして御様子でも申し上げたらよろしいかと思います」
 と源氏は申し込んだのであるが、
「まだお生まれたての方というものは醜うございますからお見せしたくございません」
 という母宮の御挨拶で、お見せにならないのにも理由があった。それは若宮のお顔が驚くほど源氏に生き写しであって、別のものとは決して見えなかったからである。宮はお心の鬼からこれを苦痛にしておいでになった。この若宮を見て自分の過失に気づかぬ人はないであろう、何でもないことも捜し出して人をとがめようとするのが世の中である。どんな悪名を自分は受けることかとお思いになると、結局不幸な者は自分であると熱い涙がこぼれるのであった。源氏は稀《まれ》に都合よく王命婦が呼び出された時には、いろいろと言葉を尽くして宮にお逢いさせてくれと頼むのであるが、今はもう何のかいもなかった。新皇子拝見を望むことに対しては、
「なぜそんなにまでおっしゃるのでしょう。自然にその日が参るのではございませんか」
 と答えていたが、無言で二人が読み合っている心が別にあった。口で言うべきことではないから、そのほうのことはまた言葉にしにくかった。
「いつまた私たちは直接にお話ができるのだろう」
 と言って泣く源氏が王命婦の目には気の毒でならない。

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「いかさまに昔結べる契りにてこの世にかかる中の隔てぞ
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 わからない、わからない」
 とも源氏は言うのである。命婦は宮の御|煩悶《はんもん》をよく知っていて、それだけ告げるのが恋の仲介《なかだち》をした者の義務だと思った。

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「見ても思ふ見ぬはたいかに歎《なげ》くらんこや世の人の惑ふてふ闇《やみ》
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 どちらも同じほどお気の毒だと思います」
 と命婦は言った。取りつき所もないように源氏が悲しんで帰って行くことも、度が重なれば邸《やしき》の者も不審を起こしはせぬかと宮は心配しておいでになって王命婦をも昔ほどお愛しにはならない。目に立つことをはばかって何ともお言いにはならないが、源氏への同情者として宮のお心では命婦をお憎みになることもあるらしいのを、命婦はわびしく思っていた。意外なことにもなるものであると歎《なげ》かれたであろうと思われる。
 四月に若宮は母宮につれられて宮中へおはいりになった。普通の乳児《ちのみご》よりはずっと大きく小児《こども》らしくなっておいでになって、このごろはもうからだを起き返らせるようにもされるのであった。紛らわしようもない若宮のお顔つきであったが、帝には思いも寄らぬことでおありになって、すぐれた子どうしは似たものであるらしいと思召《おぼしめ》した。帝は新皇子をこの上なく御大切にあそばされた。源氏の君を非常に愛しておいでになりながら、東宮にお立てになることは世上の批難を恐れて御実行ができなかったのを、帝は常に終生の遺憾事に思召して、長じてますます王者らしい風貌《ふうぼう》の備わっていくのを御覧になっては心苦しさに堪えないように思召したのであるが、こんな尊貴な女御から同じ美貌の皇子が新しくお生まれになったのであるから、これこそは瑕《きず》なき玉であると御|寵愛《ちょうあい》になる。女御の宮はそれをまた苦痛に思っておいでになった。源氏の中将が音楽の遊びなどに参会している時などに帝は抱いておいでになって、
「私は子供がたくさんあるが、おまえだけをこんなに小さい時から毎日見た。だから同じように思うのかよく似た気がする。小さい間は皆こんなものだろうか」
 とお言いになって、非常にかわいくお思いになる様子が拝された。源氏は顔の色も変わる気がしておそろしくも、もったいなくも、うれしくも、身にしむようにもいろいろに思って涙がこぼれそうだった。ものを言うようなかっこうにお口をお動かしになるのが非常にお美しかったから、自分ながらもこの顔に似ているといわれる顔は尊重すべきであるとも思った。宮はあまりの片腹痛さに汗を流しておいでになった。源氏は若宮を見て、また予期しない父性愛の心を乱すもののあるのに気がついて退出してしまった。
 源氏は二条の院の東の対《たい》に帰って、苦しい胸を休めてから後刻になって左大臣家へ行こうと思っていた。前の庭の植え込みの中に何木となく、何草となく青くなっている中に、目だつ色を作って咲いた撫子《なでしこ》を折って、それに添える手紙を長く王命婦《おうみょうぶ》へ書いた。

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よそへつつ見るに心も慰まで露けさまさる撫子の花

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花を子のように思って愛することはついに不可能であることを知りました。
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 とも書かれてあった。だれも来ぬ隙《すき》があったか命婦はそれを宮のお目にかけて、
「ほんの塵《ちり》ほどのこのお返事を書いてくださいませんか。この花片《はなびら》にお書きになるほど、少しばかり」
 と申し上げた。宮もしみじみお悲しい時であった。

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袖《そで》濡《ぬ》るる露のゆかりと思ふにもなほうとまれぬやまと撫子
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 とだけ、ほのかに、書きつぶしのもののように書かれてある紙を、喜びながら命婦は源氏へ送った。例のように返事のないことを予期して、なおも悲しみくずおれている時に宮の御返事が届けられたのである。胸騒ぎがしてこの非常にうれしい時にも源氏の涙は落ちた。
 じっと物思いをしながら寝ていることは堪えがたい気がして、例の慰め場所西の対へ行って見た。少し乱れた髪をそのままにして部屋着の袿姿《うちかけすがた》で笛を懐しい音《ね》に吹きながら座敷をのぞくと、紫の女王はさっきの撫子が露にぬれたような可憐《かれん》なふうで横になっていた。非常に美しい。こぼれるほどの愛嬌《あいきょう》のある顔が、帰邸した気配《けはい》がしてからすぐにも出て来なかった源氏を恨めしいと思うように向こうに向けられているのである。座敷の端のほうにすわって、
「こちらへいらっしゃい」
 と言っても素知らぬ顔をしている。「入りぬる磯《いそ》の草なれや」(みらく少なく恋ふらくの多き)と口ずさんで、袖《そで》を口もとにあてている様子にかわいい怜悧《りこう》さが見えるのである。
「つまらない歌を歌っているのですね。始終見ていなければならないと思うのはよくないことですよ」
 源氏は琴を女房に出させて紫の君に弾《ひ》かせようとした。
「十三|絃《げん》の琴は中央の絃《いと》の調子を高くするのはどうもしっくりとしないものだから」
 と言って、柱《じ》を平調に下げて掻《か》き合わせだけをして姫君に与えると、もうすねてもいず美しく弾き出した。小さい人が左手を伸ばして絃《いと》をおさえる手つきを源氏はかわいく思って、自身は笛を吹きながら教えていた。頭がよくてむずかしい調子などもほんの一度くらいで習い取った。何ごとにも貴女《きじょ》らしい素質の見えるのに源氏は満足していた。保曾呂倶世利《ほそろぐせり》というのは変な名の曲であるが、それをおもしろく笛で源氏が吹くのに、合わせる琴の弾き手は小さい人であったが音の間が違わずに弾けて、上手《じょうず》になる手筋と見えるのである。灯《ひ》を点《とも》させてから絵などをいっしょに見ていたが、さっき源氏はここへ来る前に出かける用意を命じてあったから、供をする侍たちが促すように御簾《みす》の外から、
「雨が降りそうでございます」
 などと言うのを聞くと、紫の君はいつものように心細くなってめいり込んでいった。絵も見さしてうつむいているのがかわいくて、こぼれかかっている美しい髪をなでてやりながら、
「私がよそに行っている時、あなたは寂しいの」
 と言うと女王はうなずいた。
「私だって一日あなたを見ないでいるともう苦しくなる。けれどあなたは小さいから私は安心していてね、私が行かないといろいろな意地悪を言っておこる人がありますからね。今のうちはそのほうへ行きます。あなたが大人になれば決してもうよそへは行かない。人からうらまれたくないと思うのも、長く生きていて、あなたを幸福にしたいと思うからです」
 などとこまごま話して聞かせると、さすがに恥じて返辞もしない。そのまま膝《ひざ》に寄りかかって寝入ってしまったのを見ると、源氏はかわいそうになって、
「もう今夜は出かけないことにする」
 と侍たちに言うと、その人らはあちらへ立って行って。間もなく源氏の夕飯が西の対へ運ばれた。源氏は女王を起こして、
「もう行かないことにしましたよ」
 と言うと慰んで起きた。そうしていっしょに食事をしたが、姫君はまだはかないようなふうでろくろく食べなかった。
「ではお寝《やす》みなさいな」
 出ないということは嘘《うそ》でないかと危《あぶ》ながってこんなことを言うのである。こんな可憐《かれん》な人を置いて行くことは、どんなに恋しい人の所があってもできないことであると源氏は思った。
 こんなふうに引き止められることも多いのを、侍などの中には左大臣家へ伝える者もあってあちらでは、
「どんな身分の人でしょう。失礼な方ですわね。二条の院へどこのお嬢さんがお嫁《かたづ》きになったという話もないことだし、そんなふうにこちらへのお出かけを引き止めたり、またよくふざけたりしていらっしゃるというのでは、りっぱな御身分の人とは思えないじゃありませんか。御所などで始まった関係の女房級の人を奥様らしく二条の院へお入れになって、それを批難さすまいとお思いになって、だれということを秘密にしていらっしゃるのですよ。幼稚な所作が多いのですって」
 などと女房が言っていた。
 御所にまで二条の院の新婦の問題が聞こえていった。
「気の毒じゃないか。左大臣が心配しているそうだ。小さいおまえを婿にしてくれて、十二分に尽くした今日までの好意がわからない年でもないのに、なぜその娘を冷淡に扱うのだ」
 と陛下がおっしゃっても、源氏はただ恐縮したふうを見せているだけで、何とも御返答をしなかった。帝《みかど》は妻が気に入らないのであろうとかわいそうに思召《おぼしめ》した。
「格別おまえは放縦な男ではなし、女官や女御たちの女房を情人にしている噂《うわさ》などもないのに、どうしてそんな隠し事をして舅《しゅうと》や妻に恨まれる結果を作るのだろう」
 と仰せられた。帝はもうよい御年配であったが美女がお好きであった。采女《うねめ》や女蔵人《にょくろうど》なども容色のある者が宮廷に歓迎される時代であった。したがって美人も宮廷には多かったが、そんな人たちは源氏さえその気になれば情人関係を成り立たせることが容易であったであろうが、源氏は見|馴《な》れているせいか女官たちへはその意味の好意を見せることは皆無であったから、怪しがってわざわざその人たちが戯談《じょうだん》を言いかけることがあっても、源氏はただ冷淡でない程度にあしらっていて、それ以上の交際をしようとしないのを物足らず思う者さえあった。よほど年のいった典侍《ないしのすけ》で、いい家の出でもあり、才女でもあって、世間からは相当にえらく思われていながら、多情な性質であってその点では人を顰蹙《ひんしゅく》させている女があった。源氏はなぜこう年がいっても浮気《うわき》がやめられないのであろうと不思議な気がして、恋の戯談を言いかけてみると、不似合いにも思わず相手になってきた。あさましく思いながらも、さすがに風変わりな衝動を受けてつい源氏は関係を作ってしまった。噂されてもきまりの悪い不つりあいな老いた情人であったから、源氏は人に知らせまいとして、ことさら表面は冷淡にしているのを、女は常に恨んでいた。典侍は帝のお髪上《ぐしあ》げの役を勤めて、それが終わったので、帝はお召《めし》かえを奉仕する人をお呼びになって出てお行きになった部屋には、ほかの者がいないで、典侍が常よりも美しい感じの受け取れるふうで、頭の形などに艶《えん》な所も見え、服装も派手《はで》にきれいな物を着ているのを見て、いつまでも若作りをするものだと源氏は思いながらも、どう思っているだろうと知りたい心も動いて、後ろから裳《も》の裾《すそ》を引いてみた。はなやかな絵をかいた紙の扇で顔を隠すようにしながら見返った典侍の目は、瞼《まぶた》を張り切らせようと故意に引き伸ばしているが、黒くなって、深い筋のはいったものであった。妙に似合わない扇だと思って、自身のに替えて源典侍《げんてんじ》のを見ると、それは真赤《まっか》な地に、青で厚く森の色が塗られたものである。横のほうに若々しくない字であるが上手《じょうず》に「森の下草老いぬれば駒《こま》もすさめず刈る人もなし」という歌が書かれてある。厭味《いやみ》な恋歌などは書かずともよいのにと源氏は苦笑しながらも、
「そうじゃありませんよ、『大荒木の森こそ夏のかげはしるけれ』で盛んな夏ですよ」
 こんなことを言う恋の遊戯にも不似合いな相手だと思うと、源氏は人が見ねばよいがとばかり願われた。女はそんなことを思っていない。

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君し来《こ》ば手馴《てな》れの駒《こま》に刈り飼はん盛り過ぎたる下葉なりとも
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 とても色気たっぷりな表情をして言う。

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「笹《ささ》分けば人や咎《とが》めんいつとなく駒|馴《な》らすめる森の木隠れ
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 あなたの所はさしさわりが多いからうっかり行けない」
 こう言って、立って行こうとする源氏を、典侍は手で留めて、
「私はこんなにまで煩悶《はんもん》をしたことはありませんよ。すぐ捨てられてしまうような恋をして一生の恥をここでかくのです」
 非常に悲しそうに泣く。
「近いうちに必ず行きます。いつもそう思いながら実行ができないだけですよ」
 袖《そで》を放させて出ようとするのを、典侍はまたもう一度追って来て「橋柱」(思ひながらに中や絶えなん)と言いかける所作《しょさ》までも、お召《めし》かえが済んだ帝が襖子《からかみ》からのぞいておしまいになった。不つり合いな恋人たちであるのを、おかしく思召《おぼしめ》してお笑いになりながら、帝は、
「まじめ過ぎる恋愛ぎらいだと言っておまえたちの困っている男もやはりそうでなかったね」
 と典侍《ないしのすけ》へお言いになった。典侍はきまり悪さも少し感じたが、恋しい人のためには濡衣《ぬれぎぬ》でさえも着たがる者があるのであるから、弁解はしようとしなかった。それ以後御所の人たちが意外な恋としてこの関係を噂《うわさ》した。頭中将《とうのちゅうじょう》の耳にそれがはいって、源氏の隠し事はたいてい正確に察して知っている自分も、まだそれだけは気がつかなんだと思うとともに、自身の好奇心も起こってきて、まんまと好色な源典侍の情人の一人になった。この貴公子もざらにある若い男ではなかったから、源氏の飽き足らぬ愛を補う気で関係をしたが、典侍の心に今も恋しくてならない人はただ一人の源氏であった。困った多情女である。きわめて秘密にしていたので頭中将との関係を源氏は知らなんだ。御殿で見かけると恨みを告げる典侍に、源氏は老いている点にだけ同情を持ちながらもいやな気持ちがおさえ切れずに長く逢いに行こうともしなかったが、夕立のしたあとの夏の夜の涼しさに誘われて温明殿《うんめいでん》あたりを歩いていると、典侍はそこの一室で琵琶《びわ》を上手《じょうず》に弾《ひ》いていた。清涼殿の音楽の御遊びの時、ほかは皆男の殿上役人の中へも加えられて琵琶の役をするほどの名手であったから、それが恋に悩みながら弾く絃《いと》の音《ね》には源氏の心を打つものがあった。「瓜《うり》作りになりやしなまし」という歌を、美声ではなやかに歌っているのには少し反感が起こった。白楽天が聞いたという鄂州《がくしゅう》の女の琵琶もこうした妙味があったのであろうと源氏は聞いていたのである。弾きやめて女は物思いに堪えないふうであった。源氏は御簾《みす》ぎわに寄って催馬楽《さいばら》の東屋《あずまや》を歌っていると、「押し開いて来ませ」という所を同音で添えた。源氏は勝手の違う気がした。

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立ち濡《ぬ》るる人しもあらじ東屋にうたてもかかる雨そそぎかな
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 と歌って女は歎息《たんそく》をしている。自分だけを対象としているのではなかろうが、どうしてそんなに人が待たれるのであろうと源氏は思った。

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人妻はあなわづらはし東屋のまやのあまりも馴《な》れじとぞ思ふ
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 と言い捨てて、源氏は行ってしまいたかったのであるが、あまりに侮辱したことになると思って典侍の望んでいたように室内へはいった。源氏は女と朗らかに戯談《じょうだん》などを言い合っているうちに、こうした境地も悪くない気がしてきた。頭中将は源氏がまじめらしくして、自分の恋愛問題を批難したり、注意を与えたりすることのあるのを口惜《くちお》しく思って、素知らぬふうでいて源氏には隠れた恋人が幾人かあるはずであるから、どうかしてそのうちの一つの事実でもつかみたいと常に思っていたが、偶然今夜の会合を来合わせて見た。頭中将はうれしくて、こんな機会に少し威嚇《おど》して、源氏を困惑させて懲りたと言わせたいと思った。それでしかるべく油断を与えておいた。冷ややかに風が吹き通って夜のふけかかった時分に源氏らが少し寝入ったかと思われる気配《けはい》を見計らって、頭中将はそっと室内へはいって行った。自嘲《じちょう》的な思いに眠りなどにははいりきれなかった源氏は物音にすぐ目をさまして人の近づいて来るのを知ったのである。典侍の古い情人で今も男のほうが離れたがらないという噂のある修理大夫《しゅりだゆう》であろうと思うと、あの老人にとんでもないふしだらな関係を発見された場合の気まずさを思って、
「迷惑になりそうだ、私は帰ろう。旦那《だんな》の来ることは初めからわかっていただろうに、私をごまかして泊まらせたのですね」
 と言って、源氏は直衣《のうし》だけを手でさげて屏風《びょうぶ》の後ろへはいった。中将はおかしいのをこらえて源氏が隠れた屏風を前から横へ畳み寄せて騒ぐ。年を取っているが美人型の華奢《きゃしゃ》なからだつきの典侍が以前にも情人のかち合いに困った経験があって、あわてながらも源氏をあとの男がどうしたかと心配して、床の上にすわって慄《ふる》えていた。自分であることを気づかれないようにして去ろうと源氏は思ったのであるが、だらしなくなった姿を直さないで、冠《かむり》をゆがめたまま逃げる後ろ姿を思ってみると、恥な気がしてそのまま落ち着きを作ろうとした。中将はぜひとも自分でなく思わせなければならないと知って物を言わない。ただ怒《おこ》ったふうをして太刀《たち》を引き抜くと、
「あなた、あなた」
 典侍は頭中将を拝んでいるのである。中将は笑い出しそうでならなかった。平生|派手《はで》に作っている外見は相当な若さに見せる典侍も年は五十七、八で、この場合は見得《みえ》も何も捨てて二十《はたち》前後の公達《きんだち》の中にいて気をもんでいる様子は醜態そのものであった。わざわざ恐ろしがらせよう自分でないように見せようとする不自然さがかえって源氏に真相を教える結果になった。自分と知ってわざとしていることであると思うと、どうでもなれという気になった。いよいよ頭中将であることがわかるとおかしくなって、抜いた太刀を持つ肱《ひじ》をとらえてぐっとつねると、中将は見顕《みあら》わされたことを残念に思いながらも笑ってしまった。
「本気なの、ひどい男だね。ちょっとこの直衣《のうし》を着るから」
 と源氏が言っても、中将は直衣を放してくれない。
「じゃ君にも脱がせるよ」
 と言って、中将の帯を引いて解いてから、直衣を脱がせようとすると、脱ぐまいと抵抗した。引き合っているうちに縫い目がほころんでしまった。

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「包むめる名や洩《も》り出《い》でん引きかはしかくほころぶる中の衣に
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 明るみへ出ては困るでしょう」
 と中将が言うと、

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隠れなきものと知る知る夏衣きたるをうすき心とぞ見る
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 と源氏も負けてはいないのである。双方ともだらしない姿になって行ってしまった。
 源氏は友人に威嚇《おど》されたことを残念に思いながら宿直所《とのいどころ》で寝ていた。驚かされた典侍は翌朝残っていた指貫《さしぬき》や帯などを持たせてよこした。

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「恨みても云《い》ひがひぞなき立ち重ね引きて帰りし波のなごりに
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 悲しんでおります。恋の楼閣のくずれるはずの物がくずれてしまいました」
 という手紙が添えてあった。面目なく思うのであろうと源氏はなおも不快に昨夜を思い出したが、気をもみ抜いていた女の様子にあわれんでやってよいところもあったので返事を書いた。

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荒《あれ》だちし波に心は騒がねどよせけん磯《いそ》をいかが恨みぬ
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 とだけである。帯は中将の物であった。自分のよりは少し色が濃いようであると、源氏が昨夜の直衣に合わせて見ている時に、直衣の袖《そで》がなくなっているのに気がついた。なんというはずかしいことだろう、女をあさる人になればこんなことが始終あるのであろうと源氏は反省した。頭中将の宿直所のほうから、
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何よりもまずこれをお綴《と》じつけになる必要があるでしょう。
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 と書いて直衣の袖を包んでよこした。どうして取られたのであろうと源氏はくやしかった。中将の帯が自分の手にはいっていなかったらこの争いは負けになるのであったとうれしかった。帯と同じ色の紙に包んで、

[#ここから2字下げ]
中絶えばかごとや負ふと危ふさに縹《はなだ》の帯はとりてだに見ず
[#ここで字下げ終わり]

 と書いて源氏は持たせてやった。女の所で解いた帯に他人の手が触れるとその恋は解消してしまうとも言われているのである。中将からまた折り返して、

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君にかく引き取られぬる帯なればかくて絶えぬる中とかこたん

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なんといっても責任がありますよ。
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 と書いてある。昼近くになって殿上の詰め所へ二人とも行った。取り澄ました顔をしている源氏を見ると中将もおかしくてならない。その日は自身も蔵人頭《くろうどのかみ》として公用の多い日であったから至極まじめな顔を作っていた。しかしどうかした拍子に目が合うと互いにほほえまれるのである。だれもいぬ時に中将がそばへ寄って来て言った。
「隠し事には懲りたでしょう」
 尻目《しりめ》で見ている。優越感があるようである。
「なあに、それよりもせっかく来ながら無駄だった人が気の毒だ。まったくは君やっかいな女だね」
 秘密にしようと言い合ったが、それからのち中将はどれだけあの晩の騒ぎを言い出して源氏を苦笑させたかしれない。それは恋しい女のために受ける罰でもないのである。女は続いて源氏の心を惹《ひ》こうとしていろいろに技巧を用いるのを源氏はうるさがっていた。中将は妹にもその話はせずに、自分だけが源氏を困らせる用に使うほうが有利だと思っていた。よい外戚をお持ちになった親王方も帝《みかど》の殊寵《しゅちょう》される源氏には一目置いておいでになるのであるが、この頭中将だけは、負けていないでもよいという自信を持っていた。ことごとに競争心を見せるのである。左大臣の息子《むすこ》の中でこの人だけが源氏の夫人と同腹の内親王の母君を持っていた。源氏の君はただ皇子であるという点が違っているだけで、自分も同じ大臣といっても最大の権力のある大臣を父として、皇女から生まれてきたのである、たいして違わない尊貴さが自分にあると思うものらしい。人物も怜悧《れいり》で何の学問にも通じたりっぱな公子であった。つまらぬ事までも二人は競争して人の話題になることも多いのである。
 この七月に皇后の冊立《さくりつ》があるはずであった。源氏は中将から参議に上《のぼ》った。帝が近く譲位をあそばしたい思召《おぼしめ》しがあって、藤壺《ふじつぼ》の宮のお生みになった若宮を東宮にしたくお思いになったが将来御後援をするのに適当な人がない。母方の御|伯父《おじ》は皆親王で実際の政治に携わることのできないのも不文律になっていたから、母宮をだけでも后の位に据《す》えて置くことが若宮の強味になるであろうと思召して藤壺の宮を中宮《ちゅうぐう》に擬しておいでになった。弘徽殿の女御がこれに平《たい》らかでないことに道理はあった。
「しかし皇太子の即位することはもう近い将来のことなのだから、その時は当然皇太后になりうるあなたなのだから、気をひろくお持ちなさい」
 帝はこんなふうに女御を慰めておいでになった。皇太子の母君で、入内して二十幾年になる女御をさしおいて藤壺を后にあそばすことは当を得たことであるいはないかもしれない。例のように世間ではいろいろに言う者があった。
 儀式のあとで御所へおはいりになる新しい中宮のお供を源氏の君もした。后と一口に申し上げても、この方の御身分は后腹の内親王であった。全《まった》い宝玉のように輝やくお后と見られたのである。それに帝の御|寵愛《ちょうあい》もたいしたものであったから、満廷の官人がこの后に奉仕することを喜んだ。道理のほかまでの好意を持った源氏は、御輿《みこし》の中の恋しいお姿を想像して、いよいよ遠いはるかな、手の届きがたいお方になっておしまいになったと心に歎《なげ》かれた。気が変になるほどであった。

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つきもせぬ心の闇《やみ》にくるるかな雲井に人を見るにつけても
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 こう思われて悲しいのである。
 若宮のお顔は御生育あそばすにつれてますます源氏に似ておいきになった。だれもそうした秘密に気のつく者はないようである。何をどう作り変えても源氏と同じ美貌《びぼう》を見うることはないわけであるが、この二人の皇子は月と日が同じ形で空にかかっているように似ておいでになると世人も思った。
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(訳注) この巻も前二巻と同年の秋に始まって、源氏十九歳の秋までが書かれている。
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紅葉賀 版本说明

底本:「全訳源氏物語 上巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年8月10日改版初版発行
   1994(平成6)年12月20日56版発行
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入力:上田英代
校正:kompass
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08 花宴

[#地から3字上げ]春の夜のもやにそひたる月ならん手枕
[#地から3字上げ]かしぬ我が仮ぶしに    (晶子)

 二月の二十幾日に紫宸殿《ししんでん》の桜の宴があった。玉座の左右に中宮《ちゅうぐう》と皇太子の御見物の室が設けられた。弘徽殿《こきでん》の女御《にょご》は藤壺《ふじつぼ》の宮が中宮になっておいでになることで、何かのおりごとに不快を感じるのであるが、催し事の見物は好きで、東宮席で陪観していた。日がよく晴れて青空の色、鳥の声も朗らかな気のする南庭を見て親王方、高級官人をはじめとして詩を作る人々は皆|探韵《たんいん》をいただいて詩を作った。源氏は、
「春という字を賜わる」
 と、自身の得る韵字《いんじ》を披露《ひろう》したが、その声がすでに人よりすぐれていた。次は頭中将《とうのちゅうじょう》で、この順番を晴れがましく思うことであろうと見えたが、きわめて無難に得た韵字を告げた。声《こわ》づかいに貫目があると思われた。その他の人は臆《おく》してしまったようで、態度も声もものにならぬのが多かった。地下《じげ》の詩人はまして、帝も東宮も詩のよい作家で、またよい批評家でおありになったし、そのほかにもすぐれた詩才のある官人の多い時代であったから、恥ずかしくて、清い広庭に出て行くことが、ちょっとしたことなのであるが難事に思われた。博士《はかせ》などがみすぼらしい風采《ふうさい》をしながらも場馴《ばな》れて進退するのにも御同情が寄ったりして、この御覧になる方々はおもしろく思召《おぼしめ》された。奏せられる音楽も特にすぐれた人たちが選ばれていた。春の永日《ながび》がようやく入り日の刻になるころ、春鶯囀《しゅんおうてん》の舞がおもしろく舞われた。源氏の紅葉賀《もみじのが》の青海波《せいがいは》の巧妙であったことを忘れがたく思召《おぼしめ》して、東宮が源氏へ挿《かざし》の花を下賜あそばして、ぜひこの舞に加わるようにと切望あそばされた。辞しがたくて、一振りゆるゆる袖《そで》を反《かえ》す春鶯囀の一節を源氏も舞ったが、だれも追随しがたい巧妙さはそれだけにも見えた。左大臣は恨めしいことも忘れて落涙していた。
「頭中将はどうしたか、早く出て舞わぬか」
 次いでその仰せがあって、柳花苑《りゅうかえん》という曲を、これは源氏のよりも長く、こんなことを予期して稽古がしてあったか上手《じょうず》に舞った。それによって中将は御衣《ぎょい》を賜わった。花の宴にこのことのあるのを珍しい光栄だと人々は見ていた。高級の官人もしまいには皆舞ったが、暗くなってからは芸の巧拙《こうせつ》がよくわからなくなった。詩の講ぜられる時にも源氏の作は簡単には済まなかった。句ごとに讃美の声が起こるからである。博士たちもこれを非常によい作だと思った。こんな時にもただただその人が光になっている源氏を、父君陛下がおろそかに思召すわけはない。中宮はすぐれた源氏の美貌がお目にとまるにつけても、東宮の母君の女御がどんな心でこの人を憎みうるのであろうと不思議にお思いになり、そのあとではまたこんなふうに源氏に関心を持つのもよろしくない心であると思召した。

[#ここから2字下げ]
大かたに花の姿を見ましかばつゆも心のおかれましやは
[#ここで字下げ終わり]

 こんな歌はだれにもお見せになるはずのものではないが、どうして伝わっているのであろうか。夜がふけてから南殿の宴は終わった。
 公卿《こうけい》が皆退出するし、中宮と東宮はお住居《すまい》の御殿へお帰りになって静かになった。明るい月が上ってきて、春の夜の御所の中が美しいものになっていった。酔いを帯びた源氏はこのままで宿直所《とのいどころ》へはいるのが惜しくなった。殿上《てんじょう》の役人たちももう寝《やす》んでしまっているこんな夜ふけにもし中宮へ接近する機会を拾うことができたらと思って、源氏は藤壺の御殿をそっとうかがってみたが、女房を呼び出すような戸口も皆閉じてしまってあったので、歎息《たんそく》しながら、なお物足りない心を満たしたいように弘徽殿の細殿の所へ歩み寄ってみた。三の口があいている。女御は宴会のあとそのまま宿直に上がっていたから、女房たちなどもここには少しよりいないふうがうかがわれた。この戸口の奥にあるくるる戸もあいていて、そして人音がない。こうした不用心な時に男も女もあやまった運命へ踏み込むものだと思って源氏は静かに縁側へ上がって中をのぞいた。だれももう寝てしまったらしい。若々しく貴女らしい声で、「朧月夜《おぼろづきよ》に似るものぞなき」と歌いながらこの戸口へ出て来る人があった。源氏はうれしくて突然|袖《そで》をとらえた。女はこわいと思うふうで、
「気味が悪い、だれ」
 と言ったが、
「何もそんなこわいものではありませんよ」
 と源氏は言って、さらに、

[#ここから2字下げ]
深き夜の哀れを知るも入る月のおぼろげならぬ契りとぞ思ふ
[#ここで字下げ終わり]

 とささやいた。抱いて行った人を静かに一室へおろしてから三の口をしめた。この不謹慎な闖入者《ちんにゅうしゃ》にあきれている女の様子が柔らかに美しく感ぜられた。慄《ふる》え声で、
「ここに知らぬ人が」
 と言っていたが、
「私はもう皆に同意させてあるのだから、お呼びになってもなんにもなりませんよ。静かに話しましょうよ」
 この声に源氏であると知って女は少し不気味でなくなった。困りながらも冷淡にしたくはないと女は思っている。源氏は酔い過ぎていたせいでこのままこの女と別れることを残念に思ったか、女も若々しい一方で抵抗をする力がなかったか、二人は陥るべきところへ落ちた。可憐《かれん》な相手に心の惹《ひ》かれる源氏は、それからほどなく明けてゆく夜に別れを促されるのを苦しく思った。女はまして心を乱していた。
「ぜひ言ってください、だれであるかをね。どんなふうにして手紙を上げたらいいのか、これきりとはあなただって思わないでしょう」
 などと源氏が言うと、

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うき身世にやがて消えなば尋ねても草の原をば訪はじとや思ふ
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 という様子にきわめて艶《えん》な所があった。
「そう、私の言ったことはあなたのだれであるかを捜す努力を惜しんでいるように聞こえましたね」
 と言って、また、

[#ここから1字下げ]
「何《いづ》れぞと露のやどりをわかむ間に小笹《こざさ》が原に風もこそ吹け
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 私との関係を迷惑にお思いにならないのだったら、お隠しになる必要はないじゃありませんか。わざとわからなくするのですか」
 と言い切らぬうちに、もう女房たちが起き出して女御を迎えに行く者、あちらから下がって来る者などが廊下を通るので、落ち着いていられずに扇だけをあとのしるしに取り替えて源氏はその室を出てしまった。
 源氏の桐壺《きりつぼ》には女房がおおぜいいたから、主人が暁に帰った音に目をさました女もあるが、忍び歩きに好意を持たないで、
「いつもいつも、まあよくも続くものですね」
 という意味を仲間で肱《ひじ》や手を突き合うことで言って、寝入ったふうを装うていた。寝室にはいったが眠れない源氏であった。美しい感じの人だった。女御の妹たちであろうが、処女であったから五の君か六の君に違いない。太宰帥《だざいのそつ》親王の夫人や頭中将が愛しない四の君などは美人だと聞いたが、かえってそれであったらおもしろい恋を経験することになるのだろうが、六の君は東宮の後宮《こうきゅう》へ入れるはずだとか聞いていた、その人であったら気の毒なことになったというべきである。幾人もある右大臣の娘のどの人であるかを知ることは困難なことであろう。もう逢うまいとは思わぬ様子であった人が、なぜ手紙を往復させる方法について何ごとも教えなかったのであろうなどとしきりに考えられるのも心が惹《ひ》かれているといわねばならない。思いがけぬことの行なわれたについても、藤壺《ふじつぼ》にはいつもああした隙《すき》がないと、昨夜の弘徽殿《こきでん》のつけこみやすかったことと比較して主人《あるじ》の女御にいくぶんの軽蔑《けいべつ》の念が起こらないでもなかった。
 この日は後宴《ごえん》であった。終日そのことに携わっていて源氏はからだの閑暇《ひま》がなかった。十三|絃《げん》の箏《そう》の琴の役をこの日は勤めたのである。昨日の宴よりも長閑《のどか》な気分に満ちていた。中宮は夜明けの時刻に南殿へおいでになったのである。弘徽殿の有明《ありあけ》の月に別れた人はもう御所を出て行ったであろうかなどと、源氏の心はそのほうへ飛んで行っていた。気のきいた良清《よしきよ》や惟光《これみつ》に命じて見張らせておいたが、源氏が宿直所《とのいどころ》のほうへ帰ると、
「ただ今北の御門のほうに早くから来ていました車が皆人を乗せて出てまいるところでございますが、女御さん方の実家の人たちがそれぞれ行きます中に、四位少将、右中弁などが御前から下がって来てついて行きますのが弘徽殿の実家の方々だと見受けました。ただ女房たちだけの乗ったのでないことはよく知れていまして、そんな車が三台ございました」
 と報告をした。源氏は胸のとどろくのを覚えた。どんな方法によって何女《なにじょ》であるかを知ればよいか、父の右大臣にその関係を知られて婿としてたいそうに待遇されるようなことになって、それでいいことかどうか。その人の性格も何もまだよく知らないのであるから、結婚をしてしまうのは危険である、そうかといってこのまま関係が進展しないことにも堪えられない、どうすればいいのかとつくづく物思いをしながら源氏は寝ていた。姫君がどんなに寂しいことだろう、幾日も帰らないのであるからとかわいく二条の院の人を思いやってもいた。取り替えてきた扇は、桜色の薄様を三重に張ったもので、地の濃い所に霞《かす》んだ月が描《か》いてあって、下の流れにもその影が映してある。珍しくはないが貴女《きじょ》の手に使い馴《な》らされた跡がなんとなく残っていた。「草の原をば」と言った時の美しい様子が目から去らない源氏は、

[#ここから2字下げ]
世に知らぬここちこそすれ有明の月の行方《ゆくへ》を空にまがへて
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 と扇に書いておいた。
 翌朝源氏は、左大臣家へ久しく行かないことも思われながら、二条の院の少女が気がかりで、寄ってなだめておいてから行こうとして自邸のほうへ帰った。二、三日ぶりに見た最初の瞬間にも若紫の美しくなったことが感ぜられた。愛嬌《あいきょう》があって、そしてまた凡人から見いだしがたい貴女らしさを多く備えていた。理想どおりに育て上げようとする源氏の好みにあっていくようである。教育にあたるのが男であるから、いくぶんおとなしさが少なくなりはせぬかと思われて、その点だけを源氏は危《あやぶ》んだ。この二、三日間に宮中であったことを語って聞かせたり、琴を教えたりなどしていて、日が暮れると源氏が出かけるのを、紫の女王は少女心に物足らず思っても、このごろは習慣づけられていて、無理に留めようなどとはしない。
 左大臣家の源氏の夫人は例によってすぐには出て来なかった。いつまでも座に一人でいてつれづれな源氏は、夫人との間柄に一抹《いちまつ》の寂しさを感じて、琴をかき鳴らしながら、「やはらかに寝《ぬ》る夜はなくて」と歌っていた。左大臣が来て、花の宴のおもしろかったことなどを源氏に話していた。
「私がこの年になるまで、四代の天子の宮廷を見てまいりましたが、今度ほどよい詩がたくさんできたり、音楽のほうの才人がそろっていたりしまして、寿命の延びる気がするようなおもしろさを味わわせていただいたことはありませんでした。ただ今は専門家に名人が多うございますからね、あなたなどは師匠の人選がよろしくてあのおできぶりだったのでしょう。老人までも舞って出たい気がいたしましたよ」
「特に今度のために稽古《けいこ》などはしませんでした。ただ宮廷付きの中でのよい楽人に参考になることを教えてもらいなどしただけです。何よりも頭中将の柳花苑《りゅうかえん》がみごとでした。話になって後世へ伝わる至芸だと思ったのですが、その上あなたがもし当代の礼讃《らいさん》に一手でも舞を見せてくださいましたら歴史上に残ってこの御代《みよ》の誇りになったでしょうが」
 こんな話をしていた。弁や中将も出て来て高欄に背中を押しつけながらまた熱心に器楽の合奏を始めた。
 有明《ありあけ》の君は短い夢のようなあの夜を心に思いながら、悩ましく日を送っていた。東宮の後宮へこの四月ごろはいることに親たちが決めているのが苦悶《くもん》の原因である。源氏もまったく何人《なにびと》であるかの見分けがつかなかったわけではなかったが、右大臣家の何女であるかがわからないことであったし、自分へことさら好意を持たない弘徽殿の女御の一族に恋人を求めようと働きかけることは世間体《せけんてい》のよろしくないことであろうとも躊躇《ちゅうちょ》されて、煩悶《はんもん》を重ねているばかりであった。
 三月の二十日過ぎに右大臣は自邸で弓の勝負の催しをして、親王方をはじめ高官を多く招待した。藤花《とうか》の宴も続いて同じ日に行なわれることになっているのである。もう桜の盛りは過ぎているのであるが、「ほかの散りなんあとに咲かまし」と教えられてあったか二本だけよく咲いたのがあった。新築して外孫の内親王方の裳着《もぎ》に用いて、美しく装飾された客殿があった。派手《はで》な邸《やしき》で何事も皆近代好みであった。右大臣は源氏の君にも宮中で逢った日に来会を申し入れたのであるが、その日に美貌の源氏が姿を見せないのを残念に思って、息子《むすこ》の四位少将を迎えに出した。

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わが宿の花しなべての色ならば何かはさらに君を待たまし
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 右大臣から源氏へ贈った歌である。源氏は御所にいた時で、帝《みかど》にこのことを申し上げた。
「得意なのだね」
 帝はお笑いになって、
「使いまでもよこしたのだから行ってやるがいい。孫の内親王たちのために将来兄として力になってもらいたいと願っている大臣の家《うち》だから」
 など仰せられた。ことに美しく装って、ずっと日が暮れてから待たれて源氏は行った。桜の色の支那錦《しなにしき》の直衣《のうし》、赤紫の下襲《したがさね》の裾《すそ》を長く引いて、ほかの人は皆正装の袍《ほう》を着て出ている席へ、艶《えん》な宮様姿をした源氏が、多数の人に敬意を表されながらはいって行った。桜の花の美がこの時にわかに減じてしまったように思われた。音楽の遊びも済んでから、夜が少しふけた時分である。源氏は酒の酔いに悩むふうをしながらそっと席を立った。中央の寝殿《しんでん》に女一《にょいち》の宮《みや》、女三の宮が住んでおいでになるのであるが、そこの東の妻戸の口へ源氏はよりかかっていた。藤《ふじ》はこの縁側と東の対の間の庭に咲いているので、格子は皆上げ渡されていた。御簾《みす》ぎわには女房が並んでいた。その人たちの外へ出している袖口《そでぐち》の重なりようの大ぎょうさは踏歌《とうか》の夜の見物席が思われた。今日などのことにつりあったことではないと見て、趣味の洗練された藤壺辺のことがなつかしく源氏には思われた。
「苦しいのにしいられた酒で私は困っています。もったいないことですがこちらの宮様にはかばっていただく縁故があると思いますから」
 妻戸に添った御簾の下から上半身を少し源氏は中へ入れた。
「困ります。あなた様のような尊貴な御身分の方は親類の縁故などをおっしゃるものではございませんでしょう」
 と言う女の様子には、重々しさはないが、ただの若い女房とは思われぬ品のよさと美しい感じのあるのを源氏は認めた。薫物《たきもの》が煙いほどに焚《た》かれていて、この室内に起《た》ち居《い》する女の衣摺《きぬず》れの音がはなやかなものに思われた。奥ゆかしいところは欠けて、派手《はで》な現代型の贅沢《ぜいたく》さが見えるのである。令嬢たちが見物のためにこの辺へ出ているので、妻戸がしめられてあったものらしい。貴女《きじょ》がこんな所へ出ているというようなことに賛意は表されなかったが、さすがに若い源氏としておもしろいことに思われた。この中のだれを恋人と見分けてよいのかと源氏の胸はとどろいた。「扇を取られてからき目を見る」(高麗人《こまうど》に帯を取られてからき目を見る)戯談《じょうだん》らしくこう言って御簾に身を寄せていた。
「変わった高麗人《こまうど》なのね」
 と言う一人は無関係な令嬢なのであろう。何も言わずに時々|溜息《ためいき》の聞こえる人のいるほうへ源氏は寄って行って、几帳《きちょう》越しに手をとらえて、

[#ここから1字下げ]
「あづさ弓いるさの山にまどふかなほの見し月の影や見ゆると
[#ここで字下げ終わり]

 なぜでしょう」
 と当て推量に言うと、その人も感情をおさえかねたか、

[#ここから2字下げ]
心いる方《かた》なりませば弓張《ゆみはり》の月なき空に迷はましやは
[#ここで字下げ終わり]

 と返辞をした。弘徽殿《こきでん》の月夜に聞いたのと同じ声である。源氏はうれしくてならないのであるが。

花宴 版本说明

底本:「全訳源氏物語 上巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年8月10日改版初版発行
   1994(平成6)年12月20日56版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月5日71版を使用しました。
入力:上田英代
校正:小林繁雄
2003年4月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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09 葵

[#地から3字上げ]恨めしと人を目におくこともこそ身の
[#地から3字上げ]おとろへにほかならぬかな (晶子)

 天子が新しくお立ちになり、時代の空気が変わってから、源氏は何にも興味が持てなくなっていた。官位の昇進した窮屈《きゅうくつ》さもあって、忍び歩きももう軽々しくできないのである。あちらにもこちらにも待って訪《と》われぬ恋人の悩みを作らせていた。そんな恨みの報いなのか源氏自身は中宮《ちゅうぐう》の御冷淡さを歎《なげ》く苦しい涙ばかりを流していた。位をお退《ひ》きになった院と中宮は普通の家の夫婦のように暮らしておいでになるのである。前《さき》の弘徽殿《こきでん》の女御《にょご》である新皇太后はねたましく思召《おぼしめ》すのか、院へはおいでにならずに当帝の御所にばかり行っておいでになったから、いどみかかる競争者もなくて中宮はお気楽に見えた。おりおりは音楽の会などを世間の評判になるほど派手《はで》にあそばして、院の陛下の御生活はきわめて御幸福なものであった。ただ恋しく思召すのは内裏《だいり》においでになる東宮だけである。御後見をする人のないことを御心配になって、源氏へそれをお命じになった。源氏はやましく思いながらもうれしかった。
 あの六条の御息所《みやすどころ》の生んだ前皇太子の忘れ形見の女王が斎宮《さいぐう》に選定された。源氏の愛のたよりなさを感じている御息所は、斎宮の年少なのに托《たく》して自分も伊勢《いせ》へ下ってしまおうかとその時から思っていた。この噂《うわさ》を院がお聞きになって、
「私の弟の東宮が非常に愛していた人を、おまえが何でもなく扱うのを見て、私はかわいそうでならない。斎宮なども姪《めい》でなく自分の内親王と同じように思っているのだから、どちらからいっても御息所を尊重すべきである。多情な心から、熱したり、冷たくなったりしてみせては世間がおまえを批難する」
 と源氏へお小言《こごと》をお言いになった。源氏自身の心にもそう思われることであったから、ただ恐縮しているばかりであった。
「相手の名誉をよく考えてやって、どの人をも公平に愛して、女の恨みを買わないようにするがいいよ」
 御忠告を承りながらも、中宮を恋するあるまじい心が、こんなふうにお耳へはいったらどうしようと恐ろしくなって、かしこまりながら院を退出したのである。院までも御息所との関係を認めての仰せがあるまでになっているのであるから、女の名誉のためにも、自分のためにも軽率なことはできないと思って、以前よりもいっそうその恋人を尊重する傾向にはなっているが、源氏はまだ公然に妻である待遇はしないのである。女も年長である点を恥じて、しいて夫人の地位を要求しない。源氏はいくぶんそれをよいことにしている形で、院も御承知になり、世間でも知らぬ人がないまでになってなお今も誠意を見せないと女は深く恨んでいた。この噂《うわさ》が世間から伝わってきた時、式部卿《しきぶきょう》の宮の朝顔の姫君は、自分だけは源氏の甘いささやきに酔って、やがては苦《にが》い悔いの中に自己を見いだす愚を学ぶまいと心に思うところがあって、源氏の手紙に時には短い返事を書くことも以前はあったが、それももう多くの場合書かぬことになった。そうといっても露骨に反感を見せたり、軽蔑《けいべつ》的な態度をとったりすることのないのを源氏はうれしく思った。こんな人であるから長い年月の間忘れることもなく恋しいのであると思っていた。左大臣家にいる葵《あおい》夫人(この人のことを主《おも》にして書かれた巻の名を用いて書く)はこんなふうに源氏の心が幾つにも分かれているのを憎みながらも、たいしてほかの恋愛を隠そうともしない人には、恨みを言っても言いがいがないと思っていた。夫人は妊娠していて気分が悪く心細い気になっていた。源氏はわが子の母になろうとする葵夫人にまた新しい愛を感じ始めた。そしてこれも喜びながら不安でならなく思う舅《しゅうと》夫婦とともに妊婦の加護を神仏へ祈ることにつとめていた。こうしたことのある間は源氏も心に余裕が少なくて、愛してはいながらも訪《たず》ねて行けない恋人の家が多かったであろうと思われる。
 そのころ前代の加茂《かも》の斎院《さいいん》がおやめになって皇太后腹の院の女三の宮が新しく斎院に定まった。院も太后もことに愛しておいでになった内親王であるから、神の奉仕者として常人と違った生活へおはいりになることを御親心に苦しく思召《おぼしめ》したが、ほかに適当な方がなかったのである。斎院就任の初めの儀式は古くから決まった神事の一つで簡単に行なわれる時もあるが、今度はきわめて派手《はで》なふうに行なわれるらしい。斎院の御勢力の多少にこんなこともよるらしいのである。御禊《ごけい》の日に供奉《ぐぶ》する大臣は定員のほかに特に宣旨《せんじ》があって源氏の右大将をも加えられた。物見車で出ようとする人たちは、その日を楽しみに思い晴れがましくも思っていた。
 二条の大通りは物見の車と人とで隙《すき》もない。あちこちにできた桟敷《さじき》は、しつらいの趣味のよさを競って、御簾《みす》の下から出された女の袖口《そでぐち》にも特色がそれぞれあった。祭りも祭りであるがこれらは見物する価値を十分に持っている。左大臣家にいる葵夫人はそうした所へ出かけるようなことはあまり好まない上に、生理的に悩ましいころであったから、見物のことを、念頭に置いていなかったが、
「それではつまりません。私たちどうしで見物に出ますのではみじめで張り合いがございません、今日はただ大将様をお見上げすることに興味が集まっておりまして、労働者も遠い地方の人までも、はるばると妻や子をつれて京へ上って来たりしておりますのに奥様がお出かけにならないのはあまりでございます」
 と女房たちの言うのを母君の宮様がお聞きになって、
「今日はちょうどあなたの気分もよくなっていることだから。出ないことは女房たちが物足りなく思うことだし、行っていらっしゃい」
 こうお言いになった。それでにわかに供廻《ともまわ》りを作らせて、葵夫人は御禊《みそぎ》の行列の物見車の人となったのである。邸《やしき》を出たのはずっと朝もおそくなってからだった。この一行はそれほどたいそうにも見せないふうで出た。車のこみ合う中へ幾つかの左大臣家の車が続いて出て来たので、どこへ見物の場所を取ろうかと迷うばかりであった。貴族の女の乗用らしい車が多くとまっていて、つまらぬ物の少ない所を選んで、じゃまになる車は皆|除《の》けさせた。その中に外見《そとみ》は網代車《あじろぐるま》の少し古くなった物にすぎぬが、御簾の下のとばりの好みもきわめて上品で、ずっと奥のほうへ寄って乗った人々の服装の優美な色も童女の上着の汗袗《かざみ》の端の少しずつ洩《も》れて見える様子にも、わざわざ目立たぬふうにして貴女《きじょ》の来ていることが思われるような車が二台あった。
「このお車はほかのとは違う。除《の》けられてよいようなものじゃない」
 と言ってその車の者は手を触れさせない。双方に若い従者があって、祭りの酒に酔って気の立った時にすることははなはだしく手荒いのである。馬に乗った大臣家の老家従などが、
「そんなにするものじゃない」
 と止めているが、勢い立った暴力を止めることは不可能である。斎宮《さいぐう》の母君の御息所《みやすどころ》が物思いの慰めになろうかと、これは微行で来ていた物見車であった。素知らぬ顔をしていても左大臣家の者は皆それを心では知っていた。
「それくらいのことでいばらせないぞ、大将さんの引きがあると思うのかい」
 などと言うのを、供の中には源氏の召使も混じっているのであるから、抗議をすれば、いっそう面倒《めんどう》になることを恐れて、だれも知らない顔を作っているのである。とうとう前へ大臣家の車を立て並べられて、御息所の車は葵夫人の女房が乗った幾台かの車の奥へ押し込まれて、何も見えないことになった。それを残念に思うよりも、こんな忍び姿の自身のだれであるかを見現わしてののしられていることが口惜《くちお》しくてならなかった。車の轅《ながえ》を据《す》える台なども脚《あし》は皆折られてしまって、ほかの車の胴へ先を引き掛けてようやく中心を保たせてあるのであるから、体裁の悪さもはなはだしい。どうしてこんな所へ出かけて来たのかと御息所は思うのであるが今さらしかたもないのである。見物するのをやめて帰ろうとしたが、他の車を避《よ》けて出て行くことは困難でできそうもない。そのうちに、
「見えて来た」
 と言う声がした。行列をいうのである。それを聞くと、さすがに恨めしい人の姿が待たれるというのも恋する人の弱さではなかろうか。
 源氏は御息所の来ていることなどは少しも気がつかないのであるから、振り返ってみるはずもない。気の毒な御息所である。前から評判のあったとおりに、風流を尽くした物見車にたくさんの女の乗り込んでいる中には、素知らぬ顔は作りながらも源氏の好奇心を惹《ひ》くのもあった。微笑《ほほえみ》を見せて行くあたりには恋人たちの車があったことと思われる。左大臣家の車は一目で知れて、ここは源氏もきわめてまじめな顔をして通ったのである。行列の中の源氏の従者がこの一団の車には敬意を表して通った。侮辱されていることをまたこれによっても御息所はいたましいほど感じた。

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影をのみみたらし川のつれなさに身のうきほどぞいとど知らるる
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 こんなことを思って、涙のこぼれるのを、同車する人々に見られることを御息所は恥じながらも、また常よりもいっそうきれいだった源氏の馬上の姿を見なかったならとも思われる心があった。行列に参加した人々は皆|分《ぶん》相応に美しい装いで身を飾っている中でも高官は高官らしい光を負っていると見えたが、源氏に比べるとだれも見栄《みば》えがなかったようである。大将の臨時の随身を、殿上にも勤める近衛《このえ》の尉《じょう》がするようなことは例の少ないことで、何かの晴れの行幸などばかりに許されることであったが、今日は蔵人《くろうど》を兼ねた右近衛《うこんえ》の尉が源氏に従っていた。そのほかの随身も顔姿ともによい者ばかりが選ばれてあって、源氏が世の中で重んぜられていることは、こんな時にもよく見えた。この人にはなびかぬ草木もないこの世であった。壺装束《つぼしょうぞく》といって頭の髪の上から上着をつけた、相当な身分の女たちや尼さんなども、群集の中に倒れかかるようになって見物していた。平生こんな場合に尼などを見ると、世捨て人がどうしてあんなことをするかと醜く思われるのであるが、今日だけは道理である。光源氏を見ようとするのだからと同情を引いた。着物の背中を髪でふくらませた、卑しい女とか、労働者階級の者までも皆手を額に当てて源氏を仰いで見て、自身が笑えばどんなおかしい顔になるかも知らずに喜んでいた。また源氏の注意を惹《ひ》くはずもないちょっとした地方官の娘なども、せいいっぱいに装った車に乗って、気どったふうで見物しているとか、こんないろいろな物で一条の大路《おおじ》はうずまっていた。源氏の情人である人たちは、恋人のすばらしさを眼前に見て、今さら自身の価値に反省をしいられた気がした。だれもそうであった。式部卿の宮は桟敷《さじき》で見物しておいでになった。まぶしい気がするほどきれいになっていく人である。あの美に神が心を惹《ひ》かれそうな気がすると宮は不安をさえお感じになった。宮の朝顔の姫君はよほど以前から今日までも忘れずに愛を求めてくる源氏には普通の男性に見られない誠実さがあるのであるから、それほどの志を持った人は少々欠点があっても好意が持たれるのに、ましてこれほどの美貌《びぼう》の主であったかと思うと一種の感激を覚えた。けれどもそれは結婚をしてもよい、愛に報いようとまでする心の動きではなかった。宮の若い女房たちは聞き苦しいまでに源氏をほめた。
 翌日の加茂祭りの日に左大臣家の人々は見物に出なかった。源氏に御禊《みそぎ》の日の車の場所争いを詳しく告げた人があったので、源氏は御息所《みやすどころ》に同情して葵夫人の態度を飽き足らず思った。貴婦人としての資格を十分に備えながら、情味に欠けた強い性格から、自身はそれほどに憎んではいなかったであろうが、そうした一人の男を巡って愛の生活をしている人たちの間はまた一種の愛で他を見るものであることを知らない女主人の意志に習って付き添った人間が御息所を侮辱したに違いない、見識のある上品な貴女である御息所はどんなにいやな気がさせられたであろうと、気の毒に思ってすぐに訪問したが、斎宮がまだ邸《やしき》においでになるから、神への遠慮という口実で逢《あ》ってくれなかった。源氏には自身までもが恨めしくてならない、現在の御息所の心理はわかっていながらも、どちらもこんなに自己を主張するようなことがなくて柔らかに心が持てないのであろうかと歎息《たんそく》されるのであった。
 祭りの日の源氏は左大臣家へ行かずに二条の院にいた。そして町へ見物に出て見る気になっていたのである。西の対へ行って、惟光《これみつ》に車の用意を命じた。
「女連も見物に出ますか」
 と言いながら、源氏は美しく装うた紫の姫君の姿を笑顔《えがお》でながめていた。
「あなたはぜひおいでなさい。私がいっしょにつれて行きましょうね」
 平生よりも美しく見える少女の髪を手でなでて、
「先を久しく切らなかったね。今日は髪そぎによい日だろう」
 源氏はこう言って、陰陽道《おんみょうどう》の調べ役を呼んでよい時間を聞いたりしながら、
「女房たちは先に出かけるといい」
 と言っていた。きれいに装った童女たちを点見したが、少女らしくかわいくそろえて切られた髪の裾《すそ》が紋織の派手《はで》な袴《はかま》にかかっているあたりがことに目を惹《ひ》いた。
「女王《にょおう》さんの髪は私が切ってあげよう」
 と言った源氏も、
「あまりたくさんで困るね。大人《おとな》になったらしまいにはどんなになろうと髪は思っているのだろう。」
 と困っていた。
「長い髪の人といっても前の髪は少し短いものなのだけれど、あまりそろい過ぎているのはかえって悪いかもしれない」
 こんなことも言いながら源氏の仕事は終わりになった。
「千尋《ちひろ》」
 と、これは髪そぎの祝い言葉である。少納言は感激していた。

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はかりなき千尋の底の海松房《みるぶさ》の生《お》ひ行く末はわれのみぞ見ん
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 源氏がこう告げた時に、女王は、

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千尋ともいかでか知らん定めなく満ち干《ひ》る潮ののどけからぬに
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 と紙に書いていた。貴女らしくてしかも若やかに美しい人に源氏は満足を感じていた。
 今日も町には隙間《すきま》なく車が出ていた。馬場殿あたりで祭りの行列を見ようとするのであったが、都合のよい場所がない。
「大官連がこの辺にはたくさん来ていて面倒《めんどう》な所だ」
 源氏は言って、車をやるのでなく、停《と》めるのでもなく、躊躇《ちゅうちょ》している時に、よい女車で人がいっぱいに乗りこぼれたのから、扇を出して源氏の供を呼ぶ者があった。
「ここへおいでになりませんか。こちらの場所をお譲りしてもよろしいのですよ」
 という挨拶《あいさつ》である。どこの風流女のすることであろうと思いながら、そこは実際よい場所でもあったから、その車に並べて源氏は車を据《す》えさせた。
「どうしてこんなよい場所をお取りになったかとうらやましく思いました」
 と言うと、品のよい扇の端を折って、それに書いてよこした。

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はかなしや人のかざせるあふひ故《ゆゑ》神のしるしの今日を待ちける

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注連《しめ》を張っておいでになるのですもの。
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 源典侍《げんてんじ》の字であることを源氏は思い出したのである。どこまで若返りたいのであろうと醜く思った源氏は皮肉に、

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かざしける心ぞ仇《あだ》に思ほゆる八十氏《やそうぢ》人になべてあふひを
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 と書いてやると、恥ずかしく思った女からまた歌が来た。

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くやしくも挿《かざ》しけるかな名のみして人だのめなる草葉ばかりを
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 今日の源氏が女の同乗者を持っていて、簾《みす》さえ上げずに来ているのをねたましく思う人が多かった。御禊の日の端麗だった源氏が今日はくつろいだふうに物見車の主になっている、並んで乗っているほどの人は並み並みの女ではないはずであるとこんなことを皆想像したものである。源典侍では競争者と名のって出られても問題にはならないと思うと、源氏は少しの物足りなさを感じたが、源氏の愛人がいると思うと晴れがましくて、源典侍のようなあつかましい老女でもさすがに困らせるような戯談《じょうだん》もあまり言い出せないのである。
 御息所《みやすどころ》の煩悶《はんもん》はもう過去何年かの物思いとは比較にならないほどのものになっていた。信頼のできるだけの愛を持っていない人と源氏を決めてしまいながらも、断然別れて斎宮について伊勢へ行ってしまうことは心細いことのようにも思われたし、捨てられた女と見られたくない世間体も気になった。そうかと言って安心して京にいることも、全然無視された車争いの日の記憶がある限り可能なことではなかった。自身の心を定めかねて、寝てもさめても煩悶をするせいか、次第に心がからだから離れて行き、自身は空虚なものになっているという気分を味わうようになって、病気らしくなった。源氏は初めから伊勢へ行くことに断然不賛成であるとも言い切らずに、
「私のようなつまらぬ男を愛してくだすったあなたが、いやにおなりになって、遠くへ行ってしまうという気になられるのはもっともですが、寛大な心になってくだすって変わらぬ恋を続けてくださることで前生《ぜんしょう》の因縁を全《まった》くしたいと私は願っている」
 こんなふうにだけ言って留めているのであったから、そうした物思いも慰むかと思って出た御禊川《みそぎがわ》に荒い瀬が立って不幸を見たのである。
 葵《あおい》夫人は物怪《もののけ》がついたふうの容体で非常に悩んでいた。父母たちが心配するので、源氏もほかへ行くことが遠慮される状態なのである。二条の院などへもほんの時々帰るだけであった。夫婦の中は睦《むつ》まじいものではなかったが、妻としてどの女性よりも尊重する心は十分源氏にあって、しかも妊娠しての煩いであったから憐《あわれ》みの情も多く加わって、修法《しゅほう》や祈祷《きとう》も大臣家でする以外にいろいろとさせていた。物怪《もののけ》、生霊《いきりょう》というようなものがたくさん出て来て、いろいろな名乗りをする中に、仮に人へ移そうとしても、少しも移らずにただじっと病む夫人にばかり添っていて、そして何もはげしく病人を悩まそうとするのでもなく、また片時も離れない物怪《もののけ》が一つあった。どんな修験僧《しゅげんそう》の技術ででも自由にすることのできない執念のあるのは、並み並みのものであるとは思われなかった。左大臣家の人たちは、源氏の愛人をだれかれと数えて、それらしいのを求めると、結局六条の御息所と二条の院の女は源氏のことに愛している人であるだけ夫人に恨みを持つことも多いわけであると、こう言って、物怪に言わせる言葉からその主を知ろうとしても、何の得るところもなかった。物怪といっても、育てた姫君に愛を残した乳母《めのと》というような人、もしくはこの家を代々敵視して来た亡魂とかが弱り目につけこんでくるような、そんなのは決して今度の物怪の主たるものではないらしい。夫人は泣いてばかりいて、おりおり胸がせき上がってくるようにして苦しがるのである。どうなることかとだれもだれも不安でならなかった。院の御所からも始終お見舞いの使いが来る上に祈祷までも別にさせておいでになった。こんな光栄を持つ夫人に万一のことがなければよいとだれも思った。世間じゅうが惜しんだり歎《なげ》いたりしているこの噂《うわさ》も御息所を不快な気分にした。これまでは決してこうではなかったのである。競争心を刺戟《しげき》したのは車争いという小さいことにすぎないが、それがどれほど大きな恨みになっているかを左大臣家の人は想像もしなかった。
 物思いは御息所の病をますます昂《こう》じさせた。斎宮をはばかって、他の家へ行って修法などをさせていた。源氏はそれを聞いてどんなふうに悪いのかと哀れに思って訪ねて行った。自邸でない人の家であったから、人目を避けてこの人たちは逢った。本意ではなくて長く逢いに来なかったことを御息所の気も済むほどこまごまと源氏は語っていた。妻の病状も心配げに話すのである。
「私はそれほど心配しているのではないのですが、親たちがたいへんな騒ぎ方をしていますから、気の毒で、少し容体がよくなるまでは謹慎を表していようと思うだけなのです。あなたが心を大きく持って見ていてくだすったら私は幸福です」
 などと言う。女に平生よりも弱々しいふうの見えるのを、もっともなことに思って源氏は同情していた。疑いも恨みも氷解したわけでもなく源氏が帰って行く朝の姿の美しいのを見て、自分はとうていこの人を離れて行きうるものではないと御息所は思った。正夫人である上に子供が生まれるとなれば、その人以外の女性に持っている愛などはさめて淡《うす》いものになっていくであろう時、今のように毎日待ち暮らすことも、その辛抱《しんぼう》に命の続かなくなることであろうと、それでいてまた思われもして、たまたま逢って物思いの決して少なくはならない御息所へ、次の日は手紙だけが暮れてから送られた。
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この間うち少し癒《よ》くなっていたようでした病人にまたにわかに悪い様子が見えてきて苦しんでいるのを見ながら出られないのです。
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 とあるのを、例の上手《じょうず》な口実である、と見ながらも御息所は返事を書いた。

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袖《そで》濡《ぬ》るるこひぢとかつは知りながら下《お》り立つ田子の自《みづか》らぞ憂《う》き

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古い歌にも「悔《くや》しくぞ汲《く》みそめてける浅ければ袖のみ濡るる山の井の水」とございます。
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 というのである。幾人かの恋人の中でもすぐれた字を書く人であると、源氏は御息所の返事をながめて思いながらも、理想どおりにこの世はならないものである。性質にも容貌《ようぼう》にも教養にもとりどりの長所があって、捨てることができず、ある一人に愛を集めてしまうこともできないことを苦しく思った。そのまた返事を、もう暗くなっていたが書いた。
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袖が濡れるとお言いになるのは、深い恋を持ってくださらない方の恨みだと思います。

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あさみにや人は下《お》り立つわが方《かた》は身もそぼつまで深きこひぢを

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この返事を口ずから申さないで、筆をかりてしますことはどれほど苦痛なことだかしれません。
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 などと言ってあった。
 葵の君の容体はますます悪い。六条の御息所の生霊であるとも、その父である故人の大臣の亡霊が憑《つ》いているとも言われる噂《うわさ》の聞こえて来た時、御息所は自分自身の薄命を歎《なげ》くほかに人を咀《のろ》う心などはないが、物思いがつのればからだから離れることのあるという魂はあるいはそんな恨みを告げに源氏の夫人の病床へ出没するかもしれないと、こんなふうに悟られることもあるのであった。物思いの連続といってよい自分の生涯《しょうがい》の中に、いまだ今度ほど苦しく思ったことはなかった。御禊《みそぎ》の日の屈辱感から燃え立った恨みは自分でももう抑制のできない火になってしまったと思っている御息所は、ちょっとでも眠ると見る夢は、姫君らしい人が美しい姿ですわっている所へ行って、その人の前では乱暴な自分になって、武者ぶりついたり撲《なぐ》ったり、現実の自分がなしうることでない荒々しい力が添う、こんな夢で、幾度となく同じ筋を見る、情けないことである、魂がからだを離れて行ったのであろうかと思われる。失神状態に御息所がなっている時もあった。ないことも悪くいうのが世間である、ましてこの際の自分は彼らの慢罵欲《まんばよく》を満足させるのによい人物であろうと思うと、御息所は名誉の傷つけられることが苦しくてならないのである。死んだあとにこの世の人へ恨みの残った霊魂が現われるのはありふれた事実であるが、それさえも罪の深さの思われる悲しむべきことであるのに、生きている自分がそうした悪名を負うというのも、皆源氏の君と恋する心がもたらした罪である、その人への愛を今自分は根柢《こんてい》から捨てねばならぬと御息所は考えた。努めてそうしようとしても実現性のないむずかしいことに違いない。
 斎宮は去年にもう御所の中へお移りになるはずであったが、いろいろな障《さわ》りがあって、この秋いよいよ潔斎生活の第一歩をお踏み出しになることとなった。そしてもう九月からは嵯峨《さが》の野の宮へおはいりになるのである。それとこれと二度ある御禊の日の仕度《したく》に邸《やしき》の人々は忙殺されているのであるが御息所は頭をぼんやりとさせて、寝て暮らすことが多かった。邸の男女はまたこのことを心配して祈祷を頼んだりしていた。何病というほどのことはなくて、ぶらぶらと病んでいるのである。源氏からも始終見舞いの手紙は来るが、愛する妻の容体の悪さは、自分でこの人を訪ねて来ることなどをできなくしているようであった。
 まだ産期には早いように思って一家の人々が油断しているうちに葵の君はにわかに生みの苦しみにもだえ始めた。病気の祈祷のほかに安産の祈りも数多く始められたが、例の執念深い一つの物怪《もののけ》だけはどうしても夫人から離れない。名高い僧たちもこれほどの物怪には出あった経験がないと言って困っていた。さすがに法力におさえられて、哀れに泣いている。
「少しゆるめてくださいな、大将さんにお話しすることがあります」
 そう夫人の口から言うのである。
「あんなこと。わけがありますよ。私たちの想像が当たりますよ」
 女房はこんなことも言って、病床に添え立てた几帳《きちょう》の前へ源氏を導いた。父母たちは頼み少なくなった娘は、良人《おっと》に何か言い置くことがあるのかもしれないと思って座を避けた。この時に加持をする僧が声を低くして法華経《ほけきょう》を読み出したのが非常にありがたい気のすることであった。几帳の垂《た》れ絹《ぎぬ》を引き上げて源氏が中を見ると、夫人は美しい顔をして、そして腹部だけが盛り上がった形で寝ていた。他人でも涙なしには見られないのを、まして良人である源氏が見て惜しく悲しく思うのは道理である。白い着物を着ていて、顔色は病熱ではなやかになっている。たくさんな長い髪は中ほどで束ねられて、枕《まくら》に添えてある。美女がこんなふうでいることは最も魅惑的なものであると見えた。源氏は妻の手を取って、
「悲しいじゃありませんか。私にこんな苦しい思いをおさせになる」
 多くものが言われなかった。ただ泣くばかりである。平生は源氏に真正面から見られるととてもきまりわるそうにして、横へそらすその目でじっと良人を見上げているうちに涙がそこから流れて出るのであった。それを見て源氏が深い憐《あわれ》みを覚えたことはいうまでもない。あまりに泣くのを見て、残して行く親たちのことを考えたり、また自分を見て、別れの堪えがたい悲しみを覚えるのであろうと源氏は思った。
「そんなに悲しまないでいらっしゃい。それほど危険な状態でないと私は思う。またたとえどうなっても夫婦は来世でも逢えるのだからね。御両親も親子の縁の結ばれた間柄はまた特別な縁で来世で再会ができるのだと信じていらっしゃい」
 と源氏が慰めると、
「そうじゃありません。私は苦しくてなりませんからしばらく法力をゆるめていただきたいとあなたにお願いしようとしたのです。私はこんなふうにしてこちらへ出て来ようなどとは思わないのですが、物思いをする人の魂というものはほんとうに自分から離れて行くものなのです」
 なつかしい調子でそう言ったあとで、

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歎《なげ》きわび空に乱るるわが魂《たま》を結びとめてよ下がひの褄《つま》
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 という声も様子も夫人ではなかった。まったく変わってしまっているのである。怪しいと思って考えてみると、夫人はすっかり六条の御息所になっていた。源氏はあさましかった。人がいろいろな噂《うわさ》をしても、くだらぬ人が言い出したこととして、これまで源氏の否定してきたことが眼前に事実となって現われているのであった。こんなことがこの世にありもするのだと思うと、人生がいやなものに思われ出した。
「そんなことをお言いになっても、あなたがだれであるか私は知らない。確かに名を言ってごらんなさい」
 源氏がこう言ったのちのその人はますます御息所そっくりに見えた。あさましいなどという言葉では言い足りない悪感《おかん》を源氏は覚えた。女房たちが近く寄って来る気配《けはい》にも、源氏はそれを見現わされはせぬかと胸がとどろいた。病苦にもだえる声が少し静まったのは、ちょっと楽になったのではないかと宮様が飲み湯を持たせておよこしになった時、その女房に抱き起こされて間もなく子が生まれた。源氏が非常にうれしく思った時、他の人間に移してあったのが皆|口惜《くちお》しがって物怪は騒ぎ立った。それにまだ後産《あとざん》も済まぬのであるから少なからぬ不安があった。良人と両親が神仏に大願を立てたのはこの時である。そのせいであったかすべてが無事に済んだので、叡山《えいざん》の座主《ざす》をはじめ高僧たちが、だれも皆誇らかに汗を拭《ぬぐ》い拭い帰って行った。これまで心配をし続けていた人はほっとして、危険もこれで去ったという安心を覚えて恢復《かいふく》の曙光《しょこう》も現われたとだれもが思った。修法などはまた改めて行なわせていたが、今目前に新しい命が一つ出現したことに対する歓喜が大きくて、左大臣家は昨日に変わる幸福に満たされた形である。院をはじめとして親王方、高官たちから派手《はで》な産養《うぶやしない》の賀宴が毎夜持ち込まれた。出生したのは男子でさえもあったからそれらの儀式がことさらはなやかであった。
 六条の御息所《みやすどころ》はそういう取り沙汰《ざた》を聞いても不快でならなかった。夫人はもう危《あぶな》いと聞いていたのに、どうして子供が安産できたのであろうと、こんなことを思って、自身が失神したようにしていた幾日かのことを、静かに考えてみると、着た衣服などにも祈りの僧が焚《た》く護摩《ごま》の香《か》が沁《し》んでいた。不思議に思って、髪を洗ったり、着物を変えたりしても、やはり改まらない。御息所は世間で言う生霊《いきりょう》の説の否認しがたいことを悲しんで、人がどう批評するであろうかと、だれに話してみることでもないだけに心一つで苦しんでいた。いよいよ自分の恋愛を清算してしまわないではならないと、それによってまた強く思うようになった。
 少し安心を得た源氏は、生霊をまざまざと目で見、御息所の言葉を聞いた時のことを思い出しながらも、長く訪《たず》ねて行かない心苦しさを感じたり、また今後御息所に接近してもあの醜い記憶が心にある間は、以前の感情でその人が見られるかということは自身の心ながらも疑わしくて、苦悶《くもん》をしたりしながら、御息所の体面を傷つけまいために手紙だけは書いて送った。産前の重かった容体から、油断のできないように両親たちは今も見て、心配しているのが道理なことに思えて、源氏はまだ恋人などの家を微行で訪うようなことをしないのである。夫人はまだ衰弱がはなはだしくて、病気から離れたとは見えなかったから、夫婦らしく同室で暮らすことはなくて、源氏は小さいながらもまばゆいほど美しい若君の愛に没頭していた。非常に大事がっているのである。自家の娘から源氏の子が生まれて、すべてのことが理想的になっていくと、大臣は喜んでいるのであるが、葵《あおい》夫人の恢復《かいふく》が遅々としているのだけを気がかりに思っていた。しかしあんなに重体でいたあとはこれを普通としなければならないと思ってもいるであろうから、大臣の幸福感はたいして割引きしたものではないのである。若君の目つきの美しさなどが東宮と非常によく似ているのを見ても、何よりも恋しく幼い皇太弟をお思いする源氏は、御所のそちらへ上がらないでいることに堪えられなくなって、出かけようとした。
「御所などへあまり長く上がらないで気が済みませんから、今日私ははじめてあなたから離れて行こうとするのですが、せめて近い所に行って話をしてからにしたい。あまりよそよそし過ぎます。こんなのでは」
 と源氏は夫人へ取り次がせた。
「ほんとうにそうでございますよ。体裁を気にあそばすあなた様がたのお間柄ではないのでございますから。あなた様が御衰弱していらっしゃいましても、物越しなどでお話しになればいかがでしょう」
 こう女房が夫人に忠告をして、病床の近くへ座を作ったので、源氏は病室へはいって行って話をした。夫人は時々返辞もするがまだずいぶん様子が弱々しい。それでも絶望状態になっていたころのことを思うと、夢のような幸福にいると源氏は思わずにはいられないのである。不安に堪えられなかったころのことを話しているうちに、あの呼吸も絶えたように見えた人が、にわかにいろんなことを言い出した光景が目に浮かんできて、たまらずいやな気がするので源氏は話を打ち切ろうとした。
「まああまり長話はよしましょう。いろいろと聞いてほしいこともありますがね。まだまだあなたはだるそうで気の毒だから」
 こう言ったあとで、
「お湯をお上げするがいい」
 と女房に命じた。病妻の良人《おっと》らしいこんな気のつかい方をする源氏に女房たちは同情した。非常な美人である夫人が、衰弱しきって、あるかないかのようになって寝ているのは痛々しく可憐《かれん》であった。少しの乱れもなくはらはらと枕《まくら》にかかった髪の美しさは男の魂を奪うだけの魅力があった。なぜ自分は長い間この人を飽き足らない感情を持って見ていたのであろうかと、不思議なほど長くじっと源氏は妻を見つめていた。
「院の御所などへ伺って、早く帰って来ましょう。こんなふうにして始終逢うことができればうれしいでしょうが、宮様がじっと付いていらっしゃるから、ぶしつけにならないかと思って御遠慮しながら蔭《かげ》で煩悶《はんもん》をしていた私にも同情ができるでしょう。だから自分でも早くよくなろうと努めるようにしてね、これまでのように私たちでいっしょにいられるようになってください。あまりお母様にあなたが甘えるものだから、あちらでもいつまでも子供のようにお扱いになるのですよ」
 などと言い置いてきれいに装束した源氏の出かけるのを病床の夫人は平生よりも熱心にながめていた。
 秋の官吏の昇任の決まる日であったから、大臣も参内したので、子息たちもそれぞれの希望があってこのごろは大臣のそばを離れまいとしているのであるから皆続いてそのあとから出て行った。いる人数が少なくなって、邸内が静かになったころに、葵の君はにわかに胸がせきあげるようにして苦しみ出したのである。御所へ迎えの使いを出す間もなく夫人の息は絶えてしまった。左大臣も源氏もあわてて退出して来たので、除目《じもく》の夜であったが、この障《さわ》りで官吏の任免は決まらずに終わった形である。若い夫人の突然の死に左大臣邸は混乱するばかりで、夜中のことであったから叡山《えいざん》の座主《ざす》も他の僧たちも招く間がなかった。もう危篤な状態から脱したものとして、だれの心にも油断のあった隙《すき》に、死が忍び寄ったのであるから、皆|呆然《ぼうぜん》としている。所々の慰問使が集まって来ていても、挨拶《あいさつ》の取り次ぎを託されるような人もなく、泣き声ばかりが邸内に満ちていた。大臣夫婦、故人の良人《おっと》である源氏の歎《なげ》きは極度のものであった。これまで物怪《もののけ》のために一時的な仮死状態になったこともたびたびあったのを思って、死者として枕を直すこともなく、二、三日はなお病夫人として寝させて、蘇生《そせい》を待っていたが、時間はすでに亡骸《なきがら》であることを証明するばかりであった。もう死を否定してみる理由は何一つないことをだれも認めたのである。源氏は妻の死を悲しむとともに、人生の厭《いと》わしさが深く思われて、所々から寄せてくる弔問の言葉も、どれもうれしく思われなかった。院もお悲しみになってお使いをくだされた。大臣は娘の死後の光栄に感激する涙も流しているのである。人の忠告に従い蘇生の術として、それは遺骸《いがい》に対して傷《いた》ましい残酷な方法で行なわれることまでも大臣はさせて、娘の息の出てくることを待っていたが皆だめであった。もう幾日かになるのである。いよいよ夫人を鳥辺野《とりべの》の火葬場へ送ることになった。こうしてまた人々は悲しんだのである。左大臣の愛嬢として、源氏の夫人として葬送の式に列《つらな》る人、念仏のために集められた寺々の僧、そんな人たちで鳥辺野がうずめられた。院はもとよりのこと、お后方、東宮から賜わった御使いが次々に葬場へ参着して弔詞を読んだ。悲しみにくれた大臣は立ち上がる力も失っていた。
「こんな老人になってから、若盛りの娘に死なれて無力に私は泣いているじゃないか」
 恥じてこう言って泣く大臣を悲しんで見ぬ人もなかった。夜通しかかったほどの大がかりな儀式であったが、終局は煙にすべく遺骸を広い野に置いて来るだけの寂しいことになって皆早暁に帰って行った。死はそうしたものであるが、前《さき》に一人の愛人を死なせただけの経験よりない源氏は今また非常な哀感を得たのである。八月の二十日過ぎの有明月《ありあけづき》のあるころで、空の色も身にしむのである。亡《な》き子を思って泣く大臣の悲歎に同情しながらも見るに忍びなくて、源氏は車中から空ばかりを見ることになった。

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昇《のぼ》りぬる煙はそれと分《わ》かねどもなべて雲井の哀れなるかな
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 源氏はこう思ったのである。家へ帰っても少しも眠れない。故人と二人の長い間の夫婦生活を思い出して、なぜ自分は妻に十分の愛を示さなかったのであろう、信頼していてさえもらえば、異性に対する自分の愛は妻に帰るよりほかはないのだと暢気《のんき》に思って、一時的な衝動を受けては恨めしく思わせるような罪をなぜ自分は作ったのであろう。そんなことで妻は生涯《しょうがい》心から打ち解けてくれなかったのだなどと、源氏は悔やむのであるが今はもう何のかいのある時でもなかった。淡鈍《うすにび》色の喪服を着るのも夢のような気がした。もし自分が先に死んでいたら、妻はこれよりも濃い色の喪服を着て歎いているであろうと思ってもまた源氏の悲しみは湧《わ》き上がってくるのであった。

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限りあればうす墨衣浅けれど涙ぞ袖《そで》を淵《ふち》となしける
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 と歌ったあとでは念誦《ねんず》をしている源氏の様子は限りもなく艶《えん》であった。経を小声で読んで「法界|三昧《ざんまい》普賢大士」と言っている源氏は、仏勤めをし馴《な》れた僧よりもかえって尊く思われた。若君を見ても「結び置くかたみの子だになかりせば何に忍ぶの草を摘ままし」こんな古歌が思われていっそう悲しくなったが、この形見だけでも残して行ってくれたことに慰んでいなければならないとも源氏は思った。左大臣の夫人の宮様は、悲しみに沈んでお寝《やす》みになったきりである。お命も危《あぶな》く見えることにまた家の人々はあわてて祈祷《きとう》などをさせていた。寂しい日がずんずん立っていって、もう四十九日の法会《ほうえ》の仕度《したく》をするにも、宮はまったく予期あそばさないことであったからお悲しかった。欠点の多い娘でも死んだあとでの親の悲しみはどれほど深いものかしれない、まして母君のお失いになったのは、貴女《きじょ》として完全に近いほどの姫君なのであるから、このお歎きは至極道理なことと申さねばならない。ただ姫君が一人であるということも寂しくお思いになった宮であったから、その唯一の姫君をお失いになったお心は、袖《そで》の上に置いた玉の砕けたよりももっと惜しく残念なことでおありになったに違いない。
 源氏は二条の院へさえもまったく行かないのである。専念に仏勤めをして暮らしているのであった。恋人たちの所へ手紙だけは送っていた。六条の御息所《みやすどころ》は左衛門《さえもん》の庁舎へ斎宮がおはいりになったので、いっそう厳重になった潔斎的な生活に喪中の人の交渉を遠慮する意味に託《たく》してその人へだけは消息もしないのである。早くから悲観的に見ていた人生がいっそうこのごろいとわしくなって、将来のことまでも考えてやらねばならぬ幾人かの情人たち、そんなものがなければ僧になってしまうがと思う時に、源氏の目に真先《まっさき》に見えるものは西の対の姫君の寂しがっている面影であった。夜は帳台の中へ一人で寝た。侍女たちが夜の宿直《とのい》におおぜいでそれを巡ってすわっていても、夫人のそばにいないことは限りもない寂しいことであった。「時しもあれ秋やは人の別るべき有るを見るだに恋しきものを」こんな思いで源氏は寝ざめがちであった。声のよい僧を選んで念仏をさせておく、こんな夜の明け方などの心持ちは堪えられないものであった。秋が深くなったこのごろの風の音《ね》が身にしむのを感じる、そうしたある夜明けに、白菊が淡色《うすいろ》を染めだした花の枝に、青がかった灰色の紙に書いた手紙を付けて、置いて行った使いがあった。
「気どったことをだれがするのだろう」
 と源氏は言って、手紙をあけて見ると御息所の字であった。
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今まで御遠慮してお尋ねもしないでおりました私の心持ちはおわかりになっていらっしゃることでしょうか。

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人の世を哀れときくも露けきにおくるる露を思ひこそやれ

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あまりに身にしむ今朝《けさ》の空の色を見ていまして、つい書きたくなってしまったのです。
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 平生よりもいっそうみごとに書かれた字であると源氏はさすがにすぐに下へも置かれずにながめながらも、素知らぬふりの慰問状であると思うと恨めしかった。たとえあのことがあったとしても絶交するのは残酷である、そしてまた名誉を傷つけることになってはならないと思って源氏は煩悶《はんもん》した。死んだ人はとにかくあれだけの寿命だったに違いない。なぜ自分の目はああした明らかな御息所の生霊《いきりょう》を見たのであろうとこんなことを源氏は思った。源氏の恋が再び帰りがたいことがうかがわれるのである。斎宮の御潔斎中の迷惑にならないであろうかとも久しく考えていたが、わざわざ送って来た手紙に返事をしないのは無情過ぎるとも思って、紫の灰色がかった紙にこう書いた。
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ずいぶん長くお目にかかりませんが、心で始終思っているのです。謹慎中のこうした私に同情はしてくださるでしょうと思いました。

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とまる身も消えしも同じ露の世に心置くらんほどぞはかなき

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ですから憎いとお思いになることなどもいっさい忘れておしまいなさい。忌中の者の手紙などは御覧にならないかと思いまして私も御無沙汰《ごぶさた》をしていたのです。
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 御息所は自宅のほうにいた時であったから、そっと源氏の手紙を読んで、文意にほのめかしてあることを、心にとがめられていないのでもない御息所はすぐに悟ったのである。これも皆自分の薄命からだと悲しんだ。こんな生霊の噂《うわさ》が伝わって行った時に院はどう思召《おぼしめ》すだろう。前皇太弟とは御同胞といっても取り分けお睦《むつ》まじかった、斎宮の将来のことも院へお頼みになって東宮はお薨《かく》れになったので、その時代には第二の父になってやろうという仰せがたびたびあって、そのまままた御所で後宮生活をするようにとまで仰せになった時も、あるまじいこととして自分は御辞退をした。それであるのに若い源氏と恋をして、しまいには悪名を取ることになるのかと御息所は重苦しい悩みを心にして健康もすぐれなかった。この人は昔から、教養があって見識の高い、趣味の洗練された貴婦人として、ずいぶん名高い人になっていたので、斎宮が野の宮へいよいよおはいりになると、そこを風流な遊び場として、殿上役人などの文学好きな青年などは、はるばる嵯峨《さが》へまで訪問に出かけるのをこのごろの仕事にしているという噂が源氏の耳にはいると、もっともなことであると思った。すぐれた芸術的な存在であることは否定できない人である。悲観してしまって伊勢《いせ》へでも行かれたらずいぶん寂しいことであろうと、さすがに源氏は思ったのである。
 日を取り越した法会《ほうえ》はもう済んだが、正しく四十九日まではこの家で暮らそうと源氏はしていた。過去に経験のない独《ひと》り棲《ず》みをする源氏に同情して、現在の三位《さんみ》中将は始終|訪《たず》ねて来て、世間話も多くこの人から源氏に伝わった。まじめな問題も、恋愛事件もある。滑稽《こっけい》な話題にはよく源典侍《げんてんじ》がなった。源氏は、
「かわいそうに、お祖母《ばあ》様を安っぽく言っちゃいけないね」
 と言いながらも、典侍のことは自身にもおかしくてならないふうであった。常陸《ひたち》の宮の春の月の暗かった夜の話も、そのほかの互いの情事の素破《すっぱ》抜きもした。長く語っているうちにそうした話は皆影をひそめてしまって、人生の寂しさを言う源氏は泣きなどもした。
 さっと通り雨がした後の物の身にしむ夕方に中将は鈍《にび》色の喪服の直衣《のうし》指貫《さしぬき》を今までのよりは淡《うす》い色のに着かえて、力強い若さにあふれた、公子らしい風采《ふうさい》で出て来た。源氏は西側の妻戸の前の高欄にからだを寄せて、霜枯れの庭をながめている時であった。荒い風が吹いて、時雨《しぐれ》もばらばらと散るのを見ると、源氏は自分の涙と競うもののように思った。「相逢相失両如夢《あひあひあひうしなふふたつながらゆめのごとし》、為雨為雲今不知《あめとやなるくもとやなるいまはしらず》」と口ずさみながら頬杖《ほおづえ》をついた源氏を、女であれば先だって死んだ場合に魂は必ず離れて行くまいと好色な心に中将を思って、じっとながめながら近づいて来て一礼してすわった。源氏は打ち解けた姿でいたのであるが、客に敬意を表するために、直衣の紐《ひも》だけは掛けた。源氏のほうは中将よりも少し濃い鈍色にきれいな色の紅の単衣《ひとえ》を重ねていた。こうした喪服姿はきわめて艶《えん》である。中将も悲しい目つきで庭のほうをながめていた。

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雨となりしぐるる空の浮き雲をいづれの方と分《わ》きてながめん

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どこだかわからない。
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 と独言《ひとりごと》のように言っているのに源氏は答えて、

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見し人の雨となりにし雲井さへいとど時雨《しぐれ》に掻《か》きくらす頃《ころ》
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 というのに、故人を悲しむ心の深さが見えるのである。中将はこれまで、院の思召《おぼしめ》しと、父の大臣の好意、母宮の叔母《おば》君である関係、そんなものが源氏をここに引き止めているだけで、妹を熱愛するとは見えなかった、自分はそれに同情も表していたつもりであるが、表面とは違った動かぬ愛を妻に持っていた源氏であったのだとこの時はじめて気がついた。それによってまた妹の死が惜しまれた。ただ一人の人がいなくなっただけであるが、家の中の光明をことごとく失ったようにだれもこのごろは思っているのである。源氏は枯れた植え込みの草の中に竜胆《りんどう》や撫子《なでしこ》の咲いているのを見て、折らせたのを、中将が帰ったあとで、若君の乳母《めのと》の宰相の君を使いにして、宮様のお居間へ持たせてやった。

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草枯れの籬《まがき》に残る撫子を別れし秋の形見とぞ見る

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この花は比較にならないものとあなた様のお目には見えるでございましょう。
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 こう挨拶《あいさつ》をさせたのである。撫子にたとえられた幼児はほんとうに花のようであった。宮様の涙は風の音にも木の葉より早く散るころであるから、まして源氏の歌はお心を動かした。

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今も見てなかなか袖《そで》を濡《ぬ》らすかな垣《かき》ほあれにしやまと撫子
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 というお返辞があった。
 源氏はまだつれづれさを紛らすことができなくて、朝顔の女王《にょおう》へ、情味のある性質の人は今日の自分を哀れに思ってくれるであろうという頼みがあって手紙を書いた。もう暗かったが使いを出したのである。親しい交際はないが、こんなふうに時たま手紙の来ることはもう古くからのことで馴《な》れている女房はすぐに女王へ見せた。秋の夕べの空の色と同じ唐紙《とうし》に、

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わきてこの暮《くれ》こそ袖《そで》は露けけれ物思ふ秋はあまた経ぬれど

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「神無月いつも時雨は降りしかど」というように。
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 と書いてあった。ことに注意して書いたらしい源氏の字は美しかった。これに対してもと女房たちが言い、女王自身もそう思ったので返事は書いて出すことになった。
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このごろのお寂しい御起居は想像いたしながら、お尋ねすることもまた御遠慮されたのでございます。

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秋霧に立ちおくれぬと聞きしより時雨《しぐ》るる空もいかがとぞ思ふ
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 とだけであった。ほのかな書きようで、心憎さの覚えられる手紙であった。結婚したあとに以前恋人であった時よりも相手がよく思われることは稀《まれ》なことであるが、源氏の性癖からもまだ得られない恋人のすることは何一つ心を惹《ひ》かないものはないのである。冷静は冷静でもその場合場合に同情を惜しまない朝顔の女王とは永久に友愛をかわしていく可能性があるとも源氏は思った。あまりに非凡な女は自身の持つ才識がかえって禍《わざわ》いにもなるものであるから、西の対の姫君をそうは教育したくないとも思っていた。自分が帰らないことでどんなに寂しがっていることであろうと、紫の女王のあたりが恋しかったが、それはちょうど母親を亡《な》くした娘を家に置いておく父親に似た感情で思うのであって、恨まれはしないか、疑ってはいないだろうかと不安なようなことはなかった。
 すっかり夜になったので、源氏は灯《ひ》を近くへ置かせてよい女房たちだけを皆居間へ呼んで話し合うのであった。中納言の君というのはずっと前から情人関係になっている人であったが、この忌中はかえってそうした人として源氏が取り扱わないのを、中納言の君は夫人への源氏の志としてそれをうれしく思った。ただ主従としてこの人ともきわめて睦《むつま》じく語っているのである。
「このごろはだれとも毎日こうしていっしょに暮らしているのだから、もうすっかりこの生活に馴《な》れてしまった私は、皆といっしょにいられなくなったら、寂しくないだろうか。奥さんの亡《な》くなったことは別として、ちょっと考えてみても人生にはいろいろな悲しいことが多いね」
 と源氏が言うと、初めから泣いているものもあった女房たちは、皆泣いてしまって、
「奥様のことは思い出しますだけで世界が暗くなるほど悲しゅうございますが、今度またあなた様がこちらから行っておしまいになって、すっかりよその方におなりあそばすことを思いますと」
 言う言葉が終わりまで続かない。源氏はだれにも同情の目を向けながら、
「すっかりよその人になるようなことがどうしてあるものか。私をそんな軽薄なものと見ているのだね。気長に見ていてくれる人があればわかるだろうがね。しかしまた私の命がどうなるだろう、その自信はない」
 と言って、灯《ひ》を見つめている源氏の目に涙が光っていた。特別に夫人がかわいがっていた親もない童女が、心細そうな顔をしているのを、もっともであると源氏は哀れに思った。
「あてき[#「あてき」に傍点]はもう私にだけしかかわいがってもらえない人になったのだね」
 源氏がこう言うと、その子は声を立てて泣くのである。からだ相応な短い袙《あこめ》を黒い色にして、黒い汗袗《かざみ》に樺《かば》色の袴《はかま》という姿も可憐《かれん》であった。
「奥さんのことを忘れない人は、つまらなくても我慢して、私の小さい子供といっしょに暮らしていてください。皆が散り散りになってしまってはいっそう昔が影も形もなくなってしまうからね。心細いよそんなことは」
 源氏が互いに長く愛を持っていこうと行っても、女房たちはそうだろうか、昔以上に待ち遠しい日が重なるのではないかと不安でならなかった。
 大臣は女房たちに、身分や年功で差をつけて、故人の愛した手まわりの品、それから衣類などを、目に立つほどにはしないで上品に分けてやった。
 源氏はこうした籠居《こもりい》を続けていられないことを思って、院の御所へ今日は伺うことにした。車の用意がされて、前駆の者が集まって来た時分に、この家の人々と源氏の別れを同情してこぼす涙のような時雨《しぐれ》が降りそそいだ。木の葉をさっと散らす風も吹いていた。源氏の居間にいた女房は非常に皆心細く思って、夫人の死から日がたって、少し忘れていた涙をまた滝のように流していた。今夜から二条の院に源氏の泊まることを予期して、家従や侍はそちらで主人を迎えようと、だれも皆|仕度《したく》をととのえて帰ろうとしているのである。今日ですべてのことが終わるのではないが非常に悲しい光景である。大臣も宮もまた新しい悲しみを感じておいでになった。宮へ源氏は手紙で御|挨拶《あいさつ》をした。
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院が非常に逢《あ》いたく思召《おぼしめ》すようですから、今日はこれからそちらへ伺うつもりでございます。かりそめにもせよ私がこうして外へ出かけたりいたすようになってみますと、あれほどの悲しみをしながらよくも生きていたというような不思議な気がいたします。お目にかかりましてはいっそう悲しみに取り乱しそうな不安がございますから上がりません。
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 というのである。宮様のお心に悲しみがつのって涙で目もお見えにならない。お返事はなかった。しばらくして源氏の居間へ大臣が出て来た。非常に悲しんで、袖《そで》を涙の流れる顔に当てたままである。それを見る女房たちも悲しかった。人生の悲哀の中に包まれて泣く源氏の姿は、そんな時も艶《えん》であった。大臣はやっとものを言い出した。
「年を取りますと、何でもないことにもよく涙が出るものですが、ああした打撃がやって来たのですから、もう私は涙から解放される時間といってはございません。私がこんな弱い人間であることを人に見せたくないものですから、院の御所へも伺候しないのでございます。お話のついでにあなたからよろしくお取りなしになっておいてください。もう余命いくばくもない時になって、子に捨てられましたことが恨めしゅうございます」
 一所懸命に悲しみをおさえながら言うことはこれであった。源氏も幾度か涙を飲みながら言った。
「いつだれが死に取られるかしれないのが人生の相であると承知しておりましても、目前にそれを体験しましたわれわれの悲しみは理窟《りくつ》で説明も何もできません。院にもあなたの御様子をよく申し上げます。必ず御同情をあそばすでしょう」
「それではもうお出かけなさいませ。時雨《しぐれ》があとからあとから追っかけて来るようですから、せめて暮れないうちにおいでになるがよい」
 と大臣は勧めた。源氏が座敷の中を見まわすと几帳《きちょう》の後ろとか、襖子《からかみ》の向こうとか、ずっと見える所に女房の三十人ほどが幾つものかたまりを作っていた。濃い喪服も淡鈍《うすにび》色も混じっているのである。皆心細そうにめいったふうであるのを源氏は哀れに思った。
「御愛子もここにいられるのだから、今後この邸《やしき》へお立ち寄りになることも決してないわけでないと私どもはみずから慰めておりますが、単純な女たちは、今日限りこの家はあなた様の故郷にだけなってしまうのだと悲観しておりまして、生死の別れをした時よりも、時々おいでの節御用を奉仕させていただきました幸福が失われたようにお別れを悲しがっておりますのももっともに思われます。長くずっと来てくださるようなことはございませんでしたが、そのころ私はいつかはこうでない幸いが私の家へまわって来るものと信じたり、その反対な寂しさを思ってみたりしたものですが、とにかく今日の夕方ほど寂しいことはございません」
 と大臣は言ってもまた泣くのである。
「つまらない忖度《そんたく》をして悲しがる女房たちですね。ただ今のお言葉のように、私はどんなことも自分の信頼する妻は許してくれるものと暢気《のんき》に思っておりまして、わがままに外を遊びまわりまして御無沙汰《ごぶさた》をするようなこともありましたが、もう私をかばってくれる妻がいなくなったのですから私は暢気な心などを持っていられるわけもありません。すぐにまた御訪問をしましょう」
 と言って、出て行く源氏を見送ったあとで、大臣は今日まで源氏の住んでいた座敷、かつては娘夫婦の暮らした所へはいって行った。物の置き所も、してある室内の装飾も、以前と何一つ変わっていないが、はなはだしく空虚なものに思われた。帳台の前には硯《すずり》などが出ていて、むだ書きをした紙などもあった。涙をしいて払って、目をみはるようにして大臣はそれを取って読んでいた。若い女房たちは悲しんでいながらもおかしがった。古い詩歌がたくさん書かれてある。草書《そうしょ》もある、楷書《かいしょ》もある。
「上手《じょうず》な字だ」
 歎息《たんそく》をしたあとで、大臣はじっと空間をながめて物思わしいふうをしていた。源氏が婿でなくなったことが老大臣には惜しんでも惜しんでも足りなく思えるらしい。「旧枕故衾誰与共《きうちんこきんたれとともにせん》」という詩の句の書かれた横に、

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亡《な》き魂《たま》ぞいとど悲しき寝し床《とこ》のあくがれがたき心ならひに
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 と書いてある。「鴛鴦瓦冷霜花重《ゑんあうかはらにひえてさうくわおもし》」と書いた所にはこう書かれてある。

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君なくて塵《ちり》積もりぬる床なつの露うち払ひいく夜|寝《い》ぬらん
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 ここにはいつか庭から折らせて源氏が宮様へ贈ったのと同じ時の物らしい撫子《なでしこ》の花の枯れたのがはさまれていた。大臣は宮にそれらをお見せした。
「私がこれほどかわいい子供というものがあるだろうかと思うほどかわいかった子は、私と長く親子の縁を続けて行くことのできない因縁の子だったかと思うと、かえってなまじい親子でありえたことが恨めしいと、こんなふうにしいて思って忘れようとするのですが、日がたつにしたがって堪えられなく恋しくなるのをどうすればいいかと困っている。それに大将さんが他人になっておしまいになることがどうしても悲しくてならない。一日二日と中があき、またずっとおいでにならない日のあったりした時でさえも、私はあの方にお目にかかれないことで胸が痛かったのです。もう大将を一家の人と見られなくなって、どうして私は生きていられるか」
 とうとう声を惜しまずに大臣は泣き出したのである。部屋にいた少し年配な女房たちが皆同時に声を放って泣いた。この夕方の家の中の光景は寒気《さむけ》がするほど悲しいものであった。若い女房たちはあちらこちらにかたまって、それはまた自身たちの悲しみを語り合っていた。
「殿様がおっしゃいますようにして、若君にお仕えして、私はそれを悲しい慰めにしようと思っていますけれど、あまりにお形見は小さい公子様ですわね」
 と言う者もあった。
「しばらく実家へ行っていて、また来るつもりです」
 こんなふうに希望している者もあった。自分らどうしの別れも相当に深刻に名残《なごり》惜しがった。
 院では源氏を御覧になって、
「たいへん痩《や》せた。毎日精進をしていたせいかもしれない」
 と御心配をあそばして、お居間で食事をおさせになったりした。いろいろとおいたわりになる御親心を源氏はもったいなく思った。中宮《ちゅうぐう》の御殿へ行くと、女房たちは久しぶりの源氏の伺候を珍しがって、皆集まって来た。中宮も命婦《みょうぶ》を取り次ぎにしてお言葉があった。
「大きな打撃をお受けになったあなたですから、時がたちましてもなかなかお悲しみはゆるくなるようなこともないでしょう」
「人生の無常はもうこれまでにいろいろなことで教訓されて参った私でございますが、目前にそれが証明されてみますと、厭世《えんせい》的にならざるをえませんで、いろいろと煩悶《はんもん》をいたしましたが、たびたびかたじけないお言葉をいただきましたことによりまして、今日までこうしていることができたのでございます」
 と源氏は挨拶《あいさつ》をした。こんな時でなくても心の湿ったふうのよく見える人が、今日はまたそのほかの寂しい影も添って人々の同情を惹《ひ》いた。無紋の袍《ほう》に灰色の下襲《したがさね》で、冠《かむり》は喪中の人の用いる巻纓《けんえい》であった。こうした姿は美しい人に落ち着きを加えるもので艶《えん》な趣が見えた。東宮へも久しく御無沙汰《ごぶさた》申し上げていることが心苦しくてならぬというような話を源氏は命婦にして夜ふけになってから退出した。
 二条の院はどの御殿もきれいに掃除《そうじ》ができていて、男女が主人の帰りを待ちうけていた。身分のある女房も今日は皆そろって出ていた。はなやかな服装をしてきれいに粧《よそお》っているこの女房たちを見た瞬間に源氏は、気をめいらせはてた女房が肩を連ねていた、左大臣家を出た時の光景が目に浮かんで、あの人たちが哀れに思われてならなかった。源氏は着がえをしてから西の対《たい》へ行った。残らず冬期の装飾に変えた座敷の中がはなやかに見渡された。若い女房や童女たちの服装も皆きれいにさせてあって、少納言の計らいに敬意が表されるのであった。紫の女王《にょおう》は美しいふうをしてすわっていた。
「長くお逢《あ》いしなかったうちに、とても大人になりましたね」
 几帳《きちょう》の垂《た》れ絹を引き上げて顔を見ようとすると、少しからだを小さくして恥ずかしそうにする様子に一点の非も打たれぬ美しさが備わっていた。灯《ひ》に照らされた側面、頭の形などは初恋の日から今まで胸の中へ最もたいせつなものとしてしまってある人の面影と、これとは少しの違ったものでもなくなったと知ると源氏はうれしかった。そばへ寄って逢えなかった間の話など少ししてから、
「たくさん話はたまっていますから、ゆっくりと聞かせてあげたいのだけれど、私は今日まで忌《いみ》にこもっていた人なのだから、気味が悪いでしょう。あちらで休息することにしてまた来ましょう。もうこれからはあなたとばかりいるのだから、しまいにはあなたからうるさがられるかもしれませんよ」
 立ちぎわにこんなことを源氏が言っていたのを、少納言は聞いてうれしく思ったが、全然安心したのではない、りっぱな愛人の多い源氏であるから、また姫君にとっては面倒《めんどう》な夫人が代わりに出現するのではないかと疑っていたのである。
 源氏は東の対へ行って、中将という女房に足などを撫《な》でさせながら寝たのである。翌朝はすぐにまた大臣家にいる子供の乳母《めのと》へ手紙を書いた。あちらからは哀れな返事が来て、しばらく源氏を悲しませた。つれづれな独居生活であるが源氏は恋人たちの所へ通って行くことも気が進まなかった。女王がもうりっぱな一人前の貴女《きじょ》に完成されているのを見ると、もう実質的に結婚をしてもよい時期に達しているように思えた。おりおり過去の二人の間でかわしたことのないような戯談《じょうだん》を言いかけても紫の君にはその意が通じなかった。つれづれな源氏は西の対にばかりいて、姫君と扁隠《へんかく》しの遊びなどをして日を暮らした。相手の姫君のすぐれた芸術的な素質と、頭のよさは源氏を多く喜ばせた。ただ肉親のように愛撫《あいぶ》して満足ができた過去とは違って、愛すれば愛するほど加わってくる悩ましさは堪えられないものになって、心苦しい処置を源氏は取った。そうしたことの前もあとも女房たちの目には違って見えることもなかったのであるが、源氏だけは早く起きて、姫君が床を離れない朝があった。女房たちは、
「どうしてお寝《やす》みになったままなのでしょう。御気分がお悪いのじゃないかしら」
 とも言って心配していた。源氏は東の対へ行く時に硯《すずり》の箱を帳台の中へそっと入れて行ったのである。だれもそばへ出て来そうでない時に若紫は頭を上げて見ると、結んだ手紙が一つ枕《まくら》の横にあった。なにげなしにあけて見ると、

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あやなくも隔てけるかな夜を重ねさすがに馴《な》れし中の衣を
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 と書いてあるようであった。源氏にそんな心のあることを紫の君は想像もして見なかったのである。なぜ自分はあの無法な人を信頼してきたのであろうと思うと情けなくてならなかった。昼ごろに源氏が来て、
「気分がお悪いって、どんなふうなのですか。今日は碁もいっしょに打たないで寂しいじゃありませんか」
 のぞきながら言うとますます姫君は夜着を深く被《かず》いてしまうのである。女房が少し遠慮をして遠くへ退《の》いて行った時に、源氏は寄り添って言った。
「なぜ私に心配をおさせになる。あなたは私を愛していてくれるのだと信じていたのにそうじゃなかったのですね。さあ機嫌《きげん》をお直しなさい、皆が不審がりますよ」
 夜着をめくると、女王は汗をかいて、額髪もぐっしょりと濡《ぬ》れていた。
「どうしたのですか、これは。たいへんだ」
 いろいろと機嫌をとっても、紫の君は心から源氏を恨めしくなっているふうで、一言もものを言わない。
「私はもうあなたの所へは来ない。こんなに恥ずかしい目にあわせるのだから」
 源氏は恨みを言いながら硯箱をあけて見たが歌ははいっていなかった。あまりに少女《おとめ》らしい人だと可憐《かれん》に思って、一日じゅうそばについていて慰めたが、打ち解けようともしない様子がいっそうこの人をかわゆく思わせた。
 その晩は亥《い》の子の餠《もち》を食べる日であった。不幸のあったあとの源氏に遠慮をして、たいそうにはせず、西の対へだけ美しい檜破子詰《ひわりごづ》めの物をいろいろに作って持って来てあった。それらを見た源氏が、南側の座敷へ来て、そこへ惟光《これみつ》を呼んで命じた。
「餠をね、今晩のようにたいそうにしないでね、明日の日暮れごろに持って来てほしい。今日は吉日じゃないのだよ」
 微笑しながら言っている様子で、利巧《りこう》な惟光はすべてを察してしまった。
「そうでございますとも、おめでたい初めのお式は吉日を選びませんでは。それにいたしましても、今晩の亥の子でない明晩の子《ね》の子餠はどれほど作ってまいったものでございましょう」
 まじめな顔で聞く。
「今夜の三分の一くらい」
 と源氏は答えた。心得たふうで惟光は立って行った。きまりを悪がらせない世馴《よな》れた態度が取れるものだと源氏は思った。だれにも言わずに、惟光はほとんど手ずからといってもよいほどにして、主人の結婚の三日の夜の餠の調製を家でした。源氏は新夫人の機嫌《きげん》を直させるのに困って、今度はじめて盗み出して来た人を扱うほどの苦心を要すると感じることによっても源氏は興味を覚えずにいられない。人間はあさましいものである、もう自分は一夜だってこの人と別れていられようとも思えないと源氏は思うのであった。命ぜられた餠を惟光はわざわざ夜ふけになるのを待って持って来た。少納言のような年配な人に頼んではきまり悪くお思いになるだろうと、そんな思いやりもして、惟光は少納言の娘の弁という女房を呼び出した。
「これはまちがいなく御寝室のお枕《まくら》もとへ差し上げなければならない物なのですよ。お頼みします。たしかに」
 弁はちょっと不思議な気はしたが、
「私はまだ、いいかげんなごまかしの必要なような交渉をだれともしたことがありませんわ」
 と言いながら受け取った。
「そうですよ、今日はそんな不誠実とか何とかいう言葉を慎まなければならなかったのですよ。私ももう縁起のいい言葉だけを選《よ》って使います」
 と惟光は言った。若い弁は理由のわからぬ気持ちのままで、主人の寝室の枕《まくら》もとの几帳《きちょう》の下から、三日の夜の餠のはいった器を中へ入れて行った。この餠の説明も新夫人に源氏が自身でしたに違いない。だれも何の気もつかなかったが、翌朝その餠の箱が寝室から下げられた時に、側近している女房たちにだけはうなずかれることがあった。皿などもいつ用意したかと思うほど見事な華足《けそく》付きであった。餠もことにきれいに作られてあった。少納言は感激して泣いていた。結婚の形式を正しく踏んだ源氏の好意がうれしかったのである。
「それにしても私たちへそっとお言いつけになればよろしいのにね。あの人が不思議に思わなかったでしょうかね」
 とささやいていた。
 若紫と新婚後は宮中へ出たり、院へ伺候していたりする間も絶えず源氏は可憐《かれん》な妻の面影を心に浮かべていた。恋しくてならないのである。不思議な変化が自分の心に現われてきたと思っていた。恋人たちの所からは長い途絶えを恨めしがった手紙も来るのであるが、無関心ではいられないものもそれらの中にはあっても、新婚の快い酔いに身を置いている源氏に及ぼす力はきわめて微弱なものであったに違いない。厭世《えんせい》的になっているというふうを源氏は表面に作っていた。いつまでこんな気持ちが続くかしらぬが、今とはすっかり別人になりえた時に逢《あ》いたいと思うと、こんな返事ばかりを源氏は恋人にしていたのである。
 皇太后は妹の六の君がこのごろもまだ源氏の君を思っていることから父の右大臣が、
「それもいい縁のようだ、正夫人が亡《な》くなられたのだから、あの方も改めて婿にすることは家の不名誉では決してない」
 と言っているのに憤慨しておいでになった。
「宮仕えだって、だんだん地位が上がっていけば悪いことは少しもないのです」
 こう言って宮廷入りをしきりに促しておいでになった。その噂《うわさ》の耳にはいる源氏は、並み並みの恋愛以上のものをその人に持っていたのであるから、残念な気もしたが、現在では紫の女王のほかに分ける心が見いだせない源氏であって、六の君が運命に従って行くのもしかたがない。短い人生なのだから、最も愛する一人を妻に定めて満足すべきである。恨みを買うような原因を少しでも作らないでおきたいと、こう思っていた。六条の御息所《みやすどころ》と先夫人の葛藤《かっとう》が源氏を懲りさせたともいえることであった。御息所の立場には同情されるが、同棲《どうせい》して精神的の融和がそこに見いだせるかは疑問である。これまでのような関係に満足していてくれれば、高等な趣味の友として自分は愛することができるであろうと源氏は思っているのである。これきり別れてしまう心はさすがになかった。
 二条の院の姫君が何人《なにびと》であるかを世間がまだ知らないことは、実質を疑わせることであるから、父宮への発表を急がなければならないと源氏は思って、裳着《もぎ》の式の用意を自身の従属関係になっている役人たちにも命じてさせていた。こうした好意も紫の君はうれしくなかった。純粋な信頼を裏切られたのは自分の認識が不足だったのであると悔やんでいるのである。目も見合わないようにして源氏を避けていた。戯談《じょうだん》を言いかけられたりすることは苦しくてならぬふうである。鬱々《うつうつ》と物思わしそうにばかりして以前とはすっかり変わった夫人の様子を源氏は美しいこととも、可憐なこととも思っていた。
「長い間どんなにあなたを愛して来たかもしれないのに、あなたのほうはもう私がきらいになったというようにしますね。それでは私がかわいそうじゃありませんか」
 恨みらしく言ってみることもあった。
 こうして今年が暮れ、新しい春になった。元日には院の御所へ先に伺候してから参内をして、東宮の御殿へも参賀にまわった。そして御所からすぐに左大臣家へ源氏は行った。大臣は元日も家にこもっていて、家族と故人の話をし出しては寂しがるばかりであったが、源氏の訪問にあって、しいて、悲しみをおさえようとするのがさも堪えがたそうに見えた。重ねた一歳は源氏の美に重々しさを添えたと大臣家の人は見た。以前にもまさってきれいでもあった。大臣の前を辞して昔の住居《すまい》のほうへ行くと、女房たちは珍しがって皆源氏を見に集まって来たが、だれも皆つい涙をこぼしてしまうのであった。若君を見るとしばらくのうちに驚くほど大きくなっていて、よく笑うのも哀れであった。目つき口もとが東宮にそっくりであるから、これを人が怪しまないであろうかと源氏は見入っていた。夫人のいたころと同じように初春の部屋が装飾してあった。衣服掛けの棹《さお》に新調された源氏の春着が掛けられてあったが、女の服が並んで掛けられてないことは見た目だけにも寂しい。
 宮様の挨拶《あいさつ》を女房が取り次いで来た。
「今日だけはどうしても昔を忘れていなければならないと辛抱《しんぼう》しているのですが、御訪問くださいましたことでかえってその努力がむだになってしまいました」
 それから、また、
「昔からこちらで作らせますお召し物も、あれからのちは涙で私の視力も曖昧《あいまい》なんですから不出来にばかりなりましたが、今日だけはこんなものでもお着かえくださいませ」
 と言って、掛けてある物のほかに、非常に凝った美しい衣裳《いしょう》一|揃《そろ》いが贈られた。当然今日の着料になる物としてお作らせになった下襲《したがさね》は、色も織り方も普通の品ではなかった。着ねば力をお落としになるであろうと思って源氏はすぐに下襲をそれに変えた。もし自分が来なかったら失望あそばしたであろうと思うと心苦しくてならないものがあった。お返辞の挨拶は、
「春の参りましたしるしに、当然参るべき私がお目にかかりに出たのですが、あまりにいろいろなことが思い出されまして、お話を伺いに上がれません。

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あまたとし今日改めし色ごろもきては涙ぞ降るここちする
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 自分をおさえる力もないのでございます」
 と取り次がせた。宮から、

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新しき年ともいはず降るものはふりぬる人の涙なりけり
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 という御返歌があった。どんなにお悲しかったことであろう。
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(訳注) 源氏二十二歳より二十三歳まで。
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葵 版本说明

底本:「全訳源氏物語 上巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年8月10日改版初版発行
   1994(平成6)年12月20日56版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月5日71版を使用しました。
入力:上田英代
校正:kompass
2003年7月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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10 榊

[#地から3字上げ]五十鈴《いすず》川神のさかひへのがれきぬおも
[#地から3字上げ]ひあがりしひとの身のはて (晶子)

 斎宮《さいぐう》の伊勢へ下向《げこう》される日が近づけば近づくほど御息所《みやすどころ》は心細くなるのであった。左大臣家の源氏の夫人がなくなったあとでは、世間も今度は源氏と御息所が公然と夫婦になるものと噂《うわさ》していたことであるし、六条の邸《やしき》の人々もそうした喜びを予期して興奮していたものであるが、現われてきたことは全然反対で、以前にまさって源氏は冷淡な態度を取り出したのである。これだけの反感を源氏に持たれるようなことが夫人の病中にあったことも、もはや疑う余地もないことであると御息所の心のうちでは思っていた。苦痛を忍んで御息所は伊勢行きを断行することにした。斎宮に母君がついて行くような例はあまりないことでもあったが、年少でおありになるということに託して、御息所はきれいに恋から離れてしまおうとしているのであるが、源氏はさすがに冷静ではいられなかった。いよいよ御息所に行ってしまわれることは残念で、手紙だけは愛をこめてたびたび送っていた。情人として逢《あ》うようなことは思いもよらないようにもう今の御息所は思っていた。自分に逢っても恨めしく思った記憶のまだ消えない源氏は冷静にも別れうるであろうが、その人をより多く愛している弱味のある自分は心を乱さないではいられないであろう、逢うことはこの上にいっそう苦痛を加えるだけであると思って、御息所はしいて冷ややかになっているのである。野の宮から六条の邸《やしき》へそっと帰って行っていることもあるのであるが、源氏はそれを知らなかった。野の宮といえば情人として男の通ってよい場所でもないから、二人のためには相見る時のない月日がたった。院が御大病というのでなしに、時々発作的に悪くおなりになるようなことがあったりして、源氏はいよいよ心の余裕の少ない身になっていたが、恨んでいるままに終わることは女のためにかわいそうであったし、人が聞いて肯定しないことでもあろうからと思って、源氏は御息所を野の宮へ訪問することにした。
 九月七日であったから、もう斎宮の出発の日は迫っているのである。女のほうも今はあわただしくてそうしていられないと言って来ていたが、たびたび手紙が行くので、最後の会見をすることなどはどうだろうと躊躇《ちゅうちょ》しながらも、物越しで逢うだけにとめておけばいいであろうと決めて、心のうちでは昔の恋人の来訪を待っていた。
 町を離れて広い野に出た時から、源氏は身にしむものを覚えた。もう秋草の花は皆衰えてしまって、かれがれに鳴く虫の声と松風の音が混じり合い、その中をよく耳を澄まさないでは聞かれないほどの楽音が野の宮のほうから流れて来るのであった。艶《えん》な趣である。前駆をさせるのに睦《むつま》じい者を選んだ十幾人と随身とをあまり目だたせないようにして伴った微行《しのび》の姿ではあるが、ことさらにきれいに装うて来た源氏がこの野を行くことを風流好きな供の青年はおもしろがっていた。源氏の心にも、なぜ今までに幾度もこの感じのよい野中の路《みち》を訪問に出なかったのであろうとくやしかった。
 野の宮は簡単な小柴垣《こしばがき》を大垣にして連ねた質素な構えである。丸木の鳥居などはさすがに神々《こうごう》しくて、なんとなく神の奉仕者以外の者を恥ずかしく思わせた。神官らしい男たちがあちらこちらに何人かずついて、咳《せき》をしたり、立ち話をしたりしている様子なども、ほかの場所に見られぬ光景であった。篝《かがり》火を焚《た》いた番所がかすかに浮いて見えて、全体に人少なな湿っぽい空気の感ぜられる、こんな所に物思いのある人が幾月も暮らし続けていたのかと思うと、源氏は恋人がいたましくてならなかった。北の対の下の目だたない所に立って案内を申し入れると音楽の声はやんでしまって、若い何人もの女の衣摺《きぬず》れらしい音が聞こえた。取り次ぎの女があとではまた変わって出て来たりしても、自身で逢おうとしないらしいのを源氏は飽き足らず思った。
「恋しい方を訪《たず》ねて参るようなことも感情にまかせてできた私の時代はもう過ぎてしまいまして、どんなに世間をはばかって来ているかしれませんような私に、同情してくださいますなら、こんなよそよそしいお扱いはなさらないで、逢ってくだすってお話ししたくてならないことも聞いてくださいませんか」
 とまじめに源氏が頼むと女房たちも、
「おっしゃることのほうがごもっともでございます。お気の毒なふうにいつまでもお立たせしておきましては済みません」
 ととりなす。どうすればよいかと御息所は迷った。潔斎所《けっさいじょ》についている神官たちにどんな想像をされるかしれないことであるし、心弱く面会を承諾することによって、またも源氏の軽蔑《けいべつ》を買うのではないかと躊躇《ちゅうちょ》はされても、どこまでも冷淡にはできない感情に負けて、歎息《たんそく》を洩《も》らしながら座敷の端のほうへ膝行《いざっ》てくる御息所の様子には艶《えん》な品のよさがあった。源氏は、
「お縁側だけは許していただけるでしょうか」
 と言って、上に上がっていた。長い時日を中にした会合に、無情でなかった言いわけを散文的に言うのもきまりが悪くて、榊《さかき》の枝を少し折って手に持っていたのを、源氏は御簾《みす》の下から入れて、
「私の心の常磐《ときわ》な色に自信を持って、恐れのある場所へもお訪《たず》ねして来たのですが、あなたは冷たくお扱いになる」
 と言った。

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神垣《かみがき》はしるしの杉《すぎ》もなきものをいかにまがへて折れる榊ぞ
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 御息所はこう答えたのである。

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少女子《おとめご》があたりと思へば榊葉の香《か》をなつかしみとめてこそ折れ
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 と源氏は言ったのであった。潔斎所の空気に威圧されながらも御簾の中へ上半身だけは入れて長押《なげし》に源氏はよりかかっているのである。御息所が完全に源氏のものであって、しかも情熱の度は源氏よりも高かった時代に、源氏は慢心していた形でこの人の真価を認めようとはしなかった。またいやな事件も起こって来た時からは、自身の心ながらも恋を成るにまかせてあった。それが昔のようにして語ってみると、にわかに大きな力が源氏をとらえて御息所のほうへ引き寄せるのを源氏は感ぜずにいられなかった。自分はこの人が好きであったのだという認識の上に立ってみると、二人の昔も恋しくなり、別れたのちの寂しさも痛切に考えられて、源氏は泣き出してしまったのである。女は感情をあくまでもおさえていようとしながらも、堪えられないように涙を流しているのを見るといよいよ源氏は心苦しくなって、伊勢行きを思いとどまらせようとするのに身を入れて話していた。もう月が落ちたのか、寂しい色に変わっている空をながめながら、自身の真実の認められないことで歎《なげ》く源氏を見ては、御息所の積もり積もった恨めしさも消えていくことであろうと見えた。ようやくあきらめができた今になって、また動揺することになってはならない危険な会見を避けていたのであるが、予感したとおりに御息所の心はかき乱されてしまった。
 若い殿上役人が始終二、三人連れで来てはここの文学的な空気に浸っていくのを喜びにしているという、この構えの中のながめは源氏の目にも確かに艶《えん》なものに見えた。あるだけの恋の物思いを双方で味わったこの二人のかわした会話は写しにくい。ようやく白んできた空がそこにあるということもわざとこしらえた背景のようである。

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暁の別れはいつも露けきをこは世にしらぬ秋の空かな
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 と歌った源氏は、帰ろうとしてまた女の手をとらえてしばらく去りえないふうであった。冷ややかに九月の風が吹いて、鳴きからした松虫の声の聞こえるのもこの恋人たちの寂しい別れの伴奏のようである。何でもない人にも身にしむ思いを与えるこうした晩秋の夜明けにいて、あまりに悲しみ過ぎたこの人たちはかえって実感をよい歌にすることができなかったと見える。

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大方《おほかた》の秋の別れも悲しきに鳴く音《ね》な添へそ野辺《のべ》の松虫
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 御息所《みやすどころ》の作である。この人を永久につなぐことのできた糸は、自分の過失で切れてしまったと悔やみながらも、明るくなっていくのを恐れて源氏は去った。そして二条の院へ着くまで絶えず涙がこぼれた。女も冷静でありえなかった。別れたのちの物思いを抱いて弱々しく秋の朝に対していた。ほのかに月の光に見た源氏の姿をなお幻に御息所は見ているのである。源氏の衣服から散ったにおい、そんなものは若い女房たちを忌垣《いがき》の中で狂気にまでするのではないかと思われるほど今朝《けさ》もほめそやしていた。
「どんないい所へだって、あの大将さんをお見上げすることのできない国へは行く気がしませんわね」
 こんなことを言う女房は皆涙ぐんでいた。この日源氏から来た手紙は情がことにこまやかに出ていて、御息所に旅を断念させるに足る力もあったが、官庁への通知も済んだ今になって変更のできることでもなかった。男はそれほど思っていないことでも恋の手紙には感情を誇張して書くものであるが、今の源氏の場合は、ただの恋人とは決して思っていなかった御息所が、愛の清算をしてしまったふうに遠国へ行こうとするのであるから、残念にも思われ、気の毒であるとも反省しての煩悶《はんもん》のかなりひどい実感で書いた手紙であるから、女へそれが響いていったものに違いない。御息所の旅中の衣服から、女房たちのまで、そのほかの旅の用具もりっぱな物をそろえた餞別《せんべつ》が源氏から贈られて来ても、御息所はうれしいなどと思うだけの余裕も心になかった。噂《うわさ》に歌われるような恋をして、最後には捨てられたということを、今度始まったことのように口惜《くちお》しく悲しくばかり思われるのであった。お若い斎宮は、いつのことともしれなかった出発の日の決まったことを喜んでおいでになった。世間では、母君がついて行くことが異例であると批難したり、ある者はまた御息所の強い母性愛に同情したりしていた。御息所が平凡な人であったら、決してこうではなかったことと思われる。傑出した人の行動は目に立ちやすくて気の毒である。
 十六日に桂川で斎宮の御禊《みそぎ》の式があった。常例以上はなやかにそれらの式も行なわれたのである。長奉送使《ちょうぶそうし》、その他官庁から参列させる高官も勢名のある人たちばかりを選んであった。院が御後援者でいらせられるからである。出立の日に源氏から別離の情に堪えがたい心を書いた手紙が来た。ほかにまた斎《いつき》の宮のお前へといって、斎布《ゆふ》につけたものもあった。
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いかずちの神でさえ恋人の中を裂くものではないと言います。

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八洲《やしま》もる国つ御神《みかみ》もこころあらば飽かぬ別れの中をことわれ

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どう考えましても神慮がわかりませんから、私は満足できません。
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 と書かれてあった。取り込んでいたが返事をした。宮のお歌を女別当《にょべっとう》が代筆したものであった。

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国つ神空にことわる中ならばなほざりごとを先《ま》づやたださん
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 源氏は最後に宮中である式を見たくも思ったが、捨てて行かれる男が見送りに出るというきまり悪さを思って家にいた。源氏は斎宮の大人《おとな》びた返歌を微笑しながらながめていた。年齢以上によい貴女《きじょ》になっておられる気がすると思うと胸が鳴った。恋をすべきでない人に好奇心の動くのが源氏の習癖で、顔を見ようとすれば、よくそれもできた斎宮の幼少時代をそのままで終わったことが残念である。けれども運命はどうなっていくものか予知されないのが人生であるから、またよりよくその人を見ることのできる日を自分は待っているかもしれないのであるとも源氏は思った。見識の高い、美しい貴婦人であると名高い存在になっている御息所の添った斎宮の出発の列をながめようとして物見車《ものみぐるま》が多く出ている日であった。斎宮は午後四時に宮中へおはいりになった。宮の輿《こし》に同乗しながら御息所は、父の大臣が未来の后《きさき》に擬して東宮の後宮に備えた自分を、どんなにはなやかに取り扱ったことであったか、不幸な運命のはてに、后の輿でない輿へわずかに陪乗して自分は宮廷を見るのであると思うと感慨が無量であった。十六で皇太子の妃《ひ》になって、二十で寡婦になり、三十で今日また内裏《だいり》へはいったのである。

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そのかみを今日《けふ》はかけじと思へども心のうちに物ぞ悲しき
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 御息所の歌である。斎宮は十四でおありになった。きれいな方である上に、錦繍《きんしゅう》に包まれておいでになったから、この世界の女人《にょにん》とも見えないほどお美しかった。斎王の美に御心《みこころ》を打たれながら、別れの御櫛《みぐし》を髪に挿《さ》してお与えになる時、帝《みかど》は悲しみに堪えがたくおなりになったふうで悄然《しょうぜん》としておしまいになった。式の終わるのを八省院《はっしょういん》の前に待っている斎宮の女房たちの乗った車から見える袖《そで》の色の美しさも今度は特に目を引いた。若い殿上役人が寄って行って、個人個人の別れを惜しんでいた。暗くなってから行列は動いて、二条から洞院《とういん》の大路《おおじ》を折れる所に二条の院はあるのであったから、源氏は身にしむ思いをしながら、榊《さかき》に歌を挿《さ》して送った。

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ふりすてて今日は行くとも鈴鹿《すずか》川|八十瀬《やそせ》の波に袖は濡れじや
[#ここで字下げ終わり]

 その時はもう暗くもあったし、あわただしくもあったので、翌日|逢坂山《おうさかやま》の向こうから御息所の返事は来たのである。

[#ここから2字下げ]
鈴鹿川八十瀬の波に濡れ濡れず伊勢までたれか思ひおこせん
[#ここで字下げ終わり]

 簡単に書かれてあるが、貴人らしさのある巧妙な字であった。優しさを少し加えたら最上の字になるであろうと源氏は思った。霧が濃くかかっていて、身にしむ秋の夜明けの空をながめて、源氏は、

[#ここから2字下げ]
行くかたをながめもやらんこの秋は逢坂山を霧な隔てそ
[#ここで字下げ終わり]

 こんな歌を口ずさんでいた。西の対へも行かずに終日物思いをして源氏は暮らした。旅人になった御息所はまして堪えがたい悲しみを味わっていたことであろう。
 院の御病気は十月にはいってから御重体になった。この君をお惜しみしていないものはない。帝《みかど》も御心配のあまりに行幸あそばされた。御衰弱あそばされた院は東宮のことを返す返す帝へお頼みになった。次いで源氏に及んだ。
「私が生きていた時と同じように、大事も小事も彼を御相談相手になさい。年は若くても国家の政治をとるのに十分資格が備わっていると私は認める。一国を支配する骨相を持っている人です。だから私は彼がその点で逆に誤解を受けることがあってはならないとも思って、親王にしないで人臣の列に入れておいた。将来大臣として国務を任せようとしたのです。亡《な》くなったあとでも私のこの言葉を尊重してください」
 前《さき》の帝《みかど》、今の君主の御父として御希望を述べられた御遺言も多かったが、女である筆者は気がひけて書き写すことができない。帝もこれが最後の御会見に院のお言いになることを悲しいふうで聞いておいでになったが、御遺言を違《たが》えぬということを繰り返してお誓いになった。風采《ふうさい》もごりっぱで、以前よりもいっそうお美しくお見えになる帝に院は御満足をお感じになり、頼もしさもお覚えになるのであった。高貴な御身でいらせられるのであるから、感情のままに父帝のもとにとどまっておいでになることはできない。その日のうちに還幸されたのであるから、お二方のお心は、お逢いになったあとに長く悲しみが残った。東宮も同時に行啓《ぎょうけい》になるはずであったがたいそうになることを思召《おぼしめ》して別の日に院のお見舞いをあそばされた。御年齢以上に大人らしくなっておいでになる愛らしい御様子で、しばらくぶりでお逢いになる喜びが勝って、今の場合も深くおわかりにならず、無邪気にうれしそうにして院の前へおいでになったのも哀れであった。その横で中宮《ちゅうぐう》が泣いておいでになるのであるから、院のお心はさまざまにお悲しいのである。種々と御教訓をお残しになるのであるが、幼齢の東宮にこれがわかるかどうかと疑っておいでになる御心《みこころ》からそこに寂しさと悲しさがかもされていった。源氏にも朝家《ちょうけ》の政治に携わる上に心得ていねばならぬことをお教えになり、東宮をお援《たす》けせよということを繰り返し繰り返し仰せられた。夜がふけてから東宮はお帰りになった。還啓に供奉《ぐぶ》する公卿《こうけい》の多さは行幸にも劣らぬものだった。御秘蔵子の東宮のお帰りになったのちの院の御心は最もお悲しかった。皇太后もおいでになるはずであったが、中宮がずっと院に添っておいでになる点が御不満で、躊躇《ちゅうちょ》あそばされたうちに院は崩御《ほうぎょ》になった。御仁慈の深い君にお別れしてどんなに多数の人が悲しんだかしれない。院の御位《みくらい》にお変わりあそばしただけで、政治はすべて思召しどおりに行なわれていたのであるから、今の帝はまだお若くて外戚の大臣が人格者でもなかったから、その人に政権を握られる日になれば、どんな世の中が現出するであろうと官吏たちは悲観しているのである。院が最もお愛しになった中宮や源氏の君はまして悲しみの中におぼれておいでになった。崩御後の御仏事なども多くの御遺子たちの中で源氏は目だって誠意のある弔い方をした。それが道理ではあるが源氏の孝心に同情する人が多かった。喪服姿の源氏がまた限りもなく清く見えた。去年今年と続いて不幸にあっていることについても源氏の心は厭世《えんせい》的に傾いて、この機会に僧になろうかとも思うのであったが、いろいろな絆《ほだし》を持っている源氏にそれは実現のできる事ではなかった。
 四十九日までは女御《にょご》や更衣《こうい》たちが皆院の御所にこもっていたが、その日が過ぎると散り散りに別な実家へ帰って行かねばならなかった。これは十月二十日のことである。この時節の寂しい空の色を見てはだれも世がこれで終わっていくのではないかと心細くなるころである。中宮は最も悲しんでおいでになる。皇太后の性格をよく知っておいでになって、その方の意志で動く当代において、今後はどんなつらい取り扱いを受けねばならぬかというお心細さよりも、またない院の御愛情に包まれてお過ごしになった過去をお忍びになる悲しみのほうが大きかった。しかも永久に院の御所で人々とお暮らしになることはできずに、皆帰って行かねばならぬことも宮のお心を寂しくしていた。中宮は三条の宮へお帰りになるのである。お迎えに兄君の兵部卿《ひょうぶきょう》の宮がおいでになった。はげしい風の中に雪も混じって散る日である。すでに古御所《ふるごしょ》になろうとする人少なさが感ぜられて静かな時に、源氏の大将が中宮の御殿へ来て院の御在世中の話を宮としていた。前の庭の五葉が雪にしおれて下葉の枯れたのを見て、

[#ここから2字下げ]
蔭《かげ》ひろみ頼みし松や枯れにけん下葉散り行く年の暮《くれ》かな
[#ここで字下げ終わり]

 宮がこうお歌いになった時、それが傑作でもないが、迫った実感は源氏を泣かせてしまった。すっかり凍ってしまった池をながめながら源氏は、

[#ここから2字下げ]
さえわたる池の鏡のさやけさに見なれし影を見ぬぞ悲しき
[#ここで字下げ終わり]

 と言った。これも思ったままを三十一字にしたもので、源氏の作としては幼稚である。王命婦《おうみょうぶ》、

[#ここから2字下げ]
年暮れて岩井の水も氷とぢ見し人影のあせも行くかな
[#ここで字下げ終わり]

 そのほかの女房の作は省略する。中宮の供奉《ぐぶ》を多数の高官がしたことなどは院の御在世時代と少しも変わっていなかったが、宮のお心持ちは寂しくて、お帰りになった御実家がかえって他家であるように思召されることによっても、近年はお許しがなくて御実家住まいがほとんどなかったことがおしのばれになった。
 年が変わっても諒闇《りょうあん》の春は寂しかった。源氏はことさら寂しくて家に引きこもって暮らした。一月の官吏の更任期などには、院の御代《みよ》はいうまでもないがその後もなお同じように二条の院の門は訪客の馬と車でうずまったのだったのに、今年は目に見えてそうした来訪者の数が少なくなった。宿直《とのい》をしに来る人たちの夜具類を入れた袋もあまり見かけなくなった。親しい家司《けいし》たちだけが暢気《のんき》に事務を取っているのを見ても、主人である源氏は、自家の勢力の消長と人々の信頼が比例するものであることが思われておもしろくなかった。右大臣家の六の君は二月に尚侍《ないしのかみ》になった。院の崩御によって前《さきの》尚侍が尼になったからである。大臣家が全力をあげて後援していることであったし、自身に備わった美貌《びぼう》も美質もあって、後宮の中に抜け出た存在を示していた。皇太后は実家においでになることが多くて、稀《まれ》に参内になる時は梅壺《うめつぼ》の御殿を宿所に決めておいでになった。それで弘徽殿《こきでん》が尚侍の曹司《ぞうし》になっていた。隣の登花殿などは長く捨てられたままの形であったが、二つが続けて使用されて今ははなやかな場所になった。女房なども無数に侍していて、派手《はで》な後宮《こうきゅう》生活をしながらも、尚侍の人知れぬ心は源氏をばかり思っていた。源氏が忍んで手紙を送って来ることも以前どおり絶えなかった。人目につくことがあったらと恐れながら、例の癖で、六の君が後宮へはいった時から源氏の情炎がさらに盛んになった。院がおいでになったころは御遠慮があったであろうが、積年の怨みを源氏に酬《むく》いるのはこれからであると烈《はげ》しい気質の太后は思っておいでになった。源氏に対して何かの場合に意を得ないことを政府がする、それが次第に多くなっていくのを見て、源氏は予期していたことではあっても、過去に経験しなかった不快さを始終味わうのに堪えがたくなって、人との交際もあまりしないのであった。左大臣も不愉快であまり御所へも出なかった。亡《な》くなった令嬢へ東宮のお話があったにもかかわらず源氏の妻にさせたことで太后は含んでおいでになった。右大臣との仲は初めからよくなかった上に、左大臣は前代にいくぶん専横的にも政治を切り盛りしたのであったから、当帝の外戚として右大臣が得意になっているのに対しては喜ばないのは道理である。源氏は昔の日に変わらずよく左大臣家を訪《たず》ねて行き故夫人の女房たちを愛護してやることを忘れなかった。非常に若君を源氏の愛することにも大臣家の人たちは感激していて、そのためにまたいっそう小公子は大切がられた。過去の源氏の君は社会的に見てあまりに幸福過ぎた、見ていて目まぐるしい気がするほどであったが、このごろは通っていた恋人たちとも双方の事情から関係が絶えてしまったのも多かったし、それ以下の軽い関係の恋人たちの家を訪ねて行くようなことにも、もうきまりの悪さを感じる源氏であったから、余裕ができてはじめてのどかな家庭の主人《あるじ》になっていた。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮の王女の幸福であることを言ってだれも祝った。少納言なども心のうちでは、この結果を得たのは祖母の尼君が姫君のことを祈った熱誠が仏に通じたのであろうと思っていた。父の親王も朗らかに二条の院に出入りしておいでになった。夫人から生まれて大事がっておいでになる王女方にたいした幸運もなくて、ただ一人がすぐれた運命を負った女と見える点で、継母にあたる夫人は嫉妬《しっと》を感じていた。紫夫人は小説にある継娘《ままこ》の幸運のようなものを実際に得ていたのである。
 加茂の斎院は父帝の喪のために引退されたのであって、そのかわりに式部卿《しきぶきょう》の宮の朝顔の姫君が職をお継ぎになることになった。伊勢へ女王が斎宮になって行かれたことはあっても、加茂の斎院はたいてい内親王の方がお勤めになるものであったが、相当した女御腹《にょごばら》の宮様がおいでにならなかったか、この卜定《ぼくじょう》があったのである。源氏は今もこの女王に恋を持っているのであるが、結婚も不可能な神聖な職にお決まりになった事を残念に思った。女房の中将は今もよく源氏の用を勤めたから、手紙などは始終やっているのである。当代における自身の不遇などは何とも思わずに、源氏は恋を歎《なげ》いていた、斎院と尚侍《ないしのかみ》のために。帝は院の御遺言のとおりに源氏を愛しておいでになったが、お若い上に、きわめてお気の弱い方でいらせられて、母后や祖父の大臣の意志によって行なわれることをどうあそばすこともおできにならなくて、朝政に御不満足が多かったのである。昔よりもいっそう恋の自由のない境遇にいても尚侍は文《ふみ》によって絶えず恋をささやく源氏を持っていて幸福感がないでもなかった。
 宮中で行なわせられた五壇の御修法《みずほう》のために帝が御謹慎をしておいでになるころ、源氏は夢のように尚侍へ近づいた。昔の弘徽殿の細殿《ほそどの》の小室へ中納言の君が導いたのである。御修法のために御所へ出入りする人の多い時に、こうした会合が、自分の手で行なわれることを中納言の君は恐ろしく思った。朝夕に見て見飽かぬ源氏と稀《まれ》に見るのを得た尚侍の喜びが想像される。女も今が青春の盛りの姿と見えた。貴女《きじょ》らしい端厳さなどは欠けていたかもしれぬが、美しくて、艶《えん》で、若々しくて男の心を十分に惹《ひ》く力があった。もうつい夜が明けていくのではないかと思われる頃、すぐ下の庭で、
「宿直《とのい》をいたしております」
 と高い声で近衛《このえ》の下士が言った。中少将のだれかがこの辺の女房の局《つぼね》へ来て寝ているのを知って、意地悪な男が教えてわざわざ挨拶《あいさつ》をさせによこしたに違いないと源氏は聞いていた。御所の庭の所々をこう言ってまわるのは感じのいいものであるがうるさくもあった。また庭のあなたこなたで「寅《とら》一つ」(午前四時)と報じて歩いている。

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心からかたがた袖《そで》を濡《ぬ》らすかな明くと教ふる声につけても
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 尚侍のこう言う様子はいかにもはかなそうであった。

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歎《なげ》きつつ我が世はかくて過ぐせとや胸のあくべき時ぞともなく
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 落ち着いておられなくて源氏は別れて出た。まだ朝に遠い暁月夜で、霧が一面に降っている中を簡単な狩衣《かりぎぬ》姿で歩いて行く源氏は美しかった。この時に承香殿《じょうきょうでん》の女御《にょご》の兄である頭中将《とうのちゅうじょう》が、藤壺《ふじつぼ》の御殿から出て、月光の蔭《かげ》になっている立蔀《たてじとみ》の前に立っていたのを、不幸にも源氏は知らずに来た。批難の声はその人たちの口から起こってくるであろうから。
 源氏は尚侍とまた新しく作ることのできた関係によっても、隙《すき》をまったくお見せにならない中宮《ちゅうぐう》をごりっぱであると認めながらも、恋する心に恨めしくも悲しくも思うことが多かった。御所へ参内することも気の進まない源氏であったが、そのために東宮にお目にかからないことを寂しく思っていた。東宮のためにはほかの後援者がなく、ただ源氏だけを中宮も力にしておいでになったが、今になっても源氏は宮を御当惑させるようなことを時々した。院が最後まで秘密の片はしすらご存じなしにお崩《かく》れになったことでも、宮は恐ろしい罪であると感じておいでになったのに、今さらまた悪名《あくみょう》の立つことになっては、自分はともかくも東宮のために必ず大きな不幸が起こるであろうと、宮は御心配になって、源氏の恋を仏力《ぶつりき》で止めようと、ひそかに祈祷《きとう》までもさせてできる限りのことを尽くして源氏の情炎から身をかわしておいでになるが、ある時思いがけなく源氏が御寝所に近づいた。慎重に計画されたことであったから宮様には夢のようであった。源氏が御心《みこころ》を動かそうとしたのは偽らぬ誠を盛った美しい言葉であったが、宮はあくまでも冷静をお失いにならなかった。ついにはお胸の痛みが起こってきてお苦しみになった。命婦《みょうぶ》とか弁《べん》とか秘密に与《あずか》っている女房が驚いていろいろな世話をする。源氏は宮が恨めしくてならない上に、この世が真暗《まっくら》になった気になって呆然《ぼうぜん》として朝になってもそのまま御寝室にとどまっていた。御病気を聞き伝えて御帳台のまわりを女房が頻繁《ひんぱん》に往来することにもなって、源氏は無意識に塗籠《ぬりごめ》(屋内の蔵)の中へ押し入れられてしまった。源氏の上着などをそっと持って来た女房も怖《おそろ》しがっていた。宮は未来と現在を御悲観あそばしたあまりに逆上《のぼせ》をお覚えになって、翌朝になってもおからだは平常のようでなかった。
 兄君の兵部卿の宮とか中宮大夫などが参殿し、祈りの僧を迎えようなどと言われているのを源氏は苦しく聞いていたのである。日が暮れるころにやっと御病悩はおさまったふうであった。源氏が塗籠で一日を暮らしたとも中宮様はご存じでなかった。命婦や弁なども御心配をさせまいために申さなかったのである。宮は昼の御座へ出てすわっておいでになった。御|恢復《かいふく》になったものらしいと言って、兵部卿の宮もお帰りになり、お居間の人数が少なくなった。平生からごく親しくお使いになる人は多くなかったので、そうした人たちだけが、そこここの几帳《きちょう》の後ろや襖子《からかみ》の蔭《かげ》などに侍していた。命婦などは、
「どう工夫《くふう》して大将さんをそっと出してお帰ししましょう。またそばへおいでになると今夜も御病気におなりあそばすでしょうから、宮様がお気の毒ですよ」
 などとささやいていた。源氏は塗籠の戸を初めから細目にあけてあった所へ手をかけて、そっとあけてから、屏風《びょうぶ》と壁の間を伝って宮のお近くへ出て来た。ご存じのない宮のお横顔を蔭からよく見ることのできる喜びに源氏は胸をおどらせ涙も流しているのである。
「まだ私は苦しい。死ぬのではないかしら」
 とも言って外のほうをながめておいでになる横顔が非常に艶《えん》である。これだけでも召し上がるようにと思って、女房たちが持って来たお菓子の台がある、そのほかにも箱の蓋《ふた》などに感じよく調理された物が積まれてあるが、宮はそれらにお気がないようなふうで、物思いの多い様子をして静かに一所をながめておいでになるのがお美しかった。髪の質、頭の形、髪のかかりぎわなどの美しさは西の対の姫君とそっくりであった。よく似たことなどを近ごろは初めほど感ぜずにいた源氏は、今さらのように驚くべく酷似した二女性であると思って、苦しい片恋のやり場所を自分は持っているのだという気が少しした。高雅な所も別人とは思えないのであるが、初恋の宮は思いなしか一段すぐれたものに見えた。華麗な気の放たれることは昔にましたお姿であると思った源氏は前後も忘却して、そっと静かに帳台へ伝って行き、宮のお召し物の褄《つま》先を手で引いた。源氏の服の薫香《くんこう》の香《か》がさっと立って、宮は様子をお悟りになった。驚きと恐れに宮は前へひれ伏しておしまいになったのである。せめて見返ってもいただけないのかと、源氏は飽き足らずも思い、恨めしくも思って、お裾《すそ》を手に持って引き寄せようとした。宮は上着を源氏の手にとめて、御自身は外のほうへお退《の》きになろうとしたが、宮のお髪《ぐし》はお召し物とともに男の手がおさえていた。宮は悲しくてお自身の薄倖《はっこう》であることをお思いになるのであったが、非常にいたわしい御様子に見えた。源氏も今日の高い地位などは皆忘れて、魂も顛倒《てんとう》させたふうに泣き泣き恨みを言うのであるが、宮は心の底からおくやしそうでお返辞もあそばさない。ただ、
「私はからだが今非常によくないのですから、こんな時でない機会がありましたら詳しくお話をしようと思います」
 とお言いになっただけであるのに、源氏のほうでは苦しい思いを告げるのに千言万語を費やしていた。さすがに身に沁《し》んでお思われになることも混じっていたに違いない。以前になかったことではないが、またも罪を重ねることは堪えがたいことであると思召《おぼしめ》す宮は、柔らかい、なつかしいふうは失わずに、しかも迫る源氏を強く避けておいでになる。ただこんなふうで今夜も明けていく。この上で力で勝つことはなすに忍びない清い気高《けだか》さの備わった方であったから、源氏は、
「私はこれだけで満足します。せめて今夜ほどに接近するのをお許しくだすって、今後も時々は私の心を聞いてくださいますなら、私はそれ以上の無礼をしようとは思いません」
 こんなふうに言って油断をおさせしようとした。今後の場合のために。
 こうした深刻な関係でなくても、これに類したあぶない逢瀬《おうせ》を作る恋人たちは別れが苦しいものであるから、まして源氏にここは離れがたい。夜が明けてしまったので王命婦と弁とが源氏の退去をいろいろに言って頼んだ。宮様は半ば死んだようになっておいでになるのである。
「恥知らずの男がまだ生きているかとお思われしたくありませんから、私はもうそのうち死ぬでしょう。そしたらまた死んだ魂がこの世に執着を持つことで罰せられるのでしょう」
 恐ろしい気がするほど源氏は真剣になっていた。

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「逢ふことの難《かた》きを今日に限らずばなほ幾世をか歎《なげ》きつつ経ん
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 どうなってもこうなっても私はあなたにつきまとっているのですよ」
 宮は吐息《といき》をおつきになって、

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長き世の恨みを人に残してもかつは心をあだとしらなん
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 とお言いになった。源氏の言葉をわざと軽く受けたようにしておいでになる御様子の優美さに源氏は心を惹《ひ》かれながらも宮の御|軽蔑《けいべつ》を受けるのも苦しく、わがためにも自重しなければならないことを思って帰った。
 あれほど冷酷に扱われた自分はもうその方に顔もお見せしたくない。同情をお感じになるまでは沈黙をしているばかりであると源氏は思って、それ以来宮へお手紙を書かないでいた。ずっともう御所へも東宮へも出ずに引きこもっていて、夜も昼も冷たいお心だとばかり恨みながらも、自分の今の態度を裏切るように恋しさがつのった。魂もどこかへ行っているようで、病気にさえかかったらしく感ぜられた。心細くて人間的な生活を捨てないからますます悲しみが多いのである、自分などは僧房の人になるべきであると、こんな決心をしようとする時にいつも思われるのは若い夫人のことであった。優しく自分だけを頼みにして生きている妻を捨てえようとは思われないのであった。
 宮のお心も非常に動揺したのである。源氏はその時きり引きこもって手紙も送って来ないことで命婦などは気の毒がった。宮も東宮のためには源氏に好意を持たせておかねばならないのに、自分の態度から人生を悲観して僧になってしまわれることになってはならぬとさすがに思召すのであった。そうといってああしたことが始終あっては瑕《きず》を捜し出すことの好きな世間はどんな噂《うわさ》を作るかが想像される。自分が尼になって、皇太后に不快がられている后の位から退いてしまおうと、こうこのごろになって宮はお思いになるようになった。院が自分のためにどれだけ重い御遺言をあそばされたかを考えると何ごとも当代にそれが実行されていないことが思われる。漢の初期の戚《せき》夫人が呂后《りょこう》に苛《さいな》まれたようなことまではなくても、必ず世間の嘲笑《ちょうしょう》を負わねばならぬ人に自分はなるに違いないと中宮はお思いになるのである。これを転機にして尼の生活にはいるのがいちばんよいことであるとお考えになったが、東宮にお逢いしないままで姿を変えてしまうことはおかわいそうなことであるとお思いになって、目だたぬ形式で御所へおはいりになった。源氏はそんな時でなくても十二分に好意を表する慣《なら》わしであったが、病気に托《たく》して供奉《ぐぶ》もしなかった。贈り物その他は常に変わらないが、来ようとしないことはよくよく悲観しておいでになるに違いないと、事情を知っている人たちは同情した。
 東宮はしばらくの間に美しく御成長しておいでになった。ひさびさ母宮とお逢いになった喜びに夢中になって、甘えて御覧になったりもするのが非常におかわいいのである。この方から離れて信仰の生活にはいれるかどうかと御自身で疑問が起こる。しかも御所の中の空気は、時の推移に伴う人心の変化をいちじるしく見せて人生は無常であるとお教えしないではおかなかった。太后の復讐心《ふくしゅうしん》に燃えておいでになることも面倒《めんどう》であったし、宮中への出入りにも不快な感を与える官辺のことも堪えられぬほど苦しくて、自分が現在の位置にいることは、かえって東宮を危うくするものでないかなどとも煩悶《はんもん》をあそばすのであった。
「長くお目にかからないでいる間《ま》に、私の顔がすっかり変わってしまったら、どうお思いになりますか」
 と中宮がお言いになると、じっと東宮はお顔を見つめてから、
「式部のようにですか。そんなことはありませんよ」
 とお笑いになった。たよりない御幼稚さがおかわいそうで、
「いいえ。式部は年寄りですから醜いのですよ。そうではなくて、髪なんか式部よりも短くなって、黒い着物などを着て、夜居《よい》のお坊様のように私はなろうと思うのですから、今度などよりもっと長くお目にかかれませんよ」
 宮がお泣きになると、東宮はまじめな顔におなりになって、
「長く御所へいらっしゃらないと、私はお逢いしたくてならなくなるのに」
 とお言いになったあとで、涙がこぼれるのを、恥ずかしくお思いになって顔をおそむけになった。お肩にゆらゆらとするお髪《ぐし》がきれいで、お目つきの美しいことなど、御成長あそばすにしたがってただただ源氏の顔が一つまたここにできたとより思われないのである。お歯が少し朽ちて黒ばんで見えるお口に笑《え》みをお見せになる美しさは、女の顔にしてみたいほどである。こうまで源氏に似ておいでになることだけが玉の瑕《きず》であると、中宮がお思いになるのも、取り返しがたい罪で世間を恐れておいでになるからである。
 源氏は中宮を恋しく思いながらも、どんなに御自身が冷酷であったかを反省おさせする気で引きこもっていたが、こうしていればいるほど見苦しいほど恋しかった。この気持ちを紛らそうとして、ついでに秋の花野もながめがてらに雲林院へ行った。源氏の母君の桐壺《きりつぼ》の御息所《みやすどころ》の兄君の律師《りっし》がいる寺へ行って、経を読んだり、仏勤めもしようとして、二、三日こもっているうちに身にしむことが多かった。木立ちは紅葉《もみじ》をし始めて、そして移ろうていく秋草の花の哀れな野をながめていては家も忘れるばかりであった。学僧だけを選んで討論をさせて聞いたりした。場所が場所であるだけ人生の無常さばかりが思われたが、その中でなお源氏は恨めしい人に最も心を惹《ひ》かれている自分を発見した。朝に近い月光のもとで、僧たちが閼伽《あか》を仏に供える仕度《したく》をするのに、からからと音をさせながら、菊とか紅葉とかをその辺いっぱいに折り散らしている。こんなことは、ちょっとしたことではあるが、僧にはこんな仕事があって退屈を感じる間もなかろうし、未来の世界に希望が持てるのだと思うとうらやましい、自分は自分一人を持てあましているではないかなどと源氏は思っていた。律師が尊い声で「念仏衆生《ねんぶつしゆじやう》摂取不捨《せつしゆふしや》」と唱えて勤行《ごんぎょう》をしているのがうらやましくて、この世が自分に捨てえられない理由はなかろうと思うのといっしょに紫の女王《にょおう》が気がかりになったというのは、たいした道心でもないわけである。幾日かを外で暮らすというようなことをこれまで経験しなかった源氏は恋妻に手紙を何度も書いて送った。
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出家ができるかどうかと試みているのですが、寺の生活は寂しくて、心細さがつのるばかりです。もう少しいて法師たちから教えてもらうことがあるので滞留しますが、あなたはどうしていますか。
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 などと檀紙に飾り気もなく書いてあるのが美しかった。

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あさぢふの露の宿りに君を置きて四方《よも》の嵐《あらし》ぞしづ心なき
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 という歌もある情のこもったものであったから紫夫人も読んで泣いた。返事は白い式紙《しきし》に、

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風吹けば先《ま》づぞ乱るる色かはる浅茅《あさぢ》が露にかかるささがに
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 とだけ書かれてあった。
「字はますますよくなるようだ」
 と独言《ひとりごと》を言って、微笑しながらながめていた。始終手紙や歌を書き合っている二人は、夫人の字がまったく源氏のに似たものになっていて、それよりも少し艶《えん》な女らしいところが添っていた。どの点からいっても自分は教育に成功したと源氏は思っているのである。斎院のいられる加茂はここに近い所であったから手紙を送った。女房の中将あてのには、
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物思いがつのって、とうとう家を離れ、こんな所に宿泊していますことも、だれのためであるかとはだれもご存じのないことでしょう。
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 などと恨みが述べてあった。当の斎院には、

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かけまくも畏《かしこ》けれどもそのかみの秋思ほゆる木綿襷《ゆふだすき》かな

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昔を今にしたいと思いましてもしかたのないことですね。自分の意志で取り返しうるもののように。
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 となれなれしく書いた浅緑色の手紙を、榊《さかき》に木綿《ゆう》をかけ神々《こうごう》しくした枝につけて送ったのである。中将の返事は、
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同じような日ばかりの続きます退屈さからよく昔のことを思い出してみるのでございますが、それによってあなた様を聯想《れんそう》することもたくさんございます。しかしここでは何も現在へは続いて来ていないのでございます、別世界なのですから。
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 まだいろいろと書かれてあった。女王のは木綿《ゆう》の片《はし》に、

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そのかみやいかがはありし木綿襷《ゆふだすき》心にかけて忍ぶらんゆゑ
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 とだけ書いてあった。斎院のお字には細かな味わいはないが、高雅で漢字のくずし方など以前よりももっと巧みになられたようである。ましてその人自身の美はどんなに成長していることであろうと、そんな想像をして胸をとどろかせていた。神罰を思わないように。
 源氏はまた去年の野の宮の別れがこのころであったと思い出して、自分の恋を妨げるものは、神たちであるとも思った。むずかしい事情が間にあればあるほど情熱のたかまる癖をみずから知らないのである。それを望んだのであったら加茂の女王との結婚は困難なことでもなかったのであるが、当時は暢気《のんき》にしていて、今さら後悔の涙を無限に流しているのである。斎院も普通の多情で書かれる手紙でないものを、これまでどれだけ受けておいでになるかしれないのであって、源氏をよく理解したお心から手紙の返事もたまにはお書きになるのである。厳正にいえば、神聖な職を持っておいでになって、少し謹慎が足りないともいうべきことであるが。
 天台の経典六十巻を読んで、意味の難解な所を僧たちに聞いたりなどして源氏が寺にとどまっているのを、僧たちの善行によって仏力《ぶつりき》でこの人が寺へつかわされたもののように思って、法師の名誉であると、下級の輩までも喜んでいた。静かな寺の朝夕に人生を観じては帰ることがどんなにいやなことに思われたかしれないのであるが、紫の女王一人が捨てがたい絆《ほだし》になって、長く滞留せずに帰ろうとする源氏は、その前に盛んな誦経《ずきょう》を行なった。あるだけの法師はむろん、その辺の下層民にも物を多く施した。帰って行く時には、寺の前の広場のそこここにそうした人たちが集まって、涙を流しながら見送っていた。諒闇《りょうあん》中の黒い車に乗った喪服姿の源氏は平生よりもすぐれて見えるわけもないが、美貌《びぼう》に心の惹《ひ》かれない人もなかった。
 夫人は幾日かのうちに一段ときれいになったように思われた。高雅に落ち着いている中に、源氏の愛を不安がる様子の見えるのが可憐《かれん》であった。幾人かの人を思う幾つかの煩悶《はんもん》は外へ出て、この人の目につくほどのことがあったのであろう、「色変はる」というような歌を詠《よ》んできたのではないかと哀れに思って、源氏は常よりも強い愛を夫人に感じた。山から折って帰った紅葉《もみじ》は庭のに比べるとすぐれて紅《あか》くきれいであったから、それを、長く何とも手紙を書かないでいることによって、また堪えがたい寂しさも感じている源氏は、ただ何でもない贈り物として、御所においでになる中宮《ちゅうぐう》の所へ持たせてやった。手紙は命婦《みょうぶ》へ書いたのであった。
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珍しく御所へおはいりになりましたことを伺いまして、両宮様いずれへも御無沙汰《ごぶさた》しておりますので、その際にも上がってみたかったのですが、しばらく宗教的な勉強をしようとその前から思い立っていまして、日どりなどを決めていたものですから失礼いたしました。紅葉《もみじ》は私一人で見ていましては、錦を暗い所へ置いておく気がしてなりませんから持たせてあげます。よろしい機会に宮様のお目にかけてください。
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 と言うのである。実際珍しいほどにきれいな紅葉であったから、中宮も喜んで見ておいでになったが、その枝に小さく結んだ手紙が一つついていた。女房たちがそれを見つけ出した時、宮はお顔の色も変わって、まだあの心を捨てていない、同情心の深いりっぱな人格を持ちながら、こうしたことを突発的にする矛盾があの人にある、女房たちも不審を起こすに違いないと反感をお覚えになって、瓶《かめ》に挿《さ》させて、庇《ひさし》の間《ま》の柱の所へ出しておしまいになった。
 ただのこと、東宮の御上についてのことなどには信頼あそばされることを、丁寧に感情を隠して告げておよこしになる中宮を、どこまでも理智《りち》だけをお見せになると源氏は恨んでいた。東宮のお世話はことごとく源氏がしていて、それを今度に限って冷淡なふうにしてみせては人が怪しがるであろうと思って、源氏は中宮が御所をお出になる日に行った。まず帝《みかど》のほうへ伺ったのである。帝はちょうどお閑暇《ひま》で、源氏を相手に昔の話、今の話をいろいろとあそばされた。帝の御容貌は院によく似ておいでになって、それへ艶《えん》な分子がいくぶん加わった、なつかしみと柔らかさに満ちた方でましますのである。帝も源氏と同じように、源氏によって院のことをお思い出しになった。尚侍《ないしのかみ》との関係がまだ絶えていないことも帝のお耳にはいっていたし、御自身でお気づきになることもないのではなかったが、それもしかたがない、今はじめて成り立った間柄ではなく、自分の知るよりも早く源氏のほうがその人の情人であったのであるからと思召《おぼしめ》して、恋愛をするのに最もふさわしい二人であるから、やむをえないともお心の中で許しておいでになって、源氏をとがめようなどとは、少しも思召さないのである。詩文のことで源氏に質問をあそばしたり、また風流な歌の話をかわしたりするうちに、斎宮の下向の式の日のこと、美しい人だったことなども帝は話題にあそばした。源氏も打ち解けた心持ちになって、野の宮の曙《あけぼの》の別れの身にしんだことなども皆お話しした。二十日《はつか》の月がようやく照り出して、夜の趣がおもしろくなってきたころ、帝は、
「音楽が聞いてみたいような晩だ」
 と仰せられた。
「私は今晩中宮が退出されるそうですから御訪問に行ってまいります。院の御遺言を承っていまして、だれもほかにお世話をする人もない方でございますから、親切にしてさしあげております。東宮と私どもとの関係からもお捨てしておけませんのです」
 と源氏は奏上した。
「院は東宮を自分の子と思って愛するようにと仰せなすったからね、自分はどの兄弟よりも大事に思っているが、目に立つようにしてもと思って、自分で控え目にしている。東宮はもう字などもりっぱなふうにお書きになる。すべてのことが平凡な自分の不名誉をあの方が回復してくれるだろうと頼みにしている」
「それはいろんなことを大人のようになさいますが、まだ何と申しても御幼齢ですから」
 源氏は東宮の御勉学などのことについて奏上をしたのちに退出して行く時皇太后の兄である藤大納言の息子《むすこ》の頭《とう》の弁《べん》という、得意の絶頂にいる若い男は、妹の女御《にょご》のいる麗景殿《れいげいでん》に行く途中で源氏を見かけて、「白虹《はくこう》日を貫けり、太子|懼《お》ぢたり」と漢書の太子丹が刺客を秦王《しんのう》に放った時、その天象《てんしょう》を見て不成功を恐れたという章句をあてつけにゆるやかに口ずさんだ。源氏はきまり悪く思ったがとがめる必要もなくそのまま素知らぬふうで行ってしまったのであった。
「ただ今まで御前におりまして、こちらへ上がりますことが深更になりました」
 と源氏は中宮に挨拶《あいさつ》をした。明るい月夜になった御所の庭を中宮はながめておいでになって、院が御位《みくらい》においでになったころ、こうした夜分などには音楽の遊びをおさせになって自分をお喜ばせになったことなどと昔の思い出がお心に浮かんで、ここが同じ御所の中であるようにも思召しがたかった。

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九重《ここのへ》に霧や隔つる雲の上の月をはるかに思ひやるかな
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 これを命婦《みょうぶ》から源氏へお伝えさせになった。宮のお召し物の動く音などもほのかではあるが聞こえてくると、源氏は恨めしさも忘れてまず涙が落ちた。

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「月影は見し世の秋に変はらねど隔つる霧のつらくもあるかな
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 霞《かすみ》が花を隔てる作用にも人の心が現われるとか昔の歌にもあったようでございます」
 などと源氏は言った。中宮は悲しいお別れの時に、将来のことをいろいろ東宮へ教えて行こうとあそばすのであるが、深くもお心にはいっていないらしいのを哀れにお思いになった。平生は早くお寝《やす》みになるのであるが、宮のお帰りあそばすまで起きていようと思召すらしい。御自身を残して母宮の行っておしまいになることがお恨めしいようであるが、さすがに無理に引き止めようともあそばさないのが御親心には哀れであるに違いなかった。
 源氏は頭の弁の言葉を思うと人知れぬ昔の秘密も恐ろしくて、尚侍にも久しく手紙を書かないでいた。時雨《しぐれ》が降りはじめたころ、どう思ったか尚侍のほうから、

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木枯《こがら》しの吹くにつけつつ待ちし間《ま》におぼつかなさの頃《ころ》も経にけり
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 こんな歌を送ってきた。ちょうど物の身にしむおりからであったし、どんなに人目を避けてこの手紙が書かれたかを想像しても恋人の情がうれしく思われたし、返事をするために使いを待たせて、唐紙《からかみ》のはいった置き棚《だな》の戸をあけて紙を選び出したり、筆を気にしたりして源氏が書いている返事はただ事であるとは女房たちの目にも見えなかった。相手はだれくらいだろうと肱《ひじ》や目で語っていた。
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どんなに苦しい心を申し上げてもお返事がないので、そのかいのないのに私の心はすっかりめいり込んでいたのです。

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あひ見ずて忍ぶる頃の涙をもなべての秋のしぐれとや見る

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心が通うものでしたなら、通っても来るものでしたなら、空も寂しい色とばかりは見えないでしょう。
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 などと情熱のある文字が列《つら》ねられた。こんなふうに女のほうから源氏を誘い出そうとする手紙はほかからも来るが、情のある返事を書くにとどまって、深くは源氏の心にしまないものらしかった。
 中宮は院の御一周忌をお営みになったのに続いてまたあとに法華経《ほけきょう》の八講を催されるはずでいろいろと準備をしておいでになった。十一月の初めの御命日に雪がひどく降った。源氏から中宮へ歌が送られた。

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別れにし今日《けふ》は来れども見し人に行き逢《あ》ふほどをいつと頼まん
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 中宮のためにもお悲しい日で、すぐにお返事があった。

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ながらふるほどは憂《う》けれど行きめぐり今日はその世に逢ふ心地《ここち》して
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 巧みに書こうともしてない字が雅趣に富んだ気高《けだか》いものに見えるのも源氏の思いなしであろう。特色のある派手《はで》な字というのではないが決して平凡ではないのである。今日だけは恋も忘れて終日御父の院のために雪の中で仏勤めをして源氏は暮らしたのである。
 十二月の十幾日に中宮の御八講があった。非常に崇厳《すうごん》な仏事であった。五日の間どの日にも仏前へ新たにささげられる経は、宝玉の軸に羅《うすもの》の絹の表紙の物ばかりで、外包みの装飾などもきわめて精巧なものであった。日常の品にも美しい好みをお忘れにならない方であるから、まして御仏《みほとけ》のためにあそばされたことが人目を驚かすほどの物であったことはもっともなことである。仏像の装飾、花机《はなづくえ》の被《おお》いなどの華美さに極楽世界もたやすく想像することができた。初めの日は中宮の父帝の御|菩提《ぼだい》のため、次の日は母后のため、三日目は院の御菩提のためであって、これは法華経の第五巻の講義のある日であったから、高官たちも現在の宮廷派の人々に斟酌《しんしゃく》をしていず数多く列席した。今日の講師にはことに尊い僧が選ばれていて「法華経はいかにして得し薪《たきぎ》こり菜摘み水|汲《く》み仕へてぞ得し」という歌の唱えられるころからは特に感動させられることが多かった。仏前に親王方もさまざまの捧《ささ》げ物を持っておいでになったが、源氏の姿が最も優美に見えた。筆者はいつも同じ言葉を繰り返しているようであるが、見るたびに美しさが新しく感ぜられる人なのであるからしかたがないのである。最終の日は中宮御自身が御仏に結合を誓わせられるための供養になっていて、御自身の御出家のことがこの儀式の場で仏前へ報告されて、だれもだれも意外の感に打たれた。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮のお心も、源氏の大将の心もあわてた。驚きの度をどの言葉が言い現わしえようとも思えない。宮は式の半ばで席をお立ちになって簾中《れんちゅう》へおはいりになった。中宮は堅い御決心を兄宮へお告げになって、叡山《えいざん》の座主《ざす》をお招きになって、授戒のことを仰せられた。伯父《おじ》君にあたる横川《よかわ》の僧都《そうず》が帳中に参ってお髪《ぐし》をお切りする時に人々の啼泣《ていきゅう》の声が宮をうずめた。平凡な老人でさえいよいよ出家するのを見ては悲しいものである。まして何の予告もあそばさずにたちまちに脱履の実行をなされたのであるから、兵部卿の宮も非常にお悲しみになった。参列していた人々も同情の禁ぜられない中宮のお立場と、この寂しい結末の場を拝して泣く者が多かった。院の皇子方は、父帝がどれほど御|愛寵《あいちょう》なされたお后《きさき》であったかを、現状のお気の毒さに比べて考えては皆暗然としておいでになった。方々《かたがた》は慰問の御|挨拶《あいさつ》をなされたのであるが、源氏は最後に残って、驚きと悲しみに言葉も心も失った気もしたが、人目が考えられ、やっと気を引き立てるようにしてお居間へ行った。落ち着かれずに人々がうろうろしたことや、すすり泣きの声もひとまずやんで、女房は涙をふきながらあなたこなたにかたまっていた。明るい月が空にあって、雪の光と照り合っている庭をながめても、院の御在世中のことが目に浮かんできて堪えがたい気のするのを源氏はおさえて、
「何が御動機になりまして、こんなに突然な御出家をあそばしたのですか」
 と挨拶を取り次いでもらった。
「これはただ今考えついたことではなかったのですが、昨年の悲しみがありました時、すぐにそういたしましては人騒がせにもなりますし、それでまた私自身も取り乱しなどしてはと思いまして」
 例の命婦《みょうぶ》がお言葉を伝えたのである。源氏は御簾《みす》の中のあらゆる様子を想像して悲しんだ。おおぜいの女の衣摺《きぬず》れなどから、身もだえしながら悲しみをおさえているのがわかるのであった。風がはげしく吹いて、御簾の中の薫香《くんこう》の落ち着いた黒方香《くろぼうこう》の煙も仏前の名香のにおいもほのかに洩《も》れてくるのである。源氏の衣服の香もそれに混じって極楽が思われる夜であった。東宮のお使いも来た。お別れの前に東宮のお言いになった言葉などが宮のお心にまた新しくよみがえってくることによって、冷静であろうとあそばすお気持ちも乱れて、お返事の御挨拶を完全にお与えにならないので、源氏がお言葉を補った。だれもだれも常識を失っているといってもよいほど悲しみに心を乱しているおりからであるから、不用意に秘密のうかがわれる恐れのある言葉などは発せられないと源氏は思った。

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「月のすむ雲井をかけてしたふともこのよの闇《やみ》になほや惑はん
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 私にはそう思えますが、御出家のおできになったお心持ちには敬服いたされます」
 とだけ言って、お居間に女房たちも多い様子であったから源氏は捨てられた男の悲痛な心持ちを簡単な言葉にして告げることもできなかった。

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「大方《おほかた》の憂《う》きにつけては厭《いと》へどもいつかこの世を背《そむ》きはつべき
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 りっぱな信仰を持つようにはいつなれますやら」
 宮の御挨拶は東宮へのお返事を兼ねたお心らしかった。悲しみに堪えないで源氏は退出した。
 二条の院へ帰っても西の対へは行かずに、自身の居間のほうに一人|臥《ぶ》しをしたが眠りうるわけもない。ますます人生が悲しく思われて自身も僧になろうという心の起こってくるのを、そうしては東宮がおかわいそうであると思い返しもした。せめて母宮だけを最高の地位に置いておけばと院は思召したのであったが、その地位も好意を持たぬ者の苦しい圧迫のためにお捨てになることになった。尼におなりになっては后《きさき》としての御待遇をお受けになることもおできにならないであろうし、その上自分までが東宮のお力になれぬことになってはならないと源氏は思うのである。夜通しこのことを考え抜いて最後に源氏は中宮のために尼僧用のお調度、お衣服を作ってさしあげる善行をしなければならぬと思って、年内にすべての物を調えたいと急いだ。王命婦《おうみょうぶ》もお供をして尼になったのである。この人へも源氏は尼用の品々を贈った。こんな場合にりっぱな詩歌《しいか》ができてよいわけであるから、宮の女房の歌などが当時の詳しい記事とともに見いだせないのを筆者は残念に思う。
 源氏が三条の宮邸を御訪問することも気楽にできるようになり、宮のほうでも御自身でお話をあそばすこともあるようになった。少年の日から思い続けた源氏の恋は御出家によって解消されはしなかったが、これ以上に御接近することは源氏として、今日考えるべきことでなかったのである。
 春になった。御所では内宴とか、踏歌《とうか》とか続いてはなやかなことばかりが行なわれていたが中宮は人生の悲哀ばかりを感じておいでになって、後世《ごせ》のための仏勤めに励んでおいでになると、頼もしい力もおのずから授けられつつある気もあそばされたし、源氏の情火から脱《のが》れえられたことにもお悦《よろこ》びがあった。お居間に隣った念誦《ねんず》の室のほかに、新しく建築された御堂《みどう》が西の対の前を少し離れた所にあってそこではまた尼僧らしい厳重な勤めをあそばされた。源氏が伺候した。正月であっても来訪者は稀《まれ》で、お付き役人の幾人だけが寂しい恰好《かっこう》をして、力のないふうに事務を取っていた。白馬《あおうま》の節会《せちえ》であったから、これだけはこの宮へも引かれて来て、女房たちが見物したのである。高官が幾人となく伺候していたようなことはもう過去の事実になって、それらの人々は宮邸を素通りして、向かい側の現太政大臣邸へ集まって行くのも、当然といえば当然であるが、寂しさに似た感じを宮もお覚えになった。そんな所へ千人の高官にあたるような姿で源氏がわざわざ参賀に来たのを御覧になった時は、わけもなく宮は落涙をあそばした。源氏もなんとなく身にしむふうにあたりをながめていて、しばらくの間はものが言えなかった。純然たる尼君のお住居《すまい》になって、御簾《みす》の縁《ふち》の色も几帳《きちょう》も鈍《にび》色であった。そんな物の間から見えるのも女房たちの淡鈍《うすにび》色の服、黄色な下襲《したがさね》の袖口《そでぐち》などであったが、かえって艶《えん》に上品に見えないこともなかった。解けてきた池の薄氷にも、芽をだしそめた柳にも自然の春だけが見えて、いろいろに源氏の心をいたましくした。「音に聞く松が浦島《うらしま》今日ぞ見るうべ心ある海人《あま》は住みけり」という古歌を口ずさんでいる源氏の様子が美しかった。

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ながめかる海人の住処《すみか》と見るからにまづしほたるる松が浦島
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 と源氏は言った。今はお座敷の大部分を仏に譲っておいでになって、お居間は端のほうへ変えられたお住居《すまい》であったから、宮の御座と源氏自身の座の近さが覚えられて、

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ありし世の名残《なご》りだになき浦島に立ちよる波のめづらしきかな
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 と取り次ぎの女房へお教えになるお声もほのかに聞こえるのであった。源氏の涙がほろほろとこぼれた。今では人生を悟りきった尼になっている女房たちにこれを見られるのが恥ずかしくて、長くはいずに源氏は退出した。
「ますますごりっぱにお見えになる。あらゆる幸福を御自分のものにしていらっしゃったころは、ただ天下の第一の人であるだけで、それだけではまだ人生がおわかりにならなかったわけで、ごりっぱでもおきれいでも、正しい意味では欠けていらっしゃるところがあったのです。御幸福ばかりでなくおなりになって、深味がおできになりましたね。しかしお気の毒なことですよ」
 などと老いた女房が泣きながらほめていた。中宮もお心にいろいろな場合の過去の源氏の面影を思っておいでになった。
 春期の官吏の除目《じもく》の際にも、この宮付きになっている人たちは当然得ねばならぬ官も得られず、宮に付与されてある権利で推薦あそばされた人々の位階の陞叙《しょうじょ》もそのままに捨て置かれて、不幸を悲しむ人が多かった。尼におなりになったことで后の御位《みくらい》は消滅して、それとともに給封もなくなるべきであると法文を解釈して、その口実をつけて政府の御待遇が変わってきた。宮は予期しておいでになったことで、何の執着もそれに対して持っておいでにならなかったが、お付きの役人たちにたより所を失った悲しいふうの見える時などはお心にいささかの動揺をお感じにならないこともなかった。しかも自分は犠牲になっても東宮の御即位に支障を起こさないように祈るべきであると、宮はどんな時にもお考えになっては専心に仏勤めをあそばされた。お心の中に人知れぬ恐怖と不安があって、御自身の信仰によって、その罪の東宮に及ばないことを期しておいでになった。そうしてみずから慰められておいでになったのである。源氏もこの宮のお心持ちを知っていて、ごもっともであると感じていた。一方では家司《けいし》として源氏に属している官吏も除目《じもく》の結果を見れば不幸であった。不面目な気がして源氏は家にばかり引きこもっていた。左大臣も公人として、また個人として幸福の去ってしまった今日を悲観して致仕の表を奉った。帝は院が非常に御信用あそばして、国家の柱石は彼であると御遺言あそばしたことを思召《おぼしめ》すと、辞表を御採用になることができなくて、たびたびお返しになったが、大臣のほうではまた何度も繰り返して、辞意を奏上して、そしてそのまま出仕をしないのであったから、太政大臣一族だけが栄えに栄えていた。国家の重鎮である大臣が引きこもってしまったので、帝も心細く思召されるし、世間の人たちも歎《なげ》いていた。左大臣家の公子たちもりっぱな若い官吏で、皆順当に官位も上りつつあったが、もうその時代は過ぎ去ってしまった。三位《さんみ》中将などもこうした世の中に気をめいらせていた。太政大臣の四女の所へ途絶えがちに通いは通っているが、誠意のない婿であるということに反感を持たれていて、思い知れというように今度の除目にはこの人も現官のままで置かれた。この人はそんなことは眼中に置いていなかった。源氏の君さえも不遇の歎《なげ》きがある時代であるのだから、まして自分などはこう取り扱わるべきであるとあきらめていて、始終源氏の所へ来て、学問も遊び事もいっしょにしていた。青年時代の二人の間に強い競争心のあったことを思い出して、今でも遊び事の時などに、一方のすることをそれ以上に出ようとして一方が力を入れるというようなことがままあった。春秋の読経《どきょう》の会以外にもいろいろと宗教に関した会を開いたり、現代にいれられないでいる博士《はかせ》や学者を集めて詩を作ったり、韻《いん》ふたぎをしたりして、官吏の職務を閑却した生活をこの二人がしているという点で、これを問題にしようとしている人もあるようである。
 夏の雨がいつやむともなく降ってだれもつれづれを感じるころである、三位中将はいろいろな詩集を持って二条の院へ遊びに来た。源氏も自家の図書室の中の、平生使わない棚《たな》の本の中から珍しい詩集を選《え》り出して来て、詩人たちを目だつようにはせずに、しかもおおぜい呼んで左右に人を分けて、よい賭物《かけもの》を出して韻ふたぎに勝負をつけようとした。隠した韻字をあてはめていくうちに、むずかしい字がたくさん出てきて、経験の多い博士《はかせ》なども困った顔をする場合に、時々源氏が注意を与えることがよくあてはまるのである。非常な博識であった。
「どうしてこんなに何もかもがおできになるのだろう。やはり前生《ぜんしょう》の因に特別なもののある方に違いない」
 などと学者たちがほめていた。とうとう右のほうが負けになった。それから二日ほどして三位中将が負けぶるまいをした。たいそうにはしないで雅趣のある檜破子《ひわりご》弁当が出て、勝ち方に出す賭物《かけもの》も多く持参したのである。今日も文士が多く招待されていて皆席上で詩を作った。階前の薔薇《ばら》の花が少し咲きかけた初夏の庭のながめには濃厚な春秋の色彩以上のものがあった。自然な気分の多い楽しい会であった。中将の子で今年から御所の侍童に出る八、九歳の少年でおもしろく笙《しょう》の笛を吹いたりする子を源氏はかわいがっていた。これは四の君が生んだ次男である。よい背景を持っていて世間から大事に扱われている子であった。才があって顔も美しいのである。主客が酔いを催したころにこの子が「高砂《たかさご》」を歌い出した。非常に愛らしい。(「高砂の尾上《をのへ》に立てる白玉椿《しらたまつばき》、それもがと、ましもがと、今朝《けさ》咲いたる初花に逢《あ》はましものを云々《うんぬん》」という歌詞である)源氏は服を一枚脱いで与えた。平生よりも打ち解けたふうの源氏はことさらにまた美しいのであった。着ている直衣《のうし》も単衣《ひとえ》も薄物であったから、きれいな肌《はだ》の色が透いて見えた。老いた博士たちは遠くからながめて源氏の美に涙を流していた。「逢はましものを小百合葉《さゆりば》の」という高砂の歌の終わりのところになって、中将は杯を源氏に勧めた。

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それもがと今朝《けさ》開けたる初花に劣らぬ君がにほひをぞ見る
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 と乾杯の辞を述べた。源氏は微笑をしながら杯を取った。

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「時ならで今朝咲く花は夏の雨に萎《しを》れにけらし匂《にほ》ふほどなく
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 すっかり衰えてしまったのに」
 あとはもう酔ってしまったふうをして源氏が飲もうとしない酒を中将は許すまいとしてしいていた。席上でできた詩歌の数は多かったが、こんな時のまじめでない態度の作をたくさん列《つら》ねておくことのむだであることを貫之《つらゆき》も警告しているのであるからここには書かないでおく。歌も詩も源氏の君を讃美《さんび》したものが多かった。源氏自身もよい気持ちになって、「文王の子武王の弟」と史記の周公伝の一節を口にした。その文章の続きは成王の伯父《おじ》というのであるが、これは源氏が明瞭《めいりょう》に言いえないはずである。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮も始終二条の院へおいでになって、音楽に趣味を持つ方であったから、よくいっしょにそんな遊びをされるのであった。
 その時分に尚侍《ないしのかみ》が御所から自邸へ退出した。前から瘧病《わらわやみ》にかかっていたので、禁厭《まじない》などの宮中でできない療法も実家で試みようとしてであった。修法《しゅほう》などもさせて尚侍の病の全快したことで家族は皆喜んでいた。こんなころである、得がたい機会であると恋人たちはしめし合わせて、無理な方法を講じて毎夜源氏は逢いに行った。若い盛りのはなやかな容貌《ようぼう》を持った人の病で少し痩《や》せたあとの顔は非常に美しいものであった。皇太后も同じ邸《やしき》に住んでおいでになるころであったから恐ろしいことなのであるが、こんなことのあればあるほどその恋がおもしろくなる源氏は忍んで行く夜を多く重ねることになったのである。こんなにまでなっては気がつく人もあったであろうが、太后に訴えようとはだれもしなかった。大臣もむろん知らなかった。
 雨がにわかに大降りになって、雷鳴が急にはげしく起こってきたある夜明けに、公子たちや太后付きの役人などが騒いであなたこなたと走り歩きもするし、そのほか平生この時間に出ていない人もその辺に出ている様子がうかがわれたし、また女房たちも恐ろしがって帳台の近くへ寄って来ているし、源氏は帰って行くにも行かれぬことになって、どうすればよいかと惑った。秘密に携わっている二人ほどの女房が困りきっていた。雷鳴がやんで、雨が少し小降りになったころに、大臣が出て来て、最初に太后の御殿のほうへ見舞いに行ったのを、ちょうどまた雨がさっと音を立てて降り出していたので、源氏も尚侍も気がつかなかった。
 大臣は軽輩がするように突然座敷の御簾《みす》を上げて顔を出した。
「どうだね、とてもこわい晩だったから、こちらのことを心配していたが出て来られなかった。中将や宮の亮《すけ》は来ていたかね」
 などという様子が、早口で大臣らしい落ち着きも何もない。源氏は発見されたくないということに気をつかいながらも、この大臣を左大臣に比べて思ってみるとおかしくてならなかった。せめて座敷の中へはいってからものを言えばよかったのである。尚侍は困りながらいざり出て来たが、顔の赤くなっているのを大臣はまだ病気がまったく快《よ》くはなっていないのかと見た。熱があるのであろうと心配したのである。
「なぜあなたはこんな顔色をしているのだろう。しつこい物怪《もののけ》だからね。修法《しゅほう》をもう少しさせておけばよかった」
 こう言っている時に、淡《うす》お納戸《なんど》色の男の帯が尚侍の着物にまといついてきているのを大臣は見つけた。不思議なことであると思っていると、また男の懐中紙《ふところがみ》にむだ書きのしてあるものが几帳《きちょう》の前に散らかっているのも目にとまった。なんという恐ろしいことが起こっているのだろうと大臣は驚いた。
「それはだれが書いたものですか、変なものじゃないか。ください。だれの字であるかを私は調べる」
 と言われて振り返った尚侍は自身もそれを見つけた。もう紛らわす術《すべ》はないのである。返事のできることでもないのである。
 尚侍が失心したようになっているのであるから、大臣ほどの貴人であれば、娘が恥に堪えぬ気がするであろうという上品な遠慮がなければならないのであるが、そんな思いやりもなく、気短な、落ち着きのない大臣は、自身で紙を手で拾った時に几帳の隙《すき》から、なよなよとした姿で、罪を犯している者らしく隠れようともせず、のんびりと横になっている男も見た。大臣に見られてはじめて顔を夜着の中に隠して紛らわすようにした。大臣は驚愕《きょうがく》した。無礼《ぶれい》だと思った。くやしくてならないが、さすがにその場で面と向かって怒りを投げつけることはできなかったのである。目もくらむような気がして歌の書かれた紙を持って寝殿へ行ってしまった。尚侍は気が遠くなっていくようで、死ぬほどに心配した。源氏も恋人がかわいそうで、不良な行為によって、ついに恐るべき糺弾《きゅうだん》を受ける運命がまわって来たと悲しみながらもその心持ちを隠して尚侍をいろいろに言って慰めた。
 大臣は思っていることを残らず外へ出してしまわねば我慢のできないような性質である上に老いの僻《ひが》みも添って、ある点は斟酌《しんしゃく》して言わないほうがよいなどという遠慮もなしに雄弁に、源氏と尚侍の不都合を太后に訴えるのであった。まず目撃した事実を述べた。
「この畳紙の字は右大将の字です。以前にも彼女は大将の誘惑にかかって情人関係が結ばれていたのですが、人物に敬意を表して私は不服も言わずに結婚もさせようと言っていたのです。その時にはいっこうに気がないふうを見せられて、私は残念でならなかったのですが、これも因縁であろうと我慢して、寛容な陛下はまた私への情誼《じょうぎ》で過去の罪はお許しくださるであろうとお願いして、最初の目的どおりに宮中へ入れましても、あの関係がありましたために公然と女御《にょご》にはしていただけないことででも、私は始終寂しく思っているのです。それにまたこんな罪を犯すではありませんか、私は悲しくてなりません。男は皆そうであるとはいうものの大将もけしからん方です。神聖な斎院に恋文を送っておられるというようなことを言う者もありましたが、私は信じることはできませんでした。そんなことをすれば世の中全体が神罰をこうむるとともに、自分自身もそのままではいられないことはわかっていられるだろうと思いますし、学問知識で天下をなびかしておいでになる方はまさかと思って疑いませんでした」
 聞いておいでになった太后の源氏をお憎みになることは大臣の比ではなかったから、非常なお腹だちがお顔の色に現われてきた。
「陛下は陛下であっても昔から皆に軽蔑《けいべつ》されていらっしゃる。致仕の大臣も大事がっていた娘を、兄君で、また太子でおありになる方にお上げしようとはしなかった。その娘は弟で、貧弱な源氏で、しかも年のゆかない人に婚《めあわ》せるために取っておいたのです。またあの人も東宮の後宮《こうきゅう》に決まっていた人ではありませんか。それだのに誘惑してしまってそれをその時両親だってだれだって悪いことだと言った人がありますか。皆大将をひいきにして、結婚をさせたがっておいでになった。不本意なふうで陛下にお上げなすったじゃありませんか。私は妹をかわいそうだと思って、ほかの女御《にょご》たちに引けを取らせまい、後宮の第一の名誉を取らせてやろう、そうすれば薄情な人への復讐《ふくしゅう》ができるのだと、こんな気で私は骨を折っていたのですが、好きな人の言うとおりになっているほうがあの人にはよいと見える。斎院を誘惑しようとかかっていることなどはむろんあるべきことですよ。何事によらず当代を詛《のろ》ってかかる人なのです。それは東宮の御代《みよ》が一日も早く来るようにと願っている人としては当然のことでしょう」
 きつい調子で、だれのこともぐんぐん悪くお言いになるのを、聞いていて大臣は、ののしられている者のほうがかわいそうになった。なぜお話ししたろうと後悔した。
「でもこのことは当分秘密にしていただきましょう。陛下にも申し上げないでください。どんなことがあっても許してくださるだろうと、あれは陛下の御愛情に甘えているだけだと思う。私がいましめてやって、それでもあれが聞きません時は私が責任を負います」
 などと大臣は最初の意気込みに似ない弱々しい申し出をしたが、もう太后の御|機嫌《きげん》は直りもせず、源氏に対する憎悪《ぞうお》の減じることもなかった。皇太后である自分もいっしょに住んでいる邸内に来て不謹慎きわまることをするのも、自分をいっそう侮辱して見せたい心なのであろうとお思いになると、残念だというお心持ちがつのるばかりで、これを動機にして源氏の排斥を企てようともお思いになった。

榊 版本说明

底本:「全訳源氏物語 上巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年8月10日改版初版発行
   1994(平成6)年12月20日56版発行
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※校正には、2002(平成14)年4月5日71版を使用しました。
入力:上田英代
校正:小林繁雄
2003年7月13日作成
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11 花散里

[#地から3字上げ]橘《たちばな》も恋のうれひも散りかへば香《か》をなつ
[#地から3字上げ]かしみほととぎす鳴く   (晶子)

 みずから求めてしている恋愛の苦は昔もこのごろも変わらない源氏であるが、ほかから受ける忍びがたい圧迫が近ごろになってますます加わるばかりであったから、心細くて、人間の生活というものからのがれたい欲求も起こるが、さてそうもならない絆《ほだし》は幾つもあった。
 麗景殿《れいげいでん》の女御《にょご》といわれた方は皇子女もなくて、院がお崩《かく》れになって以後はまったくたよりない身の上になっているのであるが、源氏の君の好意で生活はしていた。この人の妹の三の君と源氏は若い時代に恋愛をした。例の性格から関係を絶つこともなく、また夫人として待遇することもなしにまれまれ通っているのである。女としては煩悶《はんもん》をすることの多い境遇である。物哀れな心持ちになっているこのごろの源氏は、急にその人を訪《と》うてやりたくなった心はおさえきれないほどのものだったから、五月雨《さみだれ》の珍しい晴れ間に行った。目だたない人数を従えて、ことさら簡素なふうをして出かけたのである。中川辺を通って行くと、小さいながら庭木の繁《しげ》りようなどのおもしろく見える家で、よい音のする琴を和琴《わごん》に合わせて派手《はで》に弾《ひ》く音がした。源氏はちょっと心が惹《ひ》かれて、往来にも近い建物のことであるから、なおよく聞こうと、少しからだを車から出してながめて見ると、その家の大木の桂《かつら》の葉のにおいが風に送られて来て、加茂の祭りのころが思われた。なんとなく好奇心の惹《ひ》かれる家であると思って、考えてみると、それはただ一度だけ来たことのある女の家であった。長く省みなかった自分が訪《たず》ねて行っても、もう忘れているかもしれないがなどと思いながらも、通り過ぎる気にはなれないで、じっとその家を見ている時に杜鵑《ほととぎす》が啼《な》いて通った。源氏に何事かを促すようであったから、車を引き返させて、こんな役に馴《な》れた惟光《これみつ》を使いにやった。

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をちかへりえぞ忍ばれぬ杜鵑ほの語らひし宿の垣根《かきね》に
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 この歌を言わせたのである。惟光がはいって行くと、この家の寝殿ともいうような所の西の端の座敷に女房たちが集まって、何か話をしていた。以前にもこうした使いに来て、聞き覚えのある声であったから、惟光は声をかけてから源氏の歌を伝えた。座敷の中で若い女房たちらしい声で何かささやいている。だれの訪れであるかがわからないらしい。

[#ここから2字下げ]
ほととぎす語らふ声はそれながらあなおぼつかな五月雨《さみだれ》の空
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 こんな返歌をするのは、わからないふうをわざと作っているらしいので、
「では門違いなのでしょうよ」
 と惟光が言って、出て行くのを、主人《あるじ》の女だけは心の中でくやしく思い、寂しくも思った。知らぬふりをしなければならないのであろう、もっともであると源氏は思いながらも物足らぬ気がした。この女と同じほどの階級の女としては九州に行っている五節《ごせち》が可憐《かれん》であったと源氏は思った。どんな所にも源氏の心を惹《ひ》くものがあって、それがそれ相応に源氏を悩ましているのである。長い時間を中に置いていても、同じように愛し、同じように愛されようと望んでいて、多数の女の物思いの原因は源氏から与えられているとも言えるのである。
 目的にして行った家は、何事も想像していたとおりで、人少なで、寂しくて、身にしむ思いのする家だった。最初に女御の居間のほうへ訪ねて行って、話しているうちに夜がふけた。二十日月が上って、大きい木の多い庭がいっそう暗い蔭《かげ》がちになって、軒に近い橘《たちばな》の木がなつかしい香を送る。女御はもうよい年配になっているのであるが、柔らかい気分の受け取れる上品な人であった。すぐれて時めくようなことはなかったが、愛すべき人として院が見ておいでになったと、源氏はまた昔の宮廷を思い出して、それから次々に昔恋しいいろいろなことを思って泣いた。杜鵑がさっき町で聞いた声で啼《な》いた。同じ鳥が追って来たように思われて源氏はおもしろく思った。「いにしへのこと語らへば杜鵑いかに知りてか」という古歌を小声で歌ってみたりもした。

[#ここから1字下げ]
「橘の香をなつかしみほととぎす花散る里を訪ねてぞとふ
[#ここで字下げ終わり]

 昔の御代《みよ》が恋しくてならないような時にはどこよりもこちらへ来るのがよいと今わかりました。非常に慰められることも、また悲しくなることもあります。時代に順応しようとする人ばかりですから、昔のことを言うのに話し相手がだんだん少なくなってまいります。しかしあなたは私以上にお寂しいでしょう」
 と源氏に言われて、もとから孤独の悲しみの中に浸っている女御も、今さらのようにまた心がしんみりと寂しくなって行く様子が見える。人柄も同情をひく優しみの多い女御なのであった。

[#ここから2字下げ]
人目なく荒れたる宿は橘の花こそ軒のつまとなりけれ
[#ここで字下げ終わり]

 とだけ言うのであるが、さすがにこれは貴女《きじょ》であると源氏は思った。さっきの家の女以来幾人もの女性を思い出していたのであるが、それとこれとが比べ合わせられたのである。
 西座敷のほうへは、静かに親しいふうではいって行った。忍びやかに目の前へ現われて来た美しい恋人を見て、どれほどの恨みが女にあっても忘却してしまったに違いない。恋しかったことをいろいろな言葉にして源氏は告げていた。嘘《うそ》ではないのである。源氏の恋人である人は初めから平凡な階級でないせいであるか、何らかの特色を備えてない人は稀《まれ》であった。好意を持ち合って長く捨てない、こんな間柄でいることを肯定のできない人は去って行く。それもしかたがないと源氏は思っているのである。さっきの町の家の女もその一人で、現在はほかに愛人を持つ女であった。

花散里 版本说明

底本:「全訳源氏物語 上巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年8月10日改版初版発行
   1994(平成6)年12月20日56版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月5日71版を使用しました。
入力:上田英代
校正:kumi
2003年7月13日作成
青空文庫作成ファイル:
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12 須磨

[#地から3字上げ]人恋ふる涙をわすれ大海へ引かれ行く
[#地から3字上げ]べき身かと思ひぬ     (晶子)

 当帝の外戚の大臣一派が極端な圧迫をして源氏に不愉快な目を見せることが多くなって行く。つとめて冷静にはしていても、このままで置けば今以上な禍《わざわ》いが起こって来るかもしれぬと源氏は思うようになった。源氏が隠栖《いんせい》の地に擬している須磨《すま》という所は、昔は相当に家などもあったが、近ごろはさびれて人口も稀薄《きはく》になり、漁夫の住んでいる数もわずかであると源氏は聞いていたが、田舎《いなか》といっても人の多い所で、引き締まりのない隠栖になってしまってはいやであるし、そうかといって、京にあまり遠くては、人には言えぬことではあるが夫人のことが気がかりでならぬであろうしと、煩悶《はんもん》した結果須磨へ行こうと決心した。この際は源氏の心に上ってくる過去も未来も皆悲しかった。いとわしく思った都も、いよいよ遠くへ離れて行こうとする時になっては、捨て去りがたい気のするものの多いことを源氏は感じていた。その中でも若い夫人が、近づく別れを日々に悲しんでいる様子の哀れさは何にもまさっていたましかった。この人とはどんなことがあっても再会を遂げようという覚悟はあっても、考えてみれば、一日二日の外泊をしていても恋しさに堪えられなかったし、女王《にょおう》もその間は同じように心細がっていたそんな間柄であるから、幾年と期間の定まった別居でもなし、無常の人世では、仮の別れが永久の別れになるやも計られないのであると、源氏は悲しくて、そっといっしょに伴って行こうという気持ちになることもあるのであるが、そうした寂しい須磨のような所に、海岸へ波の寄ってくるほかは、人の来訪することもない住居《すまい》に、この華麗な貴女《きじょ》と同棲《どうせい》していることは、あまりに不似合いなことではあるし、自身としても妻のいたましさに苦しまねばならぬであろうと源氏は思って、それはやめることにしたのを、夫人は、
「どんなひどい所だって、ごいっしょでさえあれば私はいい」
 と言って、行きたい希望のこばまれるのを恨めしく思っていた。
 花散里《はなちるさと》の君も、源氏の通って来ることは少なくても、一家の生活は全部源氏の保護があってできているのであるから、この変動の前に心をいためているのはもっともなことと言わねばならない。源氏の心にたいした愛があったのではなくても、とにかく情人として時々通って来ていた所々では、人知れず心をいためている女も多数にあった。入道の宮からも、またこんなことで自身の立場を不利に導く取り沙汰が作られるかもしれぬという遠慮を世間へあそばしながらの御慰問が始終源氏にあった。昔の日にこの熱情が見せていただけたことであったならと源氏は思って、この方のために始終物思いをせねばならぬ運命が恨めしかった。三月の二十幾日に京を立つことにしたのである。世間へは何とも発表せずに、きわめて親密に思っている家司《けいし》七、八人だけを供にして、簡単な人数で出かけることにしていた。恋人たちの所へは手紙だけを送って、ひそかに別れを告げた。形式的なものでなくて、真情のこもったもので、いつまでも自分を忘れさすまいとした手紙を書いたのであったから、きっと文学的におもしろいものもあったに違いないが、その時分に筆者はこのいたましい出来事に頭を混乱させていて、それらのことを注意して聞いておかなかったのが残念である。
 出発前二、三日のことである、源氏はそっと左大臣家へ行った。簡単な網代車《あじろぐるま》で、女の乗っているようにして奥のほうへ寄っていることなども、近侍者には悲しい夢のようにばかり思われた。昔使っていた住居《すまい》のほうは源氏の目に寂しく荒れているような気がした。若君の乳母《めのと》たちとか、昔の夫人の侍女で今も残っている人たちとかが、源氏の来たのを珍しがって集まって来た。今日の不幸な源氏を見て、人生の認識のまだ十分できていない若い女房なども皆泣く。かわいい顔をした若君がふざけながら走って来た。
「長く見ないでいても父を忘れないのだね」
 と言って、膝《ひざ》の上へ子をすわらせながらも源氏は悲しんでいた。左大臣がこちらへ来て源氏に逢《あ》った。
「おひまな間に伺って、なんでもない昔の話ですがお目にかかってしたくてなりませんでしたものの、病気のために御奉公もしないで、官庁へ出ずにいて、私人としては暢気《のんき》に人の交際もすると言われるようでは、それももうどうでもいいのですが、今の社会はそんなことででもなんらかの危害が加えられますから恐《こわ》かったのでございます。あなたの御失脚を拝見して、私は長生きをしているから、こんな情けない世の中も見るのだと悲しいのでございます。末世です。天地をさかさまにしてもありうることでない現象でございます。何もかも私はいやになってしまいました」
 としおれながら言う大臣であった。
「何事も皆前生の報いなのでしょうから、根本的にいえば自分の罪なのです。私のように官位を剥奪《はくだつ》されるほどのことでなくても、勅勘《ちょっかん》の者は普通人と同じように生活していることはよろしくないとされるのはこの国ばかりのことでもありません。私などのは遠くへ追放するという条項もあるのですから、このまま京におりましてはなおなんらかの処罰を受けることと思われます。冤罪《えんざい》であるという自信を持って京に留まっていますことも朝廷へ済まない気がしますし、今以上の厳罰にあわない先に、自分から遠隔の地へ移ったほうがいいと思ったのです」
 などと、こまごま源氏は語っていた。大臣は昔の話をして、院がどれだけ源氏を愛しておいでになったかと、その例を引いて、涙をおさえる直衣《のうし》の袖《そで》を顔から離すことができないのである。源氏も泣いていた。若君が無心に祖父と父の間を歩いて、二人に甘えることを楽しんでいるのに心が打たれるふうである。
「亡《な》くなりました娘のことを、私は少しも忘れることができずに悲しんでおりましたが、今度の事によりまして、もしあれが生きておりましたなら、どんなに歎《なげ》くことであろうと、短命で死んで、この悪夢を見ずに済んだことではじめて慰めたのでございます。小さい方が老祖父母の中に残っておいでになって、りっぱな父君に接近されることのない月日の長かろうと思われますことが私には何よりも最も悲しゅうございます。昔の時代には真実罪を犯した者も、これほどの扱いは受けなかったものです。宿命だと見るほかはありません。外国の朝廷にもずいぶんありますように冤罪にお当たりになったのでございます。しかし、それにしてもなんとか言い出す者があって、世間が騒ぎ出して、処罰はそれからのものですが、どうも訳がわかりません」
 大臣はいろいろな意見を述べた。三位《さんみ》中将も来て、酒が出たりなどして夜がふけたので源氏は泊まることにした。女房たちをその座敷に集めて話し合うのであったが、源氏の隠れた恋人である中納言の君が、人には言えない悲しみを一人でしている様子を源氏は哀れに思えてならないのである。皆が寝たあとに源氏は中納言を慰めてやろうとした。源氏の泊まった理由はそこにあったのである。翌朝は暗い間に源氏は帰ろうとした。明け方の月が美しくて、いろいろな春の花の木が皆盛りを失って、少しの花が若葉の蔭《かげ》に咲き残った庭に、淡く霧がかかって、花を包んだ霞《かすみ》がぼうとその中を白くしている美は、秋の夜の美よりも身にしむことが深い。隅《すみ》の欄干によりかかって、しばらく源氏は庭をながめていた。中納言の君は見送ろうとして妻戸をあけてすわっていた。
「あなたとまた再会ができるかどうか。むずかしい気のすることだ。こんな運命になることを知らないで、逢えば逢うことのできたころにのんきでいたのが残念だ」
 と源氏は言うのであったが、女は何も言わずに泣いているばかりである。
 若君の乳母《めのと》の宰相の君が使いになって、大臣夫人の宮の御|挨拶《あいさつ》を伝えた。
「お目にかかってお話も伺いたかったのですが、悲しみが先だちまして、どうしようもございませんでしたうちに、もうこんなに早くお出かけになるそうです。そうなさらないではならないことになっておりますことも何という悲しいことでございましょう。哀れな人が眠りからさめますまでお待ちになりませんで」
 聞いていて源氏は、泣きながら、

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鳥部《とりべ》山燃えし煙もまがふやと海人《あま》の塩焼く浦見にぞ行く
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 これをお返事の詞《ことば》ともなく言っていた。
「夜明けにする別れはみなこんなに悲しいものだろうか。あなた方は経験を持っていらっしゃるでしょう」
「どんな時にも別れは悲しゅうございますが、今朝《けさ》の悲しゅうございますことは何にも比較ができると思えません」
 宰相の君の声は鼻声になっていて、言葉どおり深く悲しんでいるふうであった。
「ぜひお話ししたく存じますこともあるのでございますが、さてそれも申し上げられませんで煩悶《はんもん》をしております心をお察しください。ただ今よく眠っております人に今朝また逢ってまいることは、私の旅の思い立ちを躊躇《ちゅうちょ》させることになるでございましょうから、冷酷であるでしょうがこのまままいります」
 と源氏は宮へ御|挨拶《あいさつ》を返したのである。帰って行く源氏の姿を女房たちは皆のぞいていた。落ちようとする月が一段明るくなった光の中を、清艶《せいえん》な容姿で、物思いをしながら出て行く源氏を見ては、虎《とら》も狼《おおかみ》も泣かずにはいられないであろう。ましてこの人たちは源氏の少年時代から侍していたのであるから、言いようもなくこの別れを悲しく思ったのである。源氏の歌に対して宮のお返しになった歌は、

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亡《な》き人の別れやいとど隔たらん煙となりし雲井ならでは
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 というのである。今の悲しみに以前の死別の日の涙も添って流れる人たちばかりで、左大臣家は女のむせび泣きの声に満たされた。
 源氏が二条の院へ帰って見ると、ここでも女房は宵《よい》からずっと歎《なげ》き明かしたふうで、所々にかたまって世の成り行きを悲しんでいた。家職の詰め所を見ると、親しい侍臣は源氏について行くはずで、その用意と、家族たちとの別れを惜しむために各自が家のほうへ行っていてだれもいない。家職以外の者も始終集まって来ていたものであるが、訪《たず》ねて来ることは官辺の目が恐ろしくてだれもできないのである。これまで門前に多かった馬や車はもとより影もないのである。人生とはこんなに寂しいものであったのだと源氏は思った。食堂の大食卓なども使用する人数が少なくて、半分ほどは塵《ちり》を積もらせていた。畳は所々裏向けにしてあった。自分がいるうちにすでにこうである、まして去ってしまったあとの家はどんなに荒涼たるものになるだろうと源氏は思った。西の対《たい》へ行くと、格子《こうし》を宵のままおろさせないで、物思いをする夫人が夜通し起きていたあとであったから、縁側の所々に寝ていた童女などが、この時刻にやっと皆起き出して、夜の姿のままで往来するのも趣のあることであったが、気の弱くなっている源氏はこんな時にも、何年かの留守《るす》の間にはこうした人たちも散り散りにほかへ移って行ってしまうだろうと、そんなはずのないことまでも想像されて心細くなるのであった。源氏は夫人に、左大臣家を別れに訪《たず》ねて、夜がふけて一泊したことを言った。
「それをあなたはほかの事に疑って、くやしがっていませんでしたか。もうわずかしかない私の京の時間だけは、せめてあなたといっしょにいたいと私は望んでいるのだけれど、いよいよ遠くへ行くことになると、ここにもかしこにも行っておかねばならない家が多いのですよ。人間はだれがいつ死ぬかもしれませんから、恨めしいなどと思わせたままになっては悪いと思うのですよ」
「あなたのことがこうなった以外のくやしいことなどは私にない」
 とだけ言っている夫人の様子にも、他のだれよりも深い悲しみの見えるのを、源氏はもっともであると思った。父の親王は初めからこの女王《にょおう》に、手もとで育てておいでになる姫君ほどの深い愛を持っておいでにならなかったし、また現在では皇太后派をはばかって、よそよそしい態度をおとりになり、源氏の不幸も見舞いにおいでにならないのを、夫人は人聞きも恥ずかしいことであると思って、存在を知られないままでいたほうがかえってよかったとも悔やんでいた。継母である宮の夫人が、ある人に、
「あの人が突然幸福な女になって出現したかと思うと、すぐにもうその夢は消えてしまうじゃないか。お母《かあ》さん、お祖母《ばあ》さん、今度は良人《おっと》という順にだれにも短い縁よりない人らしい」
 と言った言葉を、宮のお邸《やしき》の事情をよく知っている人があって話したので、女王は情けなく恨めしく思って、こちらからも音信をしない絶交状態であって、そのほかにはだれ一人たよりになる人を持たない孤独の女王であった。
「私がいつまでも現状に置かれるのだったら、どんなひどい侘《わ》び住居《ずまい》であってもあなたを迎えます。今それを実行することは人聞きが穏やかでないから、私は遠慮してしないだけです。勅勘の人というものは、明るい日月の下へ出ることも許されていませんからね。のんきになっていては罪を重ねることになるのです。私は犯した罪のないことは自信しているが、前生の因縁か何かでこんなことにされているのだから、まして愛妻といっしょに配所へ行ったりすることは例のないことだから、常識では考えることもできないようなことをする政府にまた私を迫害する口実を与えるようなものですからね」
 などと源氏は語っていた。昼に近いころまで源氏は寝室にいたが、そのうちに帥《そつ》の宮がおいでになり、三位中将も来邸した。面会をするために源氏は着がえをするのであったが、
「私は無位の人間だから」
 と言って、無地の直衣《のうし》にした。それでかえって艶《えん》な姿になったようである。鬢《びん》を掻《か》くために鏡台に向かった源氏は、痩《や》せの見える顔が我ながらきれいに思われた。
「ずいぶん衰えたものだ。こんなに痩せているのが哀れですね」
 と源氏が言うと、女王は目に涙を浮かべて鏡のほうを見た。源氏の心は悲しみに暗くなるばかりである。

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身はかくてさすらへぬとも君があたり去らぬ鏡のかげははなれじ
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 と源氏が言うと、

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別れても影だにとまるものならば鏡を見てもなぐさめてまし
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 言うともなくこう言いながら、柱に隠されるようにして涙を紛らしている若紫の優雅な美は、なおだれよりもすぐれた恋人であると源氏にも認めさせた。親王と三位中将は身にしむ話をして夕方帰った。
 花散里《はなちるさと》が心細がって、今度のことが決まって以来始終手紙をよこすのも、源氏にはもっともなことと思われて、あの人ももう一度逢いに行ってやらねば恨めしく思うであろうという気がして、今夜もまたそこへ行くために家を出るのを、源氏は自身ながらも物足らず寂しく思われて、気が進まなかったために、ずっとふけてから来たのを、
「ここまでも別れにお歩きになる所の一つにしてお寄りくださいましたとは」
 こんなことを言って喜んだ女御《にょご》のことなどは少し省略して置く。この心細い女兄弟は源氏の同情によってわずかに生活の体面を保っているのであるから、今後はどうなって行くかというような不安が、寂しい家の中に漂っているように源氏は見た。おぼろな月がさしてきて、広い池のあたり、木の多い築山《つきやま》のあたりが寂しく見渡された時、まして須磨の浦は寂しいであろうと源氏は思った。西座敷にいる姫君は、出発の前二日になってはもう源氏の来訪は受けられないものと思って、気をめいらせていたのであったが、しめやかな月の光の中を、源氏がこちらへ歩いて来たのを知って、静かに膝行《いざ》って出た。そしてそのまま二人は並んで月をながめながら語っているうちに明け方近い時になった。
「夜が短いのですね。ただこんなふうにだけでもいっしょにいられることがもうないかもしれませんね。私たちがまだこんないやな世の中の渦中《かちゅう》に巻き込まれないでいられたころを、なぜむだにばかりしたのでしょう。過去にも未来にも例の少ないような不幸な男になるのを知らないで、あなたといっしょにいてよい時間をなぜこれまでにたくさん作らなかったのだろう」
 恋の初めから今日までのことを源氏が言い出して、感傷的な話の尽きないのであるが、鶏ももうたびたび鳴いた。源氏はやはり世間をはばかって、ここからも早暁に出て行かねばならないのである。月がすっとはいってしまう時のような気がして女心は悲しかった。月の光がちょうど花散里《はなちるさと》の袖の上にさしているのである。「宿る月さへ濡《ぬ》るる顔なる」という歌のようであった。

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月影の宿れる袖《そで》は狭くともとめてぞ見ばや飽かぬ光を
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 こう言って、花散里の悲しがっている様子があまりに哀れで、源氏のほうから慰めてやらねばならなかった。

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「行きめぐりつひにすむべき月影のしばし曇らん空なながめそ
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 はかないことだ。私は希望を持っているのだが、反対に涙が流れてきて心を暗くされますよ」
 と源氏は言って、夜明け前の一時的に暗くなるころに帰って行った。
 源氏はいよいよ旅の用意にかかった。源氏に誠意を持って仕えて、現在の権勢に媚《こ》びることを思わない人たちを選んで、家司《けいし》として留守《るす》中の事務を扱う者をまず上から下まで定めた。随行するのは特にまたその中から選ばれた至誠の士である。隠栖《いんせい》の用に持って行くのは日々必要な物だけで、それも飾りけのない質素な物を選んだ。それから書籍類、詩集などを入れた箱、そのほかには琴を一つだけ携えて行くことにした。たくさんにある手道具や華奢《かしゃ》な工芸品は少しも持って行かない。一平民の質素な隠栖者になろうとするのである。源氏は今まで召し使っていた男女をはじめ、家のこと全部を西の対へ任せることにした。私領の荘園、牧場、そのほか所有権のあるものの証券も皆夫人の手もとへ置いて行くのであった。なおそのほかに物資の蓄蔵されてある幾つの倉庫、納殿《おさめどの》などのことも、信用する少納言の乳母《めのと》を上にして何人かの家司をそれにつけて、夫人の物としてある財産の管理上の事務を取らせることに計らったのである。
 これまで東の対の女房として源氏に直接使われていた中の、中務《なかつかさ》、中将などという源氏の愛人らは、源氏の冷淡さに恨めしいところはあっても、接近して暮らすことに幸福を認めて満足していた人たちで、今後は何を楽しみに女房勤めができようと思ったのであるが、
「長生きができてまた京へ帰るかもしれない私の所にいたいと思う人は西の対で勤めているがいい」
 と源氏は言って、上から下まですべての女房を西の対へ来させた。そして女の生活に必要な絹布類を豊富に分けて与えた。左大臣家にいる若君の乳母たちへも、また花散里へもそのことをした。華美な物もあったが、何年間かに必要な実用的な物も多くそろえて贈ったのである。源氏はまた途中の人目を気づかいながら尚侍《ないしのかみ》の所へも別れの手紙を送った。
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あなたから何とも言ってくださらないのも道理なようには思えますが、いよいよ京を去る時になってみますと、悲しいと思われることも、恨めしさも強く感ぜられます。

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逢瀬《あふせ》なき涙の川に沈みしや流るるみをの初めなりけん

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こんなに人への執着が強くては仏様に救われる望みもありません。
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 間で盗み見されることがあやぶまれて細かには書けなかったのである。手紙を読んだ尚侍は非常に悲しがった。流れて出る涙はとめどもなかった。

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涙川浮ぶ水沫《みなわ》も消えぬべし別れてのちの瀬をもまたずて
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 泣き泣き乱れ心で書いた、乱れ書きの字の美しいのを見ても、源氏の心は多く惹《ひ》かれて、この人と最後の会見をしないで自分は行かれるであろうかとも思ったが、いろいろなことが源氏を反省させた。恋しい人の一族が源氏の排斥を企てたのであることを思って、またその人の立場の苦しさも推し量って、手紙を送る以上のことはしなかった。
 出立の前夜に源氏は院のお墓へ謁するために北山へ向かった。明け方にかけて月の出るころであったから、それまでの時間に源氏は入道の宮へお暇乞《いとまご》いに伺候した。お居間の御簾《みす》の前に源氏の座が設けられて、宮御自身でお話しになるのであった。宮は東宮のことを限りもなく不安に思召《おぼしめ》す御様子である。聡明《そうめい》な男女が熱を内に包んで別れの言葉をかわしたのであるが、それには洗練された悲哀というようなものがあった。昔に少しも変わっておいでにならないなつかしい美しい感じの受け取れる源氏は、過去の十数年にわたる思慕に対して、冷たい理智《りち》の一面よりお見せにならなかった恨みも言ってみたい気になるのであったが、今は尼であって、いっそう道義的になっておいでになる方にうとましいと思われまいとも考え、自分ながらもその口火を切ってしまえば、どこまで頭が混乱してしまうかわからない恐れもあって心をおさえた。
「こういたしました意外な罪に問われますことになりましても、私は良心に思い合わされることが一つございまして空恐ろしく存じます。私はどうなりましても東宮が御無事に即位あそばせば私は満足いたします」
 とだけ言った。それは真実の告白であった。宮も皆わかっておいでになることであったから源氏のこの言葉で大きな衝動をお受けになっただけで、何ともお返辞はあそばさなかった。初恋人への怨恨《えんこん》、父性愛、別離の悲しみが一つになって泣く源氏の姿はあくまでも優雅であった。
「これから御陵へ参りますが、お言《こと》づてがございませんか」
 と源氏は言ったが、宮のお返辞はしばらくなかった。躊躇《ちゅうちょ》をしておいでになる御様子である。

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見しは無く有るは悲しき世のはてを背《そむ》きしかひもなくなくぞ経《ふ》る
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 宮はお悲しみの実感が余って、歌としては完全なものがおできにならなかった。

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別れしに悲しきことは尽きにしをまたもこの世の憂《う》さは勝《まさ》れる
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 これは源氏の作である。やっと月が出たので、三条の宮を源氏は出て御陵へ行こうとした。供はただ五、六人つれただけである。下の侍も親しい者ばかりにして馬で行った。今さらなことではあるが以前の源氏の外出に比べてなんという寂しい一行であろう。家従たちも皆悲しんでいたが、その中に昔の斎院の御禊《みそぎ》の日に大将の仮の随身になって従って出た蔵人《くろうど》を兼ねた右近衛将曹《うこんえしょうそう》は、当然今年は上がるはずの位階も進められず、蔵人所の出仕は止められ、官を奪われてしまったので、これも進んで須磨へ行く一人になっているのであるが、この男が下加茂《しもがも》の社《やしろ》がはるかに見渡される所へ来ると、ふと昔が目に浮かんで来て、馬から飛びおりるとすぐに源氏の馬の口を取って歌った。

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ひきつれて葵《あふひ》かざせしそのかみを思へばつらし加茂のみづがき
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 どんなにこの男の心は悲しいであろう、その時代にはだれよりもすぐれてはなやかな青年であったのだから、と思うと源氏は苦しかった。自身もまた馬からおりて加茂の社《やしろ》を遥拝《ようはい》してお暇乞《いとまご》いを神にした。

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うき世をば今ぞ離るる留《とど》まらん名をばただすの神に任せて
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 と歌う源氏の優美さに文学的なこの青年は感激していた。
 父帝の御陵に来て立った源氏は、昔が今になったように思われて、御在世中のことが目の前に見える気がするのであったが、しかし尊い君王も過去の方になっておしまいになっては、最愛の御子の前へも姿をお出しになることができないのは悲しいことである。いろいろのことを源氏は泣く泣く訴えたが、何のお答えも承ることができない。自分のためにあそばされた数々の御遺言はどこへ皆失われたものであろうと、そんなことがまたここで悲しまれる源氏であった。御墓のある所は高い雑草がはえていて、分けてはいる人は露に全身が潤うのである。この時は月もちょうど雲の中へ隠れていて、前方の森が暗く続いているためにきわまりもなくものすごい。もうこのまま帰らないでもいいような気がして、一心に源氏が拝んでいる時に、昔のままのお姿が幻に見えた。それは寒けがするほどはっきりと見えた幻であった。

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亡《な》き影やいかで見るらんよそへつつ眺《なが》むる月も雲隠れぬる
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 もう朝になるころ源氏は二条の院へ帰った。源氏は東宮へもお暇乞いの御|挨拶《あいさつ》をした。中宮は王命婦《おうみょうぶ》を御自身の代わりに宮のおそばへつけておありになるので、その部屋のほうへ手紙を持たせてやったのである。
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いよいよ今日京を立ちます。もう一度伺って宮に拝顔を得ませぬことが、何の悲しみよりも大きい悲しみに私は思われます。何事も胸中を御推察くだすって、よろしきように宮へ申し上げてください。

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いつかまた春の都の花を見ん時うしなへる山がつにして
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 この手紙は、桜の花の大部分は散った枝へつけてあった。命婦は源氏の今日の出立を申し上げて、この手紙を東宮にお目にかけると、御幼年ではあるがまじめになって読んでおいでになった。
「お返事はどう書きましたらよろしゅうございましょう」
「しばらく逢わないでも私は恋しいのであるから、遠くへ行ってしまったら、どんなに苦しくなるだろうと思うとお書き」
 と宮は仰せられる。なんという御幼稚さだろうと思って命婦はいたましく宮をながめていた。苦しい恋に夢中になっていた昔の源氏、そのある日の場合、ある夜の場合を命婦は思い出して、その恋愛がなかったならお二人にあの長い苦労はさせないでよかったのであろうと思うと、自身に責任があるように思われて苦しかった。返事は、
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何とも申しようがございません。宮様へは申し上げました。お心細そうな御様子を拝見いたします私も非常に悲しゅうございます。
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 と書いたあとは、悲しみに取り乱してよくわからぬ所があった。

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咲きてとく散るは憂《う》けれど行く春は花の都を立ちかへり見よ

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また御運の開けることがきっとございましょう。
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 とも書いて出したが、そのあとでも他の女房たちといっしょに悲しい話をし続けて、東宮の御殿は忍び泣きの声に満ちていた。一日でも源氏を見た者は皆不幸な旅に立つことを悲しんで惜しまぬ人もないのである。まして常に源氏の出入りしていた所では、源氏のほうへは知られていない長女《おさめ》、御厠人《みかわやうど》などの下級の女房までも源氏の慈愛を受けていて、たとえ短い期間で悪夢は終わるとしても、その間は源氏を見ることのできないのを歎《なげ》いていた。世間もだれ一人今度の当局者の処置を至当と認める者はないのであった。七歳から夜も昼も父帝のおそばにいて、源氏の言葉はことごとく通り、源氏の推薦はむだになることもなかった。官吏はだれも源氏の恩をこうむらないものはないのである。源氏に対して感謝の念のない者はないのである。大官の中にも弁官の中にもそんな人は多かった。それ以下は無数である。皆が皆恩を忘れているのではないが、報復に手段を選ばない恐ろしい政府をはばかって、現在の源氏に好意を表示しに来る人はないのである。社会全体が源氏を惜しみ、陰では政府をそしる者、恨む者はあっても、自己を犠牲にしてまで、源氏に同情しても、それが源氏のために何ほどのことにもならぬと思うのであろうが、恨んだりすることは紳士らしくないことであると思いながらも、源氏の心にはつい恨めしくなる人たちもさすがに多くて、人生はいやなものであると何につけても思われた。
 当日は終日夫人と語り合っていて、そのころの例のとおりに早暁に源氏は出かけて行くのであった。狩衣《かりぎぬ》などを着て、簡単な旅装をしていた。
「月が出てきたようだ。もう少し端のほうへ出て来て、見送ってだけでもください。あなたに話すことがたくさん積もったと毎日毎日思わなければならないでしょうよ。一日二日ほかにいても話がたまり過ぎる苦しい私なのだ」
 と言って、御簾《みす》を巻き上げて、縁側に近く女王《にょおう》を誘うと、泣き沈んでいた夫人はためらいながら膝行《いざ》って出た。月の光のさすところに非常に美しく女王はすわっていた。自分が旅中に死んでしまえばこの人はどんなふうになるであろうと思うと、源氏は残して行くのが気がかりになって悲しかったが、そんなことを思い出せば、いっそうこの人を悲しませることになると思って、

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「生ける世の別れを知らで契りつつ命を人に限りけるかな
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 はかないことだった」
 とだけ言った。悲痛な心の底は見せまいとしているのであった。

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惜しからぬ命に代へて目の前の別れをしばしとどめてしがな
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 と夫人は言う。それが真実の心の叫びであろうと思うと、立って行けない源氏であったが、夜が明けてから家を出るのは見苦しいと思って別れて行った。
 道すがらも夫人の面影が目に見えて、源氏は胸を悲しみにふさがらせたまま船に乗った。日の長いころであったし、追い風でもあって午後四時ごろに源氏の一行は須磨に着いた。旅をしたことのない源氏には、心細さもおもしろさも皆はじめての経験であった。大江殿という所は荒廃していて松だけが昔の名残《なごり》のものらしく立っていた。

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唐国《からくに》に名を残しける人よりもゆくへ知られぬ家居《いへゐ》をやせん
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 と源氏は口ずさまれた。渚《なぎさ》へ寄る波がすぐにまた帰る波になるのをながめて、「いとどしく過ぎ行く方の恋しきにうらやましくも帰る波かな」これも源氏の口に上った。だれも知った業平朝臣《なりひらあそん》の古歌であるが、感傷的になっている人々はこの歌に心を打たれていた。来たほうを見ると山々が遠く霞《かす》んでいて、三千里外の旅を歌って、櫂《かい》の雫《しずく》に泣いた詩の境地にいる気もした。

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ふる里を峯の霞《かすみ》は隔つれど眺《なが》むる空は同じ雲井か
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 総てのものが寂しく悲しく見られた。隠栖《いんせい》の場所は行平《ゆきひら》が「藻塩《もしほ》垂《た》れつつ侘《わ》ぶと答へよ」と歌って住んでいた所に近くて、海岸からはややはいったあたりで、きわめて寂しい山の中である。めぐらせた垣根《かきね》も見馴《みな》れぬ珍しい物に源氏は思った。茅葺《かやぶ》きの家であって、それに葦《あし》葺きの廊にあたるような建物が続けられた風流な住居《すまい》になっていた。都会の家とは全然変わったこの趣も、ただの旅にとどまる家であったならきっとおもしろく思われるに違いないと平生の趣味から源氏は思ってながめていた。ここに近い領地の預かり人などを呼び出して、いろいろな仕事を命じたり、良清朝臣《よしきよあそん》などが家職の下役しかせぬことにも奔走するのも哀れであった。きわめて短時日のうちにその家もおもしろい上品な山荘になった。水の流れを深くさせたり、木を植えさせたりして落ち着いてみればみるほど夢の気がした。摂津守《せっつのかみ》も以前から源氏に隷属していた男であったから、公然ではないが好意を寄せていた。そんなことで、準配所であるべき家も人出入りは多いのであるが、はかばかしい話し相手はなくて外国にでもいるように源氏は思われるのであった。こうしたつれづれな生活に何年も辛抱《しんぼう》することができるであろうかと源氏はみずから危《あやぶ》んだ。
 旅|住居《ずまい》がようやく整った形式を備えるようになったころは、もう五月雨《さみだれ》の季節になっていて、源氏は京の事がしきりに思い出された。恋しい人が多かった。歎《なげ》きに沈んでいた夫人、東宮のこと、無心に元気よく遊んでいた若君、そんなことばかりを思って悲しんでいた。源氏は京へ使いを出すことにした。二条の院へと入道の宮へとの手紙は容易に書けなかった。宮へは、

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松島のあまの苫屋《とまや》もいかならん須磨の浦人しほたるる頃《ころ》

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いつもそうでございますが、ことに五月雨にはいりましてからは、悲しいことも、昔の恋しいこともひときわ深く、ひときわ自分の世界が暗くなった気がいたされます。
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 というのであった。尚侍《ないしのかみ》の所へは、例のように中納言の君への私信のようにして、その中へ入れたのには、
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流人《るにん》のつれづれさに昔の追想されることが多くなればなるほど、お逢いしたくてならない気ばかりがされます。

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こりずまの浦のみるめのゆかしきを塩焼くあまやいかが思はん
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 と書いた。なお言葉は多かった。左大臣へも書き、若君の乳母《めのと》の宰相の君へも育児についての注意を源氏は書いて送った。
 京では須磨の使いのもたらした手紙によって思い乱れる人が多かった。二条の院の女王《にょおう》は起き上がることもできないほどの衝撃を受けたのである。焦《こが》れて泣く女王を女房たちはなだめかねて心細い思いをしていた。源氏の使っていた手道具、常に弾《ひ》いていた楽器、脱いで行った衣服の香などから受ける感じは、夫人にとっては人の死んだ跡のようにはげしいものらしかった。夫人のこの状態がまた苦労で、少納言は北山の僧都《そうず》に祈祷《きとう》のことを頼んだ。北山では哀れな肉親の夫人のためと、源氏のために修法《しゅほう》をした。夫人の歎《なげ》きの心が静まっていくことと、幸福な日がまた二人の上に帰ってくることを仏に祈ったのである。二条の院では夏の夜着類も作って須磨へ送ることにした。無位無官の人の用いる※[#「糸+兼」、第3水準1-90-17]《かとり》の絹の直衣《のうし》、指貫《さしぬき》の仕立てられていくのを見ても、かつて思いも寄らなかった悲哀を夫人は多く感じた。鏡の影ほどの確かさで心は常にあなたから離れないだろうと言った、恋しい人の面影はその言葉のとおりに目から離れなくても、現実のことでないことは何にもならなかった。源氏がそこから出入りした戸口、よりかかっていることの多かった柱も見ては胸が悲しみでふさがる夫人であった。今の悲しみの量を過去の幾つの事に比べてみることができたりする年配の人であっても、こんなことは堪えられないに違いないのを、だれよりも睦《むつ》まじく暮らして、ある時は父にも母にもなって愛撫《あいぶ》された保護者で良人《おっと》だった人ににわかに引き離されて女王が源氏を恋しく思うのはもっともである。死んだ人であれば悲しい中にも、時間があきらめを教えるのであるが、これは遠い十万億土ではないが、いつ帰るとも定めて思えない別れをしているのであるのを夫人はつらく思うのである。
 入道の宮も東宮のために源氏が逆境に沈んでいることを悲しんでおいでになった。そのほか源氏との宿命の深さから思っても宮のお歎《なげ》きは、複雑なものであるに違いない。これまではただ世間が恐ろしくて、少しの憐《あわれ》みを見せれば、源氏はそれによって身も世も忘れた行為に出ることが想像されて、動く心もおさえる一方にして、御自身の心までも無視して冷淡な態度を取り続けられたことによって、うるさい世間であるにもかかわらず何の噂《うわさ》も立たないで済んだのである。源氏の恋にも御自身の内の感情にも成長を与えなかったのは、ただ自分の苦しい努力があったからであると思召《おぼしめ》される宮が、尼におなりになって、源氏が対象とすべくもない解放された境地から源氏を悲しくも恋しくも今は思召されるのであった。お返事も以前のものに比べて情味があった。
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このごろはいっそう、

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しほたるることをやくにて松島に年|経《ふ》るあまもなげきをぞ積む
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 というのであった。尚侍《ないしのかみ》のは、

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浦にたくあまたにつつむ恋なれば燻《くゆ》る煙よ行く方《かた》ぞなき

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今さら申し上げるまでもないことを略します。
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 という短いので、中納言の君は悲しんでいる尚侍の哀れな状態を報じて来た。身にしむ節々《ふしぶし》もあって源氏は涙がこぼれた。紫の女王のは特別にこまやかな情のこめられた源氏の手紙の返事であったから、身にしむことも多く書かれてあった。

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浦人の塩|汲《く》む袖《そで》にくらべ見よ波路隔つる夜の衣を
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 という夫人から、使いに託してよこした夜着や衣服類に洗練された趣味のよさが見えた。源氏はどんなことにもすぐれた女になった女王がうれしかった。青春時代の恋愛も清算して、この人と静かに生を楽しもうとする時になっていたものをと思うと、源氏は運命が恨めしかった。夜も昼も女王の面影を思うことになって、堪えられぬほど恋しい源氏は、やはり若紫は須磨へ迎えようという気になった。左大臣からの返書には若君のことがいろいろと書かれてあって、それによってまた平生以上に子と別れている親の情は動くのであるが、頼もしい祖父母たちがついていられるのであるから、気がかりに思う必要はないとすぐに考えられて、子の闇《やみ》という言葉も、愛妻を思う煩悩《ぼんのう》の闇に比べて薄いものらしくこの人には見えた。
 源氏が須磨へ移った初めの記事の中に筆者は書き洩《も》らしてしまったが伊勢《いせ》の御息所《みやすどころ》のほうへも源氏は使いを出したのであった。あちらからもまたはるばると文《ふみ》を持って使いがよこされた。熱情的に書かれた手紙で、典雅な筆つきと見えた。
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どうしましても現実のことと思われませんような御|隠栖《いんせい》のことを承りました。あるいはこれもまだ私の暗い心から、夜の夢の続きを見ているのかもしれません。なお幾年もそうした運命の中にあなたがお置かれになることはおそらくなかろうと思われます。それを考えますと、罪の深い私は何時をはてともなくこの海の国にさすらえていなければならないことかと思われます。

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うきめかる伊勢をの海人《あま》を思ひやれもしほ垂《た》るてふ須磨の浦にて

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世の中はどうなるのでしょう。不安な思いばかりがいたされます。

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伊勢島や潮干《しほひ》のかたにあさりても言ふかひなきはわが身なりけり
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 などという長いものである。源氏の手紙に衝動を受けた御息所はあとへあとへと書き続《つ》いで、白い支那《しな》の紙四、五枚を巻き続けてあった。書風も美しかった。愛していた人であったが、その人の過失的な行為を、同情の欠けた心で見て恨んだりしたことから、御息所も恋をなげうって遠い国へ行ってしまったのであると思うと、源氏は今も心苦しくて、済まない目にあわせた人として御息所を思っているのである。そんな所へ情のある手紙が来たのであったから、使いまでも恋人のゆかりの親しい者に思われて、二、三日滞留させて伊勢の話を侍臣たちに問わせたりした。若やかな気持ちのよい侍であった。閑居のことであるから、そんな人もやや近い所でほのかに源氏の風貌《ふうぼう》に接することもあって侍は喜びの涙を流していた。伊勢の消息に感動した源氏の書く返事の内容は想像されないこともない。
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こうした運命に出逢う日を予知していましたなら、どこよりも私はあなたとごいっしょの旅に出てしまうべきだったなどと、つれづれさから癖になりました物思いの中にはそれがよく思われます。心細いのです。

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伊勢人の波の上漕ぐ小船《をぶね》にもうきめは刈らで乗らましものを
あまがつむ歎《なげ》きの中にしほたれて何時《いつ》まで須磨の浦に眺《なが》めん

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いつ口ずからお話ができるであろうと思っては毎日同じように悲しんでおります。
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 というのである。こんなふうに、どの人へも相手の心の慰むに足るような愛情を書き送っては返事を得る喜びにまた自身を慰めている源氏であった。花散里《はなちるさと》も悲しい心を書き送って来た。どれにも個性が見えて、恋人の手紙は源氏を慰めぬものもないが、また物思いの催される種《たね》ともなるのである。

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荒れまさる軒のしのぶを眺めつつ繁《しげ》くも露のかかる袖かな
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 と歌っている花散里は、高くなったという雑草のほかに後見《うしろみ》をする者のない身の上なのであると源氏は思いやって、長雨に土塀《どべい》がところどころ崩《くず》れたことも書いてあったために、京の家司《けいし》へ命じてやって、近国にある領地から人夫を呼ばせて花散里の邸《やしき》の修理をさせた。
 尚侍《ないしのかみ》は源氏の追放された直接の原因になった女性であるから、世間からは嘲笑《ちょうしょう》的に注視され、恋人には遠く離れて、深い歎《なげ》きの中に溺《おぼ》れているのを、大臣は最も愛している娘であったから憐《あわ》れに思って、熱心に太后へ取りなしをしたし、帝《みかど》へもお詫びを申し上げたので、尚侍は公式の女官長であって、燕寝《えんしん》に侍する女御《にょご》、更衣《こうい》が起こした問題ではないから、過失として勅免があればそれでよいということになった。帝の御|愛寵《あいちょう》を裏切って情人を持った点をお憎みになったのであるが、赦免の宣旨《せんじ》が出て宮中へまたはいることになっても、尚侍の心は源氏の恋しさに満たされていた。七月になってその事が実現された。非常なお気に入りであったのであるから、人の譏《そし》りも思召《おぼしめ》さずに、お常御殿の宿直所《とのいどころ》にばかり尚侍は置かれていた。お恨みになったり、永久に変わらぬ愛の誓いを仰せられたりする帝の御|風采《ふうさい》はごりっぱで、優美な方なのであるが、これを飽き足らぬものとは自覚していないが、なお尚侍には源氏ばかりが恋しいというのはもったいない次第である。音楽の合奏を侍臣たちにさせておいでになる時に、帝は尚侍へ、
「あの人がいないことは寂しいことだ。私でもそう思うのだから、ほかにはもっと痛切にそう思われる人があるだろう。何の上にも光というものがなくなった気がする」
 と仰せられるのであった。それからまた、
「院の御遺言にそむいてしまった。私は死んだあとで罰せられるに違いない」
 と涙ぐみながらお言いになるのを聞いて、尚侍は泣かずにいられなかった。
「人生はつまらないものだという気がしてきて、それとともにもう決して長くは生きていられないように思われる。私がなくなってしまった時、あなたはどう思いますか、旅へ人の行った時の別れ以上に悲しんでくれないでは私は失望する。生きている限り愛し合おうという約束をして満足している人たちに、私のあなたを思う愛の深さはわからないだろう。私は来世に行ってまであなたと愛し合いたいのだ」
 となつかしい調子で仰せられる、それにはお心の底からあふれるような愛が示されていることであったから、尚侍の涙はほろほろとこぼれた。
「そら、涙が落ちる、どちらのために」
 と帝はお言いになった。
「今まで私に男の子のないのが寂しい。東宮を院のお言葉どおりに自分の子のように私は考えているのだが、いろいろな人間が間にいて、私の愛が徹底しないから心苦しくてならない」
 などとお語りになる。御意志によらない政治を行なう者があって、それを若いお心の弱さはどうなされようもなくて御|煩悶《はんもん》が絶えないらしい。
 秋風が須磨の里を吹くころになった。海は少し遠いのであるが、須磨の関も越えるほどの秋の波が立つと行平《ゆきひら》が歌った波の音が、夜はことに高く響いてきて、堪えがたく寂しいものは謫居《たっきょ》の秋であった。居間に近く宿直《とのい》している少数の者も皆眠っていて、一人の源氏だけがさめて一つ家の四方の風の音を聞いていると、すぐ近くにまで波が押し寄せて来るように思われた。落ちるともない涙にいつか枕《まくら》は流されるほどになっている。琴《きん》を少しばかり弾《ひ》いてみたが、自身ながらもすごく聞こえるので、弾きさして、

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恋ひわびて泣く音《ね》に紛《まが》ふ浦波は思ふ方より風や吹くらん
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 と歌っていた。惟光《これみつ》たちは悽惨《せいさん》なこの歌声に目をさましてから、いつか起き上がって訳もなくすすり泣きの声を立てていた。その人たちの心を源氏が思いやるのも悲しかった。自分一人のために、親兄弟も愛人もあって離れがたい故郷に別れて漂泊の人に彼らはなっているのであると思うと、自分の深い物思いに落ちたりしていることは、その上彼らを心細がらせることであろうと源氏は思って、昼間は皆といっしょに戯談《じょうだん》を言って旅愁を紛らそうとしたり、いろいろの紙を継がせて手習いをしたり、珍しい支那《しな》の綾《あや》などに絵を描《か》いたりした。その絵を屏風《びょうぶ》に貼《は》らせてみると非常におもしろかった。源氏は京にいたころ、風景を描くのに人の話した海陸の好風景を想像して描いたが、写生のできる今日になって描かれる絵は生き生きとした生命《いのち》があって傑作が多かった。
「現在での大家だといわれる千枝《ちえだ》とか、常則《つねのり》とかいう連中を呼び寄せて、ここを密画に描かせたい」
 とも人々は言っていた。美しい源氏と暮らしていることを無上の幸福に思って、四、五人はいつも離れずに付き添っていた。庭の秋草の花のいろいろに咲き乱れた夕方に、海の見える廊のほうへ出てながめている源氏の美しさは、あたりの物が皆|素描《あらがき》の画《え》のような寂しい物であるだけいっそう目に立って、この世界のものとは思えないのである。柔らかい白の綾《あや》に薄紫を重ねて、藍《あい》がかった直衣《のうし》を、帯もゆるくおおように締めた姿で立ち「釈迦牟尼仏弟子《しゃかむにぶつでし》」と名のって経文を暗誦《そらよ》みしている声もきわめて優雅に聞こえた。幾つかの船が唄声《うたごえ》を立てながら沖のほうを漕《こ》ぎまわっていた。形はほのかで鳥が浮いているほどにしか見えぬ船で心細い気がするのであった。上を通る一列の雁《かり》の声が楫《かじ》の音によく似ていた。涙を払う源氏の手の色が、掛けた黒木の数珠《じゅず》に引き立って見える美しさは、故郷《ふるさと》の女恋しくなっている青年たちの心を十分に緩和させる力があった。

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初雁《はつかり》は恋しき人のつらなれや旅の空飛ぶ声の悲しき
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 と源氏が言う。良清《よしきよ》、

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かきつらね昔のことぞ思ほゆる雁はそのよの友ならねども
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 民部大輔《みんぶたゆう》惟光《これみつ》、

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心から常世《とこよ》を捨てて鳴く雁を雲のよそにも思ひけるかな
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 前右近丞《ぜんうこんのじょう》が、

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「常世《とこよ》出《い》でて旅の空なるかりがねも列《つら》に後《おく》れぬほどぞ慰む
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 仲間がなかったらどんなだろうと思います」
 と言った。常陸介《ひたちのすけ》になった親の任地へも行かずに彼はこちらへ来ているのである。煩悶《はんもん》はしているであろうが、いつもはなやかな誇りを見せて、屈託なくふるまう青年である。明るい月が出て、今日が中秋の十五夜であることに源氏は気がついた。宮廷の音楽が思いやられて、どこでもこの月をながめているであろうと思うと、月の顔ばかりが見られるのであった。「二千里外故人心《にせんりぐわいこじんのこころ》」と源氏は吟じた。青年たちは例のように涙を流して聞いているのである。
 この月を入道の宮が「霧や隔つる」とお言いになった去年の秋が恋しく、それからそれへといろいろな場合の初恋人への思い出に心が動いて、しまいには声を立てて源氏は泣いた。
「もうよほど更《ふ》けました」
 と言う者があっても源氏は寝室へはいろうとしない。

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見るほどぞしばし慰むめぐり合はん月の都ははるかなれども
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 その去年の同じ夜に、なつかしい御調子で昔の話をいろいろあそばすふうが院によく似ておいでになった帝も源氏は恋しく思い出していた。「恩賜御衣今在此《おんしのぎょいいまここにあり》」と口ずさみながら源氏は居間へはいった。恩賜の御衣もそこにあるのである。

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憂《う》しとのみひとへに物は思ほえで左右にも濡《ぬ》るる袖《そで》かな
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 とも歌われた。
 このころに九州の長官の大弐《だいに》が上って来た。大きな勢力を持っていて一門郎党の数が多く、また娘たくさんな大弐ででもあったから、婦人たちにだけ船の旅をさせた。そして所々で陸を行く男たちと海の一行とが合流して名所の見物をしながら来たのであるが、どこよりも風景の明媚《めいび》な須磨の浦に源氏の大将が隠栖《いんせい》していられるということを聞いて、若いお洒落《しゃれ》な年ごろの娘たちは、だれも見ぬ船の中にいながら身なりを気に病んだりした。その中に源氏の情人であった五節《ごせち》の君は、須磨に上陸ができるのでもなくて哀愁の情に堪えられないものがあった。源氏の弾《ひ》く琴の音《ね》が浦風の中に混じってほのかに聞こえて来た時、この寂しい海べと薄倖《はっこう》な貴人とを考え合わせて、人並みの感情を持つ者は皆泣いた。大弐は源氏へ挨拶《あいさつ》をした。
「はるかな田舎《いなか》から上ってまいりました私は、京へ着けばまず伺候いたしまして、あなた様から都のお話を伺わせていただきますことを空想したものでございました。意外な政変のために御|隠栖《いんせい》になっております土地を今日通ってまいります。非常にもったいないことと存じ、悲しいことと思うのでございます。親戚と知人とがもう京からこの辺へ迎えにまいっておりまして、それらの者がうるそうございますから、お目にかかりに出ないのでございますが、またそのうち別に伺わせていただきます」
 というのであって、子の筑前守《ちくぜんのかみ》が使いに行ったのである。源氏が蔵人《くろうど》に推薦して引き立てた男であったから、心中に悲しみながらも人目をはばかってすぐに帰ろうとしていた。
「京を出てからは昔懇意にした人たちともなかなか逢《あ》えないことになっていたのに、わざわざ訪《たず》ねて来てくれたことを満足に思う」
 と源氏は言った。大弐への返答もまたそんなものであった。筑前守は泣く泣く帰って、源氏の住居《すまい》の様子などを報告すると、大弐をはじめとして、京から来ていた迎えの人たちもいっしょに泣いた。五節《ごせち》の君は人に隠れて源氏へ手紙を送った。

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琴の音にひきとめらるる綱手縄《つなてなは》たゆたふ心君知るらめや

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音楽の横好きをお笑いくださいますな。
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 と書かれてあるのを、源氏は微笑しながらながめていた。若い娘のきまり悪そうなところのよく出ている手紙である。

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心ありてひくての綱のたゆたはば打ち過ぎましや須磨の浦波

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漁村の海人《あま》になってしまうとは思わなかったことです。
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 これは源氏の書いた返事である。明石《あかし》の駅長に詩を残した菅公のように源氏が思われて、五節は親兄弟に別れてもここに残りたいと思うほど同情した。
 京では月日のたつにしたがって光源氏のない寂寥《せきりょう》を多く感じた。陛下もそのお一人であった。まして東宮は常に源氏を恋しく思召《おぼしめ》して、人の見ぬ時には泣いておいでになるのを、乳母《めのと》たちは哀れに拝見していた。王命婦《おうみょうぶ》はその中でもことに複雑な御同情をしているのである。入道の宮は東宮の御地位に動揺をきたすようなことのないかが常に御不安であった。源氏までも失脚してしまった今日では、ただただ心細くのみ思っておいでになった。源氏の御弟の宮たちそのほか親しかった高官たちは初めのころしきりに源氏と文通をしたものである。人の身にしむ詩歌が取りかわされて、それらの源氏の作が世上にほめられることは非常に太后のお気に召さないことであった。
「勅勘を受けた人というものは、自由に普通の人らしく生活することができないものなのだ。風流な家に住んで現代を誹謗《ひぼう》して鹿《しか》を馬だと言おうとする人間に阿《おもね》る者がある」
 とお言いになって、報復の手の伸びて来ることを迷惑に思う人たちは警戒して、もう消息を近来しなくなった。二条の院の姫君は時がたてばたつほど、悲しむ度も深くなっていった。東の対にいた女房もこちらへ移された初めは、自尊心の多い彼女たちであるから、たいしたこともなくて、ただ源氏が特別に心を惹《ひ》かれているだけの女性であろうと女王を考えていたが、馴《な》れてきて夫人のなつかしく美しい容姿に、誠実な性格に、暖かい思いやりのある人扱いに敬服して、だれ一人|暇《いとま》を乞《こ》う者もない。良い家から来ている人たちには夫人も顔を合わせていた。だれよりも源氏が愛している理由がわかったように彼女たちは思うのであった。
 須磨のほうでは紫の女王《にょおう》との別居生活がこのまま続いて行くことは堪えうることでないと源氏は思っているのであるが、自分でさえ何たる宿命でこうした生活をするのかと情けない家に、花のような姫君を迎えるという事はあまりに思いやりのないことであるとまた思い返されもするのである。下男や農民に何かと人の小言《こごと》を言う事なども居間に近い所で行なわれる時、あまりにもったいないことであると源氏自身で自身を思うことさえもあった。近所で時々煙の立つのを、これが海人《あま》の塩を焼く煙なのであろうと源氏は長い間思っていたが、それは山荘の後ろの山で柴《しば》を燻《く》べている煙であった。これを聞いた時の作、

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山がつの庵《いほり》に焚《た》けるしばしばも言問ひ来なむ恋ふる里人
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 冬になって雪の降り荒れる日に灰色の空をながめながら源氏は琴を弾《ひ》いていた。良清《よしきよ》に歌を歌わせて、惟光《これみつ》には笛の役を命じた。細かい手を熱心に源氏が弾き出したので、他の二人は命ぜられたことをやめて琴の音に涙を流していた。漢帝が北夷《ほくい》の国へおつかわしになった宮女の琵琶《びわ》を弾いてみずから慰めていた時の心持ちはましてどんなに悲しいものであったであろう、それが現在のことで、自分の愛人などをそうして遠くへやるとしたら、とそんなことを源氏は想像したが、やがてそれが真実のことのように思われて来て、悲しくなった。源氏は「胡角一声霜後夢《こかくいっせいそうごのゆめ》」と王昭君《おうしょうくん》を歌った詩の句が口に上った。月光が明るくて、狭い家は奥の隅々《すみずみ》まで顕《あら》わに見えた。深夜の空が縁側の上にあった。もう落ちるのに近い月がすごいほど白いのを見て、「唯是西行不左遷《ただこれにしへゆくさせんにあらず》」と源氏は歌った。

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何方《いづかた》の雲路にわれも迷ひなん月の見るらんことも恥《はづ》かし
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 とも言った。例のように源氏は終夜眠れなかった。明け方に千鳥が身にしむ声で鳴いた。

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友千鳥|諸声《もろごゑ》に鳴く暁は一人|寝覚《ねざ》めの床《とこ》も頼もし
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 だれもまだ起きた影がないので、源氏は何度もこの歌を繰り返して唱えていた。まだ暗い間に手水《ちょうず》を済ませて念誦《ねんず》をしていることが侍臣たちに新鮮な印象を与えた。この源氏から離れて行く気が起こらないで、仮に京の家へ出かけようとする者もない。
 明石《あかし》の浦は這《は》ってでも行けるほどの近さであったから、良清朝臣《よしきよあそん》は明石の入道の娘を思い出して手紙を書いて送ったりしたが返書は来なかった。父親の入道から相談したいことがあるからちょっと逢いに来てほしいと言って来た。求婚に応じてくれないことのわかった家を訪問して、失望した顔でそこを出て来る恰好《かっこう》は馬鹿《ばか》に見えるだろうと、良清は悪いほうへ解釈して行こうとしない。すばらしく自尊心は強くても、現在の国の長官の一族以外にはだれにも尊敬を払わない地方人の心理を知らない入道は、娘への求婚者を皆門外に追い払う態度を取り続けていたが、源氏が須磨に隠栖《いんせい》をしていることを聞いて妻に言った。
「桐壺《きりつぼ》の更衣《こうい》のお生みした光源氏の君が勅勘で須磨に来ていられるのだ。私の娘の運命についてある暗示を受けているのだから、どうかしてこの機会に源氏の君に娘を差し上げたいと思う」
「それはたいへんまちがったお考えですよ。あの方はりっぱな奥様を何人も持っていらっしって、その上陛下の御愛人をお盗みになったことが問題になって失脚をなすったのでしょう。そんな方が田舎《いなか》育ちの娘などを眼中にお置きになるものですか」
 と妻は言った。入道は腹を立てて、
「あなたに口を出させないよ。私には考えがあるのだ。結婚の用意をしておきなさい。機会を作って明石へ源氏の君をお迎えするから」
 と勝手ほうだいなことを言うのにも、風変わりな性格がうかがわれた。娘のためにはまぶしい気がするほどの華奢《かしゃ》な設備のされてある入道の家であった。
「なぜそうしなければならないのでしょう。どんなにごりっぱな方でも娘のはじめての結婚に罪があって流されて来ていらっしゃる方を婿にしようなどと、私はそんな気がしません。それも愛してくださればよろしゅうございますが、そんなことは想像もされない。戯談《じょうだん》にでもそんなことはおっしゃらないでください」
 と妻が言うと、入道はくやしがって、何か口の中でぶつぶつ言っていた。
「罪に問われることは、支那《しな》でもここでも源氏の君のようなすぐれた天才的な方には必ずある災厄なのだ、源氏の君は何だと思う、私の叔父《おじ》だった按察使《あぜち》大納言の娘が母君なのだ。すぐれた女性で、宮仕えに出すと帝王の恩寵《おんちょう》が一人に集まって、それで人の嫉妬《しっと》を多く受けて亡《な》くなられたが、源氏の君が残っておいでになるということは結構なことだ。女という者は皆|桐壺《きりつぼ》の更衣《こうい》になろうとすべきだ。私が地方に土着した田舎者だといっても、その古い縁故でお近づきは許してくださるだろう」
 などと入道は言っていた。この娘はすぐれた容貌《ようぼう》を持っているのではないが、優雅な上品な女で、見識の備わっている点などは貴族の娘にも劣らなかった。境遇をみずから知って、上流の男は自分を眼中にも置かないであろうし、それかといって身分相当な男とは結婚をしようと思わない、長く生きていることになって両親に死に別れたら尼にでも自分はなろう、海へ身を投げてもいいという信念を持っていた。入道は大事がって年に二度ずつ娘を住吉《すみよし》の社《やしろ》へ参詣《さんけい》させて、神の恩恵を人知れず頼みにしていた。
 須磨は日の永《なが》い春になってつれづれを覚える時間が多くなった上に、去年植えた若木の桜の花が咲き始めたのにも、霞《かす》んだ空の色にも京が思い出されて、源氏の泣く日が多かった。二月二十幾日である、去年京を出た時に心苦しかった人たちの様子がしきりに知りたくなった。また院の御代《みよ》の最後の桜花の宴の日の父帝、艶《えん》な東宮時代の御兄陛下のお姿が思われ、源氏の詩をお吟じになったことも恋しく思い出された。

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いつとなく大宮人《おほみやびと》の恋しきに桜かざしし今日も来にけり
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 と源氏は歌った。
 源氏が日を暮らし侘《わ》びているころ、須磨の謫居《たっきょ》へ左大臣家の三位《さんみ》中将が訪《たず》ねて来た。現在は参議になっていて、名門の公子でりっぱな人物であるから世間から信頼されていることも格別なのであるが、その人自身は今の社会の空気が気に入らないで、何かのおりごとに源氏が恋しくなるあまりに、そのことで罰を受けても自分は悔やまないと決心してにわかに源氏と逢うために京を出て来たのである。親しい友人であって、しかも長く相見る時を得なかった二人はたまたま得た会合の最初にまず泣いた。宰相は源氏の山荘が非常に唐風であることに気がついた。絵のような風光の中に、竹を編んだ垣《かき》がめぐらされ、石の階段、松の黒木の柱などの用いられてあるのがおもしろかった。源氏は黄ばんだ薄紅の服の上に、青みのある灰色の狩衣《かりぎぬ》指貫《さしぬき》の質素な装いでいた。わざわざ都風を避けた服装もいっそう源氏を美しく引き立てて見せる気がされた。室内の用具も簡単な物ばかりで、起臥《きが》する部屋も客の座から残らず見えるのである。碁盤、双六《すごろく》の盤、弾棊《たぎ》の具なども田舎《いなか》風のそまつにできた物が置かれてあった。数珠《じゅず》などがさっきまで仏勤めがされていたらしく出ていた。客の饗応《きょうおう》に出された膳部《ぜんぶ》にもおもしろい地方色が見えた。漁から帰った海人《あま》たちが貝などを届けに寄ったので、源氏は客といる座敷の前へその人々を呼んでみることにした。漁村の生活について質問をすると、彼らは経済的に苦しい世渡りをこぼした。小鳥のように多弁にさえずる話も根本になっていることは処世難である、われわれも同じことであると貴公子たちは憐《あわれ》んでいた。それぞれに衣服などを与えられた海人たちは生まれてはじめての生きがいを感じたらしかった。山荘の馬を幾|疋《ひき》も並べて、それもここから見える倉とか納屋とかいう物から取り出す稲を食わせていたりするのが源氏にも客にも珍しかった。催馬楽《さいばら》の飛鳥井《あすかい》を二人で歌ってから、源氏の不在中の京の話を泣きもし、笑いもしながら、宰相はしだした。若君が何事のあるとも知らずに無邪気でいることが哀れでならないと大臣が始終|歎《なげ》いているという話のされた時、源氏は悲しみに堪えないふうであった。二人の会話を書き尽くすことはとうていできないことであるから省略する。
 終夜眠らずに語って、そして二人で詩も作った。政府の威厳を無視したとはいうものの、宰相も事は好まないふうで、翌朝はもう別れて行く人になった。好意がかえってあとの物思いを作らせると言ってもよい。杯を手にしながら「酔悲泪灑春杯裏《ゑひのかなしみのなみだをそそぐはるのさかづきのうち》」と二人がいっしょに歌った。供をして来ている者も皆涙を流していた。双方の家司たちの間に惜しまれる別れもあるのである。朝ぼらけの空を行く雁《かり》の列があった。源氏は、

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故郷《ふるさと》を何《いづ》れの春か行きて見ん羨《うらや》ましきは帰るかりがね
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 と言った。宰相は出て行く気がしないで、

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飽かなくに雁の常世《とこよ》を立ち別れ花の都に道やまどはん
[#ここで字下げ終わり]

 と言って悲しんでいた。宰相は京から携えて来た心をこめた土産《みやげ》を源氏に贈った。源氏からはかたじけない客を送らせるためにと言って、黒馬を贈った。
「妙なものを差し上げるようですが、ここの風の吹いた時に、あなたのそばで嘶《いなな》くようにと思うからですよ」
 と言った。珍しいほどすぐれた馬であった。
「これは形見だと思っていただきたい」
 宰相も名高い品になっている笛を一つ置いて行った。人目に立って問題になるようなことは双方でしなかったのである。上って来た日に帰りを急ぎ立てられる気がして、宰相は顧みばかりしながら座を立って行くのを、見送るために続いて立った源氏は悲しそうであった。
「いつまたお逢いすることができるでしょう。このまま無限にあなたが捨て置かれるようなことはありません」
 と宰相は言った。

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「雲近く飛びかふ鶴《たづ》も空に見よわれは春日の曇りなき身ぞ
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 みずからやましいと思うことはないのですが、一度こうなっては、昔のりっぱな人でももう一度世に出た例は少ないのですから、私は都というものをぜひまた見たいとも願っていませんよ」
 こう源氏は答えて言うのであった。

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「たづかなき雲井に独《ひと》り音《ね》をぞ鳴く翅《つばさ》並べし友を恋ひつつ
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 失礼なまでお親しくさせていただいたころのことをもったいないことだと後悔される事が多いのですよ」
 と宰相は言いつつ去った。
 友情がしばらく慰めたあとの源氏はまた寂しい人になった。
 今年は三月の一日に巳《み》の日があった。
「今日です、お試みなさいませ。不幸な目にあっている者が御禊《みそぎ》をすれば必ず効果があるといわれる日でございます」
 賢がって言う者があるので、海の近くへまた一度行ってみたいと思ってもいた源氏は家を出た。ほんの幕のような物を引きまわして仮の御禊場《みそぎば》を作り、旅の陰陽師《おんみょうじ》を雇って源氏は禊《はら》いをさせた。船にやや大きい禊いの人形を乗せて流すのを見ても、源氏はこれに似た自身のみじめさを思った。

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知らざりし大海の原に流れ来て一方にやは物は悲しき
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 と歌いながら沙上《しゃじょう》の座に着く源氏は、こうした明るい所ではまして水ぎわだって見えた。少し霞《かす》んだ空と同じ色をした海がうらうらと凪《な》ぎ渡っていた。果てもない天地をながめていて、源氏は過去未来のことがいろいろと思われた。

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八百《やほ》よろづ神も憐《あは》れと思ふらん犯せる罪のそれとなければ
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 と源氏が歌い終わった時に、風が吹き出して空が暗くなってきた。御禊《みそぎ》の式もまだまったく終わっていなかったが人々は立ち騒いだ。肱笠雨《ひじがさあめ》というものらしくにわか雨が降ってきてこの上もなくあわただしい。一行は浜べから引き上げようとするのであったが笠を取り寄せる間もない。そんな用意などは初めからされてなかった上に、海の風は何も何も吹き散らす。夢中で家のほうへ走り出すころに、海のほうは蒲団《ふとん》を拡《ひろ》げたように腫《ふく》れながら光っていて、雷鳴と電光が襲うてきた。すぐ上に落ちて来る恐れも感じながら人々はやっと家に着いた。
「こんなことに出あったことはない。風の吹くことはあっても、前から予告的に天気が悪くなるものであるが、こんなににわかに暴風雨になるとは」
 こんなことを言いながら山荘の人々はこの天候を恐ろしがっていたが雷鳴もなおやまない。雨の脚《あし》の当たる所はどんな所も突き破られるような強雨《ごうう》が降るのである。こうして世界が滅亡するのかと皆が心細がっている時に、源氏は静かに経を読んでいた。日が暮れるころから雷は少し遠ざかったが、風は夜も吹いていた。神仏へ人々が大願を多く立てたその力の顕《あら》われがこれであろう。
「もう少し暴風雨が続いたら、浪《なみ》に引かれて海へ行ってしまうに違いない。海嘯《つなみ》というものはにわかに起こって人死《ひとじ》にがあるものだと聞いていたが、今日のは雨風が原因になっていてそれとも違うようだ」
 などと人々は語っていた。夜の明け方になって皆が寝てしまったころ、源氏は少しうとうととしたかと思うと、人間でない姿の者が来て、
「なぜ王様が召していらっしゃるのにあちらへ来ないのか」
 と言いながら、源氏を求めるようにしてその辺を歩きまわる夢を見た。さめた時に源氏は驚きながら、それではあの暴風雨も海の竜王《りゅうおう》が美しい人間に心を惹《ひ》かれて自分に見入っての仕業《しわざ》であったと気がついてみると、恐ろしくてこの家にいることが堪えられなくなった。

須磨 版本说明

底本:「全訳源氏物語 上巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年8月10日改版初版発行
   1994(平成6)年12月20日56版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月5日71版を使用しました。
入力:上田英代
校正:砂場清隆
2003年7月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

13 明石

[#地から3字上げ]わりなくもわかれがたしとしら玉の涙
[#地から3字上げ]をながす琴のいとかな   (晶子)

 まだ雨風はやまないし、雷鳴が始終することも同じで幾日かたった。今は極度に侘《わび》しい須磨《すま》の人たちであった。今日までのことも明日からのことも心細いことばかりで、源氏も冷静にはしていられなかった。どうすればいいであろう、京へ帰ることもまだ免職になったままで本官に復したわけでもなんでもないのであるから見苦しい結果を生むことになるであろうし、まだもっと深い山のほうへはいってしまうことも波風に威嚇《いかく》されて恐怖した行為だと人に見られ、後世に誤られることも堪えられないことであるからと源氏は煩悶《はんもん》していた。このごろの夢は怪しい者が来て誘おうとする初めの夜に見たのと同じ夢ばかりであった。幾日も雲の切れ目がないような空ばかりをながめて暮らしていると京のことも気がかりになって、自分という者はこうした心細い中で死んで行くのかと源氏は思われるのであるが、首だけでも外へ出すことのできない天気であったから京へ使いの出しようもない。二条の院のほうからその中を人が来た。濡《ぬ》れ鼠《ねずみ》になった使いである。雨具で何重にも身を固めているから、途中で行き逢っても人間か何かわからぬ形をした、まず奇怪な者として追い払わなければならない下侍に親しみを感じる点だけでも、自分はみじめな者になったと源氏はみずから思われた。夫人の手紙は、
[#ここから1字下げ]
申しようのない長雨は空までもなくしてしまうのではないかという気がしまして須磨の方角をながめることもできません。

[#ここから2字下げ]
浦風やいかに吹くらん思ひやる袖《そで》うち濡らし波間なき頃《ころ》
[#ここで字下げ終わり]

 というような身にしむことが数々書かれてある。開封した時からもう源氏の涙は潮時《しおどき》が来たような勢いで、内から湧《わ》き上がってくる気がしたものであった。
「京でもこの雨風は天変だと申して、なんらかを暗示するものだと解釈しておられるようでございます。仁王会《にんおうえ》を宮中であそばすようなことも承っております。大官方が参内《さんだい》もできないのでございますから、政治も雨風のために中止の形でございます」
 こんな話を、はかばかしくもなく下士級の頭で理解しているだけのことを言うのであるが、京のことに無関心でありえない源氏は、居間の近くへその男を呼び出していろいろな質問をしてみた。
「ただ例のような雨が少しの絶え間もなく降っておりまして、その中に風も時々吹き出すというような日が幾日も続くのでございますから、それで皆様の御心配が始まったものだと存じます。今度のように地の底までも通るような荒い雹《ひょう》が降ったり、雷鳴の静まらないことはこれまでにないことでございます」
 などと言う男の表情にも深刻な恐怖の色の見えるのも源氏をより心細くさせた。
 こんなことでこの世は滅んでいくのでないかと源氏は思っていたが、その翌日からまた大風が吹いて、海潮が満ち、高く立つ波の音は岩も山も崩《くず》してしまうように響いた。雷鳴と電光のさすことの烈《はげ》しくなったことは想像もできないほどである。この家へ雷が落ちそうにも近く鳴った。もう理智《りち》で物を見る人もなくなっていた。
「私はどんな罪を前生で犯してこうした悲しい目に逢《あ》うのだろう。親たちにも逢えずかわいい妻子の顔も見ずに死なねばならぬとは」
 こんなふうに言って歎く者がある。源氏は心を静めて、自分にはこの寂しい海辺で命を落とさねばならぬ罪業《ざいごう》はないわけであると自信するのであるが、ともかくも異常である天候のためにはいろいろの幣帛《へいはく》を神にささげて祈るほかがなかった。
「住吉《すみよし》の神、この付近の悪天候をお鎮《しず》めください。真実|垂跡《すいじゃく》の神でおいでになるのでしたら慈悲そのものであなたはいらっしゃるはずですから」
 と源氏は言って多くの大願を立てた。惟光《これみつ》や良清《よしきよ》らは、自身たちの命はともかくも源氏のような人が未曾有《みぞう》な不幸に終わってしまうことが大きな悲しみであることから、気を引き立てて、少し人心地《ひとごこち》のする者は皆命に代えて源氏を救おうと一所懸命になった。彼らは声を合わせて仏神に祈るのであった。
「帝王の深宮に育ちたまい、もろもろの歓楽に驕《おご》りたまいしが、絶大の愛を心に持ちたまい、慈悲をあまねく日本国じゅうに垂《た》れたまい、不幸なる者を救いたまえること数を知らず、今何の報いにて風波の牲《にえ》となりたまわん。この理を明らかにさせたまえ。罪なくして罪に当たり、官位を剥奪《はくだつ》され、家を離れ、故郷を捨て、朝暮歎きに沈淪《ちんりん》したもう。今またかかる悲しみを見て命の尽きなんとするは何事によるか、前生の報いか、この世の犯しか、神、仏、明らかにましまさばこの憂《うれ》いを息《やす》めたまえ」
 住吉《すみよし》の御社《みやしろ》のほうへ向いてこう叫ぶ人々はさまざまの願を立てた。また竜王《りゅうおう》をはじめ大海の諸神にも源氏は願を立てた。いよいよ雷鳴ははげしくとどろいて源氏の居間に続いた廊へ落雷した。火が燃え上がって廊は焼けていく。人々は心も肝《きも》も皆失ったようになっていた。後ろのほうの廚《くりや》その他に使っている建物のほうへ源氏を移転させ、上下の者が皆いっしょにいて泣く声は一つの大きな音響を作って雷鳴にも劣らないのである。空は墨を磨《す》ったように黒くなって日も暮れた。そのうち風が穏やかになり、雨が小降りになって星の光も見えてきた。そうなるとこの人々は源氏の居場所があまりにもったいなく思われて、寝殿のほうへ席を移そうとしたが、そこも焼け残った建物がすさまじく見え、座敷は多数の人間が逃げまわった時に踏みしだかれてあるし、御簾《みす》なども皆風に吹き落とされていた。今夜夜通しに後始末《あとしまつ》をしてからのことに決めて、皆がそんなことに奔走している時、源氏は心経《しんぎょう》を唱えながら、静かに考えてみるとあわただしい一日であった。月が出てきて海潮の寄せた跡が顕《あら》わにながめられる。遠く退《の》いてもまだ寄せ返しする浪《なみ》の荒い海べのほうを戸をあけて源氏はながめていた。今日までのこと明日からのことを意識していて、対策を講じ合うに足るような人は近い世界に絶無であると源氏は感じた。漁村の住民たちが貴人の居所を気にかけて、集まって来て訳のわからぬ言葉でしゃべり合っているのも礼儀のないことであるが、それを追い払う者すらない。
「あの大風がもうしばらくやまなかったら、潮はもっと遠くへまで上って、この辺なども形を残していまい。やはり神様のお助けじゃ」
 こんなことの言われているのも聞く身にとっては非常に心細いことであった。

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海にます神のたすけにかからずば潮の八百会《やほあひ》にさすらへなまし
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 と源氏は口にした。終日風の揉《も》み抜いた家にいたのであるから、源氏も疲労して思わず眠った。ひどい場所であったから、横になったのではなく、ただ物によりかかって見る夢に、お亡《な》くなりになった院がはいっておいでになったかと思うと、すぐそこへお立ちになって、
「どうしてこんなひどい所にいるか」
 こうお言いになりながら、源氏の手を取って引き立てようとあそばされる。
「住吉の神が導いてくださるのについて、早くこの浦を去ってしまうがよい」
 と仰せられる。源氏はうれしくて、
「陛下とお別れいたしましてからは、いろいろと悲しいことばかりがございますから私はもうこの海岸で死のうかと思います」
「とんでもない。これはね、ただおまえが受けるちょっとしたことの報いにすぎないのだ。私は位にいる間に過失もなかったつもりであったが、犯した罪があって、その罪の贖《つぐな》いをする間は忙《せわ》しくてこの世を顧みる暇がなかったのだが、おまえが非常に不幸で、悲しんでいるのを見ると堪えられなくて、海の中を来たり、海べを通ったりまったく困ったがやっとここまで来ることができた。このついでに陛下へ申し上げることがあるから、すぐに京へ行く」
 と仰せになってそのまま行っておしまいになろうとした。源氏は悲しくて、
「私もお供してまいります」
 と泣き入って、父帝のお顔を見上げようとした時に、人は見えないで、月の顔だけがきらきらとして前にあった。源氏は夢とは思われないで、まだ名残《なごり》がそこらに漂っているように思われた。空の雲が身にしむように動いてもいるのである。長い間夢の中で見ることもできなかった恋しい父帝をしばらくだけではあったが明瞭《めいりょう》に見ることのできた、そのお顔が面影に見えて、自分がこんなふうに不幸の底に落ちて、生命《いのち》も危うくなったのを、助けるために遠い世界からおいでになったのであろうと思うと、よくあの騒ぎがあったことであると、こんなことを源氏は思うようになった。なんとなく力がついてきた。その時は胸がはっとした思いでいっぱいになって、現実の悲しいことも皆忘れていたが、夢の中でももう少しお話をすればよかったと飽き足らぬ気のする源氏は、もう一度続きの夢が見られるかとわざわざ寝入ろうとしたが、眠りえないままで夜明けになった。
 渚《なぎさ》のほうに小さな船を寄せて、二、三人が源氏の家のほうへ歩いて来た。だれかと山荘の者が問うてみると、明石《あかし》の浦から前播磨守《さきのはりまのかみ》入道が船で訪《たず》ねて来ていて、その使いとして来た者であった。
「源《げん》少納言さんがいられましたら、お目にかかって、お訪ねいたしました理由を申し上げます」
 と使いは入道の言葉を述べた。驚いていた良清《よしきよ》は、
「入道は播磨での知人で、ずっと以前から知っておりますが、私との間には双方で感情の害されていることがあって、格別に交際《つきあい》をしなくなっております。それが風波の害のあった際に何を言って来たのでしょう」
 と言って訳がわからないふうであった。源氏は昨夜の夢のことが胸中にあって、
「早く逢《あ》ってやれ」
 と言ったので、良清《よしきよ》は船へ行って入道に面会した。あんなにはげしい天気のあとでどうして船が出されたのであろうと良清はまず不思議に思った。
「この月一日の夜に見ました夢で異形《いぎょう》の者からお告げを受けたのです。信じがたいこととは思いましたが、十三日が来れば明瞭になる、船の仕度《したく》をしておいて、必ず雨風がやんだら須磨の源氏の君の住居《すまい》へ行けというようなお告げがありましたから、試みに船の用意をして待っていますと、たいへんな雨風でしょう、そして雷でしょう、支那《しな》などでも夢の告げを信じてそれで国難を救うことができたりした例もあるのですから、こちら様ではお信じにならなくても、示しのあった十三日にはこちらへ伺ってお話だけは申し上げようと思いまして、船を出してみますと、特別なような風が細く、私の船だけを吹き送ってくれますような風でこちらへ着きましたが、やはり神様の御案内だったと思います。何かこちらでも神の告げというようなことがなかったでしょうか、と申すことを失礼ですがあなたからお取り次ぎくださいませんか」
 と入道は言うのである。良清はそっと源氏へこのことを伝えた。源氏は夢も現実も静かでなく、何かの暗示らしい点の多かったことを思って、世間の譏《そし》りなどばかりを気にかけ神の冥助《みょうじょ》にそむくことをすれば、またこれ以上の苦しみを見る日が来るであろう、人間を怒らせることすら結果は相当に恐ろしいのである、気の進まぬことも自分より年長者であったり、上の地位にいる人の言葉には随《したが》うべきである。退いて咎《とが》なしと昔の賢人も言った、あくまで謙遜《けんそん》であるべきである。もう自分は生命《いのち》の危《あぶな》いほどの目を幾つも見せられた、臆病《おくびょう》であったと言われることを不名誉だと考える必要もない。夢の中でも父帝は住吉《すみよし》の神のことを仰せられたのであるから、疑うことは一つも残っていないと思って、源氏は明石へ居を移す決心をして、入道へ返辞を伝えさせた。
「知るべのない所へ来まして、いろいろな災厄《さいやく》にあっていましても、京のほうからは見舞いを言い送ってくれる者もありませんから、ただ大空の月日だけを昔|馴染《なじみ》のものと思ってながめているのですが、今日船を私のために寄せてくだすってありがたく思います。明石には私の隠栖《いんせい》に適した場所があるでしょうか」
 入道は申し入れの受けられたことを非常によろこんで、恐縮の意を表してきた。ともかく夜が明けきらぬうちに船へお乗りになるがよいということになって、例の四、五人だけが源氏を護《まも》って乗船した。入道の話のような清い涼しい風が吹いて来て、船は飛ぶように明石へ着いた。それはほんの短い時間のことであったが不思議な海上の気であった。
 明石の浦の風光は、源氏がかねて聞いていたように美しかった。ただ須磨に比べて住む人間の多いことだけが源氏の本意に反したことのようである。入道の持っている土地は広くて、海岸のほうにも、山手のほうにも大きな邸宅があった。渚《なぎさ》には風流な小亭《しょうてい》が作ってあり、山手のほうには、渓流《けいりゅう》に沿った場所に、入道がこもって後世《ごせ》の祈りをする三昧堂《さんまいどう》があって、老後のために蓄積してある財物のための倉庫町もある。高潮を恐れてこのごろは娘その他の家族は山手の家のほうに移らせてあったから、浜のほうの本邸に源氏一行は気楽に住んでいることができるのであった。船から車に乗り移るころにようやく朝日が上って、ほのかに見ることのできた源氏の美貌《びぼう》に入道は老いを忘れることもでき、命も延びる気がした。満面に笑《え》みを見せてまず住吉の神をはるかに拝んだ。月と日を掌《てのひら》の中に得たような喜びをして、入道が源氏を大事がるのはもっともなことである。おのずから風景の明媚《めいび》な土地に、林泉の美が巧みに加えられた庭が座敷の周囲にあった。入り江の水の姿の趣などは想像力の乏しい画家には描《か》けないであろうと思われた。須磨の家に比べるとここは非常に明るくて朗らかであった。座敷の中の設備にも華奢《かしゃ》が尽くされてあった。生活ぶりは都の大貴族と少しも変わっていないのである。それよりもまだ派手《はで》なところが見えないでもない。
 明石へ移って来た初めの落ち着かぬ心が少しなおってから、源氏は京へ手紙を書いた。
「こんなことになろうとは知らずに来て、ここで死ぬ運命だった」
 などと言って、悲しんでいた京の使いが須磨にまだいたのを呼んで、過分な物を報酬に与えた上で、京でするいろいろの用が命ぜられた。頼みつけの祈りの僧たちや寺々へはこの間からのことが言いやられ、新たな祈りが依頼されたのである。私人には入道の宮へだけ、稀有《けう》にして命をまっとうした須磨の生活の終わりを源氏はお知らせした。二条の院の憐《あわ》れな手紙の返事は一気には書かれずに、一章を書いては泣き一章を書いては涙を拭《ふ》きして書いている様子にも源氏がその人を思う深さが見られるのであった。
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あとへあとへと悲しいことが起こってきて、もう苦しい経験はし尽くしたような私ですからしきりに出家したい心も湧《わ》きますが、鏡を見てもとお言いになったあなたの面影が目を離れないのですから、あなたに再会をしないでは、それを実行することもできません。何の苦しみよりも私にはあなたと離れている苦痛が最もつらいことに思われます。あなたにまた逢うことができれば、ほかのいとわしいことは皆忍んでいこうと思います。

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はるかにも思ひやるかな知らざりし浦より遠《をち》に浦づたひして

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まだ夢の続きで、明石の浦にまで来ているような気がしてなりません。こんな時に書く手紙はまちがったこともあるでしょうが許してください。
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 正しくは書かれずに乱れ書きになっているような美しい手紙を、横から見ていて、源氏が二条の院の夫人を愛する深さを惟光《これみつ》たちは思った。そうした人たちもわが家への音信をこの使いへ託した。あの晴れ間もないようだった天気は名残《なごり》なく晴れて、明石の浦の空は澄み返っていた。ここの漁業をする人たちは得意そうだった。須磨は寂しく静かで、漁師の家もまばらにしかなかったのである。最初ここへ来た時にはそれと変わった漁村のにぎやかに見えるのを、いとわしく思った源氏も、ここにはまた特殊ないろいろのよさのあるのが、発見されていって慰んでいた。
 主人《あるじ》の入道は信仰生活をする精神的な人物で、俗気《ぞっけ》のない愛すべき男であるが、溺愛《できあい》する一人娘のことでは、源氏の迷惑に思うことを知らずに、注意を引こうとする言葉もおりおり洩《も》らすのである。源氏もかねて興味を持って噂《うわさ》を聞いていた女であったから、こんな意外な土地へ来ることになったのは、その人との前生の縁に引き寄せられているのではないかとも思うことはあるが、こうした境遇にいる間は仏勤め以外のことに心をつかうまい。京の女王《にょおう》に聞かれてもやましくない生活をしているのとは違って、そうなれば誓ってきたことも皆|嘘《うそ》にとられるのが恥ずかしいと思って、入道の娘に求婚的な態度をとるようなことは絶対にしなかった。何かのことに触れては平凡な娘ではなさそうであると心の動いて行くことはないのではなかった。源氏のいる所へは入道自身すら遠慮をしてあまり近づいて来ない。ずっと離れた仮屋建てのほうに詰めきっていた。心の中では美しい源氏を始終見ていたくてならないのである。ぜひ希望することを実現させたいと思って、いよいよ仏神を念じていた。年は六十くらいであるがきれいな老人で、仏勤めに痩《や》せて、もとの身柄のよいせいであるか、頑固《がんこ》な、そしてまた老いぼけたようなところもありながら、古典的な趣味がわかっていて感じはきわめてよい。素養も相当にあることが何かの場合に見えるので、若い時に見聞したことを語らせて聞くことで源氏のつれづれさも紛れることがあった。昔から公人として、私人として少しの閑暇《ひま》もない生活をしていた源氏であったから、古い時代にあった実話などをぼつぼつと少しずつ話してくれる老人のあることは珍重すべきであると思った。この人に逢わなかったら歴史の裏面にあったようなことはわからないでしまったかもしれぬとまでおもしろく思われることも話の中にはあった。こんなふうで入道は源氏に親しく扱われているのであるが、この気高《けだか》い貴人に対しては、以前はあんなに独《ひと》り決めをしていた入道ではあっても、無遠慮に娘の婿になってほしいなどとは言い出せないのを、自身で歯がゆく思っては妻と二人で歎《なげ》いていた。娘自身も並み並みの男さえも見ることの稀《まれ》な田舎《いなか》に育って、源氏を隙見《すきみ》した時から、こんな美貌《びぼう》を持つ人もこの世にはいるのであったかと驚歎《きょうたん》はしたが、それによっていよいよ自身とその人との懸隔《けんかく》を明瞭《めいりょう》に悟ることになって、恋愛の対象などにすべきでないと思っていた。親たちが熱心にその成立を祈っているのを見聞きしては、不似合いなことを思うものであると見ているのであるが、それとともに低い身のほどの悲しみを覚え始めた。
 四月になった。衣がえの衣服、美しい夏の帳《とばり》などを入道は自家で調製した。よけいなことをするものであるとも源氏は思うのであるが、入道の思い上がった人品に対しては何とも言えなかった。京からも始終そうした品物が届けられるのである。のどかな初夏の夕月夜に海上が広く明るく見渡される所にいて、源氏はこれを二条の院の月夜の池のように思われた。恋しい紫の女王《にょおう》がいるはずでいてその人の影すらもない。ただ目の前にあるのは淡路《あわじ》の島であった。「泡《あわ》とはるかに見し月の」などと源氏は口ずさんでいた。

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泡と見る淡路の島のあはれさへ残るくまなく澄める夜の月
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 と歌ってから、源氏は久しく触れなかった琴を袋から出して、はかないふうに弾《ひ》いていた。惟光《これみつ》たちも源氏の心中を察して悲しんでいた。源氏は「広陵《こうりょう》」という曲を細やかに弾いているのであった。山手の家のほうへも松風と波の音に混じって聞こえてくる琴の音に若い女性たちは身にしむ思いを味わったことであろうと思われる。名手の弾く琴も何も聞き分けえられそうにない土地の老人たちも、思わず外へとび出して来て浜風を引き歩いた。入道も供養法を修していたが、中止することにして、急いで源氏の居間へ来た。
「私は捨てた世の中がまた恋しくなるのではないかと思われますほど、あなた様の琴の音で昔が思い出されます。また死後に参りたいと願っております世界もこんなのではないかという気もいたされる夜でございます」
 入道は泣く泣くほめたたえていた。源氏自身も心に、おりおりの宮中の音楽の催し、その時のだれの琴、だれの笛、歌手を勤めた人の歌いぶり、いろいろ時々につけて自身の芸のもてはやされたこと、帝をはじめとして音楽の天才として周囲から自身に尊敬の寄せられたことなどについての追憶がこもごも起こってきて、今日は見がたい他の人も、不運な自身の今も深く思えば夢のような気ばかりがして、深刻な愁《うれ》いを感じながら弾いているのであったから、すごい音楽といってよいものであった。老人は涙を流しながら、山手の家から琵琶《びわ》と十三|絃《げん》の琴を取り寄せて、入道は琵琶法師然とした姿で、おもしろくて珍しい手を一つ二つ弾いた。十三絃を源氏の前に置くと源氏はそれも少し弾いた。また入道は敬服してしまった。あまり上手《じょうず》がする音楽でなくても場所場所で感じ深く思われることの多いものであるから、これははるかに広い月夜の海を前にして春秋の花|紅葉《もみじ》の盛りに劣らないいろいろの木の若葉がそこここに盛り上がっていて、そのまた陰影の地に落ちたところなどに水鶏《くいな》が戸をたたく音に似た声で鳴いているのもおもしろい庭も控えたこうした所で、優秀な楽器に対していることに源氏は興味を覚えて、
「この十三絃という物は、女が柔らかみをもってあまり定《き》まらないふうに弾いたのが、おもしろくていいのです」
 などと言っていた。源氏の意はただおおまかに女ということであったが、入道は訳もなくうれしい言葉を聞きつけたように、笑《え》みながら言う、
「あなた様があそばす以上におもしろい音《ね》を出しうるものがどこにございましょう。私は延喜《えんぎ》の聖帝から伝わりまして三代目の芸を継いだ者でございますが、不運な私は俗界のこととともに音楽もいったんは捨ててしまったのでございましたが、憂鬱《ゆううつ》な気分になっております時などに時々弾いておりますのを、聞き覚えて弾きます子供が、どうしたのでございますか私の祖父の親王によく似た音を出します。それは法師の僻耳《ひがみみ》で、松風の音をそう感じているのかもしれませんが、一度お聞きに入れたいものでございます」
 興奮して慄《ふる》えている入道は涙もこぼしているようである。
「松風が邪魔《じゃま》をしそうな所で、よくそんなにお稽古《けいこ》ができたものですね、うらやましいことですよ」
 源氏は琴を前へ押しやりながらまた言葉を続けた。
「不思議に昔から十三絃の琴には女の名手が多いようです。嵯峨《さが》帝のお伝えで女五《にょご》の宮《みや》が名人でおありになったそうですが、その芸の系統は取り立てて続いていると思われる人が見受けられない。現在の上手《じょうず》というのは、ただちょっとその場きりな巧みさだけしかないようですが、ほんとうの上手がこんな所に隠されているとはおもしろいことですね。ぜひお嬢さんのを聞かせていただきたいものです」
「お聞きくださいますのに何の御遠慮もいることではございません。おそばへお召しになりましても済むことでございます。潯陽江《じんようこう》では商人のためにも名曲をかなでる人があったのでございますから。そのまた琵琶と申す物はやっかいなものでございまして、昔にもあまり琵琶の名人という者はなかったようでございますが、これも宅の娘はかなりすらすらと弾きこなします。品のよい手筋が見えるのでございます。どうしてその域に達しましたか。娘のそうした芸をただ荒い波の音が合奏してくるばかりの所へ置きますことは私として悲しいことに違いございませんが、不快なことのあったりいたします節にはそれを聞いて心の慰めにいたすこともございます」
 音楽通の自信があるような入道の言葉を、源氏はおもしろく思って、今度は十三絃を入道に与えて弾かせた。実際入道は玄人《くろうと》らしく弾く。現代では聞けないような手も出てきた。弾く指の運びに唐風が多く混じっているのである。左手でおさえて出す音などはことに深く出される。ここは伊勢《いせ》の海ではないが「清き渚《なぎさ》に貝や拾はん」という催馬楽《さいばら》を美音の者に歌わせて、源氏自身も時々拍子を取り、声を添えることがあると、入道は琴を弾きながらそれをほめていた。珍しいふうに作られた菓子も席上に出て、人々には酒も勧められるのであったから、だれの旅愁も今夜は紛れてしまいそうであった。夜がふけて浜の風が涼しくなった。落ちようとする月が明るくなって、また静かな時に、入道は過去から現在までの身の上話をしだした。明石へ来たころに苦労のあったこと、出家を遂げた経路などを語る。娘のことも問わず語りにする。源氏はおかしくもあるが、さすがに身にしむ節《ふし》もあるのであった。
「申し上げにくいことではございますが、あなた様が思いがけなくこの土地へ、仮にもせよ移っておいでになることになりましたのは、もしかいたしますと、長年の間老いた法師がお祈りいたしております神や仏が憐《あわれ》みを一家におかけくださいまして、それでしばらくこの僻地《へきち》へあなた様がおいでになったのではないかと思われます。その理由は住吉の神をお頼み申すことになりまして十八年になるのでございます。女の子の小さい時から私は特別なお願いを起こしまして、毎年の春秋に子供を住吉へ参詣《さんけい》させることにいたしております。また昼夜に六回の仏前のお勤めをいたしますのにも自分の極楽往生はさしおいて私はただこの子によい配偶者を与えたまえと祈っております。私自身は前生の因縁が悪くて、こんな地方人に成り下がっておりましても、親は大臣にもなった人でございます。自分はこの地位に甘んじていましても子はまたこれに準じたほどの者にしかなれませんでは、孫、曾孫《そうそん》の末は何になることであろうと悲しんでおりましたが、この娘は小さい時から親に希望を持たせてくれました。どうかして京の貴人に娶《めと》っていただきたいと思います心から、私どもと同じ階級の者の間に反感を買い、敵を作りましたし、つらい目にもあわされましたが、私はそんなことを何とも思っておりません。命のある限りは微力でも親が保護をしよう、結婚をさせないままで親が死ねば海へでも身を投げてしまえと私は遺言がしてございます」
 などと書き尽くせないほどのことを泣く泣く言うのであった。源氏も涙ぐみながら聞いていた。
「冤罪《えんざい》のために、思いも寄らぬ国へ漂泊《さまよ》って来ていますことを、前生に犯したどんな罪によってであるかとわからなく思っておりましたが、今晩のお話で考え合わせますと、深い因縁によってのことだったとはじめて気がつかれます。なぜ明瞭にわかっておいでになったあなたが早く言ってくださらなかったのでしょう。京を出ました時から私はもう無常の世が悲しくて、信仰のこと以外には何も思わずに時を送っていましたが、いつかそれが習慣になって、若い男らしい望みも何もなくなっておりました。今お話のようなお嬢さんのいられるということだけは聞いていましたが、罪人にされている私を不吉にお思いになるだろうと思いまして希望もかけなかったのですが、それではお許しくださるのですね、心細い独《ひと》り住みの心が慰められることでしょう」
 などと源氏の言ってくれるのを入道は非常に喜んでいた。

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「ひとり寝は君も知りぬやつれづれと思ひあかしのうら寂しさを
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 私はまた長い間口へ出してお願いすることができませんで悶々《もんもん》としておりました」
 こう言うのに身は慄《ふる》わせているが、さすがに上品なところはあった。
「寂しいと言ってもあなたはもう法師生活に慣れていらっしゃるのですから」
 それから、

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旅衣うら悲しさにあかしかね草の枕《まくら》は夢も結ばず
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 戯談《じょうだん》まじりに言う、源氏にはまた平生入道の知らない愛嬌《あいきょう》が見えた。入道はなおいろいろと娘について言っていたが、読者はうるさいであろうから省いておく。まちがって書けばいっそう非常識な入道に見えるであろうから。
 やっと思いがかなった気がして、涼しい心に入道はなっていた。その翌日の昼ごろに源氏は山手の家へ手紙を持たせてやることにした。ある見識をもつ娘らしい、かえってこんなところに意外なすぐれた女がいるのかもしれないからと思って、心づかいをしながら手紙を書いた。朝鮮紙の胡桃《くるみ》色のものへきれいな字で書いた。

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遠近《をちこち》もしらぬ雲井に眺《なが》めわびかすめし宿の梢《こずゑ》をぞとふ

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思うには。(思ふには忍ぶることぞ負けにける色に出《い》でじと思ひしものを)
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 こんなものであったようである。人知れずこの音信を待つために山手の家へ来ていた入道は、予期どおりに送られた手紙の使いを大騒ぎしてもてなした。娘は返事を容易に書かなかった。娘の居間へはいって行って勧めても娘は父の言葉を聞き入れない。返事を書くのを恥ずかしくきまり悪く思われるのといっしょに、源氏の身分、自己の身分の比較される悲しみを心に持って、気分が悪いと言って横になってしまった。これ以上勧められなくなって入道は自身で返事を書いた。
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もったいないお手紙を得ましたことで、過分な幸福をどう処置してよいかわからぬふうでございます。
それをこんなふうに私は見るのでございます。

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眺むらん同じ雲井を眺むるは思ひも同じ思ひなるらん

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だろうと私には思われます。柄にもない風流気を私の出しましたことをお許しください。
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 とあった。檀紙に古風ではあるが書き方に一つの風格のある字で書かれてあった。なるほど風流気を出したものであると源氏は入道を思い、返事を書かぬ娘には軽い反感が起こった。使いはたいした贈り物を得て来たのである。翌日また源氏は書いた。
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代筆のお返事などは必要がありません。
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 と書いて、

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いぶせくも心に物を思ふかなやよやいかにと問ふ人もなみ

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言うことを許されないのですから。
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 今度のは柔らかい薄様《うすよう》へはなやかに書いてやった。若い女がこれを不感覚に見てしまったと思われるのは残念であるが、その人は尊敬してもつりあわぬ女であることを痛切に覚える自分を、さも相手らしく認めて手紙の送られることに涙ぐまれて返事を書く気に娘はならないのを、入道に責められて、香のにおいの沁《し》んだ紫の紙に、字を濃く淡《うす》くして紛らすようにして娘は書いた。

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思ふらん心のほどややよいかにまだ見ぬ人の聞きか悩まん
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 手も書き方も京の貴女《きじょ》にあまり劣らないほど上手《じょうず》であった。こんな女の手紙を見ていると京の生活が思い出されて源氏の心は楽しかったが、続いて毎日手紙をやることも人目がうるさかったから、二、三日置きくらいに、寂しい夕方とか、物哀れな気のする夜明けとかに書いてはそっと送っていた。あちらからも返事は来た。相手をするに不足のない思い上がった娘であることがわかってきて、源氏の心は自然|惹《ひ》かれていくのであるが、良清《よしきよ》が自身の縄張《なわば》りの中であるように言っていた女であったから、今眼前横取りする形になることは彼にかわいそうであるとなお躊躇《ちゅうちょ》はされた。あちらから積極的な態度をとってくれば良清への責任も少なくなるわけであるからと、そんなことも源氏は期待していたが女のほうは貴女と言われる階級の女以上に思い上がった性質であったから、自分を卑しくして源氏に接近しようなどとは夢にも思わないのである。結局どちらが負けるかわからない。何ほども遠くなってはいないのであるが、ともかくも須磨の関が中にあることになってからは、京の女王がいっそう恋しくて、どうすればいいことであろう、短期間の別れであるとも思って捨てて来たことが残念で、そっとここへ迎えることを実現させてみようかと時々は思うのではあるが、しかしもうこの境遇に置かれていることも先の長いことと思われない今になって、世間体のよろしくないことはやはり忍ぶほうがよいのであるとして、源氏はしいて恋しさをおさえていた。
 この年は日本に天変地異ともいうべきことがいくつも現われてきた。三月十三日の雷雨の烈《はげ》しかった夜、帝《みかど》の御夢に先帝が清涼殿の階段《きざはし》の所へお立ちになって、非常に御機嫌《ごきげん》の悪い顔つきでおにらみになったので、帝がかしこまっておいでになると、先帝からはいろいろの仰せがあった。それは多く源氏のことが申されたらしい。おさめになったあとで帝は恐ろしく思召《おぼしめ》した。また御子として、他界におわしましてなお御心労を負わせられることが堪えられないことであると悲しく思召した。太后へお話しになると、
「雨などが降って、天気の荒れている夜などというものは、平生神経を悩ましていることが悪夢にもなって見えるものですから、それに動かされたと外へ見えるようなことはなさらないほうがよい。軽々しく思われます」
 と母君は申されるのであった。おにらみになる父帝の目と視線をお合わせになったためでか、帝は眼病におかかりになって重くお煩《わずら》いになることになった。御謹慎的な精進を宮中でもあそばすし、太后の宮でもしておいでになった。また太政大臣が突然|亡《な》くなった。もう高齢であったから不思議でもないのであるが、そのことから不穏な空気が世上に醸《かも》されていくことにもなったし、太后も何ということなしに寝ついておしまいになって、長く御|平癒《へいゆ》のことがない。御衰弱が進んでいくことで帝は御心痛をあそばされた。
「私はやはり源氏の君が犯した罪もないのに、官位を剥奪《はくだつ》されているようなことは、われわれの上に報いてくることだろうと思います。どうしても本官に復させてやらねばなりません」
 このことをたびたび帝は太后へ仰せになるのであった。
「それは世間の非難を招くことですよ。罪を恐れて都を出て行った人を、三年もたたないでお許しになっては天下の識者が何と言うでしょう」
 などとお言いになって、太后はあくまでも源氏の復職に賛成をあそばさないままで月日がたち、帝と太后の御病気は依然としておよろしくないのであった。
 明石ではまた秋の浦風の烈《はげ》しく吹く季節になって、源氏もしみじみ独棲《ひとりず》みの寂しさを感じるようであった。入道へ娘のことをおりおり言い出す源氏であった。
「目だたぬようにしてこちらの邸《やしき》へよこさせてはどうですか」
 こんなふうに言っていて、自分から娘の住居《すまい》へ通って行くことなどはあるまじいことのように思っていた。女にはまたそうしたことのできない自尊心があった。田舎《いなか》の並み並みの家の娘は、仮に来て住んでいる京の人が誘惑すれば、そのまま軽率に情人にもなってしまうのであるが、自身の人格が尊重されてかかったことではないのであるから、そのあとで一生物思いをする女になるようなことはいやである。不つりあいの結婚をありがたいことのように思って、成り立たせようと心配している親たちも、自分が娘でいる間はいろいろな空想も作れていいわけなのであるが、そうなった時から親たちは別なつらい苦しみをするに違いない。源氏が明石に滞留している間だけ、自分は手紙を書きかわす女として許されるということがほんとうの幸福である。長い間|噂《うわさ》だけを聞いていて、いつの日にそうした方を隙見《すきみ》することができるだろうと、はるかなことに思っていた方が思いがけなくこの土地へおいでになって、隙見ではあったがお顔を見ることができたし、有名な琴の音を聞くこともかない、日常の御様子も詳しく聞くことができている、その上自分へお心をお語りになるような手紙も来る。もうこれ以上を自分は望みたくない。こんな田舎に生まれた娘にこれだけの幸いのあったのは確かに果報のあった自分と思わなければならないと思っているのであって、源氏の情人になる夢などは見ていないのである。親たちは長い間祈ったことの事実になろうとする時になったことを知りながら、結婚をさせて源氏の愛の得られなかった時はどうだろうと、悲惨な結果も想像されて、どんなりっぱな方であっても、その時は恨めしいことであろうし、悲しいことでもあろう、目に見ることもない仏とか神とかいうものにばかり信頼していたが、それは源氏の心持ちも娘の運命も考えに入れずにしていたことであったなどと、今になって二の足が踏まれ、それについてする煩悶《はんもん》もはなはだしかった。源氏は、
「この秋の季節のうちにお嬢さんの音楽を聞かせてほしいものです。前から期待していたのですから」
 などとよく入道に言っていた。入道はそっと婚姻の吉日を暦で調べさせて、まだ心の決まらないように言っている妻を無視して、弟子《でし》にも言わずに自身でいろいろと仕度《したく》をしていた。そうして娘のいる家の設備を美しく整えた。十三日の月がはなやかに上ったころに、ただ「あたら夜の」(月と花とを同じくば心知られん人に見せばや)とだけ書いた迎えの手紙を浜の館《やかた》の源氏の所へ持たせてやった。風流がりな男であると思いながら源氏は直衣《のうし》をきれいに着かえて、夜がふけてから出かけた。よい車も用意されてあったが、目だたせぬために馬で行くのである。惟光《これみつ》などばかりの一人二人の供をつれただけである。山手の家はやや遠く離れていた。途中の入り江の月夜の景色《けしき》が美しい。紫の女王《にょおう》が源氏の心に恋しかった。この馬に乗ったままで京へ行ってしまいたい気がした。

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秋の夜の月毛の駒《こま》よ我が恋ふる雲井に駈《か》けれ時の間も見ん
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 と独言《ひとりごと》が出た。山手の家は林泉の美が浜の邸《やしき》にまさっていた。浜の館《やかた》は派手《はで》に作り、これは幽邃《ゆうすい》であることを主にしてあった。若い女のいる所としてはきわめて寂しい。こんな所にいては人生のことが皆身にしむことに思えるであろうと源氏は恋人に同情した。三昧堂《さんまいどう》が近くて、そこで鳴らす鐘の音が松風に響き合って悲しい。岩にはえた松の形が皆よかった。植え込みの中にはあらゆる秋の虫が集まって鳴いているのである。源氏は邸内をしばらくあちらこちらと歩いてみた。娘の住居《すまい》になっている建物はことによく作られてあった。月のさし込んだ妻戸が少しばかり開かれてある。そこの縁へ上がって、源氏は娘へものを言いかけた。これほどには接近して逢おうとは思わなかった娘であるから、よそよそしくしか答えない。貴族らしく気どる女である。もっとすぐれた身分の女でも今日までこの女に言い送ってあるほどの熱情を見せれば、皆好意を表するものであると過去の経験から教えられている。この女は現在の自分を侮《あなど》って見ているのではないかなどと、焦慮の中には、こんなことも源氏は思われた。力で勝つことは初めからの本意でもない、女の心を動かすことができずに帰るのは見苦しいとも思う源氏が追い追いに熱してくる言葉などは、明石の浦でされることが少し場所違いでもったいなく思われるものであった。几帳《きちょう》の紐《ひも》が動いて触れた時に、十三|絃《げん》の琴の緒《お》が鳴った。それによってさっきまで琴などを弾《ひ》いていた若い女の美しい室内の生活ぶりが想像されて、源氏はますます熱していく。
「今音が少ししたようですね。琴だけでも私に聞かせてくださいませんか」
 とも源氏は言った。

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むつ言を語りあはせん人もがなうき世の夢もなかば覚《さ》むやと
明けぬ夜にやがてまどへる心には何《いづ》れを夢と分《わ》きて語らん
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 前のは源氏の歌で、あとのは女の答えたものである。ほのかに言う様子は伊勢《いせ》の御息所《みやすどころ》にそっくり似た人であった。源氏がそこへはいって来ようなどとは娘の予期しなかったことであったから、それが突然なことでもあって、娘は立って近い一つの部屋へはいってしまった。そしてどうしたのか、戸はまたあけられないようにしてしまった。源氏はしいてはいろうとする気にもなっていなかった。しかし源氏が躊躇《ちゅうちょ》したのはほんの一瞬間のことで、結局は行く所まで行ってしまったわけである。女はやや背が高くて、気高《けだか》い様子の受け取れる人であった。源氏自身の内にたいした衝動も受けていないでこうなったことも、前生の因縁であろうと思うと、そのことで愛が湧《わ》いてくるように思われた。源氏から見て近まさりのした恋と言ってよいのである。平生は苦しくばかり思われる秋の長夜もすぐ明けていく気がした。人に知らせたくないと思う心から、誠意のある約束をした源氏は朝にならぬうちに帰った。
 その翌日は手紙を送るのに以前よりも人目がはばかられる気もした。源氏の心の鬼からである。入道のほうでも公然のことにはしたくなくて、結婚の第二日の使いも、そのこととして派手《はで》に扱うようなことはしなかった。こんなことにも娘の自尊心は傷つけられたようである。それ以後時々源氏は通って行った。少し道程《みちのり》のある所でもあったから、土地の者の目につくことも思って間を置くのであるが、女のほうではあらかじめ愁《うれ》えていたことが事実になったように取って、煩悶《はんもん》しているのを見ては親の入道も不安になって、極楽の願いも忘れたように、仏勤めは怠《なま》けて、源氏の君の通って来ることを大事だと考えている。入道からいえば事が成就しているのであるが、その境地で新しく物思いをしているのが憐《あわ》れであった。二条の院の女王《にょおう》にこの噂《うわさ》が伝わっては、恋愛問題では嫉妬《しっと》する価値のあることでないとわかっていても、秘密にしておく自分の態度を恨めしがられては苦しくもあり、気恥ずかしくもあると思っていた源氏が紫夫人をどれほど愛しているかはこれだけでも想像することができるのである。女王も源氏を愛することの深いだけ、他の愛人との関係に不快な色を見せたそのおりおりのことを今思い出して、なぜつまらぬことで恨めしい心にさせたかと、取り返したいくらいにそれを後悔している源氏なのである。新しい恋人は得ても女王へ焦《こが》れている心は慰められるものでもなかったから、平生よりもまた情けのこもった手紙を源氏は京へ書いたのであるが、奥に今度のことを書いた。
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私は過去の自分のしたことではあるが、あなたを不快にさせたつまらぬいろいろな事件を思い出しては胸が苦しくなるのですが、それだのにまたここでよけいな夢を一つ見ました。この告白でどれだけあなたに隔てのない心を持っているかを思ってみてください。「誓ひしことも」(忘れじと誓ひしことをあやまたば三笠《みかさ》の山の神もことわれ)という歌のように私は信じています。
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 と書いて、また、
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何事も、

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しほしほと先《ま》づぞ泣かるるかりそめのみるめは海人《あま》のすさびなれども
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 と書き添えた手紙であった。
 京の返事は無邪気な可憐《かれん》なものであったが、それも奥に源氏の告白による感想が書かれてあった。
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お言いにならないではいらっしゃれないほど現在のお心を占めていますことをお報《し》らせくださいまして承知いたしましたが、私には新しい恋人に傾倒していらっしゃる御様子が昔のいろいろな場合と思い合わせて想像することもできます。

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うらなくも思ひけるかな契りしを松より波は越えじものぞと
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 おおようではあるがくやしいと思う心も確かにかすめて書かれたものであるのを、源氏は哀れに思った。この手紙を手から離しがたくじっとながめていた。この当座幾日は山手の家へ行く気もしなかった。女は長い途絶えを見て、この予感はすでに初めからあったことであると歎《なげ》いて、この親子の間では最後には海へ身を投げればよいという言葉が以前によく言われたものであるが、いよいよそうしたいほどつらく思った。年取った親たちだけをたよりにして、いつ人並みの娘のような幸福が得られるものとも知れなかった過去は、今に比べて懊悩《おうのう》の片はしも知らない自分だった。世の中のことはこんなに苦しいものなのであろうか、恋愛も結婚も処女の時に考えていたより悲しいものであると、女は心に思いながらも源氏には平静なふうを見せて、不快を買うような言動もしない。源氏の愛は月日とともに深くなっていくのであるが、最愛の夫人が一人京に残っていて、今の女の関係をいろいろに想像すれば恨めしい心が動くことであろうと思われる苦しさから、浜の館《やかた》のほうで一人寝をする夜のほうが多かった。
 源氏はいろいろに絵を描《か》いて、その時々の心を文章にしてつけていった。京の人に訴える気持ちで描いているのである。女王の返辞がこの絵巻から得られる期待で作られているのであった。感傷的な文学および絵画としてすぐれた作品である。どうして心が通じたのか二条の院の女王もものの身にしむ悲しい時々に、同じようにいろいろの絵を描《か》いていた。そしてそれに自身の生活を日記のようにして書いていた。この二つの絵巻の内容は興味の多いものに違いない。
 春になったが帝《みかど》に御悩《ごのう》があって世間も静かでない。当帝の御子は右大臣の女《むすめ》の承香殿《じょうきょうでん》の女御《にょご》の腹に皇子があった。それはやっとお二つの方であったから当然東宮へ御位《みくらい》はお譲りになるのであるが、朝廷の御後見をして政務を総括的に見る人物にだれを決めてよいかと帝はお考えになった末、源氏の君を不運の中に沈淪《ちんりん》させておいて、起用しないことは国家の損失であると思召《おぼしめ》して、太后が御反対になったにもかかわらず赦免の御沙汰《ごさた》が、源氏へ下ることになった。去年から太后も物怪《もののけ》のために病んでおいでになり、そのほか天の諭《さと》しめいたことがしきりに起こることでもあったし、祈祷《きとう》と御|精進《しょうじん》で一時およろしかった御眼疾もまたこのごろお悪くばかりなっていくことに心細く思召して、七月二十幾日に再度|御沙汰《ごさた》があって、京へ帰ることを源氏は命ぜられた。いずれはそうなることと源氏も期していたのではあるが、無常の人生であるから、それがまたどんな変わったことになるかもしれないと不安がないでもなかったのに、にわかな宣旨《せんじ》で帰洛《きらく》のことの決まったのはうれしいことではあったが、明石《あかし》の浦を捨てて出ねばならぬことは相当に源氏を苦しませた。入道も当然であると思いながらも、胸に蓋《ふた》がされたほど悲しい気持ちもするのであったが、源氏が都合よく栄えねば自分のかねての理想は実現されないのであるからと思い直した。
 その時分は毎夜山手の家へ通う源氏であった。今年の六月ごろから女は妊娠していた。別離の近づくことによってあやにくなと言ってもよいように源氏は女を深く好きになった。どこまでも恋の苦から離れられない自分なのであろうと源氏は煩悶《はんもん》していた。女はもとより思い乱れていた。もっともなことである。思いがけぬ旅に京は捨ててもまた帰る日のないことなどは源氏の思わなかったことであった。慰める所がそれにはあった。今度は幸福な都へ帰るのであって、この土地との縁はこれで終わると見ねばならないと思うと、源氏は物哀れでならなかった。侍臣たちにも幸運は分かたれていて、だれもおどる心を持っていた。京の迎えの人たちもその日からすぐに下って来た者が多数にあって、それらも皆人生が楽しくばかり思われるふうであるのに、主人の入道だけは泣いてばかりいた。そして七月が八月になった。色の身にしむ秋の空をながめて、自分は今も昔も恋愛のために絶えない苦を負わされる、思い死にもしなければならないようにと源氏は思い悶《もだ》えていた。女との関係を知っている者は、
「反感が起こるよ。例のお癖だね」
 と言って、困ったことだと思っていた。源氏が長い間この関係を秘密にしていて、人目を紛らして通っていたことが近ごろになって人々にわかったのであったから、
「女からいえば一生の物思いを背負い込んだようなものだ」
 とも言ったりした。少納言がよく話していた女であるともその連中が言っていた時、良清《よしきよ》は少しくやしかった。
 出発が明後日に近づいた夜、いつもよりは早く山手の家へ源氏は出かけた。まだはっきりとは今日までよく見なかった女は、貴女《きじょ》らしい気高《けだか》い様子が見えて、この身分にふさわしくない端麗さが備わっていた。捨てて行きがたい気がして、源氏はなんらかの形式で京へ迎えようという気になったのであった。そんなふうに言って女を慰めていた。女からもつくづくと源氏の見られるのも今夜がはじめてであった。長い苦労のあとは源氏の顔に痩《や》せが見えるのであるが、それがまた言いようもなく艶《えん》であった。あふれるような愛を持って、涙ぐみながら将来の約束を女にする源氏を見ては、これだけの幸福をうければもうこの上を願わないであきらめることもできるはずであると思われるのであるが、女は源氏が美しければ美しいだけ自身の価値の低さが思われて悲しいのであった。秋風の中で聞く時にことに寂しい波の音がする。塩を焼く煙がうっすり空の前に浮かんでいて、感傷的にならざるをえない風景がそこにはあった。

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このたびは立ち別るとも藻塩《もしほ》焼く煙は同じ方《かた》になびかん
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 と源氏が言うと、

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かきつめて海人《あま》の焼く藻《も》の思ひにも今はかひなき恨みだにせじ
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 とだけ言って、可憐《かれん》なふうに泣いていて多くは言わないのであるが、源氏に時々答える言葉には情のこまやかさが見えた。源氏が始終聞きたく思っていた琴を今日まで女の弾《ひ》こうとしなかったことを言って源氏は恨んだ。
「ではあとであなたに思い出してもらうために私も弾くことにしよう」
 と源氏は、京から持って来た琴を浜の家へ取りにやって、すぐれたむずかしい曲の一節を弾いた。深夜の澄んだ気の中であったから、非常に美しく聞こえた。入道は感動して、娘へも促すように自身で十三絃の琴を几帳《きちょう》の中へ差し入れた。女もとめどなく流れる涙に誘われたように、低い音で弾き出した。きわめて上手《じょうず》である。入道の宮の十三絃の技は現今第一であると思うのは、はなやかにきれいな音で、聞く者の心も朗らかになって、弾き手の美しさも目に髣髴《ほうふつ》と描かれる点などが非常な名手と思われる点である。これはあくまでも澄み切った芸で、真の音楽として批判すれば一段上の技倆《ぎりょう》があるとも言えると、こんなふうに源氏は思った。源氏のような音楽の天才である人が、はじめて味わう妙味であると思うような手もあった。飽満するまでには聞かせずにやめてしまったのであるが、源氏はなぜ今日までにしいても弾かせなかったかと残念でならない。熱情をこめた言葉で源氏はいろいろに将来を誓った。
「この琴はまた二人で合わせて弾く日まで形見にあげておきましょう」
 と源氏が琴のことを言うと、女は、

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なほざりに頼めおくめる一ことをつきせぬ音《ね》にやかけてしのばん
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 言うともなくこう言うのを、源氏は恨んで、

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逢《あ》ふまでのかたみに契る中の緒《を》のしらべはことに変はらざらなん
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 と言ったが、なおこの琴の調子が狂わない間に必ず逢おうとも言いなだめていた。信頼はしていても目の前の別れがただただ女には悲しいのである。もっともなことと言わねばならない。
 もう出立の朝になって、しかも迎えの人たちもおおぜい来ている騒ぎの中に、時間と人目を盗んで源氏は女へ書き送った。

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うち捨てて立つも悲しき浦波の名残《なごり》いかにと思ひやるかな
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 返事、

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年経つる苫屋《とまや》も荒れてうき波の帰る方にや身をたぐへまし
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 これは実感そのまま書いただけの歌であるが、手紙をながめている源氏はほろほろと涙をこぼしていた。女の関係を知らない人々はこんな住居《すまい》も、一年以上いられて別れて行く時は名残があれほど惜しまれるものなのであろうと単純に同情していた。良清などはよほどお気に入った女なのであろうと憎く思った。侍臣たちは心中のうれしさをおさえて、今日限りに立って行く明石の浦との別れに湿っぽい歌を作りもしていたが、それは省いておく。
 出立の日の饗応《きょうおう》を入道は派手《はで》に設けた。全体の人へ餞別《せんべつ》にりっぱな旅装一|揃《そろ》いずつを出すこともした。いつの間にこの用意がされたのであるかと驚くばかりであった。源氏の衣服はもとより質を精選して調製してあった。幾個かの衣櫃《ころもびつ》が列に加わって行くことになっているのである。今日着て行く狩衣《かりぎぬ》の一所に女の歌が、

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寄る波にたち重ねたる旅衣しほどけしとや人のいとはん
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 と書かれてあるのを見つけて、立ちぎわではあったが源氏は返事を書いた。

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かたみにぞかふべかりける逢ふことの日数へだてん中の衣を
[#ここで字下げ終わり]

 というのである。
「せっかくよこしたのだから」
 と言いながらそれに着かえた。今まで着ていた衣服は女の所へやった。思い出させる恋の技巧というものである。自身のにおいの沁《し》んだ着物がどれだけ有効な物であるかを源氏はよく知っていた。
「もう捨てました世の中ですが、今日のお送りのできませんことだけは残念です」
 などと言っている入道が、両手で涙を隠しているのがかわいそうであると源氏は思ったが、他の若い人たちの目にはおかしかったに違いない。

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「世をうみにここらしほじむ身となりてなほこの岸をえこそ離れね
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 子供への申しわけにせめて国境まではお供をさせていただきます」
 と入道は言ってから、
「出すぎた申し分でございますが、思い出しておやりくださいます時がございましたら御音信をいただかせてくださいませ」
 などと頼んだ。悲しそうで目のあたりの赤くなっている源氏の顔が美しかった。
「私には当然の義務であることもあるのですから、決して不人情な者でないとすぐにまたよく思っていただくような日もあるでしょう。私はただこの家と離れることが名残《なごり》惜しくてならない、どうすればいいことなんだか」
 と言って、

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都|出《い》でし春の歎《なげ》きに劣らめや年ふる浦を別れぬる秋
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 と涙を袖《そで》で源氏は拭《ぬぐ》っていた。これを見ると入道は気も遠くなったように萎《しお》れてしまった。それきり起居《たちい》もよろよろとするふうである。明石の君の心は悲しみに満たされていた。外へは現わすまいとするのであるが、自身の薄倖《はっこう》であることが悲しみの根本になっていて、捨てて行く恨めしい源氏がまた恋しい面影になって見えるせつなさは、泣いて僅かに洩《も》らすほかはどうしようもない。母の夫人もなだめかねていた。
「どうしてこんなに苦労の多い結婚をさせたろう。固意地《かたいじ》な方の言いなりに私までもがついて行ったのがまちがいだった」
 と夫人は歎息《たんそく》していた。
「うるさい、これきりにあそばされないことも残っているのだから、お考えがあるに違いない。湯でも飲んでまあ落ち着きなさい。ああ苦しいことが起こってきた」
 入道はこう妻と娘に言ったままで、室の片隅《かたすみ》に寄っていた。妻と乳母《めのと》とが口々に入道を批難した。
「お嬢様を御幸福な方にしてお見上げしたいと、どんなに長い間祈って来たことでしょう。いよいよそれが実現されますことかと存じておりましたのに、お気の毒な御経験をあそばすことになったのでございますね。最初の御結婚で」
 こう言って歎《なげ》く人たちもかわいそうに思われて、そんなこと、こんなことで入道の心は前よりずっとぼけていった。昼は終日寝ているかと思うと、夜は起き出して行く。
「数珠《じゅず》の置き所も知れなくしてしまった」
 と両手を擦《す》り合わせて絶望的な歎息《たんそく》をしているのであった。弟子《でし》たちに批難されては月夜に出て御堂《みどう》の行道《ぎょうどう》をするが池に落ちてしまう。風流に作った庭の岩角《いわかど》に腰をおろしそこねて怪我《けが》をした時には、その痛みのある間だけ煩悶《はんもん》をせずにいた。
 源氏は浪速《なにわ》に船を着けて、そこで祓《はら》いをした。住吉《すみよし》の神へも無事に帰洛《きらく》の日の来た報告をして、幾つかの願《がん》を実行しようと思う意志のあることも使いに言わせた。自身は参詣《さんけい》しなかった。途中の見物などもせずにすぐに京へはいったのであった。
 二条の院へ着いた一行の人々と京にいた人々は夢心地《ゆめごこち》で逢い、夢心地で話が取りかわされた。喜び泣きの声も騒がしい二条の院であった。紫夫人も生きがいなく思っていた命が、今日まであって、源氏を迎ええたことに満足したことであろうと思われる。美しかった人のさらに完成された姿を二年半の時間ののちに源氏は見ることができたのである。寂しく暮らした間に、あまりに多かった髪の量の少し減ったまでもがこの人をより美しく思わせた。こうしてこの人と永久に住む家へ帰って来ることができたのであると、源氏の心の落ち着いたのとともに、またも別離を悲しんだ明石の女がかわいそうに思いやられた。源氏は恋愛の苦にどこまでもつきまとわれる人のようである。源氏は夫人に明石の君のことを話した。女王はどう感じたか、恨みを言うともなしに「身をば思はず」(忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな)などとはかなそうに言っているのを、美しいとも可憐《かれん》であるとも源氏は思った。見ても見ても見飽かぬこの人と別れ別れにいるようなことは何がさせたかと思うと今さらまた恨めしかった。
 間もなく源氏は本官に復した上、権大納言《ごんだいなごん》も兼ねる辞令を得た。侍臣たちの官位もそれぞれ元にかえされたのである。枯れた木に春の芽が出たようなめでたいことである。
 お召しがあって源氏は参内した。お常御殿に上がると、源氏のさらに美しくなった姿をあれで田舎《いなか》住まいを長くしておいでになったのかと人は驚いた。前代から宮中に奉仕していて、年を取った女房などは、悲しがって今さらまた泣き騒いでいた。帝《みかど》も源氏にお逢いになるのを晴れがましく思召《おぼしめ》されて、お身なりなどをことにきれいにあそばしてお出ましになった。ずっと御病気でおありになったために、衰弱が御見えになるのであるが、昨今になって陛下の御気分はおよろしかった。しめやかにお話をあそばすうちに夜になった。十五夜の月の美しく静かなもとで昔をお忍びになって帝はお心をしめらせておいでになった。お心細い御様子である。
「音楽をやらせることも近ごろはない。あなたの琴の音もずいぶん長く聞かなんだね」
 と仰せられた時、

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わたつみに沈みうらぶれひるの子の足立たざりし年は経にけり
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 と源氏が申し上げると、帝は兄君らしい憐《あわれ》みと、君主としての過失をみずからお認めになる情を優しくお見せになって、

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宮ばしらめぐり逢ひける時しあれば別れし春の恨み残すな
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 と仰せられた。艶《えん》な御様子であった。
 源氏は院の御為《おんため》に法華経《ほけきょう》の八講を行なう準備をさせていた。
 東宮にお目にかかると、ずっとお身大きくなっておいでになって、珍しい源氏の出仕をお喜びになるのを、限りもなくおかわいそうに源氏は思った。学問もよくおできになって、御位《みくらい》におつきになってもさしつかえはないと思われるほど御|聡明《そうめい》であることがうかがわれた。少し日がたって気の落ち着いたころに御訪問した入道の宮ででも、感慨無量な御会談があったはずである。
 源氏は明石から送って来た使いに手紙を持たせて帰した。夫人にはばかりながらこまやかな情を女に書き送ったのである。
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毎夜毎夜悲しく思っているのですか、

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歎きつつ明石の浦に朝霧の立つやと人を思ひやるかな
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 こんな内容であった。
 大弐《だいに》の娘の五節《ごせち》は、一人でしていた心の苦も解消したように喜んで、どこからとも言わせない使いを出して、二条の院へ歌を置かせた。

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須磨の浦に心を寄せし船人のやがて朽《く》たせる袖《そで》を見せばや
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 字は以前よりずっと上手《じょうず》になっているが、五節に違いないと源氏は思って返事を送った。

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かへりてはかごとやせまし寄せたりし名残《なごり》に袖の乾《ひ》がたかりしを
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 源氏はずいぶん好きであった女であるから、誘いかけた手紙を見ては訪ねたい気がしきりにするのであるが、当分は不謹慎なこともできないように思われた。花散里《はなちるさと》などへも手紙を送るだけで、逢いには行こうとしないのであったから、かえって京に源氏のいなかったころよりも寂しく思っていた。

明石 版本说明

底本:「全訳源氏物語 上巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年8月10日改版初版発行
   1994(平成6)年12月20日56版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月5日71版を使用しました。
入力:上田英代
校正:鈴木厚司
2003年7月16日作成
青空文庫作成ファイル:
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14 澪標

[#地から3字上げ]みをつくし逢《あ》はんと祈るみてぐらもわ
[#地から3字上げ]れのみ神にたてまつるらん (晶子)

 須磨《すま》の夜の源氏の夢にまざまざとお姿をお現わしになって以来、父帝のことで痛心していた源氏は、帰京ができた今日になってその御菩提《ごぼだい》を早く弔いたいと仕度《したく》をしていた。そして十月に法華経《ほけきょう》の八講が催されたのである。参列者の多く集まって来ることは昔のそうした場合のとおりであった。今日も重く煩っておいでになる太后は、その中ででも源氏を不運に落としおおせなかったことを口惜《くちお》しく思召《おぼしめ》すのであったが、帝《みかど》は院の御遺言をお思いになって、当時も報いが御自身の上へ落ちてくるような恐れをお感じになったのであるから、このごろはお心持ちがきわめて明るくおなりあそばされた。時々はげしくお煩いになった御眼疾も快くおなりになったのであるが、短命でお終わりになるような予感があってお心細いためによく源氏をお召しになった。政治についても隔てのない進言をお聞きになることができて、一般の人も源氏の意見が多く採用される宮廷の現状を喜んでいた。
 帝は近く御遜位《ごそんい》の思召《おぼしめ》しがあるのであるが、尚侍《ないしのかみ》がたよりないふうに見えるのを憐《あわ》れに思召した。
「大臣は亡《な》くなるし、大宮も始終お悪いのに、私さえも余命がないような気がしているのだから、だれの保護も受けられないあなたは、孤独になってどうなるだろうと心配する。初めからあなたの愛はほかの人に向かっていて、私を何とも思っていないのだが、私はだれよりもあなたが好きなのだから、あなたのことばかりがこんな時にも思われる。私よりも優越者がまたあなたと恋愛生活をしても、私ほどにはあなたを思ってはくれないことはないかと、私はそんなことまでも考えてあなたのために泣かれるのだ」
 帝は泣いておいでになった。羞恥《しゅうち》に頬《ほお》を染めているためにいっそうはなやかに、愛嬌《あいきょう》がこぼれるように見える尚侍も涙を流しているのを御覧になると、どんな罪も許すに余りあるように思召されて、御愛情がそのほうへ傾くばかりであった。
「なぜあなたに子供ができないのだろう。残念だね。前生の縁の深い人とあなたの中にはすぐにまたその悦《よろこ》びをする日もあるだろうと思うとくやしい。それでも気の毒だね、親王を生むのでないから」
 こんな未来のことまでも仰せになるので、恥ずかしい心がしまいには悲しくばかりなった。帝は御容姿もおきれいで、深く尚侍をお愛しになる御心は年月とともに顕著になるのを、尚侍は知っていて、源氏はすぐれた男であるが、自分を思う愛はこれほどのものでなかったということもようやく悟ることができてきては、若い無分別さからあの大事件までも引き起こし、自分の名誉を傷つけたことはもとより、あの人にも苦労をさせることになったとも思われて、それも皆自分が薄倖《はっこう》な女だからであるとも悲しんでいた。
 翌年の二月に東宮の御元服があった。十二でおありになるのであるが、御年齢のわりには御大人《おんおとな》らしくて、おきれいで、ただ源氏の大納言の顔が二つできたようにお見えになった。まぶしいほどの美を備えておいでになるのを、世間ではおほめしているが、母宮はそれを人知れず苦労にしておいでになった。帝も東宮のごりっぱでおありになることに御満足をあそばして御即位後のことをなつかしい御様子でお教えあそばした。
 この同じ月の二十幾日に譲位のことが行なわれた。太后はお驚きになった。
「ふがいなく思召すでしょうが、私はこうして静かにあなたへ御孝養がしたいのです」
 と帝はお慰めになったのであった。東宮には承香殿《じょうきょうでん》の女御《にょご》のお生みした皇子がお立ちになった。
 すべてのことに新しい御代《みよ》の光の見える日になった。見聞きする眼《め》に耳にはなやかな気分の味わわれることが多かった。源氏の大納言は内大臣になった。左右の大臣の席がふさがっていたからである。そして摂政《せっしょう》にこの人がなることも当然のことと思われていたが、
「私はそんな忙しい職に堪えられない」
 と言って、致仕《ちし》の左大臣に摂政を譲った。
「私は病気によっていったん職をお返しした人間なのですから、今日はまして年も老いてしまったし、そうした重任に当たることなどはだめです」
 と大臣は言って引き受けない。
「支那《しな》でも政界の混沌《こんとん》としている時代は退《しりぞ》いて隠者になっている人も治世の君がお決まりになれば、白髪も恥じずお仕えに出て来るような人をほんとうの聖人だと言ってほめています。御病気で御辞退になった位を次の天子の御代に改めて頂戴《ちょうだい》することはさしつかえがありませんよ」
 と源氏も、公人として私人として忠告した。大臣も断わり切れずに太政大臣になった。年は六十三であった。事実は先朝に権力をふるった人たちに飽き足りないところがあって引きこもっていたのであるから、この人に栄えの春がまわってきたわけである。一時不遇なように見えた子息たちも浮かび出たようである。その中でも宰相中将は権中納言になった。四の君が生んだ今年十二になる姫君を早くから後宮に擬して中納言は大事に育てていた。以前二条の院につれられて来て高砂《たかさご》を歌った子も元服させて幸福な家庭を中納言は持っていた。腹々に生まれた子供が多くて一族がにぎやかであるのを源氏はうらやましく思っていた。太政大臣家で育てられていた源氏の子はだれよりも美しい子供で、御所へも東宮へも殿上童《てんじょうわらわ》として出入りしているのである。源氏の葵《あおい》夫人の死んだことを、父母はまたこの栄えゆく春に悲しんだ。しかしすべてが昔の婿の源氏によってもたらされた光明であって、何年かの暗い影が源氏のためにこの家から取り去られたのである。源氏は今も昔のとおりに老夫妻に好意を持っていて何かの場合によく訪《たず》ねて行った。若君の乳母《めのと》そのほかの女房も長い間そのままに勤めている者に、厚く酬《むく》いてやることも源氏は忘れなかった。幸せ者が多くできたわけである。二条の院でもそのとおりに、主人を変えようともしなかった女房を源氏は好遇した。また中将とか、中務《なかつかさ》とかいう愛人関係であった人たちにも、多年の孤独が慰むるに足るほどな愛撫《あいぶ》が分かたれねばならないのであったから、暇がなくて外歩きも源氏はしなかった。二条の院の東に隣った邸《やしき》は院の御遺産で源氏の所有になっているのをこのごろ源氏は新しく改築させていた。花散里《はなちるさと》などという恋人たちを住ませるための設計をして造られているのである。
 源氏は明石《あかし》の君の妊娠していたことを思って、始終気にかけているのであったが、公私の事の多さに、使いを出して尋ねることもできない。三月の初めにこのごろが産期になるはずであると思うと哀れな気がして使いをやった。
「先月の十六日に女のお子様がお生まれになりました」
 という報《しら》せを聞いた源氏は愛人によってはじめての女の子を得た喜びを深く感じた。なぜ京へ呼んで産をさせなかったかと残念であった。源氏の運勢を占って、子は三人で、帝《みかど》と后《きさき》が生まれる、いちばん劣った運命の子は太政大臣で、人臣の位をきわめるであろう、その中のいちばん低い女が女の子の母になるであろうと言われた。また源氏が人臣として最高の位置を占めることも言われてあったので、それは有名な相人《そうにん》たちの言葉が皆一致するところであったが、逆境にいた何年間はそんなことも心に否定するほかはなかったのである。当帝が即位されたことは源氏にうれしかったが、自身の上に高御座《たかみくら》の栄誉を希《ねが》わないことは少年の日と少しも異なっていなかった。あるまじいことと思っている。多くの皇子たちの中にすぐれてお愛しになった父帝が人臣の列に自分をお置きになった御精神を思うと、自分の運と天位とは別なものであると思う源氏であった。源氏は相人の言葉のよく合う実証として、今帝の御即位が思われた。后《きさき》が一人自分から生まれるということに明石の報《しら》せが符合することから、住吉《すみよし》の神の庇護《ひご》によってあの人も后の母になる運命から、父の入道が自然片寄った婿選びに身命を打ち込むほどの狂態も見せたのであろう。后の位になるべき人を田舎《いなか》で生まれさせたのはもったいない気の毒なことであると源氏は思って、しばらくすれば京へ呼ぼうと思って、東の院の建築を急がせていた。明石のような田舎に相当な乳母《めのと》がありえようとは思われないので、父帝の女房をしていた宣旨《せんじ》という女の娘で父は宮内卿《くないきょう》宰相だった人であったが、母にも死に別れ、寂しい生活をするうちに恋愛関係から子供を生んだという話を近ごろ源氏は聞き、その噂《うわさ》を伝えた人を呼び出して、宰相の娘に、源氏の姫君の乳母として明石へ赴《おもむ》くことの交渉を始めさせた。この女はまだ若くて無邪気な性質から、寂しい荒《あば》ら屋で物思いをばかりして暮らす朝夕の生活に飽いていて、深くも考えずに、源氏の縁のかかった所に生活のできることほどよいこともないようにこれまでから焦《こが》れていて、すぐに承諾して来た。源氏は田舎《いなか》下りをしてくれる宰相の娘を哀れに思って、いろいろと出立の用意をしてやっていた。
 外出したついでに源氏はそっとわが子の新しい乳母の家へ寄った。快諾を伝えてもらったのであるが、なお女はどうしようかと煩悶《はんもん》していた所へ源氏みずからが来てくれたので、それで旅に出る心も慰んで、あきらめもついた。
「御意のとおりにいたします」
 と言っていた。ちょうど吉日でもあったのですぐに立たせることに源氏はした。
「同情がないようだけれど、私は将来に特別な考えもある子なのだからね、それに私も経験して来た土地の生活だから、そう思ってまあ初めだけしばらく我慢をすれば馴《な》れてしまうよ」
 と源氏は明石の入道家のことをくわしく話して聞かせた。母といっしょに父帝のおそばに来ていたこともあって、時々は見た顔であったが、以前に比べると容貌《ようぼう》が衰えていた。家の様子などもずいぶんひどい荒れ方になっている。さすがに広いだけは広いが気味悪く思われるほど木なども繁《しげ》りほうだいになっていて、こんな家にどうして暮らしてきたかと思われるほどである。若やかで美しいたちの女であったから、源氏が戯談《じょうだん》を言ったりするのにもおもしろい相手であった。
「私は取り返したい気がする。遠くへなどおまえをやりたくない。どう」
 と言われて、直接源氏のそばで使われる身になれたなら、過去のどんな不幸も忘れることができるであろうと、物哀れな気持ちに女はなった。

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「かねてより隔てぬ中とならはねど別れは惜しきものにぞありける
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 いっしょに行こうかね」
 と源氏が言うと、女は笑って、

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うちつけの別れを惜しむかごとにて思はん方に慕ひやはせぬ
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 と冷やかしもした。
 京の間だけは車でやった。親しい侍を一人つけて、あくまでも秘密のうちに乳母《めのと》は送られたのである。守り刀ようの姫君の物、若い母親への多くの贈り物等が乳母に託されたのであった。乳母にも十分の金品が支給されてあった。源氏は入道がどんなに孫を大事がっていることであろうと、いろいろな場合を想像することで微笑がされた。母になった恋人も哀れに思いやられた。このごろの源氏の心は明石の浦へ傾き尽くしていた。手紙にも姫君を粗略にせぬようにと繰り返し繰り返し誡《いまし》めてあった。

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いつしかも袖《そで》うちかけんをとめ子が世をへて撫《な》でん岩のおひさき
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 こんな歌も送ったのである。摂津の国境《くにざかい》までは船で、それからは馬に乗って乳母は明石へ着いた。入道は非常に喜んでこの一行を受け取った。感激して京のほうを拝んだほどである。そしていよいよ姫君は尊いものに思われた。おそろしいほどたいせつなものに思われた。乳母が小さい姫君の美しい顔を見て、聡明《そうめい》な源氏が将来を思って大事にするのであると言ったことはもっともなことであると思った。来る途中で心細いように、恐ろしいように思った旅の苦痛などもこれによって忘れてしまうことができた。非常にかわいく思って乳母は幼い姫君を扱った。若い母は幾月かの連続した物思いのために衰弱したからだで出産をして、なお命が続くものとも思っていなかったが、この時に見せられた源氏の至誠にはおのずから慰められて、力もついていくようであった。送って来た侍に対しても入道は心をこめた歓待をした。あまり丁寧な待遇に侍は困って、
「こちらの御様子を聞こうとお待ちになっていらっしゃるでしょうから早く帰京いたしませんと」
 とも言うのであった。明石の君は感想を少し書いて、

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一人して撫《な》づるは袖《そで》のほどなきに覆《おほ》ふばかりの蔭《かげ》をしぞ待つ
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 と歌も添えて来た。怪しいほど源氏は明石の子が心にかかって、見たくてならぬ気がした。夫人には明石の話をあまりしないのであるが、ほかから聞こえて来て不快にさせてはと思って、源氏は明石の君の出産の話をした。
「人生は意地の悪いものですね。そうありたいと思うあなたにはできそうでなくて、そんな所に子が生まれるなどとは。しかも女の子ができたのだからね、悲観してしまう。うっちゃって置いてもいいのだけれど、そうもできないことでね、親であって見ればね。京へ呼び寄せてあなたに見せてあげましょう。憎んではいけませんよ」
「いつも私がそんな女であるとしてあなたに言われるかと思うと私自身もいやになります。けれど女が恨みやすい性質になるのはこんなことばかりがあるからなのでしょう」
 と女王《にょおう》は怨《うら》んだ。
「そう、だれがそんな習慣をつけたのだろう。あなたは実際私の心持ちをわかろうとしてくれない。私の思っていないことを忖度《そんたく》して恨んでいるから私としては悲しくなる」
 と言っているうちに源氏は涙ぐんでしまった。どんなにこの人が恋しかったろうと別居時代のことを思って、おりおり書き合った手紙にどれほど悲しい言葉が盛られたものであろうと思い出していた源氏は、明石の女のことなどはそれに比べて命のある恋愛でもないと思われた。
「子供に私が大騒ぎして使いを出したりしているのも考えがあるからですよ。今から話せばまた悪くあなたが取るから」
 とその話を続けずに、
「すぐれた女のように思ったのは場所のせいだったと思われる。とにかく平凡でない珍しい存在だと思いましたよ」
 などと子の母について語った。別れの夕べに前の空を流れた塩焼きの煙のこと、女の言った言葉、ほんとうよりも控え目な女の容貌《ようぼう》の批評、名手らしい琴の弾《ひ》きようなどを忘られぬふうに源氏の語るのを聞いている女王は、その時代に自分は一人でどんなに寂しい思いをしていたことであろう、仮にもせよ良人《おっと》は心を人に分けていた時代にと思うと恨めしくて、明石の女のために歎息《たんそく》をしている良人は良人であるというように、横のほうを向いて、
「どんなに私は悲しかったろう」
 歎息しながら独言《ひとりごと》のようにこう言ってから、

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思ふどち靡《なび》く方にはあらずとも我《われ》ぞ煙に先立ちなまし
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「何ですって、情けないじゃありませんか、

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たれにより世をうみやまに行きめぐり絶えぬ涙に浮き沈む身ぞ
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 そうまで誤解されては私はもう死にたくなる。つまらぬことで人の感情を害したくないと思うのも、ただ一つの私の願いのあなたと永《なが》く幸福でいたいためじゃないのですか」
 源氏は十三絃の掻《か》き合わせをして、弾《ひ》けと女王に勧めるのであるが、名手だと思ったと源氏に言われている女がねたましいか手も触れようとしない。おおようで美しく柔らかい気持ちの女性であるが、さすがに嫉妬《しっと》はして、恨むことも腹を立てることもあるのが、いっそう複雑な美しさを添えて、この人をより引き立てて見せることだと源氏は思っていた。
 五月の五日が五十日《いか》の祝いにあたるであろうと源氏は人知れず数えていて、その式が思いやられ、その子が恋しくてならないのであった。紫の女王に生まれた子であったなら、どんなにはなやかにそれらの式を自分は行なってやったことであろうと残念である。あの田舎《いなか》で父のいぬ場所で生まれるとは憐《あわ》れな者であると思っていた。男の子であれば源氏もこうまでこの事実に苦しまなかったであろうが、后《きさき》の望みを持ってよい女の子にこの引け目をつけておくことが堪えられないように思われて、自分の運はこの一点で完全でないとさえ思った。五十日《いか》のために源氏は明石へ使いを出した。
「ぜひ当日着くようにして行け」
 と源氏に命ぜられてあった使いは五日に明石へ着いた。華奢《かしゃ》な祝品の数々のほかには実用品も多く添えて源氏は贈ったのである。

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海松や時ぞともなきかげにゐて何のあやめもいかにわくらん

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からだから魂が抜けてしまうほど恋しく思います。私はこの苦しみに堪えられないと思う。ぜひ京へ出て来ることにしてください。こちらであなたに不愉快な思いをさせることは断じてない。
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 という手紙であった。入道は例のように感激して泣いていた。源氏の出立の日の泣き顔とは違った泣き顔である。明石でも式の用意は派手《はで》にしてあった。見て報告をする使いが来なかったなら、それがどんなに晴れをしなかったことだろうと思われた。乳母《めのと》も明石の君の優しい気質に馴染《なじ》んで、よい友人を得た気になって、京のことは思わずに暮らしていた。入道の身分に近いほどの家の女《むすめ》もここに来て女房勤めをしているようなのが幾人かはあるが、それがどうかといえば京の宮仕えに磨《す》り尽くされたような年配の者が生活の苦から脱《のが》れるために田舎《いなか》下りをしたのが多いのに、この乳母はまだ娘らしくて、しかも思い上がった心を持っていて、自身の見た京を語り、宮廷を語り、縉紳《しんしん》の家の内部の派手な様子を語って聞かせることができた。源氏の大臣がどれほど社会から重んぜられているかということも、女心にしたいだけの誇張もして始終話した。乳母の話から、その人が別れたのちの今日までも好意を寄せて、また自分の生んだ子を愛してくれているのは幸福でなくて何であろうと明石の君はようやくこのごろになって思うようになった。乳母は源氏の手紙をいっしょに読んでいて、人間にはこんなに意外な幸運を持っている人もあるのである、みじめなのは自分だけであると悲しまれたが、乳母はどうしているかということも奥に書かれてあって、源氏が自分に関心を持っていることを知ることができたので満足した。返事は、

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数ならぬみ島がくれに鳴く鶴《たづ》を今日もいかにと訪《と》ふ人ぞなき

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いろいろに物思いをいたしながら、たまさかのおたよりを命にしておりますのもはかない私でございます。仰せのように子供の将来に光明を認めとうございます。
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 というので、信頼した心持ちが現われていた。何度も同じ手紙を見返しながら、
「かわいそうだ」
 と長く声を引いて独言《ひとりごと》を言っているのを、夫人は横目にながめて、「浦より遠《をち》に漕《こ》ぐ船の」(我をば他《よそ》に隔てつるかな)と低く言って、物思わしそうにしていた。
「そんなにあなたに悪く思われるようにまで私はこの女を愛しているのではない。それはただそれだけの恋ですよ。そこの風景が目に浮かんできたりする時々に、私は当時の気持ちになってね、つい歎息《たんそく》が口から出るのですよ。なんでも気にするのですね」
 などと、恨みを言いながら上包みに書かれた字だけを夫人に見せた。品のよい手跡で貴女《きじょ》も恥ずかしいほどなのを見て、夫人はこうだからであると思った。
 こんなふうに紫の女王《にょおう》の機嫌《きげん》を取ることにばかり追われて、花散里《はなちるさと》を訪《たず》ねる夜も源氏の作られないのは女のためにかわいそうなことである。このごろは公務も忙しい源氏であった。外出に従者も多く従えて出ねばならぬ身分の窮屈《きゅうくつ》さもある上に、花散里その人がきわだつ刺戟《しげき》も与えぬ人であることを知っている源氏は、今日逢わねばと心の湧《わ》き立つこともないのであった。
 五月雨《さみだれ》のころは源氏もつれづれを覚えたし、ちょうど公務も閑暇《ひま》であったので、思い立ってその人の所へ行った。訪ねては行かないでも源氏の君はこの一家の生活を保護することを怠っていなかったのである。それにたよっている人は恨むことがあっても、ただみずからの薄命を歎《なげ》く程度のものであったから源氏は気楽に見えた。何年かのうちに邸内《やしきうち》はいよいよ荒れて、すごいような広い住居《すまい》であった。姉の女御《にょご》の所で話をしてから、夜がふけたあとで西の妻戸をたたいた。朧《おぼ》ろな月のさし込む戸口から艶《えん》な姿で源氏ははいって来た。美しい源氏と月のさす所に出ていることは恥ずかしかったが、初めから花散里はそこに出ていたのでそのままいた。この態度が源氏の気持ちを楽にした。水鶏《くいな》が近くで鳴くのを聞いて、

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水鶏だに驚かさずばいかにして荒れたる宿に月を入れまし
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 なつかしい調子で言うともなくこう言う女が感じよく源氏に思われた。どの人にも自身を惹《ひ》く力のあるのを知って源氏は苦しかった。

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「おしなべてたたく水鶏に驚かばうはの空なる月もこそ入れ
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 私は安心していられない」
 とは言っていたが、それは言葉の戯れであって、源氏は貞淑な花散里を信じ切っている。何に動揺することもなく長く留守《るす》の間を静かに待っていてくれた人を、源氏はおろそかには思っていなかった。当分悲しくならないがために空はながめないで暮らすようにと、行く前に源氏が言った夜のことなどを思い出して言うのであった。
「なぜあの時に私は非常に悲しいことだと思ったのでしょう。私などはあなたに幸福の帰って来た今だってもやはり寂しいのでしたのに」
 と恨みともなしにおおように言っているのが可憐《かれん》であった。例のように源氏は言葉を尽くして女を慰めていた。平生どうしまってあったこの人の熱情かと思われるようである。こんな機会がまた作られたならば、大弐《だいに》の五節《ごせち》に逢いたいと源氏は願っていたが、五節の訪問も実現がむずかしいと見なければならない。女は源氏を忘れることができないで、物思いの多い日を送っていて、親が心配してかれこれと勧める結婚話には取り合わずに、人並みの女の幸福などはいらないと思っていた。源氏は東の院は本邸でなく、そんな人たちを集めて住ませようと建築をさせているのであったから、もし理想どおりにかしずき娘ができてくることがあったら、顧問格の女として才女の五節などは必要な人物であると源氏は思っていた。東の院はおもしろい設計で建てられているのである。近代的な生活に適するような明るい家である。地方官の中のよい趣味を持つ一人一人に殿舎をわり当てにして作らせていた。
 源氏は今も尚侍《ないしのかみ》を恋しく思っていた。懲りたことのない人のように、また危《あぶな》いこともしかねないほど熱心になっているが、環境のために恋には奔放な力を見せた女もつつましくなっていて、昔のように源氏の誘惑に反響を見せるようなこともない。源氏は自身の地位ができて世の中が窮屈になり、冷たいものになり、物足りなくなったと感じていた。
 院は暢気《のんき》におなりあそばされて、よくお好きの音楽の会などをあそばして風流に暮らしておいでになった。女御《にょご》も更衣《こうい》も御在位の時のままに侍しているが、東宮の母君の女御だけは、以前取り立てて御|寵愛《ちょうあい》があったというのではなく、尚侍にけおされた後宮の一人に過ぎなかったが、思いがけぬ幸福に恵まれた結果になって、一人だけ離れて御所の中の東宮の御在所に侍しているのである。源氏の現在の宿直所《とのいどころ》もやはり昔の桐壺《きりつぼ》であって、梨壺《なしつぼ》に東宮は住んでおいでになるのであったから、御近所であるために源氏はその御殿とお親しくして、自然東宮の御後見もするようになった。
 入道の宮をまた新たに御母后《ごぼこう》の位にあそばすことは無理であったから、太上天皇に準じて女院《にょいん》にあそばされた。封国が決まり、院司の任命があって、これはまた一段立ちまさったごりっぱなお身の上と見えた。仏法に関係した善行功徳をお営みになることを天職のように思召《おぼしめ》して、精励しておいでになった。長い間御所への出入りも御遠慮しておいでになったが、今はそうでなく自由なお気持ちで宮中へおはいりになり、お出《で》になりあそばすのであった。皇太后は人生を恨んでおいでになった。何かの場合に源氏はこの方にも好意のある計らいをして敬意を表していた。太后としてはおつらいことであろうとささやく者が多かった。兵部卿《ひょうぶきょう》親王は源氏の官位|剥奪《はくだつ》時代に冷淡な態度をお見せになって、ただ世間の聞こえばかりをはばかって、御娘に対してもなんらの保護をお与えにならなかったことで、当時の源氏は恨めしい思いをさせられて、もう昔のように親しい御交際はしていなかった。一般の人にはあまねく慈悲を分かとうとする人であったが、兵部卿の宮一家にだけはやや復讐《ふくしゅう》的な扱いもするのを、入道の宮は苦しく思召された。現代には二つの大きな勢力があって、一つは太政大臣、一つは源氏の内大臣がそれで、この二人の意志で何事も断ぜられ、何事も決せられるのであった。権中納言の娘がその年の八月に後宮へはいった。すべての世話は祖父の大臣がしていてはなやかな仕度《したく》であった。兵部卿親王も第二の姫君を後宮へ入れる志望を持っておいでになって、大事にお傅《かし》ずきになる評判のあるのを、源氏はその姫君に光栄あれとも思われないのであった。源氏はまたどんな人を後宮へ推薦しようとしているかそれはわからない。
 この秋に源氏は住吉詣《すみよしもう》でをした。須磨《すま》、明石《あかし》で立てた願《がん》を神へ果たすためであって、非常な大がかりな旅になった。廷臣たちが我も我もと随行を望んだ。ちょうどこの日であった、明石の君が毎年の例で参詣《さんけい》するのを、去年もこの春も障《さわ》りがあって果たすことのできなかった謝罪も兼ねて、船で住吉へ来た。海岸のほうへ寄って行くと華美な参詣の行列が寄進する神宝を運び続けて来るのが見えた。楽人、十列《とつら》の者もきれいな男を選んであった。
「どなたの御参詣なのですか」
 と船の者が陸へ聞くと、
「おや、内大臣様の御願《ごがん》はたしの御参詣を知らない人もあるね」
 供男《ともおとこ》階級の者もこう得意そうに言う。何とした偶然であろう、ほかの月日もないようにと明石の君は驚いたが、はるかに恋人のはなばなしさを見ては、あまりに懸隔のありすぎるわが身の上であることを痛切に知って悲しんだ。さすがによそながら巡り合うだけの宿命につながれていることはわかるのであったが、笑って行った侍さえ幸福に輝いて見える日に、罪障の深い自分は何も知らずに来て恥ずかしい思いをするのであろうと思い続けると悲しくばかりなった。深い緑の松原の中に花|紅葉《もみじ》が撒《ま》かれたように見えるのは袍《ほう》のいろいろであった。赤袍は五位、浅葱《あさぎ》は六位であるが、同じ六位も蔵人《くろうど》は青色で目に立った。加茂の大神を恨んだ右近丞《うこんのじょう》は靫負《ゆぎえ》になって、随身をつれた派手《はで》な蔵人になって来ていた。良清《よしきよ》も同じ靫負佐《ゆぎえのすけ》になってはなやかな赤袍の一人であった。明石に来ていた人たちが昔の面影とは違ったはなやかな姿で人々の中に混じっているのが船から見られた。若い顕官たち、殿上役人が競うように凝った姿をして、馬や鞍《くら》にまで華奢《かしゃ》を尽くしている一行は、田舎《いなか》の見物人の目を楽しませた。源氏の乗った車が来た時、明石の君はきまり悪さに恋しい人をのぞくことができなかった。河原《かわら》の左大臣の例で童形《どうぎょう》の儀仗《ぎじょう》の人を源氏は賜わっているのである。それらは美しく装うていて、髪は分けて二つの輪のみずらを紫のぼかしの元結いでくくった十人は、背たけもそろった美しい子供である。近年はあまり許される者のない珍しい随身である。大臣家で生まれた若君は馬に乗せられていて、一班ずつを揃《そろ》えの衣裳《いしょう》にした幾班かの馬添い童《わらわ》がつけられてある。最高の貴族の子供というものはこうしたものであるというように、多数の人から大事に扱われて通って行くのを見た時、明石の君は自分の子も兄弟でいながら見る影もなく扱われていると悲しかった。いよいよ御社《みやしろ》に向いて子のために念じていた。
 摂津守が出て来て一行を饗応《きょうおう》した。普通の大臣の参詣《さんけい》を扱うのとはおのずから違ったことになるのは言うまでもない。明石の君はますます自分がみじめに見えた。
 こんな時に自分などが貧弱な御幣《みてぐら》を差し上げても神様も目にとどめにならぬだろうし、帰ってしまうこともできない、今日は浪速《なにわ》のほうへ船をまわして、そこで祓《はら》いでもするほうがよいと思って、明石の君の乗った船はそっと住吉を去った。こんなことを源氏は夢にも知らないでいた。夜通しいろいろの音楽舞楽を広前《ひろまえ》に催して、神の喜びたもうようなことをし尽くした。過去の願に神へ約してあった以上のことを源氏は行なったのである。惟光《これみつ》などという源氏と辛苦をともにした人たちは、この住吉の神の徳を偉大なものと感じていた。ちょっと外へ源氏の出て来た時に惟光《これみつ》が言った。

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住吉の松こそものは悲しけれ神代のことをかけて思へば
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 源氏もそう思っていた。

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「荒かりし浪《なみ》のまよひに住吉の神をばかけて忘れやはする
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 確かに私は霊験を見た人だ」
 と言う様子も美しい。こちらの派手《はで》な参詣ぶりに畏縮《いしゅく》して明石の船が浪速のほうへ行ってしまったことも惟光が告げた。その事実を少しも知らずにいたと源氏は心で憐《あわれ》んでいた。初めのことも今日のことも住吉の神が二人を愛しての導きに違いないと思われて、手紙を送って慰めてやりたい、近づいてかえって悲しませたことであろうと思った。住吉を立ってから源氏の一行は海岸の風光を愛しながら浪速に出た。そこでは祓いをすることになっていた。淀《よど》川の七瀬に祓いの幣が立てられてある堀江のほとりをながめて、「今はた同じ浪速なる」(身をつくしても逢はんとぞ思ふ)と我知らず口に出た。車の近くから惟光が口ずさみを聞いたのか、その用があろうと例のように懐中に用意していた柄の短い筆などを、源氏の車の留められた際に提供した。源氏は懐紙に書くのであった。

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みをつくし恋ふるしるしにここまでもめぐり逢ひける縁《えに》は深しな
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 惟光に渡すと、明石へついて行っていた男で、入道家の者と心安くなっていた者を使いにして明石の君の船へやった。派手な一行が浪速を通って行くのを見ても、女は自身の薄倖《はっこう》さばかりが思われて悲しんでいた所へ、ただ少しの消息ではあるが送られて来たことで感激して泣いた。

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数ならでなにはのこともかひなきに何みをつくし思ひ初《そ》めけん
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 田蓑島《たみのじま》での祓《はら》いの木綿《ゆう》につけてこの返事は源氏の所へ来たのである。ちょうど日暮れになっていた。夕方の満潮時で、海べにいる鶴《つる》も鳴き声を立て合って身にしむ気が多くすることから、人目を遠慮していずに逢いに行きたいとさえ源氏は思った。

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露けさの昔に似たる旅衣《たびごろも》田蓑《たみの》の島の名には隠れず
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 と源氏は歌われるのであった。遊覧の旅をおもしろがっている人たちの中で源氏一人は時々暗い心になった。高官であっても若い好奇心に富んだ人は、小船を漕《こ》がせて集まって来る遊女たちに興味を持つふうを見せる。源氏はそれを見てにがにがしい気になっていた。恋のおもしろさも対象とする者に尊敬すべき価値が備わっていなければ起こってこないわけである。恋愛というほどのことではなくても、軽薄な者には初めから興味が持てないわけであるのにと思って、彼女らを相手にはしゃいでいる人たちを軽蔑《けいべつ》した。
 明石の君は源氏の一行が浪速《なにわ》を立った翌日は吉日でもあったから住吉へ行って御幣《みてぐら》を奉った。その人だけの願も果たしたのである。郷里へ帰ってからは以前にも増した物思いをする人になって、人数《ひとかず》でない身の上を歎《なげ》き暮らしていた。もう京へ源氏の着くころであろうと思ってから間もなく源氏の使いが明石へ来た。近いうちに京へ迎えたいという手紙を持って来たのである。頼もしいふうに恋人の一人として認められている自分であるが、故郷を立って京へ出たのちにまで源氏の愛は変わらずに続くものであろうかと考えられることによって女は苦しんでいた。入道も手もとから娘を離してやることは不安に思われるのであるが、そうかといってこのまま田舎に置くことも悲惨な気がして源氏との関係が生じなかった時代よりもかえって苦労は多くなったようであった。女からは源氏をめぐるまぶしい人たちの中へ出て行く自信がなくて出京はできないという返事をした。
 この御代《みよ》になった初めに斎宮もお変わりになって、六条の御息所《みやすどころ》は伊勢《いせ》から帰って来た。それ以来源氏はいろいろと昔以上の好意を表しているのであるが、なお若かった日すらも恨めしい所のあった源氏の心のいわば余炎ほどの愛を受けようとは思わない、もう二人に友人以上の交渉があってはならないと御息所は決めていたから、源氏も自身で訪ねて行くようなことはしないのである。しいて旧情をあたためることに同意をさせても、自分ながらもまた女を恨めしがらせる結果にならないとは保証ができないというように源氏は思っていたし、女の家へ通うことなども今では人目を引くことが多くなっていることでもあって、待つと言わない人をしいて訪ねて行くことはしなかった。斎宮がどんなにりっぱな貴女《きじょ》になっておいでになるであろうと、それを目に見たく思っていた。御息所は六条の旧邸をよく修繕してあくまでも高雅なふうに暮らしていた。洗練された趣味は今も豊かで、よい女房の多い所として風流男の訪問が絶えない。寂しいようではあるが思い上がった貴女にふさわしい生活であると見えたが、にわかに重い病気になって心細くなった御息所は、伊勢という神の境にあって仏教に遠ざかっていた幾年かのことが恐ろしく思われて尼になった。源氏は聞いて、恋人として考えるよりも、首肯される意見を持つよき相談相手と信じていたその人の生命《いのち》が惜しまれて、驚きながら六条邸を見舞った。源氏は真心から御息所をいたわり、御息所を慰める言葉を続けた。病床の近くに源氏の座があって、御息所は脇息《きょうそく》に倚りかかりながらものを言っていた。非常に衰弱の見える昔の恋人のために源氏は泣いた。どれほど愛していたかをこの人に実証して見せることができないままで死別をせねばならぬかと残念でならないのである。この源氏の心が御息所に通じたらしくて、誠意の認められる昔の恋人に御息所は斎宮のことを頼んだ。
「孤児になるのでございますから、何かの場合に子の一人と思ってお世話をしてくださいませ。ほかに頼んで行く人はだれもない心細い身の上なのです。私のような者でも、もう少し人生というもののわかる年ごろまでついていてあげたかったのです」
 こう言ったあとで、そのまま気を失うのではないかと思われるほど御息所は泣き続けた。
「あなたのお言葉がなくてもむろん私は父と変わらない心で斎宮を思っているのですから、ましてあなたが御病中にもこんなに御心配になって私へお話しになることは、どこまでも責任を持ってお受け合いします。気がかりになどは少しもお思いになることはありませんよ」
 などと源氏が言うと、
「でもなかなかお骨の折れることでございますよ。あとを頼まれた人がほんとうの父親であっても、それでも母親のない娘は心細いことだろうと思われますからね。まして恋人の列になどお入れになっては、思わぬ苦労をすることでしょうし、またほかの方を不快にもさせることだろうと思います。悪い想像ですが決してそんなふうにお取り扱いにならないでね。私自身の経験から、あの人は恋愛もせず一生処女でいる人にさせたいと思います」
 御息所はこう言った。意外な忖度《そんたく》までもするものであると思ったが源氏はまた、
「近年の私がどんなにまじめな人間になっているかをご存じでしょう。昔の放縦な生活の名残《なごり》をとどめているようにおっしゃるのが残念です。自然おわかりになってくることでしょうが」
 と言った。もう外は暗くなっていた。ほのかな灯影《ほかげ》が病牀《びょうしょう》の几帳《きちょう》をとおしてさしていたから、あるいは見えることがあろうかと静かに寄って几帳の綻《ほころ》びからのぞくと、明るくはない光の中に昔の恋人の姿があった。美しくはなやかに思われるほどに切り残した髪が背にかかっていて、脇息によった姿は絵のようであった。源氏は哀れでたまらないような気がした。帳台の東寄りの所で身を横たえている人は前斎宮でおありになるらしい。几帳の垂《た》れ絹が乱れた間からじっと目を向けていると、宮は頬杖《ほおづえ》をついて悲しそうにしておいでになる。少ししか見えないのであるが美人らしく見えた。髪のかかりよう、頭の形などに気高《けだか》い美が備わりながらまた近代的なはなやかな愛嬌《あいきょう》のある様子もわかった。御息所があんなに阻止的に言っているのであるからと思って、源氏は動く心をおさえた。
「私はとてもまた苦しくなってまいりました。失礼でございますからもうお帰りくださいませ」
 と御息所は言って、女房の手を借りて横になった。
「私が伺ったので少しでも御気分がよくなればよかったのですが、お気の毒ですね。どんなふうに苦しいのですか」
 と言いながら、源氏が牀《とこ》をのぞこうとするので、御息所は女房に別れの言葉を伝えさせた。
「長くおいでくださいましては物怪《もののけ》の来ている所でございますからお危《あぶの》うございます。病気のこんなに悪くなりました時分に、おいでくださいましたことも深い御因縁のあることとうれしく存じます。平生思っておりましたことを少しでもお話のできましたことで、あなたは遺族にお力を貸してくださるでしょうと頼もしく思われます」
「大事な御遺言を私にしてくださいましたことをうれしく存じます。院の皇女がたはたくさんいらっしゃるのですが、私と親しくしてくださいます方はあまりないのですから、斎宮を院が御自身の皇女の列に思召《おぼしめ》されましたとおりに私も思いまして、兄弟として睦《むつ》まじくいたしましょう。それに私はもう幾人もの子があってよい年ごろになっているのですから、私の物足りなさを斎宮は補ってくださるでしょう」
 などと言い置いて源氏は帰った。それからは源氏の見舞いの使いが以前よりもまた繁々《しげしげ》行った。そうして七、八日ののちに御息所は死んだ。無常の人生が悲しまれて、心細くなった源氏は参内もせずに引きこもっていて、御息所の葬儀についての指図《さしず》を下しなどしていた。前の斎宮司の役人などで親しく出入りしていた者などがわずかに来て葬式の用意に奔走するにすぎない六条邸であった。侍臣を送ったあとで源氏自身も葬家へ来た。斎宮に弔詞を取り次がせると、
「ただ今は何事も悲しみのためにわかりませんので」
 と女別当《にょべっとう》を出してお言わせになった。
「私に御遺言をなすったこともありますから、ただ今からは私を睦《むつ》まじい者と思召《おぼしめ》してくださいましたら幸《しあわ》せです」
 と源氏は言ってから、宮家の人々を呼び出していろいろすることを命じた。非常に頼もしい態度であったから、昔は多少恨めしがっていた一家の人々の感情も解消されていくようである。源氏のほうから葬儀員が送られ、無数の使用人が来て御息所の葬儀はきらやかに執行されたのであった。
 源氏は寂しい心を抱いて、昔を思いながら居間の御簾《みす》を下《お》ろしこめて精進の日を送り仏勤めをしていた。前斎宮へは始終見舞いの手紙を送っていた。宮のお悲しみが少し静まってきたころからは御自身で返事もお書きになるようになった。それを恥ずかしく思召すのであったが、乳母《めのと》などから、
「もったいないことでございますから」
 と言って、自筆で書くことをお勧められになるのである。雪が霙《みぞれ》となり、また白く雪になるような荒日和《あれびより》に、宮がどんなに寂しく思っておいでになるであろうと想像をしながら源氏は使いを出した。
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こういう天気の日にどういうお気持ちでいられますか。

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降り乱れひまなき空に亡《な》き人の天《あま》がけるらん宿ぞ悲しき
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 という手紙を送ったのである。紙は曇った空色のが用いられてあった。若い人の目によい印象があるようにと思って、骨を折って書いた源氏の字はまぶしいほどみごとであった。宮は返事を書きにくく思召したのであるが、
「われわれから御|挨拶《あいさつ》をいたしますのは失礼でございますから」
 と女房たちがお責めするので、灰色の紙の薫香《くんこう》のにおいを染ませた艶《えん》なのへ、目だたぬような書き方にして、

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消えがてにふるぞ悲しきかきくらしわが身それとも思ほえぬ世に
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 とお書きになった。おとなしい書風で、そしておおようで、すぐれた字ではないが品のあるものであった。斎宮になって伊勢へお行きになったころから源氏はこの方に興味を持っていたのである。もう今は忌垣《いがき》の中の人でもなく、保護者からも解放された一人の女性と見てよいのであるから、恋人として思う心をささやいてよい時になったのであると、こんなふうに思われるのと同時に、それはすべきでない、おかわいそうであると思った。御息所がその点を気づかっていたことでもあるし、世間もその疑いを持って見るであろうことが、自分は全然違った清い扱いを宮にしよう、陛下が今少し大人らしくものを認識される時を待って、前斎宮を後宮に入れよう、子供が少なくて寂しい自分は養女をかしずくことに楽しみを見いだそうと源氏は思いついた。親切に始終尋ねの手紙を送っていて、何かの時には自身で六条邸へ行きもした。
「失礼ですが、お母様の代わりと思ってくだすって、御遠慮のないおつきあいをくだすったら、私の真心がわかっていただけたという気がするでしょう」
 などと言うのであるが、宮は非常に内気で羞恥《しゅうち》心がお強くて、異性にほのかな声でも聞かせることは思いもよらぬことのようにお考えになるのであったから、女房たちも勧めかねて、宮のおとなしさを苦労にしていた。女別当《にょべっとう》、内侍《ないし》、そのほか御親戚関係の王家の娘などもお付きしているのである。自分の心に潜在している望みが実現されることがあっても、他の恋人たちの中に混じって劣る人ではないらしいこの人の顔を見たいものであると、こんなことも思っている源氏であったから、養父として打ちとけない人が聡明《そうめい》であったのであろう。自身の心もまだどうなるかしれないのであるから、前斎宮を入内《じゅだい》させる希望などは人に言っておかぬほうがよいと源氏は思っていた。故人の仏事などにとりわけ力を入れてくれる源氏に六条邸の人々は感謝していた。
 六条邸は日がたつにしたがって寂しくなり、心細さがふえてくる上に、御息所《みやすどころ》の女房なども次第に下がって行く者が多くなって、京もずっと下《しも》の六条で、東に寄った京極通りに近いのであるから、郊外ほどの寂しさがあって、山寺の夕べの鐘の音にも斎宮の御涙は誘われがちであった。同じく母といっても、宮と御息所は親一人子一人で、片時離れることもない十幾年の御生活であった。斎宮が母君とごいっしょに行かれることはあまり例のないことであったが、しいてごいっしょにお誘いになったほどの母君が、死の道だけはただ一人でおいでになったとお思いになることが、斎宮の尽きぬお悲しみであった。女房たちを仲介にして求婚をする男は各階級に多かったが、源氏は乳母《めのと》たちに、
「自分勝手なことをして問題を起こすようなことを宮様にしてはならない」
 と親らしい注意を与えていたので、源氏を不快がらせるようなことは慎まねばならぬとおのおの思いもし諫《いさ》め合いもしているのである。それで情実のためにどう計らおうというようなことも皆はしなかった。院は宮が斎宮としてお下りになる日の荘厳だった大極殿《だいごくでん》の儀式に、この世の人とも思われぬ美貌《びぼう》を御覧になった時から、恋しく思召されたのであって、帰京後に、
「院の御所へ来て、私の妹の宮などと同じようにして暮らしては」
 と宮のことを、故人の御息所へお申し込みになったこともあるのである。御息所のほうでは院に寵姫《ちょうき》が幾人も侍している中へ、後援者らしい者もなくて行くことはみじめであるし、院が始終御病身であることも、母の自分と同じ未亡人の悲しみをさせる結果になるかもしれぬと院参を躊躇《ちゅうちょ》したものであったが、今になってはましてだれが宮のお世話をして院の後宮へなどおはいりになることができようと女房たちは思っているのである。院のほうでは御熱心に今なおその仰せがある。源氏はこの話を聞いて、院が望んでおいでになる方を横取りのようにして宮中へお入れすることは済まないと思ったが、宮の御様子がいかにも美しく可憐《かれん》で、これを全然ほかの所へ渡してしまうことが残念な気になって、入道の宮へ申し上げた。こんな隠れた事実があって決断ができないということをお話しした。
「お母様の御息所はきわめて聡明《そうめい》な人だったのですが、私の若気のあやまちから浮き名を流させることになりました上、私は一生恨めしい者と思われることになったのですが、私は心苦しく思っているのでございます。私は許されることなしにその人を死なせてしまいましたが、亡《な》くなります少し前に斎宮のことを言い出したのでございます。私としましては、さすがに聞いた以上は遺言を実行する誠意のある者として頼んで行くのであると思えてうれしゅうございまして、無関係な人でも、孤児の境遇になった人には同情されるものなのですから、まして以前のことがございまして、亡くなりましたあとでも、昔の恨みを忘れてもらえるほどのことをしたいと思いまして、斎宮の将来をいろいろと考えている次第なのですが、陛下もずいぶん大人らしくはなっていらっしゃいますが、お年からいえばまだお若いのですから、少しお年上の女御《にょご》が侍していられる必要があるかとも思われるのでございます。それもしかしながらあなた様がこうするようにと仰せになるのに随《したが》わせていただこうと思います」
 と言うと、
「非常によいことを考えてくださいました。院もそんなに御熱心でいらっしゃることは、お気の毒なようで、済まないことかもしれませんが、お母様の御遺言であったからということにして、何もお知りにならない顔で御所へお上げになればよろしいでしょう。このごろ院は実際そうしたことに淡泊なお気持ちになって、仏勤めばかりに気を入れていらっしゃるということも聞きますから、そういうことになさいましてもお腹だちになるようなことはないでしょう」
「ではあなた様の仰せが下ったことにしまして、私としてはそれに賛成の意を表したというぐらいのことにいたしておきましょう。私はこんなに院を御尊敬して、御感情を害することのないようにと百方考えてかかっているのですが、世間は何と批評をいたすことでしょう」
 などと源氏は申していた。のちにはまた何事も素知らぬ顔で二条の院へ斎宮を迎えて、入内《じゅだい》は自邸からおさせしようという気にも源氏はなった。夫人にその考えを言って、
「あなたのいい友だちになると思う。仲よくして暮らすのに似合わしい二人だと思う」
 と語ったので、女王《にょおう》も喜んで斎宮の二条の院へ移っておいでになる用意をしていた。入道の宮は兵部卿《ひょうぶきょう》の宮が、後宮入りを目的にして姫君を教育していられることを知っておいでになるのであったから、源氏と宮が不和になっている今日では、その姫君に源氏はどんな態度を取ろうとするのであろうと心苦しく思召した。中納言の姫君は弘徽殿《こきでん》の女御《にょご》と呼ばれていた。太政大臣の猶子《ゆうし》になっていて、その一族がすばらしい背景を作っているはなやかな後宮人であった。陛下もよいお遊び相手のように思召された。
「兵部卿の宮の中姫君《なかひめぎみ》も弘徽殿の女御と同じ年ごろなのだから、それではあまりお雛《ひな》様遊びの連中がふえるばかりだから、少し年の行った女御がついていて陛下のお世話を申し上げることはうれしいことですよ」
 と入道の宮は人へ仰せられて、前斎宮の入内の件を御自身の意志として宮家へお申し入れになったのであった。源氏が当帝のために行き届いた御後見をする誠意に御信頼あそばされて、御自身はおからだがお弱いために御所へおはいりになることはあっても、永《なが》くはおとどまりになることがおできにならないで、退出しておしまいになるため、そんな点でも少し大人になった女御はあるべきであった。

澪標 版本说明

底本:「全訳源氏物語 上巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年8月10日改版初版発行
   1994(平成6)年12月20日56版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月5日71版を使用しました。
入力:上田英代
校正:伊藤時也
2003年4月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

15 蓬生

[#地から3字上げ]道もなき蓬《よもぎ》をわけて君ぞこし誰《たれ》にもま
[#地から3字上げ]さる身のここちする    (晶子)

 源氏が須磨《すま》、明石《あかし》に漂泊《さすら》っていたころは、京のほうにも悲しく思い暮らす人の多数にあった中でも、しかとした立場を持っている人は、苦しい一面はあっても、たとえば二条の夫人などは、源氏が旅での生活の様子もかなりくわしく通信されていたし、便宜が多くて手紙を書いて出すこともよくできたし、当時無官になっていた源氏の無紋の衣裳《いしょう》も季節に従って仕立てて送るような慰みもあった。真実悲しい境遇に落ちた人というのは、源氏が京を出発した際のこともよそに想像するだけであった女性たち、無視して行かれた恋人たちがそれであった。常陸《ひたち》の宮の末摘花《すえつむはな》は、父君がおかくれになってから、だれも保護する人のない心細い境遇であったのを、思いがけず生じた源氏との関係から、それ以来物質的に補助されることになって、源氏の富からいえば物の数でもない情けをかけていたにすぎないのであったが、受けるほうの貧しい女王《にょおう》一家のためには、盥《たらい》へ星が映ってきたほどの望外の幸福になって、生活苦から救われて幾年かを来たのであるが、あの事変後の源氏は、いっさい世の中がいやになって、恋愛というほどのものでもなかった女性との関係は心から消しもし、消えもしたふうで、遠くへ立ってからははるばると手紙を送るようなこともしなかった。まだ源氏から恵まれた物があってしばらくは泣く泣くも前の生活を続けることができたのであるが、次の年になり、また次の年になりするうちにはまったく底なしの貧しい身の上になってしまった。古くからいた女房たちなどは、
「ほんとうに運の悪い方ですよ。思いがけなく神か仏の出現なすったような親切をお見せになる方ができて、人というものはどこに幸運があるかわからないなどと、私たちはありがたく思ったのですがね、人生というものは移り変わりがあるものだといっても、またまたこんな頼りない御身分になっておしまいになるって、悲しゅうございますね、世の中は」
 と歎《なげ》くのであった。昔は長い貧しい生活に慣れてしまって、だれにもあきらめができていたのであるが、中で一度源氏の保護が加わって、世間並みの暮らしができたことによって、今の苦痛はいっそう烈《はげ》しいものに感ぜられた。よかった時代に昔から縁故のある女房ははじめてここに皆居つくことにもなって、数が多くなっていたのも、またちりぢりにほかへ行ってしまった。そしてまた老衰して死ぬ女もあって、月日とともに上から下まで召使の数が少なくなっていく。もとから荒廃していた邸《やしき》はいっそう狐《きつね》の巣のようになった。気味悪く大きくなった木立ちになく梟《ふくろう》の声を毎日邸の人は聞いていた。人が多ければそうしたものは影も見せない木精《こだま》などという怪しいものも次第に形を顕《あら》わしてきたりする不快なことが数しらずあるのである。まだ少しばかり残っている女房は、
「これではしようがございません。近ごろは地方官などがよい邸を自慢に造りますが、こちらのお庭の木などに目をつけて、お売りになりませんかなどと近所の者から言わせてまいりますが、そうあそばして、こんな怖《おそろ》しい所はお捨てになってほかへお移りなさいましよ。いつまでも残っております私たちだってたまりませんから」
 などと女主人に勧めるのであったが、
「そんなことをしてはたいへんよ。世間体もあります。私が生きている間は邸を人手に渡すなどということはできるものでない。こんなに恐《こわ》い気がするほど荒れていても、お父様の魂が残っていると思う点で、私はあちこちをながめても心が慰むのだからね」
 女王は泣きながらこう言って、女房たちの進言を思いも寄らぬことにしていた。手道具なども昔の品の使い慣らしたりっぱな物のあるのを、生《なま》物識りの骨董《こっとう》好きの人が、だれに製作させた物、某の傑作があると聞いて、譲り受けたいと、想像のできる貧乏さを軽蔑《けいべつ》して申し込んでくるのを、例のように女房たちは、
「しかたのないことでございますよ。困れば道具をお手放しになるのは」
 と言って、それを金にかえて目前の窮迫から救われようとする時があると、末摘花は頑強《がんきょう》にそれを拒む。
「私が見るようにと思って作らせておいてくだすったに違いないのだから、それをつまらない家の装飾品になどさせてよいわけはない。お父様のお心持ちを無視することになるからね、お父様がおかわいそうだ」
 ただ少しの助力でもしようとする人をも持たない女王であった。兄の禅師《ぜんじ》だけは稀《まれ》に山から京へ出た時に訪《たず》ねて来るが、その人も昔風な人で、同じ僧といっても生活する能力が全然ない、脱俗したとほめて言えば言えるような男であったから、庭の雑草を払わせればきれいになるものとも気がつかない。浅茅《あさじ》は庭の表も見えぬほど茂って、蓬《よもぎ》は軒の高さに達するほど、葎《むぐら》は西門、東門を閉じてしまったというと用心がよくなったようにも聞こえるが、くずれた土塀《どべい》は牛や馬が踏みならしてしまい、春夏には無礼な牧童が放牧をしに来た。八月に野分《のわき》の風が強かった年以来廊などは倒れたままになり、下屋の板葺《いたぶ》きの建物のほうはわずかに骨が残っているだけ、下男などのそこにとどまっている者はない。廚《くりや》の煙が立たないでなお生きた人が住んでいるという悲しい邸《やしき》である。盗人というようながむしゃらな連中も外見の貧弱さに愛想《あいそ》をつかせて、ここだけは素通りにしてやって来なかったから、こんな野良藪《のらやぶ》のような邸の中で、寝殿《しんでん》だけは昔通りの飾りつけがしてあった。しかしきれいに掃除《そうじ》をしようとするような心がけの人もない。埃《ちり》は積もってもあるべき物の数だけはそろった座敷に末摘花《すえつむはな》は暮らしていた。古い歌集を読んだり、小説を見たりすることでつれづれが慰められることにもなるし、物質的に不足の多い境遇も忍んで行けるのであるが、末摘花はそんな趣味も持っていない。それは必ずしもよいことではないが、暇な女性の間で友情を盛った手紙を書きかわすことなどは、多感な年ごろではそれによって自然の見方も深くなっていき、木や草にも慰められることにもなるが、この女王は父宮が大事にお扱いになった時と同じ心持ちでいて、普通の人との交際はいっさい避けて友人を持っていないのである。親戚関係があっても親しもうとせず、好意を寄せようとしない態度は手紙を書かぬ所にうかがわれもするのである。古くさい書物|棚《だな》から、唐守《からもり》、藐姑射《はこや》の刀自《とじ》、赫耶姫《かぐやひめ》物語などを絵に描いた物を引き出して退屈しのぎにしていた。古歌などもよい作を選《よ》って、端書きも作者の名も書き抜いて置いて見るのがおもしろいのであるが、この人は古紙屋紙《ふるかんやがみ》とか、檀紙《だんし》とかの湿り気を含んで厚くなった物などへ、だれもの知っている新味などは微塵《みじん》もないようなものの書き抜いてしまってあるのを、物思いのつのった時などには出して拡《ひろ》げていた。今の婦人がだれもするように経を読んだり仏勤めをしたりすることは生意気だと思うのかだれも見る人はないのであるが、数珠《じゅず》を持つようなことは絶対にない。こんなふうに末摘花は古典的であった。
 侍従という乳母《めのと》の娘などは、主家を離れないで残っている女房の一人であったが、以前から半分ずつは勤めに出ていた斎院がお亡《か》くれになってからは、侍従もしかたなしに女王《にょおう》の母君の妹で、その人だけが身分違いの地方官の妻になっている人があって、娘をかしずいて、若いよい女房を幾人でもほしがる家へ、そこは死んだ母もおりふし行っていた所であるからと思って、時々そこへ行って勤めていた。末摘花は人に親しめない性格であったから、叔母《おば》ともあまり交際をしなかった。
「お姉様は私を軽蔑《けいべつ》なすって、私のいることを不名誉にしていらっしゃったから、姫君が気の毒な一人ぼっちでも私は世話をしてあげないのだよ」
 などという悪態口も侍従に聞かせながら、時々侍従に手紙を持たせてよこした。初めから地方官級の家に生まれた人は、貴族をまねて、思想的にも思い上がった人になっている者も多いのに、この夫人は貴族の出でありながら、下の階級へはいって行く運命を生まれながらに持っていたものか、卑しい性格の叔母君であった。自身が、家門の顔汚しのように思われていた昔の腹いせに、常陸《ひたち》の宮の女王を自身の娘たちの女房にしてやりたい、昔風なところはあるが気だてのよい後見役ができるであろうとこんなことを思って、
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時々私の宅へもおいでくだすったらいかがですか。あなたのお琴の音《ね》も伺いたがる娘たちもおります。
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 と言って来た。これを実現させようと叔母は侍従にも促すのであるが、末摘花は負けじ魂からではなく、ただ恥ずかしくきまりが悪いために、叔母の招待に応じようとしないのを、叔母のほうではくやしく思っていた。そのうちに叔母の良人《おっと》が九州の大弐《だいに》に任命された。娘たちをそれぞれ結婚させておいて、夫婦で任地へ立とうとする時にもまだ叔母は女王を伴って行きたがって、
「遠方へ行くことになりますと、あなたが心細い暮らしをしておいでになるのを捨てておくことが気になってなりません。ただ今までもお構いはしませんでしたが、近い所にいるうちはいつでもお力になれる自信がありましたので」
 と体裁よく言《こと》づてて誘いかけるのも、女王が聞き入れないから、
「まあ憎らしい。いばっていらっしゃる。自分だけはえらいつもりでも、あの藪《やぶ》の中の人を大将さんだって奥様らしくは扱ってくださらないだろう」
 と言ってののしった。そのうちに源氏|宥免《ゆうめん》の宣旨が下り、帰京の段になると、忠実に待っていた志操の堅さをだれよりも先に認められようとする男女に、それぞれ有形無形の代償を喜んで源氏の払った時期にも、末摘花だけは思い出されることもなくて幾月かがそのうちたった。もう何の望みもかけられない。長い間不幸な境遇に落ちていた源氏のために、その勢力が宮廷に復活する日があるようにと念じ暮らしたものであるのに、賤《いや》しい階級の人でさえも源氏の再び得た輝かしい地位を喜んでいる時にも、ただよそのこととして聞いていねばならぬ自分でなければならなかったか、源氏が京から追われた時には自分一人の不幸のように悲しんだが、この世はこんな不公平なものであるのかと思って末摘花は恨めしく苦しく切なく一人で泣いてばかりいた。
 大弐の夫人は、私の言ったとおりじゃないか。どうしてあんな見る影もない人を源氏の君が奥様の一人だとお思いになるものかね、仏様だって罪の軽い者ほどよく導いてくださるのだ。手もつけられないほどの貧乏女でいて、いばっていて、宮様や奥さんのいらっしゃった時と同じように思い上がっているのだから始末が悪いなどと思っていっそう軽蔑《けいべつ》的に末摘花を見た。
「ぜひ決心をして九州へおいでなさい。世の中が悲しくなる時には、人は進んでも旅へ出るではありませんか。田舎《いなか》とはいやな所のようにお思いになるかしりませんが、私は受け合ってあなたを楽しくさせます」
 口前よく熱心に同行を促すと、貧乏に飽いた女房などは、
「そうなればいいのに、何のたのむ所もない方が、どうしてまた意地をお張りになるのだろう」
 と言って、末摘花を批難した。侍従も大弐の甥《おい》のような男の愛人になっていて、京へ残ることもできない立場から、その意志でもなく女王のもとを去って九州行きをすることになっていた。
「京へお置きして参ることは気がかりでなりませんからいらっしゃいませ」
 と誘うのであるが、女王の心はなお忘れられた形になっている源氏を頼みにしていた。どんなに時がたっても自分の思い出される機会のないわけはない、あれほど堅い誓いを自分にしてくれた人の心は変わっていないはずであるが、自分の運の悪いために捨てられたとも人からは見られるようなことになっているのであろう、風の便《たよ》りででも自分の哀れな生活が源氏の耳にはいればきっと救ってくれるに違いないと、これはずっと以前から女王の信じているところであって、邸《やしき》も家も昔に倍した荒廃のしかたではあるが、部屋の中の道具類をそこばくの金に変えていくようなことは、源氏の来た時に不都合であるからと忍耐を続けているのである。気をめいらせて泣いている時のほうが多い末摘花の顔は、一つの木の実だけを大事に顔に当てて持っている仙人《せんにん》とも言ってよい奇怪な物に見えて、異性の興味を惹《ひ》く価値などはない。気の毒であるからくわしい描写はしないことにする。
 冬にはいればはいるほど頼りなさはひどくなって、悲しく物思いばかりして暮らす女王だった。源氏のほうでは故院のための盛んな八講を催して、世間がそれに湧《わ》き立っていた。僧などは平凡な者を呼ばずに学問と徳行のすぐれたのを選んで招じたその物事に、女王の兄の禅師も出た帰りに妹君を訪《たず》ねて来た。
「源大納言さんの八講に行ったのです。たいへんな準備でね、この世の浄土のように法要の場所はできていましたよ。音楽も舞楽もたいしたものでしたよ。あの方はきっと仏様の化身《けしん》だろう、五濁《ごじょく》の世にどうして生まれておいでになったろう」
 こんな話をして禅師はすぐに帰った。普通の兄弟《きょうだい》のようには話し合わない二人であるから、生活苦も末摘花《すえつむはな》は訴えることができないのである。それにしてもこの不幸なみじめな女を捨てて置くというのは、情けない仏様であると末摘花は恨めしかった。こんな気のした時から、自分はもう顧みられる望みがないのだろうとようやく思うようになった。
 そんなころであるが大弐の夫人が突然訪ねて来た。平生はそれほど親密にはしていないのであるが、つれて行きたい心から、作った女王の衣裳《いしょう》なども持って、よい車に乗って来た得意な顔の夫人がにわかに常陸の宮邸へ現われたのである。門をあけさせている時から目にはいってくるものは荒廃そのもののような寂しい庭であった。門の扉も安定がなくなっていて倒れたのを、供の者が立て直したりする騒ぎである。この草の中にもどこかに三つだけの道はついているはずであると皆が捜した。そしてやっと建物の南向きの縁の所へ車を着けた。
 きまりの悪い迷惑なことと思いながら女王は侍従を応接に出した。煤《すす》けた几帳《きちょう》を押し出しながら侍従は客と対したのである。容貌《ようぼう》は以前に比べてよほど衰えていた。しかしやつれながらもきれいで、女王の顔に代えたい気がする。
「もう出発しなければならないのですが、こちらのことが気がかりなものですから、今日は侍従の迎えがてらお訪《たず》ねしました。私の好意をくんでくださらないで、御自分がちょっとでも来てくださることを御承知にならないことはやむをえませんが、せめて侍従だけをよこしていただくお許しをいただきに来たのです。まあお気の毒なふうで暮らしていらっしゃるのですね」
 こう言ったのであるから、続いて泣いてみせねばならないのであるが、実は大弐夫人は九州の長官夫人になって出発して行く希望に燃えているのである。
「宮様がおいでになったころ、私の結婚相手が悪いからって、交際するのをおきらいになったものですから、私らもついかけ離れた冷淡なふうになっていましたものの、それからもこちら様は源氏の大将さんなどと御結婚をなさるような御幸運でいらっしゃいましたから、晴れがましくてお出入りもしにくかったのです。しかし人間世界は幸福なことばかりもありませんからね、その中でわれわれ階級の者がかえって気楽なんですよ。及びもない懸隔のあるお家《うち》でしたが、こちらはお気の毒なことになってしまいまして、私も心配なんですが、近くにおりますうちは、何かの場合に力にもなれると思っていましたものの、遠い所へ出て行くことになりますと、とてもあなたのことが気になってなりません」
 と夫人は言うのであるが、女王は心の動いたふうもなかった。
「御好意はうれしいのですが、人並みの人にもなれない私はこのままここで死んで行くのが何よりもよく似合うことだろうと思います」
 とだけ末摘花は言う。
「それはそうお思いになるのはごもっともですが、生きている人間であって、こんなひどい場所に住んでいるのなどはほかにめったにないでしょう。大将さんが修繕をしてくだすったら、またもう一度玉の台《うてな》にもなるでしょうと期待されますがね。近ごろはどうしたことでしょう、兵部卿《ひょうぶきょう》の宮の姫君のほかはだれも嫌《きら》いになっておしまいになったふうですね。昔から恋愛関係をたくさん持っていらっしゃった方でしたが、それも皆清算しておしまいになりましたってね。ましてこんなみじめな生き方をしていらっしゃる人を、操《みさお》を立てて自分を待っていてくれたかと受け入れてくださることはむずかしいでしょうね」
 こんなよけいなことまで言われてみると、そうであるかもしれないと末摘花は悲しく泣き入ってしまった。しかも九州行きを肯《うべな》うふうは微塵《みじん》もない。夫人はいろいろと誘惑を試みたあとで、
「では侍従だけでも」
 と日の暮れていくのを見てせきたてた。侍従は名残《なごり》を惜しむ間もなくて、泣く泣く女王《にょおう》に、
「それでは、今日はあんなにおっしゃいますから、お送りにだけついてまいります。あちらがああおっしゃるのももっともですし、あなた様が行きたく思召《おぼしめ》さないのも御無理だとは思われませんし、私は中に立ってつらくてなりませんから」
 と言う。この人までも女王を捨てて行こうとするのを、恨めしくも悲しくも末摘花は思うのであるが、引き止めようもなくてただ泣くばかりであった。形見に与えたい衣服も皆悪くなっていて長い間のこの人の好意に酬《むく》いる物がなくて、末摘花は自身の抜け毛を集めて鬘《かずら》にした九尺ぐらいの髪の美しいのを、雅味のある箱に入れて、昔のよい薫香《くんこう》一|壺《つぼ》をそれにつけて侍従へ贈った。

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「絶ゆまじきすぢを頼みし玉かづら思ひのほかにかけ離れぬる
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 死んだ乳母《まま》が遺言したこともあるからね、つまらない私だけれど一生あなたの世話をしたいと思っていた。あなたが捨ててしまうのももっともだけれど、だれがあなたの代わりになって私を慰めてくれる者があると思って立って行くのだろうと思うと恨めしいのよ」
 と言って、女王は非常に泣いた。侍従も涙でものが言えないほどになっていた。
「乳母《まま》が申し上げましたことはむろんでございますが、そのほかにもごいっしょに長い間苦労をしてまいりましたのに、思いがけない縁に引かれて、しかも遠方へまで行ってしまいますとは」
 と言って、また、

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「玉かづら絶えてもやまじ行く道のたむけの神もかけて誓はん
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 命のございます間はあなた様に誠意をお見せします」
 などとも言う。
「侍従はどうしました。暗くなりましたよ」
 と大弐《だいに》夫人に小言《こごと》を言われて、侍従は夢中で車に乗ってしまった。そしてあとばかりが顧みられた。困りながらも長い間離れて行かなかった人が、こんなふうにして別れて行ったことで、女王はますます心細くなった。だれも雇い手のないような老いた女房までが、
「もっともですよ。どうしてこのままいられるものですか。私たちだってもう我慢ができませんよ」
 こんなことを言って、ほかへ勤める手蔓《てづる》を捜し始めて、ここを出る決心をしたらしいことを言い合うのを聞くことも末摘花の身にはつらいことであった。十一月になると雪や霙《みぞれ》の日が多くなって、ほかの所では消えている間があっても、ここでは丈の高い枯れた雑草の蔭《かげ》などに深く積もったものは量《かさ》が高くなるばかりで越《こし》の白山《はくさん》をそこに置いた気がする庭を、今はもうだれ一人出入りする下男もなかった。こんな中につれづれな日を送るよりしかたのない末摘花の女王であった。泣き合い笑い合うこともあった侍従がいなくなってからは、夜の塵《ちり》のかかった帳台の中でただ一人寂しい思いをして寝た。
 源氏は長くこがれ続けた紫夫人のもとへ帰りえた満足感が大きくて、ただの恋人たちの所などへは足が向かない時期でもあったから、常陸《ひたち》の宮の女王はまだ生きているだろうかというほどのことは時々心に上らないことはなかったが、捜し出してやりたいと思うことも、急ぐことと思われないでいるうちにその年も暮れた。四月ごろに花散里《はなちるさと》を訪ねて見たくなって夫人の了解を得てから源氏は二条の院を出た。幾日か続いた雨の残り雨らしいものが降ってやんだあとで月が出てきた。青春時代の忍び歩きの思い出される艶《えん》な夕月夜であった。車の中の源氏は昔をうつらうつらと幻に見ていると、形もないほどに荒れた大木が森のような邸《やしき》の前に来た。高い松に藤《ふじ》がかかって月の光に花のなびくのが見え、風といっしょにその香がなつかしく送られてくる。橘《たちばな》とはまた違った感じのする花の香に心が惹《ひ》かれて、車から少し顔を出すようにしてながめると、長く枝をたれた柳も、土塀《どべい》のない自由さに乱れ合っていた。見たことのある木立ちであると源氏は思ったが、以前の常陸の宮であることに気がついた。源氏は物哀れな気持ちになって車を止めさせた。例の惟光《これみつ》はこんな微行にはずれたことのない男で、ついて来ていた。
「ここは常陸の宮だったね」
「さようでございます」
「ここにいた人がまだ住んでいるかもしれない。私は訪ねてやらねばならないのだが、わざわざ出かけることもたいそうになるから、この機会に、もしその人がいれば逢ってみよう。はいって行って尋ねて来てくれ。住み主がだれであるかを聞いてから私のことを言わないと恥をかくよ」
 と源氏は言った。
 末摘花の君は物悩ましい初夏の日に、その昼間うたた寝をした時の夢に父宮を見て、さめてからも名残《なごり》の思いにとらわれて、悲しみながら雨の洩《も》って濡《ぬ》れた廂《ひさし》の室の端のほうを拭《ふ》かせたり部屋の中を片づけさせたりなどして、平生にも似ず歌を思ってみたのである。

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亡《な》き人を恋ふる袂《たもと》のほどなきに荒れたる軒の雫《しづく》さへ添ふ
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 こんなふうに、寂しさを書いていた時が、源氏の車の止められた時であった。
 惟光は邸の中へはいってあちらこちらと歩いて見て、人のいる物音の聞こえる所があるかと捜したのであるが、そんな物はない。自分の想像どおりにだれもいない、自分は往《ゆ》き返りにこの邸《やしき》は見るが、人の住んでいる所とは思われなかったのだからと思って惟光が足を返そうとする時に、月が明るくさし出したので、もう一度見ると、格子《こうし》を二間ほど上げて、そこの御簾《みす》は人ありげに動いていた。これが目にはいった刹那《せつな》は恐ろしい気さえしたが、寄って行って声をかけると、老人らしく咳《せき》を先に立てて答える女があった。
「いらっしゃったのはどなたですか」
 惟光《これみつ》は自分の名を告げてから、
「侍従さんという方にちょっとお目にかかりたいのですが」
 と言った。
「その人はよそへ行きました。けれども侍従の仲間の者がおります」
 と言う声は、昔よりもずっと老人じみてきてはいるが、聞き覚えのある声であった。家の中の人は惟光が何であったかを忘れていた。狩衣《かりぎぬ》姿の男がそっとはいって来て、柔らかな調子でものを言うのであったから、あるいは狐《きつね》か何かではないかと思ったが、惟光が近づいて行って、
「確かなことをお聞かせくださいませんか。こちら様が昔のままでおいでになるかどうかお聞かせください。私の主人のほうでは変心も何もしておいでにならない御様子です。今晩も門をお通りになって、訪ねてみたく思召すふうで車を止めておいでになります。どうお返辞をすればいいでしょう、ありのままのお話を私には御遠慮なくして下さい」
 と言うと、女たちは笑い出した。
「変わっていらっしゃればこんなお邸にそのまま住んでおいでになるはずもありません。御推察なさいましてあなたからよろしくお返辞を申し上げてください。私どものような老人でさえ経験したことのないような苦しみをなめて今日までお待ちになったのでございますよ」
 女たちは惟光にもっともっと話したいというふうであったが、惟光は迷惑に思って、
「いやわかりました。ともかくそう申し上げます」
 と言い残して出て来た。
「なぜ長くかかったの、どうだったかね、昔の路《みち》を見いだせない蓬原《よもぎがはら》になっているね」
 源氏に問われて惟光は初めからの報告をするのであった。
「そんなふうにして、やっと人間を発見したのでございます。侍従の叔母《おば》で少将とか申しました老人が昔の声で話しました」
 惟光はなお目に見た邸内の様子をくわしく言う。源氏は非常に哀れに思った。この廃邸じみた家に、どんな気持ちで住んでいることであろう、それを自分は今まで捨てていたと思うと、源氏は自分ながらも冷酷であったと省みられるのであった。
「どうしようかね、こんなふうに出かけて来ることも近ごろは容易でないのだから、この機会でなくては訪ねられないだろう。すべてのことを綜合《そうごう》して考えてみても昔のままに独身でいる想像のつく人だ」
 と源氏は言いながらも、この邸へはいって行くことにはなお躊躇《ちゅうちょ》がされた。この実感からよい歌を詠《よ》んでまず贈りたい気のする場合であるが、機敏に返歌のできないことも昔のままであったなら、待たされる使いがどんなに迷惑をするかしれないと思ってそれはやめることにした。惟光も源氏がすぐにはいって行くことは不可能だと思った。
「とても中をお歩きになれないほどの露でございます。蓬《よもぎ》を少し払わせましてからおいでになりましたら」
 この惟光《これみつ》の言葉を聞いて、源氏は、

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尋ねてもわれこそ訪《と》はめ道もなく深き蓬のもとの心を
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 と口ずさんだが、やはり車からすぐに下《お》りてしまった。惟光は草の露を馬の鞭《むち》で払いながら案内した。木の枝から散る雫《しずく》も秋の時雨《しぐれ》のように荒く降るので、傘《かさ》を源氏にさしかけさせた。惟光が、
「木の下露は雨にまされり(みさぶらひ御笠《みかさ》と申せ宮城野《みやぎの》の)でございます」
 と言う。源氏の指貫《さしぬき》の裾《すそ》はひどく濡《ぬ》れた。昔でさえあるかないかであった中門などは影もなくなっている。家の中へはいるのもむき出しな気のすることであったが、だれも人は見ていなかった。
 女王《にょおう》は望みをかけて来たことの事実になったことはうれしかったが、りっぱな姿の源氏に見られる自分を恥ずかしく思った。大弐《だいに》の夫人の贈った衣服はそれまで、いやな気がしてよく見ようともしなかったのを、女房らが香を入れる唐櫃《からびつ》にしまって置いたからよい香のついたのに、その人々からしかたなしに着かえさせられて、煤《すす》けた几帳《きちょう》を引き寄せてすわっていた。源氏は座に着いてから言った。
「長くお逢いしないでも、私の心だけは変わらずにあなたを思っていたのですが、何ともあなたが言ってくださらないものだから、恨めしくて、今までためすつもりで冷淡を装っていたのですよ。しかし、三輪《みわ》の杉《すぎ》ではないが、この前の木立ちを目に見ると素通りができなくてね、私から負けて出ることにしましたよ」
 几帳《きちょう》の垂《た》れ絹を少し手であけて見ると、女王は例のようにただ恥ずかしそうにすわっていて、すぐに返辞はようしない。こんな住居《すまい》にまで訪《たず》ねて来た源氏の志の身にしむことによってやっと力づいて何かを少し言った。
「こんな草原の中で、ほかの望みも起こさずに待っていてくだすったのだから私は幸福を感じる。またあなただって、あなたの近ごろの心持ちもよく聞かないままで、自分の愛から推して、愛を持っていてくださると信じて訪ねて来た私を何と思いますか。今日まであなたに苦労をさせておいたことも、私の心からのことでなくて、その時は世の中の事情が悪かったのだと思って許してくださるでしょう。今後の私が誠実の欠けたようなことをすれば、その時は私が十分に責任を負いますよ」
 などと、それほどに思わぬことも、女を感動さすべく源氏は言った。泊まって行くこともこの家の様子と自身とが調和の取れないことを思って、もっともらしく口実を作って源氏は帰ろうとした。自身の植えた松ではないが、昔に比べて高くなった木を見ても、年月の長い隔たりが源氏に思われた。そして源氏の自身の今日の身の上と逆境にいたころとが思い比べられもした。

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「藤波《ふじなみ》の打ち過ぎがたく見えつるはまつこそ宿のしるしなりけれ
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 数えてみればずいぶん長い月日になることでしょうね。物哀れになりますよ。またゆるりと悲しい旅人だった時代の話も聞かせに来ましょう。あなたもどんなに苦しかったかという辛苦の跡も、私でなくては聞かせる人がないでしょう。とまちがいかもしれぬが私は信じているのですよ」
 などと源氏が言うと、

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年を経て待つしるしなきわが宿は花のたよりに過ぎぬばかりか
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 と低い声で女王は言った。身じろぎに知れる姿も、袖《そで》に含んだにおいも昔よりは感じよくなった気がすると源氏は思った。落ちようとする月の光が西の妻戸の開いた口からさしてきて、その向こうにあるはずの廊もなくなっていたし、廂《ひさし》の板もすっかり取れた家であるから、明るく室内が見渡された。昔のままに飾りつけのそろっていることは、忍ぶ草のおい茂った外見よりも風流に見えるのであった。昔の小説に親の作った堂を毀《こぼ》った話もあるが、これは親のしたままを長く保っていく人として心の惹《ひ》かれるところがあると源氏は思った。この人の差恥《しゅうち》心の多いところもさすがに貴女《きじょ》であるとうなずかれて、この人を一生風変わりな愛人と思おうとした考えも、いろいろなことに紛れて忘れてしまっていたころ、この人はどんなに恨めしく思ったであろうと哀れに思われた。ここを出てから源氏の訪ねて行った花散里も、美しい派手《はで》な女というのではなかったから、末摘花の醜さも比較して考えられることがなく済んだのであろうと思われる。
 賀茂祭り、斎院の御禊《ごけい》などのあるころは、その用意の品という名義で諸方から源氏へ送って来る物の多いのを、源氏はまたあちらこちらへ分配した。その中でも常陸の宮へ贈るのは、源氏自身が何かと指図《さしず》をして、宮邸に足らぬ物を何かと多く加えさせた。親しい家司《けいし》に命じて下男などを宮家へやって邸内の手入れをさせた。庭の蓬《よもぎ》を刈らせ、応急に土塀《どべい》の代わりの板塀を作らせなどした。源氏が妻と認めての待遇をし出したと世間から見られるのは不名誉な気がして、自身で訪ねて行くことはなかった。手紙はこまごまと書いて送ることを怠らない。二条の院にすぐ近い地所へこのごろ建築させている家のことを、源氏は末摘花に告げて、
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そこへあなたを迎えようと思う、今から童女として使うのによい子供を選んで馴《な》らしておおきなさい。
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 ともその手紙には書いてあった。女房たちの着料までも気をつけて送って来る源氏に感謝して、それらの人々は源氏の二条の院のほうを向いて拝んでいた。一時的の恋にも平凡な女を相手にしなかった源氏で、ある特色の備わった女性には興味を持って熱心に愛する人として源氏をだれも知っているのであるが、何一つすぐれた所のない末摘花をなぜ妻の一人としてこんな取り扱いをするのであろう。これも前生の因縁ごとであるに違いない。もう暗い前途があるばかりのように見切りをつけて、女王の家を去った人々、それは上から下まで幾人もある旧召使が、われもわれもと再勤を願って来た。善良さは稀《まれ》に見るほどの女性である末摘花のもとに使われて、気楽に暮らした女房たちが、ただの地方官の家などに雇われて、気まずいことの多いのにあきれて帰って来る者もある。見えすいたような追従も皆言ってくる。昔よりいっそう強い勢力を得ている源氏は、思いやりも深くなった今の心から、扶《たす》け起こそうとしている女王の家は、人影もにぎやかに見えてきて、繁《しげ》りほうだいですごいものに見えた木や草も整理されて、流れに水の通るようになり、立ち木や草の姿も優美に清い感じのするものになっていった。職を欲《ほ》しがっている下家司《しもけいし》級の人は、源氏が一人の夫人の家として世話をやく様子を見て、仕えたいと申し込んで来て、宮家に執事もできた。
 末摘花は二年ほどこの家にいて、のちには東の院へ源氏に迎えられ、夫婦として同室に暮らすようなことはめったになかったのであるが、近い所であったから、ほかの用で来た時に話して行くようなことくらいはよくして、軽蔑《けいべつ》した扱いは少しもしなかったのである。大弐の夫人が帰京した時に、どんな驚き方をしたか、侍従が女王の幸福を喜びながらも、時が待ち切れずに姫君を捨てて行った自身のあやまちをどんなに悔いたかというようなことも、もう少し述べておきたいのであるが、筆者は頭が痛くなってきたから、またほかの機会に思い出して書くことにする。

蓬生 版本说明

底本:「全訳源氏物語 上巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年8月10日改版初版発行
   1994(平成6)年12月20日56版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月5日71版を使用しました。
入力:上田英代
校正:伊藤時也
2003年5月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

16 関屋

[#地から3字上げ]逢坂《あふさか》は関の清水《しみづ》も恋人のあつき涙もな
[#地から3字上げ]がるるところ       (晶子)

 以前の伊予介《いよのすけ》は院がお崩《かく》れになった翌年|常陸介《ひたちのすけ》になって任地へ下ったので、昔の帚木《ははきぎ》もつれて行った。源氏が須磨《すま》へ引きこもった噂《うわさ》も、遠い国で聞いて、悲しく思いやらないのではなかったが、音信をする便《たより》すらなくて、筑波《つくば》おろしに落ち着かぬ心を抱きながら消息の絶えた年月を空蝉《うつせみ》は重ねたのである。限定された国司の任期とは違って、いつを限りとも予想されなかった源氏の放浪の旅も終わって、帰京した翌年の秋に常陸介は国を立って来た。一行が逢坂《おうさか》の関を越えようとする日は、偶然にも源氏が石山寺へ願ほどきに参詣《さんけい》する日であった。京から以前|紀伊守《きいのかみ》であった息子《むすこ》その他の人が迎えに来ていて源氏の石山|詣《もう》でを告げた。途中が混雑するであろうから、こちらは早く逢坂山を越えておこうとして、常陸介は夜明けに近江《おうみ》の宿を立って道を急いだのであるが、女車が多くてはかがゆかない。打出《うちで》の浜を来るころに、源氏はもう粟田山《あわたやま》を越えたということで、前駆を勤めている者が無数に東へ向かって来た。道を譲るくらいでは済まない人数なのであったから、関山で常陸の一行は皆下馬してしまって、あちらこちらの杉《すぎ》の下に車などを舁《かつ》ぎおろして、木の間にかしこまりながら源氏の通過を目送しようとした。女車も一部分はあとへ残し、一部分は先へやりなどしてあったのであるが、なおそれでも族類の多い派手《はで》な地方長官の一門と見えた。そこには十台ほどの車があって、外に出した袖《そで》の色の好みは田舎《いなか》びずにきれいであった。斎宮《さいぐう》の下向《げこう》の日に出る物見車が思われた。源氏の光がまた発揮される時代になっていて、希望して来た多数の随従者は常陸《ひたち》の一行に皆目を留めて過ぎた。九月の三十日であったから、山の紅葉《もみじ》は濃く淡《うす》く紅を重ねた間に、霜枯れの草の黄が混じって見渡される逢坂山の関の口から、またさっと一度に出て来た襖姿《あおすがた》の侍たちの旅装の厚織物やくくり染めなどは一種の美をなしていた。源氏の車は簾《みす》がおろされていた。今は右衛門佐《うえもんのすけ》になっている昔の小君《こぎみ》を近くへ呼んで、
「今日こうして関迎えをした私を姉さんは無関心にも見まいね」
 などと言った。心のうちにはいろいろな思いが浮かんで来て、恋しい人と直接言葉がかわしたかった源氏であるが、人目の多い場所ではどうしようもないことであった。女も悲しかった。昔が昨日のように思われて、煩悶《はんもん》もそれに続いた煩悶がされた。

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行くと来《く》とせきとめがたき涙をや絶えぬ清水《しみづ》と人は見るらん
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 自分のこの心持ちはお知りにならないであろうと思うとはかなまれた。
 源氏が石山寺を出る日に右衛門佐が迎えに来た。源氏に従って寺へ来ずに、姉夫婦といっしょに京へはいってしまったことを佐《すけ》は謝した。少年の時から非常に源氏に愛されていて、源氏の推薦で官につくこともできた恩もあるのであるが、源氏の免職されたころ、当路者ににらまれることを恐れて常陸へ行ってしまったことで、少しおもしろくなく源氏は思っていたが、だれにもそのことは言わなかった。昔ほどではないがその後も右衛門佐《うえもんのすけ》は家に属した男として源氏の庇護《ひご》を受けることになっていた。紀伊守《きいのかみ》といった男も今はわずかな河内守《かわちのかみ》であった。その弟の右近衛丞《うこんえのじょう》で解職されて、須磨へ源氏について行った男が特別に取り立てられていくのを見て、右衛門佐も河内守も過去の非を悔いた。なぜ一時の損得などを大事に考えたのであろうと自身を責めていた。
 佐《すけ》を呼び出して、源氏は姉君へ手紙をことづてたいと言った。他の人ならもう忘れていそうな恋を、なおも思い捨てない源氏に右衛門佐は驚いていた。
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あの日私は、あなたとの縁はよくよく前生で堅く結ばれて来たものであろうと感じましたが、あなたはどうお思いになりましたか。

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わくらはに行き逢《あ》ふみちを頼みしもなほかひなしや塩ならぬ海

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あなたの関守《せきもり》がどんなにうらやましかったか。
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 という手紙である。
「あれから長い時間がたっていて、きまりの悪い気もするが、忘れない私の心ではいつも現在の恋人のつもりでいるよ。でもこんなことをしてはいっそう嫌《きら》われるのではないかね」
 こう言って源氏は渡した。佐はもったいない気がしながら受け取って姉の所へ持参した。
「ぜひお返事をしてください。以前どおりにはしてくださらないだろう、疎外されるだろうと私は覚悟していましたが、やはり同じように親切にしてくださるのですよ。この使いだけは困ると思いましたけれど、お断わりなどできるものじゃありません。女のあなたがあの御愛情にほだされるのは当然で、だれも罪とは考えませんよ」
 などと右衛門佐は姉に言うのであった。今はましてがらでない気がする空蝉《うつせみ》であったが、久しぶりで得た源氏の文字に思わずほんとうの心が引き出されたか返事を書いた。

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逢坂《あふさか》の関やいかなる関なれば繁《しげ》きなげきの中を分くらん

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夢のような気がいたしました。
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 とある。恨めしかった点でも、恋しかった点でも源氏には忘れがたい人であったから、なおおりおりは空蝉の心を動かそうとする手紙を書いた。そのうち常陸介《ひたちのすけ》は老齢のせいか病気ばかりするようになって、前途を心細がり、悲観してしまい、息子《むすこ》たちに空蝉のことばかりをくどく遺言していた。
「何もかも私の妻の意志どおりにせい。私の生きている時と同じように仕えねばならん」
 と繰り返すのである。空蝉は薄命な自分はこの良人《おっと》にまで死別して、またも険《けわ》しい世の中に漂泊《さす》らえるのであろうかと歎《なげ》いている様子を、常陸介は病床に見ると死ぬことが苦しく思われた。生きていたいと思っても、それは自己の意志だけでどうすることもできないことであったから、せめて愛妻のために魂だけをこの世に残して置きたい、自分の息子たちの心も絶対には信ぜられないのであるからと、言いもし、思いもして悲しんだがやはり死んでしまった。息子たちが、当分は、
「あんなに父が頼んでいったのだから」
 と表面だけでも言っていてくれたが、空蝉の堪えられないような意地の悪さが追い追いに見えて来た。世間ありきたりの法則どおりに継母はこうして苦しめられるのであると思って、空蝉はすべてを自身の薄命のせいにして悲しんでいた。河内守だけは好色な心から、継母に今も追従をして、
「父があんなにあなたのことを頼んで行かれたのですから、無力ですが、それでもあなたの御用は勤めたいと思いますから、遠慮をなさらないでください」
 などと言って来るのである。あさましい下心《したごころ》も空蝉は知っていた。不幸な自分は良人に死に別れただけで済まず、またまたこんな情けないことが近づいてこようとすると悲しがって、だれにも相談をせずに尼になってしまった。常陸介の息子や娘もさすがにこれを惜しがった。河内守は恨めしかった。
「私をきらって尼におなりになったってまだ今後長く生きて行かねばならないのだから、どうして生活をするつもりだろう、余計なことをしたものだ」
 などと言った。

関屋 版本说明

底本:「全訳源氏物語 上巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年8月10日改版初版発行
   1994(平成6)年12月20日56版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月5日71版を使用しました。
入力:上田英代
校正:kumi
2003年5月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

17 絵合

[#地から3字上げ]あひがたきいつきのみことおもひてき
[#地から3字上げ]さらに遥《はる》かになりゆくものを(晶子)

 前斎宮《ぜんさいぐう》の入内《じゅだい》を女院は熱心に促しておいでになった。こまごまとした入用の品々もあろうがすべてを引き受けてする人物がついていないことは気の毒であると、源氏は思いながらも院への御遠慮があって、今度は二条の院へお移しすることも中止して、傍観者らしく見せてはいたが、大体のことは皆源氏が親らしくしてする指図《さしず》で運んでいった。院は残念がっておいでになったが、負けた人は沈黙すべきであると思召《おぼしめ》して、手紙をお送りになることも絶えた形であった。しかも当日になって院からのたいしたお贈り物が来た。御衣服、櫛《くし》の箱、乱れ箱、香壺《こうご》の箱には幾種類かの薫香《くんこう》がそろえられてあった。源氏が拝見することを予想して用意あそばされた物らしい。源氏の来ていた時であったから、女別当《にょべっとう》はその報告をして品々を見せた。源氏はただ櫛の箱だけを丁寧に拝見した。繊細な技巧でできた結構な品である。挿《さ》し櫛のはいった小箱につけられた飾りの造花に御歌が書かれてあった。

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別れ路《ぢ》に添へし小櫛をかごとにてはるけき中と神やいさめし
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 この御歌に源氏は心の痛くなるのを覚えた。もったいないことを計らったものであると、源氏は自身のかつてした苦しい思いに引き比べて院の今のお心持ちも想像することができてお気の毒でならない。斎王として伊勢へおいでになる時に始まった恋が、幾年かの後に神聖な職務を終えて女王《にょおう》が帰京され御希望の実現されてよい時になって、弟君の陛下の後宮《こうきゅう》へその人がはいられるということでどんな気があそばすだろう。閑暇《かんか》な地位へお退《の》きになった現今の院は、何事もなしうる主権に離れた寂しさというようなものをお感じにならないであろうか、自分であれば世の中が恨めしくなるに違いないなどと思うと心が苦しくて、何故女王を宮中へ入れるようなよけいなことを自分は考えついて御心《みこころ》を悩ます結果を作ったのであろう、お恨めしく思われた時代もあったが、もともと優しい人情深い方であるのにと、源氏は歎息《たんそく》をしながらしばらく考え込んでいた。
「この御返歌はどうなさるだろう、またお手紙もあったでしょうがお答えにならないではいけないでしょう」
 などと源氏は言ってもいたが、女房たちはお手紙だけは源氏に見せることをしなかった。宮は気分がおすぐれにならないで、御返歌をしようとされないのを、
「それではあまりに失礼で、もったいないことでございます」
 こんなことを言って、女房たちが返事をお書かせしようと苦心している様子を知ると、源氏は、
「むろんお返事をなさらないではいけません。ちょっとだけでよいのですからお書きなさい」
 と言った。源氏にそう言われることが斎宮にはまたお恥ずかしくてならないのであった。昔を思い出して御覧になると、艶《えん》に美しい帝《みかど》が別れを惜しんでお泣きになるのを、少女心《おとめごころ》においたわしくお思いになったことも目の前に浮かんできた。同時に、母君のことも思われてお悲しいのであった。

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別るとてはるかに言ひしひと言《こと》もかへりて物は今ぞ悲しき
[#ここで字下げ終わり]

 とだけお書きになったようである。お使いの幾人かはそれぞれ差のあるいただき物をして帰った。源氏は斎宮の御返歌を知りたかったのであるが、それも見たいとは言えなかった。院は美男でいらせられるし、女王もそれにふさわしい配偶のように思われる、少年でいらせられる帝の女御《にょご》におさせすることは、女王の心に不満足なことであるかもしれないなどと思いやりのありすぎることまでも考えてみると、源氏は胸が騒いでならなかったが、今日になって中止のできることでもなかったから儀式その他についての注意を言い置いて、親しい修理大夫参議《しゅりだゆうさんぎ》である人にすべてを委託して源氏は六条邸を出て御所へ参った。養父として一切を源氏が世話していることにしては院へ済まないという遠慮から、単に好意のある態度を取っているというふうを示していた。もとからよい女房の多い宮であったから、実家に引いていがちだった人たちも皆出て来て、すでにはなやかな女御の形態が調ったように見えた。御息所《みやすどころ》が生きていたならば、どんなにこうしたことをよろこぶことであろう、聡明《そうめい》な後見役として女御の母であるのに最も適した性格であったと源氏は故人が思い出されて、恋人としてばかりでなく、あの人を失ったことはこの世の損失であるとも源氏は思った。洗練された高い趣味の人といっても、あれほどにすぐれた人は見いだせないのであると、源氏は物のおりごとに御息所を思った。
 このごろは女院も御所に来ておいでになった。帝は新しい女御の参ることをお聞きになって、少年らしく興奮しておいでになった。御年齢よりはずっと大人びた方なのである。女院も、
「りっぱな方が女御に上がって来られるのですから、お気をおつけになってお逢いなさい」
 と御注意をあそばした。帝は人知れず大人の女御は恥ずかしいであろうと思召されたが、深更になってから上の御局《みつぼね》へ上がって来た女御は、おとなしいおおような、そして小柄な若々しい人であったから自然に愛をお感じになった。弘徽殿《こきでん》の女御は早くからおそばに上がっていたからその人を睦《むつ》まじい者に思召され、この新女御《しんにょご》は品よく柔らかい魅力があるとともに、源氏が大きな背景を作って、きわめて大事に取り扱う点で侮りがたい人に思召されて宿直《とのい》に召される数は正しく半々になっていたが、少年らしくお遊びになる相手には弘徽殿がよくて、昼などおいでになることは弘徽殿のほうが多かった。権中納言は后《きさき》にも立てたい心で後宮に入れた娘に、競争者のできたことで不安を感じていた。
 院は櫛《くし》の箱の返歌を御覧になってからいっそう恋しく思召された。ちょうどそのころに源氏は院へ伺候した。親しくお話を申し上げているうちに、斎宮が下向されたことから、院の御代《みよ》の斎宮の出発の儀式にお話が行った。院も回想していろいろとお語りになったが、ぜひその人を得たく思っていたとはお言いにならないのである。源氏はその問題を全然知らぬ顔もしながら、どう思召していられるかが知りたくて、話をその方向へ向けた時、院の御表情に失恋の深い御苦痛が現われてきたのをお気の毒に思った。美しい人としてそれほど院が忘れがたく思召す前斎宮は、どんな美貌《びぼう》をお持ちになるのであろうと源氏は思って、おりがあればお顔を見たいと思っているが、その機会の与えられないことを口惜《くちお》しがっていた。貴女らしい奥深さをあくまで持っていて、うかとして人に見られる隙《すき》のあるような人でない斎宮の女御を源氏は一面では敬意の払われる養女であると思って満足しているのであった。
 こんなふうに隙間《すきま》もないふうに二人の女御が侍しているのであったから、兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は女王の後宮入りを実現させにくくて煩悶《はんもん》をしておいでになったが、帝が青年におなりになったなら、外戚の自分の娘を疎外あそばすことはなかろうとなお希望をつないでおいでになった。宮廷の二人の女御ははなやかに挑《いど》み合った。帝は何よりも絵に興味を持っておいでになった。特別にお好きなせいかお描《か》きになることもお上手《じょうず》であった。斎宮の女御は絵をよく描くのでそれがお気に入って、女御の御殿へおいでになってはごいっしょに絵をお描きになることを楽しみにあそばした。殿上の若い役人の中でも絵の描ける者を特にお愛しになる帝であったから、まして美しい人が、雅味《がみ》のある絵を上手に墨で描いて、からだを横たえながら、次の筆の下《お》ろしようを考えたりしている可憐《かれん》さが御心《みこころ》に沁《し》んで、しばしばこちらへおいでになるようになり、御|寵愛《ちょうあい》が見る見る盛んになった。権中納言がそれを聞くと、どこまでも負けぎらいな性質から有名な画家の幾人を家にかかえて、よい絵をよい紙に、描かせることをひそかにさせていた。
「小説を題にして描いた絵が最もおもしろい」
 と言って、権中納言は選んだよい小説の内容を絵にさせているのである。一年十二季の絵も平凡でない文学的価値のある詞《ことば》書きをつけて帝のお目にかけた。おもしろい物であるがそれは非常に大事な物らしくして、帝のおいでになっている間にも、長くは御前へ出して置かずにしまわせてしまうのである。帝が斎宮の女御に見せたく思召して、お持ちになろうとするのを弘徽殿の人々は常にはばむのであった。源氏がそれを聞いて、
「中納言の競争心はいつまでも若々しく燃えているらしい」
 などと笑った。
「隠そう隠そうとしてあまり御前へ出さずに陛下をお悩ましするなどということはけしからんことだ」
 と源氏は言って、帝へは
「私の所にも古い絵はたくさんございますから差し上げることにいたしましょう」
 と奏して、源氏は二条の院の古画新画のはいった棚《たな》をあけて夫人といっしょに絵を見分けた。古い絵に属する物と現代的な物とを分類したのである。長恨歌、王昭君などを題目にしたのはおもしろいが縁起はよろしくない。そんなのを今度は省くことに源氏は決めたのである。旅中に日記代わりに描いた絵巻のはいった箱を出して来て源氏ははじめて夫人にも見せた。何の予備知識を備えずに見る者があっても、少し感情の豊かな者であれば泣かずにはいられないだけの力を持った絵であった。まして忘れようもなくその悲しかった時代を思っている源氏にとって、夫人にとって今また旧作がどれほどの感動を与えるものであるかは想像するにかたくはない。夫人は今まで源氏の見せなかったことを恨んで言った。

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「一人|居《ゐ》て眺《なが》めしよりは海人《あま》の住むかたを書きてぞ見るべかりける
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 あなたにはこんな慰めがおありになったのですわね」
 源氏は夫人の心持ちを哀れに思って言った。

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「うきめ見しそのをりよりは今日はまた過ぎにし方に帰る涙か
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 中宮《ちゅうぐう》にだけはお目にかけねばならない物ですよ」
 源氏はその中のことにできのよいものでしかも須磨《すま》と明石《あかし》の特色のよく出ている物を一|帖《じょう》ずつ選んでいながらも、明石の家の描《か》かれてある絵にも、どうしているであろうと、恋しさが誘われた。源氏が絵を集めていると聞いて、権中納言はいっそう自家で傑作をこしらえることに努力した。巻物の軸、紐《ひも》の装幀《そうてい》にも意匠を凝らしているのである。それは三月の十日ごろのことであったから、最もうららかな好季節で、人の心ものびのびとしておもしろくばかり物が見られる時であったし、宮廷でも定まった行事の何もない時で、絵画や文学の傑作をいかにして集めようかと苦心をするばかりが仕事になっていた。これを皆陛下へ差し上げることにして公然の席で勝負を決めるほうが興味のあってよいことであると源氏がまず言い出した。双方から出すのであるから宮中へ集まった絵巻の数は多かった。小説を絵にした物は、見る人がすでに心に作っている幻想をそれに加えてみることによって絵の効果が倍加されるものであるからその種類の物が多い。梅壺《うめつぼ》の王女御《おうにょご》のほうのは古典的な価値の定まった物を絵にしたのが多く、弘徽殿のは新作として近ごろの世間に評判のよい物を描かせたのが多かったから、見た目のにぎやかで派手《はで》なのはこちらにあった。典侍《ないしのすけ》や内侍《ないし》や命婦《みょうぶ》も絵の価値を論じることに一所懸命になっていた。女院も宮中においでになるころであったから、女官たちの論議する者を二つにして説をたたかわせて御覧になった。左右に分けられたのである。梅壺方は左で、平典侍《へいてんじ》、侍従の内侍、少将の命婦などで、右方は大弐《だいに》の典侍、中将の命婦、兵衛《ひょうえ》の命婦などであった。皆世間から有識者として認められている女性である。思い思いのことを主張する弁論を女院は興味深く思召《おぼしめ》して、まず日本最初の小説である竹取の翁《おきな》と空穂《うつぼ》の俊蔭《としかげ》の巻を左右にして論評をお聞きになった。
「竹取の老人と同じように古くなった小説ではあっても、思い上がった主人公の赫耶《かぐや》姫の性格に人間の理想の最高のものが暗示されていてよいのです。卑近なことばかりがおもしろい人にはわからないでしょうが」
 と左は言う。右は、
「赫耶姫の上った天上の世界というものは空想の所産にすぎません。この世の生活の写してある所はあまりに非貴族的で美しいものではありません。宮廷の描写などは少しもないではありませんか。赫耶姫は竹取の翁の一つの家を照らすだけの光しかなかったようですね。安部《あべ》の多《おおし》が大金で買った毛皮がめらめらと焼けたと書いてあったり、あれだけ蓬莱《ほうらい》の島を想像して言える倉持《くらもち》の皇子《みこ》が贋物《にせもの》を持って来てごまかそうとしたりするところがとてもいやです」
 この竹取の絵は巨勢《こせ》の相覧《おうみ》の筆で、詞《ことば》書きは貫之《つらゆき》がしている。紙屋紙《かんやがみ》に唐錦《からにしき》の縁が付けられてあって、赤紫の表紙、紫檀《したん》の軸で穏健な体裁である。
「俊蔭は暴風と波に弄《もてあそ》ばれて異境を漂泊しても芸術を求める心が強くて、しまいには外国にも日本にもない音楽者になったという筋が竹取物語よりずっとすぐれております。それに絵も日本と外国との対照がおもしろく扱われている点ですぐれております」
 と右方は主張するのであった。これは式紙地《しきしじ》の紙に書かれ、青い表紙と黄玉《おうぎょく》の軸が付けられてあった。絵は常則《つねのり》、字は道風であったから派手《はで》な気分に満ちている。左はその点が不足であった。次は伊勢《いせ》物語と正三位《しょうさんみ》が合わされた。この論争も一通りでは済まない。今度も右は見た目がおもしろくて刺戟《しげき》的で宮中の模様も描かれてあるし、現代に縁の多い場所や人が写されてある点でよさそうには見えた。平典侍が言った。

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「伊勢の海の深き心をたどらずて古《ふ》りにし跡と波や消つべき
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 ただの恋愛談を技巧だけで綴《つづ》ってあるような小説に業平朝臣《なりひらあそん》を負けさせてなるものですか」
 右の典侍が言う。

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雲の上に思ひのぼれる心には千尋《ちひろ》の底もはるかにぞ見る
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 女院が左の肩をお持ちになるお言葉を下された。
「兵衛王《ひょうえおう》の精神はりっぱだけれど在五中将以上のものではない。

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見るめこそうらぶれぬらめ年経にし伊勢をの海人《あま》の名をや沈めん」
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 婦人たちの言論は長くかかって、一回分の勝負が容易につかないで時間がたち、若い女房たちが興味をそれに集めている陛下と梅壺《うめつぼ》の女御の御絵はいつ席上に現われるか予想ができないのであった。源氏も参内して、双方から述べられる支持と批難の言葉をおもしろく聞いた。
「これは御前で最後の勝負を決めましょう」
 と源氏が言って、絵合わせはいっそう広く判者を求めることになった。こんなこともかねて思われたことであったから、須磨、明石の二巻を左の絵の中へ源氏は混ぜておいたのである。中納言も劣らず絵合わせの日に傑作を出そうとすることに没頭していた。世の中はもうよい絵を製作することと、捜し出すことのほかに仕事がないように見えた。
「今になって新しく作ることは意味のないことだ。持っている絵の中で優劣を決めなければ」
 と源氏は言っているが、中納言は人にも知らせず自邸の中で新画を多く作らせていた。院もこの勝負のことをお聞きになって、梅壺へ多くの絵を御寄贈あそばされた。宮中で一年じゅうにある儀式の中のおもしろいのを昔の名家が描いて、延喜《えんぎ》の帝が御自身で説明をお添えになった古い巻き物のほかに、御自身の御代《みよ》の宮廷にあったはなやかな儀式などをお描かせになった絵巻には、斎宮《さいぐう》発足の日の大極殿《だいごくでん》の別れの御櫛《みぐし》の式は、御心《みこころ》に沁《し》んで思召されたことなのであったから、特に構図なども公茂画伯《きんもちがはく》に詳しくお指図《さしず》をあそばして製作された非常にりっぱな絵もあった。沈《じん》の木の透かし彫りの箱に入れて、同じ木で作った上飾りを付けた新味のある御贈り物であった。御|挨拶《あいさつ》はただお言葉だけで院の御所への勤務もする左近の中将がお使いをしたのである。大極殿の御輿《みこし》の寄せてある神々しい所に御歌があった。

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身こそかくしめの外《ほか》なれそのかみの心のうちを忘れしもせず
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 と言うのである。返事を差し上げないこともおそれおおいことであると思われて、斎宮の女御は苦しく思いながら、昔のその日の儀式に用いられた簪《かんざし》の端を少し折って、それに書いた。

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しめのうちは昔にあらぬここちして神代のことも今ぞ恋しき
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 藍《あい》色の唐紙に包んでお上げしたのであった。院はこれを限りもなく身に沁《し》んで御覧になった。このことで御位《みくらい》も取り返したく思召した。源氏をも恨めしく思召されたに違いない。かつて源氏に不合理な厳罰をお加えになった報いをお受けになったのかもしれない。院のお絵は太后の手を経て弘徽殿《こきでん》の女御《にょご》のほうへも多く来ているはずである。尚侍《ないしのかみ》も絵の趣味を多く持っている人であったから、姪《めい》の女御のためにいろいろと名画を集めていた。
 定められた絵合わせの日になると、それはいくぶんにわかなことではあったが、おもしろく意匠をした風流な包みになって、左右の絵が会場へ持ち出された。女官たちの控え座敷に臨時の玉座が作られて、北側、南側と分かれて判者が座についた。それは清涼殿《せいりょうでん》のことで、西の後涼殿の縁には殿上役人が左右に思い思いの味方をしてすわっていた。左の紫檀《したん》の箱に蘇枋《すおう》の木の飾り台、敷き物は紫地の唐錦《からにしき》、帛紗《ふくさ》は赤紫の唐錦である。六人の侍童の姿は朱色の服の上に桜襲《さくらがさね》の汗袗《かざみ》、袙《あこめ》は紅の裏に藤襲《ふじがさね》の厚織物で、からだのとりなしがきわめて優美である。右は沈の木の箱に浅香《せんこう》の下机《したづくえ》、帛紗は青地の高麗錦《こうらいにしき》、机の脚《あし》の組み紐《ひも》の飾りがはなやかであった。侍童らは青色に柳の色の汗袗《かざみ》、山吹襲《やまぶきかさね》の袙《あこめ》を着ていた。双方の侍童がこの絵の箱を御前に据《す》えたのである。源氏の内大臣と権中納言とが御前へ出た。太宰帥《だざいのそつ》の宮も召されて出ておいでになった。この方は芸術に趣味をお持ちになる方であるが、ことに絵画がお好きであったから、初めに源氏からこのお話もしてあった。公式のお召しではなくて、殿上の間に来ておいでになったのに仰せが下ったのである。この方に今日の審判役を下命された。評判どおりに入念に描《か》かれた絵巻が多かった。優劣をにわかにお決めになるのは困難なようである。例の四季を描いた絵も、大家がよい題材を選んで筆力も雄健に描き流した物は価値が高いように見えるが、今度は皆紙絵であるから、山水画の豊かに描かれた大作などとは違って、凡庸な者に思われている今の若い絵師も昔の名画に近い物を作ることができ、それにはまた現代人の心を惹《ひ》くものも多量に含まれていて、左右はそうした絵の優劣を論じ合っているが、今日の論争は双方ともまじめであったからおもしろかった。襖子《からかみ》をあけて朝餉《あさがれい》の間《ま》に女院は出ておいでになった。絵の鑑識に必ず自信がおありになるのであろうと思って、源氏はそれさえありがたく思われた。判者が断定のしきれないような時に、お伺いを女院へするのに対して、短いお言葉の下されるのも感じのよいことであった。左右の勝ちがまだ決まらずに夜が来た。最後の番に左から須磨の巻が出てきたことによって中納言の胸は騒ぎ出した。右もことに最後によい絵巻が用意されていたのであるが、源氏のような天才が清澄な心境に達した時に写生した風景画は何者の追随をも許さない。判者の親王をはじめとしてだれも皆涙を流して見た。その時代に同情しながら想像した須磨よりも、絵によって教えられる浦住まいはもっと悲しいものであった。作者の感情が豊かに現われていて、現在をもその時代に引きもどす力があった。須磨からする海のながめ、寂しい住居《すまい》、崎々浦々が皆あざやかに描かれてあった。草書で仮名混じりの文体の日記がその所々には混ぜられてある。身にしむ歌もあった。だれも他の絵のことは忘れて恍惚《こうこつ》となってしまった。圧巻はこれであると決まって左が勝ちになった。
 明け方近くなって古い回想から湿った心持ちになった源氏は杯を取りながら帥《そつ》の宮に語った。
「私は子供の時代から学問を熱心にしていましたが、詩文の方面に進む傾向があると御覧になったのですか、院がこうおっしゃいました、文学というものは世間から重んぜられるせいか、そのほうのことを専門的にまでやる人の長寿と幸福を二つともそろって得ている人は少ない。不足のない身分は持っているのであるから、あながちに文学で名誉を得る必要はない。その心得でやらねばならないって。以来私に本格的な学問をいろいろとおさせになりましたが、できが悪い課目もなく、またすぐれた深い研究のできたこともありませんでした。絵を描くことだけは、それは大きいことではありませんが、満足のできるほど精神を集中させて描いて見たいという希望がおりおり起こったものですが、思いがけなく放浪者になりました時に、はじめて大自然の美しさにも接する機会を得まして、描くべき物は十分に与えられたのですが、技巧がまずくて、思いどおりの物を紙上に表現することはできませんでした。そんなものですからこれだけをお目にかけることは恥ずかしくていたされませんから、今度のような機会に持ち出しただけなのですが、私の行為が突飛《とっぴ》なように評されないかと心配しております」
「何の芸でも頭がなくては習えませんが、それでもどの芸にも皆師匠があって、導く道ができているものですから、深さ浅さは別問題として、師匠の真似《まね》をして一通りにやるだけのことはだれにもまずできるでしょう。ただ字を書くことと囲碁だけは芸を熱心に習ったとも思われない者からもひょっくりりっぱな書を書く者、碁の名人が出ているものの、やはり貴族の子の中からどんな芸も出抜けてできる人が出るように思われます。院が御自身の親王、内親王たちに皆何かの芸はお仕込みになったわけですが、その中でもあなたへは特別に御熱心に御教授あそばしましたし、熱心にもお習いになったのですから、詩文のほうはむろんごりっぱだし、そのほかでは琴《きん》をお弾《ひ》きになることが第一の芸で、次は横笛、琵琶《びわ》、十三|絃《げん》という順によくおできになる芸があると院も仰せになりました。世間もそう信じているのですが、絵などはほんのお道楽だと私も今までは思っていましたのに、あまりにお上手《じょうず》過ぎて墨絵描きの画家が恥じて死んでしまう恐れがある傑作をお見せになるのは、けしからんことかもしれません」
 宮はしまいには戯談《じょうだん》をお言いになったが酔い泣きなのか、故院のお話をされてしおれておしまいになった。二十幾日の月が出てまだここへはさしてこないのであるが、空には清い明るさが満ちていた。書司に保管されてある楽器が召し寄せられて、中納言が和琴《わごん》の弾《ひ》き手になったが、さすがに名手であると人を驚かす芸であった。帥の宮は十三絃、源氏は琴、琵琶の役は少将の命婦に仰せつけられた。殿上役人の中の音楽の素養のある者が召されて拍子を取った。稀《まれ》なよい合奏になった。夜が明けて桜の花も人の顔もほのかに浮き出し、小鳥のさえずりが聞こえ始めた。美しい朝ぼらけである。下賜品は女院からお出しになったが、なお親王は帝《みかど》からも御衣《ぎょい》を賜わった。この当座はだれもだれも絵合わせの日の絵の噂《うわさ》をし合った。
「須磨、明石の二巻は女院の御座右に差し上げていただきたい」
 こう源氏は申し出た。女院はこの二巻の前後の物も皆見たく思召すとのことであったが、
「またおりを見まして」
 と源氏は御|挨拶《あいさつ》を申した。帝が絵合わせに満足あそばした御様子であったのを源氏はうれしく思った。二人の女御の挑《いど》みから始まったちょっとした絵の上のことでも源氏は大形《おおぎょう》に力を入れて梅壺《うめつぼ》を勝たせずには置かなかったことから中納言は娘の気《け》押されて行く運命も予感して口惜《くちお》しがった。帝は初めに参った女御であって、御愛情に特別なもののあることを、女御の父の中納言だけは想像のできる点もあって、頼もしくは思っていて、すべては自分の取り越し苦労であるとしいて思おうとも中納言はしていた。
 宮中の儀式などもこの御代《みよ》から始まったというものを起こそうと源氏は思うのであった。絵合わせなどという催しでも単なる遊戯でなく、美術の鑑賞の会にまで引き上げて行なわれるような盛りの御代が現出したわけである。しかも源氏は人生の無常を深く思って、帝がいま少し大人におなりになるのを待って、出家がしたいと心の底では思っているようである。昔の例を見ても、年が若くて官位の進んだ、そして世の中に卓越した人は長く幸福でいられないものである、自分は過分な地位を得ている、以前不幸な日のあったことで、ようやくまだ今日まで運が続いているのである、今後もなお順境に身を置いていては長命のほうが危《あぶな》い、静かに引きこもって後世《ごせ》のための仏勤めをして長寿を得たいと、源氏はこう思って、郊外の土地を求めて御堂《みどう》を建てさせているのであった。仏像、経巻などもそれとともに用意させつつあった。しかし子供たちをよく教育してりっぱな人物、すぐれた女性にしてみようと思う精神と出家のことは両立しないのであるから、どっちがほんとうの源氏の心であるかわからない。

絵合 版本说明

底本:「全訳源氏物語 上巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年8月10日改版初版発行
   1994(平成6)年12月20日56版発行
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※校正には、2002(平成14)年4月5日71版を使用しました。
入力:上田英代
校正:kumi
2003年5月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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18 松風

[#地から3字上げ]あぢきなき松の風かな泣けばなき小琴
[#地から3字上げ]をとればおなじ音を弾《ひ》く  (晶子)

 東の院が美々しく落成したので、花散里《はなちるさと》といわれていた夫人を源氏は移らせた。西の対から渡殿《わたどの》へかけてをその居所に取って、事務の扱い所、家司《けいし》の詰め所なども備わった、源氏の夫人の一人としての体面を損じないような住居《すまい》にしてあった。東の対には明石《あかし》の人を置こうと源氏はかねてから思っていた。北の対をばことに広く立てて、かりにも源氏が愛人と見て、将来のことまでも約束してある人たちのすべてをそこへ集めて住ませようという考えをもっていた源氏は、そこを幾つにも仕切って作らせた点で北の対は最もおもしろい建物になった。中央の寝殿《しんでん》はだれの住居《すまい》にも使わせずに、時々源氏が来て休息をしたり、客を招いたりする座敷にしておいた。
 明石へは始終手紙が送られた。このごろは上京を促すことばかりを言う源氏であった。女はまだ躊躇《ちゅうちょ》をしているのである。わが身の上のかいなさをよく知っていて、自分などとは比べられぬ都の貴女《きじょ》たちでさえ捨てられるのでもなく、また冷淡でなくもないような扱いを受けて、源氏のために物思いを多く作るという噂《うわさ》を聞くのであるから、どれだけ愛されているという自信があってその中へ出て行かれよう、姫君の生母の貧弱さを人目にさらすだけで、たまさかの訪問を待つにすぎない京の暮らしを考えるほど不安なことはないと煩悶《はんもん》をしながらも明石は、そうかといって姫君をこの田舎《いなか》に置いて、世間から源氏の子として取り扱われないような不幸な目にあわせることも非常に哀れなことであると思って、出京は断然しないとも源氏へ答えることはできなかった。両親も娘の煩悶するのがもっともに思われて歎息《たんそく》ばかりしていた。入道夫人の祖父の中務卿《なかつかさきょう》親王が昔持っておいでになった別荘が嵯峨《さが》の大井川のそばにあって、宮家の相続者にしかとした人がないままに別荘などもそのままに荒廃させてあるのを思い出して、親王の時からずっと預かり人のようになっている男を明石へ呼んで相談をした。
「私はもう京の生活を二度とすまいという決心で田舎へ引きこもったのだが、子供になってみるとそうはいかないもので、その人たちのためにまた一軒京に家を持つ必要ができたのだが、こうした静かな所にいて、にわかに京の町中の家へはいって気も落ち着くものでないと思われるので、古い別荘のほうへでもやろうかと思う。そちらで今まで使っているだけの建物は君のほうへあげてもいいから、そのほかの所を修繕して、とにかく人が住めるだけの別荘にこしらえ上げてもらいたいと思うのだが」
 と入道が言った。
「もう長い間持ち主がおいでにならない別荘になって、ひどく荒れたものですから、私たちは下屋《しもや》のほうに住んでおりますが、しかし今年の春ごろから内大臣さんが近くへ御堂《みどう》の普請をお始めになりまして、あすこはもう人がたくさん来る所になっておりますよ、たいした御堂ができるのですから、工事に使われている人数だけでもどんなに大きいかしれません。静かなお住居《すまい》がよろしいのならあすこはだめかもしれません」
「いや、それは構わないのだ。というのは内大臣家にも関係のあることでそこへ行こうとしているのだからね。家の中の設備などは追い追いこちらからさせるが、まず急いで大体の修繕のほうをさせてくれ」
 と入道が言う。
「私の所有ではありませんが、持っていらっしゃる方もなかったものですから、一軒家のような所を長く私が守って来たのです。別荘についた田地なども荒れる一方でしたから、お亡《な》くなりになりました民部大輔《みんぶだゆう》さんにお願いして、譲っていただくことにしましてそれだけの金は納めたのでした」
 預かり人は自身の物のようにしている田地などを回収されないかと危うがって、権利を主張しておかねばというように、鬚《ひげ》むしゃな醜い顔の鼻だけを赤くしながら顎《あご》を上げて弁じ立てる。
「私のほうでは田地などいらない。これまでどおりに君は思っておればいい。別荘その他の証券は私のほうにあるが、もう世捨て人になってしまってからは、財産の権利も義務も忘れてしまって、留守居《るすい》料も払ってあげなかったが、そのうち精算してあげるよ」
 こんな話も相手は、入道が源氏に関係のあることをにおわしたことで気味悪く思って、私慾《しよく》をそれ以上たくましくはしかねていた。それからのち、入道家から金を多く受け取って大井の山荘は修繕されていった。そんなことは源氏の想像しないことであったから、上京をしたがらない理由は何にあるかと怪しんでは、姫君がそのまま田舎に育てられていくことによって、のちの歴史にも不名誉な話が残るであろうと源氏は歎息《たんそく》されるのであったが、大井の山荘ができ上がってから、はじめて昔の母の祖父の山荘のあったことを思い出して、そこを家にして上京するつもりであると明石から知らせて来た。東の院へ迎えて住ませようとしたことに同意しなかったのは、そんな考えであったのかと源氏は合点した。聡明《そうめい》なしかただとも思ったのであった。惟光《これみつ》が源氏の隠し事に関係しないことはなくて、明石の上京の件についても源氏はこの人にまず打ち明けて、さっそく大井へ山荘を見にやり、源氏のほうで用意しておくことは皆させた。
「ながめのよい所でございまして、やはりまた海岸のような気のされる所もございます」
 と惟光は報告した。そうした山荘の風雅な女主人になる資格のある人であると源氏は思っていた。
 源氏の作っている御堂は大覚寺の南にあたる所で、滝殿《たきどの》などの美術的なことは大覚寺にも劣らない。明石の山荘は川に面した所で、大木の松の多い中へ素朴《そぼく》に寝殿の建てられてあるのも、山荘らしい寂しい趣が出ているように見えた。源氏は内部の設備までも自身のほうでさせておこうとしていた。親しい人たちをもまたひそかに明石へ迎えに立たせた。
 免れがたい因縁に引かれていよいよそこを去る時になったのであると思うと、女の心は馴染《なじみ》深い明石の浦に名残《なごり》が惜しまれた。父の入道を一人ぼっちで残すことも苦痛であった。なぜ自分だけはこんな悲しみをしなければならないのであろうと、朗らかな運命を持つ人がうらやましかった。両親も源氏に迎えられて娘が出京するというようなことは長い間寝てもさめても願っていたことで、それが実現される喜びはあっても、その日を限りに娘たちと別れて孤独になる将来を考えると堪えがたく悲しくて、夜も昼も物思いに入道は呆《ぼう》としていた。言うことはいつも同じことで、
「そして私は姫君の顔を見ないでいるのだね」
 そればかりである。夫人の心も非常に悲しかった。これまでもすでに同じ家には住まず別居の形になっていたのであるから、明石が上京したあとに自分だけが残る必要も認めてはいないものの、地方にいる間だけの仮の夫婦の中でも月日が重なって馴染《なじみ》の深くなった人たちは別れがたいものに違いないのであるから、まして夫人にとっては頑固《がんこ》な我意の強い良人《おっと》ではあったが、明石に作った家で終わる命を予想して、信頼して来た妻なのであるからにわかに別れて京へ行ってしまうことは心細かった。光明を見失った人になって田舎《いなか》の生活をしていた若い女房などは、蘇生《そせい》のできたほどにうれしいのであるが、美しい明石の浦の風景に接する日のまたないであろうことを思うことで心のめいることもあった。これは秋のことであったからことに物事が身に沁《し》んで思われた。出立の日の夜明けに、涼しい秋風が吹いていて、虫の声もする時、明石の君は海のほうをながめていた。入道は後夜《ごや》に起きたままでいて、鼻をすすりながら仏前の勤めをしていた。門出の日は縁起を祝って、不吉なことはだれもいっさい避けようとしているが、父も娘も忍ぶことができずに泣いていた。小さい姫君は非常に美しくて、夜光の珠《たま》と思われる麗質の備わっているのを、これまでどれほど入道が愛したかしれない。祖父の愛によく馴染んでいる姫君を入道は見て、
「僧形《そうぎょう》の私が姫君のそばにいることは遠慮すべきだとこれまでも思いながら、片時だってお顔を見ねばいられなかった私は、これから先どうするつもりだろう」
 と泣く。

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「行くさきをはるかに祈る別れ路《ぢ》にたへぬは老いの涙なりけり
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 不謹慎だ私は」
 と言って、落ちてくる涙を拭《ぬぐ》い隠そうとした。尼君が、京時代の左近中将の良人《おっと》に、

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「もろともに都は出《い》できこのたびや一人野中の道に惑はん」
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 と言って泣くのも同情されることであった。信頼をし合って過ぎた年月を思うと、どうなるかわからぬ娘の愛人の心を頼みにして、見捨てた京へ帰ることが尼君をはかなくさせるのであった。明石が、

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「いきてまた逢ひ見んことをいつとてか限りも知らぬ世をば頼まん
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 送ってだけでもくださいませんか」
 と父に頼んだが、それは事情が許さないことであると入道は言いながらも途中が気づかわれるふうが見えた。
「私は出世することなどを思い切ろうとしていたのだが、いよいよその気になって地方官になったのは、ただあなたに物質的にだけでも十分尽くしてやりたいということからだった。それから地方官の仕事も私に適したものでないことをいろんな形で教えられたから、これをやめて地方官の落伍《らくご》者の一人で、京で軽蔑《けいべつ》される人間にこの上なっては親の名誉を恥ずかしめることだと悲しくて出家したがね、京を出たのが世の中を捨てる門出だったと、世間からも私は思われていて、よく潔くそれを実行したと私自身にも満足感はあったが、あなたが一人前の少女になってきたのを見ると、どうしてこんな珠玉を泥土《でいど》に置くような残酷なことを自分はしたかと私の心はまた暗くなってきた。それからは仏と神を頼んで、この人までが私の不運に引かれて一地方人となってしまうようなことがないようにと願った。思いがけず源氏の君を婿に見る日が来たのであるが、われわれには身分のひけ目があって、よいことにも悲しみが常に添っていた。しかし姫君がお生まれになったことで私もだいぶ自信ができてきた。姫君はこんな土地でお育ちになってはならない高い宿命を持つ方に違いないのだから、お別れすることがどんなに悲しくても私はあきらめる。何事ももうとくにあきらめた私は僧じゃないか。姫君は高い高い宿命の人でいられるが、暫時《ざんじ》の間私に祖父と孫の愛を作って見せてくださったのだ。天に生まれる人も一度は三途《さんず》の川まで行くということにあたることだとそれを思って私はこれで長いお別れをする。私が死んだと聞いても仏事などはしてくれる必要はない。死に別れた悲しみもしないでおおきなさい」
 と入道は断言したのであるが、また、
「私は煙になる前の夕べまで姫君のことを六時の勤行《ごんぎょう》に混ぜて祈ることだろう。恩愛が捨てられないで」
 と悲しそうに言うのであった。車の数の多くなることも人目を引くことであるし、二度に分けて立たせることも面倒《めんどう》なことであるといって、迎えに来た人たちもまた非常に目だつことを恐れるふうであったから、船を用いてそっと明石親子は立つことになった。
 午前八時に船が出た。昔の人も身にしむものに見た明石の浦の朝霧に船の隔たって行くのを見る入道の心は、仏弟子《ぶつでし》の超越した境地に引きもどされそうもなかった。ただ呆然《ぼうぜん》としていた。
 長い年月を経て都へ帰ろうとする尼君の心もまた悲しかった。

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かの岸に心寄りにし海人船《あまぶね》のそむきし方に漕《こ》ぎ帰るかな
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 と言って尼君は泣いていた。明石は、

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いくかへり行きかふ秋を過ごしつつ浮き木に乗りてわれ帰るらん
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 と言っていた。追い風であって、予定どおりに一行の人は京へはいることができた。車に移ってから人目を引かぬ用心をしながら大井の山荘へ行ったのである。
 山荘は風流にできていて、大井川が明石でながめた海のように前を流れていたから、住居《すまい》の変わった気もそれほどしなかった。明石の生活がなお近い続きのように思われて、悲しくなることが多かった。増築した廊なども趣があって園内に引いた水の流れも美しかった。欠点もあるが住みついたならきっとよくなるであろうと明石の人々は思った。源氏は親しい家司《けいし》に命じて到着の日の一行の饗応《きょうおう》をさせたのであった。自身で訪《たず》ねて行くことは、機会を作ろう作ろうとしながらもおくれるばかりであった。源氏に近い京へ来ながら物思いばかりがされて、女は明石《あかし》の家も恋しかったし、つれづれでもあって、源氏の形見の琴《きん》の絃《いと》を鳴らしてみた。非常に悲しい気のする日であったから、人の来ぬ座敷で明石がそれを少し弾《ひ》いていると、松風の音が荒々しく合奏をしかけてきた。横になっていた尼君が起き上がって言った。

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身を変へて一人帰れる山里に聞きしに似たる松風ぞ吹く
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 女《むすめ》が言った。

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ふるさとに見し世の友を恋ひわびてさへづることを誰《たれ》か分くらん
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 こんなふうにはかながって暮らしていた数日ののちに、以前にもまして逢《あ》いがたい苦しさを切に感じる源氏は、人目もはばからずに大井へ出かけることにした。夫人にはまだ明石の上京したことは言ってなかったから、ほかから耳にはいっては気まずいことになると思って、源氏は女房を使いにして言わせた。
「桂《かつら》に私が行って指図《さしず》をしてやらねばならないことがあるのですが、それをそのままにして長くなっています。それに京へ来たら訪ねようという約束のしてある人もその近くへ上って来ているのですから、済まない気がしますから、そこへも行ってやります。嵯峨野《さがの》の御堂《みどう》に何もそろっていない所にいらっしゃる仏様へも御|挨拶《あいさつ》に寄りますから二、三日は帰らないでしょう」
 夫人は桂の院という別荘の新築されつつあることを聞いたが、そこへ明石の人を迎えたのであったかと気づくとうれしいこととは思えなかった。
「斧《おの》の柄を新しくなさらなければ(仙人《せんにん》の碁を見物している間に、時がたって気がついてみるとその樵夫《きこり》の持っていた斧の柄は朽ちていたという話)ならないほどの時間はさぞ待ち遠いことでしょう」
 不愉快そうなこんな夫人の返事が源氏に伝えられた。
「また意外なことをお言いになる。私はもうすっかり昔の私でなくなったと世間でも言うではありませんか」
 などと言わせて夫人の機嫌《きげん》を直させようとするうちに昼になった。
 微行《しのび》で、しかも前駆には親しい者だけを選んで源氏は大井へ来た。夕方前である。いつも狩衣《かりぎぬ》姿をしていた明石時代でさえも美しい源氏であったのが、恋人に逢うがために引き繕った直衣《のうし》姿はまばゆいほどまたりっぱであった。女のした長い愁《うれ》いもこれに慰められた。源氏は今さらのようにこの人に深い愛を覚えながら、二人の中に生まれた子供を見てまた感動した。今まで見ずにいたことさえも取り返されない損失のように思われる。左大臣家で生まれた子の美貌《びぼう》を世人はたたえるが、それは権勢に目がくらんだ批評である。これこそ真の美人になる要素の備わった子供であると源氏は思った。無邪気な笑顔《えがお》の愛嬌《あいきょう》の多いのを源氏は非常にかわいく思った。乳母《めのと》も明石へ立って行ったころの衰えた顔はなくなって美しい女になっている。今日までのことをいろいろとなつかしいふうに話すのを聞いていた源氏は、塩焼き小屋に近い田舎《いなか》の生活をしいてさせられてきたのに同情するというようなことを言った。
「ここだってまだずいぶんと遠すぎる。したがって私が始終は来られないことになるから、やはり私があなたのために用意した所へお移りなさい」
 と源氏は明石に言うのであったが、
「こんなふうに田舎者であることが少し直りましてから」
 と女の言うのも道理であった。源氏はいろいろに明石の心をいたわったり、将来を堅く誓ったりしてその夜は明けた。なお修繕を加える必要のある所を、源氏はもとの預かり人や新たに任命した家職の者に命じていた。源氏が桂の院へ来るという報《しら》せがあったために、この近くの領地の人たちの集まって来たのは皆そこから明石の家のほうへ来た。そうした人たちに庭の植え込みの草木を直させたりなどした。
「流れの中にあった立石《たていし》が皆倒れて、ほかの石といっしょに紛れてしまったらしいが、そんな物を復旧させたり、よく直させたりすればずいぶんおもしろくなる庭だと思われるが、しかしそれは骨を折るだけかえってあとでいけないことになる。そこに永久いるものでもないから、いつか立って行ってしまう時に心が残って、どんなに私は苦しかったろう、帰る時に」
 源氏はまた昔を言い出して、泣きもし、笑いもして語るのであった。こうした打ち解けた様子の見える時に源氏はいっそう美しいのであった。のぞいて見ていた尼君は老いも忘れ、物思いも跡かたなくなってしまう気がして微笑《ほほえ》んでいた。東の渡殿《わたどの》の下をくぐって来る流れの筋を仕変えたりする指図《さしず》に、源氏は袿《うちぎ》を引き掛けたくつろぎ姿でいるのがまた尼君にはうれしいのであった。仏の閼伽《あか》の具などが縁に置かれてあるのを見て、源氏はその中が尼君の部屋であることに気がついた。
「尼君はこちらにおいでになりますか。だらしのない姿をしています」
 と言って、源氏は直衣《のうし》を取り寄せて着かえた。几帳《きちょう》の前にすわって、
「子供がよい子に育ちましたのは、あなたの祈りを仏様がいれてくだすったせいだろうとありがたく思います。俗をお離れになった清い御生活から、私たちのためにまた世の中へ帰って来てくだすったことを感謝しています。明石ではまた一人でお残りになって、どんなにこちらのことを想像して心配していてくださるだろうと済まなく私は思っています」
 となつかしいふうに話した。
「一度捨てました世の中へ帰ってまいって苦しんでおります心も、お察しくださいましたので、命の長さもうれしく存ぜられます」
 尼君は泣きながらまた、
「荒磯《あらいそ》かげに心苦しく存じました二葉《ふたば》の松もいよいよ頼もしい未来が思われます日に到達いたしましたが、御生母がわれわれ風情《ふぜい》の娘でございますことが、御幸福の障《さわ》りにならぬかと苦労にしております」
 などという様子に品のよさの見える婦人であったから、源氏はこの山荘の昔の主《あるじ》の親王のことなどを話題にして語った。直された流れの水はこの話に言葉を入れたいように、前よりも高い音を立てていた。

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住み馴《な》れし人はかへりてたどれども清水《しみづ》ぞ宿の主人《あるじ》がほなる
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 歌であるともなくこう言う様子に、源氏は風雅を解する老女であると思った。

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「いさらゐははやくのことも忘れじをもとの主人《あるじ》や面《おも》変はりせる
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 悲しいものですね」
 と歎息《たんそく》して立って行く源氏の美しいとりなしにも尼君は打たれて茫《ぼう》となっていた。
 源氏は御堂《みどう》へ行って毎月十四、五日と三十日に行なう普賢講《ふげんこう》、阿弥陀《あみだ》、釈迦《しゃか》の念仏の三昧《さんまい》のほかにも日を決めてする法会《ほうえ》のことを僧たちに命じたりした。堂の装飾や仏具の製作などのことも御堂の人々へ指図《さしず》してから、月明の路《みち》を川沿いの山荘へ帰って来た。
 明石の別離の夜のことが源氏の胸によみがえって感傷的な気分になっている時に女はその夜の形見の琴を差し出した。弾《ひ》きたい欲求もあって源氏は琴を弾き始めた。まだ絃《いと》の音《ね》が変わっていなかった。その夜が今であるようにも思われる。

[#ここから2字下げ]
契りしに変はらぬ琴のしらべにて絶えぬ心のほどは知りきや
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 と言うと、女が、

[#ここから2字下げ]
変はらじと契りしことを頼みにて松の響に音《ね》を添へしかな
[#ここで字下げ終わり]

 と言う。こんなことが不つりあいに見えないのは女からいえば過分なことであった。明石時代よりも女の美に光彩が加わっていた。源氏は永久に離れがたい人になったと明石を思っている。姫君の顔からもまた目は離せなかった。日蔭《ひかげ》の子として成長していくのが、堪えられないほど源氏はかわいそうで、これを二条の院へ引き取ってできる限りにかしずいてやることにすれば、成長後の肩身の狭さも救われることになるであろうとは源氏の心に思われることであったが、また引き放される明石の心が哀れに思われて口へそのことは出ずにただ涙ぐんで姫君の顔を見ていた。子心にはじめは少し恥ずかしがっていたが、今はもうよく馴《な》れてきて、ものを言って、笑ったりもしてみせた。甘えて近づいて来る顔がまたいっそう美しくてかわいいのである。源氏に抱かれている姫君はすでに類のない幸運に恵まれた人と見えた。
 三日目は京へ帰ることになっていたので、源氏は朝もおそく起きて、ここから直接帰って行くつもりでいたが、桂の院のほうへ高官がたくさん集まって来ていて、この山荘へも殿上役人がおおぜいで迎えに来た。源氏は装束をして、
「きまりの悪いことになったものだね、あなたがたに見られてよい家《うち》でもないのに」
 と言いながらいっしょに出ようとしたが、心苦しく女を思って、さりげなく紛らして立ち止まった戸口へ、乳母《めのと》は姫君を抱いて出て来た。源氏はかわいい様子で子供の頭を撫《な》でながら、
「見ないでいることは堪えられない気のするのもにわかな愛情すぎるね。どうすればいいだろう、遠いじゃないか、ここは」
 と源氏が言うと、
「遠い田舎の幾年よりも、こちらへ参ってたまさかしかお迎えできないようなことになりましては、だれも皆苦しゅうございましょう」
 など乳母は言った。姫君が手を前へ伸ばして、立っている源氏のほうへ行こうとするのを見て、源氏は膝《ひざ》をかがめてしまった。
「もの思いから解放される日のない私なのだね、しばらくでも別れているのは苦しい。奥さんはどこにいるの、なぜここへ来て別れを惜しんでくれないのだろう、せめて人心地《ひとごこち》が出てくるかもしれないのに」
 と言うと、乳母は笑いながら明石の所へ行ってそのとおりを言った。女は逢《あ》った喜びが二日で尽きて、別れの時の来た悲しみに心を乱していて、呼ばれてもすぐに出ようとしないのを源氏は心のうちであまりにも貴女《きじょ》ぶるのではないかと思っていた。女房たちからも勧められて、明石《あかし》はやっと膝行《いざ》って出て、そして姿は見せないように几帳《きちょう》の蔭《かげ》へはいるようにしている様子に気品が見えて、しかも柔らかい美しさのあるこの人は内親王と言ってもよいほどに気高《けだか》く見えるのである。源氏は几帳の垂《た》れ絹を横へ引いてまたこまやかにささやいた。いよいよ出かける時に源氏が一度振り返って見ると、冷静にしていた明石も、この時は顔を出して見送っていた。源氏の美は今が盛りであると思われた。以前は痩《や》せて背丈《せたけ》が高いように見えたが、今はちょうどいいほどになっていた。これでこそ貫目のある好男子になられたというものであると女たちがながめていて、指貫《さしぬき》の裾《すそ》からも愛嬌《あいきょう》はこぼれ出るように思った。解官されて源氏について漂泊《さすら》えた蔵人《くろうど》もまた旧《もと》の地位に復《かえ》って、靫負尉《ゆぎえのじょう》になった上に今年は五位も得ていたが、この好青年官人が源氏の太刀《たち》を取りに戸口へ来た時に、御簾《みす》の中に明石のいるのを察して挨拶《あいさつ》をした。
「以前の御厚情を忘れておりませんが、失礼かと存じますし、浦風に似た気のいたしました今暁の山風にも、御挨拶を取り次いでいただく便《びん》もございませんでしたから」
「山に取り巻かれておりましては、海べの頼りない住居《すまい》と変わりもなくて、松も昔の(友ならなくに)と思って寂しがっておりましたが、昔の方がお供の中においでになって力強く思います」
 などと明石は言った。すばらしいものにこの人はなったものだ、自分だって恋人にしたいと思ったこともある女ではないかなどと思って、驚異を覚えながらも蔵人《くろうど》は、
「また別の機会に」
 と言って男らしく肩を振って行った。りっぱな風采《ふうさい》の源氏が静かに歩を運ぶかたわらで先払いの声が高く立てられた。源氏は車へ頭中将《とうのちゅうじょう》、兵衛督《ひょうえのかみ》などを陪乗させた。
「つまらない隠れ家を発見されたことはどうも残念だ」
 源氏は車中でしきりにこう言っていた。
「昨夜はよい月でございましたから、嵯峨《さが》のお供のできませんでしたことが口惜《くちお》しくてなりませんで、今朝《けさ》は霧の濃い中をやって参ったのでございます。嵐山《あらしやま》の紅葉《もみじ》はまだ早うございました。今は秋草の盛りでございますね。某朝臣《ぼうあそん》はあすこで小鷹狩《こたかがり》を始めてただ今いっしょに参れませんでしたが、どういたしますか」
 などと若い人は言った。
「今日はもう一日|桂《かつら》の院で遊ぶことにしよう」
 と源氏は言って、車をそのほうへやった。桂の別荘のほうではにわかに客の饗応《きょうおう》の仕度《したく》が始められて、鵜《う》飼いなども呼ばれたのであるがその人夫たちの高いわからぬ会話が聞こえてくるごとに海岸にいたころの漁夫の声が思い出される源氏であった。大井の野に残った殿上役人が、しるしだけの小鳥を萩《はぎ》の枝などへつけてあとを追って来た。杯がたびたび巡ったあとで川べの逍遥《しょうよう》を危《あや》ぶまれながら源氏は桂の院で遊び暮らした。月がはなやかに上ってきたころから音楽の合奏が始まった。絃楽のほうは琵琶《びわ》、和琴《わごん》などだけで笛の上手《じょうず》が皆選ばれて伴奏をした曲は秋にしっくり合ったもので、感じのよいこの小合奏に川風が吹き混じっておもしろかった。月が高く上ったころ、清澄な世界がここに現出したような今夜の桂の院へ、殿上人がまた四、五人連れで来た。殿上に伺候していたのであるが、音楽の遊びがあって、帝《みかど》が、
「今日は六日の謹慎日が済んだ日であるから、きっと源氏の大臣《おとど》は来るはずであるのだ、どうしたか」
 と仰せられた時に、嵯峨へ行っていることが奏されて、それで下された一人のお使いと同行者なのである。

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「月のすむ川の遠《をち》なる里なれば桂の影はのどけかるらん
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 うらやましいことだ」
 これが蔵人弁《くろうどのべん》であるお使いが源氏に伝えたお言葉である。源氏はかしこまって承った。清涼殿での音楽よりも、場所のおもしろさの多く加わったここの管絃楽に新来の人々は興味を覚えた。また杯が多く巡った。ここには纏頭《てんとう》にする物が備えてなかったために、源氏は大井の山荘のほうへ、
「たいそうでない纏頭の品があれば」
 と言ってやった。明石《あかし》は手もとにあった品を取りそろえて持たせて来た。衣服箱二荷であった。お使いの弁は早く帰るので、さっそく女装束が纏頭に出された。

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久方の光に近き名のみして朝夕霧も晴れぬ山ざと
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 というのが源氏の勅答の歌であった。帝の行幸を待ち奉る意があるのであろう。「中に生《お》ひたる」(久方の中におひたる里なれば光をのみぞ頼むべらなる)と源氏は古歌を口ずさんだ。源氏がまた躬恒《みつね》が「淡路にてあはとはるかに見し月の近き今宵《こよひ》はところがらかも」と不思議がった歌のことを言い出すと、源氏の以前のことを思って泣く人も出てきた。皆酔ってもいるからである。

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めぐりきて手にとるばかりさやけきや淡路の島のあはと見し月
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 これは源氏の作である。

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浮き雲にしばしまがひし月影のすみはつるよぞのどけかるべき
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 頭中将《とうのちゅうじょう》である。右大弁は老人であって、故院の御代《みよ》にも睦《むつ》まじくお召し使いになった人であるが、その人の作、

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雲の上の住みかを捨てて夜半《よは》の月いづれの谷に影隠しけん
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 なおいろいろな人の作もあったが省略する。歌が出てからは、人々は感情のあふれてくるままに、こうした人間の愛し合う世界を千年も続けて見ていきたい気を起こしたが、二条の院を出て四日目の朝になった源氏は、今日はぜひ帰らねばならぬと急いだ。一行にいろいろな物をかついだ供の人が加わった列は、霧の間を行くのが秋草の園のようで美しかった。近衛府《このえふ》の有名な芸人の舎人《とねり》で、よく何かの時には源氏について来る男に今朝も「その駒《こま》」などを歌わせたが、源氏をはじめ高官などの脱いで与える衣服の数が多くてそこにもまた秋の野の錦《にしき》の翻る趣があった。大騒ぎにはしゃぎにはしゃいで桂の院を人々の引き上げて行く物音を大井の山荘でははるかに聞いて寂しく思った。言《こと》づてもせずに帰って行くことを源氏は心苦しく思った。
 二条の院に着いた源氏はしばらく休息をしながら夫人に嵯峨《さが》の話をした。
「あなたと約束した日が過ぎたから私は苦しみましたよ。風流男どもがあとを追って来てね、あまり留めるものだからそれに引かれていたのですよ。疲れてしまった」
 と言って源氏は寝室へはいった。夫人が気むずかしいふうになっているのも気づかないように源氏は扱っていた。
「比較にならない人を競争者ででもあるように考えたりなどすることもよくないことですよ。あなたは自分は自分であると思い上がっていればいいのですよ」
 と源氏は教えていた。日暮れ前に参内しようとして出かけぎわに、源氏は隠すように紙を持って手紙を書いているのは大井へやるものらしかった。こまごまと書かれている様子がうかがわれるのであった。侍を呼んで小声でささやきながら手紙を渡す源氏を女房たちは憎く思った。その晩は御所で宿直《とのい》もするはずであるが、夫人の機嫌《きげん》の直っていなかったことを思って、夜はふけていたが源氏は夫人をなだめるつもりで帰って来ると、大井の返事を使いが持って来た。隠すこともできずに源氏は夫人のそばでそれを読んだ。夫人を不愉快にするようなことも書いてなかったので、
「これを破ってあなたの手で捨ててください。困るからね、こんな物が散らばっていたりすることはもう私に似合ったことではないのだからね」
 と夫人のほうへそれを出した源氏は、脇息《きょうそく》によりかかりながら、心のうちでは大井の姫君が恋しくて、灯《ひ》をながめて、ものも言わずにじっとしていた。手紙はひろがったままであるが、女王《にょおう》が見ようともしないのを見て、
「見ないようにしていて、目のどこかであなたは見ているじゃありませんか」
 と笑いながら夫人に言いかけた源氏の顔にはこぼれるような愛嬌《あいきょう》があった。夫人のそばへ寄って、
「ほんとうはね、かわいい子を見て来たのですよ。そんな人を見るとやはり前生の縁の浅くないということが思われたのですがね、とにかく子供のことはどうすればいいのだろう。公然私の子供として扱うことも世間へ恥ずかしいことだし、私はそれで煩悶《はんもん》しています。いっしょにあなたも心配してください。どうしよう、あなたが育ててみませんか、三つになっているのです。無邪気なかわいい顔をしているものだから、どうも捨てておけない気がします。小さいうちにあなたの子にしてもらえば、子供の将来を明るくしてやれるように思うのだが、失敬だとお思いにならなければあなたの手で袴着《はかまぎ》をさせてやってください」
 と源氏は言うのであった。
「私を意地悪な者のようにばかり決めておいでになって、これまでから私には大事なことを皆隠していらっしゃるものですもの、私だけがあなたを信頼していることも改めなければならないとこのごろは私思っています。けれども私は小さい姫君のお相手にはなれますよ。どんなにおかわいいでしょう、その方ね」
 と言って、女王は少し微笑《ほほえ》んだ。夫人は非常に子供好きであったから、その子を自分がもらって、その子を自分が抱いて、大事に育ててみたいと思った。どうしよう、そうは言ったもののここへつれて来たものであろうかと源氏はまた煩悶《はんもん》した。
 源氏が大井の山荘を訪うことは困難であった。嵯峨《さが》の御堂《みどう》の念仏の日を待ってはじめて出かけられるのであったから、月に二度より逢《あ》いに行く日はないわけである。七夕《たなばた》よりは短い期間であっても女にとっては苦しい十五日が繰り返されていった。

松風 版本说明

底本:「全訳源氏物語 上巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年8月10日改版初版発行
   1994(平成6)年12月20日56版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月5日71版を使用しました。
入力:上田英代
校正:kumi
2003年6月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

19 薄雲

[#地から3字上げ]さくら散る春の夕《ゆふべ》のうすぐもの涙とな
[#地から3字上げ]りて落つる心地《ここち》に     (晶子)

 冬になって来て川沿いの家にいる人は心細い思いをすることが多く、気の落ち着くこともない日の続くのを、源氏も見かねて、
「これではたまらないだろう、私の言っている近い家へ引っ越す決心をなさい」
 と勧めるのであったが、「宿変へて待つにも見えずなりぬればつらき所の多くもあるかな」という歌のように、恋人の冷淡に思われることも地理的に斟酌《しんしゃく》をしなければならないと、しいて解釈してみずから慰めることなどもできなくなって、男の心を顕《あら》わに見なければならないことは苦痛であろうと明石《あかし》は躊躇《ちゅうちょ》をしていた。
「あなたがいやなら姫君だけでもそうさせてはどう。こうしておくことは将来のためにどうかと思う。私はこの子の運命に予期していることがあるのだから、その暁を思うともったいない。西の対《たい》の人が姫君のことを知っていて、非常に見たがっているのです。しばらく、あの人に預けて、袴着《はかまぎ》の式なども公然二条の院でさせたいと私は思う」
 源氏はねんごろにこう言うのであったが、源氏がそう計らおうとするのでないかとは、明石が以前から想像していたことであったから、この言葉を聞くとはっと胸がとどろいた。
「よいお母様の子にしていただきましても、ほんとうのことは世間が知っていまして、何かと噂《うわさ》が立ちましては、ただ今の御親切がかえって悪い結果にならないでしょうか」
 手放しがたいように女は思うふうである。
「あなたが賛成しないのはもっともだけれど、継母の点で不安がったりはしないでおおきなさい。あの人は私の所へ来てずいぶん長くなるのだが、こんなかわいい者のできないのを寂しがってね、前斎宮《ぜんさいぐう》などは幾つも年が違っていない方だけれど、娘として世話をすることに楽しみを見いだしているようなわけだから、ましてこんな無邪気な人にはどれほど深い愛を持つかしれない、と私が思うことのできる人ですよ」
 源氏は紫の女王《にょおう》の善良さを語った。それはほんとうであるに違いない、昔はどこへ源氏の愛は落ち着くものか想像もできないという噂《うわさ》が田舎《いなか》にまで聞こえたものであった源氏の多情な、恋愛生活が清算されて、皆過去のことになったのは今の夫人を源氏が得たためであるから、だれよりもすぐれた女性に違いないと、こんなことを明石は考えて、何の価値もない自分は決してそうした夫人の競争者ではないが、京へ源氏に迎えられて自分が行けば、夫人に不快な存在と見られることがあるかもしれない。自分はどうなるもこうなるも同じことであるが、長い未来を持つ子は結局夫人の世話になることであろうから、それならば無心でいる今のうちに夫人の手へ譲ってしまおうかという考えが起こってきた。しかしまた気がかりでならないことであろうし、つれづれを慰めるものを失っては、自分は何によって日を送ろう、姫君がいるためにたまさかに訪《たず》ねてくれる源氏が、立ち寄ってくれることもなくなるのではないかとも煩悶《はんもん》されて、結局は自身の薄倖《はっこう》を悲しむ明石であった。尼君は思慮のある女であったから、
「あなたが姫君を手放すまいとするのはまちがっている。ここにおいでにならなくなることは、どんなに苦しいことかはしれないけれど、あなたは母として姫君の最も幸福になることを考えなければならない。姫君を愛しないでおっしゃることでこれはありませんよ。あちらの奥様を信頼してお渡しなさいよ。母親次第で陛下のお子様だって階級ができるのだからね。源氏の大臣がだれよりもすぐれた天分を持っていらっしゃりながら、御位《みくらい》にお即《つ》きにならずに一臣下で仕えていらっしゃるのは、大納言さんがもう一段出世ができずにお亡《か》くれになって、お嬢さんが更衣《こうい》にしかなれなかった、その方からお生まれになったことで御損をなすったのですよ。まして私たちの身分は問題にならないほど恥ずかしいものなのですからね。また親王様だって、大臣の家だって、良い奥様から生まれたお子さんと、劣った生母を持つお子さんとは人の尊敬のしかたが違うし、親だって公平にはおできにならないものです。姫君の場合を考えれば、まだ幾人もいらっしゃるりっぱな奥様方のどっちかで姫君がお生まれになれば、当然肩身の狭いほうのお嬢さんにおなりになりますよ。一体女というものは親からたいせつにしてもらうことで将来の運も招くことになるものよ。袴着《はかまぎ》の式だっても、どんなに精一杯のことをしても大井の山荘ですることでははなやかなものになるわけはない。そんなこともあちらへおまかせして、どれほど尊重されていらっしゃるか、どれほどりっぱな式をしてくだすったかと聞くだけで満足をすることになさいね」
 と娘に訓《おし》えた。賢い人に聞いて見ても、占いをさせてみても、二条の院へ渡すほうに姫君の幸運があるとばかり言われて、明石は子を放すまいと固執する力が弱って行った。源氏もそうしたくは思いながらも、女の気持ちを尊重してしいて言うことはしなかった。手紙のついでに、袴着の仕度にかかりましたかと書いた返事に、
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何事も無力な母のそばにおりましては気の毒でございます。先日のお言葉のように生《お》い先が哀れに思われます。しかし、そちらへこの子が出ましてはまたどんなにお恥ずかしいことばかりでしょう。
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 と言って来たのを源氏は哀れに思った。源氏はいよいよ二条の院ですることになった姫君の袴着の吉日を選ばせて、式の用意を命じていた。
 式は式でも紫夫人の手へ姫君を渡しきりにすることは今でも堪えがたいことに明石は思いながらも、何事も姫君の幸福を先にして考えねばならぬと悲痛な決心をしていた。乳母《めのと》と別れてしまわねばならぬことでもあったから、
「気がめいってならない時とか、つれづれな時とかに、どんなにあなたの友情が私を助けてくだすったかしれないのに、これから先を思うと、お嬢さんのいなくなることといっしょにまたそれがどんなに寂しいことでしょう」
 と乳母《めのと》に言って明石は泣いた。
「前生の因縁だったのでございましょうね、不意にお宅で御厄介《ごやっかい》になることになりましてから、長い間どんなに御親切にしていただいたことでしょう。私の心に御好意は彫《え》りつけられておりますから、これきり疎遠にいたしますようなことは決してないと思われますし、またごいっしょに暮らさせていただく日の参りますことも信じておりますが、しばらくでも別々になりまして、知らない方たちの中へはいってまいりますことは苦しゅうございます」
 と乳母《めのと》も言うのであった。こんなことを毎日言っているうちに十二月にもなった。雪や霙《みぞれ》の降る日が多くて、心細い気のする明石は、いろいろな形でせねばならない苦労の多い自分であると悲しんで、平生よりもしみじみ姫君を愛撫《あいぶ》していた。大雪になった朝、過去未来が思い続けられて、平生は縁に近く出るようなこともあまりないのであるが、端のほうに来て明石は汀《みぎわ》の氷などにながめ入っていた。柔らかな白を幾枚か重ねたからだつき、頭つき、後ろ姿は最高の貴女《きじょ》というものもこうした気高《けだか》さのあるものであろうと見えた。こぼれてくる涙を払いながら、
「こんな日にはまた特別にあなたが恋しいでしょう」
 と可憐《かれん》に言って、また乳母《めのと》に言った。

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雪深き深山《みやま》のみちは晴れずともなほふみ通へ跡たえずして
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 乳母も泣きながら、

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雪間なき吉野《よしの》の山をたづねても心の通ふ跡絶えめやは
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 と慰めるのであった。この雪が少し解けたころに源氏が来た。平生は待たれる人であったが、今度は姫君をつれて行かれるかと思うことで、源氏の訪れに胸騒ぎのする明石であった。自分の意志で決まることである、謝絶すればしいてとはお言いにならないはずである、自分がしっかりとしていればよいのであると、こんな気も明石はしたが、約束を変更することなどは軽率に思われることであると反省した。美しい顔をして前にすわっている子を見て源氏は、この子が間に生まれた明石と自分の因縁は並み並みのものではないと思った。今年から伸ばした髪がもう肩先にかかるほどになっていて、ゆらゆらとみごとであった。顔つき、目つきのはなやかな美しさも類のない幼女である。これを手放すことでどんなに苦悶《くもん》していることかと思うと哀れで、一夜がかりで源氏は慰め明かした。
「いいえ、それでいいと思っております。私の生みましたという傷も隠されてしまいますほどにしてやっていただかれれば」
 と言いながらも、忍びきれずに泣く明石が哀れであった。姫君は無邪気に父君といっしょに車へ早く乗りたがった。車の寄せられてある所へ明石は自身で姫君を抱いて出た。片言の美しい声で、袖《そで》をとらえて母に乗ることを勧めるのが悲しかった。

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末遠き二葉の松に引き分かれいつか木高きかげを見るべき
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 とよくも言われないままで非常に明石は泣いた。こんなことも想像していたことである、心苦しいことをすることになったと源氏は歎息《たんそく》した。

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「生《お》ひ初《そ》めし根も深ければ武隈《たけくま》の松に小松の千代を並べん
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 気を長くお待ちなさい」
 と慰めるほかはないのである。道理はよくわかっていて抑制しようとしても明石《あかし》の悲しさはどうしようもないのである。乳母《めのと》と少将という若い女房だけが従って行くのである。守り刀、天児《あまがつ》などを持って少将は車に乗った。女房車に若い女房や童女などをおおぜい乗せて見送りに出した。源氏は道々も明石の心を思って罪を作ることに知らず知らず自分はなったかとも思った。
 暗くなってから着いた二条の院のはなやかな空気はどこにもあふれるばかりに見えて、田舎に馴《な》れてきた自分らがこの中で暮らすことはきまりの悪い恥ずかしいことであると、二人の女は車から下《お》りるのに躊躇《ちゅうちょ》さえした。西向きの座敷が姫君の居間として設けられてあって、小さい室内の装飾品、手道具がそろえられてあった。乳母の部屋は西の渡殿の北側の一室にできていた。姫君は途中で眠ってしまったのである。抱きおろされて目がさめた時にも泣きなどはしなかった。夫人の居間で菓子を食べなどしていたが、そのうちあたりを見まわして母のいないことに気がつくと、かわいいふうに不安な表情を見せた。源氏は乳母を呼んでなだめさせた。残された母親はましてどんなに悲しがっていることであろうと、想像されることは、源氏に心苦しいことであったが、こうして最愛の妻と二人でこのかわいい子をこれから育てていくことは非常な幸福なことであるとも思った。どうしてあの人に生まれて、この人に生まれてこなかったか、自分の娘として完全に瑕《きず》のない所へはなぜできてこなかったのかと、さすがに残念にも源氏は思うのであった。当座は母や祖母や、大井の家で見|馴《な》れた人たちの名を呼んで泣くこともあったが、大体が優しい、美しい気質の子であったから、よく夫人に親しんでしまった。女王《にょおう》は可憐《かれん》なものを得たと満足しているのである。専心にこの子の世話をして、抱いたり、ながめたりすることが夫人のまたとない喜びになって、乳母も自然に夫人に接近するようになった。ほかにもう一人身分ある女の乳の出る人が乳母に添えられた。
 袴着《はかまぎ》はたいそうな用意がされたのでもなかったが世間並みなものではなかった。その席上の飾りが雛《ひな》遊びの物のようで美しかった。列席した高官たちなどはこんな日にだけ来るのでもなく、毎日のように出入りするのであったから目だたなかった。ただその式で姫君が袴の紐《ひも》を互いちがいに襷形《たすきがた》に胸へ掛けて結んだ姿がいっそうかわいく見えたことを言っておかねばならない。
 大井の山荘では毎日子を恋しがって明石が泣いていた。自身の愛が足らず、考えが足りなかったようにも後悔していた。尼君も泣いてばかりいたが、姫君の大事がられている消息の伝わってくることはこの人にもうれしかった。十分にされていて袴着の贈り物などここから持たせてやる必要は何もなさそうに思われたので、姫君づきの女房たちに、乳母をはじめ新しい一重ねずつの華美な衣裳を寄贈《おく》るだけのことにした。子さえ取ればあとは無用視するように女が思わないかと気がかりに思って年内にまた源氏は大井へ行った。寂しい山荘住まいをして、唯一の慰めであった子供に離れた女に同情して源氏は絶え間なく手紙を送っていた。夫人ももうこのごろではかわいい人に免じて恨むことが少なくなった。
 正月が来た。うららかな空の下に二条の院の源氏夫婦の幸福な春があった。出入りする顕官たちは七日に新年の拝礼を行なった。若い殿上役人たちもはなやかに思い上がった顔のそろっている御代《みよ》である。それ以下の人々も心の中には苦労もあるであろうが、表面はそれぞれの職業に楽しんでついているふうに見えた。
 東の院の対《たい》の夫人も品位の添った暮らしをしていた。女房や童女の服装などにも洗練されたよい趣味を見せていた。明石の君の山荘に比べて近いことは花散里《はなちるさと》の強味になって、源氏は閑暇《ひま》な時を見計らってよくここへ来ていた。夜をこちらで泊まっていくようなことはない。性格がきわめて善良で、無邪気で、自分にはこれだけの運よりないのであるとあきらめることを知っていた。源氏にとってはこの人ほど気安く思われる夫人はなかった。何かの場合にも紫夫人とたいした差別のない扱い方を源氏はするのであったから、軽蔑《けいべつ》する者もなく、その方へも敬意を表しに行く人が絶えない。別当も家職も忠実に事務を取っていて整然とした一家をなしていた。
 山荘の人のことを絶えず思いやっている源氏は、公私の正月の用が片づいたころのある日、大井へ出かけようとして、ときめく心に装いを凝らしていた。桜の色の直衣《のうし》の下に美しい服を幾枚か重ねて、ひととおり薫物《たきもの》が焚《た》きしめられたあとで、夫人へ出かけの言葉を源氏はかけに来た。明るい夕日の光に今日はいっそう美しく見えた。夫人は恨めしい心を抱きながら見送っているのであった。無邪気な姫君が源氏の裾《すそ》にまつわってついて来る。御簾《みす》の外へも出そうになったので、立ち止まって源氏は哀れにわが子をながめていたが、なだめながら、「明日かへりこん」(桜人その船とどめ島つ田を十|町《まち》作れる見て帰りこんや、そよや明日帰りこんや)と口ずさんで縁側へ出て行くのを、女王《にょおう》は中から渡殿の口へ先まわりをさせて、中将という女房に言わせた。

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船とむる遠方人《をちかたびと》のなくばこそ明日帰りこん夫《せな》とまち見め
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 物|馴《な》れた調子で歌いかけたのである。源氏ははなやかな笑顔《えがお》をしながら、

[#ここから2字下げ]
行きて見て明日もさねこんなかなかに遠方人《をちかたびと》は心おくとも
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 と言う。父母が何を言っているとも知らぬ姫君が、うれしそうに走りまわるのを見て夫人の「遠方人《おちかたびと》」を失敬だと思う心も緩和されていった。どんなにこの子のことばかり考えているであろう、自分であれば恋しくてならないであろう、こんなかわいい子供なのだからと思って、女王はじっと姫君の顔をながめていたが、懐《ふところ》へ抱きとって、美しい乳を飲ませると言って口へくくめなどして戯れているのは、外から見ても非常に美しい場面であった。女房たちは、
「なぜほんとうのお子様にお生まれにならなかったのでしょう。同じことならそれであればなおよかったでしょうにね」
 などとささやいていた。
 大井の山荘は風流に住みなされていた。建物も普通の形式離れのした雅味のある家なのである。明石は源氏が見るたびに美が完成されていくと思う容姿を持っていて、この人は貴女《きじょ》に何ほども劣るところがない。身分から常識的に想像すれば、ありうべくもないことと思うであろうが、それも世間と相いれない偏狭な親の性格などが禍《わざわ》いしているだけで、家柄などは決して悪くはないのであるから、かくあるのが自然であるとも源氏は思っていた。逢っている時が短くて、すぐに帰邸を思わねばならぬことを苦しがって、「夢のわたりの浮き橋か」(うち渡しつつ物をこそ思へ)と源氏は歎かれて、十三絃の出ていたのを引き寄せ、明石の秋の深夜に聞いた上手《じょうず》な琵琶《びわ》の音《ね》もおもい出されるので、自身はそれを弾《ひ》きながら、女にもぜひ弾けと勧めた。明石は少し合わせて弾いた。なぜこうまでりっぱなことばかりのできる女であろうと源氏は思った。源氏は姫君の様子をくわしく語っていた。大井の山荘も源氏にとっては愛人の家にすぎないのであるが、こんなふうにして泊まり込んでいる時もあるので、ちょっとした菓子、強飯《こわいい》というふうな物くらいを食べることもあった。自家の御堂《みどう》とか、桂《かつら》の院とかへ行って定まった食事はして、貴人の体面はくずさないが、そうかといって並み並みの妾《しょう》の家らしくはして見せず、ある点まではこの家と同化した生活をするような寛大さを示しているのは、明石に持つ愛情の深さがしからしめるのである。明石も源氏のその気持ちを尊重して、出すぎたと思われることはせず、卑下もしすぎないのが、源氏には感じよく思われた。相当に身分のよい愛人の家でもこれほど源氏が打ち解けて暮らすことはないという話も明石は知っていたから。近い東の院などへ移って行っては源氏に珍しがられることもなくなり、飽かれた女になる時期を早くするようなものである、地理的に不便で、特に思い立って来なければならぬ所にいるのが自分の強味であると思っているのである。明石の入道も今後のいっさいのことは神仏に任せるというようなことも言ったのであるが、源氏の愛情、娘や孫の扱われ方などを知りたがって始終使いを出していた。報《しら》せを得て胸のふさがるようなこともあったし、名誉を得た気のすることもあった。
 この時分に太政大臣が薨去《こうきょ》した。国家の柱石であった人であるから帝《みかど》もお惜しみになった。源氏も遺憾《いかん》に思った。これまではすべてをその人に任せて閑暇《ひま》のある地位にいられたわけであるから、死別の悲しみのほかに責任の重くなることを痛感した。帝は御年齢の割に大人びた聡明《そうめい》な方であって、御自身だけで政治をあそばすのに危《あぶな》げもないのであるが、だれか一人の御後見の者は必要であった。だれにそのことを譲って静かな生活から、やがては出家の志望も遂げえようと思われることで源氏は太政大臣の死によって打撃を受けた気がするのである。源氏は大臣の息子や孫以上に至誠をもってあとの仏事や法要を営んだ。今年はだいたい静かでない年であった。何かの前兆でないかと思われるようなことも頻々《ひんぴん》として起こる。日月星などの天象の上にも不思議が多く現われて世間に不安な気がみなぎっていた。天文の専門家や学者が研究して政府へ報告する文章の中にも、普通に見ては奇怪に思われることで、源氏の内大臣だけには解釈のついて、そして疚《やま》しく苦しく思われることが混じっていた。
 女院は今年の春の初めからずっと病気をしておいでになって、三月には御重体にもおなりになったので、行幸などもあった。陛下の院にお別れになったころは御幼年で、何事も深くはお感じにならなかったのであるが、今度の御大病については非常にお悲しみになるふうであったから、女院もまたお悲しかった。
「今年はきっと私の死ぬ年ということを知っていましたけれど、初めはたいした病気でもございませんでしたから、賢明に死を予感して言うらしく他に見られるのもいかがと思いまして功徳《くどく》のことのほうも例年以上なことは遠慮してしませんでした。参内いたしましてね、故院《こいん》のお話などもお聞かせしようなどとも思っているのでしたが、普通の気分でいられる時が少のうございましたから、お目にも長くかからないでおりました」
 と弱々しいふうで女院は帝へ申された。今年は三十七歳でおありになるのである。しかしお年よりもずっとお若くお見えになってまだ盛りの御容姿をお持ちあそばれるのであるから、帝は惜しく悲しく思召《おぼしめ》された。お厄年であることから、はっきりとされない御容体の幾月も続くのをすら帝は悲しんでおいでになりながら、そのころにもっとよく御養生をさせ、熱心に祈祷《きとう》をさせなかったかと帝は悔やんでおいでになった。近ごろになってお驚きになったように急に御|快癒《かいゆ》の法などを行なわせておいでになるのである。これまではお弱い方にまた御持病が出たというように解釈して油断のあったことを源氏も深く歎《なげ》いていた。尊貴な御身は御病母のもとにも長くはおとどまりになることができずに間もなくお帰りになるのであった。悲しい日であった。女院は御病苦のためにはかばかしくものもお言われになれないのである。お心の中ではすぐれた高貴の身に生まれて、人間の最上の光栄とする后《きさき》の位にも自分は上った。不満足なことの多いようにも思ったが、考えればだれの幸福よりも大きな幸福のあった自分であるとも思召した。帝が夢にも源氏との重い関係をご存じでないことだけを女院はおいたわしくお思いになって、これがこの世に心の残ることのような気があそばされた。
 源氏は一廷臣として太政大臣に続いてまた女院のすでに危篤状態になっておいでになることは歎《なげ》かわしいとしていた。人知れぬ心の中では無限の悲しみをしていて、あらゆる神仏に頼んで宮のお命をとどめようとしているのである。もう長い間禁制の言葉としておさえていた初恋以来の心を告げることが、この際になるまで果たしえないことを源氏は非常に悲しいことであると思った。源氏は伺候して女院の御寝室の境に立った几帳《きちょう》の前で御容体などを女房たちに聞いてみると、ごく親しくお仕えする人たちだけがそこにはいて、くわしく話してくれた。
「もうずっと前からお悪いのを我慢あそばして仏様のお勤めを少しもお休みになりませんでしたのが、積もり積もってどっとお悪くおなりあそばしたのでございます。このごろでは柑子《こうじ》類すらもお口にお触れになりませんから、御衰弱が進むばかりで、御心配申し上げるような御容体におなりあそばしました」
 と歎くのであった。
「院の御遺言をお守りくだすって、陛下の御後見をしてくださいますことで、今までどれほど感謝して参ったかしれませんが、あなたにお報いする機会がいつかあることと、のんきに思っておりましたことが、今日になりましてはまことに残念でなりません」
 お言葉を源氏へお取り次がせになる女房へ仰せられるお声がほのかに聞こえてくるのである。源氏はお言葉をいただいてもお返辞ができずに泣くばかりである。見ている女房たちにはそれもまた悲しいことであった。どうしてこんなに泣かれるのか、気の弱さを顕わに見せることではないかと人目が思われるのであるが、それにもかかわらず涙が流れる。女院のお若かった日から今日までのことを思うと、恋は別にして考えても惜しいお命が人間の力でどうなることとも思われないことで限りもなく悲しかった。
「無力な私も陛下の御後見にできますだけの努力はしておりますが、太政大臣の薨去されましたことで大きな打撃を受けましたおりから、御重患におなりあそばしたので、頭はただ混乱いたすばかりで、私も長く生きていられない気がいたします」
 こんなことを源氏が言っているうちに、あかりが消えていくように女院は崩御《ほうぎょ》あそばされた。
 源氏は力を落として深い悲しみに浸っていた。尊貴な方でもすぐれた御人格の宮は、民衆のためにも大きな愛を持っておいでになった。権勢があるために知らず知らず一部分の人をしいたげることもできてくるものであるが、女院にはそうしたお過《あやま》ちもなかった。女院をお喜ばせしようと当局者の考えることもそれだけ国民の負担がふえることであるとお認めになることはお受けにならなかった。宗教のほうのことも僧の言葉をお聞きになるだけで、派手《はで》な人目を驚かすような仏事、法要などの行なわれた話は、昔の模範的な聖代にもあることであったが、女院はそれを避けておいでになった。御両親の御遺産、官から年々定まって支給せられる物の中から、実質的な慈善と僧家への寄付をあそばされた。であったから僧の片端にすぎないほどの者までも御恩恵に浴していたことを思って崩御を悲しんだ。世の中の人は皆女院をお惜しみして泣いた。殿上の人も皆|真黒《まっくろ》な喪服姿になって寂しい春であった。
 源氏は二条の院の庭の桜を見ても、故院の花の宴の日のことが思われ、当時の中宮《ちゅうぐう》が思われた。「今年ばかりは」(墨染めに咲け)と口ずさまれるのであった。人が不審を起こすであろうことをはばかって、念誦《ねんず》堂に引きこもって終日源氏は泣いていた。はなやかに春の夕日がさして、はるかな山の頂《いただき》の立ち木の姿もあざやかに見える下を、薄く流れて行く雲が鈍《にび》色であった。何一つも源氏の心を惹《ひ》くものもないころであったが、これだけは身に沁《し》んでながめられた。

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入り日さす峯にたなびく薄雲は物思ふ袖《そで》に色やまがへる
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 これはだれも知らぬ源氏の歌である。御葬儀に付帯したことの皆終わったころになってかえって帝はお心細く思召《おぼしめ》した。女院の御母后の時代から祈りの僧としてお仕えしていて、女院も非常に御尊敬あそばされ、御信頼あそばされた人で、朝廷からも重い待遇を受けて、大きな御祈願がこの人の手で多く行なわれたこともある僧都《そうず》があった。年は七十くらいである。もう最後の行をするといって山にこもっていたが僧都は女院の崩御によって京へ出て来た。宮中から御召しがあって、しばしば御所へ出仕していたが、近ごろはまた以前のように君側《くんそく》のお勤めをするようにと源氏から勧められて、
「もう夜居《よい》などはこの健康でお勤めする自信はありませんが、もったいない仰せでもございますし、お崩《かく》れになりました女院様への御奉公になることと思いますから」
 と言いながら夜居の僧として帝に侍していた。静かな夜明けにだれもおそばに人がいず、いた人は皆退出してしまった時であった。僧都は昔風に咳《せき》払いをしながら、世の中のお話を申し上げていたが、その続きに、
「まことに申し上げにくいことでございまして、かえってそのことが罪を作りますことになるかもしれませんから、躊躇《ちゅうちょ》はいたされますが、陛下がご存じにならないでは相当な大きな罪をお得になることでございますから、天の目の恐ろしさを思いまして、私は苦しみながら亡《な》くなりますれば、やはり陛下のおためにはならないばかりでなく、仏様からも卑怯《ひきょう》者としてお憎しみを受けると思いまして」
 こんなことを言い出した。しかもすぐにはあとを言わずにいるのである。帝は何のことであろう、今日もまだ意志の通らぬことがあって、それの解決を見た上でなければ清い往生のできぬような不安があるのかもしれない。僧というものは俗を離れた世界に住みながら嫉妬《しっと》排擠《はいせい》が多くてうるさいものだそうであるからと思召して、
「私は子供の時から続いてあなたを最も親しい者として信用しているのであるが、あなたのほうには私に言えないことを持っているような隔てがあったのかと思うと少し恨めしい」
 と仰せられた。
「もったいない。私は仏様がお禁じになりました真言秘密の法も陛下には御伝授申し上げました。私個人のことで申し上げにくいことが何ございましょう。この話は過去未来に広く関聯《かんれん》したことでございましてお崩《かく》れになりました院、女院様、現在国務をお預かりになる内大臣のおためにもかえって悪い影響をお与えすることになるかもしれません。老いた僧の身の私はどんな難儀になりましても後悔などはいたしません。仏様からこの告白はお勧めを受けてすることでございます。陛下がお妊《はら》まれになりました時から、故宮はたいへんな御心配をなさいまして、私に御委託あそばしたある祈祷《きとう》がございました。くわしいことは世捨て人の私に想像ができませんでございました。大臣《おとど》が一時失脚をなさいまして難儀にお逢《あ》いになりましたころ宮の御恐怖は非常なものでございまして、重ねてまたお祈りを私へ仰せつけになりました。大臣《おとど》がそれをお聞きになりますと、また御自身のほうからも同じ御祈祷をさらに増してするようにと御下命がございまして、それは御位にお即《つ》きあそばすまで続けました祈祷でございました。そのお祈りの主旨はこうでございました」
 と言って、くわしく僧都の奏上するところを聞こし召して、お驚きになった帝の御心《みこころ》は恥ずかしさと、恐しさと、悲しさとの入り乱れて名状しがたいものであった。何とも仰せがないので、僧都は進んで秘密をお知らせ申し上げたことを御不快に思召すのかと恐懼《きょうく》して、そっと退出しようとしたのを、帝はおとどめになった。
「それを自分が知らないままで済んだなら後世《ごせ》までも罪を負って行かなければならなかったと思う。今まで言ってくれなかったことを私はむしろあなたに信用がなかったのかと恨めしく思う。そのことをほかにも知った者があるだろうか」
 と仰せられる。
「決してございません。私と王命婦《おうみょうぶ》以外にこの秘密をうかがい知った者はございません。その隠れた事実のために恐ろしい天の譴《さとし》がしきりにあるのでございます。世間に何となく不安な気分のございますのもこのためなのでございます。御幼年で何のお弁《わきま》えもおありあそばさないころは天もとがめないのでございますが、大人におなりあそばされた今日になって天が怒りを示すのでございます。すべてのことは御両親の御代《みよ》から始められなければなりません。何の罪とも知《しろ》し召さないことが恐ろしゅうございますから、いったん忘却の中へ追ったことを私はまた取り出して申し上げました」
 泣く泣く僧都の語るうちに朝が来たので退出してしまった。
 帝《みかど》は隠れた事実を夢のようにお聞きになって、いろいろと御|煩悶《はんもん》をあそばされた。故院のためにも済まないこととお思われになったし、源氏が父君でありながら自分の臣下となっているということももったいなく思召された。お胸が苦しくて朝の時が進んでも御寝室をお離れにならないのを、こうこうと報《しら》せがあって源氏の大臣が驚いて参内した。お出ましになって源氏の顔を御覧になるといっそう忍びがたくおなりあそばされた。帝は御落涙になった。源氏は女院をお慕いあそばされる御親子の情から、夜も昼もお悲しいのであろうと拝見した、その日に式部卿《しきぶきょう》親王の薨去が奏上された。いよいよ天の示しが急になったというように帝はお感じになったのであった。こんなころであったからこの日は源氏も自邸へ退出せずにずっとおそばに侍していた。しんみりとしたお話の中で、
「もう世の終わりが来たのではないだろうか。私は心細くてならないし、天下の人心もこんなふうに不安になっている時だから私はこの地位に落ち着いていられない。女院がどう思召すかと御遠慮をしていて、位を退くことなどは言い出せなかったのであるが、私はもう位を譲って責任の軽い身の上になりたく思う」
 こんなことを帝は仰せられた。
「それはあるまじいことでございます。死人が多くて人心が恐怖状態になっておりますことは、必ずしも政治の正しいのと正しくないのとによることではございません。聖主の御代《みよ》にも天変と地上の乱のございますことは支那《しな》にもございました。ここにもあったのでございます。まして老人たちの天命が終わって亡《な》くなってまいりますことは大御心《おおみこころ》におかけあそばすことではございません」
 などと源氏は言って、譲位のことを仰せられた帝をお諫《いさ》めしていた。問題が間題であるからむずかしい文字は省略する。
 じみな黒い喪服姿の源氏の顔と竜顔《りゅうがん》とは常よりもなおいっそうよく似てほとんど同じもののように見えた。帝も以前から鏡にうつるお顔で源氏に似たことは知っておいでになるのであるが、僧都の話をお聞きになった今はしみじみとその顔に御目が注がれて熱い御愛情のお心にわくのをお覚えになる帝は、どうかして源氏にそのことを語りたいと思召すのであったが、さすがに御言葉にはあそばしにくいことであったから、お若い帝は羞恥《しゅうち》をお感じになってお言い出しにならなかった。そんな間帝はただの話も常よりはなつかしいふうにお語りになり、敬意をお見せになったりもあそばして、以前とは変わった御様子がうかがわれるのを、聡明《そうめい》な源氏は、不思議な現象であると思ったが、僧都がお話し申し上げたほど明確に秘密を帝がお知りになったとは想像しなかった。帝は王命婦《おうみょうぶ》にくわしいことを尋ねたく思召したが、今になって女院が秘密を秘密とすることに苦心されたことを、自分が知ったことは命婦にも思われたくない、ただ大臣にだけほのめかして、歴史の上にこうした例があるということを聞きたいと思召されるのであったが、そうしたお話をあそばす機会がお見つかりにならないためにいよいよ御学問に没頭あそばされて、いろいろの書物を御覧になったが、支那にはそうした事実が公然認められている天子も、隠れた事実として伝記に書かれてある天子も多かったが、この国の書物からはさらにこれにあたる例を御発見あそばすことはできなかった。皇子の源氏になった人が納言になり、大臣になり、さらに親王になり、即位される例は幾つもあった。りっぱな人格を尊敬することに託して、自分は源氏に位を譲ろうかとも思召すのであった。
 秋の除目《じもく》に源氏を太政大臣に任じようとあそばして、内諾を得るためにお話をあそばした時に、帝は源氏を天子にしたいかねての思召しをはじめてお洩《も》らしになった。源氏はまぶしくも、恐ろしくも思って、あるまじいことに思うと奏上した。
「故院はおおぜいのお子様の中で特に私をお愛しになりながら、御位《みくらい》をお譲りになることはお考えにもならなかったのでございます。その御意志にそむいて、及びない地位に私がどうしてなれましょう。故院の思召しどおりに私は一臣下として政治に携わらせていただきまして、今少し年を取りました時に、静かな出家の生活にもはいろうと存じます」
 と平生の源氏らしく御辞退するだけで、御心を解したふうのなかったことを帝は残念に思召した。太政大臣に任命されることも今しばらくのちのことにしたいと辞退した源氏は、位階だけが一級進められて、牛車で禁門を通過する御許可だけを得た。帝はそれも御不満足なことに思召して、親王になることをしきりにお勧めあそばされたが、そうして帝の御後見をする政治家がいなくなる、中納言が今度大納言になって右大将を兼任することになったが、この人がもう一段昇進したあとであったなら、親王になって閑散な位置へ退くのもよいと源氏は思っていた。源氏はこんなふうな態度を帝がおとりあそばすことになったことで苦しんでいた。故中宮のためにもおかわいそうなことで、また陛下には御|煩悶《はんもん》をおさせする結果になっている秘密奏上をだれがしたかと怪しく思った。命婦は御匣殿《みくしげどの》がほかへ移ったあとの御殿に部屋をいただいて住んでいたから、源氏はそのほうへ訪《たず》ねて行った。
「あのことをもし何かの機会に少しでも陛下のお耳へお入れになったのですか」
 と源氏は言ったが、
「私がどういたしまして。宮様は陛下が秘密をお悟りになることを非常に恐れておいでになりましたが、また一面では陛下へ絶対にお知らせしないことで陛下が御仏の咎《とが》をお受けになりはせぬかと御煩悶をあそばしたようでございました」
 命婦はこう答えていた。こんな話にも故宮の御感情のこまやかさが忍ばれて源氏は恋しく思った。
 斎宮《さいぐう》の女御《にょご》は予想されたように源氏の後援があるために後宮《こうきゅう》のすばらしい地位を得ていた。すべての点に源氏の理想にする貴女《きじょ》らしさの備わった人であったから、源氏はたいせつにかしずいていた。この秋女御は御所から二条の院へ退出した。中央の寝殿を女御の住居に決めて、輝くほどの装飾をして源氏は迎えたのであった。もう院への御遠慮も薄らいで、万事を養父の心で世話をしているのである。秋の雨が静かに降って植え込みの草の花の濡《ぬ》れ乱れた庭をながめて女院のことがまた悲しく思い出された源氏は、湿ったふうで女御の御殿へ行った。濃い鈍《にび》色の直衣《のうし》を着て、病死者などの多いために政治の局にあたる者は謹慎をしなければならないというのに託して、実は女院のために源氏は続いて精進をしているのであったから、手に掛けた数珠《じゅず》を見せぬように袖《そで》に隠した様子などが艶《えん》であった。御簾《みす》の中へ源氏ははいって行った。几帳《きちょう》だけを隔てて王女御はお逢《あ》いになった。
「庭の草花は残らず咲きましたよ。今年のような恐ろしい年でも、秋を忘れずに咲くのが哀れです」
 こう言いながら柱によりかかっている源氏は美しかった。御息所《みやすどころ》のことを言い出して、野の宮に行ってなかなか逢ってもらえなかった秋のことも話した。故人を切に恋しく思うふうが源氏に見えた。宮も「いにしへの昔のことをいとどしくかくれば袖《そで》ぞ露けかりける」というように、少しお泣きになる様子が非常に可憐《かれん》で、みじろぎの音も類のない柔らかさに聞こえた。艶《えん》な人であるに相違ない、今日までまだよく顔を見ることのできないことが残念であると、ふと源氏の胸が騒いだ。困った癖である。
「私は過去の青年時代に、みずから求めて物思いの多い日を送りました。恋愛するのは苦しいものなのですよ。悪い結果を見ることもたくさんありましたが、とうとう終《しま》いまで自分の誠意がわかってもらえなかった二つのことがあるのですが、その一つはあなたのお母様のことです。お恨ませしたままお別れしてしまって、このことで未来までの煩いになることを私はしてしまったかと悲しんでいましたが、こうしてあなたにお尽くしすることのできることで私はみずから慰んでいるもののなおそれでもおかくれになったあなたのお母様のことを考えますと、私の心はいつも暗くなります」
 もう一つのほうの話はしなかった。
「私の何もかもが途中で挫折《ざせつ》してしまったころ、心苦しくてなりませんでしたことがどうやら少しずつよくなっていくようです。今東の院に住んでおります妻は、寄るべの少ない点で絶えず私の気がかりになったものですが、それも安心のできるようになりました。善良な女で、私と双方でよく理解し合っていますから朗らかなものです。私がまた世の中へ帰って朝政に与《あずか》るような喜びは私にたいしたこととは思われないで、そうした恋愛問題のほうがたいせつに思われる私なのですから、どんな抑制を心に加えてあなたの御後見だけに満足していることか、それをご存じになっていますか、御同情でもしていただかなければかいがありません」
 と源氏は言った。面倒《めんどう》な話になって、宮は何ともお返辞をあそばさないのを見て、
「そうですね、そんなことを言って私が悪い」
 と話をほかへ源氏は移した。
「今の私の望みは閑散な身になって風流|三昧《ざんまい》に暮らしうることと、のちの世の勤めも十分にすることのほかはありませんが、この世の思い出になることを一つでも残すことのできないのはさすがに残念に思われます。ただ二人の子供がございますが、老い先ははるかで待ち遠しいものです。失礼ですがあなたの手でこの家の名誉をお上げくだすって、私の亡《な》くなりましたのちも私の子供らを護《まも》っておやりください」
 などと言った。宮のお返事はおおようで、しかも一言をたいした努力でお言いになるほどのものであるが、源氏の心はまったくそれに惹《ひ》きつけられてしまって、日の暮れるまでとどまっていた。
「人聞きのよい人生の望みなどはたいして持ちませんが、四季時々の美しい自然を生かせるようなことで、私は満足を得たいと思っています。春の花の咲く林、秋の野のながめを昔からいろいろに優劣が論ぜられていますが、道理だと思って、どちらかに加担のできるほどのことはまだだれにも言われておりません。支那《しな》では春の花の錦が最上のものに言われておりますし、日本の歌では秋の哀れが大事に取り扱われています。どちらもその時その時に感情が変わっていって、どれが最もよいとは私らに決められないのです。狭い邸《やしき》の中ででも、あるいは春の花の木をもっぱら集めて植えたり、秋草の花を多く作らせて、野に鳴く虫を放しておいたりする庭をこしらえてあなたがたにお見せしたく思いますが、あなたはどちらがお好きですか、春と秋と」
 源氏にこうお言われになった宮は、返辞のしにくいことであるとはお思いになったが、何も言わないことはよろしくないとお考えになって、
「私などはまして何もわかりはいたしませんで、いつも皆よろしいように思われますけれど、そのうちでも怪しいと申します夕べ(いつとても恋しからずはあらねども秋の夕べは怪しかりけり)は私のためにも亡《な》くなりました母の思い出される時になっておりまして、特別な気がいたします」
 お言葉|尻《じり》のしどけなくなってしまう様子などの可憐《かれん》さに、源氏は思わず規《のり》を越した言葉を口に出した。

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「君もさは哀れをかはせ人知れずわが身にしむる秋の夕風
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 忍びきれないおりおりがあるのです」
 宮のお返辞のあるわけもない。腑《ふ》に落ちないとお思いになるふうである。いったんおさえたものが外へあふれ出たあとは、その勢いで恋も恨みも源氏の口をついて出てきた。それ以上にも事を進ませる可能性はあったが、宮があまりにもあきれてお思いになる様子の見えるのも道理に思われたし、自身の心もけしからぬことであると思い返されもして源氏はただ歎息《たんそく》をしていた。艶《えん》な姿ももう宮のお目にはうとましいものにばかり見えた。柔らかにみじろぎをして少しずつあとへ引っ込んでお行きになるのを知って、
「そんなに私が不愉快なものに思われますか、高尚《こうしょう》な貴女《きじょ》はそんなにしてお見せになるものではありませんよ。ではもうあんなお話はよしましょうね。これから私をお憎みになってはいけませんよ」
 と言って源氏は立ち去った。しめやかな源氏の衣服の香の座敷に残っていることすらを宮は情けなくお思いになった。女房たちが出て来て格子《こうし》などを閉《し》めたあとで、
「このお敷き物の移り香の結構ですこと、どうしてあの方はこんなにすべてのよいものを備えておいでになるのでしょう。柳の枝に桜を咲かせたというのはあの方ね。どんな前生《ぜんしょう》をお持ちになる方でしょう」
 などと言い合っていた。
 西の対に帰った源氏はすぐにも寝室へはいらずに物思わしいふうで庭をながめながら、端の座敷にからだを横たえていた。燈籠《とうろう》を少し遠くへ掛けさせ、女房たちをそばに置いて話をさせなどしているのであった。思ってはならぬ人が恋しくなって、悲しみに胸のふさがるような癖がまだ自分には残っているのでないかと、源氏は自身のことながらも思われた。これはまったく似合わしからぬ恋である、おそろしい罪であることはこれ以上であるかもしれぬが若き日の過失は、思慮の足らないためと神仏もお許しになったのであろう、今もまたその罪を犯してはならないと、源氏はみずから思われてきたことによって、年が行けば分別ができるものであるとも悟った。
 王女御は身にしむ秋というものを理解したふうにお返辞をされたことすらお悔やみになった。恥ずかしく苦しくて、無気味で病気のようになっておいでになるのを、源氏は素知らぬふうで平生以上に親らしく世話などやいていた。
 源氏は夫人に、
「女御の秋がよいとお言いになるのにも同情されるし、あなたの春が好きなことにも私は喜びを感じる。季節季節の草木だけででも気に入った享楽をあなたがたにさせたい。いろいろの仕事を多く持っていてはそんなことも望みどおりにはできないから、早く出家が遂げたいものの、あなたの寂しくなることが思われてそれも実現難になりますよ」
 などと語っていた。
 大井の山荘の人もどうしているかと絶えず源氏は思いやっているが、ますます窮屈な位置に押し上げられてしまった今では、通って行くことが困難にばかりなった。悲観的に人生を見るようになった明石《あかし》を、源氏はそうした寂しい思いをするのも心がらである、自分の勧めに従って町へ出て来ればよいのであるが、他の夫人たちといっしょに住むのがいやだと思うような思い上がりすぎたところがあるからであると見ながらも、また哀れで、例の嵯峨《さが》の御堂の不断の念仏に託して山荘を訪《たず》ねた。住み馴《な》れるにしたがってますます凄《すご》い気のする山荘に待つ恋人などというものは、この源氏ほどの深い愛情を持たない相手をも引きつける力があるであろうと思われる。ましてたまさかに逢えたことで、恨めしい因縁のさすがに浅くないことも思って歎く女はどう取り扱っていいかと、源氏は力限りの愛撫《あいぶ》を試みて慰めるばかりであった。木の繁《しげ》った中からさす篝《かがり》の光が流れの蛍《ほたる》と同じように見える庭もおもしろかった。
「過去に寂しい生活の経験をしていなかったら、私もこの山荘で逢うことが心細くばかり思われることだろう」
 と源氏が言うと、

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「いさりせしかげ忘られぬ篝火《かがりび》は身のうき船や慕ひ来にけん
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 あちらの景色《けしき》によく似ております。不幸な者につきもののような灯影《ほかげ》でございます」
 と明石が言った。

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「浅からぬ下の思ひを知らねばやなほ篝火の影は騒げる
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 だれが私の人生観を悲しいものにさせたのだろう」
 と源氏のほうからも恨みを言った。少し閑暇《ひま》のできたころであったから、御堂《みどう》の仏勤めにも没頭することができて、二、三日源氏が山荘にとどまっていることで女は少し慰められたはずである。

薄雲 版本说明

底本:「全訳源氏物語 上巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年8月10日改版初版発行
   1994(平成6)年12月20日56版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月5日71版を使用しました。
入力:上田英代
校正:kompass
2003年7月14日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

20 朝顔

[#地から3字上げ]みづからはあるかなきかのあさがほと
[#地から3字上げ]言ひなす人の忘られぬかな (晶子)

 斎院は父宮の喪のために職をお辞しになった。源氏は例のように古い恋も忘れることのできぬ癖で、始終手紙を送っているのであったが、斎院御在職時代に迷惑をされた噂《うわさ》の相手である人に、女王《にょおう》は打ち解けた返事をお書きになることもなかった。九月になって旧邸の桃園の宮へお移りになったのを聞いて、そこには御|叔母《おば》の女五《にょご》の宮《みや》が同居しておいでになったから、そのお見舞いに託して源氏は訪問して行った。故院がこの御|同胞《はらから》がたを懇切にお扱いになったことによって、今もそうした方々と源氏には親しい交際が残っているのである。同じ御殿の西と東に分かれて、老内親王と若い前斎院とは住んでおいでになった。式部卿《しきぶきょう》の宮がお薨《かく》れになって何ほどの時がたっているのでもないが、もう宮のうちには荒れた色が漂っていて、しんみりとした空気があった。女五の宮が御対面あそばして源氏にいろいろなお話があった。老女らしい御様子で咳《せき》が多くお言葉に混じるのである。姉君ではあるが太政大臣の未亡人の宮はもっと若く、美しいところを今もお持ちになるが、これはまったく老人らしくて、女性に遠い気のするほどこちこちしたものごしでおありになるのも不思議である。
「院の陛下がお崩《かく》れになってからは、心細いものに私はなって、年のせいからも泣かれる日が多いところへ、またこの宮が私を置いて行っておしまいになったので、もうあるかないかに生きているにすぎない私を訪《たず》ねてくだすったことで、私は不幸だと思ったことももう忘れてしまいそうですよ」
 と宮はお言いになった。ずいぶん老人《としより》めいておしまいになったと思いながらも源氏は畏《かしこ》まって申し上げた。
「院がお崩《かく》れになりまして以来、すべてのことが同じこの世のことと思われませんような変わり方で、思いがけぬ所罰も受けまして、遠国に漂泊《さすら》えておりましたが、たまたま帰京が許されることになりますと、また雑務に追われてばかりおりますようなことで、長い前からお伺いいたして故院のお話を承りもし、お聞きもいただきたいと存じながら果たしえませんことで悶々《もんもん》としておりました」
「あなたの不幸だったころの世の中はまあどうだったろう。昔の御代もそうした時代も同じようにながめていねばならぬことで私は長生きがいやでしたが、またあなたがお栄えになる日を見ることができたために、私の考えはまた違ってきましたよ。あの中途で死んでいたらと思うのでね、長生きがよくなったのですよ」
 ぶるぶるとお声が震う。また続けて、
「ますますきれいですね。子供でいらっしった時にはじめてあなたを見て、こんな人も生まれてくるものだろうかとびっくりしましたね。それからもお目にかかるたびにあなたのきれいなのに驚いてばかりいましたよ。今の陛下があなたによく似ていらっしゃるという話ですが、そのとおりには行かないでしょう、やはりいくぶん劣っていらっしゃるだろうと私は想像申し上げますよ」
 長々と宮は語られるのであるが、面と向かって美貌《びぼう》をほめる人もないものであると源氏はおかしく思った。
「さすらい人になっておりましたころから非常に私も衰えてしまいました。陛下の御美貌は古今無比とお見上げ申しております。あなた様の御想像は誤っておりますよ」
 と源氏は言った。
「では時々陛下を拝んでおればいっそう長生きをする私になりますね。私は今日でもう人生のいやなことも皆忘れてしまいましたよ」
 こんなお話のあとでも五の宮はお泣きになるのである。
「お姉様の三の宮がおうらやましい。あなたのお子さんを孫にしておられる御縁で始終あなたにお逢いしておられるのだからね。ここのお亡《な》くなりになった宮様もその思召しだけがあって、実現できなかったことで歎息《たんそく》をあそばしたことがよくあるのです」
 というお話だけには源氏も耳のとまる気がした。
「そうなっておりましたら私はすばらしい幸福な人間だったでしょう。宮様がたは私に御愛情が足りなかったとより思われません」
 と源氏は恨めしいふうに、しかも言外に意を響かせても言った。
 女王《にょおう》のお住まいになっているほうの庭を遠く見ると、枯れ枯れになった花草もなお魅力を持つもののように思われて、それを静かな気分でながめていられる麗人が直ちに想像され、源氏は恋しかった。逢いたい心のおさえられないままに、
「こちらへ伺いましたついでにお訪《たず》ねいたさないことは、志のないもののように、誤解を受けましょうから、あちらへも参りましょう」
 と源氏は言って、縁側伝いに行った。もう暗くなったころであったが、鈍《にび》色の縁の御簾《みす》に黒い几帳《きちょう》の添えて立てられてある透影《すきかげ》は身にしむものに思われた。薫物《たきもの》の香が風について吹き通う艶《えん》なお住居《すまい》である。外は失礼だと思って、女房たちの計らいで南の端の座敷の席が設けられた。女房の宣旨《せんじ》が応接に出て取り次ぐ言葉を待っていた。
「今になりまして、お居間の御簾の前などにお席をいただくことかと私はちょっと戸惑いがされます。どんなに長い年月にわたって私は志を申し続けてきたことでしょう。その労に酬《むく》いられて、お居間へ伺うくらいのことは許されていいかと信じてきましたが」
 と言って、源氏は不満足な顔をしていた。
「昔というものは皆夢でございまして、それがさめたのちのはかない世かと、それもまだよく決めて思われません境地にただ今はおります私ですから、あなた様の労などは静かに考えさせていただいたのちに定《き》めなければと存じます」
 女王の言葉の伝えられたのはこれだった。だからこの世は定めがたい、頼みにしがたいのだと、こんな言葉の端からも源氏は悲しまれた。

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「人知れず神の許しを待ちしまにここらつれなき世を過ぐすかな
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 ただ今はもう神に託しておのがれになることもできないはずです。一方で私が不幸な目にあっていました時以来の苦しみの記録の片端でもお聞きくださいませんか」
 源氏は女王と直接に会見することをこう言って強要するのである。そうした様子なども昔の源氏に比べて、より優美なところが多く添ったように思われた。その時代に比べると年はずっと行ってしまった源氏ではあるが、位の高さにはつりあわぬ若々しさは保存されていた。

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なべて世の哀ればかりを問ふからに誓ひしことを神やいさめん
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 と斎院のお歌が伝えられる。
「そんなことをおとがめになるのですか。その時代の罪は皆|科戸《しなど》の風に追ってもらったはずです」
 源氏の愛嬌《あいきょう》はこぼれるようであった。
「この御禊《みそぎ》を神は(恋せじとみたらし川にせし御禊《みそぎ》神は受けずもなりにけるかな)お受けになりませんそうですね」
 宣旨は軽く戯談《じょうだん》にしては言っているが、心の中では非常に気の毒だと源氏に同情していた。羞恥《しゅうち》深い女王は次第に奥へ身を引いておしまいになって、もう宣旨にも言葉をお与えにならない。
「あまりに哀れに自分が見えすぎますから」
 と深い歎息《たんそく》をしながら源氏は立ち上がった。
「年が行ってしまうと恥ずかしい目にあうものです。こんな恋の憔悴《しょうすい》者にせめて話を聞いてやろうという寛大な気持ちをお見せになりましたか。そうじゃない」
 こんな言葉を女房に残して源氏の帰ったあとで、女房らはどこの女房も言うように源氏をたたえた。空の色も身にしむ夜で、木の葉の鳴る音にも昔が思われて、女房らは古いころからの源氏との交渉のあったある場面場面のおもしろかったこと、身に沁《し》んだことも心に浮かんでくると言って斎院にお話し申していた。
 不満足な気持ちで帰って行った源氏はましてその夜が眠れなかった。早く格子《こうし》を上げさせて源氏は庭の朝霧をながめていた。枯れた花の中に朝顔が左右の草にまつわりながらあるかないかに咲いて、しかも香さえも放つ花を折らせた源氏は、前斎院へそれを贈るのであった。
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あまりに他人らしくお扱いになりましたから、きまりも悪くなって帰りましたが、哀れな私の後ろ姿をどうお笑いになったことかと口惜《くちお》しい気もしますが、しかし、

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見し折りのつゆ忘られぬ朝顔の花の盛りは過ぎやしぬらん

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どんなに長い年月の間あなたをお思いしているかということだけは知っていてくださるはずだと思いまして、私は歎《なげ》きながらも希望を持っております。
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 という手紙を源氏は書いたのである。真正面から恋ばかりを言われているのでもない中年の源氏のおとなしい手紙に対して、返事をせぬことも感情の乏しい女と思われることであろうと女王もお思いになり、女房たちもそう思って硯《すずり》の用意などしたのでお書きになった。

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秋はてて霧の籬《まがき》にむすぼほれあるかなきかにうつる朝顔

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秋にふさわしい花をお送りくださいましたことででももの哀れな気持ちになっております。
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 とだけ書かれた手紙はたいしておもしろいものでもないはずであるが、源氏はそれを手から放すのも惜しいようにじっとながめていた。青鈍《あおにび》色の柔らかい紙に書かれた字は美しいようであった。書いた人の身分、書き方などが補ってその時はよい文章、よい歌のように思われたことも、改めて本の中へ書き載せると拙《つたな》い点の現われてくるものであるから、手紙の文章や歌というようなものは、この話の控え帳に筆者は大部分省くことにしていたので、採録したものにも書き誤りがあるであろうと思われる。
 今になってまた若々しい恋の手紙を人に送るようなことも似合わしくないことであると源氏は思いながらも、昔から好意も友情もその人に持たれながら、恋の成り立つまでにはならなかったのを思うと、もうあとへは退《ひ》けない気になっていて、再び情火を胸に燃やしながら心をこめた手紙を続いて送っていた。東の対のほうに離れていて、前斎院の宣旨を源氏は呼び寄せて相談をしていた。
 女房たちのだれの誘惑にもなびいて行きそうな人々は狂気にもなるほど源氏をほめて夢中になっているこんな家の中で、朝顔の女王だけは冷静でおありになった。お若い時すらも友情以上のものをこの人にお持ちにならなかったのであるから、今はまして自分もその人も恋愛などをする年ではなくなっていて、花や草木のことの言われる手紙にもすぐに返事を出すようなことは人の批評することがうるさいと、それも遠慮をされるようになっていつまでたってもお心の動く様子はなかった。
 初めの態度はどこまでもお続けになる朝顔の女王の普通の型でない点が、珍重すべきおもしろいことにも思われてならない源氏であった。世間はもうその噂《うわさ》をして、
「源氏の大臣は前斎院に御熱心でいられるから、女五の宮へ御親切もお尽くしになるのだろう、結婚されて似合いの縁というものであろう」
 とも言うのが、紫夫人の耳にも伝わって来た。当座はそんなことがあっても自分へ源氏は話して聞かせるはずであると思っていたが、それ以来気をつけて見ると、源氏の様子はそわそわとして、何かに心の奪われていることがよくわかるのであった。こんなにまじめに打ち込んで結婚までを思う恋を、自分にはただ気紛れですることのように良人《おっと》は言っていた。同じ女王ではあっても世間から重んぜられていることは自分と比較にならない人である。その人に良人の愛が移ってしまったなら自分はみじめであろう、と夫人は歎《なげ》かれた。さすがに第一の夫人として源氏の愛をほとんど一身に集めてきた人であったから、今になって心の満たされない取り扱いを受けることは、外へ対しても堪えがたいことであると夫人は思うのである。顧みられないというようなことはなくても、源氏が重んじる妻は他の人で、自分は少女時代から養ってきた、どんな薄遇をしても甘んじているはずの妻にすぎないことになるのであろうと、こんなことを思って夫人は煩悶《はんもん》しているが、たいしたことでないことはあまり感情を害しない程度の夫人の恨み言にもなって、それで源氏の恋愛行為が牽制《けんせい》されることにもなるのであったが、今度は夫人の心の底から恨めしく思うことであったから、何ともその問題に触れようとしない。外をながめて物思いを絶えずするのが源氏であって、御所の宿直《とのい》の夜が多くなり、役のようにして自宅ですることは手紙を書くことであった。噂に誤りがないらしいと夫人は思って、少しくらいは打ち明けて話してもよさそうなものであると、飽き足りなくばかり思った。
 冬の初めになって今年は神事がいっさい停止されていて寂しい。つれづれな源氏はまた五の宮を訪ねに行こうとした。雪もちらちらと降って艶《えん》な夕方に、少し着て柔らかになった小袖《こそで》になお薫物《たきもの》を多くしたり、化粧に時間を費やしたりして恋人を訪《と》おうとしている源氏であるから、それを見ていて気の弱い女性はどんな心持ちがするであろうと危《あや》ぶまれた。さすがに出かけの声をかけに源氏は夫人の所へ来た。
「女五の宮様が御病気でいらっしゃるからお見舞いに行って来ます」
 ちょっとすわってこう言う源氏のほうを、夫人は見ようともせずに姫君の相手をしていたが、不快な気持ちはよく見えた。
「始終このごろは機嫌《きげん》が悪いではありませんか、無理でないかもしれない。長くいっしょにいてはあなたに飽かれると思って、私は時々御所で宿直《とのい》をしたりしてみるのが、それでまたあなたは不愉快になるのですね」
「ほんとうに長く同じであるものは悲しい目を見ます」
 とだけ言って向こうを向いて寝てしまった女王を置いて出て行くことはつらいことに源氏は思いながらも、もう御訪問の報《しら》せを宮に申し上げたのちであったから、やむをえず二条の院を出た。こんな日も自分の上にめぐってくるのを知らずに、源氏を信頼して暮らしてきたと寂しい気持ちに夫人はなっていた。喪服の鈍《にび》色ではあるが濃淡の重なりの艶《えん》な源氏の姿が雪の光《あかり》でよく見えるのを、寝ながらのぞいていた夫人はこの姿を見ることも稀《まれ》な日になったらと思うと悲しかった。前駆も親しい者ばかりを選んであったが、
「参内する以外の外出はおっくうになった。桃園の女五《にょご》の宮《みや》様は寂しいお一人ぼっちなのだからね、式部卿《しきぶきょう》の宮がおいでになった間は私もお任せしてしまっていたが、今では私がたよりだとおっしゃるのでね、それもごもっともでお気の毒だから」
 などと、前駆を勤める人たちにも言いわけらしく源氏は言っていたが、
「りっぱな方だけれど、恋愛をおやめにならない点が傷だね。御家庭がそれで済むまいと心配だ」
 とそうした人たちも言っていた。
 桃園のお邸《やしき》は北側にある普通の人の出入りする門をはいるのは自重の足りないことに見られると思って、西の大門から人をやって案内を申し入れた。こんな天気になったから、先触れはあっても源氏は出かけて来ないであろうと宮は思っておいでになったのであるから、驚いて大門をおあけさせになるのであった。出て来た門番の侍が寒そうな姿で、背中がぞっとするというふうをして、門の扉をかたかたといわせているが、これ以外の侍はいないらしい。
「ひどく錠が錆《さ》びていてあきません」
 とこぼすのを、源氏は身に沁《し》んで聞いていた。宮のお若いころ、自身の生まれたころを源氏が考えてみるとそれはもう三十年の昔になる、物の錆びたことによって人間の古くなったことも思われる。それを知りながら仮の世の執着が離れず、人に心の惹《ひ》かれることのやむ時がない自分であると源氏は恥じた。

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いつのまに蓬《よもぎ》がもとと結ぼほれ雪ふる里と荒れし垣根《かきね》ぞ
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 源氏はこんなことを口ずさんでいた。やや長くかかって古い門の抵抗がやっと征服された。
 源氏はまず宮のお居間のほうで例のように話していたが、昔話の取りとめもないようなのが長く続いて源氏は眠くなるばかりであった。宮もあくびをあそばして、
「私は宵惑《よいまど》いなものですから、お話がもうできないのですよ」
 とお言いになったかと思うと、鼾《いびき》という源氏に馴染《なじみ》の少ない音が聞こえだしてきた。源氏は内心に喜びながら宮のお居間を辞して出ようとすると、また一人の老人らしい咳《せき》をしながら御簾《みす》ぎわに寄って来る人があった。
「もったいないことですが、ご存じのはずと思っておりますものの私の存在をとっくにお忘れになっていらっしゃるようでございますから、私のほうから、出てまいりました。院の陛下がお祖母《ばあ》さんとお言いになりました者でございますよ」
 と言うので源氏は思い出した。源典侍《げんてんじ》といわれていた人は尼になって女五の宮のお弟子《でし》分でお仕えしていると以前聞いたこともあるが、今まで生きていたとは思いがけないことであるとあきれてしまった。
「あのころのことは皆昔話になって、思い出してさえあまりに今と遠くて心細くなるばかりなのですが、うれしい方がおいでになりましたね。『親なしに臥《ふ》せる旅人』と思ってください」
 と言いながら、御簾のほうへからだを寄せる源氏に、典侍《ないしのすけ》はいっそう昔が帰って来た気がして、今も好色女らしく、歯の少なくなった曲がった口もとも想像される声で、甘えかかろうとしていた。
「とうとうこんなになってしまったじゃありませんか」
 などとおくめんなしに言う。今はじめて老衰にあったような口ぶりであるとおかしく源氏は思いながらも、一面では哀れなことに予期もせず触れた気もした。この女が若盛りのころの後宮《こうきゅう》の女御《にょご》、更衣《こうい》はどうなったかというと、みじめなふうになって生き長らえている人もあるであろうが大部分は故人である。入道の宮などのお年はどうであろう、この人の半分にも足らないでお崩《かく》れになったではないか、はかないのが姿である人生であるからと源氏は思いながらも、人格がいいともいえない、ふしだらな女が長生きをして気楽に仏勤めをして暮らすようなことも不定《ふじょう》と仏のお教えになったこの世の相であると、こんなふうに感じて、気分がしんみりとしてきたのを、典侍は自身の魅力の反映が源氏に現われてきたものと解して、若々しく言う。

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年|経《ふ》れどこの契りこそ忘られね親の親とか言ひし一こと
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 源氏は悪感《おかん》を覚えて、

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「身を変へて後《あと》も待ち見よこの世にて親を忘るるためしありやと
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 頼もしい縁ですよ。そのうちにまた」
 と言って立ってしまった。
 西のほうはもう格子が下《お》ろしてあったが、迷惑がるように思われてはと斟酌《しんしゃく》して一間二間はそのままにしてあった。月が出て淡い雪の光といっしょになった夜の色が美しかった。今夜は真剣なふうに恋を訴える源氏であった。
「ただ一言、それは私を憎むということでも御自身のお口から聞かせてください。私はそれだけをしていただいただけで満足してあきらめようと思います」
 熱情を見せてこう言うが、女王《にょおう》は、自分も源氏もまだ若かった日、源氏が今日のような複雑な係累もなくて、どんなことも若さの咎《とが》で済む時代にも、父宮などの希望された源氏との結婚問題を、自分はその気になれずに否《いな》んでしまった。ましてこんなに年が行って衰えた今になっては、一言でも直接にものを言ったりすることは恥ずかしくてできないとお思いになって、だれが勧めてもそうしようとされないのを、源氏は非常に恨めしく思った。さすがに冷淡にはお取り扱いにはならないで、人づてのお返辞はくださるというのであったから、源氏は悶々《もんもん》とするばかりであった。次第に夜がふけて、風の音もはげしくなる。心細さに落ちる涙をぬぐいながら源氏は言う。

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「つれなさを昔に懲りぬ心こそ人のつらさに添へてつらけれ
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『心づから』(恋しさも心づからのものなれば置き所なくもてぞ煩ふ)苦しみます」
「あまりにお気の毒でございますから」
 と言って、女房らが女王に返歌をされるように勧めた。

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「改めて何かは見えん人の上にかかりと聞きし心変はりを
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 私はそうしたふうに変わっていきません」
 と女房が斎院のお言葉を伝えた。力の抜けた気がしながらも、言うべきことは言い残して帰って行く源氏は、自身がみじめに思われてならなかった。
「こんなことは愚かな男の例として噂《うわさ》にもなりそうなことですから人には言わないでください。『いさや川』(犬上《いぬがみ》のとこの山なるいさや川いさとこたへてわが名もらすな)などというのも恋の成り立った場合の歌で、ここへは引けませんね」
 と言って源氏はなお女房たちに何事かを頼んで行った。
「もったいない気がしました。なぜああまで気強くなさるのでしょう。少し近くへお出ましになっても、まじめに求婚をしていらっしゃるだけですから、失礼なことなどの起こってくる気づかいはないでしょうのに、お気の毒な」
 とあとで言う者もあった。斎院は源氏の価値をよく知っておいでになって愛をお感じにならないのではないが、好意を見せても源氏の外貌《がいぼう》だけを愛している一般の女と同じに思われることはいやであると思っておいでになった。接近させて下にかくしたこの恋を源氏に看破されるのもつらく女王はお思いになるのである。友情で書かれた手紙には友情で酬《むく》いることにして、源氏が来れば人づてで話す程度のことにしたいとお思いになって、御自身は神に奉仕していた間怠っていた仏勤めを、取り返しうるほど十分にできる尼になりたいとも願っておいでになるのであるが、この際にわかにそうしたことをするのも源氏へ済まない、反抗的の行為であるとも必ず言われるであろうと、世間が作る噂《うわさ》というものの苦しさを経験されたお心からお思いになった。女房たちが源氏に買収されてどんな行為をするかもしれぬという懸念から女王はその人たちに対してもお気をお許しにならなかった。そして追い追い宗教的な生活へ進んでお行きになるのであった。女王は男の兄弟も幾人か持っておいでになるのであるが同腹でなかったから親しんで来る者もない。宮家の財政も心細くなった際に、源氏が熱心な求婚者として出て来たのであるから、女たちは一人残らず結婚の成り立つことばかりを祈っていた。
 源氏はあながちにあせって結婚がしたいのではなかったが、恋人の冷淡なのに負けてしまうのが残念でならなかった。今日の源氏は最上の運に恵まれてはいるが、昔よりはいろいろなことに経験を積んできていて、今さら恋愛に没頭することの不可なことも、世間から受ける批難も知っていながらしていることで、これが成功しなければいよいよ不名誉であると信じて、二条の院に寝ない夜も多くなったのを夫人は恨めしがっていた。悲しみをおさえる力も尽きることがあるわけである。源氏の前で涙のこぼれることもあった。
「なぜ機嫌《きげん》を悪くしているのですか、理由《わけ》がわからない」
 と言いながら、額髪《ひたいがみ》を手で払ってやり、憐《あわれ》んだ表情で夫人の顔を源氏がながめている様子などは、絵に描《か》きたいほど美しい夫婦と見えた。
「女院がお崩《かく》れになってから、陛下が寂しそうにばかりしておいでになるのが心苦しいことだし、太政大臣が現在では欠けているのだから、政務は皆私が見なければならなくて、多忙なために家《うち》へ帰らない時の多いのを、あなたから言えば例のなかったことで、寂しく思うのももっともだけれど、ほんとうはもうあなたの不安がることは何もありませんよ。安心しておいでなさい。大人になったけれどまだ少女のように思いやりもできず、私を信じることもできない、可憐《かれん》なばかりのあなたなのだろう」
 などと言いながら、優しく妻の髪を直したりして源氏はいるのであったが、夫人はいよいよ顔を向こうへやってしまって何も言わない。
「若々しい我儘《わがまま》をあなたがするのも私のつけた癖なのだ」
 歎息《たんそく》をして、短い人生に愛する人からこんなにまで恨まれているのも苦しいことであると源氏は思った。
「斎院との交際で何かあなたは疑っているのではないのですか。それはまったく恋愛などではないのですよ。自然わかってくるでしょうがね。昔からあの人はそんな気のないいっぷう変わった女性なのですよ。私の寂しい時などに手紙を書いてあげると、あちらはひまな方だから時々は返事をくださるのです。忠実に相手になってもくださらないと、そんなことをあなたにこぼすほどのことでもないから、いちいち話さないだけです。気がかりなことではないと思い直してください」
 などと言って、源氏は終日夫人をなだめ暮らした。
 雪のたくさん積もった上になお雪が降っていて、松と竹がおもしろく変わった個性を見せている夕暮れ時で、人の美貌《びぼう》もことさら光るように思われた。
「春がよくなったり、秋がよくなったり、始終人の好みの変わる中で、私は冬の澄んだ月が雪の上にさした無色の風景が身に沁《し》んで好きに思われる。そんな時にはこの世界のほかの大世界までが想像されてこれが人間の感じる極致の境だという気もするのに、すさまじいものに冬の月を言ったりする人の浅薄《あさはか》さが思われる」
 源氏はこんなことを言いながら御簾《みす》を巻き上げさせた。月光が明るく地に落ちてすべての世界が白く見える中に、植え込みの灌木《かんぼく》類の押しつけられた形だけが哀れに見え、流れの音も咽《むせ》び声になっている。池の氷のきらきら光るのもすごかった。源氏は童女を庭へおろして雪まろげをさせた。美しい姿、頭つきなどが月の光にいっそうよく見えて、やや大きな童女たちが、いろいろな袙《あこめ》を着て、上着は脱いだ結び帯の略装で、もうずっと長くなっていて、裾《すそ》の拡《ひろ》がった髪は雪の上で鮮明にきれいに見られるのであった。小さい童女は子供らしく喜んで走りまわるうちには扇を落としてしまったりしている。ますます大きくしようとしても、もう童女たちの力では雪の球《たま》が動かされなくなっている。童女の半分は東の妻戸の外に集まって、自身たちの出て行けないのを残念がりながら、庭の連中のすることを見て笑っていた。
「昔|中宮《ちゅうぐう》がお庭に雪の山をお作らせになったことがある。だれもすることだけれど、その場合に非常にしっくりと合ったことをなさる方だった。どんな時にもあの方がおいでになったらと、残念に思われることが多い。私などに対して法《のり》を越えた御待遇はなさらなかったから、細かなことは拝見する機会もなかったが、さすがに尊敬している私を信用はしていてくだすった。私は何かのことがあると歌などを差し上げたが、文学的に見て優秀なお返事でないが、見識があるというよさはおありになって、お言いになることが皆深みのあるものだった。あれほど完全な貴女《きじょ》がほかにもあるとは思われない。柔らかに弱々しくいらっしゃって、気高《けだか》い品のよさがあの方のものだったのですからね。しかしあなただけは血縁の近い女性だけあってあの方によく似ている。少しあなたは嫉妬《しっと》をする点だけが悪いかもしれないね。前斎院の性格はまたまったく変わっておいでになる。私の寂しい時に手紙などを書く交際相手で敬意の払われる、晴れがましい友人としてはあの方だけがまだ残っておいでになると言っていいでしょう」
 と源氏が言った。
「尚侍《ないしのかみ》は貴婦人の資格を十分に備えておいでになる、軽佻《けいちょう》な気などは少しもお見えにならないような方だのに、あんなことのあったのが、私は不思議でならない」
「そうですよ。艶《えん》な美しい女の例には、今でもむろん引かねばならない人ですよ。そんなことを思うと自分のしたことで人をそこなった後悔が起こってきてならない。まして多情な生活をしては年が行ったあとでどんなに後悔することが多いだろう。人ほど軽率なことはしないでいる男だと思っていた私でさえこうだから」
 源氏は尚侍の話をする時にも涙を少しこぼした。
「あなたが眼中にも置かないように軽蔑《けいべつ》している山荘の女は、身分以上に貴婦人の資格というものを皆そろえて持った人ですがね、思い上がってますますよく見えるのも人によることですから、私はその点をその人によけいなもののようにも見ておりますがね。私はまだずっと下の階級に属する女性たちを知らないが、私の見た範囲でもすぐれた人はなかなかないものですよ。東の院に置いてある人の善良さは、若い時から今まで一貫しています。愛すべき人ですよ。ああはいかないものですよ。私たちは青春時代から信じ合った、そしてつつましい恋を続けてきたものです。今になって別れ別れになることなどはできませんよ。私は深く愛しています」
 こんな話に夜はふけていった。月はいよいよ澄んで美しい。夫人が、

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氷とぢ岩間の水は行き悩み空澄む月の影ぞ流るる
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 と言いながら、外を見るために少し傾けた顔が美しかった。髪の性質《たち》、顔だちが恋しい故人の宮にそっくりな気がして、源氏はうれしかった。少し外に分けられていた心も取り返されるものと思われた。鴛鴦《おしどり》の鳴いているのを聞いて、源氏は、

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かきつめて昔恋しき雪もよに哀れを添ふる鴛鴦《をし》のうきねか
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 と言っていた。
 寝室にはいってからも源氏は中宮の御事を恋しく思いながら眠りについたのであったが、夢のようにでもなくほのかに宮の面影が見えた。非常にお恨めしいふうで、
「あんなに秘密を守るとお言いになりましたけれど、私たちのした過失《あやまち》はもう知れてしまって、私は恥ずかしい思いと苦しい思いとをしています。あなたが恨めしく思われます」
 とお言いになった。返辞を申し上げるつもりでたてた声が、夢に襲われた声であったから、夫人が、
「まあ、どうなさいました、そんなに」
 と言ったので源氏は目がさめた。非常に残り惜しい気がして、張り裂けるほどの鼓動を感じる胸をおさえていると、涙も流れてきた。夢のまったく醒《さ》めたのちでも源氏は泣くことをやめないのであった。夫人はどんな夢であったのであろうと思うと、自分だけが別物にされた寂しさを覚えて、じっとみじろぎもせずに寝ていた。

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とけて寝ぬ寝|覚《ざ》めさびしき冬の夜に結ぼほれつる夢のみじかさ
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 源氏の歌である。夢に死んだ恋人を見たことに心は慰まないで、かえって恋しさ悲しさのまさる気のする源氏は、早く起きてしまって、何とは表面に出さずに、誦経《ずきょう》を寺へ頼んだ。苦しい目を見せるとお恨みになったのもきっとそういう気のあそばすことであろうと源氏に悟れるところがあった。仏勤めをなされたほかに民衆のためにも功徳を多くお行ないになった宮が、あの一つの過失のためにこの世での罪障が消滅し尽くさずにいるかと、深く考えてみればみるほど源氏は悲しくなった。自分はどんな苦行をしても寂しい世界に贖罪《しょくざい》の苦しみをしておいでになる中宮の所へ行って、罪に代わっておあげすることがしたいと、こんなことをつくづくと思い暮らしていた。中宮のために仏事を自分の行なうことはどんな簡単なことであっても世間の疑いを受けることに違いない、帝《みかど》の御心《みこころ》の鬼に思召《おぼしめ》し合わすことになってもよろしくないと源氏ははばかられて、ただ一人心で阿弥陀仏《あみだぶつ》を念じ続けた。同じ蓮華《れんげ》の上に生まれしめたまえと祈ったことであろう。

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なき人を慕ふ心にまかせてもかげ見ぬ水の瀬にやまどはん
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 と思うと悲しかったそうである。
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(訳注) 源氏の君三十二歳。
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朝顔 版本说明

底本:「全訳源氏物語 上巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年8月10日改版初版発行
   1994(平成6)年12月20日56版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月5日71版を使用しました。
※「どんなに長い年月の間あなたをお思いしているかということだけは知っていてくださるはずだと思いまして、私は歎《なげ》きながらも希望を持っております。」の部分は、手紙の一部であると判断し、他の箇所に合わせて一字下げとしました。
入力:上田英代
校正:kumi
2003年7月16日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

21 乙女

[#地から3字上げ]雁《かり》なくやつらをはなれてただ一つ初恋
[#地から3字上げ]をする少年のごと     (晶子)

 春になって女院の御一周年が過ぎ、官人が喪服を脱いだのに続いて四月の更衣期になったから、はなやかな空気の満ち渡った初夏であったが、前斎院はなお寂しくつれづれな日を送っておいでになった。庭の桂《かつら》の木の若葉がたてるにおいにも若い女房たちは、宮の御在職中の加茂の院の祭りのころのことを恋しがった。源氏から、神の御禊《みそぎ》の日もただ今はお静かでしょうという挨拶《あいさつ》を持った使いが来た。
[#ここから1字下げ]
今日こんなことを思いました。

[#ここから2字下げ]
かけきやは川瀬の波もたちかへり君が御禊《みそぎ》の藤《ふぢ》のやつれを
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 紫の紙に書いた正しい立文《たてぶみ》の形の手紙が藤の花の枝につけられてあった。斎院はものの少し身にしむような日でおありになって、返事をお書きになった。

[#ここから2字下げ]
藤衣きしは昨日《きのふ》と思ふまに今日《けふ》はみそぎの瀬にかはる世を

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はかないものと思われます。
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 とだけ書かれてある手紙を、例のように源氏は熱心にながめていた。斎院が父宮の喪の済んでお服直しをされる時も、源氏からたいした贈り物が来た。女王《にょおう》はそれをお受けになることは醜いことであるというように言っておいでになったが、求婚者としての言葉が添えられていることであれば辞退もできるが、これまで長い間何かの場合に公然の進物を送り続けた源氏であって、親切からすることであるから返却のしようがないように言って女房たちは困っていた。女五《にょご》の宮《みや》のほうへもこんなふうにして始終物質的に御補助をする源氏であったから、宮は深く源氏を愛しておいでになった。
「源氏の君というと、いつも美しい少年が思われるのだけれど、こんなに大人らしい親切を見せてくださる。顔がきれいな上に心までも並みの人に違ってでき上がっているのだね」
 とおほめになるのを、若い女房らは笑っていた。西の女王とお逢いになる時には、
「源氏の大臣から熱心に結婚が申し込まれていらっしゃるのだったら、いいじゃありませんかね、今はじめての話ではなし、ずっと以前からのことなのですからね、お亡《な》くなりになった宮様もあなたが斎院におなりになった時に、結婚がせられなくなったことで失望をなすってね、以前宮様がそれを実行しようとなすった時に、あなたの気の進まなかったことで、話をそのままにしておいたのを御後悔してお話しになることがよくありましたよ。けれどもね、宮様がそうお思い立ちになったころは左大臣家の奥さんがいられたのですからね、そうしては三の宮がお気の毒だと思召して第二の結婚をこちらでおさせにはなりにくかったのですよ。あなたと従妹《いとこ》のその奥様が亡くなられたのだし、そうなすってもいいのにと私は思うし、一方ではまた新しく熱心にお申し込みがあるというのは、やはり前生の約束事だろうと思う」
 などと古めかしい御勧告をあそばすのを、女王は苦笑して聞いておいでになった。
「お父様からもそんな強情《ごうじょう》者に思われてきた私なのですから、今さら源氏の大臣の声名が高いからと申して結婚をいたしますのは恥ずかしいことだと思います」
 こんなふうに思いもよらぬように言っておいでになったから、宮もしまいにはお勧めにならなかった。邸《やしき》の人は上から下まで皆が皆そうなるのを望んでいることを女王は知って警戒しておいでになったが、源氏自身は至誠で女王を動かしうる日は待っているが、しいて力で結婚を遂げるようなことをしたくないと女王の感情を尊重していた。
 故太政大臣家で生まれた源氏の若君の元服の式を上げる用意がされていて、源氏は二条の院で行なわせたく思うのであったが、祖母の宮が御覧になりたく思召すのがもっともで、そうしたことはお気の毒に思われて、やはり今までお育てになった宮の御殿でその式をした。右大将を始め伯父君《おじぎみ》たちが皆りっぱな顕官になっていて勢力のある人たちであったから、母方の親戚からの祝品その他の贈り物もおびただしかった。かねてから京じゅうの騒ぎになるほど華美な祝い事になったのである。初めから四位にしようと源氏は思ってもいたことであったし、世間もそう見ていたが、まだきわめて小さい子を、何事も自分の意志のとおりになる時代にそんな取り計らいをするのは、俗人のすることであるという気がしてきたので、源氏は長男に四位を与えることはやめて、六位の浅葱《あさぎ》の袍《ほう》を着せてしまった。大宮《おおみや》が言語道断のことのようにこれをお歎きになったことはお道理でお気の毒に思われた。源氏は宮に御面会をしてその問題でお話をした。
「ただ今わざわざ低い位に置いてみる必要もないようですが、私は考えていることがございまして、大学の課程を踏ませようと思うのでございます。ここ二、三年をまだ元服以前とみなしていてよかろうと存じます。朝廷の御用の勤まる人間になりますれば自然に出世はして行くことと存じます。私は宮中に育ちまして、世間知らずに御前で教養されたものでございますから、陛下おみずから師になってくだすったのですが、やはり刻苦精励を体験いたしませんでしたから、詩を作りますことにも素養の不足を感じたり、音楽をいたしますにも音《ね》足らずな気持ちを痛感したりいたしました。つまらぬ親にまさった子は自然に任せておきましてはできようのないことかと思います。まして孫以下になりましたなら、どうなるかと不安に思われてなりませんことから、そう計らうのでございます。貴族の子に生まれまして、官爵が思いのままに進んでまいり、自家の勢力に慢心した青年になりましては、学問などに身を苦しめたりいたしますことはきっとばかばかしいことに思われるでしょう。遊び事の中に浸っていながら、位だけはずんずん上がるようなことがありましても、家に権勢のあります間は、心で嘲笑《ちょうしょう》はしながらも追従をして機嫌《きげん》を人がそこねまいとしてくれますから、ちょっと見はそれでりっぱにも見えましょうが、家の権力が失墜するとか、保護者に死に別れるとかしました際に、人から軽蔑《けいべつ》されましても、なんらみずから恃《たの》むところのないみじめな者になります。やはり学問が第一でございます。日本魂《やまとだましい》をいかに活《い》かせて使うかは学問の根底があってできることと存じます。ただ今目前に六位しか持たないのを見まして、たよりない気はいたしましても、将来の国家の柱石たる教養を受けておきますほうが、死後までも私の安心できることかと存じます。ただ今のところは、とにかく私がいるのですから、窮迫した大学生と指さす者もなかろうと思います」
 と源氏が言うのを、聞いておいでになった宮は歎息《たんそく》をあそばしながら、
「ごもっともなお話だと思いますがね、右大将などもあまりに変わったお好みだと不審がりますし、子供もね、残念なようで、大将や左衛門督《さえもんのかみ》などの息子《むすこ》の、自分よりも低いもののように見下しておりました者の位階が皆上へ上へと進んで行きますのに、自分は浅葱《あさぎ》の袍《ほう》を着ていねばならないのをつらく思うふうですからね。私はそれがかわいそうなのでした」
 とお言いになる。
「大人らしく父を恨んでいるのでございますね。どうでしょう、こんな小さい人が」
 源氏はかわいくてならぬと思うふうで子を見ていた。
「学問などをいたしまして、ものの理解のできるようになりましたら、その恨みも自然になくなってまいるでしょう」
 と言っていた。
 若君の師から字《あざな》をつけてもらう式は東の院ですることになって、東の院に式場としての設けがされた。高官たちは皆この式を珍しがって参会する者が多かった。博士《はかせ》たちが晴れがましがって気おくれもしそうである。
「遠慮をせずに定《きま》りどおりに厳格にやってください」
 と源氏から言われたので、しいて冷静な態度を見せて、借り物の衣裳《いしょう》の身に合わぬのも恥じずに、顔つき、声づかいに学者の衒気《げんき》を見せて、座にずっと並んでついたのははなはだ異様であった。若い役人などは笑いがおさえられないふうである。しかもこれは笑いやすいふうではない、落ち着いた人が酒瓶《しゅへい》の役に選ばれてあったのである。すべてが風変わりである。右大将、民部卿などが丁寧に杯を勧めるのを見ても作法に合わないと叱《しか》り散らす、
「御接待役が多すぎてよろしくない。あなたがたは今日の学界における私を知らずに朝廷へお仕えになりますか。まちがったことじゃ」
 などと言うのを聞いてたまらず笑い出す人があると、
「鳴りが高い、おやめなさい。はなはだ礼に欠けた方だ、座をお退《ひ》きなさい」
 などと威《おど》す。大学出身の高官たちは得意そうに微笑をして、源氏の教育方針のよいことに敬服したふうを見せているのであった。ちょっと彼らの目の前で話をしても博士らは叱《しか》る、無礼だと言って何でもないこともとがめる。やかましく勝手気ままなことを言い放っている学者たちの顔は、夜になって灯《ひ》がともったころからいっそう滑稽《こっけい》なものに見えた。まったく異様な会である。源氏は、
「自分のような規律に馴《な》れないだらしのない者は粗相をして叱りまわされるであろうから」
 と言って、御簾《みす》の中に隠れて見ていた。式場の席が足りないために、あとから来て帰って行こうとする大学生のあるのを聞いて、源氏はその人々を別に釣殿《つりどの》のほうでもてなした。贈り物もした。式が終わって退出しようとする博士と詩人をまた源氏はとどめて詩を作ることにした。高官や殿上役人もそのほうの才のある人は皆残したのである。博士たちは律の詩、源氏その他の人は絶句を作るのであった。おもしろい題を文章博士《もんじょうはかせ》が選んだ。短夜のころであったから、夜がすっかり明けてから詩は講ぜられた。左中弁《さちゅうべん》が講師の役をしたのである。きれいな男の左中弁が重々しい神さびた調子で詩を読み上げるのが感じよく思われた。この人はことに深い学殖のある博士なのである。こうした大貴族の家に生まれて、栄華に戯れてもいるはずの人が蛍雪《けいせつ》の苦を積んで学問を志すということをいろいろの譬《たと》えを借りて讃美《さんび》した作は句ごとにおもしろかった。支那《しな》の人に見せて批評をさせてみたいほどの詩ばかりであると言われた。源氏のはむろん傑作であった。子を思う親の情がよく現われているといって、列席者は皆涙をこぼしながら誦《ず》した。
 それに続いてまた入学の式もあった。東の院の中に若君の勉強部屋が設けられて、まじめな学者を一人つけて源氏は学ばせた。若君は大宮の所へもあまり行かないのであった。夜も昼もおかわいがりにばかりなって、いつまでも幼児であるように宮はお扱いになるのであったから、そこでは勉学ができないであろうと源氏が認めて、学問所を別にして若君を入れたわけである。月に三度だけは大宮を御訪問申してよいと源氏は定めた。じっと学問所にこもってばかりいる苦しさに、若君は父君を恨めしく思った。ひどい、こんなに苦しまないでも出世をして世の中に重んぜられる人がないわけはなかろうと考えるのであるが、一体がまじめな性格であって、軽佻《けいちょう》なところのない少年であったから、よく忍んで、どうかして早く読まねばならぬ本だけは皆読んで、人並みに社会へ出て立身の道を進みたいと一所懸命になったから、四、五か月のうちに史記などという書物は読んでしまった。もう大学の試験を受けさせてもよいと源氏は思って、その前に自身の前で一度学力をためすことにした。例の伯父《おじ》の右大将、式部|大輔《だゆう》、左中弁などだけを招いて、家庭教師の大内記に命じて史記の中の解釈のむずかしいところの、寮試の問題に出されそうな所々を若君に読ますのであったが、若君は非常に明瞭《めいりょう》に難解なところを幾通りにも読んで意味を説明することができた。師の爪《つめ》じるしは一か所もつける必要のないのを見て、人々は若君に学問をする天分の豊かに備わっていることを喜んだ。伯父の大将はまして感動して、
「父の大臣が生きていられたら」
 と言って泣いていた。源氏も冷静なふうを作ろうとはしなかった。
「世間の親が愛におぼれて、子に対しては正当な判断もできなくなっているなどと私は見たこともありますが、自分のことになってみると、それは子が大人になっただけ親はぼけていくのでやむをえないことだと解釈ができます。私などはまだたいした年ではないがやはりそうなりますね」
 などと言いながら涙をふいているのを見る若君の教師はうれしかった。名誉なことになったと思っているのである。大将が杯をさすともう深く酔いながら畏《かしこ》まっている顔つきは気の毒なように痩《や》せていた。変人と見られている男で、学問相当な地位も得られず、後援者もなく貧しかったこの人を、源氏は見るところがあってわが子の教師に招いたのである。たちまちに源氏の庇護《ひご》を受ける身の上になって、若君のために生まれ変わったような幸福を得ているのである。将来はましてこの今の若君に重用されて行くことであろうと思われた。
 大学へ若君が寮試を受けに行く日は、寮門に顕官の車が無数に止まった。あらゆる廷臣が今日はここへ来ることかと思われる列席者の派手《はで》に並んだ所へ、人の介添えを受けながらはいって来た若君は、大学生の仲間とは見ることもできないような品のよい美しい顔をしていた。例の貧乏学生の多い席末の座につかねばならないことで、若君が迷惑そうな顔をしているのももっともに思われた。ここでもまた叱《しか》るもの威嚇《いかく》するものがあって不愉快であったが、若君は少しも臆《おく》せずに進んで出て試験を受けた。昔学問の盛んだった時代にも劣らず大学の栄えるころで、上中下の各階級から学生が出ていたから、いよいよ学問と見識の備わった人が輩出するばかりであった。文人《もんにん》と擬生《ぎしょう》の試験も若君は成績よく通ったため、師も弟子《でし》もいっそう励みが出て学業を熱心にするようになった。源氏の家でも始終詩会が催されなどして、博士《はかせ》や文士の得意な時代が来たように見えた。何の道でも優秀な者の認められないのはないのが当代であった。
 皇后が冊立《さくりつ》されることになっていたが、斎宮《さいぐう》の女御《にょご》は母君から委託された方であるから、自分としてはぜひこの方を推薦しなければならないという源氏の態度であった。御母后も内親王でいられたあとへ、またも王氏の后《きさき》の立つことは一方に偏したことであると批難を加える者もあった。そうした人たちは弘徽殿《こきでん》の女御《にょご》がだれよりも早く後宮《こうきゅう》にはいった人であるから、その人の后に昇格されるのが当然であるとも言うのである。双方に味方が現われて、だれもどうなることかと不安がっていた。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮と申した方は今は式部卿《しきぶきょう》になっておいでになって、当代の御外戚として重んぜられておいでになる宮の姫君も、予定どおりに後宮へはいって、斎宮の女御と同じ王女御で侍しているのであるが、他人でない濃い御親戚関係もあることであって、母后の御代わりとして后に立てられるのが合理的な処置であろうと、そのほうを助ける人たちは言って、三女御の競争になったのであるが、結局|梅壺《うめつぼ》の前斎宮が后におなりになった。女王の幸運に世間は驚いた。源氏が太政大臣になって、右大将が内大臣になった。そして関白の仕事を源氏はこの人に譲ったのであった。この人は正義の観念の強いりっぱな政治家である。学問を深くした人であるから韻塞《いんふた》ぎの遊戯には負けたが公務を処理することに賢かった。幾人かの腹から生まれた子息は十人ほどあって、大人になって役人になっているのは次々に昇進するばかりであったが、女は女御のほかに一人よりない。それは親王家の姫君から生まれた人で、尊貴なことは嫡妻の子にも劣らないわけであるが、その母君が今は按察使大納言《あぜちだいなごん》の夫人になっていて、今の良人《おっと》との間に幾人かの子女が生まれている中において継父の世話を受けさせておくことはかわいそうであるといって、大臣は引き取ってわが母君の大宮に姫君をお託ししてあった。大臣は女御を愛するほどには決してこの娘を愛してはいないのであるが、性質も容貌《ようぼう》も美しい少女であった。そうしたわけで源氏の若君とこの人は同じ家で成長したのであるが、双方とも十歳を越えたころからは、別な場所に置かれて、どんなに親しい人でも男性には用心をしなければならぬと、大臣は娘を訓《おし》えて睦《むつ》ませないのを、若君の心に物足らぬ気持ちがあって、花や紅葉《もみじ》を贈ること、雛《ひな》遊びの材料を提供することなどに真心を見せて、なお遊び相手である地位だけは保留していたから、姫君もこの従弟《いとこ》を愛して、男に顔を見せぬというような、普通の慎みなどは無視されていた。乳母《めのと》などという後見役の者も、この少年少女には幼い日からついた習慣があるのであるから、にわかに厳格に二人の間を隔てることはできないと大目に見ていたが、姫君は無邪気一方であっても、少年のほうの感情は進んでいて、いつの間にか情人の関係にまで到《いた》ったらしい。東の院へ学問のために閉じこめ同様になったことは、このことがあるために若君を懊悩《おうのう》させた。まだ子供らしい、そして未来の上達の思われる字で、二人の恋人が書きかわしている手紙が、幼稚な人たちのすることであるから、抜け目があって、そこらに落ち散らされてもあるのを、姫君付きの女房が見て、二人の交情がどの程度にまでなっているかを合点する者もあったが、そんなことは人に訴えてよいことでもないから、だれも秘密はそっとそのまま秘密にしておいた。后《きさき》の宮、両大臣家の大|饗宴《きょうえん》なども済んで、ほかの催し事が続いて仕度《したく》されねばならぬということもなくて、世間の静かなころ、秋の通り雨が過ぎて、荻《おぎ》の上風も寂しい日の夕方に、大宮のお住居《すまい》へ内大臣が御訪問に来た。大臣は姫君を宮のお居間に呼んで琴などを弾《ひ》かせていた。宮はいろいろな芸のおできになる方で、姫君にもよく教えておありになった。
「琵琶《びわ》は女が弾《ひ》くとちょっと反感も起こりますが、しかし貴族的なよいものですね。今日はごまかしでなくほんとうに琵琶の弾けるという人はあまりなくなりました。何親王、何の源氏」
 などと大臣は数えたあとで、
「女では太政大臣が嵯峨《さが》の山荘に置いておく人というのが非常に巧《うま》いそうですね。さかのぼって申せば音楽の天才の出た家筋ですが、京官から落伍《らくご》して地方にまで行った男の娘に、どうしてそんな上手《じょうず》が出て来たのでしょう。源氏の大臣はよほど感心していられると見えて、何かのおりにはよくその人の話をせられます。ほかの芸と音楽は少し性質が変わっていて、多く聞き、多くの人と合わせてもらうことでずっと進歩するものですが、独習をしていて、その域に達したというのは珍しいことです」
 こんな話もしたが、大臣は宮にお弾きになることをお奨《すす》めした。
「もう絃《いと》を押すことなどが思うようにできなくなりましたよ」
 とお言いになりながらも、宮は上手に琴をお弾きになった。
「その山荘の人というのは、幸福な人であるばかりでなく、すぐれた聡明《そうめい》な人らしいですね。私に預けてくだすったのは男の子一人であの方の女の子もできていたらどんなによかったろうと思う女の子をその人は生んで、しかも自分がつれていては子供の不幸になることをよく理解して、りっぱな奥さんのほうへその子を渡したことなどを、感心なものだと私も話に聞きました」
 こんな話を大宮はあそばした。
「女は頭のよさでどんなにも出世ができるものですよ」
 などと内大臣は人の批評をしていたのであるが、それが自家の不幸な話に移っていった。
「私は女御を完全でなくても、どんなことも人より劣るような娘には育て上げなかったつもりなんですが、意外な人に負ける運命を持っていたのですね。人生はこんなに予期にはずれるものかと私は悲観的になりました。この子だけでも私は思うような幸運をになわせたい、東宮の御元服はもうそのうちのことであろうかと、心中ではその希望を持っていたのですが、今のお話の明石《あかし》の幸運女が生んだお后の候補者があとからずんずん生長してくるのですからね。その人が後宮へはいったら、ましてだれが競争できますか」
 大臣が歎息するのを宮は御覧になって、
「必ずしもそうとは言われませんよ。この家からお后の出ないようなことは絶対にないと私は思う。そのおつもりで亡《な》くなられた大臣も女御の世話を引き受けて皆なすったのだものね。大臣がおいでになったらこんな意外な結果は見なかったでしょう」
 この問題でだけ大宮は源氏を恨んでおいでになった。姫君がこぢんまりとした美しいふうで、十三|絃《げん》の琴を弾いている髪つき、顔と髪の接触点の美などの艶《えん》な上品さに大臣がじっと見入っているのを姫君が知って、恥ずかしそうにからだを少し小さくしている横顔がきれいで、絃《いと》を押す手つきなどの美しいのも絵に描いたように思われるのを、大宮も非常にかわいく思召《おぼしめ》されるふうであった。姫君はちょっと掻《か》き合わせをした程度で弾きやめて琴を前のほうへ押し出した。内大臣は大和琴《やまとごと》を引き寄せて、律の調子の曲のかえって若々しい気のするものを、名手であるこの人が、粗弾《あらび》きに弾き出したのが非常におもしろく聞こえた。外では木の葉がほろほろとこぼれている時、老いた女房などは涙を落としながらあちらこちらの几帳《きちょう》の蔭《かげ》などに幾人かずつ集まってこの音楽に聞き入っていた。「風《かぜ》の力|蓋《けだ》し少なし」(|落葉俟[#二]微※[#「風+(火/(火+火)」、第3水準1-94-8][#一]以隕《らくえふびふうをまつてもつておつ》、而風之力蓋寡《しかうしてかぜのちからけだしすくなし》、|孟嘗遭[#二]雍門[#一]而泣《まうしやうがようもんにあひてなく》、琴之感以末《きんのかんもつてすゑなり》。)と文選《もんぜん》の句を大臣は口ずさんで、
「琴の感じではないが身にしむ夕方ですね。もう少しお弾きになりませんか」
 と大臣は大宮にお勧めして、秋風楽を弾きながら歌う声もよかった。宮はこの座の人は御孫女《ごそんじょ》ばかりでなく、大きな大臣までもかわいく思召された。そこへいっそうの御満足を加えるように源氏の若君が来た。
「こちらへ」
 と宮はお言いになって、お居間の中の几帳を隔てた席へ若君は通された。
「あなたにはあまり逢いませんね。なぜそんなにむきになって学問ばかりをおさせになるのだろう。あまり学問のできすぎることは不幸を招くことだと大臣も御体験なすったことなのだけれど、あなたをまたそうおしつけになるのだね、わけのあることでしょうが、ただそんなふうに閉じ込められていてあなたがかわいそうでならない」
 と内大臣は言った。
「時々は違ったこともしてごらんなさい。笛だって古い歴史を持った音楽で、いいものなのですよ」
 内大臣はこう言いながら笛を若君へ渡した。若々しく朗らかな音《ね》を吹き立てる笛がおもしろいためにしばらく絃楽のほうはやめさせて、大臣はぎょうさんなふうでなく拍子を取りながら、「萩《はぎ》が花ずり」(衣がへせんや、わが衣は野原|篠原《しのはら》萩の花ずり)など歌っていた。
「太政大臣も音楽などという芸術がお好きで、政治のほうのことからお脱《ぬ》けになったのですよ。人生などというものは、せめて好きな楽しみでもして暮らしてしまいたい」
 と言いながら甥《おい》に杯を勧めなどしているうちに暗くなったので灯《ひ》が運ばれ、湯|漬《づ》け、菓子などが皆の前へ出て食事が始まった。姫君はもうあちらへ帰してしまったのである。しいて二人を隔てて、琴の音すらも若君に聞かせまいとする内大臣の態度を、大宮の古女房たちはささやき合って、
「こんなことで近いうちに悲劇の起こる気がします」
 とも言っていた。
 大臣は帰って行くふうだけを見せて、情人である女の部屋にはいっていたが、そっとからだを細くして廊下を出て行く間に、少年たちの恋を問題にして語る女房たちの部屋があった。不思議に思って立ち止まって聞くと、それは自身が批評されているのであった。
「賢がっていらっしゃっても甘いのが親ですね。とんだことが知らぬ間に起こっているのですがね。子を知るは親にしかずなどというのは嘘《うそ》ですよ」
 などこそこそと言っていた。情けない、自分の恐れていたことが事実になった。打っちゃって置いたのではないが、子供だから油断をしたのだ。人生は悲しいものであると大臣は思った。すべてを大臣は明らかに悟ったのであるが、そっとそのまま出てしまった。前駆がたてる人払いの声のぎょうさんなのに、はじめて女房たちはこの時間までも大臣がここに留まっていたことを知ったのである。
「殿様は今お帰りになるではありませんか。どこの隅《すみ》にはいっておいでになったのでしょう。あのお年になって浮気《うわき》はおやめにならない方ね」
 と女房らは言っていた。内証話をしていた人たちは困っていた。
「あの時非常にいいにおいが私らのそばを通ったと思いましたがね、若君がお通りになるのだとばかり思っていましたよ。まあこわい、悪口がお耳にはいらなかったでしょうか。意地悪をなさらないとも限りませんね」
 内大臣は車中で娘の恋愛のことばかりが考えられた。非常に悪いことではないが、従弟《いとこ》どうしの結婚などはあまりにありふれたことすぎるし、野合の初めを世間の噂《うわさ》に上されることもつらい。後宮の競争に女御をおさえた源氏が恨めしい上に、また自分はその失敗に代えてあの娘を東宮へと志していたのではないか、僥倖《ぎょうこう》があるいはそこにあるかもしれぬと、ただ一つの慰めだったこともこわされたと思うのであった。源氏と大臣との交情は睦《むつ》まじく行っているのであるが、昔もその傾向があったように、負けたくない心が断然強くて、大臣はそのことが不快であるために朝まで安眠もできなかった。大宮も様子を悟っておいでになるであろうが、非常におかわいくお思いになる孫であるから勝手なことをさせて、見ぬ顔をしておいでになるのであろうと女房たちの言っていた点で、大臣は大宮を恨めしがっていた。腹がたつとそれを内におさえることのできない性質で大臣はあった。
 二日ほどしてまた内大臣は大宮を御訪問した。こんなふうにしきりに出て来る時は宮の御|機嫌《きげん》がよくて、おうれしい御様子がうかがわれた。形式は尼になっておいでになる方であるが、髪で額を隠して、お化粧もきれいにあそばされ、はなやかな小袿《こうちぎ》などにもお召しかえになる。子ながらも晴れがましくお思われになる大臣で、ありのままのお姿ではお逢いにならないのである。内大臣は不機嫌な顔をしていた。
「こちらへ上がっておりましても私は恥ずかしい気がいたしまして、女房たちはどう批評をしていることだろうかと心が置かれます。つまらない私ですが、生きておりますうちは始終伺って、物足りない思いをおさせせず、私もその点で満足を得たいと思ったのですが、不良な娘のためにあなた様をお恨めしく思わずにいられませんようなことができてまいりました。そんなに真剣にお恨みすべきでないと、自分ながらも心をおさえようとするのでございますが、それができませんで」
 大臣が涙を押しぬぐうのを御覧になって、お化粧あそばした宮のお顔の色が変わった。涙のために白粉《おしろい》が落ちてお目も大きくなった。
「どんなことがあって、この年になってからあなたに恨まれたりするのだろう」
 と宮の仰せられるのを聞くと、さすがにお気の毒な気のする大臣であったが続いて言った。
「御信頼しているものですから、子供をお預けしまして、親である私はかえって何の世話もいたしませんで、手もとに置きました娘の後宮《こうきゅう》のはげしい競争に敗惨《はいざん》の姿になって、疲れてしまっております方のことばかりを心配して世話をやいておりまして、こちらに御|厄介《やっかい》になります以上は、私がそんなふうに捨てて置きましても、あなた様は彼を一人並みの女にしてくださいますことと期待していたのですが、意外なことになりましたから、私は残念なのです。源氏の大臣は天下の第一人者といわれるりっぱな方ではありますがほとんど家の中どうしのような者のいっしょになりますことは、人に聞こえましても軽率に思われることです。低い身分の人たちの中でも、そんなことは世間へはばかってさせないものです。それはあの人のためにもよいことでは決してありません。全然離れた家へはなやかに婿として迎えられることがどれだけ幸福だかしれません。従姉《いとこ》の縁で強《し》いた結婚だというように取られて、源氏の大臣も不快にお思いになるかもしれませんよ。それにしましてもそのことを私へお知らせくださいましたら、私はまた計らいようがあるというものです。ある形式を踏ませて、少しは人聞きをよくしてやることもできたでしょうが、あなた様が、ただ年若な者のする放縦な行動そのままにお捨て置きになりましたことを私は遺憾《いかん》に思うのです」
 くわしく大臣が言うことによって、はじめて真相をお悟りになった宮は、夢にもお思いにならないことであったから、あきれておしまいになった。
「あなたがそうお言いになるのはもっともだけれど、私はまったく二人の孫が何を思って、何をしているかを知りませんでした。私こそ残念でなりませんのに、同じように罪を私が負わせられるとは恨めしいことです。私は手もとへ来た時から、特別にかわいくて、あなたがそれほどにしようとお思いにならないほど大事にして、私はあの人に女の最高の幸福を受けうる価値もつけようとしてました。一方の孫を溺愛《できあい》して、ああしたまだ少年の者に結婚を許そうなどとは思いもよらぬことです。それにしても、だれがあなたにそんなことを言ったのでしょう。人の中傷かもしれぬことで、腹をお立てになったりなさることはよくないし、ないことで娘の名に傷をつけてしまうことにもなりますよ」
「何のないことだものですか。女房たちも批難して、蔭《かげ》では笑っていることでしょうから、私の心中は穏やかでありようがありません」
 と言って大臣は立って行った。幼い恋を知っている人たちは、この破局に立ち至った少年少女に同情していた。先夜の内証話をした人たちは逆上もしてしまいそうになって、どうしてあんな秘密を話題にしたのであろうと後悔に苦しんでいた。
 姫君は何も知らずにいた。のぞいた居間に可憐《かれん》な美しい顔をして姫君がすわっているのを見て、大臣の心に父の愛が深く湧《わ》いた。
「いくら年が行かないからといって、あまりに幼稚な心を持っているあなただとは知らないで、われわれの娘としての人並みの未来を私はいろいろに考えていたのだ。あなたよりも私のほうが廃《すた》り物になった気がする」
 と大臣は言って、それから乳母《めのと》を責めるのであった。乳母は大臣に対して何とも弁明ができない。ただ、
「こんなことでは大事な内親王様がたにもあやまちのあることを昔の小説などで読みましたが、それは御信頼を裏切るおそばの者があって、男の方のお手引きをするとか、また思いがけない隙《すき》ができたとかいうことで起きるのですよ。こちらのことは何年も始終ごいっしょに遊んでおいでになった間なんですもの。お小さくはいらっしゃるし宮様が寛大にお扱いになる以上にわれわれがお制しすることはできないとそのままに見ておりましたけれど、それも一昨年ごろからははっきりと日常のことが御区別できましたし、またあの方が同じ若い人といってもだらしのない不良なふうなどは少しもない方なのでしたから、まったく油断をいたしましたわね」
 などと自分たち仲間で歎《なげ》いているばかりであった。
「で、このことはしばらく秘密にしておこう。評判はどんなにしていても立つものだが、せめてあなたたちは、事実でないと否定をすることに骨を折るがいい。そのうち私の邸《やしき》へつれて行くことにする。宮様の御好意が足りないからなのだ。あなたがたはいくら何だっても、こうなれと望んだわけではないだろう」
 と大臣が言うと、乳母たちは、大宮のそう取られておいでになることをお気の毒に思いながらも、また自家のあかりが立ててもらえたようにうれしく思った。
「さようでございますとも、大納言家への聞こえということも私たちは思っているのでございますもの、どんなに人柄がごりっぱでも、ただの御縁におつきになることなどを私たちは希望申し上げるわけはございません」
 と言う。姫君はまったく無邪気で、どう戒めても、訓《おし》えてもわかりそうにないのを見て大臣は泣き出した。
「どういうふうに体裁を繕えばいいか、この人を廃《すた》り物にしないためには」
 大臣は二、三人と密議するのであった。この人たちは大宮の態度がよろしくなかったことばかりを言い合った。
 大宮はこの不祥事を二人の孫のために悲しんでおいでになったが、その中でも若君のほうをお愛しになる心が強かったのか、もうそんなに大人びた恋愛などのできるようになったかとかわいくお思われにならないでもなかった。もってのほかのように言った内大臣の言葉を肯定あそばすこともできない。必ずしもそうであるまい、たいした愛情のなかった子供を、自分がたいせつに育ててやるようになったため、東宮の後宮というような志望も父親が持つことになったのである。それが実現できなくて、普通の結婚をしなければならない運命になれば、源氏の長男以上のすぐれた婿があるものではない。容貌《ようぼう》をはじめとして何から言っても同等の公達《きんだち》のあるわけはない、もっと価値の低い婿を持たねばならない気がすると、やや公平でない御愛情から、大臣を恨んでおいでになるのであったが、宮のこのお心持ちを知ったならまして大臣はお恨みすることであろう。
 自身のことでこんな騒ぎのあることも知らずに源氏の若君が来た。一昨夜は人が多くいて、恋人を見ることのできなかったことから、恋しくなって夕方から出かけて来たものであるらしい。平生大宮はこの子をお迎えになると非常におうれしそうなお顔をあそばしておよろこびになるのであるが、今日はまじめなふうでお話をあそばしたあとで、
「あなたのことで内大臣が来て、私までも恨めしそうに言ってましたから気の毒でしたよ。よくないことをあなたは始めて、そのために人が不幸になるではありませんか。私はこんなふうに言いたくはないのだけれど、そういうことのあったのを、あなたが知らないでいてはと思ってね」
 とお言いになった。少年の良心にとがめられていることであったから、すぐに問題の真相がわかった。若君は顔を赤くして、
「なんでしょう。静かな所へ引きこもりましてからは、だれとも何の交渉もないのですから、伯父《おじ》様の感情を害するようなことはないはずだと私は思います」
 と言って羞恥《しゅうち》に堪えないように見えるのをかわいそうに宮は思召《おぼしめ》した。
「まあいいから、これから気をおつけなさいね」
 とだけお言いになって、あとはほかへ話を移しておしまいになった。これからは手紙の往復もいっそう困難になることであろうと思うと、若君の心は暗くなっていった。晩餐《ばんさん》が出てもあまり食べずに早く寝てしまったふうは見せながらも、どうかして恋人に逢おうと思うことで夢中になっていた若君は、皆が寝入ったころを見計らって姫君の居間との間の襖子《からかみ》をあけようとしたが、平生は別に錠などを掛けることもなかった仕切りが、今夜はしかと鎖《とざ》されてあって、向こう側に人の音も聞こえない。若君は心細くなって、襖子によりかかっていると、姫君も目をさましていて、風の音が庭先の竹にとまってそよそよと鳴ったり、空を雁《かり》の通って行く声のほのかに聞こえたりすると、無邪気な人も身にしむ思いが胸にあるのか、「雲井の雁もわがごとや」(霧深き雲井の雁もわがごとや晴れもせず物の悲しかるらん)と口ずさんでいた。その様子が少女らしくきわめて可憐《かれん》であった。若君の不安さはつのって、
「ここをあけてください、小侍従はいませんか」
 と言った。あちらには何とも答える者がない。小侍徒は姫君の乳母《めのと》の娘である。独言《ひとりごと》を聞かれたのも恥ずかしくて、姫君は夜着を顔に被《かぶ》ってしまったのであったが、心では恋人を憐《あわれ》んでいた、大人のように。乳母などが近い所に寝ていてみじろぎも容易にできないのである。それきり二人とも黙っていた。

[#ここから2字下げ]
さ夜中に友よびわたる雁がねにうたて吹きそふ荻《をぎ》のうは風
[#ここで字下げ終わり]

 身にしむものであると若君は思いながら宮のお居間のほうへ帰ったが、歎息《たんそく》してつく吐息《といき》を宮がお目ざめになってお聞きにならぬかと遠慮されて、みじろぎながら寝ていた。
 若君はわけもなく恥ずかしくて、早く起きて自身の居間のほうへ行き、手紙を書いたが、二人の味方である小侍従にも逢うことができず、姫君の座敷のほうへ行くこともようせずに煩悶《はんもん》をしていた。女のほうも父親にしかられたり、皆から問題にされたりしたことだけが恥ずかしくて、自分がどうなるとも、あの人がどうなっていくとも深くは考えていない。美しく二人が寄り添って、愛の話をすることが悪いこと、醜いこととは思えなかった。そうした場合がなつかしかった。こんなに皆に騒がれることが至当なこととは思われないのであるが、乳母などからひどい小言《こごと》を言われたあとでは、手紙を書いて送ることもできなかった。大人はそんな中でも隙《すき》をとらえることが不可能でなかろうが、相手の若君も少年であって、ただ残念に思っているだけであった。
 内大臣はそれきりお訪《たず》ねはしないのであるが宮を非常に恨めしく思っていた。夫人には雲井の雁の姫君の今度の事件についての話をしなかったが、ただ気むずかしく不機嫌《ふきげん》になっていた。
「中宮がはなやかな儀式で立后後の宮中入りをなすったこの際に、女御《にょご》が同じ御所でめいった気持ちで暮らしているかと思うと私はたまらないから、退出させて気楽に家《うち》で遊ばせてやりたい。さすがに陛下はおそばをお離しにならないようにお扱いになって、夜昼上の御局《みつぼね》へ上がっているのだから、女房たちなども緊張してばかりいなければならないのが苦しそうだから」
 こう夫人に語っている大臣はにわかに女御退出のお暇を帝《みかど》へ願い出た。御|寵愛《ちょうあい》の深い人であったから、お暇を許しがたく帝《みかど》は思召《おぼしめ》したのであるが、いろいろなことを言い出して大臣が意志を貫徹しようとするので、帝はしぶしぶ許しあそばされた。自邸に帰った女御に大臣は、
「退屈でしょうから、あちらの姫君を呼んでいっしょに遊ぶことなどなさい。宮にお預けしておくことは安心なようではあるが、年の寄った女房があちらには多すぎるから、同化されて若い人の慎み深さがなくなってはと、もうそんなことも考えなければならない年ごろになっていますから」
 こんなことを言って、にわかに雲井の雁を迎えることにした。大宮は力をお落としになって、
「たった一人あった女の子が亡《な》くなってから私は心細い気がして寂しがっていた所へ、あなたが姫君をつれて来てくれたので、私は一生ながめて楽しむことのできる宝のように思って世話をしていたのに、この年になってあなたに信用されなくなったかと思うと恨めしい気がします」
 とお言いになると、大臣はかしこまって言った。
「遺憾《いかん》な気のしましたことは、その場でありのままに申し上げただけのことでございます。あなた様を御信用申さないようなことが、どうしてあるものでございますか。御所におります娘が、いろいろと朗らかでないふうでこの節|邸《やしき》へ帰っておりますから、退屈そうなのが哀れでございまして、いっしょに遊んで暮らせばよいと思いまして、一時的につれてまいるのでございます」
 また、
「今日までの御養育の御恩は決して忘れさせません」
 とも言った。こう決めたことはとどめても思い返す性質でないことを御承知の宮はただ残念に思召すばかりであった。
「人というものは、どんなに愛するものでもこちらをそれほどには思ってはくれないものだね。若い二人がそうではないか、私に隠して大事件を起こしてしまったではないか。それはそれでも大臣はりっぱなでき上がった人でいながら私を恨んで、こんなふうにして姫君をつれて行ってしまう。あちらへ行ってここにいる以上の平和な日があるものとは思われないよ」
 お泣きになりながら、こう女房たちに宮は言っておいでになった。ちょうどそこへ若君が来た。少しの隙《すき》でもないかとこのごろはよく出て来るのである。内大臣の車が止まっているのを見て、心の鬼にきまり悪さを感じた若君は、そっとはいって来て自身の居間へ隠れた。内大臣の息子たちである左少将《さしょうしょう》、少納言《しょうなごん》、兵衛佐《ひょうえのすけ》、侍従《じじゅう》、大夫《だいふ》などという人らもこのお邸《やしき》へ来るが、御簾《みす》の中へはいることは許されていないのである。左衛門督《さえもんのかみ》、権中納言《ごんちゅうなごん》などという内大臣の兄弟はほかの母君から生まれた人であったが、故人の太政大臣が宮へ親子の礼を取らせていた関係から、今も敬意を表しに来て、その子供たちも出入りするのであるが、だれも源氏の若君ほど美しい顔をしたのはなかった。宮のお愛しになることも比類のない御孫であったが、そのほかには雲井の雁だけがお手もとで育てられてきて深い御愛情の注がれている御孫であったのに、突然こうして去ってしまうことになって、お寂しくなることを宮は歎《なげ》いておいでになった。大臣は、
「ちょっと御所へ参りまして、夕方に迎えに来ようと思います」
 と言って出て行った。事実に潤色を加えて結婚をさせてもよいとは大臣の心にも思われたのであるが、やはり残念な気持ちが勝って、ともかくも相当な官歴ができたころ、娘への愛の深さ浅さをも見て、許すにしても形式を整えた結婚をさせたい、厳重に監督しても、そこが男の家でもある所に置いては、若いどうしは放縦なことをするに違いない。宮もしいて制しようとはあそばさないであろうからとこう思って、女御《にょご》のつれづれに託して、自家のほうへも官邸へも軽いふうを装って伴い去ろうと大臣はするのである。宮は雲井の雁へ手紙をお書きになった。
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大臣は私を恨んでいるかしりませんが、あなたは、私がどんなにあなたを愛しているかを知っているでしょう。こちらへ逢いに来てください。
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 宮のお言葉に従って、きれいに着かざった姫君が出て来た。年は十四なのである。まだ大人にはなりきってはいないが、子供らしくおとなしい美しさのある人である。
「始終あなたをそばに置いて見ることが、私のなくてならぬ慰めだったのだけれど、行ってしまっては寂しくなることでしょう。私は年寄りだから、あなたの生《お》い先が見られないだろうと、命のなくなるのを心細がったものですがね。私と別れてあなたの行く所はどこかと思うとかわいそうでならない」
 と言って宮はお泣きになるのであった。雲井の雁は祖母の宮のお歎《なげ》きの原因に自分の恋愛問題がなっているのであると思うと、羞恥《しゅうち》の感に堪えられなくて、顔も上げることができずに泣いてばかりいた。
 若君の乳母の宰相の君が出て来て、
「若様とごいっしょの御主人様だとただ今まで思っておりましたのに行っておしまいになるなどとは残念なことでございます。殿様がほかの方と御結婚をおさせになろうとあそばしましても、お従いにならぬようにあそばせ」
 などと小声で言うと、いよいよ恥ずかしく思って、雲井《くもい》の雁《かり》はものも言えないのである。
「そんな面倒《めんどう》な話はしないほうがよい。縁だけはだれも前生から決められているのだからわからない」
 と宮がお言いになる。
「でも殿様は貧弱だと思召《おぼしめ》して若様を軽蔑《けいべつ》あそばすのでございましょうから。まあお姫様見ておいであそばせ、私のほうの若様が人におくれをおとりになる方かどうか」
 口惜《くちお》しがっている乳母はこんなことも言うのである。若君は几帳《きちょう》の後ろへはいって来て恋人をながめていたが、人目を恥じることなどはもう物の切迫しない場合のことで、今はそんなことも思われずに泣いているのを、乳母はかわいそうに思って、宮へは体裁よく申し上げ、夕方の暗《くら》まぎれに二人をほかの部屋で逢わせた。きまり悪さと恥ずかしさで二人はものも言わずに泣き入った。
「伯父《おじ》様の態度が恨めしいから、恋しくても私はあなたを忘れてしまおうと思うけれど、逢わないでいてはどんなに苦しいだろうと今から心配でならない。なぜ逢えば逢うことのできたころに私はたびたび来なかったろう」
 と言う男の様子には、若々しくてそして心を打つものがある。
「私も苦しいでしょう、きっと」
「恋しいだろうとお思いになる」
 と男が言うと、雲井の雁が幼いふうにうなずく。座敷には灯《ひ》がともされて、門前からは大臣の前駆の者が大仰《おおぎょう》に立てる人払いの声が聞こえてきた。女房たちが、
「さあ、さあ」
 と騒ぎ出すと、雲井の雁は恐ろしがってふるえ出す。男はもうどうでもよいという気になって、姫君を帰そうとしないのである。姫君の乳母《めのと》が捜しに来て、はじめて二人の会合を知った。何といういまわしいことであろう、やはり宮はお知りにならなかったのではなかったかと思うと、乳母は恨めしくてならなかった。
「ほんとうにまあ悲しい。殿様が腹をおたてになって、どんなことをお言い出しになるかしれないばかしか、大納言家でもこれをお聞きになったらどうお思いになることだろう。貴公子でおありになっても、最初の殿様が浅葱《あさぎ》の袍《ほう》の六位の方とは」
 こう言う声も聞こえるのであった。すぐ二人のいる屏風《びょうぶ》の後ろに来て乳母はこぼしているのである。若君は自分の位の低いことを言って侮辱しているのであると思うと、急に人生がいやなものに思われてきて、恋も少しさめる気がした。
「そらあんなことを言っている。

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くれなゐの涙に深き袖《そで》の色を浅緑とやいひしをるべき
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 恥ずかしくてならない」
 と言うと、

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いろいろに身のうきほどの知らるるはいかに染めける中の衣ぞ
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 と雲井の雁が言ったか言わぬに、もう大臣が家の中にはいって来たので、そのまま雲井の雁は立ち上がった。取り残された見苦しさも恥ずかしくて、悲しみに胸をふさがらせながら、若君は自身の居間へはいって、そこで寝つこうとしていた。三台ほどの車に分乗して姫君の一行は邸《やしき》をそっと出て行くらしい物音を聞くのも若君にはつらく悲しかったから、宮のお居間から、来るようにと、女房を迎えにおよこしになった時にも、眠ったふうをしてみじろぎもしなかった。涙だけがまだ止まらずに一睡もしないで暁になった。霜の白いころに若君は急いで出かけて行った。泣き腫《は》らした目を人に見られることが恥ずかしいのに、宮はきっとそばへ呼ぼうとされるのであろうから、気楽な場所へ行ってしまいたくなったのである。車の中でも若君はしみじみと破れた恋の悲しみを感じるのであったが、空模様もひどく曇って、まだ暗い寂しい夜明けであった。

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霜氷うたて結べる明けぐれの空かきくらし降る涙かな
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 こんな歌を思った。
 今年源氏は五節《ごせち》の舞い姫を一人出すのであった。たいした仕度《したく》というものではないが、付き添いの童女の衣裳《いしょう》などを日が近づくので用意させていた。東の院の花散里《はなちるさと》夫人は、舞い姫の宮中へはいる夜の、付き添いの女房たちの装束を引き受けて手もとで作らせていた。二条の院では全体にわたっての一通りの衣裳が作られているのである。中宮からも、童女、下仕えの女房幾人かの衣服を、華奢《かしゃ》に作って御寄贈になった。去年は諒闇《りょうあん》で五節のなかったせいもあって、だれも近づいて来る五節に心をおどらせている年であるから、五人の舞い姫を一人ずつ引き受けて出す所々では派手《はで》が競われているという評判であった。按察使《あぜち》大納言の娘、左衛門督《さえもんのかみ》の娘などが出ることになっていた。それから殿上役人の中から一人出す舞い姫には、今は近江守《おうみのかみ》で左中弁を兼ねている良清朝臣《よしきよあそん》の娘がなることになっていた。今年の舞い姫はそのまま続いて女官に採用されることになっていたから、愛嬢を惜しまずに出すのであると言われていた。源氏は自身から出す舞い姫に、摂津守兼左京大夫である惟光《これみつ》の娘で美人だと言われている子を選んだのである。惟光は迷惑がっていたが、
「大納言が妾腹の娘を舞い姫に出す時に、君の大事な娘を出したっても恥ではない」
 と責められて、困ってしまった惟光は、女官になる保証のある点がよいからとあきらめてしまって、主命に従うことにしたのである。舞の稽古《けいこ》などは自宅でよく習わせて、舞い姫を直接世話するいわゆるかしずきの幾人だけはその家で選んだのをつけて、初めの日の夕方ごろに二条の院へ送った。なお童女幾人、下《しも》仕え幾人が付き添いに必要なのであるから、二条の院、東の院を通じてすぐれた者を多数の中から選《よ》り出すことになった。皆それ相応に選定される名誉を思って集まって来た。陛下が五節《ごせち》の童女だけを御覧になる日の練習に、縁側を歩かせて見て決めようと源氏はした。落選させてよいような子供もない、それぞれに特色のある美しい顔と姿を持っているのに源氏はかえって困った。
「もう一人分の付き添いの童女を私のほうから出そうかね」
 などと笑っていた。結局身の取りなしのよさと、品のよい落ち着きのある者が採られることになった。
 大学生の若君は失恋の悲しみに胸が閉じられて、何にも興味が持てないほど心がめいって、書物も読む気のしないほどの気分がいくぶん慰められるかもしれぬと、五節の夜は二条の院に行っていた。風采《ふうさい》がよくて落ち着いた、艶《えん》な姿の少年であったから、若い女房などから憧憬《あこがれ》を持たれていた。夫人のいるほうでは御簾《みす》の前へもあまりすわらせぬように源氏は扱うのである。源氏は自身の経験によって危険がるのか、そういうふうであったから、女房たちすらも若君と親しくする者はいないのであるが、今日は混雑の紛れに室内へもはいって行ったものらしい。車で着いた舞い姫をおろして、妻戸の所の座敷に、屏風《びょうぶ》などで囲いをして、舞い姫の仮の休息所へ入れてあったのを、若君はそっと屏風の後ろからのぞいて見た。苦しそうにして舞い姫はからだを横向きに長くしていた。ちょうど雲井《くもい》の雁《かり》と同じほどの年ごろであった。それよりも少し背が高くて、全体の姿にあざやかな美しさのある点は、その人以上にさえも見えた。暗かったからよくは見えないのであるが、年ごろが同じくらいで恋人の思われる点がうれしくて、恋が移ったわけではないがこれにも関心は持たれた。若君は衣服の褄先《つまさき》を引いて音をさせてみた。思いがけぬことで怪しがる顔を見て、

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「天《あめ》にます豊岡《とよをか》姫の宮人もわが志すしめを忘るな
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『みづがきの』(久しき世より思ひ初《そ》めてき)」
 と言ったが、藪《やぶ》から棒ということのようである。若々しく美しい声をしているが、だれであるかを舞い姫は考え当てることもできない。気味悪く思っている時に、顔の化粧を直しに、騒がしく世話役の女が幾人も来たために、若君は残念に思いながらその部屋を立ち去った。浅葱《あさぎ》の袍《ほう》を着て行くことがいやで、若君は御所へ行くこともしなかったが、五節を機会に、好みの色の直衣《のうし》を着て宮中へ出入りすることを若君は許されたので、その夜から御所へも行った。まだ小柄な美少年は、若公達《わかきんだち》らしく御所の中を遊びまわっていた。帝をはじめとしてこの人をお愛しになる方が多く、ほかには類もないような御|恩寵《おんちょう》を若君は身に負っているのであった。
 五節の舞い姫がそろって御所へはいる儀式には、どの舞い姫も盛装を凝らしていたが、美しい点では源氏のと、大納言の舞い姫がすぐれていると若い役人たちはほめた。実際二人ともきれいであったが、ゆったりとした美しさはやはり源氏の舞い姫がすぐれていて、大納言のほうのは及ばなかったようである。きれいで、現代的で、五節の舞い姫などというもののようでないつくりにした感じよさがこうほめられるわけであった。例年の舞い姫よりも少し大きくて前から期待されていたのにそむかない五節の舞い姫たちであった。源氏も参内して陪観したが、五節の舞い姫の少女が目にとまった昔を思い出した。辰の日の夕方に大弐《だいに》の五節へ源氏は手紙を書いた。内容が想像されないでもない。

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少女子《をとめご》も神さびぬらし天つ袖《そで》ふるき世の友よはひ経ぬれば
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 五節は今日までの年月の長さを思って、物哀れになった心持ちを源氏が昔の自分に書いて告げただけのことである、これだけのことを喜びにしなければならない自分であるということをはかなんだ。

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かけて言はば今日のこととぞ思ほゆる日かげの霜の袖にとけしも
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 新嘗祭《にいなめまつり》の小忌《おみ》の青摺《あおず》りを模様にした、この場合にふさわしい紙に、濃淡の混ぜようをおもしろく見せた漢字がちの手紙も、その階級の女には適した感じのよい返事の手紙であった。
 若君も特に目だった美しい自家の五節を舞の庭に見て、逢ってものを言う機会を作りたく、楽屋のあたりへ行ってみるのであったが、近い所へ人も寄せないような警戒ぶりであったから、羞恥《しゅうち》心の多い年ごろのこの人は歎息《たんそく》するばかりで、それきりにしてしまった。美貌《びぼう》であったことが忘られなくて、恨めしい人に逢われない心の慰めにはあの人を恋人に得たいと思っていた。
 五節の舞い姫は皆とどまって宮中の奉仕をするようとの仰せであったが、いったんは皆退出させて、近江守《おうみのかみ》のは唐崎《からさき》、摂津守の子は浪速《なにわ》で祓《はら》いをさせたいと願って自宅へ帰った。大納言も別の形式で宮仕えに差し上げることを奏上した。左衛門督《さえもんのかみ》は娘でない者を娘として五節に出したということで問題になったが、それも女官に採用されることになった。惟光《これみつ》は典侍《ないしのすけ》の職が一つあいてある補充に娘を採用されたいと申し出た。源氏もその希望どおりに優遇をしてやってもよいという気になっていることを、若君は聞いて残念に思った。自分がこんな少年でなく、六位級に置かれているのでなければ、女官などにはさせないで、父の大臣に乞《こ》うて同棲《どうせい》を黙認してもらうのであるが、現在では不可能なことである。恋しく思う心だけも知らせずに終わるのかと、たいした思いではなかったが、雲井の雁を思って流す涙といっしょに、そのほうの涙のこぼれることもあった。五節の弟で若君にも丁寧に臣礼を取ってくる惟光の子に、ある日逢った若君は平生以上に親しく話してやったあとで言った。
「五節はいつ御所へはいるの」
「今年のうちだということです」
「顔がよかったから私はあの人が好きになった。君は姉さんだから毎日見られるだろうからうらやましいのだが、私にももう一度見せてくれないか」
「そんなこと、私だってよく顔なんか見ることはできませんよ。男の兄弟だからって、あまりそばへ寄せてくれませんのですもの、それだのにあなたなどにお見せすることなど、だめですね」
 と言う。
「じゃあ手紙でも持って行ってくれ」
 と言って、若君は惟光《これみつ》の子に手紙を渡した。これまでもこんな役をしてはいつも家庭でしかられるのであったがと迷惑に思うのであるが、ぜひ持ってやらせたそうである若君が気の毒で、その子は家へ持って帰った。五節は年よりもませていたのか、若君の手紙をうれしく思った。緑色の薄様《うすよう》の美しい重ね紙に、字はまだ子供らしいが、よい将来のこもった字で感じよく書かれてある。

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日かげにもしるかりけめや少女子《をとめご》が天の羽袖にかけし心は
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 姉と弟がこの手紙をいっしょに読んでいる所へ思いがけなく父の惟光大人が出て来た。隠してしまうこともまた恐ろしくてできぬ若い姉弟《きょうだい》であった。
「それは、だれの手紙」
 父が手に取るのを見て、姉も弟も赤くなってしまった。
「よくない使いをしたね」
 としかられて、逃げて行こうとする子を呼んで、
「だれから頼まれた」
 と惟光が言った。
「殿様の若君がぜひっておっしゃるものだから」
 と答えるのを聞くと、惟光は今まで怒っていた人のようでもなく、笑顔《えがお》になって、
「何というかわいいいたずらだろう。おまえなどは同い年でまだまったくの子供じゃないか」
 とほめた。妻にもその手紙を見せるのであった。
「こうした貴公子に愛してもらえば、ただの女官のお勤めをさせるより私はそのほうへ上げてしまいたいくらいだ。殿様の御性格を見ると恋愛関係をお作りになった以上、御自身のほうから相手をお捨てになることは絶対にないようだ。私も明石《あかし》の入道になるかな」
 などと惟光は言っていたが、子供たちは皆立って行ってしまった。
 若君は雲井の雁へ手紙を送ることもできなかった。二つの恋をしているが、一つの重いほうのことばかりが心にかかって、時間がたてばたつほど恋しくなって、目の前を去らない面影の主に、もう一度逢うということもできぬかとばかり歎《なげ》かれるのである。祖母の宮のお邸《やしき》へ行くこともわけなしに悲しくてあまり出かけない。その人の住んでいた座敷、幼い時からいっしょに遊んだ部屋などを見ては、胸苦しさのつのるばかりで、家そのものも恨めしくなって、また勉強所にばかり引きこもっていた。源氏は同じ東の院の花散里《はなちるさと》夫人に、母としての若君の世話を頼んだ。
「大宮はお年がお年だから、いつどうおなりになるかしれない。お薨《かく》れになったあとのことを思うと、こうして少年時代から馴《な》らしておいて、あなたの厄介《やっかい》になるのが最もよいと思う」
 と源氏は言うのであった。すなおな性質のこの人は、源氏の言葉に絶対の服従をする習慣から、若君を愛して優しく世話をした。若君は養母の夫人の顔をほのかに見ることもあった。よくないお顔である。こんな人を父は妻としていることができるのである、自分が恨めしい人の顔に執着を絶つことのできないのも、自分の心ができ上がっていないからであろう、こうした優しい性質の婦人と夫婦になりえたら幸福であろうと、こんなことを若君は思ったが、しかしあまりに美しくない顔の妻は向かい合った時に気の毒になってしまうであろう、こんなに長い関係になっていながら、容貌《ようぼう》の醜なる点、性質の美な点を認めた父君は、夫婦生活などは疎《おろそか》にして、妻としての待遇にできるかぎりの好意を尽くしていられるらしい。それが合理的なようであるとも若君は思った。そんなことまでもこの少年は観察しえたのである。大宮は尼姿になっておいでになるがまだお美しかったし、そのほかどこでこの人の見るのも相当な容貌が集められている女房たちであったから、女の顔は皆きれいなものであると思っていたのが、若い時から美しい人でなかった花散里が、女の盛りも過ぎて衰えた顔は、痩《や》せた貧弱なものになり、髪も少なくなっていたりするのを見て、こんなふうに思うのである。
 年末には正月の衣裳《いしょう》を大宮は若君のためにばかり仕度《したく》あそばされた。幾重ねも美しい春の衣服のでき上がっているのを、若君は見るのもいやな気がした。
「元旦だって、私は必ずしも参内するものでないのに、何のためにこんなに用意をなさるのですか」
「そんなことがあるものですか。廃人の年寄りのようなことを言う」
「年寄りではありませんが廃人の無力が自分に感じられる」
 若君は独言《ひとりごと》を言って涙ぐんでいた。失恋を悲しんでいるのであろうと、哀れに御覧になって宮も寂しいお顔をあそばされた。
「男性というものは、どんな低い身分の人だって、心持ちだけは高く持つものです。あまりめいったそうしたふうは見せないようになさいよ。あなたがそんなに思い込むほどの価値のあるものはないではないか」
「それは別にないのですが、六位だと人が軽蔑《けいべつ》をしますから、それはしばらくの間のことだとは知っていますが、御所へ行くのも気がそれで進まないのです。お祖父《じい》様がおいでになったら、戯談《じょうだん》にでも人は私を軽蔑なんかしないでしょう。ほんとうのお父様ですが、私をお扱いになるのは、形式的に重くしていらっしゃるとしか思われません。二条の院などで私は家族の一人として親しませてもらうようなことは絶対にできません。東の院でだけ私はあの方の子らしくしていただけます。西の対《たい》のお母様だけは優しくしてくださいます。もう一人私にほんとうのお母様があれば、私はそれだけでもう幸福なのでしょうがお祖母《ばあ》様」
 涙の流れるのを紛らしている様子のかわいそうなのを御覧になって、宮はほろほろと涙をこぼしてお泣きになった。
「母を亡《な》くした子というものは、各階級を通じて皆そうした心細い思いをしているのだけれど、だれにも自分の運命というものがあって、それぞれに出世してしまえば、軽蔑する人などはないのだから、そのことは思わないほうがいいよ。お祖父様がもうしばらくでも生きていてくだすったらよかったのだね、お父様がおいでなんだから、お祖父様くらいの愛はあなたに掛けていただけると信じてますけれど、思うようには行かないものなのだね。内大臣もりっぱな人格者のように世間で言われていても、私に昔のような平和も幸福もなくなっていくのはどういうわけだろう。私はただ長生きの罪にしてあきらめますが、若いあなたのような人を、こんなふうに少しでも厭世《えんせい》的にする世の中かと思うと恨めしくなります」
 と宮は泣いておいでになった。
 元日も源氏は外出の要がなかったから長閑《のどか》であった。良房《よしふさ》の大臣の賜わった古例で、七日の白馬《あおうま》が二条の院へ引かれて来た。宮中どおりに行なわれた荘重な式であった。
 二月二十幾日に朱雀《すざく》院へ行幸があった。桜の盛りにはまだなっていなかったが、三月は母后の御忌月《おんきづき》であったから、この月が選ばれたのである。早咲きの桜は咲いていて、春のながめはもう美しかった。お迎えになる院のほうでもいろいろの御準備があった。行幸の供奉《ぐぶ》をする顕官も親王方もその日の服装などに苦心を払っておいでになった。その人たちは皆青色の下に桜襲《さくらがさね》を用いた。帝は赤色の御服であった。お召しがあって源氏の大臣が参院した。同じ赤色を着ているのであったから、帝と同じものと見えて、源氏の美貌《びぼう》が輝いた。御宴席に出た人々の様子も態度も非常によく洗練されて見えた。院もますます清艶《せいえん》な姿におなりあそばされた。今日は専門の詩人はお招きにならないで、詩才の認められる大学生十人を召したのである。これを式部省《しきぶしょう》の試験に代えて作詞の題をその人たちはいただいた。これは源氏の長男のためにわざとお計らいになったことである。気の弱い学生などは頭もぼうとさせていて、お庭先の池に放たれた船に乗って出た水上で製作に苦しんでいた。夕方近くなって、音楽者を載せた船が池を往来して、楽音を山風に混ぜて吹き立てている時、若君はこんなに苦しい道を進まないでも自分の才分を発揮させる道はあるであろうがと恨めしく思った。「春鶯囀《しゅんおうてん》」が舞われている時、昔の桜花の宴の日のことを院の帝はお思い出しになって、
「もうあんなおもしろいことは見られないと思う」
 と源氏へ仰せられたが、源氏はそのお言葉から青春時代の恋愛|三昧《ざんまい》を忍んで物哀れな気分になった。源氏は院へ杯を参らせて歌った。

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鶯《うぐひす》のさへづる春は昔にてむつれし花のかげぞ変はれる
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 院は、

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九重を霞《かすみ》へだつる住処《すみか》にも春と告げくる鶯の声
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 とお答えになった。太宰帥《だざいのそつ》の宮といわれた方は兵部卿《ひょうぶきょう》になっておいでになるのであるが、陛下へ杯を献じた。

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いにしへを吹き伝へたる笛竹にさへづる鳥の音《ね》さへ変はらぬ
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 この歌を奏上した宮の御様子がことにりっぱであった。帝は杯をお取りになって、

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鶯の昔を恋ひて囀《さへづ》るは木《こ》づたふ花の色やあせたる
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 と仰せになるのが重々しく気高《けだか》かった。この行幸は御家庭的なお催しで、儀式ばったことでなかったせいなのか、官人一同が詞歌を詠進したのではなかったのかその日の歌はこれだけより書き置かれていない。
 奏楽所が遠くて、細かい楽音が聞き分けられないために、楽器が御前へ召された。兵部卿の宮が琵琶《びわ》、内大臣は和琴《わごん》、十三|絃《げん》が院の帝《みかど》の御前に差し上げられて、琴《きん》は例のように源氏の役になった。皆名手で、絶妙な合奏楽になった。歌う役を勤める殿上役人が選ばれてあって、「安名尊《あなとうと》」が最初に歌われ、次に桜人《さくらびと》が出た。月が朧《おぼ》ろに出て美しい夜の庭に、中島あたりではそこかしこに篝火《かがりび》が焚《た》かれてあった。そうしてもう合奏が済んだ。
 夜ふけになったのであるが、この機会に皇太后を御訪問あそばさないことも冷淡なことであると思召《おぼしめ》して、お帰りがけに帝はそのほうの御殿へおまわりになった。源氏もお供をして参ったのである。太后は非常に喜んでお迎えになった。もう非常に老いておいでになるのを、御覧になっても帝は御母宮をお思い出しになって、こんな長生きをされる方もあるのにと残念に思召された。
「もう老人になってしまいまして、私などはすべての過去を忘れてしまっておりますのに、もったいない御訪問をいただきましたことから、昔の御代《みよ》が忍ばれます」
 と太后は泣いておいでになった。
「御両親が早くお崩《かく》れになりまして以来、春を春でもないように寂しく見ておりましたが、今日はじめて春を十分に享楽いたしました。また伺いましょう」
 と陛下は仰せられ、源氏も御|挨拶《あいさつ》をした。
「また別の日に伺候いたしまして」
 還幸の鳳輦《ほうれん》をはなやかに百官の囲繞《いにょう》して行く光景が、物の響きに想像される時にも、太后は過去の御自身の態度の非を悔いておいでになった。源氏はどう自分の昔を思っているであろうと恥じておいでになった。一国を支配する人の持っている運は、どんな咀《のろ》いよりも強いものであるとお悟りにもなった。
 朧月夜《おぼろづきよ》の尚侍《ないしのかみ》も静かな院の中にいて、過去を思う時々に、源氏とした恋愛の昔が今も身にしむことに思われた。近ごろでも源氏は好便に託して文通をしているのであった。太后は政治に御|註文《ちゅうもん》をお持ちになる時とか、御自身の推薦権の与えられておいでになる限られた官爵の運用についてとかに思召しの通らない時は、長生きをして情けない末世に苦しむというようなことをお言い出しになり、御無理も仰せられた。年を取っておいでになるにしたがって、強い御気質がますます強くなって院もお困りになるふうであった。
 源氏の公子はその日の成績がよくて進士になることができた。碩学《せきがく》の人たちが選ばれて答案の審査にあたったのであるが、及第は三人しかなかったのである。そして若君は秋の除目《じもく》の時に侍従に任ぜられた。雲井《くもい》の雁《かり》を忘れる時がないのであるが、大臣が厳重に監視しているのも恨めしくて、無理をして逢ってみようともしなかった。手紙だけは便宜を作って送るというような苦しい恋を二人はしているのであった。
 源氏は静かな生活のできる家を、なるべく広くおもしろく作って、別れ別れにいる、たとえば嵯峨《さが》の山荘の人などもいっしょに住ませたいという希望を持って、六条の京極の辺に中宮《ちゅうぐう》の旧邸のあったあたり四町四面を地域にして新邸を造営させていた。式部卿の宮は来年が五十におなりになるのであったから、紫夫人はその賀宴をしたいと思って仕度《したく》をしているのを見て、源氏もそれはぜひともしなければならぬことであると思い、そうした式もなるべくは新邸でするほうがよいと、そのためにも建築を急がせていた。春になってからは専念に源氏は宮の五十の御賀の用意をしていた。落《おと》し忌《いみ》の饗宴《きょうえん》のこと、その際の音楽者、舞い人の選定などは源氏の引き受けていることで、付帯して行なわれる仏事の日の経巻や仏像の製作、法事の僧たちへ出す布施《ふせ》の衣服類、一般の人への纏頭《てんとう》の品々は夫人が力を傾けて用意していることであった。東の院でも仕事を分担して助けていた。花散里《はなちるさと》夫人と紫の女王《にょおう》とは同情を互いに持って美しい交際をしているのである。世間までがこのために騒ぐように見える大仕掛けな賀宴のことを式部卿の宮もお聞きになった。これまではだれのためにも慈父のような広い心を持つ源氏であるが御自身と御自身の周囲の者にだけは冷酷な態度を取り続けられておいでになるのを、源氏の立場になってみれば、恨めしいことが過去にあったのであろうと、その時代の源氏夫婦を今さら気の毒にもお思いになり、こうした現状を苦しがっておいでになったが、源氏の幾人もある妻妾《さいしょう》の中の最愛の夫人で女王があって、世間から敬意を寄せられていることも並み並みでない人が娘であることは、その幸福が自家へわけられぬものにもせよ、自家の名誉であることには違いないと思っておいでになった。それに今度の賀宴が、源氏の勢力のもとでかつてない善美を尽くした準備が調えられているということをお知りになったのであるから、思いがけぬ老後の光栄を受けると感激しておいでになるが、宮の夫人は不快に思っていた。女御《にょご》の後宮の競争にも源氏が同情的態度に出ないことで、いよいよ恨めしがっているのである。
 八月に六条院の造営が終わって、二条の院から源氏は移転することになった。南西は中宮の旧邸のあった所であるから、そこは宮のお住居《すまい》になるはずである。南の東は源氏の住む所である。北東の一帯は東の院の花散里、西北は明石《あかし》夫人と決めて作られてあった。もとからあった池や築山《つきやま》も都合の悪いのはこわして、水の姿、山の趣も改めて、さまざまに住み主の希望を入れた庭園が作られたのである。南の東は山が高くて、春の花の木が無数に植えられてあった。池がことに自然にできていて、近い植え込みの所には、五葉《ごよう》、紅梅、桜、藤《ふじ》、山吹《やまぶき》、岩躑躅《いわつつじ》などを主にして、その中に秋の草木がむらむらに混ぜてある。中宮のお住居《すまい》の町はもとの築山に、美しく染む紅葉《もみじ》を植え加えて、泉の音の澄んで遠く響くような工作がされ、流れがきれいな音を立てるような石が水中に添えられた。滝を落として、奥には秋の草野が続けられてある。ちょうどその季節であったから、嵯峨《さが》の大井の野の美観がこのために軽蔑《けいべつ》されてしまいそうである。北の東は涼しい泉があって、ここは夏の庭になっていた。座敷の前の庭には呉竹《くれたけ》がたくさん植えてある。下風の涼しさが思われる。大木の森のような木が深く奥にはあって、田舎《いなか》らしい卯《う》の花垣《はながき》などがわざと作られていた。昔の思われる花橘《はなたちばな》、撫子《なでしこ》、薔薇《そうび》、木丹《くたに》などの草木を植えた中に春秋のものも配してあった。東向いた所は特に馬場殿になっていた。庭には埒《らち》が結ばれて、五月の遊び場所ができているのである。菖蒲《しょうぶ》が茂らせてあって、向かいの厩《うまや》には名馬ばかりが飼われていた。北西の町は北側にずっと倉が並んでいるが、隔ての垣《かき》には唐竹《からたけ》が植えられて、松の木の多いのは雪を楽しむためである。冬の初めに初霜のとまる菊の垣根、朗らかな柞原《ははそはら》、そのほかにはあまり名の知れていないような山の木の枝のよく繁《しげ》ったものなどが移されて来てあった。
 秋の彼岸のころ源氏一家は六条院へ移って行った。皆一度にと最初源氏は思ったのであるが、仰山《ぎょうさん》らしくなることを思って、中宮のおはいりになることは少しお延ばしさせた。おとなしい、自我を出さない花散里を同じ日に東の院から移転させた。春の住居《すまい》は今の季節ではないようなもののやはり全体として最もすぐれて見えるのがここであった。車の数が十五で、前駆には四位五位が多くて、六位の者は特別な縁故によって加えられたにすぎない。たいそうらしくなることは源氏が避けてしなかった。もう一人の夫人の前駆その他もあまり落とさなかった。長男の侍従がその夫人の子になっているのであるからもっともなことであると見えた。女房たちの部屋の配置、こまごまと分けて部屋数の多くできていることなどが新邸の建築のすぐれた点である。五、六日して中宮が御所から退出しておいでになった。その儀式はさすがにまた派手《はで》なものであった。源氏を後援者にしておいでになる方という幸福のほかにも、御人格の優しさと高潔さが衆望を得ておいでになることがすばらしいお后《きさき》様であった。この四つに分かれた住居《すまい》は、塀《へい》を仕切りに用いた所、廊で続けられた所などもこもごもに混ぜて、一つの大きい美観が形成されてあるのである。九月にはもう紅葉《もみじ》がむらむらに色づいて、中宮の前のお庭が非常に美しくなった。夕方に風の吹き出した日、中宮はいろいろの秋の花紅葉を箱の蓋《ふた》に入れて紫夫人へお贈りになるのであった。やや大柄な童女が深紅《しんく》の袙《あこめ》を着、紫苑《しおん》色の厚織物の服を下に着て、赤|朽葉《くちば》色の汗袗《かざみ》を上にした姿で、廊の縁側を通り渡殿《わたどの》の反橋《そりはし》を越えて持って来た。お后が童女をお使いになることは正式な場合にあそばさないことなのであるが、彼らの可憐《かれん》な姿が他の使いにまさると宮は思召したのである。御所のお勤めに馴《な》れている子供は、外の童女と違った洗練された身のとりなしも見えた。お手紙は、

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心から春待つ園はわが宿の紅葉を風のつてにだに見よ
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 というのであった。若い女房たちはお使いをもてはやしていた。こちらからはその箱の蓋へ、下に苔《こけ》を敷いて、岩を据《す》えたのを返しにした。五葉の枝につけたのは、

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風に散る紅葉は軽し春の色を岩根の松にかけてこそ見め
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 という夫人の歌であった。よく見ればこの岩は作り物であった。すぐにこうした趣向のできる夫人の才に源氏は敬服していた。女房たちも皆おもしろがっているのである。
「紅葉の贈り物は秋の御自慢なのだから、春の花盛りにこれに対することは言っておあげなさい。このごろ紅葉を悪口することは立田《たつた》姫に遠慮すべきだ。別な時に桜の花を背景にしてものを言えば強いことも言われるでしょう」
 こんなふうにいつまでも若い心の衰えない源氏夫婦が同じ六条院の人として中宮と風流な戯れをし合っているのである。大井の夫人は他の夫人のわたましがすっかり済んだあとで、価値のない自分などはそっと引き移ってしまいたいと思っていて、十月に六条院へ来たのであった。住居《すまい》の中の設備も、移って来る日の儀装のことも源氏は他の夫人に劣らせなかった。それは姫君の将来のことを考えているからで迎えてからも重々しく取り扱った。

乙女 版本说明

底本:「全訳源氏物語 上巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年8月10日改版初版発行
   1994(平成6)年12月20日56版発行
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※校正には、2002(平成14)年4月15日71版を使用しました。
入力:上田英代
校正:kompass
2003年7月31日作成
2004年2月4日修正
青空文庫作成ファイル:
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22 玉鬘

[#地から3字上げ]火のくににおひいでたれば言ふことの
[#地から3字上げ]皆恥づかしく頬《ほ》の染まるかな(晶子)

 年月はどんなにたっても、源氏は死んだ夕顔のことを少しも忘れずにいた。個性の違った恋人を幾人も得た人生の行路に、その人がいたならばと遺憾に思われることが多かった。右近は何でもない平凡な女であるが、源氏は夕顔の形見と思って庇護するところがあったから、今日では古い女房の一人になって重んぜられもしていた。須磨《すま》へ源氏の行く時に夫人のほうへ女房を皆移してしまったから、今では紫夫人の侍女になっているのである。善良なおとなしい女房と夫人も認めて愛していたが、右近の心の中では、夕顔夫人が生きていたなら、明石《あかし》夫人が愛されているほどには源氏から思われておいでになるであろう、たいした恋でもなかった女性たちさえ、余さず将来の保証をつけておいでになるような情け深い源氏であるから、紫夫人などの列にははいらないでも、六条院へのわたましの夫人の中にはおいでになるはずであるといつも悲しんでいた。西の京へ別居させてあった姫君がどうなったかも右近は知らずにいた。夕顔の死が告げてやりにくい心弱さと、今になって相手の自分であったことは知らせないようにと源氏から言われたことでの遠慮とが、右近のほうから尋ね出すことをさせなかった。そのうちに、乳母《めのと》の良人《おっと》が九州の少弐《しょうに》に任ぜられたので、一家は九州へ下った。姫君の四つになる年のことである。乳母たちは母君の行くえを知ろうといろいろの神仏に願を立て、夜昼泣いて恋しがっていたが何のかいもなかった。しかたがない、姫君だけでも夫人の形見に育てていたい、卑しい自分らといっしょに遠国へおつれすることを悲しんでいると父君のほうへほのめかしたいとも思ったが、よいつてはなかった。その上母君の所在を自分らが知らずにいては、問われた場合に返辞《へんじ》のしようもない。よく馴染《なじ》んでおいでにならない姫君を、父君へ渡して立って行くのも、自分らの気がかり千万なことであろうし、話をお聞きになった以上は、いっしょにつれて行ってもよいと父君が許されるはずがないなどと言い出す者もあって、美しくて、すでにもう高貴な相の備わっている姫君を、普通の旅役人の船に乗せて立って行く時、その人々は非常に悲しがった。幼い姫君も母君を忘れずに、
「お母様の所へ行くの」
 と時々尋ねることが人々の心をより切なくした。涙の絶え間もないほど夕顔夫人を恋しがって娘たちの泣くのを、
「船の旅は縁起を祝って行かなければならないのだから」
 とも親たちは小言《こごと》を言った。美しい名所名所を見物する時、
「若々しいお気持ちの方で、お喜びになるでしょうから、こんな景色《けしき》をお目にかけたい。けれども奥様がおいでになったら私たちは旅に出てないわけですね」
 こんなことを言って、京ばかりの思われるこの人たちの目には帰って行く波もうらやましかった。心細くなっている時に、船夫《かこ》たちは荒々しい声で「悲しいものだ、遠くへ来てしまった」という意味の唄《うた》を唄う声が聞こえてきて、姉妹《きょうだい》は向かい合って泣いた。

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船人もたれを恋ふるや大島のうら悲しくも声の聞こゆる
来《こ》し方も行方《ゆくへ》も知らぬ沖に出《い》でてあはれ何処《いづこ》に君を恋ふらん
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 海の景色を見てはこんな歌も作っていた。金《かね》の岬《みさき》を過ぎても「千早《ちはや》振る金の御崎《みさき》を過ぐれどもわれは忘れずしがのすめ神」という歌のように夕顔夫人を忘れることができずに娘たちは恋しがった。少弐一家は姫君をかしずき立てることだけを幸福に思って任地で暮らしていた。夢などにたまさか夕顔の君を見ることもあった。同じような女が横に立っているような夢で、その夢を見たあとではいつもその人が病気のようになることから、もう死んでおしまいになったのであろうと、悲しいが思うようになった。
 少弐は任期が満ちた時に出京しようと思ったが、出京して失職しているより、地方にこのままいるほうが生活の楽な点があって、思いきって上京することもようしなかった。その間に当人は重い病気になった。少弐は死ぬまぎわにも、もう十歳《とお》ぐらいになっていて、非常に美しい姫君を見て、
「私までもお見捨てすることになれば、どんなに御苦労をなされることだろう、卑しい田舎《いなか》でお育ちになっていることももったいないことと思っておりましたが、そのうち京へお供して参って、御肉身のかたがたへお知らせ申し、その先はあなた様の運命に任せるといたしましても、京は広い所ですから、よいこともきっとあって、安心がさせていただけると思いまして、その実行を早く早くとあせるように思っておりましたが、希望の実現どころか、私はもうここで死ぬことになりました」
 と悲痛なことを言っていた。三人の男の子に、
「おまえたちは何よりせねばならぬことを、姫君を京へお供することと思え。私のための仏事などはするに及ばん」
 と遺言をした。父君のだれであるかは自身の家の者にも言わずに、ただ大切にする訳のある孫であると言ってあって、大事にかしずいているうちに、こんなふうでにわかに死んだのであったから、家族は心細がって京への出立を急ぐのであるが、この国には故人の少弐に反感を持っていた人が多かったから、そんな際に報復を受けることが恐ろしくて、今しばらく今しばらくとはばかって暮らしている間にも、年月がどんどんたってしまった。妙齢になった姫君の容貌《ようぼう》は母の夕顔よりも美しかった。父親のほうの筋によるのか、気高《けだか》い美がこの人には備わっていた、性質も貴女《きじょ》らしくおおようであった。故人の少弐の家に美しい娘のいる噂《うわさ》を聞いて、好色な地方人などが幾人《いくたり》も結婚を申し込んだり、手紙を送って来たりする。失敬なことであるとも、とんでもないことであるとも思って、だれ一人これに好意を持ってやる者はなかった。
「容貌はまず無難でも、不具なところが身体《からだ》にある孫ですから、結婚はさせずに尼にして自分の生きている間は手もとへ置く」
 乳母《めのと》はこんなことを宣伝的に言っているのである。
「少弐の孫は片輪《かたわ》だそうだ、惜しいものだ、かわいそうに」
 と人が言うのを聞くと、乳母はまた済まない気がして、
「どんなにしても京へおつれしてお父様の殿様にお知らせしよう、まだごくお小さい時にも非常におかわいがりになっていたのだから、今になっても決してそまつにはあそばすまい」
 と乳母は興奮する。それの実現されるように神や仏に願を立てていた。娘たちも息子《むすこ》たちも土地の者と縁組みをして土着せねばならぬように傾いていく。心の中では忘れないが京はいよいよ遠い所になっていった。大人《おとな》になった姫君は、自身の運命を悲しんで一年の三度の長精進などもしていた。二十《はたち》ぐらいになるとすべての美が完成されて、まばゆいほどの人になった。この少弐《しょうに》一家のいる所は肥前の国なのである。その辺での豪族などは、少弐の孫の噂《うわさ》を聞いて、今でも絶えず結婚を申し込んでくる、うるさいほどに。
 大夫《たゆう》の監《げん》と言って肥後に聞こえた豪族があった。その国ではずいぶん勢いのある男で、強大な武力を持っているのである。そんな田舎武士《いなかざむらい》の心にも、好色的な風流気があって、美人を多く妻妾《さいしょう》として集めたい望みを持っているのである。少弐家の姫君のことを大夫の監は聞きつけて、
「どんな不具なところがあっても、自分はその点を我慢することにして妻にしたい」
 と懇切に求婚をしてきた。少弐の人たちは恐ろしく思った。
「どんないい縁談にも彼女は耳をかさないで尼になろうとしています」
 と中に立った人から断わらせた。それを聞くと監は不安がって、自身で肥前へ出て来た。少弐家の息子たちを監は旅宿へ呼んで姫君との縁組みに助力を求めるのであった。
「成功すれば、両家は力になり合って、あなたがたに武力の後援を惜しむものですか」
 などと言ってくれる監《げん》に二人の息子だけは好意を持ちだした。
「私たちも初めは不似合いな求婚者だ、お気の毒だと姫君のことを思ってましたが、考えてみると、自分たちの後ろ立てにするのには最も都合のいい有力な男ですから、この人に敵対をされては肥前あたりで何をすることも不可能だということがわかってきました。貴族の姫君だと言っても、父君が打っちゃってお置きになるし、世間からも認められていないではしかたがありません。こんなに熱心になっている監と結婚のできるのはかえって幸福だと思いますよ。この宿命のあるために九州などへ姫君がおいでになることにもなったのでしょう。逃げ隠れをなすっても何になるものですか。負けてなんかいませんからね、監は。常識で考えられる以上の無茶なことでも監はしますよ」
 と兄弟は家族をおどすのである。長兄の豊後介《ぶんごのすけ》だけは監の味方でなかった。
「もったいないことだ。少弐の御遺言があるのだから、自分はどうしてもこの際姫君を京へお供しましょう」
 と母や妹に言う。女たちも皆泣いて心配していた。母君がどうおなりになったか知れないようなことになって、せめて姫君を人並みな幸福な方にしないではと、自分らは念じているのに、田舎武士《いなかざむらい》などに嫁《とつ》がせておしまいすることなどは堪えうることでないと思っていることも知らずに、自身の力を過信している監は、手紙を書いて送ってきたりするのである。字などもちょっときれいで、唐紙《とうし》に香の薫《かお》りの染《し》ませたのに書いて来る手紙も、文章も物になってはいなかった。また自身も親しくなった少弐家の次男とつれ立って訪《たず》ねて来た。年は三十くらいの男で、背が高くて、ものものしく肥っている。きたなくは思われないが、いろいろ先入主になっていることがあって、見た感じがうとましい。荒々しい様子は見ただけでも恐ろしい気がした。血色がよくて快活ではあるが、涸《か》れ声で語り散らす。求婚者は夜に訪問するものになっているが、これは風変わりな春の夕方のことであった。秋ではないが怪しい気持ち(何時《いつ》とても恋しからずはあらねども秋の夕べは怪しかりけり)になったのかもしれない。機嫌《きげん》をそこねまいとして未亡人のおとど[#「おとど」に傍点]が出て応接した。
「お亡《かく》れになった少弐は人情味のたっぷりとあるりっぱなお役人でしたからぜひ御懇親を願いたいと思いながら、こちらの尊敬心をお見せできなかったうちにお気の毒に死んでおしまいになったから、そのかわりに御遺族へ敬意を表しようと思って、奮発して、一所懸命になって、しいて参りました。こちらにおいでになる姫君が御身分のいいことを私は聞いていて、尊敬申してますが、妻になっていただきたいのだ。我輩《わがはい》は一家の御主人と思って頭の上へ載せんばかりにしてですね、大事にいたしますよ。あなたがこの縁組みにあまり御賛成にならないというのは、私がこれまで幾人《いくたり》ものつまらない女と関係してきたことで、いやがられているのではありませんか。たとえそんな女どもが私についているとしても、そいつらに姫君といっしょの扱いなどをするものですかい。我輩は姫君を后《きさき》の位から落とすつもりはない」
 などと勝手なことを監《げん》は言い続けた。
「いえ、不賛成などと、そんなことはありません。非常に結構なお話だと私は思っているのですがね。何という不運なのでしょう、あの人は並み並みに一人前の女に成り切っていないところがありましてね、自分は結婚のできない身体《からだ》だとあきらめていますが、かわいそうでも、私どもの力ではどうにもならないのでございます」
 と、おとど[#「おとど」に傍点]は言った。
「決して遠慮をなさるには及びませんよ。どんな盲目《めくら》でも、いざりでも私は護《まも》っていってあげます。我輩《わがはい》が人並みの身体に直してあげますよ。肥後一国の神仏は我輩の意志どおりに何事も加勢してくれますからね」
 などと監《げん》は誇っていた。結婚の日どりも何日《いつ》ごろというようなことを監が言うと、おとど[#「おとど」に傍点]のほうでは、今月は春の季の終わりで結婚によろしくないというような田舎めいた口実で断わる。縁側から下《お》りて行く時になって、監は歌を作って見せたくなった。やや長く考えてから言い出す。

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「君にもし心たがはば松浦《まつら》なるかがみの神をかけて誓はん
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 この和歌は我輩の偽らない感情がうまく表現できたと思います」
 と監は笑顔《えがお》を見せた。おとど[#「おとど」に傍点]はすべてのことが調子はずれな田舎武士に、返歌などをする気にはなれないのであったが、娘たちに歌を詠《よ》めと言うと、
「私など、お母さんだってそうでしょう。自失している体《てい》よ」
 こう言って聞かない。おとど[#「おとど」に傍点]は興味のない返歌をやっと出まかせふうに言った。

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年を経て祈る心のたがひなばかがみの神をつらしとや見ん
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 先刻からの気味悪さにおとど[#「おとど」に傍点]は慄《ふる》え声になっていた。
「お待ちなさい。そのお返事の内容だが」
 監《げん》がのっそりと寄って来て、腑《ふ》に落ちぬという顔をするのを見て、おとど[#「おとど」に傍点]は真青《まっさお》になってしまった。娘たちはあんなに言っていたものの、こうなっては気強く笑って出て行った。
「それはね、お嬢様が世間並みの方でないことから、母がこの御縁の成立した時に、恨めしくお思いにならないかということを、もうぼけております母が神様のお名などを入れて、変に詠《よ》んだだけの歌ですよ」
 とこじつけて聞かせた。正解したところで求婚者へのお愛想《あいそ》歌なのであるが、
「ああもっとも、もっとも」
 とうなずいて、監は、
「技巧が達者なものですね。我輩は田舎者ではあるが賤民じゃないのです。京の人でもたいしたものでないことを我輩は知っている。軽蔑《けいべつ》してはいけませんよ」
 と言ったが、もう一首歌を作ろうとして、できなかったのかそのまま帰って行った。次郎がすっかりあちらがたになっているのを家族は憎みながらも、豊後介の助けを求めることが急であった。どうして姫君にお尽くしすればよいか、相談相手はなし、親身の兄弟までが監に反対すると言って、異端者扱いにして自分と絶交する始末である。監の敵になってはこの地方で何一つ仕事はできないだろう、手出しをしてかえって自分から不幸を招きはしまいかと豊後介は煩悶《はんもん》をしたのであるが、姫君が口では何事も言わずにこのことで悲しんでいる様子を見ると、気の毒で、そうなれば死のうと決心している様子が道理に思われ、豊後介は苦しい策をして姫君の上京を助けることにした。妹たちも馴染《なじ》んだ良人《おっと》を捨てて姫君について行くことになった。あてき[#「あてき」に傍点]と言って、夕顔夫人の使っていた童女は兵部《ひょうぶ》の君という女房になっていて、この女たちが付き添って、夜に家を出て船に乗った。大夫《たゆう》の監《げん》はいったん肥後へ帰って四月二十日ごろに吉日を選んで新婦を迎えに来ようとしているうちに、こうして肥前を脱出するのである。姉は子供もおおぜいになっていて同行ができないのである。行く人、残る人が名残《なごり》を惜しんで、また見る機会《おり》のないことを悲しむのであったが、行く人にとっては長い年月をここで送ったのではあっても、見捨てがたいほど心の残るものは何もこの土地になかった。ただ松浦の宮の前の海岸の風光と姉娘と別れることだけがだれにもつらかった。顧みもされた。

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浮島《うきしま》を漕《こ》ぎ離れても行く方やいづくとまりと知らずもあるかな
行くさきも見えぬ波路に船出して風に任する身こそ浮きたれ
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 初めのは兵部の作で、あとのは姫君の歌である。心細くて姫君は船でうつ伏しになっていた。こうして逃げ出したことが肥後に知れたなら、負けぎらいな監は追って来るであろうと思われるのが恐ろしくて、この船は早船といって、普通以上の速力が出るように仕かけてある船であったから、ちょうど追い風も得て危ういほどにも早く京をさして走った。響《ひびき》の灘《なだ》も無事に過ぎた。海上生活二、三日ののちである。
「海賊の船なんだろうか、小さい船が飛ぶように走って来る」
 などと言う者がある。惨酷《ざんこく》な海賊よりも少弐《しょうに》の遺族は大夫《たゆう》の監《げん》をもっと恐れていて、その追っ手ではないかと胸を冷やした。

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憂《う》きことに胸のみ騒ぐひびきには響の灘も名のみなりけり
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 と姫君は口ずさんでいた。川尻《かわじり》が近づいたと聞いた時に船中の人ははじめてほっとした。例の船子《かこ》は「唐泊《からどまり》より川尻押すほどは」と唄《うた》っていた。荒々しい彼らの声も身に沁《し》んだ。豊後介《ぶんごのすけ》はしみじみする声で、愛する妻子も忘れて来たと歌われているとき、その歌のとおりに自分も皆捨てて来た、どうなるであろう、力になるような郎党は皆自分がつれて来てしまった。自分に対する憎悪《ぞうお》の念から大夫の監は彼らに復讐をしないであろうか、その点を考えないで幼稚な考えで、脱出して来たと、こんなことが思われて、気の弱くなった豊後介は泣いた。「胡地妻子虚棄損《こちのさいしをむなしくすつ》」とこう兄の歌っている声を聞いて兵部も悲しんだ。自分のしていることは何事であろう、愛してくれる男ににわかにそむいて出て来たことをどう思っているであろうと、こんなことが思われたのである。京へはいっても自分らは帰って行く邸《やしき》などはない、知人の所といっても、たよって行ってよいほど頼もしい家もない、ただ一人の姫君のために生活の根拠のできていた土地を離れて、空想の世界へ踏み入ろうとする者であると豊後介は考えさせられた。姫君をもどうするつもりでいるのであろうと自身であきれながらも今さらしかたがなくてそのまま一行は京へはいった。九条に昔知っていた人の残っていたのを捜し出して、九州の人たちは足どまりにした。ここは京の中ではあるがはかばかしい人の住んでいる所でもない町である。外で働く女や商人の多い町の中で、悲しい心を抱いて暮らしていたが、秋になるといっそう物事が身に沁《し》んで思われて過去からも、未来からも暗い影ばかりが投げられる気がした。信頼されている豊後介も、京では水鳥が陸へ上がったようなもので、職を求める手蔓《てづる》も知らないのであった。今さら肥前へ帰るのも恥ずかしくてできないことであった。思慮の足りなかったことを豊後介は後悔するばかりであるが、つれて来た郎党も何かの口実を作って一人去り二人去り、九州へ逃げて帰る者ばかりであった。無力な失職者になっている長男に同情したようなことを母のおとど[#「おとど」に傍点]が言うと、
「私などのことは何でもありません。姫君を護《まも》っていることができれば、自分の郎党などは一人もなくなってもいいのですよ。どんなに自分らが強力な豪族になったっても、姫君をああした野蛮な連中に取られてしまえば、精神的に死んでしまったのも同然ですよ」
 と豊後介は慰めるのであった。
「神仏のお力にすがればきっと望みの所へ導いてくださるでしょうから、お詣《まい》りをなさるがいいと思います。ここから近い八幡《やわた》の宮は九州の松浦、箱崎《はこざき》と同じ神様なのですから、あちらをお立ちになる時、お立てになった願もありますから、神の庇護で無事に帰京しましたというお礼参りをなさいませ」
 と豊後介は言って、姫君に八幡詣《やわたまい》りをさせた。八幡のことにくわしい人に聞いておいて、御師《おし》という者の中に、昔親の少弐が知っていた僧の残っているのを呼び寄せて、案内をさせたのである。
「このつぎには、仏様の中で長谷《はせ》の観音様は霊験のいちじるしいものがあると支那《しな》にまで聞こえているそうですから、お参りになれば、遠国にいて長く苦労をなすった姫君をきっとお憐《あわれ》みになってよいことがあるでしょう」
 また豊後介は姫君に長谷詣《はせもう》でを勧めて実行させた。船や車を用いずに徒歩で行くことにさせたのである。かつて経験しない長い路《みち》を歩くことは姫君に苦しかったが、人が勧めるとおりにして、つらさを忍んで夢中で歩いて行った。自分は前生にどんな重い罪障があってこの苦しみに堪えねばならないのであろう、母君はもう死んでおいでになるにしても、自分を愛してくださるならその国へ自分をつれて行ってほしい。しかしまだ生きておいでになるのならお顔の見られるようにしていただきたいと姫君は観音を念じていた。姫君は母の顔を覚えていなかった。ただ漠然《ばくぜん》と親というものの面影を今日《きょう》まで心に作って来ているだけであったが、こうした苦難に身を置いては、いっそう親というものの恋しさが切実に感ぜられるのであった。ようやく椿市《つばいち》という所へ、京を出て四日めの昼前に、生きている気もしないで着いた。姫君は歩行らしい歩行もできずに、しかもいろいろな方法で足を運ばせて来たが、もう足の裏が腫《は》れて動かせない状態になって椿市で休息をしたのである。頼みにされている豊後介と、弓矢を持った郎党が二人、そのほかは僕《しもべ》と子供侍が三、四人、姫君の付き添いの女房は全部で三人、これは髪の上から上着を着た壺装束《つぼしょうぞく》をしていた。それから下女が二人、これが一行で、派手《はで》な長谷詣りの一行ではなかった。寺へ燈明料を納めたりすることをここで頼んだりしているうちに日暮れ時になった。この家の主人《あるじ》である僧が向こうで言っている。
「私には今夜泊めようと思っているお客があったのだのに、だれを勝手に泊めてしまったのだ、物知らずの女どもめ、相談なしに何をしたのだ」
 怒《おこ》っているのである。九州の一行は残念な気持ちでこれを聞いていたが、僧の言ったとおりに参詣者の一団が町へはいって来た。これも徒歩で来たものらしい。主人らしいのは二人の女で召使の男女の数は多かった。馬も四、五匹引かせている。目だたぬようにしているが、きれいな顔をした侍などもついていた。主人の僧は先客があってもその上にどうかしてこの連中を泊めようとして、道に出て頭を掻《か》きながら、ひょこひょこと追従《ついしょう》をしていた。かわいそうな気はしたが、また宿を変えるのも見苦しいことであるし、面倒《めんどう》でもあったから、ある人々は奥のほうへはいり、残りの人々はまた見えない部屋《へや》のほうへやったりなどして、姫君と女房たちとだけはもとの部屋の片すみのほうへ寄って、幕のようなもので座敷の仕切りをして済ませていた。あとの客も無作法な人たちではなかった。遠慮深く静かで、双方ともつつましい相い客になっていた。このあとから来た女というのは、姫君を片時も忘れずに恋しがっている右近であった。年月がたつにしたがって、いつまでも続けている女房勤めも気がさすように思われて、煩悶《はんもん》のある心の慰めに、この寺へたびたび詣《まい》っているのである。長い間の経験で徒歩の旅を大儀とも何とも思っているのではなかったが、さすがに足はくたびれて横になっていた。こちらの豊後介は幕の所へ来て、食事なのであろう、自身で折敷《おしき》を持って言っていた。
「これを姫君に差し上げてください。膳《ぜん》や食器なども寄せ集めのもので、まったく失礼なのです」
 右近はこれを聞いていて、隣にいる人は自分らの階級の人ではないらしいと思った。幕の所へ寄ってのぞいて見たが、その男の顔に見覚えのある気がした。だれであるかはまだわからない。豊後介のごく若い時を知っている右近は、肥えて、そうして色も黒くなっている人を今見て、直ぐには思い出せないのである。
「三条、お召しですよ」
 と呼ばれて出て来る女を見ると、それも昔見た人であった。昔の夕顔夫人に、下の女房ではあったが、長く使われていて、あの五条の隠れ家にまでも来ていた女であることがわかった右近は、夢のような気がした。主人である人の顔を見たく思っても、それはのぞいて見られるようなふうにはしていなかった。思案の末に右近は三条に聞いてみよう、兵藤太《ひょうとうだ》と昔言われた人もこの男であろう、姫君がここにおいでになるのであろうかと思うと、気が急いで、そしてまた不安でならないのであった。幕の所から三条を呼ばせたが、熱心に食事をしている女はすぐに出て来ないのを右近は憎くさえ思ったが、それは勝手すぎた話である。やっと出て来た。
「どうもわかりません。九州に二十年も行っておりました卑しい私どもを知っておいでになるとおっしゃる京のお方様、お人違いではありませんか」
 と言う。田舎《いなか》風に真赤《まっか》な掻練《かいねり》を下に着て、これも身体《からだ》は太くなっていた。それを見ても自身の年が思われて、右近は恥ずかしかった。
「もっと近くへ寄って私を見てごらん。私の顔に見覚えがありますか」
 と言って、右近は顔をそのほうへ向けた。三条は手を打って言った。
「まああなたでいらっしゃいましたね。うれしいって、うれしいって、こんなこと。まああなたはどちらからお参りになりました。奥様はいらっしゃいますか」
 三条は大声をあげて泣き出した。昔は若い三条であったことを思い出すと、このなりふりにかまわぬ女になっていることが右近の心を物哀れにした。
「おとど[#「おとど」に傍点]さんはいらっしゃいますか。姫君はどうおなりになりました。あてき[#「あてき」に傍点]と言った人は」
 と、右近はたたみかけて聞いた。夫人のことは失望をさせるのがつらくてまだ口に出せないのである。
「皆、いらっしゃいます。姫君も大人《おとな》になっておいでになります。何よりおとど[#「おとど」に傍点]さんにこの話を」
 と、言って三条は向こうへ行った。九州から来た人たちの驚いたことは言うまでもない。
「夢のような気がします。どれほど恨んだかしれない方にお目にかかることになりました」
 おとど[#「おとど」に傍点]はこう言って幕の所へ来た。もうあちらからも、こちらからも隔てにしてあった屏風《びょうぶ》などは取り払ってしまった。右近もおとど[#「おとど」に傍点]も最初はものが言えずに泣き合った。やっとおとど[#「おとど」に傍点]が口を開いて、
「奥様はどうおなりになりました。長い年月の間夢にでもいらっしゃる所を見たいと大願を立てましたがね、私たちは遠い田舎の人になっていたのですからね、何の御様子も知ることができません。悲しんで、悲しんで、長生きすることが恨めしくてならなかったのですが、奥様が捨ててお行きになった姫君のおかわいいお顔を拝見しては、このまま死んでは後世《ごせ》の障《さわ》りになると思いましてね、今でもお護《も》りしています」
 おとど[#「おとど」に傍点]の話し続ける心持ちを思っては、昔あの時に気おくれがして知らせられなかったよりも、幾倍かのつらさを味わいながらも、絶体絶命のようになって、右近は、
「お話ししてもかいのないことでございますよ。奥様はもう早くお亡《かく》れになったのですよ」
 と言った。三条も混ぜて三人はそれから咽《む》せ返って泣いていた。
 日が暮れたと騒ぎ出し、お籠《こも》りをする人々の燈明が上げられたと宿の者が言って、寺へ出かけることを早くと急がせに来た。そのために双方ともまだ飽き足らぬ気持ちで別れねばならなかった。
「ごいっしょにお詣《まい》りをしましょうか」
 とも言ったが、双方とも供の者の不思議に思うことを避けて、おとど[#「おとど」に傍点]のほうではまだ豊後介にも事実を話す間がないままで同時に宿坊を出た。右近は人知れず九州の一行の中の姫君の姿を目に探っていた。そのうちに美しい後ろ姿をした一人の、非常に疲労した様子で、夏の初めの薄絹の単衣《ひとえ》のような物を上から着て、隠された髪の透き影のみごとそうな人を右近は見つけた。お気の毒であるとも、悲しいことであるとも思ってながめたのである。少し歩き馴《な》れた人は皆らくらくと上の御堂《みどう》へ着いたが、九州の一行は姫君を介抱《かいほう》しながら坂を上るので、初夜の勤めの始まるころにようやく御堂へ着いた。御堂の中は非常に混雑していた。右近が取らせてあったお籠《こも》り部屋《べや》は右側の仏前に近い所であった。九州の人の頼んでおいた僧は無勢力なのか西のほうの間で、仏前に遠かった。
「やはりこちらへおいでなさいませ」
 と言って、右近が召使をよこしたので、男たちだけをそのほうに残して、おとど[#「おとど」に傍点]は右近との邂逅《かいこう》を簡単に豊後介へ語ってから、右近の部屋のほうへ姫君を移した。
「私などつまらない女ですが、ただ今の太政大臣様にお仕えしておりますのでね、こんな所に出かけていましても不都合はだれもしないであろうと安心していられるのですよ。地方の人らしく見ますと、生意気にお寺の人などは軽蔑《けいべつ》した扱いをしますから、姫君にもったいなくて」
 右近はくわしい話もしたいのであるが、仏前の経声の大きいのに妨げられて、やむをえず仏を拝んでだけいた。
 この方をお捜しくださいませ、お逢《あ》わせくださいませとお願いしておりましたことをおかなえくださいましたから、今度は源氏の大臣《おとど》がこの方を子にしてお世話をなさりたいと熱心に思召《おぼしめ》すことが実現されますようにお計らいくださいませ、そうしてこの方が幸福におなりになりますように。
 と祈っているのであった。国々の参詣《さんけい》者が多かった。大和守《やまとのかみ》の妻も来た。その派手《はで》な参詣ぶりをうらやんで、三条は仏に祈っていた。
「大慈大悲の観音様、ほかのお願いはいっさいいたしません。姫君を大弐《だいに》の奥様でなければ、この大和の長官の夫人にしていただきたいと思います。それが事実になりまして、私どもにも幸福が分けていただけました時に厚くお礼をいたします」
 額に手を当てて念じているのである。右近はつまらぬことを言うとにがにがしく思った。
「あなたはとんでもないほど田舎者になりましたね。中将様は昔だってどうだったでしょう、まして今では天下の政治をお預かりになる大臣《おとど》ですよ。そうしたお盛んなお家の方で姫君だけを地方官の奥さんという二段も三段も低いものにしてそれでいいのですか」
 と言うと、
「まあお待ちなさいよあなた。大臣様だって何だってだめですよ。大弐のお館《やかた》の奥様が清水《きよみず》の観世音寺へお参りになった時の御様子をご存じですか、帝《みかど》様の行幸《みゆき》があれ以上のものとは思えません。あなたは思い切ったひどいことをお言いになりますね」
 こう言って、三条はなお祈りの合掌を解こうとはしなかった。九州の人たちは三日|参籠《さんろう》することにしていた。右近はそれほど長くいようとは思っていなかったが、この機会《おり》に昔の話も人々としたく思って、寺のほうへ三日間参籠すると言わせるために僧を呼んだ。雑用をする僧は願文《がんもん》のことなどもよく心得ていて、すばやくいろいろのことを済ませていく。
「いつもの藤原瑠璃君《ふじわらのるりぎみ》という方のためにお経をあげてよくお祈りすると書いてください。その方にね、近ごろお目にかかることができましたからね。その願果たしもさせていただきます」
 と右近の命じていることも九州の人々を感動させた。
「それは結構なことでしたね。よくこちらでお祈りしているせいでしょう」
 などとその僧は言っていた。御堂の騒ぎは夜通し続いていた。
 夜が明けたので右近は知った僧の坊へ姫君を伴って行った。静かに話したいと思うからであろう。質素なふうで来ているのを恥ずかしがっている姫君を右近は美しいと思った。
「私は思いがけない大きなお邸《やしき》へお勤めすることになりまして、たくさんな女の方を見ましたが、殿様の奥様の御容貌《ごきりょう》に比べてよいほどの方はないと長い間思っていました。それにお小さいお姫様がまたお美しいことはもっともなことですが、そのお姫様はまたどんなに大事がられていらっしゃるか、まったく幸福そのもののような方ですがね、こうして御質素なふうをなすっていらっしゃる姫君を、私は拝見して、その奥様や二条院のお姫様に姫君が劣っていらっしゃるように思われませんのでうれしゅうございます。殿様はおっしゃいますのですよ、自分の父君の帝《みかど》様の時から宮中の女御《にょご》やお后《きさき》、それから以下の女性は無数に見ているが、ただ今の帝様のお母様のお后の御美貌と自分の娘の顔とが最もすぐれたもので、美人とはこれを言うのであると思われるって。私は拝見していて、そのお后様は存じませんけれど、お姫様はまだお小さくて将来は必ずすぐれた美人におなりになるでしょうが、奥様の御美貌に並ぶ人はないと思うのですよ。殿様も奥様のお美しさの価値を十分ご存じでいらっしゃるでしょうが、御自分のお口から最上の美人の数へお入れにはなりにくいのですよ。こんなこともお言いになることがあるのですよ、あなたは私と夫婦になれたりしてもったいなく思いませんかなどと戯談《じょうだん》をね。お二人のそろいもそろったお美しさを拝見しているだけで命も延びる気がするのですよ。あんな方はあるものでもありません、私がそんなに思う六条院の奥様にどこ一つ姫君は劣っていらっしゃいません。物は限りがあってすぐれた美貌と申しても円光を後ろに負っていらっしゃるわけではありませんけれど、これがほんとうに美しいお顔と申し上げていいのでございましょう」
 右近は微笑《ほほえ》んで姫君をながめていた。少弐《しょうに》の未亡人もうれしそうである。
「こんなすぐれたお生まれつきの方を、もう一歩で暗い世界へお沈めしてしまうところでしたよ。惜しくてもったいなくて、家も財産も捨てて頼《たよ》りにしてよい息子《むすこ》にも娘にも別れて、今ではかえって知らぬ他国のような心細い気のする京へ帰って来たのですよ。あなた、どうぞいい智慧《ちえ》を出してくだすって、姫君の御運を開いてあげてくださいまし。貴族のお家に仕えておいでになる方は、便宜がたくさんあるでしょう。お父様の大臣が姫君をお認めくださいますように計らってくださいまし」
 とおとど[#「おとど」に傍点]は言うのであった。姫君は恥ずかしく思って後ろを向いていた。
「それがね、私はつまらない者ですけれど、殿様がおそばで使っていてくださいますからね、昔のいろいろな話を申し上げる中で、どうなさいましたろうと私が姫君のことをよく申すものですから、殿様が、ぜひ自分の所へ引き取りたく思う。居所を聞き込んだら知らせるがいいとおっしゃるのですよ」
「源氏の大臣様はどんなにおりっぱな方でも、今のお話のようなよい奥様や、そのほかの奥様も幾人《いくたり》かいらっしゃるのでしょう。それよりもほんとうのお父様の大臣へお知らせする方法を考えてください」
 とおとど[#「おとど」に傍点]が言うのを聞いて、右近ははじめて夕顔夫人を愛して、死の床に泣いた人の源氏であったことを話した。
「どうしてもお亡《かく》れになった奥様を忘れられなく思召《おぼしめ》してね。奥様の形見だと思って姫君のお世話をしたい、自分は子供も少なくて物足りないのだから、その人が捜し出せたなら、自分の子を家へ迎えたように世間へは知らせておこうと、それはずっと以前からそうおっしゃるのですよ。私の幼稚な心弱さから、奥様のお亡《な》くなりになりましたことをあなたがたにお知らせすることができないでおりますうちに、御主人が少弐におなりになったでしょう。それはお名を聞いて知ったのですよ。お暇乞《いとまご》いに殿様の所へおいでになりましたのを、私はちらとお見かけしましたが、何をお尋ねすることもできないじまいになったのですよ。それでもまだ姫君をあの五条の夕顔の花の咲いた家へお置きになって赴任をなさるのだと思っていました。まあどうでしょう、もう一歩で九州の人になっておしまいになるところでございましたね」
 などと人々は終日昔の話をしたり、いっしょに念誦《ねんず》を行なったりしていた。御堂へ参詣する人々を下に見おろすことのできる僧坊であった。前を流れて行くのが初瀬川である。右近は、

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「二もとの杉《すぎ》のたちどを尋ねずば布留《ふる》川のべに君を見ましや
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 ここでうれしい逢瀬《おうせ》が得られたと申すものでございます」
 と姫君に言った。

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初瀬川はやくのことは知らねども今日《けふ》の逢瀬に身さへ流れぬ
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 と言って泣いている姫君はきわめて感じのよい女性であった。これだけの美貌《びぼう》が備わっていても、田舎《いなか》風のやぼな様子が添っていたなら、どんなにそれを玉の瑕《きず》だと惜しまれることであろう、よくもこれほどりっぱな貴女にお育ちになったものであると、右近は少弐未亡人に感謝したい心になった。母の夕顔夫人はただ若々しくおおような柔らかい感じの豊かな女性というにすぎなかった。これは容姿に気高《けだか》さのあるすぐれた姫君と見えるのであった。右近はこれによって九州という所がよい所であるように思われたが、また昔の朋輩《ほうばい》が皆|不恰好《ぶかっこう》な女になっているのであったから不思議でならなかった。日が暮れると御堂に行き、翌日はまた坊に帰って念誦《ねんず》に時を過ごした。秋風が渓《たに》の底から吹き上がって来て肌寒《はださむ》さの覚えられる所であったから、物寂しい人たちの心はまして悲しかった。姫君は右近の話から、人並みの運も持たないように悲観をしていた自分も、父の家の繁栄と、低い身分の人を母として生まれた子供たちさえも皆愛されて幸福になっていることがわかった上は、もう救われる時に達したのであるかもしれないという気になった。帰る時は双方でよく宿所を尋ね合って、またわからなくなってはと互いに十分の警戒をしながら別れた。右近の自宅も六条院に近い所であったから、九州の人の宿とも遠くないことを知って、その人たちは力づけられた気がした。
 右近は旅からすぐに六条院へ出仕した。姫君の話をする機会を早く得たいと思う心から急いだのである。門をはいるとすでにすべての空気に特別な豪華な家であることが感ぜられるのが六条院である。来る車、出て行く車が無数に目につく。自分などがこの家の一人の女房として自由に出入りをすることもまばゆい気のすることであると右近に思われた。その晩は主人夫婦の前へは出ずに、部屋へ引きこもって右近はまた物思いをした。翌日は昨日自宅から上がって来た高級の女房が幾人《いくたり》もある中から、特に右近が夫人に呼び出されたのを、右近は誇らしく思った。源氏も夫人の居間にいた。
「どうして長く家へ行っていたのかね。少しこれまでとは違っているのではないか。独身者はこんな所にいる時と違って、自宅では若返ることもできるのだろう。おもしろいことがきっとあったろう」
 などと例の困らせる気の戯談《じょうだん》を源氏が言う。
「ちょうど七日お暇《いとま》をいただいていたのでございますが、おもしろいことなどはなかなかないのでございます。山へ参りましてね。お気の毒な方を発見いたしました」
「だれ」
 と源氏は尋ねた。突然その話をするのも、これまで夫人にしていない昔の話から筋を引いていることを、源氏にだけ言えば夫人があとで話をお聞きになって不快がられないかなどと右近は迷っていて、
「またくわしくお話を申し上げます」
 と言って、ほかの女房たちも来たのでそのまま言いさしにした。
 灯《ひ》などをともさせてくつろいでいる源氏夫婦は美しかった。女王《にょおう》は二十七、八になった。盛りの美があるのである。このわずかな時日のうちにも美が新しく加わったかと右近の目に見えるのであった。姫君を美しいと思って、夫人に劣っていないと見たものの思いなしか、やはり一段上の美が夫人にはあるようで幸福な人と不運な人とにはこれだけの相違があるものらしいなどと右近は思った。寝室にはいってから、脚《あし》を撫《な》でさせるために源氏は右近を呼んだ。
「若い人はいやな役だと迷惑がるからね。やはり昔|馴染《なじみ》の者は気心が双方でわかっていてどんなことでもしてもらえるよ」
 と源氏が言っているのを聞いて、若い女房たちは笑っていた。
「そうですよ。どんなことでもさせていただいて私たちは結構なんですけれど、あの御戯談《ごじょうだん》に困るだけね」
 などと言っているのであった。
「奥さんも昔馴染どうしがあまり仲よくしては機嫌《きげん》を悪くなさらない。決して寛大な方ではないから危《あぶな》いね」
 などと言って源氏は笑っていた。愛嬌《あいきょう》があって常よりもまた美しく思われた。このごろは公職が閑散なほうに変ってしまって、自宅でものんきに女房などにも戯談を言いかけて相手をためすことなどを楽しむ源氏であったから、右近のような古女《ふるおんな》にも戯れてみせるのである。
「発見したって、どんな人かね。えらい修験者《しゅげんじゃ》などと懇意になってつれて来たのか」
 と源氏は言った。
「ひどいことをおっしゃいます。あの薄命な夕顔のゆかりの方を見つけましたのでございます」
「そう、それは哀れな話だね、これまでどこにいたの」
 と源氏に尋ねられたが、ありのままには言いにくくて、
「寂しい郊外に住んでおいでになったのでございます。昔の女房も半分ほどはお付きしていましてございますから、以前の話もいたしまして悲しゅうございました」
 と右近は言っていた。
「もうわかったよ。あの事情を知っていらっしゃらない方がいられるのだからね」
 と源氏が隠すように言うと、
「私がおじゃまなの、私は眠くて何のお話だかわからないのに」
 と女王《にょおう》は袖《そで》で耳をふさいだ。
「どんな容貌《きりょう》、昔の夕顔に劣っていない」
「あんなにはおなりにならないかと存じておりましたけれど、とてもおきれいにおなりになったようでございます」
「それはいいね、だれぐらい、この人とはどう」
「どういたしまして、そんなには」
 と右近が言うと、
「得意なようで恥ずかしい。何にせよ私に似ていれば安心だよ」
 わざと親らしく源氏は言うのであった。
 その話を聞いた時から源氏はおりおり右近一人だけを呼び出して姫君の問題について語り合った。
「私はあの人を六条院へ迎えることにするよ。これまでも何かの場合によく私は、あの人の行くえを失ってしまったことを思って暗い心になっていたのだからね。聞き出せばすぐにその運びにしなければならないのを、怠っていることでも済まない気がする。お父さんの大臣に認めてもらう必要などはないよ。おおぜいの子供に大騒ぎをしていられるのだからね。たいした母から生まれたのでもない人がその中へはいって行っては、結局また苦労をさせることになる。私のほうは子供の数が少ないのだから、思いがけぬ所で発見した娘だとも世間へは言っておいて、貴公子たちが恋の対象にするほどにも私はかしずいてみせる」
 源氏の言葉を聞いていて、右近は姫君の運がこうして開かれて行きそうであるとうれしかった。
「何も皆|思召《おぼしめ》し次第でございます。内大臣へお知らせいたしますのも、あなた様のお手でなくてはできないことでございます。不幸なお亡《な》くなり方をなさいました奥様のかわりにもともかくも助けておあげになりましたなら罪がお軽くなります」
 と右近が言うと、
「私をまだそんなふうにも責めるのだね」
 源氏は微笑《ほほえ》みながらも涙ぐんでいた。
「短いはかない縁だったと、私はいつもあの人のことを思っている。この家に集まって来ている奥さんたちもね、あの時にあの人を思ったほどの愛を感じた相手でもなかったのが、皆あの人のように短命でないことだけで、私の忘れっぽい男でないのを見届けているのが多いのに、あの人の形見にはただ右近だけを世話していることが残念な気のすることは始終だったのに、そうして姫君を私の手もとへ引き取ることができればうれしいだろう」
 こう言って、源氏は姫君へ最初の手紙を書いた。あの末摘花《すえつむはな》に幻滅を感じたことの忘れられない源氏は、そんなふうに逆境に育った麗人の娘、大臣の実子も必ずしも期待にそむかないとは思われない不安さから手紙の返事の書きようでまずその人を判断しようとしたのである。まじめにこまごまと書いた奥には、
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こんなに私があなたのことを心配していますことは、

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知らずとも尋ねて知らん三島江に生《お》ふる三稜《みくり》のすぢは絶えじな
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 とも書いた。右近はこの手紙を自身で持って行って、源氏の意向を説明した。姫君用の衣服、女房たちの服の材料などがたくさん贈られた。源氏は夫人とも相談したものらしく、衣服係の所にできていた物も皆取り寄せて、色の調子、重ねの取り合わせの特にすぐれた物を選んで贈ったのであったから、九州の田舎《いなか》に長くいた人々の目に珍しくまばゆい物と映ったのはもっともなことである。姫君自身は、こんなりっぱな品々でなくても、実父の手から少しの贈り物でも得られたのならうれしいであろうが、知らない人と交渉を始めようなどとは意外であるというように、それとなく言って、贈り物を受けることを苦しく思うふうであったが、右近は母君と源氏との間に結ばれた深い因縁を姫君に言って聞かせた。人々も横から取りなした。
「そうして源氏の大臣の御厚意でごりっぱにさえおなりになりましたなら、内大臣様のほうからもごく自然に認めていただくことができます。親子の縁と申すものは絶えたようでも絶えないものでございます。右近でさえお目にかかりたいと一心に祈っていました結果はどうでございます。神仏のお導きがあったではございませんか。御双方ともお身体《からだ》さえお丈夫でいらっしゃればきっとお逢《あ》いになれる時がまいります」
 とも慰めるのである。まず早く返事をと言って皆がかりで姫君を責めて書かせるのであった。自分はもうすっかり田舎者なのだからと姫君は書くのを恥ずかしく思うふうであった。用箋《ようせん》は薫物《たきもの》の香を沁《し》ませた唐紙《とうし》である。

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数ならぬみくりや何のすぢなればうきにしもかく根をとどめけん
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 とほのかに書いた。字ははかない、力のないようにも見えるものであったが、品がよくて感じの悪くないのを見て源氏は安心した。姫君を住ます所をどこにしようかと源氏は考えたが、南の一廓はあいた御殿もない。華奢《かしゃ》な生活のここが中心になっている所であるから、人出入りもあまりに多くて若い女性には気の毒である。中宮のお住居《すまい》になっている一廓の中には、そうした人にふさわしい静かな御殿もあいているが、中宮の女房になったように世間へ聞かれてもよろしくないと源氏は思って、少しじみな所ではあるが東北の花散里《はなちるさと》の住居の中の西の対は図書室になっているのを、書物をほかへ移してそこへ住ませようという考えになった。近くにいる人も気だての優しい、おとなしい人であるから、花散里と親しくして暮らすのもいいであろうと思ったのである。こうなってから夫人にも昔の夕顔の話を源氏はしたのであった。そうした秘密があったことを知って夫人は恨んだ。
「困るね。生きている人のことでは私のほうから進んで聞いておいてもらわねばならないこともありますがね。たとえこんな時にでも昔のそうした思い出を話すのはあなたが特別な人だからですよ」
 こう言っている源氏には故人を思う情に堪えられない様子が見えた。
「自分の経験ばかりではありませんがね、他人のことででもよく見ましたがね、女というものはそれほど愛し合っている仲でなくてもずいぶん嫉妬《しっと》をするもので、それに煩わされている人が多いから、自分は恐ろしくて、好色な生活はすまいと念がけながらも、そのうち自然に放縦《ほうしょう》にもなって、幾人《いくたり》もの恋人を持ちましたが、その中で可憐《かれん》で可憐でならなく思われた女としてその人が思い出される。生きていたなら私は北の町にいる人と同じくらいには必ず愛しているでしょう。だれも同じ型の人はないものですが、その人は才女らしい、りっぱなというような点は欠けていたが、上品でかわいかった」
 などと源氏が言うと、
「でも、明石《あかし》の波にくらべるほどにはどうだか」
 と夫人は言った。今も北の御殿の人を、不当にすばらしく愛されている女であると夫人はねたんでいた。小さい姫君がかわいいふうをして前に聞いているのを見ると、夫人の言うほうがもっともであるかもしれないと源氏は思った。それらのことは皆九月のうちのことであった。
 姫君が六条院へ移って行くことは簡単にもいかなかった。まずきれいな若い女房と童女を捜し始めた。九州にいたころには相当な家の出でありながら、田舎へ落ちて来たような女を見つけ次第に雇って、姫君の女房に付けておいたのであるが、脱出のことがにわかに行なわれたためにそれらの人は皆捨てて来て、三人のほかにはだれもいなかった。京は広い所であるから、市女《いちめ》というような者に頼んでおくと、上手《じょうず》に捜してつれて来るのである。だれの姫君であるかというようなことはだれにも知らせてないのである。いったん右近の五条の家に姫君を移して、そこで女房を選《え》りととのえもし衣服の仕度《したく》も皆して、十月に六条院へはいった。源氏は新しい姫君のことを花散里に語った。
「私の愛していた人が、むやみに悲観して郊外のどこかへ隠れてしまっていたのですが、子供もあったので、長い間私は捜させていたのですがなんら得る所がなくて、一人前の女になるまでほかに置いたわけなのですがその子のことが耳にはいった時にすぐにも迎えておかなければと思って、こちらへ来させることにしたのです。もう母親は死んでいるのです。中将をあなたの子供にしてもらっているのですから、もう一人あったっていいでしょう。世話をしてやってください。簡単な生活をして来たのですから、田舎風なことが多いでしょう。何かにつけて教えてやってください」
「ほんとうにそんな方がおありになったのですか。私は少しも知りませんでした。お嬢さんがお一人で、少し寂しすぎましたから、いいことですわね」
 花散里はおおように言っている。
「母親だった人はとても善良な女でしたよ。あなたも優しい人だから安心してお預けすることができるのです」
 などと源氏が言った。
「母親らしく世話を焼かせていただくこともこれまではあまり少なくて退屈でしたから、いいことだと思います、ごいっしょに住むのは」
 と花散里は言っていた。女房たちなどは源氏の姫君であることを知らずに、
「またどんな方をお迎えになるのでしょう。同じ所へね。あまりに奥様を古物扱いにあそばすではありませんか」
 と言っていた。
 姫君は三台ほどの車に分乗させた女房たちといっしょに六条院へ移って来た。女房の服装なども右近が付いていたから田舎《いなか》びずに調えられた。源氏の所からそうした人たちに入り用な綾《あや》そのほかの絹布類は呈供してあったのである。
 その晩すぐに源氏は姫君の所へ来た。九州へ行っていた人たちは昔光源氏という名は聞いたこともあったが、田舎住まいをしたうちにそのまれな美貌《びぼう》の人がこの世に現存していることも忘れていて今ほのかな灯《ひ》の明りに几帳《きちょう》の綻《ほころ》びから少し見える源氏の顔を見ておそろしくさえなったのであった。源氏の通って来る所の戸口を右近があけると、
「この戸口をはいる特権を私は得ているのだね」
 と笑いながらはいって、縁側の前の座敷へすわって、
「灯があまりに暗い。恋人の来る夜のようではないか。親の顔は見たいものだと聞いているがこの明りではどうだろう。あなたはそう思いませんか」
 と言って、源氏は几帳を少し横のほうへ押しやった。姫君が恥ずかしがって身体《からだ》を細くしてすわっている様子に感じよさがあって、源氏はうれしかった。
「もう少し明るくしてはどう。あまり気どりすぎているように思われる」
 と源氏が言うので、右近は燈心を少し掻《か》き上げて近くへ寄せた。
「きまりを悪がりすぎますね」
 と源氏は少し笑った。ほんとうにと思っているような姫君の目つきであった。少しも他人のようには扱わないで、源氏は親らしく言う。
「長い間あなたの居所がわからないので心配ばかりさせられましたよ。こうして逢《あ》うことができても、まだ夢のような気がしてね。それに昔のことが思い出されて堪えられないものが私の心にあるのです。だから話もよくできません」
 こう言って目をぬぐう源氏であった。それは偽りでなくて、源氏は夕顔との死別の場を悲しく思い出しているのであった。年を数えてみて、
「親子であってこんなに長く逢えなかったというようなことは例もないでしょう。恨めしい運命でしたね。もうあなたは少女のように恥ずかしがってばかりいてよい年でもないのですから、今日までの話も私はしたいのに、なぜあなたは黙ってばかりいますか」
 と源氏が恨みを言うのを聞くと、何と言ってよいかわからぬほど姫君は恥ずかしいのであったが、
「足立たずで(かぞいろはいかに哀れと思ふらん三とせになりぬ足立たずして)遠い国へ流れ着きましたころから、私は生きておりましたことか、死んでおりましたことかわからないのでございます」
 とほのかに言うのが夕顔の声そのままの語音《ごいん》であった。源氏は微笑を見せながら、
「あなたに人生の苦しい道をばかり通らせて来た酬《むく》いは私がしないでだれにしてもらえますか」
 と言って、源氏は聡明《そうめい》らしい姫君の物の言いぶりに満足しながら、右近にいろいろな注意を与えて源氏は帰った。
 感じのよい女性であったことをうれしく思って、源氏は夫人にもそのことを言った。
「野蛮な地方に長くいたのだから、気の毒なものに仕上げられているだろうと私は軽蔑《けいべつ》していたが、こちらがかえって恥ずかしくなるほどでしたよ。娘にこうした麗人を持っているということを世間へ知らせるようにして、よくおいでになる兵部卿《ひょうぶきょう》の宮などに懊悩《おうのう》をおさせするのだね。恋愛至上主義者も私の家《うち》ではきまじめな方面しか見せないのも妙齢の娘などがないからなのだ。たいそうにかしずいてみせよう、まだ成っていない貴公子たちの懸想《けそう》ぶりをたんと拝見しよう」
 と源氏が言うと、
「変な親心ね。求婚者の競争をあおるなどとはひどい方」
 と女王《にょおう》は言う。
「そうだった、あなたを今のような私の心だったらそう取り扱うのだった。無分別に妻などにはしないで、娘にしておくのだった」
 夫人の顔を赤らめたのがいかにも若々しく見えた。源氏は硯《すずり》を手もとへ引き寄せながら、無駄《むだ》書きのように書いていた。

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恋ひわたる身はそれながら玉鬘《たまかづら》いかなる筋を尋ね来つらん
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「かわいそうに」
 とも独言《ひとりごと》しているのを見て、玉鬘の母であった人は、前に源氏の言ったとおりに、深く愛していた人らしいと女王は思った。
 源氏は子息の中将にも、こうこうした娘を呼び寄せたから、気をつけて交際するがよいと言ったので、中将はすぐに玉鬘の御殿へ訪《たず》ねて行った。
「つまらない人間ですが、こんな弟がおりますことを御念頭にお置きくださいまして、御用があればまず私をお呼びになってください。こちらへお移りになりました時も、存じないものでお世話をいたしませんでした」
 と忠実なふうに言うのを聞いていて、真実のことを知っている者はきまり悪い気がするほどであった。物質的にも一所懸命の奉仕をしていた九州時代の姫君の住居も現在の六条院の華麗な設備に思い比べてみると、それは田舎らしいたまらないものであったようにおとど[#「おとど」に傍点]などは思われた。すべてが洗練された趣味で飾られた気高《けだか》い家にいて、親兄弟である親しい人たちは風采《ふうさい》を始めとして、目もくらむほどりっぱな人たちなので、こうなってはじめて三条も大弐を軽蔑《けいべつ》してよい気になった。まして大夫《たゆう》の監《げん》は思い出すだけでさえ身ぶるいがされた。何事も豊後介《ぶんごのすけ》の至誠の賜物《たまもの》であることを玉鬘も認めていたし、右近もそう言って豊後介を賞《ほ》めた。確《しか》とした規律のある生活をするのにはそれが必要であると言って、玉鬘付きの家従や執事が決められた時に豊後介もその一人に登用された。すっかり田舎上がりの失職者になっていた豊後介はにわかに朗らかな身の上になった。かりにも出入りする便宜などを持たなかった六条院に朝夕出仕して、多数の侍を従えて執務することのできるようになったことを豊後介は思いがけぬ大幸福を得たと思っていた。これらもすべて源氏が思いやり深さから起こったことと言わねばならない。
 年末になって、新年の室内装飾、春の衣裳《いしょう》を配る時にも、源氏は玉鬘を尊貴な夫人らと同じに取り扱った。どんなに思いのほかによい趣味を知った人と見えても、またどんなまちがった物の取り合わせをするかもしれぬという不安な気持ちもあって、玉鬘のほうへはすでに衣裳にでき上がった物を贈ることにしたが、その時にほうぼうの織物師が力いっぱいに念を入れて作り出した厚織物の細長や小袿《こうちぎ》の仕立てたのを源氏は手もとへ取り寄せて見た。
「非常にたくさんありますね。奥さんたちなどにもそれぞれよい物を選《え》って贈ることにしよう」
 と源氏が夫人に言ったので、女王は裁縫係の所にでき上がっている物も、手もとで作らせた物もまた皆出して源氏に見せた。紫の女王はこうした服飾類を製作させることに趣味と能力を持っている点ででも源氏はこの夫人を尊重しているのである。あちらこちらの打ち物の上げ場から仕上がって来ている糊《のり》をした打ち絹も源氏は見比べて、濃い紅《べに》、朱の色などとさまざまに分けて、それを衣櫃《ころもびつ》、衣服箱などに添えて入れさせていた。高級な女房たちがそばにいて、これをそれに、それをこれにというように源氏の命じるままに贈り物を作っているのであった。夫人もいっしょに見ていて、
「皆よくできているのですから、お召しになるかたのお顔によく似合いそうなのを見立てておあげなさいまし。着物と人の顔が離れ離れなのはよくありませんから」
 と言うと、源氏は笑って、
「素知らぬ顔であなたは着る人の顔を想像しようとするのですね。それにしてもあなたはどれを着ますか」
 と言った。
「鏡に見える自分の顔にはどの着物を着ようという自信も出ません」
 さすがに恥ずかしそうに言う女王であった。紅梅色の浮き模様のある紅紫の小袿《こうちぎ》、薄い臙脂紫《えんじむらさき》の服は夫人の着料として源氏に選ばれた。桜の色の細長に、明るい赤い掻練《かいねり》を添えて、ここの姫君の春着が選ばれた。薄いお納戸色に海草貝類が模様になった、織り方にたいした技巧の跡は見えながらも、見た目の感じの派手《はで》でない物に濃い紅の掻練を添えたのが花散里《はなちるさと》。真赤《まっか》な衣服に山吹《やまぶき》の花の色の細長は同じ所の西の対の姫君の着料に決められた。見ぬようにしながら、夫人にはひそかにうなずかれるところがあるのである。内大臣がはなやかできれいな人と見えながらも艶《えん》な所の混じっていない顔に玉鬘《たまかずら》の似ていることを、この黄色の上着の選ばれたことで想像したのであった。色に出して見せないのであるが、源氏はそのほうを見た時に、夫人の心の平静でないのを知った。
「もう着る人たちの容貌《きりょう》を考えて着物を選ぶことはやめることにしよう、もらった人に腹をたてさせるばかりだ。どんなによくできた着物でも物質には限りがあって、人の顔は醜くても深さのあるものだからね」
 こんなことも言いながら、源氏は末摘花《すえつむはな》の着料に柳の色の織物に、上品な唐草《からくさ》の織られてあるのを選んで、それが艶な感じのする物であったから、人知れず微笑《ほほえ》まれるのであった。梅の折り枝の上に蝶《ちょう》と鳥の飛びちがっている支那《しな》風な気のする白い袿《うちぎ》に、濃い紅の明るい服を添えて明石《あかし》夫人のが選ばれたのを見て、紫夫人は侮辱されたのに似たような気が少しした。空蝉《うつせみ》の尼君には青鈍《あおにび》色の織物のおもしろい上着を見つけ出したのへ、源氏の服に仕立てられてあった薄黄の服を添えて贈るのであった。同じ日に着るようにとどちらへも源氏は言い添えてやった。自身の選定した物がしっくりと似合っているかを源氏は見に行こうと思うのである。
 夫人たちからはそれぞれの個性の見える返事が書いてよこされ、使いへ出した纏頭《てんとう》もさまざまであったが、末摘花は東の院にいて、六条院の中のことでないから纏頭などは気のきいた考えを出さねばならぬのに、この人は形式的にするだけのことはせずにいられぬ性格であったから纏頭も出したが、山吹色の袿《うちぎ》の袖口《そでぐち》のあたりがもう黒ずんだ色に変色したのを、重ねもなく一枚きりなのである。末摘花女王《すえつむはなにょおう》の手紙は香の薫《かお》りのする檀紙《だんし》の、少し年数物になって厚く膨《ふく》れたのへ、
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どういたしましょう、いただき物はかえって私の心を暗くいたします。

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着て見ればうらみられけりから衣《ごろも》かへしやりてん袖《そで》を濡《ぬ》らして
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 と書かれてあった。字は非常に昔風である。源氏はそれをながめながらおかしくてならぬような笑い顔をしているのを、何があったのかというふうに夫人は見ていた。源氏は使いへ末摘花の出した纏頭《てんとう》のまずいのを見て、機嫌《きげん》の悪くなったのを知り、使いはそっと立って行った。そしてその侍は自身たちの仲間とこれを笑い話にした。よけいな出すぎたことをする点で困らせられる人であると源氏は思っていた。
「りっぱな歌人なのだね、この女王は。昔風の歌|詠《よ》みはから衣、袂《たもと》濡るるという恨みの表現法から離れられないものだ。私などもその仲間だよ。凝り固まっていて、新しい言葉にも表現法にも影響されないところがえらいものだ。御前などの歌会の時に古い人らが友情を言う言葉に必ずまどい[#「まどい」に傍点]という三字が使われるのもいやなことだ。昔の恋愛をする者の詠む歌には相手を悪く見て仇人《あだびと》という言葉を三句めに置くことにして、それをさえ中心にすれば前後は何とでもつくと思ったものらしい」
 などと源氏は夫人に語った。
「いろんな歌の手引き草とか、歌に使う名所の名とかの集めてあるのを始終見ていて、その中にある言葉を抜き出して使う習慣のついている人は、それよりほかの作り方ができないものと見える。常陸《ひたち》の親王のお書きになった紙屋紙《かんやがみ》の草紙というのを、読めと言って女王《にょおう》さんが貸してくれたがね、歌の髄脳《ずいのう》、歌の病《やまい》、そんなことがあまりたくさん書いてあったから、もともとそのほうの才分の少ない私などは、それを見たからといって、歌のよくなる見込みはないから、むずかしくてお返ししましたよ。それに通じている人の歌としては、だれでもが作るような古いところがあるじゃないかね」
 滑稽《こっけい》でならないように源氏に笑われている末摘花の女王はかわいそうである。夫人はまじめに、
「なぜすぐお返しになりましたの、写させておいて姫君にも見せておあげになるほうがよかったでしょうにね。私の書物の中にも古いその本はありましたけれど、虫が穴をあけて何も読めませんでした。その御本に通じていて歌の下手《へた》な方よりも、全然知らない私などはもっとひどく拙《つたな》いわけですよ」
 と言った。
「姫君の教育にそんなものは必要でない。いったい女というものは一つのことに熱中して専門家的になっていることが感じのいいものではない。といって、どの芸にも門外の人であることはよくないでしょうがね。ただ思想的に確かな人にだけしておいて、ほかは平穏で瑕《きず》のない程度の女に私は教育したい」
 こんなことを源氏は言っていて、もう一度末摘花へ返事を書こうとするふうのないのを、夫人は、
「返しやりてん、とお言いになったのですから、もう一度何とかおっしゃらないでは失礼ですわ」
 と言って、書くことを勧めていた。人情味のある源氏であったから、すぐに返歌が書かれた、非常に楽々と、

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かへさんと言ふにつけても片しきの夜の衣を思ひこそやれ

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ごもっともです。
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 という手紙であったらしい。

玉鬘 版本说明

底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
   1994(平成6)年6月15日39版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年1月15日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:kompass
2003年7月31日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

23 初音

[#地から3字上げ]若やかにうぐひすぞ啼《な》く初春の衣《きぬ》くば
[#地から3字上げ]られし一人のやうに    (晶子)

 新春第一日の空の完全にうららかな光のもとには、どんな家の庭にも雪間の草が緑のけはいを示すし、春らしい霞《かすみ》の中では、芽を含んだ木の枝が生気を見せて煙っているし、それに引かれて人の心ものびやかになっていく。まして玉を敷いたと言ってよい六条院の庭の初春のながめには格別なおもしろさがあった。常に増してみがき渡された各夫人たちの住居《すまい》を写すことに筆者は言葉の乏しさを感じる。春の女王《にょおう》の住居はとりわけすぐれていた。梅花の香《かおり》も御簾《みす》の中の薫物《たきもの》の香と紛らわしく漂っていて、現世の極楽がここであるような気がした。さすがにゆったりと住みなしているのであった。女房たちも若いきれいな人たちは姫君付きに分けられて、少しそれより年の多い者ばかりが紫の女王《にょおう》のそばにいた。上品な重味のあるふうをして、あちらこちらに一団を作っているこうした女房らは歯固《はがた》めの祝儀などを仲間どうしでしていた。鏡餠《かがみもち》なども取り寄せて、今年じゅうの幸福を祈るのに興じ合っている所へ主人《あるじ》の源氏がちょっと顔を見せた。懐中手《ふところで》をしていた者が急に居ずまいを直したりしてきまりを悪がった。
「たいへんな御祝儀なのだね、皆それぞれ違ったことの上に祝福あれと祈っているのだろうね。少し私に内容を洩《も》らしてくれないか、私も祝詞を述べるよ」
 と微笑《ほほえ》んで言う源氏の美しい顔を見ることが今年《ことし》の春の最初の幸福であると人々は思っている。
 中将の君が言う。
「御主人様がたを鏡のお餠にも祝っております。自身たちについての祈りなどをいたすものでございません」
 朝の間は参賀の人が多くて騒がしく時がたったが、夕方前になって、源氏が他の夫人たちへ年始の挨拶《あいさつ》を言いに出かけようとして、念入りに身なりを整え化粧をしたのを見ることは実際これが幸福でなくて何であろうと思われた。
「今朝《けさ》皆が鏡餠の祝詞を言い合っているのを見てうらやましかった。奥さんには私が祝いを言ってあげよう」
 少し戯れも混ぜて源氏は夫人の幸福を祝った。

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うす氷解けぬる池の鏡には世にたぐひなき影ぞ並べる
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 これほど真実なことはない。二人は世に珍しい麗質の夫婦である。

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曇りなき池の鏡によろづ代をすむべき影ぞしるく見えける
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 と夫人は言った。どの場合、何の言葉にもこの二人は長く変わらぬ愛を誓い合うのであった。
 ちょうど元日が子《ね》の日にあたっていたのである。千年の春を祝うのにふさわしい日である。姫君のいる座敷のほうへ行ってみると、童女や下仕えの女が前の山の小松を抜いて遊んでいた。そうした若い女たちは新春の喜びに満ち足らったふうであった。北の御殿からいろいろときれいな体裁に作られた菓子の髭籠《ひげかご》と、料理の破子《わりご》詰めなどがここへ贈られて来た。よい形をした五葉の枝に作り物の鶯《うぐいす》が止まらせてあって、それに手紙が付けられてある。

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年月をまつに引かれて経《ふ》る人に今日《けふ》鶯の初音《はつね》聞かせよ
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「音せぬ里の」(今日だにも初音聞かせよ鶯の音せぬ里は住むかひもなし)と書かれてあるのを読んで、源氏は身にしむように思った。正月ながらもこぼれてくる涙をどうしようもないふうであった。
「この返事は自分でなさい。きまりが悪いなどと気どっていてよい相手でない」
 源氏はこう言いながら、硯《すずり》の世話などをやきながら姫君に書かせていた。かわいい姿で、毎日見ている人さえだれも見飽かぬ気のするこの人を、別れた日から今日まで見せてやっていないことは、真実の母親に罪作りなことであると源氏は心苦しく思った。

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引き分かれ年は経《ふ》れども鶯の巣立ちし松の根を忘れめや
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 少女の作でありのままに過ぎた歌である。
 夏の夫人の住居《すまい》は時候違いのせいか非常に静かであった。わざと風流がった所もなく、品よく、貴女《きじょ》の家らしく住んでいた。源氏と夫人の二人の仲にはもう少しの隔てというものもなくなって、徹底した友情というものを持ち合っていた。現在では肉体の愛を超越した夫婦であった。しかも精神的には永久に離れまいと誓い合う愛人どうしである。几帳《きちょう》を隔てて花散里《はなちるさと》はすわっていたが、源氏がそれを手で押しやると、また花散里はそうするままになっていた。お納戸色という物は人をはなやかに見せないものであるが、その上この人は髪のぐあいなどももう盛りを通り過ぎた人になっていた。優美な物ではないが添え毛でもすればよいかもしれぬ。
「私のような男でなかったら愛をさましてしまうかもしれない衰退期の顔を、化粧でどうしようともしないほど私の心が信じられているのがうれしい。あなたが軽率な女で、ひがみを起こして別れて行っていたりしては、私にこの満足は与えてもらえなかったでしょう」
 源氏は花散里に逢《あ》うごとによくこんなことを言った。永久に変わっていかない自身の愛と、この女の持つ信頼は理想的なものであるとさえ源氏は思っていた。親しい調子でしばらく話していたあとで、西の対のほうへ源氏は行った。
 玉鬘《たまかずら》がここへ住んでまだ日の浅いにもかかわらず西の対の空気はしっくりと落ち着いたものになっていた。美しい童女によい好みの服装をさせたのや、若い女房などがおおぜいいて、室内の設備などはかなり行き届いてできてはいるが、まだ十分にあるべき調度が調っているのではなくてもとにかく感じよく取りなされてあった。玉鬘自身もはなやかな麗人であると、見た目はすぐに感じるような、あのきわだった山吹の色の細長が似合う顔と源氏の見立てたとおりの派手《はで》な美人は、暗い陰影というものは、どこからも見いだせない輝かしい容姿を持っていた。苦労をしてきた間に少し少なくなった髪が、肩の下のほうでやや細くなりさらさらと分かれて着物の上にかかっているのも、かえってあざやかな清さの感ぜられることであった。今はこうして自分の庇護のもとに置くがあぶないことであったと以前のことを深く思う源氏は、この人を情人にまでせずにはおかれないのでなかろうか。肉親のようにまでなって暮らしていながらもまだ源氏は物足りない気のすることを、自身ながらも奇怪に思われて、表面にこの感情を現わすまいと抑制していた。
「私はもうずっと前からあなたがこの家の人であったような気がして満足していますが、あなたも遠慮などはしないで、私のいるほうなどにも出ていらっしゃい。琴を習い始めた女の子などもいますから、その稽古《けいこ》を見ておやりなさい。気を置かねばならぬような曲がった性格の人などはあちらにいませんよ。私の妻などがそうですよ」
 と源氏が言うと、
「仰せどおりにいたします」
 と玉鬘《たまかずら》は言っていた。もっともなことである。
 日の暮れ方に源氏は明石《あかし》の住居《すまい》へ行った。居間に近い渡殿《わたどの》の戸をあけた時から、もう御簾《みす》の中の薫香《たきもの》のにおいが立ち迷っていて、気高《けだか》い艶《えん》な世界へ踏み入る気がした。居間に明石の姿は見えなかった。どこへ行ったのかと源氏は見まわしているうちに硯《すずり》のあたりにいろいろな本などが出ているのに目がついた。支那《しな》の東京錦《とんきんにしき》の重々しい縁《ふち》を取った褥《しとね》の上には、よい琴が出ていて、雅味のある火鉢《ひばち》に侍従香がくゆらしてある。その香の高い中へ、衣服にたきしめる衣被香《えびこう》も混じって薫《くゆ》るのが感じよく思われた。そのあたりへ散った紙に手習い風の無駄《むだ》書きのしてある字も特色のある上手《じょうず》な字である。くずした漢字をたくさんには混ぜずに感じよく書かれてあるのであった。姫君から来た鶯《うぐいす》の歌の返事に興奮して、身にしむ古歌などが幾つも書かれてある中に、自作もあった。

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珍しや花のねぐらに木づたひて谷の古巣をとへる鶯
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 やっと聞き得た鶯の声というように悲しんで書いた横にはまた「梅の花咲ける岡辺《をかべ》に家しあれば乏しくもあらず鶯の声」と書いて、みずから慰めても書かれてある。源氏はこの手習い紙をながめながら微笑《ほほえ》んでいた。書いた人はきまりの悪い話である。筆に墨をつけて、源氏もその横へ何かを書きすさんでいる時に明石は膝行《いざ》り出た。思い上がった女性ではあるが、さすがに源氏に主君としての礼を取る態度が謙遜《けんそん》であった。この聡明《そうめい》さは明石の魅力でもあった。白い服へ鮮明に掛かった黒髪の裾《すそ》が少し薄くなって、きれいに分かれた筋を作っているのもかえってなまめかしい。源氏は心が惹《ひ》かれて、新春の第一夜をここに泊まることは紫夫人を腹だたせることになるかもしれぬと思いながら、そのまま寝てしまった。六条院の他の夫人の所ではこの現象は明石夫人がいかに深く愛されているかを思わせるものであると言っていた。まして南の御殿の人々はくやしがった。
 源氏はまだようやく曙《あけぼの》ぐらいの時刻に南御殿へ帰った。こんなに早く出て行かないでもいいはずであるのにと、明石はそのあとでやはり物思わしい気がした。紫の女王はまして、失敬なことであると、不快に思っているはずの心がらを察して、
「ちょっとうたた寝をして、若い者のようによく寝入ってしまった私を、迎えにもよこしてくれませんでしたね」
 こんなふうにも言って機嫌《きげん》を取っているのもおもしろく思われた。打ち解けた返辞のしてもらえない源氏は困ったままで、そのまま寝入ったふうを作ったが、朝はずっと遅《おそ》くなって起きた。正月の二日は臨時の饗宴《きょうえん》を催すことになっていたために、忙しいふうをして源氏はきまり悪さを紛らせていた。親王がたも高官たちもほとんど皆六条院の新年宴会に出席した。音楽の遊びがあって贈り物に纏頭《てんとう》に六条院にのみよくする華奢《かしゃ》が見えた。多数の縉紳《しんしん》は皆きらびやかに風采《ふうさい》を作っているが、源氏に準じて見えるほどの人もないのであった。個別的に見ればりっぱな人の多い時ではあるが、源氏の前では光彩を失ってしまうのが気の毒である。つまらぬ下僕《しもべ》なども主人に従って六条院へ来る時には、服装も身の取りなしをも晴れがましく思うのであったから、まして年若な高官たちは妙齢の姫君が新たに加わった六条院の参座には夢中になるほど容姿を気にして来て、平年と違った光景が現出された新春であった。春の花を誘う夕風がのどかに吹いていた。前の庭の梅が少し咲きそめたこの黄昏《たそがれ》時に、楽音がおもしろく起こって来た。「この殿」が最初に歌われて、はなやかな気分がまず作られたのである。源氏も時々声を添えた。福草《さきぐさ》の三つ葉四つ葉にというあたりがことにおもしろく聞かれた。どんなことにも源氏の片影が加わればそのものが光づけられるのである。こうしたはなやかな遊びも派手《はで》な人出入りの物音も遠く離れた所で聞いている紫の女王《にょおう》以外の夫人たちは、極楽世界に生まれても下品下生《げぼんげしょう》の仏で、まだ開かない蓮《はす》の蕾《つぼみ》の中にこもっている気がされた。まして離れた東の院にいる人たちは、年月に添えて退屈さと寂しさが加わるのであるが、うるさい世の中と隔離した山里に住んでいる気になっていて、源氏の冷淡さをとがめたり恨んだりする気にもなれなかった。物質的の心配はいっさいなかったから、仏勤めをする人は専念に信仰の道に進めるし、文学好きな人はまたその勉強がよくできた。住居《すまい》なども個人個人の趣味と生活にかなった様式に作られてあった。
 新年騒ぎの少し静まったころになって源氏は東の院へ来た。末摘花《すえつむはな》の女王《にょおう》は無視しがたい身分を思って、形式的には非常に尊貴な夫人としてよく取り扱っているのである。昔たくさんあった髪も、年々に少なくなって、しかも今は白い筋の多く混じったこの人を、面と向かって見ることが堪えられず気の毒で、源氏はそれをしなかった。柳の色は女が着て感じのよいものでないと思われたが、それはここだけのことで、着手が悪いからである。陰気な黒ずんだ赤の掻練《かいねり》の糊気《のりけ》の強い一かさねの上に、贈られた柳の織物の小袿《こうちぎ》を着ているのが寒そうで気の毒であった。重ねに仕立てさせる服地も贈られたのであるがどうしたのであろう。鼻の色だけは春の霞《かすみ》にもこれは紛れてしまわないだろうと思われるほどの赤いのを見て、源氏は思わず歎息《たんそく》をした。手はわざわざ几帳《きちょう》の切れを丁寧に重ね直した。かえって末摘花は恥ずかしがっていないのである。こうして変わらぬ愛をかける源氏に真心から信頼している様子に同情がされた。こんなことにも常識の不足した点のあるのを、哀れな人であると源氏は思って、自分だけでもこの人を愛してやらねばというふうに考えるところに源氏の善良さがうかがえるのである。話す声なども寒そうに慄《ふる》えていた。
 源氏は見かねて言った。
「あなたの着物のことなどをお世話する者がありますか。こんなふうに気楽に暮らしていてよい人というものは、外見はどうでも、何枚でも着物を着重ねているのがいいのですよ。表面だけの体裁よさを作っているのはつまりませんよ」
 女王はさすがにおかしそうに笑った。
「醍醐《だいご》の阿闍梨《あじゃり》さんの世話に手がかかりましてね、仕立て物が間に合いませんでした上に、毛皮なども借りられてしまいまして寒いのですよ」
 と説明する阿闍梨というのは鼻の非常に赤い兄の僧のことである。あまりに見栄を知らない女であると思いながらも、ここではまじめな一面だけを見せている源氏はなおも注意をする。
「毛皮はお坊様にあげたほうが適当でいいのですよ、そんな物より、白い着物という物は何枚でも重ねて着ていいのですからね。なぜあなたはそうしないのですか。入り用な物も送ってよこすのを私が忘れていれば、遠慮なく言ってよこしてください。もとからぼんやりとした私はまた怠《なま》け者でもあるし、ほかの方たちのこととこんがらがってしまうこともあって、済まない結果にもなるのですよ」
 と言って源氏は、隣の二条院のほうの蔵《くら》をあけさせ、絹や綾《あや》を多く紅《くれない》の女王に贈った。荒れた所もないが、男主人の平生住んでいない家は、どことなく寂しい空気のたまっている気がした。前の庭の木立ちだけは春らしく見えて、咲いた紅梅なども賞翫《しょうがん》する人のないのをながめて、

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ふるさとの春の木末にたづねきて世の常ならぬ花を見るかな
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 と源氏は独言《ひとりごと》したが、鼻の赤い夫人は何のこととも気づかなかったであろう。
 空蝉《うつせみ》の尼君の住んでいる所へ源氏は来た。そこの主人《あるじ》らしくここは住まずに、目だたぬ一室にいて、住居《すまい》の大部分を仏間に取った空蝉が仏勤めに傾倒して暮らす様子も哀れに見えた。経巻の作りよう、仏像の飾り、ちょっとした閼伽《あか》の器具などにも空蝉のよい趣味が見えてなつかしかった。青鈍《あおにび》色の几帳《きちょう》の感じのよい蔭《かげ》にすわっている尼君の袖口《そでぐち》の色だけにはほかの淡い色彩も混じっていた。源氏は涙ぐんでいた。
「松が浦島《うらしま》(松が浦島|今日《けふ》ぞ見るうべ心あるあまも住みけり)だと思って神聖視するのにとどめておかねばならないあなたなのですね。昔から何という悲しい二人でしょう。しかしこうして逢《あ》ってお話しするくらいのことは永久にできるだけの因縁があるのですね」
 などと言った。空蝉の尼君も物哀れな様子で、
「ただ今こんなふうに御信頼して暮らさせていただきますことで、私は前生に御縁の深かったことを思っております」
 と言う。
「あなたを虐《しいた》げた過去の追憶に苦しんで、おりおり今でも仏にお詫《わ》びを言わねばならないのが私です。しかしおわかりになりましたか、ほかの男は私のように純なものではないということを、あなたはそれからの経験でお知りになっただろうと思う」
 継息子《ままむすこ》のよこしまな恋に苦しめられたことを、源氏は聞いていたのであろうと女は恥ずかしく思った。
「こんなにみじめになりました晩年をお見せしておりますことでだれの過去の罪も清算されるはずでございます。これ以上の報いがどこにございましょう」
 と言って、空蝉《うつせみ》は泣いてしまった。昔よりも深味のできた品のよい所が見え、過去の恋人で現在の尼君として別世界のものに扱うだけでは満足のできかねる気も源氏はしたが、恋の戯れを言いかけうる相手ではなかった。いろいろな話をしながらも、せめてこれだけの頭のよさがあの人にあればよいのにと末摘花の住居《すまい》のほうがながめられた。こんなふうで源氏の保護を受けている女は多かった。だれの所も洩《も》らさず訪問して、
「長く来られない時もありますが、心のうちでは忘れているのではないのです。ただ生死の別れだけが私たちを引き離すものだと思いますが、その命というものを考えると、実に心細くなりますよ」
 などとなつかしい調子で恋人たちを慰めていた。皆ほどほどに源氏は愛していた。女に対して驕慢《きょうまん》な心にもついなりそうな境遇にいる源氏ではあるが、末々の恋人にまで誠意を忘れず持ってくれることに、それらの人々は慰められて年月を送っていた。
 今年《ことし》の正月には男踏歌《おとことうか》があった。御所からすぐに朱雀《すざく》院へ行ってその次に六条院へ舞い手はまわって来た。道のりが遠くてそれは夜の明け方になった。月が明るくさして薄雪の積んだ六条院の美しい庭で行なわれる踏歌がおもしろかった。舞や音楽の上手《じょうず》な若い役人の多いころで、笛なども巧みに吹かれた。ことにここでのできばえを皆晴れがましく思っているのである。他の二夫人らにも来て見物することを源氏が勧めてあったので、南の御殿の左右の対や渡殿《わたどの》を席に借りて皆来ていた。東の住居《すまい》の西の対の玉鬘《たまかずら》の姫君は南の寝殿に来て、こちらの姫君に面会した。紫夫人も同じ所にいて几帳《きちょう》だけを隔てて玉鬘と話した。踏歌の組は朱雀《すざく》院で皇太后の宮のほうへ行っても一回舞って来たのであったから、時間がおそくなり、夜も明けてゆくので、饗応《きょうおう》などは簡単に済ますのでないかと思っていたが、普通以上の歓待を六条院では受けることになった。光の強い一月の暁の月夜に雪は次第に降り積んでいった。松風が高い所から吹きおろしてきてすさまじい感じにももう一歩でなりそうな庭にもう折り目もなくなった青色の上着に白襲《しろがさね》を下にしただけの服装に、見ばえのない綿を頭にかぶっている舞い手が出ているだけのことも、所がらかおもしろくて、命も延びるほどに観衆は思った。源氏の子息の中将と内大臣の公子たちが舞い手の中ではことにはなやかに見えた。ほのぼのと東の空が白んでゆく光に、やや大降りに降る雪の影が見えて寒い中で、「竹川」を歌って、右に寄り、左に集まって行く舞い手の姿、若々しいその歌声などは、絵にかいて残すことのできないのが遺憾である。各夫人の見物席には、いずれ劣らぬ美しい色を重ねた女房の袖口《そでぐち》が出ていて、曙《あけぼの》の空に春の花の錦《にしき》を霞《かすみ》が長く一段だけ見せているようで、これがまた見ものであった。舞い人は、「高巾子《こうこじ》」という脱俗的な曲を演じたり、自由な寿詞《じゅし》に滑稽味《こっけいみ》を取り混ぜたりもして、音楽、舞曲としてはたいして価値のないことで役を済ませて、慣例の纏頭《てんとう》である綿を一袋ずつ頭にいただいて帰った。夜がすっかり明けたので、二夫人らは南御殿を去った。源氏はそれからしばらく寝て八時ごろに起きた。
「中将の声は弁《べん》の少将の美音にもあまり劣らなかったようだ、今は不思議に優秀な若者の多い時代なのですね。昔は学問その他の堅実な方面にすぐれた人が多かったろうが、芸術的のことでは近代の人の敵ではないらしく思われる。私は中将などをまじめな役人に仕上げようとする教育方針を取っていて、私自身のまじめでありえなかった名誉を回復させたく思っていたが、やはりそれだけでは完全な人間に成りえないのだから、芸術的な所をなくさせぬようにしなければならないのだと知った。どんな欲望も抑制したまじめ顔がその人の全部であってはいやなものですよ」
 などと源氏は夫人に言って、息子をかわいく思うふうが見えた。万春楽《ばんしゅんがく》を口ずさみにしていた源氏は、
「奥さんがたがはじめてこちらへ来た記念に、もう一度集まってもらって、音楽の合奏をして遊びたい気がする。私の家《うち》だけの後宴《ごえん》があるべきだ」
 と言って、秘蔵の楽器をそれぞれ袋から出して塵《ちり》を払わせたり、ゆるんだ絃《げん》を締めさせたりなどしていた。夫人たちはそのことをどんなに晴れがましく思ったことであろう。

初音 版本说明

底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
   1994(平成6)年6月15日39版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年1月15日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:kumi
2003年5月22日作成
青空文庫作成ファイル:
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24 胡蝶

[#地から3字上げ]盛りなる御代《みよ》の后《きさき》に金の蝶《てふ》しろがねの
[#地から3字上げ]鳥花たてまつる      (晶子)

 三月の二十日《はつか》過ぎ、六条院の春の御殿の庭は平生にもまして多くの花が咲き、多くさえずる小鳥が来て、春はここにばかり好意を見せていると思われるほどの自然の美に満たされていた。築山《つきやま》の木立ち、池の中島のほとり、広く青み渡った苔《こけ》の色などを、ただ遠く見ているだけでは飽き足らぬものがあろうと思われる若い女房たちのために、源氏は、前から造らせてあった唐風の船へ急に装飾などをさせて池へ浮かべることにした。船|下《お》ろしの最初の日は御所の雅楽寮の伶人《れいじん》を呼んで、船楽を奏させた。親王がた高官たちの多くが参会された。このごろ中宮は御所から帰っておいでになった。去年の秋「心から春待つ園」の挑戦《ちょうせん》的な歌をお送りになったお返しをするのに適した時期であると紫の女王《にょおう》も思うし、源氏もそう考えたが、尊貴なお身の上では、ちょっとこちらへ招待申し上げて花見をおさせするというようなことが不可能であるから、何にも興味を持つ年齢の若い宮の女房を船に乗せて、西東続いた南庭の池の間に中島の岬《みさき》の小山が隔てになっているのを漕《こ》ぎ回らせて来るのであった。東の釣殿《つりどの》へはこちらの若い女房が集められてあった。竜頭鷁首《りゅうとうげきしゅ》の船はすっかり唐風に装われてあって、梶取《かじと》り、棹取《さおと》りの童侍《わらわざむらい》は髪を耳の上でみずらに結わせて、これも支那《しな》風の小童に仕立ててあった。大きい池の中心へ船が出て行った時に、女房たちは外国の旅をしている気がして、こんな経験のかつてない人たちであるから非常におもしろく思った。中島の入り江になった所へ船を差し寄せて眺望《ちょうぼう》をするのであったが、ちょっとした岩の形なども皆絵の中の物のようであった。あちらにもそちらにも霞《かすみ》と同化したような花の木の梢《こずえ》が錦《にしき》を引き渡していて、御殿のほうははるばると見渡され、そちらの岸には枝をたれて柳が立ち、ことに派手《はで》に咲いた花の木が並んでいた。よそでは盛りの少し過ぎた桜もここばかりは真盛《まさか》りの美しさがあった。廊を廻った藤《ふじ》も船が近づくにしたがって鮮明な紫になっていく。池に影を映した山吹《やまぶき》もまた盛りに咲き乱れているのである。水鳥の雌雄の組みが幾つも遊んでいて、あるものは細い枝などをくわえて低く飛び交《か》ったりしていた。鴛鴦《おしどり》が波の綾《あや》の目に紋を描いている。写生しておきたい気のする風景ばかりが次々に目の前へ現われてくるのであったから、仙人《せんにん》の遊戯を見ているうちに斧《おの》の木の柄が朽ちた話と同じような恍惚《こうこつ》状態になって女房たちは長い時間水上にいた。

[#ここから2字下げ]
風吹けば浪《なみ》の花さへ色見えてこや名に立てる山吹の崎《さき》
春の池や井手の河瀬《かはせ》に通ふらん岸の山吹底も匂《にほ》へり
亀《かめ》の上の山も訪《たづ》ねじ船の中に老いせぬ名をばここに残さん
春の日のうららにさして行く船は竿《さを》の雫《しづく》も花と散りける
[#ここで字下げ終わり]

 こんな歌などを各自が詠《よ》んで、行く先をも帰る所をも忘れるほど若い人たちのおもしろがって遊ぶのに適した水の上であった。暮れかかるころに「皇※[#「鹿/章」、第3水準1-94-75]《こうじょう》」という楽の吹奏が波を渡ってきて、人々の船は歓楽陶酔の中に岸へ着き、設けられた釣殿《つりどの》の休息所へはいった。ここの室内の装飾は簡単なふうにしてあって、しかも艶《えん》なものであった。各夫人の若いきれいな女房たちが、競って華美な姿をして待ち受けていたのは、花の飾りにも劣らず美しかった。曲のありふれたものでない楽が幾つか奏されて、舞い手にも特に選抜された公達《きんだち》が出され、若い女に十分の満足を与えた。夜になってしまったことを源氏は残念に思って、前の庭に篝《かがり》をとぼさせ、階段の下の苔《こけ》の上へ音楽者を近く招いて、堂上の親王がた、高官たちと堂下の伶人《れいじん》とで大合奏が行なわれるのであった。専門家の中の優美な者だけが選ばれて、双調《そうちょう》を笛で吹き出したのをはじめに、その音を待ち取った絃楽《げんがく》が上で起こったのである。絃楽の人ははなやかな音をかき立てて、歌手は「安名尊《あなとうと》」を歌った。生きがいのあることを感じながら庶民たちまでも六条院の門前の馬や車の立てられた蔭《かげ》へはいってこれらを聞いていた。春の空に春の調子の楽音の響く効果というものを、こうした大管絃楽を行なって堂上の人々は知ったであろうと思われた。終夜音楽はあった。呂《ろ》の楽を律へ移すのに「喜春楽《きしゅんらく》」が奏されて、兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は「青柳《あおやぎ》」を二度繰り返してお歌いになった。それには源氏も声を添えた。夜が明け放れた。この朝ぼらけの鳥のさえずりを、中宮は物を隔ててうらやましくお聞きになったのであった。常に春光の満ちた六条院ではあるが、外来者の若い興奮をそそる対象のないことをこれまで物足らず思った人もあったが、西の対の姫君なる人が出現して、これという欠点のない人であること、源氏が愛して大事にかしずくことが世間に知れた今日では、源氏の予期したとおりに思慕を寄せる者、求婚者になる者が多かった。わが地位に自信のある人たちは、女房などの中へ手蔓《てづる》を求めて姫君へ手紙を送る方法もあるし、直接に意志を源氏へ表明することも可能であるが、そうした大胆なことはできずに、心だけを悩ましている若い公達《きんだち》などもあることと思われる。その中にはほんとうのことを知らずに、内大臣家の中将などもあるようである。兵部卿の宮も長く同棲《どうせい》しておいでになった夫人を亡《な》くしておしまいになって、もう三年余りも寂しい独身生活をしておいでになるのであったから、最も熱心な求婚者であった。今朝《けさ》もずいぶん酔ったふうをお作りになって、藤《ふじ》の花などを簪《かざし》にさして、風流な乱れ姿を見せておいでになるのである。源氏も計画どおりになっていくと、心では思うのであるが、つとめて素知らぬ顔をしていた。酒杯のまわって来た時、迷惑な色をお見せになって宮は、
「私がある望みを持っていないのでしたら、逃げ出してしまう所ですよ。もういけません」
 と言って、手をお出しになろうとしない。

[#ここから2字下げ]
紫のゆゑに心をしめたれば淵《ふち》に身投げんことや惜しけき
[#ここで字下げ終わり]

 とお言いになってから、源氏に、
「あなたはお兄様なのですからお助けください」
 と源氏にその杯をお譲りになるのであった。源氏は満面に笑《え》みを見せながら言う。

[#ここから2字下げ]
淵に身を投げつべしやとこの春は花のあたりを立ちさらで見ん
[#ここで字下げ終わり]

 源氏がぜひと引きとめるので、宮もお帰りになることができなかった。
 今朝《けさ》の管絃楽はまたいっそうおもしろかった。この日は中宮が僧に行なわせられる読経《どきょう》の初めの日であったから、夜を明かした人たちは、ある部屋部屋《へやべや》で休息を取ってから、正装に着かえてそちらへ出るのも多かった。障《さわ》りのある人はここから家へ帰った。正午ごろに皆中宮の御殿へ参った。殿上役人などは残らずそのほうへ行った。源氏の盛んな権勢に助けられて、中宮は百官の全《まった》い尊敬を得ておいでになる形である。春の女王《にょおう》の好意で、仏前へ花が供せられるのであったが、それはことに美しい子が選ばれた童女八人に、蝶《ちょう》と鳥を形どった服装をさせ、鳥は銀の花瓶《かびん》に桜のさしたのを持たせ、蝶には金の花瓶に山吹をさしたのを持たせてあった。桜も山吹も並み並みでなくすぐれた花房《はなぶさ》のものがそろえられてあった。南の御殿の山ぎわの所から、船が中宮の御殿の前へ来るころに、微風が出て瓶の桜が少し水の上へ散っていた。うららかに晴れたその霞の中から、この花の使者を乗せた船の出て来た形は艶《えん》であった。天幕をこちらの庭へ移すことはせずに、左へ出た廊を楽舎のようにして、腰掛けを並べて楽は吹奏されていたのである。童女たちは階梯《きざはし》の下へ行って花を差し上げた。香炉を持って仏事の席を練っていた公達《きんだち》がそれを取り次いで仏前へ供えた。紫の女王の手紙は子息の源中将が持って来た。

[#ここから2字下げ]
花園の胡蝶《こてふ》をさへや下草に秋まつ虫はうとく見るらん
[#ここで字下げ終わり]

 というのである。中宮はあの紅葉《もみじ》に対しての歌であると微笑して見ておいでになった。昨日《きのう》招かれて行った女房たちも春をおけなしになることはできますまいと、すっかり春に降参して言っていた。うららかな鶯《うぐいす》の声と鳥の楽が混じり、池の水鳥も自由に場所を変えてさえずる時に、吹奏楽が終わりの急な破《は》になったのがおもしろかった。蝶《ちょう》ははかないふうに飛び交《か》って、山吹が垣《かき》の下に咲きこぼれている中へ舞って入る。中宮の亮《すけ》をはじめとしてお手伝いの殿上役人が手に手に宮の纏頭《てんとう》を持って童女へ賜わった。鳥には桜の色の細長、蝶へは山吹襲《やまぶきがさね》をお出しになったのである。偶然ではあったがかねて用意もされていたほど適当な賜物《たまもの》であった。伶人《れいじん》への物は白の一襲《ひとかさね》、あるいは巻き絹などと差があった。中将へは藤《ふじ》の細長を添えた女の装束をお贈りになった。中宮のお返事は、
[#ここから1字下げ]
昨日は泣き出したくなりますほどうらやましく思われました。

[#ここから2字下げ]
こてふにも誘はれなまし心ありて八重山吹を隔てざりせば
[#ここで字下げ終わり]

 というのであった。すぐれた貴女《きじょ》がたであるが歌はお上手《じょうず》でなかったのか、ほかのことに比べて遜色《そんしょく》があるとこの御贈答などでは思われる。昨日のことであるが、招かれて行った女房たちの、中宮のほうから来た人たちには意匠のおもしろい贈り物がされたのであった。そんなことをあまりこまごまと記述することは読者にうるさいことであるから省略する。毎日のようにこうした遊びをして暮らしている六条院の人たちであったから、女房たちもまた幸福であった。各夫人、姫君の間にも手紙の行きかいが多かった。
 玉鬘《たまかずら》の姫君はあの踏歌《とうか》の日以来、紫夫人の所へも手紙を書いて送るようになった。人柄の深さ浅さはそれだけで判断されることでもないが、落ち着いたなつかしい気持ちの人であることだけは認められて、花散里《はなちるさと》からも、紫の女王からも玉鬘は好意を持たれた。結婚を申し込む人は多かった。いいかげんに自分だけでこのことはだれにと決めてしまうことのできないことであると源氏は思っているのであった。自身でも親の心になりきってしまうことが不可能な気がするのか、実父に玉鬘《たまかずら》の存在を報ぜようかという考えの起こることも間々あった。源中将は親しい気持ちで玉鬘の居間の御簾《みす》に近く来て話すこともある。玉鬘もそれに対して、自身が直接話をしなければならないことになっているのを女は恥ずかしく思ったが、兄弟ということになっているのであるからといって、右近たちは睦《むつ》まじくすることを勧めていた。中将はいつもまじめで、よけいな想像などはしないふうで、姉と信じていた。内大臣家の公達《きんだち》も中将に伴われてこちらの御殿へ、下心をほのめかすふうに来たりもするのであるが、そうした問題ではなしに、なつかしい気持ちでほんとうの兄弟たちを玉鬘はながめていた。実父に逢《あ》いたいと常に人知れず思うのであるが、その素振りは見せずに、信頼しきった様子だけが源氏に見えるのも、いっそう可憐《かれん》に、いっそう処女らしくこの人を思わせた。似ているというのではないがやはり母の夕顔のよさがそのままこの人にもあって、その上に才女らしいところが添っていた。
 衣がえをする初夏は、空の気持ちなども理由なしに感じのよい季節であるが、閑暇《ひま》の多い源氏はいろいろな遊び事に時を使っていた。玉鬘のほうへ男性から送って来る手紙の多くなることに興味を持って、またしても西の対へ出かけてはそれらの懸想文《けそうぶみ》を源氏は読むのであった。あるものは返事を書けと源氏が勧めたりするのを玉鬘は苦しく思った。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮がまだ何ほどの時間が経過しているのでもないのに、もうあせって恨みらしいことをたくさんお書きになった手紙を、ほかの手紙の中から見いだして心からおかしそうに源氏は笑った。
「私は若い時からおおぜいの兄弟たちの中で、この宮とだけは最も親密な交際ができたのだが、恋愛問題については私に話されたことがなかったし、私もその方面のことは別にしてあったものだが、今になって宮の恋のお悩みに触れるということで、私は満足もでき、また物哀れな気にもなる。ぜひこのかたなどにはお返事をお書きなさい。少し見識を備えた女が、交際を始める価値のある男と言ってはこの宮以外にあるとも思えないかたなのですからね」
 などと若い女の心を惹《ひ》きそうなことを源氏は言うのであるが、玉鬘はただ恥ずかしくばかり聞いていた。右大将が高官の典型のようなまじめな風采《ふうさい》をしながら、恋の山には孔子も倒れるという諺《ことわざ》をほんとうにして見せようとするふうな熱意のある手紙を書いているのも源氏にはおもしろく思われた。そうした幾通かの中に、薄青色の唐紙の薫物《たきもの》の香を深く染《し》ませたのを、細く小さく結んだのがあった。あけて見るときれいな字で、

[#ここから2字下げ]
思ふとも君は知らじな湧《わ》き返り岩|洩《も》る水に色し見えねば
[#ここで字下げ終わり]

 と書いてある。書き方に近代的なはかなさが見せてあるのである。
「これはどんな人のですか」
 と源氏は聞くのであるが、はかばかしい返辞を玉鬘はしない。源氏は右近を呼び出した。
「こんな手紙をよこす人たちに細心な注意を払ってね、分類をしてね、返事をすべき人には返事をさせなければいけない。近ごろの男が暴力で恋を遂げるというようなことも、必ずしも男の咎《とが》ばかりではない。それは私自身も体験したことで、あまりに冷淡だ、無情だ、恨めしいと、そんな気持ちが積もり積もって、無法をしてしまうのだ。またそれが身分の低い女であれば、失敬な態度だと思っては罪を犯すことにもなるのだ。たいしたことでなしに、花や蝶につけての返事はして、この程度の交際を持続させておくことも相手を熱心にさせる効果のあるものだからね。あるいはまたそれなりに双方で忘れてしまうことになっても少しもさしつかえのないことだ。けれどまた誠意のない出来心で手紙をよこしたような場合にすぐ返事を書いてやるのもよろしくない。あとで批難されても弁解のしようがない。全体女というものは、慎み深くしていずに、動いた感情をありのままに相手へ見せることをしては、結果は必ずよくないものだが、宮や大将が謙遜《けんそん》な態度をとって、いいかげんな一時的な恋をされる訳はないのだからね。いつも返事をせずに自尊心を持ち過ぎた女のように思わせるのも、この人にはふさわしくないことだからね。またそれ以下の人たちのことは、忍耐力の強さ、月日の長さ短さによって、それ相応に好意的な返事をするのだね」
 と源氏が言っている間、顔を横向けていた玉鬘《たまかずら》の側面が美しく見えた。派手《はで》な薄色の小袿《こうちぎ》に撫子《なでしこ》色の細長を着ている取り合わせも若々しい感じがした。身の取りなしなどに難はなかったというものの、以前は田舎の生活から移ったばかりのおおようさが見えるだけのものであった。紫夫人などの感化を受けて、今では非常に柔らかな、繊細な美が一挙一動に現われ、化粧なども上手《じょうず》になって、不満足な気のするようなことは一つもないはなやかな美人になっていた。人の妻にさせては後悔が残るであろうと源氏は思った。右近も二人を微笑《ほほえ》んでながめながら、父親として見るのに不似合いな源氏の若さは、夫婦であったなら最もふさわしい配偶であろうと思っていた。
「ほかからのお手紙のお取り次ぎは決してだれもいたさないのでございます。前からも送っておいでになります方のは、三度も四度も続けてお返しばかりしてはと思いまして、ただ私たちだけでお預かりしているのでございますから、お返事は、殿様が書けとお言いになります分だけを、それも迷惑がってお書きになるだけなのでございます」
 と右近が言う。
「それにしてもこの控え目な結んであった手紙はだれのかね。苦心の跡の見えるものだ」
 微笑を浮かべながら源氏はこの手紙に目を落としていた。
「それはぜひ置かせてくれとお言いになったのでございまして、内大臣家の中将さんがこちらの海松子《みるこ》を前に知っていらっしゃいまして、海松子が持って参ったのでございます。だれもまだ内容は拝見しておりませんでした」
「かわいい話ではないか。今は殿上役人級であっても、あの人たちに失敬なことをしていい訳はない。公卿《こうけい》といってもこの人の勢いに必ずしも皆まで匹敵できるものでない。私の予言は必ず当たるよ。この人たちには露骨でなく、上手《じょうず》に切尖《きっさき》をはずさせるように工夫《くふう》するのだね。おもしろい手紙だよ」
 と言って、源氏はその手紙をすぐにも下へ置かずに見ていた。
「私がいろいろと考えたり、言ったりしていても、あなたにこうしたいと思っておいでになることがないのであろうかと、気づかわしい所もあります。内大臣に名のって行くことも、まだ結婚前のあなたが、長くいっしょにいられる夫人や子供たちの中へはいって行って幸福であるかどうかが疑問だと思って私は躊躇《ちゅうちょ》しているのです。女として普通に結婚をしてから出会う機会をとらえたほうがいいと思うのですが、その結婚相手ですね、兵部卿の宮は表面独身ではいられるが、女好きな方で、通ってお行きになる人の家も多いようだし、また邸《やしき》には召人《めしゅうど》という女房の中の愛人が幾人もいるということですからね、そんな関係というものは、夫人になる人が嫉妬《しっと》を見せないで自然に矯正《きょうせい》させる努力さえすれば、世間へ醜態も見せずに穏やかに済みますが、そうした気持ちになれない性格の人は、そんなつまらぬことから夫婦仲がうまくゆかずに、良人《おっと》の愛を失ってしまう結果にもなりますから、ある覚悟がいりますよ。右大将は若い時からいっしょにいた夫人が年上であることなどから、その人と別れるためにも、新たな結婚をしたがっているのですが、しかし、それも面倒《めんどう》の添った縁だと人の言うそれですからね、だから私も相手をだれとも仮定して考えて見ることができないのです。こんなことは親にもはっきりと意見の述べられない問題なのだが、あなたもひどくまだ若いというのではないから、自身の結婚する相手について判断のできない訳はないと思う。私をあなたのお母様だと思って、何でも相談してくだすったらいいと思う。あなたに不満足な思いをさせるような結婚はさせたくないと私は思っているのです」
 こう源氏はまじめに言っていたが、玉鬘《たまかずら》はどう返事をしてよいかわからないふうを続けているのもさげすまれることになるであろうと思って言った。
「まだ物心のつきませんころから、親というものを目に見ない世界にいたのでございますから、親がどんなものであるか、親に対する気持ちはどんなものであるか私にはわかってないのでございます」
 このおおような言葉がよくこの人を現わしていると源氏は思った。そう思うのがもっともであるとも思った。
「では、親のない子は育ての親を信頼すべきだという世間の言いならわしのように私の誠意をだんだんと認めていってくれますか」
 などと源氏は言っていた。恋しい心の芽ばえていることなどは気恥ずかしくて言い出せなかった。それとなくその気持ちを言う言葉は時々混ぜもするのであるが、気のつかぬふうであったから、歎息《たんそく》をしながら源氏は帰って行こうとした。縁に近くはえた呉竹《くれたけ》が若々しく伸びて、風に枝を動かす姿に心が惹《ひ》かれて、源氏はしばらく立ちどまって、

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「ませのうらに根深く植ゑし竹の子のおのがよよにや生《お》ひ別るべき
[#ここで字下げ終わり]

 その時の気持ちが想像されますよ。寂しいでしょうからね」
 外から御簾《みす》を引き上げながらこう言った。玉鬘は膝行《いざ》って出て言った。

[#ここから1字下げ]
「今さらにいかならんよか若竹の生ひ始めけん根をば尋ねん
[#ここで字下げ終わり]

 かえって幻滅を味わうことになるでしょうから」
 源氏は哀れに聞いた。玉鬘の心の中ではそうも思っているのではなかった。どんな時に機会が到来して父を父と呼ぶ日が来るのであろうとたよりない悲しみをしているのであるが、源氏の好意に感激はしていて、実父といっても初めから育てられなかった親は、これほどこまやかな愛を自分に見せてくれないのではあるまいかと、古い小説などからもいろいろと人生を教えられている玉鬘《たまかずら》は想像して、自身が源氏の感情を無視して勝手に父へ名のって行くことなどはできないとしていた。
 源氏は別れぎわに玉鬘の言ったことで、いっそうその人を可憐《かれん》に思って、夫人に話すのであった。
「不思議なほど調子のなつかしい人ですよ。母であった人はあまりに反撥《はんぱつ》性を欠いた人だったけれど、あの人は、物の理解力も十分あるし、美しい才気も見えるし、安心されないような点が少しもない」
 この源氏の賞《ほ》め言葉を聞いていて夫人は、良人《おっと》が単に養女として愛する以外の愛をその人に持つことになっていく経路を、源氏の性格から推して察したのである。
「理解力のある方にもせよ、全然あなたを信用してたよっていてはどんなことにおなりになるかとお気の毒ですわ」
 と女王《にょおう》は言った。
「私は信頼されてよいだけの自信はあるのだが」
「いいえ、私にも経験があります。悩ましいような御様子をお見せになったことなど、そんなこと私はいくつも覚えているのですもの」
 微笑をしながら言っている夫人の神経の鋭敏さに驚きながら、源氏は、
「あなたのことなどといっしょにするのはまちがいですよ。そのほかのことで私は十分あなたに信用されてよいこともあるはずだ」
 と言っただけで、やましい源氏はもうその話に触れようとしないのであったが、心の中では、妻の疑いどおりに自分はなっていくのでないかという不安を覚えていた。同時にまた若々しいけしからぬ心であると反省もしていたのである。
 気にかかる玉鬘を源氏はよく見に行った。しめやかな夕方に、前の庭の若楓《わかかえで》と柏《かしわ》の木がはなやかに繁り合っていて、何とはなしに爽快《そうかい》な気のされるのをながめながら、源氏は「和しまた清し」と詩の句を口ずさんでいたが、玉鬘の豊麗な容貌《ようぼう》が、それにも思い出されて、西の対へ行った。手習いなどをしながら気楽な風でいた玉鬘が、起き上がった恥ずかしそうな顔の色が美しく思われた。その柔らかいふうにふと昔の夕顔が思い出されて、源氏は悲しくなったまま言った。
「あなたにはじめて逢《あ》った時には、こんなにまでお母様に似ているとは見えなかったが、それからのちは時々あなたをお母様だと思うことがあるのですよ。その点ではずいぶん私を悲しがらせるあなただ。中将が少しも死んだ母に似た所がないものだから、親子というものはそれくらいのものかと思っていましたがね、あなたのような人もまたあるのですね」
 涙ぐんでいるのであった。そこに置かれてあった箱の蓋《ふた》に、菓子と橘《たちばな》の実を混ぜて盛ってあった中の、橘を源氏は手にもてあそびながら、

[#ここから1字下げ]
「橘のかをりし袖《そで》によそふれば変はれる身とも思ほえぬかな
[#ここで字下げ終わり]

 長い年月の間、どんな時にも恋しく思い出すばかりで、慰めは少しも得られなかった私が、故人にそのままなあなたを家の中で見ることは、夢でないかとうれしいにつけても、また昔が思われます。あなたも私を愛してください」
 と言って、玉鬘《たまかずら》の手を取った。女はこんなふうに扱われたことがなかったから、心持ちが急に暗く憂鬱《ゆううつ》になったが、ただ腑《ふ》に落ちぬふうを見せただけで、おおようにしながら、

[#ここから2字下げ]
袖の香をよそふるからに橘のみさへはかなくなりもこそすれ
[#ここで字下げ終わり]

 と言ったが、不安な気がして下を向いている玉鬘の様子が美しかった。手がよく肥えて肌目《はだめ》の細かくて白いのをながめているうちに、見がたい物を見た満足よりも物思いが急にふえたような気が源氏にした。源氏はこの時になってはじめて恋をささやいた。女は悲しく思って、どうすればよいかと思うと、身体《からだ》に慄《ふる》えの出てくるのも源氏に感じられた。
「なぜそんなに私をお憎みになる。今まで私はこの感情を上手《じょうず》におさえていて、だれからも怪しまれていなかったのですよ。あなたも人に悟らせないようにつとめてください。もとから愛している上に、そうなればまた愛が加わるのだから、それほど愛される恋人というものはないだろうと思われる。あなたに恋をしている人たちより以下のものに私を見るわけはないでしょう。こんな私のような大きい愛であなたを包もうとしている者はこの世にないはずなのですから、私が他の求婚者たちの熱心の度にあきたらないもののあるのはもっともでしょう」
 と源氏は言った。変態的な理屈である。雨はすっかりやんで、竹が風に鳴っている上に月が出て、しめやかな気になった。女房たちは親しい話をする主人たちに遠慮をして遠くへ去っていた。始終|逢《あ》っている間柄ではあるが、こんなよい機会もまたとないような気がしたし、抑制したことが口へ出てしまったあとの興奮も手伝って、都合よく着ならした上着は、こんな時にそっと脱ぎすべらすのに音を立てなかったから、そのまま玉鬘の横へ寝た。玉鬘は情けない気がした。人がどう言うであろうと思うと非常に悲しくなった。実父の所であれば、愛は薄くてもこんな禍《わざわ》いはなかったはずであると思うと涙がこぼれて、忍ぼうとしても忍びきれないのである。玉鬘がそんなにも心を苦しめているのを見て、
「そんなに私を恐れておいでになるのが恨めしい。それまでに親しんでいなかった人たちでも、夫婦の道の第一歩は、人生の掟《おきて》に従って、いっしょに踏み出すのではありませんか。もう馴染《なじ》んでから長くなる私が、あなたと寝て、それが何恐ろしいことですか。これ以上のことを私は断じてしませんよ。ただこうして私の恋の苦しみを一時的に慰めてもらおうとするだけですよ」
 と源氏は言ったが、なお続いて物哀れな調子で、恋しい心をいろいろに告げていた。こうして二人並んで身を横たえていることで、源氏の心は昔がよみがえったようにも思われるのである。自身のことではあるが、これは軽率なことであると考えられて、反省した源氏は、人も不審を起こすであろうと思って、あまり夜も更《ふ》かさないで帰って行くのであった。
「こんなことで私をおきらいになっては私が悲しみますよ。よその人はこんな思いやりのありすぎるものではありませんよ。限りもない、底もない深い恋を持っている私は、あなたに迷惑をかけるような行為は決してしない。ただ帰って来ない昔の恋人を悲しむ心を慰めるために、あなたを仮にその人としてものを言うことがあるかもしれませんが、私に同情してあなたは仮に恋人の口ぶりでものを言っていてくだすったらいいのだ」
 と出がけに源氏はしんみりと言うのであったが、玉鬘《たまかずら》はぼうとなっていて悲しい思いをさせられた恨めしさから何とも言わない。
「これほど寛大でないあなたとは思っていなかったのに、非常に憎むのですね」
 と歎息《たんそく》をした源氏は、
「だれにもいっさい言わないことにしてください」
 と言って帰って行った。玉鬘は年齢からいえば何ももうわかっていてよいのであるが、まだ男女の秘密というものはどの程度のものを言うのかを知らない。今夜源氏の行為以上のものがあるとも思わなかったから、非常な不幸な身になったようにも歎《なげ》いているのである。気分も悪そうであった。女房たちは、「病気ででもおありになるようだ」と心配していた。
「殿様は御親切でございますね。ほんとうのお父様でも、こんなにまでよくあそばすものではないでしょう」
 などと、兵部がそっと来て言うのを聞いても、玉鬘は源氏がさげすまれるばかりであった。それとともに自身の運命も歎かれた。
 翌朝早く源氏から手紙を送って来た。身体《からだ》が苦しくて玉鬘は寝ていたのであるが、女房たちは硯《すずり》などを出して来て、返事を早くするようにと言う。玉鬘はしぶしぶ手に取って中を見た。白い紙で表面だけは美しい字でまじめな書き方にしてある手紙であった。
[#ここから1字下げ]
例もないように冷淡なあなたの恨めしかったことも私は忘れられない。人はどんな想像をしたでしょう。

[#ここから2字下げ]
うちとけてねも見ぬものを若草のことありがほに結ぼほるらん

[#ここから1字下げ]
あなたは幼稚ですね。
[#ここで字下げ終わり]
 恋文であって、しかも親らしい言葉で書かれてある物であった。玉鬘は憎悪《ぞうお》も感じながら、返事をしないことも人に怪しませることであるからと思って、分の厚い檀紙《だんし》に、ただ短く、
[#ここから1字下げ]
拝見いたしました。病気をしているものでございますから、失礼いたします。
[#ここで字下げ終わり]
 と書いた。源氏はそれを見て、さすがにはっきりとした女であると微笑されて、恨むのにも手ごたえのある気がした。
 一度口へ出したあとは「おほたの松の」(恋ひわびぬおほたの松のおほかたは色に出《い》でてや逢はんと言はまし)というように、源氏が言いからんでくることが多くなって、玉鬘の加減の悪かった身体がなお悪くなっていくようであった。こうしたほんとうのことを知る人はなくて、家の中の者も、外の者も、親と娘としてばかり見ている二人の中にそうした問題の起こっていると、少しでも世間が知ったなら、どれほど人笑われな自分の名が立つことであろう、自分は飽くまでも薄倖《はっこう》な女である、父君に自分のことが知られる初めにそれを聞く父君は、もともと愛情の薄い上に、軽佻《けいちょう》な娘であるとうとましく自分が思われねばならないことであると、玉鬘《たまかずら》は限りもない煩悶《はんもん》をしていた。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮や右大将は自身らに姫君を与えてもよいという源氏の意向らしいことを聞いて、ほんとうのことはまだ知らずに、非常にうれしくて、いよいよ熱心な求婚者に宮もおなりになり、大将もなった。

胡蝶 版本说明

底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
   1994(平成6)年6月15日39版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年1月15日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:kumi
2003年7月18日作成
青空文庫作成ファイル:
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25 蛍

[#地から3字上げ]身にしみて物を思へと夏の夜の蛍ほの
[#地から3字上げ]かに青引きてとぶ     (晶子)

 源氏の現在の地位はきわめて重いがもう廷臣としての繁忙もここまでは押し寄せて来ず、のどかな余裕のある生活ができるのであったから、源氏を信頼して来た恋人たちにもそれぞれ安定を与えることができた。しかも対《たい》の姫君だけは予期せぬ煩悶《はんもん》をする身になっていた。大夫《たゆう》の監《げん》の恐ろしい懸想《けそう》とはいっしょにならぬにもせよ、だれも想像することのない苦しみが加えられているのであったから、源氏に持つ反感は大きかった。母君さえ死んでいなかったならと、またこの悲しみを新たにすることになったのであった。源氏も打ち明けてからはいっそう恋しさに苦しんでいるのであるが、人目をはばかってまたこのことには触れない。ただ堪えがたい心だけを慰めるためによく出かけて来たが、玉鬘《たまかずら》のそばに女房などのあまりいない時にだけは、はっと思わせられるようなことも源氏は言った。あらわに退けて言うこともできないことであったから玉鬘はただ気のつかぬふうをするだけであった。人柄が明るい朗らかな玉鬘であったから、自分自身ではまじめ一方な気なのであるが、それでもこぼれるような愛嬌《あいきょう》が何にも出てくるのを、兵部卿《ひょうぶきょう》の宮などはお知りになって、夢中なほどに恋をしておいでになった。まだたいして長い月日がたったわけではないが、確答も得ないうちに不結婚月の五月にさえなったと恨んでおいでになって、
[#ここから1字下げ]
ただもう少し近くへ伺うことをお許しくだすったら、その機会に私の思い悩んでいる心を直接お洩《も》らしして、それによってせめて慰みたいと思います。
[#ここで字下げ終わり]
 こんなことをお書きになった手紙を源氏は読んで、
「そうすればいいでしょう。宮のような風流男のする恋は、近づかせてみるだけの価値はあるでしょう。絶対にいけないなどとは言わないほうがよい。お返事を時々おあげなさいよ」
 と源氏は言って文章をこう書けとも教えるのであったが、何重にも重なる不快というようなものを感じて、気分が悪いから書かれないと玉鬘は言った。こちらの女房には貴族出の優秀なような者もあまりないのである。ただ母君の叔父《おじ》の宰相の役を勤めていた人の娘で怜悧《れいり》な女が不幸な境遇にいたのを捜し出して迎えた宰相の君というのは、字などもきれいに書き、落ち着いた後見役も勤められる人であったから、玉鬘が時々やむをえぬ男の手紙に返しをする代筆をさせていた。その人を源氏は呼んで、口授して宮へのお返事を書かせた。聞いていて玉鬘が何と言うかを源氏は聞きたかったのである。姫君は源氏に恋をささやかれた時から、兵部卿の宮などの情をこめてお送りになる手紙などを、少し興味を持ってながめることがあった。心がそのほうへ動いて行くというのではなしに、源氏の恋からのがれるためには、兵部卿の宮に好意を持つふうを装うのも一つの方法であると思うのである。この人にも技巧的な考えが出るものである。
 源氏自身がおもしろがって宮をお呼び寄せしようとしているとは知らずに、思いがけず訪問を許すという返事をお得になった宮は、お喜びになって目だたぬふうで訪《たず》ねておいでになった。妻戸の室に敷き物を設けて几帳《きちょう》だけの隔てで会話がなさるべくできていた。心憎いほどの空薫《そらだ》きをさせたり、姫君の座をつくろったりする源氏は、親でなく、よこしまな恋を持つ男であって、しかも玉鬘《たまかずら》の心にとっては同情される点のある人であった。宰相の君なども会話の取り次ぎをするのが晴れがましくてできそうな気もせず隠れているのを源氏は無言で引き出したりした。
 夕闇《ゆうやみ》時が過ぎて、暗く曇った空を後ろにして、しめやかな感じのする風采《ふうさい》の宮がすわっておいでになるのも艶《えん》であった。奥の室から吹き通う薫香《たきもの》の香に源氏の衣服から散る香も混じって宮のおいでになるあたりは匂《にお》いに満ちていた。予期した以上の高華《こうげ》な趣の添った女性らしくまず宮はお思いになったのであった。宮のお語りになることは、じみな落ち着いた御希望であって、情熱ばかりを見せようとあそばすものでもないのが優美に感ぜられた。源氏は興味をもってこちらで聞いているのである。姫君は東の室に引き込んで横になっていたが、宰相の君が宮のお言葉を持ってそのほうへはいって行く時に源氏は言《こと》づてた。
「あまりに重苦しいしかたです。すべて相手次第で態度を変えることが必要で、そして無難です。少女らしく恥ずかしがっている年齢《とし》でもない。この宮さんなどに人づてのお話などをなさるべきでない。声はお惜しみになっても少しは近い所へ出ていないではいけませんよ」
 などと言う忠告である。玉鬘は困っていた。なおこうしていればその用があるふうをしてそばへ寄って来ないとは保証されない源氏であったから、複雑な侘《わび》しさを感じながら玉鬘はそこを出て中央の室の几帳《きちょう》のところへ、よりかかるような形で身を横たえた。宮の長いお言葉に対して返辞がしにくい気がして玉鬘が躊躇《ちゅうちょ》している時、源氏はそばへ来て薄物の几帳の垂《た》れを一枚だけ上へ上げたかと思うと、蝋《ろう》の燭《ひ》をだれかが差し出したかと思うような光があたりを照らした。玉鬘は驚いていた。夕方から用意して蛍《ほたる》を薄様《うすよう》の紙へたくさん包ませておいて、今まで隠していたのを、さりげなしに几帳を引き繕うふうをしてにわかに袖《そで》から出したのである。たちまちに異常な光がかたわらに湧《わ》いた驚きに扇で顔を隠す玉鬘の姿が美しかった。強い明りがさしたならば宮も中をおのぞきになるであろう、ただ自分の娘であるから美貌《びぼう》であろうと想像をしておいでになるだけで、実質のこれほどすぐれた人とも認識しておいでにならないであろう。好色なお心を遣《や》る瀬ないものにして見せようと源氏が計ったことである。実子の姫君であったならこんな物狂わしい計らいはしないであろうと思われる。源氏はそっとそのまま外の戸口から出て帰ってしまった。宮は最初姫君のいる所はその辺であろうと見当をおつけになったのが、予期したよりも近い所であったから、興奮をあそばしながら薄物の几帳の間から中をのぞいておいでになった時に、一室ほど離れた所に思いがけない光が湧いたのでおもしろくお思いになった。まもなく明りは薄れてしまったが、しかも瞬間のほのかな光は恋の遊戯にふさわしい効果があった。かすかによりは見えなかったが、やや大柄な姫君の美しかった姿に宮のお心は十分に惹《ひ》かれて源氏の策は成功したわけである。

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「鳴く声も聞こえぬ虫の思ひだに人の消《け》つには消《け》ゆるものかは
[#ここで字下げ終わり]

 御実験なすったでしょう」
 と宮はお言いになった。こんな場合の返歌を長く考え込んでからするのは感じのよいものでないと思って、玉鬘《たまかずら》はすぐに、

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声はせで身をのみこがす蛍こそ言ふよりまさる思ひなるらめ
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 とはかないふうに言っただけで、また奥のほうへはいってしまった。宮は疎々《うとうと》しい待遇を受けるというような恨みを述べておいでになった。あまり好色らしく思わせたくないと宮は朝まではおいでにならずに、軒の雫《しずく》の冷たくかかるのに濡《ぬ》れて、暗いうちにお帰りになった。杜鵑《ほととぎす》などはきっと鳴いたであろうと思われる。筆者はそこまで穿鑿《せんさく》はしなかった。
 宮の御|風采《ふうさい》の艶《えん》な所が源氏によく似ておいでになると言って女房たちは賞《ほ》めていた。昨夜《ゆうべ》の源氏が母親のような行き届いた世話をした点で玉鬘の苦悶《くもん》などは知らぬ女房たちが感激していた。玉鬘は源氏に持たれる恋心を自身の薄倖《はっこう》の現われであると思った。実の父に娘を認められた上では、これほどの熱情を持つ源氏を良人《おっと》にすることが似合わしくないことでないかもしれぬ、現在では父になり娘になっているのであるから、両者の恋愛がどれほど世間の問題にされることであろうと玉鬘は心を苦しめているのである。しかし真実は源氏もそんな醜い関係にまで進ませようとは思っていなかった。ただ恋を覚えやすい性格であったから、中宮などに対しても清い父親としてだけの愛以上のものをいだいていないのではない、何かの機会にはお心を動かそうとしながらも高貴な御身分にはばかられてあらわな恋ができないだけである。玉鬘は性格にも親しみやすい点があって、はなやかな気分のあふれ出るようなのを見ると、おさえている心がおどり出して、人が見れば怪しく思うほどのことも混じっていくのであるが、さすがに反省をして美しい愛だけでこの人を思おうとしていた。
 五日には馬場殿へ出るついでにまた玉鬘を源氏は訪《たず》ねた。
「どうでしたか。宮はずっとおそくまでおいでになりましたか。際限なく宮を接近おさせしないようにしましょう。危険性のある方だからね。力で恋人を征服しようとしない人は少ないからね」
 などと宮のことも活《い》かせも殺しもしながら訓戒めいたことを言っている源氏は、いつもそうであるが、若々しく美しかった。色も光沢《つや》もきれいな服の上に薄物の直衣《のうし》をありなしに重ねているのなども、源氏が着ていると人間の手で染め織りされたものとは見えない。物思いがなかったなら、源氏の美は目をよろこばせることであろうと玉鬘は思った。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮からお手紙が来た。白い薄様《うすよう》によい字が書いてある。見て美しいが筆者が書いてしまえばただそれだけになることである。

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今日《けふ》さへや引く人もなき水《み》隠れに生《お》ふるあやめのねのみ泣かれん
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 長さが記録になるほどの菖蒲《しょうぶ》の根に結びつけられて来たのである。
「ぜひ今日はお返事をなさい」
 などと勧めておいて源氏は行ってしまった。女房たちもぜひと言うので玉鬘自身もどういうわけもなく書く気になっていた。

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あらはれていとど浅くも見ゆるかなあやめもわかず泣かれけるねの

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少女《おとめ》らしく。
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 とだけほのかに書かれたらしい。字にもう少し重厚な気が添えたいと芸術家的な好みを持っておいでになる宮はお思いになったようであった。
 今日は美しく作った薬玉《くすだま》などが諸方面から贈られて来る。不幸だったころと今とがこんなことにも比較されて考えられる玉鬘《たまかずら》は、この上できるならば世間の悪名を負わずに済ませたいともっともなことを願っていた。
 源氏は花散里《はなちるさと》夫人の所へも寄った。
「中将が左近衛府《さこんえふ》の勝負のあとで役所の者を皆つれて来ると言ってましたからその用意をしておくのですね。まだ明るいうちに来るでしょう。私は何も麗々しく扱おうと思っていなかった姫君のことを、若い親王がたなどもお聞きになって手紙などをよくよこしておいでになるのだから、今日はいい機会のように思って、東の御殿へ何人も出ておいでになることになるでしょうから、そんなつもりで仕度《したく》をさせておいてください」
 などと夫人に言っていた。馬場殿はこちらの廊からながめるのに遠くはなかった。
「若い人たちは渡殿《わたどの》の戸をあけて見物するがよい。このごろの左近衛府にはりっぱな下士官がいて、ちょっとした殿上役人などは及ばない者がいますよ」
 と源氏が言うのを聞いていて、女房たちは今日の競技を見物のできることを喜んだ。玉鬘のほうからも童女などが見物に来ていて、廊の戸に御簾《みす》が青やかに懸《か》け渡され、はなやかな紫ぼかしの几帳《きちょう》がずっと立てられた所を、童女や下仕えの女房が行き来していた。菖蒲《しょうぶ》重ねの袙《あこめ》、薄藍《うすあい》色の上着を着たのが西の対の童女であった。上品に物馴《ものな》れたのが四人来ていた。下仕えは樗《おうち》の花の色のぼかしの裳《も》に撫子《なでしこ》色の服、若葉色の唐衣《からぎぬ》などを装うていた。こちらの童女は濃紫《こむらさき》に撫子重ねの汗袗《かざみ》などでおおような好みである。双方とも相手に譲るものでないというふうに気どっているのがおもしろく見えた。若い殿上役人などは見物席のほうに心の惹《ひ》かれるふうを見せていた。午後二時に源氏は馬場殿へ出たのである。予想したとおりに親王がたもおおぜい来ておいでになった。左右の組み合わせなどに宮中の定例の競技と違って、中少将が皆はいって、こうした私の催しにかえって興味のあるものが見られるのであった。女にはどうして勝負が決まるのかも知らぬことであったが、舎人《とねり》までが艶《えん》な装束をして一所懸命に競技に走りまわるのを見るのはおもしろかった。南御殿の横まで端は及んでいたから、紫夫人のほうでも若い女房などは見物していた。「打毬楽《だきゅうらく》」「納蘇利《なそり》」などの奏楽がある上に、右も左も勝つたびに歓呼に代えて楽声をあげた。夜になって終わるころにはもう何もよく見えなかった。左近衛府《さこんえふ》の舎人《とねり》たちへは等差をつけていろいろな纏頭《てんとう》が出された。ずっと深更になってから来賓は退散したのである。源氏は花散里のほうに泊まるのであった。いろいろな話が夫人とかわされた。
「兵部卿の宮はだれよりもごりっぱなようだ。御容貌などはよろしくないが、身の取りなしなどに高雅さと愛嬌《あいきょう》のある方だ。そのほかはよいと言われている人たちにも欠点がいろいろある」
「あなたの弟様でもあの方のほうが老《ふ》けてお見えになりますね。こちらへ古くからよくおいでになると聞いていましたが、私はずっと昔に御所で隙見《すきみ》をしてお知り申し上げているだけですから、今日《きょう》お顔を見て、そのころよりきれいにおなりになったと思いました。帥《そつ》の宮様はお美しいようでも品がおよろしくなくて王様というくらいにしかお見えになりませんでした」
 この批評の当たっていることを源氏は思ったが、ただ微笑《ほほえ》んでいただけであった。花散里夫人の批評は他の人たちにも及んだのであるが、よいとも悪いとも自身の意見を源氏は加えようとしないのである。難をつけられる人とか、悪く見られている人とかに同情する癖があったから。右大将のことを深味のあるような人であると夫人が言うのを聞いても、たいしたことがあるものでない、婿などにしては満足していられないであろうと源氏は否定したく思ったが、表へその心持ちを現わそうとしなかった。睦《むつ》まじくしながら夫人と源氏は別な寝床に眠るのであった。いつからこうなってしまったのかと源氏は苦しい気がした。平生花散里夫人は、源氏に無視されていると腹をたてるようなこともないが、六条院にはなやかな催しがあっても、人づてに話を聞くぐらいで済んでいるのを、今日は自身の所で会があったことで、非常な光栄にあったように思っているのであった。

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その駒《こま》もすさめぬものと名に立てる汀《みぎは》の菖蒲《あやめ》今日や引きつる
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 とおおように夫人は言った。何でもない歌であるが、源氏は身にしむ気がした。

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にほ鳥に影を並ぶる若駒はいつか菖蒲《あやめ》に引き別るべき
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 と源氏は言った。意はそれでよいが夫人の謙遜《けんそん》をそのまま肯定した言葉は少し気の毒である。
「二六時中あなたといっしょにいるのではないが、こうして信頼をし合って暮らすのはいいことですね」
 戯れを言うのでもこの人に対してはまじめな調子にされてしまう源氏であった。帳台の中の床を源氏に譲って、夫人は几帳《きちょう》を隔てた所で寝た。夫婦としての交渉などはもはや不似合いになったとしている人であったから、源氏もしいてその心を破ることをしなかった。
 梅雨《つゆ》が例年よりも長く続いていつ晴れるとも思われないころの退屈さに六条院の人たちも絵や小説を写すのに没頭した。明石《あかし》夫人はそんなほうの才もあったから写し上げた草紙などを姫君へ贈った。若い玉鬘《たまかずら》はまして興味を小説に持って、毎日写しもし、読みもすることに時を費やしていた。こうしたことの相手を勤めるのに適した若い女房が何人もいるのであった。数奇な女の運命がいろいろと書かれてある小説の中にも、事実かどうかは別として、自身の体験したほどの変わったことにあっている人はないと玉鬘は思った。住吉《すみよし》の姫君がまだ運命に恵まれていたころは言うまでもないが、あとにもなお尊敬されているはずの身分でありながら、今一歩で卑しい主計頭《かずえのかみ》の妻にされてしまう所などを読んでは、恐ろしかった監《げん》のことが思われた。源氏はどこの御殿にも近ごろは小説類が引き散らされているのを見て玉鬘に言った。
「いやなことですね。女というものはうるさがらずに人からだまされるために生まれたものなんですね。ほんとうの語られているところは少ししかないのだろうが、それを承知で夢中になって作中へ同化させられるばかりに、この暑い五月雨《さみだれ》の日に、髪の乱れるのも知らずに書き写しをするのですね」
 笑いながらまた、
「けれどもそうした昔の話を読んだりすることがなければ退屈は紛れないだろうね。この嘘《うそ》ごとの中にほんとうのことらしく書かれてあるところを見ては、小説であると知りながら興奮をさせられますね。可憐《かれん》な姫君が物思いをしているところなどを読むとちょっと身にしむ気もするものですよ。また不自然な誇張がしてあると思いながらつり込まれてしまうこともあるし、またまずい文章だと思いながらおもしろさがある個所にあることを否定できないようなのもあるようですね。このごろあちらの子供が女房などに時々読ませているのを横で聞いていると、多弁な人間があるものだ、嘘を上手《じょうず》に言い馴《な》れた者が作るのだという気がしますが、そうじゃありませんか」
 と言うと、
「そうでございますね。嘘を言い馴れた人がいろんな想像をして書くものでございましょうが、けれど、どうしてもほんとうとしか思われないのでございますよ」
 こう言いながら玉鬘《たまかずら》は硯《すずり》を前へ押しやった。
「不風流に小説の悪口を言ってしまいましたね。神代以来この世であったことが、日本紀《にほんぎ》などはその一部分に過ぎなくて、小説のほうに正確な歴史が残っているのでしょう」
 と源氏は言うのであった。
「だれの伝記とあらわに言ってなくても、善《よ》いこと、悪いことを目撃した人が、見ても見飽かぬ美しいことや、一人が聞いているだけでは憎み足りないことを後世に伝えたいと、ある場合、場合のことを一人でだけ思っていられなくなって小説というものが書き始められたのだろう。よいことを言おうとすればあくまで誇張してよいことずくめのことを書くし、また一方を引き立てるためには一方のことを極端に悪いことずくめに書く。全然架空のことではなくて、人間のだれにもある美点と欠点が盛られているものが小説であると見ればよいかもしれない。支那《しな》の文学者が書いたものはまた違うし、日本のも昔できたものと近ごろの小説とは相異していることがあるでしょう。深さ浅さはあるだろうが、それを皆嘘であると断言することはできない。仏が正しい御心《みこころ》で説いてお置きになった経の中にも方便ということがあって、大悟しない人間はそれを見ると疑問が生じるだろうと思われる。方等経《ほうとうきょう》の中などにはことに方便が多く用いられています。結局は皆同じことになって、菩提《ぼだい》心はよくて、煩悩《ぼんのう》は悪いということが言われてあるのです。つまり小説の中に善悪を書いてあるのがそれにあたるのですよ。だから好意的に言えば小説だって何だって皆結構なものだということになる」
 と源氏は言って、小説が世の中に存在するのを許したわけである。
「それにしてもね、古いことの書いてある小説の中に私ほどまじめな愚直過ぎる男の書いてあるものがありますか。それからまた人間離れのしたような小説の姫君だってあなたのように恋する男へ冷淡で、知って知らぬ顔をするようなのはないでしょう。だからありふれた小説の型を破った小説にあなたと私のことをさせましょう」
 近々と寄って来て源氏は玉鬘《たまかずら》にこうささやくのであった。玉鬘は襟《えり》の中へ顔を引き入れるようにして言う。
「小説におさせにならないでも、こんな奇怪なことは話になって世間へ広まります」
「珍しいことだというのですか。そうです。私の心は珍しいことにときめく」
 ひたひたと寄り添ってこんな戯れを源氏は言うのである。

[#ここから1字下げ]
「思ひ余り昔のあとを尋ぬれど親にそむける子ぞ類《たぐ》ひなき
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 不孝は仏の道でも非常に悪いことにして説かれています」
 と源氏が言っても、玉鬘は顔を上げようともしなかった。源氏は女の髪をなでながら恨み言を言った。やっと玉鬘は、

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古き跡を尋ぬれどげになかりけりこの世にかかる親の心は
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 こう言った。源氏は気恥ずかしい気がしてそれ以上の手出しはできなかった。どうこの二人はなっていくのであろう。
 紫夫人も姫君に託してやはり物語を集める一人であった。「こま物語」の絵になっているのを手に取って、
「上手《じょうず》にできた画《え》だこと」
 と言いながら夫人は見ていた。小さい姫君が無邪気なふうで昼寝をしているのが昔の自分のような気がするのであった。
「こんな子供どうしでも悪い関係がすぐにできるじゃありませんか。昔を言えば私などは模範にしてよいまれな物堅さだった」
 と源氏は夫人に言った。そのかわりにまれなことも好きであったはずである。
「姫君の前でこうした男女関係の書かれた小説は読んで聞かせないようにするほうがいい。恋をし始めた娘などというものが、悪いわけではないが、世間にはこんなことがあるのだと、それを普通のことのように思ってしまわれるのが危険ですからね」
 こんな周到な注意が実子の姫君には払われているのを、対の姫君が聞いたら恨むかもしれない。
「浅はかな、ある型を模倣したにすぎないような女は読んでいましてもいやになります。空穂《うつぼ》物語の藤原《ふじわら》の君の姫君は重々しくて過失はしそうでない性格ですが、あまり真直《まっすぐ》な線ばかりで、しまいまで女らしく書かれてないのが悪いと思うのですよ」
 と夫人が言うと、
「現実の人でもそのとおりですよ。風変わりな一本調子で押し通して、いいかげんに転向することを知らない人はかわいそうだ。見識のある親が熱心に育てた娘がただ子供らしいところにだけ大事がられた跡が見えて、そのほかは何もできないようなのを見ては、どんな教育をしたのかと親までも軽蔑《けいべつ》されるのが気の毒ですよ。なんといってもあの親が育てたらしいよいところがあると思われるような娘があれば親の名誉になるのです。作者の賞《ほ》めちぎってある女のすること、言うことの中に首肯されることのない小説はだめですよ。いったいつまらない人に自分の愛する人は賞めさせたくない」
 などと言って、源氏は姫君を完全な女性に仕上げることに一所懸命であった。継母《ままはは》が意地悪をする小説も多かったから、その反対な継母のよさを見せつける気がして夫人はそんなものをいっさい省いて選択に選択をしたよいものだけを姫君のために写させたり絵に描《か》かせたりした。
 中将を源氏は夫人の住居《すまい》へ接近させないようにしていたが、姫君の所へは出入りを許してあった。自分が生きている間は異腹の兄弟でも同じであるが、死んでからのことを思うと早くから親しませておくほうが双方に愛情のできることであると思って、姫君のほうの南側の座敷の御簾《みす》の中へ来ることを許したのであるが台盤所《だいばんどころ》の女房たちの集まっているほうへはいることは許してないのである。源氏のためにただ二人だけの子であったから兄妹を源氏は大事にしていた。中将は落ち着いた重々しいところのある性質であったから、源氏は安心して姫君の介添え役をさせた。幼い雛《ひな》遊びの場にもよく出会うことがあって、中将は恋人とともに遊んで暮らした年月をそんな時にはよく思い出されるので、妹のためにもよい相手役になりながらも時々はしおしおとした気持ちになった。若い女性たちに恋の戯れを言いかけても、将来に希望をつながせるようなことは絶対にしなかった。妻の一人にしたいと心の惹《ひ》かれるような人も、しいて一時的の対象とみなして、それ以上関係を進行させることもなかった。今でも緑の袖《そで》とはずかしめられた人との関係だけを尊重して、その人以外の人を妻に擬して考えることは不可能であった。許されようと熱心ぶりを見せれば伯父《おじ》の大臣も夫婦にしてくれるであろうが、恨めしかったころに、どんなことがあっても伯父が哀願するのでなければ結婚はすまいと思ったことが忘られなかった。雲井《くもい》の雁《かり》の所へは情けをこめた手紙を常に送っていても、表面はあくまでも冷静な態度を保っているのである。この態度をまた雲井の雁の兄弟たちは恨んでいた。
 玉鬘《たまかずら》に右近中将は深く恋をして仲介役をするのは童女のみるこ[#「みるこ」に傍点]だけであったから、たよりなさにこの中将を味方に頼むのであった。
「人のことではそう熱心になれない問題だから」
 などと左中将は冷淡に言っていた。
 内大臣は腹々《はらばら》に幾人もの子があって、大人《おとな》になったそれぞれの子息の人柄にしたがって政権の行使が自由なこの人は皆適した地位につかせていた。女の子は少なくて后《きさき》の競争に負け失意の人になっている女御《にょご》と恋の過失をしてしまった雲井の雁だけなのであったから、大臣は残念がっていた。この人は今も撫子《なでしこ》の歌を母親が詠《よ》んできた女の子を忘れなかった。かつて人にも話したほどであるから、どうしたであろう、たよりない性格の母親のために、あのかわいかった人を行方《ゆくえ》不明にさせてしまった、女というものは少しも目が放されないものである、親の不名誉を思わずに卑しく零落をしながら自分の娘であると言っているのではなかろうか、それでもよいから出て来てほしいと大臣は恋しがっていた。息子《むすこ》たちにも、
「もしそういうことを言っている女があったら、気をつけて聞いておいてくれ。放縦な恋愛もずいぶんしていた中で、その母である人はただ軽々しく相手にしていた女でもなく、ほんとうに愛していた人なのだが、何でもないことで悲観して、私に少ない女の子一人をどこにいるかもしれなくされてしまったのが残念でならない」
 とよく話していた。中ほどには忘れていもしたのであるが、他人がすぐれたふうに娘をかしずく様子を見ると、自身の娘がどれも希望どおりにならなかったことで失望を感じることが多くなって、近ごろは急に別れた女の子を思うようになったのである。ある夢を見た時に、上手《じょうず》な夢占いをする男を呼んで解かせてみると、
「長い間忘れておいでになったお子さんで、人の子になっていらっしゃる方のお知らせをお受けになるというようなことはございませんか」
 と言った。
「男は養子になるが、女というものはそう人に養われるものではないのだが、どういうことになっているのだろう」
 と、それからは時々内大臣はこのことを家庭で話題にした。

蛍 版本说明

底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
   1994(平成6)年6月15日39版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には2002(平成14)年1月15日44版を使用しました。
※「ただもう少し近くへ伺うことをお許しくだすったら、その機会に私の思い悩んでいる心を直接お洩《も》らしして、それによってせめて慰みたいと思います。」の部分は、手紙の一部であると判断し、他の箇所に合わせて一字下げとしました。
入力:上田英代
校正:砂場清隆
2003年7月19日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

26 常夏

[#地から3字上げ]露置きてくれなゐいとど深けれどおも
[#地から3字上げ]ひ悩めるなでしこの花   (晶子)

 炎暑の日に源氏は東の釣殿《つりどの》へ出て涼んでいた。子息の中将が侍しているほかに、親しい殿上役人も数人席にいた。桂《かつら》川の鮎《あゆ》、加茂《かも》川の石臥《いしぶし》などというような魚を見る前で調理させて賞味するのであったが、例のようにまた内大臣の子息たちが中将を訪《たず》ねて来た。
「寂しく退屈な気がして眠かった時によくおいでになった」
 と源氏は言って酒を勧めた。氷の水、水飯《すいはん》などを若い人は皆大騒ぎして食べた。風はよく吹き通すのであるが、晴れた空が西日になるころには蝉《せみ》の声などからも苦しい熱が撒《ま》かれる気がするほど暑気が堪えがたくなった。
「水の上の価値が少しもわからない暑さだ。私はこんなふうにして失礼する」
 源氏はこう言って身体《からだ》を横たえた。
「こんなころは音楽を聞こうという気にもならないし、さてまた退屈だし、困りますね。お勤めに出る人たちはたまらないでしょうね。帯も紐《ひも》も解かれないのだからね。私の所だけででも几帳面《きちょうめん》にせずに気楽なふうになって、世間話でもしたらどうですか。何か珍しいことで睡気《ねむけ》のさめるような話はありませんか。なんだかもう老人《としより》になってしまった気がして世間のこともまったく知らずにいますよ」
 などと源氏は言うが、新しい事実として話し出すような問題もなくて、皆かしこまったふうで、涼しい高欄に背を押しつけたまま黙っていた。
「どうしてだれが私に言ったことかも覚えていないのだが、あなたのほうの大臣がこのごろほかでお生まれになったお嬢さんを引き取って大事がっておいでになるということを聞きましたがほんとうですか」
 と源氏は弁《べん》の少将に問うた。
「そんなふうに世間でたいそうに申されるようなことでもございません。この春大臣が夢占いをさせましたことが噂《うわさ》になりまして、それからひょっくりと自分は縁故のある者だと名のって出て来ましたのを、兄の中将が真偽の調査にあたりまして、それから引き取って来たようですが、私は細かいことをよく存じません。結局珍談の材料を世間へ呈供いたしましたことになったのでございます。大臣の尊厳がどれだけそれでそこなわれましたかしれません」
 少将の答えがこうであったから、ほんとうのことだったと源氏は思った。
「たくさんな雁《かり》の列から離れた一羽までもしいてお捜しになったのが少し欲深かったのですね。私の所などこそ、子供が少ないのだから、そんな女の子なども見つけたいのだが、私の所では気が進まないのか少しも名のって来てくれる者がない。しかしともかく迷惑なことだっても大臣のお嬢さんには違いないのでしょう。若い時分は無節制に恋愛関係をお作りになったものだからね。底のきれいでない水に映る月は曇らないであろうわけはないのだからね」
 と源氏は微笑しながら言っていた。子息の左中将も真相をくわしく聞いていることであったからこれも笑いを洩《も》らさないではいられなかった。弁の少将と藤侍従《とうのじじゅう》はつらそうであった。
「ねえ朝臣《あそん》、おまえはその落ち葉でも拾ったらいいだろう。不名誉な失恋男になるよりは同じ姉妹《きょうだい》なのだからそれで満足をすればいいのだよ」
 子息をからかうような調子で父の源氏は言うのであった。内大臣と源氏は大体は仲のよい親友なのであるが、ずっと以前から性格の相違が原因になったわずかな感情の隔たりはあったし、このごろはまた中将を侮蔑《ぶべつ》して失恋の苦しみをさせている大臣の態度に飽き足らないものがあって、源氏は大臣が癪《しゃく》にさわる放言をすると間接に聞くように言っているのである。新しい娘を迎えて失望している大臣の噂《うわさ》を聞いても、源氏は玉鬘《たまかずら》のことを聞いた時に、その人はきっと大騒ぎをして大事に扱うことであろう、自尊心の強い、対象にする物の善《よ》さ悪さで態度を鮮明にしないではいられない性質の大臣は、近ごろ引き取った娘に失望を感じている様子は想像ができるし、また突然にこの玉鬘を見せた時の歓《よろこ》びぶりも思われないでもない、極度の珍重ぶりを見せることであろうなどと源氏は思っていた。夕べに移るころの風が涼しくて、若い公子たちは皆ここを立ち去りがたく思うふうである。
「気楽に涼んで行ったらいいでしょう。私もとうとう青年たちからけむたがられる年になった」
 こう言って、源氏は近い西の対を訪《たず》ねようとしていたから、公子たちは皆見送りをするためについて行った。日の暮れ時のほの暗い光線の中では、同じような直衣《のうし》姿のだれがだれであるかもよくわからないのであったが、源氏は玉鬘に、
「少し外のよく見える所まで来てごらんなさい」
 と言って、従えて来た青年たちのいる方をのぞかせた。
「少将や侍従をつれて来ましたよ。ここへは走り寄りたいほどの好奇心を持つ青年たちなのだが、中将がきまじめ過ぎてつれて来ないのですよ。同情のないことですよ。この青年たちはあなたに対して無関心な者が一人もないでしょう。つまらない家の者でも娘でいる間は若い男にとって好奇心の対象になるものだからね。私の家というものを実質以上にだれも買いかぶっているのですからね、しかも若い連中は六条院の夫人たちを恋の対象にして空想に陶酔するようなことはできないことだったのが、あなたという人ができたから皆の注意はあなたに集まることになったのです。そうした求婚者の真実の深さ浅さというようなものを、第三者になって観察するのはおもしろいことだろうと、退屈なあまりに以前からそんなことがあればいいと思っていたのがようやく時期が来たわけです」
 などと源氏はささやいていた。この前の庭には各種類の草花を混ぜて植えるようなことはせずに、美しい色をした撫子《なでしこ》ばかりを、唐撫子《からなでしこ》、大和《やまと》撫子もことに優秀なのを選んで、低く作った垣《かき》に添えて植えてあるのが夕映《ゆうば》えに光って見えた。公子たちはその前を歩いて、じっと心が惹《ひ》かれるようにたたずんだりもしていた。
「りっぱな青年官吏ばかりですよ。様子にもとりなしにも欠点は少ない。今日は見えないが右中将は年かさだけあってまた優雅さが格別ですよ。どうです、あれからのちも手紙を送ってよこしますか。軽蔑《けいべつ》するような態度はとらないようにしなければいけない」
 などとも源氏は言った。すぐれたこの公子たちの中でも源中将は目だって艶《えん》な姿に見えた。
「中将をきらうことは内大臣として意を得ないことですよ。御自分が尊貴であればあの子も同じ兄妹《きょうだい》から生まれた尊貴な血筋というものなのだからね。しかしあまり系統がきちんとしていて王風《おおぎみふう》の点が気に入らないのですかね」
 と源氏が言った。
「来まさば(おほきみ来ませ婿にせん)というような人もあすこにはあるのではございませんか」
「いや、何も婿に取られたいのではありませんがね。若い二人が作った夢をこわしたままにして幾年も置いておかれるのは残酷だと思うのです。まだ官位が低くて世間体がよろしくないと思われるのだったら、公然のことにはしないで私へお嬢さんを託しておかれるという形式だっていいじゃないのですか。私が責任を持てばいいはずだと思うのだが」
 源氏は歎息《たんそく》した。自分の実父との間にはこうした感情の疎隔があるのかと玉鬘《たまかずら》ははじめて知った。これが支障になって親に逢《あ》いうる日がまだはるかなことに思わねばならないのであるかと悲しくも思い、苦しくも思った。月がないころであったから燈籠《とうろう》に灯《ひ》がともされた。
「灯が近すぎて暑苦しい、これよりは篝《かがり》がよい」
 と言って、
「篝を一つこの庭で焚《た》くように」
 と源氏は命じた。よい和琴《わごん》がそこに出ているのを見つけて、引き寄せて、鳴らしてみると律の調子に合わせてあった。よい音もする琴であったから少し源氏は弾《ひ》いて、
「こんなほうのことには趣味を持っていられないのかと、失礼な推測をしてましたよ。秋の涼しい月夜などに、虫の声に合わせるほどの気持ちでこれの弾かれるのははなやかでいいものです。これはもったいらしく弾く性質の楽器ではないのですが、不思議な楽器で、すべての楽器の基調になる音を持っている物はこれなのですよ。簡単にやまと琴という名をつけられながら無限の深味のあるものなのですね。ほかの楽器の扱いにくい女の人のために作られた物の気がします。おやりになるのならほかの物に合わせて熱心に練習なさい。むずかしいことがないような物で、さてこれに妙技を現わすということはむずかしいといったような楽器です。現在では内大臣が第一の名手です。ただ清掻《すがが》きをされるのにもあらゆる楽器の音を含んだ声が立ちますよ」
 と源氏は言った。玉鬘もそのことはかねてから聞いて知っていた。どうかして父の大臣の爪音《つまおと》に接したいとは以前から願っていたことで、あこがれていた心が今また大きな衝動を受けたのである。
「こちらにおりまして、音楽のお遊びがございます時などに聞くことができますでしょうか。田舎《いなか》の人などもこれはよく習っております琴ですから、気楽に稽古《けいこ》ができますもののように私は思っていたのでございますがほんとうの上手《じょうず》な人の弾くのは違っているのでございましょうね」
 玉鬘は熱心なふうに尋ねた。
「そうですよ。あずま琴などとも言ってね、その名前だけでも軽蔑《けいべつ》してつけられている琴のようですが、宮中の御遊《ぎょゆう》の時に図書の役人に楽器の搬入を命ぜられるのにも、ほかの国は知りませんがここではまず大和《やまと》琴が真先《まっさき》に言われます。つまりあらゆる楽器の親にこれがされているわけです。弾《ひ》くことは練習次第で上達しますが、お父さんに同じ音楽的の遺伝のある娘がお習いすることは理想的ですね。私の家などへも何かの場合においでにならないことはありませんが、精いっぱいに弾かれるのを聞くことなどは困難でしょう。名人の芸というものはなかなか容易に全部を見せようとしないものですからね。しかしあなたはいつか聞けますよ」
 こう言いながら源氏は少し弾いた。はなやかな音であった。これ以上な音が父には出るのであろうかと玉鬘《たまかずら》は不思議な気もしながらますます父にあこがれた。ただ一つの和琴《わごん》の音だけでも、いつの日に自分は娘のために打ち解けて弾いてくれる父親の爪音にあうことができるのであろうと玉鬘はみずからをあわれんだ。「貫川《ぬきがは》の瀬々《せぜ》のやはらだ」(やはらたまくらやはらかに寝る夜はなくて親さくる妻)となつかしい声で源氏は歌っていたが「親さくる妻」は少し笑いながら歌い終わったあとの清掻《すがが》きが非常におもしろく聞かれた。
「さあ弾いてごらんなさい。芸事は人に恥じていては進歩しないものですよ。『想夫恋《そうふれん》』だけはきまりが悪いかもしれませんがね。とにかくだれとでもつとめて合わせるのがいいのですよ」
 源氏は玉鬘の弾くことを熱心に勧めるのであったが、九州の田舎で、京の人であることを標榜《ひょうぼう》していた王族の端くれのような人から教えられただけの稽古《けいこ》であったから、まちがっていてはと気恥ずかしく思って玉鬘は手を出そうとしないのであった。源氏が弾くのを少し長く聞いていれば得る所があるであろう、少しでも多く弾いてほしいと思う玉鬘であった。いつとなく源氏のほうへ膝行《いざ》り寄っていた。
「不思議な風が出てきて琴の音響《ひびき》を引き立てている気がします。どうしたのでしょう」
 と首を傾けている玉鬘の様子が灯《ひ》の明りに美しく見えた。源氏は笑いながら、
「熱心に聞いていてくれない人には、外から身にしむ風も吹いてくるでしょう」
 と言って、源氏は和琴を押しやってしまった。玉鬘は失望に似たようなものを覚えた。女房たちが近い所に来ているので、例のような戯談《じょうだん》も源氏は言えなかった。
「撫子《なでしこ》を十分に見ないで青年たちは行ってしまいましたね。どうかして大臣にもこの花壇をお見せしたいものですよ。無常の世なのだから、すべきことはすみやかにしなければいけない。昔大臣が話のついでにあなたの話をされたのも今のことのような気もします」
 源氏はその時の大臣の言葉を思い出して語った。玉鬘は悲しい気持ちになっていた。

[#ここから1字下げ]
「なでしこの常《とこ》なつかしき色を見ばもとの垣根《かきね》を人や尋ねん
[#ここで字下げ終わり]

 私にはあなたのお母さんのことで、やましい点があって、それでつい報告してあげることが遅れてしまうのです」
 と源氏は言った。玉鬘は泣いて、

[#ここから2字下げ]
山がつの垣《かき》ほに生《お》ひし撫子《なでしこ》のもとの根ざしをたれか尋ねん
[#ここで字下げ終わり]

 とはかないふうに言ってしまう様子が若々しくなつかしいものに思われた。源氏の心はますますこの人へ惹《ひ》かれるばかりであった。苦しいほどにも恋しくなった。源氏はとうていこの恋心は抑制してしまうことのできるものでないと知った。
 玉鬘《たまかずら》の西の対への訪問があまりに続いて人目を引きそうに思われる時は、源氏も心の鬼にとがめられて間は置くが、そんな時には何かと用事らしいことをこしらえて手紙が送られるのである。この人のことだけが毎日の心にかかっている源氏であった。なぜよけいなことをし始めて物思いを自分はするのであろう、煩悶《はんもん》などはせずに感情のままに行動することにすれば、世間の批難は免れないであろうが、それも自分はよいとして女のために気の毒である。どんなに深く愛しても春の女王《にょおう》と同じだけにその人を思うことの不可能であることは、自分ながらも明らかに知っている。第二の妻であることによって幸福があろうとは思われない。自分だけはこの世のすぐれた存在であっても、自分の幾人もの妻の中の一人である女に名誉のあるわけはない。平凡な納言級の人の唯一の妻になるよりも決して女のために幸福でないと源氏は知っているのであったから、しいて情人にするのが哀れで、兵部卿《ひょうぶきょう》の宮か右大将に結婚を許そうか、そうして良人《おっと》の家へ行ってしまえばこの悩ましさから自分は救われるかもしれない。消極的な考えではあるがその方法を取ろうかと思う時もあった。しかもまた西の対へ行って美しい玉鬘を見たり、このごろは琴を教えてもいたので、以前よりも近々と寄ったりしては決心していたことが揺《ゆら》いでしまうのであった。玉鬘もこうしたふうに源氏が扱い始めたころは、恐ろしい気もし、反感を持ったが、それ以上のことはなくて、やはり信頼のできそうなのに安心して、しいて源氏の愛撫《あいぶ》からのがれようとはしなかった。返辞などもなれなれしくならぬ程度にする愛嬌《あいきょう》の多さは知らず知らずに十分の魅力になって、前の考えなどは合理的なものでないと源氏をして思わせた。それでは今のままに自分の手もとへ置いて結婚をさせることにしよう、そして自分の恋人にもしておこう、処女である点が自分に躊躇《ちゅうちょ》をさせるのであるが、結婚をしたのちもこの人に深い愛をもって臨めば、良人《おっと》のあることなどは問題でなく恋は成り立つに違いないとこんなけしからぬことも源氏は思った。それを実行した暁にはいよいよ深い煩悶《はんもん》に源氏は陥ることであろうし、熱烈でない愛しようはできない性質でもあるから悲劇がそこに起こりそうな気のすることである。
 内大臣が娘だと名のって出た女を、直ちに自邸へ引き取った処置について、家族も家司《けいし》たちもそれを軽率だと言っていること、世間でも誤ったしかただと言っていることも皆大臣の耳にははいっていたが、弁《べん》の少将が話のついでに源氏からそんなことがあるかと聞かれたことを言い出した時に大臣は笑って言った。
「そうだ、あすこにも今まで噂《うわさ》も聞いたことのない外腹の令嬢ができて、それをたいそうに扱っていられるではないか。あまりに他人のことを言われない大臣だが、不思議に私の家のことだと口の悪い批評をされる。このことなどはそれを証明するものだよ」
「あちらの西の対の姫君はあまり欠点もない人らしゅうございます。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮などは熱心に結婚したがっていらっしゃるのですから、平凡な令嬢でないことが想像されると世間でも言っております」
「さあそれがね、源氏の大臣の令嬢である点でだけありがたく思われるのだよ。世間の人心というものは皆それなのだ。必ずしも優秀な姫君ではなかろう。相当な母親から生まれた人であれば以前から人が聞いているはずだよ。円満な幸福を持っていられる方だが、りっぱな夫人から生まれた令嬢が一人もないのを思うと、だいたい子供が少ないたちなんだね。劣り腹といって明石《あかし》の女の生んだ人は、不思議な因縁で生まれたということだけでも何となく未来の好運が想像されるがね。新しい令嬢はどうかすれば、それは実子でないかもしれない。そんな常識で考えられないようなこともあの人はされるのだよ」
 と内大臣は玉鬘《たまかずら》をけなした。
「それにしても、だれが婿に決まるのだろう。兵部卿の宮の御熱心が結局勝利を占められることになるのだろう。もとから特別にお仲がいいのだし、大臣の趣味とよく一致した風流人だからね」
 と言ったあとに大臣は雲井《くもい》の雁《かり》のことを残念に思った。そうしたふうにだれと結婚をするかと世間に興味を持たせる娘に仕立てそこねたのがくやしいのである。これによっても中将が今一段光彩のある官に上らない間は結婚が許されないと大臣は思った。源氏がその問題の中へはいって来て懇請することがあれば、やむをえず負けた形式で同意をしようという大臣の腹であったが、中将のほうでは少しも焦慮《しょうりょ》するふうを見せず落ち着いているのであったからしかたがないのである。こんなことをいろいろと考えていた大臣は突然行って見たい気になって雲井の雁の居間を訪《たず》ねた。少将も供をして行った。雲井の雁はちょうど昼寝をしていた。薄物の単衣《ひとえ》を着て横たわっている姿からは暑い感じを受けなかった。可憐《かれん》な小柄な姫君である。薄物に透いて見える肌《はだ》の色がきれいであった。美しい手つきをして扇を持ちながらその肱《ひじ》を枕《まくら》にしていた。横にたまった髪はそれほど長くも、多くもないが、端のほうが感じよく美しく見えた。女房たちも几帳《きちょう》の蔭《かげ》などにはいって昼寝をしている時であったから、大臣の来たことをまだ姫君は知らない。扇を父が鳴らす音に何げなく上を見上げた顔つきが可憐で、頬《ほお》の赤くなっているのなども親の目には非常に美しいものに見られた。
「うたた寝はいけないことだのに、なぜこんなふうな寝方をしてましたか。女房なども近くに付いていないでけしからんことだ。女というものは始終自身を護《まも》る心がなければいけない。自分自身を打ちやりしているようなふうの見えることは品の悪いものだ。賢そうに不動の陀羅尼《だらに》を読んで印を組んでいるようなのも憎らしいがね。それは極端な例だが、普通の人でも少しも人と接触をせずに奥に引き入ってばかりいるようなことも、気高《けだか》いようでまたあまり感じのいいものではない。太政大臣が未来のお后《きさき》の姫君を教育していられる方針は、いろんなことに通じさせて、しかも目だつほど専門的に一つのことを深くやらせまい、そしてまたわからないことは何もないようにということであるらしい。それはもっともなことだが、人間にはそれぞれの天分があるし、特に好きなこともあるのだから、何かの特色が自然出てくることだろうと思われる。大人《おとな》になって宮廷へはいられるころはたいしたものだろうと予想される」
 などと大臣は娘に言っていたが、
「あなたをこうしてあげたいといろいろ思っていたことは空想になってしまったが、私はそれでもあなたを世間から笑われる人にはしたくないと、よその人のいろいろの話を聞くごとにあなたのことを思って煩悶《はんもん》する。ためそうとするだけで、表面的な好意を寄せるような男に動揺させられるようなことがあってはいけませんよ。私は一つの考えがあるのだから」
 ともかわいく思いながら訓《いまし》めもした。昔は何も深く考えることができずに、あの騒ぎのあった時も恥知らずに平気で父に対していたと思い出すだけでも胸がふさがるように雲井の雁は思った。大宮の所からは始終|逢《あ》いたいというふうにお手紙が来るのであるが、大臣が気にかけていることを思うと、御訪問も容易にできないのである。
 大臣は北の対に住ませてある令嬢をどうすればよいか、よけいなことをして引き取ったあとで、また人が譏《そし》るからといって家へ送り帰すのも軽率な気のすることであるが、娘らしくさせておいては満足しているらしく自分の心持ちが誤解されることになっていやである、女御《にょご》の所へ来させることにして、馬鹿《ばか》娘として人中に置くことにさせよう、悪い容貌《ようぼう》だというがそう見苦しい顔でもないのであるからと思って、大臣は女御に、
「あの娘をあなたの所へよこすことにしよう。悪いことは年のいった女房などに遠慮なく矯正《きょうせい》させて使ってください。若い女房などが何を言ってもあなただけはいっしょになって笑うようなことをしないでお置きなさい。軽佻《けいちょう》に見えることだから」
 と笑いながら言った。
「だれがどう言いましても、そんなつまらない人ではきっとないと思います。中将の兄様などの非常な期待に添わなかったというだけでしょう。こちらへ来ましてからいろんな取り沙汰などをされて、一つはそれでのぼせて粗相《そそう》なこともするのでございましょう」
 と女御は貴女《きじょ》らしい品のある様子で言っていた。この人は一つ一つ取り立てて美しいということのできない顔で、そして品よく澄み切った美の備わった、美しい梅の半ば開いた花を朝の光に見るような奥ゆかしさを見せて微笑しているのを大臣は満足して見た。だれよりもすぐれた娘であると意識したのである。
「しかしなんといっても中将の無経験がさせた失敗だ」
 などとも父に言われている新令嬢は気の毒である。大臣は女房を訪《たず》ねた帰りにその人の所へも行って見た。
 座敷の御簾《みす》をいっぱいに張り出すようにして裾《すそ》をおさえた中で、五節《ごせち》という生意気な若い女房と令嬢は双六《すごろく》を打っていた。
「しょうさい、しょうさい」
 と両手をすりすり賽《さい》を撒《ま》く時の呪文《じゅもん》を早口に唱えているのに悪感《おかん》を覚えながらも大臣は従って来た人たちの人払いの声を手で制して、なおも妻戸の細目に開いた隙《すき》から、障子の向こうを大臣はのぞいていた。五節も蓮葉《はすっぱ》らしく騒いでいた。
「御返報しますよ。御返報しますよ」
 賽の筒を手でひねりながらすぐには撒こうとしない。姫君の容貌は、ちょっと人好きのする愛嬌《あいきょう》のある顔で、髪もきれいであるが、額の狭いのと頓狂《とんきょう》な声とにそこなわれている女である。美人ではないがこの娘の顔に、鏡で知っている自身の顔と共通したもののあるのを見て、大臣は運にのろわれている気がした。
「こちらで暮らすようになって、あなたに何か気に入らないことがありますか。つい忙しくて訪《たず》ねに来ることも十分できないが」
 と大臣が言うと、例の調子で新令嬢は言う。
「こうしていられますことに何の不足があるものでございますか。長い間お目にかかりたいと念がけておりましたお顔を、始終拝見できませんことだけは成功したものとは思われませんが」
「そうだ、私もそばで手足の代わりに使う者もあまりないのだから、あなたが来たらそんな用でもしてもらおうかと思っていたが、やはりそうはいかないものだからね。ただの女房たちというものは、多少の身分の高下はあっても、皆いっしょに用事をしていては目だたずに済んで気安いものなのだが、それでもだれの娘、だれの子ということが知られているほどの身の上の者は、親兄弟の名誉を傷つけるようなことも自然起こってきておもしろくないものだろうが、まして」
 言いさして話をやめた父の自尊心などに令嬢は頓着《とんじゃく》していなかった。
「いいえ、かまいませんとも、令嬢だなどと思召《おぼしめ》さないで、女房たちの一人としてお使いくださいまし。お便器のほうのお仕事だって私はさせていただきます」
「それはあまりに不似合いな役でしょう。たまたま巡り合った親に孝行をしてくれる心があれば、その物言いを少し静かにして聞かせてください。それができれば私の命も延びるだろう」
 道化たことを言うのも好きな大臣は笑いながら言っていた。
「私の舌の性質がそうなんですね。小さい時にも母が心配しましてよく訓戒されました。妙法寺の別当の坊様が私の生まれる時|産屋《うぶや》にいたのですってね。その方にあやかったのだと言って母が歎息《たんそく》しておりました。どうかして直したいと思っております」
 むきになってこう言うのを聞いても孝心はある娘であると大臣は思った。
「産屋《うぶや》などへそんなお坊さんの来られたのが災難なんだね。そのお坊さんの持っている罪の報いに違いないよ。唖《おし》と吃《どもり》は仏教を譏《そし》った者の報いに数えられてあるからね」
 と大臣は言っていたが、子ながらも畏敬《いけい》の心の湧《わ》く女御《にょご》の所へこの娘をやることは恥ずかしい、どうしてこんな欠陥の多い者を家へ引き取ったのであろう、人中へ出せばいよいよ悪評がそれからそれへ伝えられる結果を生むではないかと思って、大臣は計画を捨てる気にもなったのであるが、また、
「女御が家《うち》へ帰っておいでになる間に、あなたは時々あちらへ行って、いろんなことを見習うがいいと思う。平凡な人間も貴女《きじょ》がたの作法に会得《えとく》が行くと違ってくるものだからね。そんなつもりであちらへ行こうと思いますか」
 とも言った。
「まあうれしい。私はどうかして皆さんから兄弟だと認めていただきたいと寝ても醒《さ》めても祈っているのでございますからね。そのほかのことはどうでもいいと思っていたくらいでございますからね。お許しさえございましたら女御さんのために私は水を汲《く》んだり運んだりしましてもお仕えいたします」
 なお早口にしゃべり続けるのを聞いていて大臣はますます憂鬱《ゆううつ》な気分になるのを、紛らすために言った。
「そんな労働などはしないでもいいがお行きなさい。あやかったお坊さんはなるべく遠方のほうへやっておいてね」
 滑稽《こっけい》扱いにして言っているとも令嬢は知らない。また同じ大臣といっても、きれいで、物々しい風采《ふうさい》を備えた、りっぱな中のりっぱな大臣で、だれも気おくれを感じるほどの父であることも令嬢は知らない。
「それではいつ女御さんの所へ参りましょう」
「そう、吉日でなければならないかね。なにいいよ、そんなたいそうなふうには考えずに、行こうと思えば今日にでも」
 言い捨てて大臣は出て行った。四位五位の官人が多くあとに従った、権勢の強さの思われる父君を見送っていた令嬢は言う。
「ごりっぱなお父様だこと、あんな方の種なんだのに、ずいぶん小さい家で育ったものだ私は」
 五節《ごせち》は横から、
「でもあまりおいばりになりすぎますわ、もっと御自分はよくなくても、ほんとうに愛してくださるようなお父様に引き取られていらっしゃればよかった」
 と言った。真理がありそうである。
「まああんた、ぶちこわしを言うのね。失礼だわ。私と自分とを同じように言うようなことはよしてくださいよ。私はあなたなどとは違った者なのだから」
 腹をたてて言う令嬢の顔つきに愛嬌《あいきょう》があって、ふざけたふうな姿が可憐《かれん》でないこともなかった。ただきわめて下層の家で育てられた人であったから、ものの言いようを知らないのである。何でもない言葉もゆるく落ち着いて言えば聞き手はよいことのように聞くであろうし、巧妙でない歌を話に入れて言う時も、声《こわ》づかいをよくして、初め終わりをよく聞けないほどにして言えば、作の善悪を批判する余裕のないその場ではおもしろいことのようにも受け取られるのである。強々《こわごわ》しく非音楽的な言いようをすれば善《よ》いことも悪く思われる。乳母《めのと》の懐《ふところ》育ちのままで、何の教養も加えられてない新令嬢の真価は外観から誤られもするのである。そう頭が悪いのでもなかった。三十一字の初めと終わりの一貫してないような歌を早く作って見せるくらいの才もあるのである。
「女御さんの所へ行けとお言いになったのだから、私がしぶしぶにして気が進まないふうに見えては感情をお害しになるだろう。私は今夜のうちに出かけることにする。大臣がいらっしゃっても女御さんなどから冷淡にされてはこの家で立って行きようがないじゃないか」
 と令嬢は言っていた。自信のなさが気の毒である。手紙を先に書いた。
[#ここから1字下げ]
葦垣《あしがき》のまぢかきほどに侍《はべ》らひながら、今まで影踏むばかりのしるしも侍らぬは、なこその関をや据《す》ゑさせ給ひつらんとなん。知らねども武蔵野《むさしの》といへばかしこけれど、あなかしこやかしこや。
[#ここで字下げ終わり]
 点の多い書き方で、裏にはまた、
[#ここから1字下げ]
まことや、暮れにも参りこむと思ひ給へ立つは、厭《いと》ふにはゆるにや侍らん。いでや、いでや、怪しきはみなせ川にを。
[#ここで字下げ終わり]
 と書かれ、端のほうに歌もあった。

[#ここから2字下げ]
草若みひたちの海のいかが崎《さき》いかで相見む田子の浦波

[#ここから1字下げ]
大川水の(みよし野の大川水のゆほびかに思ふものゆゑ浪《なみ》の立つらん)
[#ここで字下げ終わり]
 青い色紙一重ねに漢字がちに書かれてあった。肩がいかって、しかも漂って見えるほど力のない字、しという字を長く気どって書いてある。一行一行が曲がって倒れそうな自身の字を、満足そうに令嬢は微笑して読み返したあとで、さすがに細く小さく巻いて撫子《なでしこ》の花へつけたのであった。厠《かわや》係りの童女はきれいな子で、奉公なれた新参者であるが、それが使いになって、女御の台盤所《だいばんどころ》へそっと行って、
「これを差し上げてください」
 と言って出した。下仕《しもづか》えの女が顔を知っていて、北の対に使われている女の子だといって、撫子を受け取った。大輔《たゆう》という女房が女御の所へ持って出て、手紙をあけて見せた。女御は微笑をしながら下へ置いた手紙を、中納言という女房がそばにいて少し読んだ。
「何でございますか、新しい書き方のお手紙のようでございますね」
 となお見たそうに言うのを聞いて、女御は、
「漢字は見つけないせいかしら、前後が一貫してないように私などには思われる手紙よ」
 と言いながら渡した。
「返事もそんなふうにたいそうに書かないでは低級だと言って軽蔑《けいべつ》されるだろうね。それを読んだついでにあなたから書いておやりよ」
 と女御は言うのであった。露骨に笑い声はたてないが若い女房は皆笑っていた。使いが返事を請求していると言ってきた。
「風流なお言葉ばかりでできているお手紙ですから、お返事はむずかしゅうございます。仰せはこうこうと書いて差し上げるのも失礼ですし」
 と言って、中納言は女御の手紙のようにして書いた。
[#ここから1字下げ]
近きしるしなきおぼつかなさは恨めしく、

[#ここから2字下げ]
ひたちなる駿河《するが》の海の須磨《すま》の浦に浪《なみ》立ちいでよ箱崎《はこざき》の松
[#ここで字下げ終わり]

 中納言が読むのを聞いて女御は、
「そんなこと、私が言ったように人が皆思うだろうから」
 と言って困ったような顔をしていると、
「大丈夫でございますよ。聞いた人が判断いたしますよ」
 と中納言は言って、そのまま包んで出した。新令嬢はそれを見て、
「うまいお歌だこと、まつとお言いになったのだから」
 と言って、甘いにおいの薫香《くんこう》を熱心に着物へ焚《た》き込んでいた。紅《べに》を赤々とつけて、髪をきれいになでつけた姿にはにぎやかな愛嬌《あいきょう》があった、女御との会談にどんな失態をすることか。

常夏 版本说明

底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
   1994(平成6)年6月15日39版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には2002(平成14)年1月15日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:砂場清隆
2003年8月31日作成
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27 篝火

[#地から3字上げ]大きなるまゆみのもとに美しくかがり
[#地から3字上げ]火もえて涼風ぞ吹く    (晶子)

 このごろ、世間では内大臣の新令嬢という言葉を何かのことにつけては言うのを源氏の大臣は聞いて、
「ともかくも深窓に置かれる娘を、最初は大騒ぎもして迎えておきながら、今では世間へ笑いの材料に呈供しているような大臣の気持ちが理解できない。自尊心の強い性質から、ほかで育った娘の出来のよしあしも考えずに呼び寄せたあとで、気に入らない不愉快さを、そうした侮辱的扱いで紛らしているのであろう。実質はともかくも周囲の人が愛でつくろえば世間体をよくすることもできるものなのだけれど」
 と言って愛されない令嬢に同情していた。そんなことも聞いて玉鬘《たまかずら》は親であってもどんな性格であるとも知らずに接近して行っては恥ずかしい目にあうことが自分にないとも思われないと感じた。右近もそれを強めたような意見を告げた。迷惑な恋心は持たれているが、そうかといって無理をしいようともせず愛情はますます深く感ぜられる源氏であったから、ようやく玉鬘も不安なしに親しむことができるようになった。
 秋にもなった。風が涼しく吹いて身にしむ思いのそそられる時であるから、恋しい玉鬘の所へ源氏は始終来て、一日をそこで暮らすようなことがあった。琴を教えたりもしていた。五、六日ごろの夕月は早く落ちてしまって、涼しい色の曇った空のもとでは荻《おぎ》の葉が哀れに鳴っていた。琴を枕《まくら》にして源氏と玉鬘とは並んで仮寝《かりね》をしていた。こんなみじめな境地はないであろうと源氏は歎息《たんそく》をしながら夜ふかしをしていたが、人が怪しむことをはばかって帰って行こうとして、前の庭の篝《かがり》が少し消えかかっているのを、ついて来ていた右近衛《うこんえ》の丞《じょう》に命じてさらに燃やさせた。涼しい流れの所におもしろい形で広がった檀《まゆみ》の木の下に美しい篝は燃え始めたのである。座敷のほうへはちょうど涼しいほどの明りがさして、女の美しさが浮き出して見えた。髪の手ざわりの冷たいことなども艶《えん》な気がして、恥ずかしそうにしている様子が可憐《かれん》であった源氏は立ち去る気になれないのである。
「始終こちらを見まわって篝を絶やさぬようにするがいい。暑いころ、月のない間は庭に光のないのは気味の悪いものだからね」
 と右近の丞に言っていた。

[#ここから1字下げ]
「篝火に立ち添ふ恋の煙こそ世には絶えせぬ焔《ほのほ》なりけれ
[#ここで字下げ終わり]

 いつまでもこの状態でいなければならないのでしょう、苦しい下燃えというものですよ」
 玉鬘にはこう言った。女はまた奇怪なことがささやかれると思って、

[#ここから1字下げ]
「行方《ゆくへ》なき空に消《け》ちてよかがり火のたよりにたぐふ煙とならば
[#ここで字下げ終わり]

 人が不思議に思います」
 と言った。源氏は困ったように見えた。
「さあ帰りますよ」
 源氏が御簾《みす》から出る時に、東の対のほうに上手《じょうず》な笛が十三|絃《げん》の琴に合わせて鳴っているのが聞こえた。それは始終中将といっしょに遊んでいる公達《きんだち》のすさびであった。
「頭《とうの》中将に違いない。上手な笛の音だ」
 こう言って源氏はそのままとどまってしまったのである。東の対へ人をやって、
「今こちらにいます。篝の明りの涼しいのに引き止められてです」
 と言わせると三人の公達がこちらへ来た。
「風の音秋になりにけりと聞こえる笛が私をそそのかした」
 琴を中から出させてなつかしいふうに源氏は弾《ひ》いた。源中将は盤渉調《ばんしきちょう》に笛を吹いた。頭中将は晴れがましがって合奏の中へはいろうとしないのを見て、
「おそいね」
 と源氏は促した。弟の弁《べん》の少将が拍子を打ち出して、低音に歌い始めた声が鈴虫の音のようであった。二度繰り返して歌わせたあとで、源氏は和琴《わごん》を頭中将へ譲った。名手である父の大臣にもあまり劣らず中将は巧妙に弾いた。
「御簾の中に琴の音をよく聞き分ける人がいるはずなのです。今夜は私への杯はあまりささないようにしてほしい。青春を失った者は酔い泣きといっしょに過去の追憶が多くなって取り乱すことになるだろうから」
 と源氏の言うのを姫君も身に沁《し》んで聞いた。兄弟の縁のあるこの人たちに特別の注意が払われているのであるが、頭中将も、弁の少将も、そんなことは夢にも知らなんだ。中将は堪えがたい恋を音楽に託して思うぞんぶんに琴をかき鳴らしたい心を静かにおさえて、控え目な弾《ひ》き方をしていた。

篝火 版本说明

底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
   1994(平成6)年6月15日39版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年1月15日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:kompass
2003年7月28日作成
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28 野分

[#地から3字上げ]けざやかにめでたき人ぞ在《い》ましたる野
[#地から3字上げ]分が開《あ》くる絵巻のおくに  (晶子)

 中宮《ちゅうぐう》のお住居《すまい》の庭へ植えられた秋草は、今年はことさら種類が多くて、その中へ風流な黒木、赤木のませ垣《がき》が所々に結《ゆ》われ、朝露夕露の置き渡すころの優美な野の景色《けしき》を見ては、春の山も忘れるほどにおもしろかった。春秋の優劣を論じる人は昔から秋をよいとするほうの数が多いのであったが、六条院の春の庭のながめに説を変えた人々はまたこのごろでは秋の讃美《さんび》者になっていた、世の中というもののように。
 中宮はこれにお心が惹《ひ》かれてずっと御実家生活を続けておいでになるのであるが、音楽の会の催しがあってよいわけではあっても、八月は父君の前皇太子の御忌月《おんきづき》であったから、それにはばかってお暮らしになるうちにますます草の花は盛りになった。今年の野分《のわき》の風は例年よりも強い勢いで空の色も変わるほどに吹き出した。草花のしおれるのを見てはそれほど自然に対する愛のあるのでもない浅はかな人さえも心が痛むのであるから、まして露の吹き散らされて無惨《むざん》に乱れていく秋草を御覧になる宮は御病気にもおなりにならぬかと思われるほどの御心配をあそばされた。おおうばかりの袖《そで》というものは春の桜によりも実際は秋空の前に必要なものかと思われた。日が暮れてゆくにしたがってしいたげられる草木の影は見えずに、風の音ばかりのつのってくるのも恐ろしかったが、格子なども皆おろしてしまったので宮はただ草の花を哀れにお思いになるよりほかしかたもおありにならなかった。
 南の御殿のほうも前の庭を修理させた直後であったから、この野分にもとあらの小萩《こはぎ》が奔放に枝を振り乱すのを傍観しているよりほかはなかった。枝が折られて露の宿ともなれないふうの秋草を女王《にょおう》は縁の近くに出てながめていた。源氏は小姫君の所にいたころであったが、中将が来て東の渡殿《わたどの》の衝立《ついたて》の上から妻戸の開いた中を何心もなく見ると女房がおおぜいいた。中将は立ちどまって音をさせぬようにしてのぞいていた。屏風《びょうぶ》なども風のはげしいために皆畳み寄せてあったから、ずっと先のほうもよく見えるのであるが、そこの縁付きの座敷にいる一女性が中将の目にはいった。女房たちと混同して見える姿ではない。気高《けだか》くてきれいで、さっと匂《にお》いの立つ気がして、春の曙《あけぼの》の霞《かすみ》の中から美しい樺桜《かばざくら》の咲き乱れたのを見いだしたような気がした。夢中になってながめる者の顔にまで愛嬌《あいきょう》が反映するほどである。かつて見たことのない麗人である。御簾《みす》の吹き上げられるのを、女房たちがおさえ歩くのを見ながら、どうしたのかその人が笑った。非常に美しかった。草花に同情して奥へもはいらずに紫の女王がいたのである。女房もきれいな人ばかりがいるようであっても、そんなほうへは目が移らない。父の大臣が自分に接近する機会を与えないのは、こんなふうに男性が見ては平静でありえなくなる美貌《びぼう》の継母と自分を、聡明《そうめい》な父は隔離するようにして親しませなかったのであったと思うと、中将は自身の隙見《すきみ》の罪が恐ろしくなって、立ち去ろうとする時に、源氏は西側の襖子《ふすま》をあけて夫人の居間へはいって来た。
「いやな日だ。あわただしい風だね、格子を皆おろしてしまうがよい、男の用人がこの辺にもいるだろうから、用心をしなければ」
 と源氏が言っているのを聞いて、中将はまた元の場所へ寄ってのぞいた。女王は何かものを言っていて源氏も微笑しながらその顔を見ていた。親という気がせぬほど源氏は若くきれいで、美しい男の盛りのように見えた。女の美もまた完成の域に達した時であろうと、身にしむほどに中将は思ったが、この東側の格子も風に吹き散らされて、立っている所が中から見えそうになったのに恐れて身を退《の》けてしまった。そして今来たように咳《せき》払いなどをしながら南の縁のほうへ歩いて出た。
「だから私が言ったように不用心だったのだ」
 こう言った源氏がはじめて東の妻戸のあいていたことを見つけた。長い年月の間こうした機会がとらえられなかったのであるが、風は巌《いわ》も動かすという言葉に真理がある、慎み深い貴女《きじょ》も風のために端へ出ておられて、自分に珍しい喜びを与えたのであると中将は思ったのであった。家司《けいし》たちが出て来て、
「たいへんな風力でございます。北東から来るのでございますから、こちらはいくぶんよろしいわけでございます。馬場殿と南の釣殿《つりどの》などは危険に思われます」
 などと主人に報告して、下人《げにん》にはいろいろな命令を下していた。
「中将はどこから来たか」
「三条の宮にいたのでございますが、風が強くなりそうだと人が申すものですから、心配でこちらへ出て参りました。あちらではお一方《ひとかた》きりなのですから心細そうになさいまして、風の音なども若い子のように恐ろしがっていられますからお気の毒に存じまして、またあちらへ参ろうと思います」
 と中将は言った。
「ほんとうにそうだ。早く行くがいいね。年がいって若い子になるということは不思議なようでも実は皆そうなのだね」
 と源氏は大宮に御同情していた。
[#ここから1字下げ]
騒がしい天気でございますから、いかがとお案じしておりますが、この朝臣《あそん》がお付きしておりますことで安心してお伺いはいたしません。
[#ここで字下げ終わり]
 という挨拶《あいさつ》を言づてた。途中も吹きまくる風があって侘《わび》しいのであったが、まじめな公子であったから、三条の宮の祖母君と、六条院の父君への御|機嫌《きげん》伺いを欠くことはなくて、宮中の御謹慎日などで、御所から外へ出られぬ時以外は、役所の用の多い時にも臨時の御用の忙しい時にも、最初に六条院の父君の前へ出て、三条の宮から御所へ出勤することを規則正しくしている人で、こんな悪天候の中へ身を呈するようなお見舞いなども苦労とせずにした。宮様は中将が来たので力を得たようにお喜びになった。
「年寄りの私がまだこれまで経験しないほどの野分ですよ」
 とふるえておいでになった。大木の枝の折れる音などもすごかった。家々の瓦《かわら》の飛ぶ中を来たのは冒険であったとも宮は言っておいでになった。はなやかな御生活をあそばされたことも皆過去のことになって、この人一人をたよりにしておいでになる御現状を拝見しては無常も感ぜられるのである。今でも世間から受けておいでになる尊敬が薄らいだわけではないが、かえってお一人子の内大臣のとる態度にあたたかさの欠けたところがあった。
 夜通し吹き続ける風に眠りえない中将は、物哀れな気持ちになっていた。今日は恋人のことが思われずに、風の中でした隙見《すきみ》ではじめて知るを得た継母の女王の面影が忘られないのであった。これはどうしたことか、だいそれた罪を心で犯すことになるのではないかと思って反省しようとつとめるのであったが、また同じ幻が目に見えた。過去にも未来にもないような美貌《びぼう》の方である、あれほどの夫人のおられる中へ東の夫人が混じっておられるなどということは想像もできないことである。東の夫人がかわいそうであるとも中将は思った。父の大臣のりっぱな性格がそれによって証明された気もされる。まじめな中将は紫の女王を恋の対象として考えるようなことはしないのであるが、自分もああした妻がほしい、短い人生もああした人といっしょにいれば長生きができるであろうなどと思い続けていた。
 明け方に風が少し湿気を帯びた重い音になって村雨《むらさめ》風な雨になった。
「六条院では離れた建築物が皆倒れそうでございます」
 などと侍が報じた。風が揉《も》み抜いている間、広い六条院は大臣の住居《すまい》辺はおおぜいの人が詰めているであろうが、東の町などは人少なで花散里《はなちるさと》夫人は心細く思ったことであろうと中将は驚いて、まだほのぼの白《しら》むころに三条の宮から訪《たず》ねに出かけた。横雨が冷ややかに車へ吹き込んで来て、空の色もすごい道を行きながらも中将は、魂が何となく身に添わぬ気がした。これはどうしたこと、また自分には物思いが一つふえることになったのかと慄然《りつぜん》とした。これほどあるまじいことはない、自分は狂気したのかともいろいろに苦しんで六条院へ着いた中将は、すぐに東の夫人を見舞いに行った。非常におびえていた花散里をいろいろと慰めてから、家司《けいし》を呼んで損《そこ》ねた所々の修繕を命じて、それから南の町へ行った。まだ格子は上げられずに人も起きていなかったので、中将は源氏の寝室の前にあたる高欄によりかかって庭をながめていた。風のあとの築山《つきやま》の木が被害を受けて枝などもたくさん折れていた。草むらの乱れたことはむろんで、檜皮《ひわだ》とか瓦《かわら》とかが飛び散り、立蔀《たてじとみ》とか透垣《すきがき》とかが無数に倒れていた。わずかだけさした日光に恨み顔な草の露がきらきらと光っていた。空はすごく曇って、霧におおわれているのである。こんな景色《けしき》に対していて中将は何ということなしに涙のこぼれるのを押し込むように拭《ふ》いて咳《せき》払いをしてみた。
「中将が来ているらしい。まだ早いだろうに」
 と言って源氏は起き出すのであった。何か夫人が言っているらしいが、その声は聞こえないで源氏の笑うのが聞こえた。
「昔もあなたに経験させたことのない夜明けの別れを、今はじめて知って寂しいでしょう」
 と言っているのが感じよく聞こえた。女王の言葉は聞こえないのであるが、一方の言葉から推して、こうした戯れを言い合う今も緊張した間柄であることが中将にわかった。格子を源氏が手ずからあけるのを見て、あまり近くいることを遠慮して、中将は少し後へ退《の》いた。
「どうだったか、昨晩伺ったことで宮様はお喜びになったかね」
「そうでございました。何でもないことにもお泣きになりますからお気の毒で」
 と中将が言うと源氏は笑って、
「もう長くはいらっしゃらないだろう。誠意をこめてお仕えしておくがいい。内大臣はそんなふうでないと私へおこぼしになったことがある。華美なきらきらしいことが好きで、親への孝行も人目を驚かすようにしたい人なのだね。情味を持ってどうしておあげしようというようなことのできない人なのだよ。複雑な性格で、非常な聡明《そうめい》さで末世の大臣に過ぎた力量のある人だがね。まあそう言えばだれにだって欠点はあるからね」
 などと源氏は言うのであった。
「あの大風に中宮《ちゅうぐう》付きの役人は皆出て来ていたか、昨夜《ゆうべ》のことが不安だ」
 と言って、源氏は中将を見舞いに出すのであった。
[#ここから1字下げ]
昨晩の風のきついころはどうしておいでになりましたか。私は少しそのころから身体《からだ》の調子がよろしゅうございませんのでただ今はまだ伺われません。
[#ここで字下げ終わり]
 という挨拶《あいさつ》を持たせてやったのである。そこを立ち廊の戸を通って中宮の町へ出て行く若い中将の朝の姿が美しかった。東の対の南側の縁に立って、中央の寝殿を見ると、格子が二間ほどだけ上げられて、まだほのかな朝ぼらけに御簾《みす》を巻き上げて女房たちが出ていた。高欄によりかかって庭を見ているのは若い女房ばかりであった。打ち解けた姿でこうしたふうに出ていたりすることはよろしくなくても、これは皆きれいにいろいろな上着に裳《も》までつけて、重なるようにしてすわりながらおおぜいで出ているので感じのよいことであった。中宮は童女を庭へおろして虫籠《むしかご》に露を入れさせておいでになるのである。紫※[#「くさかんむり/宛」、第3水準1-90-92]《しおん》色、撫子《なでしこ》色などの濃い色、淡い色の袙《あこめ》に、女郎花《おみなえし》色の薄物の上着などの時節に合った物を着て、四、五人くらいずつ一かたまりになってあなたこなたの草むらへいろいろな籠を持って行き歩いていて、折れた撫子の哀れな枝なども取って来る。霧の中にそれらが見えるのである。お座敷の中を通って吹いて来る風は侍従香の匂《にお》いを含んでいた。貴女《きじょ》の世界の心憎さが豊かに覚えられるお住居《すまい》である。驚かすような気がして中将は出にくかったが、静かな音をたてて歩いて行くと、女房たちはきわだって驚いたふうも見せずに皆座敷の中へはいってしまった。宮の御入内《ごじゅだい》の時に童形《どうぎょう》で供奉《ぐぶ》して以来知り合いの女房が多くて中将には親しみのある場所でもあった。源氏の挨拶《あいさつ》を申し上げてから、宰相の君、内侍《ないし》などもいるのを知って中将はしばらく話していた。ここにはまたすべての所よりも気高《けだか》い空気があった。そうした清い気分の中で女房たちと語りながらも中将は昨日《きのう》以来の悩ましさを忘れることができなかった。
 帰って来ると南御殿は格子が皆上げられてあって、夫人は昨夜《ゆうべ》気にかけながら寝た草花が所在も知れぬように乱れてしまったのをながめている時であった。中将は階段の所へ行って、中宮のお返辞を報じた。
[#ここから1字下げ]
荒い風もお防ぎくださいますでしょうと若々しく頼みにさせていただいているのでございますから、お見舞いをいただきましてはじめて安心いたしました。
[#ここで字下げ終わり]
 というのである。
「弱々しい宮様なのだからね、そうだったろうね。女はだれも皆こわくてたまるまいという気のした夜だったからね、実際不親切に思召《おぼしめ》しただろう」
 と言って、源氏はすぐに御訪問をすることにした。直衣《のうし》などを着るために向こうの室の御簾《みす》を引き上げて源氏がはいる時に、短い几帳《きちょう》を近くへ寄せて立てた人の袖口《そでぐち》の見えたのを、女王《にょおう》であろうと思うと胸が湧《わ》き上がるような音をたてた。困ったことであると思って中将はわざと外のほうをながめていた。源氏は鏡に向かいながら小声で夫人に言う、
「中将の朝の姿はきれいじゃありませんか、まだ小さいのだが洗練されても見えるように思うのは親だからかしら」
 鏡にある自分の顔はしかも最高の優越した美を持つものであると源氏は自信していた。身なりを整えるのに苦心をしたあとで、
「中宮にお目にかかる時はいつも晴れがましい気がする。なんらの見識を表へ出しておいでになるのでないが、前へ出る者は気がつかわれる。おおように女らしくて、そして高い批評眼が備わっているというようなかただ」
 こう言いながら源氏は御簾から出ようとしたが、中将が一方を見つめて源氏の来ることにも気のつかぬふうであるのを、鋭敏な神経を持つ源氏はそれをどう見たか引き返して来て夫人に、
「昨日《きのう》風の紛れに中将はあなたを見たのじゃないだろうか。戸があいていたでしょう」
 と言うと女王は顔を赤くして、
「そんなこと。渡殿《わたどの》のほうには人の足音がしませんでしたもの」
 と言っていた。
「しかし、疑わしい」
 源氏はこう独言《ひとりごと》を言いながら中宮の御殿のほうへ歩いて行った。また供をして行った中将は、源氏が御簾《みす》の中へはいっている間を、渡殿の戸口の、女房たちの集まっているけはいのうかがわれる所へ行って、戯れを言ったりしながらも、新しい物思いのできた人は平生よりもめいったふうをしていた。
 そこからすぐに北へ通って明石《あかし》の君の町へ源氏は出たが、ここでははかばかしい家司《けいし》風の者は来ていないで、下仕えの女中などが乱れた草の庭へ出て花の始末などをしていた。童女が感じのいい姿をして夫人の愛している竜胆《りんどう》や朝顔がほかの葉の中に混じってしまったのを選《え》り出していたわっていた。物哀れな気持ちになっていて明石は十三|絃《げん》の琴を弾《ひ》きながら縁に近い所へ出ていたが、人払いの声がしたので、平常着《ふだんぎ》の上へ棹《さお》からおろした小袿《こうちぎ》を掛けて出迎えた。こんな急な場合にも敬意を表することを忘れない所にこの人の性格が見えるのである。座敷の端にしばらくすわって、風の見舞いだけを言って、そのまま冷淡に帰って行く源氏の態度を女は恨めしく思った。

[#ここから2字下げ]
おほかたの荻《をぎ》の葉過ぐる風の音もうき身一つに沁《し》むここちして
[#ここで字下げ終わり]

 こんなことを口ずさんでいた。
 源氏が東の町の西の対へ行った時は、夜の風が恐ろしくて明け方まで眠れなくて、やっと睡眠したあとの寝過ごしをした玉鬘《たまかずら》が鏡を見ている時であった。たいそうに先払いの声を出さないようにと源氏は注意していて、そっと座敷へはいった。屏風《びょうぶ》なども皆畳んであって混雑した室内へはなやかな秋の日ざしがはいった所に、あざやかな美貌《びぼう》の玉鬘《たまかずら》がすわっていた。源氏は近い所へ席を定めた。荒い野分の風もここでは恋を告げる方便に使われるのであった。
「そんなふうなことを言って、私をお困らせになりますから、私はあの風に吹かれて行ってしまいたく思いました」
 と機嫌《きげん》をそこねて玉鬘が言うと源氏はおもしろそうに笑った。
「風に吹かれてどこへでも行ってしまおうというのは少し軽々しいことですね。しかしどこか吹かれて行きたい目的の所があるでしょう。あなたも自我を現わすようになって、私を愛しないことも明らかにするようになりましたね。もっともですよ」
 と源氏が言うと、玉鬘は思ったままを誤解されやすい言葉で言ったものであると自身ながらおかしくなって笑っている顔の色がはなやかに見えた。海酸漿《うみほおずき》のようにふっくらとしていて、髪の間から見える膚の色がきれいである。目があまりに大きいことだけはそれほど品のよいものでなかった。そのほかには少しの欠点もない。中将は父の源氏がゆっくりと話している間に、この異腹の姉の顔を一度のぞいて知りたいとは平生から願っていることであったから、隅《すみ》の部屋《へや》の御簾《みす》が几帳《きちょう》も添えられてあるが、乱れたままになっている、その端をそっと上げて見ると、中央の部屋との間に障害になるような物は皆片づけられてあったからよく見えた。戯れていることは見ていてわかることであったから、不思議な行為である。親子であっても懐《ふところ》に抱きかかえる幼年者でもない、あんなにしてよいわけのものでないのにと目がとまった。源氏に見つけられないかと恐ろしいのであったが、好奇心がつのってなおのぞいていると、柱のほうへ身体《からだ》を少し隠すように姫君がしているのを、源氏は自身のほうへ引き寄せていた。髪の波が寄って、はらはらとこぼれかかっていた。女も困ったようなふうはしながらも、さすがに柔らかに寄りかかっているのを見ると、始終このなれなれしい場面の演ぜられていることも中将に合点《がてん》された。悪感《おかん》の覚えられることである、どういうわけであろう、好色なお心であるから、小さい時から手もとで育たなかった娘にはああした心も起こるのであろう、道理でもあるがあさましいと真相を知らない中将にこう思われている源氏は気の毒である。玉鬘は兄弟であっても同腹でない、母が違うと思えば心の動くこともあろうと思われる美貌であることを中将は知った。昨日見た女王《にょおう》よりは劣って見えるが、見ている者が微笑《ほほえ》まれるようなはなやかさは同じほどに思われた。八重の山吹《やまぶき》の咲き乱れた盛りに露を帯びて夕映《ゆうば》えのもとにあったことを、その人を見ていて中将は思い出した。このごろの季節のものではないが、やはりその花に最もよく似た人であると思われた。花は美しくても花であって、またよく乱れた蕊《しべ》なども盛りの花といっしょにあったりなどするものであるが、人の美貌はそんなものではないのである。だれも女房がそばへ出て来ない間、親しいふうに二人の男女は語っていたが、どうしたのかまじめな顔をして源氏が立ち上がった。玉鬘が、

[#ここから2字下げ]
吹き乱る風のけしきに女郎花《をみなへし》萎《しを》れしぬべきここちこそすれ
[#ここで字下げ終わり]

 と言った。これはその人の言うのが中将に聞こえたのではなくて、源氏が口にした時に知ったのである。不快なことがまた好奇心を引きもして、もう少し見きわめたいと中将は思ったが、近くにいたことを見られまいとしてそこから退《の》いていた。源氏が、

[#ここから1字下げ]
「しら露に靡《なび》かましかば女郎花荒き風にはしをれざらまし
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 弱竹《なよたけ》をお手本になさい」
 と言ったと思ったのは、中将の僻耳《ひがみみ》であったかもしれぬが、それも気持ちの悪い会話だとその人は聞いたのであった。
 花散里《はなちるさと》の所へそこからすぐに源氏は行った。今朝《けさ》の肌《はだ》寒さに促されたように、年を取った女房たちが裁ち物などを夫人の座敷でしていた。細櫃《ほそびつ》の上で真綿をひろげている若い女房もあった。きれいに染め上がった朽ち葉色の薄物、淡紫《うすむらさき》のでき上がりのよい打ち絹などが散らかっている。
「なんですこれは、中将の下襲《したがさね》なんですか。御所の壺前栽《つぼせんざい》の秋草の宴なども今年はだめになるでしょうね。こんなに風が吹き出してしまってはね、見ることも何もできるものでないから。ひどい秋ですね」
 などと言いながら、何になるのかさまざまの染め物織り物の美しい色が集まっているのを見て、こうした見立ての巧みなことは南の女王にも劣っていない人であると源氏は花散里を思った。源氏の直衣《のうし》の材料の支那《しな》の紋綾《もんあや》を初秋の草花から摘んで作った染料で手染めに染め上げたのが非常によい色であった。
「これは中将に着せたらいい色ですね。若い人には似合うでしょう」
 こんなことも言って源氏は帰って行った。
 面倒《めんどう》な夫人たちの訪問の供を皆してまわって、時のたったことで中将は気が気でなく思いながら妹の姫君の所へ行った。
「まだ御寝室にいらっしゃるのでございますよ。風をおこわがりになって、今朝《けさ》はもうお起きになることもおできにならないのでございます」
 と、乳母《めのと》が話した。
「悪い天気でしたからね。こちらで宿直《とのい》をしてあげたかったのだが、宮様が心細がっていらっしゃったものですからあちらへ行ってしまったのです。お雛《ひな》様の御殿はほんとうにたいへんだったでしょう」
 女房たちは笑って言う、
「扇の風でもたいへんなのでございますからね。それにあの風でございましょう。私どもはどんなに困ったことでしょう」
「何でもない紙がありませんか。それからあなたがたがお使いになる硯《すずり》を拝借しましょう」
 と中将が言ったので女房は棚《たな》の上から出して紙を一巻き蓋《ふた》に入れて硯といっしょに出してくれた。
「これはあまりよすぎて私の役にはたちにくい」
 と言いながらも、中将は姫君の生母が明石《あかし》夫人であることを思って、遠慮をしすぎる自分を苦笑しながら書いた。それは淡紫の薄様《うすよう》であった。丁寧に墨をすって、筆の先をながめながら考えて書いている中将の様子は艶《えん》であった。しかしその手紙は若い女房を羨望《せんぼう》させる一女性にあてて書かれるものであった。

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風騒ぎむら雲迷ふ夕べにも忘るるまなく忘られぬ君
[#ここで字下げ終わり]

 という歌の書かれた手紙を、穂の乱れた刈萱《かるかや》に中将はつけていた。女房が、
「交野《かたの》の少将は紙の色と同じ色の花を使ったそうでございますよ」
 と言った。
「そんな風流が私にはできないのですからね。送ってやる人だってまたそんなものなのですからね」
 中将はこうした女房にもあまりなれなれしくさせない溝《みぞ》を作って話していた。品のよい貴公子らしい行為である。中将はもう一通書いてから右馬助《うまのすけ》を呼んで渡すと、美しい童侍《わらわざむらい》や、ものなれた随身の男へさらに右馬助は渡して使いは出て行った。若い女房たちは使いの行く先と手紙の内容とを知りたがっていた。姫君がこちらへ来ると言って、女房たちがにわかに立ち騒いで、几帳《きちょう》の切れを引き直したりなどしていた。昨日から今朝にかけて見た麗人たちと比べて見ようとする気になって、平生はあまり興味を持たないことであったが、妻戸の御簾《みす》へ身体《からだ》を半分入れて几帳の綻《ほころ》びからのぞいた時に、姫君がこの座敷へはいって来るのを見た。女房が前を往《ゆ》き来するので正確には見えない。淡紫の着物を着て、髪はまだ着物の裾《すそ》には達せずに末のほうがわざとひろげたようになっている細い小さい姿が可憐《かれん》に思われた。一昨年ごろまでは稀《まれ》に顔も見たのであるが、そのころよりはまたずっと美しくなったようであると中将は思った。まして妙齢になったならどれほどの美人になるであろうと思われた。さきに中将の見た麗人の二人を桜と山吹にたとえるなら、これは藤《ふじ》の花といってよいようである。高い木にかかって咲いた藤が風になびく美しさはこんなものであると思われた。こうした人たちを見たいだけ見て暮らしたい、継母であり、異母姉妹であれば、それのできないのがかえって不自然なわけであるが、事実はそうした恨めしいものになっていると思うと、まじめなこの人も魂がどこかへあこがれて行ってしまう気がした。
 三条の宮へ行くと宮は静かに仏勤めをしておいでになった。若い美しい女房はここにもいるが、身なりも取りなしも盛りの家の夫人たちに使われている人たちに比べると見劣りがされた。顔だちのよい尼女房の墨染めを着たのなどはかえってこうした場所にふさわしい気がして感じよく思われた。内大臣も宮を御訪問に来て、灯《ひ》などをともしてゆっくりと宮は話しておいでになった。
「姫君に長く逢《あ》いませんね。ほんとうにどうしたことだろう」
 とお言い出しになって、宮はお泣きになった。
「近いうちにお伺わせいたします。自身から物思いをする人になって、哀れに衰えております。女の子というものは実際持たなくていいものですね。何につけかにつけ親の苦労の絶えないものです」
 内大臣はまだあの古い過失について許し切っていないように言うのを、宮は悲しくお思いになって、望んでおいでになることは口へお出しになれなかった。話の続きに大臣は、
「ものにならない娘が一人出て来まして困っております」
 と母宮に訴えた。
「どうしてでしょう。娘という名がある以上おとなしくないわけはないものですが」
「それがそういかないのです。醜態でございます。お笑いぐさにお目にかけたいほどです」
 と大臣は言っていた。

野分 版本说明

底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
   1994(平成6)年6月15日39版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年1月15日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:伊藤時也
2003年5月18日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

29 行幸

[#地から3字上げ]雪ちるや日よりかしこくめでたさも上
[#地から3字上げ]なき君の玉のおん輿《こし》    (晶子)

 源氏は玉鬘《たまかずら》に対してあらゆる好意を尽くしているのであるが、人知れぬ恋を持つ点で、南の女王《にょおう》の想像したとおりの不幸な結末を生むのでないかと見えた。すべてのことに形式を重んじる癖があって、少しでもその点の不足したことは我慢のならぬように思う内大臣の性格であるから、思いやりもなしに婿として麗々しく扱われるようなことになっては今さら醜態で、気恥ずかしいことであると、その懸念《けねん》がいささか源氏を躊躇《ちゅうちょ》させていた。
 この十二月に洛西《らくさい》の大原野の行幸《みゆき》があって、だれも皆お行列の見物に出た。六条院からも夫人がたが車で拝見に行った。帝《みかど》は午前六時に御出門になって、朱雀《すざく》大路から五条通りを西へ折れてお進みになった。道路は見物車でうずまるほどである。行幸と申しても必ずしもこうではないのであるが、今日は親王がた、高官たちも皆特別に馬|鞍《ぐら》を整えて、随身、馬副男《うまぞいおとこ》の背丈《せたけ》までもよりそろえ、装束に風流を尽くさせてあった。左右の大臣、内大臣、納言以下はことごとく供奉《ぐぶ》したのである。浅葱《あさぎ》の色の袍《ほう》に紅紫の下襲《したがさね》を殿上役人以下五位六位までも着ていた。時々少しずつの雪が空から散って艶《えん》な趣を添えた。親王がた、高官たちも鷹《たか》使いのたしなみのある人は、野に出てからの用にきれいな狩衣《かりぎぬ》を用意していた。左右の近衛《このえ》、左右の衛門《えもん》、左右の兵衛《ひょうえ》に属した鷹匠《たかじょう》たちは大柄な、目だつ摺衣《すりぎぬ》を着ていた。女の目には平生見|馴《な》れない見物事であったから、だれかれとなしに競って拝観をしようとしたが、貧弱にできた車などは群衆に輪をこわされて哀れな姿で立っていた。桂《かつら》川の船橋のほとりが最もよい拝観場所で、よい車がここには多かった。六条院の玉鬘《たまかずら》の姫君も見物に出ていた。きれいな身なりをして化粧をした朝臣《あそん》たちをたくさん見たが、緋《ひ》のお上着を召した端麗な鳳輦《ほうれん》の中の御姿《みすがた》になぞらえることのできるような人はだれもない。玉鬘は人知れず父の大臣に注意を払ったが、噂《うわさ》どおりにはなやかな貫禄《かんろく》のある盛りの男とは見えたが、それも絶対なりっぱさとはいえるものでなくて、だれよりも優秀な人臣と見えるだけである。きれいであるとか、美男だとかいって、若い女房たちが蔭《かげ》で大騒ぎをしている中将や少将、殿上役人のだれかれなどはまして目にもたたず無視せざるをえないのである。帝は源氏の大臣にそっくりなお顔であるが、思いなしか一段崇高な御|美貌《びぼう》と拝されるのであった。でこれを人間世界の最もすぐれた美と申さねばならないのである。貴族の男は皆きれいなものであるように玉鬘は源氏や中将を始終見て考えていたのであるが、こんな正装の姿は平生よりも悪く見えるのか、多数の朝臣たちは同じ目鼻を持つ顔とも玉鬘には見えなかった。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮もおいでになった。右大将は羽振りのよい重臣ではあるが今日の武官姿の纓《えい》を巻いて胡※[#「竹かんむり/祿」、第3水準1-89-76]《やなぐい》を負った形などはきわめて優美に見えた。色が黒く、髭《ひげ》の多い顔に玉鬘は好感を持てなかった。男は化粧した女のような白い顔をしているものでないのに、若い玉鬘の心はそれを軽蔑《けいべつ》した。源氏はこのごろ玉鬘に宮仕えを勧めているのであった。今までは自発的にお勤めを始めるのでもなしにやむをえずに御所の人々の中に混じって新しい苦労を買うようなことはと躊躇する玉鬘であったが、後宮の一人でなく公式の高等女官になって陛下へお仕えするのはよいことであるかもしれないと思うようになった。大原野で鳳輦《ほうれん》が停《とど》められ、高官たちは天幕の中で食事をしたり、正装を直衣《のうし》や狩衣に改めたりしているころに、六条院の大臣から酒や菓子の献上品が届いた。源氏にも供奉《ぐぶ》することを前に仰せられたのであるが、謹慎日であることによって御辞退をしたのである。蔵人《くろうど》の左衛門尉《さえもんのじょう》を御使《みつか》いにして、木の枝に付けた雉子《きじ》を一羽源氏へ下された。この仰せのお言葉は女である筆者が採録申し上げて誤りでもあってはならないから省く。

[#ここから2字下げ]
雪深きをしほの山に立つ雉子の古き跡をも今日《けふ》はたづねよ
[#ここで字下げ終わり]

 御製はこうであった。これは太政大臣が野の行幸にお供申し上げた先例におよりになったことであるかもしれない。
 源氏の大臣は御使いをかしこんで扱った。お返事は、

[#ここから2字下げ]
小塩《をしほ》山みゆき積もれる松原に今日ばかりなる跡やなからん
[#ここで字下げ終わり]

 という歌であったようである。筆者は覚え違いをしているかもしれない。
 その翌日、源氏は西の対へ手紙を書いた。
[#ここから1字下げ]
昨日《きのう》陛下をお拝みになりましたか。お話ししていたことはどう決めますか。
[#ここで字下げ終わり]
 白い紙へ、簡単に気どった跡もなく書かれているのであるが、美しいのをながめて、
「ひどいことを」
 と玉鬘《たまかずら》は笑っていたが、よくも心が見透かされたものであるという気がした。
[#ここから1字下げ]
昨日は、

[#ここから2字下げ]
うちきらし朝曇りせしみゆきにはさやかに空の光やは見し

[#ここから1字下げ]
何が何でございますやら私などには。
[#ここで字下げ終わり]
 と書いて来た返事を紫の女王《にょおう》もいっしょに見た。源氏は宮仕えを玉鬘に勧めた話をした。
「中宮《ちゅうぐう》が私の子になっておいでになるのだから、同じ家からそれ以上のことがなくて出て行くのをあの人は躊躇することだろうと思うし、大臣の子として出て行くのも女御《にょご》がいられるのだから不都合だしと煩悶《はんもん》しているそのことも言っているのですよ。若い女で宮中へ出る資格のある者が陛下を拝見しては御所の勤仕を断念できるものでないはずだ」
 と源氏が言うと、
「いやなあなた。お美しいと拝見しても恋愛的に御奉公を考えるのは失礼すぎたことじゃありませんか」
 と女王は笑った。
「そうでもない。あなただって拝見すれば陛下のおそばへ上がりたくなりますよ」
 などと言いながら源氏はまた西の対へ書いた。

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あかねさす光は空に曇らぬをなどてみゆきに目をきらしけん

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ぜひ決心をなさるように。
[#ここで字下げ終わり]
 こんなふうに言って源氏は絶えず勧めていた。ともかくも裳着《もぎ》の式を行なおうと思って、その儀式の日の用意を始めさせた。自身ではたいしたことにしようとしないことでも、源氏の家で行なわれることは自然にたいそうなものになってしまうのであるが、今度のことはこれを機会に内大臣へほんとうのことを知らせようと期している式であったから、きわめて華美な支度《したく》になっていった。来春の二月にしようと源氏は思っているのであった。女は世間から有名な人にされていても、まだ姫君である間は必ずしも親の姓氏を明らかに掲げている必要もないから、今までは藤原《ふじわら》の内大臣の娘とも、源氏の娘とも明確にしないで済んだが、源氏の望むように宮仕えに出すことにすれば春日《かすが》の神の氏の子を奪うことになるし、ついに知れるはずのものをしいて当座だけ感情の上からごまかしをするのも自身の不名誉であると源氏は考えた。平凡な階級の人は安易に姓氏を変えたりもするが、内に流れた親子の血が人為的のことで絶えるものでないから、自然のままに自分の寛大さを大臣に知らしめようと源氏は決めて、裳《も》の紐《ひも》を結ぶ役を大臣へ依頼することにしたが、大臣は、去年の冬ごろから御病気をしておいでになる大宮が、いつどうおなりになるかもしれぬ場合であるから、祝儀のことに出るのは遠慮をすると辞退してきた。中将も夜昼三条の宮へ行って付ききりのようにして御|介抱《かいほう》をしていて、何の余裕も心にないふうな時であるから、裳着は延ばしたものであろうかとも源氏は考えたが、宮がもしお薨《かく》れになれば玉鬘《たまかずら》は孫としての服喪の義務があるのを、知らぬ顔で置かせては罪の深いことにもなろうから、宮の御病気を別問題として裳着を行ない、大臣へ真相を知らせることも宮の生きておいでになる間にしようと源氏は決心して、三条の宮をお見舞いしがてらにお訪《たず》ねした。微行《しのび》として来たのであるが行幸《みゆき》にひとしい威儀が知らず知らず添っていた。美しさはいよいよ光が添ったようなこのごろの源氏を御覧になったことで宮は御病苦が取り去られた気持ちにおなりになって、脇息《きょうそく》へおよりかかりになりながら、弱々しい調子ながらもよくお話しになった。
「そうお悪くはなかったのでございますね。中将がひどく御心配申し上げてお話をいたすものですから、どんなふうでいらっしゃるのかとお案じいたしておりました。御所などへも特別なことのない限りは出ませんで、朝廷の人のようでもなく引きこもっておりまして、自然思いましてもすぐに物事を実行する力もなくなりまして失礼をいたしました。年齢などは私よりもずっと上の人がひどく腰をかがめながらもお役を勤めているのが、昔も今もあるでしょうが、私は生理的にも精神的にも弱者ですから、怠《なま》けることよりできないのでございましょう」
 などと源氏は言っていた。
「年のせいだと思いましてね。幾月かの間は身体《からだ》の調子の悪いのも打ちやってあったのですが、今年になってからはどうやらこの病気は重いという気がしてきましてね、もう一度こうしてあなたにお目にかかることもできないままになってしまうのかと心細かったのですが、お見舞いくださいましたこの感激でまた少し命も延びる気がします。もう私は惜しい命では少しもありません。皆に先だたれましたあとで、一人長く生き残っていることは他人のことで見てもおもしろくないことに思われたことなのですから、早くと先を急ぐ気にもなるのですが、中将がね、親切にね、想像もできないほどよくしてくれましてね、心配もしてくれますのを見ますとまた引き止められる形にもなっております」
 初めから終わりまで泣いてお言いになるそのお慄《ふる》え声もこの場合に身に沁《し》んで聞かれた。昔の話も出、現在のことも語っていたついでに源氏は言った。
「内大臣は毎日おいでになるでしょうが、私の伺っておりますうちにもしおいでになることがあればお目にかかれて結構だと思います。ぜひお話ししておきたいこともあるのですが、何かの機会がなくてはそれもできませんで、まだそのままになっております」
「お上《かみ》の御用が多いのか、自身の愛が淡《うす》いのか、そうそう見舞ってくれません。お話しになりたいとおっしゃるのはどんなことでしょう。中将が恨めしがっていることもあるのですが、私は何も初めのことは知りませんが、冷淡な態度をあの子にとるのを見ていましてね、一度立った噂《うわさ》はそんなことで取り返されるものではなし、かえって二重に人から譏《そし》らせるようなものだと私は忠告もしましたが、昔からこうと思ったことは曲げられない性質でね、私は不本意に傍観しています」
 大宮が中将のことであろうとお解しになって、こうお言いになるのを聞いて、源氏は笑いながら、
「今さらしかたのないこととして許しておやりになるかと思いまして、私からもそれとなく希望を述べたこともあるのですが、断然お引き分けになろうとするお考えらしいのを見まして、なぜ口出しをしたかときまり悪く後悔をしておりました。まあ何事にも清めということがございますから、噂などは大臣の意志で消滅させようとすればできるかもしれぬとは見ていますが事実であったことをきれいに忘れさせることはむずかしいでしょうね。すべて親から子と次第に人間の価値は落ちていきまして、子は親ほどだれからも尊敬されず、愛されもしないのであろうと中将を哀れに思っております」
 などと言ったあとで源氏は本問題の説明をするのであった。
「大臣にお話ししたいと思いますことは、大臣の肉身の人を、少し朦朧《もうろう》としました初めの関係から私の娘かと思いまして手もとへ引き取ったのですが、その時には間違いであることも私に聞かせなかったものですから、したがってくわしく調べもしませんで子供の少ない私ですから、縁があればこそと思いまして世話をいたしかけましたものの、そう近づいて見ることもしませんで月日がたったのですが、どうしてお耳にはいったのですか、宮中から御沙汰《ごさた》がありましてね、こう仰せられるのです。尚侍《ないしのかみ》の職が欠員であることは、そのほうの女官が御用をするのにたよる所がなくて、自然仕事が投げやりになりやすい、それで今お勤めしている故参の典侍《ないしのすけ》二人、そのほかにも尚侍になろうとする人たちの多い中にも資格の十分な人を選び出すのが困難で、たいてい貴族の娘の声望のある者で、家庭のことに携わらないでいい人というのが昔から標準になっているのですから、欠点のない完全な資格はなくても、下の役から勤め上げた年功者の登用される場合はあっても、ただ今の典侍にまだそれだけ力がないとすれば、家柄その他の点で他から選ばなければならないことになるから出仕をさせるようにというお言葉だったのです。私の家の子が相応しないこととも思うわけのものでございませんから、私も宮中の仰せをお受けしようという気になったのでございます。宮仕えというものは適任者であると認められれば役の不足などは考えるべきことではありません。後宮ではなしに宮中の一課をお預かりしていろいろな事務も見なければならないことは女の最高の理想でないように思う人はあっても、私はそうとも思っておりません。仕事は何であってもその人格によってその職がよくも見え、悪くも見えるのであると、私がそんな気になりました時に、娘の年齢のことを聞きましたことから、これは私の子でなくてあの方のだということがわかったのです。なおお目にかかりましてその点なども明瞭《めいりょう》にいたしたいと思います。機会がなくてはお目にかかれませんから、おいでを願ってこの話を申し上げようといたしましたところ、あなた様の御病気のことをお言い出しになりましてお断わりのお返事をいただいたのですが、それは実際御遠慮申すべきだと思いますものの、こんなふうにおよろしいところを拝見できたのですから、やはり計画どおりに祝いの式をさせたいと思うのです。内大臣にもやはりその節御足労を願いたいと思うのですが、あなた様からいくぶんそのこともおにおわしになったお手紙をお出しくださいませんか」
 と源氏は言うのであった。
「まあそれは思いがけないことでございますね。内大臣の所ではそうした名のりをして来る者は片端から拾うようにしてよく世話をしているようですがね、どうしてあなたの所へ引き取られようとしたのでしょう。前から何かのお話を聞いていて出て来た人なのですか」
「そうなっていく訳がある人なのです。くわしいことは内大臣のほうがよくおわかりになるくらいでしょう。凡俗の中の出来事のようで、明らかにすればますます人が噂《うわさ》に上せたがりそうなことと思われますから、中将にもまだくわしく話してございません。あなた様も秘密にあそばしてください」
 と源氏は注意した。
 内大臣のほうでも源氏が三条の宮へ御訪問したことを聞いて、
「簡単な生活をしていらっしゃる所では太政大臣の御待遇にお困りになるだろう。前駆の人たちを饗応《きょうおう》したり、座敷のお取りもちをする者もはかばかしい者がいないであろう、中将は今日はお客側のお供で来ていられるだろうから」
 すぐに子息たちそのほかの殿上役人たちをやるのであった。
「お菓子とか、酒とか、よいようにして差し上げるがいい。私も行くべきだがかえってたいそうになるだろうから」
 などと言っている時に大宮のお手紙が届いたのである。
[#ここから1字下げ]
六条の大臣が見舞いに来てくだすったのですが、こちらは人が少なくてお恥ずかしくもあり、失礼でもありますから、私がわざとお知らせしたというふうでなしに来てくださいませんか。あなたとお逢《あ》いになってお話しなさりたいこともあるようです。
[#ここで字下げ終わり]
 と書かれてあった。何であろう、雲井《くもい》の雁《かり》と中将の結婚を許せということなのであろうか、もう長くおいでになれない御病体の宮がぜひにとそのことをお言いになり、源氏の大臣が謙遜《けんそん》な言葉で一言その問題に触れたことをお訴えになれば自分は拒否のしようがない。中将が冷静で、あせって結婚をしようとしないのを見ていることは自分の苦痛なのであるから、いい機会があれば先方に一歩譲った形式で許すことにしようと大臣は思った。そしてそれは大宮と源氏が合議されてのことであるに違いないと気のついた大臣は、それであればいっそう否みようのないことであると思われるが、必ずしもそうでないと思った。こうした時にちょっと反抗的な気持ちの起こるのが内大臣の性格であった。しかし宮もお手紙をおつかわしになり、源氏の大臣も待っておいでになるらしいから伺わないでは双方へ失礼である。ともかくもその場になって判断をすることにしようと思って、内大臣は身なりを特に整えて前駆などはわざと簡単にして三条の宮へはいった。子息たちをおおぜい引きつれている大臣は、重々しくも頼もしい人に見えた。背の高さに相応して肥《ふと》った貫禄《かんろく》のある姿で歩いて来る様子は大臣らしい大臣であった。紅紫の指貫《さしぬき》に桜の色の下襲《したがさね》の裾《すそ》を長く引いて、ゆるゆるとした身のとりなしを見せていた。なんというりっぱな姿であろうと見えたが、六条の大臣は桜の色の支那錦《しなにしき》の直衣《のうし》の下に淡色《うすいろ》の小袖《こそで》を幾つも重ねたくつろいだ姿でいて、これはこの上の端麗なものはないと思われるのであった。自然に美しい光というようなものが添っていて、内大臣の引き繕った姿などと比べる性質の美ではなかった。おおぜいの子息たちがそれぞれりっぱになっていた。藤《とう》大納言、東宮|大夫《たゆう》などという大臣の兄弟たちもいたし、蔵人頭《くろうどのかみ》、五位の蔵人、近衛《このえ》の中少将、弁官などは皆一族で、はなやかな十幾人が内大臣を取り巻いていた。その他の役人もついて来ていて、たびたび杯がまわるうちに皆酔いが出て、内大臣の豊かな幸福をだれもだれも話題にした。源氏と内大臣は珍しい会合に昔のことが思い出されて古いころからの話がかわされた。世間で別々に立っている時には競争心というようなものも双方の心に芽ぐむのであるが、一堂に集まってみれば友情のよみがえるのを覚えるばかりであった。隔てのない会話の進んでいく間に日が暮れていった。杯がなお人々の間に勧められた。
「伺わないでは済まないのでございますが、今日来いというようなお召しがないものですから、失礼しておりまして、お叱《しか》りを受けそうでなりません」
 と内大臣は言った。
「お叱りは私が受けなければならないと思っていることがたくさんあります」
 と意味ありげに源氏の言うのを、先刻から考えていた問題であろうと大臣はとって、ただかしこまっていた。
「昔から公人としても私人としてもあなたとほど親しくした人は私にありません。翅《はね》を並べるというようにして将来は国事に携わろうなどと当時は思ったものですがね、のちになるとお互いに昔の友情としては考えられないようなこともしますからね。しかしそれは区々たることですよ。だいたいの精神は少しも昔と変わっていないのですよ。いつの間にかとった年齢《とし》を思いましても昔のことが恋しくてなりませんが、お逢《あ》いのできることもまれにしかありませんから、勝手な考えですが、私のように親しい者の所へは微行《しのび》ででもお訪《たず》ねくださればいいと恨めしい気になっている時もあります」
 と源氏が言った。
「青年時代を考えてみますと、よくそうした無礼ができたものだと思いますほど親しくさせていただきまして、なんらの隔てもあなた様に持つことがありませんでした。公人といたしましては翅《はね》を並べるとお言いになりますような価値もない私を、ここまでお引き立てくださいました御好意を忘れるものでございませんが、多い年月の間には我知らずよろしくないことも多くいたしております」
 などと大臣は敬意を表しながら言っていた。この話の続きに源氏は玉鬘《たまかずら》のことを内大臣に告げたのであった。
「何たることでしょう。あまりにうれしい、不思議なお話を承ります」
 と大臣はひとしきり泣いた。
「ずっと昔ですが、その子の居所が知れなくなりましたことで、何のお話の時でしたか、あまりに悲しくてあなたにお話ししたこともある気がいたします。今日私もやっと人数《ひとかず》になってみますと、散らかっております子供が気になりまして、正直に拾い集めてみますと、またそれぞれ愛情が起こりまして、皆かわいく思われるのですが、私はいつもそうしていながら、あの子供を最も恋しく思い出されるのでした」
 この話から、昔の雨夜の話に、いろいろと抽象的に女の品定《しなさだ》めをしたことも二人の間に思い出されて、泣きも笑いもされるのであった。深更になってからいよいよ二人の大臣は別れて帰ることになった。
「こうしてごいっしょになることがありますと、当然なことですが昔が思い出されて、恋しいことが胸をいっぱいにして、帰って行く気になれないのですよ」
 と言って、あまり泣かない人である源氏も、酔い泣きまじりにしめっぽいふうを見せた。大宮は葵《あおい》夫人のことをまた思い出しておいでになった。昔のはなやかさを幾倍したものともしれぬ源氏の勢いを御覧になって、故人が惜しまれてならないのでおありになった。しおしおとお泣きになった、尼様らしく。
 源氏はこうした会見にも中将のことは言い出さなかった。好意の欠けた処置であると感じた事柄であったから、自身が口を出すことは見苦しいと思ったのであった。大臣のほうでは源氏から何とも言わぬ問題について進んで口を切ることもできなかったのである。その問題が未解決で終わったことは愉快でもなかった。
「今晩お邸《やしき》までお送りに参るはずですが、にわかにそんなことをいたしますのも人騒がせに存ぜられますから、今日のお礼はまた別の日に参上して申し上げます」
 と大臣が言うのを聞いて、それでは宮の御病気もおよろしいように拝見するから、きっと申し上げた祝いの日に御足労を煩わしたいということを源氏は頼んで約束ができた。非常に機嫌《きげん》よく大臣たちは会見を終えて宮邸を出るのであったが、その場にもまたいかめしい光景が現出した。内大臣の供をして来た公達《きんだち》などはたまさかの会合が朗らかに終わったのは何の相談があったのであろう、太政大臣は今日もまた以前のように内大臣へ譲ることが何かあったのではないかなどという臆測《おくそく》をした。玉鬘のことであろうなどとはだれも考えられなかったのである。
 内大臣は源氏の話を聞いた瞬間から娘が見たくてならなかった。逢《あ》わないでいることは堪えられないようにも思うのであるが、今すぐに親らしくふるまうのはいかがなものである、自家へ引き取るほどの熱情を最初に持った源氏の心理を想像すれば、自分へ渡し放しにはしないであろう、りっぱな夫人たちへの遠慮で、新しく夫人に加えることはしないが、さすがにそのままで情人としておくことは、実子として家に入れた最初の態度を裏切ることになる世間体をはばかって、自分へ親の権利を譲ったのであろうと思うと、少し遺憾な気も内大臣はするのであったが、自分の娘を源氏の妻に進めることは不名誉なことであるはずもない、宮仕えをさせると源氏が言い出すことになれば女御《にょご》とその母などは不快に思うであろうが、ともかくも源氏の定めることに随《したが》うよりほかはないと、こんなことをいろいろと大臣は思った。これは二月の初めのことである。十六日からは彼岸になって、その日は吉日でもあったから、この近くにこれ以上の日がないとも暦《こよみ》の博士《はかせ》からの報告もあって、玉鬘《たまかずら》の裳着《もぎ》の日を源氏はそれに決めて、玉鬘へは大臣に知らせた話もして、その式についての心得も教えた。源氏のあたたかい親切は、親であってもこれほどの愛は持ってくれないであろうと玉鬘にはうれしく思われたが、しかも実父に逢う日の来たことを何物にも代えられないように喜んだ。その後に源氏は中将へもほんとうのことを話して聞かせた。不思議なことであると思ったが、中将にはもっともだと合点されることもあった。失恋した雲井《くもい》の雁《かり》よりも美しいように思われた玉鬘の顔を、なお驚きに呆然《ぼうぜん》とした気持ちの中にも考えて、気がつかなかったと思わぬ損失を受けたような心持ちにもなった。しかしこれはふまじめな考えである、恋人の姉妹ではないかと反省した中将はまれな正直な人と言うべきである。
 十六日の朝に三条の宮からそっと使いが来て、裳着の姫君への贈り物の櫛《くし》の箱などを、にわかなことではあったがきれいにできたのを下された。
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手紙を私がおあげするのも不吉にお思いにならぬかと思い、遠慮をしたほうがよろしいとは考えるのですが、大人《おとな》におなりになる初めのお祝いを言わせてもらうことだけは許していただけるかと思ったのです。あなたのお身の上の複雑な事情も私は聞いていますことを言ってよろしいでしょうか、許していただければいいと思います。

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ふたかたに言ひもてゆけば玉櫛笥《たまくしげ》わがみはなれぬかけごなりけり
[#ここで字下げ終わり]

 と老人の慄《ふる》えた字でお書きになったのを、ちょうど源氏も玉鬘のほうにいて、いろいろな式のことの指図《さしず》をしていた時であったから拝見した。
「昔風なお手紙だけれど、お気の毒ですよ。このお字ね。昔は上手《じょうず》な方だったのだけれど、こんなことまでもおいおい悪くなってくるものらしい。おかしいほど慄えている」
 と言って、何度も源氏は読み返しながら、
「よくもこんなに玉櫛笥にとらわれた歌が詠《よ》めたものだ。三十一文字の中にほかのことは少ししかありませんからね」
 そっと源氏は笑っていた。中宮《ちゅうぐう》から白い裳《も》、唐衣《からぎぬ》、小袖《こそで》、髪上《くしあ》げの具などを美しくそろえて、そのほか、こうした場合の贈り物に必ず添うことになっている香の壺《つぼ》には支那《しな》の薫香《くんこう》のすぐれたのを入れてお持たせになった。六条院の諸夫人も皆それぞれの好みで姫君の衣裳《いしょう》に女房用の櫛や扇までも多く添えて贈った。劣り勝《まさ》りもない品々であった。聡明《そうめい》な人たちが他と競争するつもりで作りととのえた物であるから、皆目と心を楽しませる物ばかりであった。東の院の人たちも裳着《もぎ》の式のあることを聞いていたが、贈り物を差し出てすることを遠慮していた中で、末摘花《すえつむはな》夫人は、形式的に何でもしないではいられぬ昔風な性質から、これをよそのことにしては置かれないと正式に贈り物をこしらえた。愚かしい親切である。青鈍《あおにび》色の細長、落栗《おちぐり》色とか何とかいって昔の女が珍重した色合いの袴《はかま》一具、紫が白けて見える霰地《あられじ》の小袿《こうちぎ》、これをよい衣裳箱に入れて、たいそうな包み方もして玉鬘《たまかずら》へ贈って来た。手紙には、
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ご存じになるはずもない私ですから、お恥ずかしいのですが、こうしたおめでたいことは傍観していられない気になりました。つまらない物ですが女房にでもお与えください。
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 とおおように書かれてあった。源氏はそれの来ているのを見て気まずく思って例のよけいなことをする人だと顔が赤くなった。
「これは前代の遺物のような人ですよ。こんなみじめな人は引き込んだままにしているほうがいいのに、おりおりこうして恥をかきに来られるのだ」
 と言って、また、
「しかし返事はしておあげなさい。侮辱されたと思うでしょう。親王さんが御秘蔵になすったお嬢さんだと思うと、軽蔑《けいべつ》してしまうことのできない、哀れな気のする人ですよ」
 とも言うのであった。小袿の袖の所にいつも変わらぬ末摘花の歌が置いてあった。

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わが身こそうらみられけれ唐《から》ごろも君が袂《たもと》に馴《な》れずと思へば
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 字は昔もまずい人であったが、小さく縮かんだものになって、紙へ強く押しつけるように書かれてあるのであった。源氏は不快ではあったが、また滑稽《こっけい》にも思われて破顔していた。
「どんな恰好《かっこう》をしてこの歌を詠《よ》んだろう、昔の気力だけもなくなっているのだから、大騒ぎだったろう」
 とおかしがっていた。
「この返事は忙しくても私がする」
 と源氏は言って、
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不思議な、常人の思い寄らないようなことはやはりなさらないでもいいことだったのですよ。
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 と反感を見せて書いた。また、

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からごろもまた唐衣からごろも返す返すも唐衣なる
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 と書いて、まじめ顔で、
「あの人が好きな言葉なのですから、こう作ったのです」
 こんなことを言って玉鬘に見せた。姫君は派手《はで》に笑いながらも、
「お気の毒でございます。嘲弄《ちょうろう》をなさるようになるではございませんか」
 と困ったように言っていた。こんな戯れも源氏はするのである。
 内大臣は重々しくふるまうのが好きで、裳着の腰結《こしゆ》い役を引き受けたにしても、定刻より早く出掛けるようなことをしないはずの人であるが、玉鬘のことを聞いた時から、一刻も早く逢いたいという父の愛が動いてとまらぬ気持ちから、今日は早く出て来た。行き届いた上にも行き届かせての祝い日の設けが六条院にできていた。よくよくの好意がなければこれほどまでにできるものではないと内大臣はありがたくも思いながらまた風変わりなことに出あっている気もした。夜の十時に式場へ案内されたのである。形式どおりの事のほかに、特にこの座敷における内大臣の席に華美な設けがされてあって、数々の肴《さかな》の台が出た。燈火を普通の裳着《もぎ》の式場などよりもいささか明るくしてあって、父がめぐり合って見る子の顔のわかる程度にさせてあるのであった。よく見たいと大臣は思いながらも式場でのことで、単に裳《も》の紐《ひも》を結んでやる以上のこともできないが、万感が胸に迫るふうであった。源氏が、
「今日はまだ歴史を外部に知らせないことでございますから、普通の作法におとめください」
 と注意した。
「実際何とも申し上げようがありません」
 杯の進められた時に、また内大臣は、
「無限の感謝を受けていただかなければなりません。しかしながらまた今日までお知らせくださいませんでした恨めしさがそれに添うのもやむをえないこととお許しください」
 と言った。

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うらめしや沖つ玉藻《たまも》をかづくまで磯《いそ》隠れける海人《あま》の心よ
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 こう言う大臣に悲しいふうがあった。玉鬘《たまかずら》は父のこの歌に答えることが、式場のことであったし、晴れがましくてできないのを見て、源氏は、

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「寄辺《よるべ》なみかかる渚《なぎさ》にうち寄せて海人も尋ねぬ藻屑《もくづ》とぞ見し
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 御無理なお恨みです」
 代わってこう言った。
「もっともです」
 と内大臣は苦笑するほかはなかった。こうして裳着の式は終わったのである。親王がた以下の来賓も多かったから、求婚者たちも多く混じっているわけで、大臣が饗応《きょうおう》の席へ急に帰って来ないのはどういうわけかと疑問も起こしていた。内大臣の子息の頭《とうの》中将と弁《べん》の少将だけはもう真相を聞いていた。知らずに恋をしたことを思って、恥じもしたし、また精神的恋愛にとどまったことは幸《しあわ》せであったとも思った。
 弁は、
「求婚者になろうとして、もう一歩を踏み出さなかったのだから自分はよかった」
 と兄にささやいた。
「太政大臣はこんな趣味がおありになるのだろうか。中宮と同じようにお扱いになる気だろうか」
 とまた一人が言ったりしていることも源氏には想像されなくもなかったが、内大臣に、
「当分はこのことを慎重にしていたいと思います。世間の批難などの集まってこないようにしたいと思うのです。普通の人なら何でもないことでしょうが、あなたのほうでも私のほうでもいろいろに言い騒がれることは迷惑することですから、いつとなく事実として人が信じるようになるのがいいでしょう」
 と言っていた。
「あなたの御意志に従います。こんなにまで御実子のように愛してくださいましたことも前生に深い因縁のあることだろうと思います」
 腰結い役への贈り物、引き出物、纏頭《てんとう》に差等をつけて配られる品々にはきまった式があることではあるが、それ以上に派手《はで》な物を源氏は出した。大宮の御病気が一時支障になっていた式でもあったから、はなやかな音楽の遊びを行なうことはなかったのである。
 兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は、もう成年式も済んだ以上、何も結婚を延ばす理由はないとお言いになって、熱心に源氏の同意をお求めになるのであったが、
「陛下から宮仕えにお召しになったのを、一度御辞退申し上げたあとで、また仰せがありますから、ともかくも尚侍《ないしのかみ》を勤めさせることにしまして、その上でまた結婚のことを考えたいと思います」
 と源氏は挨拶《あいさつ》をしていた。父の大臣はほのかに見た玉鬘《たまかずら》の顔を、なおもっとはっきり見ることができないであろうか、容貌《ようぼう》の悪い娘であれば、あれほど大騒ぎをして源氏は大事がってはくれまいなどと思って、まだ見なかった日よりもいっそう恋しがっていた。今になってはじめて夢占いの言葉が事実に合ったことも思われたのである。最愛の娘である女御《にょご》にだけ大臣は玉鬘のことをくわしく話したのであった。
 世間でしばらくこのことを風評させまいと両家の人々は注意していたのであるが、口さがないのは世間で、いつとなく評判にしてしまったのを、例の蓮葉《はすっぱ》な大臣の娘が聞いて、女御の居間に頭中将や少将などの来ている時に出て来て言った。
「殿様はまたお嬢様を発見なすったのですってね。しあわせね、両方のお家《うち》で、大事がられるなんて。そして何ですってね。その人もいいお母様から生まれたのではないのですってね」
 と露骨なことを言うのを、女御は片腹痛く思って何とも言わない。中将が、
「大事がられる訳があるから大事がられるのでしょう。いったいあなたはだれから聞いてそんなことを不謹慎に言うのですか。おしゃべりな女房が聞いてしまうじゃありませんか」
 と言った。
「あなたは黙っていらっしゃい。私は皆知っています。その人は尚侍《ないしのかみ》になるのです。私が女御さんの所へ来ているのは、そんなふうに引き立てていただけるかと思ってですよ。普通の女房だってしやしない用事までもして、私は働いています。女御さんは薄情です」
 と令嬢は恨むのである。
「尚侍が欠員になれば僕たちがそれになりたいと思っているのに。ひどいね、この人がなりたがるなんて」
 と兄たちがからかって言うと、腹をたてて、
「りっぱな兄弟がたの中へ、つまらない妹などははいって来るものじゃない。中将さんは薄情です。よけいなことをして私を家《うち》へつれておいでになって、そして軽蔑《けいべつ》ばかりなさるのだもの、平凡な人間ではごいっしょに混じっていられないお家だわ。たいへんなたいへんなりっぱな皆さんだから」
 次第にあとへ身体《からだ》を引いて、こちらをにらんでいるのが、子供らしくはあるが、意地悪そうに目じりがつり上がっているのである。中将はこんなことを見ても自身の失敗が恥ずかしくてまじめに黙っていた。弁の少将が、
「そんなふうにあなたは論理を立てることができる人なのですから、女御さんも尊重なさるでしょうよ。心を静めてじっと念じていれば、岩だって沫雪《あわゆき》のようにすることもできるのですから、あなたの志望だって実現できることもありますよ」
 と微笑しながら言っていた。中将は、
「腹をたててあなたが天《あま》の岩戸の中へはいってしまえばそれが最もいいのですよ」
 と言って立って行った。令嬢はほろほろと涙をこぼしながら泣いていた。
「あの方たちはあんなに薄情なことをお言いになるのですが、あなただけは私を愛してくださいますから、私はよく御用をしてあげます」
 と言って、小まめに下《しも》の童女さえしかねるような用にも走り歩いて、一所懸命に勤めては、
「尚侍に私を推薦してください」
 と令嬢は女御を責めるのであった。どんな気持ちでそればかりを望むのであろうと女御はあきれて何とも言うことができない。この話を内大臣が聞いて、おもしろそうに笑いながら、女御の所へ来ていた時に、
「どこにいるかね、近江《おうみ》の君、ちょっとこちらへ」
 と呼んだ。
「はい」
 高く返辞をして近江の君は出て来た。
「あなたはよく精勤するね、役人にいいだろうね。尚侍にあんたがなりたいということをなぜ早く私に言わなかったのかね」
 大臣はまじめ顔に言うのである。近江の君は喜んだ。
「そう申し上げたかったのでございますが、女御さんのほうから間接にお聞きくださるでしょうと御信頼しきっていたのですが、おなりになる人が別においでになることを承りまして、私は夢の中だけで金持ちになっていたという気がいたしましてね、胸の上に手を置いて吐息《といき》ばかりをつく状態でございました」
 とても早口にべらべらと言う。大臣はふき出してしまいそうになるのをみずからおさえて、
「つまり遠慮深い癖が禍《わざわ》いしたのだね。私に言えばほかの希望者よりも先に、陛下へお願いしたのだったがね。太政大臣の令嬢がどんなにりっぱな人であっても、私がぜひとお願いすれば勅許がないわけはなかったろうに、惜しいことをしたね。しかし今からでもいいから自己の推薦状を美辞麗句で書いて出せばいい。巧みな長歌などですれば陛下のお目にきっととまるだろう。人情味のある方だからね」
 とからかっていた。親がすべきことではないが。
「和歌はどうやらこうやら作りますが、長い自身の推薦文のようなものは、お父様から書いてお出しくださいましたほうがと思います。二人でお願いする形になって、お父様のお蔭《かげ》がこうむられます」
 両手を擦《す》り合わせながら近江の君は言っていた。几帳《きちょう》の後ろなどで聞いている女房は笑いたい時に笑われぬ苦しみをなめていた。我慢性《がまんしょう》のない人らは立って行ってしまった。女御も顔を赤くして醜いことだと思っているのであった。内大臣は、
「気分の悪い時には近江の君と逢《あ》うのがよい。滑稽《こっけい》を見せて紛らせてくれる」
 とこんなことを言って笑いぐさにしているのであるが、世間の人は内大臣が恥ずかしさをごまかす意味でそんな態度もとるのであると言っていた。

行幸 版本说明

底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
   1994(平成6)年6月15日39版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には2002(平成14)年1月15日44版発行を使用しました。
入力:上田英代
校正:伊藤時也
2003年9月8日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

30 藤袴

[#地から3字上げ]むらさきのふぢばかまをば見よといふ
[#地から3字上げ]二人泣きたきここち覚えて (晶子)

 尚侍《ないしのかみ》になって御所へお勤めするようにと、源氏はもとより実父の内大臣のほうからも勧めてくることで玉鬘《たまかずら》は煩悶《はんもん》をしていた。それがいいことなのであろうか、養父のはずである源氏さえも絶対の信頼はできぬ男性の好色癖をややもすれば見せて自分に臨むのであるから、お仕えする君との間に、こちらは受動的にもせよ情人関係ができた時は、中宮《ちゅうぐう》も女御《にょご》も不快に思われるに違いない、そして自分は両家のどちらにも薄弱な根底しかない娘である。中宮や女御における後援は期して得られるものでない上に、自分の幸運げな外見をうらやんで何か悪口をする機会がないかとうかがっている人を多く持っていてはその時の苦しさが想像されると、若いといってももう少女でない玉鬘は思って苦しんでいるのである。そうかといって今のままで境遇を変えずにいることはいやなことではないが、源氏の恋から離れて、世間の臆測《おくそく》したことが真実でなかったと人に知らせる機会というものの得られないのは苦しい。実父も源氏の感情をはばかって、親として乗り出して世話をしてくれるようなことはないと見なければならない。曖昧《あいまい》な立場にいて自身は苦労をし、人からは嫉妬《しっと》をされなければならない自分であるらしいと玉鬘は歎《なげ》かれるのであった。実父に引き合わせてからはもう源氏は道徳的にはばからねばならぬことから解放されたように、戯れかかることの多くなったことも玉鬘を憂鬱《ゆううつ》にした。自分の心持ちをにおわしてだけでも言うことのできる母というものを玉鬘は持っていなかった。東の夫人にせよ、南の夫人にせよ、娘らしく、また母らしくはして交わってくれるが、どうしてそんな貴婦人に内密の相談などが持ちかけられようと思うと、だれよりも哀れなのは自分の身の上であるような気がして、夕方の空の身にしむ色を、縁に近い座敷からながめて物思いをしているのであったが、その様子はきわめて美しかった。淡鈍《うすにび》色の喪服を玉鬘は祖母の宮のために着ていた。そのために顔がいっそうはなやかに引き立って見えるのを、女房たちは楽しんでながめている所へ、源宰相の中将が、これも鈍《にび》色の今少し濃い目な直衣《のうし》を着て、冠を巻纓《まきえい》にしているのが平生よりも艶《えん》に思われる姿で訪《たず》ねて来た。最初のころから好意を表してくれる人であったから、玉鬘のほうでも親しく取り扱った習慣から、今になっても兄弟ではないというような態度をとることはよろしくないと思って、御簾《みす》に几帳《きちょう》を添えただけの隔てで、話は取り次ぎなしでした。今日は源氏の用で来たのである。宮中からあった仰せを源氏は子息によって伝えさせたのである。おおようではあるが要領を得た返辞をする様子に、中将は貴女《きじょ》と話し合う快感が覚えられた。野分《のわき》の朝にのぞいた顔の美しさの忘られないのを、その人は姉ではないかと恋しくなる心を責めていた中将であったが、そうした障《さわ》りの除かれた今は恋人としてこの人を中将は考えていた。尚侍の職をお勤めさせになるだけで帝《みかど》は御満足をあそばすまい、この世で第一の美貌《びぼう》をお持ちになる帝との間に恋愛関係は必ずできてくることであろうと思うと、中将は胸を何かでおさえつけられる気もするのであったが自制していた。
「人に聞かせぬようにと父が申されましたことを申し上げようと思いますが、よろしいのでしょうか」
 と意味ありげに言っているのを聞いて、女房たちは少し離れた場所を捜して、几帳の後ろのほうなどへ皆行ってしまった。中将は源氏の言ったのでもない言葉を、真実らしくいろいろと伝えていた。帝が尚侍にお召しになる御真意は別にあるらしいから、きれいに身を護《まも》ろうとすれば始終その心得がなくてはならないというような話である。返辞のできることでもなくて、玉鬘《たまかずら》がただ吐息《といき》をついているのが美しく感ぜられた時に、中将の心にはおさえ切れないものが湧《わ》き上がってきた。
「私たちの喪服はこの月で脱《ぬ》ぐはずですが、暦で調べますと月末はいい日でありませんから延びることになりますね。十三日に加茂の河原へ除服《じょふく》の御祓《みそぎ》にあなたがおいでになるように父は決めていられるようです。私もごいっしょに参ろうと思っています」
「ごいっしょでは目だつことになるでしょう。だれにもあまり知られないようにして行くほうがいいかと思います」
 と玉鬘は言っていた。内大臣の娘として大宮の喪に服したことなどは世間へ知らせぬようにせねばならぬと考えるところにこの人の聡明《そうめい》と源氏への思いやりが現われていた。
「隠したくお思いになることが私には恨めしい気もいたしますよ。悲しい祖母のかたみのような喪服ですから、私は脱いでしまうのも惜しく思われるのです。それにしましてもやはりあなたと私とは一人の方を祖母に持っているのですから不思議な気がいたしますね。喪服をお着になることがありませんでしたら、真実のことを私は知らずじまいになったのかもしれません」
「私などにはましてよくわかりませんが、とにかく喪服を着ております気持ちは身にしむものですね」
 こう言う玉鬘の平生よりもしんみりとした調子が中将にうれしかった。この時にと思ったのか、手に持っていた蘭《ふじばかま》のきれいな花を御簾《みす》の下から中へ入れて、
「この花も今の私たちにふさわしい花ですから」
 と言って、玉鬘が受け取るまで放さずにいたので、やむをえず手を出して取ろうとする袖《そで》を中将は引いた。

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「おなじ野の露にやつるる藤袴《ふぢばかま》哀れはかけよかごとばかりも
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 道のはてなる(東路《あづまぢ》の道のはてなる常陸帯《ひたちおび》のかごとばかりも逢はんとぞ思ふ)」
 こんなことが言いかけられたのであった。玉鬘にとっては思いがけぬことに当惑を感じながらも、気づかないふうをして、少しずつ身を後ろへ引いて行った。

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「たづぬるに遥《はる》けき野辺《のべ》の露ならばうす紫やかごとならまし
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 従姉《いとこ》ということは事実だからいいでしょう。そのほかのことは何も」
 と言うと、中将は少し笑って、
「その事実のほかに考えてくださらなければならないこともおわかりになるはずですがね。常識ではもったいないことだと思っているのですが、この感情はおさえられるものでないのですからお察しください。こんなことを告白してはかえってお憎みを受けることになろうと思って今までは黙っていたのですが、ただ哀れだと思っていただくだけのことで満足したい心にもなっているのです。頭《とうの》中将の近ごろの様子をご存じですか、あのころは明らかに第三者だと思っていた私が、こんなに恋の苦しみを味わうようになるなどということは冷淡にした時の報いです。今ではあの人が冷静になってしかもつながる縁のあることに満足しているのですから、うらやましくてなりません。かわいそうだとだけでも私をお心にとめておいてください」
 まだいろいろに言ったのであるが、中将のために筆者は遠慮しておく。玉鬘《たまかずら》に気味悪く思うふうの見えるのを知って、
「私を信じてくださらないのですね。ばかな真似《まね》などをする人間でないことはおわかりになっているはずですが」
 こう中将は言った。この機会にもう少し告げたい感情もあるのであったが、
「少し気分が悪くなってきましたから」
 と言って、玉鬘が向こうへはいってしまったのを見て、深く中将は歎息《たんそく》しながら去った。
 よけいな告白をしたと中将は後悔をしたのであったが、この人以上に身に沁《し》んで恋しく思われた紫の女王《にょおう》と、せめてこれほどの接触が許されてほのかな声でも聞きうる機会をどんな時にとらえることができるであろうと、その困難さを思って心を苦しめながら中将は南の町へ来た。源氏はすぐ出て来たので、中将は聞いて来た返事をした。
「御所へ上がるのを、やっとしぶしぶ承諾した形なのだから困る。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮などが求婚者で、深刻な情熱の盛られたお手紙が送られていて、そのほうへ心が惹《ひ》かれるのではなかろうかと思うと気の毒な気にもなる。しかし大原野の行幸の時にお上《かみ》を拝見して、お美しいと思った様子だったのだからね。若い女は一目でもお顔を拝見すれば宮仕えのできる者は皆出ないではいられまいと思って、最初に私の計らったことなのだが」
 などと源氏は言う。
「それにしましてもあの方はどんなふうになられるのがいちばん適したことでしょう。御所には中宮《ちゅうぐう》が特殊な尊貴な存在でいらっしゃいますし、また弘徽殿《こきでん》の女御《にょご》という寵姫《ちょうき》もおありになるのですから、どんなにお気に入りましてもそのお二方並みにはなれないことでしょう。兵部卿の宮は熱烈に御結婚を望んでおいでになるのですから、表面は後宮の人ではありませんでも、尚侍《ないしのかみ》などにお出しになることによって、これまでの親密な御交情がそこなわれはしないかと私は思いますが」
 中将は老成な口調で意見を述べた。
「むずかしいことだね。私だけの意志でどう決めることもできない人のことではないか。それだのに右大将なども私を恨みの標的《まと》にしているそうだ。一人の求婚者に同情して与えてしまえばほかの人は皆失恋することになるのだから、うかと縁談が決められないのだよ。あの人を生んだ母親が哀れな遺言をしておいたのでね、郊外であの人が心細く暮らしているということを聞いて、内大臣も子と認めようとするふうは見えないと悲観しているようだったから、最初私の子として引き取ることにしたのだよ。私が大事がるのでやっと大臣も価値を認めてきたのだ」
 源氏は真実らしくこう言っていた。
「人物は宮の夫人であることに最も適していると思う。近代的で、艶《えん》な容姿を持っていて、しかも聡明《そうめい》で、過失などはしそうでない女性だから、いい宮の夫人だと思う。そしてまた尚侍の適任者でもあるのだよ。美貌《びぼう》で、貴女《きじょ》らしい貴女で、職責も十分に果たしうるような人物というお上の御註文どおりなのはあの人だと思う」
 とも言った。中将は源氏自身の胸中の秘事も探りたくなった。
「今日まで実父に隠してお手もとへお置きになったことで、いろいろな忖度《そんたく》を世間はしております。内大臣もそんな意味を含んだことを、右大将からあちらへの申し込みに答えて言ったそうです」
 と中将が言うと、源氏は笑いながら、
「それは思いやりのありすぎる迷惑な話だね。宮仕えだって何だって内大臣の意志を尊重して、私はできる世話だけをする気なのだがね。女の三従の道は親に従うのがまず第一なのだからね。その美風を破るようなことはとんでもないことだ」
 と言った。
「こちらには以前からりっぱな夫人がたがおいでになって、新しくその数へお入れになることができないため、世間体だけを官職におつけになることにして、やはりいつまでも愛人でお置きになることのできるようなお計らいは、賢明な処置だといって、大臣が喜ばれたということを、確かな人から私は聞きました」
 中将が真正面からこう言うのを聞いて、源氏は内大臣としてはそうも想像するであろうと気の毒に思った。
「曲がった解釈をされているものだね。それが賢明な人の観察というものかもしれない。もうすぐに事実が万事を明らかにするだろう。しかし、どうなるにしても余りにひどい想像だ」
 と源氏は笑っていた。あざやかな弁解をしたつもりであろうが、まだ疑いは十分に残してよいことであると中将は思っていた。源氏も心の中で、こう人の噂《うわさ》する筋書きどおりのあやまった道は踏むまいとみずから警《いまし》めた。このきれいな気持ちを大臣にも徹底的に知らせたいと源氏は思ったが、玉鬘《たまかずら》を官職につけておいて情人関係を永久に失うまいとすることなどを、どうして大臣に観測されたのであろうと薄気味悪くさえなった。
 玉鬘は除服《じょふく》したが、翌月の九月は女の宮中へはいることに忌む月でもあったから、十月になってから出仕することに源氏が決めたのを、お聞きになって帝《みかど》は待ち遠しく思召《おぼしめ》した。求婚者は皆尚侍に決定したことを聞いて残念がった。それまでに縁組みを決めて、御所へはいるのを阻止したいと皆あせって、仲介者になっている女房たちを責めるのであるが、尚侍の出仕を阻止するようなことは、吉野《よしの》の滝をふさぎ止めるよりもなお不可能なことであるとそれらの女たちは言っていた。源中将はしないでよい告白をしたことで感情を害しなかったかと不安で、この苦しみを紛らわすために一所懸命に尚侍の出仕についての用などに奔走して好意を見せることにつとめていた。もうあれ以来軽率に感情を告げたりすることもなく慎んでいるのである。兄弟である内大臣の子息たちはまだ遠慮が多くて出入りをようしないのである。御所で尚侍の後援をするためにはもっと親しくなっておかないでは都合が悪いのにと、その人たちは不安に思っていた。頭《とう》の中将は恋の奴《やっこ》になって幾通となく手紙を送ってきたようなこともなくなったのを正直だといって女房たちはおかしがっていたのであるが、父の大臣の使いになって訪《たず》ねて来た。まだ公然に親であり娘であるという往来《ゆきき》ははばかって、そっと手紙を送って、そっと返事を玉鬘《たまかずら》が出すほどにしかしていないのであったから、こうした月明の晩に隠れて頭の中将も訪ねて来たのである。以前はだれからも訪問者として取り扱おうとされなかった中将が、今夜は南の縁側に座を設けて招ぜられた。玉鬘は自身で出て話をすることはまだ恥ずかしくてできずに、返辞だけは宰相の君を取り次ぎにしてした。
「私が使いに選ばれて来ましたのは、お取り次ぎなしにお話を申すようにという父の考えだったかと思いますが、こんなふうな遠々しいお扱いでは、それを申し上げられない気がいたします。私はつまらぬ者ですが、あなたとは離しようもなくつながった縁のありますことで、自信に似たものができております」
 と言って、中将はもう一段親しくしたい様子を見せた。
「ごもっともでございます。長い間失礼しておりましたお詫《わ》びも直接申し上げたいのでございますが、身体《からだ》が何ということなしに悪うございまして、起き上がりますのも大儀でできませんものですから、こうさせていただいているのでございます。ただ今のようなお恨みを承りますのは、かえって他人らしいことだと存じます」
 まじめな挨拶《あいさつ》を玉鬘はした。
「御気分が悪くてお寝《やす》みになっていらっしゃる所の几帳《きちょう》の前へ通していただけませんか。しかし、よろしゅうございます、しいていろんなお願いをするのも失礼ですから」
 と言って頭の中将は大臣の言葉を静かに伝えるのであった。身の取りなしも様子も源中将に匹敵するもので、感じのいい人である。
「御所へおいでになることでは、くわしいお報《し》らせもまだいただいていませんが、あなたからその際にはこうしてほしい、何が入り用であるとかいうことを言ってくだすったら、そのとおりにしたいと思っています。世間の目にたつことが遠慮されて訪《たず》ねて行くこともできず、思うことを直接お話しできないのを遺憾に思っています」
 というのが父の大臣から玉鬘へ伝えさせた言葉であった。
「私が過去に申し上げたことについては、それほど訂正しないでもいいと思います。どちらにもせよ愛していただけばいいのです。そう思いますとまた恨めしい気にもなります。今夜の御待遇などからそう思うのです。北側のお部屋《へや》へお入れになって、いい女房がたは失礼だとお思いになるでしょうが、下仕え級の方とでも話して行くようなことがしたいのです。兄弟をこんなふうにお扱いになるようなことは、これも不思議なことといわなければなりませんよ」
 批難するふうに言っているのもおかしくて、宰相の君に玉鬘は言わせた。
「人聞きが遠慮いたされまして、あまりにわかな変わり方は見せられないように思うものですから、お話し申し上げたい長い年月のことも、聞いていただけませんことで、私もお言葉のように残念でならないのでございます」
 ときまじめな挨拶《あいさつ》をされ、頭の中将はきまりが悪くなって、この上のことは言わないことにした。

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「妹背《いもせ》山深き道をば尋ねずてをだえの橋にふみまどひける
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 そうでしたよ」
 と真底から感じているふうで中将は言った。

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「まどひける道をば知らず妹背山たどたどしくぞたれもふみ見し
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 と申されます」
 と女主人の歌を伝えてからまた宰相は言う、
「どのことをお言いになりますことかそのころはおわかりにならなかったようでございます。ただあまり御おとなしくて御遠慮ばかりあそばすものですから、どなた様へもお返事をお出しになることがなかったのでございます。これからは決してそうでもございませんでしょう」
 もっともなことでもあったから、
「ではまあよろしいことにしまして、ここで長居をしていましてもつまりません。誠意を認めていただくことに骨を折りましょう。これからは毎日精勤することにして」
 と言って中将は帰って行くのであった。月が明るく中天に上っていて、艶《えん》な深夜に上品な風采《ふうさい》の若い殿上人の歩いて行くことははなやかな見ものであった。源中将ほどには美しくないが、これはこれでまたよく思われるのは、どうしてこうまでだれもすぐれた人ぞろいなのであろうと、若い女房たちは例のように、より誇張した言葉でほめたてていた。
 大将はこの中将のいる右近衛《うこんえ》のほうの長官であったから、始終この人を呼んで玉鬘《たまかずら》との縁組みについて熟談していた。内大臣へも希望を取り次いでもらっていたのである。人物もりっぱであったし、将来の大臣として活躍する素地のある人であったから、娘のために悪い配偶者ではないと大臣は認めていたが、源氏が尚侍《ないしのかみ》をばどうしようとするかには抗議の持ち出しようもなく、またそうすることには深い理由もあることであろうと思っていたから、すべて源氏に一任していると返辞をさせていた。この大将は東宮の母君である女御《にょご》とは兄弟であった。源氏と内大臣に続いての大きい勢力があった。年は三十二である。夫人は紫の女王《にょおう》の姉君であった。式部卿《しきぶきょう》の宮の長女である。年が三つか四つ上であることはたいして並みはずれな夫婦ではないが、どうした理由でかその夫人をお婆様《ばあさま》と呼んで、大将は愛していなかった。どうかして別れたい、別に結婚がしたいと願っていた。そうした夫人の関係があるために、源氏は大将と玉鬘との縁談には賛成ができないでいたのである。大将の家庭のためにもそう思ったことであり、玉鬘のためにも煩雑な関係を避けさせたかったのである。大将は好色な人ではないが、夢中になって玉鬘を得ようとしていた。内大臣も断然不賛成だというのでもないという情報を大将は得ていた。玉鬘自身は宮仕えに気が進んでいないということもまた身辺にいる者からくわしく伝えられて大将は聞いていた。
「ではただ源氏の大臣だけが家庭の人になるのに反対していられるのだというわけではないか。実父がいいと思われる事どおりになすったらいいじゃないか」
 と大将は仲介者の女房の弁を責めていた。
 九月になった。初霜が庭をほの白くした艶《えん》な朝に、また例のように女房たちが諸方から依頼された手紙を、恥じるようにしながら玉鬘《たまかずら》の居間へ持って来たのを、自分で読むことはせずに、女房があけて読むのをだけ姫君は聞いていた。右大将のは、
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恋する人の頼みにします八月もどうやら過ぎてしまいそうな空をながめて私は煩悶《はんもん》しております。

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数ならばいとひもせまし長月に命をかくるほどぞはかなき
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 十月に玉鬘が御所へ出ることを知っている書き方である。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は、
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不幸な運命を持つ、無力な私は今さら何を申し上げることもないのですが、

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朝日さす光を見ても玉笹《たまざさ》の葉分《はわけ》の霜は消《け》たずもあらなん

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私の恋する心を認めていてくださいましたら、せめてそれだけを慰めにしたいと思っています。
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 というのである。手紙の付けられてあったのは縮かんだようになった下折れ笹に霜の積もったのであって、来た使いの形もこの笹にふさわしい姿であった。式部卿《しきぶきょう》の宮の左兵衛督《さひょうえのかみ》は南の夫人の弟である。六条院へは始終来ている人であったから、玉鬘の宮中入りのこともよく知っていて、相当に煩悶をしているのが文意に現われていた。

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忘れなんと思ふも物の悲しきをいかさまにしていかさまにせん
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 選んだ紙の色、書きよう、焚《た》きしめた薫香《くんこう》の匂《にお》いもそれぞれ特色があって、美しい感じ、はっきりとした感じ、奥ゆかしい感じをそれらの手紙から受け取ることができた。玉鬘が御所へ出るようになればこうしたことがなくなることを言って、女房たちは惜しがっていた。宮への御返事だけを、どういう気持ちになっていたのか、短くはあったが玉鬘は書いた。

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心もて日かげに向かふ葵《あふひ》だに朝置く露をおのれやは消《け》つ
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 ほのかな字で書かれたこの歌に、同情を持つ心の言ってあるのを御覧になって、一つの歌ではあるが宮は非常にうれしくお思いになった。こんなふうに恨めしがる手紙はまだほかからも多く来た。求婚者を多数に持つ女の中の模範的の女だと源氏と内大臣は玉鬘を言っていたそうである。

藤袴 版本说明

底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
   1994(平成6)年6月15日39版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には2002(平成14)年1月15日44版発行を使用しました。
入力:上田英代
校正:伊藤時也
2003年9月10日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

31 真木柱

[#地から3字上げ]こひしさも悲しきことも知らぬなり真
[#地から3字上げ]木の柱にならまほしけれ  (晶子)

「帝《みかど》のお耳にはいって、御不快に思召《おぼしめ》すようなことがあってもおそれおおい。当分世間へ知らせないようにしたい」
 と源氏からの注意はあっても、右大将は、恋の勝利者である誇りをいつまでも蔭《かげ》のことにはしておかれないふうであった。時日がたっても新しい夫人には打ち解けたところが見いだせないで、自身の運命はこれほどつまらないものであったかと、気をめいらせてばかりいる玉鬘《たまかずら》を、大将は恨めしく思いながらも、この人と夫婦になれた前生の因縁が非常にありがたかった。予想したにも過ぎた佳麗な人を見ては、自分が得なかった場合にはこのすぐれた人は他人の妻になっているのであると、こんなことを想像する瞬間でさえ胸がとどろいた。石山寺の観世音菩薩《かんぜおんぼさつ》も、女房の弁も並べて拝みたいほどに大将は感激していたが、玉鬘からは最初の夜の彼を導き入れた女として憎まれていて、弁は新夫人の居間へ出て行くことを得しないで、部屋に引き込んでいた。仏の御心《みこころ》にもその祈願は取り上げずにいられまいと思われた風流男たちの恋には効験《ききめ》がなくて、荒削りな大将に石山観音の霊験が現われた結果になった。源氏も快心のこととはこの問題を見られなかったが、もう成立したことであって、当人はもとより実父も許容した婿を自分だけが認めない態度をとることは、自分の愛している玉鬘のためにもかわいそうであると思って、新婦の家としてする儀式を華麗に行なって、婿かしずきも重々しくした。早くそのうちに自邸へ新夫人を引き取って行きたいと大将は思っているのであるが、源氏は簡単に良人《おっと》の家へ移るとしても、そこにはうれしく思っては迎えぬはずの第一夫人もいるのが、玉鬘のために気の毒であるということを理由にしてとめていた。
「何もかも穏やかに行くようにして、双方とも譏《そし》られたり、恨んだりすることを避けなければならない」
 と源氏は言うのである。実父の大臣は、この結婚がかえってあなたのために幸福だと思う。忠実な支持者がなくて派手《はで》な宮仕えに出ては苦しいことであろうと自分は心配でならなかった。助けたい志は十分にあるが、もう後宮には女御《にょご》が出ているのであるから、私としてはどうしてあげようもないのだからと、こんな意味の手紙を玉鬘へ送った。それは真理である。相手が帝でおありになっても、第一の寵《ちょう》はなくて、ただ御愛人であるにとめられて、あやふやな後宮の地位を与えられているようなことは、女として幸福なことではないのである。三日の夜の式に源氏が右大将と応酬《おうしゅう》した歌のことなどを聞いた時に、内大臣は非常に源氏の好意を喜んだ。皆ともかくも人に知らすまいとした結婚であったが、まもなくおもしろい新事実として世間はこのことを話題にし出した。帝もお聞きになった。
「残念だが、しかしそうした因縁だった人も、一度自分の決めたことだから後宮にはいることとは違った尚侍《ないしのかみ》の職は辞《や》める必要がない」
 という仰せを源氏へ下された。
 十月になった。神事が多くて内侍所《ないしどころ》が繁忙をきわめる時節で、内侍以下の女官なども長官の尚侍の意見を自邸へ聞きに来たりすることで、派手《はで》に人の出入りの多くなった所に、大将が昼も帰らずに暮らしていたりすることで尚侍は困っていた。失恋の悲しみをした人のたくさんある中にも兵部卿《ひょうぶきょう》の宮などはことに残念がっておいでになる一人であった。左兵衛督《さひょうえのかみ》は姉の大将夫人のこともいっしょにして世間体を悪く思ったが、恨みを言っても今さら何にもならぬのを知って沈黙していた。大将は以前からまじめで通った人で、過去においては何らの恋愛問題も起こさずに来たことなどは忘れたように、生まれ変わったような恋の奴《やっこ》の役に満足して、風流男らしく宵《よい》暁《あかつき》に新夫人の六条院へ出入りする様子をおもしろく人々は見ていた。玉鬘《たまかずら》ははなやかな心も引き込めて思い悩んでいた。自発的にできた結果でないことは第三者にもわかることであるが、源氏がどう思っているであろうということが玉鬘にはやる瀬なく苦しく思われるのであった。兵部卿の宮のお志が最も深く思われたことなどを思い出すと恥ずかしくくやしい気ばかりがされて、大将を愛することがまだできない。源氏は幾十度となく一歩をそこへまで進めようとした自身を引きとめ、世間も疑った関係が美しく清いもので終わったことを思って、自身ながらも正しくないことはできない性質であることを知った。紫夫人にも、
「あなたは疑ってもいたではありませんか」
 と言ったのであった。しかし常識的には考えられないこともする物好きがあるのであるから、この先はどうなることかと源氏はみずから危うく思いながらも、恋しくてならなかった人であった玉鬘の所へ、大将のいない昼ごろに行ってみた。玉鬘はずっと病気のようになっていて、朗らかでいる時間もなくしおれてばかりいるのであったが、源氏が来たので、少し起き上がって、几帳《きちょう》に隠れるようにしてすわった。源氏も以前と違った父の威厳というようなものを少し見せて、普通の話をいろいろした。平凡な大将の姿ばかりを見ているこのごろの玉鬘の目に、源氏の高雅さがつくづく映るについても、意外な運命に従っている自分がきまり悪く恥ずかしくて涙がこぼれるのであった。繊細な人情の扱われる話になってから、玉鬘は脇息《きょうそく》によりかかりながら、几帳の外の源氏のほうをのぞくようにして返辞を言っていた。少し痩《や》せて可憐《かれん》さの添った顔を見ながら源氏は、それを他人に譲るとは、自身ながらもあまりに善人過ぎたことであると残念に思われた。

[#ここから1字下げ]
「下《お》り立ちて汲《く》みは見ねども渡り川人のせとはた契らざりしを
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 意外なことになりましたね」
 涙をのみながらこう言う源氏がなつかしく思われた。女は顔を隠しながら言う。

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みつせ川渡らぬさきにいかでなほ涙のみをの泡《あわ》と消えなん
[#ここで字下げ終わり]

 源氏は微笑を見せて、
「悪い場所で消えようというのですね。しかし三途《さんず》の川はどうしても渡らなければならないそうですから、その時は手の先だけを私に引かせてくださいますか」
 と言った。また、
「あなたはお心の中でわかっていてくださるでしょう。類のないお人よしの、そして信頼のできる者は私で、他の男性のすることはそんなものでないことを経験なすったでしょう。と思うと私はみずから慰めることもできます」
 こんなことも言われて、苦しそうに見える玉鬘《たまかずら》に同情して、源氏は話を言い紛らせてしまった。
「陛下は御同情のされるもったいない仰せを下さいましたから、形式的にだけでもあなたを参内させようと思っています。家庭の妻になってしまっては、そうした務めのために御所へ出るようなことは困難らしい。単なる尚侍であることは最初の私の精神とは違っても、三条の大臣はかえって満足しておいでになることですから安心です」
 などと源氏は情味のこもった話をしていた。身にしむとも思い、恥ずかしいとも聞かれることは多いが、玉鬘はただ涙にとらわれていた。こんなに悲観的になっているのが哀れで、源氏は恋をささやくこともできなかった。ただ今後の大将と、その一家に対する態度などをよく教えていた。ただそのほうへ行ってしまうことは急に許そうとしないふうが見えた。
 御所へ尚侍を出すことで大将は不安をさらに多く感じるのであるが、それを機会に御所から自邸へ尚侍を退出させようと考えるようになってからは、短時日の間だけを宮廷へ出ることを許すようになった。こんなふうに婿として通って来る様式などは馴《な》れないことで大将には苦しいことであったから、自邸を修繕させ、いっさいを完全に設けて一日も早く玉鬘を迎えようとばかり思っていた。今日《きょう》までは邸《やしき》の中も荒れてゆくに任せてあったのである。夫人の悲しむ心も知らず、愛していた子供たちも大将の眼中にはもうなかった。好色な風流男というものは、ただ一人の人だけを愛するのでなしに、だれのため、彼のためも考えて思いやりのある処置をとるものであるが、生一本な人のこうした場合の態度には一方の夫人としてはたまるまいと憐《あわれ》まれるものがあった。夫人は人に劣った女性でもなかった。身分は尊貴な式部卿《しきぶきょう》の宮の最も大切にされた長女であって、世の中から敬われてもいた。美人でもあったが、ひどい物怪《もののけ》がついて、この何年来は尋常人のようでもないのである。狂っている時が多くて、夫婦の中も遠くなっていたが、なお唯一の妻として尊重していた大将に新しい夫人ができ、それがすぐれた美しい人である点ではなくて、世間も疑っていた源氏との関係もないことであった清い処女であった点に大将の愛は強く惹《ひ》かれてしまった。それで第一夫人はそれだけの愛を損しているわけである。式部卿の宮はこの事情をお聞きになって、
「今後そうした若い夫人を入れて派手《はで》に暮らさせようとしている邸の片すみに小さくなって住んでいるようなことをしては、世間体もよろしくない。私の生きている間はそんな屈辱的な待遇を受けて良人《おっと》の家にいる必要はない」
 と御意見をお言いになった。御自邸の東の対を掃除《そうじ》させて、大将夫人の移って来る場所に決めておいでになるのであった。親の家ではあっても、良人《おっと》の愛を失った女になって帰って行くことは、夫人の決心のできかねることであった。性質の静かな善良な人で、子供らしいおおようさもある人でいながら、時々人からうとまれるような病的な発作があるのである。住居《すまい》なども始終だらしなくなっていて、きれいなことは何一つ残っていない家にいる夫人を、玉鬘の六条院にいるのとは比べようもないのであるが、青年時代から持ち続けた大将の愛は根を張っていて、一朝一夕に変わるものでも、変えられるものでもないから、今も心では非常に妻を哀れに思っていた。
「ただ昨日《きのう》今日《きょう》にできた夫婦でも、貴族の人たちは気に入らないことも、気に入らないふうを見せずに済ますものなのだ。全然人を捨ててしまうようなことをわれわれの階級の者はしないものなのだ。あなたには病苦というものがつきまとっていて、それを見るだけでも気の毒で、私の恋愛問題などを話しておこうとしても話す時がなかったのだよ。以前からあなたと約束していることでしょう、あなたに病気はあっても私は一生あなたといるつもりだって、私はどんな辛抱《しんぼう》も続けてするつもりなのに、あなたはほかのことを考え出したのですね。別れてしまうようなことは考えずに私を愛してください。子供もあるのだから、その点から言っても私は一生あなたを大事にすると言っているのに、女の人には困った嫉妬《しっと》というものがあって、私を恨んでばかりあなたはいる。現在だけを見ておれば、あるいはそのほうが道理かもしれないが、私を信用してしばらく冷静に見ていてくれたなら、私のあなたを思う志はどんなものかが理解できる日があるだろうと思う。宮様が不快にお思いになって、今すぐにお邸《やしき》へあなたをつれて帰ろうとお言いになるのは、かえってそのほうが軽率なことでないだろうか。実際別れさせてしまおうと思っておいでになるのだろうか。しばらく懲らしめてやろうとお思いになるのだろうか」
 と笑いながら言う大将の様子には、だれからも反感を持たれるのに十分な利己主義者らしいところがあった。
 大将の妾《しょう》のようにもなっていた木工《もく》の君や中将の君なども、それ相応に大将を恨めしく思っていたが、夫人は普通な精神状態になっている時で、なつかしいふうを見せて泣いていた。
「私を老いぼけた、病的な女だと侮辱なさいますのはごもっともなことですが、そんなお言葉の中に宮様のことをお混ぜになるのを聞きますと、私のような者と親子でおありになるばかりにと思われて宮様がお気の毒でなりません。私はあなたのお噂《うわさ》を聞くことが近ごろ始まったことでも何でもないのですから、悲しみはいたしません」
 と言って横向く顔が可憐《かれん》であった。小柄な人が持病のために痩《や》せ衰えて、弱々しくなり、きれいに長い髪が分け取られたかと思うほど薄くなって、しかもその髪はよく梳《す》くこともされないで、涙に固まっているのが哀れであった。一つ一つの顔の道具が美しいのではなくて、式部卿の宮によく似て、全体に艶《えん》なところのある顔を、構わないままにしてあっては、はなやかな、若々しいというような点はこの人に全然見られない。
「宮様のことを軽々しくなど私が言うものですか。人に聞かれても恐ろしいようなことを言うものでない」
 などと大将はなだめて、
「私の通って行く所はいわゆる玉の台《うてな》なのだからね。そんな場所へ不風流な私が出入りすることは、よけいに人目を引くことだろうと片腹痛くてね、自分の邸《やしき》へ早くつれて来ようと私は思うのだ。太政大臣が今日の時代にどれだけ勢力のある方だというようなことは今さらなことだが、あのりっぱな人格者の所へ、ここの嫉妬《しっと》騒ぎが聞こえて行くようではあの方に済まない。穏やかに仲よく暮らすように心がけなければならないよ。宮のお邸へあなたが行ってしまったからといっても、私はやはりあなたを愛するだろう。夫婦の形はどうなっても今さら愛のなくなることはないのだが、世間があなたを軽率なように言うだろうし、私のためにも軽々しいことになる。長い間愛し合ってきた二人なのだから、これからも私のためになることをあなたも考えて、世話をし合おうじゃありませんか」
 とも言った。
「あなたの冷酷なことがいいことか悪いことか私はもう考えません。何とも思いません。ただ私が健全な女でないことを悲しんでいます。宮様がお案じになって、娘の私の名誉などをたいそうにお考えになったり、御|煩悶《はんもん》をなすったりするのがお気の毒で、私は邸へ帰りたくないと思っています。六条の大臣の奥様は私のために他人ではありません。よそで育ったその人が大人《おとな》になって、養女のために姉の私の良人《おっと》を婿に取ったりするということで宮様などは恨んでいらっしゃるのですが、私はそんなことも思いませんよ。あちらでしていらっしゃることをながめているだけ」
「こんなにあなたはよく筋道の立つ話ができるのだがね。病気の起こることがあって、取り返しもつかないようなことがこれからも起こるだろうと気の毒だね。この問題に六条院の女王《にょおう》は関係していられないのだよ。今でもたいせつなお嬢様のように大臣から扱われていらっしゃる方などが、よそから来た娘のことなどに関心を持たれるわけもないのだからね。まあまったく親らしくない継母《ままはは》様だともいえるね。それだのに恨んだりしていることがお耳にはいっては済まないよ」
 などと、終日夫人のそばにいて大将は語っていた。
 日が暮れると大将の心はもう静めようもなく浮き立って、どうかして自邸から一刻も早く出たいとばかり願うのであったが、大降りに雪が降っていた。こんな天候の時に家を出て行くことは人目に不人情なことに映ることであろうし、妻が見さかいなしの嫉妬《しっと》でもするのでもあれば自分のほうからも十分に抗争して家を出て行く機会も作れるのであるが、おおように静かにしていられては、ただ気の毒になるばかりであると、大将は煩悶して格子《こうし》も下《お》ろさせずに、縁側へ近い所で庭をながめているのを、夫人が見て、
「あやにくな雪はだんだん深くなるようですよ。時間だってもうおそいでしょう」
 と外出を促して、もう自分といることに全然良人は興味を失っているのであるから、とめてもむだであると考えているらしいのが哀れに見られた。
「こんな夜にどうして」
 と大将は言ったのであるが、そのあとではまた反対な意味のことを、
「当分はこちらの心持ちを知らずに、そばにいる女房などからいろんなことを言われたりして疑ったりすることもあるだろうし、また両方で大臣がこちらの態度を監視していられもするのだから、間を置かないで行く必要がある。あなたは落ち着いて、気長に私を見ていてください。邸《やしき》へつれて来れば、それからはその人だけを偏愛するように見えることもしないで済むでしょう。今日のように病気が起こらないでいる時には、少し外へ向いているような心もなくなって、あなたばかりが好きになる」
 こんなに言っていた。
「家においでになっても、お心だけは外へ行っていては私も苦しゅうございます。よそにいらっしってもこちらのことを思いやっていてさえくだされば私の氷《こお》った涙も解けるでしょう」
 夫人は柔らかに言っていた。火入れを持って来させて夫人は良人《おっと》の外出の衣服に香を焚《た》きしめさせていた。夫人自身は構わない着ふるした衣服を着て、ほっそりとした弱々しい姿で、気のめいるふうにすわっているのをながめて、大将は心苦しく思った。目の泣きはらされているのだけは醜いのを、愛している良人の心にはそれも悪いとは思えないのである。長い年月の間二人だけが愛し合ってきたのであると思うと、新しい妻に傾倒してしまった自分は軽薄な男であると、大将は反省をしながらも、行って逢《あ》おうとする新しい妻を思う興奮はどうすることもできない。心にもない歎息《たんそく》をしながら、着がえをして、なお小さい火入れを袖《そで》の中へ入れて香《におい》をしめていた。ちょうどよいほどに着なれた衣服に身を装うた大将は、源氏の美貌《びぼう》の前にこそ光はないが、くっきりとした男性的な顔は、平凡な階級の男の顔ではなかった。貴族らしい風采《ふうさい》である。侍所《さむらいどころ》に集っている人たちが、
「ちょっと雪もやんだようだ。もうおそかろう」
 などと言って、さすがに真正面から促すのでなく、主人《あるじ》の注意を引こうとするようなことを言う声が聞こえた。中将の君や木工《もく》などは、
「悲しいことになってしまいましたね」
 などと話して、歎《なげ》きながら皆床にはいっていたが、夫人は静かにしていて、可憐なふうに身体《からだ》を横たえたかと見るうちに、起き上がって、大きな衣服のあぶり籠《かご》の下に置かれてあった火入れを手につかんで、良人の後ろに寄り、それを投げかけた。人が見とがめる間も何もないほどの瞬間のことであった。大将はこうした目にあってただあきれていた。細かな灰が目にも鼻にもはいって何もわからなくなっていた。やがて払い捨てたが、部屋じゅうにもうもうと灰が立っていたから大将は衣服も脱いでしまった。正気でこんなことをする夫人であったら、だれも顧みる者はないであろうが、いつもの物怪《もののけ》が夫人を憎ませようとしていることであるから、夫人は気の毒であると女房らも見ていた。皆が大騒ぎをして大将に着がえをさせたりしたが、灰が髪などにもたくさん降りかかって、どこもかしこも灰になった気がするので、きれいな六条院へこのままで行けるわけのものではなかった。大将は爪弾《つまはじ》きがされて、妻に対する憎悪《ぞうお》の念ばかりが心につのった。先刻愛を感じていた気持ちなどは跡かたもなくなったが、現在は荒だてるのに都合のよろしくない時である。どんな悪い影響が自分の新しい幸福の上に現われてくるかもしれないと、大将は夫人に腹をたてながらも、もう夜中であったが僧などを招いて加持《かじ》をさせたりしていた。夫人が上げるあさましい叫び声などを聞いては、大将がうとむのも道理であると思われた。夜通し夫人は僧から打たれたり、引きずられたりしていたあとで、少し眠ったのを見て、大将はその間に玉鬘《たまかずら》へ手紙を書いた。
[#ここから1字下げ]
昨夜から容体のよろしくない病人ができまして、おりから降る雪もひどく、こんな時に出て行くことはどうかと、そちらへ行くのをやむなく断念することにしましたが、外界の雪のためでもなく、私の身の内は凍ってしまうほど寂しく思われました。あなたは信じていてくださるでしょうが、そばの者が何とかいいかげんなことを忖度《そんたく》して申し上げなかったであろうかと心配です。
[#ここで字下げ終わり]
 という文学的でない文章であった。

[#ここから2字下げ]
心さへそらに乱れし雪もよに一人さえつる片敷《かたしき》の袖《そで》

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堪えがたいことです。
[#ここで字下げ終わり]
 ともあった。白い薄様《うすよう》に重苦しい字で書かれてあった。字は能書であった。大将は学問のある人でもあった。尚侍《ないしのかみ》は大将の来ないことで何の痛痒《つうよう》も感じていないのに、一方は一所懸命な言いわけがしてあるこの手紙も、玉鬘《たまかずら》は無関心なふうに見てしまっただけであるから、返事は来なかった。大将は自宅で憂鬱《ゆううつ》な一日を暮らした。夫人はなお今日も苦しんでいたから、大将は修法《しゅほう》などを始めさせた。大将自身の心の中でも、ここしばらくは夫人に発作のないようにと祈っていた。物怪《もののけ》につかれないほんとうの妻は愛すべき性質であるのを自分は知っているから我慢ができるのであるが、そうでもなかったら捨てて惜しくない気もすることであろうと大将は思っていた。大将は日が暮れるとすぐに出かける用意にかかったのである。大将の服装などについても、夫人は行き届いた妻らしい世話の十分できない人なのである。自分の着せられるものは流行おくれの調子のそろわないものだと大将は不足を言っていたが、きれいな直衣《のうし》などがすぐまにあわないで見苦しかった。昨夜《ゆうべ》のは焼け通って焦げ臭いにおいがした。小袖《こそで》類にもその臭気は移っていたから、妻の嫉妬《しっと》にあったことを標榜《ひょうぼう》しているようで、先方の反感を買うことになるであろうと思って、一度着た衣服を脱《ぬ》いで、風呂《ふろ》を立てさせて入浴したりなどして大将は苦心した。木工《もく》の君は主人《あるじ》のために薫物《たきもの》をしながら言う、

[#ここから1字下げ]
「一人ゐて焦《こが》るる胸の苦しきに思ひ余れる焔《ほのほ》とぞ見し
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 あまりに露骨な態度をおとりになりますから、拝見する私たちまでもお気の毒になってなりません」
 袖で口をおおうて言っている木工の君の目つきは大将を十分にとがめているのであったが、主人《あるじ》のほうでは、どうして自分はこんな女などと情人関係を作ったのであろうとだけ思っていた。情けない話である。

[#ここから1字下げ]
「うきことを思ひ騒げばさまざまにくゆる煙ぞいとど立ち添ふ
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 ああした醜態が噂《うわさ》になれば、あちらの人も私を悪く思うようになって、どちらつかずの不幸な私になるだろうよ」
 などと歎息《たんそく》を洩《も》らしながら大将は出て行った。中一夜置いただけで美しさがまた加わったように見える玉鬘であったから、大将の愛はいっそうこの一人に集まる気がして、自邸へ帰ることができずにそのままずっと玉鬘のほうにいた。大騒ぎして修法などをしていても夫人の病気は相変わらず起こって大声を上げて人をののしるようなことのある報知を得ている大将は、妻のためにもよくない、自分のためにも不名誉なことが必ず近くにいれば起こることを予想して、怖《おそ》ろしがって近づかないのである。邸《やしき》へ帰る時にもほかの対に離れていて、子供たちを呼び寄せて見るだけを楽しみにしていた。女の子が一人あって、それは十二、三になっていた。そのあとに男の子が二人あった。近年はもう夫婦の間も隔たりがちに暮らしていたが、ただ一人の夫人として尊重することは昔に変わらなかったのが、こんなふうになったのであるから、夫人ももう最後の時が来たのだと思うし、女房たちもそう見て悲しむよりほかはなかった。
 父宮がそのことをお聞きになって、
「そんな冷酷な扱いを受けてもまだ辛抱《しんぼう》強くあなたはしているのですか。それは自尊心も名誉心もない女のすることです。私の生きている間はまだあなたはそう奴隷的になっていないでもいいのです」
 と言うお言葉をお伝えさせになって、にわかに迎えをお立てになった。夫人はやっと常態になっていて、自身の不幸な境遇を悲しんでいる時に、このお言葉を聞いたのであったから、今になってまだ父宮のお言葉に従わずここにいて、まったく良人から捨てられてしまう日を待つことは、現在以上の恥になることであろうなどと思って、実家へ行くことにしたのであった。夫人の弟の公子たちは、左兵衛督《さひょうえのかみ》は高官であるから人目を引くのを遠慮して、そのほかの中将、侍従、民部大輔《みんぶだゆう》などで三つほどの車を用意して夫人を迎えに来たのであった。結局はこうなることを予想していたものの、いよいよ今日限りにこの家を離れなければならぬかと思うと、女房たちは皆悲しくなって泣き合った。
「これまでのようでないかかり人《びと》におなりになるのだから、お狭いところにおおぜいがお付きしていることはできません。幾人かの人だけはお供してあとは自分たちの家へ下がることにして、とにかくお落ち着きになるのを待ちましょう」
 などと女房たちは言って、それぞれの荷物を自宅へ運ばせ、別れ別れになるものらしい。夫人の道具の運ばれる物は皆それぞれ荷作りされて行く所で、上下の人が皆声を立てて泣いている光景は悲しいものであった。姫君と二人の男の子が何も知らぬふうに無邪気に家の中を歩きまわっているのを呼んで、夫人は前へすわらせた。
「お母様は不幸な運命でお父様から捨てられてしまったのだから、どちらかへ行ってしまわなければならない。あなたがたはまだ小さいのにお母様から離れてしまわなければならないのはかわいそうだね。姫君はどうなるかしれないお母様だけれど私といっしょにいることになさい。男の子も私について来て、時々ここへ来るようなことだけにしてはお父様がかわいがってくださらないよ。大人になって出世もできないような不幸の原因にそれがなるかもしれないからね。お祖父《じい》様の宮様のいらっしゃる間は、ともかくも役人の端にはしてもらえるにもせよね、お父様が今度親類におなりになった二人の大臣次第の世の中なのだから、その方たちにきらわれている私についていてはあなたがたは損で、出世などはできませんよ。そうかといってお坊様になって山や林へはいってしまうことは悲しいことだからね。それに不自然な出家をしては死んでからのちまで罪になります」
 と言って泣く母を見ては、深い意味はわからないままで子は皆悲しがって泣く。
「昔の小説の中でも普通にお子様を愛していらっしゃるお父様でも片親ではね、いろんなことの影響を受けてだんだん子供に冷淡になっていくものですよ。そしてこちらの殿様は現在でさえもああしたふうをお見せになるじゃありませんか。お子様の将来を思ってくださるようなことはないと思います」
 と乳母《めのと》たちは乳母たちでいっしょに集まって、悲しんでいた。日も落ちたし雪も降り出しそうな空になって来た心細い夕べであった。
「天気がずいぶん悪くなって来たそうです。早くお出かけになりませんか」
 と夫人の弟たちは急がせながらも涙をふいて悲しい肉親たちをながめていた。姫君は大将が非常にかわいがっている子であったから、父に逢《あ》わないままで行ってしまうことはできない、今日父とものを言っておかないでは、もう一度そうした機会はないかもしれないと思ってうつぶしになって泣きながら行こうとしないふうであるのを夫人は見て、
「そんな気にあなたのなっていることはお母様を悲しくさせます」
 などとなだめていた。そのうち父君は帰るかもしれぬと姫君は思っているのであるが、日が暮れて夜になった時間に、どうして逆にこの家へ大将が帰ろう。
 姫君は始終自身のよりかかっていた東の座敷の中の柱を、だれかに取られてしまう気のするのも悲しかった。姫君は檜皮《ひわだ》色の紙を重ねて、小さい字で歌を書いたのを、笄《こうがい》の端で柱の破《わ》れ目へ押し込んで置こうと思った。

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今はとて宿借れぬとも馴《な》れ来つる真木の柱はわれを忘るな
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 この歌を書きかけては泣き泣いては書きしていた。夫人は、
「そんなことを」
 と言いながら、

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馴れきとは思ひ出《い》づとも何により立ちとまるべき真木の柱ぞ
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 と自身も歌ったのであった。女房たちの心もいろいろなことが悲しくした。心のない庭の草や木と別れることも、あとに思い出して悲しいことであろうと心が動いた。木工《もく》の君は初めからこの家の女房であとへ残る人であった。中将の君は夫人といっしょに行くのである。

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「浅けれど石間《いはま》の水はすみはてて宿|守《も》る君やかげはなるべき
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 思いも寄らなかったことですね、こうしてあなたとお別れするようになるなどと」
 と中将の君が言うと、木工《もく》は、

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「ともかくも石間《いはま》の水の結ぼほれかげとむべくも思ほえぬ世を
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 何が何だかどうなるのだか」
 と言って泣いていた。
 車が引き出されて人々は邸《やしき》の木立ちのなお見える間は、自分らはまたもここを見る日はないであろうと悲しまれて、隠れてしまうまで顧みられた。住んでいる主人《あるじ》のために家と別れるのが惜しいのではなくて、家そのものに愛着のある心がそうさせるのである。
 大将夫人をお迎えになって、宮は非常にお悲しみになった。母の夫人は泣き騒いだ。
「太政大臣のことをよい親戚《しんせき》を持ったようにあなたは喜んでいらっしゃいますが、私には前生にどんな仇敵《かたき》だった人かと思われます。女御《にょご》などにも何かの場合に好意のない態度を露骨にお見せになりましたが、そのころは須磨《すま》時代の恨みが忘られないのだろうとあなたがお言いになり、世間でもそう批評されたのでも私には腑《ふ》に落ちなかったのです。それだのにまた今になって、養女を取ったりなどして、自分が御|寵愛《ちょうあい》なすって古くなすった代償にまじめな堅い男を取り寄せて婿にするなどということをなさる。これが恨めしくなくて何ですか」
 こう言い続けるのである。
「聞き苦しい。世間から何一つ批難をお受けにならない大臣を、出まかせな雑言《ぞうごん》で悪く言うのはおよしなさい。聡明《そうめい》な人はこちらの罪を目前でどうしようとはしないで、自然の罰にあうがいいと考えていられたのだろう。そう思われる私自身が不幸なのだ。冷静にしていられるようで、そしてあの時代の報いとして、ある時はよくしたり、ある時はきびしくしたりしようと考えていられるのだろう。私一人は妻の親だとお思いになって、いつかも驚くべき派手《はで》な賀宴を私のためにしてくだすった。まあそれだけを生きがいのあったこととして、そのほかのことはあきらめなければならないのだろう」
 と宮がお言いになるのを聞いて、夫人はいよいよ猛《たけ》り立つばかりで、源氏夫婦への詛《のろ》いの言葉を吐き散らした。この夫人だけは善良なところのない人であった。
 大将は夫人が宮家へ帰ったことを聞いてほんとうらしくもなく、若夫婦の中ででもあるような争議を起こすものである、自分の妻はそうした愛情を無視するような態度のとれる性質ではないのであるが、宮が軽率な計らいをされるのであると思って、子供もあることであったし、夫人のために世間体も考慮してやらねばならないと煩悶《はんもん》してのちに、こうした奇怪な出来事が家のほうであったと話して、
「かえってさっぱりとした気もしないではありませんが、しかしそのままでおとなしく家の一隅《いちぐう》に暮らして行けるはずの善良さを私は妻に認めていたのですよ。にわかに無理解な宮が迎えをおよこしになったのであろうと想像されます。世間へ聞こえても私を誤解させることだから、とにかく一応の交渉をしてみます」
 とも言って出かけるのであった。よいできの袍《ほう》を着て、柳の色の下襲《したがさね》を用い、青鈍《あおにび》色の支那《しな》の錦《にしき》の指貫《さしぬき》を穿《は》いて整えた姿は重々しい大官らしかった。決して不似合いな姫君の良人《おっと》でないと女房たちは見ているのであったが、尚侍《ないしのかみ》は家庭の悲劇の伝えられたことでも、自分の立場がつらくなって、大将の好意がうるさく思われて、あとを見送ろうともしなかった。
 宮へ抗議をしに大将は出かけようとしているのであったが、先に邸のほうへ寄って見た。木工《もく》の君などが出て来て、夫人の去った日の光景をいろいろと語った。姫君のことを聞いた時に、どこまでも自制していた大将も堪えられないようにほろほろと涙をこぼすのが哀れであった。
「どうしたことだろう。常人でない病気のある人を、長い間どんなにいたわって私が来たかがわかってもらえないのだね。軽薄な男なら今日《きょう》までだって決して連れ添ってはいなかったろう。でもしかたがない、あの人はどこにいても廃人なのだから同じだ。子供たちをどうしようというのだろう」
 大将は泣きながら真木柱の歌を読んでいた。字はまずいが優しい娘の感情はそのまま受け取れることができて、途中も車の中で涙をふきふき宮邸へ向かった。夫人は逢《あ》おうとしなかった。
「逢う必要はない。新しい女に心の移っているという話は、今度始まったことでもない。あの人が若い妻をほしがっている話を聞いてから長い月日もたっている。そんな良人《おっと》の愛があなたへ帰ってくることなどは期待されないことだ。そして健全な女でないという点だけをいよいよ認めさせることになります」
 と言う宮の御注意が大将夫人へあったのである。もっともなことである。
「何だか若い夫婦の仲で起こった事件のようで勝手の違った気がします。二人の中には愛すべき子もあるのだからと信頼を持ち過ぎてのんきであった私のあやまちは、どんな言葉ででも許してもらえないだろうと思いますが、それはそれとして穏便にだけはしてくだすって、今後私のほうによくないことがあれば世間も許さないでしょうから、その時に断然としたこういう処置もとられたらいいでしょう」
 などと大将は困りながら取り次がせていた。姫君にだけでも逢いたいと言ったのであるが出しそうもない。男の子の十歳《とお》になっているのは童殿上《わらわでんじょう》をしていて、愛らしい子であった。人にもほめられていて、容貌《ようぼう》などはよくもないが、貴族の子らしいところがあって、その子はもう父母の争いに関心が持てるほどになっていた。二男は八つくらいである。かわいい顔で姫君にも似ていたから、大臣は髪をなでてやりながら、
「おまえだけを恋しい形見にこれからは見て行くのだねお父様は」
 などと泣きながら言っていた。大将は宮へ御面会を願ったのであるが、
「風邪《かぜ》で引きこもっている時ですから」
 と断わられて、きまりが悪くなって宮邸を出た。二人の男の子を車に乗せて話しながら来たのであったが、六条院へつれて行くことはできないので、自邸へ置いて、
「ここにおいで。お父様は始終来て見ることができるから」
 と大将は言っていた。悲しそうに心細いふうで父を見送っていたのが哀れに思われて、大将は予期しなかった物思いの加わった気がしたものの、美しい玉鬘《たまかずら》と、廃人同様であった妻を比べて思うと、やはり何があっても今の幸福は大きいと感ぜられた。それきり夫人のほうへ大将は何とも言ってやらなかった。侮辱的なあの日の待遇がもたらした反動的な現象のように、冷淡にしていると宮邸の人をくやしがらせていた。紫の女王《にょおう》もその情報を耳にした。
「私までも恨まれることになるのがつらい」
 と歎《なげ》いているのを源氏はかわいそうに思った。
「むつかしいものですよ。自分の思いどおりにもできない人なのだから、この問題で陛下も御不快に思召《おぼしめ》すようだし、兵部卿《ひょうぶきょう》の宮も恨んでおいでになると聞いたが、あの方は思いやりがあるから、事情をお聞きになって、もう了解されたようだ。恋愛問題というものは秘密にしていても真相が知れやすいものだから、結局は私が罪を負わないでもいいことになると思っている」
 とも言っていた。
 大将のもとの夫人とのそうしたいきさつはいっそう玉鬘《たまかずら》を憂鬱《ゆううつ》にした。大将はそれを哀れに思って慰めようとする心から、尚侍《ないしのかみ》として宮中へ出ることをこれまでは反対をし続けたのであるが、陛下がこの態度を無礼であると思召すふうもあるし、両大臣もいったん思い立ったことであるから、自分らとしていえば公職を持つ女の良人《おっと》である人も世間にあることであり、構わないことと考えて宮中へ出仕することに賛成すると言い出したので、春になっていよいよ尚侍の出仕のことが実現された。男踏歌《おとことうか》があったので、それを機会として玉鬘は御所へ参ったのである。すべての儀式が派手《はで》に行なわれた。二人の大臣の勢力を背景にしている上に大将の勢いが添ったのであるから、はなばなしくなるのが道理である。源宰相中将は忠実に世話をしていた。兄弟たちも玉鬘に接近するよい機会であると、誠意を見せようとして集まって来て、うらやましいほどにぎわしかった。承香殿《じょうこうでん》の東のほう一帯が尚侍の曹司《ぞうし》にあてられてあった。西のほう一帯には式部卿《しきぶきょう》の宮の王女御《おうにょご》がいるのである。一つの中廊下だけが隔てになっていても、二人の女性の気持ちははるかに遠く離れていたことであろうと思われる。後宮の人たちは競い合って、ますます宮廷を洗練されたものにしていくようなはなやかな時代であった。あまりよい身分でない更衣《こうい》などは多くも出ていなかった。中宮《ちゅうぐう》、弘徽殿《こきでん》の女御、この王女御、左大臣の娘の女御などが後宮の女性である。そのほかに中納言の娘と宰相の娘とが二人の更衣で侍していた。踏歌《とうか》は女御がたの所へ実家の人がたくさん見物に来ていた。これは御所の行事のうちでもおもしろいにぎやかなものであったから、見物の人たちも服装などに華奢《かしゃ》を競った。東宮の母君の女御も人に負けぬ派手《はで》な方であった。東宮はまだ御幼年であったから、そのほうの中心は母君の女御であった。御前《ごぜん》、中宮、朱雀《すざく》院へまわるのに夜が更《ふ》けるために、今度は六条院へ寄ることを源氏が辞退してあった。朱雀院から引き返して、東宮の御殿を二か所まわったころに夜が明けた。ほのぼのと白む朝ぼらけに、酔い乱れて「竹河《たけがわ》」を歌っている中に、内大臣の子息たちが四、五人もいた。それはことに声がよく容貌《ようぼう》がそろってすぐれていた。童形《どうぎょう》である八郎君《はちろうぎみ》は正妻から生まれた子で、非常に大事がられているのであったが、愛らしかった。大将の長男と並んでいるこの二人を尚侍も他人とは思えないで目がとどめられた。宮中の生活に馴《な》れた女御たちの曹司よりも、新しい尚侍の見物する御殿の様子のほうがはなやかで、同じような物ではあるが、女房の袖口《そでぐち》の重ねの色目も、ここのがすぐれたように公達《きんだち》は思った。尚侍自身も女房たちもこうした、悪いことが悪く見え、よいことはことによく見える御所の中の生活をしばらくは続けてみたいと思っていた。どちらでも纏頭《てんとう》に出すのは定《きま》った真綿であるが、それらなどにも尚侍のほうのはおもしろい意匠が加えられてあった。こちらはちょっと寄るだけの所なのであるが、はなやかな空気のうかがわれる曹司であったから、公達は晴れがましく思い、緊張した踏歌をした。饗応《きょうおう》の法則は越えないようにして、ことに手厚く演者はねぎらわれたのであった。それは大将の計らいであった。大将は禁中の詰め所にいて、終日尚侍の所へ、
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退出を今夜のことにしたいと思います。出仕した以上はなおとどまっていたいと、あなたが考えるであろう宮仕えというものは、私にとって苦痛です。
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 こんなことばかりを書いて送るのであったが、玉鬘《たまかずら》は何とも返事を書かない。女房たちから、
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源氏の大臣が、あまり短時日でなく、たまたま上がったのであるから、陛下がもう帰ってもよいと仰せになるまで上がっていて帰るようにとおっしゃいましたことですから。それに今晩とはあまり御無愛想なことになりませんかと私たちは存じます。
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 と大将の所へ書いて来た。大将は尚侍《ないしのかみ》を恨めしがって、
「あんなに言っておいたのに、自分の意志などは少しも尊重されない」
 と歎息《たんそく》をしていた。
 兵部卿の宮は御前の音楽の席に、その一員として列席しておいでになったのであるが、お心持ちは平静でありえなかった。尚侍の曹司ばかりがお思われになってならないのであった。堪えがたくなって宮は手紙をお書きになった。大将は自身の直廬《じきろ》のほうにいたのである。宮の御消息であるといって使いから女房が渡されたものを、尚侍はしぶしぶ読んだ。

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深山木《みやまぎ》に翅《はね》うち交《か》はしゐる鳥のまたなく妬《ねた》き春にもあるかな

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さえずる声にも耳がとどめられてなりません。
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 とあった。気の毒なほど顔を赤めて、何と返事もできないように尚侍が思っている所へ帝《みかど》がおいでになった。明るい月の光にお美しい竜顔《りゅうがん》がよく拝された。源氏の顔をただそのまま写したようで、こうしたお顔がもう一つあったのかというような気が玉鬘にされるのであった。源氏の愛は深かったがこの人が受け入れるのに障害になるものがあまりに多かった。帝との間にはそうしたものはないのである。帝はなつかしい御様子で、お志であったことが違ってしまったという恨みをお告げになるのであったが、尚侍は恥ずかしくて顔の置き場もない気がした。顔を隠して、お返辞もできないでいると、
「たよりない方だね。好意を受けてもらおうと思ったことにも無関心でおいでになるのですね。何にもそうなのですね。あなたの癖なのですね」
 と仰せになって、

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「などてかくはひ合ひがたき紫を心に深く思ひ初《そ》めけん
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 濃くはなれない運命だろうか」
 若々しくておきれいな所は源氏と同じである。源氏と思ってお話を申し上げようと尚侍は思った。陛下が好意と仰せられるのは、去年尚侍になって以来、まだ勤労らしいことも積まずに、三位《さんみ》に玉鬘を陞叙《しょうじょ》されたことである。紫は三位の男子の制服の色であった。

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「いかならん色とも知らぬ紫を心してこそ人はそめけれ
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 ただ今から改めて御恩を思います」
 と尚侍が言うと、帝は微笑をあそばして、
「その今からということがだめになったのだからね。私に抗議する人があれば理論が聞きたい。私のほうが先にあなたを愛していたのだから」
 と恨みをお告げになる。言葉の遊戯ではなく皆まじめに思召《おぼしめ》すらしいのであったから、尚侍は困ったことであると思った。自分が陛下の愛に感激しているほんとうの気持ちなどはお見せすべきでない。帝といえども男性に共通した弱点は持っておいでになるのであるからと考えて、玉鬘《たまかずら》はただきまじめなふうで黙って侍していた。帝はもう少し突込んだ恋の話もしたく思召してここへおいでになったのであるが、それがお言い出せにならないで、そのうち馴《な》れてくるであろうからと見ておいでになった。大将は帝が曹司へおいでになったと聞いて危険がることがいよいよ急になって、退出を早くするようにとしきりに催促をしてきた。もっともらしい口実も作って実父の大臣を上手《じょうず》に賛成させ、いろいろと策動した結果、ようやく今夜退出する勅許を得た。
「今夜あなたの出て行くのを許さなければ、懲りてしまって、これきりあなたをよこしてくれない人があるからね。だれよりも先にあなたを愛した人が、人に負けて、勝った男の機嫌《きげん》をとるというようなことをしている。昔の何とかいった男(時平に妻を奪われた平貞文《たいらのさだふみ》の歌、昔せしわがかねごとの悲しきはいかに契りし名残《なごり》なるらん)のように、まったく悲観的な気持ちになりますよ」
 と仰せになって、真底《しんそこ》からくやしいふうをお見せになった。聞こし召したのに数倍した美貌《びぼう》の持ち主であったから、初めにそうした思召しはなくっても、この人を御覧になっては公職の尚侍としてだけでお許しにならなかったであろうと思われるが、まして初めの事情がそうでもなかったのであったから、帝は妬《ねた》ましくてならぬ御感情がおありになって、最初の求婚者の権利を主張あそばしたくなるのを、あさはかな恋と思われたくないと御自制をあそばして、熱情を認めさせようとしてのお言葉だけをいろいろに下された。こうしてなつけようとあそばす御好意がかたじけなくて、結婚しても自分の心は自分の物であるのに、良人《おっと》にことごとく与えているものでないのにと玉鬘は思っていた。輦車《れんしゃ》が寄せられて、内大臣家、大将家のために尚侍の退出に従って行こうとする人たちが、出立ちを待ち遠しがり、大将自身もむつかしい顔をしながら、人々へ指図《さしず》をするふうにしてその辺を歩きまわるまで帝は尚侍の曹司をお離れになることができなかった。
「近衛《ちかきまもり》過ぎるね。これでは監視されているようではないか」
 と帝はお憎みになった。

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九重《ここのへ》に霞《かすみ》隔てば梅の花ただかばかりも匂《にほ》ひこじとや
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 何でもない御歌であるが、お美しい帝が仰せられたことであったから、特別なもののように尚侍には聞かれた。
「私は話し続けて夜が明かしたいのだが、惜しんでいる人にも、私の身に引きくらべて同情がされるからお帰りなさい。しかし、どうして手紙などはあげたらいいだろう」
 と御心配げに仰せられるのがもったいなく思われた。

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かばかりは風にもつてよ花の枝《え》に立ち並ぶべき匂《にほ》ひなくとも
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 と言って、さすがに忘られたくない様子の女に見えるのを哀れに思召しながら、顧みがちに帝はお立ち去りになった。
 すぐに大将は自邸へ玉鬘《たまかずら》を伴おうと思っているのであるが、初めから言っては源氏の同意が得られないのを知って、この時までは言わずに、突然、
「にわかに風邪《かぜ》気味になりまして、自宅で養生をしたく存じますが、別々になりましては妻も気がかりでございましょうから」
 と穏やかに了解を求めて、大将はそのまま尚侍《ないしのかみ》をつれて帰ったのであった。内大臣は婚家へ娘のにわかな引き取られ方を、形式上不満にも思ったが、小さなことにこだわっていては婿の大将の感情を害することになろうと思って、
「どちらでも私のほうの意志でどうすることもできない娘になっているのですから」
 という返事を内大臣はした。源氏は思いがけないことになったと失望を感じたが、それは無理なことのようである。玉鬘も心にない良人《おっと》を持ったことは苦しいと思いながらも、盗んで行かれたのであればあきらめるほかはないという気になって、大将家へ来たことではじめて心が落ち着いてうれしかった。帝が曹司に長くおいでになったことで大将が非常に嫉妬《しっと》していろいろなことを言うのも、凡人らしく思われて、良人を愛することのできない玉鬘の機嫌《きげん》はますます悪かった。式部卿《しきぶきょう》の宮もあのように強い態度をおとりになったものの、大将がそれきりにしておくことで煩悶《はんもん》をしておいでになった。大将はもう交渉することを断念したふうである。一方では理想が実現された気になって、明け暮れ玉鬘をかしずくことに心をつかっていた。
 二月になった。源氏は大将を無情な男に思われてならなかった。これほどはっきりと玉鬘を自分から引き放すこととは思わずに油断をさせられていたことが、人聞きも不体裁に思われ、自身のためにも残念で、玉鬘が恋しくばかり思われた。宿縁は無視できないものであっても、自身の思いやりのあり過ぎたことからこうした苦しみを買うことになったのであると、日夜面影にその人を見ていた。風流気の少ない大将といることを思っては、手紙で、戯れのようにして今日このごろの気持ちを玉鬘に伝えることも気が置かれて得しなかった。雨がよく降って静かなころ、源氏はこうした退屈な時間も紛らすことが玉鬘の所でできたこと、その時分の様子などが目に浮かんできて、非常に恋しくなって手紙を書いた。右近の所へそっとその手紙は送られたのであるが、そうはしながらも右近が怪しく思わないかということも考えられて、思うことはそのまま皆書き続けられなかった。ただ推察のできそうなことだけを書いたのであった。

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かきたれてのどけきころの春雨にふるさと人をいかに忍ぶや

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私も退屈なものですから、いろいろ恨めしくなったりすることがあるのですが、どうしてそれをお聞かせしてよいかわかりません。
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 などと書かれてあった。人が玉鬘のそばにいない時を見計らって右近はこの手紙を見せた。玉鬘も泣いた。自身の心にも時がたつままに思い出されることの多い源氏は、感情そのままに、恋しい、どうかして逢《あ》いたいというのを遠慮しないではならない親であったから、実際問題として考えてもいつ逢えることともわからないので悲しかった。時々源氏の不純な愛撫《あいぶ》の手が伸ばされようとして困った話などは、だれにも言ってないことであったが、右近は怪しく思っていた。ほんとうのことはまだわからないようにこの人は思っているのである。返事を、
「書くのが恥ずかしくてならないけれど、あげないでは失望をなさるだろうから」
 と言って、玉鬘《たまかずら》は書いた。

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ながめする軒の雫《しづく》に袖《そで》ぬれてうたかた人を忍ばざらめや

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それが長い時間でございますから、憂鬱《ゆううつ》的退屈と申すようなものもつのってまいります。失礼をいたしました。
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 とうやうやしく書かれてあった。それを前に拡《ひろ》げて、源氏はその雨だれが自分からこぼれ落ちる気もするのであったが、人に悪い想像をさせてはならないと思って、しいておさえていた。昔の尚侍を朱雀《すざく》院の母后が厳重な監視をして、源氏に逢わせまいとされた時がちょうどこんなのであったと、その当時の苦しさと今を比較して考えてみたが、これは現在のことであるせいか、その時にもまさってやる瀬ないように思われた。好色な男はみずから求めて苦しみをするものである、もうこんなことに似合わしくない自分でないかと源氏は思って、忘れようとする心から琴を弾《ひ》いてみたが、なつかしいふうに弾いた玉鬘の爪音《つまおと》がまた思い出されてならなかった。和琴《わごん》を清掻《すがが》きに弾いて、「玉藻《たまも》はな刈りそ」と歌っているこのふうを、恋しい人に見せることができたなら、どんな心にも動揺の起こらないことはないであろうと思われた。
 帝もほのかに御覧になった玉鬘の美貌《びぼう》をお忘れにならずに、「赤裳垂《あかもた》れ引きいにし姿を」(立ちて思ひゐてもぞ思ふくれなゐの赤裳垂れ引き)という古歌は露骨に感情を言っただけのものであるが、それを終始お口ずさみになって物思いをあそばされた。お手紙がそっと何通も尚侍の手へ来た。玉鬘はもう自身の運命を悲観してしまって、こうした心の遊びも不似合いになったもののように思い、御好意に感激したようなお返事は差し上げないのであった。玉鬘は今になって源氏が清い愛で一貫してくれた親切がありがたくてならなかった。
 三月になって、六条院の庭の藤《ふじ》や山吹《やまぶき》がきれいに夕映《ゆうば》えの前に咲いているのを見ても、まずすぐれた玉鬘の容姿が忍ばれた。南の春の庭を捨てておいて、源氏は東の町の西の対に来て、さらに玉鬘に似た山吹をながめようとした。竹のませ垣《がき》に、自然に咲きかかるようになった山吹が感じよく思われた。「思ふとも恋ふとも言はじ山吹の色に衣を染めてこそ着め」この歌を源氏は口ずさんでいた。

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思はずも井手の中みち隔つとも言はでぞ恋ふる山吹の花
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 とも言っていた。「夕されば野辺《のべ》に鳴くてふかほ鳥の顔に見えつつ忘られなくに」などとも口にしていたが、ここにはだれも聞く人がいなかった。こんなふうに徹底的に恋人として玉鬘を思うことはこれが初めてであった。風変わりな源氏の君と言わねばならない。雁《がん》の卵がほかからたくさん贈られてあったのを源氏は見て、蜜柑《みかん》や橘《たちばな》の実を贈り物にするようにして卵を籠《かご》へ入れて玉鬘《たまかずら》へ贈った。手紙もたびたび送っては人目を引くであろうからと思って、内容を唯事《ただごと》風に書いた。
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お逢いできない月日が重なりました。あまりに同情がないというように恨んではいますが、しかし御良人の御同意がなければ万事あなたの御意志だけではできないことを承知していますから、何かの場合でなければお許しの出ることはなかろうと残念に思っています。
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 などと親らしく言ってあるのである。

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おなじ巣にかへりしかひの見えぬかないかなる人か手ににぎるらん

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そんなにまでせずともとくやしがったりしています。
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 この手紙を大将も見て笑いながら、
「女というものは実父の所へだって理由がなくては行って逢うことをしないものになっているのに、どうしてこの大臣が始終逢えない逢えないと恨んでばかしおよこしになるだろう」
 こんな批評めいたことを言うのも、玉鬘には憎く思われた。返事を、
「私は書けない」
 と玉鬘が渋っていると、
「今日は私がお返事をしよう」
 大将が代わろうというのであるから、玉鬘が片腹痛く思ったのはもっともである。

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巣隠れて数にもあらぬ雁《かり》の子をいづ方にかはとりかくすべき

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御機嫌《ごきげん》をそこねておりますようですからこんなことを申し上げます。風流の真似《まね》をいたし過ぎるかもしれません。
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 大将の書いたものはこうであった。
「この人が戯談《じょうだん》風に書いた手紙というものは珍品だ」
 と源氏は笑ったが、心の中では玉鬘をわが物顔に言っているのを憎んだ。
 もとの大将夫人は月日のたつにしたがって憂鬱《ゆううつ》になって、放心状態でいることも多かった。生活費などはこまごまと行き届いた仕送りを大将はしていた。子供たちをも以前と同じように大事がって育てていたから、前夫人の心は良人《おっと》からまったく離れず唯一の頼みにもしていた。大将は姫君を非常に恋しがって逢いたく思うのであったが、宮家のほうでは少しもそれを許さない。少女の心には自身の愛する父を祖父も祖母も皆口をそろえて悪く言い、ますます逢わせてもらう可能性がなくなっていくのを心細がっていた。男の子たちは始終|訪《たず》ねて来て、尚侍《ないしのかみ》の様子なども話して、
「私たちなどもかわいがってくださる。毎日おもしろいことをして暮らしていらっしゃる」
 などと言っているのを夫人は聞いて、うらやましくて、そんなふうな朗らかな心持ちで人生を楽しく見るようなことをすればできたものを、できなかった自身の性格を悲しがっていた。男にも女にも物思いをさせることの多い尚侍である。
 その十一月には美しい子供さえも玉鬘《たまかずら》は生んだ。大将は何事も順調に行くと喜んで、愛妻から生まれた子供を大事にしていた。産屋《うぶや》の祝いの派手《はで》に行なわれた様子などは書かないでも読者は想像するがよい。内大臣も玉鬘の幸福であることに満足していた。大将の大事にする長男、二男にも今度の幼児の顔は劣っていなかった。頭《とうの》中将も兄弟としてこの尚侍をことに愛していたが、幸福であると無条件で喜んでいる大臣とは違って、少し尚侍のその境遇を物足りなく考えていた。尚侍として君側に侍した場合を想像していて、生まれた大将の三男の美しい顔を見ても、
「今まで皇子がいらっしゃらない所へ、こんな小皇子をお生み申し上げたら、どんなに家門の名誉になることだろう」
 となおこの上のことを言って残念がった。尚侍の公務を自宅で不都合なく執《と》ることにして、玉鬘はもう宮中へ出ることはないだろうと見られた。それでもよいことであった。
 あの内大臣の令嬢で尚侍になりたがっていた近江《おうみ》の君は、そうした低能な人の常で、恋愛に強い好奇心を持つようになって、周囲を不安がらせた。女御《にょご》も一家の恥になるようなことを近江の君が引き起こさないかと、そのことではっとさせられることが多く、神経を悩ませていたが、大臣から、
「もう女御の所へ行かないように」
 と止められているのであったが、やはり出て来ることをやめない。どんな時であったか、女御の所へ殿上役人などがおおぜい来ていて選《え》りすぐったような人たちで音楽の遊びをしていたことがあった。源宰相中将《げんさいしょうちゅうじょう》も来ていて、平生と違って気軽に女房などとも話しているのを、ほかの女房たちが、
「やはり出抜けていらっしゃる方」
 とも評していた時に、近江の君は女房たちの座の中を押し分けるようにして御簾《みす》の所へ出ようとしていた。女房らは危険に思って、
「あさはかなことをお言い出しになるのじゃないかしら」
 とひそかに肱《ひじ》で言い合ったが、近江の君はこのまれな品行方正な若|公達《きんだち》を指さして、
「これでしょう、これでしょう」
 と言って源中将のきれいであることをほめて騒ぐ声が外の男の座へもよく聞こえるのであった。女房たちが困って苦しんでいる時、高く声を張り上げて、近江の君が、

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「おきつ船よるべ浪路《なみぢ》にただよはば棹《さお》さしよらん泊まりをしへよ
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『たななし小舟《をぶね》漕《こ》ぎかへり』(同じ人にや恋ひやわたらん)いけないわね」
 と言った。源中将は異様なことであると思った。女御の所には洗練された女房たちがそろっているはずで、こうした露骨な戯れを言いかける人はないわけであると思って、考えてみるとそれは噂《うわさ》に聞いた令嬢であった。

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よるべなみ風の騒がす船人も思はぬ方に磯《いそ》づたひせず
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 と源中将に言われた。
「そんなことをしては恥知らずです」
 とも。

真木柱 版本说明

底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
   1994(平成6)年6月15日39版発行
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32 梅が枝

[#地から3字上げ]天地《あめつち》に春新しく来たりけり光源氏の
[#地から3字上げ]みむすめのため     (晶子)

 源氏が十一歳の姫君の裳着《もぎ》の式をあげるために設けていたことは並み並みの仕度《したく》でなかった。東宮も同じ二月に御元服があることになっていたが、姫君の東宮へはいることもまた続いて行なわれて行くことらしい。一月の末のことで、公私とも閑暇《ひま》な季節に、源氏は薫香《くんこう》の調合を思い立った。大弐《だいに》から贈られてあった原料の香木類を出させてみたが、これよりも以前に渡って来た物のほうがあるいはよいかもしれぬという疑問が生じて、二条の院の倉をあけさせて、支那《しな》から来た物を皆六条院へ持って来させたのであったが、源氏はそれらと新しい物とを比較してみた。
「織物などもやはり古い物のほうに芸術的なものが多い」
 といって、式場用の物の覆《おおい》、敷き物、褥《しとね》などの端を付けさせるものなどに、故院の御代《みよ》の初めに朝鮮人が献《ささ》げた綾《あや》とか、緋金錦《ひごんき》とかいう織物で、近代の物よりもすぐれた味わいを持った切れ地のそれぞれの使い場所を決めたりした。今度大弐のほうから来た綾や薄物は他へ分けて贈った。香の原料に昔のと今のとを両方取り混ぜて六条院内の夫人たちと、源氏の尊敬する女友だちに送って、二種類ずつの薫香を作られたいと告げた。裳着の式日の贈り物、高官たちへの纏頭《てんとう》の衣服類の製作を手分けして各夫人の所でしているかたわらで、またそれぞれ撰《えら》び出した香の原料の鉄臼《かなうす》でひかれる音も立って忙しい気のされるころであった。源氏は南の町の寝殿へ、夫人の所から離れてこもりながら、どうして習得したのか承和の帝《みかど》の秘法といわれる二つの合わせ方で熱心に薫香を作っていた。夫人は東の対《たい》のうちの離れへ人を避ける設備をして、そこで八条の式部卿《しきぶきょう》の宮の秘伝の法で香を作っていた。こうして夫婦の中にも、秘密をうかがわれまいと苦心する香の優劣を勝負にしようと言っていた。姫君の親である人たちらしくない競争である。どの夫人の所にもこの調合の室に侍している女房は選ばれた少数の者であった。式用の小道具を精巧をきわめて製作させた中でも、特に香合の箱の形、壺《つぼ》、火入れの作り方に源氏は意匠を凝《こ》らさせていたが、その壺へ諸所でできた中のすぐれた薫香を、試みた上で入れようと思っているのであった。
 二月の十日であった。雨が少し降って、前の庭の紅梅が色も香もすぐれた名木ぶりを発揮している時に、兵部卿《ひょうぶきょう》の宮が訪問しておいでになった。裳着の式が今日明日のことになっているために、心づかいをしている源氏に見舞いをお述べになった。昔からことに仲のよい御兄弟であったから、いろいろな御相談をしながら花を愛していた時に、前斎院からといって、半分ほど花の散った梅の枝に付けた手紙がこの席へ持って来られた。宮は源氏と前斎院との間に以前あった噂《うわさ》も知っておいでになったので、
「どんなおたよりがあちらから来たのでしょう」
 とお言いになって、好奇心を起こしておいでになるふうの見えるのを、源氏はただ、
「失礼なお願いを私がしましたのを、すぐにその香を作ってくだすったのです」
 こう言って、お手紙は隠してしまった。沈《じん》の木の箱に瑠璃《るり》の脚《あし》付きの鉢《はち》を二つ置いて、薫香はやや大きく粒に丸めて入れてあった。贈り物としての飾りは紺瑠璃《こんるり》のほうには五葉の枝、白い瑠璃のほうには梅の花を添えて、結んである糸も皆優美であった。
「艶《えん》にできていますね」
 と宮は言って、ながめておいでになったが、

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花の香は散りにし袖《そで》にとまらねどうつらん袖に浅くしまめや
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 という歌が小さく書かれてあるのにお目がついて、わざとらしくお読み上げになった。宰相の中将が来た使いを捜させ饗応《きょうおう》した。紅梅|襲《がさね》の支那《しな》の切れ地でできた細長を添えた女の装束が纏頭《てんとう》に授けられた。返事も紅梅の色の紙に書いて、前の庭の紅梅を切って枝に付けた。
「何だか内容の知りたくなるお手紙ですが、なぜそんなに秘密になさるのだろう」
 と言って、宮は見たがっておいでになる。
「何があるものですか、そんなふうによけいな想像をなさるから困るのです」
 と言って、斎院へ今書いた歌をまた紙にしたためて宮へお見せした。

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花の枝《え》にいとど心をしむるかな人のとがむる香をばつつめど
[#ここで字下げ終わり]

 というのであるらしい。
「少し物好きなようですが、一人娘の成年式だからやむをえないと自分では定《き》めまして、こうした騒ぎをしているのですが、ほめたことではありませんから、ほかの方を頼むことはやめまして、中宮《ちゅうぐう》を御所から退出していただいて腰|結《ゆ》いをお願いしようと思っています。一家の方になっていらっしゃっても、晴れがましい気のする人格を持っておられますから、並み並みの儀式にしておいてはもったいない気がするのです」
 などと源氏は言っていた。
「そうですね。あやかる人は選ばねばなりませんね。それにはこの上もない方ですよ」
 と宮は源氏の計らいの当を得ていることをお言いになった。前斎院から香の届けられたことと、宮のおいでになったのを機会にして、夫人らの調製した薫香《くんこう》も取り寄せる使いが出された。
「湿りけのある今日の空気が香の試験に適していると思いますから」
 と言いやられたのである。夫人たちからは、いろいろに作られた香が、いろいろに飾られて来た。
「これを審判してください。あなたのほかに頼む人はない」
 こう源氏は言って、火入れなどを取り寄せて香をたき試みた。
「知る人(君ならでたれにか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る)でもないのですがね」
 と宮は謙遜《けんそん》しておいでになったが、においの繊細なよさ悪さを嗅《か》ぎ分けて、微瑕《びか》も許さないふうに詮索《せんさく》され、等級をおつけになろうとするのであった。源氏の二種の香はこの時になってはじめて取り寄せられた。右近衛府《うこんえふ》の溝川《みぞかわ》のあたりにうずめるということに代えて、西の渡殿《わたどの》の下から流れて出る園の川の汀《みぎわ》にうずめてあったのを、惟光《これみつ》宰相の子の兵衛尉《ひょうえのじょう》が掘って持って来たのである。それを宰相中将が受け取って座へ運んで来た。
「苦しい審判者になったものですよ。第一けむい」
 と宮は苦しそうに言っておいでになった。同じ法が広く伝えられていても、個人個人の趣味がそれに加わってでき上がった薫香のよさ悪さを比較して嗅《か》ぐことは興味の多いものであった。どれが第一の物とも決められない中にも斎院のお作りになった黒方香《くろぼうこう》は心憎い静かな趣がすぐれていた。侍従香では源氏の製作がすぐれて艶《えん》で優美であると宮はお言いになった。紫の女王《にょおう》のは三種あった中で、梅花香ははなやかで若々しく、その上珍しく冴《さ》えた気の添っているものであった。
「このごろの微風《そよかぜ》に焚《た》き混ぜる物としてはこれに越したにおいはないでしょう」
 と宮はおほめになる。花散里《はなちるさと》夫人は皆の競争している中へはいることなどは無理であると、こんなことにまで遺憾なく内気さを見せて、荷葉香《かようこう》を一種だけ作って来た。変わった気分のするなつかしいにおいがそれからは嗅《か》がれた。冬の夫人である明石《あかし》の君は、四季を代表する香は決まったものになっているのであるから、冬だけを卑下させておくのもよろしくないと思って、薫衣香《くんえこう》の製法の中にも、すぐれた物とされている以前の朱雀《すざく》院の法を原則にして公忠朝臣《きんただあそん》が精製したといわれる百歩《はくぶ》の処方などを参考として作った物は、製作に払われた苦心の効果の十分に表われた、優美な香を豊かに持たせたものであると、どれにも同情のある批評を宮があそばされるのを、
「八方美人の審判者だ」
 と言って源氏は笑っていた。月が出てきたので酒が座に運ばれて、宮と源氏は昔の話を始めておいでになった。うるんだ月の光の艶《えん》な夜に、雨ののちの風が少し吹いて、花の香があたりを囲んでいた。だれも皆艶な気持ちに酔っていった。侍所《さむらいどころ》のほうでは明日ある音楽の合奏のために、下ならしに楽器を出して、たくさん集まっていた殿上役人などが鳴らしてみたり、おもしろい笛の音《ね》をたてたりしていた。内大臣の子の頭《とうの》中将や弁《べん》の少将なども伺候の挨拶《あいさつ》だけをしに来て帰ろうとしたのを、源氏はとめて、そして楽器を侍にこちらへ運ばせた。頭中将は和琴《わごん》の役を命ぜられて、はなやかに掻《か》き立てて合奏はおもしろいものになった。源宰相中将は横笛を受け持った。春の調子が空までも通るほどに吹き立てた。弁の少将が拍子を取って、美しい声で梅が枝を歌い出した。この人は子供の時|韻塞《いんふたぎ》に父と来て高砂《たかさご》を歌った公子である。宮も源氏も時々歌を助けて、たいそうな音楽ではないが、おもしろい音楽の夜ではあった。酒杯がさされた時に、宮は、

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「うぐひすの声にやいとどあくがれん心しめつる花のあたりに
[#ここで字下げ終わり]

 千年もいたくなってます」
 と源氏へお言いになった。

[#ここから2字下げ]
色も香もうつるばかりにこの春は花咲く宿をかれずもあらなん
[#ここで字下げ終わり]

 と源氏は歌ってから、杯を頭の中将へさした。中将は杯を受けたあとで宰相の中将へ杯をまわした。

[#ここから2字下げ]
うぐひすのねぐらの枝も靡《なび》くまでなほ吹き通せ夜半《よは》の笛竹
[#ここで字下げ終わり]

 と頭の中将は歌ったのである。

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「心ありて風のよぐめる花の木にとりあへぬまで吹きやよるべき
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 少しひどいでしょうね」
 と宰相中将が言うと皆笑った。弁の少将が、

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かすみだに月と花とを隔てずばねぐらの鳥もほころびなまし
[#ここで字下げ終わり]

 と言った。長居のしたくなる所であるとお言いになったとおりに、宮は明け方になってお帰りになるのであった。源氏は贈り物に、自身のために作られてあった直衣《のうし》一領と、手の触れない薫香《くんこう》二壺《ふたつぼ》を宮のお車へ載せさせた。

[#ここから2字下げ]
花の香をえならぬ袖《そで》に移してもことあやまりと妹《いも》や咎《とが》めん
[#ここで字下げ終わり]

 宮がこうお歌いになったと聞いて、
「何と言いわけをしようと御心配なのだね」
 と源氏は笑った。お車はもう走り出そうとしていたのであったが、使いを追いつかせて、

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「めづらしとふるさと人も待ちぞ見ん花の錦を着て帰る君
[#ここで字下げ終わり]

 この上ないことだと御満足なさるでしょう」
 と源氏がお伝えさせると宮は苦笑をあそばされた。頭中将や弁の少将などにも目だつほどの纏頭《てんとう》でなく、細長とか小袿《こうちぎ》とかを源氏は贈ったのであった。
 裳着《もぎ》の式を行なう西の町へ源氏夫婦と姫君は午後八時に行った。中宮のおいでになる御殿の西の離れに式の設けがされてあって、姫君のお髪上《ぐしあ》げ役の(正装の場合には前髪を少しくくるのである)内侍などもこちらへ来たのである。紫夫人もこのついでに中宮へお目にかかった。中宮付き、夫人付き、姫君付きの盛装した女房のすわっているのが数も知れぬほどに見えた。裳を付ける式は十二時に始まったのである。ほのかな灯《ひ》の光で御覧になったのであるが、姫君を美しく中宮は思召《おぼしめ》した。
「お愛しくださいますことを頼みにいたしまして、失礼な姿も御前へ出させましたのです。尊貴なあなた様がかようなお世話をくださいますことなどは例もないことであろうと感激に堪えません」
 と源氏は申し上げていた。
「経験の少ない私が何もわからずにいたしておりますことに、そんな御|挨拶《あいさつ》をしてくださいましてはかえって困ります」
 と御|謙遜《けんそん》して仰せられる中宮の御様子は若々しくて愛嬌《あいきょう》に富んでおいでになるのを見て、この美しい人たちは皆自身の一家族であるという幸福を源氏は感じた。明石《あかし》が蔭《かげ》にいてこの晴れの式も見ることのできないことを悲しむふうであったのを哀れに思って、こちらへ呼ぼうかとも源氏は思ったのであるが、やはり外聞をはばかって実行はしなかった。こうした式についての記事は名文で書かれていてもうるさいものであるのを、自分などがだらしなく書いていっては、かえってきれいなりっぱなことをこわしてしまう結果になるのを恐れて、細かにはしるさない。
 東宮の御元服は二十幾日にあった。もうりっぱな大人のようでいらせられたから、だれも令嬢たちを後宮へ入れたい志望を持ったが、源氏がある自信を持って、姫君を東宮へ奉ろうとしているのを知っては、強大な競争者のあるこの宮仕えはかえって娘を不幸にすることではなかろうかと、左大臣、左大将などもまた躊躇《ちゅうちょ》していることを源氏は聞いて、
「それではお上《かみ》へ済まないことになる。宮仕えは多数のうちで、ただ少しの御|愛寵《あいちょう》の差を競うのに意義があるのだ。貴族がたのりっぱな姫君がお出にならないではこちらも張り合いのないことになる」
 と言って、姫君の宮仕えの時期を延ばした。たとえ娘を出すにしてもあとのことにしようとしていた人たちはそれを聞いて、最初に左大臣が三女を東宮へ入れた。麗景殿《れいげいでん》と呼ばれることになった。
 源氏のほうは昔の宿直所《とのいどころ》の桐壺《きりつぼ》の室内装飾などを直させることなどで時日が延びているのを、東宮は待ち遠しく思召す御様子であったから、四月に参ることに定めた。姫君の手道具類なども、もとからあるのにまた新しく作り添えて、源氏自身が型を考えたり、図案をこしらえたりしては専門家の名人を集めて、美術的な製作を命じていた。草紙の箱というような物に入れる草紙で、いずれは製本もさせて書物になるようなものを源氏は選んでいた。故人で、書道のほうの大家と言われている人たちの書いた物も源氏のところにはたくさんあった。
「すべてのことは昔より悪くなっていく末世ではあっても、仮名の字だけは、どこまでおもしろくなっていくかと思われるほど、近ごろのほうがよくなった。昔の仮名は正確ではあるが、融通がきかないで、変化の妙がなく単調だ。巧妙な仮名を書く人は近代になってふえたが、私も仮名を習うのに熱心だったころ、無難な仮名字を手本にいろいろ集めたものだが、中宮の母君の御息所《みやすどころ》が何ともなしに書かれた一行か二行の字が手にはいって、最上の仮名字はこれだと心酔してしまったものです。それがもとになって浮き名を立てることになり、私との関係をにがい経験だったように思って、くやしがったままで亡《な》くなられたが、必ずしもそうではなかったのだ。今は中宮をお援《たす》けしていることで、聡明《そうめい》な人だったから、あの世ででも私の誠意を認めておいでになることだろう。中宮のお字はきれいなようだけれど才気が少ない」
 と源氏は夫人にささやいていた。
「入道の中宮様は最上の貴婦人らしい品のある字をお書きになったが、弱い所があって、はなやかな気分はない。院の尚侍《ないしのかみ》は現代の最もすぐれた書き手だが、奔放すぎて癖が出てくる。しかし、ともかくも院の尚侍と前斎院と、あなたをこの草紙の書き手に擬していますよ」
 源氏から認められたことで、夫人は、
「そんな方たちといっしょになすっては恥ずかしくてなりませんよ」
 と言っていた。
「謙遜《けんそん》をしすぎますよ。柔らかな調子のとてもいい所がある。漢字は上手《じょうず》に書けますが、仮名には時々力の抜けた字の混じる欠点はありますね」
 などとも源氏は言っていて、書かない無地の草紙もまた何帳か新しく綴《と》じさせた。表紙や紐《ひも》などを細かく精選したことは言うまでもない。
「兵部卿《ひょうぶきょう》の宮とか左衛門督《さえもんのかみ》とかにもお頼みしよう。私も一冊書く。気どっておられても私といっしょに書くことは晴れがましいだろう」
 と源氏は自讃《じさん》していた。墨も筆も選んだのを添えて、いつもそうした交渉のある所々へ執筆を源氏は頼んだのであったが、だれもこの委嘱に応じるのを困難なことに思って、その中には辞退してくる人もあったが、そんな時に源氏は再三懇切な言葉で執筆を望んだ。朝鮮紙の薄様《うすよう》風な非常に艶《えん》な感じのする紙の綴《と》じられた帳を源氏は見て、
「風流好きな青年たちにこれを書かせてみよう」
 と言った。宰相中将、式部卿《しきぶきょう》の宮の兵衛督《ひょうえのかみ》、内大臣家の頭《とうの》中将などに、蘆手《あしで》とか、歌絵とか、何でも思い思いに書くようにと源氏は言ったのであった。若い人たちは競って製作にかかった。
 いつもこんな時にするように、源氏は寝殿のほうへ行っていて書いた。花の盛りが過ぎて淡い緑色がかった空のうららかな日に、源氏は古い詩歌を静かに選びながら、みずから満足のできるだけの字を書こうと、漢字のも仮名のも熱心に書いていた。その部屋《へや》には女房も多くは置かずにただ二、三人、墨をすらせたり、古い歌集の歌を命ぜられたとおりに捜し出したりするのに役にたつような者を呼んであった。部屋の御簾《みす》は皆上げて、脇息《きょうそく》の上に帳を置いて、縁に近い所でゆるやかな姿で、筆の柄を口にくわえて思案する源氏はどこまでも美しかった。白とか赤とかきわだった片《ひら》は、筆を取り直して特に注意して書いたりする態度なども、心のある者は敬意を払わずにいられないことであった。兵部卿の宮がおいでになったということを聞いて源氏は驚いて上に直衣《のうし》を着たり、座敷へさらに褥《しとね》を取り寄せたりしてお迎えした。この宮もきれいなお姿で、階段を艶《えん》に上っておいでになるのを、女房たちは御簾《みす》からのぞいていた。互いに正しい礼儀で御|挨拶《あいさつ》がかわされた。
「引きこもっていますのが苦しいほど退屈なおりからでしたよ。よくおいでくださいました」
 と源氏は言っていた。お頼まれになった書き物を宮は持っておいでになったのである。すぐこの席で源氏は拝見した。非常に巧妙な字というのではないが、一部分に澄み切った芸術味の見えるものだった。歌も常識的なものは避けて、変わったものが選ばれてあって、ただ三行ほどに字数を少なく感じよく書かれてあった。源氏は予想に越えたおできばえに驚いた。
「これほどにもとは思いませんでした。自分の書くことなどはいやになるほどです」
 とも言っていた。
「大家たちの中へ混じって書く自信だけはえらいものだと思っていますよ」
 と宮は戯談《じょうだん》を言っておいでになる。すでにできた源氏の帳などもお隠しすべきでないから出して宮の御覧に入れた。支那《しな》の紙のじみな色をしたのへ、漢字を草書で書かれたのがすぐれて美しいと宮は見ておいでになったが、またそのあとで、朝鮮紙の地のきめの細かい柔らかな感じのする、色などは派手《はで》でない艶《えん》なのへ、仮名文字が、しかも正しく熱の見える字で書かれてある絶妙な物をお見つけになった。それは見る人の感動した涙も添って流れる気のする墨蹟《ぼくせき》で、いつまでも目をお放しになることができないのであったが、また日本製の紙屋紙《かんやがみ》の色紙の、はなやかな色をしたのへ奔放に散らし書きをした物には無限のおもしろさがあるようにもお思われになって、乱れ書きにした端々にまで人を酔わせるような愛嬌がこもっているこの片《ひら》以外の物はもう見ようともされないのであった。
 左衛門督《さえもんのかみ》の字は本格的に書いてあるのであるが、俗気《ぞくけ》が抜け切らずに、技巧が技巧として目についた。歌などもわざとらしいものが選ばれてある。女の手になったほうの帳は少しよりお見せしなかった。ことに斎院のなどはまったく隠してお出ししない源氏であった。青年たちによって蘆手《あしで》の書かれた幾冊かの帳はとりどりにおもしろかった。源中将のは水を豊かに描いて、そそけた蘆のはえた景色《けしき》に浪速《なにわ》の浦が思われるのへ、そちらへあちらへ美しい歌の字が配られているような、澄んだ調子のものがあるかと思うと、また全然変わった奇岩の立った風景に相応した雄健な仮名の書かれてある片《ひら》もあるというような蘆手であった。
「驚いたものですね。これは見るのに時間を要するものですね」
 と宮はおもしろがっておいでになった。芸術家風の風流気に富んだ方であったから、お気にいったものはどこまでもおほめになるのである。この日はまた書の話ばかりをしておいでになって、色紙の継いだ巻き物が幾本となく席上へ現われるのであったが、宮は子息の侍従を邸《やしき》へおやりになって、御蔵品もお取り寄せになった。嵯峨《さが》帝が古万葉集から撰《えら》んでお置きになった四巻、延喜《えんぎ》の帝《みかど》が古今集を支那《しな》の薄藍《うすあい》色の色紙を継いだ、同じ色の濃く模様の出た唐紙《とうし》の表紙、同じ色の宝石の軸の巻き物へ、巻ごとに書風を変えてお書きになったものなどがそれであった。台を短くした灯《ひ》を置いて二人で見ておいでになったが、
「よくこんなにいろいろなふうにお書きになれたものですね。近ごろの人はほんのこの一部分の仕事をするのに骨を折っているという形ですね」
 などと源氏はおほめしていた。この二種の物は宮から源氏へ御寄贈になった。
「女の子を持っていたとしましても、たいしてこうした物の価値のわからないような子には残してやりたくない気のする物ですからね。それに私には娘もありませんから、お手もとへ置いていただいたほうがよい」
 などと宮はお言いになったのである。源氏は侍従へ唐本のりっぱなのを沈《じん》の木の箱に入れたものへ高麗《こま》笛を添えて贈った。
 近ごろの源氏は書道といってもことに仮名の字を鑑賞することに熱中して、よい字を書くと言われる人は上中下の階級にわたってそれぞれの物を選んで書を頼んでいた。源氏の書いた帳のはいる箱には、高い階級に属した人たちの手になった書だけを、帳も巻き物も珍しい装幀《そうてい》を加えて納めることにしていた。他の国の宮廷にもないと思われる華奢《かしゃ》を尽くした姫君の他の調度品よりも、この墨蹟《ぼくせき》の箱を若い人たちはうかがいたく思った。源氏は絵なども整理して姫君に与えるのであったが、須磨《すま》で日記のようにして書いた絵巻は姫君へ伝えたいとは思っていたが、もう少し複雑な人生がわかるまではそれをしないほうがよいという見解をもってその中へは加えなかった。
 内大臣は宮廷へはいる大がかりな仕度《したく》を、自家のことでなく源氏の姫君のこととして噂《うわさ》に聞くのを、非常に物足らず寂しく思っていた。妙齢に達した雲井《くもい》の雁《かり》の姫君は美しくなっていた。結婚もせず結婚談もなくて引きこもっているこの娘が内大臣には苦労の種であった。宰相中将は少しも焦燥《しょうそう》するふうを見せずに、冷静な態度を取り続けているのであったから、こちらから、結婚談をしかけることも世間体の悪いことと思われて、熱心に彼が娘を思っていた時に許せばよかったなどと人知れず後悔もしていて、宰相中将の態度ばかりが悪いとも内大臣は思えないのであった。こんなふうに少し気の折れてきたことも宰相中将は聞いているのであったが、まだしばらく恨めしい記憶のなくなるまでは落ち着いていないではならないと思って、内大臣に求めることをしなかった。しかも他の恋の対象を作ろうとするような気もしなかった。自身ながらもこうした窮屈な考え方に反感を持つこともあったが、宰相中将は六位であったことを譏《そし》った雲井の雁の乳母《めのと》たちに対して納言《なごん》の地位に上ることが先決問題だと信じていた。源氏はどっちつかずに宙に浮いたふうで中将が結婚もしないでいることを見かねて、
「あちらとの話をあきらめているのなら、左大臣とか、中務《なかつかさ》の宮とかからのお話が来ているのだから、だれと結婚をするか決めてしまうとよい」
 とも言うのであったが、宰相中将は黙って恐縮したふうを見せているだけであった。
「こんな問題ではお上《かみ》の御忠告にも昔の私はお服しすることができなかったのだから、口を出したくはないのだが、今になって考えると、その時の御教訓は永久の真理だったとよくわかる。長く独身でいれば、実現されない幻を描いているかのように人も見るだろうし、それが宿命であるかはしらないが、ついには何の価値もない女といっしょになってしまうような結果を生むことにもなっては、初めよし、後《のち》わろしになってしまう。思い上がっていても若い間はほかから誘惑があるからね、多情な行為におちやすいものだが、堕落をしないように心がけねばならない。宮中に育って、自由らしいことは何一つできずに、ただ過失らしいことが一つあるだけでも世間はやかましく批難するだろうと戦々兢々《せんせんきょうきょう》としていた青年の私でも、やはり恋愛をあさる男のように言われて悪く思われたものなのだ。身分が低くて注目するものがないなどと思って放縦なことをしてはいけないよ。驕慢《きょうまん》の心の盛んな時に、女の問題で賢い人が失敗するようなことは歴史の上にもあることだからね。思ってならない人を思って、女の名も立て自身も人の恨みを負うようなことをしては一生の心の負担になる。不運な結婚をして、女の欠点ばかりが目について苦しいようなことがあっても、そうした時に忍耐をして万人を愛する人道的な心を習得するようにつとめるとか、もしくは娘の親たちの好意を思うことで足りないことを補うとか、また親のない人と結婚した場合にも、不足な境遇も妻が価値のある女であればそれで補うに足ると認識すべきだよ。そうした同情を持つことは自身のためにも妻のためにも将来大きな幸福を得る過程になるのだ」
 こんなことも言って閑暇《ひま》のある時にはよく宰相中将を教える源氏であった。この教訓の精神から言っても、仮にも初恋の人を忘れて他の女を思うようなことはできないように中将は思っていた。雲井の雁も近ごろになってことさら父が愁色を見せることを知って恥ずかしく思い、自分は不幸な女であると深く思われるのであったが、表面は素知らぬふうを見せて、おおように物思いをしていた。宰相中将は思い余る時々にだけ情熱のこもった手紙を雲井の雁へ書いた。だが誠をか(偽りと思ふものから今さらにたが誠をかわれは頼まん)と心に思っても、世ずれた人のようにむやみに人を疑うことのない純真な雲井の雁は、中将の手紙に沁《し》んで読まれるところが多いように思われた。
「中務《なかつかさ》の宮がお嬢さんと宰相中将との縁組みを太政大臣へお申し込みになって大臣も賛成されたようです」
 とこんな噂《うわさ》を内大臣に伝えた者のあった時に、内大臣の心は愁《うれ》いにふさがれた。大臣はそうした噂の耳にはいったことを雲井の雁にそっと告げた。
「あの人がほかの結婚をしてもよいという気になるとはひどい。太政大臣も口をお入れになったことがあるのに、それでも私が強硬だったものだから、今になって大臣はそんなふうに勧められるのだろう。しかしその場合に私が先方の言いなりに結婚を許しても体面上恥ずかしいことだったのだから」
 などと、目に涙を浮《う》けて父が言うのを、雲井の雁は恥ずかしく思って聞きながらも、一方では何とはなしに涙が流れ出してくるのをきまり悪く思って、顔をそむけているのが可憐《かれん》であった。どうすればいいだろう。やはりこちらから折れて出るべきであろうかなどと煩悶《はんもん》をしながら大臣の去ったあとまでも雲井の雁は庭をながめて物思いを続けていた。これはなんという愚かな涙であろう、どう父は思ったであろうなどと心を悩ましている所へ、宰相中将の手紙が届いた。恨めしく今まで思っていた人ではあるが、さすがに手紙はすぐあけて読んだ。情のこもった手紙であった。

[#ここから2字下げ]
つれなさは浮き世の常になり行くを忘れぬ人や人にことなる
[#ここで字下げ終わり]

 とも書いてある。父がした話のことなどは少しも書いてないことを雲井の雁は恨めしく思ったが返事を書いた。

[#ここから2字下げ]
限りとて忘れがたきを忘るるもこや世に靡《なび》く心なるらん
[#ここで字下げ終わり]

 この歌の意味が腑《ふ》に落ちないで宰相中将はいつまでも首を傾けていたということである。

梅が枝 版本说明

底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
   1994(平成6)年6月15日39版発行
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校正:鈴木厚司
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33 藤のうら葉

[#地から3字上げ]ふぢばなのもとの根ざしは知らねども
[#地から3字上げ]枝をかはせる白と紫    (晶子)

 六条院の姫君が太子の宮へはいる仕度《したく》でだれも繁忙をきわめている時にも、兄の宰相中将は物思いにとらわれていて、ぼんやりとしていることに自身で気がついていた。自身で自身がわからない気もする中将であった。どうしてこんなに執拗《しつよう》にその人を思っているのであろう、これほど苦しむのであれば、二人の恋愛を認めてよいというほどに伯父《おじ》が弱気になっていることも聞いていたのであるから、もうずっと以前から進んで昔の関係を復活さえさせればよかったのである。しかしできることなら、伯父のほうから正式に婿として迎えようと言って来る日までは昔の雪辱のために待っていたいと煩悶《はんもん》しているのである。雲井《くもい》の雁《かり》のほうでも父の大臣の洩《も》らした恋人の結婚話から苦しい物思いをしていた。もしもそんなことになったならもう永久に自分などは顧みられないであろうと思うと悲しかった。接近をしようとはせずに、しかもこの二人のしているのは熱烈な相思の恋であった。内大臣も甥《おい》の価値をしいて認めようとせずに、結婚問題には冷淡な態度をとり続けてきたのであったが、雲井の雁の心は今も依然とその人にばかり傾いているのを知っては、親心として宰相中将の他家の息女と結婚するのを坐視《ざし》するに忍びなくなった。話が進行してしまって、中務《なかつかさ》の宮でも結婚の準備ができたあとでこちらの話を言い出しては中将を苦しめることにもなるし、自身の家のためにも不面目なことになって世上の話題にされやすい。秘密にしていても昔あった関係はもう人が皆知っていることであろう、何かの口実を作って、やはり自分のほうから負けて出ねばならないとまで大臣は決心するに至った。表面は何もないふうをしていても、あのことがあってからは心から親しめない間柄になっているのであるから、突然言い出すのも如何《いかが》なものであると大臣ははばかられた。新しい婿迎えの形式をとるのも他人が見ておかしく思うことであろうから、そんなふうにはせずによい機会に直接話してみたほうがよいかもしれないなどと思っていたが、三月の二十日《はつか》は大宮の御忌日《おんきじつ》であって、極楽寺へ一族の参詣《さんけい》することがあった。内大臣は子息たちを皆引き連れて行っていて、すばらしく権勢のある家のことであるから多数の高官たちも法会《ほうえ》に参列したが、宰相中将はそうした高官たちに遜色《そんしょく》のない堂々とした風采《ふうさい》をしていて、容貌《ようぼう》なども今が盛りなようにもととのっているのであるから、高雅な最も貴《とうと》い若い朝臣《あそん》と見えた。恨めしかったあの時以来、いつも内大臣と逢《あ》うのは晴れがましいことに思われて、今日《きょう》なども親戚《しんせき》じゅうの長者としての敬意だけを十分に見せて、そしてきわめて冷静に落ち着いた態度をとっている宰相中将に、今日の内大臣は特に関心が持たれた。仏前の誦経《ずきょう》などは源氏からもさせた。中将は最も愛された祖母の宮の法事であったから、経巻や仏像その他の供養のことにも誠心《まごころ》をこめた奉仕ぶりを見せた。夕方になって参会者の次々に帰るころ、木の花は大部分終わりがたになって散り乱れた庭に霞《かすみ》もよどんで春の末の哀愁の深く身にしむ景色《けしき》を、大臣は顔を上げて母宮のおいでになった昔の日を思いながら、雅趣のある姿でながめていた。宰相中将も身にしむ夕べの気に仏事中よりもいっそうめいった心持ちになって、
「雨になりそうだ」
 などと退散して行く人たちの言い合っている声も聞きながらなお庭のほうばかりがながめられた。好機会であるとも大臣は思ったのか、源中将の袖《そで》を引き寄せて、
「どうしてあなたはそんなに私を憎んでいるのですか。今日の御法会の仏様の縁故で私の罪はもう許してくれたまえ。老人になってどんなに肉身が恋しいかしれない私に、あまり厳罰をあなたが加え過ぎるのも恨めしいことです」
 などと言うと、中将は畏《かしこ》まって、
「お亡《かく》れになりました方の御遺志も、あなたを御信頼申して、庇護されてまいるようにということであったように心得ておりましたが、私をお許しくださいません御様子を拝見するものですから御遠慮しておりました」
 と言っていた。天侯が悪くなって雨風の中をこの人たちはそれぞれ急ぎ立てられるように家へ帰った。宰相中将は大臣がどうして平生と違った言葉を自分にかけたのであろうと、無関心でいる時のない恋人の家のことであるから、何でもないことも耳にとまって、いろいろな想像を描いていた。
 長い年月の間純情をもって雲井の雁を思っていた宰相中将の心が通じたのか、内大臣は昔のその人とは思われないほど謙遜《けんそん》な娘の親の心になって宰相中将を招くのにわざとらしくない機会を、しかも最もふさわしいような機会のあるのを願っていたが、四月の初めに庭の藤《ふじ》の花が美しく咲いて、すぐれた紫の花房《はなぶさ》のなびき合うながめを、もてはやしもせずに過ごしてしまうのが残念になって、音楽の遊びを家でした時に、藤の花が夕方になっていっそう鮮明に美しく見えるからといって、長男の頭《とうの》中将を使いにして源中将を迎えにやった。
「極楽寺の花|蔭《かげ》ではお話もゆっくりとする間のありませんでしたことが遺憾でなりませんでした。それでもしお閑暇《ひま》があるようでしたらおいでくださいませんか」
 というのが大臣の伝えさせた言葉である。手紙には、

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わが宿の藤の色濃き黄昏《たそがれ》にたづねやはこぬ春の名残《なごり》を
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 とあった。歌われてあるとおりにすぐれた藤の花の枝にそれは付けてあった。使いを受けた中将は心のときめくのを覚えた。そして恐縮の意を返事した。

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なかなかに折りやまどはん藤の花たそがれ時のたどたどしくば
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 というのである。
「気おくれがして歌になりませんよ。直してください」
 と宰相中将は従兄《いとこ》に言った。
「お供して行きましょう」
「窮屈な随身《ずいじん》はいやですよ」
 と言って、源中将は従兄を帰した。中将は父の源氏の居間へ行って、頭中将が使いに来たことを言って内大臣の歌を見せた。
「ほかの意味があってお招きになるのかもしれない。そんなふうな態度に出てくればおもしろくなかった旧恨というものも消されるだろう。どうだね」
 と源氏は言った。婿の親として源氏はこんなに自尊心が強かった。
「そんな意味でもないでしょう。対《たい》の前の藤が例年よりもみごとに咲いていますからこのごろの閑暇《ひま》なころに音楽の合奏でもしようとされるのでしょう」
 と宰相中将は父に言うのであった。
「特使がつかわされたのだから早く行くがよい」
 と源氏は許した。中将はああは言っていても、心のうちは期待されることと、一種の不安とが一つになって苦しかった。
「その直衣《のうし》の色はあまり濃くて安っぽいよ。非参議級とかまだそれにならない若い人などに二藍《ふたあい》というものは似合うものだよ。きれいにして行くがよい」
 と源氏は自身用に作らせてあったよい直衣に、その下へ着る小袖《こそで》類もつけて中将の供をして来ていた侍童に持たせてやった。中将は自身の居間のほうで念の入った化粧をしてから黄昏《たそがれ》時も過ぎて、待つほうで気のもまれる時刻に内大臣家へ行った。公達《きんだち》が中将をはじめとして七、八人出て来て宰相中将を座に招じた。皆きれいな公子たちであるが、その中にも源中将は最もすぐれた美貌《びぼう》を持っていた。気高《けだか》い貴人らしいところがことに目にたった。内大臣は若い甥《おい》のために座敷の中の差図《さしず》などをこまごまとしていた。大臣は夫人や若い女房などに、
「のぞいてごらん。ますますきれいになった人だよ。とりなしが静かで、堂々として鮮明な美しさは源氏の大臣以上だろう。お父様のほうはただただ艶《えん》で、愛嬌《あいきょう》があって、見ている者のほうも自然に笑顔《えがお》が作られるようで、人生の苦というようなものを忘れ去ることのできる力があった。公務を執ることなどはそうまじめにできなかったものだ。しかもこれが道理だと思われたものだ。この人のほうは学問が十分にできているし、性質がしっかりとしていてりっぱな官吏だと世間から認められているらしいよ」
 などと言っていたが、身なりを正しく直して宰相中将に面会した。まじめな話は挨拶《あいさつ》に続いて少ししただけであとは藤の宴に移った。
「春の花というものは、どの花だって咲いた最初に目ざましい気のしないものはないが、長くは人を楽しませずにどんどんと散ってしまうのが恨めしい気のするころに、藤の花だけが一歩遅れて、夏にまたがって咲くという点でいいものだと心が惹《ひ》かれて、私はこの花を愛するのですよ。色だって人の深い愛情を象徴しているようでいいものだから」
 と言って微笑している大臣の顔も品がよくてきれいであった。月が出ても藤の色を明らかに見せるほどの明りは持たないのであるが、ともかくも藤を愛する宴として酒杯が取りかわされ、音楽の遊びをした。しばらくして大臣は酔った振りになって宰相中将に酒をしいようとした。源中将は酔いつぶされまいとして、それを辞し続けていた。
「あなたは末世に過ぎた学才のある人物でいながら、年のいった者を憐《あわれ》んでくれないのは恨めしい。書物にもあるでしょう、家の礼というものが。甥《おい》は伯父《おじ》を愛して敬うべきものですよ。孔子の教えには最もよく通じていられるはずなのだが、私を悩まし抜かれたとそう恨みが言いたい」
 などと言って、それは酒に酔って感傷的になっているのか源中将を少しばかり困らせた。
「伯父様を決して粗略には思っておりません。御恩のあるお祖父《じい》様の代わりと思いますだけでも、私の一身を伯父様の犠牲にしてもいいと信じているのですが、どんなことがお気に入らなかったのでしょう。もともと頭がよくないのでございますから、自身でも気づかずに失礼をしていたのでございましょう」
 とうやうやしく源中将は言うのであった。よいころを見て大臣は機嫌《きげん》よくはしゃぎ出して「藤のうら葉の」(春日さす藤のうら葉のうちとけて君し思はばわれも頼まん)と歌った。命ぜられて頭《とうの》中将が色の濃い、ことに房《ふさ》の長い藤を折って来て源中将の杯の台に置き添えた。源中将は杯を取ったが、酒の注《つ》がれる迷惑を顔に現わしている時、大臣は、

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紫にかごとはかけん藤の花まつより過ぎてうれたけれども
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 と歌った。杯を持ちながら頭を下げて謝意を表した源中将はよい形であった。

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いく返り露けき春をすぐしきて花の紐《ひも》とく折に逢《あ》ふらん
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 と歌った源中将は杯を頭中将にさした。

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たをやめの袖にまがへる藤の花見る人からや色もまさらん
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 頭中将の歌である。二男以下にもその型で杯がまわされ「みさかな」の歌がそれぞれ出たわけであるが、酔っている人たちの作ったものであったから、以上の三首よりよいというものもなかった。七日の夕月夜の中に池がほの白く浮かんで見えた。大臣の言葉のように、春の花が皆散ったあとで若葉もありなしの木の梢《こずえ》の寂しいこのごろに、横が長く出た松の、たいして大木でないのへ咲きかかった藤の花は非常に美しかった。例の美音の弁《べん》の少将がなつかしい声で催馬楽《さいばら》の「葦垣《あしがき》」を歌うのであった。
「すばらしいね」
 と大臣は戯談《じょうだん》を言って、「年経にけるこの家の」と上手《じょうず》に声を添えた。おもしろい夕月夜の藤の宴に宰相中将の憂愁は余す所なく解消された。夜がふけてから源中将は酔いに悩むふうを作って、
「あまり酔って苦しくてなりません。無事に帰りうる自信も持てませんからあなたの寝室を拝借できませんか」
 と頭中将に言っていた。大臣は、
「ねえ朝臣《あそん》、寝床をどこかで借りなさい。老人《としより》は酔っぱらってしまって失礼だからもう引き込むよ」
 と言い捨てて居間のほうへ行ってしまった。頭中将が、
「花の蔭《かげ》の旅寝ですね。どうですか、あとで迷惑になる案内役ではないかしら」
「寄りかかって松と同じ精神で咲く藤なのですから、これは軽薄な花なものですか。とにかくそんな縁起でもない言葉は使わないでおきましょう」
 と言って、中将の先導をなお求める宰相中将であった。頭中将は負けたような気がしないでもなかったが、源中将はりっぱな公子であったから、ぜひ妹との結婚を成立させたいとはこの人の念願だったことであって、満足を感じながら従弟《いとこ》を妹の所へ導いた。宰相中将はこうした立場を与えられるに至った夢のような運命の変わりようにも自己の優越を感じた。雲井《くもい》の雁《かり》はすっかり恥ずかしがっているのであったが、別れた時に比べてさらに美しい貴女《きじょ》になっていた。
「みじめな失恋者で終わらなければならなかった私が、こうして許しを受けてあなたの良人《おっと》になり得たのは、あなたに対する熱誠がしからしめたのですよ。だのにあなたは無関心に冷ややかにしておいでになる」
 と男は恨んだ。
「少将の歌われた『葦垣《あしがき》』の歌詞を聞きましたか。ひどい人だ。『河口《かはぐち》の』(河口の関のあら垣《がき》や守れどもいでてわが寝ぬや忍び忍びに)と私は返しに謡《うた》いたかった」
 女はあらわな言葉に羞恥《しゅうち》を感じて、

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「浅き名を言ひ流しける河口はいかがもらしし関のあら垣
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 いけないことでしたわ」
 と言う様子が娘らしい。男は少し笑って、

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「もりにけるきくだの関の河口の浅きにのみはおはせざらなん
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 長い年月に堆積《たいせき》した苦悩と、今夜の酒の酔いで私はもう何もわからなくなった」
 と酔いに託して帳台の内の人になった。宰相中将は夜の明けるのも気がつかない長寝をしていた。女房たちが気をもんでいるのを見て、大臣は、
「得意になった朝寝だね」
 と言っていた。そしてすっかり明るくなってから源中将は帰って行った。この中将の寝起き姿を見た人は美しく思ったことであろう。
 第一夜の翌朝の手紙も以前の続きで忍んで送られたのであるが、はばかる必要のない日になって、かえって雲井の雁が返事の書けないふうであるのを、蓮葉《はすっぱ》な女房たちは肱《ひじ》を突き合って笑っている所へ大臣が出て来て手紙を読んでみた。雲井の雁はますます羞恥《しゅうち》に堪えられなくなった。
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やはり昔と同じように冷ややかなあなたに逢っていよいよ自分が哀れな者に思われるのですが、おさえられぬ恋からまたこの手紙を書くのです。

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咎《とが》むなよ忍びにしぼる手もたゆみ今日あらはるる袖《そで》のしづくを
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 などと手紙はなれなれしく書いてあった。大臣は笑顔《えがお》をして、
「字が非常に上手《じょうず》になったね」
 などと言っていることも昔とはたいした変わりようである。返事の歌を詠《よ》みにくそうにしている娘を見て、
「どうしたというものだ。見苦しい」
 と言って、雲井の雁が父をはばかる気持ちも察して大臣は去ってしまった。手紙の使いは派手《はで》な纏頭《てんとう》を得た。そして頭中将が饗応《きょうおう》の役を勤めたのであった。始終隠して手紙を届けに来た人は、はじめて真人間として扱われる気がした。これは右近《うこん》の丞《じょう》で宰相中将の手もとに使っている男であった。
 源氏も内大臣邸であった前夜のことを知った。宰相中将が平生よりも輝いた顔をして出て来たのを見て、
「今朝《けさ》はどうしたか、もう手紙は書いたか。聡明《そうめい》な人も恋愛では締まりのないことをするようにもなるものだが、最初の関係を尊重して、しかもあくせくとあせりもせず自然に解決される時を待っていた点で、平凡人でないことを認めるよ。内大臣があまりに強硬な態度をとり過ぎて、ついにはすっかり負けて出たということで世間は何かと評をするだろう。しかしあまり優越感を持ち過ぎて慢心的に放縦なほうへ転向することのないようにしなくてはならない。今度の態度は寛大であっても、大臣の性格は、生一本でなくて気むずかしい点があるのだからね」
 などとまた源氏は教訓した。円満な結果を得て、宰相中将につりあいのよい妻のできたことで源氏は満足しているのである。宰相中将は子のようにも見えなかった。少し年上の兄というほどに源氏は見えるのである。別々に見る時は同じ顔を写し取ったように思われる中将と源氏の並んでいるのを見ると、二人の美貌《びぼう》には異なった特色があった。源氏は薄色の直衣《のうし》の下に、白い支那《しな》風に見える地紋のつやつやと出た小袖《こそで》を着ていて、今も以前に変わらず艶《えん》に美しい。宰相中将は少し父よりは濃い直衣に、下は丁字《ちょうじ》染めのこげるほどにも薫物《たきもの》の香を染《し》ませた物や、白やを重ねて着ているのが、顔をことさら引き立てているように見えた。今日は御所からもたらされて灌仏《かんぶつ》が六条院でもあることになっていたが、導師の来るのが遅くなって、日が暮れてから各夫人付きの童女たちが見物のために南の町へ送られてきて、それぞれ変わった布施《ふせ》が夫人たちから出されたりした。御所の灌仏の作法と同じようにすべてのことが行なわれた。殿上役人である公達《きんだち》もおおぜい参会していたが、そうした人たちもかえって六条院でする作法のほうを晴れがましく考えられて、気おくれが出るふうであった。宰相中将は落ち着いてもいられなかった。化粧をよくして身なりを引き繕って新婦の所へ出かけるのであった。情人として扱われてはいないが、少しの関係は持っている若い女房などで恨めしく思っているのもあった。苦難を積んで護《まも》って来た年月が背景になっている若夫婦の間には水が洩《も》るほどの間隙《かんげき》もないのである。内大臣も婿にしていよいよ宰相中将の美点が明瞭《めいりょう》に見えて非常に大事がった。負けたほうは自分であると意識することで大臣の自尊心は傷つけられたのであるが、中将の娘に対する誠実さは、今までだれとの結婚談にも耳をかさず独身で通して来た点でも認められると思うことで、不満の償われることは十分であった。女御《にょご》よりもかえって雲井の雁のほうが幸福ではなやかな女性と見えるのを夫人や、そのほうの女房たちは不快がったのであるが、そんなことなどは何でもない。雲井の雁の実母である按察使《あぜち》大納言の夫人も、娘がよい婿を得たことで喜んだ。
 源氏の姫君の太子の宮へはいることはこの二十日《はつか》過ぎと日が決定した。姫君のために紫夫人は上賀茂《かみがも》の社《やしろ》へ参詣《さんけい》するのであったが、いつものように院内の夫人を誘ってみた。花散里《はなちるさと》、明石《あかし》などである。その人たちは紫夫人といっしょに出かけることはかえって自身の貧弱さを紫夫人に比べて人に見せるものであると思ってだれも参加しなかったから、たいして目に立つような参詣ぶりではなかったが、車が二十台ほどで、前駆も人数を多くはせずに人を精選してあった。それは祭りの日であったから、参詣したあとで一行は見物|桟敷《さじき》にはいって勅使の行列を見た。六条院の他の夫人たちのほうからも女房だけを車に乗せて祭り見物に出してあった。その車が皆桟敷の前に立て並べられたのである。あれはだれのほう、それは何夫人のほうの車と遠目にも知れるほど華奢《かしゃ》が尽くされてあった。源氏は中宮《ちゅうぐう》の母君である、六条の御息所《みやすどころ》の見物車が左大臣家の人々のために押しこわされた時の葵《あおい》祭りを思い出して夫人に語っていた。
「権勢をたのんでそうしたことをするのはいやなことだね。相手を見くびった人も、人の恨みにたたられたようになって亡《な》くなってしまったのですよ」
 と源氏はその点を曖昧《あいまい》に言って、
「残した人だってどうだろう、中将は人臣で少しずつ出世ができるだけの男だが、中宮は類のない御身分になっていられる。その時のことから言えば何という変わり方だろう。人生は元来そうしたものなのですよ。無常の世なのだから、生きている間はしたいようにして暮らしたいとは思うが、私の死んだあとであなたなどがにわかに寂しい暮らしをするようなことがあっては、かえって今|派手《はで》なことをしておかないほうがその場合に見苦しくないからと私はそんなことも思って、十分まで物はせずにいる」
 などと言ったのち源氏は高官なども桟敷《さじき》へ伺候して来るので男子席のほうへ出て行った。今日《きょう》近衛《このえ》の将官として加茂へ参向を命ぜられた勅使は頭《とうの》中将であった。内侍使いは藤典侍《とうないしのすけ》である。勅使の出発する内大臣家へ人々はまず集まったのであった。宮中からも東宮からも今日の勅使には特別な下され物があった。六条院からも贈り物があって、勅使の頭中将の背景の大きさが思われた。宰相中将はいでたちのせわしい場所へ使いを出して典侍へ手紙を送った。思い合った恋人どうしであったから、正当な夫人のできたことで典侍は悲観しているのである。

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何とかや今日のかざしよかつ見つつおぼめくまでもなりにけるかな

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想像もしなかったことです。
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 というのであった。自分のためには晴れの日であることに男が関心を持っていたことだけがうれしかったか、あわただしい中で、もう車に乗らねばならぬ時であったが、

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かざしてもかつたどらるる草の名は桂《かつら》を折りし人や知るらん

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博士《はかせ》でなければわからないでしょう。
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 と返事を書いた。ちょっとした手紙ではあったが、気のきいたものであると宰相中将は思った。この人とだけは隠れた恋人として結婚後も関係が続いていくらしい。
 姫君が東宮へ上がった時に母として始終紫の女王《にょおう》がついて行っていねばならないはずであるが、女王はそれに堪えまい、これを機会に明石《あかし》を姫君につけておくことにしようかと源氏は思った。紫夫人も、それが自然なことで、いずれそうした日のなければならない母と子が今のように引き分けられていることを明石夫人は悲しんでいるであろうし、姫君も幼年時代とは違ってもう今はそのことを飽き足らぬことと悲しんでいるであろう、双方から一人の自分が恨まれることは苦しいと思うようになった。
「この機会に真実のお母様をつけておあげなさいませ。まだ小さいのですから心配でなりませんのに、女房たちといっても若い人が多いのでございますからね。また乳母《めのと》たちといっても、ああした人たちの周到さには限度があるのですものね、母がいなければと思いますが、私がそうずっとつききっていられないあいだあいだはあの方がいてくだすったら安心ができると思います」
 と女王は良人《おっと》に言った。源氏は自身の心持ちと夫人の言葉とが一致したことを喜んで、明石へその話をした。明石は非常にうれしく思い、長い間の願いの実現される気がして、自身の女房たちの衣裳《いしょう》その他の用意を、紫夫人のするのに劣らず派手《はで》に仕度《したく》し始めた。姫君の祖母の尼君は姫君の出世をどこまでも観望したいと願っていた。そしてもう一度だけ顔を見たいと思う心から生き続けているのを、明石は哀れに思っていた。その機会だけは得られまいと思うからである。最初は紫夫人が付き添って行った。紫夫人には輦車《れんしゃ》も許されるであろうが、自身には御所のある場所を歩いて行かねばならない不体裁のあることなども、明石は自身のために歎《なげ》かずに源氏夫婦が磨《みが》きたてて太子に奉る姫君に、自分という生母のあることが玉の瑕《きず》と見られるに違いないと心苦しがっていた。姫君が上がる式に人目を驚かすような華奢《かしゃ》はしたくないと源氏は質素にしたつもりであったが、やはり並み並みのこととは見えなかった。限りもなく美しく姫君を仕立てて、紫夫人は真心からかわいくながめながらも、これを生母に譲らねばならぬようなことがなくて、真実の子として持ちたかったという気がした。源氏も宰相中将もこの一点だけを飽き足らず思った。
 三日たって紫の女王は退出するのであったが、代わるために明石が御所へ来た。そして東宮の御息所《みやすどころ》の桐壺《きりつぼ》の曹司《ぞうし》で二夫人ははじめて面会したのである。
「こんなに大人らしくおなりになった方で、私たちは長い以前からの知り合いであることが証明されるのですから、もう他人らしい遠慮はしないでおきたいと思います」
 となつかしいふうに紫夫人は言って、いろいろな話をした。これが初めで二夫人の友情は堅く結ばれていくであろうと思われた。明石のものを言う様子などに、あれだけにも源氏の愛を惹《ひ》く力のあるのは道理である、すばらしい人であると夫人にはうなずかれるところがあった。今が盛りの気高《けだか》い貴女と見える女王の美に明石は驚いていて、たくさんな女性の中で最も源氏から愛されて、第一夫人の栄誉を与えているのは道理のあることであると思ったが、同時に、この人と並ぶ夫人の地位を得ている自分の運命も悪いものでないという自信も持てたのであったが、入り代わって帰る女王はことさらはなばなしい人に付き添われ、輦車も許されて出て行く様子などは陛下の女御の勢いに変わらないのを見ては、さすがに溜息《ためいき》もつかれた。
 きれいな姫君を夢の中のような気持ちでながめながらも明石の涙はとまらなかった。しかしこれはうれしい涙であった。今までいろいろな場合に悲観して死にたい気のした命も、もっともっと長く生きねばならぬと思うような、朗らかな気分になることができて、いっさいが住吉《すみよし》の神の恩恵であると感謝されるのであった。理想的な教養が与えられてあって、足りない点などは何もないと見える姫君は、絶大な勢力のある源氏を父としているほかに、すぐれた麗質も備えていることで、若くいらせられる東宮ではあるがこの人を最も御|愛寵《あいちょう》あそばされた。東宮に侍している他の御息所《みやすどころ》付きの女房などは、源氏の正夫人でない生母が付き添っていることをこの御息所の瑕《きず》のように噂《うわさ》するのであるが、それに影響されるようなことは何もなかった。はなやかな空気が桐壺《きりつぼ》に作られて、芸術的なにおいをこの曹司で嗅《か》ぎうることを喜んで、殿上役人などもおもしろい遊び場と思い、ここのすぐれた女房を恋の対象にしてよく来るようになった。女房たちのとりなし、人への態度も洗練されたものであった。紫夫人も何かのおりには出て来た。それで明石との間がおいおい打ち解けていった。しかも明石はなれなれしさの過ぎるほどにも出過ぎたことなどはせず、紫夫人はまた相手を軽蔑《けいべつ》するようなことは少しもせずに怪しいほど雅致《がち》のある友情が聡明《そうめい》な二女性の間にかわされていた。源氏も、もう長くもいられないように思う自身の生きている間に、姫君を東宮へ奉りたいと思っていたことが、予期以上に都合よく実現されたし、それは彼自身に考えのあってのことではあるが、配偶者のない、たよりない男と見えた宰相中将も結婚して幸福になったことに安心して、もう出家をしてもよい時が来たと思われるのであった。紫夫人は気がかりであるが、養女の中宮がおいでになるから、何よりもそれが確かな寄りかかりである、また、姫君のためにも形式上の母は女王のほかにないわけであるから、仕えるのに誠意を持つことであろうからと源氏は思っているのであった。花散里《はなちるさと》のためには宰相中将がいるからよいとそれも安心していた。
 翌年源氏は四十になるのであったから、四十の賀宴の用意は朝廷をはじめとして所々でしていた。
 その秋三十九歳で源氏は準太上《じゅんだじょう》天皇の位をお得になった。官から支給されておいでになる物が多くなり、年官年爵の特権数がおふえになったのである。それでなくても自由でないことは何一つないのでおありになったが、古例どおりに院司などが、それぞれ任命されて、しかもどの場合の院付きの役人よりも有為な、勢いのある人々が選ばれたのであった。こんなことになって心安く御所へ行くことのおできにならないことになったのを六条院は物足らずお思いになった。この御処置をあそばしてもまだ帝は不満足に思召《おぼしめ》され、世間をはばかるために位をお譲りになることのできぬことを朝夕お歎《なげ》きになった。
 内大臣が太政大臣になって、宰相中将は中納言になった。任官の礼廻りをするために出かける中納言はいっそう光彩の添うた気がして、身のとりなし、容貌《ようぼう》の美に欠けた点のないのを、舅《しゅうと》の大臣は見て、後宮の競争に負けた形になっているような宮仕えをさせるよりも、こうした婿をとるほうがよいことであるという気になった。雲井《くもい》の雁《かり》の乳母《めのと》の大輔《たゆう》が、
「姫君は六位の男と結婚をなさる御運だった」
 とつぶやいた夜のことが中納言にはよく思い出されるのであったから、美しい白菊が紫を帯びて来た枝を大輔に渡して、

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「あさみどりわか葉の菊をつゆにても濃き紫の色とかけきや
[#ここで字下げ終わり]

 みじめな立場にいて聞いたあなたの言葉は忘れないよ」
 と朗らかに微笑して言った。乳母《めのと》は恥ずかしくも思ったが、気の毒なことだったとも思いおかわいらしい恨みであるとも思った。

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「二葉より名だたる園の菊なればあさき色わく露もなかりき
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 どんなに憎らしく思召《おぼしめ》したでしょう」
 と物|馴《な》れたふうに言って心苦しがった。納言になったために来客も多くなり、この住居《すまい》が不便になって、源中納言はお亡《な》くなりになった祖母の宮の三条殿へ引き移った。少し荒れていたのをよく修理して、宮の住んでおいでになった御殿の装飾を新しくして夫婦のいる所にした。二人にとっては昔を取り返しえた気のする家である。庭の木の小さかったのが大きくなって広い蔭《かげ》を作るようになっていたり、ひとむら薄《すすき》が思うぞんぶんに拡《ひろ》がってしまったりしたのを整理させ、流れの水草を掻《か》き取らせもして快いながめもできるようになった。
 美しい夕方の庭の景色《けしき》を二人でながめながら、冷たい手に引き分けられてしまった少年の日の恋の思い出を語っていたが、恋しく思われることもまた多かった。当時の女房たちは自分をどう思って見たであろうと雲井の雁は恥ずかしく思っていた。祖母の宮に付いていた女房で、今までまだそれぞれの部屋《へや》に住んでいた女房などが出て来て、新夫婦がここへ住むことになったのを喜んでいた。
 源中納言、

[#ここから2字下げ]
なれこそは岩もるあるじ見し人の行くへは知るや宿の真清水《ましみづ》
[#ここで字下げ終わり]

 夫人、

[#ここから2字下げ]
なき人は影だに見えずつれなくて心をやれるいさらゐの水
[#ここで字下げ終わり]

 などと言い合っている時に、太政大臣は宮中から出た帰途にこの家の前を通って、紅葉《もみじ》の色に促されて立ち寄った。宮がお住まいになった当時にも変わらず、幾つの棟《むね》に分かれた建物を上手《じょうず》にはなやかに住みなしているのを見て大臣の心はしんみりと濡《ぬ》れていった。中納言は美しい顔を少し赤らめて舅《しゅうと》の前にいた。美しい若夫婦ではあるが、女のほうはこれほどの容貌《ようぼう》がほかにないわけはないと見える程度の美人であった。男はあくまでもきれいであった。老いた女房などは大臣の来訪に得意な気持ちになって、古い古い時代の話などをし出すのであった。そこに出たままになっていた二人の歌の書いた紙を取って、大臣は読んだが、しおれたふうになった。
「ここの水に聞きたいことが私にもあるが、今日は縁起を祝ってそれを言わないことにしよう」
 と言って、大臣は、

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そのかみの老い木はうべも朽ちにけり植ゑし小松も苔《こけ》生《お》ひにけり
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 この歌を告げた。中納言の乳母《めのと》の宰相の君は、あの当時の大臣の処置に憤慨して、今も恨めしがっているのであったから、得意な気持ちで大臣に言った。

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いづれをも蔭《かげ》とぞ頼む二葉より根ざしかはせる松の末々
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 この感想がどの女房の歌にも出てくるのを中納言は快く思った。雲井の雁はむやみに顔が赤くなって恥ずかしくてならなかった。
 十月の二十日過ぎに六条院へ行幸《みゆき》があった。興の多い日になることを予期されて、主人の院は朱雀《すざく》院をも御招待あそばされたのであったから、珍しい盛儀であると世人も思ってこの日を待っていた。六条院では遺漏のない準備ができていた。午前十時に行幸があって、初めに馬場殿へ入御《にゅうぎょ》になった。左馬寮《さまりょう》、右馬寮《うまりょう》の馬が前庭に並べられ、左近衛《さこんえ》、右近衛《うこんえ》の武官がそれに添って列立した形は五月の節会《せちえ》の作法によく似ていた。午後二時に南の寝殿へお移りになったのであるが、その通御の道になる反橋《そりはし》や渡殿《わたどの》には錦《にしき》を敷いて、あらわに思われる所は幕を引いて隠してあった。東の池に船などを浮《う》けて、御所の鵜《う》飼い役人、院の鵜飼いの者に鵜を下《お》ろさせてお置きになった。小さい鮒《ふな》などを鵜は取った。叡覧《えいらん》に供えるというほどのことではなく、お通りすがりの興におさせになったのである。山の紅葉《もみじ》はどこのも美しいのであるが、西の町の庭はことさらにすぐれた色を見せているのを、南の町との間の廊の壁をくずさせ、中門をあけて、お目をさえぎる物を省いて御覧にお供えになったのであった。二つの御座《おまし》が上に設けられてあって、主人の院の御座が下がって作られてあったのを、宣旨《せんじ》があってお直させになった。これこそ限りもない光栄であるとお見えになるのであるが、帝《みかど》の御心《みこころ》にはなお一段六条院を尊んでお扱いになれないことを残念に思召《おぼしめ》した。
 池の魚を載せた台を左近少将が持ち、蔵人所《くろうどどころ》の鷹飼《たかが》いが北野で狩猟してきた一つがいの鳥を右近少将がささげて、寝殿の東のほうから南の庭へ出て、階段《きざはし》の左右に膝《ひざ》をついて献上の趣を奏上した。太政大臣が命じてそれを大御肴《おおみさかな》に調べさせた。親王がた、高官たちの饗膳《きょうぜん》にも、常の様式を変えた珍しい料理が供えられたのである。人々は陶然と酔って夕べに近いころ、伶人《れいじん》が召し出された。大楽というほどの大がかりなものでなく、感じのよいほどの奏楽の前で御所の侍童たちが舞った。朱雀《すざく》院の紅葉《もみじ》の賀の日がだれにも思い出された。「賀王恩《がおうおん》」という曲が奏されて、太政大臣の子息の十歳ぐらいの子が非常におもしろく舞った。帝は御衣を脱《ぬ》いで賜い、父の太政大臣が階前でお礼の舞踏をした。主人の院はお折らせになった菊を大臣へお授けになるのであったが、青海波《せいがいは》の時を思い出しておいでになった。

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色まさる籬《まがき》の菊もをりをりに袖《そで》打ちかけし秋を恋ふらし
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 当時ごいっしょに舞った大臣は、自身も人にすぐれた幸福は得ていながらも、帝の御子であらせられた院の到達された所と自身とは非常な相違のあることに気がついた。時雨《しぐれ》は彼の出て来るおりをうかがっていたようにはらはらと降りそそいだ。

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「紫の雲にまがへる菊の花濁りなき世の星かとぞ見る
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 最もふさわしい時に咲いた花でございます」
 と大臣は院へ申し上げた。夕風が蒔《ま》き敷く紅葉のいろいろと、遠い渡殿《わたどの》に敷かれた錦《にしき》の濃淡と、どれがどれとも見分けられない庭のほうに、美しい貴族の家の子などが、白橡《しろつるばみ》、臙脂《えんじ》、赤紫などの上着を着て、ほんの額だけにみずらを結い、短い曲をほのかに舞って紅葉の木蔭《こかげ》へはいって行く、こんなことが夜の闇《やみ》に消されてしまうかと惜しまれた。奏楽所などは大形《おおぎょう》に作ってはなくて、すぐに御前での管絃《かんげん》の合奏が始まった。御書所の役人に御物の楽器が召された。夜がおもしろく更《ふ》けたころに楽器類が御前にそろった。「宇陀《うだ》の法師」の昔のままの音を朱雀《すざく》院は珍しくお聞きになり、身にしむようにもお感じになった。

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秋をへて時雨ふりぬる里人もかかる紅葉《もみじ》の折りをこそみね
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 現今の御境遇を寂しがっておいでになるような御製である。
 帝が、

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世の常の紅葉とや見るいにしへのためしにひける庭の錦を
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 と朱雀院へ御説明的に申された。帝の御容貌はますますお美しくおなりになるばかりであった。今ではまったく六条院と同じお顔にお見えになるのであるが、侍している源中納言の顔までが同じ物に見えるのは、この人として過分なしあわせであった。気高《けだか》い美が思いなしによるのかいささか劣って見えた。鮮明にきわだってきれいな所などはこの人がよけいに持っているように見えた。この人は笛の役をしたのである。合奏は非常におもしろく進んでいった。歌の役を勤める殿上人は階段の所に集まっていたが、その中で弁《べん》の少将の声が最もすぐれていた。
 前生の善果を持って生まれてきたような人たちというべきであろう。

藤のうら葉 版本说明

底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
   1994(平成6)年6月15日39版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年1月15日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:kompass
2003年9月8日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

34 若菜(上)

[#地から3字上げ]たちまちに知らぬ花さくおぼつかな天《あめ》
[#地から3字上げ]よりこしをうたがはねども (晶子)

 あの六条院の行幸《みゆき》のあった直後から朱雀《すざく》院の帝《みかど》は御病気になっておいでになった。平生から御病身な方ではあったが、今度の病におなりになってからは非常に心細く前途を思召《おぼしめ》すのであった。
「私はもうずっと以前から信仰生活にはいりたかったのだが、太后がおいでになる間は自身の感情のおもむくままなことができないで今日に及んだのだが、これも仏の御催促なのか、もう余命のいくばくもないことばかりが思われてならない」
 などと仰せになって、御出家をあそばされる場合の用意をしておいでになった。皇子は東宮のほかに女宮様がただけが四人おいでになった。その中で藤壺《ふじつぼ》の女御《にょご》と以前言われていたのは三代前の帝の皇女で源姓《みなもとせい》を得た人であるが、院がまだ東宮でいらせられた時代から侍していて、后《きさき》の位にも上ってよい人であったが、たいした後援をする人たちもなく、母方といっても無勢力で、更衣《こうい》から生まれた人だったから、競争のはげしい後宮の生活もこの人には苦しそうであって、一方では皇太后が尚侍《ないしのかみ》をお入れになって、第一人者の位置をそれ以外の人に与えまいという強い援助をなされたのであったから、帝も御心《みこころ》の中では愍然《びんぜん》に思召しながら后に擬してお考えになることもなく、しかもお若くて御退位をあそばされたあとでは、藤壺の女御にもう光明の夢を作らせる日もなくて、女御は悲観をしたままで病気になり薨去《こうきょ》したが、その人のお生みした女三《にょさん》の宮《みや》を御子《みこ》の中のだれよりも院はお愛しになった。このころは十三、四でいらせられる。世の中を捨てて山寺へはいったあとに、残された内親王はだれをたよりに暮らすかと思召されることが院の第一の御苦痛であった。西山に御堂《みどう》の御建築ができて、お移りになる用意をあそばしながらも、一方では女三の宮の裳着《もぎ》の挙式の仕度《したく》をさせておいでになった。貴重な多くの御財産、美術の価値のあるお品々などはもとより、楽器や遊戯の具なども名品に近いような物は皆この宮へお譲りになって、その他の御財産、お道具類を他の宮がたへ御分配あそばされた。
 東宮は院の重い御病気と、御出家の御用意のあることをお聞きになって、お見舞いの行啓をあそばされた。母君の女御もお付き添いして行った。殊寵《しゅちょう》があったわけではないが、東宮の御母となる宿縁のあった人を御尊重あそばされて、院はこの方にもこまやかにお話をあそばされた。東宮にも帝王とおなりになる日のお心得事などをお教えあそばされるのであった。御|年齢《とし》よりも大人《おとな》びておいでになったし、御後援をする人が母方のそばにも多くある方であったから、院は御安心をしておいでになるのである。
「私はもうこの世に遺憾だと心に残るようなこともない。ただ内親王たちが幾人もいることで将来どうなるかと案ぜられることは、今の場合だけでなくこの世を離れる際にも絆《ほだし》になるであろうと思われる。今まで一般の世の中に見ていても、女というものは、その人の意志でもなしに、ほかから働きかける者のために悪名も立てられ、恥辱も受けるような運命になっていくのがかわいそうだ。どの姉妹《きょうだい》にもあなたの御代《みよ》が来た時にはあたたかい庇護を加えてやってもらいたい。その中でも後見をする母などのついている者は託して行く所があるような気もしてまずいいが、女三の宮は年のゆかないのに母のない内親王なのだから、私だけをたよりにして育ってきたことを思うと、私が寺へはいったあとではどんな心細い身の上になることかと気がかりでならない」
 と、涙をお拭《ぬぐ》いになりながら東宮へ後事をお頼みになるのであった。母君の女御にも信じ切ったようにして院は女三の宮のことを仰せになった。とはいっても昔宮中にあった時代には、内親王の御母の女御は格別な御|寵愛《ちょうあい》を得ていて、この方にとっては強力な競争者だったのであるから、その宮にまで憎悪《ぞうお》を持つわけはないが真心からお世話をする気にはなれなかったであろうと想像される。
 院は明けても暮れても女三の宮の将来についてばかり御心配をあそばされるせいもあって、年末が近づいてから御容態がいちじるしくお悪くなり、御簾《みす》の外へおいでになることもなくなった。これまでも妖気《もののけ》がもとでおりおりお煩《わずら》いになることはあっても、こんなに続いて永《なが》く御容態のすぐれぬようなことはなかったのであるから、御自身では御命数の尽きる世が来たというように解釈をあそばすのであった。御退位になってからも御在位時代に恩顧を受けた人たちは、今も優しく寛容な御性質をお慕い申し上げて、屈託なことのある時の慰安を賜わる所のようにして参候する慣《なら》いになっていて、その人たちは院の御悩《ごのう》の重いのを皆心から惜しみ悲しんでいた。六条院からもお見舞いの使いが常に来た。そのうち御自身でもおいでになりたいという御通知のあった時、院は非常にお喜びになった。六条院の御子の源中納言が参院した時に、御病室の御簾《みす》の中へお招きになり、朱雀《すざく》院はいろいろなお話をあそばされた。
「お崩《かく》れになった陛下が御|終焉《しゅうえん》の前に私へいろいろな御遺言をなされたのだが、その中で特に六条院と今の陛下のことについては熱心に仰せられて私へお託しになったのだが、帝王というものになっては、自分の意志を単純に実行へ移すことのできない点があってね。個人としての愛は少しも変わらなかったが、しかも私の過失によって、あの方にとって私が恨めしかっただろうと思うこともしたのに、今日までそれに対する復讐的なことは何の端にもお見せにならない。どんな賢人でも自身の問題になると恨むことも憎むことも凡人どおりにすることからいろいろな事件の起こるのは歴史の上にあることだからね。機会があれば私への復讐が姿になって現われることであろうと、世人も言うことだったし、私自身も罰を受ける気でいたのだが、あの方に見たのは絶対の愛だけだった。東宮などにも好意をお寄せになったり、また現在では婿舅《むこしゅうと》の関係までも作っていただいているのを私はどんなに感激しているかしれないが、愚かな上に盲目的な親の愛までも暴露してお目にかけることも恥ずかしくて、父である私が東宮に対してかえって冷淡なふうをしている。陛下のことは院の御遺言どおりに万事計らって位をお譲り申し上げたから、この聖天子を国民がいただきうることになり、私の不名誉まで取り返していただいている。これだけは意志を強くして遂行なしえた善事だと信じて満足している。六条院にこの秋の行幸の節にお目にかかった時から、私の心にはしきりに青春時代の兄弟間の愛が再燃してお目にかかりたくてならない。直接お目にかかってお話し申したいこともある。ぜひ御自身でおいでくださるようにあなたからもお勧めしてほしい」
 などとしおれたふうで院が仰せられたのである。
「御過失でございましたか、正当な御処置でございましたか、昔のことは今になって御批評の申し上げようもございません。私が大人になりまして一官吏の職を奉じますようになりましてから、私のために院がいろいろの注意を実例によってお与えくださいます際などにも、自分は冤罪《えんざい》によってどんなことが過去にあったというようなことを少しでも仰せになることはございません。一生を通じて陛下の御補佐をすべきであるのを、人生を静かに考えたい欲求から中途で閑散な地位に移らせていただいたために、故院の御遺言もお守りできぬことになり、またあなた様に対しては御在位の節には若輩であり、力もなく、上のかたがたが多くおいでにもなって、御自身の至誠をお尽くしする機会がなかったと申されまして、静かな御環境においでになります今日はせめてたびたび御訪問も申し上げてお話も承りたいのを、さすがに事の大仰《おおぎょう》になるのに遠慮されて御無沙汰《ごぶさた》を申し上げているとこんなことをおりおり歎息《たんそく》しておいでになるのでございます」
 などと中納言は申し上げた。二十歳《はたち》に少し足らぬのであるが、すべてが整って美しいこの人に院の御目はとまって、じっと顔をおながめになりながら、どう処置すべきかと御|煩悶《はんもん》あそばされる姫宮を、この中納言に嫁《とつ》がせたならと人知れず思召《おぼしめ》された。
「太政大臣の家に行っているそうだね。長い間私なども大臣の態度を腑《ふ》に落ちなく思っていたところ、円満な結果を得てよいことと思っているが、またどうしたことか大臣がうらやまれもしてね」
 との院の仰せを不思議に思って中納言は考えてみたが、それは女三の宮のお身の上をとやかくとお案じになって、相当な人があれば結婚をさせて安心して宗教の中へはいりたいという思召《おぼしめ》しが院におありになるということがほかから耳にもはいっていたことであったから、その問題に触れて仰せられることかと気がついたものの、呑《の》み込み顔なお返辞はできないことであった。ただ、
「つまらない者でございますから、配偶者を得ますこともとかく困難でございまして」
 と申し上げるのにとどめた。
 のぞき見をしていた若い女房たちが、
「珍しい美男でいらっしゃる。御様子だってねえ、なんというごりっぱさでしょう」
 集まってこんなことを言っているのを、聞いていた老《ふ》けたほうに属する女房らが、
「それでも六条院様のあのお年ごろのおきれいさというものはそんなものではありませんでしたよ。比較には、まあなりませんね、それはね、目もくらんでしまうほどお美しかったものですよ」
 と言っても、若い人たちは承知をしない。こうした争いのお耳にはいった院が、
「そのとおりだよ。あの人の美は普通の美の標準にはあてはまらないものだった。近ごろはまたいっそうりっぱになられて光彩そのもののような気がする。正しくしていられれば端麗であるし、打ち解けて冗談《じょうだん》でも言われる時には愛嬌《あいきょう》があふれて、二人とないなつかしさが出てくる。何事にもどうした前生の大きな報いを得ておられる人かとすぐれた点から想像させられる人だ。宮廷で育って、帝王の愛を一身に集めるような幸福さがあって、まったくだよ。故院は御自身の命にも代えたいほど御大切にあそばしたものだが、それで慢心せず謙遜《けんそん》で、二十歳《はたち》までには納言にもならなかった。二十一になって参議で大将を兼ねたかと思う。それに比べると中納言の官等の上がり方は早い。子になり孫になりして威福の盛んになる家らしい。実際中納言は秀才であり、確かな教養を受けている点で昔の光源氏にあまり劣るまい。父君の昔に越えて幸福な道を踏んでもそれが不当とも思えない偉さが彼《あれ》にある」
 と御|甥《おい》をほめておいでになった。可憐《かれん》な姫宮の美しく無邪気な御様子を御覧になっては、
「十分愛してくれて、足りない所は蔭《かげ》で教育してくれるような、そして安心して託せるような人を婿に選びたい気がする」
 などと仰せられた。
 乳母《めのと》の中でも上級な人たちをお呼び出しになって、裳着《もぎ》の式の用意についていろいろお命じになることのあったついでに、院は、
「六条院が式部卿《しきぶきょう》の宮の女王《にょおう》を育て上げられたようにして、この宮の世話をする男はないのだろうか。普通人の中に私が選び出すような人格者はまずないらしい。宮中には中宮《ちゅうぐう》がおいでになる。その下の女御《にょご》たちもよい後援者のついている人ばかりだからね。たいした後ろだてがなくて後宮の生活をするのは苦労の多いことに違いない。今日の権中納言が独身でいたころに話をしてみるのだった。若いがりっぱな秀才で将来の頼もしい人らしいのに」
 こんなこともお言いになった。
「中納言は初めからまじめ一方な方でございますから、今までも初恋のあの奥様のことばかりを思いつめて、失恋時代にもほかの話に耳をかさなかった人でございました。そのお姫様とごいっしょにおなりになったただ今では、第二の結婚のお話があの方を動かしうるものでもございますまい。私どもはかえって六条院様にその可能性がおありになるように存じ上げます。恋愛好きで女性に好奇心をお持ちになることは今も昔のままのようだと申すことでございます。その中でも最高の貴女に趣味をお持ちあそばして、前斎院様などを今になっても思っておいでになるそうでございます」
 と女宮の乳母の一人が申し上げた。
「その今でも恋愛好きである点はありがたくないことだね」
 院はこう仰せられたが、乳母が言うように六条院には多くの夫人や愛人があって、唯一の妻と認めさせることはできないでも、やはりその人を親代わりの良人《おっと》に選ぶのが最善のことであるかもしれぬというお考えを院はあそばしたようである。
「おまえの言うことはおもしろいよ。よい生き方をさせたいと思う女の子があって、配偶を求めるなら、あの院に愛されることを願うのがほんとうのようだ。人生は短いのだから、生きがいのあることをだれも願うべきだよ。私が女であれば兄弟であっても兄弟以上の接近もすることだろう。真実若い時に私はそう思ったのだ。そうなのだから女が誘惑にかかるのは道理で、また自然なことなのだよ」
 院は御心《みこころ》の中に尚侍《ないしのかみ》の事件を思い出しておいでになった。
 この中の最も重立った一人の乳母《めのと》の兄で、左中弁の某《なにがし》は六条院の恩顧を受けて、親しくお出入りしていたが、一方ではこの姫宮を尊敬する伺候者の一人であった。この人の来た時に妹である乳母が朱雀《すざく》院の御希望を語った。
「この話をあなたから六条院様に機会《おり》がありましたら申し上げてみてください。内親王様は一生御独身が原則のようですが、婿君としてどんな場合にもお力の借りられる方をお持ちになるのは、御独身の宮様よりも頼もしく思われます。院のほかに誠意のあるお世話をお受けになる方をお持ちあそばさない宮様ですからね。私がどんなにお愛し申し上げていましても、それは限りのあることしかできないのですもの。それに私一人がお付きしているのでなくておおぜいの人がいるのですから、だれがいつどんな不心得をして失礼な媒介役を勤めるかもしれません。そしてどんな御不幸なことになるかわかりません。院がおいでになりますうちにこの問題が決まりますれば私は安心ができてどんなに楽だろうと思います。尊貴な方でも女の運命は予想することができませんから不安で不安でなりません。幾人《いくたり》もおいでになる姫宮の中で特別に御秘蔵にあそばすことで、また嫉妬《しっと》をお受けになることにもなりますから、私は気が気でもありません」
「お話はしますがよい結果が得られることかどうか。院は御恋愛の上で飽きやすいとか、気がよく変わるとかいうことはない方で、珍しい篤実性を持っておられます。仮にも愛人になすった人は、お気に入った入らぬにかかわらず皆それ相応に居場所を作っておあげになって、幾人《いくたり》もの御夫人、愛姫というものを持っておいでになるというものの、煎《せん》じつめれば愛しておいでになる夫人はお一人だけということになる方がおいでになるのだから、そのために同じ院内においでになるというだけで寂しい思いをして暮らしておられる方も多いようですからね。もし御縁があって姫宮があちらへお移りになった場合には、紫の女王様がどんなにすぐれた奥様でも、これにお勝ちになることは不可能でしょうとは思いますが、あるいは必ずしもそういかない場合も想像されます。しかしまた院が、自分はすべての幸福に恵まれているが、熱愛では人の批難を受けもしているし、私自身にも不満足を感じる点もあると何かの場合にお洩《も》らしになるが、私らとしてもそう思われる節《ふし》がないでもない。夫人がたといっても今までの方はただの女性で、内親王がたが一人も混じっておいでになりませんからね。私らとしては院の御身分として姫宮様級の御夫人があってしかるべきだと思われますからね。今度のことが実現されたらどんなにすばらしい御夫妻だろう」
 と左中弁は言うのであった。乳母《めのと》は何かのことを朱雀《すざく》院へ申し上げたついでに、自分が試みに前日兄の左中弁へした話を申し上げて、
「兄が申しますのには院は必ず御承諾あそばされることと思う。六条院は年来の御希望がかなうことと思召《おぼしめ》すに違いない御縁談であるから、こちらのお許しさえあればお伝えいたしましょうと申しました。どういたしたらよろしゅうございましょう。御愛人にはそれぞれの御身分に応じた御待遇をあそばしまして、思いやりの深いお方様と承りますけれど、普通の女の方でもほかに愛妻のある方と結婚をすることを幸福とはいたさないのでございますから、御不快な思いをあそばすことがないとも思われません。姫宮様をいただきたいと望む人はほかにもたくさんあるのでございますから、よくお考えあそばしましてお決めなさいますのがよろしゅうございましょう。宮様は最も尊貴な御身分でいらっしゃいますが、ただ今の世の中ではりりしく独身生活をりっぱにしていく婦人がたもありますのに、三の宮様はどうもその点で御安心申し上げられない強さが欠けておいであそばすのですから、私たち侍女どもは一所懸命の御奉仕をいたしましても、それはたいした宮様のお力になることでもございませんから、世間の女の例によって、変則な独身でお立ちになろうとあそばさないで、御結婚をあそばすほうが御安心のおできになることと存じます。特別な御後見をなさいます方のないのはお心細いことでないかと存じ上げます」
 と、自身の意見も述べた。
「私も宮のことをいろいろと考えて、内親王は神聖なものとしておきたくも思うし、また高い身分の者も結婚したがために、内輪のことも世評に上るようになるし、しないでよいはずの煩悶《はんもん》で自身を苦しめることにもなるのだからと否定に傾きもするのだが、また親兄弟にも別れたあとで、女が独身でいては、昔の時代の人は神聖なものは神聖なものとしておいたが、近代の男はそれを無視して強要的な結婚を行なうのに躊躇《ちゅうちょ》しない悪徳を平気でするようになったために、いろんな噂《うわさ》の種もまくのだがね。昨日《きのう》までは尊貴な親の娘として尊敬されていた人が、つまらぬ男にだまされて浮き名を立て、ある者は死んだ親の名誉をそこなうという類《たぐい》の話は幾つもあるから、姫宮であっても女であれば同じことで、宿命などということはことにわからぬものだから、私が配偶者を選ばずに捨てておくことは不安だとも一方では考えられる。良くなっても悪くなっても、それは自発的に決めたことでなくて親や兄が選んだ結婚をしておれば、悪いことがあとにあってもその人の責任にはならないで済むし、恋愛結婚のあとが良くなれば、ああしたことの結果も良くなるものであるとは見えても、その初めに噂の広まったころには、親の同意も得ず、家族も許さないのに恋愛をして良人《おっと》を持ったということは女の第一の恥と聞こえるからね。それは普通の家の娘の場合でも軽佻《けいちょう》に思われることに違いない。また自分は自分の身体《からだ》の持ち主であるのに、それを暴力で蹂躪《じゅうりん》された結果、意外な男の妻になるようなことも軽率で、その女を侮蔑《ぶべつ》したくなるが、姫宮も元来弱い、隙《すき》の見える性質ではないかと私は心配しているのだから、侍女どもが勝手なことを宮に押しつけるようなことをさせてはならないよ。そんな噂が世間へ聞こえては恥ずかしいからね」
 などとお別れになったあとのことまでもお案じになって仰せられることで、乳母たち、女房たちは責任の重さを苦労に思った。
「もう少し大人になられるまで私がついていたいと、今まで念じ続けてきたものだが、このごろの健康状態でそうしていては、信仰生活にはいることもできずに死んでしまうのではないかという気がされるので、やむをえず出家を断行することにした。六条院に託しておくのが、なんといってもいちばん安心のできることだと思う。幾人《いくたり》も侍している夫人はあってもそれをいちいち念頭に置いてゆかねばならぬことでもなし、ただ主観的にこちらさえ寛大な心を持って臨めばよいことなのだ。はなやかな時代も過ぎて平淡な心境におられるあの院に三の宮の良人《おっと》となっていただくことは最も安心なことだと私は認めている。そのほかに適当な候補者はないよ。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は風采《ふうさい》も人物もひととおりはりっぱな人だがね、それに私としては兄弟のことだから他人のようにひどい批評はできないものの、とにかくあの人はあまりに柔弱で、芸術家に傾き過ぎて、世間の信望が少し薄いようだ。そんなふうな人は良人として頼もしくは思われない。また大納言が臣礼をもって奉仕しようというのは親切な男というべきだが、さてそれに許してやる気にはちょっとなれない。やはり普通の男の妻には与えにくい気がする。昔の時代にも帝王の婿にはある一事の傑出した人物が選ばれたようだ。ただ都合のよいというようなことで人選をするのは恥ずかしいことだ。右衛門督《うえもんのかみ》がやはりその希望を持っているということを尚侍《ないしのかみ》が言っていたが、あれだけはすぐれた人物だから、官位がもう少し進んでいたら私も大いに考慮するが、まだ今のところでは地位が不十分だ。理想が高くてだれとも結婚をせずにまだ独身でいて思い上がった精神が実によい。学問も相当なものだし、廟堂《びょうどう》に立って仕事のできる点で将来も有望だが、私には愛女の婿はそれでもないという心がある。相当に濃厚にある」
 こんなふうに仰せられて院はお心を悩ませておいでになった。多い候補者の中の婿選びを困難に思召《おぼしめ》す女三《にょさん》の宮《みや》以外の姉宮がたに求婚をする人はさてないのである。院がどんなにその一方《ひとかた》をお愛しになって、よい配偶をお決めになることに専心しておいでになるかということが、院内から自然に外へ聞こえ、自身を候補に擬しているものが多いのである。太政大臣も長男の右衛門督がまだ独身でいて、妻は内親王でなければ結婚はせぬと思うふうであるから、御降嫁が決定してだれもがお許しを願って出た時に、院の御婿に長男が選ばれたなら、どんなに自身のためにも光栄であるかしれないと考え、院の御|寵姫《ちょうき》の尚侍の所へは、その人の姉である夫人から言わせて運動もし、一方では直接お話も申し上げて懇請もしていた。兵部卿の宮は左大将の夫人に失恋をあそばされたのであるから、その夫婦に対してもりっぱでない結婚はできないようにお思いになって、夫人を選んでおいでになる場合であったから、お心の動かないわけはない。非常に熱心な求婚者で宮はおありになった。藤《とう》大納言は長い間院の別当をしていて、親しく奉仕して来た人であったから、院が御寺《みてら》へおはいりになれば有力な保護者を失いたてまつることになるのを、内親王と結婚をして今後も地位の保証を得たいという功利的な考えからしきりにお許しを乞《こ》うているのであった。源《げん》中納言も院の御婿の候補者が続出するのを見ては、この人には間接でなく、あれほどにも明瞭《めいりょう》に御意のあるところをお見せになったのであるから、中間によい人を得て姫宮をお望み申し上げた場合には冷淡な態度を院はおとりになるまいという自信もあって、心がときめきもするのであるが、自身を信頼している妻を見ては、過ぎ去ったあの苦しい境地に置かれて、もう絶縁をしてもよかった時代にさえなお自分はこの人以外の女を対象として考えようともせず通して来て、二度目の結婚を今さらすればにわかに妻は物思いをすることになろうし、一方が尊貴な人であれば自分の行動は束縛されて、思っていてもこちらを同じに扱うことができずに、左にも右にも不平があれば自分は苦しいことであろうという気になって、元来が多情な人ではないのであるから、動く心をしいておさえて何とも表面へは出さないのであるが、さすがに姫宮の婚約が他人と成り立つことは願われないで、この人のためには一つの心を離れぬ問題にはなった。東宮もこの婿選びのことをお聞きになって、
「目前のことよりも、そうしたことは後世への手本にもなることですから、よくお考えになった上で人を選定あそばされるがよろしく思われます。どんなにりっぱな人物でも普通人は普通人なのですから、結局は六条院へお託しになるのが最善のことと考えます」
 とこれは表だった使いで進言されたのではないが、ある人をもって申された。
「もっともな意見だ。非常によい忠告だ」
 院はこうお言いになって、いよいよその心におなりになり、まず三の宮のお乳母《めのと》の兄である左中弁から六条院へあらましの話をおさせになった。女三の宮の結婚問題で院が御心痛をしておいでになることは以前から聞いておいでになったから、
「御同情する。お気の毒に存じ上げている。しかし院が御生命の不安をお感じになったとすれば、私だって同じことなのだからね。どれだけあとへお残りする自信をもって御後事がお引き受けできると思うかね。御兄が先で、弟があとというそれも決まっていもせぬことを仮にそうとして私が何年かでも生き残っている間は、どの宮だって血縁のある方なのだから私はできるだけの御保護はするつもりなのに、しかも特別お心がかりに思召《おぼしめ》す方にはまた特別のお世話もするが、しかしそれだって無常の人生なのだから、自分の生命《いのち》が受け合われない」
 とお言いになって、また、
「まして私の妻にしておくことはどんなによくないことかしれない。私が院に続いて亡《な》くなる時に、どんなにまたそれが私の気がかりになることか。私だけのことを考えても執着の残ることで、なすべきことでないと思われる。私の子の中納言などは年も若くて軽い身分であっても、将来のある人物だからね。国家の柱石となる可能性を持っているのだから、中納言などへ御降嫁になってもそれが調和のとれないこととは思われない。しかしあまりにまじめ過ぎる男で、一人の妻と円満に家庭を持っているということで院は御遠慮になるだろうか」
 こうもお言いになって、御自身の結婚問題としてお取り上げにならないのを弁は見て、朱雀《すざく》院のほうでは堅い御決意で申し入れをさせておいでになるのであるがと残念にも思い、朱雀院をお気の毒にも思って、あちらの院がこのことの成り立つのを熱望しておいでになる事情をくわしく申し上げると、さすがに院は微笑をされて、
「非常な御愛子なのだろうから、いろいろと将来を御心配になってのお考えだろう。宮中へお上げになればいいではないか。りっぱな後宮のかたがたがすでにおられるからといって、望みのないもののように思われるのは誤りだよ。故院の時に皇太后が東宮時代からの最初の女御《にょご》で、たいした勢力を持っておいでになったが、それがずっとのちにお上がりになった入道の宮様にその当時はけおとされておしまいになった例もあるのだからね。その宮の母君の女御は入道の宮のお妹さんだった。御容貌なども入道の宮に続いてお美しいという評判のあった方だから、御両親のどちらに似てもこの宮は平凡な美人ではおありになるまい」
 などと言っておいでになった。好奇心は持っておいでになるらしいのである。
 歳暮に近くなった。朱雀院では院の御病気がそのまま続いてお悪いために、姫宮の裳着《もぎ》の式をお急ぎになり、準備をいろいろとさせておいでになったが、過去にも未来にもないような華美なお儀式になる模様で、だれもだれも騒ぎ立っていた。式場は院の栢殿《かえどの》の西向きのお座敷で御帳《おんとばり》、几帳《きちょう》その他に用いられた物も日本の織物はいっさいお使いにならず唐の后《きさき》の居室の飾りを模《うつ》して、派手《はで》で、りっぱで、輝くようにでき上がっていた。御腰|結《ゆ》いの役を太政大臣へ前から依頼しておありになったが、もったいぶったこの人は気は進まないままで、院のお言葉には昔からそむくことのなかったほど好意をお示しする用意は常に持って、御辞退ができずに参列したのであった。そのほかの左右二大臣、高官らも万障を排し病気もしいて忍ぶまでにして座に加わったものである。親王様はお八方来ておいでになった。いうまでもなく殿上人の数は多かった。宮中の奉仕をする者も東宮の御殿へお勤めする者も残らず集まったのであって、盛大なお儀式と見えた。やがて出家をあそばされようとする院の最後のお催し事と見ておいでになって、帝も東宮も御同情になり宮中の納殿《おさめどの》の支那《しな》渡来の物を多く御寄贈になったのであった。六条院からも多くの御贈り物があった。それは来会者へ纏頭《てんとう》に出される衣服類、主賓の大臣への贈り物の品々等である。中宮からも姫宮のお装束、櫛《くし》の箱などを特に華麗に調製おさせになって贈られた。院が昔このお后の入内《じゅだい》の時お贈りになった髪上《くしあ》げの用具に新しく加工され、しかももとの形を失わせずに見せたものが添えてあった。中宮|権亮《ごんのすけ》は院の殿上へも出仕する人であったから、それを使いにあそばして、姫宮のほうへ持参するように命ぜられたのであるが、次のようなお歌が中にあった。

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さしながら昔を今につたふれば玉の小櫛《をぐし》ぞ神さびにける
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 これを御覧になった院は身にしむ思いをあそばされたはずである。縁起が悪くもないであろうと姫宮へお譲りになった髪の具は珍重すべきものであると思召されて、青春の日の御思い出にはお触れにならず、お悦《よろこ》びの意味だけをお返事にあそばされて、

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さしつぎに見るものにもが万代《よろづよ》をつげの小櫛も神さぶるまで
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 とお書きになった。
 御病気は決して御軽快になっていなかったのを、無理あそばして御挙行になった姫宮のお裳着の式から三日目に院は御髪《みぐし》をお下《お》ろしになったのであった。普通の家でも主人がいよいよ出家をするという時の家族の悲しみは大きなものであるのに、院の御ためには悲しみ歎《なげ》く多くの後宮の人があった。尚侍はじっとおそばを離れずに歎《なげ》きに沈んでいるのを、院はなだめかねておいでになった。
「子に対する愛は限度のあるものだが、あなたのこんなに悲しむのを見ては私はもう堪えられなく苦しい心になる」
 と仰せになって、御心《みこころ》は冷静でありえなくおなりになるのであろうが、じっと堪えて脇息《きょうそく》によりかかっておいでになった。延暦寺《えんりゃくじ》の座主《ざす》のほかに戒師を勤める僧が三人参っていて、法服に召し替えられる時、この世と絶縁をあそばされる儀式の時、それは皆悲しいきわみのことであった。すでに恩愛の感情から超越している僧たちでさえとどめがたい涙が流れたのであるから、まして姫宮たち、女御《にょご》、更衣《こうい》、その他院内のあらゆる男女は上から下まで嗚咽《おえつ》の声をたてないでいられるものはない、こうした人間の声は聞いていずに、出家をすればすぐに寺へお移りになるはずの、以前の御計画をお変えになったことを院は残念に思召《おぼしめ》して、皆女三の宮へ引かれる心がこうさせたのであるとかたわらの者へ仰せられた。宮中をはじめとしてお見舞いの使いの多く参ったことは言うまでもない。
 六条院は朱雀《すざく》院の御病気が少しおよろしい報《しら》せをお得になって御自身で訪問あそばされた。宮廷から封地《ほうち》をはじめとして太上《だいじょう》天皇と少しも変わりのない御待遇は受けておいでになるのであるが、正式の太上天皇として六条院は少しもおふるまいにならないのである。世人のささげている尊敬の意も信頼の心も並み並みではないのであるが、外出の儀式なども簡単にあそばして、たいそうでない車に召され、お供の高官などは車で従って参った。朱雀院法皇はこの御訪問を非常にお喜びになって、御病苦も忍ぶようにあそばされて御面会になった。形式にはかかわらずに御病室へ六条院の今一つの座をお設けになって招ぜられたのである。御髪《みぐし》をお剃《そ》り捨てになった御兄の院を御覧になった時、すべての世界が暗くなったように思召されて、悲歎《ひたん》のとめようもない。ためらうことなくすぐにお言葉が出た。
「故院がお崩《かく》れになりましたころから、人生の無常が深く私にも思われまして、出家の願いを起こしながらも心弱く何かのことに次々引きとめられておりまして、ついにあなた様が先にこの姿をあそばすまでになってしまいました。自分はなんというふがいなさであろうと恥ずかしくてなりません。一身だけでは何でもなく出離《しゅつり》の決心はつくのでございますが、周囲を顧慮いたします点で実行はなかなかできないことでございます」
 と、お言いになって、慰めえないお悲しみを覚えておいでになるふうであった。朱雀《すざく》院も御病気であって心細いお気持ちもあそばされる時であったから、冷静なふうなどはお作りになることができずにしおしおとした御様子をお見せになり、昔の話、今の話を弱々しい声であそばすのであったが、
「今日か、明日かと思われるような重態でいて、しかも生き続けていることに油断をして、希望の出家も遂げないで亡《な》くなるようなことがあってはと奮発をして実行したのですよ。こうなっても生命《いのち》がなければしたい仏勤めもできないでしょうが、まず仮にも一つの線を出ておいて、はげしいお勤めはできないでも念仏だけでもしておきたいと思います。私のような者が今日生きているということはこの志だけは遂げたいという望みに燃えていたのを仏が憐《あわれ》んでくだすったのだと自分でもわかっているのに、まだお勤めらしいこともしていないのを仏に相済まなく思います」
 御出家についての感想をこうお述べあそばしたのに続いて、
「女の子を幾人も残して行くことが気がかりです。その中で母も添っていない子で、だれに託しておけばよいかわからぬような子のために最も私は苦悶《くもん》しています」
 と、仰せになった。正面からその問題をお出しにもならない御様子をお気の毒に六条院は思召《おぼしめ》された。お心の中でもその宮についていささかの好奇心も動いているのであるから、冷ややかにこのお話を聞き流しておしまいになることができないのであった。
「ごもっともです。普通の家の娘以上に内親王のお後ろだてのないのは心細いものでございます。ごりっぱな儲君《ちょくん》として天下の輿望《よぼう》を負うておいでになる東宮もおいでになるのでございますから、あなた様から特にお心がかりに思召す方のことをお話にさえあそばされておけば、一事でもおろそかにあそばさないはずで、何も将来のことをそう御心配になることはなかろうと申しますものの、即位をなさいました場合にも天子は公の君ですから政《まつりごと》はお心のままになりましても、個人として女の御兄弟に親身のお世話をなされ、内親王が特別な御庇護をお受けになることはむずかしいでしょう。女の方のためにはやはり御結婚をなすって、離れることのできない関係による男の助力をお得になるのが安全な道と思われますが、御信仰にもさわるほどの御心配が残るのでございましたら、ひそかに婿君を御選定しておかれましてはと存じます」
「私もそうは思うのですが、それもまたなかなか困難なことですよ。昔の例を思ってもその時の天子の内親王がたにも配偶者をお選びになって結婚をおさせになることも多かったのですから、まして私のように出家までもする凋落《ちょうらく》に傾いた者の子の配偶者はむずかしい。資格をしいて言いませんが、またどうでもよいとすべてを言ってしまうこともできなくて煩悶《はんもん》ばかりを多くして、病気はいよいよ重るばかりだし、取り返せぬ月日もどんどんたっていくのですから気が気でもない。お気の毒な頼みですが、幼い内親王を一人、特別な御好意で預かってくだすって、だれでもあなたの鑑識にかなった人と縁組みをさせていただきたいと私はそのことをお話ししたかったのです。権中納言などの独身時代にその話を持ち出せばよかったなどと思うのです。太政大臣に先《せん》を越されてうらやましく思われます」
 と朱雀《すざく》院は仰せられた。
「中納言はまじめで忠良な良人《おっと》になりうるでしょうが、まだ位なども足りない若さですから、広く思いやりのある姫宮の御補佐としては役だちませんでしょう。失礼でございますが、私が深く愛してお世話を申し上げますれば、あなた様のお手もとにおられますのとたいした変化もなく平和なお気持ちでお暮らしになることができるであろうと存じますが、ただそれはこの年齢の私でございますから、中途でお別れすることになろうという懸念が大きいのでございます」
 こうお言いになって、六条院は女三《にょさん》の宮《みや》との御結婚をお引き受けになったのであった。
 夜になったので御主人の院付きの高官も六条院に供奉《ぐぶ》して参った高官たちにも御|饗応《きょうおう》の膳《ぜん》が出た。正式なものでなくお料理は精進物の風流な趣のあるもので、席にはお居間が用いられた。朱雀院のは塗り物でない浅香の懸盤《かけばん》の上で、鉢《はち》へ御飯を盛る仏家の式のものであった。こうした昔に変わる光景に列席者は涙をこぼした。身にしむ気分の出た歌も人々によって詠《よ》まれたのであったが省略しておく。夜がふけてから六条院はお帰りになったのである。それぞれ等差のある纏頭《てんとう》を供奉の人々はいただいた。別当大納言はお送りをして六条院へまで来た。
 朱雀院は雪の降っていたこの日に起きておいでになったために、また風邪《かぜ》をお引き添えになったのであるが、女三の宮の婚約が成り立ったことで御安心をあそばされた。
 六条院も新しい御婚約についての責任感と、紫夫人との夫婦生活の形式が改められねばならぬことをお思いになる苦痛とがお心でいっしょになって煩悶《はんもん》をしておいでになった。朱雀院がそうした考えを持っておいでになるということは女王《にょおう》の耳にもはいっていたのであるが、そんなことにもなるまい、前斎院にあれほど恋はしておられたがしいて結婚も院はなさらなかったのであるからなどと思って、そうした問題のありなしも問わずにいて、疑っていないのを御覧になると、院は心苦しくて、何と思うであろう、自分のこの人に対する愛は少しも変わらないばかりでなく、そういうことになればいよいよ深くなるであろうが、その見きわめがつくまでに、この人は疑って自分自身を苦しめることであろうとお思いになると、お心が静かでありえない。今日になってはもう二人の間に隔てというものは何一つ残さないことに馴《な》れた御夫妻であったから、この話をすぐに話さずにおいでになるのも院は苦痛にされながらその夜はお寝《やす》みになった。
 翌日はなお雪が降って空も身にしむ色をしていた。六条院は紫の女王と来し方のこと、未来のことをしみじみと話しておいでになった。
「院の御病気がお悪くて衰弱しておいでになるのをお見舞いに上がって、いろいろと身にしむことが多かった。女三の宮のことでいまだに御心配をしておられて、私へこんなことを仰せられた」
 院はその方を託したいと朱雀院の仰せられた話をくわしくあそばされた。
「あまりにお気の毒なので御辞退ができなかったのだが、これをまた世間は大仰《おおぎょう》に吹聴《ふいちょう》をするだろうね。私はもう今はそうした若い人と新しく結婚するような興味はなくなっているのだから、最初人を介してのお話の時は口実を設けてお断わり申していたのだが、直接お目にかかった際に、御親心というものがあまりに濃厚に見えて、冷淡に辞退をしてしまうことができなかったのですよ。郊外の寺へいよいよ院がおはいりになる時になってここへ迎えようと思う。味気ないこととあなたは思うでしょう。そのためにどんな苦しいことが一方に起こっても、私があなたを思うことは現在と少しも変わらないだろうから不快に思ってはいけませんよ。宮のためにはかえって不幸なことだと私は知っているが、それも体面は作ってあげることを上手《じょうず》にしますよ。そして双方平和な心でいてもらえれば私はうれしいだろう」
 などと言われるのであった。ちょっとした恋愛問題を起こしても自身が侮辱されたように思う女王であったから、どんな気がするだろうとあやぶみながら話されたのであったが、夫人は非常に冷静なふうでいて、
「親としての御愛情から出ましたお頼みでございましょうね。私が不快になど思うわけはございません。あちらで私を失礼な女だとも、なぜ遠慮をしてどこへでも行ってしまわないかともおとがめにならなければ、私は安心しております。お母様の女御《にょご》は私の叔母《おば》様でいらっしゃるわけですから、その続き合いで私を大目に見てくださるでしょうか」
 と卑下した。
「あなたのそれほど寛大過ぎるのもなぜだろうとかえって私に不安の念が起こる。それはまあ冗談《じょうだん》だが。まあそんなふうにも見てあなたが許していてくれて、一方にもその心得でいてもらって、平和が得られれば私はいよいよあなたを尊敬するだろう。中傷する者があって何を言おうともほんとうと思ってはいけませんよ。すべて噂《うわさ》というものは、だれがためにするところがあって言い出すというのでもなく、良いことは言わずに、悪いことを言うのがおもしろくて言いふらさせるものだが、そんなことから意外な悲劇がかもされもするのだから、人の言葉に動揺を受けないで、ただなるがままになっているのがいいのです。まだ実現されもせぬうちから物思いをして私をむやみに恨むようなことをしないでくださいね」
 こう院はおさとしになった。女王は言葉だけでなく心の中でも、こんなふうに天から降ってきたような話で、院としては御辞退のなされようもない問題に対して嫉妬《しっと》はすまい、言えばとてそのとおりになるものでもなく、成り立った話をお破りになることはないであろう、院のお心から発した恋でもないから、やめようもないのに、無益な物思いをしているような噂は立てられたくないと思った。継母《ままはは》である式部卿《しきぶきょう》の宮の夫人が始終自分を詛《のろ》うようなことを言っておいでになって、左大将の結婚についても自分のせいでもあるように、曲がった恨みをかけておいでになるのであるから、この話を聞いた時に、詛いが成就したように思うことであろうなどと、穏やかな性質の夫人もこれくらいのことは心の蔭《かげ》では思われたのであった。今になってはもう幸福であることを疑わなかった自分であった。思い上がって暮らした自分が今後はどんな屈辱に甘んじる女にならねばならぬかしれぬと紫の女王は愁《うれ》いながらもおおようにしていた。
 春になった。朱雀《すざく》院では姫宮の六条院へおはいりになる準備がととのった。今までの求婚者たちの失望したことは言うまでもない。帝《みかど》も後宮にお入れになりたい思召《おぼしめ》しを伝えようとしておいでになったが、いよいよ今度のお話の決定したことを聞こし召されておやめになった。六条院はこの春で四十歳におなりになるのであったから、内廷からの賀宴を挙行させるべきであると、帝も春の初めから御心《みこころ》にかけさせられ、世間でも御賀を盛んにしたいと望む人の多いのを、院はお聞きになって、昔から御自身のことでたいそうな式などをすることのおきらいな方だったから話を片端から断わっておいでになった。
 正月の二十三日は子《ね》の日であったが、左大将の夫人から若菜《わかな》の賀をささげたいという申し出があった。少し前まではまったく秘密にして用意されていたことで、六条院が御辞退をあそばされる間がなかったのであった。目だたせないようにはしていたが、左大将家をもってすることであったから、玉鬘《たまかずら》夫人の六条院へ出て来る際の従者の列などはたいしたものであった。南の御殿の西の離れ座敷に賀をお受けになる院のお席が作られたのである。屏風《びょうぶ》も壁代《かべしろ》の幕も皆新しい物で装《しつ》らわれた。形式をたいそうにせず院の御座に椅子《いす》は立てなかった。地敷きの織物が四十枚敷かれ、褥《しとね》、脇息《きょうそく》など今日の式場の装飾は皆左大将家からもたらした物であって、趣味のよさできれいに整えられてあった。螺鈿《らでん》の置き棚《だな》二つへ院のお召し料の衣服箱四つを置いて、夏冬の装束、香壺《こうご》、薬の箱、お硯《すずり》、洗髪器《ゆするつき》、櫛《くし》の具の箱なども皆美術的な作品ばかりが選んであった。御|挿頭《かざし》の台は沈《じん》や紫檀《したん》の最上品が用いられ、飾りの金属も持ち色をいろいろに使い分けてある上品な、そして派手《はで》なものであった。玉鬘夫人は芸術的な才能のある人で、工芸品を院のために新しく作りそろえたすぐれたものである。そのほかのことはきわだたせず質素に見せて実質のある賀宴をしたのであった。参列者を引見されるために客座敷へお出しになる時に玉鬘夫人と面会された。いろいろの過去の光景がお心に浮かんだことと思われる。院のお顔は若々しくおきれいで、四十の賀などは数え違いでないかと思われるほど艶《えん》で、賀を奉る夫人の養父でおありになるとも思われないのを見て、何年かを中に置いてお目にかかる玉鬘《たまかずら》の尚侍《ないしのかみ》は恥ずかしく思いながらも以前どおりに親しいお話をした。尚侍の幼児がかわいい顔をしていた。玉鬘夫人は続いて生まれた子供などをお目にかけるのをはばかっていたが、良人《おっと》の左大将はこんな機会にでもお見せ申し上げておかねばお逢《あ》わせすることもできないからと言って、兄弟はほとんど同じほどの大きさで振り分け髪に直衣《のうし》を着せられて来ていたのである。
「過ぎた年月のことというものは、自身の心には長い気などはしないもので、やはり昔のままの若々しい心が改められないのですが、こうした孫たちを見せてもらうことでにわかに恥ずかしいまでに年齢《とし》を考えさせられます。中納言にも子供ができているはずなのだが、うとい者に私をしているのかまだ見せませんよ。あなたがだれよりも先に数えてくだすって年齢《とし》の祝いをしてくださる子《ね》の日も、少し恨めしくないことはない。もう少し老いは忘れていたいのですがね」
 と、院は仰せられた。玉鬘もますますきれいになって、重味というようなものも添ってきてりっぱな貴婦人と見えた。

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若葉さす野辺《のべ》の小松をひきつれてもとの岩根を祈る今日かな
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 こう大人《おとな》びた御|挨拶《あいさつ》をした。沈《じん》の木の四つの折敷《おしき》に若菜を形式的にだけ少し盛って出した。院は杯をお取りになって、

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小松原末のよはひに引かれてや野辺の若菜も年をつむべき
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 などとお歌いになった。高官たちは南の外座敷の席に着いた。式部卿の宮は参りにくく思召《おぼしめ》したのであるが、院から御招待をお受けになって、御|舅《しゅうと》でいらせられながら賀宴に出ないことは含むことでもあるようであるからとお思いになり、ずっと時間をおくらせておいでになった。以前の婿の左大将が御養女の婿として得意な色を見せて、賀宴の主催者になっているのを御覧になる宮は、御不快なことであろうとも思われたが、御孫である左大将家の長男次男は紫夫人の甥《おい》としても、主催者の子としても席上の用にいろいろと立ち働いていた。籠《かご》詰めの料理の付けられた枝が四十、折櫃《おりびつ》に入れられた物が四十、それらを中納言をはじめとして御|親戚《しんせき》の若い役人たちが取り次いで御前へ持って出た。院の御前には沈《じん》の懸盤《かけばん》が四つ、優美な杯の台などがささげられた。朱雀《すざく》院がまだ御全快あそばさないので、この御宴席で専門の音楽者は呼ばれなかった。楽器類のことは玉鬘夫人の実父の太政大臣が引き受けて名高いものばかりが集められてあった。
「この世で六条院の賀宴のほかに、高尚《こうしょう》なものの集まってよい席というものはない筈なのだ」
 と言って、大臣は当日の楽器を苦心して選んだ。それらで静かな音楽の合奏があった。和琴《わごん》はこの大臣の秘蔵して来た物で、かつてこの名手が熱心に弾《ひ》いた楽器は諸人がかき立てにくく思うようであったから、かたく辞退していた右衛門督《うえもんのかみ》にぜひにと弾《ひ》くことを院がお求めになったが、予想以上に巧みに名手の長男は弾いた。どう遺伝があるものとしても、こうまで父の芸を継ぐことは困難なものであるがとだれも感動を隠せずにいた。支那《しな》から伝わった弾き方をする楽器はかえって学びやすいが、和琴はただ清掻《すがが》きだけで他の楽器を統制していくものであるからむずかしい芸で、そしてまたおもしろいものなのである。右衛門督の爪音《つまおと》はよく響いた。一つのほうの和琴は父の大臣が絃《いと》もゆるく、柱《じ》も低くおろして、余韻を重くして、弾いていた。子息のははなやかに音《ね》がたって、甘美な愛嬌《あいきょう》があると聞こえた。これほど上手《じょうず》であるという評判はなかったのであるがと親王がたも驚いておいでになった。琴は兵部卿《ひょうぶきょう》の宮があそばされた。この琴は宮中の宜陽殿《ぎようでん》に納めておかれた御物《ぎょぶつ》であって、どの時代にも第一の名のあった楽器であったが、故院の御代《みよ》の末ごろに御長皇女《おんちょうこうじょ》の一品《いっぽん》の宮が琴を好んでお弾きになったので御下賜あそばされたのを、今日の賀宴のために太政大臣が拝借してきたのである。この楽器によって御父帝の御時のこと、また御姉宮に賜わった時のことが思召されて六条院はことさら身に沁《し》んで音色《ねいろ》に聞き入っておいでになった。兵部卿の宮も酔い泣きがとめられない御様子であった。そして院の御意をお伺いになった上琴を御前へ移された。今夜の御気分からお辞《いな》みになることはできずに院は珍しい曲を一つだけお弾きになった。そんなこともあって大がかりな演奏ではないがおもしろい音楽の夜になったのである。階段《きざはし》の所に声のよい若い殿上人たちの集められたのが、器楽のあとを歌曲に受け、「青柳」の歌われたころはもう塒《ねぐら》に帰っていた鶯《うぐいす》も驚くほど派手《はで》なものになった。主催する人は別にあった宴会ではあるが、院のほうでも纏頭の御用意があって出された。
 夜明けに尚侍は自邸へ帰るのであった。院からのお贈り物があった。
「私はもう世の中から離れた気にもなって、勝手な生活をしていますから、たって行く月日もわからないのだが、こんなに年を数えてきてくだすったことで、老いが急に来たような心細さが感ぜられます。おりおりはどんな老人になったかとその時その時を見比べに来てください。老人でいながら自由に行動のできない窮屈な身の上ということにともかくもなっているのですから、自分の思うとおりに御訪問などができず、お目にかかる機会の少ないのを残念に思います」
 などと院はお言いになって、身にしむことも、恋しい日のこともお思いにならないのではないのに、玉鬘《たまかずら》がたまたま来ても早く去って行こうとするのを物足らず思召すようであった。玉鬘の尚侍も実父には肉親としての愛は持っているが、院のこまやかだった御愛情に対しては、年月に添って感謝の心が深くなるばかりであった。今日の境遇の得られたのも院の恩恵であると思っていた。
 二月の十幾日に朱雀《すざく》院の女三《にょさん》の宮《みや》は六条院へおはいりになるのであった。六条院でもその準備がされて、若菜の賀に使用された寝殿の西の離れに帳台を立て、そこに属した一二の対の屋、渡殿《わたどの》へかけて女房の部屋《へや》も割り当てた華麗な設けができていた。宮中へはいる人の形式が取られて、朱雀院からもお道具類は運び込まれた。その夜の儀装の列ははなやかなものであった。供奉《ぐぶ》者には高官も多数に混じっていた。姫宮を主公として結婚をしたいと望んだ大納言も失敗した恨みの涙を飲みながらお付きして来た。お車の寄せられた所へ六条院が出てお行きになって、宮をお抱きおろしになったことなどは新例であった。天子でおいでになるのではないから入内《じゅだい》の式とも違い、親王夫人の入輿《にゅうよ》とも違ったものである。
 三日の間は御|舅《しゅうと》の院のほうからも、また主人の院からも派手《はで》な伺候者へのおもてなしがあった。紫の女王《にょおう》もこうした雰囲気《ふんいき》の中にいては寂しい気のすることであろうと思われた。夫人は静かにながめていながらも、院との間柄が不安なものになろうとは思わないのであるが、だれよりも愛される妻として動きのない地位をこれまで持った人も、若くて将来の長い内親王が競争者におなりになったのであるから、次第に自分が自分をはずかしめていく気がしないでもない心を、おさえて、おおように姫宮の移っておいでになる前の仕度《したく》なども院とごいっしょになってしたような可憐《かれん》な態度に院は感激しておいでになった。女三の宮はかねて話のあったようにまだきわめて小さくて、幼い人といってもあまりにまでお子供らしいのである。紫の女王を二条の院へお迎えになった時と院は思い比べて御覧になっても、その時の女王は才気が見えて、相手にしていておもしろい少女《おとめ》であったのに、これは単に子供らしいというのに尽きる方であったから、これもいいであろう、自尊心の多過ぎず出過ぎたことのできない点だけが安心であると、院はつとめて善意で見ようとされながらも、あまりに言いがいのない新婦であるとお歎《なげ》かれになった。
 三日の間は続いてそちらへおいでになるのを、今日までそうしたことに馴《な》れぬ女王であったから、忍ぼうとしても底から底から寂しさばかりが湧《わ》いてきた。新婚時代の新郎の衣服として宮のほうへおいでになる院のお召し物へ女房に命じて薫香《たきもの》をたきしめさせながら、自身は物思いにとらわれている様子が非常に美しく感ぜられた。何事があっても自分はもう一人の妻を持つべきではなかったのである。この問題だけを謝絶しきれずに締まりがなく受け入れた自分の弱さからこんな悲しい思いをすることにもなったと、院は御自身の心が恨めしくばかりおなりになって、涙ぐんで、
「もう一晩だけは世間並みの義理を私に立てさせてやると思って、行くのを許してください。今日からあとに続けてあちらへばかり行くようなことをする私であったなら、私自身がまず自身を軽蔑《けいべつ》するでしょうね。しかしまた院がどうお思いになることだか」
 と、お言いになりながら煩悶《はんもん》をされる様子がお気の毒であった。夫人は少し微笑をして、
「それ御覧なさいませ。御自身のお心だってお決まりにならないのでしょう。ですもの、道理のあるのが強味ともいっておられませんわ」
 絶望的にこう女王に言われては、恥ずかしくさえ院はお思われになって、頬杖《ほおづえ》を突きながらうっとりと横になっておいでになった。紫の女王は硯《すずり》を引き寄せて無駄《むだ》書きを始めていた。

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目に近くうつれば変はる世の中を行く末遠く頼みけるかな
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 と書き、またそうした意味の古歌なども書かれていく紙を、院は手に取ってお読みになり夫人の気持ちをお憐《あわれ》みになった。

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命こそ絶ゆとも絶えめ定めなき世の常ならぬ中の契りを
[#ここで字下げ終わり]

 こんな歌を書いて、急に立って行こうともされないのを見て、夫人が、
「おそくなっては済みませんことですよ」
 と催促したのを機会に、柔らかな直衣《のうし》の、艶《えん》に薫香《たきもの》の香をしませたものに着かえて院が出てお行きになるのを見ている女王の心は平静でありえまいと思われた。これまでにさらに新婦を得ようとされるらしい気《け》ぶりはあっても、いよいよことが進行しそうな時に反省しておしまいになる院でおありになったから、ただもう何でもなく順調に幸福が続いていくとばかり信じていた末に、世間のものにも自分の位置をあやぶませるようなことが湧《わ》いてきた。永久に不変なものなどはないこうしたこの世ではまたどんな運命に自分は遭遇するかもしれないと女王は思うようになった。表面にこの動揺した気持ちは見せないのであるが、女房たちも、
「意外なことになるものですね。ほかの奥様がたはおいでになってもこちらの奥様の競争者などという自信を持つ方もなくて、御遠慮をしていらっしゃるから無事だったのですが、こんなふうにこの奥様をすら眼中にお置きあそばさないような方が出ていらっしってはどうなることでしょう。だれよりも優越性のある方に劣等者の役はお勤まりにはならないでしょう。そしてまたあちらから申せば、何でもないことに神経をおたかぶらせになるようなこともないとは言われませんから、そこで苦しい争闘が起こって奥様は御苦労をなさるでしょうね」
 などと語って歎《なげ》いているのであったが、少しも気にせぬふうで、機嫌《きげん》よく夫人は皆と話をして夜がふけるまで座敷に出ていたが、女房たちの中にあるそうした空気が外へ知れては醜いように思って言った。
「院には何人もの女性が侍しておられるのだけれど、理想的な御配偶とお認めになるはなやかな身分の人はないとお思いになって、物足らず思召していらっしゃったのだから、宮様がおいでになってこれで完全になったのよ。私はまだ子供の気持ちがなくなっていないと見えて、いっしょに遊んで楽しく暮らしたくばかり思っているのに、皆が私の気持ちを忖度《そんたく》して面倒な関係にしてしまわないかと心配よ。自分と同じほどの人とか、もっと下の人とかには、あの人が自分より多く愛されることは不愉快だというような気持ちは自然起こるものだけれど、あちらは高貴な方で、お気の毒な事情でこうしておいでになったのだから、その方に悪くお思われしたくないと私は努めているのよ」
 中将とか中務《なかつかさ》とかいう女房は目を見合わせて、
「あまりに思いやりがおありになり過ぎるようね」
 ともひそかに言っていた。この人たちは若いころに院の御愛人であったが、須磨《すま》へおいでになった留守中から夫人付きになっていて、皆女王を愛していた。他の夫人の中には、どんなお気持ちがなさることでしょう、愛されない者のあきらめが平生からできている自分らとは違っておいでになったのであるからという意味の慰問をする人もあるので、女王はそんな同情をされることがかえって自分には苦痛になる。無常のこの世にいてそう夫婦愛に執着している自分でもないものと思っていた。あまりに長く寝ずにいるのも人が異様に思うであろうと我と心にとがめられて、帳台へはいると、女房は夜着を掛けてくれた。人から憐《あわれ》まれているとおりに確かに自分は寂しい、自分の嘗《な》めているものは苦《にが》いほかの味のあるものではないと夫人は思ったが、須磨《すま》へ源氏の君の行ったころを思い出して遠くに隔たっていようとも同じ世界に生きておいでになることで心を慰めようとそのころはした、自分がどんなにみじめであるかは心で問題にせず源氏の君のせめて健在でいることだけを喜んだではないか、その時の悲しみがもとで源氏の君なり自分なりが死んでいたとしたら、それからのち今日までの幸福は享《う》けられなかったのであるともまた思い直されもするのであった。外には風の吹いている夜の冷えで急には眠れない。近くに寝ている女房が寝返りの音を聞いて気をもむことがあるかもしれぬと思うことで、床の中でじっとしているのもまた女王に苦しいことであった。一番|鶏《どり》の声も身に沁《し》んで聞かれた。恨んでばかりいるのでもなかったが、夫人のこんなに苦しんでいたことのあちらへ通じたのか、院は夫人の夢を御覧になった。目がさめて胸騒ぎのあそばされる院は鶏の鳴くのを聞いておいでになって、その声が終わるとすぐに宮の御殿をお出になるのであったが、お若い宮であるために乳母たちが近くにやすんでいて、その人たちが院の妻戸をあけて外へ出られるのをお見送りした。夜明け前のしばらくだけことさらに暗くなる時間で、わずかな雪の光で院のお姿がその人たちに見えるのである。院のお服から発散された香気がまだあとに濃く漂っているのに乳母たちは気づいて「春の夜の闇《やみ》はあやなし梅の花」などとも古歌が思わず口に上りもした。院は所々にたまった雪の色も砂子の白さと差別のつきにくい庭をながめながら対のほうへ向いてお歩きになりながらなお「残れる雪」と口ずさんでおいでになった。対の格子をおたたきになったが、久しく夜明けの帰りなどをあそばされなかったのであったから、女房たちはくやしい気になってしばらく寝入ったふうをしていてやっとあとに格子をお上げした。
「長く外に待たされて、身体《からだ》が冷え通る気がしたのも、それは私の心が済まぬとあなたを恐れる内部のせいで、女房に罪はなかったのかもしれない」
 と、院はお言いになりながら、夫人の夜着を引きあけて御覧になると、少し涙で濡《ぬ》れている下の単衣《ひとえ》の袖《そで》を隠そうとする様子が美しく心へお受け取られになった。しかも打ち解けぬものが夫人の心にあって品よく艶《えん》な趣なのである。最高の貴女《きじょ》といっても完全にもののととのわぬ憾《うら》みがあるのにと院は新婦の宮と紫の女王を心にくらべておいでになった。二人が来た道を振り返ってお話しになりながら、恨みの解けぬふうな夫人をなだめて翌日はずっとそばを離れずにおいでになったあとでは、夜になっても宮のほうへお行きになれずに手紙だけをお送りになった。
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今暁《けさ》の雪に健康をそこねて苦しい気がしますから、気楽な所で養生をしようと思います。
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 というのであった。乳母《めのと》の、
「そのとおりに申し上げました」
 という言葉を使いが聞いて来た。平凡な返事であると院はお思いになった。朱雀《すざく》院がどうお思いになるかということが気がかりであるから、当分はあちらを立てるようにしておきたいと院はお思いになっても、実行に伴う苦痛が堪えがたく、なんということであろうと悲しんでおいでになった。夫人も、
「あちらへ御同情心の欠けたことでございますよ」
 と言いつつ自分の立場を苦しんでいた。次の日はこれまでのとおりに自室でお目ざめになって、宮の御殿へ手紙をお書きになるのであった。晴れがましくは少しもお思いにならぬ相手ではあったが、筆を選んで白い紙へ、

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中道を隔つるほどはなけれども心乱るる今朝《けさ》のあは雪
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 と書いて、梅の枝へお付けになった。侍をお呼びになって、
「西の渡殿のほうから参って差し上げるように」
 とお命じになった。そして院はそのまま縁に近い座敷で庭をながめておいでになった。白い服をお召しになって、梅の枝の残りを手にまさぐっておいでになるのである。仲間を待つ雪がほのかに白く残っている上に新しい雪も散っていた。若やかな声で鶯《うぐいす》が近いところの紅梅の梢《こずえ》で鳴くのがお耳にはいって、「袖《そで》こそ匂《にほ》へ」(折りつれば袖こそ匂へ梅の花ありとやここに鶯ぞ啼《な》く)と口ずさんで、花をお持ちになった手を袖に引き入れながら、御簾《みす》を掲げて外を見ておいでになる姿は、ゆめにも院などという御位《みくらい》の方とは見えぬ若々しさである。寝殿から来るお返事が手間どるふうであったから、院は居室《いま》のほうへおいでになって夫人に梅の花をお見せになった。
「花であればこれだけの香気を持ちたいものですね。桜の花にこの香《かおり》があればその他の花は皆捨ててしまうでしょうね。こればかりがよくなって」
「この花もただ今でこそ唯一の花で、梅はよいものだと思われるのですよ。春の百花の盛りにほかのものと比較したらどうでしょうかしら」
 などと夫人が言っている時に、宮のお返事が来た。紅《あか》い薄様《うすよう》に包まれたお文《ふみ》が目にたつので院ははっとお思いになった。幼稚な宮の手跡は当分女王に隠しておきたい。この人に隔て心はないがさげすむ思いをさせることがあっては宮の身分に対して済まないと院はお思いになるのであるが、隠しておしまいになることも夫人の不快がることであろうからと、半分は見せてもよいというようにお拡《ひろ》げになった文《ふみ》を、女王は横目に見ながら横たわっていた。

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はかなくて上《うは》の空にぞ消えぬべき風に漂ふ春のあは雪
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 文字は実際幼稚なふうであった。十五にもおなりになればこんなものではないはずであるがと目にとまらぬことでもなかったが、見ぬふりをしてしまった。他の女性のことであれば批評的な言葉も院は口にせられたであろうが御身分に敬意をお払いになって、
「あなたは安心していてよいとお思いなさいよ」
 とだけ夫人に言っておいでになった。
 今日は昼間に宮のほうへおいでになった。特にきれいに化粧をお施しになった院のお美しさに、この日はじめて近づいた女房は興奮していた。老いた女房などの中には、なんといっても幸福な奥様はあちらのお一方だけで、宮は御不快な目にもおあいになるのであろうと、こんなことを思う者もあった。姫宮は可憐《かれん》で、たいそうなお居間の装飾などとは調和のとれぬ何でもない無邪気な少女《おとめ》で、お召し物の中にうずもれておしまいになったような小柄な姿を持っておいでになるのである。格別恥ずかしがってもおいでにならない。人見知りをせぬ子供のようであつかいやすい気を院はお覚えになった。朱雀《すざく》院は重い学問のほうは奥を究《きわ》めておいでになると言われておいでにならないが、芸術的な趣味の豊かな方としてすぐれておいでになりながら、どうして御愛子をこう凡庸に思われるまでの女にお育てになったかと院は残念な気もあそばされたのであるが、御愛情が起こらないのでもなかった。院のお言いになるままになってなよなよとおとなしい。お返辞なども習っておありになることだけは子供らしく皆言っておしまいになって、自発的には何もおできにならぬらしい。昔の自分であれば厭気《いやき》のさしてしまう相手であろうが、今日になっては完全なものは求めても得がたい、足らぬところを心で補って平凡なものに満足すべきであるという教訓を、多くの経験から得てしまった自分であるから、これをすら妻の一人と見ることができる。第三者は自分のことを好適な配偶を得たと見ることであろうとお考えになると、離れる日もなく見ておいでになった紫の女王《にょおう》の価値が今になってよくおわかりになる気がされて、御自身のお与えになった教育の成功したことをお認めにならずにはおられなかった。ただ一夜別れておいでになる翌朝の心はその人の恋しさに満たされ、しばらくして逢いうる時間がもどかしくお思われになって、院の愛はその人へばかり傾いていった。なぜこんなにまで思うのであろうかと院は御自身をお疑いになるほどであった。
 朱雀院はそのうちに御寺《みてら》へお移りになるのであって、このころは御親心のこもったお手紙をたびたび六条院へつかわされた。姫宮のことをお頼みになるお言葉とともに、自分がどう思うかと心にお置きになるようなことはないようにして、ともかくもお心にかけていてくださればよいという意味の仰せがあるのであった。そうは仰せられながらも御幼稚な宮がお気がかりでならぬ御様子が見えるお文《ふみ》であった。紫夫人へもお手紙があった。
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幼い娘が、何を理解することもまだできぬままでそちらへ行っておりますが、邪気のないものとしてお許しになってお世話をおやきください。あなたには縁故がないわけでもないのですから。

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そむきにしこの世に残る心こそ入る山みちの絆《ほだし》なりけれ

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親の心の闇《やみ》を隠そうともしませんでこの手紙を差し上げるのもはばかり多く思われます。
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 というのであった。院も御覧になって、
「御同情すべきお手紙ですから、あなたからも丁寧にお返事を書いておあげなさい」
 こうお言いになって、そのお使いへは女房を出して酒をお勧めになった。
「どう書いてよろしいのかわかりません。お返事がいたしにくうございます」
 と女王は言っていたが、言葉を飾る必要のある場合のお返事でもなかったから、ただ感じただけを、

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そむく世のうしろめたくばさりがたき絆《ほだし》を強《し》ひてかけなはなれそ
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 こんな歌にして書いた。女の装束に細長衣《ほそなが》を添えた纏頭《てんとう》をお使いへ出した。女王の書いたお返事の字のりっぱであるのを院は御覧になって、こんなにも物事の整った夫人もある六条院へ、一人の夫人となって幼稚な姫宮が行っておられることを心苦しく思召した。
 御出家の際に悲しがった女御《にょご》、更衣《こうい》は院が御寺《みてら》へお移りになることによって、いよいよ散り散りにそれぞれの自邸へ帰るのであったが気の毒な人ばかりであった。尚侍《ないしのかみ》はお崩《かく》れになった皇太后がお住みになった二条の宮へはいって住むことになった。姫宮を心がかりに思召されたのに次いでは尚侍のことを院の帝は顧みがちにされた。
 尼になりたい希望を前尚侍は持っていたが、この際それを実行するのは、人を慕って出家をすることで、悟った人のすることでないと院は御忠告をあそばして、ひたすら御自身の御寺の仏像の製作を急がせておいでになった。
 六条院はこの朧月夜《おぼろづきよ》の前尚侍と飽かぬ別れをあそばされたまま、今もその時に続いて長い恋をしておいでになり、どんな機会にまた逢《あ》うことができよう、今一度は逢って、その時の血のにじむほど苦しかった心をその人に告げたいと思召されるのであったが、双方とも世間の評のはばかられる身の上でもおありになって、女のためにも重い傷手《いたで》を負わせたあの騒動をお思いになると、積極的な御行動は取れないで院は忍んでおいでになったのであるが、朱雀《すざく》院ともお別れして閑散な独身生活にはいっているそのこと自身がお心を惹《ひ》いて、お逢いになりたくてならないのであった。あるまじいこととはお思いになりながら、ただ友情による手紙と見せて、忘れえぬ熱情をお洩《も》らしになることがたびたびになった。もう青春の男女のように、危険がる必要もないと思っては時々お返事も前尚侍は出した。昔に増してあらゆる点の完成されつつある跡の見える朧月夜の君の手紙がいっそうの魅力になって、昔の中納言の君の所へも、二人の逢う道を開かせようとする手紙を院は常に書いておいでになった。その女の兄である前|和泉守《いずみのかみ》をお呼び寄せになっては、若い日へお帰りになったような相談をされた。
「取り次ぎをもって話をするようなことでなく、そして直接といっても物越しでいいのだが話さねばならぬ用が私にあるのだ。尚侍の承諾を得るようにしてくれれば、私はそっと訪《たず》ねて行く。今はもう絶対にそんなこともできない身の上になっている私が、そうしようと思うのだから、あちらでも秘密にしていただけるだろうと安心はしている」
 そのお話を中納言の君から聞いた時に、尚侍は、
「それは必要のない会見よ。私はもうあの時のような幼稚な心で人生を見ていない。昔から真実の欠けた愛しか私には持ってくださらなかった方の御誘惑などに今さらかからない。お気の毒な御生活に法皇様をお置きして、あの方とする昔の話など私にはない。お言葉どおり秘密にはするとしても私自身の心に恥ずかしいことではないか」
 と歎息《たんそく》して、なおそういうことは思いもよらぬことであるというお返事ばかりをしていた。すべてのものを無視して、苦しい中で愛し合った二人ではないか、出家をあそばされた院に対してやましいことではあるが、かつてなかったことではない関係なのだから、今になって清浄がっても昔の浮き名をあの人が取り返すことはできないのだと、こう院はお思いになって、にわかにこの和泉守を案内役として朧月夜の尚侍の二条の宮を訪ねる決心を院はあそばされたのであった。夫人の女王へは、
「東の院にいる常陸《ひたち》の宮の女王がずっと病気をしておられるのですが、ここの取り込みに紛れて見舞ってあげなかったのがかわいそうなのだが、昼間は人目に立ってよろしくないから夜になってから出かけてみようと思います。だれにも知らせないことだからそのつもりにしておくのですよ」
 と、お言いになって、院は外出の化粧におかかりになったが、ただ事とは思われなかった。平生はそんなにしてお行きになる所ではないのであるから夫人は不審をいだいたが、思い合わされることもないではないのを、女三《にょさん》の宮《みや》がおいでになってからは、以前のように思うことをすぐに言う習慣も女王は改めていて、素知らぬふうを作っているのであった。
 この日は寝殿へもお行きにならないでただ手紙をお書きかわしになっただけである。熱心に薫香《たきもの》の香を袖《そで》につけて、院は日の暮れるのを待っておいでになった。そしてきわめて親しい人を四、五人だけおつれになり、昔の微行《しのびあるき》に用いられた簡単な網代車《あじろぐるま》でお出かけになった。
 六条院のおいでになったことが伝えられると、
「どうしてでしょう。私のお返事をどう聞き違えて申し上げたのだろう」
 尚侍は機嫌《きげん》を悪くしたが、
「いいかげんな口実を作りましてお帰しいたすことなどはもったいないことでございましょう」
 と中納言の君は言って、無理な計らいまでして院を座敷へ御案内してしまった。院は見舞いの挨拶《あいさつ》などをお取り次がせになったあとで、
「ただここに近い所へまで出てくだすって、物越しでもお話しくださいませんか。今日はもう昔のような不都合なことをする心を持っていませんから」
 こう切に仰せられるので、尚侍はひどく歎息《たんそく》をしながら膝行《いざっ》て出た。だからこの人は軽率なのであると、満足を感じながらも院は批評をしておいでになった。これは二人にとって絶えて久しい場面であった。遠い世の思い出が女の心によみがえらないことでもないのである。東の対であった。東南の端の座敷に院はおいでになって、隣室の尚侍のいる所との間の襖子《からかみ》には懸金《かねがね》がしてあった。
「何だか若者としての御待遇を受けているようで、これでは心が落ち着かないではありませんか。あれからどれだけの年月、日は幾つたつということまでも忘れない私としては、あなたのこの冷たさが恨めしく思われてなりませんよ」
 と、院はお恨みになった。夜はふけにふけてゆく。池の鴛鴦《おしどり》の声などが哀れに聞こえて、しめっぽく人けの少ない宮の中の空気が身にお感じられになり、人生はこんなに早く変わってしまうものかと昔の栄華の跡の邸《やしき》がお思われになると、女の心を動かそうとして嘘《うそ》泣きをした平仲《へいちゅう》ではなくて真実の涙のこぼれるのをお覚えになった。昔に変わってあせらず老成なふうに恋を説きながら、
「これはいつまでもこのままにしておくことになるのですか」
 と言って、襖子を引き動かしたまうのであった。

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年月を中に隔てて逢坂《あふさか》のさもせきがたく落つる涙か
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 院がこうお言いになっても、

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涙のみせきとめがたき清水《しみづ》にて行き逢ふ道は早く絶えにき
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 というようなかけ離れた返辞を女はするにすぎなかったが、昔を思ってはだれが原因になってこの方は遠い国に漂泊《さすら》っておいでになったか、一人で罪をお負いになったこの方に、冷たい賢がった女にだけなって逢っていて済むだろうかと朧月夜《おぼろづきよ》の尚侍《ないしのかみ》の心は弱く傾いていった。もとから重厚な所の少ない性質のこの人は、源氏の君から離れていた年月の間昔の軽率を後悔していたし、清算のできた気にもなっていたのであるが、昔のとおりなような夜が眼前に現われてきて、その時と今の間にあった時がにわかに短縮された気のするままに、初めの態度は取り続けられなくなった。
 やはり最も艶《えん》な貴女《きじょ》としてなお若やかな尚侍を院は御覧になることができたのであった。世に対し、人に対してはばかる煩悶《はんもん》が見えて歎息《たんそく》をしがちな尚侍を、今初めて得た恋人よりも珍しくお思いになり、海のような愛の湧《わ》くのを院はお覚えになった。夜の明けていくのが惜しまれて院は帰って行く気が起こらない。朝ぼらけの艶な空からは小鳥の声がうららかに聞こえてきた。花は皆散った春の暮れで、浅緑にかすんだ庭の木立ちをおながめになって、この家で昔|藤花《とうか》の宴があったのはちょうどこのころのことであったと院はみずからお言いになったことから、昔と今の間の長いことも考えられ、青春の日が恋しく、現在のことが身に沁《し》んでお思われになった。中納言の君がお見送りをするために妻戸をあけてすわっている所へ、いったん外へおいでになった院が帰って来られて、
「この藤《ふじ》と私は深い因縁のある気がする。どんなにこの花は私の心を惹《ひ》くか知っていますか。私はここを去って行くことができないよ」
 こうお私語《ささやき》になったままで、なお花をながめて立ち去ろうとはなされないのであった。山から出た日のはなやかな光が院のお姿にさして目もくらむほどお美しい。この昔にもまさった御|風采《ふうさい》を長く見ることのできなかった尚侍が見て、心の動いていかないわけはないのである。過失のあったあとでは後宮に侍してはいても、表だった后《きさき》の位には上れない運命を負った自分のために、姉君の皇太后はどんなに御苦労をなすったことか、あの事件を起こして永久にぬぐえない悪名までも取るにいたった因縁の深い源氏の君であるなどとも尚侍は思っていた。名残《なごり》の尽きぬ会見はこれきりのことにさせたくないことではあるが、今日の六条院が恋の微行《しのびあるき》などを続いて軽々しくあそばされるものでもないと思われた。院はこの邸《やしき》における人目も恐ろしく思召《おぼしめ》されたし、日が昇《のぼ》っていくのにせきたてられるお気持ちも覚えておいでになった。廊の戸口の下へ車が着けられて、供の人たちもひそかなお促し声もたてた。院は庭にいた者に長くしだれた藤の花を一枝お折らせになった。

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沈みしも忘れぬものを懲りずまに身も投げつべき宿の藤波
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 と歌いながら院はお悩ましいふうで戸口によりかかっておいでになるのを、中納言の君はお気の毒に思っていた。尚侍は再び作られた関係を恥じて思い乱れているのであったが、やはり恋しく思う心はどうすることもできないのである。

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身を投げん淵《ふち》もまことの淵ならで懸《か》けじやさらに懲りずまの波
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 と女は言った。青年がするような行動を院は御自身も肯定できなくお思いになるのであるが、女の情熱の冷却してはいないことがうれしくて、またの会合を遂げうるようによく語っておゆきになった。昔も多くの中のすぐれた志で愛しておいでになりながら、やむなくお別れになった仲に、この一夜があったあとのお心はその人へ強くお惹《ひ》かれにならぬわけもない。
 院は非常に静かに忍んで自室へおはいりになった。こうした女の所からのお帰り姿を見て、相手は尚侍あたりであろうと、夫人には想像されるのであったが、気のつかぬふうをしていた。かえって妬《ねた》みを表へ出すことよりもこれを院は苦しくお思いになって、なぜこうまで妻を冷淡にあつかったのであろうと歎息がされ、以前にまさった熱情をもって永久に変わらぬ愛を語ろうとあそばされるのに言葉を尽くしておいでになった。尚侍との間に復活させた情事は洩《も》らすべき性質のものではないのであるが、昔のこともくわしく知っている女王《にょおう》であったから、今度のことも真実のことまではお言いにならなかったが、
「物越しでやっと逢ってもらっただけでは心が残ってならない。人目を上手《じょうず》に繕ってもう一度だけは逢いたい人だ」
 とくらいにお話しになった。女王は笑って、
「お若返りにばかりなりますわね。昔を今にまた新しくお加えになっては、いよいよ私の影は薄くばかりなります」
 と言いながらも、涙ぐんだ目をしているのが可憐《かれん》であった。
「いつもそんなふうに、寂しそうにばかりあなたがするから、私はたまらなく苦しくなる。もっと荒削りに、私を打つとか捻《ひね》るとかして懲らしてくれたらどうですか。あなたにそうした水くさい態度をとらせるようには暮らして来なかったはずだが、妙にあなたは変わってしまいましたね」
 などとも言って、機嫌《きげん》をお取りになるうちには前夜の真相も打ちあけて話しておしまいになることになった。姫宮のほうへお出かけにならずに、夫人をなだめるのに終日かかっておいでになった。それを宮は何ともお思いにならないのであるが、乳母たちだけは不快がっていろいろと言っていた。嫉妬《しっと》をお持ちになる傾向が宮にもあれば院はまして苦しい立場になるのであるが、おっとりとした少女《おとめ》の宮を、人形のように気楽にお扱いになることはできるのであった。
 東宮へ上がっておいでになる桐壺《きりつぼ》の方は退出を長く東宮がお許しにならぬので、姫君時代の自由が恋しく思われる若い心にはこれを苦しくばかり思うのであった。夏ごろになっては健康もすぐれなくなったのであるが、なおも帰るお許しがないので困っていた。これは妊娠であったのである。まだ十四、五の小さい人であったから、この徴候を見てだれもだれも危険がった。やっとのことでお許しが下がって帰邸することになった。女三の宮のおいでになる寝殿の東側になった座敷のほうに桐壺の方の一時の住居《すまい》が設けられたのである。明石《あかし》夫人も共に六条院へ帰った。光る未来のある桐壺の方の身に添って進退する実母夫人は幸運に恵まれた人と見えた。紫夫人はそちらへ行って桐壺の方に逢おうとして、
「このついでに中の戸を通りまして姫宮へ御|挨拶《あいさつ》をいたしましょう。前からそう思っていたのですが機会がなかったのですもの。わざわざ伺うのもきまりが悪かったのですが、こんな時だと自然なことに見えていいと思います」
 と院へ御相談をした。院は微笑をされながら、
「結構ですよ。まだ子供なのですから、よくいろんなことを教えておあげなさい」
 と御同意をあそばされた。宮様よりも明石夫人という聡明《そうめい》な女に逢うことで夫人は晴れがましく思い、髪も洗い、粧《よそお》いに念を入れた女王の美はこれに準じてよい人もないであろうと思われた。
 院は宮のほうへおいでになって、
「今日の夕方対のほうにいる人が淑景舎《しげいしゃ》を訪《たず》ねに来るついでにここへも来て、あなたと御交際の道を開きたいように言っていましたから、お許しになって話してごらんなさい。善良な性質の人ですよ。まだ若々しくてあなたの遊び相手もできそうですよ」
 とお語りになった。
「恥ずかしいでしょうね。どんなお話をすればいいのでしょうね」
 とおおように宮は言っておられる。
「人にする返辞は先方の話次第で出てくるものです。ただ好意を持ってお逢いにならないではいけませんよ」
 院はこまごまと御注意をされた。院は御両妻の間が平和であるように祈っておいでになるのである。あまりにたあいのない子供らしさを紫の女王に発見されることは、御自身としても恥ずかしいことにお思いになるのであるが、夫人が望んでいることをとめるのもよろしくないとお考えになったのである。
 紫の女王は内親王である良人《おっと》の一人の妻の所へ伺候することになった自分を憐《あわれ》んだ。二十年|同棲《どうせい》した自分より上の夫人は六条院にあってはならないのであるが、少女時代から養われて来たために、自分は軽侮してよいものと見られて、良人は高貴な新妻をお迎えしたものであろうと思うと寂しかった。手習いに字を書く時も、棄婦の歌、閨怨《けいえん》の歌が多く筆に上ることによって、自分はこうした物思いをしているのかとみずから驚く女王であった。院は自室のほうへお帰りになった。あちらで女三の宮、桐壺《きりつぼ》の方などを御覧になって、それぞれ異なった美貌《びぼう》に目を楽しませておいでになったあとで、始終見|馴《な》れておいでになる夫人の美から受ける刺激は弱いはずで、それに比べてきわだつ感じをお受けになることもなかろうと思われるが、なお第一の嬋妍《せんけん》たる美人はこれであると院はこの時|驚歎《きょうたん》しておいでになった。気高《けだか》さ、貴女《きじょ》らしさが十分備わった上にはなやかで明るく愛嬌《あいきょう》があって、艶《えん》な姿の盛りと見えた。去年より今年は美しく昨日より今日が珍しく見えて、飽くことも見て倦《う》むことも知らぬ人であった。どうしてこんなに欠点なく生まれた人だろうかと院はお思いになった。手習いに書いた紙を夫人が硯《すずり》の下へ隠したのを、院はお見つけになって引き出してお読みになった。字は専門家風に上手《じょうず》なのではなく、貴女らしい美しさを多く含んだものである。

[#ここから2字下げ]
身に近く秋や来ぬらん見るままに青葉の山もうつろひにけり
[#ここで字下げ終わり]

 と書かれてある所へ院のお目はとまった。

[#ここから2字下げ]
水鳥の青羽は色も変はらぬを萩《はぎ》の下こそけしきことなれ
[#ここで字下げ終わり]

 など横へ書き添えておいでになった。何かの場合ごとに今日の夫人の懊悩《おうのう》する心の端は見えても、さりげなくおさえている心持ちに院は感謝しておいでになるのであった。今夜はどちらとも離れていてよい暇な時であったから、朧月夜《おぼろづきよ》の君の二条邸へ院は微行でお出かけになった。あるまじいことであるとお思い返しになろうとしても、おさえきれぬ気持ちがあったのである。
 東宮の淑景舎《しげいしゃ》の方は実母よりも紫夫人を慕っていた。美しく成人した継娘《ままむすめ》を女王は真実の親に変わらぬ心で愛した。なつかしく語り合ったあとで中の戸をあけて、宮のお座敷へ行き、はじめて女三《にょさん》の宮《みや》に御面会した。ただ少女とお見えになるだけの宮様に女王は好感が持たれて、軽い気持ちにもなり年長の人らしく、保護者らしいふうにものを言って、宮の母君と自身の血の続きを語ろうとして、中納言の乳母《めのと》というのをそばへ呼んで言った。
「さかのぼって言いますとそうなのですね。私の父の宮とお母様は御兄弟なのです。ですからもったいないことですが親しく思召《おぼしめ》していただきたいと申し上げたかったのですが、機会がございませんでね。これからはお心安く思召して、私どもの住んでおりますほうへもお遊びにおいでくださいまして、気のつきませんことがございまして、御注意をいただけましたらうれしく存じます」
 中納言の乳母が、
「お母様にもお死に別れになりますし、院の陛下は御出家をあそばしますし、お一人ぼっちのお心細い宮様ですから、御親切なお言葉をいただきますことは、この上なく幸福に思召すかと存ぜられます。法皇様も宮様があなた様を御信頼あそばして御保護の願えますようにとの思召しがおありあそばすらしく存じ上げました。私どももそのお言葉を承ってまいったのでございます」
 などと言った。
「もったいないお手紙をあちらからくださいました時から、どうかしてお力にならなければと心がけてはいるのでございますが、何と申しても私が賢くなくて」
 とあたたかい気持ちを女王は見せて、姉が年少の妹に対するふうで、宮のお気に入りそうな絵の話をしたり、雛《ひな》遊びはいつまでもやめられないものであるとかいうことを若やかに語っているのを、宮は御覧になって、院のお言葉のように、若々しい気立ての優しい人であると少女《おとめ》らしいお心にお思いになり、打ち解けておしまいになった。
 これ以来手紙が通うようになって、友情が二人の夫人の間に成長していった。書信でする遊び事もなされた。世間はこうした高貴な家庭の中のことを話題にしたがるもので、初めごろは、
「対の奥様はなんといっても以前ほどの御|寵愛《ちょうあい》にあっていられなくなるであろう。少しは院の御情が薄らぐはずだ」
 こんなふうにも言ったものであるが、実際は以前に増して院がお愛しになる様子の見えることで、またそれについて宮へ御同情を寄せるような口ぶりでなされる噂《うわさ》が伝えられたものであるが、こんなふうに寝殿の宮も対の夫人も睦《むつ》まじくなられたのであるからもう問題にしようがないのであった。
 十月に紫夫人は院の四十の賀のために嵯峨《さが》の御堂《みどう》で薬師仏の供養をすることになった。たいそうになることは院がとめておいでになったから、目だたせない準備をしたのであった。それでも仏像、経箱、経巻の包みなどのりっぱさは極楽も想像されるばかりである。そうした最勝王経、金剛、般若《はんにゃ》、寿命経などの読まれる頼もしい賀の営みであった。高官が多く参列した。御堂のあたりの嵯峨野の秋のながめの美しさに半分は心が惹《ひ》かれて集まった人なのであろうが、その日は霜枯れの野原を通る馬や車を無数に見ることができた。盛んな誦経《ずきょう》の申し込みが各夫人からもあった。二十三日が仏事の最後の日で、六条院は狭いまでに夫人らが集まって住んでいるため、女王には自身だけの家のように思われる二条の院で賀の饗宴《きょうえん》を開くことにしてあった。賀の席上で奉る院のお服類をはじめとして当日用の仕度《したく》はすべて紫夫人の手でととのえられているのであったが、花散里《はなちるさと》夫人や、明石《あかし》夫人なども分担したいと言い出して手つだいをした。二条の院の対の屋を今は女房らの部屋《へや》などにも使わせることにしていたのであるが、それを片づけて殿上役人、五位の官人、院付きの人々の接待所にあてた。寝殿の離れ座敷を式場にして、螺鈿《らでん》の椅子《いす》を院の御ために設けてあった。西の座敷に衣裳《いしょう》の卓を十二置き、夏冬の服、夜着などの積まれたそれらの上を紫の綾《あや》で覆《おお》うてあるのも目に快かった。中の品物の見えないのも感じがいいのである。椅子の前には置き物の卓が二つあって、支那《しな》の羅《うすもの》の裾《すそ》ぼかしの覆《おお》いがしてある。挿頭《かざし》の台は沈《じん》の木の飾り脚《あし》の物で、蒔絵《まきえ》の金の鳥が銀の枝にとまっていた。これは東宮の桐壺の方が受け持ったので、明石夫人の手から調製させたものであるからきわめて高雅であった。御座《おまし》の後ろの四つの屏風《びょうぶ》は式部卿《しきぶきょう》の宮がお受け持ちになったもので、非常にりっぱなものだった。絵は例の四季の風景であるが、泉や滝の描《か》き方に新しい味があった。北側の壁に添って置き棚が二つ据《す》えられ、小物の並べてあることは定《きま》った形式である。南側の座敷に高官、左右の大臣、式部卿の宮をはじめとして親王がたのお席があった。舞台の左右に奏楽者の天幕ができ、庭の西と東には料理の箱詰めが八十、纏頭《てんとう》用の品のはいった唐櫃《からびつ》を四十並べてあった。午後二時に楽人たちが参入した。万歳楽、皇※[#「鹿/章」、第3水準1-94-75]《こうじょう》などが舞われ、日の暮れ時に高麗《こうらい》楽の乱声《らんじょう》があって、また続いて落蹲《らくそん》の舞われたのも目|馴《な》れず珍らしい見物であったが、終わりに近づいた時に、権中納言と、右衛門督《うえもんのかみ》が出て短い舞をしたあとで紅葉《もみじ》の中へはいって行ったのを陪観者は興味深く思った。昔の朱雀《すざく》院の行幸《みゆき》に青海波が絶妙の技であったのを覚えている人たちは、源氏の君と当時の頭《とうの》中将のようにこの若い二人の高官がすぐれた後継者として現われてきたことを言い、世間から尊敬されていることも、りっぱさも美しさも昔の二人の貴公子に劣らず、官位などはその時の父君たち以上にも進んでいることなどを年齢《とし》までも数えながら語って、やはり前生の善果がある家の子息たちであると両家を祝福した。六条院も涙ぐまれるほど身にしむ追憶がおありになった。夜になって楽人たちの退散していく時に紫の夫人付きの家職の長が下役たちを従えて出て、纏頭品の箱から一つずつ出して皆へ頒《わか》った。白い纏頭の服を皆が肩にかけて山ぎわから池の岸を通って行くのをはるかに見ては鶴《つる》の列かと思われた。席上での音楽が始まっておもしろい夜の宴になった。楽器は東宮の御手から皆呈供されたのである。朱雀《すざく》院からお譲られになった琵琶《びわ》、帝《みかど》からお賜わりになった十三|絃《げん》の琴などは六条院のためにお馴染《なじみ》の深い音色《ねいろ》を出して、何につけても昔の宮廷がお思われになる方であったから、またさまざまの恋しい昔の夢をお描《か》かせした。入道の宮がおいでになったなら四十の御賀も自分が主催して行なったことであろう。今になっては何を志としてお見せすることができよう、すべて不可能なことになったと院は御|歎息《たんそく》をあそばした。女院をお失いになったことは何の上にも添う特殊な光の消えたことであると帝も寂しく思召すのであって、せめて六条院だけを最高の地位に据《す》えたいというお望みも実現されないことを始終残念に思召す帝であったが、今年は四十の賀に託して六条院へ行幸《みゆき》をあそばされたい思召しであった。しかしそれも冗費は国家のためお慎みになるようにと六条院からの御進言があっておできにならぬためにくやしく思召すばかりであった。
 十二月の二十日過ぎに中宮《ちゅうぐう》が宮中から退出しておいでになって、六条院の四十歳の残りの日のための祈祷《きとう》に、奈良《なら》の七大寺へ布四千反を頒《わか》ってお納めになった。また京の四十寺へ絹四百|疋《ぴき》を布施にあそばされた。養父の院の深い愛を受けながら、お報いすることは何一つできなかった自分とともに、御父の前皇太子、母|御息所《みやすどころ》の感謝しておられる志も、せめてこの際に現わしたいと中宮は思召したのであるが、宮中からの賀の御沙汰《ごさた》を院が御辞退されたあとであったから、大仰《おおぎょう》になることは皆おやめになった。
「四十の賀というものは、先例を考えますと、それがあったあとをなお長く生きていられる人は少ないのですから、今度は内輪のことにしてこの次の賀をしていただく場合にお志を受けましょう」
 と六条院は言っておいでになったのであるが、やはりこれは半公式の賀宴で派手《はで》になった。六条院の中宮のお住居《すまい》の町の寝殿が式場になっていて、前にお受けになった幾つかの賀の式に変わらぬ行き届いた設けがされてあった。高官への纏頭《てんとう》はお后《きさき》の大|饗宴《きょうえん》の日の品々に準じて下された。親王がたには特に女の装束、非参議の四位、殿上役人などには白い細長衣《ほそなが》一領、それ以下へは巻いた絹を賜わった。院のためにととのえられた御衣服は限りもなくみごとなもので、そのほかに国宝とされている石帯《せきたい》、御剣を奉らせたもうたのである。この二品などは宮の御父の前皇太子の御遺品で、歴史的なものだったから院のお喜びは深かった。古い時代の名器、美術品が皆集まったような賀宴になったのであった。昔の小説も贈り物をすることを最も善事のように書き立ててあるが、面倒で筆者にはいちいち書けない。
 帝は六条院へ好意をお見せになろうとした賀宴をやむをえず御中止になったかわりに、そのころ病気のため右大将を辞した人のあとへ、中納言をにわかに抜擢《ばってき》しておすえになった。院もお礼の御|挨拶《あいさつ》をあそばされたが、それは、
「突然の御恩命はあまりに過分なお取り扱いで、若い彼が職に堪えますかどうか疑問にいたしております」
 こんな謙遜《けんそん》なお言葉であった。
 帝《みかど》はこの右大将を表面の主催者として院の四十の賀の最後の宴を北東の町の花散里《はなちるさと》夫人の住居《すまい》に設けられた。派手《はで》になることを院は避けようとされたのであったが、宮中の御内命によって行なわれるこの賀宴は、すべて正式どおりに略したところのないすばらしいものになった。幾つかの宴席の料理の仕度《したく》などは内廷からされた。屯食《とんじき》の用意などはお指図《さしず》を受けて頭《とうの》中将が皆したのである。親王お五方《いつかた》、左右の大臣、大納言二人、中納言三人、参議五人、これだけが参列して、御所の殿上役人、東宮、院の殿上人もほとんど皆集まって参っていた。院のお席の物、その室に備えられた道具類は太政大臣が聖旨を奉じて最高の技術者に製作させた物であった、そしてお言葉を受けてこの大臣もお式の場へ臨んだ。院はこれにもお驚きになって恐縮の意を表されながら式の座へお着きになった。中央の室に南面された院のお席に向き合って太政大臣の座があった。きれいで、りっぱによく肥《ふと》っていて、位人臣をきわめた貫禄《かんろく》の見える男盛りと見えた。院はまだ若い源氏の君とお見えになるのであった。四つの屏風《びょうぶ》には帝の御|筆蹟《ひっせき》が貼《は》られてあった。薄地の支那綾《しなあや》に高雅な下絵のあるものである。四季の彩色絵よりもこのお屏風はりっぱに見えた。帝の御字は輝くばかりおみごとで、目もくらむかと思いなしも添って思われた。置き物の台、弾《ひ》き物、吹き物の楽器は蔵人所《くろうどどころ》から給せられたのである。右大将の勢力も強大になっていたため今日の式のはなやかさはすぐれたものに思われた。四十匹の馬が左馬寮、右馬寮、六衛府《りくえふ》の官人らによって次々に引かれて出た。おそれ多いお贈り物である。そのうち夜になった。例の万歳楽、賀皇恩《がこうおん》などという舞を、形式的にだけ舞わせたあとで、お座敷の音楽のおもしろい場が開かれた。太政大臣という音楽の達者《たてもの》が臨場していることにだれもだれも興奮しているのである。琵琶《びわ》は例によって兵部卿《ひょうぶきょう》の宮、院は琴《きん》、太政大臣は和琴《わごん》であった。久しくお聞きにならぬせいか和琴の調べを絶妙のものとしてお聞きになる院は、御自身も琴を熱心にお弾《ひ》きあそばされたのである。いかなる時にも聞きえなかった妙音も出た。またも昔の話が出て、子息の縁組みその他のことで昔に増した濃い親戚《しんせき》関係を持つことにおなりになった二人は、睦《むつ》まじく酒杯をお重ねになった。おもしろさも頂天に達した気がされて、酔い泣きをされるのもこのかたがたであった。お贈り物には、すぐれた名器の和琴を一つ、それに大臣の好む高麗笛《こまぶえ》を添え、また紫檀《したん》の箱一つには唐本と日本の草書の書かれた本などを入れて、院は帰ろうとする大臣の車へお積ませになった。馬を院方の人が受け取った時に右馬寮の人々は高麗楽を奏した。六衛府の官人たちへの纏頭《てんとう》は大将が出した。質素に質素にとして目だつことはおやめになったのであるが、宮中、東宮、朱雀《すざく》院、后《きさい》の宮、このかたがたとの関係が深くて、自然にはなやかさの作られる六条院は、こんな際に最も光る家と見えた。院には大将だけがお一人息子で、ほかに男子のないことは寂しい気もされることであったが、その一人の子が万人にすぐれた器量を持ち、君主の御覚えがめでたく、幸運の人というにほかならぬことが証《あか》しされていくにつけて、この人の母である夫人と、伊勢《いせ》の御息所《みやすどころ》との双方の自尊心が強くて苦しく競い合った時代に次いで、中宮とこの大将が双方とも、院の大きい愛のもとでりっぱなかたがたになられたことが思わせられる。この日大将から院へ奉った衣服類は花散里夫人が引き受けて作ったのである。纏頭の物は皆三条の若夫人の手でできたようであった。六条院のはなやかな催し事もよそのことに聞いていた花散里夫人には、こうした生きがいのある働きをする日はあることかと思われたものであるが、大将の母儀《ぼぎ》になっていることによって光栄が分かたれたのである。
 新年になった。六条院では淑景舎《しげいしゃ》の方《かた》の産期が近づいたために不断の読経《どきょう》が元日から始められていた。諸社、諸寺でも数知れぬ祈祷《きとう》をさせておいでになるのである。院は昔の葵《あおい》夫人が出産のあとで死んだことで懲りておいでになって、恐ろしいものと子を産むことを感じておいでになり、紫夫人に出産のなかったことは物足らぬお気持ちもしながらまたうれしくお思われにもなるのであったから、まだ少女といってよいほどの身体《からだ》で、その女の大厄《たいやく》を突破せねばならぬ御女《おんむすめ》のことを、早くから御心配になっていたが、二月ごろからは寝ついてしまうほどにも苦しくなったふうであるのを院も女王《にょおう》も不安がられないはずもない。陰陽師《おんようじ》どもは場所を変えて謹慎をせねばならぬと進言するので、院外の離れた家へ移すのは気がかりに思召され、明石《あかし》夫人の北の町の一つの対の屋へ淑景舎の病室は移されることになった。こちらはただ大きい対の屋が二つと、そのほかは廊にして廻《めぐ》らせた座敷ばかりの建物であったから、廊座敷に祈祷の壇が幾つも築かれ、評判のよい祈祷僧は皆集められて祈っていた。明石夫人は桐壺《きりつぼ》の方が平らかに出産されるか否かで自身の運命も決まることと信じていて、一所懸命な看護をしていた。明石入道の尼夫人はもうぼけた老婆になっているはずである。姫君に接近のできることを夢のような幸福と思って、移って間もなくこの人がそばへ出てくるようになった。もう幾年か明石夫人は姫君に付き添っているのであるが、桐壺の方の生まれてきた当時の事情などはまだ正確に話してなかった。それを老尼はうれしさのあまりに病室へ来ては涙まじりに、昔の話を身じまいをしながら姫君へ語るのであった。初めの間は無気味な老婆であると姫君は思って、顔ばかり見つめているのを常としたが、実母にそうした母親があるということは何かの時に聞いたこともあったのを思い出してからは好意を持つようになった。明石で生まれた時のこと、また院がその海岸へ移って来ておいでになったころの様子などを尼君は言う、
「京へお帰りになりました時、一家の者はこれで御縁が切れてしまうのかとひどく悲しんだものでございますがね、お生まれになったお姫様が暗い運命から私たちを救い上げてくだすったのでございますから、ありがたいことと御恩を思っております」
 はらはらと涙をこぼしている。そんな哀れな昔の話をこの尼さんが聞かせてくれなければ、自分はただ疑ってみるだけで、真相は何もわからずにしまったかもしれぬと思って桐壺の方は泣いた。心のうちでは、自分の身の上は決して欠け目ないものとは言えなかったのを、養母の夫人の愛にみがかれて十分な尊敬も受ける院の御女《おんむすめ》ともなりえたのである、思い上がった心で東宮の後宮に侍していても、他の人たちを自分に劣ったもののように見たりしてきたのは過失《あやまり》である、表面に出して言わないでも、世間の人は自分のその態度を譏《そし》ったことであろうと反省もされるようになった。実母は少し劣った家の出であるとは知っていても、生まれたのはそうした遠い田舎《いなか》の家であったなどとは思いも寄らぬことだったのである。おおように育てられ過ぎたせいだったかもしれぬが、自身の今まで知らぬとは不思議なことのように思われるのであった。祖父である入道が現在では人間離れのした仙人《せんにん》のような生活をしているということも若い心には悲しかった。姫君がにわかにいろいろな物思いを胸に持って、寂しい顔をしている時に明石夫人が出て来た。昼の加持にあちらこちらから手つだいの者や僧が来て騒いでいるのを、この人は今まで監督していたのであるが、来てみると姫君のそばには他の者がいずに尼君だけが得意な気分を見せて近くにすわっていた。
「体裁が悪うございますよ。短い几帳《きちょう》で身体《からだ》をお隠しになってお付きしていらっしゃればいいのに、風が吹いていますからお座敷の外から人がのぞけば、あなたはお医者のような恰好《かっこう》でおそばに出ているのですから恥ずかしい。こんなふうにしておいでになってはね」
 などと明石は片腹痛がっていた。品のよいとりなしでこうしているのであると尼君自身は信じているのであるが、もう耳もあまり聞こえなくて、娘の言葉も、
「ああよろしいよ」
 などと言っていいかげんに聞いているのである。六十五、六である。しゃんとした尼姿で上品ではあるが、目を赤く泣きはらしているのを見ては、古い時代、つまり源氏の君の明石の浜を去ったころによくこうであったことが思い出されて夫人ははっとした。
「間違いの多い昔話などを申していたのでしょう。怪しくなりました記憶から取り出します話には荒唐無稽《こうとうむけい》な夢のようなこともあるのでございますよ」
 と、微笑を作りながら夫人のながめる姫君は、艶《えん》にきれいな顔をしていて、しかも平生よりはめいったふうが見えた。自身の子ながらももったいなく思われるこの人の心を、傷つけるような話を自身の母がして煩悶《はんもん》をしているのではないか、お后《きさき》の位にもこの人の上る時を待って過去の真実を知らせようとしていたのであるが、現在はまだ若いこの人でも、昔話から母の自分をうとましく思うことはあるまいが、この人自身の悲観することにはなろうと明石夫人は憐《あわれ》んだ。加持が済んで僧たちの去ったあとで、夫人は近く寄って菓子などを勧め、
「少しでも召し上がれ」
 と心苦しいふうに姫君を扱っていた。尼君はりっぱな美しい桐壺《きりつぼ》の方に視線をやっては感激の涙を流していた。顔全体に笑《え》みを作って、口は見苦しく大きくなっているが、目は流れ出す涙で悲しい相になっていた。困るというように明石は目くばせをするが、気のつかないふうをしている。

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「老いの波かひある浦に立ちいでてしほたるるあまをたれか咎《とが》めん
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 昔の聖代にも老齢者は罪されないことになっていたのでございますよ」
 と尼君は言った。硯箱《すずりばこ》に入れてあった紙に、

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しほたるるあまを波路のしるべにて尋ねも見ばや浜の苫屋《とまや》を
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 こんな歌を姫君は書いた。明石も堪えがたくなって泣いた。

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世を捨てて明石の浦に住む人も心の闇《やみ》は晴るけしもせじ
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 などと言って、この場の悲しい空気の密度をより濃くすまいとした。姫君は祖父に別れた朝のことなどを、心には忘れていても、夢の中だけにも見たいのが見えぬのは残念であると思った。
 三月の十幾日に桐壺の方は安産した。その時まではあぶないことのようにして、多くの祈祷が神仏にささげられていたのであるが、たいした苦しみもなく、しかも男宮をお生みしたのであったから、この上の幸福もないようで院のお心も落ち着いた。こちらは蔭《かげ》の場所のようになっていた所で、ただ風流な座敷が幾つも作られてある建物では、いかめしい今後続いてあるはずの産養《うぶやしない》の式などに不便であって、老尼君のためにだけはうれしいことと見えても、外見へは不都合であるために、南の町へ産屋《うぶや》を移す計画ができていた。紫の女王《にょおう》も出て来た。白い服装をして母らしく若宮をお抱きしている姫君はかわいく見えた。紫夫人は自身に経験のないことであったし、他の人の場合にもこうした産屋などに立ち合ったことはなかったから、幼い宮を珍しくおかわいく思うふうが見えた。まだあぶないように思われるほどの小さい方を女王は始終手に抱いているので、ほんとうの祖母である明石《あかし》夫人は、養祖母に任せきりにして、産湯《うぶゆ》の仕度《したく》などにばかりかかっていた。東宮|宣下《せんげ》の際の宣旨拝受の役を勤めた典侍《ないしのすけ》がお湯をお使わせするのであった。迎え湯を盥《たらい》へ注《つ》ぎ入れる役を明石の勤めるのも気の毒で淑景舎《しげいしゃ》の方の生母がこの人であることは知らないこともない東宮がたの女房たちは目をとめて、どこかに欠点でもある人なら当然のこととも思っておられようが、あまりに気高《けだか》い明石の姿はこの人たちに畏敬《いけい》の念を起こさせて、未来の天子の御外祖母たる因縁を身に備えて生まれた人に違いないというようなことも思わせた。お湯殿の式のくわしい記事は省略する。
 六日めに以前の南の町の御殿へ桐壺の方は移った。七日の夜には宮中からのお産養《うぶやしない》があった。朱雀《すざく》院が世捨て人の御境遇へおはいりになったために、そのお代わりにあそばされたことであったらしい。宮中から頭の弁が宣旨で来て、この日の派手《はで》な祝宴を管理した。纏頭《てんとう》の品々は中宮のお志で慣例以上の物が出された。親王がた、諸大臣家からもわれもわれもとはなやかな御祝い品の来るお産屋《うぶや》であった。この際の祝宴については、いつも華奢《かしゃ》に流れることは遠慮したいとお言いになる院も、あまりお止めにはならなかったために、目もくらむほどのお産養の日が続き、ぼんやりとしていた筆者にその際の洗練された細かな物好みで製作されたおのおのの式の賀品などのことによく気がつかなかった。
 院は若宮をお抱きになって、
「大将が幾人も持った子を今まで見せないのを恨めしく思っていたが、こんなかわいい方が授かった」
 と愛しておいでになるのはごもっともなことである。毎日物が引き伸ばされるように若宮は大きくおなりになるのであった。乳母《めのと》などは新しい人をお見つけになることは当分されずに、これまでの六条院の女房の中から、身柄も性質もよい人ばかりを選んでお付けになった。明石夫人が聡明《そうめい》で、気高《けだか》い、おおような心を持っていながら、ある場合に卑下することを忘れずに、自身が表に出ようとすることのない態度のとれることについてはほめない人はなかった。紫夫人は顔をあらわに見せて話すようなことは今までこの人となかったのであるが、今度はよく睦《むつ》まじく話して、過去においては長く僭越《せんえつ》な競争者であると見ていた人に好意を持ちうるようになり、若宮を愛する気持ちの交流があたたかい友情までも覚えさすことになった。女王《にょおう》は子供好きであったから、天児《あまがつ》の人形などを自身で縫ったりしている時はことさら若々しく見えた。日夜を若宮のために心をつかう紫夫人であった。明石の老尼は、若宮を満足できるほど拝見することのできないのを残念に思っていた。しかしそれがかえって幸いであったかもしれぬ、なおしばらくでもそばでお愛し申し上げるような時間が許されたものであれば、あとの恋しい思いで尼は死んだかもしれないから。
 明石の入道も姫君の出産の報を得て、人間離れのした心にも非常にうれしく思われて、
「もうこれでこの世と別な境地へ自分の心を置くことができる」
 と弟子《でし》どもに言い、明石の邸宅を寺にし、近くの領地は寺領に付けて以前から播磨《はりま》の奥の郡《こおり》に人も通いがたい深い山のある所を選定して、最後のこもり場所としてあったものの、少しまだ不安な点が残していく世にあって、なおそこへは移らなかった山の草庵《そうあん》へ、もう今後の子孫の運は仏神にお頼みするばかりであるとして入道は行ってしまうのであった。近年はもう京の家族も順調に行っていることに安心して、使いを出してみることもなかったのである。京から使いが送られた時にだけ短いたよりを尼君へ書いて来た。入道はいよいよ明石を立つ時に、娘の明石夫人へ手紙を書いた。
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この幾年間はあなたと同じ世界にいながらすでに他界で生存するもののような気持ちでたいしたことのない限りはおたよりを聞こうともしませんでした。仮名書きの物を読むのは目に時間がかかり、念仏を怠ることになり、無益《むやく》であるとしたのです。またこちらのたよりもあげませんでしたが、承ると姫君が東宮の後宮へはいられ、そして男宮をお生み申されたそうで、私は深くおよろこびを申し上げる。その理由はみじめな僧の身で今さら名利を思うのではありません。過去の私は恩愛の念から離れることができず、六時の勤行をいたしながらも、仏に願うことはただあなたに関することで、自身の浄土往生の願いは第二にしていましたが、初めから言えば、あなたが生まれてくる年の二月の某日の夜の夢に、こんなことを見たのです、私自身は須弥山《しゅみせん》を右の手にささげているのです。その山の左右から月と日の光がさしてあたりを照らしています。私には山の陰影《かげ》が落ちて光のさしてくることはないのです。私はその山を広い海の上に浮かべて置いて、自身は小さい船に乗って西のほうをさして行くので終わったのです。その夢のさめた朝から私の心にはある自信ができたのですが、何によってそうした夢に象徴されたような幸福に近づきうるかという見当がつかなかったところ、ちょうどそのころから母の胎に妊《はら》まれたのがあなたです。普通の書物にも仏典にも夢を信じてよいことが多く書かれてありますから、無力な親でいてあなたをたいせつなものにして育てていましたが、そのために物質的に不足なことのないようにと京の生活をやめて地方官の中へはいったのです。ここでまた私の身の上に悪いことが起こり、しまいに土着して出家の人になり、あなたは姫君をお生みになったそのころのことは知っておいでになるとおりです。その時代に私は多くの願を立てていましたが、皆神仏のお容《い》れになることになり、あなたは幸福な人になられました。姫君が国の母の御位《みくらい》をお占めになった暁には住吉《すみよし》の神をはじめとして仏様への願果たしをなさるようにと申しておきます。私の大願がかなった今では、はるかに西方の十万億の道を隔てた世界の、九階級の中の上の仏の座が得られることも信じられます。今から蓮華《れんげ》をお持ちになる迎えの仏にお逢《あ》いする夕べまでを私は水草の清い山にはいってお勤めをしています。

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光いでん暁近くなりにけり今ぞ見しよの夢語りする
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 そして日づけがある。またあとへ、
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私の命の終わる月日もお知りになる必要はありません。人が古い習慣で親のために着る喪服などもあなたはお着けにならないでお置きなさい。人間の私の子ではなく、別な生命《いのち》を受けているものとお思いになって、私のためにはただ人の功徳《くどく》になることをなさればよろしい。この世の愉楽をわが物としておいでになる時にも後世《ごせ》のことを忘れぬようになさい。私の志す世界へ行っておれば必ずまた逢うことができるのです。娑婆《しゃば》のかなたの岸も再会の得られる期の現われてくることを思っておいでなさい。
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 こう書いて終わってあった。また入道が住吉の社《やしろ》へ奉った多くの願文を集めて入れた沈《じん》の木の箱の封じものも添えてあった。尼君への手紙は細かなことは言わずに、ただ、
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この月の十四日に今までの家を離れて深山《みやま》へはいります。つまらぬわが身を熊《くま》狼《おおかみ》に施します。あなたはなお生きていて幸いの花の美しく咲く日におあいなさい。光明の中の世界でまた逢いましょう。
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 と書かれただけのものであった。読んだあとで尼君は使いの僧に入道のことを聞いた。
「お手紙をお書きになりましてから三日めに庵《いおり》を結んでおかれました奥山へお移りになったのでございます。私どもはお見送りに山の麓《ふもと》へまで参ったのですが、そこから皆をお帰しになりまして、あちらへは僧を一人と少年を一人だけお供にしてお行きになりました。御出家をなさいました時を悲しみの終わりかと思いましたが、悲しいことはそれで済まなかったのでございます。以前から仏勤めをなさいますひまひまに、お身体《からだ》を楽になさいましてはお弾《ひ》きになりました琴《きん》と琵琶《びわ》を持ってよこさせになりまして、仏前でお暇乞《いとまご》いにお弾きになりましたあとで、楽器を御堂《みどう》へ寄進されました。そのほかのいろいろな物も御堂へ御寄付なさいまして、余りの分をお弟子《でし》の六十幾人、それは親しくお仕えした人数ですが、それへお分けになり、なお残りました分を京の御財産へおつけになりました。いっさいをこんなふうに清算なさいまして深山《みやま》の雲霞《くもかすみ》の中に紛れておはいりになりましたあとのわれわれ弟子どもはどんなに悲しんでいるかしれません」
 と播磨《はりま》の僧は言った。これも少年侍として京からついて行った者で、今は老法師で主に取り残された悲哀を顔に見せている。仏の御弟子で堅い信仰を持ちながらこの人さえ主を失った歎《なげ》きから脱しうることができないのであるから、まして尼君の歎きは並み並みのことでなかった。
 明石《あかし》夫人はたいてい南の町のほうへばかり行っていたが、明石の使いが入道の手紙をもたらしたことを尼君が報らせて来たため、そっと北の町へ帰って来た。この人は自重していて少しのことによって軽々しく往来《ゆきき》することはしないのであるが、悲しいたよりがあったというので忍びやかに出て来たのである。見ると尼君は非常に悲しいふうをしてすわっていた。燈《ともしび》を近くへ寄せさせて夫人は手紙を読んでみると、自身からもとどめがたい涙が流れた。他人にとっては何でもないことも子としては忘れがたい思い出になる昔のことが多くて、常に恋しくばかり思われた父は、こうして自分たちから永久に去ったのかと思うと、どうしようもない深い悲しみに落ちるばかりであった。この夢の話によって、自分に不相応な未来を期待して、人並みの幸福を受けさせずに苦しめる父であるようにある時代の自分が恨んだのも、一つの夢を頼みにした父であったからであると、はじめて理解のできた気もした。少したって尼君は、
「あなたがあったために輝かしい光栄にも私は浴していますが、またあなたのためにどれほどの苦労を心でしたことか。たいしたことのない家の子ではあっても、生まれた京を捨てて田舎《いなか》へ行ったころも不運な私だと思われましたがね。あとになって生きながら別れなければならぬとは予想せずに、同じ蓮華《れんげ》の上へ生まれて行く時まで変わらぬ夫婦でいようとも互いに思って、愛の生活には満足して年月を送ったのですが、にわかにあなたの境遇が変わって、私もそれといっしょに捨てた世の中へ帰り、あなたがたが幸福に恵まれるのを目に見ては喜びながらも、一方では別れ別れになっている寂しさ、たよりなさを常に思って悲しんでいましたが、とうとう遠く隔たったままでお別れしてしまったのが残念に思われます。若い時代のあの方も人並みな処世法はおとりにならずに、風変わりな人だったが、縁あって若い時から愛し合った二人の中には深い信頼があったものですよ。どうしてこの世の中でいながら逢《あ》うことのできない所へあの方は行っておしまいなすったのだろう」
 と言って泣いた。夫人も非常に泣いた。
「こうお言いになっても、すばらしい将来などというものが私にあるものですか。価値《ねうち》のない私がどうなりうるものでもないのですから、私を愛してくだすったお父様にお目にかかることもできずにいるこの悲しみにそれは代えられるほどのものと思われませんが、私たちは幸福な姫君をこの世にあらしめるために、悲しい思いも科せられているものと思うよりほかはありません。そんなふうにして山へおはいりになっては、無常のこの世ですもの、知らぬまにおかくれになるようなことになっては悲しゅうございますね」
 とも言い、夜通し尼君と入道の話をしていた。
「昨日は私のあちらにいますのを院が見ていらっしゃったのですから、にわかに消えたようにこちらへ来ていましては、軽率に思召《おぼしめ》すでしょう。私自身のためにはどうでもよろしゅうございますが、姫君に累を及ぼすのがおかわいそうで自由な行動ができませんから」
 こう言って夫人は夜明けに南の町へ行くのであった。
「若宮はいかがでいらっしゃいますか。お目にかかることはできないものですかね」
 このことでも尼君は泣いた。
「そのうち拝見ができますよ。姫君もあなたを愛しておいでになって、時々あなたのことをお話しになりますよ。院もよく何かの時に、自分らの希望が実現されていくものなら、そんなことを不安に思っては済まないが、なるべくは尼君を生きさせておいてみせたいと仰せになりますよ。御希望とはどんなことでしょう」
 と夫人が言うと、尼君は急に笑顔《えがお》になって、
「だから私達の運命というものは常識で考えられない珍しいものなのですよ」
 とよろこぶ。手紙の箱を女房に持たせて明石は淑景舎《しげいしゃ》の方《かた》の所へ帰った。
 東宮から早く参るようにという御催促のしきりにあるのを、
「ごもっともですわね。若宮様もいらっしゃるのですもの、どんなに早くお逢《あ》いあそばしたいでしょう」
 と紫夫人も言って、院は若宮を東宮へお上《のぼ》らせする用意をしておいでになった。桐壺の方は退出のお許しが容易に得られなかったのに懲りて、この機会に今しばらく実家の人になっていたい気持ちでいるのである。小さい身体《からだ》で女の大難を経てきたのであったから、少し顔が痩《や》せ細って非常に艶《えん》な姿になっていた。
「はっきりとなさいませんから、もう少しこちらで御養生をなさいますほうがいいと思います」
 と言うのは明石夫人の意見であった。
「少し細られたこの姿をお目にかけるのはかえってまたよい結果のあるものなのだ」
 などと院は言っておいでになるのである。明石は紫の女王《にょおう》などが対へ帰ったあとの静かな夕方に、姫君のそばへ来て、文書のはいった沈《じん》の木箱を見せ、入道のことを語るのであった。
「すべてのことが成り終わりますまでは、こんな物をお目にかけないほうがいいのかもしれませんが、人の命は無常なものでございますからね。何も御承知にならぬうちに私が亡《な》くなりますことがありましても、必ずしも臨終にあなた様のおいでがいただける身の上でもございませんから、とにかく健在なうちにこうしたこともお聞かせしておくほうがよいと存じまして、それに字が悪くて読みにくいものでございますがこの手紙もお見せすることにいたしましたから、御覧なさいませ。この箱の中の願文《がんもん》はお居間の置き棚《だな》などへしまってお置きになりまして、何をなさることも可能な時がまいりましたら、これに書かれてございます神様などへ入道がいたしました願のお酬《むく》いをなすってくださいませ。他人にはお話をなさらないほうがよろしゅうございます。私はもうあなたのお身の上で何が不安ということもなくなったのでございますから、尼になりたい気がしきりにいたすのでございまして、長くお世話を申し上げることはできないでございましょう。あなたは対のお母様の御恩をお忘れになってはいけませんよ。ありがたい方でございます。拝見いたしまして、ああしたりっぱな人格の方は必ず命も長くお恵まれになるだろうと思っております。あなたとごいっしょにおりますことはあなたの幸福でないと私が思いまして、はじめて女王様にあなたをお譲り申し上げました時には、これほどまでの愛をあなたにお持ちになることは想像できませんで、それ以後もただ世間並みのよいといわれる継母《ままはは》ぐらいのことと思いましたが、あの方の御愛情はそんなものではありませんでした。あの方にお任せいたしますほど安心なことはないとよく私はわかったのでございます」
 などと明石は淑景舎《しげいしゃ》に言った。姫君は涙ぐんで聞いていた。実母に対しても打ち解けたふうができず、おとなしくものの多く言われない姫君なのである。入道の手紙は若い心に無気味なこわい気のされるようなことが、古檀紙の分厚い黄色がかった、それでも薫物《たきもの》の香の染《し》んだのへ五、六枚に書かれてあるのを、姫君は身にしむふうで読んでいて額髪が涙にぬれていく様子が艶《えん》であった。
 院は女三《にょさん》の宮《みや》のお座敷のほうにおいでになったのであるが、中の戸をあけてにわかにこちらへお見えになったのを知って、明石夫人は急なことで姫君の前に出された文書類を隠すことができず、几帳《きちょう》を少し前のほうへ引き寄せ、自身もその蔭《かげ》へ姿を隠してしまった。
「若宮が私の足音でお目ざめになりませんでしたか。しばらくでも見ずにいては恋しいものだから」
 と院がお言いになっても姫君は黙っているのを見て、明石が、
「対へおつれになったのでございます」
 と言った。
「けしからんね、若宮をわが物顔にして懐中《ふところ》からお放ししないのだから。始終自身の着物をぬらして脱ぎかえているのですよ。軽々しく宮様をあちらへおやりするようなことはよろしくない。こちらへ拝見に来ればいいではないか」
「思いやりのないことを仰せになります。内親王様であってもあの女王様に御養育おされになるのがふさわしいことと存じられますのに、まして男宮様は、そんなに尊貴でおありあそばしても、あちこちおつれ申すほどのことが何でございましょう。御冗談《ごじょうだん》にでも女王様のことをそんなふうにおっしゃってはよろしくございません」
 明石夫人はこう抗弁した。院はお笑いになって、
「ではもうあなたがたにお任せきりにすべきだね。このごろはだれからも私は冷淡に扱われる。今のようなたしなめを言ったりする人もある。そうじゃありませんか、こんなに顔を隠していて、私を悪くばかり」
 と、お言いになって、几帳を横へお引きになると、明石は清い顔をして中の柱に品よくよりかかっているのであった。先刻《さっき》の箱もあわてて隠すのが恥ずかしく思われてそのままにしてあった。
「何の箱ですか。恋する男が長い歌を詠《よ》んで封じて来たもののような気がする」
 院がこうお言いになると、
「いやな御想像でございますね。御自身がお若返りになりましたので、私どもさえまで承ったこともないような御冗談をこのごろは伺います」
 と明石は言って微笑を見せていたが、悲しそうな様子は瞭然《りょうぜん》とわかるのであったから、不思議にお思いになるふうのあるのに困って、明石が言った。
「あの明石の岩窟《いわや》から、そっとよこしました経巻とか、まだお酬《むく》いのできておりません願文の残りとかなのでございますが、姫君にも昔のことをお話しする時があれば、これもお目にかけたらどうかと申してもまいっているのでございますが、ただ今はまだそうしたものを御覧なさいます時期でもないのでございますから、お手をおつけになりません」
 お聞きになって、娘と母に悲しい表情の見えるのももっともであるとお思いになった。
「あれ以後ますます深い信仰の道を歩んでおいでになることであろう。長命をされて長い間のお勤めが仏にできたのだから結構だね。世間で有名になっている高僧という者もよく観察してみると、俗臭のない者は少なくて、賢い点には尊敬の念も払われるが、私には飽き足らず思われる所がある、あの人だけはりっぱな僧だと私にも思われる。僧がらずにいながら、心持ちはこの世界以上の世界と交渉しているふうに見えた人ですよ。今ではまして係累もなくなって、超然としておられるだろうあの人が想像される。手軽な身分であればそっと行って逢《あ》いたい人だ」
 院はこうお言いになった。
「ただ今はもうあの家も捨てまして、鳥の声もせぬ山へはいったそうでございます」
「ではその際に書き残されたものなのだね。あなたからもたよりはしていますか。尼さんはどんなに悲しんでおいでになるだろう。親子の仲とはまた違った深い愛情が夫婦の仲にはあるものだからね」
 院も涙ぐんでおいでになった。
「あれからのちいろいろな経験をし、いろいろな種類の人にも逢《あ》ったが、昔のあの人ほど心を惹《ひ》く人物はなくて、私にも恋しく思われる人なのだから、そんなことがあれば夫婦であった尼君の心はいたむことだろう」
 ともお言いになる院に、入道の夢の話をお思い合わせになることがあろうもしれぬと明石夫人はその手紙を取り出した。
「変わった梵字《ぼんじ》とか申すような字はこれに似ておりますが読みにくい字で書かれましたものでも御参考になることが混じっているようでございますからお目にかけます。昔の別れにももう今日のあることを申しておりまして、あきらめたつもりでおりましても、やはりまた悲しゅうございます」
 と言い、感じの悪くない程度に泣いた。院は手にお取りになって、
「りっぱじゃありませんか。老いぼけてなどいないいい字だ。どんな芸にも達しておられて、尊敬さるべき人なのだが、処世の術だけはうまくゆかなかった人だね。あの人の祖父の大臣は賢明な政治家だったのが、ある一つのことで失敗をされたために、その報いで子孫が栄えないなどと言う人もあったが、女系をもってすれば繁栄でないとは言われなくなったのも、あの人の信仰が御仏《みほとけ》を動かしたといってよいことですね」
 などと言い、涙をぬぐいながら読んでおいでになったが、夢の話の所はことに院の御注意を惹《ひ》いた。常人の行ないができずに、むやみに思い上がった望みを持つ男であると人の批難を受け、自分なども非常識に狂気じみて結婚を強要する人だと疑って思っていたことも、姫君が生まれてきたことで、前生の因縁がかくあった間柄であると認めたのであるが、なおそれ以外の未来にどんな望みを入道が持っているかは知らずにいたが、これで見れば初めから君王の母がその家から出る確信があったらしい。冤罪《えんざい》を蒙《こうむ》って漂泊してまわる運命を自分が負ったことも、この姫君が明石で生まれるためなのであった。神仏にかけた願はどんなものであったのであろうと、心で拝をなされながらその箱を院はお取りになった。
「これといっしょにあなたに見せておきたいものもありますから、またそのうち私からもお話しすることにしよう」
 と院は姫君へお言いになった。そのついでに、
「もうあなたは自分の生まれてきた事情を明らかに知ることができたでしょうが、あちらのお母様の好意をおろそかに思ってはなりませんよ。真実の親子、肉身の仲でなくて、他人が少しでも愛してくれ、親切にしてくれるのはありがたいことだと思わなければならない。まして実母があなたのそばへ来たあとまでも初めどおりにあなたを愛することが変わらずに、あなたに幸福があるようにとばかりあの人は願っています。昔からある継母《ままはは》話のように、表面だけを賢そうにして継子《ままこ》の世話をする、それはまあよいと見られている母親も、また曲がった心で娘を苦しめている母親も、娘のほうで善意にばかりものを解釈して信頼してやれば、こんな人を憎んでは罪になるという気がして反省するのがありますし、またよい性格の人であれば、継娘《ままこ》に気に入らぬ所はあっても、母として信頼される立場になっては、いつとなく最初の態度を変えるのもあるでしょう。何でもないことに難くせをつけ、愛の皆無な思いやりのない継母でとうてい娘のほうから近づけないのもあるでしょう。私はそうたくさん女の人を知っているのではないが、とにかく私の知っている人で、生まれもよく、婦人としての見識も備わった人で、またそれぞれの長所を持った人でも、自分の娘を託しうる人をその中から選び出すのは困難です。真に心の癖のないよい女性は対のお母様以外にありません。これこそ善良な女性というべきだと私は信じている。善良といっても単にお人よしの締まりのない人は頼みになりません」
 と訓《おし》えておいでになるのを聞いていて、紫夫人の偉さが明石にうなずかれた。
「あなただけはその訳もわかる人なのだから、仲よくしてこの方のお世話もいっしょにしてください」
 とまた小声で明石へお言いになった。
「ただ今まで仰せにはなりませんが女王様の御好意がよくわかるものでございますから、毎度そのことをお話しいたしております。私を失礼な女と思召《おぼしめ》すのでございましたら、この方をこれほどにお愛しにもならないでございましょうが、自分で片腹痛く存じますまでに私を御同等な人のようにお扱いくださいますから、私は恐縮いたすばかりでございます。何の価値もない私などが亡《な》くなりもしませずいつまでも姫君のおそばにおりますのは、世間の聞こえもよろしくないことと御遠慮がされますのを、女王様の御好意でどうやら邪魔者らしくなくしていられます」
 と明石が言うと、
「あなたに尽くす心などはないだろうが、姫君を母として愛する心を今になって分けてもらいたいために譲るところがあるのでしょう。あなたもまた実母の権利を主張なさらないから双方の間が円満にいって、私はこれほど安心のできることはない。ちょっとしたことにもあさはかな邪推などする人が一人でもあれば周囲の人は迷惑するものですからね。あなたがたには欠点がないから私は苦心をすることもない」
 この院のお言葉を聞いて、明石は謙遜《けんそん》をしてよかったと思った。院は対のほうへお帰りになった。
「ますます女王《にょおう》様に御愛情が傾くようですね。実際だれよりもすぐれた、あらゆるものを具足した方なのですから、ごもっともだとわれわれでさえ思うというのは幸福な方ですね。宮様を表面だけりっぱなお扱いをなすっても、あちらにおいでになることが多いのですもの、もったいないことともいわれます。御身分から申しても宮様が一段上の方なのですもの」
 などと姫君に語りながらも、明石《あかし》はいささか自信を持つことができるのであった。それは姫君を持っていることにおいてである。高貴な方でさえ飽き足らぬ待遇を受けておいでになる夫人の中の一人で、薄い院の御愛情などをとやかく自分などは思うべきでないと、そのことではあきらめができていて、明石の心に悲しく思われるのは深い山へはいった父の入道のことだけであった。尼君も終わりの文《ふみ》に書かれた良人《おっと》の一言を頼みにして、未来の世を考えながらも物思わしくしていた。
 源大将は女三の宮をあるいは得られたかもしれぬ立場にいた人であったから、六条院に来ておいでになるのを無関心でいることもできなかった。院の御子としてその御殿へ近づく機会もあって、それとなく観察しているのであったが、ただ若々しくおおようなという点だけのよさがある方のようで、壮麗な六条院の本殿へお住ませになって、今後の例になるまで派手《はで》な御待遇をしておいでになっても、それだけの貴女たる価値のありなしをこの人には疑われた。女房なども落ち着いた年齢の人は少なく、若い美人風、派手な騒ぎをするようなのが数も知れぬほどお付きしていて、歓楽的な空気の横溢《おういつ》しているお住居《すまい》であったから、そんな中に内気なおとなしい人が混じって物思いをしていても軽佻《けいちょう》に騒ぐ仲間に引かれて、それも同じように朗らかなふうをしていたり、毎日幼稚なお遊びの相手ばかりをしている童女の教養なさなどを院は気持ちよくは思召《おぼしめ》さなかったが、一つの趣味の目でものを見ようとされぬ方であったから、それはそれとして許して見ておいでになって、御干渉もあそばさなかった。夫人になられた宮に対してだけはよくお教えになるのであったから、以前よりは少しごりっぱな方らしくおなりになった。そんなことが外聞にも知れてくるのを大将は見て、すぐれた人の少ない世だ、紫の女王がこんなに長い間ごいっしょにおられても、だれにもどんなふうな、どんな女性であるという想像もさせない重々しさがあって、静かに深みのある女であることを願って、またさすがに明朗な態度をとり、他を軽侮せず自身の自尊心を傷つけない用意があると思い、何年かの前に野分《のわき》の夕べに見た面影が忘れがたかった。自身の夫人を愛する心は変わらなかったが、その人は相手にしがいのある優越した女性でなかった。恋人を妻にしたあとの安心した気持ちと、その人ばかりを見ている目の倦怠《けんたい》さで、父君が異なった幾人の夫人を集めておいでになる六条院の生活がうらやましくて、だれも皆自分の妻よりも相手にしておもしろい人のように思われてならないのである。その中で姫宮は御身分からいっても最も若い思い上がった大将などには興味の惹《ひ》かれる御存在ではあったが、表面をお飾りになるだけの愛情以外の何ものもないような院の御待遇がこの人によくわかっていて、あるまじい心を起こしたというでもなしに、お顔の見られる時があればよいとは願っていた。右衛門督《うえもんのかみ》も始終六条院へ参っている人であった。この宮を山の帝《みかど》がどんなにお愛しあそばしたかもくわしく知っていて、御婿選びの時以来この宮に好意を持ち、この求婚者には院の帝も決してもってのほかのこととは仰せられなかったという報は得たのでありながら、宮は六条院へ入嫁されたのを残念に思い、心も傷つけられたほどに苦しんで、今でも衛門督は恋を捨てていなかった。そのころから心安くなった女房によって、宮の御様子を聞くのをはかない慰めにしていたのである。
「やはり対の夫人とは御競争がおできにならないようだ」
 と世間の人の噂《うわさ》するのが耳にはいる時、もったいなくても自分の妻に得ておれば、そうした物思いはおさせしなかったはずである。二人とない六条院のようなりっぱな男で自分はないのであるがと、こんなことを言って、始終心安くなっている小侍従という宮の女房を煽動《せんどう》するようなことを言い、無常の世であるから、御出家のお志の深い院が御|遁世《とんせい》になる場合もあったなら、自分は女三の宮を得たいと絶えず思っている右衛門督《うえもんのかみ》であった。
 三月ごろの空のうららかな日に、六条院へ兵部卿《ひょうぶきょう》の宮がおいでになり、衛門督もお訪《たず》ねして来た。院はすぐに出てお逢《あ》いになった。
「ひまな私の所などはこの時節などが最も退屈で、気を紛らすことができずに困っていましたよ。どこも皆無事平穏なのですね。今日はどうして暮らしたらいいだろう」
 などと院はお言いになって、また、
「今朝《けさ》大将が来ていたのだがどこにいるだろう。慰めに小弓でも射させたく思っている時にちょうどそれのできる人たちもまた来ていたようだったが、もう皆出て行ったのだろうか」
 近侍にこうお聞きになった。大将は東の町の庭で蹴鞠《けまり》をさせて見ているという報告をお聞きになって、
「乱暴な遊びのようだけれど、見た目に爽快《そうかい》なものでおもしろい」
 とお言いになり、
「こちらへ来るように」
 と、院が大将を呼びにおやりになると、すぐに庭で蹴鞠をしていた人たちはこちらへ来た。若い公達《きんだち》が多かった。
「鞠もこちらへ持って来ましたか。だれとだれがあちらへ来ているのか」
 大将の所にいた官人たちの名があげられ、
「それもこちらへ来させましょうか」
 と大将は父君へ申した。寝殿の東側になった座敷には桐壺《きりつぼ》の方《かた》がいたのであるが、若宮をお伴いして東宮へ参ったあとで、そこは空《あ》き間になっていて静かだった。蹴鞠の人たちは流水を避けて競技によい場所を求めて皆庭へ出た。太政大臣家の公達は頭弁《とうのべん》などという成年者も兵衛佐《ひょうえのすけ》、太夫《たゆう》の君などという少年上がりの人も混じって来ているが、他に比べて皆|風采《ふうさい》がきれいであった。時間がたち日暮れになるまで、この競技に適して風も出ないよい日だと皆言って庭上の遊びは続いていたが、頭弁も闘志がおさえられなくなったらしくその中へ出て行った。
「文官の誇りにする弁さえ傍観していられないのだから、高官になっていても若い衛府《えふ》の人などはおとなしくしている必要もない。私の青春時代にもそうしたことの仲間にはいりえないのが残念に思われたものだ。しかし軽々しく人を見せるね、この遊びは」
 院がお勧めになるので、大将も衛門督も皆出て、美しい桜の蔭《かげ》を行き歩いていたこの夕方の庭のながめはおもしろかった。あまり静かでないこの遊戯であるが、乱暴な運動とは見えないのも所がら人柄によるものなのであろう。趣のある庭の木立ちのかすんだ中に花の木が多く、若葉の梢《こずえ》はまだ少ない。遊び気分の多いものであって、鞠の上げようのよし悪しを競って、われ劣らじとする人ばかりであったが、本気でもなく出て混じった衛門督《えもんのかみ》の足もとに及ぶ者はなかった。顔がきれいで風采の艶《えん》なこの人は十分身の取りなしに注意して鞠を蹴り出すのであったが、自然にその姿の乱れるのも美しかった。正面の階段《きざはし》の前にあたった桜の木蔭で、だれも花のことなどは忘れて競技に熱中しているのを、院も兵部卿の宮も隅《すみ》の所の欄干によりかかって見ておいでになった。それぞれ特長のある巧みさを見せて勝負はなお進んでいったから、高官たちまでも今日はたしなみを正しくしてはおられぬように、冠の額を少し上へ押し上げたりなどしていた。大将も官位の上でいえば軽率なふるまいをすることになるが、目で見た感じはだれよりも若く美しくて、桜の色の直衣《のうし》の少し柔らかに着|馴《な》らされたのをつけて、指貫《さしぬき》の裾《すそ》のふくらんだのを少し引き上げた姿は軽々しい形態でなかった。雪のような落花が散りかかるのを見上げて、萎《しお》れた枝を少し手に折った大将は、階段《きざはし》の中ほどへすわって休息をした。衛門督が続いて休みに来ながら、
「桜があまり散り過ぎますよ。桜だけは避けたらいいでしょうね」
 などと言って歩いているこの人は姫宮のお座敷を見ぬように見ていると、そこには落ち着きのない若い女房たちが、あちらこちらの御簾《みす》のきわによって、透き影に見えるのも、端のほうから見えるのも皆その人たちの派手《はで》な色の褄袖口《つまそでぐち》ばかりであった。暮れゆく春への手向けの幣《ぬさ》の袋かと見える。几帳《きちょう》などは横へ引きやられて、締まりなく人のいる気配《けはい》があまりにもよく外へ知れるのである。
 支那《しな》産の猫《ねこ》の小さくかわいいのを、少し大きな猫があとから追って来て、にわかに御簾《みす》の下から出ようとする時、猫の勢いに怖《おそ》れて横へ寄り、後ろへ退《の》こうとする女房の衣《きぬ》ずれの音がやかましいほど外へ聞こえた。この猫はまだあまり人になつかないのであったのか、長い綱につながれていて、その綱が几帳の裾《すそ》などにもつれるのを、一所懸命に引いて逃げようとするために、御簾の横があらわに斜《はす》に上がったのを、すぐに直そうとする人がない。そこの柱の所にいた女房などもただあわてるだけでおじけ上がっている。几帳より少し奥の所に袿姿《うちぎすがた》で立っている人があった。階段のある正面から一つ西になった間《ま》の東の端であったから、あらわにその人の姿は外から見られた。紅梅|襲《がさね》なのか、濃い色と淡《うす》い色をたくさん重ねて着たのがはなやかで、着物の裾は草紙の重なった端のように見えた。桜の色の厚織物の細長らしいものを表着《うわぎ》にしていた。裾まであざやかに黒い髪の毛は糸をよって掛けたようになびいて、その裾のきれいに切りそろえられてあるのが美しい。身丈に七、八寸余った長さである。着物の裾の重なりばかりが量《かさ》高くて、その人は小柄なほっそりとした人らしい。この姿も髪のかかった横顔も非常に上品な美人であった。夕明りで見るのであるからこまごまとした所はわからなくて、後ろにはもう闇《やみ》が続いているようなのが飽き足らず思われた。鞠《まり》に夢中でいる若公達《わかきんだち》が桜の散るのにも頓着《とんちゃく》していぬふうな庭を見ることに身が入って、女房たちはまだ端の上がった御簾に気がつかないらしい。猫のあまりに鳴く声を聞いて、その人の見返った顔に余裕のある気持ちの見える佳人であるのを、衛門督は庭にいて発見したのである。大将は簾《すだれ》が上がって中の見えるのを片腹痛く思ったが、自身が直しに寄って行くのも軽率らしく思われることであったから、注意を与えるために咳《せき》払いをすると、立っていた人は静かに奥へはいった。そうはさせながら大将自身も美しい人の隠れてしまったのは物足らなかったのであるが、そのうち猫の綱は直されて御簾も下《お》りたのを見て、大将は思わず歎息《たんそく》の声を洩《も》らした。ましてその人に見入っていた衛門督の胸は何かでふさがれた気がして、あれはだれであろう、女房姿でない袿であったのによって思うのでなくて、人と混同すべくもない容姿から見当のほぼつく人を、なおだれであろうか確かに知りたく思った。素知らぬ顔を大将は作っていたが、自分の見た人を衛門督の目にも見ぬはずはないと思って、その貴女をお気の毒に思った。何ともしがたい恋しく苦しい心の慰めに、大将は猫を招き寄せて、抱き上げるとこの猫にはよい薫香《たきもの》の香が染《し》んでいて、かわいい声で鳴くのにもなんとなく見た人に似た感じがするというのも多情多感というものであろう。
 院がこの若い二人の高官のいるほうを御覧になって、
「高官たちの席があまりに軽々しい。こちらへおいでなさい」
 とお言いになって、対のほうの南の座敷へおはいりになったので人々も皆従って行った。兵部卿の宮はまた室《へや》の中へ院とごいっしょに席を移してお落ち着きになった。高官らもごいっしょである。殿上役人たちは敷き物を得て縁側の座に着いた。饗応《きょうおう》というふうでなく椿餠《つばきもち》、梨《なし》、蜜柑《みかん》などが箱の蓋《ふた》に載せて出されてあったのを、若い人たちは戯れながら食べていた。乾物類の肴《さかな》でお座敷の人々へは酒杯が勧められた。衛門督はじっと思い入ったふうをしていて、ともすれば庭の桜へ目をやった。大将はあの場を共に見た人であったから、衛門督が作っている幻の何であるかがわかる気もするのであった。軽々しくあまりな端近へ出ておられたものであると大将は姫宮をお思いした。あれだけの方がなされることでもないのであるがと思われてくるにしたがって、今まで不可解であったことに合点のゆく気もした。そんな欠点がおありになるために、世間でたいした方のようにいう割合に院の御愛情が薄いという理由が発見されたのである。貴女らしいお慎みが足らず、無邪気であることは可憐《かれん》なものだが、その人の良人《おっと》になっては安心のできないことであろうと軽侮する念も起こった。衛門督は道義も何も思わぬ盲目的な情熱に燃えていた。思いも寄らぬ物の間からほのかながらも確かにその方を見ることができたのも、自分の長い間の恋の祈りが神仏に受け入れられた結果であろうと、こんな解釈をしながらも、ただそれが瞬間のことであったのを残念がった。
 院は座中の人に昔の話をいろいろあそばして、
「太政大臣は私の相手で勝負をよく争われたものだが、蹴鞠《けまり》の技術だけはとうてい自分が敵することのできぬ巧さがおありになった。親のすべてが子に現われてくるものではなかろうが、やはり芸の道だけは不思議によく伝わるものだね。あなたの今日のできばえはたいしたものだった」
 と衛門督へお言いになると、微笑を見せて
「他の点では父祖を恥ずかしめるような私でございますが、遺伝の蹴鞠の芸だけで後世へ名を残すことになりましたらそれで無事かもしれません」
 と言った。
「何も悪くはない。どんなことでも人に出抜けたことは書いておいて後世へ伝うべきだから」
 などと冗談《じょうだん》をお言いになる院の御様子の若々しくて、またお美しいのを衛門督は見て、自分は何によってこの方をおいて宮のお心を自分へ向けることができようと院と自身を比較してもみたが、何からも優越したものを見いだされないのをついに知り、衛門督は寂しい心になって六条院を退出した。大将も帰りを共にして衛門督と車中で話し合った。
「春の日の退屈を紛らわすのには六条院へ伺うのがいちばんよいことですね。また今日のようなひまの出来た時分、桜の散らぬ間にもう一度来るようにおっしゃっていましたから、春を惜しみがてらにこの月のうちにもう一度、その時は小弓をお供にお持たせになっていらっしゃい」
 と大将は言うのであった。道の別れ目までこうして同車して行くのであったが、衛門督は女三《にょさん》の宮《みや》のお噂《うわさ》ばかりがしたくて、
「院は今でも平生のお住居《すまい》は対のほうに決めていらっしゃるようですね。宮様はどんな気持ちでいられるだろう。朱雀《すざく》院様が御秘蔵になすった方が、第一の寵《ちょう》を他の夫人に譲って、しかも同じ家におられるかと思うとお気の毒ですね」
 こんな無遠慮なことを言い出すと、
「そんな失礼なことを院はなさいませんよ。対の夫人は普通にお婚《めと》りになったのでなく、御自身でお育てになった方だという事実から、少し違った親しみがおありになるだけでしょう。宮様を何事の上にでも第一夫人として立てておられますよ」
 と大将は否定した。
「そんなことはまあ言わないでお置きなさい。私は皆聞いて知っていますよ。とてもお気の毒な御様子でおられる時があるのだと言いますよ。光輝ある院の姫君がそれですよ。もったいない気のするのが当然じゃありませんか。

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いかなれば花に木《こ》伝ふ鶯《うぐひす》の桜を分きてねぐらとはせぬ
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 春の鳥でいながらねえ。私には合点のいかないことですよ」
 とも言う。穏当でないたとえをこの人はする、こんな乱暴なことを言うようになったのは、自分が想像したとおりに姫君を見た友が恋を覚えたものに違いないと大将は思った。

[#ここから1字下げ]
「深山木《みやまぎ》に塒《ねぐら》定むるはこ鳥もいかでか花の色に飽くべき
[#ここで字下げ終わり]

 あなたは誤解の上に立脚してお言いになるのだ」
 と反対して言ったが、興奮している右衛門督とこの問題を語ることは避くべきであると思い、あとはほかの話に紛らして別れた。
 衛門督はまだ太政大臣家の東の対に独身で暮らしているのである。結婚にある理想を持っていて長くこうして来たのであるが、時には非常に寂しく心細く思うこともあるものの、自分ほどの者に思うことのかなわないことはないという自信を多分に持って、そうした寂寥《せきりょう》感は心から追っているのであった。それがこの日の夕べからは頭が痛み出し、堪えがたい煩悶《はんもん》をいだくようになった。どんな時にまたあれだけの機会がつかめるであろう、どんなことも目だたずに済む階級の恋人であれば、その人の謹慎日とか、自分の方角|除《よ》けとか、巧みな策略を作って、居所へうかがい寄ることもできるのであるが、これは言葉にも言われぬほどの深窓に隠れた貴女《きじょ》なのであるから、どんな手段でも自分はこれほど愛する心をその人に告げるだけのこともできようとは思われないと衛門督は思うと胸が痛く苦しくなるあまりに、いつも書く小侍従への手紙を書いて送った。
[#ここから1字下げ]
この間は春風に浮かされまして御園《みその》のうちへ参りましたが、どんなにその時の私がまた御心証を悪くしたことかと悲しまれます。その夕方から私は病気になりまして、続いて今も病床にぼんやりと物思いをしております。
[#ここで字下げ終わり]
 などと書かれてあって、

[#ここから2字下げ]
よそに見て折らぬ歎《なげ》きはしげれどもなごり恋しき花の夕かげ
[#ここで字下げ終わり]

 という歌も添っていた。宮のお姿を衛門督が見たことなどは知らない小侍従であったから、ただいつもの物思いという言葉と同じ意味に解した。宮のお居間に女房たちもあまり出ていないのを見て、小侍従は衛門督の手紙を持って参った。
「この人がこの手紙にもございますように、今日までもまだあなた様をお思いすることばかりを書いてまいりますので困ります。あまりに気の毒な様子を見せられますと、私まで頭がどうかしてしまいそうで、どんな間違った手引きなどをいたすかしれません」
 小侍従は笑いながらこう言うのであった。
「いやなことを言う人ね、おまえは」
 無心なふうにそうお言いになって、宮は小侍従の拡《ひろ》げた手紙をお読みになった。「見ずもあらず見もせぬ人の恋しくてひねもす今日はながめ暮らしつ」という古歌を引いて書いてある所を御覧になった時に、蹴鞠《けまり》の日の御簾《みす》の端の上がっていたことを思い出すことがおできになり、お顔が赤くなった。院が何度も、
「大将に見られないようになさい。あまりにあなたは幼稚にできていらっしゃるから、うっかりとしていてのぞかれることもあるでしょうから」
 こうお誡《いまし》めになったのをお思い出しになり、大将からあの時のことが言われた時、院から自分はどんなにお叱《しか》りを受けることであろうと、手紙の主が見たことなどは問題にもあそばさずに、それを心配あそばしたのは幼いお心の宮様である。平生よりもものをお言いにならず黙っておしまいになったのを見て、小侍従はつぎほのない気がしたし、この上しいて申し上げてよいことでもなかったから、そっと手紙を持って行った。そして忍んで返事を書いた。
[#ここから1字下げ]
この間はあまりに澄ましておいでになったものですから、軽蔑《けいべつ》をしていらっしゃると思っていたのですが「見ずもあらず」とはどういうことなのでしょう。もったいないことですね。

[#ここから2字下げ]
今さらに色にな出《い》でそ山桜及ばぬ枝に思ひかけきと

[#ここから1字下げ]
むだなことはおよしなさいませ。
[#ここで字下げ終わり]
 こんな手紙である。

若菜(上) 版本说明

底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
   1994(平成6)年6月15日39版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年1月15日44版を使用しました。
※「この間はあまりに澄ましておいでになったものですから、軽蔑《けいべつ》をしていらっしゃると思っていたのですが「見ずもあらず」とはどういうことなのでしょう。もったいないことですね。」の部分は、手紙の一部であると判断し、他の箇所に合わせて一字下げとしました。
入力:上田英代
校正:門田裕志、小林繁雄
2004年3月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

35 若菜(下)

[#地から3字上げ]二ごころたれ先《ま》づもちてさびしくも悲
[#地から3字上げ]しき世をば作り初《そ》めけん  (晶子)

 小侍従が書いて来たことは道理に違いないがまた露骨なひどい言葉だとも衛門督《えもんのかみ》には思われた。しかももう浅薄な女房などの口先だけの言葉で心が慰められるものとは思われないのである。こんな人を中へ置かずに一言でも直接恋しい方と問答のできることは望めないのであろうかと苦しんでいた。限りない尊敬の念を持っている六条院に穢辱《おじょく》を加えるに等しい欲望をこうして衛門督が抱《いだ》くようになった。
 三月《やよい》の終わる日には高官も若い殿上役人たちも皆六条院へ参った。気不精になっている衛門督はこのことを皆といっしょにするのもおっくうなのであったが、恋しい方のおいでになる所の花でも見れば気の慰みになるかもしれぬと思って出て行った。賭弓《かけゆみ》の競技が御所で二月にありそうでなかった上に、三月は帝《みかど》の母后の御忌月《ぎょきづき》でだめであるのを残念がっている人たちは、六条院で弓の遊びが催されることを聞き伝えて例のように集まって来た。左右の大将は院の御養女の婿であり、御子息であったから列席するのがむろんで、そのために左右の近衛府《このえふ》の中将に競技の参加者が多くなり、小弓という定めであったが、大弓の巧者な人も来ていたために、呼び出されてそれらの手合わせもあった。殿上役人でも弓の芸のできる者は皆左右に分かれて勝ちを争いながら夕べに至った。春が終わる日の霞《かすみ》の下にあわただしく吹く夕風に桜の散りかう庭がだれの心をも引き立てて、大将たちをはじめ、すでに酔っている高官たちが、
「奥のかたがたからお出しになった懸賞品が皆平凡な品でないのを、技術の専門家にだけ取らせてしまうのはよろしくない。少し純真な下手者《へたもの》も競争にはいりましょう」
 などと言って庭へ下《お》りた。この時にも衛門督《えもんのかみ》がめいったふうでじっとしているのがその原因を正確ではないにしても想像のできる大将の目について、困ったことである。不祥事が起こってくるのではないかと不安を感じだし、自分までも一つの物思いのできた気がした。この二人は非常に仲がよいのである。大将のために衛門督が妻の兄であるというばかりでなく、古くからの友情が互いにあって睦《むつ》まじい青年たちであるから、一方がなんらかの煩悶《はんもん》にとらえられているのを、今一人が見てはかわいそうで堪えられがたくなるのである。衛門督自身も院のお顔を見ては恐怖に似たものを感じて、恥ずかしくなり、誤った考えにとらわれていることはわが心ながら許すべきことでない、少しのことにも人を不快にさせ、人から批難を受けることはすまいと決心している自分ではないか、ましてこれほどおそれおおいことはないではないかと心を鞭《むち》うっている人が、また慰められたくなって、せめてあの時に見た猫でも自分は得たい、人間の心の悩みが告げられる相手ではないが、寂しい自分はせめてその猫を馴《な》つけてそばに置きたいとこんな気持ちになった衛門督は、気違いじみた熱を持って、どうかしてその猫を盗み出したいと思うのであるが、それすらも困難なことではあった。
 衛門督は妹の女御《にょご》の所へ行って話すことで悩ましい心を紛らせようと試みた。貴女《きじょ》らしい慎しみ深さを多く備えた女御は、話し合っている時にも、兄の衛門督に顔を見せるようなことはなかった。同胞《きょうだい》ですらわれわれはこうして慣らされているのであるが、思いがけないお顔を外にいる者へ宮のお見せになったことは不思議なことであると、衛門督《えもんのかみ》もさすがに第三者になって考えれば肯定できないこととは思われるのであるが、熱愛を持つ人に対してはそれを欠点とは見なされないのである。衛門督は東宮へ伺候して、むろん御兄弟でいらせられるのであるから似ておいでになるに違いないと思って、お顔を熱心にお見上げするのであったが、東宮ははなやかな愛嬌《あいきょう》などはお持ちにならぬが、高貴の方だけにある上品に艶《えん》なお顔をしておいでになった。帝のお飼いになる猫の幾|疋《ひき》かの同胞《きょうだい》があちらこちらに分かれて行っている一つが東宮の御猫にもなっていて、かわいい姿で歩いているのを見ても、衛門督には恋しい方の猫が思い出されて、
「六条院の姫宮の御殿におりますのはよい猫でございます。珍しい顔でして感じがよろしいのでございます。私はちょっと拝見することができました」
 こんなことを申し上げた。東宮は猫が非常にお好きであらせられるために、くわしくお尋ねになった。
「支那《しな》の猫でございまして、こちらの産のものとは変わっておりました。皆同じように思えば同じようなものでございますが、性質の優しい人|馴《な》れた猫と申すものはよろしいものでございます」
 こんなふうに宮がお心をお動かしになるようにばかり衛門督は申すのであった。
 あとで東宮は淑景舎《しげいしゃ》の方《かた》の手から所望をおさせになったために、女三《にょさん》の宮《みや》から唐猫《からねこ》が献上された。噂《うわさ》されたとおりに美しい猫であると言って、東宮の御殿の人々はかわいがっているのであったが、衛門督は東宮は確かに興味をお持ちになってお取り寄せになりそうであると観察していたことであったから、猫のことを知りたく思って幾日かののちにまた参った。まだ子供であった時から朱雀《すざく》院が特別にお愛しになってお手もとでお使いになった衛門督であって、院が山の寺へおはいりになってからは東宮へもよく伺って敬意を表していた。琴など御教授をしながら、衛門督は、
「お猫がまたたくさんまいりましたね。どれでしょう、私の知人は」
 と言いながらその猫を見つけた。非常に愛らしく思われて衛門督は手でなでていた。宮は、
「実際|容貌《きりょう》のよい猫だね。けれど私には馴《な》つかないよ。人見知りをする猫なのだね。しかし、これまで私の飼っている猫だってたいしてこれには劣っていないよ」
 とこの猫のことを仰せられた。
「猫は人を好ききらいなどあまりせぬものでございますが、しかし賢い猫にはそんな知恵があるかもしれません」
 などと衛門督は申して、また、
「これ以上のがおそばに幾つもいるのでございましたら、これはしばらく私にお預からせください」
 こんなお願いをした。心の中では愚かしい行為をするものであるという気もしているのである。
 結局|衛門督《えもんのかみ》は望みどおりに女三の宮の猫を得ることができて、夜などもそばへ寝させた。夜が明けると猫を愛撫《あいぶ》するのに時を費やす衛門督であった。人|馴《な》つきの悪い猫も衛門督にはよく馴れて、どうかすると着物の裾《すそ》へまつわりに来たり、身体《からだ》をこの人に寄せて眠りに来たりするようになって、衛門督はこの猫を心からかわいがるようになった。物思いをしながら顔をながめ入っている横で、にょうにょう[#「にょうにょう」に傍点]とかわいい声で鳴くのを撫《な》でながら、愛におごる小さき者よと衛門督はほほえまれた。

[#ここから1字下げ]
「恋ひわぶる人の形見と手ならせば汝《なれ》よ何とて鳴く音《ね》なるらん
[#ここで字下げ終わり]

 これも前生の約束なんだろうか」
 顔を見ながらこう言うと、いよいよ猫は愛らしく鳴くのを懐中《ふところ》に入れて衛門督は物思いをしていた。女房などは、
「おかしいことですね。にわかに猫を御|寵愛《ちょうあい》されるではありませんか。ああしたものには無関心だった方がね」
 と不審がってささやくのであった。東宮からお取りもどしの仰せがあって、衛門督はお返しをしないのである。お預かりのものを取り込んで自身の友にしていた。
 左大将夫人の玉鬘《たまかずら》の尚侍《ないしのかみ》は真実の兄弟に対するよりも右大将に多く兄弟の愛を持っていた。才気のあるはなやかな性質の人で、源大将の訪問を受ける時にも睦《むつ》まじいふうに取り扱って、昔のとおりに親しく語ってくれるため、大将も淑景舎《しげいしゃ》の方が羞恥《しゅうち》を少なくして打ち解けようとする気持ちのないようなのに比べて、風変わりな兄弟愛の満足がこの人から得られるのであった。左大将は月日に添えて玉鬘を重んじていった。もう前夫人は断然離別してしまって尚侍が唯一の夫人であった。この夫人から生まれたのは男の子ばかりであるため、左大将はそれだけを物足らず思い、真木柱《まきばしら》の姫君を引き取って手もとへ置きたがっているのであるが、祖父の式部卿《しきぶきょう》の宮が御同意をあそばさない。
「せめてこの姫君にだけは人から譏《そし》られない結婚を自分がさせてやりたい」
 と言っておいでになる。帝《みかど》は御|伯父《おじ》のこの宮に深い御愛情をお持ちになって、宮から奏上されることにお背《そむ》きになることはおできにならないふうであった。もとからはなやかな御生活をしておいでになって、六条院、太政大臣家に続いての権勢の見える所で、世間の信望も得ておいでになった。左大将も第一人者たる将来が約束されている人であったから、式部卿の宮の御孫|女《むすめ》、左大将の長女である姫君を人は重く見ているのである。求婚者がいろいろな人の手を通じて来てすでに多数に及んでいるが、宮はまだだれを婿にと選定されるふうもなかった。かれにその気があればと宮が心でお思いになる衛門督は猫ほどにも心を惹《ひ》かぬのかまったくの知らず顔であった。左大将の前夫人は今も病的な、陰気な暮らしを続けて、若い貴女のために朗らかな雰囲気《ふんいき》を作ろうとする努力もしてくれないために、姫君は寂しがって、人づてに聞く継母《ままはは》の生活ぶりにあこがれを持っていた。こうした明るい娘なのである。
 兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は今も御独身で、熱心にお望みになった相手は皆ほかへ取られておしまいになる結果になって、世間体も恥ずかしくお思いになるのであったが、この姫君に興味をお感じになり、縁談をお申し入れになると、式部卿の宮は、
「私はそう信じているのだ。大事に思う娘は宮仕えに出すことを第一として、続いては宮たちと結婚させることがいいとね。普通の官吏と結婚させるのを頼もしいことのように思って親たちが娘の幸福のためにそれを願うのは卑しい態度だ」
 とお言いになって、あまり求婚期間の悩みもおさせにならずに御同意になった。兵部卿の宮はこの無造作な決まり方を物足らぬようにもお思いになったが、軽蔑《けいべつ》しがたい相手であったから、ずるずる延ばしで話の解消をお待ちになることもおできにならないで、通って行くようにおなりになった。式部卿の宮はこの婿の宮を大事にあそばすのであった。宮は幾人もの女王《にょおう》をお持ちになって、その宮仕え、結婚の結果によって苦労をされることの多かったのに懲りておいでになるはずであるが、最愛の御孫女のためにまたこうした婿かしずきをお始めになったのである。
「母親は時がたつにしたがって病的な女になるし、父親はそちらの意志には従わない子だと言ってそまつに見ている姫君だからかわいそうでならぬ」
 などとお言いになって、新夫婦の居間の装飾まで御自身で手を下してなされたり、またお指図《さしず》をされたりもするのであった。兵部卿の宮はお亡《な》くしになった先夫人をばかり恋しがっておいでになって、その人に似た新婦を得たいと願っておいでになったために、この姫君を、悪くはないが似た所がないと御覧になったせいか、通っておいでになるのにおっくうなふうをお見せになった。式部卿の宮は失望あそばした。病人である母君も気分の常態になっている時にはこの娘の思うようでない結婚を歎《なげ》いて、いよいよ人生をいやなものにきめてしまった。父親の左大将もこの話を聞いて、自分のあやぶんだとおりの結果になったではないか、多情者の宮様であるからと思って、初めから自分が賛成しなかった婿であったから困ったことであると歎いていた。玉鬘《たまかずら》夫人は宮のお情けの薄さを継娘《ままむすめ》の不幸として聞いていながら、自分がもし結婚をしてそうした目にあっていたなら、六条院の人々へも、実父の家族へも不名誉なことになるのであったと思った。そして左大将の妻になった運命を悲しむ気もなくなり、継娘に限りなく同情した。その自分の処女時代にも兵部卿の宮を良人《おっと》にしようとは少しも思わなかった。ただあれだけの情熱を運んでくだすった方が、左大将と平凡な夫婦になってしまったことを軽蔑《けいべつ》しておいでにならないかとそれ以来恥ずかしく思っていたのであると玉鬘夫人は思い、その宮が継娘の婿におなりになって、自分のことをどう聞いておいでになるであろうと思うと晴れがましいような気もするのであった。この夫人からも新婚した姫君の衣裳《いしょう》その他の世話をした。前夫人がどう恨んでいるかというようなことは知らぬふうにして、長男、次男を中にして好意を寄せる尚侍《ないしのかみ》に前夫人は友情をすら覚えているのであるが、式部卿の宮家には大夫人という性質の曲がった人が一人いて、この人は常にだれのことも憎んで、罵言《ばげん》をやめないのである。
「親王がたというものは一人だけの奥さんを大事になさるということで、派手《はで》な生活のできない補いにもなろうというものだのに」
 と陰口《かげぐち》をするのが兵部卿の宮のお耳にはいった時、不愉快なことを聞く、自分に最愛の妻があった時代にも他との恋愛の遊戯はやめなかった自分も、こうまではひどい恨み言葉は聞かないでいたとお思いになって、いっそう亡《な》き夫人を恋しく思召《おぼしめ》すことばかりがつのって、自邸で寂しく物思いをしておいでになる日が多かった。そうはいうものの二年もその状態で続いて来た今では、ただそれだけの淡い関係の夫婦として済んで行った。
 歳月《としつき》が重なり、帝《みかど》が即位をあそばされてから十八年になった。
「将来の天子になる子のないことで自分には人生が寂しい。せめて気楽な身の上になって自分の愛する人たちと始終出逢うこともできるようにして、私人として楽しい生活がしてみたい」
 以前からよくこう帝は仰せられたのであったが、重く御病気をあそばされた時ににわかに譲位を行なわせられた。世人は盛りの御代《みよ》をお捨てあそばされることを残念がって歎《なげ》いたが、東宮ももう大人《おとな》になっておいでになったから、お変わりになっても特別変わったこともなかった。ゆるぎない大御代《おおみよ》と見えた。太政大臣は関白職の辞表を出して自邸を出なかった。
「人生の頼みがたさから賢明な帝王さえ御位《みくらい》をお去りになるのであるから、老境に達した自分が挂冠《けいかん》するのに惜しい気持ちなどは少しもない」
 と言っていたに違いない。左大将が右大臣になって関白の仕事もした。御母君の女御《にょご》は新帝の御代を待たずに亡《な》くなっていたから、后《きさき》の位にお上《のぼ》されになっても、それはもう物の背面のことになって寂しく見えた。六条の女御のお生みした今上第一の皇子が東宮におなりになった。そうなるはずのことはだれも知っていたが、目前にそれが現われてみればまた一家の幸福さに驚きもされるのであった。右大将が大納言を兼ねて順序のままに左大将に移り、この人も幸福に見えた。六条院は御譲位になった冷泉《れいぜい》院に御|後嗣《こうし》のないのを御心の中では遺憾に思召《おぼしめ》された。実は新東宮だって六条院の御血統なのだが、冷泉院の御在位中には御|煩悶《はんもん》もなくて過ごされたほど、例の密通の秘密は隠しおおされたが、そのかわりにこの御系統が末まで続かぬように運命づけられておしまいになったのを六条院は寂しくお思いになったが、御口外あそばすことでもないのでただお心で味けなくお感じになるだけであった。東宮の御母女御は皇子たちが多くお生まれになって帝《みかど》の御|寵《ちょう》はますます深くなるばかりであった。またも王氏の人が后にお立ちになることになっていることで、今度で三代にもなっていたから何かと飽き足らぬらしい世論があるのをお知りになった時、冷泉院の中宮《ちゅうぐう》は以前もこうした場合に六条院の強い御支持があって、自分の后の位は定《きま》ったのであると過去を回想あそばしてますます院の恩をお感じになった。
 冷泉院の帝は御期待あそばされたとおりに、御窮屈なお思いもなしに御幸《みゆき》などもおできになることになって、あちらこちらと御遊幸あそばされて、今日の御境遇ほどお楽しいものはないようにお見受けされるのであった。帝は六条院においでになる御妹の姫宮に深い関心をお持ちになったし、世間がその方に払う尊敬も大きいのであるが、なお紫夫人以上の夫人として六条院の御寵を受けておいでになるのではなかった。年月のたつにしたがって女王と宮の御中にこまやかな友情が生じて、六条院の中は理想的な穏やかな空気に満たされているが、紫夫人は、
「もう私はこうした出入りの多い住居《すまい》から退きまして、静かな信仰生活がしたいと思います。人生とはこんなものということも経験してしまったような年齢《とし》にもなっているのですもの、もう尼になることを許してくださいませんか」
 と、時々まじめに院へお話しするのであるが、
「もってのほかですよ。そんな恨めしいことをあなたは思うのですか。それは私自身が実行したいことなのだが、あなたがあとに残って寂しく思ったり、私といっしょにいる時と違った世間の態度を悲しく感じたりすることになってはという気がかりがあるために現状のままでいるだけなのですよ。それでもいつか私の実行の日が来るでしょう、あなたはそのあとのことになさい」
 などとばかり院はお言いになって、夫人の志を妨げておいでになった。女御は今も女王を真実の母として敬愛していて、明石夫人は隠れた女御の後見をするだけの人になって謙遜《けんそん》さを失わないでいることは、かえって将来のために頼もしく思われた。尼君もうれし泣きの涙を流す日が多くて、目もふきただれて幸福な老婆の見本になっていた。
 住吉《すみよし》の神への願果たしを思い立って参詣《さんけい》する女御は、以前に入道から送って来てあった箱をあけて、神へ約した条件を調べてみたが、それにはかなり大がかりなことを多く書き立ててあった。年々の春秋の神楽《かぐら》とともに必ず長久隆運の祈りをすることなどは、今日の女御の境遇になっていなければ実行のできぬことであった。ただ走り書きにした文章にも入道の学問と素養が見え、仏も神も聞き入れるであろうことが明らかに知られた。どうしてそんな世捨て人の心にこんな望みの楼閣が建てられたのであろうと、子孫への愛の深さが思われもし、神や仏に済まぬ気もされた。並みの人ではなくてしばらく自分の祖父になってこの世へ姿を現わしただけの、功徳を積んだ昔の聖僧ではなかったかなどと思われ、女御に明石《あかし》の入道を畏敬《いけい》する心が起こった。今度はまだ女御の行なうことにはせずに、六条院の参詣におつれになる形式で京を立ったのであった。
 須磨《すま》明石時代に神へお約しになったことは次々に果たされたのであるが、その以後もまた長く幸運が続き、一門子孫の繁栄を御覧になることによっても神の冥助《めいじょ》は忘られずに六条院は紫の女王《にょおう》も伴って御参詣あそばされるのであって、はなやかな一行である。簡素を旨として国の煩いになることはお避けになったのであるが、この御身分であってはある所までは必ず備えられねばならぬ旅の形式があって、自然に大きなことにもなった。公卿《こうけい》も二人の大臣以外は全部|供奉《ぐぶ》した。神前の舞い人は各|衛府《えふ》の次将たちの中の容貌《ようぼう》のよいのを、さらに背丈《せたけ》をそろえてとられたのであった。落選して歎《なげ》く風流公子もあった。奏楽者も石清水《いわしみず》や賀茂《かも》の臨時祭に使われる専門家がより整えられたのであるが、ほかから二人加えられたのは近衛府《このえふ》の中で音楽の上手《じょうず》として有名になっている人であった。また神楽のほうを受け持つ人も多数に行った。宮中、院、東宮の殿上役人が皆御命令によって供奉《ぐぶ》の中にいるのも無数にあった。華奢《かしゃ》を尽くした高官たちの馬、鞍《くら》、馬添い侍、随身、小侍の服装までもきらびやかな行列であった。院の御車《みくるま》には紫夫人と女御をいっしょに乗せておいでになって、次の車には明石夫人とその母の尼とが目だたぬふうに乗っていた。それには古い知り合いの女御の乳母《めのと》が陪乗したのである。女房たちの車は夫人付きの者のが五台、女御のが五台、明石夫人に属したのが三台で、それぞれに違った派手《はで》な味のある飾りと服装が人目に立った。明石の尼君がいっしょに来たのは、
「今度の参詣に尼君を優遇して同伴しよう。老人の心に満足ができるほどにして」
 と院がお言い出しになったのであって、はじめ明石夫人は、
「今度は院と女王様が主になっての御参詣なんですから、あなたなどが混じっておいでになっては私の立場も苦しくなりますからね、女御さんがもう一段御出世をなすったあとで、その時に私たちだけでお参りをいたしましょう」
 と言って、尼君をとどめていたのであるが、老人はそれまで長命で生きておられる自信もなく心細がってそっと一行に加わって来たのである。運命の寵児《ちょうじ》であることがしかるべきことと思われる女王や女御よりも、明石の母と娘の前生の善果がこの日ほどあざやかに見えたこともなかった。
 十月の二十日《はつか》のことであったから、中の忌垣《いがき》に這《は》う葛《くず》の葉も色づく時で、松原の下の雑木の紅葉《もみじ》が美しくて波の音だけ秋であるともいわれない浜のながめであった。本格的な支那《しな》楽|高麗《こうらい》楽よりも東《あずま》遊びの音楽のほうがこんな時にはぴったりと、人の心にも波の音にも合っているようであった。高い梢《こずえ》で鳴る松風の下で吹く笛の音もほかの場所で聞く音とは変わって身にしみ、松風が琴に合わせる拍子は鼓を打ってするよりも柔らかでそして寂しくおもしろかった。伶人《れいじん》の着けた小忌衣《おみごろも》竹の模様と松の緑が混じり、挿頭《かざし》の造花は秋の草花といっしょになったように見えるが、「求《もと》の子《めこ》」の曲が終わりに近づいた時に、若い高官たちが正装の袍《ほう》の肩を脱いで舞の場へ加わった。黒の上着の下から臙脂《えんじ》、紅紫の下襲《したがさね》の袖《そで》をにわかに出し、それからまた下の袙《あこめ》の赤い袂《たもと》の見えるそれらの人の姿を通り雨が少しぬらした時には、松原であることも忘れて紅葉のいろいろが散りかかるように思われた。その派手《はで》な姿に白くほおけた荻《おぎ》の穂を挿《さ》してほんの舞の一節《ひとふし》だけを見せてはいったのがきわめておもしろかった。
 院は昔を追憶しておいでになった。中途で不幸な日のあったことも目の前のことのように思われて、それについては語る人もお持ちにならぬ院は、関白を退いた太政大臣を恋しく思召《おぼしめ》された。車へお帰りになった院は第二の車へ、

[#ここから2字下げ]
たれかまた心を知りて住吉《すみよし》の神代を経たる松にこと問ふ
[#ここで字下げ終わり]

 という歌を懐中紙《ふところがみ》に書いたのを持たせておやりになった。尼君は心を打たれたように萎《しお》れてしまった。今日のはなやかな光景を見るにつけても、明石を源氏のお立ちになったころの歎《なげ》かわしかったこと、女御が幼児であったころにした悲しい思いが追想されて、運命に恵まれていることを知った。そしてまた山へはいった良人《おっと》も恋しく思われて涙のこぼれる気持ちをおさえて、

[#ここから2字下げ]
住《すみ》の江を生けるかひある渚《なぎさ》とは年ふるあまも今日や知るらん
[#ここで字下げ終わり]

 と書いた。お返事がおそくなっては見苦しいと思い、感じたままの歌をもってしたのである。

[#ここから2字下げ]
昔こそ先《ま》づ忘られね住吉の神のしるしを見るにつけても
[#ここで字下げ終わり]

 とまた独言《ひとりごと》もしていた。一行は終夜を歌舞に明かしたのである。二十日《はつか》の月の明りではるかに白く海が見え渡り、霜が厚く置いて松原の昨日とは変わった色にも寒さが感じられて、快く身にしむ社前の朝ぼらけであった。自邸での遊びには馴《な》れていても、あまり外の見物に出ることを好まなかった紫の女王は京の外の旅もはじめての経験であったし、すべてのことが興味深く思われた。

[#ここから2字下げ]
住の江の松に夜深く置く霜は神の懸《か》けたる木綿《ゆふ》かづらかも
[#ここで字下げ終わり]

 紫夫人の作である。小野篁《おののたかむら》の「比良《ひら》の山さへ」と歌った雪の朝を思って見ると、奉った祭りを神が嘉納《かのう》された証《あかし》の霜とも思われて頼もしいのであった。
 女御《にょご》、

[#ここから2字下げ]
神人《かんびと》の手に取り持たる榊葉《さかきば》に木綿《ゆふ》かけ添ふる深き夜の霜
[#ここで字下げ終わり]

 中務《なかつかさ》の君、

[#ここから2字下げ]
祝子《はふりこ》が木綿《ゆふ》うち紛ひ置く霜は実《げ》にいちじるき神のしるしか
[#ここで字下げ終わり]

 そのほかの人々からも多くの歌は詠《よ》まれたが、書いておく必要がないと思って筆者は省いた。こんな場合の歌は文学者らしくしている男の人たちの作も、平生よりできの悪いのが普通で、松の千歳《ちとせ》から解放されて心の琴線に触れるようなものはないからである。
 朝の光がさし上るころにいよいよ霜は深くなって、夜通し飲んだ酒のために神楽《かぐら》の面のようになった自身の顔も知らずに、もう篝火《かがりび》も消えかかっている社前で、まだ万歳万歳と榊《さかき》を振って祝い合っている。この祝福は必ず院の御一族の上に形となって現われるであろうとますますはなばなしく未来が想像されるのであった。非常におもしろくて千夜の時のあれと望まれた一夜がむぞうさに明けていったのを見て、若い人たちは渚《なぎさ》の帰る波のようにここを去らねばならぬことを残念がった。はるばると長い列になって置かれた車の、垂《た》れ絹の風に開く中から見える女衣装は花の錦《にしき》を松原に張ったようであったが、男の人たちの位階によって変わった色の正装をして、美しい膳部を院の御車《みくるま》へ運び続けるのが布衣《ほい》たちには非常にうらやましく見られた。明石の尼君の分も浅香の折敷《おしき》に鈍《にび》色の紙を敷いて精進物で、院の御家族並みに運ばれるのを見ては、
「すばらしい運を持った女というものだね」
 などと彼らは仲間で言い合った。おいでになった時は神前へささげられる、持ち運びの面倒な物を守る人数も多くて、途中の見物も十分におできにならなかったのであったが、帰途は自由なおもしろい旅をされた。この楽しい旅行に山へはいりきりになった入道を与《あずか》らせることのできなかったことを院は物足らず思召されたが、それまでは無理なことであろう。実際老入道がこの一行に加わっているとしたら見苦しいことでなかったであろうか。その人の思い上がった空想がことごとく実現されたのであるから、だれも心は高く持つべきであると教訓をされたようである。いろいろな話題になって明石の人たちがうらやまれ、幸福な人のことを明石の尼君という言葉もはやった。太政大臣家の近江《おうみ》の君は双六《すごろく》の勝負の賽《さい》を振る前には、
「明石《あかし》の尼様、明石の尼様」
 と呪文《じゅもん》を唱えた。
 法皇は仏勤めに精進あそばされて、政治のことなどには何の干渉もあそばさない。春秋の行幸《みゆき》をお迎えになる時にだけ昔の御生活がお心の上に姿を現わすこともあるのであった。女三《にょさん》の宮《みや》をなお気がかりに思召《おぼしめ》されて、六条院は形式上の保護者と見て、内部からの保護を帝《みかど》にお託しになった。それで女三の宮は二品《にほん》の位にお上げられになって、得させられる封戸《ふこ》の数も多くなり、いよいよはなやかなお身の上になったわけである。紫夫人は一方の夫人の宮がこんなふうに年月に添えて勢力の増大していくのに対して、自分はただ院の御愛情だけを力にして今の所は負《ひ》け目がないとしても、そのお志というものも遂には衰えるであろう、そうした寂しい時にあわない前に今のうちに善処したいとは常に思っていることであったが、あまりに賢がるふうに思われてはという遠慮をして口へたびたびは出さないのである。院は法皇だけでなく帝までが関心をお持ちになるということがおそれおおく思召されて、冷淡にする噂《うわさ》を立てさすまいというお心から、今ではあちらへおいでになることと、こちらにおられることとがちょうど半々ほどになっていた。道理なこととは思いながらもかねて思ったとおりの寂しい日の来始めたことに女王《にょおう》は悲しまれたが、表面は冷静に以前のとおりにしていた。東宮に次いでお生まれになった女一の宮を紫夫人は手もとへお置きしてお育て申し上げていた。そのお世話の楽しさに院のお留守《るす》の夜の寂しさも慰められているのであった。御孫の宮はどの方をも皆非常にかわいく夫人は思っているのである。花散里《はなちるさと》夫人は紫夫人も明石夫人も御孫宮がたのお世話に没頭しているのがうらやましくて、左大将の典侍《ないしのすけ》に生ませた若君を懇望して手もとへ迎えたのを愛して育てていた。美しい子でりこうなこの孫君を院もおかわいがりになった。院は御子の数が少ないように見られた方であるが、こうして広く繁栄する御孫たちによって満足をしておいでになるようである。右大臣が院を尊敬して親しくお仕えすることは昔以上で、玉鬘《たまかずら》ももう中年の夫人になり、何かの時には六条院へ訪《たず》ねて来て紫夫人にも逢《あ》って話し合うほかにも親しみ深い往来《ゆきき》が始終あった。姫宮だけは今日もなお少女《おとめ》のようなたよりなさで、また若々しさでおいでになった。もう宮廷の人になりきってしまった女御に気づかいがなくおなりになった院は、この姫宮を幼い娘のように思召して、この方の教育に力を傾けておいでになるのであった。
 朱雀《すざく》院の法皇はもう御命数も少なくなったように心細くばかり思召されるのであるが、この世のことなどはもう顧みないことにしたいとお考えになりながらも、女三の宮にだけはもう一度お逢いあそばされたかった。このまま亡《な》くなって心の残るのはよろしくないことであるから、たいそうにはせず宮が訪《たず》ねておいでになることをお言いやりになった。院も、
「ごもっともなことですよ。こんな仰せがなくともこちらから進んでお伺いをなさらなければならないのに、ましてこうまでお待ちになっておられるのだから、実行しないではお気の毒ですよ」
 とお言いになり、機会をどんなふうにして作ろうかと考えておいでになった。何でもなくそっと伺候をするようなことはみすぼらしくてよろしくない。法皇をお喜ばせかたがた外見の整ったことがさせたいとお思いになるのである。来年法皇は五十におなりになるのであったから、若菜の賀を姫宮から奉らせようかと院はお思いつきになって、それに付帯した法会《ほうえ》の布施《ふせ》にお出しになる法服の仕度《したく》をおさせになり、すべて精進でされる御宴会の用意であるから普通のことと変わって、苦心の払われることを今からお指図《さしず》になっていた。昔から音楽がことにお好きな方であったから、舞の人、楽の人にすぐれたのを選定しようとしておいでになった。右大臣家の下の二人の子、大将の子を典侍腹のも加えて三人、そのほかの御孫も七歳以上の皆殿上勤めをさせておいでになった。それらと、兵部卿《ひょうぶきょう》の宮のまだ元服前の王子、そのほかの親王がたの子息、御|親戚《しんせき》の子供たちを多く院はお選びになった。殿上人たちの舞い手も容貌《ようぼう》がよくて芸のすぐれたのを選《よ》りととのえて多くの曲の用意ができた。非常な晴れな場合と思ってその人たちは稽古《けいこ》を励むために師匠になる専門家たちは、舞のほうのも楽のほうのも繁忙をきわめていた。女三の宮は琴の稽古を御父の院のお手もとでしておいでになったのであるが、まだ少女時代に六条院へお移りになったために、どんなふうにその芸はなったかと法皇は不安に思召して、
「こちらへ来られた時に宮の琴の音が聞きたい。あの芸だけは仕上げたことと思うが」
 と言っておいでになることが宮中へも聞こえて、
「そう言われるのは決して平凡なお手並みでない芸に違いない。一所懸命に法皇の所へ来てお弾《ひ》きになるのを自分も聞きたいものだ」
 などと仰せられたということがまた六条院へ伝わって来た。院は、
「今までも何かの場合に自分からも教えているが、質はすぐれているがまだたいした芸になっていないのを、何心なくお伺いされた時に、ぜひ弾けと仰せになった場合に、恥ずかしい結果を生むことになってはならない」
 とお言いになって、それから女三の宮に熱心な琴の教授をお始めになった。変わったものを二、三曲、また大曲の長いのが四季の気候によって変わる音、寒い時と空気の暖かい時によっての弾き方を変えねばならぬことなどの特別な奥義をお教えになるのであったが、初めはたよりないふうであったものの、お心によくはいってきて上手《じょうず》におなりになった。昼は人の出入りの物音の多さに妨げられて、絃《いと》を揺《ゆ》すったり、おさえて変わる音の繊細な味を研究おさせになるのに不便なために、夜になってから静かに教うべきであるとお言いになって、女王《にょおう》の了解をお求めになって院はずっと宮の御殿のほうへお泊まりきりになり、朝夕のお稽古《けいこ》の世話をあそばされた。女御《にょご》にも女王にも琴はお教えにならなかったのであったから、このお稽古の時に珍しい秘曲もお弾きになるのであろうことを予期して、女御も得ることの困難なお暇《いとま》をようやくしばらく得て帰邸したのであった。もう皇子を二人お持ちしているのであるが、また妊娠して五月ほどになっていたから、神事の多い季節は御遠慮したいと言ってお暇を願って来たのである。
 十一月が過ぎるともどるようにと宮中からの御催促が急であるのもさしおいて、このごろの楽の音《ね》のおもしろさに女御は六条院を去りがたいのであった。なぜ自分には教えていただけなかったのかと院を恨めしくお思いもしていた。普通と変わって冬の月を最もお好みになる院は、雪のある月夜にふさわしい琴の曲をお弾きになって、女房の中の楽才のあるのに他に楽器で合奏をさせたりして楽しんでおいでになった。
 年末などはことに対の女王が忙しくていっさいの心配《こころくば》りのほかに、女御、宮たちのための春の仕度《したく》に追われて、
「春ののどかな気分になった夕方などにこの琴の音をよくお聞きしたい」
 などと言っていたが年も変わった。
 年の初めにまず帝《みかど》からのはなやかな御賀を法皇はお受けになることになっていて、差し合ってはよろしくないと院は思召し、少したった二月の十幾日のころと姫宮の奉られる賀の日をお定《き》めになり、楽の人、舞い手は始終六条院へ来てその下稽古を熱心にする日が多かった。
「対の女王がいつもお聞きしたがっているあなたの琴と、その人たちの十三|絃《げん》や琵琶《びわ》を一度合奏する女ばかりの催しをしたい。現代の大家といっても私の家族たちの音楽に対する態度より純真なものを持っていませんよ。私はたいした音楽者ではないが、すべての芸に通じておきたいと思って、少年の時から世間の専門家を師にしてつきもしたし、また貴族の中の音楽の大家たちにも教えを乞《こ》うたものですが、特に尊敬すべき芸を持った人と思われるのはなかった。その時代よりもまた現在では音楽をやる人の素質が悪くなって、芸が浅薄になっていると思う。琴などはまして稽古をする者がなくなったということですからあなただけ弾ける人はあまりないでしょう」
 と院がお言いになると、宮は無邪気に微笑《ほほえ》んで、自分の芸がこんなにも認められるようになったかと喜んでおいでになった。もう二十一、二でおありになるのであるが、幼稚な所が抜けないで、そして見たお姿だけは美しかった。
「長くお目にかからないでおいでになるのだから、大人になってりっぱになったと認めていただけるようにしてお目にかからなければいけませんよ」
 と事に触れて院は教えておいでになるのであった。実際こうした良人《おっと》がおいでにならなければ外間のいろいろな噂《うわさ》にさえされる方であったかもしれぬと女房たちは思っていた。
 一月の二十日過ぎにはもうよほど春めいてぬるい微風《そよかぜ》が吹き、六条院の庭の梅も盛りになっていった。そのほかの花も木も明日の約されたような力が見えて、杜《もり》は霞《かす》み渡っていた。
「二月になってからでは賀宴の仕度《したく》で混雑するであろうし、こちらだけですることもその時の下調べのように思われるのも不快だから、今のうちがよい、あちらで会をなさい」
 と院はお言いになって女王を寝殿のほうへお誘いになった。供をしたいという希望者は多かったが、寝殿の人と知り合いになっている以外の人は残された。少し年はいっている人たちであるがりっぱな女房たちだけが夫人に添って行った。童女は顔のいい子が四人ついて行った。朱色の上に桜の色の汗袗《かざみ》を着せ、下には薄色の厚織の袙《あこめ》、浮き模様のある表袴《おもてばかま》、肌《はだ》には槌《つち》の打ち目のきれいなのをつけさせ、身の姿態《とりなし》も優美なのが選ばれたわけであった。女御の座敷のほうも春の新しい装飾がしわたされてあって、華奢《かしゃ》を尽くした女房たちの姿はめざましいものであった。童女は臙脂《えんじ》の色の汗袗《かざみ》に、支那綾《しなあや》の表袴で、袙《あこめ》は山吹《やまぶき》色の支那|錦《にしき》のそろいの姿であった。明石夫人の童女は目だたせないような服装をさせて、紅梅色を着た者が二人、桜の色が二人で、下は皆青色を濃淡にした袙で、これも打ち目のでき上がりのよいものを下につけさせてあった。姫宮のほうでも女御や夫人たちの集まる日であったから、童女の服装はことによくさせてお置きになった。青丹《あおに》の色の服に、柳の色の汗袗《かざみ》で、赤紫の袙《あこめ》などは普通の好みであったが、なんとなく気高《けだか》く感ぜられることは疑いもなかった。縁側に近い座敷の襖子《からかみ》をはずして、貴女たちの席は几帳《きちょう》を隔てにしてあった。中央の室には院の御座《おんざ》が作られてある。今日の拍子合わせの笛の役には子供を呼ぼうとお言いになって、右大臣家の三男で玉鬘《たまかずら》夫人の生んだ上のほうの子が笙《しょう》の役をして、左大将の長男に横笛の役を命じ縁側へ置かれてあった。演奏者の茵《しとね》が皆敷かれて、その席へ院の御秘蔵の楽器が紺錦《こんにしき》の袋などから出されて配られた。明石夫人は琵琶《びわ》、紫の女王には和琴《わごん》、女御は箏《そう》の十三|絃《げん》である。宮はまだ名楽器などはお扱いにくいであろうと、平生弾いておいでになるので調子を院がお弾き試みになったのをお配らせになった。院は、
「箏《そう》の琴《こと》は絃がゆるむわけではないが、他の楽器と合わせる時に琴柱《ことじ》の場所が動きやすいものなのだから、初めからその心得でいなければならないが、女の力では十分締めることがむずかしいであろうから、やはりこれは大将に頼まなければなるまい。それに拍子を受け持っている少年たちもあまり小さくて信用のできない点もあるから」
 とお笑いになりながら、
「大将にこちらへ」
 とお呼び出しになるのを聞いて、夫人たちは恥ずかしく思っていた。明石夫人以外は皆院の御弟子なのであるから、院も大将が聞いて難のないようにとできばえを祈っておいでになった。女御は平生から陛下の前で他の人と合奏も仕|馴《な》れているからだいじょうぶ落ち着いた演奏はできるであろうが、和琴というものはむずかしい物でなく、きまったことがないだけ創作的の才が必要なのを、女の弾き手はもてあましはせぬか、春の絃楽は皆しっくり他に合ってゆかねばならぬものであるが、和琴がうまくいっしょになってゆかぬようなことはないかとも損な弾き手に同情もしておいでになった。
 左大将は晴れがましくて、音楽会のいかなる場合に立ち合うよりも気のつかわれるふうで、きれいな直衣《のうし》を薫香《たきもの》の香のよく染《し》んだ衣服に重ねて、なおも袖《そで》をたきしめることを忘れずに整った身姿《みなり》のこの人が現われて来たころはもう日が暮れていた。感じのよい早春の黄昏《たそがれ》の空の下に梅の花は旧年に見た雪ほどたわわに咲いていた。ゆるやかな風の通り通うごとに御簾《みす》の中の薫香《たきもの》の香も梅花の匂《にお》いを助けるように吹き迷って鶯《うぐいす》を誘うかと見えた。御簾の下のほうから箏《そう》の琴《こと》のさきのほうを少しお出しになって、院が、
「失礼だがこの絃《いと》の締まりぐあいをよく見て調音をしてほしい。他人に来てもらうことのできない場合だから」
 とお言いになると、大将はうやうやしく琴を受け取って、一越《いっこつ》調の音《ね》に発《はつ》の絃《いと》の標準の柱《じ》を置き全体を弾き試みることはせずにそのまま返そうとするのを院は御覧になって、
「調子をつけるだけの一弾きは気どらずにすべきだよ」
 と院がお言いになった。
「今日の会に私がいささかでも音を混ぜますようなだいそれた自信は持っておりません」
 大将は遠慮してこう言う。
「もっともだけれども、女だけの音楽に引きさがった、逃げたと言われるのは不名誉だろう」
 院はお笑いになった。で大将は調子をかき合わせて、それだけで御簾《みす》の中へ入れた。院の御孫にあたる小さい人たちが美しい直衣《のうし》姿をして吹き合わせる笛の音はまだ幼稚ではあるが、有望な未来の思われる響きであった。かき合わせが済んでいよいよ合奏になったが、どれもおもしろく思われた中に、琵琶《びわ》はすぐれた名手であることが思われ、神さびた撥《ばち》使いで澄み切った音をたてていた。大将は和琴に特別な関心を持っていたが、それはなつかしい、柔らかな、愛嬌《あいきょう》のある爪音《つまおと》で、逆にかく時の音が珍しくはなやかで、大家のもったいらしくして弾くのに少しも劣らない派手《はで》な音は、和琴にもこうした弾き方があるかと大将の心は驚かされた。深く精進を積んだ跡がよく現われたことによって院は安心をあそばされて夫人をうれしくお思いになった。十三絃の琴は他の楽器の音の合い間合い間に繊細な響きをもたらすのが特色であって、女御の爪音《つまおと》はその中にもきわめて美しく艶《えん》に聞こえた。琴は他に比べては洗練の足らぬ芸と思われたが、お若い稽古《けいこ》盛りの年ごろの方であったから、確かな弾き方はされて、ほかの楽器と交響する音もよくて、上達されたものであると大将も思った。この人が拍子を取って歌を歌った。院も時々扇を鳴らしてお加えになるお声が昔よりもまたおもしろく思われた。少し無技巧的におなりになったようである。大将も美音の人で、夜のふけてゆくにしたがって音楽|三昧《ざんまい》の境地が作られていった。月がややおそく出るころであったから、燈籠《とうろう》が庭のそこここにともされた。院が宮の席をおのぞきになると、人よりも小柄なお姿は衣服だけが美しく重なっているように見えた。はなやかなお顔ではなくて、ただ貴族らしいお美しさが備わり、二月二十日ごろの柳の枝がわずかな芽の緑を見せているようで、鶯《うぐいす》の羽風にも乱れていくかと思われた。桜の色の細長を着ておいでになるのであるが、髪は右からも左からもこぼれかかってそれも柳の糸のようである。これこそ最上の女の姿というものであろうと院はおながめになるのであったが、女御には同じような艶《えん》な姿に今一段光る美の添って見える所があって、身のとりなしに気品のあるのは、咲きこぼれた藤《ふじ》の花が春から夏に続いて咲いているころの、他に並ぶもののない優越した朝ぼらけの趣であると院は御覧になった。この人は身ごもっていて、それがもうかなりに月が重なって悩ましいころであったから、済んだあとでは琴を前へ押しやって苦しそうに脇息《きょうそく》へよりかかっているのであるが、背の高くない身体《からだ》を少し伸ばすようにして、普通の大きさの脇息へ寄っているのが気の毒で、低いのを作り与えたい気もされて憐《あわれ》まれた。紅梅の上着の上にはらはらと髪のかかった灯《ほ》かげの姿の美しい横に、紫夫人が見えた。これは紅紫かと思われる濃い色の小袿《こうちぎ》に薄|臙脂《えんじ》の細長を重ねた裾《すそ》に余ってゆるやかにたまった髪がみごとで、大きさもいい加減な姿で、あたりがこの人の美から放射される光で満ちているような女王《にょおう》は、花にたとえて桜といってもまだあたらないほどの容色なのである。こんな人たちの中に混じって明石夫人は当然見劣りするはずであるが、そうとも思われぬだけの美容のある人で、聡明《そうめい》らしい品のよさが見えた。柳の色の厚織物の細長に下へ萌葱《もえぎ》かと思われる小袿《こうちぎ》を着て、薄物の簡単な裳《も》をつけて卑下した姿も感じがよくて侮《あな》ずらわしくは少しも見えなかった。青地の高麗錦《こまにしき》の縁《ふち》を取った敷き物の中央にもすわらずに琵琶《びわ》を抱いて、きれいに持った撥《ばち》の尖《さき》を絃《いと》の上に置いているのは、音を聞く以上に美しい感じの受けられることであって、五月《さつき》の橘《たちばな》の花も実もついた折り枝が思われた。いずれもつつましくしているらしい内のものの気配《けはい》に大将の心は惹《ひ》かれるばかりであった。紫の女王の美は昔の野分《のわき》の夕べよりもさらに加わっているに違いないと思うと、ただその一事だけで胸がとどろきやまない。女三《にょさん》の宮《みや》に対しては運命が今少し自分に親切であったなら、自身のものとしてこの方を見ることができたのであったと思うと、自身の臆病《おくびょう》さも口惜《くちお》しかった。朱雀《すざく》院からはたびたびそのお気持ちを示され、それとなく仰せになったこともあったのであるがと思いながらも、よく隙《すき》の見えることを知っていては女王に惹かれたほど心は動きもしないのであった。女王とはだれも想像ができぬほど遠い間隔のある所に置かれている大将は、その忘れがたい感情などは別として、せめて自分の持つ好意だけでも紫の女王に認めてもらうだけを望んでできないのを考えては煩悶《はんもん》しているのである。あるまじい心などはいだいていない、その思いを抑制することはできる人である。
 夜がふけてゆくらしい冷ややかさが風に感ぜられて臥待月《ふしまちづき》が上り始めた。
「たよりない春の朧《おぼろ》月夜だ。秋のよさというのもまたこうした夜の音楽と虫の音がいっしょに立ち上ってゆく時にあるものだね」
 と院は大将に向かってお言いになった。
「秋の明るい月夜には、音楽でも何の響きでも澄み通って聞こえますが、あまりきれいに作り合わせたような空とか、草花の露の色とかは、専念に深く音楽を味わわせなくなる気もいたします。やはり春のたよりない雲の間から朧な月が出ますほどの夜に、静かな笛の音などの上ってゆくのを聞きますほうが、音楽そのものを楽しむのにはよいかと思われます。女は春を憐《あわれ》むという言葉がございますがもっともなことと思われます。すべてのものの調子がしっくり合うのは春の夕方に限るように考えられますが」
 と大将が言うと、
「それは断定的には言えないことだ。古人でさえ決めかねたことなのだから、末世のわれわれの力で正しい批判のできるわけもない。ただ音楽のほうでは秋の律の曲を、春の呂《りょ》の曲の下に置かれていることだけは今君が言ったような理由があるからだろう」
 院はこう仰せられた。また、
「どう思うかね。現在の優秀な音楽家とされている人たちの、宮中などのお催しなどの場合に演奏を命ぜられる人のを聴《き》いても名人だと思われるのは少なくなったようだが、先輩についてよく研究をしようとするような熱心が足りないのかね。今日のような女ばかりの音楽の会に交じっても、格別きわだつと思われる人があるようにも思われない。しかしそれは近年の私がどこへも行かずに一所に引きこもっていて、鑑識が悪く偏してしまったのかもしれないが、とにかく感激を覚えさせられる音楽者のいないのは残念だ。どんな芸事も演ぜられる場所によっては平生と違ったできばえを見せるものであるが、最も晴れの場所の宮中でのこのごろの音楽の遊びに選び出される人たちに、この女性たちのを比べて劣っていると思う点があるかね」
「それを申し上げたいと思ったのでございますが、しかし頭の悪い私はでたらめを申すことになるかもしれません。今の世間の者は昔の音楽の盛んな時を知らないからでもありますか衛門督《えもんのかみ》の和琴、兵部卿《ひょうぶきょう》の宮様の琵琶《びわ》などを激賞いたします。私どもも妙技とはしておりますが、今晩の皆様の御演奏には驚愕《きょうがく》いたしました。はじめはたいしたお遊びでもあるまいと軽く考えていたためにいっそう感激が大きいのでございましょうか。歌の役はまことに気がさして勤めにくうございました。和琴は太政大臣によってだけすべての楽音を率いるような巧妙な音のたつものと思っておりまして、その境地へは一歩も他の者がはいれないものと思われるむずかしい芸でございますが、今晩のはまた特別なものでございました。結構でした」
 大将はほめた。
「そんな最大級な言葉でほめられるほどのものではないのだが」
 得意な御微笑が院のお顔に現われた。
「私にはまずできそこねの弟子はないようだね。琵琶だけは私に骨を折らせた弟子《でし》の芸ではないがすぐれたものであったはずだ。意外なところで私の発見した天性の弾き手なのだよ。ずいぶん感心したものだが、そのころよりはまた進歩したようだ」
 こうして皆御自身の功にしてお言いになるのを聞いていて、女房たちなどは肱《ひじ》を互いに突き合わせたりして笑っていた。
「すべての芸というものは習い始めると奥の深さがわかって、自分で満足のできるだけを習得することはとうていできないものなのだが、しかしそれだけの熱を芸に持つ人が今は少ないから、少しでも稽古《けいこ》を積んだことに自身で満足して、それで済ませていくのだが、琴というものだけはちょっと手がつけられないものなのだよ。この芸をきわめれば天地も動かすことができ、鬼神の心も柔らげ、悲境にいた者も楽しみを受け、貧しい人も出世ができて、富貴な身の上になり、世の中の尊敬を受けるようなことも例のあることなのだ。この芸の伝わった初めの間は、これを学ぶ人は皆長く外国へ行っていて、あらゆる困難に打ち勝って、上達しようとしたものだが、そうまでして成功したものの数はわずかだったのだ。実際すぐれた琴の音は月や星の座を変えさせることもあったし、その時季でなしに霜や雪を降らせたり、黒雲が湧《わ》き出したり、雷鳴がそのためにしたりしたことも昔はあったのだよ。だれも音楽のうちの最高のものと知っていても、完全にその芸を習いおおせるものが少なかったし、末世にはなるし、今残っているのは昔のほんとうのものの断片だけの価値のものかとも思われる。それでもまだ鬼神が耳をとどめるものになっている琴の稽古《けいこ》をなまじいにして、上達はできずにかえっていろいろな不幸な終わりを見たりする人があるものだから、琴の稽古をする者は不吉を招くというような迷信もできて、近ごろではこの面倒な芸を習う人が少なくなったということだね。遺憾なことだ。琴がなくては世の中の音楽が根本の音を持たないものになるのだからね。すべての物は衰えかけると早い速力で退化する一方なんだから、そんな中で一人の人間だけが熱心にその芸に志して、高麗《こうらい》、支那《しな》と渡り歩いて家族も何も顧みない者になってしまうのも狂的だから、それほどはしないでも、この芸がどんなものであるかを知りうるだけのことを私はしたいと思って、一曲でも十分に習いうることは困難なものとしても、これにはむずかしい無数の曲目のあるものなのだから、若くて音楽熱の盛んな年ごろの私は世の中にあるだけの琴の譜を調べたり、あちらから来ているものは皆手もとへ取り寄せて、それによって研究をしたが、しまいには私以上の力のある先生というものもなくなって不便だったものの、独学で勉強をしたが、それでも古人の芸に及ぶものでは少しもなかったのだからね。ましてこれからは心細いものになるだろうとこの芸について私は悲しんでいる」
 などと院のお語りになるのを聞いていて大将は自身をふがいなく恥ずかしく思った。
「今上《きんじょう》の親王が御成人になれば、それまで生きているかどうかおぼつかないことだが、その時に私の習いえただけの琴の芸をお授けしようと願っている。二の宮は今からそうした天分を持たれるようだから」
 このお言葉を明石《あかし》夫人は自身の名誉であるように涙ぐんで側聞《かたえぎ》きをしていたのであった。
 女御は箏《そう》を紫夫人に譲って、悩ましい身を横たえてしまったので、和琴《わごん》を院がお弾《ひ》きになることになって、第二の合奏は柔らかい気分の派手《はで》なものになって、催馬楽《さいばら》の葛城《かつらぎ》が歌われた。院が繰り返しの所々で声をお添えになるのが非常に全体を美しいものにした。月の高く上る時間になり、梅花の美もあざやかになってきた。十三|絃《げん》の箏《そう》の音は、女御のは可憐《かれん》で女らしく、母の明石夫人に似た揺《ゆ》の音が深く澄んだ響きをたてたが、女王のはそれとは変わってゆるやかな気分が出て、聴《き》き手の心に酔いを覚えるほどの愛嬌《あいきょう》があり、才のひらめきの添ったものであった。合奏の末段になって呂《りょ》の調子が律になる所の掻き合わせがいっせいにはなやかになり、琴は五つの調べの中の五六の絃《いと》のはじき方をおもしろく宮はお弾きになって、少しも未熟と思われる点がなく、よく澄んで聞こえた。春と秋その他のあらゆる場合に変化させねばならぬ弾法の使いこなしようを院がお教えになったのを誤たずによく会得して弾いておいでになるのに、院は誇りをお覚えになった。小さい御孫たちが熱心に笛の役を勤めたのをかわいく院は思召《おぼしめ》して、
「眠くなっただろうのに、今晩の合奏はそう長くしないはずでわずかな予定だったのがつい感興にまかせて長く続けていて、それも楽音で時間を知るほどの敏感がなく、思わずおそくなって、思いやりのないことをした」
 とお言いになり、笙《しょう》の笛を吹いた子に酒杯をお差しになり、御服を脱いでお与えになるのであった。横笛の子には紫夫人のほうから厚織物の細長に袴《はかま》などを添えて、あまり目だたせぬ纏頭《てんとう》が出された。大将には姫宮の御簾《みす》の中から酒器《かわらけ》が出されて、宮の御装束一そろいが纏頭にされた。
「変ですね。まず先生に御|褒美《ほうび》をお出しにならないで。私は失望した」
 院がこう冗談《じょうだん》をお言いになると、宮の几帳《きちょう》の下からお贈り物の笛が出た。院は笑いながらお受け取りになるのであったが、それは非常によい高麗笛であった。少しお吹きになると、もう退出し始めていた人たちの中で大将が立ちどまって、子息の持っていた横笛を取ってよい音に吹き合わせるのが、至芸と思われるこの音を院はうれしくお聞きになり、これもまた自分の弟子《でし》であったと満足されたのであった。
 大将は子供をいっしょに車へ乗せて月夜の道を帰って行ったが、いつまでも第二回のおりの箏の音が耳についていて、遣《や》る瀬なく恋しかった。この人の妻は祖母の宮のお教えを受けていたといっても、まだよくも心にはいらぬうちに父の家へ引き取られ、十三絃もはんぱな稽古《けいこ》になってしまったのであるから、良人《おっと》の前では恥じて少しも弾かないのである。すべておおまかに外見をかまわず暮らしていて、あとへあとへ生まれる子供の世話に追われているのであるから、大将は若い妻の感じのよさなどは少しも受け取りえない良人なのである。しかも嫉妬《しっと》はして、腹をたてなどする時に天真|爛漫《らんまん》な所の見える無邪気な夫人なのであった。
 院は対のほうへお帰りになり、紫夫人はあとに残って女三の宮とお話などをして、明け方に去ったが、昼近くなるまで寝室を出なかった。
「宮は上手《じょうず》になられたようではありませんか。あの琴をどう聞きましたか」
 と院は夫人へお話しかけになった。
「初めごろ、あちらでなさいますのを、聞いておりました時は、まだそうおできになるとは伺いませんでしたが、非常に御上達なさいましたね。ごもっともですわね、先生がそればかりに没頭していらっしゃったのですものね」
「そうですね、手を取りながら教えるのだからこんな確かな教授法はなかったわけですね。あなたにも教えるつもりでいたが、あれは面倒で時間のかかる稽古ですからね、つい実行ができなかったのだが、院の陛下も琴だけの稽古はさせているだろうと言っておられるということを聞くと、お気の毒で、せめてそれくらいのことは保護者に選ばれたものの義務としてしなければならないかという気になって、やり始めた先生なのですよ」
 などと仰せられるついでに、
「小さかったころのあなたを手もとへ置いて、理想的に育て上げたいとは思ったものの、そのころの私にはひまな時間が少なくて、特別なものの先生になってあげることもできなかったし、近年はまたいろいろなことが次から次へと私を駆使して、よく世話もしてあげなかった琴のできのよかったことで私は光栄を感じましたよ。大将が非常に感心しているのを見たこともうれしくてなりませんでしたよ」
 ともおほめになった。そうした芸術的な能力も豊かである上に、今は一方で祖母の義務を御孫の宮たちのために忠実に尽くしていて、家庭の実務をとることにも力の不足は少しも見せない夫人であることを院はお思いになり、こうまで完全な人というものは短命に終わるようなこともあるのであると、そんな不安をお覚えになった。多くの女性を御覧になった院が、これほどにも物の整った人は断じてほかにないときめておいでになる紫の女王であった。夫人は今年が三十七であった。同棲《どうせい》あそばされてからの長い時間を院は追懐あそばしながら、
「祈祷《きとう》のようなことを半生の年よりもたくさんさせて今年は無理をしないようにあなたは慎むのですね。私がそうしたことは常に気をつけてさせなければならないのだが、ほかのことに紛れてうっかりとしている場合もあるだろうから、あなた自身で考えて、ああしたいというようないくぶん大きな仏事の催しでもあれば、言ってくれればいくらでも用意をさせますよ。北山の僧都《そうず》がなくなっておしまいになったことは惜しいことだ。親戚《しんせき》とせずに言ってもりっぱな宗教家でしたがね」
 ともお言いになった。また、
「私は生まれた初めからすでにたいそうに扱われる運命を持っていたし、今日になって得ている名誉も物質的のしあわせも珍しいほどの人間ともいってよいが、また一方ではだれよりも多くの悲しみを見て来た人とも言えるのです。母や祖母と早く別れたことに始まって、いろいろな悲しいことが私のまわりにはありましたよ。それが罪業を軽くしたことになって、こうして思いのほか長生きもできるのだと思いますよ。あなたは私とあの別居時代のにがい経験をしてからはもう物思いも煩悶《はんもん》もなかったろうと思われる。お后《きさき》と言われる人、ましてそれ以下の宮廷の人には人との競争意識でみずから苦しまない人はないのですよ。親の家にいるままのようにして今日まで来たあなたのような気楽はだれにもないものなのですよ。この点だけではあなたがだれよりも幸福だったということがわかりますか。思いがけなく姫宮をこちらへお迎えしなければならないことになってからは、少しの不愉快はあるでしょうがね、それによって私の愛はいっそう深まっているのだが、あなたは自身のことだからわかっていないかもしれない。しかし物わかりのいい人だから理解していてくれるかもしれないと頼みにしていますよ」
 と院がお言いになると、
「お言葉のように、ほかから見ますれば私としては過分な身の上になっているのですが、心には悲しみばかりがふえてまいります。それを少なくしていただきたいと神仏にはただそれを私は祈っているのですよ」
 言いたいことをおさえてこれだけを言った女王に貴女らしい美しさが見えた。
「ほんとうは私はもう長く生きていられない気がしているのでございますよ。この厄年《やくどし》までもまだ知らない顔でこのままでいますことは悪いことと知っています。以前からお願いしていることですから、許していただけましたら尼になります」
 とも夫人は言った。
「それはもってのほかのことですよ。あなたが尼になってしまったあとの私の人生はどんなにつまらないものになるだろう。平凡に暮らしてはいるようなものの、あなたと睦《むつ》まじくして生きているということよりよいことはないと私は信じているのです。あなただけをどんなに私が愛しているかということを、これからの長い時間に見ようと思ってください」
 院がこうお言いになるのを、またもいつもの慰め言葉で自分の信仰にはいる道をおはばみになると聞いて、夫人の涙ぐんでいるのを院は憐《あわ》れにお思いになって、いろいろな話をし出して紛らせようとおつとめになるのであった。
「そうおおぜいではありませんが、私の接触した比較的優秀な女性について言ってみると、女は何よりも性質が善良で落ち着いた考えのある人が一等だと思われるが、それがなかなか望んで見いだせないものなのですよ。大将の母とは少年時代に結婚をして、尊重すべき妻だとは思っていましたが、仲をよくすることができずに、隔てのあるままで終わったのを、今思うと気の毒で堪えられないし、残念なことをしたと後悔もしていながら、また自分だけが悪いのでもなかったと一方では考えられもするのですよ。りっぱな貴婦人であったことは間違いのないことで、なんらの欠点はなかったが、ただあまりに整然とととのったのが堅い感じを受けさせてね。少し賢過ぎるといっていいような人で、話で聞けば頼もしいが、妻にしては面倒な気のするというような女性でしたよ。中宮《ちゅうぐう》の母君の御息所《みやすどころ》は、高い見識の備わった才女の例には思い出される人だが、恋人としてはきわめて扱いにくい性格でしたよ。怨《うら》むのが当然だと一通りは思われることでも、その人はそのままそのことを忘れずに思いつめて深く恨むのですから、相手は苦しくてならなかった。自己を高く評価させないではおかないという自尊心が年じゅう付きまつわっているような気がして、そんな場合に自分は気に入らない男になるかもしれないと、あまりに見栄を張り過ぎるような私になって、そして自然に遠のいて縁が絶えたのですよ。私が無二無三に進み寄ってあるまじい名の立つ結果を引き起こしたその人の真価を知っているだけなお捨ててしまったのが済まないことに思われて、せめて中宮にはよくお尽くししたいと、それも前生の約束だったのでしょうが、こうして子にしてお世話を申していることで、あの世からも私を見直しているでしょうよ。今も昔も浮わついた心から人のために気の毒な結果を生むことの多い私ですよ」
 なお幾人《いくたり》かの女の上を院はお語りになった。
「女御《にょご》のあの後見役はたいしたものではあるまいと軽く見てかかった相手ですが、それが心の底の底までは見られないほどの深い所のある女でしたからね。うわべは素直らしく柔順には見えながら、自己を守る堅さが何かの場合に見える怜悧《れいり》なたちなのですよ」
 と院がお言いになると、
「ほかの方は見ないのですからわかりませんけれど、あの方にはおりおりお目にかかっていますが、聡明《そうめい》で聡明で御自身の感情を少しもお見せにならないのに比べて、だれにも友情を押しつける私をあの方はどう御覧になっていらっしゃるかときまりが悪くてね。しかしとにもかくにも女御は私をいいようにだけ解釈してくださるだろうと思っています」
 夫人にとってはねたましく思われた人であった明石《あかし》夫人をさえこんなに寛大な心で見るようになったのも、女御を愛する心の深いからであろうと院はうれしく思召《おぼしめ》した。
「あなたは恨む心もある人だが思いやりもあるから私をそう困らせませんね。たくさんな女の中であなたの真似《まね》のできる人はない。あまりにりっぱ過ぎるわけですね」
 微笑して院はこうお言いになる。
 夕方になってから、
「宮がよくお弾《ひ》きになったお祝いを言ってあげよう」
 と言って、院は寝殿へお出かけになった。自分があるために苦しんでいる人がほかにあることなどは念頭になくて、お若々しく宮は琴の稽古《けいこ》を夢中になってしておいでになった。
「もう琴は休ませておやりなさい。それに先生をよく歓待なさらなければならないでしょう。苦しい骨折りのかいがあって安心してよいできでしたよ」
 と院はお言いになって、楽器は押しやって寝ておしまいになった。
 対のほうでは寝殿泊まりのこうした晩の習慣《ならわし》で女王《にょおう》は長く起きていて女房たちに小説を読ませて聞いたりしていた。人生を写した小説の中にも多情な男、幾人も恋人を作る人を相手に持って、絶えず煩悶《はんもん》する女が書かれてあっても、しまいには二人だけの落ち着いた生活が営まれることに皆なっているようであるが、自分はどうだろう、晩年になってまで一人の妻にはなれずにいるではないか、院のお言葉のように自分は運命に恵まれているのかもしれぬが、だれも最も堪えがたいこととする苦痛に一生付きまとわれていなければならぬのであろうか、情けないことであるなどと思い続けて、夫人は夜がふけてから寝室へはいったのであるが、夜明け方から病になって、はなはだしく胸が痛んだ。女房が心配して院へ申し上げようと言っているのを、
「そんなことをしては済みませんよ」
 と夫人はとめて、非常な苦痛を忍んで朝を待った。発熱までもして夫人の容体は悪いのであるが、院が早くお帰りにならないのをお促しすることもなしにいるうち、女御のほうから夫人へ手紙を持たせて来た使いに、病気のことを女房が伝えたために、驚いた女御から院へお知らせをしたために、胸を騒がせながら院が帰っておいでになると、夫人は苦しそうなふうで寝ていた。
「どんな気持ちですか」
 とお言いになり、手を夜着の下に入れてごらんになると非常に夫人の身体《からだ》は熱い。昨日話し合われた厄年のことも思われて、院は恐ろしく思召されるのであった。粥《かゆ》などを作って持って来たが夫人は見ることすらもいやがった。院は終日病床にお付き添いになって看護をしておいでになった。ちょっとした菓子なども口にせず起き上がらないまま幾日かたった。どうなることかと院は御心配になって祈祷《きとう》を数知らずお始めさせになった。僧を呼び寄せて加持《かじ》などもさせておいでになった。どこが特に悪いともなく夫人は非常に苦しがるのである。胸の痛みの時々起こるおりなども堪えがたそうな苦しみが見えた。いろいろな養生《ようじょう》もまじないもするがききめは見えない。重い病気をしていても時さえたてばなおる見込みのあるのは頼もしいが、この病人は心細くばかり見えるのを院は悲しがっておいでになった。もうほかのことをお考えになる余裕がないために、法皇の賀のことも中止の状態になった。法皇の御寺《みてら》からも夫人の病をねんごろにお見舞いになる御使いがたびたび来た。
 夫人の病気は同じ状態のままで二月も終わった。院は言い尽くせぬほどの心痛をしておいでになって、試みに場所を変えさせたらとお考えになって、二条の院へ病女王をお移しになった。六条院の人々は皆大|厄難《やくなん》が来たように、悲しんでいる。冷泉《れいぜい》院も御心痛あそばされた。この夫人にもしものことがあれば六条院は必ず出家を遂げられるであろうことは予想されることであったから、大将なども誠心誠意夫人の病気回復をはかるために奔走しているのであった。院が仰せられる祈祷《きとう》のほかに大将は自身の志での祈祷もさせていた。少し知覚の働く時などに夫人は、
「お願いしていますことをあなたはお拒《こば》みになるのですもの」
 と、院をお恨みした。力の及ばぬ死別にあうことよりも、生きながら自分から遠く離れて行かせるようなことを見ては、片時も生きるに堪えない気があそばされる院は、
「昔から私のほうが出家のあこがれを多く持っていながら、あなたが取り残されて寂しく暮らすことを思うのは、堪えられないことなので、こうしてまだ俗世界に残っているのに、逆にあなたが私を捨てようと思うのですか」
 こんなにばかりお言いになって御同意をあそばされないのが悪いのか、夫人の病体は頼み少なく衰弱していった。もう臨終かと思われることも多いためにまた尼にさせようかとも院はお惑いになるのであった。こんなことで女三《にょさん》の宮《みや》のほうへは仮の訪問すらあそばされなかった。どこでも楽器はしまい込まれて、六条院の人々は皆二条のほうへ集まって行った。このお邸《やしき》は火の消えたようであった。ただ夫人たちだけが残っているのであるが、これを見れば六条院のはなやかさは紫の女王一人のために現出されていたことのように思われた。女御も二条の院のほうへ来て御父子で看護をされた。
「あなたは普通のお身体《からだ》でないのですから、物怪《もののけ》の徘徊《はいかい》する私の病室などにはおいでにならないで、早く御所へお帰りなさいね」
 と、病苦の中でも夫人は心配して言うのであった。若宮のおかわいらしいのを見ても夫人は非常に泣くのであった。
「大きくおなりになるのを拝見できないのが悲しい。お忘れになるでしょう」
 などと言うのを聞く女御も悲しかった。
「そんな縁起でもないことを思ってはいけませんよ。悪いようでもそんなことにはならないだろうと思う自身の性格で運命も支配していくことになりますからね。狭い心を持つ者は出世をしても寛大な気持ちでいられないものだから失敗する。善良な、おおような人は自然に長命を得ることになる例もたくさんあるのだから、あなたなどにそんな悲しいことは起こってきませんよ」
 などと院はお慰めになるのであった。神仏にも夫人の善良さ、罪の軽さを告げて目に見えぬ加護を祈らせておいでになるのである。修法《しゅほう》をする阿闍梨《あじゃり》たち、夜居《よい》の僧などは院の御心痛のはなはだしさを拝見することの心苦しさに一心をこめて皆祈った。少し快い日が間に五、六日あって、また悪いというような容体で、幾月も夫人は病床を離れることができなかったから、やはり助かりがたい命なのかと院はお歎《なげ》きになった。物怪《もののけ》で人に移されて現われるものもない。どこが悪いということもなくて日に添えて夫人は衰弱していくのであったから、院は悲しくばかり思召《おぼしめ》されて、いっさいほかのことはお思いになれなかった。
 あの衛門督《えもんのかみ》は中納言になっていた。衛門督の官も兼ねたままである。当代の天子の御信任を受けてはなやかな勢力のついてくるにつけても、失恋の苦を忘れかねて、女三の宮の姉君の二の宮と結婚をした。これは低い更衣《こうい》腹の内親王であったから、心安い気がして格別の尊敬を妻に払う必要もないと思って、院からお引き受けをしたのである。普通の人に比べてはすぐれた女性ではおありになったが初めから心に沁《し》んだ人に変えるだけの愛情は衛門督に起こらなかった。ただ人目に不都合でないだけの良人《おっと》の義務を尽くしているに過ぎないのであった。今も以前の恋の続きにその方のことを聞き出す道具に使っている女三の宮の小侍従という女は、宮の侍従の乳母《めのと》の娘なのである。その乳母の姉が衛門督の乳母であったから、この人は少年のころから宮のお噂《うわさ》を聞いていた。お美しいこと、父帝が溺愛《できあい》しておいでになることなどを始終聞かされていたのがこの恋の萌芽《きざし》になったのである。
 六条院が病夫人と二条の院へお移りになっていて、ひまであろうことを思って小侍従を衛門督は自邸へ迎えて、熱心に話すのはまたそのことについてであった。
「昔から命にもかかわるほどの恋をしていて、しかも都合のよいあなたという手蔓《てづる》を持っていて、宮様の御様子も聞くことができ、私の煩悶《はんもん》していることも相当にお伝えしてもらっているはずなのだが、少しも見るに足る効果がないから残念でならない。あなたが恨めしくなるよ。法皇様さえも、宮様が幾人もの妻の中の一人におなりになって、第一の愛妻はほかの方であるというわけで、一人お寝《やす》みになる夜が多く、つれづれに暮らしておいでになるのをお聞きになって、御後悔をあそばしたふうで、結婚をさせるのであったら普通人の忠実な良人《おっと》を宮のために選ぶべきだったとお言いになり、女二《にょに》の宮《みや》はかえって幸福で将来が頼もしく見えるではないかと仰せられたということを私は聞いて、お気の毒にも、残念にも思って煩悶しないではいられないではないか。私の宮さんも御|姉妹《きょうだい》ではあるが、それはそれだけの方としておくのだよ」
 と衛門督《えもんのかみ》が歎息《たんそく》をしてみせると、小侍従は、
「まあもったいない。それはそれとしてお置きになって、また何をどうしようというのでしょう」
 ととがめた。衛門督は微笑を見せて、
「まあ世の中のことは皆そうしたもので、表も裏もあるものなのだよ。私が三の宮さんの熱心な求婚者であったことは、法皇様も陛下もよく御承知で、陛下はその時代に十分見込みはありそうだよ、とも仰せられたものなのだが、もう少しの御好意が不足していたわけだと私は思っている」
 などと言う。
「それはだめですよ。むずかしいことですよ。運命もありますし、六条院様が求婚者になって現われておいでになっては、どの競争者だって勝ち味はないと思いますけれど、あなただけはたいへんな御自信があったのですね。近ごろになりましてこそ御官服の色が濃くおなりになったようでございますがね」
 こんなふうにまくし立てる小侍従の攻撃にはかなわないことを衛門督は思った。
「もう昔のことは言わないよ。ただね、このごろのようなまたとない好機会にせめてお居間の近くへまで行って、私の苦しんでいる心を少しだけお話しさせてくれることを計らってくれないか。もったいない欲念《よくねん》などは見ていてごらん、もういっさい起こさないことにあきらめているのだから、いいだろう」
「それ以上のもったいない欲心がありますかしら。恐ろしい望みをお起こしになったものですね、私は出てまいらなければよかった」
 強硬に小侍従は拒む。
「ひどいことを言うものではないよ。たいそうらしく何を言うのだ。后といっても恋愛問題をかつてお起こしになった人もないわけではないよ。まして宮中のことではなしさ、ほかからは結構なお身の上に見られておいでになっても、口惜《くちお》しいこともあれでは多かろうじゃないか。法皇様からはどのお子様よりも大事がられて御成人なすって、今は同じだけの御身分でない方と同等の一人の夫人で、しかも最愛の方としてはお扱われにならないというくわしいことを私は知っているのだよ。人は無常の世界にいるのだから、君が宮の御幸福をこうして守ろうとしていることが皆むだなことになるかもしれないからね。私に冷酷なことを言っておかないほうがいいよ」
「人ほど大事がられない奥様だとお言いになって、それをあなたの力でよくしていただけるというのですか。六条院様と宮様は普通の夫婦というのでもありませんよ。保護者もなく一人でおいでになりますよりはという思召《おぼしめ》しで親代わりにお頼みになったのですもの。院がお引き受けになりましたのもその気持ちでなすったことですもの、つまらないことを言って、結局は宮様を悪くあなたはおっしゃるのですね」
 ついには腹をたててしまった小侍従の機嫌《きげん》を衛門督《えもんのかみ》はとっていた。
「ほんとうのことを言えば、あのまれな美貌《びぼう》の六条院様を良人《おっと》にお持ちになる宮様に、お目にかかって自身が好意を持たれようとは考えても何もいないのだよ。ただ一言を物越しに私がお話しするだけのことで、宮様の尊厳をそこねることはないじゃないか。神や仏にでも思っていることを言って咎《とが》や罰を受けはしないじゃないか」
 こう言って衛門督は絶対に不浄なことは行なわないという誓いまでも立てて、ひそかに御訪問をするだけの手引きを頼むのを、初めのうちは強硬にあるまじいことであると小侍従は突きはねていたが、もともとあさはかな若い女房であるから、こうまでも思い込むものかと、熱心な頼みに動かされて、
「もしそんなことによいような隙《すき》が見つかりましたら御案内いたしましょう。院がおいでにならぬ晩はお几帳《きちょう》のまわりに女房がたくさんいます。お帳台には必ずだれかが一人お付きしているのですから、どんな時にそうしたよいおりがあるものでしょうかね」
 と困ったように言いながら小侍従は帰って行った。
 どうだろう、どうだろうと毎日のように衛門督から責めて来られる小侍従は困りながらしまいにある隙《すき》のある日を見つけて衛門督へ知らせてやった。督は喜びながら目だたぬふうを作って小侍従を訪《たず》ねて行った。衛門督自身もこの行動の正しくないことは知っているのであるが、物越しの御様子に触れては物思いがいっそうつのるはずの明日までは考えずに、ただほのかに宮のお召し物の褄先《つまさき》の重なりを見るにすぎなかったかつての春の夕べばかりを幻に見る心を慰めるためには、接近して行って自身の胸中をお伝えして、それからは一行の文《ふみ》のお返事を得ることにもなればというほどの考えで、宮が憐《あわれ》んでくださるかもしれぬというはかない希望をいだいている衛門督でしかなかった。これは四月十幾日のことである。明日は賀茂《かも》の斎院の御禊《みそぎ》のある日で、御|姉妹《きょうだい》の斎院のために儀装車に乗せてお出しになる十二人の女房があって、その選にあたった若い女房とか、童女とかが、縫い物をしたり、化粧をしたりしている一方では、自身らどうしで明日の見物に出ようとする者もあって、仕度《したく》に大騒ぎをしていて、宮のお居間のほうにいる女房の少ない時で、おそばにいるはずの按察使《あぜち》の君も時々通って来る源中将が無理に部屋のほうへ呼び寄せたので、この小侍従だけがお付きしているのであった。よいおりであると思って、静かに小侍従はお帳台の中の東の端へ衛門督の席を作ってやった。これは乱暴な計らいである。宮は何心もなく寝ておいでになったのであるが、男が近づいて来た気配《けはい》をお感じになって、院がおいでになったのかとお思いになると、その男はかしこまった様子を見せて、帳台の床の上から宮を下へ抱きおろそうとしたから、夢の中でものに襲われているのかとお思いになって、しいてその者を見ようとあそばすと、それは男であるが院とは違った男であった。これまで聞いたこともおありにならぬような話を、その男はくどくどと語った。宮は気味悪くお思いになって、女房をお呼びになったが、お居間にはだれもいなかったからお声を聞きつけて寄って来る者もない。宮はお慄《ふる》い出しになって、水のような冷たい汗もお身体《からだ》に流しておいでになる。失心したようなこの姿が非常に御|可憐《かれん》であった。
「私はつまらぬ者ですが、それほどお憎まれするのが至当だとは思われません。昔からもったいない恋を私はいだいておりましたが、結局そのままにしておけば闇《やみ》の中で始末もできたのですが、あなた様をお望み申すことを発言いたしましたために、院のお耳にはいり、その際はもってのほかのこととも院は仰せられませんでした。それも私の地位の低さにあなた様を他へお渡しする結果になりました時、私の心に受けました打撃はどんなに大きかったでしょう。もうただ今になってはかいのないことを知っておりまして、こうした行動に出ますことは慎んでいたのですが、どれほどこの失恋の悲しみは私の心に深く食い入っていたのか、年月がたてばたつほど口惜《くちお》しく恨めしい思いがつのっていくばかりで、恐ろしいことも考えるようになりました。またあなた様を思う心もそれとともに深くなるばかりでございました。私はもう感情を抑制することができなくなりまして、こんな恥ずかしい姿であるまじい所へもまいりましたが、一方では非常に思いやりのないことを自責しているのですから、これ以上の無礼はいたしません」
 こんな言葉をお聞きになることによって、宮は衛門督《えもんのかみ》であることをお悟りになった。非常に不愉快にお感じにもなったし、怖《おそ》ろしくもまた思召《おぼしめ》されもして少しのお返辞もあそばさない。
「あなた様がこうした冷ややかなお扱いをなさいますのはごもっともですが、しかしこんなことは世間に例のないことではないのでございますよ。あまりに御同情の欠けたふうをお見せになれば、私は情けなさに取り乱してどんなことをするかもしれません。かわいそうだとだけ言ってください。そのお言葉を聞いて私は立ち去ります」
 とも、手を変え品を変え宮のお心を動かそうとして説く衛門督であった。想像しただけでは非常な尊厳さが御身を包んでいて、目前で恋の言葉などは申し上げられないもののように思われ、熱情の一端だけをお知らせし、その他の無礼を犯すことなどは思いも寄らぬことにしていた督であったにかかわらず、それほど高貴な女性とも思われない、たぐいもない柔らかさと可憐《かれん》な美しさがすべてであるような方を目に見てからは、衛門督の欲望はおさえられぬものになり、どこへでも宮を盗み出して行って夫婦になり、自分もそれとともに世間を捨てよう、世間から捨てられてもよいと思うようになった。
 少し眠ったかと思うと衛門督は夢に自分の愛している猫《ねこ》の鳴いている声を聞いた。それは宮へお返ししようと思ってつれて来ていたのであったことを思い出して、よけいなことをしたものだと思った時に目がさめた。この時にはじめて衛門督は自身の行為を悟ったのである。が宮はあさましい過失をして罪に堕《お》ちたことで悲しみにおぼれておいでになるのを見て、
「こうなりましたことによりましても、前生の縁がどんなに深かったかを悟ってくださいませ。私の犯した罪ですが、私自身も知らぬ力がさせたのです」
 不意に猫が端を引き上げた御簾《みす》の中に宮のおいでになった春の夕べのことも衛門督《えもんのかみ》は言い出した。そんなことがこの悲しい罪に堕《お》ちる因をなしたのかと思召《おぼしめ》すと、宮は御自身の運命を悲しくばかり思召されるのであった。もう六条院にはお目にかかれないことをしてしまった自分であるとお思いになることは、非常に悲しく心細くて、子供らしくお泣きになるのを、もったいなくも憐《あわ》れにも思って、自分の悲しみと同時に恋人の悲しむのを見るのは堪えがたい気のする督であった。夜が明けていきそうなのであるが、帰って行けそうにも男は思われない。
「どうすればよいのでしょう。私を非常にお憎みになっていますから、もうこれきり逢《あ》ってくださらないことも想像されますが、ただ一言を聞かせてくださいませんか」
 宮はいろいろとこの男からお言われになるのもうるさく、苦しくて、ものなどは言おうとしてもお口へ出ない。
「何だか気味が悪くさえなりましたよ。こんな間柄というものがあるでしょうか」
 男は恨めしいふうである。
「私のお願いすることはだめなのでしょう。私は自殺してもいい気にもとからなっているのですが、やはりあなたに心が残って生きていましたものの、もうこれで今夜限りで死ぬ命になったかと思いますと、多少の悲しみはございますよ。少しでも私を愛してくださるお心ができましたら、これに命を代えるのだと満足して死ねます」
 と言って、衛門督は宮をお抱きして帳台を出た。隅《すみ》の室《ま》の屏風《びょうぶ》を引き拡《ひろ》げ蔭《かげ》を作っておいて、妻戸をあけると、渡殿《わたどの》の南の戸がまだ昨夜《ゆうべ》はいった時のままにあいてあるのを見つけ、渡殿の一室へ宮をおおろしした。まだ外は夜明け前のうす闇《やみ》であったが、ほのかにお顔を見ようとする心で、静かに格子をあげた。
「あまりにあなたが冷淡でいらっしゃるために、私の常識というものはすっかりなくされてしまいました。少し落ち着かせてやろうと思召すのでしたら、かわいそうだとだけのお言葉をかけてください」
 衛門督が威嚇《いかく》するように言うのを、宮は無礼だとお思いになって、何かとがめる言葉を口から出したく思召したが、ただ慄《ふる》えられるばかりで、どこまでも少女らしいお姿と見えた。ずんずん明るくなっていく。あわただしい気になっていながら、男は、
「理由のありそうな夢の話も申し上げたかったのですけれど、あくまで私をお憎みになりますのもお恨めしくてよしますが、どんなに深い因縁のある二人であるかをお悟りになることもあなたにあるでしょう」
 と言って出て行こうとする男の気持ちに、この初夏の朝も秋のもの悲しさに過ぎたものが覚えられた。

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おきて行く空も知られぬ明けぐれにいづくの露のかかる袖《そで》なり
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 宮のお袖を引いて督《かみ》のこう言った時、宮のお心はいよいよ帰って行きそうな様子に楽になって、

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あけぐれの空にうき身は消えななん夢なりけりと見てもやむべく
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 とはかなそうにお言いになる声も、若々しく美しいのを聞きさしたままのようにして、出て行く男は魂だけ離れてあとに残るもののような気がした。
 夫人の宮の所へは行かずに、父の太政大臣家へそっと衛門督《えもんのかみ》は来たのであった。夢と言ってよいほどのはかない逢う瀬が、なおありうることとは思えないとともに、夢の中に見た猫の姿も恋しく思い出された。大きな過失を自分はしてしまったものである。生きていることがまぶしく思われる自分になったと恐ろしく、恥ずかしく思って、督はずっとそのまま家に引きこもっていた。
 恋人の宮のためにも済まないことであるし、自身としてもやましい罪人になってしまったことは取り返しのつかぬことであると思うと、自由に外へ出て行ってよい自分とは思われなかったのである。陛下の寵姫《ちょうき》を盗みたてまつるようなことをしても、これほどの熱情で愛している相手であったなら、処罰を快く受けるだけで、このやましさはないはずである。そうした咎《とが》は受けないであろうが、六条院が憎悪《ぞうお》の目で自分を御覧になることを想像することは非常な恐ろしい、恥ずかしいことであると衛門督は思っていた。
 貴女《きじょ》と言っても少し蓮葉《はすっぱ》な心が内にあって、表面が才女らしくもあり、無邪気でもあるような見かけとは違った人は誘惑にもかかりやすく、無理な恋の会合を相手としめし合わせてすることにもなりやすいのであるが、女三《にょさん》の宮《みや》は深さもないお心ではあるが、臆病《おくびょう》一方な性質から、もう秘密を人に発見されてしまったようにも恐ろしがりもし、恥じもしておいでになって、明るいほうへいざって出ることすらおできにならぬまでになっておいでになって、悲しい運命を負った自分であるともお悟りになったであろうと思われる。宮が御病気のようであるという知らせをお受けになって、六条院は、はなはだしく悲しんでおいでになる夫人の病気のほかに、またそうした心痛すべきことが起こったかと驚いて見舞いにおいでになったが、宮は別にどこがお悪いというふうにも見えなかった。ただ非常に恥ずかしそうにして、そしてめいっておいでになった。院のお目を避けるようにばかりして、下を向いておいでになるのを、久しく訪《たず》ねなかった自分を恨めしく思っているのであろうと、院のお目にそれが憐《あわ》れにも、いたいたしいようにも映って、紫夫人の容体などをお話しになり、
「もうだめになるのでしょう。最後になって冷淡に思わせてやりたくないと考えるものですから付いていっているのですよ。少女時代から始終そばに置いて世話をした妻ですから、捨てておけない気もして、こんなに幾月もほかのことは放擲《ほうてき》したふうで付ききりで看護もしていますが、またその時期が来ればあなたによく思ってもらえる私になるでしょう」
 などとお言いになるのを、宮は聞いておいでになって、あの罪は気《け》ぶりにもご存じないことを、お気の毒なことのようにも、済まないことのようにもお思いになって、人知れず泣きたい気持ちでおいでになった。
 衛門督の恋はあのことがあって以来、ますますつのるばかりで、はげしい煩悶《はんもん》を日夜していた。賀茂祭りの日などは見物に出る公達《きんだち》がおおぜいで来て誘い出そうとするのであったが、病気であるように見せて寝室を出ずに物思いを続けていた。夫人の女二《にょに》の宮《みや》には敬意を払うふうに見せながらも、打ち解けた良人《おっと》らしい愛は見せないのである。督は夫人の宮のそばでつれづれな時間をつぶしながらも心細く世の中を思っているのであった。童女が持っている葵《あおい》を見て、

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悔《くや》しくもつみをかしける葵《あふひ》草神の許せる挿頭《かざし》ならぬに
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 こんな歌が口ずさまれた。後悔とともに恋の炎はますます立ちぼるようなわけである。町々から聞こえてくる見物車の音も遠い世界のことのように聞きながら、退屈に苦しんでもいるのであった。女二の宮も衛門督《えもんのかみ》の態度の誠意のなさをお感じになって、それは何がどうとはおわかりにならないのであるが、御自尊心が傷つけられているようで、物思わしくばかり思召された。女房などは皆祭りの見物に出て人少なな昼に、寂しそうな表情をあそばして十三|絃《げん》の琴を、なつかしい音に弾《ひ》いておいでになる宮は、さすがに高貴な方らしいお美しさと艶《えん》な趣は備わってお見えになるのであるが、ただもう少しの運が足りなかったのだと衛門督は自身のことを思っていた。

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もろかづら落ち葉を何に拾ひけん名は睦《むつ》まじき挿頭《かざし》なれども
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 こんな歌をむだ書きにしていた。もったいないことである。
 院はまれにお訪《たず》ねになった宮の所からすぐに帰ることを気の毒にお思いになり、泊まっておいでになったが、病夫人を気づかわしくばかり思っておいでになる所へ使いが来て、急に息が絶えたと知らせた。院はいっさいの世界が暗くなったようなお気持ちで二条の院へ帰ってお行きになるのであったが、車の速度さえもどかしく思っておいでになると、二条の院に近い大路はもう立ち騒ぐ人で満たされていた。邸内からは泣き声が多く聞こえて、大きな不祥事のあることは覆《おお》いがたく見えた。夢中で家へおはいりになったが、
「この二、三日は少しお快いようでございましたのに、にわかに絶息をあそばしたのでございます」
 こんな報告をした女房らが、自分たちも、いっしょに死なせてほしいと泣きむせぶ様子も悲しかった。もう祈祷《きとう》の壇は壊《こぼ》たれて、僧たちもきわめて親しい人たちだけが残ってもそのほかのは仕事じまいをして出て行くのに忙しいふうを見せている。こうしてもう最愛の妻の命は人力も法力も施しがたい終わりになったのかと、院はたとえようもない悲しみをお覚えになった。
「しかしこれは物怪《もののけ》の所業だろうと思われる。あまりに取り乱して泣くものでない」
 と院は泣く女房たちを制して、またまた幾つかの大願をお立てになった。そしてすぐれた修験の僧をお集めになり、
「これが定《き》まった命数でも、しばらくその期をゆるめていただきたい、不動尊は人の終わりにしばらく命を返す約束を衆生にしてくだすった。それに自分たちはおすがりする。それだけの命なりとも夫人にお授けください」
 こう僧たちは言って、頭から黒煙を立てると言われるとおりの熱誠をこめて祈っていた。院も互いにただ一目だけ見合わす瞬間が与えられたい、最後の時に見合わせることのできなかった残念さ悲しさから長く救われたいと言ってお歎《なげ》きになる御様子を見ては、とうていこの夫人のあとにお生き残りになることはむずかしかろうと思われて、そのことをまた人々の歎くことも想像するにかたくない。
 この院の夫人への大きな愛が御仏《みほとけ》を動かしたのか、これまで少しも現われてこなかった物怪が、小さい子供に憑《のりうつ》って来て、大声を出し始めたのと同時に夫人の呼吸《いき》は通ってきた。院はうれしくも思召され、また不安でならぬようにも思召された。物怪は僧たちにおさえられながら言う、
「皆ここから遠慮をするがよい。院お一人のお耳へ申し上げたいことがある。私の霊を長く法力で苦しめておいでになったのが無情な恨めしいことですから、懲らしめを見せようと思いましたが、さすがに御自身の命も危険なことになるまで悲しまれるのを見ては、今こそ私は物怪であっても、昔の恋が残っているために出て来る私なのですから、あなたの悲しみは見過ごせないで姿を現わしました。私は姿など見せたくなかったのだけれど」
 と物怪は叫んだ。髪を顔に振りかけて泣く様子は、昔一度御覧になった覚えのある物怪であった。その当時と同じ無気味さがお心に湧《わ》いてくるのも恐ろしい前兆のようにお思われになって、その子供の手を院はお捉《とら》えになって、前へおすわらせになり、あさましい姿はできるだけ人に見させまいとお努めになった。
「ほんとうにその人なのか。悪い狐《きつね》などが故人を傷つけるためにでたらめを言ってくることがあるから、確かなことを言うがいい。他人の知らぬことで私にだけ合点のゆくことを何か言ってみるがいい。そうすれば少しは信じてもいい」
 院がこうお言いになると、物怪はほろほろと涙を流しながら、悲しそうに泣いた。

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「わが身こそあらぬさまなれそれながら空おぼれする君は君なり
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 恨めしい、恨めしい」
 と泣き叫びながらもさすがに羞恥《しゅうち》を見せるふうが昔の物怪に違う所もなかった。嘘《うそ》でないことからかえってうとましい気がよけいにして情けなくお思われになるので、ものを多く言わすまいと院はされた。
「中宮《ちゅうぐう》に尽くしてくださいますことはうれしい、ありがたいこととはあの世からも見ておりますが、あの世界の人になっては子の愛というものを以前ほど深くは感じないのですか、恨めしいとお思いしたあなたへの執着だけがこんなふうにもなって残っています。その恨みの中でも、生きていますころにほかの人よりも軽くお扱いになったことよりも、夫婦のお話の中で私を悪くお言いになったことが私をくやしくさせました。もう私は死んでいるのですから、私が悪くってもあなたはよくとりなして言ってくだすっていいではありませんか。そうお恨みしただけで、こんな身になっていますと大形《おおぎょう》な表示にもなったのです。奥様を深く恨んでいませんが、法の護《まも》りが強くて近づけないので反抗してみただけです。あなたのお声もほのかに承ることができましたからもういいのです。私の罪の軽くなるような方法を講じてください。修法、読経《どきょう》の声は私にとって苦しい焔《ほのお》になってまつわってくるだけです。尊い仏の慈悲の声に接したいのですが、それを聞くことのできないのは悲しゅうございます。中宮にもこのことをお話しくださいませ。後宮の生活をするうちに人を嫉妬《しっと》するような心を起こしてはならない、斎宮をお勤めになった間の罪を御仏《みほとけ》に許していただけるだけの善根を必ずなさい、あの世で苦しむことをよく考えなければならないとね」
 などと言うが、物怪に向かってお話しになることもきまり悪くお思いになって、物怪がまた出ぬように法の力で封じこめておいて、病夫人を他の室へお移しになった。
 紫夫人が死んだという噂《うわさ》がもう世間に伝わって弔詞《くやみ》を述べに来る人たちのあるのを不吉なことに院はお思いになった。今日の祭りの帰りの行列を見物に出ていた高官たちが、帰宅する途中でその噂を聞いて、
「たいへんなことだ。生きがいのあった幸福な女性が光を隠される日だから小雨も降り出したのだ」
 などと解釈を下す人もあった。また、
「あまりに何もかもそろった人というものは短命なものなのだ。『何をさくらに』(待てといふに散らでしとまるものならば何を桜に思ひまさまし)という歌のように、そうした人が長生きしておれば、一方で不幸に甘んじていなければならぬ人も多くできるわけだ。二品の宮が院の御|寵愛《ちょうあい》を一身にお集めになる日もこれで来るだろう。あまりにお気の毒なふうだったからね」
 などとも言う人があった。衛門督《えもんのかみ》は引きこもっていた昨日の退屈さに懲りて今日は弟の左大弁、参議などの車の奥に乗って見物に出ていた町で、人の言い合っている噂が耳にはいった時に、この人は一種変わった胸騒ぎがした。「散ればこそいとど桜はめでたけれ」(何か浮き世に久しかるべき)などとも口ずさみながら同車の人々とともに二条の院へ参った。まだ確かでないことであるから、形式を病気見舞いにして行ったのであるが、女房の泣き騒いでいる時であったから、真実であったかとさらに驚かれた。ちょうど式部卿の宮がお駈《か》けつけになった時で、萎《しお》れたふうで宮は内へおはいりになった。押し寄せて来た多数の見舞い客の挨拶《あいさつ》はまだことごとくは取り次ぎきれずに、家従たちの忙しがっている所へ左大将が涙をふきながら出て来た。
「どんなふうでいらっしゃるのですか。不吉なことを言う人があるのを私たちは信じることができないで伺ったのです。ただ長い御疾患を御心配申し上げて参ったのです」
 などと衛門督は言った。
「重態のままで長く病んでおられたのですが、今朝の夜明けに絶息されたのは、それは物怪《もののけ》のせいだったのです。ようやく呼吸《いき》が通うようになったと言って皆一安心しましたが、まだ頼もしくは思われないのですからね。気の毒でね」
 と言う大将には実際今まで泣き続けていたという様子が残っていた。目も少しは腫《は》れていた。衛門督は自身のだいそれた心から、大将が親しむこともなかった継母のことでこうまで悲しむのは不思議なことであると目をつけた。こんなふうに高官らも見舞いに集まって来たことをお聞きになって、院からの御挨拶が伝えられた。
「重い病人に急変が来たように見えましたために女房らが泣き騒ぎをいたしましたので、私自身もつい心の平静をなくしているおりからですから、またほかの日に改めて御好意に対するお礼を申しましょう」
 院のお言葉というだけで、もう衛門督《えもんのかみ》の胸は騒ぎ立っていたのである。こうした混雑紛れでなくては自分の来られない場所であることを知っているのであるから腹ぎたないふるまいである。
 蘇生《そせい》したのちをまだ恐ろしいことに院はお思いになって、夫人のためにもろもろの法力の加護をお求めになった。生霊《いきりょう》で現われた時さえも恐ろしかった物怪が、今度は死霊になっているのであるから、宗教画に描かれてある恐ろしい形相も想像されて、気味悪く、情けなく思召された院は、中宮のお世話をされることもこの時だけは気の進まぬことに思召されたが、しかしその人には限らず女というものは皆同じように、人間の深い罪の原因《もと》を作るものであるから、人生のすべてがいやなものに思われるとお考えになり、あれは他人がだれも聞かぬ夫婦の間の話の中にただ少し言ったことに過ぎなかったのにと、そんなことをお思い出しになると、いよいよ愛欲世界がうるさくお考えられになるのであった。ぜひ尼になりたいと夫人が望むので、頭の頂の髪を少し取って、五戒だけをお受けさせになった。戒師が完全に仏の戒めを守る誓いを、仏前で尊い言葉で述べる時に、院は体面もお忘れになり、夫人に寄り添って涙を拭《ぬぐ》いつつ夫人とともに仏を念じておいでになったのを見ると、聡明《そうめい》な貴人も御愛妻の病に仏へおすがりになる心は凡人に変わらないことがわかった。どんな方法を講じて夫人の病を救い、長く生命《いのち》を保たせようかと夜昼お歎《なげ》きになるために、院のお顔にも少し痩《や》せが見えるようになった。五月などはまして気候が悪くて病夫人の容体がさわやいでいくとも見えなかったが、以前よりは少しいいようであった。しかもまだ苦しい日々が時々夫人にあった。院は物怪の罪を救うために、日ごとに法華経《ほけきょう》一巻ずつを供養させておいでになった。そのほか何かと宗教的な営みを多くあそばされた。病床のかたわらで不断の読経《どきょう》もさせておいでになるのであって、声のいい僧を選んでそれにはあてておありになった。一度現われて以来おりおり出て物怪は悲しそうなことを言うのであって、全然|退《の》いては行かないのである。暑い夏の日になっていよいよ病夫人の衰弱ははげしくなるばかりであるのを院は歎き続けておいでになった。病に弱っていながらも院のこの御様子を夫人は心苦しく思い、自分の死ぬことは何でもないがこんなにお悲しみになるのを知りながら死んでしまうのは思いやりのないことであろうから、その点で自分はまだ生きるように努めねばならぬと、こんな気が起こったころから、米湯《おもゆ》なども少しずつは取ることになったせいか、六月になってからは時々頭を上げて見ることもできるようになった。珍しくうれしくお思いになりながら、なお院は御不安で六条院へかりそめに行って御覧になることもなかった。
 姫宮はあの事件があってから煩悶《はんもん》を続けておいでになるうちに、お身体《からだ》が常態でなくなって行った。御病気のようにお見えになるが、それほどたいしたことではないのである。六月になってからはお食慾《しょくよく》が減退してお顔色も悪くおやつれが見えるようになった。衛門督は思いあまる時々に夢のように忍んで来た。宮のお心には今も愛情が生じているのではおありにならないのである。罪をお恐れになるばかりでなく、風采《ふうさい》も地位もそれはこれに匹敵する価値のない人であることはむろんであったし、気どって風流男がる表面を見て、一般人からは好もしい美男という評判は受けていても、少女時代から光源氏を良人《おっと》に与えられておいでになった宮が、比較して御覧になっては、それほど価値に思われる顔でもないのであるから、無礼者であるという御意識以外の何ものもない相手のために、妊娠をあそばされたというのはお気の毒な宿命である。気のついた乳母《めのと》たちは、
「たまにしかおいでにならないで、そしてまたこんなふうに重荷を宮様へお負わせになる」
 と院をお恨みしていた。寝《やす》んでおいでになることをお知りになって、院は訪《たず》ねようとあそばされた。
 夫人は暑い時分を清くしていたいと思い、髪を洗ってやや爽快《そうかい》なふうになっていた。そしてそのまままた横になっていたのであるから、早くかわかず、まだぬれている髪は少しのもつれもなく清らかにゆらゆらと、病む麗人に添っていた。青みを帯びた白い顔は美しくてすきとおるような皮膚つきである。虫のもぬけのようにたよりない。しかも長く捨てて置かれた二条の院は女王《にょおう》の美の輝きで狭げにさえ見えた。昨日今日になって人ごこちが夫人に帰ってきたことによって院内が活気づいてにわかに流れも木草も繕われだした。そうした庭をながめても、それが夏の終わりの景色《けしき》であるのに病臥《びょうが》していた間の月日の長さが思われた。池は涼しそうで蓮《はす》の花が多く咲き、蓮葉は青々として露がきらきら玉のように光っているのを、院が、
「あれを御覧なさい。自分だけが爽快がっている露のようじゃありませんか」
 とお言いになるので、夫人は起き上がって、さらに庭を見た。こんな姿を見ることが珍しくて、
「こうしてあなたを見ることのできるのは夢のようだ。悲しくて私自身さえも今死ぬかと思われた時が何度となくあったのだから」
 と、院が目に涙を浮かべてお言いになるのを聞くと、夫人も身にしむように思われて、

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消え留まるほどやは経《ふ》べきたまさかに蓮《はちす》の露のかかるばかりを
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 と言った。

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契りおかんこの世ならでも蓮の葉に玉ゐる露の心隔つな
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 これは院のお歌である。六条院へはお気が進まないのであるが、宮中の聞こえと法皇への御同情から、宮の床についておられる知らせを受けていながら、いっしょに住むほうの妻の大病の気づかわしさから訪《たず》ねて行くこともあまりしなかったのであるから、女王の病のこんなふうに少しよい間にしばらくあちらの家へ行っていようという心におなりになって院はお出かけになった。
 宮は心の鬼に院の前へ出ておいでになることが恥ずかしく晴れがましくて、ものをお言いになる返辞もよくされないのを長い絶え間にこの子供らしい人もさすがに恨んでいるのであろうと院は心苦しくお思いになり、慰めることにかかっておいでになった。お世話役の女房をお呼び出しになり、宮の御不快の経過などを院がお聞きになると、それは妊娠の徴候があってのことであるという答えをした。
「今になって全く珍しいことが起こってきたね」
 とだけ院はお言いになったが、お心の中では長くそばにいる人たちの中にもそうしたことはないのであるから、不祥なことがこちらで起こっているのではないかというような疑いをお覚えになりながら、それをくわしく聞こうとはされないで、ただ悪阻《つわり》に悩む人の若い可憐《かれん》な姿に愛を覚えておいでになった。やっと思い立っておいでになったのであるから、すぐにお帰りになることもできず、二、三日おいでになる間にも、二条の院の女王の容体ばかりがお気づかわれになって、そのほうへ手紙ばかりを書き送っておいでになった。
「あんなにもしばらくの間にお言いになる感情がたまるのですかね。宮様をとうとうお気の毒な方様とお見上げする時が来ましたよ」
 などと宮の御過失などは知らぬ人たちが言う。秘密に携わっている小侍従は院の御滞留の間を無事に過ごしうるかと胸をとどろかせていた。
 衛門督《えもんのかみ》は院が六条のほうへ来ておいでになることを聞くと、だいそれた嫉妬《しっと》を起こして、自己の恋のはげしさをさらに書き送る気になって手紙をよこした。院が暫時《ざんじ》対のほうへ行っておいでになる時で、だれも宮のお居間にいない様子を見て、小侍従はそれを宮にお見せした。
「いやなものを読めというのね。私はまた気分が悪くなってきているのに」
 こう言って、宮はそのまま横におなりになった。
「この端書《はしが》きがあまりに身にしむ文章なんでございますもの」
 小侍従は衛門督の手紙を拡《ひろ》げた。ほかの女房たちが近づいて来た気配《けはい》を聞いて、手でお几帳《きちょう》を宮のおそばへ引き寄せて小侍従は去った。宮のお胸がいっそうとどろいている所へ院までも帰っておいでになったために、手紙をよくお隠しになる間がなくて、敷き物の下へはさんでお置きになった。二条の院へ今夜になれば行こうと院はお思いになり、そのことを宮へお言いになるのであった。
「あなたはたいしたことがないようですから、あちらはまだあまりにたよりないようなのを見捨てておくように思われても、今さらかわいそうですから、また見に行ってやろうと思います。中傷する者があっても、あなたは私を信じておいでなさいよ。また忠実な良人《おっと》になる日が必ずありますよ」
 これまではこんな時にも、子供めいた冗談《じょうだん》などをお言いになって、朗らかにしている方なのであったが、非常にめいっておしまいになり、院のほうへ顔を向けようともされないのを、内にいだく嫉妬《しっと》の影がさしているとばかり院はお思いになった。昼の座敷でしばらくお寝入りになったかと思うと、蜩《ひぐらし》の啼《な》く声でお目がさめてしまった。
「ではあまり暗くならぬうちに出かけよう」
 と言いながら院がお召しかえをしておいでになると、
「『月待ちて』(夕暮れは道たどたどし月待ちて云々《うんぬん》)とも言いますのに」
 若々しいふうで宮がこうお言いになるのが憎く思われるはずもない。せめて月が出るころまででもいてほしいとお思いになるのかと心苦しくて、院はそのまま仕度《したく》をおやめになった。

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夕露に袖《そで》濡《ぬ》らせとやひぐらしの鳴くを聞きつつ起きて行くらん
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 幼稚なお心の実感をそのままな歌もおかわいくて、院は膝《ひざ》をおかがめになって、
「苦しい私だ」
 と歎息《たんそく》をあそばされた。

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待つ里もいかが聞くらんかたがたに心騒がすひぐらしの声
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 などと躊躇《ちゅうちょ》をあそばしながら、無情だと思われることが心苦しくてなお一泊してお行きになることにあそばされた。さすがにお心は落ち着かずに、物思いの起こる御様子で晩饗《ばんさん》はお取りにならずに菓子だけを召し上がった。
 まだ朝涼《あさすず》の間に帰ろうとして院は早くお起きになった。
「昨日の扇をどこかへ失ってしまって、代わりのこれは風がぬるくていけない」
 とお言いになりながら、昨日のうたた寝に扇をお置きになった場所へ行ってごらんになったが、立ち止まって目をお配りになると、敷き物のある一所の端が少し縒《よ》れたようになっている下から、薄緑の薄様《うすよう》の紙に書いた手紙の巻いたのがのぞいていた。何心なく引き出して御覧になると、それは男の手で書かれたものであった。紙の匂《にお》いなどの艶《えん》な感じのするもので、骨を折った巧妙な字で書かれてあった。二重ねにこまごまと書いたのをよく御覧になると、それは紛れもない衛門督《えもんのかみ》の手跡であった。院のお座の所で鏡をあけてお見せしている女房は御自分の御用の手紙を見ておいでになるものと思っていたが、小侍従[#「小侍従」は底本では「小待従」]がそれを見た時、手紙が昨日の色であることに気がついた。胸がぶつぶつと鳴り出した。粥《かゆ》などを召し上がる院のほうを小侍従はもう見ることもできなかった。まさかそうではあるまい、そんな運命の悪戯《いたずら》が不意に行なわれてよいものか、宮はお隠しになったはずであると小侍従は努めて思おうとしている。宮は何もお知りにならずになお眠っておいでになるのである。こんな物を取り散らしておいて、それを自分でない他人が発見すればどうなることであろうとお思いになると、その人が軽蔑《けいべつ》されて、これであるから始終自分はあぶながっていたのである。あさはかな性格はついに堕落を招くに至ったのであると院は解釈された。
 お帰りになったので、女房たちがあらかた宮のお居間から去った時に、小侍従が来て、
「昨日の物はどうなさいました。今朝《けさ》院が読んでいらっしゃいましたお手紙の色がよく似ておりましたが」
 と宮へ申し上げた。はっとお思いになって宮はただ涙だけが流れに流れる御様子である。おかわいそうではあるがふがいない方であると小侍従は見ていた。
「どこへお置きになったのでございますか。あの時だれかが参ったものですから、秘密がありそうに思われますまいと、それほどのことは何でもなかったのですが、よいことをしておりませんと心がとがめまして、私は退《の》いて行ったのでございますが、院がお座敷へお帰りになりましたまでにはちょっと時間があったのでございますもの、お隠しあそばしたろうと安心をしておりました」
「それはね、私が読んでいた時にはいっていらっしゃったものだから、どこへしまうこともできずに下へはさんでおいたのをそのまま忘れたの」
 こう伺った小侍従は、この場合の気持ちをどう表現すればよいかも知らなかった。そこへ行って見たが手紙のあるはずもない。
「たいへんでございますね。あちらも非常に恐れておいでになりまして、毛筋ほどでも院のお耳にはいることがあったら申し訳がないと言っておいでになりましたのに、すぐもうこんなことができたではございませんか。全体御幼稚で、男性に対して何の警戒もあそばさなかったものですから、長い年月をかけた恋とは申しながら、こうまで進んだ関係になろうとはあちらも考えておいでにならなかったことでございますよ。だれのためにもお気の毒なことをなさいましたね」
 と無遠慮に小侍従は言う。お若い御主人を気安く思って礼儀なしになっているのであろう。宮はお返辞もあそばさないで泣き入っておいでになった。御気分がお悪いばかりのようでなく、少しも物を召し上がらないのを見て、
「こんなにもお苦しそうでいらっしゃるのに、それを捨ててお置きになって、もうすっかり快《よ》くなっておいでになる奥様の御介抱を一所懸命になさらなければならないとはね」
 と乳母《めのと》たちは恨めしがった。
 院はお帰りになってから、まだ不審のお晴れにもならぬ今朝の手紙をよく調べて御覧になった。女房のうちであの中納言に似た字を書く女があるのではないかという疑いさえお持ちになったのであるが、言葉づかいは明らかに男性であって、他の者の書くはずのないことが内容になってもいた。昔からの恋がようやく遂げられたのではあるが、なお苦しい思いに悩み続けていることが、文学的に見ておもしろく書かれてあって、同情は惹《ひ》くが、こんな関係で書きかわす手紙には人目に触れた時の用意がかねてなければならぬはずで、露骨に一目瞭然《いちもくりょうぜん》に秘密を人が悟るようなことはすべきでないものをと、院はお思いになり、りっぱな男ではあるが、こうした関係の女への手紙の書き方を知らない、落ち散ることも思って、昔の日の自分はこれに類する場合も文章は簡単にして書き紛らしたものであるが、そこまでの細心な注意はできないものらしいと、衛門督《えもんのかみ》を軽蔑《けいべつ》あそばされるのであった。それにしても宮を今後どうお扱いすればよいであろうか、妊娠もそうした不純な恋の結果だったのである。情けないことである。人から言われたことでもなく、直接に証拠も見ながら、以前どおりにあの人を愛することは、自分のことながら不可能らしい。一時的の情人として初めから重くなどは思っていない相手さえ、ほかの愛人を持っていることを知っては不愉快でならぬものであるが、これはそうした相手でもない自分の妻である。無礼な男である。お上《かみ》の後宮と恋の過失に陥る者は昔からあったが、それとこれとは問題が違う。宮仕えは男女とも一人の君主にお仕えするのであって、同輩と見る心から友情が恋となって不始末を起こす結果も作られるのである。女御《にょご》や更衣《こうい》といってもよい人格の人ばかりがいるわけではないから、浮き名を流す者はあっても、破綻《はたん》を見せない間は宮仕えを辞しもせずしていて、批難すべきことも起こったであろうが、自分の宮に対する態度は第一の妻としてのみ待遇してきたではないか、心ではより多く愛する人をもさしおいて、最大級の愛撫《あいぶ》を加えていた自分を裏切っておしまいになるようなことと、そんなことは同日に論ずべきでない、これは罪深いことではないかと反感のお起こりになる院でおありになった。侍している君主のほうでもただ一通りの後宮の女性と御覧になるだけで、御愛情に接することもないような不幸な人に、異性の持つ友情が恋愛にも進んでゆけば、あるまじいこととは知りながらも、苦しむ男に一言の慰めくらいは書き送ることになり、相互の間に恋愛が成長してしまう結果を見るような間柄で犯す罪には十分同情してよい点もあるが、自分のことながらも、あの男くらいに比べて思い劣りされるほどの無価値な者でないと思うがと、院は宮を飽き足らずお思いになるのであったが、またこの問題はほかへ知らせてはならぬと思うことで御|煩悶《はんもん》もされた。父帝もこんなふうに自分の犯した罪を知っておいでになって知らず顔をお作りになったのではなかろうか、考えてみれば恐ろしい自分の過失であったと、御自身の過去が念頭に浮かんできた時、恋愛問題で人を批難することは自分にできないのであると思召《おぼしめ》された。
 素知らぬふりはしておいでになるが、物思わしいふうは他からもうかがわれて、夫人は危い命を取りとめた自分をお憐《あわれ》みになる心から、こちらへはお帰りになったものの、六条院の宮をお思いになると心苦しくてならぬ煩悶がお起こりになるのであろうと解釈していた。
「私はもう恢復《かいふく》してしまったのでございますのに、宮様のお加減のお悪い時にお帰りになってお気の毒でございます」
「そう。少し悪い御様子だけれど、たいしたことでないのだから安心して帰って来たのですよ。宮中からはたびたび御使《みつか》いがあったそうだ。今日もお手紙をいただいたとかいうことです。法皇の特別なお頼みを受けておられるので、お上《かみ》もそんなにまで御関心をお持ちになるのですね。私が冷淡であればあちらへもこちらへも御心配をかけて済まない」
 院が歎息《たんそく》をされると、
「宮中への御遠慮よりも、宮様御自身が恨めしくお思いになるほうがあなたの御苦痛でしょう。宮様はそれほどでなくてもおそばの者が必ずいろいろなことを言うでしょうから、私の立場が苦しゅうございます」
 などと女王《にょおう》は言う。
「私の愛しているあなたにとって、あちらのことは迷惑千万に違いないが、それをあなたは許して、つまらない者の感情をまで思いやってくれる寛大な愛に比べて、私のはただお上が悪くお思いにならないかという点だけで苦労をしているのは、あさはかな愛の持ち主というべきですね」
 微笑をしてお言い紛らわしになる。
「六条院へはあなたが快くなった時にいっしょに帰ればいいのですよ。宮の御訪問をするのもそれからあとのことです」
 そうきめておいでになるように仰せられた。
「私は静かな独棲《ひとりず》みというものもしてみとうございますから、あちらへおいでになって、宮様のお心のお慰みになりますまでずっといらっしゃい」
 夫人からこんな勧めを聞いておいでになるうちに日数がたった。
 院のおいでにならぬ間の長いことで今までは院をお恨みにもなった宮でおありになるが、今はその一部を自身の罪がしからしめているのであるということをお知りになって、しまいに法皇のお耳へもはいったならどう思召《おぼしめ》すことであろうと、生きておいでになることすらも恐ろしくばかりお思われになるのであった。お逢《あ》いしたいとしきりに衛門督《えもんのかみ》は言ってくるが、小侍従は面倒な事件になりそうなのを恐れて、こんなことがあったと緑の手紙のことを書いてやった。衛門督は驚いて、いつの間にそうしたことができたのであろう、月日の重なるうちにはいろいろな秘密が外へ洩《も》れるかもしれぬと思うだけでも恐ろしくて、罪を見る目が空にできた気がしていたのに、ましてそれほど確かな証拠が院のお手にはいったということは何たる不幸であろうと恥ずかしくもったいなくすまない気がして、朝涼も夕涼もまだ少ないこのごろながらも身に冷たさのしみ渡るもののある気がして、たとえようもない悲しみを感じた。長い歳月《としつき》の間、まじめな御用の時も、遊びの催しにもお身近の者として離れず侍してきて、だれよりも多く愛顧を賜わった院の、なつかしいお優しさを思うと、無礼な者としてお憎しみを受けることになっては、自分は御前で顔の向けようもない。そうかといって、すっかりお出入りをせぬことになれば人が怪しむことであろうし、院をばさらに御不快にすることになろうと煩悶《はんもん》する衛門督は、健康もそこねてしまい、御所へ出仕もしなかった。大罪の犯人とされるわけはないが、もう自分の一生はこれでだめであるという気のすることによって、このことを予想しないわけでもなかったではないかと、あやまった大道に踏み入った最初の自分が恨めしくてならなかった。だいたい御身分相当な奥深い感じなどの見いだせなかった最初の御簾《みす》の隙間《すきま》も、しかるべきことではない。大将も軽々しいと思ったことはあの時の表情にも見えたなどと、こんなことも今さら思い合わせたりした。しいてその人から離れたいと願う心から欠点を捜すのかもしれない。どんなに貴人といっても、おおようで、気持ちの柔らかい一方な人は世間のこともわからず、侍女というものに警戒をしなければならぬこともお知りにならないで、取り返しのつかぬあやまちを御自身のためにも作り、人にも罪を犯させる結果になったと思い、衛門督の心は、宮のお気の毒なことを思いやって堪えがたい苦悶《くもん》をするのであった。
 宮が可憐《かれん》な姿で悪阻《つわり》に悩んでおいでになるのが院のお目に浮かんで、心苦しく哀れにお思われになった。良人《おっと》としての愛は消えたように思っておいでになっても、恨めしいのと並行して恋しさもおさえがたくおなりになり、六条院へおいでになった。お顔を御覧になると胸苦しくばかりおなりになる院でおありになった。祈祷《きとう》を寺々へ命じてさせてもおいでになるのである。表面のお扱いでは以前と何も変わっていない。かえって御優遇をあそばされるようにも見えるのであるが、夫婦としてお親しみになることはそれ以来断えてしまった。人目を紛らすために御同室にお寝《やす》みになりながら、院がお一人で煩悶《はんもん》をしておいでになるのを御覧になる宮のお心は苦しかった。秘密を知ったともお言いにならぬ院でおありになったが、女宮は御自身で罪人らしく萎縮《いしゅく》しておいでになるのも幼稚な御態度である。こんなふうの人であるから不祥事も起こったのであろう。貴女らしいとはいってもあまりに柔らかな性質は頼もしくないものであるとお考えになると、いろいろの人の上がお気がかりになった。女御《にょご》があまりに柔軟な様子であることは、この宮における衛門督のような恋をする男があるとすれば、その目に触れた以上精神を取り乱して大過失を引き起こすに至るかもしれぬ、女性のこうした柔らかい一方である人は、軽侮してよいという心を異性に呼ぶのか、刹那《せつな》的に不良な行為をさせてしまうものであると、院はこんなこともお思いになった。右大臣夫人がそれという世話を受ける人もなくて、幼年時代から苦労をしながら才も見識もあって、自分なども義父らしくはしながらも、恋人に擬しておさえがたい情念を内に包んでいたのを、かどだたず気がつかぬふうに退け続けて、右大臣が軽佻《けいちょう》な女房の手引きでしいて結婚を遂げた時にも、自身は単なる受難者であることを、それ以後の態度で明らかにして、親や身内の意志で成立した夫婦の形を作らせたことなどは、今思ってみてもきわめてりっぱなことであったと、玉鬘《たまかずら》のこともこのふがいない人に比べてお思われになった。深い宿縁があって夫婦になった人であるから、離婚をしようとは考えないが、品行問題で世評の立つことになれば、それにしたがって知らず知らず多少の侮蔑《ぶべつ》を自分は加えることになるであろう。あまりにも実質に伴わない尊敬をしてきたと、以前からのことを思ってもごらんになった。
 院は二条の朧月夜《おぼろづきよ》の尚侍になお心を惹《ひ》かれておいでになるのであったが、女三《にょさん》の宮《みや》の事件によって、後ろ暗い行動はすべきでないという教訓を得たようにお思いになって、その人の弱さにさえ反感に似たようなものをお覚えになった。尚侍が以前から希望していたとおりに尼になったことをお聞きになった時には、さすがに残念な気がされてすぐに手紙をお書きになった。その場合に臨んで、されてよい予報のなかったことをお恨みになる言葉がつづられてあった。

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あまの世をよそに聞かめや須磨《すま》の浦に藻塩《もしほ》垂《た》れしもたれならなくに

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人世の無常さを味わい尽くしながらも、今日まで出家を実行しえない私を、あなたはどんなに冷淡になっておいでになってもさすがに回向《えこう》の人数の中にはお入れくださるであろうと、頼みにされるところもあります。
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 などという長いお文《ふみ》であった。早くからの志であったが、六条院がお引きとめになるために、それでない表面の理由は別として、尚侍は尼になるのを躊躇《ちゅうちょ》するところがあったのでさえあるから、このお手紙を見て青春時代から今日までの二人のつながりの深さも今さらに思われて身にしむ尚侍であった。返事はもう今後書きかわすことのない終わりのものとして心をこめて書いた尚侍の手跡が美しかった。
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無常は私だけが体験から知ったものと思っておりましたが、しおくれたと仰せになりますことで、こんなにも思われます。

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あま船にいかがは思ひおくれけん明石《あかし》の浦にいさりせし君

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回向《えこう》には、この世のすぐれた方として決してあなた様を洩《も》らしはいたしません。
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 これが内容である。濃い鈍《にび》色の紙に書かれて、樒《しきみ》の枝につけてあるのは、そうした人のだれもすることであっても、達筆で書かれた字に今も十分のおもしろみがあった。この日は二条の院においでになったので、夫人にも、もう実際の恋愛などは遠く終わった相手のことであったから、院はお見せになった。
「こんなふうに侮辱されたのが残念だ。どんな目にあっても平気なように思われて恥ずかしい。恋愛的な交際ではなしに、友人として同程度の趣味を解する人で、仲よくできる異性はこの人と斎院だけが私に残されていたのだが、今はもう尼になってしまわれた。ことに斎院などは尼僧の勤めをする一方の人になっておしまいになった。多くの女性を見てきているが、高い見識をお持ちになって、しかもなつかしい匂《にお》いの備わっているような点であの方に及ぶ人はなかった。女を教育するのはむずかしいものですよ。夫婦になる宿命というものは、目に見えないもので、親の力でどうしようもないものだから、結婚するまでの女の子の教育に親は十分力を尽くすべきだと思う。私は娘を一人しか持たなくてその責任の少ないのがうれしい。まだ若くて人生のよくわからなかったころは、子の少ないことが寂しく思われもしたものですがね。まあ孫の内親王をよくお育てしておあげなさい。女御《にょご》はまだ大人になりきらないで宮廷へはいってしまったのだから、すべてがいまだに不完全なものだろうと思われる。姫宮の教育は最高の女性を作り上げる覚悟で、微瑕《びか》もない方にして、一生を御独身でお暮らしになってもあぶなげのない素養をつけたいものですね。結婚をすることになっている普通の家の娘はまた良人《おっと》さえりっぱであれば、それに助けられてゆくこともできますがね」
 などと院がお言いになると、
「りっぱなお世話はできませんでも、生きています間は姫宮のおためになりたい心でございますが、健康がこんなのではね」
 と答えて夫人は心細いふうにわが身を思い、自由に信仰生活へはいることのできた人々をうらやましく思った。
「尚侍の所は尼装束などもまだよくととのっていないことだろうから、早く私から贈りたいと思うが、袈裟《けさ》などというものはどんなふうにしてこしらえるものだろう。あなたがだれかに命じて縫わせてください。一そろいは六条の東の人にしてもらいましょう。あまりに法服らしくなっては見た感じもいやだろうから、その点を考慮して作るのですね」
 と院はお言いになった。青鈍《あおにび》色の一そろいを夫人は新尼君のために手もとで作らせた。院は御所付きの工匠をお呼び寄せになって、尼用の手道具の製作を命じたりしておいでになった。座蒲団《ざぶとん》、上敷《うわしき》、屏風《びょうぶ》、几帳《きちょう》などのこともすぐれた品々の用意をさせておいでになった。
 紫夫人の大病のために法皇の賀宴も延びて秋ということになっていたが、八月は左大将の忌月《きづき》で音楽のほうをこの人が受け持つのに不便だと思われたし、九月はまた院の太后のお崩《かく》れになった月で、それもだめ、十月にはと六条院は思っておいでになったが、女三《にょさん》の宮《みや》の御健康がすぐれないためにまた延びた。衛門督《えもんのかみ》の夫人になっておいでになる宮はその月に参入された。舅《しゅうと》の太政大臣が力を入れて豪奢《ごうしゃ》な賀宴がささげられたのである。病気で引きこもっていた衛門督もその時はじめて外出をしたのであった。しかもそのあとはまた以前にかえって、病床に親しむ督であった。女三の宮も御|煩悶《はんもん》ばかりをあそばされるせいか、月が重なるにつれてますますお身体《からだ》がお苦しいふうに見えた。院は恨めしいお気持ちはあっても、可憐《かれん》な姿をして病んでおいでになる宮を御覧になっては、どうなるのであろうと不安を覚えてお歎《なげ》きになることが多かった。祈祷《きとう》をおさせになることで御多忙でもあった。法皇も宮の御妊娠のことをお聞きになって、かわいく想像をあそばされ、逢《あ》いたく思召《おぼしめ》された。長く六条院は二条の院のほうに別れておいでになって、お訪《たず》ねになることもまれまれであると申し上げた人も以前あったことによって、御妊娠がただ事の結果でなくはないのであるまいかとふとこんなことを思召すとお胸が鳴るのでもあった。人生のことが今さら皆お恨めしくて、紫夫人の病気のころは院があちらにばかり行っておいでになったのを、もっともなこととはいえ、思いやりのないこととして聞いておいでになったが、夫人の病後も院の御訪問はまれになったというのは、その間に不祥なことが起こったのではあるまいか。宮が自発的に堕落の傾向をおとりになったのではなく、軽薄な女房の仕業《しわざ》などで不快な事件があったのではなかろうか、宮廷における男女の間は清潔な交際で終始しなければならないものであるのに、その中にさえ醜聞を作る者があるのであるからと、こんなことまでも御想像あそばされるのは、いっさいをお捨てになった御心境にもなお御子をお思いになる愛情だけは影を残しているからである。法皇が愛のこもったお手紙を宮へお書きになったのを、六条院も来ておいでになる時で拝見されたのであった。
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用事もないものですから無沙汰《ぶさた》をしているうちに月日がたつということもこの世の悲しみです。あなたが普通でない身体《からだ》になって健康もそこねているということをくわしく聞きましたが、今はどうですか。世の中が寂しくなるような運命に出あっても、忍んでお暮らしなさい。恨めしがる様子をお見せになったり、妬《ねた》みを告げたりすることは上品なものではありません。
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 などと訓《さと》しておありになるのである。院はお気の毒で、心苦しくて、宮に秘密のあることなどはお知りあそばされずに、自分の不誠意とばかり解釈しておいでになるのであろうとお思いになって、
「お返事はどうお書きになりますか。心苦しいお手紙で私はつらい気がしますよ。あなたにどんなことがあっても、人に変わった様子は見せまいと私は努めているのですよ。だれがいろいろなことを申し上げたのだろう」
 とお言いになると、恥じて顔をおそむけになる宮のお姿が可憐《かれん》であった。顔がすっかり痩《や》せて物思いに疲れておいでになるのが上品に美しい。
「あなたの幼稚な性質を知っておいでになって、こんなにもお言いになるのだと、私は他のことと思い合わせてごもっともだと思われる点がありますよ。それで今後も危《あぶ》なかしく思われてならない。こんなふうに言ってしまおうとは思わなかったことですが、院が私を頼みがいなく思召すだろうと思うことが苦痛ですからね。あなただけにでも私が軽薄な者でないことを認めてほしいと思うのですよ。深く物をお考えにならないで、人のいいかげんな言葉にお動きになるあなたには、私のほんとうの愛が浅いものに見えもするでしょうし、またあなたとは年齢《とし》の差のはなはだしい良人《おっと》を軽蔑《けいべつ》したくもなるでしょうけれど、私としてそれを残念に思わないわけはありませんが、院の御在世中だけは、これを幸福な道としてお選びになったことですから、老いた良人をもあまり無視するようなことはお慎みになるがいいのですよ。昔から願っている出家の志望も、自分よりは幼稚な宗教心しか持つまいと思っていた女の人たちが先に実行するのを傍観しているのも、私自身がこの世の欲を捨てえないのではなくて、出家をあそばす際にはあなたをお託しになった院のお志に感激した心が、すぐまた続いてあなたを捨てて行くような行動を取らせなかったのですよ。以前は気がかりに思われた人も今ではもう出家の絆《ほだし》にならないだけになっているのです。女御だってどうなるか知りませんが、皇子たちがお殖《ふ》えにもなってゆくのですから、後宮の地位などは問題にさえせねば苦労のない立場を得られることだけはできると私も見ておけます。そのほかの人たちは成り行きのままで、私といっしょに出家をしてしまってももういいほどの年齢《とし》になっているとこのごろでは思われます。院ももう長くはおいでにならないでしょう。以前よりいっそうお身体《からだ》が弱くおなりになって、心細い御様子でいらっしゃるとのことですから、今になって悪い名などをお耳に入れて御心配をかけてはいけませんよ。この世は何でもありませんが、来世のお妨げになることをしてはあなたの罪も大きくなりますよ」
 そのことと露骨にお言いにならないのであるが、しみじみとお説きになるために、宮は涙ばかりがこぼれて、知らず知らずめいり込んでおしまいになったのを御覧になる院も、お泣きになって、
「他の人がこうしたことを言うのを、聞く必要もない老人《としより》の理窟《りくつ》だと思った私だが、いつのまにかそれを言うほうの人に私がなっている。よけいなことを言う老人だとお思いになっていっそういやになるでしょう」
 ともお言いになって、硯《すずり》を引き寄せて御自身で墨をおすりになり、紙をお選《よ》りになりなどして、お返事を書かせようとされるのであるが、宮は手も慄《ふる》えてお書きになれない。あの濃厚な言葉の盛られてあった衛門督《えもんのかみ》の手紙の返事はこんなに渋らずに書かれたであろうとお思いになると、また反感が起こるのでもおありになったが、それでも院は言葉などを口授《くじゅ》してお書かせになった。
「お伺いになることはこんなことで今月もだめでしたね。それに新婚者の女二《にょに》の宮《みや》が派手《はで》な御賀をおささげになった時に、老人の妻であるあなたが競争的に出て行くのは遠慮すべきだと思いましたよ。十一月はあなたのお母様の忌月でしょう。十二月はあまりに押しつまってよろしくないし、あなたの身体《からだ》も見苦しくなるだろうから、久しぶりにお姿を御覧に入れるのはいかがかと思いますが、しかしそうそう延ばしてよいことでありませんからね、あまり物思いをしないようにして、朗らかな心になって、痩《や》せたお顔のなおるようにまずなさい」
 などとお言いになって、さすがにかわいくは思召すのであった。
 衛門督をどんな催し事にも必要な人物としてお招きになって御相談相手に今まではあそばす院でおありになったが、今度の法皇の賀に限って何の仰せもない。人が不審がるであろうとはお思いになるのであるが、その人が来てはずかしめられた老人である自分の見られることも不快であるし、自分が彼を見ては平静で心がありえなくなるかもしれぬと院はお思いになって、もう幾月も参殿しない人を、なぜかとお尋ねになることもないのである。ただの人たちは衛門督が病気続きであったし、六条院にもまた音楽その他のお催しの全くない年であるからと解釈していたが、左大将だけは何か理由のあることに違いない、多感多情な男であるから、自分が推測していたあの恋で自制の力を失うようなことがあったのではないかとは見ていても、まだこれほど不祥なことが暴露してしまったとは想像しなかった。
 十二月になった。十幾日と法皇の御賀の日が定められて六条院の中は用意に忙しくなった。二条の院の夫人はまだそのまま帰らずにいたが、御賀の試楽があるのに興味を覚えてもどってきた。女御《にょご》も実家にいた。今度のお産でお生まれになったのもまた男宮であった。次々に皆かわいい宮様を夫人はお世話することに生きがいを覚えていた。試楽の日は右大臣夫人も六条院へ来た。左大将は東北の御殿でそれ以前にすでに毎日監督する舞曲の練習をさせていたから、花散里《はなちるさと》夫人は試楽の見物には出て来なかった。衛門督《えもんのかみ》をこの試楽の日に除外するのは惜しく物足らぬことであると院はお思いになったし、それ以上にまた人の不審を引くことをお恐れにもなって、来るようにと使いをお向けになったが、病の重いことを申して督は出て来ようとしなかった。病気といっても何という名のある病をしているのでもないわけであるが、やましく思う点があるのであろうと、心苦しく思召して、特使をさえもおやりになって招こうとあそばされた。父の大臣も、
「なぜ御辞退をしたかね。何か含むことでもあるように院がお思いになるだろうに。大病というのではないのだから、無理をしても参ったほうがよい」
 と勧めていたところへ再度のお使いが来たのであったから、つらい気持ちをいだきながら参った。それはまだ他の高官などの集まって来ない時分であった。これまでのようにお座敷の御簾《みす》の中へ衛門督をお入れになって、院御自身はまた一つの御簾を隔てた奥のお居間においでになった。噂《うわさ》のとおりに非常に痩せて顔色が悪かった。平生もはなやかな派手《はで》な美しさは弟たちのほうに多くて、この人は深く落ち着いた静かな風采《ふうさい》によさのあった人であるが、今日はことにおとなしい身のとりなしで侍している姿を、内親王の配偶者として見ても相応らしい男であるが、その関係の正しくないのが不快だ、憎悪《ぞうお》を覚えずにはおられないのであると院は思召したが、さりげなくしておいでになった。
「機会がなくてあなたにも長く逢《あ》いませんでしたね。長く病人の介抱をしていて何の余裕もなくてね、前からここへ来ておいでになる宮が、院の賀に法事をして差し上げたいと言っておられたのが、いろいろな故障で滞っていてね、今年も暮れになったので、これ以上延ばすこともできず、以前に計画したとおりのことはととのわないが、形だけでも精進のお祝い膳《ぜん》を差し上げる運びになって、賀宴などというとたいそうだが、親戚《しんせき》の子供たちの数がたくさんにもなっているのだから、それだけでも御覧に入れようと思って舞の稽古《けいこ》などをさせ始めたものだから、せめてそれだけでもうまくゆくようにと思って、拍子が合うか試してみるのですが、指導をしていただくのに、だれがよいかともよく考える間がなくてあなたに御面倒を見てもらうのがよいときめて、長くおいでもなかったお恨みも捨てたわけですよ」
 とお言いになる院の御様子に、昔と変わった所もないのであるが、衛門督は羞恥《しゅうち》を感じて自身ながらも顔色が変わっている気がして、急にお返辞ができないのであった。
「長らく奥様がたが御病気をしておいでになりますことを承っておりまして、御心配を申し上げながら、前からございました脚気《かっけ》がしきりに出てまいりまして、歩行が困難でございましたために御所へ上がることができませんで、すっかり世の中から隔離されましたような寂しい生活をいたしておりました。院がおめでたい年に達せられますので、年来の御|交誼《こうぎ》に対してまずお祝いを申し上げなければと父が申しておりましたが、関白を拝辞しました自分が表だって出ることよりも、地位は低くとも中納言の私が主催するのが妥当であると父は考えるようになりまして、私の誠意をお目にかくべきだと勧められましたものですから、病体をおしてあちらへはお伺いいたしたのでございます。いよいよお寂しい静かな御生活のように拝見いたしましたあちらの御様子では、はなやかな賀宴をお持ち込みあそばすようなことは恐縮なされるだけではないかと拝察されまして、こちら様の御質素な御計画はかえって御満足になることかと存ぜられます」
 と衛門督《えもんのかみ》が申すと、華奢《かしゃ》を尽くしてお目にかけたという前日の賀宴を女二の宮の関係でしたとは言わずに、父のためにしたと話すのに心の鍛錬のできていることがうかがわれると院は思召された。
「私の所でやらせていただくことはこのとおりに簡単なことであるのを見て、一概に悪く言う人もあるであろうと思っていたが、理解のあるお言葉を聞いて、さすがにとあなたにはいよいよ敬意が払われる。大将は役人としては少しは経験ができたようでも、そうした繊細な観察をすることなどは、得意でもないだろうがいっこうだめですよ。法皇はあらゆる芸術に通じておいでになるが、その中でも最も音楽の御|造詣《ぞうけい》が深いから、それらに遠ざかっておいでになる御出家後といえども院が御覧になるのだと思うと晴れがましいのですよ。あの大将といっしょに、舞い手になる子供へ、心得べきことをよく注意しておいてくれたまえ。専門家の師匠というものは自身の芸には偉くても融通のきかないものだから」
 などとお命じになるなつかしい味のある院の御様子をうれしく拝しながらもまた衛門督は恥ずかしく、きまり悪く思われて、言葉少なにしていて少しも早く御前を立って行きたいと願われる心から、以前のように細かい話しぶりは見せずにいるうち、ようやく願いどおりにここを去るによい時を見つけた。東北の御殿で大将が掛《かか》りになって十分に用意してあった舞い手と楽人の衣装などが、また衛門督の意見によって加えられるものもできた、その道には深く通じている衛門督であったから。今日は試楽の日なのであるが、これだけを見物するのにとどまる夫人たちも多いため、目美しくして見せるのに、賀の当日の舞い人の衣装は、明るい白橡《しろつるばみ》に紅紫の下襲《したがさね》を着るはずであったが、今日は青い色を上に臙脂《えんじ》を重ねさせた。今日の楽人三十人は白襲《しろがさね》であった。南東の釣殿《つりどの》へ続いた廊の室《へや》を奏楽室にして、山の南のほうから舞い人が前庭へ現われて来る間は「仙遊霞《せんゆうか》」という楽が奏されていた。ちらちらと雪が降って、もう隣へ近づいた春を見せて梅の微笑《ほほえ》む枝が見える林泉の趣は感じのよいものであった。
 縁側に近い御簾《みす》の中に院のお席があって、そこにはただ式部卿《しきぶきょう》の宮が御同席され、右大臣の陪覧する座があっただけである。以下の高官たちは皆縁側に席をして、そこには形式を省いた饗応《きょうおう》の物が出されてあった。右大臣の四男と、左大将の三男、それに兵部卿《ひょうぶきょう》の宮の御幼年の王子お二人の四人立ちで万歳楽が舞われるのであるが、皆小さい姿でかわいかった。四人とも皆高い貴族の子供たちで風貌《ふうぼう》が凡庸でない。皆にいたわれながら小公子たちは登場した。また大将の典侍腹《てんじばら》の二男と、式部卿の宮の御長男でもとは兵衛督であって今は源中納言となっている人の子のこの二人が「皇※[#「鹿/章」、第3水準1-94-75]《こうじょう》」、右大臣の三男が「陵王《りょうおう》」、大将の長男の「落蹲《らくそん》」のほかにも「太平楽」「喜春楽」などの舞曲も若い公達《きんだち》が演じた。日が暮れてしまうと御前の御簾は巻き上げられて、音楽にも舞にもおもしろみが加わってゆく。かわいい姿の御孫の公達は秘伝を惜しまずそれぞれの師匠が教えた芸に、よい遺伝からの才気の加味された舞をだれもだれもおもしろく見せるのを、皆かわいく院は思召《おぼしめ》した。老いた高官たちは皆落涙をしていた。式部卿の宮も御孫の芸にお鼻の色も変わるほど感動されたのであった。六条院が、
「年のゆくにしたがって酔い泣きをすることがますます烈《はげ》しくなってゆく。衛門督《えもんのかみ》のおかしそうに笑っておられるのが恥ずかしい。歳月はさかさまに進むものではないからね。あなたがたでも老いはのがれられないのですよ」
 と言ってその人の顔を御覧になる。だれよりもまじめに堅くなっていて、偽りでなく身体《からだ》の具合も悪く思われ、おもしろいことも目にとまらぬ気持ちになっている衛門督を、お名ざしになり、酔態に託してこう仰せられるのは戯れらしくはあったが、その人ははっと胸がとどろいて、めぐって来た杯は手に取ってもただ少ししか飲まないのを、院は見とがめになって、御座からたびたび侍者に酒を持たせておつかわしになり、おしいになるのを、困りながら辞退する取りなしなども、平凡な人とは見えず感じよく院はお思いになった。身心の苦痛に堪えられなくなって衛門督はまだ宴の終わらぬうちに辞して帰ったが、悪酔いからさめることのできないのは、院を目《ま》のあたり見て罪の自責に苦しんだために逆上したのであろうが、それほど臆病《おくびょう》な自分ではなかったはずであるがと悲しんだ。一時的な酒精の毒ではなくてそのまま衛門督は寝ついて重い容体になった。衛門督の父母がよそに置いてあるのが不安になり、自邸へつれもどすことにしたのを、夫人の宮の悲しがっておいでになるのがまた衛門督には苦しく思われた。何事もなかった間は、衛門督自身も、宮をお愛しする情熱のありなしすら忘れているほどの良人であったが、もうこの世での別れかもしれぬと予感される今日の心には、宮をお残しして行くことが悲しくて、未亡人の寂しい人におさせするのが堪えられない苦痛に思われ、またもったいなくも思われ歎《なげ》かれるのであった。宮の御母の御息所《みやすどころ》も非常に悲しんだ。
「世間の慣《なら》いでは親は親として、御夫婦というものはどんな時にもごいっしょにおいでになることになっています。あちらへ移っておしまいになって、御回復なさるまで別々においでになるのは、宮様のためにおかわいそうなことですから、せめてもうしばらくの間こちらで養生をなさいませ」
 この人が病床との隔てに几帳《きちょう》だけを置いて看護をしているのである。
「ごもっともです。私ごとき者と結婚をしてくださいました宮様のためには、せめて私が長生きをして相当な地位を得るように努力せねばならぬと心がけてはいたのですが、こんな病人になってしまいましては、私の愛がどれほどのものであったかを宮様にわかっていただけないで終わるかと思いますことで、もう命の助からぬような気のしますうちでも、死なれぬ気がするのです」
 などと泣き合っていて、迎えようとするのに、すぐに移っても来ないのを母の夫人は気づかわしがって、
「そんな場合に、どうして親の所へ来ようとあなたは思ってくれないのだろう。私が病気をする時には、おおぜいの子供の中でも特にあなたがそばにいてほしく、またいてくれれば頼もしくてうれしいのだのに、いつまでもなぜそちらにあなたはいる」
 こんなことを使いに言わせて来るのにももっともなところがあって、衛門督《えもんのかみ》は母へ同情をせずにはおられないのであった。
「私がいちばん初めに生まれたためなのでしょうが、大事にされていまして、こんなになってもまだ母はかわいがりまして、しばらくの間でも逢《あ》わずにいることを苦しがるのですから、もう頼み少ない病状になっている際に、母の逢いたがる心を満足させないのは未来の世までの罪になるだろうと思われますから、とにかく病床をあちらへ移します。もういよいよ危篤になったというしらせがありましたら、そっと大臣邸へおいでなさい。必ずもう一度お目にかかりましょう。ぼんやりとした性質なものですから、気もつかずにあなたを不愉快におさせしたような場合もあったであろうと思われますのが残念でなりません。こんなに短命で終わろうとは思いませんで、長い将来に誠意をくんでいただける日が必ずあるもののように思って安心していました」
 と、衛門督は宮に申して、泣く泣く父の家へ移って行った。宮はあとに思いこがれておいでになった。大臣家では病人の扱いに大騒ぎをして、祈祷《きとう》やその他に全力を尽くすのであった。病は最悪という容態でもない。ただ食慾《しょくよく》がひどく減退して、もうこちらへ来てからは果物《くだもの》をさえ取ろうとしなかった。教養の足りた優秀な高官と見られている人が、こんなふうに頼み少ない容体になっていることを世間は惜しんで、見舞いを申し入れに来ぬ人もない。宮中からも法皇の御所からもしばしばお見舞いの御使《みつか》いが来て、衛門督の病状を御心痛あそばされているのを見ても、両親は悲しくばかり思われた。六条院も非常に残念に思召《おぼしめ》して、たびたび懇切なお見舞いの手紙を大臣へ下された。左大将はまして仲のよい友人であったから、病床へもよく訪《たず》ねて来て、衛門督をいたましがっていた。
 法皇の御賀は二十五日になった。現在での花形の高官が重い病気をしてその一家一族の人たちが愁《うれ》いに沈んでいる時に決行されるのは寂しいことのように院はお思いになったが、月々に支障があって延びてきたことであったし、ぜひ今年じゅうにせねばならぬことでもあったから、やむをえぬことだったのである。院は姫宮の心情を哀れにお思いになっていた。かねての計画のように五十か寺での御|誦経《ずきょう》が最初にあって、法皇のおいであそばされる寺でも大日如来《だいにちにょらい》の御祈りが行なわれた。

若菜(下) 版本说明

底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
   1994(平成6)年6月15日39版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年1月15日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:門田裕志、小林繁雄
2004年2月6日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

36 柏木

[#地から3字上げ]死ぬる日を罪むくいなど言ふきはの涙
[#地から3字上げ]に似ざる火のしづくおつ  (晶子)

 右衛門督《うえもんのかみ》の病気は快方に向くことなしに春が来た。父の大臣と母夫人の悲しむのを見ては、死を願うことは重罪にあたることであると一方では思いながらも、自分は決して惜しい身でもない、子供の時から持っていた人に違った自尊心も、ある一つ二つの場合に得た失望感からゆがめられて以来は厭世《えんせい》的な思想になって、出家を志していたにもかかわらず、親たちの歎《なげ》きを顧みると、この絆《ほだし》が遁世《とんせい》の実を上げさすまいと考えられて、自己を紛らしながら俗世界にいるうちに、ついに生きがたいほどの物思いを同時に二つまで重ねてする身になったことは、だれを恨むべくもない自己のあやまちである、神も仏も冥助《みょうじょ》を垂《た》れたまわぬ境界に堕《お》ちたのは、皆前生での悲しい約束事であろう、だれも永久の命を持たない人間なのであるから、少しは惜しまれるうちに死んで、簡単な同情にもせよ、恋しい方に憐《あわ》れだと思われることを自分の恋の最後に報いられたことと見よう、しいて生きていて自己の悪名も立ち、なお自分をもあの方をも苦しめるような道を進んで行くよりは、無礼であるとお憎しみになる院も、死ねばすべてをお許しになるであろうから、やはり死が願わしい、そのほかの点で過去に院の御感情を害したことはなく、長く恩顧を得ていた以前の御愛情が死によって蘇《よみがえ》ってくることもあるであろうとこんなふうに思われることが多い哀れな衛門督であった。なぜこう短時日の間に自分をめちゃめちゃにしてしまったのであろうと煩悶《はんもん》して、苦しい涙を流しているのであるが、病苦が少し楽になったようであると、家族たちが病室を出て行った間に衛門督は女三《にょさん》の宮《みや》へ送る手紙を書いた。
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もう私の命の旦夕《たんせき》に迫っておりますことはどこからとなくお耳にはいっているでしょうが、どんなふうかともお尋ねくださいませんことはもっともなことですが、私としては悲しゅうございます。
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 こんなことを書くのにも衛門督は手が慄《ふる》えてならぬために、書きたいことも書きさして先を急いだ。

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今はとて燃えん煙も結ぼほれ絶えぬ思ひのなほや残らん

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哀れであるとだけでも言ってください。それに満足します心を、暗い闇《やみ》の世界へはいります道の光明にもいたしましょう。
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 と結んだのであった。
 小侍従にもなお懲りずに督《かみ》は恋の苦痛を訴えて来た。
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直接もう一度あなたに逢《あ》って言いたいことがある。
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 とも書いてあった。小侍従も童女時代から伯母《おば》の縁故で親しい交情があったから、だいそれた恋をする点では、迷惑な主人筋の変わり者であると面倒には思っていたものの、生きる望みのなくなっている様子を知っては悲しくて、泣きながら、
「このお返事だけはどうかなすってくださいまし。これが最後のことでございましょうから」
 と宮へ申し上げた。
「私だってもういつ死ぬかわからないほど命に自信がなくなっているのだから、そうした気の毒な容体でいる人としてだけに同情もされるけれど、私はもう苦しめられることに懲りているのだから、返事などをしてかかりあいになるのは非常にいやに思われる」
 こうお言いになって、宮は書こうとあそばさない。自重心がおありになるのではなくて、これは院のお心に御自身のあそばされた過失の影がおりおりさして、悩ましい御様子をお見せになることもあるのを、恐ろしく苦しいことと深く思っておいでになるからである。小侍従はそれでも硯《すずり》などを持って来て責めたてるので、しぶしぶお書きになった宮のお手紙を持って、宵闇《よいやみ》に紛れてそっと小侍従は衛門督《えもんのかみ》の所へ行った。
 大臣は大和《やまと》の葛城《かつらぎ》山から呼んだ上手《じょうず》な評判のある修験者にこの晩は督《かみ》の加持《かじ》をさせようとしていた。祈祷《きとう》や読経《どきょう》の声も騒がしく病室へはいって来た。人が勧めるままに、世の中へ出ることをしない高僧などで、世間からもまたあまり知られていないような人も、遠い土地へ息子《むすこ》たちを派遣などして呼び迎えて衛門督の病気に効験の現われることを期している大臣であるから、見て感じの悪いような野卑な僧などがあとへあとへとこのごろはたくさん来るのである。病人は何という名の病患でもなくて、ただ心細いふうに時々泣き入っていたりするのを、陰陽師《おんようじ》なども多くは女の霊が憑《つ》いていると占っているので、そうかもしれぬと大臣は思い、他へ憑きものを移そうとしてもなんら物怪《もののけ》の手がかりが得られないのに困り、こうして遠国の修験者などを呼び集めることもするのであった。今度山から来た僧も大男で、恐ろしい目つきをして荒々しく陀羅尼《だらに》を読んでいるのを、衛門督は、
「ああいやになる。私は罪が深いせいなのか、陀羅尼を大声で読まれると恐ろしくて、ますますそれで死ぬ気がする」
 と言いながら病床を出て、小侍従のいる所へ来た。大臣はそんなことを知らず、病人は寝入っていると女房たちに言わせてあったのでそう信じて、ひそかにこの山の僧と語っていた。大臣は年がいってもなおはなやかな派手《はで》な人で、よく笑う性質なのであるが、こうした侮蔑《ぶべつ》するに価《あたい》する山の修験僧と向き合って、衛門督の病気の当初から、その後なんということなしに重くばかりなってゆくことなどをこまごまと語っていた。
「どうかあなたの力で物怪が正体を現わして来るようにやってほしいものです」
 とも信頼したふうで言っているのも哀れであった。
「小侍従、聞いてごらん。何の罪で私がこうなっているかをご存じないものだから、女の霊が憑《つ》いているなどとごまかされておいでになるが、あの方以外に女として惹《ひ》くもののない私の心へ、あの方の霊が真実憑いていてくれるのなら、いやでならない自分の身もありがたくなるだろうよ。それにしてもだいそれた恋をして、あるまじい過失を引き起こして、人のお名を穢《けが》し、自身を顧みないようになる人は自分だけではない、昔の人にもあった罪なのだとみずから慰めようとするがね、そんなことで私の心は救われないのだよ。相手があの方なのだから、自責の念に堪えられまいではないか。生きていることももうまぶしくてならなくなったというのは、昔から世の中の人が言うように、一種特別な光の添った方らしい。大罪人でもないのに、お顔を見合わせた瞬間から私の心は混乱してしまって、脱《ぬ》け出した魂魄が六条院をさまよっているようなことに気がついた時には君、まじないをしてくれたまえ」
 などと、衰弱して殻《から》のようになった姿で、泣きも笑いもして衛門督《えもんのかみ》は語るのであった。宮が非常にお恥じになっている御様子、物思いばかりをしておいでになるということも小侍従は告げた。自身が今|冗談《じょうだん》で言い出したことではあるが、その宮をおいたわしく、恋しく思う魂魄はそちらへ行くかもしれぬというような気も衛門督はしていっそう思い乱れた。
「もう宮様のお話はいっさいすまい。不幸で短命な生涯《しょうがい》に続いて、その執着が残るために未来をまた台なしにすると思うのがつらい。心苦しいあのことを無事にお済ましになったとだけはせめて聞いて死にたい気もするがね、私たちを繋《つな》ぎ合わせた目に見えぬものを私が夢で見た話なども申し上げることができないままになるのが苦痛だよ」
 と言って深く督《かみ》の悲しむ様子を見ていては、小侍従も堪えきれずなって泣きだすと、その人もまた泣く。蝋燭《ろうそく》をともさせてお返事を読むのであったが、それは今も弱々しいはかない筆の跡で、美しくは書かれてあった。
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御病気を心苦しく聞いていながらも、私からお尋ねなどのできないことは推察ができるでしょう。「残るだろう」とお言いになりますが、

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立ち添ひて消えやしなましうきことを思ひ乱るる煙くらべに

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私はもう長く生きてはいないでしょう。
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 内容はこんなのであった。衛門督は宮のお手紙を非常にありがたく思った。
「このお言葉だけがこの世にいるうちのもっともうれしいことになるだろう。はかない私だね」
 いっそう強く督は泣き入って、またこちらからのお返事を、横になりながら休み休み書いた。鳥の足跡のような字ができる。

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「行くへなき空の煙となりぬとも思ふあたりを立ちは離れじ

とりわけ夕方には空をおながめください。人目をおはばかりになりますことも、対象が実在のものでなくなるのですからいいわけでしょう。そうしてせめて永久に私をお忘れにならぬようにしてください」
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 などと乱れ書きにした。病苦に堪えられなくなって、
「ではもういいから、あまりふけないうちに帰って行って、宮様に、こんなふうに死が迫っているということを申し上げてください。どうした前生の因縁からこんなに道にはずれた思いが心に染《し》みついた私だろう」
 泣く泣く病床へ衛門督は膝行《いざ》り入るのであった。平生はいつまでもいつまでも小侍従を前に置いて、宮のお噂《うわさ》を一つでも多く話させたいようにする人であるのに、今日は言葉も少ないではないかと思うのも物哀れで、小侍従は出て行けない気がした。容体を伯母《おば》の乳母《めのと》も話して大泣きに泣いていた。大臣などの心痛は非常なもので、
「昨日今日少しよかったようだったのに、どうしてこんなにまた弱ったのだろう」
 と騒いでいた。
「そんなに御心配をなさることはありません。どうせもう私は死ぬのですから」
 と衛門督《えもんのかみ》は父に言って、自身もまた泣いていた。
 女三の宮はこの日の夕方ごろから御異常の兆《きざし》が見え出して悩んでおいでになるので、経験のある人たちがそれと気づき、騒ぎ出して院へ御報告をしたので、院は驚いてこちらの御殿へおいでになった。お心のうちではなんら不純なことがなくて、こうしたことにあうのであったら、珍しくてうれしいであろうと思召《おぼしめ》されるのであったが、人にはそれを気どらすまいと思召すので、修験の僧などを急に迎えることを命じたりしておいでになった。修法のほうはずっと前から続いて行なわれているので、祈祷《きとう》の効験をよく現わすものばかりを今度はお集めになって加持をさせておいでになった。一晩じゅうお苦しみになって日の昇るころにお産があった。男君であるということをお聞きになって、また院は隠れた秘密を容貌《ようぼう》の似た点などでだれの目にも映りやすい男であることが、苦しい、女はよく紛らすこともできるし、多くの人が顔を見るのでないからいいのであるがとお思いになった。しかし素姓の紛らわしいことは男の身にあってもよいが、どんな高貴な方の母になるかもしれぬ女性は生まれが確かでなければならぬ点から言えば、これがかえってよいかもしれぬとまたお思い返しになった。忘れることもない自分の罪のこれが報いであろう、この世でこうした思いがけぬ罰にあっておけば、後世《ごせ》で受ける咎《とが》は少し軽くなるかもしれぬなどとお考えになった。
 宮の秘密はだれ一人知らぬことであったから、尊貴な内親王を母にして最後にお設けになった若君を、院はどんなにお愛しになるだろうという想像をして、家司《けいし》たちは大がかりな仕度《したく》を御出産祝いにした。六条院の各夫人から産室への見舞い品、祝品はさまざまに意匠の凝らされたものであった。折敷《おしき》、衝重《ついがさね》、高杯《たかつき》などの作らせようにも皆それぞれの個性が見えた。五日の夜には中宮《ちゅうぐう》のお産養《うぶやしない》があった。母宮のお召し料をはじめとして、それぞれの階級の女房たちへ分配される物までも、お后《きさき》のあそばすことらしく派手《はで》にそろえておつかわしになったのである。産婦の宮への御|粥《かゆ》、五十組の弁当、参会した諸官吏への饗応《きょうおう》の酒肴《しゅこう》、六条院に奉仕する人々、院の庁の役人、その他にまでも差等のあるお料理を交付された。院の殿上人とともに中宮職の諸員は大夫《たゆう》をはじめ皆参っていた。七日の夜には宮中からのお産養があった。これも朝廷のお催しで重々しく行なわれたのである。太政大臣などはこの祝賀に喜んで奔走するはずの人であったが、子息の大病のためにほかのことを思う間もないふうで、ただ普通に祝品を贈って来ただけであった。宮がたや高官の参賀も多かった。
 院内にもこの若君を珍重する空気が濃厚に作られていながら、院のお心にだけは羞恥《しゅうち》をお感じになるようなところがあって、宴席をはなやかにすることなどはお望みになれないで、音楽の遊びなどは何もなかった。女三の宮は弱いお身体《からだ》で恐ろしい大役の出産をあそばしたあとであったから、まだ米湯《おもゆ》などさえお取りになることができなかった。御自身の薄命であることをこの際にもまた深くお思われになって、この衰弱の中で死んでしまいたいともお思いになるのであった。院は人から不審を起こさせないことを期して、上手《じょうず》に表面は繕っておいでになるが、生まれたばかりの若君を特に見ようともなされないのを、老いた女房などは、
「御愛情が薄いではありませんか。久しぶりにお持ちになった若様が、こんなにまできれいでいらっしゃるのに」
 などと言っているのを、宮は片耳におはさみになって、この薄いと言われておいでになる愛情は、成長するにつれてますます薄くなるであろうと、院がお恨めしく、過去の御自身も恨めしくて、尼になろうというお心が起こった。夜などもこちらの御殿で院はお寝《やす》みにならずに、昼の間に時々お顔をお見せになるだけであった。
「人生の無常をいろんな形で見ていて、もう自分は未来が短くなっているのだからと思うと心細くて、仏勤めばかりをする癖がついて、産屋《うぶや》の騒がしい空気と自分とはしっくり合わない気がされてたびたびは来ないのですが、気分はどうですか。少しさっぱりしたように思いますか。気の毒ですね」
 と、お言いになりながら院は几帳《きちょう》の上から宮をおのぞきになった。宮は頭《かしら》を少しお上げになって、
「まだ私には快くなる自信ができません。でね、こんな際に死んでは罪が深いと聞いておりますから、尼になりまして、その功徳であるいは生きることができるかどうかためしたくもありますし、また死にましても罪が軽くなるでしょうからと思われまして、そういたしたくなりました」
 平生にも似ずおとなびてお言いになった。
「とんでもないことですよ。なぜそうまで悲観するのですか、産をするとだれも皆そんなふうに恐ろしく不安になるものですが、子を産んだ人が皆死ぬものではありませんからね。気を静めるようになさい。そんなことは言わずに」
 と院はお言いになった。お心の中ではその希望が自発的に起こったのなら、そうさせてしまったほうが自分の心が楽になって、深く今後もこの人を愛することが可能かもしれぬ、今までと同じように取り扱っていても、同じにならぬものが自分の心にあってはおかわいそうである、自分ながらも以前の愛情がこのまままた帰って来ようとは思われない、自分はどんなに努めても暗い霧が心を横切ることは免れまい、自然宮への愛が薄くなったように他人が思うことも予想され、その時の宮のお立場も苦しかろうと思われる。法皇がお聞きになっても自分が悪いことにばかりなるであろう、病気に託してそうおさせしようかとお思われになるのであったが、またそれを実現させるのが惜しくも哀れにもお思われになり、若盛りの姿を尼に変えさせるのも残酷に思召《おぼしめ》されて、
「ぜひとも強く生きようとお努めなさい。この上そうまで悪くなるわけはありませんよ。もうだめかと思われていた人さえ癒《なお》ってきた例が近い所にあるのですから、それを思うとまだこの世は頼みになりますよ」
 などとお言いになって、白湯《さゆ》を勧めたりして院はおいでになるのであった。宮のお顔色は非常に青くて力もないふうに寝ておいでになるが、たよりない美しさをなしているのを御覧になっては、どんな過失があっても自分のうちの愛の力が勝って許しうるに違いないのはこの人であると院は思召した。
 御寺《みてら》の院は、珍しい出産を女三《にょさん》の宮《みや》が無事にお済ませになったという報をお聞きになって、非常にお逢《あ》いになりたく思召したところへ、続いて御容体のよろしくないたよりばかりがあるために、専心に仏勤めもおできにならなくなった。衰弱しきった方がまた幾日も物を召し上がらないでおいでになったのであるから、いっそう頼み少なくお見えになる宮が、
「長いことお目にかかれずに暮らしておりましたころよりも、もっともっと私はお父様が恋しくてなりませんのに、もうお目にかかれないまま死んでしまうのでしょうか」
 と言って、非常にお泣きになったので、六条院はそのことを人から法皇にお伝えさせになると、法皇は堪えがたく悲しく思召して、よろしくない行動であるとは思召しながら、人目をはばかって夜になってから六条院へにわかに御幸あそばされた。御主人の院はお驚きになって、恐懼《きょうく》の意を表しておいでになった。
「もうこの世のことは顧みますまいと決心していたのですが、こうなってもまだ迷うのは子を思う道の闇《やみ》だけで宮が重態だと聞くと仏のお勤めも怠るばかりで恥ずかしくてなりませんが、だれが先とも後《あと》とも定まらない人の命であれば、逢いたがる子に逢ってやらずに死なせましたら、親の心残りが道の妨げになる気がするので、人間世界の譏《そし》りも無視して出て来たのです」
 法皇はこう仰せられた。御僧形ではあるが艶《えん》なところがなお残ってなつかしいお姿にたいそうな御法服などは召さずに墨染め衣の簡単なのを御身にお着けあそばされたのがことに感じよくお美しいのを、院はうらやましく拝見されて、例のようにまず落涙をあそばされた。
「御容体は何という名のある病気ではないのでございますが、今まで衰弱がはなはだしゅうございましたところへ、お食慾のないことが重態に導いたのでございます」
 などと六条院はお話しになって、
「失礼な場所でございますが」
 と、宮のお寝《やす》みになった帳台の前へお敷き物の座を作って法皇を御案内された。宮を女房たちがいろいろとお引き繕いして御介抱をしながら、宮をもお床の下へお降ろしした。法皇は間の几帳《きちょう》を少し横へお押しになって、
「夜居の加持《かじ》の僧のような気はしても、まだ効験を現わすだけの修行ができていないから恥ずかしいが、逢いたがっておいでになった顔をそこでよく見るがいい」
 と法皇は仰せられて目をおふきになった。宮も弱々しくお泣きになって、
「私の命はもう助かるとは思えないのでございますから、おいでくださいましたこの機会に私を尼にあそばしてくださいませ」
 こうお言いになるのであった。
「その志は結構だが、命は予測することを許されないものだから、あなたのような若い人は今後長く生きているうちに、迷いが起こって、世間の人に譏《そし》られるようなことにならぬとは限らない。慎重に考えてからのことにしては」
 などと法皇はお言いになって、六条院に、
「こう進んで言いますが、すでに危篤な場合とすれば、しばらくもその志を実現させることによって仏の冥助《みょうじょ》を得させたいと私は思う」
 と仰せられた。
「この間からそのことをよくお話しになるのですが、物怪《もののけ》が人の心をたぶらかして、そんなふうのことを勧めるのでしょうと申して私は御同意をしないのでございます」
「物怪の勧めでそれを行なうと言っても、悪いことはとめなければなりませんが、衰弱してしまった人が最後の希望として言っていることを無視しては、後悔することがあるかもしれぬと私は思う」
 法皇の仰せはこうであった。お心のうちでは限りもない信頼をもって託しておいた内親王を妻にしてからのこの院の愛情に飽き足らぬところのあるのを何かの場合によく自分は聞いていたが、恨みを自分から言い出すこともできぬ問題であって、しかも世間に取り沙汰されるのも忍ばねばならぬことを始終残念に思っているのであるから、この機会に決断して尼にさせてしまうとしても、良人《おっと》に捨てられたのだと、世間から嘲罵《ちょうば》されるわけのものではない。少しも遠慮はいらぬ。現在において宮の望みは遂げさせなくてはならない、夫婦関係の解消したのちに、単に兄の子として保護してくれる好意はあるはずであるから、せめてそれだけを自分から寄託された最後の義務に負ってもらうことにして反抗的にここを出て行くふうでなくして、自分からかつて宮に分配した財産のうちに広くてりっぱな邸宅もあるのであるから、そこを修繕して住ませよう、自分がまだ生きておられるうちにそれらの処置を皆しておくことにしたい。この院も妻としては冷ややかに見ても、今からの宮を不人情に放ってはおくまい。自分はその態度を見きわめておく必要があると思召して、
「では私がこちらへ来たついでにあなたの授戒を実行させることにして、それを私は御仏《みほとけ》から義務の一つを果たしたことと見ていただくことにする」
 と仰せられた。六条院は遺憾にお思いになった宮の御過失のこともお忘れになって、なんとなることかと心をお騒がせになって、悲しみにお堪えにならずに、几帳の中へおはいりになって、
「なぜそういうことをなさろうというのですか。もう長くも生きていない老いた良人《おっと》をお捨てになって、尼になどなる気になぜおなりになったのですか。もうしばらく気を静めて、湯をお飲みになったり、物を召し上がったりすることに努力なさい。出家をすることは尊いことでも、身体《からだ》が弱ければ仏勤めもよくできないではありませんか。ともかくも病気の回復をお計りになった上でのことになさい」
 とお話しになるのであるが、宮は頭《かしら》をお振りになって、おとめになるのを恨めしくお思いになるふうであった。何もお言いにはならなかったが、自分を恨めしくお思いになったこともあるのではないかとお気がつくと、かわいそうでならない気があそばされたのであった。いろいろと宮の御意志を翻《ひるが》えさせようと院が言葉を尽くしておいでになるうちに夜明け方になった。御寺《みてら》へお帰りになるのが明るくなってからでは見苦しいと法皇はお急ぎになって、祈祷《きとう》のために侍している僧の中から尊敬してよい人格者ばかりをお選びになり、産室《うぶや》へお呼びになって、宮のお髪《ぐし》を切ることをお命じになった。若い盛りの美しいお髪《ぐし》を切って仏の戒《かい》をお受けになる光景は悲しいものであった。残念に思召して六条院は非常にお泣きになった。また法皇におかせられては、御子の中でもとりわけお大事に思召された内親王で、だれよりも幸福な生涯《しょうがい》を得させたいとお思いあそばされた方を、未来の世は別としてこの世でははかない姿にお変えさせになったことで萎《しお》れておいでになって、
「たとえこうおなりになっても、健康が回復すればそれを幸福にお思いになって、できれば念誦《ねんず》だけでもよくお唱えしているようになさい」
 とお言いになった院は、まだ暗いうちに六条院をお去りになることにあそばされた。
 宮は今もなおお命がおぼつかない御様子で、はかばかしく御父法皇を目送あそばすこともおできにならず、ものもお言われにならなかった。
「夢を見ておりますようなことが起こりまして、心が混乱しております際で、昔の御厚情をまたお見せくださいました御幸《みゆき》に感謝の意もまだ表してお目にかけることができませんような不都合さも、また私が伺ってお詫《わ》びすることにいたしましょう」
 と六条院は御|挨拶《あいさつ》をあそばされた。そしてこの院の役人たちを御寺へお見送りにお出しになるのであった。
「もう今日か明日かに終わるように自分の命の危険さが思われた際に、あとに残して保護者もなく寂しくこの世を渡らせることが憐《あわ》れまれてならぬ時に、御本意ではなかったでしょうが、あなたへお託しさせていただいて、今までは安心していたのですが、万一かれの命の助かることがありますれば、もう普通の人ではなくなりました者が、人出入りの多い宮殿にいますことは似合わしく思われませんし、郊外の寂しい所へ住ませるのもさすがにまた心細く思うことでしょうから、その点をあなたがお考えくだすって住居《すまい》を移させることにしていただきたい。どうか今後もかれを念頭にお置きください」
 と法皇がお言いになると、
「そんな仰せまでも受けましてはかえって私が恥じ入ります。自分の精神がよく統一されていくのを待ちましてすべてのことに善処いたしましょう」
 院は実際悲しみに堪えぬ御様子であった。後夜《ごや》の加持の時に物怪《もののけ》が人に憑《うつ》って来て、
「どう、こんなことになってしまったではないか。上手《じょうず》に一人を取り返したと思っておいでになる様子がくやしかったから、それからは気のつかぬようにしてこちらへ私は来ていたのだ。もう帰りますよ」
 と笑った。これによれば紫夫人を悩ました物怪が、それ以来こちらへ憑いていたのであったか、あらゆる不祥事はかれがなさしめたのかもしれぬとお気づきになった時、女三の宮がおかわいそうでならぬ気のされる院でおありになった。宮の御容体は少し持ち直したようであったが、まだ危険状態を脱したとはお見えにならないのである。女房たちも御出家をあそばしたことで失望した様子であったが、たとえこうおなりになっても御健康さえ取りもどすことができればと、今はそれを院もお念じになって、修法もまた延ばさせて、油断なく祈らせることもあそばしたし、そのほかのあらゆる方法もおとりになって、宮のお命の助かるようにとばかり苦心あそばされるのであった。
 右衛門督《うえもんのかみ》は六条院の宮の御出産から出家と続いての出来事を病床に聞いて、いっそう頼み少ない容体になってしまった。夫人の女二《にょに》の宮《みや》をおかわいそうにばかり思われる衛門督は、助からぬ命にきまった今になって、ここへ宮がおいでになることは軽々しく世間が見ることであろうし、父母が始終近くへ来ている病室では、自然お姿をそれらの近親者に見られておしまいになる隙《すき》ができることになってはもったいないと思って、
「どんな無理をしてでも一条の宮へもう一度行ってみたいのです」
 と言い続けるのであるが、両親は許さなかった。衛門督はだれにも自分の死後はこの宮を御保護申すようにということを頼んでいた。もともと宮の母君の御息所《みやすどころ》はこの結婚に不賛成であったのが、衛門督の父の大臣の熱心な懇望が法皇を動かしたてまつって、お許しになることになったものであって、六条院の二品《にほん》の宮《みや》の御幸福のかんばしくない噂《うわさ》などがお耳にはいったころには、
「かえって二の宮のほうが将来の頼もしい良人《おっと》を得たというものだ」
 と法皇が仰せられると聞いたこともあったのに、なんという成り行きになることかと今は悲しむばかりであった。
「こんなふうで宮様を未亡人にしてしまうのかと思いますと堪えられません。あちらにもこちらにもお気の毒なことばかりですが、自分の心に任せないのが命ですからしかたもありません。宮様の今後の寂しい生活を思いますと心苦しくてなりませんから、お母様は親切にしてあげてください。始終お世話をしてあげてくださいお母様」
 と督《かみ》は母夫人にも言っていた。
「縁起の悪い話をしますね。あなたに死なれたあとで、お母様はどれだけ生きておられると思ってそんな未来のことまでも言うのですか」
 と言って、母はまず泣き入ってしまうので、衛門督はよく話すこともできないのである。すぐ下の弟である左大弁に兄はくわしく宮の御事は遺言しておいた。善良な性質の人であったから、弟たちにも皆親しまれていて、末のほうの弟などは親のように頼みにしているこの人が、遺言をしたりするようになったのを、だれも心細がらぬ者はなくて、家の使用人なども皆悲しんでいるのである。朝廷でも非常にお惜しみになって、いよいよ危篤ということが天聴に達すると、にわかに権大納言に昇任おさせになった。この感激によって元気が出てもう一度だけは参内をするかと帝《みかど》は期しておいでになったのであるが、それをすることがもう衛門督にはできなかった。ただ病苦の中で拝任の表だけを草して奉った。大臣はこの朝恩の厚さを見てもさらに惜しく悲しくわが子が思われるのであった。左大将は常に親友の病をいたんで見舞いを書き送っているのであるが、昇任の祝いを述べに真先《まっさき》に大臣家を訪問したのもこの人であった。衛門督の住んでいるほうの対の門内には馬や車がたくさん来ていて、忙《せわ》しそうに人々が出入りしていた。今年にはいってからは起き上がることもあまりできない衛門督であったから、大官の親友を病室に招くことが遠慮されて恋しく思いながら逢えないことを思うと残念で、督《かみ》は、
「失礼ですがやはりここへ来ていただくことにします。この場合のことでやむをえないとお許しくださるでしょう」
 と挨拶《あいさつ》をさせて、病室の床の近くに侍している僧などをしばらく外のほうへ出して大将を迎えた。少年時代から隔てなく交際して来た間柄であったから、近く迫った死別の悲しみは大将にとって親兄弟の思いに劣らないのである。今日だけは昇任の悦《よろこ》びで気分もよくなっているであろうとこの人は想像していたのであるが、期待ははずれてしまった。
「どうしてこんなにまた悪くおなりになったのでしょう。今日だけはめでたいのですから少し気分でもよくなっておられるかと思って来ましたよ」
 と言って、病床に添えた几帳《きちょう》の端を上げて中を見ると、
「全然私のようでなくなってしまいましたよ」
 と言いながら、衛門督は烏帽子《えぼし》だけを身体《からだ》の下へかって、少し起き上がろうとしたが、苦しそうであった。柔らかい白の着物を幾枚も重ねて、夜着を上に掛けているのである。病床の置かれた室は清潔に整理がされてあって感じがよい。こんな場合にも規律の正しい病人の性格がうかがえるようであった。病人というものは髪や髭《ひげ》も乱れるにまかせて気味の悪い所もできてくるものであるが、この人の痩《や》せ細った姿はいよいよ品のよい気がされて、枕《まくら》から少し顔を上げてものを言う時には息も今絶えそうに見えるのが非常に哀れであった。
「御病気の長かったことから言えば、特別ひどく病人らしいお顔になったとも言えませんよ。平生よりも美男に見えますよ」
 こんなことを口では言いながらも大将は涙をぬぐっていた。
「同じ時に死のうなどと約束もしたではありませんか。悲しいことですよ。あなたの症状は何がどうして悪くなったのだということも言ってくれる者がありませんから、親しい私でさえ何の御病気だか知らないのがたよりないことですよ」
「自分ではいつ悪くなって行くかわからずに来ましたよ。どこか苦しいときまった患部もないものですから、病がこうまで早く進行するとも思わないうちに重態になってしまったのですから、私はもう今では何が何やら知覚もなくなっている気がしています。惜しくもない私の命が祈りとか、願とかの力でさすがに引きとめられていることは苦痛なものですから、自身から早くなるのを望むようにもなって変なものですよ。私とすればこの世から去ってしまうことで、いろいろな堪えがたい気持ちのすることもそれは少なくありません。親への孝行も中途までしかしてありませんし、私自身のためにも遺憾なことはありますが、そうしたいっさいのことよりも大事な煩悶《はんもん》を私はいだいているのです。この命の末になってほかへ洩《も》らす必要はないとも思いますが、やはり自分一人だけで思っているには堪えられないのでもあるのです。身内の者はあっても、その人たちに言い出す勇気を私は持っていません。それであなたにだけ言わせていただきますが、私が六条院様の感情をそこねているらしいことがありましてね、それを苦しんで心の中でお詫《わ》びをして暮らすうちに病気のようになってしまったのですが、お招きがありまして、あの法皇様の賀宴の試楽の日に伺いました時に、お目にかかったのですが、なお許していただけない御感情のあるのをお顔で私は知って、それからの私はもう生きていることがはばかりのあることのように思われ出して、憂鬱《ゆううつ》な気持ちで暮らして来たのですが、その際に受けた衝動が強かったために、起《た》ちがたい衰弱に自分で自分を導いてしまったのですよ。自身の無能なことは承知しながらも少年時代から深く御信頼して、誠心誠意この方のためにお尽くししようと決心していた私ですが、中傷した者でもあったろうかと、死んで残るこの問題への関心はむろん後世《ごせ》の往生の妨げになるだろうと思っていますが、何かの機会にこの話をあなたは覚えていてくださって六条院へ弁明の労を取ってください。死にましてからでもこのお取りなしがいただければ私はあなたに感謝します」
 新大納言はこう語るうちにも病苦の堪えがたいもののある様子も見えて、大将は悲しんだのであるが、その話について思いあたることが、この人にあっても、不確かな断定はそれでできない気がした。
「あなた自身の誤解ではないのですか、少しもそんな御様子を私は見受けませんよ。あなたの御病気の重くなったことで御心配をしておられて、いつも遺憾がっておいでになりますよ。そんな煩悶《はんもん》をあなたがしておいでになるのなら、なぜ今までに私へ言ってくださらなかったのでしょう。私が及ばずながら双方の誤解を解いてあげるのでした。もう間に合いませんね」
 取り返したいように大将は残念がった。
「そうですよ。少し快《よ》い時もあったのですから、そんな時に御相談をすればよかったのです。自分自身でわからないのが命にもせよ、まさかこんなに早く終わろうとは思わなかったというのもはかないわけですね。このことは絶対にだれへもお話しにならないでください。よい機会に私のために御好意のある弁解をしていただきたいと思ってお話ししただけです。一条にいらっしゃる宮様には何かの時に御好意を寄せてあげてください。お聞きになって法皇様が御心配をあそばさないように、御生活の上のことも気をつけてあげてください」
 などとも大納言は言った。もっと言いたいことは多かったであろうが、我慢のならぬほど苦しくなった衛門督《えもんのかみ》は、もう帰れと手を振って見せた。加持《かじ》をする僧などが近くへ来て、母の夫人や大臣も出てくるふうで、騒がしくなったので大将は泣く泣く辞し去った。同胞である院の女御《にょご》はもとより、妹の一人である大将夫人も衛門督のことを非常に歎《なげ》いていた。だれのためにもよき兄であろうとする善良な性格であったから、右大臣夫人などもこの人とだけは今まで非常に親しんでいて、今度も玉鬘《たまかずら》は心配のあまり自身の手でも祈祷《きとう》をさせていたが、そうしたことも不死の薬ではなかったから効果は見えなかった。夫人の宮にもしまいにお逢いできないままで、泡《あわ》が消えたように衛門督は死んでしまった。今まで愛情の点では批議すべき点もあったが、形式的にはよく御待遇をして、あくまで御降嫁を得た夫人として敬意を失わない優しい良人《おっと》であったのであるから、恨めしい思いを格別宮は抱いておいでにならなかった。こんな短命で終わる人であったから何にも興味が持てない寂しいふうを見せたのであったかと追想あそばされるのが悲しかった。御息所《みやすどころ》も早く不幸な未亡人に宮のおなりになったことを悲しんでいた。衛門督の死で大臣と夫人はまして言いようもない、悲歎《ひたん》に沈んでいた。自分が先に死ぬのが当然なことであるのに、あまりにも道理にはずれた死であると泣きこがれているが、それが何のかいのあることとも見えなかった。女三《にょさん》の宮《みや》は衛門督《えもんのかみ》の恋を苦しくばかりお思いになって、長く生きていようとお望みにならなかったのであるが、死の報をお得になってはさすがに物哀れなお気持ちになった。若君を自身の子のように衛門督は思っていたが、衛門督の死におあいになってみると、神秘なかかわりもある気があそばされて、衛門督が信じていたことがほんとうであったかもしれぬとお思われになり、いよいよ御自身の運命の悲しさにお泣きになるのであった。
 三月になると空もうららかな日が続き、六条院の若君の五十日《いか》の祝い日も来た。色が白くて、美しいかわいい子でもう声を出して笑ったりするのであった。院がおいでになって、
「もうさっぱりした気分になりましたか。でも御|恢復《かいふく》になったかいもありませんね。今までのあなたでこうして快《よ》くおなりになったのを見ることができたらどんなにうれしいだろう。あなたは冷酷に私を捨てておしまいになりましたね」
 と涙ぐんで恨みをお言いになった。毎日こちらの御殿へおいでにならぬ日はなくなって、こうした今になって最上のお扱いをあそばされるのであった。五十日の儀式に母君が尼姿でおいでになるのは、若君の将来を祝うことに不都合ではないかという意見をもつ女房たちもあって、どうしようかと言われているところへ院がおいでになって、
「少しもさしつかえない。若君が女であれば母君の運命にあやかってはならないとも考慮すべきだが」
 とお言いになり、南向きの座敷に若君の小さい席を設けて祝い膳《ぜん》が供えられた。新しい乳母《めのと》たちは皆はなやかな服装をしていて、お膳部から女房たちのためのお料理の盛られた器まで皆きれいな感じのする式場であった。真相を知らぬ人々の寄贈したおびただしい祝品のあるのを御覧になっても、この誤りを正しくしがたい心苦しさから恥ずかしくばかりおなりになる院であった。尼宮も起きておいでになった。切りそろえられた髪の尖《さき》が厚くいっぱいに拡《ひろ》がるのを苦しくお思いになり、額の毛などを後ろへなでつけておいでになる時に、院は几帳《きちょう》を横へ寄せてそこへおすわりになると、宮は羞《は》じて横のほうへお向きになったが、以前よりもいっそう小柄にお見えになって、髪は授戒の日にお扱いした僧が惜しんで長く残すようにして切ったのであるから、ちょっと見ては普通の方のように思われた。次々に濃くした鈍《にび》の幾枚かをお重ねになった下には黄味を含んだ淡《うす》色の単衣《ひとえ》をお着になって、まだ尼姿になりきってはお見えにならず、美しい子供のような気がしてこれが最もよくお似合いになる姿であるとも艶《えん》に見えた。
「墨染めという色は少し困りますね。どうしても悲しい色でね、目がくらむ気がします。こうおなりになってもいっしょに暮らすことができるのだからと思って、みずから慰めようとしていますが、まだ今でも涙だけはあきらめてくれずに流れ出すので困りますよ。こんなふうにあなたに捨てられたのも、私自身の罪であると考えられることも苦痛のきわみですよ。取り返せないものだろうか」
 と院は御|歎息《たんそく》をあそばして、
「ほんとうの尼の気持ちになっておしまいになれば、それは病気のためでなく、私がいやにおなりになったためにそうおなりになった気もして、私は情けないでしょうよ。やはり私を愛してください」
 こうお言いになると、
「この境地にいては人を愛したりすることができないものだと聞いていますもの、まして私などは初めから愛するということがわからなかったのですから、どうお返事を申し上げればいいか存じません」
 と宮はお返辞をあそばされる。
「しかたのない方ですね、おわかりになることもあるでしょうが」
 と言いさしたまま院は言葉をお切りになって、若君を見ようとあそばされた。乳母《めのと》には貴族の出の人ばかりが何人も選ばれて付いていた。その人たちを呼び出して、若君の取り扱いについての注意をお与えに院はなるのであった。
「かわいそうに未来の少ない老いた父を持って、おくればせに大きくなってゆこうとするのだね」
 と言って、お抱き取りになると、若君は快い笑《え》みをお見せした。よく肥《ふと》って色が白い。大将の幼児時代に思い比べてごらんになっても似ていない。女御《にょご》の宮方は皆父帝のほうによく似ておいでになって、王者らしい相貌《そうぼう》の気高《けだか》いところはあるが、ことさらお美しいということもないのに、この若君は貴族らしい上品なところに愛嬌《あいきょう》も添っていて、目つきが美しくよく笑うのを御覧になりながら院は愛情をお感じになった。思いなしか知らぬが故|衛門督《えもんのかみ》によく似ていた。これほどの幼児でいてすでに貴公子らしいりっぱな眼眸《めつき》をして艶《えん》な感じを持っていることも普通の子供に違っているのである。母の宮はそうであるとも確かにはわかっておいでにならなかったし、その他の人はもとより気のつかぬことであったから、ただ院お一人の心の中だけで、哀れな因縁であると故人のことを考えておいでになると、人生の無常さも次々に思われて涙のほろほろとこぼれるのを、今日は祝いの式ではないかと恥じてお隠しになり『五十八|翁方有後《をうまさにのちあり》静思堪喜《しづかにおもふによろこびにたへたり》亦堪嗟《またなげくにたへたり》』とお歌いになった。五十八から十を引いたお年なのであるが、もう晩年になった気があそばされて白楽天のその詩の続きの『慎勿頑愚似汝爺《つつしみてぐわんぐなんぢのちちににるなかれ》』を歌いたく思召したかもしれない。あの秘密にあずかった者がここの女房の中にいるはずである。その人たちは自分を愚人として侮蔑《ぶべつ》しているのであろうとお思われになることは不快であったが、自分のことは忍んでもよいが、宮をその人たちはどう思っているかという点までを思うと、宮のためにおかわいそうであるなどと院はお思いになって、あくまでも知らぬ顔を続けておいでになるのであった。無邪気にうれしそうな声をたてる若君の目つき、口つきは知らぬ人にわからぬことであろうが、自分が見れば全くよく似ているとお思いになる院は、親たちが子供でもあればよかったと言って悲しんでいるのに、これを見せてやることもできず、秘密な所にこの子だけを形見に残して、あの思い上がった男が、自身の心から命を縮めて死んだかと衛門督が哀れにお思われになって、失敬なことであると罪を憎んでおいでになった感情も消え、泣かれておしまいになるのであった。女房たちがいつの間にかお居間を出てしまったのを御覧になってから、院は宮の近くへお寄りになって、
「この人を何と思うのですか、こんなにかわいい人を置いて、この世をよくも捨てられましたね。冷酷ですよ」
 と不意にお言いかけになった。宮は顔を赤めておいでになった。

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「たが世にか種は蒔《ま》きしと人問はばいかが岩根の松は答へん
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 かわいそうですよ」
 ともそっとお言いになったが、宮はお返辞もあそばさずにひれ伏しておしまいになった。もっともであるとお思いになって、しいてものをお言わせしようともあそばされない。どんなお気持ちでおられるのであろう、奥深い感情などは持っておられぬが、虚心平気でおいでにはなれないはずであると想像ができるのも心苦しいことであった。
 大将は衛門督《えもんのかみ》が思い余って自分に洩《も》らしたことはどんな訳のあることであろう。故人があれほどまで弱っていない時であったなら、自身から言い出したことなのであるから、もう少し核心に触れたことも聞き出せたであろうが、もうあの際であったのがおりを得ないことで残念であったなどと考えていて、兄弟たち以上にこの人は故人を恋しがっていた。女三の宮がにわかに出家を遂げられたことも何か訳のあることらしい、そう大病でもおありにならなかった方を、院が何の抗議もあそばされずに尼にさせておしまいになってよいはずはないのである。二条の院の夫人があの重態になっていられた場合に、泣く泣く許しを乞《こ》われたのさえもお拒みになったのであるからというようなことも大将は考えられ、衛門督の問題と女三の宮の御出家とは関連したことに違いないということに思いは帰着した。昔から宮をお思いしていて、忍び余るような物思いの影を自分などに見せたこともある人である、自制していて表面《うわべ》だけはあくまでも冷静で、この人の心には何を思っているのかとうかがうのに苦しむほどであったが、感情に負けるところがあって、あまりに彼は弱い男であった、どんなにすぐれた恋人であっても、許されない恋に狂熱を傾け、最後に身をあやまるようなことをしてはならないのである、一方の人のためにも気の毒なことであるし、彼が自身の命をそれに捨てたのも賢明なことではない、皆前生の因縁とはいいながらも、やはり軽率なことであったと、大将は自身一人で思っていて夫人にも話さなかった。またよい機会もなくて院に故人の心をお伝えすることもまだ果たさなかった。大将としてはまたそれを話し出した時に秘密の全貌《ぜんぼう》の見られることも願っているのであるから好機は容易に見いだせないのであるらしい。
 故大納言の父母は涙の晴れ間もないほど悲しみにおぼれて暮らしているのであって、日のたつ数もわからなかった。法事などの用意も子息たちや婿君たちの手でするばかりであった。供養する経巻や仏像も二男の左大弁が主になって作らせていた。七日七日の誦経《ずきょう》の日が次々来るたびに、その注意を子息たちがすると、
「もういっさい何も聞かせないようにしてくれ。あれに関した話を聴《き》けばまた悲しみが湧《わ》くばかりだから、かえってあれの行く道を妨げることになる」
 と言うだけで、大臣も死んだ人のようになっていた。
 一条の宮はまして終わりの病床に見ることもおできにならないままで良人《おっと》を死なせておしまいになったというお悲しみもあって、その後の日の重なるにつけて広いお邸《やしき》はますます寂しいものになって、お召使いの人たちも減っていくばかりであった。大納言の恩顧を受けていた人たちだけは、故人の未亡人の宮に今も敬意を表しに来ることを忘れなかった。愛していた鷹《たか》狩りの鷹とか、馬とかを預かっていた侍たちはたよる所を失ったように力を落としながらも寂しい姿で出仕しているのがお目にはいったりすることなども宮のお心を悲しくさせた。手|馴《な》らしていた居間の道具類、始終|弾《ひ》いていた琵琶《びわ》、和琴《わごん》などの、今は絃《いと》の張られていないものなども御覧になるのが苦しかった。庭の木立ちがけむり、時を忘れずに花の咲こうとするのをおながめになっていて寂しかった。女房たちも皆喪服姿になっていて、あらゆるものから受ける印象が物哀れであったある日の昼ごろに、高い前駆の声がしてお邸《やしき》の門にとまった車があった。
「ぼんやりしていますとお亡《な》くなりになった殿様がおいでになったのかと思いますよ」
 と言って泣く女房もあった。それは左大将が訪問して来たのであった。まず訪問の意を通じて来た。いつものように大納言の弟の左大弁とか、参議とかの来訪したのかと邸の人は思っていた所へ、品がよくてきれいな風采《ふうさい》で身の取りなしのすぐれてりっぱな大将がはいって来たのであった。中央の間《ま》に続いた南向きの座敷に席を作って客は迎えられた。普通の人たちのように女房だけが出て応接をするのは失礼であるといって、宮の母君の御息所《みやすどころ》が逢った。
「あの不幸な友人を悲しみます心は身内の人たち以上ですが、形式的にはそれだけの志も見せられないのでございました。臨終のころ私へ託しましたこともありますから、宮様に対して十分の好意を私はお持ちしております。だれにも死はめぐってくるはずですが、しばらくでもあとへ残りました以上は友人の縁故でできますだけのお世話を申し上げたいと思いまして、もう少し早く伺うつもりだったのですが神事などで御所の中の忙しいころに触穢《しょくえ》のはばかりに引きこもらなければならなくなりますのもいかがと遠慮がいたされましたし、またお庭へ立たせていただくような伺い方は私の心も満足できることでないと思いまして、つい日をたたせてしまったのでございます。大臣などのお歎《なげ》きの深いのを聞いておりますが、親子の愛情とは別な御夫婦の間でいらっしゃった宮様を、故人があんなに気がかりに考えておりましたことを思いますと、宮様のほうでもお悲しみになっていらっしゃる程度もどれほどのことかと恐察されまして御同情に堪えません」
 こう語っているうちにも大将はたびたび流れる涙をふいていた。清明な気高《けだか》さがあって、しかも美しく艶《えん》な姿を大将は持っていた。御息所も鼻声になって、
「悲しいのが無常の世の常と存じまして、悲しいことはまだほかにもいろいろあるのを思いまして、私たち年のいった者はしいて気を強く持とうと努めることもいたしますが、宮様はまだお若いのでございますから、悲しみに沈みきっておしまいになりまして、同じ世界へ行っておしまいになるのではないかと危険でなりませんほどのお歎きをしておいでになります。不幸な生まれの私が今まで生きておりまして、大納言をお死なせしたり、宮様を未亡人におさせしたりしていく運命をじっとそばでながめていねばならぬかと苦しゅうございます。近い御|親戚《しんせき》関係でいらっしゃいますから、もうお聞き及びでもございましょうが、私はこの御結婚談の最初から御賛成は申し上げていなかったのでございますが、大臣が熱心に御運動をなさいましたし、また法皇様もお許しになる様子でございましたから、それではそのほうがよろしいことで、私の考え方は間違っていたのかと考え直しまして、とうとう御結婚をおさせ申したのでございますが、こんな夢のような不幸が起こってくるのでございましたら、もっと自分の信じましたところを強く主張しておれば、宮様をこうした目におあわせせずに済んだはずであると残念でなりません。私は初めから宮様がたはよくよくの御因縁のあることでなければ結婚などはあそばしてはならないものである、神聖なものとしてお置き申し上げたいと昔風な心に願っていたのでございますから、こんなどちらつかずの御不幸なお身の上におなりあそばした以上は、いっそ悲しみでお亡《な》くなりになるのもよろしかろう、不幸な宮様としてお残りになるよりはなどとも思いますが、さてそうもあきらめきれるものではございませんから、やはり悲しんでばかりおりましたうちにも、御親切な御慰問のお手紙を始終おいただきになるようでございますから、ありがたいことと存じておりまして、こうしていただけるのも故人が特に宮様のことでお頼みされたことがあったのかと、必ずしも御愛情の見える御良人《ごりょうじん》ではなかったのですが、最後にどなたへも宮様についての遺言をなさいましたことで、悲しみにもまた慰めというもののあるのを発見いたしたのでございます」
 と言って、御息所《みやすどころ》はひどく泣き入る様子であった。大将もそぞろに誘われて泣いた。
「昔は不思議な冷静な人でしたが、短命で亡くなるせいか、この二、三年は非常にめいって見える時が多くて、心細いふうを見せられましたから、あまりに人生を考えた末に悟ってしまった清澄な心境というものかもしれぬが、それでは今までに持っていたすぐれたよさが消えてしまうことにならないかとも不安に思われると、小賢しく私が時々忠告らしいことをしますと、あの人は私を憐《あわれ》むような表情で見ていました。何よりも宮様のお悲しみになっていらっしゃいます御様子を伺いまして、もったいないことですが、おいたわしく存じ上げます」
 などとなつかしいふうに話して、しばらくして大将は去って行こうとした。衛門督《えもんのかみ》はこの人より五つ六つの年長であったが、彼はきわめて若々しく見えて、女性的な柔らかさの見える人であったが、これは重々しく端正で、しかも顔だけはあくまでも美しいのを、若女房などは悲しさも少し紛れたように興奮して、帰って行こうとする大将の姿にながめ入った。前の庭の桜の美しいのをながめて、「深草の野べの桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け」と口へ出てくる大将であったが、尼姿を言うようなことはここで言うべきでないと遠慮がされて、「春ごとに花の盛りはありなめど逢《あ》ひ見んことは命なりける」と歌って、

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時しあれば変はらぬ色に匂《にほ》ひけり片枝《かたえ》折れたる宿の桜も
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 と自然なふうに口ずさんで、花の下に立ちどまっていると、御息所はすぐに、

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この春は柳の芽にぞ玉は貫《ぬ》く咲き散る花の行くへ知らねば
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 という返しを書いてきた。高い才識の見えるほどの人ではないが、前には才女と言われた更衣《こうい》であったのを思って、評判どおりに気のきいた人であると大将は思った。
 大将はそれから太政大臣家を訪問したが、子息たちの幾人かが出て、こちらへと案内をしたので、大臣の離れ座敷のほうへ行っては無遠慮でないかと躊躇《ちゅうちょ》をしながらはいって行って舅《しゅうと》に逢った。いつまでも端麗な大臣の顔も非常に痩《や》せ細ってしまって、髭《ひげ》なども剃《そ》らせないで伸びて、親を失った時に比べて子を死なせたあとの大臣は衰え方がひどいと世間で言われるとおりに見えた。顔を見た瞬間から悲しくなって流れ出した涙がいつまでも続いて流れてくるのを恥ずかしく思って大将は押し隠しながら、一条の宮をお訪《たず》ねして来た話などをした。初めからしめっぽいふうであった大臣はさらに多くの涙を見せて、故人の話を婿とし合った。懐紙《ふところがみ》へ一条の御息所が書いて渡した歌を大将が見せようとすると、
「目もよく見えないが」
 と涙の目をしばたたきながらそれを読もうとした。見栄《みえ》も思わず目のためにしかめている顔は、平生の誇りに輝いた時の面影を失って見苦しかった。歌は平凡なものであったが、「玉は貫《ぬ》く」ということばは大臣自身にも痛切に感じていることであったから、相|憐《あわれ》む涙が流れ出るふうで、すぐにまた言うのであった。
「あなたのお母さんが亡《な》くなられた時に、私はこれほど悲しいことはないと思ったが、女の人は世間と交渉を持つことが少ないために、不意にいろんな言葉が自分の痛い傷にさわるというようなこともなくて、今度のような苦しみをそのあとで感じることはなかったものです。賢くもありませんでしたが、朝廷の御恩を受けて地位を得てゆくにしたがって彼の庇護を受けようとするものが次第に多くなっていたのですから、彼の死に失望をした者もずいぶんあるでしょう。しかし親である私は、そんなふうに勢力を得ていたのに惜しいとか、官位がどうなっていたかというようなことではなくて、平凡な息子《むすこ》である裸の彼が堪えがたく恋しいのです。どんなことが私のこの悲しみを慰めるようになるのでしょう。それはありうることとは思われません」
 大臣は空間に向いて歎息《たんそく》をした。夕方の雲が鈍《にび》色にかすんで、桜の散ったあとの梢《こずえ》にもこの時はじめて大臣は気づいたくらいである。
 御息所の歌の紙へ、

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このもとの雪に濡《ぬ》れつつ逆《さかし》まに霞《かすみ》の衣着たる春かな
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 と書いた。大将も、

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亡《な》き人も思はざりけん打ち捨てて夕べの霞君着たれとは
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 と書く。左大弁も、

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恨めしや霞の衣たれ着よと春よりさきに花の散りけん
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 と書いた。
 大納言の法事は非常に盛んなものであった。左大将夫人が兄のためにささげ物をしたのはいうまでもないが、大将自身も真心のこもったささげ物をしたし、誦経《ずきょう》の寄付などにも並み並みならぬ友情を示した。
 左大将は一条の宮へ始終見舞いを言い送っていた。四月の初夏の空はどことなくさわやかで、あらゆる木立ちが一色の緑をつくっているのも、寂しい家ではすべて心細いことに見られて、宮の御母子《おんぼし》が悲しい退屈を覚えておいでになるころにまた左大将が来訪した。植え込みの草などもすでに青く伸びて、敷き砂の間々には強い蓬《よもぎ》が広がりかえっていた。林泉に対する趣味を大納言は持っていて、美しくさせていたものであるが、そうした植え込みの灌木《かんぼく》類や花草の類もがさつに枝を伸ばすばかりになって、一むら薄《すすき》はその蔭《かげ》に鳴く秋の虫の音《ね》が今から想像されるほどはびこって見えるのも、大将の目には物哀れでしめっぽい気分がまず味わわれた。喪の家として御簾《みす》に代えて伊予簾《いよす》が掛け渡され夏のに代えられたのも鈍《にび》色の几帳《きちょう》がそれに透いて見えるのが目には涼しかった。姿のよいきれいな童女などの濃い鈍色の汗袗《かざみ》の端とか、後ろ向きの頭とかが少しずつ見えるのは感じよく思われたが、何にもせよ鈍色というものは人をはっとさせる色であると思われた。今日は宮のお座敷の縁側にすわろうとしたので敷き物が内から出された。例の話し相手をする御息所《みやすどころ》に出てくれと女房たちは勧めているのであったが、このころは身体《からだ》が悪くて今日も寝ていた。御息所の出て来るまで、何かと女房が挨拶《あいさつ》をしている時に、人間の思いとは関係のないふうに快く青々とした庭の木立ちに大将はながめ入っていたが、気持ちは悲しかった。柏《かしわ》の木と楓《かえで》が若々しい色をして枝を差しかわして立っているのを指さして、大将は女房に、
「どんな因縁のある木どうしでしょう。枝が交じり合って信頼をしきっているようなのがいい」
 などと言い、さらに簾《みす》のほうへ寄って、

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「ことならばならしの枝にならさなん葉守《はもり》の神の許しありきと
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 まだ御簾《みす》の隔てをお除きくださらないのが遺憾です」
 と言った。一段高くなった室《へや》の長押《なげし》へ外から寄りかかっているのである。
「柔らかい形をしていらっしゃる時に、また別な美しさがおありになりますよ」
 と女房らはささやき合うのであった。今まで話していた少将という女房を取り次ぎにして宮はお返辞をおさせになった。

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「柏木に葉守の神は坐《いま》すとも人|馴《な》らすべき宿の梢《こずゑ》か
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 突然にそうしたお恨みをお言いかけになりますことで御好意が疑われます」
 と伝えられたお言葉に道理があると思って大将は微笑した。その時に御息所がいざって来る気配《けはい》がしたので大将は少しいずまいを直した。
「世の中のことをあまりに悲しく思い過ぐしますせいですか、身体《からだ》のぐあいが悪うございまして、ぼけたようにもなって暮らしておりますが、こうしてたびたびの御親切な御訪問に力づけられまして出てまいりました」
 と御息所は言ったが、言葉どおりに病気らしく感じられた。
「故人をお悲しみになりますことはごもっとも至極なことですが、しかしそんなにまで深くお歎《なげ》きになってはよろしくないでしょう。この世のことはみな前生からのきまっている因縁の現われですから、そう思えばさすがに際限もなく悲しみばかりの続くものでないことがわかると思いますが」
 などと大将は慰めていた。この宮は以前|噂《うわさ》に聞いていたよりも優美な女性らしいが、お気の毒にも良人《おっと》にお別れになった悲しみのほかに、世間から不幸な人におなりになったことを憐《あわ》れまれるのを苦しく思っておいでになるのであろうと思う同情の念がいつかその方を恋しく思う心に変わってゆくのをみずから認めるようになった大将は熱心に宮の御近状などを御息所に尋ねていた。御|容貌《きりょう》はそうよくはおありでならないであろうが、醜くて気の毒な気持ちのする程度でさえなければ、外見だけのことでその人がいやになるようなことがあったり、ほかの人に心を移すようなことは自分にできるはずがない、そんな恥知らずなことは自分の趣味でない、性格のよしあしで尊重すべき女と、そうでない女は別《わ》けらるべきであるなどと思っていた。
「もうお心安くなったのですから、衛門督《えもんのかみ》をお取り扱いになりましたごとく、私を他人らしくなく御待遇くださいますように」
 などと、恋を現わして言うのではないが、持ってほしい好意をねんごろに要求する大将であった。その直衣《のうし》姿は清楚《せいそ》で、背が高くりっぱに見えた。
「六条院様はなつかしく艶《えん》な美貌《びぼう》で、そしてお品のよい愛嬌《あいきょう》が無類なのですよ。この方は男らしくはなやかで、ああきれいだと思う第一印象がだれよりもすぐれておいでになりますよ」
 などと女房たちは言って、
「かなうことなら宮様の殿様におなりになって始終おいでくださることになればいい」
 こんなことまでも思ったに違いない。「右将軍が墓に草はじめて青し」と大将は口ずさみながらも、この詩も近ごろ逝《い》った人を悼《いた》んだ詩であることから、詩の中の右将軍の惜しまれたと同じように、世人が上下こぞって惜しんだ幾月か前の友人の死を思うのであった。帝《みかど》も音楽の遊びを催される時などには、いつの場合にも衛門督《えもんのかみ》を御追憶あそばすのであった。「ああ衛門督が」という言葉を何につけても言わない人はないのである。六条院はまして故人をお憐《あわ》れみになることが月日に添えてまさっていった。宮の若君を院のお心だけでは衛門督の形見と見ておいでになるのであるが、だれも、この形見のあるのは知らぬことであったから、何ものからも面影をとらえることは不可能だと思って衛門督を悲しんでいるのであった。秋になったころからこの若君は這《は》いなどなさる様子が言いようもないくらいかわいいので、院は人前ばかりでなく、しんからいとしくて、いつも抱いて大事になさるのであった。

柏木 版本说明

底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
   1994(平成6)年6月15日39版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年1月15日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:鈴木厚司
2004年2月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

37 横笛

[#地から3字上げ]亡《な》き人の手なれの笛に寄りもこし夢の
[#地から3字上げ]ゆくへの寒き夜半《よは》かな   (晶子)

 権大納言《ごんだいなごん》の死を惜しむ者が多く、月日がたっても依然として恋しく思う人ばかりであった。六条院のお心もまたそうであった。御関係の薄い人物でも、なんらかのすぐれたところを持っている者の死は常に悲しく思召《おぼしめ》す方であったから、柏木《かしわぎ》の衛門督《えもんのかみ》はまして朝夕にお出入りしていた人であったし、またそうした人たちの中でも特に愛すべき男として見ておいでになったのでもあるから、一つの問題は別としてお心に上ることが多かった。四十九日の法事の際にも御厚志の見える誦経《ずきょう》の寄付があった。何も知らぬ幼い人の顔を御覧になってはまた深い悲哀をお感じになって、そのほかにも法事の際に黄金百両をお贈りになった。理由を知らぬ大臣はたびたび感激してお礼を申し上げた。大将もいろいろな形式で従兄《いとこ》であり、夫人の兄であり、親友であった大納言の法会を盛んにする志を見せ、一方ではこの際の御慰問として未亡人の一条の宮へも物を多くお贈りすることを忘れなかった。兄弟以上の親切を故人のために尽くす大将を大臣も夫人も、これほどまでの志があるとは思わなかったと喜んでいた。故人の持っていた勢力が法事の際にはなやかに現われたことなどからも両親はまた亡《な》き子を惜しんだ。
 御寺《みてら》の院は女二《にょに》の宮《みや》もまた不幸な御境遇におなりになったし、入道の宮も今日では人間としての幸福をよそにあそばすお身の上であるのを、御父として残念なお気持ちがあそばすのであるが、この世のことは問題にすまいとしいて忍んでおいでになった。仏勤めをあそばされる時にも、女三《にょさん》の宮《みや》もこの修業をしているであろうと御想像あそばすのであって、宮が出家をされてからは、以前にも変わってちょっとしたことにも消息を書いておつかわしになった。御寺に近い林から抜いた竹の子と、その辺の山で掘られた自然薯《じねんじょ》が、新鮮な山里らしい感じを出しているのを快く思召《おぼしめ》[#ルビの「おぼしめ」は底本では「おほしめ」]されて、宮へお贈りになるのであったが、いろいろなことをお書きになったあとへ、
[#ここから1字下げ]
春の野山は霞《かすみ》に妨げられてあいまいな色をしていますが、その中であなたへと思ってこれを掘り出させました。少しばかりです。

[#ここから2字下げ]
世を別れ入りなん道は後《おく》るとも同じところを君も尋ねよ

[#ここから1字下げ]
それを成就させるためには、より多く仏の御弟子《みでし》として努めなければならないでしょう。
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 法皇のお手紙を涙ぐみながら宮が読んでおいでになる所へ院がおいでになった。宮が平生に違って寂しそうに手紙を読んでおいでになり、漆器の広蓋《ひろぶた》などが置かれてあるのを、院はお心に不思議に思召されたが、それは御寺から送っておつかわしになったものだった。御黙読になって院も身に沁《し》んでお思われになるお手紙であった。もう今日か明日かのように老衰をしていながら、逢うことが困難なのを飽き足らず思うというような章もある。この同じ所へ来るようにとのお言葉は何でもない僧もよく言うことであるが、この作者は御実感そのままであろうとお思いになると、法皇はそのとおりに思召すであろう、寄託を受けた自分が不誠実者になったことでもお気づかわしさが倍加されておいでになるであろうのがおいたわしいと院はお思いになった。宮はつつましやかにお返事をお書きになって、お使いへは青鈍《あおにび》色の綾《あや》の一襲《ひとかさね》をお贈りになった。宮がお書きつぶしになった紙の几帳《きちょう》のそばから見えるのを、手に取って御覧になると、力のない字で、

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うき世にはあらぬところのゆかしくて背《そむ》く山路に思ひこそ入れ
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 とある。
「あなたを御心配していらっしゃる所へ、あらぬ山路へはいりたいようなことを言っておあげになっては悪いではありませんか」
 こう院はお言いになるのであった。出家後は前にいても顔をなるべく見られぬようにと宮はしておいでになった。美しい額の髪、きれいな顔つきも、全く子供のように見えて非常に可憐《かれん》なのを御覧になると、なぜこんなふうにさせてしまったかと後悔の念のつくられることで、罪に一歩ずつ近づく気があそばされるので、几帳だけを中の隔てには立てて、しかもうといふうには見せぬように院はしておいでになるのである。若君は乳母《めのと》の所で寝ていたのであるが、目をさまして這《は》い寄って来て、院のお袖《そで》にまつわりつくのが非常にかわいく見られた。白い羅《うすもの》に支那《しな》の小模様のある紅梅色の上着を長く引きずって、子供の身体《からだ》自身は着物と離れ離れにして背中から後ろのほうへ寄っているようなことは小さい子の常であるが、可憐で色が白くて、身丈《みたけ》がすんなりとして柳の木を削って作ったような若君である。頭は露草の汁《しる》で染めたように青いのである。口もとが美しくて、上品な眉《まゆ》がほのかに長いところなどは衛門督《えもんのかみ》によく似ているが、彼はこれほどまでにすぐれた美貌《びぼう》ではなかったのに、どうしてこんなのであろう、宮にも似ていない、すでに気高《けだか》い風采《ふうさい》の備わっている点を言えば、鏡に写る自分の子らしくも見られるのであるとお思いになって、院は若君をながめておいでになるのであった。立っても二足三足踏み出すほどになっているのである。この竹の子の置かれた広蓋《ひろぶた》のそばへ、何であるともわからぬままで若君は近づいて行き、忙しく手で掻《か》き散らして、その一つには口をあてて見て投げ出したりするのを、院は見ておいでになって、
「行儀が悪いね。いけない。あれをどちらへか隠させるといい。食い物に目をつけると言って、口の悪い女房は黙っていませんよ」
 とお笑いになる。若君を御自身の膝《ひざ》へお抱き取りになって、
「この子の眉《まゆ》がすばらしい。小さい子を私はたくさん見ないせいか、これくらいの時はただ赤ん坊らしい顔しかしていないものだと思っていたのだが、この子はすでに美しい貴公子の相があるのは危険なこととも思われる。内親王もいらっしゃる家の中でこんな人が大きくなっていっては、どちらにも心の苦労をさせなければならぬ日が必ず来るだろう。しかし皆のその遠い将来は私の見ることのできないものなのだ。『花の盛りはありなめど』(逢ひ見んことは命なりけり)だね」
 こうお言いになって若君の顔を見守っておいでになった。
「縁起のよろしくございませんことを、まあ」
 と女房たちは言っていた。若君は歯茎から出始めてむずがゆい気のする歯で物が噛《か》みたいころで、竹の子をかかえ込んで雫《しずく》をたらしながらどこもかも噛《か》み試みている。
「変わった風流男だね」
 と院は冗談《じょうだん》をお言いになって、竹の子を離させておしまいになり、

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憂《う》きふしも忘れずながらくれ竹の子は捨てがたき物にぞありける
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 こんなことをお言いかけになるが、若君は笑っているだけで何のことであるとも知らない。そそくさと院のお膝《ひざ》をおりてほかへ這《は》って行く。月日に添って顔のかわいくなっていくこの人に院は愛をお感じになって、過去の不祥事など忘れておしまいになりそうである。この愛すべき子を自分が得る因縁の過程として意外なことも起こったのであろう。すべて前生の約束事なのであろうと思召《おぼしめ》されることに少しの慰めが見いだされた。自分の宿命というものも必ずしも完全なものではなかった。幾人かの妻妾《さいしょう》の中でも最も尊貴で、好配偶者たるべき人はすでに尼になっておいでになるではないかとお思いになると、今もなお誘惑にたやすく負けておしまいになった宮がお恨めしかった。
 大将は柏木《かしわぎ》が命の終わりにとどめた一言を心一つに思い出して何事であったかいぶかしいと院に申し上げて見たく思い、その時の御表情などでお心も読みたいと願っているが、淡《うす》くほのかに想像のつくこともあるために、かえって思いやりのないお尋ねを持ち出して不快なお気持ちにおさせしてはならない、きわめてよい機会を見つけて自分は真相も知っておきたいし、故人が煩悶《はんもん》していた話もお耳に入れることにしたいと常に思っていた。
 物哀れな気のする夕方に大将は一条の宮をお訪《たず》ねした。柔らかいしめやかな感じがまずして宮は今まで琴などを弾《ひ》いておいでになったものらしかった。来訪者を長く立たせておくこともできなくて、人々はいつもの南の中の座敷へ案内した。今までこの辺の座敷に出ていた人が奥へいざってはいった気配《けはい》が何となく覚えられて、衣擦《きぬず》れの音と衣の香が散り、艶《えん》な気分を味わった。いつもの御息所《みやすどころ》が出て来て柏木の話などを双方でした。自身の所は人出入りも多く幾人もの子供が始終家の中を騒がしくしているのに馴《な》れている大将には御殿の中の静かさがことさら身にしむように思われた。以前よりもまた荒れてきたような気はするが、さすがに貴人の住居《すまい》らしい品は備わっていた。植え込みの花草が虫の音に満ちた野のように乱れた夕明りのもとの夜を大将はながめていた。そこに出たままになっていた和琴《わごん》を引き寄せてみると、それは律の調子に合わされてあって、よく弾き馴《な》らされて人間の香に染《し》んだなつかしいものであった。こんな趣味の美しい女|住居《ずまい》に放縦な癖のついた男が来たなら、自制もできずに醜態を見せることがあるのであろう、とこんなことも心に思いながら大将は和琴を弾いていた。これは柏木が生前よく弾いていた楽器である。ある曲のおもしろい一節だけを弾いたあとで、大将は、
「ことに和琴は名手というべき人でしたがね。忘れがたいあの人の芸術の妙味は宮様へお伝わりしているでしょうから、私はそれを承りたいのですが」
 と言うと、
「あの不幸のございましてからは、全くこうしたことに無関心におなりあそばしまして、お小さいころのお稽古弾《けいこび》きと申し上げるほどのこともあそばしません。院の御前で内親王様がたにいろいろの芸事のお稽古をおさせになりましたころには、音楽の才はおありになるというような御批評をお受けあそばした宮様ですが、あれ以来はぼんやりとしておしまいになりまして、毎日なさいますことはお物思いだけでございますから、音楽も結局寂しさを慰めるものではないという気が私にいたされます」
 と御息所は言う。
「ごもっともなことですよ。『恋しさの限りだにある世なりせば』(つらきをしひて歎かざらまし)」
 大将は歎息《たんそく》をして楽器を前へ押しやった。
「楽器に故人の音がついているかどうかが、私どもにわかりますほどお弾きになって見てくださいませ。みじめにめいっておりますわれわれの耳だけでも助けてくださいませ」
「私よりも御縁の深い方のあそばすものにこそ故人の芸術のうかがわれるものがあるでしょうから、ぜひ宮様のを承りたい」
 御簾《みす》のそばに近く和琴を押し寄せて大将はこう言うのであるが、すぐに気軽く御承引あそばすものでないことを知っている大将は、しいても望みはしなかった。月が上ってきた。秋の澄んだ空を幾つかの雁《かり》の通って行くことも宮のお心には孤独でないものとしておうらやましいことであろうと思われた。冷ややかな風の身にしむように吹き込んでくるのにお誘われになって、宮は十三絃をほのかにお掻《か》き鳴らしになるのであった。この情趣に大将の心はいっそう惹《ひ》かれて、より多くを望む思いから、琵琶《びわ》を借りて想夫恋《そうふれん》を弾き出した。
「自信のあるものらしく見えますのが恥ずかしゅうございますが、この曲だけはごいっしょにあそばしてくだすってよい理由のあるものですから」
 と大将は御簾《みす》の奥へ合奏をお勧めするのであるが、他のものよりも多く羞恥《しゅうち》の感ぜられる曲に宮はお手を出そうとあそばさない。ただ琵琶の音に深く身にしむ思いを覚えてだけおいでになる宮へ、

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ことに出《い》で言はぬを言ふにまさるとは人に恥ぢたる気色《けしき》とぞ見る
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 と大将が言った時、宮はただ想夫恋の末のほうだけを合わせてお弾きになった。

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深き夜の哀ればかりは聞きわけどことよりほかにえやは言ひける
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 ともお言いになるのであった。非常におもしろいお爪音《つまおと》であって、おおまかな音《ね》の楽器ではあるが、芸の洗練された名手が熱心にお弾《ひ》きになるのであるから、すごい気分のような透徹した音を、美しく少しだけお聞かせになっておやめになったのを、大将は恨めしいまでに飽き足らず思うのであるが、
「風流狂じみましたことをいろいろお目にかけてしまいました。秋の夜を無限におじゃまいたしておりましては故人からとがめられる気もいたしますから、もうお暇《いとま》をいたしましょう。また別の日に新しい気持ちで御訪問をいたします。この楽器をこのままにしてお待ちくださるでしょうか。意外なことが起こらないともかぎらない人生のことですから不安なのです」
 などと言って、正面から恋を告げようとはしないのであるが、におわせるほどには言葉に盛って大将は帰ろうとした。
「今夜の御風流は非難いたす者もございませんでしょう。昔の日の話をお補いくださいます程度にしかお聞かせくださいませんでしたのが残り多く思われてなりません」
 と言い、御息所は大将への贈り物へ笛を添えて出した。
「この笛のほうは古い伝統のあるものと伺っておりました。こんな女|住居《ずまい》に置きますことも、有名な楽器のために気の毒でございますから、お持ちくださいましてお吹きくださいませば、前駆の声に混じります音を楽しんで聞かせていただけるでしょう」
 と御息所は言った。
「つたない私がいただいてまいることは似合わしくないことでしょう」
 こう言いながら大将は手に取って見た。これも始終柏木が使っていて、自分もこの笛を生かせるほどには吹けない。自分の愛する人に与えたいとこんなことを柏木の言うのも聞いたことのある大将であったから、故人の琴に対した時よりもさらに多くの感情が動いた。試みに大将は吹いてみるのであったが、盤渉《ばんしき》調を半分ほど吹奏して、
「故人を忍んで琴を弾きましたことはとにかく、これは晴れがましいまばゆい気がいたされます」
 こう挨拶《あいさつ》して立って行こうとする時に、

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露しげき葎《むぐら》の宿にいにしへの秋に変はらぬ虫の声かな
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 と御息所が言いかけた。

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横笛の調べはことに変はらぬをむなしくなりし音《ね》こそ尽きせね
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 返歌をしてもまだ去りがたくて大将がためらっているうち深更になった。
 自宅に帰ってみると、もう格子などは皆おろされてだれも寝てしまっていた。一条の宮に恋をして親切がった訪問を常にするというようなことを、夫人へ言う者があったために、今夜のようにほかで夜ふかしをされるのが不愉快でならない夫人は、良人《おっと》が室内《へや》へはいって来たことも知りながら寝入ったふうをしているものらしい。「妹《いも》とわれといるさの山の山あららぎ」(手をとりふれぞや、かほまさるかにや)と美しい声で歌いながらはいって来た大将は、
「どうしてこんなに早く戸を皆しめてしまったのだろう。引っ込み思案な人ばかりなのだね。こんな月夜の景色《けしき》をだれも見ようとしないなど」
 と歎息《たんそく》して格子を上げさせ、御簾《みす》を巻き上げなどして縁に近く出て横たわっていた。
「こんなよい晩に眠ってしまう人があるものですか。少し出ていらっしゃい。つまらないじゃありませんか」
 などと夫人へ言うのであるが、おもしろく思っていない夫人は何とも言わないのである。子供が寝おびれて何か言っている声があちこちにして、女房もその辺の部屋《へや》にたくさん寝ている、このにぎわしい自宅の夜と、一条邸の夜とのあまりにも相違しているのを大将は思い比べていた。贈られた笛を吹きながら自分の去ったあとの御母子がどんなに寂しく月明の景色をながめておられるだろう、自分の弾いた楽器も宮の合わせてくだすったものもそのままで二人の女性にもてあそばれているであろう、御息所も和琴が上手《じょうず》なはずであるなどと思いやりながら寝ているのである。どうしてあんなにりっぱな宮様を衛門督《えもんのかみ》は形式的に大事がっただけで、ほんとうに愛してはいなかったのであろうと大将は不思議に思われてならない。お顔を見て美しく想像したのと違ったところがあっては不幸な結果をもたらすことにもなろう、ほかのことでも空想をし過ぎたことには必然的に幻滅が起こるものであるなど思いながらも、大将は自身たち夫婦の仲を考えて、なんらの見栄《みえ》も気どりも知らぬ少年少女の時に知った恋の今日まで続いて来た年月を数えてみては、夫人が強い驕慢《きょうまん》な妻になっているのに無理でないところがあるとも思われた。
 少し寝入ったかと思うと故人の衛門督がいつか病室で見た時の袿《うちぎ》姿でそばにいて、あの横笛を手に取っていた。夢の中でも故人が笛に心を惹《ひ》かれて出て来たに違いないと思っていると、

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「笛竹に吹きよる風のごとならば末の世長き音《ね》に伝へなん
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 私はもっとほかに望んだことがあったのです」
 と柏木は言うのである。望みということをよく聞いておこうとするうちに、若君が寝おびれて泣く声に目がさめた。この子が長く泣いて乳を吐いたりなどするので、乳母《めのと》が起きて世話をするし、夫人も灯《ひ》を近くへ持って来させて、顔にかかる髪を耳の後ろにはさみながら子を抱いてあやしなどしていた。色白な夫人が胸を拡《ひろ》げて泣く子に乳などをくくめていた。子供も色の白い美しい子であるが、出そうでない乳房《ちぶさ》を与えて母君は慰めようとつとめているのである。大将もそのそばへ来て、
「どう」
 などと言っていた。夜の魔を追い散らすために米なども撒《ま》かれる騒がしさに夢の悲しさも紛らされてゆく大将であった。
「この子は病気になったらしい。はなやかな方に夢中になっていらっしって、おそくなってから月をながめたりなさるって格子をあけさせたりなさるものだから、また物怪《もののけ》がはいって来たのでしょう」
 と若々しい顔をした夫人が恨むと、良人《おっと》は笑って、
「変にこじつけて私の罪にするのですね。私が格子を上げさせなかったらなるほど物怪ははいる道がなかったろうね。おおぜいの人のお母様になったあなただから、たいした考え方ができるようになったものだ」
 こう言っても妻をながめる大将の美しい目つきはさすがに恥ずかしがって、続けて恨みも言わずに、
「あちらへいらっしゃい。人が見ます。見苦しい」
 とだけ言った。明るい灯《ひ》に顔を見られるのをいやがるのも可憐《かれん》な妻であると大将は思った。若君は夜通しむずかって寝なかった。
 大将は夢を思うと贈られた横笛ももてあまされる気がした。故人の強い愛着の遺《のこ》った品がやりたく思う人の手に行っていぬものらしい。しかも宮の御もとへ置きたく思う理由もない。それは笛が女の吹奏を待つものでないからである。生きておれば何とも思わぬことが臨終の際にふと気がかりになったり、ふと恋しく心が残ったりすることで幽魂が浄土へは向かわず宙宇に迷うと言われている。そうであるから人間は何事にも執着になるほどの関心を持ってはならないのであると、こんなことを思って大納言のために愛宕《おたぎ》の寺で誦経《ずきょう》をさせ、またそのほか故人と縁故のある寺でも同じく経を読ませた。この笛を歴史的価値のある物として、好意で自分へ贈った人に対しては、それがどんな尊いことであっても寺へ納めたりしてしまうことも不本意なことであると思って、大将は六条院へ参った。
 その時院は姫君の女御《にょご》の御殿へ行っておいでになった。三歳ぐらいになっておいでになる三の宮を女一の宮と同じように紫の女王《にょおう》がお養いしていて、対へお置き申してあるのであるが、大将が行くと走っておいでになって、
「大将さん、私を抱いてあちらの御殿へつれて行ってちょうだい」
 うやうやしい態度で、そしてお小さい方らしくお言いになると、大将は笑って、
「いらっしゃいませ。けれど女王様のお御簾《みす》の前をどうしてお通りいたしましょう。私よりもあなた様がお困りになりましょう」
 こう言いながらすわった膝《ひざ》へ宮を抱いておのせすると、
「だれも見ないよ。いいよ。私顔を隠して行くから」
 宮が袖《そで》を顔へお当てになるのもおかわいらしくて大将はそのまま寝殿のほうへお抱きして行った。
 こちらの御殿のほうでも院が宮の若君と二の宮がいっしょに遊んでおいでになるのをかわいく思ってながめておいでになるのであった。かどのお座敷の前で三の宮をお下《お》ろししたのを、二の宮がお見つけになって、
「私も大将に抱いていただくのだ」
 とお言いになると、三の宮が、
「いけない、私の大将だもの」
 と言って伯父《おじ》君の上着を引っぱっておいでになる。院が御覧になって、
「お行儀のないことですよ。お上《かみ》のお付きの大将を御自分のものにしようとお争いになったりしてはなりませんよ。三の宮さんはよくわからずやをお言いになりますね。いつでもお兄様に反抗をなさいますね」
 とお訓《さと》しになる。大将も笑って、
「二の宮様はずいぶんお兄様らしくて、お小さい方によくお譲りになったり、思いやりのあることをなさいます。大人でも恥ずかしくなるほどでございます」
 こんなことを言っていた。院は微笑を顔にお浮かべになって、お小言《こごと》はお言いになったものの、どちらもかわいくてならぬというような表情をしておいでになった。
「公卿《こうけい》をこんな失礼な所へ置いてはおけない。対のほうへ行くことにしよう」
 とお言いになって、立とうとあそばされるのであるが、宮たちがまつわってお離れにならない。宮の若君は宮たちと同じに扱うべきでないとお心の中では思召《おぼしめ》されるのであるが、女三の尼宮が心の鬼からその差別待遇をゆがめて解釈されることがあってはと、優しい御性質の院はお思いになって、若君をもおかわいがりになり、大事にもあそばすのであった。大将はこの若君をまだよく今までに顔を見なかったと思って、御簾《みす》の間から顔を出した時に、花の萎《しお》れた枝の落ちているのを手に取って、その児《こ》に見せながら招くと、若君は走って来た。薄藍《うすあい》色の直衣《のうし》だけを上に着ているこの小さい人の色が白くて光るような美しさは、皇子がたにもまさっていて、きわめて清らかな感じのする子であった。ある疑問に似たものを持つ思いなしか、眸《まな》ざしなどにはその人のよりも聡慧《そうけい》らしさが強く現われては見えるが、切れ長な目の目じりのあたりの艶《えん》な所などはよく柏木《かしわぎ》に似ていると思われた。美しい口もとの笑う時にことさらはなやかに見えることなどは自分の心に潜在するものがそう思わせるのかもしらぬが、院のお目には必ずお思い合わせになることがあろうと考えられるほど似ていると、大将は異母弟を見ながらも、いよいよ院が柏木に対してどう思っておいでになるかを早く知りたくなった。宮がたは自然に気高《けだか》くお見えになるところはあるが、普通のきれいな子供とさまで変わってはおいでにならないのに、若君は貴族の子らしい品格のほかに、何ものにも優越した美の備わっているのを、大将は比べて思いながら、哀れなことである、自分の推測が真実であれば柏木の父の大臣は故人を切に思う心から、柏木の子供であると名のって来る者の出て来ないことに失望して、それだけの形見をすら不幸な親に残してくれなかったと言って泣きこがれているのであるから、知らせないでいるのは罪作りなことになろうと考えられて来るうちにまた、そんなことはありうることではないと否定もされる。ますます不可解な問題であると大将は思った。性質もなつかしく優しい子で、大将に馴染《なじ》んでそばを離れず遊んでいるのもかわいく思われた。
 院が対のほうへおいでになったのでお供をして行って大将がお話をかわしているうちに日も暮れかかってきた。昨夜一条の宮をお訪《たず》ねした時のあちらの様子などを大将が語るのを院は微笑して聞いておいでになった。故人に関することが出てくる時には言葉もおはさみになって同情して聞いておいでになるのであったが、
「想夫恋を少しお合わせになったということなどは非常におもしろくて文学的ではあるが、しかし自分の意見として言えば女は異性を知らず知らず興奮させるような結果までを考慮してどこまでも避けねばならぬことだと思うがね、故人への情誼《よしみ》で御親切にし始めたのであれば、君はどこまでもきれいな心でお交際《つきあい》をしなければならないよ。あやまちのないようにね。苦しい結果を引き起こすようなことのないようにするのがどちらのためにもいいことだろうと思う」
 と院はお言いになった。大将は心に、このお言葉は承服されない、人をお教えになるのには賢いことを仰せられても、御自身がこの場合に処して御冷静でありうるであろうかと思っていた。
「あやまちなどの起こりようはありません。人生の無常に直面されたかたがたを宗教的な気持ちで慰めて差し上げる義務があるように思いましてお交際《つきあい》を始めたのですから、すぐまたその友情から離れますようなことをしましては、かえって普通の失敗した野心家らしく世間から思われるだろうと考えますから、いつまでも友情は捨てないつもりでおります。想夫恋をお弾《ひ》きになりましたことで御非難のお言葉がございましたが、あちらが進んでなすったことであればそれは決しておもしろい話ではございませんが、私の参ります前から弾いておいでになりました琴を、ただ少しばかり私の想夫恋に合わせてくださいましたのですから、非常にその場の情景にかなってよかったのでございます。どんなこともその女性次第だと思います。御年齢などもきらきらとする若さを少し越えていらっしゃいます方が、好色漢のような態度をお見せするはずもない私に、親しい友情が生じまして、私の願ったことが聞いていただけたというようなことは恥ずかしいこととは思われません。御観察申し上げるところでは非常に女らしい優しい御性質のようです」
 こんな話をしていた大将は、かねて願っている機会が到来したように思い、少し院のお座へ近づいて昨夜《ゆうべ》の夢の話をした。ものも言わずに聞いておいでになった院のお心の中にはお思い合わせになることがあった。
「その笛は私の所へ置いておく因縁があるものなのだよ。昔は陽成《ようぜい》院の御物《ぎょぶつ》だったものなのだがね。私の叔父《おじ》のお亡《な》くなりになった式部卿《しきぶきょう》の宮が秘蔵しておいでになったのを、あの衛門督《えもんのかみ》は子供の時から笛がことによくできたものだから、宮のお邸《やしき》で萩《はぎ》の宴のあった時に贈り物としてお与えになったのだ。御婦人がたは深いお考えもなしに君へ贈られたのだろう」
 院はこうお言いになるのであった。御心中ではまず手もとへ置こう、死後にもとの持ち主の譲らせたい人は分明であると思召《おぼしめ》された。聡明《そうめい》な大将にはもう想像ができていて、今持ち合わせてもいるのであろうとお思いになるのであった。すべてを察しになった院のお顔色を見てはいっそう大将は打ち出しにくくなるのであるが、ぜひ伺ってみたい気持ちがあって、ただこの瞬間に心へ浮かんできたというようにして、思い出し思い出し申すように言う、
「もう衛門督が終焉《しゅうえん》に近いころでございました。見舞いにまいりました私に、いろいろ遺言をいたしました中に、六条院様に対して深い罪を感じているということを繰り返し繰り返し言ったのでございましたが、ただ御感情を害していると聞きましただけでは、私によくわからないのでしたが、どんなことだったのでございましょう。ただ今もまだよくわからないのでございます」
 自分が感じたように大将はあの秘密の全貌《ぜんぼう》を知っているのであると院はお悟りになったのであるが、くわしくお語りになるべきことでもないので、しばらくは突然いぶかしい話を聞くというような御表情を見せておいでになったあとで、
「そんなに死んで行く時にまで人の気にかけるようなことはいつ自分が言ったりしたりしたのだろう。私にもわからない、思い出せないよ。いずれ静かな時を見て君の夢に関する細かな説明はしてあげよう。夢の話を夜はしてならないものだとか、迷信だろうが女の人などは言うものだよ」
 と院は言っておいでになって、あの不思議な問題にはあまり触れようとあそばさないのを見て、大将は自分の言い出したということがお気に入らないのではないかと、きまり悪く思ったのである。

横笛 版本说明

底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
   1994(平成6)年6月15日39版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年1月15日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:kumi
2003年10月4日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

38 鈴虫

[#地から3字上げ]すずむしは釈迦牟尼仏《しゃかむにぶつ》のおん弟子《でし》の君
[#地から3字上げ]のためにと秋を浄《きよ》むる   (晶子)

 夏の蓮《はす》の花の盛りに、でき上がった入道の姫宮の御持仏の供養が催されることになった。御念誦堂《ごねんじゅどう》のいっさいの装飾と備え付けの道具は六条院のお志で寄進されてあった。柱にかける幡《ばん》なども特別にお選びになった支那錦《しなにしき》で作られてあった。紫夫人の手もとで調製された花机《かき》の被《おお》いは鹿《か》の子《こ》染めを用いたものであるが、色も図柄も雅味に富んでいた。帳台の四方の帷《とばり》を皆上げて、後ろのほうに法華経《ほけきょう》の曼陀羅《まんだら》を掛け、銀の華瓶《かへい》に高く立華《りっか》をあざやかに挿《さ》して供えてあった。仏前の名香《みょうこう》には支那の百歩香《ひゃくぶこう》がたかれてある。阿弥陀《あみだ》仏と脇士《わきし》の菩薩《ぼさつ》が皆|白檀《びゃくだん》で精巧な彫り物に現わされておいでになった。閼伽《あか》の具はことに小さく作られてあって、白玉《はくぎょく》と青玉《せいぎょく》で蓮の花の形にした幾つかの小|香炉《こうろ》には蜂蜜《はちみつ》の甘い香を退《の》けた荷葉香《かようこう》が燻《く》べられてある。経巻は六道を行く亡者《もうじゃ》のために六部お書かせになったのである。宮の持経は六条院がお手ずからお書きになったものである。これを御仏《みほとけ》への結縁としてせめて愛する者二人が永久に導かれたい希望が御|願文《がんもん》に述べられてあった。朝夕に読誦《どくじゅ》される阿弥陀経は支那の紙ではもろくていかがかと思召《おぼしめ》され、紙屋《かんや》川の人をお呼び寄せになり特にお漉《す》かせになった紙へ、この春ごろから熱心に書いておいでになったこの経巻は、片端を遠く見てさえ目がくらむ気のされるものであった。罫《けい》に引いた黄金の筋よりも墨の跡がはるかに輝いていた。軸、表紙、箱に用いられた好みの優雅さはことさらにいうまでもない。この巻き物は特に沈《じん》の木の華足《げそく》の机《つくえ》に置いて、仏像を安置した帳台の中に飾ってあった。堂の準備ができて講師が座に着き行香《ぎょうこう》をする若い殿上人などが皆そろった時に、院もその仏間のほうへおいでになろうとして、尼宮の西の庇《ひさし》のお座敷へまずはいって御覧になると、狭い気のするこの仮のお居間の中に、暑いほどにも着飾った女房が五、六十人集まっていた。童女などは北側の室《へや》の外の縁にまで出ているのである。火入れがたくさん出されてあって、薫香《たきもの》をけむいほど女房たちが煽《あお》ぎ散らしているそばへ院はお寄りになって、
「空《そら》だきというものは、どこで焚《た》いているかわからないほうが感じのいいものだよ。富士の山頂よりももっとひどく煙の立っているのなどはよろしくない。説教の間は物音をさせずに静かに細かく話を聞かなければならないものだから、無遠慮に衣擦《きぬず》れや起《た》ち居の音はなるべくたてぬようにするがいい」
 などと、例の軽率な若い女房などをお教えになった。宮は人気《ひとげ》に押されておしまいになり、小さいお美しい姿をうつ伏せにしておいでになる。
「若君をここへ置かずに、どちらか遠い部屋《へや》へ抱いて行くがよい」
 とまた院は女房へ注意をあそばされた。北側の座敷との間も今日は襖子《からかみ》がはずされて御簾《みす》仕切りにしてあったが、そちらの室《へや》へ女房たちを皆お入れになって、院は尼宮に今日の儀式についての心得をお教えになるのであったが、その方を可憐《かれん》にばかりお思われになった。昔の鴛鴦《えんおう》の夢の跡の仏の御座《みざ》になっている帳台が御簾越しにながめられるのも院を物悲しくおさせすることであった。
「こんな儀式をあなたのためにさせる日があろうなどとは予想もしなかったことですよ。これはこれとして来世の蓮《はす》の花の上では睦《むつ》まじく暮らそうと期していてください」
 と言って院はお泣きになった。

[#ここから2字下げ]
蓮葉《はちすば》を同じうてなと契りおきて露の分かるる今日《けふ》ぞ悲しき
[#ここで字下げ終わり]

 硯《すずり》に筆をぬらして、香染めの宮の扇へお書きになった。宮が横へ、

[#ここから2字下げ]
隔てなく蓮《はちす》の宿をちぎりても君が心やすまじとすらん
[#ここで字下げ終わり]

 こうお書きになると、
「そんなに私が信用していただけないのだろうか」
 笑いながら院は言っておいでになるのであるが身にしむものがある御様子であった。
 例のことであるが親王がたも多く参会された。六条院の夫人たちから仏前へささげられた物の数も多かった。七僧の法服とか、この法事についての重だった布施は皆紫夫人が調製させたものである。綾地《あやじ》の法服で、袈裟《けさ》の縫い目までが並み並みの物でないことを言って当時の僧がほめたそうである。こんなこともむずかしいものらしい。
 講師が宮の御|遁世《とんせい》を讃美《さんび》して、この世におけるすぐれた栄華をなお盛りの日にお捨てになり、永久の縁を仏にお結びになったということを、豊かな学才のある僧が美辞麗句をもって言い続けるのに感動して萎《しお》たれる人が多かった。今日のはただ御念誦堂《ごねんじゅどう》開きとしてお催しになった法会《ほうえ》であったが、宮中からも御寺《みてら》の法皇からもお使いがあって、御誦経の布施などが下されてにわかに派手《はで》なものになった。初めの設けは簡単にしたように院は思召《おぼしめ》しても、それは決して並み並みの物でなかった上、宮廷の御寄進が添ったので、出席した僧たちは、置き所もない布施を得て寺へ帰った。
 御出家をあそばされた今になって宮を院がごたいせつにあそばすことは非常で、無限の御愛情が運ばれていると見えた。御寺の帝《みかど》は宮へ御分配になった邸宅へ今はもうお移りになるほうが世間体もよいとお勧めになるのであったが、六条院は、
「遠くなっては始終お目にかかることもできないので困ります。毎日お逢いしてお話ができたり、あなたの用を聞いたりすることができなくなっては、私の期していたことが皆|画餠《がべい》になってしまう。そういっても私に残された命はもう何ほどでもないのでしょうが、生きている間はせめてその志だけでも尽くさせてください」
 とお言いになって賛成をあそばさないのである。院はまたそのほうの邸宅もきれいに修繕させてお置きになって、宮が官から給されておいでになる収入や、御私有の荘園や牧から上がって来る物の中でも、貯蔵しておく価値のある物は皆その三条の宮の倉庫《くら》へ納めさせてお置きになった。新しい倉庫の建て増しまでおさせになって、それへは法皇がこの宮へ無数に御分配になった貴重品の今まで六条院にあったのを移してお蔵《しま》わせになった。これは永久に宮の御家を経済的に保証する価値ある財産というべきものである。そして六条院における宮の御生活とおおぜいの女房、男女の召使に要する費用は院の御負担とお決めになったのである。
 秋になって院は尼宮のお住居《すまい》の西の渡殿《わたどの》の前の中の塀《へい》から東の庭を草原にお作らせになった。閼伽棚《あかだな》などをそのほうへお作らせになったのが優美に見える。宮の御出家のお供をして乳母《めのと》そのほかの老いた女たちは必然的に尼になったが、若盛りの人でも、他日動揺する恐れのない、信念の堅そうな人たちだけを御弟子にされることになり、われもわれもと希望する者の多いのを、院がお聞きになって、
「群衆心理で今はその気になっているでしょうが、それをお許しになってはいけませんよ。不純な者が少しでも混じっていては他の者の迷惑になりますよ」
 と御忠告になり、全部の中から十幾人だけが尼姿で侍することになった。今度の草原に院は虫をお放ちになって、夕風が少し涼しくなるころに宮の所へおいでになり、虫の音《ね》を愛しておいでになるふうでしきりに宮を誘惑しようとしておいでになった。今さらそうした行ないはあるまじいことであると、宮はただ恐ろしがっておいでになった。人目には以前と変わらぬようにあそばしながら、あの秘密をお知りになってからは、汚れたものとして嫌悪《けんお》をお続けになった自分の肉体を悲しむ心が出家のおもな動機になり、尼になった時からはいっさいの愛欲を忘れることができて、静かな平和な心を楽しんでいる自分に、またこうしたことを求められるのは苦しいことであると宮はお思いになり、六条院でない所へ住み移りたくおなりになるのであったが、これをはきはきと言っておしまいになることもできぬ弱い御性質であった。
 十五夜の月がまだ上がらない夕方に、宮が仏間の縁に近い所で念誦《ねんじゅ》をしておいでになると、外では若い尼たち二、三人が花をお供えする用意をしていて、閼伽《あか》の器具を扱う音と水の音とをたてていた。青春の夢とこれとはあまりに離れ過ぎたことと見えて哀れな時に、院がおいでになった。
「むやみに虫が鳴きますね」
 こう言いながら座敷へおはいりになった院は御自身でも微音に阿弥陀《あみだ》の大誦《だいじゅ》をお唱えになるのがほのぼのと尊く外へ洩《も》れた。院のお言葉のように、多くの虫が鳴きたてているのであったが、その時に新しく鳴き出した鈴虫の声がことにはなやかに聞かれた。
「秋鳴く虫には皆それぞれ別なよさがあっても、その中で松虫が最もすぐれているとお言いになって、中宮《ちゅうぐう》が遠くの野原へまで捜しにおやりになってお放ちになりましたが、それだけの効果はないようですよ。なぜと言えば、持って来ても長くは野にいた調子には鳴いていないのですからね。名は松虫だが命の短い虫なのでしょう。人が聞かない奥山とか、遠い野の松原とかいう所では思うぞんぶんに鳴いていて、人の庭ではよく鳴かない意地悪なところのある虫だとも言えますね。鈴虫はそんなことがなくて愛嬌《あいきょう》のある虫だからかわいく思われますよ」
 などと院はお言いになるのを聞いておいでになった宮が、

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大かたの秋をば憂《う》しと知りにしを振り捨てがたき鈴虫の声
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 と低い声でお言いになった。非常に艶《えん》で若々しくお品がよい。
「何ですって、あなたに恨ませるようなことはなかったはずだ」
 と院はお言いになり、

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心もて草の宿りを厭《いと》へどもなほ鈴虫の声ぞふりせぬ
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 ともおささやきになった。琴をお出させになって珍しく院はお弾《ひ》きになった。宮は数珠《じゅず》を繰るのも忘れて院の琴の音を熱心に聞き入っておいでになる。月が上がってきてはなやかな光に満ちた空も人の心にはしみじみと秋を覚えさせた。院は移り変わることのすみやかな人生を寂しく思い続けておいでになって平生よりも深く身にしむ音をかき立てておいでになった。毎年の例のように今夜は音楽の遊びがあるであろうとお思いになって、兵部卿《ひょうぶきょう》の宮が来訪された。左大将も若い音楽に趣味を持つ人々を伴って参院したのであるが、こちらの御殿で琴の音のするのを聞いて出て来た。
「退屈でね、わざとする会合というほどのことでなしに、しばらく聞かれなかった音楽を人が来て聞かせてくれないだろうかと思って、誘い出すことが可能かどうかと、まず一人で始めていたのを、よく聞きつけて来てもらえたね」
 と院はお言いになった。宮のお席もこちらへ作らせてお招じになった。今夜は御所で月見の宴のあるはずであったのが、中止になって寂しがっていた人たちが、六条院へだれかれが集まっていると聞いて、あとからも来るのであった。虫の声の批評をしたあとで、音楽の合奏があっておもしろい夜になった。
「月をながめる夜というものにいつでも寂しくないことはないものだが、この中秋の月に向かっていると、この世以外の世界のことまでもいろいろと思われる。亡《な》くなった衛門督《えもんのかみ》はどんな場合にも思い出される人だが、ことに何の芸術にも造詣《ぞうけい》が深かったから、こうした会合にあの人を欠くのはもののにおいがこの世になくなった気がしますね」
 とお言いになった院は、御自身の音楽からも愁《うれ》いが催されるふうで涙をこぼしておいでになるのである。御簾《みす》の中で女三《にょさん》の宮《みや》が今の言葉に耳をおとめになったであろうかと片心《かたごころ》にはお思いになりながらもそうであった。こんな音楽の遊びをする夜などに最も多くだれからも忍ばれる衛門督であった。帝も御遊《ぎょゆう》のたびに故人を恋しく思召されるのであった。
「今夜は鈴虫の宴で明かそう」
 こう六条院は言っておいでになった。杯が二回ほどめぐった時に、冷泉《れいぜい》院から御使《みつか》いが来た。宮中の御遊がないことになったのを残念がって、左大弁、式部大輔《しきぶのたゆう》その他の人々が院へ伺候したのであって、左大将などは六条院に侍しているとお聞きになった院からの御消息には、

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雲の上をかけはなれたる住家《すみか》にも物忘れせぬ秋の夜の月
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「おなじくは」(あたら夜の月と花とを同じくは心知られん人に見せばや)
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 とあった。
「自分はたいそうにせずともよい身分でいて、閑散な御境遇でいらっしゃる院の御|機嫌《きげん》を伺いに上がることをあまりしない私の怠惰を、お忍びのあまりになってくだすったお手紙だからおそれおおい」
 と六条院はお言いになって、にわかなことではあるが冷泉院へ参られることになった。

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月影は同じ雲井に見えながらわが宿からの秋ぞ変はれる
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 このお歌は文学的の価値はともかくも、冷泉院の御在位当時と今日とをお思い比べになって、寂しくお思いになる六条院の御実感と見えた。御使いは杯を賜わり、御|纏頭《てんとう》をいただいた。
 参っていた人々の車を出て行く順序どおりに直したり、そちらこちらの前駆を勤める人たちが門内を右往左往するのとで、静かであった音楽の夜も乱れてしまった。六条院のお車に兵部卿の宮も御同乗になった。左大将、左衛門督《さえもんのかみ》、藤参議《とうさんぎ》などという人たちも皆お供をして出た。皆軽い直衣《のうし》姿であったのが下襲《したがさね》を加えて院参をするのであった。月がやや高くなって美しくふけた夜に、若い殿上人などに、わざとらしくなく笛をお吹かせになって、微行の御外出をされるのである。威儀の必要な時には正しく備うべきを備えて御往復になるのであるが、今夜は昔の一源氏の大臣のお気持ちで突然にお訪《たず》ねになったのであるから、冷泉院は非常にお喜びになった。御|美貌《びぼう》の整いきった冷泉院と、六条院はいよいよ別のものとはお見えにならなかった。まだ盛りの御年齢で御自発的に御位《みくらい》をお退《の》きになった君に六条院は悲しみを覚えておいでになった。この夜できた詩歌は皆非常におもしろかったが、片端だけを例の至らぬ筆者が写しておくのもやましい気がしてすべてを省くことにした。明け方にそれらの作が講ぜられて、人々は早朝に院から退出した。
 六条院は中宮のお住居《すまい》のほうへおいでになってしばらくお話しになった。
「ただ今はこうして御閑散なのですから、始終お伺いして、何ということもありませんが年のいくのとさかさまにますます濃くなる昔の思い出についてお話もし、承りもしたいのを果たすことがなかなか困難です。出家をしたのでもなし、俗人でもないような身の上で、行動の窮屈な点があります。どちらにも私よりあとに志を起こして先へ進まれる求道者が多いのですから心細くて、思いきって田舎《いなか》の寺へはいることにしようかともいよいよ近ごろは思われるのですが、あとの家族たちに関心をお持ちくださるようには以前からもお頼みしていることですが、その時になりましたら憐《あわれ》みをお垂《た》れになってください」
 などと六条院はまじめな御様子でお語りになった。今も若々しくおおような調子で、中宮は、
「宮中住まいをしておりましたころよりも、お目にかかります機会がだんだん少なくなってまいりますことも、予期せぬことでございましたから寂しゅうございましてね。皆様が御出家をあそばすこの世というものから私も離れてしまいたい望みを持っておりますことにつきましても、御相談が申し上げたくてそしてそれができないのでございますわ。昔からどんなことにもお力になっていただきつけて、独立心がなくなっているのでございましょうね。御意見を伺わないでは何もできません私は」
 と言っておいでになった。
「そうですね。宮中にいらっしゃるころは年に幾度かの御実家帰りを楽しんでお待ち受けすることができたのですがね。ただ今では形式どおりのお暇をお取りになって御実家住まいをなさることのおできにならなくなりましたのもごもっともです。もうお上《かみ》とお后《きさき》と申すより一家の御夫婦のようなものですからね。ただ今のお話ですが、さして厭世《えんせい》的になる理由のない人が断然この世の中を捨てることは至難なことでしょう。われわれでさえやはりいよいよといえば絆《ほだし》になることが多いのですからね。人|真似《まね》の御道心はかえって誤解を招くことになりますから、断じてそれはいけません」
 と院がおとめになるのを、宮は深く自分の心が汲《く》んでもらえないからであろうと恨めしく思召した。母君の御息所《みやすどころ》の霊が宙宇にさまよって、どんな苦しみを経験しておいでになることかとは中宮の夢寐《むび》にもお忘れになれないことで、今も人に故人を憎悪《ぞうお》させるばかりである名のりを物怪《もののけ》が出てするということも六条院はあくまでも秘密にしておいでになったが、自然に人が噂《うわさ》をしてお耳にはいってからは、非常に母君を悲しく思召して、人生そのものまでがいとわしくおなりになって、仮にもせよ御息所の物怪が言ったという言葉を六条院からお聞きになりたいのであるが、正面から言うことはおできにならないで、
「お母様の霊魂が罪の深いふうに苦しんでおいでになりますことを私はほかから話に聞きまして、それは確かでなくとも想像いたされることなのでございましたが、ただお死に別れしましたことだけを悲しんでおりまして、後世のことまでも幼稚な心の私は考えませんでしたのが悪いことでございました。気がついてみますと、宗教のほうの人にくわしい説明もしていただきたくなりましたし、私の力で及ぶだけの罪の炎をお消ししてお救いもしたいという望みも起こってまいったのでございます」
 などとかすめたふうにしてお語りになるのであった。そういう御決心のできるのもごもっともであると哀れに院はお思いになって、
「炎ののがれたいのを知りながら、愛欲の念をだれも捨てることができないものなのです。目蓮《もくれん》が仏に近いほどの高僧になっていたために、すぐに母を地獄から救い出すこともできたのでしょうが、その真似《まね》はおできにならないで、しかも御自身のはなやかな人間としての生活をしいて断ち切っておしまいになることも、知らず知らず煩悩《ぼんのう》を作る結果になるではありませんか。急がずにその道を御研究になることになさいまして、そのほかの方法で故人の妄執《もうしゅう》を晴らさせておあげになることをなさるべきです。私自身もそれを十分にして差し上げたい心を持っておりながら、ほかのことが多いものですから、そのうち私が本意を達する日が来れば、静かに私自身の手で冥福《めいふく》をお祈りしようと予定しているのですが、これも中途|半端《はんぱ》な心でしょうね」
 などとお言いになって、人生のはかなさ、いとわしさをお語り合いになっているのであるが、まだどちらも出家するには御縁が遠いような盛りのお姿と見えた。
 昨夜は微行の御参院であったが、今朝《けさ》はもう表だって準太上天皇の儀式をお用いになるほかはなくて、院に参っていた高官たちは皆|供奉《ぐぶ》をして六条院をお送り申すのであった。
 院は東宮の御母君の女御《にょご》が御教育のかいの見える幸福な女性になっていることも、だれよりもすぐれた左大将の存在もうれしく思っておいでになるのであるが、その二人にお持ちになる愛は冷泉院をお思いになる愛の片端にも価《あたい》しないのである。冷泉院も常に恋しく思召しながらたやすく御会合のおできにならないことを物足らぬことに思召してただ今の御境遇を早くお選びにもなったのである。中宮は御実家へお帰りになることが以前よりもむずかしくおなりになって、普通の家の夫婦のようにいつもごいっしょにお暮らしになり、お催し事などは昔よりはなやかなふうにあそばされて、どの点から申しても御幸福なのであるが、母君の御息所《みやすどころ》のことのために専心信仰の道へ進みたいと願いもあそばされるのであったが、だれも御同意にならぬことであったから、せめて功徳を作ることで亡《な》き霊を弔いたいというお考えになって、以前にもまして善根をつもうと精進あそばされた。六条院も中宮のお志をお助けになって、法華経《ほけきょう》の八講を近日行なわせられるそうである。

鈴虫 版本说明

底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
   1994(平成6)年6月15日39版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年1月15日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:kumi
2003年9月1日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

39 夕霧一

[#地から3字上げ]つま戸より清き男の出《い》づるころ後夜《ごや》の
[#地から3字上げ]律師のまう上るころ    (晶子)

 一人の夫人の忠実な良人《りょうじん》という評判があって、品行方正を標榜《ひょうぼう》していた源左大将であったが、今は女二《にょに》の宮《みや》に心を惹《ひ》かれる人になって、世間体は故人への友情を忘れないふうに作りながら、引き続いて一条|第《てい》をお訪《たず》ねすることをしていた。しかもこの状態から一歩を進めないではおかない覚悟が月日とともに堅くなっていった。一条の御息所《みやすどころ》も珍しい至誠の人であると、近ごろになってますます来訪者が少なく、寂《さび》れてゆく邸《やしき》へしばしば足を運ぶ大将によって慰められていることが多いのであった。初めから求婚者として現われなかった自分が、急に変わった態度に出るのはきまりが悪い、ただ真心で尽くしているところをお認めになったなら、自然に宮のお心は自分へ向いてくるに違いないから時を待とうと、こう大将は思って一日も早く宮と御接近する機会を得たいとうかがい歩いているのである。宮が御自身でお話をあそばすようなことはまだ絶対にない。いつか好機会をとらえて自分の持つ熱情を直接にお告げすることもし、御様子もよく見たいと大将は心に願っていた。
 御息所は物怪《もののけ》で重く煩《わずら》って小野という叡山《えいざん》の麓《ふもと》へ近い村にある別荘へ病床を移すようになった。以前から祈祷《きとう》を頼みつけていて、物怪を追い払うのに得意な律師が叡山の寺にこもっていて、京へは当分出ない誓いを御仏《みほとけ》にしたというのを招くのに都合がよかったからである。その日の幾つかの車とか前駆の人たちとかは皆大将からよこされた。かえって柏木《かしわぎ》の弟たちなどは自身のせわしさに紛れてか、そうした気はつかないふうであった。左大将は兄の未亡人の宮を得たい心でそれとなく申し込んだ時に、もってのほかであるというような強い拒絶的な態度をとられて以来、羞恥《しゅうち》心から出入りもしなくなっているのである。それに比べて大将は非常に上手《じょうず》な方法をとったものといわねばならない。
 修法をさせていると聞いて大将は僧たちへ出す布施や浄衣の類までも細かに気をつけて山荘へ贈ったのであった。その際病人の御息所は返事を書くべくもない容体であったし、女房から挨拶《あいさつ》書きなどを出しておいては、先方の好意が徹底しなかったもののようにお思いになるであろうし、宮様がお高ぶりになりすぎるようにもお思われになるであろうからと女房らがお願いしたために、宮が引き受けて礼状をお書きになった。美しい字のおおような短いお手紙ではあるが、なつかしい味のあるものであったから、いよいよ大将の心は傾いて、それ以後たびたびお手紙を差し上げるようになった。結局自分の疑いは疑いでなくなってゆきそうであると、雲井《くもい》の雁《かり》夫人が早くも観察していることにはばかられて、大将は小野の山荘を訪ねたく思いながらも実行をしかねていた。
 八月の二十日ごろで、野のながめも面白いころなのであるから、山荘住まいをしておいでになる恋人を大将はお訪ねしたい心がしきりに動いて、
「珍しく山から下っていられる某律師にぜひ逢《あ》って相談をしなければならぬことがあったし、御病気の御息所の別荘へお見舞いもしがてらに小野へ行こうと思う」
 と何げなく言って大将は邸《やしき》を出た。前駆もたいそうにはせず親しい者五、六人を狩衣《かりぎぬ》姿にさせて大将は伴ったのである。たいして山深くはいる所ではないが、松が崎《さき》の峰の色なども奥山ではないが、紅葉《もみじ》をしていて、技巧を尽くした都の貴族の庭園などよりも美しい秋を見せていた。そこは簡単な小柴垣《こしばがき》なども雅致のあるふうにめぐらせて、仮居ではあるが品よく住みなされた山荘であった。寝殿ともいうべき中央の建物の東の座敷のほうに祈祷の壇はできていて、北側の座敷が御息所の病室となっているために、西向きの座敷に宮はおいでになった。物怪を恐れて御息所は宮を京の邸へおとどめしておこうとしたのであるが、どうしてもいっしょにいたいとついておいでになった宮を、物怪のほかへ散るのを恐れて少しの隔てではあるが病室へはお近づけ申し上げないのである。客を通す座敷がないために、宮のおいでになる室とは御簾《みす》で隔てになった西の縁側についた座敷へ大将を入れて、上級の女房らしい人たちが御息所との話の取り次ぎに出て来た。
「まことにもったいなく存じます。御親切にたびたびお尋ねくださいました上に、御自身でまたお見舞いくださいますあなた様に対して、もう亡《な》くなってしまいますれば自分でお礼を申し上げることができないと考えますことで、もう少し生きようといたします努力をしますことになりました」
 これが御息所からの挨拶《あいさつ》である。
「こちらへお移りになります日に、私もお送りをさせていただきたかったのですが、あやにく六条院の御用の残ったものがありましたものですから失礼をいたしました。その以後も何かと忙しいことがあったものですから、お案じいたしております心だけのことができておらないのを、不本意に心苦しく存じております」
 などと大将は取り次がせている。奥のほうに静かにして宮はおいでになるのであるが、簡単な山荘のことであるから、奥といっても深いことはないのであって、若い内親王様がそこにおいでになる気配《けはい》はよく大将にわかるのである。柔らかに身じろぎなどをあそばす衣擦《きぬず》れの音によって、宮のおすわりになったあたりが想像された。魂はそこへ行ってしまったようなうつろな気になりながら、御息所の病室とここを通う取り次ぎの女房の往復の暇どる間を、これまでから話し相手にする少将とかそのほかの宮の女房とかを相手にして大将は語っているのであった。
「宮様のほうへ伺うようになりましてから、もう何年と年で数えなければならないほどになりますが、まだきわめてよそよそしいお取り扱いを受けておりますことで、恨めしい気がしますよ。こうした御簾《みす》の前で、人づてのお言葉をほのかに承りうるだけではありませんか。私はまだこんな冷たい御待遇というものを知りませんよ。どんなに古風な気のきかない男に皆さんは私を思っておられるだろうと恥ずかしく思います。青年で気楽な位置におりましたころから、続いて恋愛を生活の一部にして来ていますれば、こんなに不器用な恋の悩みをしないでも済んだろうと思います。私のように長く心の病気をおさえている人はないでしょう」
 大将はこの言葉のとおりにもう軽々しい多情多感な青年ではない重々しい風采《ふうさい》を備えているのであるから、その人の切り出して言ったことがこれであるのを、女房たちはこんなことになるかともかねてあやぶんでいたと、途方に暮れた気がするのであった。
「私が拙《まず》い御|挨拶《あいさつ》などをしてはかえっていけませんから、あなたが」
 こんなことを皆ひそかに言い合っていて、
「あんなにもお言いになります方に、あまり無関心らしくあそばさないほうがよろしゅうございましょう。何とかおっしゃってくださいませ」
 と宮へ申し上げると、
「病人が自身でお話を申し上げることのできませんような失礼な際に、私でも代わりをいたしましてお逢い申し上げたいのでございますが、病人が一時非常に悪うございましたために、私までも健康を害しまして、それでよんどころなく」
 こうお取り次がせになった。
「それは宮様のお言葉ですか」
 と大将は居ずまいを正した。
「御息所の御容体を、私自身の病などと比較にもなりませんほどお案じいたしておりますのも何の理由からでございましょう。もったいない話ではございますが、御|憂鬱《ゆううつ》な御気分が朗らかになられますまで、あの方様が御健康でおいでくださいますことは願わしいことだと存じ上げるからでございます。あの方様へお尽くしいたすだけのものとして、私のあなた様へ持ちます真心をお認めくださいませんことはお恨めしいことでございます」
 と大将は言う。
「ごもっともでございます」
 と女房らが言う。
 日は落ちて行く刻で、空も身にしむ色に霧が包んでいて、山の蔭《かげ》はもう小暗《おぐら》い気のする庭にはしきりに蜩《ひぐらし》が鳴き、垣根《かきね》の撫子《なでしこ》が風に動く色も趣多く見えた。植え込みの灌木《かんぼく》や草の花が乱れほうだいになった中を行く水の音がかすかに涼しい。一方では凄《すご》いほどに山おろしが松の梢《こずえ》を鳴らしていたりなどして、不断経の僧の交替の時間が来て鐘を打つと、終わって立つ僧の唱える声と、新しい手代わりの僧の声とがいっしょになって、一時に高く経声の起こるのも尊い感じのすることであった。所が所だけにすべてのことが人に心細さを思わせるのであったから、恋する大将の物思わしさはつのるばかりであった。帰る気などには少しもなれない。律師が加持をする音がして、陀羅尼《だらに》経を錆《さ》びた声で読み出した。御息所の病苦が加わったふうであると言って、女房たちはおおかたそのほうへ行っていて、もとから療養の場所で全部をつれて来ておいでになるのでない女房が、宮のおそばに侍しているのは少なくて、宮は寂しく物思いをあそばされるふうであった。非常に静かなこんな時に自分の心もお告げすべきであると大将が思っていると、外では霧が軒にまで迫ってきた。
「私の帰る道も見えなくなってゆきますようなこんな時に、どうすればいいのでしょう」
 と大将は言って、

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山里の哀れを添ふる夕霧に立ち出《い》でんそらもなきここちして
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 と申し上げると、

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山がつの籬《まがき》をこめて立つ霧も心空なる人はとどめず
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 こうほのかにお答えになる優美な宮の御様子がうれしく思われて、大将はいよいよ帰ることを忘れてしまった。
「どうすることもできません。道はわからなくなってしまいましたし、こちらはお追い立てになる。だれも経験することを少しも経験せずに始めようとする者は、すぐこうした目にあいます」
 などと言って、もうここに落ち着くふうを見せ、忍び余る心もほのめかしてお話しする大将を、宮は今までからもその気持ちを全然お知りにならないのでもなかったが、気づかぬふうをしておいでになったのを、あらわに言葉にして言うのをお聞きになっては、ただ困ったこととお思われになって、いっそうものを多くお言いにならぬことになったのを、大将は歎息《たんそく》していて、心の中ではこんな機会はまたとあるわけもない、思い切ったことは今でなければ実行が不可能になろうとみずからを励ましていた。同情のない軽率な人間であるとお思われしてもしかたがない、せめて長く秘めてきた苦しい思いだけでもおささやきしたいと思った大将は、従者を呼ぶと、もとは右近衛府《うこんえふ》の将監《しょうげん》であって、五位になった男が出て来た。大将は近く招いて、
「こちらへ来ておられる律師にぜひ逢《あ》って話すことがあるのだが、御病人の護身の法などをしておられて疲れておられる律師は休息もしなければならないことと思うから、私はこちらで泊まって、初夜のお勤めを終わられたころに律師のいるほうへ行こうと思う。二、三人だけはこの山荘のほうへ人を残しておいて、そのほか随身などの者は栗栖野《くるすの》の荘《しょう》が近いはずだから、そのほうへ皆やって、馬に糧秣《まぐさ》をやったりさせることにして、ここで騒がしく人声などは立てさせぬようにしてくれ。こんな外泊は人の中傷の種になるのだから気をつけてくれるように」
 と命じた。訳のあることに相違ないと思ってその男は去った。それから大将は女房に、
「道もわからなくなりましたからここでごやっかいになりましょう、かないますならこの御簾《みす》の前を拝借させてください。阿闍梨《あじゃり》の御用が済むまでです」
 と落ち着いたふうで言うのであった。これまではこんなに長居をしたこともなく、浮薄な言葉も出した人ではなかったのに、困ったことであると宮はお思いになったが、わざとがましく隣室へ行ってしまうことも体裁のよいものでないような気があそばされるので、ただ音をたてぬようにしてそのままおいでになると、思ったことを吐露し始めた大将は、お心の動くまでというように、いろいろと言葉を尽くすのであったが、宮へお取り次ぎにいざり入る人の後ろからそっと御簾をくぐって来た。夕霧が盛んに家の中へ流れ込むころで、座敷の中が暗くなっているのである。その女房は驚いて後ろを見返ったが、宮は恐ろしくおなりになって、北側の襖子《からかみ》の外へいざって出ようとあそばされたのを、大将は巧みに追いついて手でお引きとめした。もうお身体《からだ》は隣の間へはいっていたのであるが、お召し物の裾《すそ》がまだこちらに引かれていたのである。襖子は隣の室の外から鍵《かぎ》のかかるようにはなっていないために、それをおしめになったままで、水のように宮は慄《ふる》えておいでになった。女房たちも呆然《ぼうぜん》としていていかにすべきであるかを知らない。こちらの室には鍵があっても、この場合をどうすればよいかに皆当惑したのである。無理やりに荒々しく手を宮のお召し物から引き放させるようなこともできる相手ではなかった。
「御尊敬申し上げておりますあなた様がこんなことをなさいますとは思いもよらぬことでございます」
 と言って、泣かんばかりに退去を頼むのであるが、
「これほどの近さでお話を申し上げようとするのを、なぜあなたがたは不思議になさるのでしょう。つまらぬ私ですが、真心をお見せすることになって長い年月も重なっているはずです」
 と女房らに答えてから、大将は優美な落ち着きを失わずに、美しいこの恋を成り立たせなければならぬことを宮へお説きするのであった。宮は御同意をあそばすべくもない。こんな侮辱までも忍ばねばならぬかというお気持ちばかりが湧《わ》き上がるのであるから何を言うこともおできにならない。
「あまりに少女《おとめ》らしいではありませんか。思い余る心から、しいてここまで参ってしまったことは失礼に違いございませんが、これ以上のことをお許しがなくてしようとは存じておりません。この恋に私はどれだけ煩悶《はんもん》に煩悶を重ねてきたでしょう。私が隠しておりましても自然お目にとまっているはずなのですが、しいて冷たくお扱いになるものですから、私としてはこのほかにいたしようがないではございませんか。思いやりのない行動として御反感をお招きしても、片思いの苦しさだけは聞いていただきたいと思います。それだけです。御冷淡な御様子はお恨めしく思いますが、もったいないあなた様なのですから、決して、決して」
 と言って、大将はしいて同情深いふうを見せていた。あるところまでよりしまらぬ襖子《からかみ》を宮がおさえておいでになるのは、これほど薄弱な防禦《ぼうぎょ》もないわけなのであるが、それをしいてあけようとも大将はしないのである。
「これだけで私の熱情が拒めると思召《おぼしめ》すのが気の毒ですよ」
 と笑っていたが、やがておそばへ近づいた。しかも御意志を尊重して無理はあえてできない大将であった。宮はなつかしい、柔らかみのある、貴女《きじょ》らしい艶《えん》なところを十分に備えておいでになった。続いてあそばされたお物思いのせいかほっそりと痩《や》せておいでになるのが、お召し物越しに接触している大将によく感ぜられるのである。しめやかな薫香《くんこう》の匂《にお》いに深く包まれておいでになることも、柔らかに大将の官能を刺激《しげき》する、きわめて上品な可憐《かれん》さのある方であった。
 吹く風が人を心細くさせる山の夜ふけになり、虫の声も鹿《しか》の啼《な》くのも滝の音も入り混じって艶《えん》な気分をつくるのであるから、ただあさはかな人間でも秋の哀れ、山の哀れに目をさまして身にしむ思いを知るであろうと思われる山荘に、格子もおろさぬままで落ち方になった月のさし入る光も大将の心に悲しみを覚えさせた。
「まだ私の心持ちを御理解くださらないのを拝見しますと、私はかえってあなた様に失望いたしますよ。こんなに愚かしいまでに自己を抑制することのできる男はほかにないだろうと思うのですが、御信用くださらないのですか。何をいたしても責任感を持たぬ種類の男には、私のようなのをばかな態度だとして、直ちに同情もなく力で解決をはかってしまうのです。あまりに私の恋の価値を軽く御覧になりますから、知らず知らず私も危険性がはぐくまれてゆく気がいたします。男性とはどんなものかを過去にまだご存じでなかったあなた様でもないでしょう」
 こう責められておいでになる宮は、どう返辞をしてよいかと苦しく思っておいでになる。もう処女でないからということを言葉にほのめかされるのを残念に宮はお思いになった。薄命とは自分のような女性をいうのであろうともお悲しまれになって、大将のいどんで来るのを死ぬほど苦しく思召された。
「私のこれまでの運命はどんなにまずいものでございましても、それだからといって、これを肯定しなければならないとは思われない」
 と、ほのかに可憐な泣き声をお立てになって、

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われのみや浮き世を知れるためしにて濡《ぬ》れ添ふ袖《そで》の名を朽《く》たすべき
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 ほかへお言いになるともなくお言いになったのを、大将がさらに自身の口にのせて歌うのさえ宮は苦痛にお思いになった。
「誤解をお受けしやすいようなことを私が申したものですから」
 などと言って、微笑するふうで、

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「おほかたはわが濡れ衣をきせずとも朽ちにし袖の名やは隠るる
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 もうしかたがないと思召してくだすったらどうですか」
 こう言って、月の光のあるほうへいっしょに出ようと大将はお勧めするのであるが、宮はじっと冷淡にしておいでになるのを、大将はぞうさなくお引き寄せして、
「安価な恋愛でなく、最も高い清い恋をする私であることをお認めになって、御安心なすってください。お許しなしに決して、無謀なことはいたしません」
 こうきっぱりとしたことを大将が言っているうちに明け方に近くもなった。澄み切った月の、霧にも紛れぬ光がさし込んできた。短い庇《ひさし》の山荘の軒は空をたくさんに座敷へ入れて、月の顔と向かい合っているようなのが恥ずかしくて、その光から隠れるように紛らしておいでになる宮の御様子が非常に艶《えん》であった。故人の話も少ししだして、閑雅な態度で大将は語っているのであった。しかもその中で故人に対してよりも劣ったお取り扱いを恨めしがった。宮のお心の中でも、故人はこの人に比べて低い地位にいた人であるが、院も御息所《みやすどころ》も御同意のもとでお嫁《とつ》がせになって自分はその人の妻になったのである、その良人《おっと》すら自分に対していだいていた愛はいささかなものであった、ましてこうしてあるまじい恋に堕《お》ちては、しかも知らぬ中でなく、故人の妹を妻に持つこの人との名が立っては、太政大臣家ではどう自分を不快に思うことであろう、世間で譏《そし》られることも想像されるが、それよりも院がお聞きになってどう思召すであろう、必ずお悲しみあそばすであろうなどと、切り離すことのできぬ関係の所々のことをお考えになると、このことが非常に情けなくお思われになって、自分はやましいところもなく、大将の情人では断じてなくとも噂《うわさ》はどんなふうに立てられることか、御息所が少しも関与しておいでにならぬことが子として罪であるように思召され、こんなことをあとでお聞きになり、幼稚な心からときがたい誤解の原因を作ったとお言いになろうこともわびしく御想像あそばされる宮は、
「せめて朝までおいでにならずにお帰りなさい」
 と大将をお促しになるよりほかのことはおできにならないのである。
「悲しいことですね。恋の成り立った人のように分けて出なければならない草葉の露に対してすら私は恥ずかしいではありませんか。ではお言葉どおりにいたしますから、私の誠意だけはおくみとりください。馬鹿正直に仰せどおりにして帰ります私に、若し、上手《じょうず》に追いやってしまったのだというふうを今後お見せになることがありましたなら、その時にはもう自制の力をなくして情熱のなすがままに自分をまかせなければならなくなることと思いますよ」
 大将は心残りを多く覚えるのであるが、放縦な男のような行為は、言っているごとく過去にも経験したことがなく、またできない人であって、恋人の宮のためにもおかわいそうなことであり、自分自身の思い出にも不快さの残ることであろうなどと思って、自他のために人目を避ける必要を感じ、深い霧に隠れて去って行こうとしたが、魂がもはや空虚《うつろ》になったような気持ちであった。

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「萩原《はぎはら》や軒端《のきば》の露にそぼちつつ八重立つ霧を分けぞ行くべき
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 あなたも濡衣《ぬれぎぬ》をお乾《ほ》しになれないでしょう。それも無情に私をお追いになった報いとお思いになるほかはないでしょう」
 と大将が言った。そのとおりである。名はどうしても立つであろうが、自分自身をせめてやましくないものにしておきたいと思召す心から、宮は冷ややかな態度をお示しになって、

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「わけ行かん草葉の露をかごとにてなほ濡衣をかけんとや思ふ
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 ひどい目に私をおあわせになるのですね」
 と批難をあそばすのが、非常に美しいことにも、貴女らしいふうにもお見えになった。今まで古い情誼《じょうぎ》を忘れない親切な男になりすまして、好意を見せ続けて来た態度を一変して好色漢になってしまうことが宮にお気の毒でもあり、自身にも恥ずかしいと、大将は心に燃え上がるものをおさえていたが、またあまり過ぎた謙抑《けんよく》は取り返しのつかぬ後悔を招くことではないかともいろいろに煩悶《はんもん》をしながら帰って行くのであった。深い山里の朝露は冷たかった。夫人がこの濡れ姿を見とがめることを恐れて大将は家へは帰らずに六条院の東の花散里《はなちるさと》夫人の住居《すまい》へ行った。まだ朝霧は晴れなかった。町でもこんなのであるから、小野の山荘の人はどんなに寂しい霧を眺めておいでになるであろうと大将は思いやった。
「珍しくお忍び歩きをなさいましたのですよ」
 と女房たちはささやいていた。
 夕霧の大将はしばらく休息をしてから衣服を脱ぎかえた。平生からこの人の夏物、冬物を幾|襲《かさね》となく作って用意してある養母であったから、香の唐櫃《からびつ》からすぐに品々が選び出されたのである。朝の粥《かゆ》を食べたりしたあとで夫人の居間へ夕霧ははいって行った。夕霧はそこから小野へ手紙をお送りした。
 山荘の宮は予想もあそばさなかった、にわかな変わった態度を男のとり出した昨夜《ゆうべ》のことで、無礼なとも、恥を見せたともお思いになることで夕霧への御反感が強かった。御息所の耳へはいることがあったならと羞恥《しゅうち》をお覚えになるのであるが、またそんなことがあったとは少しも御息所が知らずにいて、不意に何かのことから気のついた時に、隔て心があるように思われるのも苦しい、女房がありのままを話すことによって母を悲しませることがあってもやむをえないと宮はおあきらめになるよりほかはなかった。親子と申してもこれほど親しみ合う仲は少ない母と御子なのである。世間に噂の立っていることも親にはなお秘密にしておくことがよく昔の小説などにはあるが、宮にそれはおできになれないことであった。女房たちは昨夜《ゆうべ》のことを御息所が片端だけ聞いてもほんとうにあやまちが起こったことのように歎かれるのであろうから、今はまだそうした思いをさせる必要はないと相談をしていながらも、まだどの程度の関係にまで進んだのか進まなかったのかに疑問を持っていて、今来た大将の手紙が真相を説明してくれるであろうと思う好奇心から、宮がお読みになる時に盗み見をしたいと願っているのであるが、宮はお開きになろうともあそばされないのに気を揉《も》んで、
「全然御返事をあそばさないことも、たよりない御性質のように想像をなさることでもございましょうし、お若々し過ぎることでもございます」
 などと言って、大将の手紙を拡《ひろ》げると、
「思いがけないことで、たとえあれだけのことにもせよ男の人を接近させたことは、皆私自身の軽率から起こした過失だとは思うがね、思いやりのないことをした人を、私の憎む心がまだ直らないのだから、読まなかったと言ってやるがいい」
 と不機嫌《ふきげん》に仰せられて宮は横になっておしまいになった。夕霧の手紙は宮の御迷惑になるようなことを避けて書かれたものであった。

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たましひをつれなき袖にとどめおきてわが心から惑はるるかな

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「ほかなるものは」(身を捨てていにやしにけん思ふよりほかなるものは心なりけり)と歌われておりますから、昔もすでに私ほど苦しんだ人があったと思いまして、みずからを慰めようとはいたすにもかかわらずなお魂は身に添いません。
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 こんなことが長く書かれてあるようであったが、女房も細かに読むことは遠慮されてできないのである。事の成り立ったのちに書かれた文《ふみ》ではないようであるとは見ながらも、なお疑いを消してはいなかった。女房たちは宮の御気分のすぐれぬことを歎《なげ》きながら、
「昨晩のことがまだ不可解なことに思われます。非常に御親切だということは長い間に私どももお認めしている方ですけれど、良人《おっと》という御関係におなりになった時と、熱のある友情期間とが同じでありうるでしょうかどうかが心配ですよ」
 などと言い、親しく宮にお仕えしている女房たちもこのことに重い関心をもって宮のためにお案じ申し上げているのであった。御息所はまだこのことを少しも知らずにいた。
 物怪に煩っている病人は重態に見えるかと思うと、またたちまちに軽快らしくなることもあって、平常に近い気分になっていたこの日の昼ごろに、日中の加持が終わり、律師一人だけが病床に近くいて陀羅尼《だらに》経を読んでいた。病人の苦痛のやや去ったことを律師は喜んで、祈りの終わりに、
「大日如来が嘘《うそ》を仰せられたのでなければ、私が熱誠をこめて行なう修法に効果の見えぬわけはありません。悪霊は執拗《しつよう》であっても、それは業《ごう》にまとわれたつまらぬ亡者《もうじゃ》ではありませんか」
 と太い枯れ声で言っていた。俗離れのした強い性格の律師で、突然、
「あ、左大将はいつごろから宮様の所へ通って来ておいでになりますか」
 と問うた。
「そんなことはありません、亡《な》くなられた大納言の親友でしたから、あの方が遺言して宮様のことも頼んでお置きになったものですから、その約束をお守りになって、それ以来親切によく訪《たず》ねて来てくださることが、もう何年も続いています。そんなお交際《つきあい》の仲なのですが、この遠い所まで私の病気を見舞いに来てくださいましたそうですから、恐縮して私は聞いておりましたよ」
 御息所《みやすどころ》の答えはこうであった。
「とんでもない。私に隠しだてをなさる必要はない。今朝《けさ》後夜《ごや》の勤めにこちらへ参った時に、あちらの西の妻戸からりっぱな若い方が出ておいでになったのを、霧が深くて私にはよく顔が見えませんじゃったが、弟子《でし》どもは左大将が帰って行かれるのじゃ、昨夜《ゆうべ》も車をお返しになってお泊まりになったのを見たと口々に言っておりました。そうだろうと私もうなずかれました。よい匂《にお》いのする方じゃからな。しかしこの御関係は結構なことじゃありませんなあ。あちらがりっぱな方であることに異議はないが、しかしどうも賛成ができん。子供でいられたころからあの方の御|祈祷《きとう》は御祖母の宮様から私が命ぜられていたものじゃから、今も何かといっては私に頼まれるのですがな、そのことはよくありませんな。奥さんの勢力が強くてしかたがない。盛んな一族が背景になっていますからな。お子さんはもう七、八人もできているでしょう。こちらの宮様がそれにお勝ちになることはできないでしょうな。また一方から言えば女という罪障の深いものに生まれて、救いのない長夜の闇《やみ》に迷うのもこうした関係から生じる煩悩《ぼんのう》が原因になり、恐ろしい報いを受けることになりますからな、長い絆《きずな》が付きまとわることですからな、絶対によろしくないことじゃ」
 律師は頭を振り立てながら、興奮して乱暴なことも言うのである。
「私には腑《ふ》に落ちないことですよ。そんな様子などは少しもお見せにならなかった方ですもの、昨日は私があまり苦しんでいたものですから、しばらく休息をしてからまた話そうとお言いになって、あちらにいらっしゃると女房たちは言っていましたが、そんなふうで夜明けまでおいでになったのでしょう。至極まじめな堅い方をそんなふうに言う人があるのはよくありません」
 と御息所はなお不審をいだくふうを僧に見せながらも、心のうちではそんなことがあったのかもしれない、宮を恋しくお思いする様子はおりおり見えたが、りっぱな人格のある人は人の批難の種になるようなことは避けて、まじめな友情だけを見せていたために、危険はないものとして自分は油断をしていたが、おそばに人も少ないのを見てお居間へはいるようなこともしたのではないかと思われもした。律師が立って行ったあとで、小《こ》少将を呼んで、こうこうしたことを聞いたとまず御息所は言った。
「ほんとうのことはどれほどのことだったのかね。なぜ私にくわしく報告してくれなかったの。人の言うようなことは決してあるまいとは思っていても私の心は不安でならない」
 聞く御息所に気の毒な思いをしながらも、小少将は昨日のことを初めからくわしく話した。今朝の手紙の内容、宮がその時にお洩《も》らしになった言葉なども言って、
「ながくおさえ続けておいでになりました心を、お知らせなさろうというだけのことだったかと存じます。宮様への敬意をお失いになるようなことはございませんで、御迷惑とお考えになって朝まではおいでになられませんで早く出てお行きになりましたのを、ほかの人はどんなふうに申し上げたのでしょう」
 と、律師とは知らずに、ほかに密告した女房があったのだと小少将は思って言った。御息所は何も言わずに、残念そうな表情をしていたが涙がほろほろとこぼれ出した。見ていて小少将は気の毒で、なぜありのままのことを言ったのだろう、病気の上に御息所は煩悶《はんもん》をして、どんなに堪えがたいことであろうと悔いた。
「襖子《からかみ》はしめたままでございました」
 などと、今になって、少しでもよいように取りなそうと努めるのであったが、そんなことはどうでも、なぜそんなに近くへ男の寄って来るようなことを宮がおさせになったかと思うと悲しい。やましいところはおありにならなくても、さっき聞いたようなことを言って騒いでいる律師の弟子たちは、宮様のためにこれは不利であると思って隠すようなことをするはずもない、どう人に言いわけをすればいいことかわからない、絶対にないことと打ち消すことはしなければなるまい、何にしても心の幼稚な女房ばかりがお付きしていてとも思う心を御息所は口へ出しては言えなかった。病気が重い上に大きい衝動を受けたのであったからこの人はいたましいほどにも苦しんだ。神聖な方としてお守《も》り立てしていきたかった宮様も、世間の女並みに浮き名を立てられておしまいになることがもってのほかに思われてならなかった。
「今日のような私の気分の少しよい間に、宮様がこちらへおいでくださるように申し上げなさい。あちらへ伺うはずだけれど動けそうではないのだからね。ずいぶんながくお目にかからない気がする」
 御息所は目に涙を浮かべてこう言っているのであった。
 小少将は宮のお居間へ帰って、御息所の最後の言葉だけをお伝えした。宮は母君の所へ行こうとあそばされて、額髪の涙でかたまったのをお直しになり、お召し物の綻《ほころ》んでいた単衣《ひとえ》をお着かえになっても、お気が進まないでじっとすわっておいでになるのであった。この女房たちもどう自分を見ているのであろう、御息所も今は何もお知りにならないで、あとで少しでも昨夜のことをお聞きになることがあったなら、素知らぬ顔をしていたと今日の自分が思われることであろうとお考えになると、非常に恥ずかしくおなりになり、宮はまた横になっておしまいになって、
「私はどうも気分がよくない。このまま病気になって死んでしまうのはいいことだけれどね、脚《あし》からのぼせ上がってきたようだから」
 とお言いになり、宮は脚をお揉《も》ませになった。あまり物思いをあそばすためにおのぼせになったのである。
「御息所に昨晩のことをほのめかしてお話しした人があったのでございますよ。ほんとうのことが聞きたいとお言いになるものでございますから、正直にお話しいたしましたが、お襖子《からかみ》のことだけは少し誇張をいたしまして、しまいまで皆はあいたのでないように申し上げておきましたから、もしくわしいお話を聞こうとなさいましたら、私のと同じようにおっしゃってくださいまし」
 こう小少将が言った。御息所が悲しんでいることは申さない。宮はそれでお呼びになったのであると、いっそう侘《わび》しい気におなりになり、何も仰せられなかったが、お枕《まくら》から雫《しずく》が落ちていた。この問題だけではなく、自分の意志でなくした結婚からこの方、母に物思いばかりをさせる自分であると、宮は子としてのかいのないことを悲しんでおいでになって、あの大将もこのままで心をひるがえすことはせずに、いろいろと自分を苦しめるであろうことが煩わしい、それについて立つ噂《うわさ》もあろうと御|煩悶《はんもん》をあそばした。弁明することのできない弱い女の自分は、無根のことでどんなに悪名をきせられることになるのであろうと、穢《けが》れのない自信は持っておいでになるのであるが、皇女に生まれた者があれほど異性と近くいて夜の何時間かを過ごしたというようなことはありうることでなく、あってよいわけのものでもないとお思いになることで、御自身の運命がお悲しまれになり、憂鬱《ゆううつ》にされておいでになったが、夕方にまた、
「ぜひおいでなさいますように」
 と、御息所のほうから言って来たので、間にある座敷倉の戸を、向こうとこちらと両方であけて宮は御息所の東の病室へおいでになった。
 病苦がありながらも御息所はうやうやしく宮をお取り扱いした。平生の作法どおりに起き上がってもいた。
「だらしなくいたしているのでございますから、お迎えいたしますことも心が引けてなりません。ただ二、三日だけお目にかからなかったのでございますのを、何年もお逢《あ》いすることのできなかったほど寂しく思われますのも味気ないことでございます。親子の縁では未来で必然的にお逢いできますともきまらないのでございますからね。もう一度生まれてまいりましてもだめなのでございますのに、考えますれば瞬間で永遠の別れになりますわれわれがあまりに愛し過ぎて暮らしましたのが、後悔いたされます」
 などと、御息所は泣くのであった。宮もいろいろなことがお心にあってお悲しい時で、何もお言いになることができずに、ただ母君の顔をながめておいでになった。非常にお内気で思うことをはきはきとお告げになることもおできにならずに、恥ずかしいお様子ばかりのお見えになるのがおかわいそうで、御息所は昨日のことをお尋ねすることもできない。灯《ひ》を早くつけさせてお夕食などもこちらで差し上げさせることに御息所はした。今朝から何も召し上がらないことを御息所は聞いて、ある物は自身で料理をし変えさせることを命じまでしてお勧めするのであるが、宮は御|箸《はし》をお触れになる気にもおなりになれなかった。ただ母君の容体がよさそうである点だけで少しの慰めを得ておいでになった。
 夕霧の大将からまた手紙が来た。事情を知らない女房が使いから受け取って、
「大将さんから少将さんにというお手紙がまいりました」
 と、この座敷で披露《ひろう》したことは、宮のお心をさらに苦しくさせたことであった。少将はすぐにそれを手もとへ取ってしまった。
「どんなお手紙」
 と、今までそのことに一言も触れなかった御息所も問うた。反抗的になっていた御息所の心も、何時間かのうちに弱くなり、人知れず大将の今夜の来訪を待っていたのであるから、手紙が来るのは自身で来ぬことであろうと胸が騒いだのである。
「およこしになった手紙のお返事はなさいまし、しかたがございません。一度立てた名を取り消すような評判はだれがしてくれましょう。きれいな御自信はおありになっても、だれがそれを認めてくれましょう。素直にお返事もあそばして、冷淡になさらないほうがよろしゅうございます。わがままな性格だと思われてはなりません」
 と宮に申し上げて、御息所《みやすどころ》は手紙を少将から受け取ろうとした。少将は心に当惑をしながらも渡すよりほかはなかった。
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冷ややかなお心を知りましたことによってかえっておさえがたいものに私の恋はなっていきそうです。

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せくからに浅くぞ見えん山河《やまかは》の流れての名をつつみはてずば
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 まだいろいろに書かれてある手紙であったが、御息所は終わりまでを読まなかった。この手紙も宮との関係を明瞭《めいりょう》に説明したものでなくて恋人の冷ややかであったことにこうして酬《むく》いるというように、今夜も来ない大将の態度を御息所は悲しんだ。柏木《かしわぎ》が宮にお持ちする愛情のこまやかでないのを知った時に、御息所は悲観したものであるが、ただ一人の妻として形式的には鄭重《ていちょう》をきわめたお取り扱いを故人がしたことで、強みのある気がして慰められはした。それでも心から御息所は宮が御幸福におなりになったとは思わなかった。それさえもそうであったのに、今度のことは何たる悲しいことであろう。太政大臣家での取り沙汰《ざた》は想像するだにいやであると御息所は思うのである。なおどう大将が言ってくるかと見たい心から、非常に苦しい身体《からだ》の調子であるのを忍んで、目を無理にあけるようにもして書いた力のない、鳥の足跡のような字で返事をするのであった。
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もう私はなおる見込みもなくなりました。宮様はただ今こちらへ見舞いに来ておいでになるのでございまして、お勧めをしてみましたが、めいったふうになっておいでになりまして、お返事もお書けにならないようでございますから、私が見かねまして、

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女郎花《をみなへし》萎《しを》るる野辺をいづくとて一夜ばかりの宿を借りけん
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 こう書きさしただけで紙を巻いて出した。そのまままた病床に横たわった御息所ははなはだしく苦しみだした。物怪《もののけ》が油断をさせようと一時的に軽快ならしめていたのかと女房たちは騒ぎだした。効験のいちじるしい僧が皆呼び集められて、病室は混雑していた。あちらへお帰りになるように女房たちはお勧めするのであるが、宮は御自身をお悲しみになる心から、いっしょに死のうと思召して母君からお離れにならないのであった。
 夕霧はこの日の昼ごろから三条の家にいた。今夜また小野の山荘へ行くことは、まだない事実をあることらしく人に思わせるだけで、自分のためにはよい結果をもたらすことでないと行きたい心をしいておさえることに努力していたが、これまで恋しくお思いしていたことは物の数でもないほどに昨日からにわかに千倍した恋に苦しむ大将であった。夫人は山荘の昨日の訪問の様子をほかから聞き出して不快がっていたのであるが、知らぬ顔をして子供の相手をしながら自身の昼の居間のほうで横になっていた。
 八時過ぎに小野の山荘で書いた御息所の返事は大将の所へ持って来られたのであるが、大病人の書いた鳥の跡は一度見たのではわかりにくい。夕霧が灯《ひ》を近くへ持って来させてさらに丁寧に読もうとしている時に、あちらにいたのであるが夫人はそれを見つけて、そっと寄って来て後ろから奪ってしまった。夕霧はあきれて、
「どうするのですか。けしからんじゃありませんか。六条の東のお母様のお手紙ですよ。今朝から風邪《かぜ》でお悪かったから、院の御殿へ伺ったままでこちらへ帰って来て、もう一度お訪《たず》ねすることをしなかったのがお気の毒だったから、御様子を聞く手紙を持たせてやったのじゃありませんか。御覧なさい、恋の手紙というような書き方ですか、これは。はしたない下品なことをするじゃありませんか。年月に添って私を侮《あなど》ることがひどくなるのは困ったものだ。女房たちがどう思うかを少しも考慮に入れないのですね」
 と言って歎息《たんそく》はしたが、惜しそうにしてしいて夫人の手から取り上げることはしなかったから、雲井《くもい》の雁《かり》夫人もさすがにこの場で読むこともできずにじっと持っていた。
「年月に添って侮るなどとは、あなた御自身がそうでいらっしゃるから、私のことまでも臆測《おくそく》なさるのよ」
 夫人は良人《おっと》があまりにまじめな顔をしているのに気おくれがして、若々しく甘えてみせた。夕霧は笑って、
「それはどちらのことでもいい。世間のどこにもあることだからね。けれどもこれだけはほかにないことですよ。相当な身分の男がただ一人の妻を愛して、何かに怖《おそ》れている鷹《たか》のように、じっと一所を見守っているようなのに似た私を、どんなに人が笑っていることだろう。そんな偏屈な男に愛されていることはあなたにとっても名誉じゃありませんよ。おおぜいの妻妾《さいしょう》の中ですぐれて愛される人は、見ない人までもが尊敬を寄せるものだし、自分でも始終緊張していることができて、若々しい血はなくならないであろうし、真の生きがいを感じることが多いだろうと思われる。私のように、昔の何かの小説にある老いぼれの良人のようにあなた一人をただ夢中に愛しているようなことはあなたのために結構なことではありませんよ。そんなことはあなたが世間からはなやかに見られることでは少しもないからね」
 夕霧は小野の手紙をいざこざなしに取ってしまいたい心から妻を欺くと、夫人は派手《はで》に笑って、
「はなやかなことをあなたがしようとしていらっしゃるから、古いじみな女の私が一方で苦しんでいるのですよ。にわかにすっかりまじめでなくおなりになったのですもの、私にはそうした習慣がついていないのですから苦しくてなりません。初めからそうしておいでになればよかったのよ」
 と恨めしがる妻も憎くはなかった。
「にわかにとあなたが思うようなことが私のどこにあるのですか、あなたは疑い深いのですね。私を中傷する人があるのでしょう。そうした人たちは初めから私に敵意を見せていたものだ。浅葱《あさぎ》の色の位階服が軽蔑《けいべつ》すべきであった私を、今だってあなたの良人にさせておくのが残念で、何かほかの考えを持っている者などがあって、いろんなない噂《うわさ》をあなたに聞かせるのだろう。一方で私のためにそうした濡衣《ぬれぎぬ》を着せられておいでになる方もお気の毒なものだ」
 などと言いながらも夕霧は、女二《にょに》の宮《みや》の御良人となることも堅く期しているのであるから、深く弁明はしようとしないのであった。乳母《めのと》の大輔《たゆう》は気術《きじゅつ》ながって何も言おうとしなかった。なお夫人は奪った手紙を返そうとはせずにどこかへ隠してしまった。夕霧は無理に取り返そうとはせずに、冷静に見せて寝についたのであるが、動悸《どうき》ばかり高く打ってならなかった。どうかして取り返したい、御息所の手紙らしい、どんな内容なのであろうと思うと眠ることもできないのである。夫人が寝入ってしまったので、宵《よい》にいた所の敷き物の下などをさりげなく大将は捜すのであるが見つからなかった。深く隠すだけの時間のなかったのを思うと、近い所に置かれてあるに違いないと思うのに見つけられないのが歯がゆくて、悩ましい気持ちになり、夜が明けてもなお起きようとしなかった。夫人は子供に起こされて寝所からいざって出る時に、夕霧も今目をさましたふうに半身を起こして、昨夜の手紙をまたも捜そうとするのであったが、見つけることは不可能であった。夫人は良人《おっと》がそんなふうにほしがらぬ手紙はやはり恋の消息ではなかったのであろうと思って、もう気にもかからなかった。子供がそばで騒ぎまわったり、やや大きい子が人形を作って遊んだり、本を読んだり、手習いをしたりするのをいちいち見てやらねばならぬ忙しい時にも、また一人の小さい子が後ろから這《は》いかかって来てつかまり立ちをしようとするような、母であるための繁忙に追われて、夫人はもう奪った手紙のことなどは忘れ切っていた。男は他のことはいっさい思われないほど手紙がほしかった。小野へ今朝早く消息をしたいと思うのであるが、昨夜の手紙に書かれてあったことをよく見なかったのであるから、それに触れずに手紙を書いては、先方のものをそまつに取り扱って散らせてしまったことが知れてまずいことになると煩悶をしていた。夫婦も子供たちも食事を済ませてのどかになった昼ごろに、大将は思いあまって夫人に言うのであった。
「昨夜のお手紙には何と書いてあったのですか。ばかなことを言ってあなたが見せてくれないものだから、今日もこれからお見舞いをしなければならないのに困ってしまう。私は気分が悪くて今日は六条へも行きたくないから、手紙で言ってあげなければならないのだが、昨日のことがわからないでは不都合だから」
 夕霧の様子はきわめてさりげないものであったから、手紙を隠した自身の所作が、むだなことをしたものであると思うと、急に恥ずかしくなったが、それは言わずに、
「先夜の山風に身体《からだ》を悪くいたしましたからとお言いわけをなさればいいじゃありませんか」
 と言った。
「つまらんことばかり言うのですね。何もおもしろくないじゃありませんか。私が世間並みの男のように言われるのを聞くとかえってきまりが悪くなりますよ。女房たちなども不思議な堅い男を疑うあなたを笑うだろうに」
 冗談《じょうだん》にして、また、
「昨夜《ゆうべ》の手紙はどこ」
 と言ったが、なおすぐに取り出そうとは夫人のしないままで、ほかの話などをしてしばらく寝ていたが、そのうちに日が暮れた。蜩《ひぐらし》の声に驚いて目をさました大将は、この時刻に山荘の庭を霧がどんなに深くふさいでいることであろう、情けないことである、今日のうちに昨日の手紙の返事をすら自分は送ることができなかったのであると思って、何でもないふうに硯《すずり》の墨をすりながら、どんなふうに書いて送ったものであろうと歎息《たんそく》をして一所を見つめていた目に敷き畳の奥のほうの少し上がっている所を発見した。試みにそこを上げてみると、昨日の手紙は下にはさまれてあった。うれしくも思われまたばかばかしくも夕霧は思った。微笑をしながら読んでみると、それは苦しい複雑な心を重態の病人が伝えているものであったから、大将の鼓動は急に高くなって、自分がしいて結合を遂げたものとして書かれてあると思うと気の毒で心苦しくて、第二の夜の昨夜に自分の行かなかったことでどんなに御息所《みやすどころ》は煩悶《はんもん》したことであろう、今日さえまだ手紙が送ってないということは、新婚の良人《おっと》としていえばきわめて無情な態度である。露骨に言わずに自分の行くのを促してある消息を受けていながら、自分を待ちつけることがしまいまでできずに今朝になったのであったかと思うと、大将は妻が恨めしくも憎くも思われた。無法なことをして大事な手紙を隠させるようなしぐさも皆自分がつけさせたわがままな癖であると思うと、自分自身にすら反感を覚えて泣きたい気がした。これからすぐに行こうと夕霧は思うのであったが、たやすく宮は逢《あ》おうとなされないであろうということは予想されることであったし、妻はこうして昨日から嫉妬《しっと》をし続けているのであるし、それに今日が坎日《かんにち》にあたることはもし宮のお心が解けた場合を考えると、永久に幸福を得なければならぬ結婚の最初に避けなければならぬことでもあるからと、まじめな性格からは、恋しい方との将来に不安がないように慎重に事をすべきであると考えられて、行くことはおいて、まず御息所への返事を書いた。
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珍しいお手紙を拝見いたしましたことは、御病気をお案じ申し上げるほうから申しても非常にうれしいことでしたが、おとがめを受けましたことにつきましては何かお聞き違えになったのではないかと思われるのでございます。

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秋の野の草の繁みは分けしかど仮寝の枕《まくら》結びやはせし

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弁明をいたしますのもおかしゅうございますが、宮様に対して御想像なさいますような無礼を申し上げた私では決してございません。
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 という文《ふみ》である。宮へは長い手紙を書いた。そして夕霧は厩《うまや》の中の駿足《しゅんそく》の馬に鞍《くら》を置かせて、一昨夜の五位の男を小野へ使いに出すことにした。
「昨夜から六条院に御用があって行っていて、今帰ったばかりだと申してくれ」
 大将は山荘へ行ってからのことでなおいろいろに注意を与えた。
 小野の御息所は、昨夜は夕霧の来ないらしいことに気がもまれて、あとの評判になっては不名誉であろうこともはばかられずに、促すような手紙も書いたのに、その返事すら送られなかったことに失望をしていてそのまま次の今日さえも暮れてきたことに煩悶を多く覚えて、やや軽くなったふうであった容体がまた非常に険悪なものになってきた。かえって宮御自身は御息所の思い悩む点を何ともお思いになるわけはなくて、ただ異性の他人をあれほどまでも近づかせたことが残念に思われる自分であって、彼の愛の厚薄は念頭にも置いていないにもかかわらず、それを一大事として母君が煩悶していると、恥ずかしくも苦しくも思召されて、母君ながらそのことはお話しになることもできずに、ただ平生よりも羞恥《しゅうち》を多くお感じになるふうの見える宮を、御息所は心苦しく思い、この上にまた多くの苦労をお積みにならねばなるまいと、悲しさに胸のふさがる思いをした。
「今さらお小言《おこごと》らしいことは申したくないのでございますが、それも運命とは申しながら、異性に対する御認識が不足していましたために、人がどう批難をいたすかしれませんことが起こってしまいましたのですよ。それは取り返されることではございませんが、これからはそうしたことによく御注意をなさいませ。つまらぬ私でございますが、今までは御保護の役を勤めましたが、もうあなた様はいろいろな御経験をお積みになりまして、お一人立ちにおなりになりましても充分なように思って、私は安心していたのでございますよ。けれどまだ実際はそうした御幼稚らしいところがあって、隙《すき》をお見せになったのかと思いますと、御後見のために私はもう少し生きていたい気がいたします。普通の女でも貴族階級の人は再婚して二人めの良人《おっと》を持つことをあさはかなことに人は見ているのでございますからね、まして尊貴な内親王様であなたはいらっしゃるのでございますから、あそばすならすぐれた結婚をなさらなければならなかったのでございますが、以前の御縁組みの場合にも、私はあなた様の最上の御良人《ごりょうじん》とあの方を見ることができませんで、御賛成申さなかったのですが、前生のお約束事だったのでしょうか、院の陛下がお乗り気になりまして許容をあそばす御意志をあちらの大臣へまずもってお示しになったものですから、私一人が御反対をいたし続けるのもいかがかと思いまして、負けてしまいましたのですが、予想してすでに御幸福なように思われませんでしたことは皆そのとおりでお気の毒なあなた様にしてしまいましたことを、私自身の過失ではないのですが、天を仰いで歎息《たんそく》しておりました。その上また今度のことでございます。あの方のためにも、あなた様のためにも、これは世間が騒ぐはずのことですから、どんなに堪えがたい誹謗《ひぼう》の声を忍ばなければならぬかしれませんが、しかしそれはしいて忘れることにいたしましても、あの人の愛情さえ深ければながい月日のうちには見よいことにもなろうかと、私はしいて思おうとするのですが、まったく冷淡な人でございますね」
 と言い続けて御息所は泣くのであった。あった事実と独断してこう言うのを、御弁明あそばすこともおできにならない宮が、ただ泣いておいでになる御様子は、おおようで可憐《かれん》なものであった。御息所はじっと宮をながめながら、
「あなたはどこが人より悪いのでしょう。そんなことは絶対にない。何という運命でこうした御不幸な目にばかりおあいになるのだろう」
 などと言っているうちに御息所の容体は最悪なものになっていった。物怪《もののけ》などというものもこうした弱り目に暴虐をするものであるから、御息所の呼吸はにわかにとまって、身体《からだ》は冷え入るばかりになった。律師もあわてて願《がん》などを立て、祈祷《きとう》に大声を放っているのである。御仏《みほとけ》に約して、自身の生存する最後の時まで下山せず寺にこもると立てた堅い決心をひるがえして、この人を助けようとする自分の祈祷が効を奏せずに失敗して山へ帰るほど不名誉なことはなくて、その場合には御仏さえも恨むであろうことを言葉にして祈っているのである。宮が泣き惑うておいでになるのもごもっともなことに思われた。
 この騒ぎの中で、大将の消息が来たという者の声を、御息所はほのかに聞いてそれでは今夜も来ないのであろうと思った。情けないことである、こうした恥ずかしい名を宮はまたお受けになるのであろう、自分までがなぜ受け入れるふうな手紙などを書いてやったのであろうと悶《もだ》えるうちに御息所の命は終わった。悲しいことである。昔から物怪のためにたびたび大病をしてもうだめなように見えたこともおりおりあったのであるから、また物怪が一時的に絶息をさせたのかもしれぬと僧たちは加持《かじ》に力を入れたのであるが、今度はもう何の望みもなく終焉《しゅうえん》の体《てい》はいちじるしかった。宮はともに死にたいと思召す御様子でじっと母君の遺骸《いがい》に身を寄せておいでになった。女房たちがおそばに来て、
「もういたしかたがございません。そんなにお悲しみになりましても、お死にになった方がお帰りになるものでございません。お慕いになりましてもあなた様のお思いが通るものでもございません」
 とわかりきった生死の別れをお説きして、
「こうしておいであそばすことは非常によろしくないことでございます。お亡《かく》れになりました方をお迷わせすることになりますから、あちらへおいであそばせ」
 お引き立て申して行こうとするのであるが、宮のお身体《からだ》はすくんでしまって御自身の思召すようにもならないのであった。祈祷の壇をこわして僧たちは立ち去る用意をしていた。少数の者だけはあとへ残るであろうが、そうしたことも心細く思われた。ほうぼうから弔問の使いが来た。いつの間に知ったかと思われるほどである。夕霧の大将は非常に驚いてさっそく使いを立てた。六条院からも太政大臣家からも来た。ひっきりなしにそうした使いが来るのである。御寺《みてら》の院もお聞きになって、御愛情のこもったお手紙を宮へお書きになった。この御消息が参ったことによって、悲しみにおぼれておいでになった宮もはじめて頭《つむり》をお上げになったのであった。
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いつかから病気がだいぶ重いということは聞いていましたが、平生から弱い人だったために、つい怠って尋ねてあげることもしませんでした。故人の死をいたむことはむろんですが、あなたがどんなに悲しんでおられるだろうと、それを最も私は心苦しく思います。死はだれも免れないものであるからという道理を思って心を平静にしなさい。
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 とあった。宮は涙でお目もよく見えないのであるが、このお返事だけはお書きになった。平生からすぐに遺骸《いがい》は火葬にするようにと御息所《みやすどころ》は遺言してあったので、葬儀は今日のうちにすることになって、故人の甥《おい》の大和守《やまとのかみ》である人が万端の世話をしていた。亡骸《なきがら》だけでもせめて見ていたいと宮はお惜しみになるのであったが、そうしたところでしかたのないことであると皆が申し上げて、入棺などのことをしている騒ぎの最中に左大将は来た。
「今日弔問に行っておかないでは、あとは皆、そうしたことに私の携われない暦になっているから」
 などと、表面は言って、心の中では宮のお悲しみが悲しく想像され、少しでも早く小野へ行きたく思っているのに、
「そんなにまですぐにお駆けつけになるほどの御関係でもないではございませんか」
 と家従たちが諫《いさ》めるのを退けてしいて出て来たのである。しかも遠距離ですぐにも行き着くことのできない道は夕霧をますます悲しませたのであった。山荘は凄惨《せいさん》の気に満ちていた。最後の式の行なわれる所は仕切りで隠して人々は例の西の縁側のほうへ大将にまわってもらった。
 妻戸の前の縁側によりかかって夕霧は女房を呼び出したが、だれも皆平静な気持ちでいる者はないのである。大将が来たことで少し慰められるところがあって少将が応接に出た。夕霧も急にものは言えないのであった。すぐ泣くふうの人ではないのであるが、ここの悲しい空気に人々の様子も想像されて無常の世の道理も自身に近い人の上に実証されたことにひどく心を打たれているのである。ややしばらくして、
「少しおよろしいように伺ったものですから、安心していたのですが、何たることが起こったのでしょう。どんな悪夢でもさめる時はあるのですが、これはそうした希望も持てませんことを悲しく思います」
 と宮への御|挨拶《あいさつ》を申し入れた。御息所が煩悶《はんもん》していたことをお思いになって、大将が原因で免れがたい運命とはいえ母君はお亡《な》くなりになったとお思いになると、恨めしい因縁の人の弔問に宮はお返辞すらあそばさない。
「どう仰せられますと申し上げればよろしゅうございましょう。重いお身柄をお忘れになってすぐにこの遠い所をお弔《くや》みにおいでくださいました御好意を無視あそばすようなお扱いもあまりでございましょうから」
 女房が口々に言うと、
「いいかげんに言っておくがいい。何を何と言っていいか今はそんなこともわからない」
 宮がこう言って横になっておしまいになったのももっともなこの場合のことであったから、女房が、
「ただ今のところ宮様はお亡《かく》れになった方同然でいらっしゃいます。おいでくださいましたことは申し上げておきました」
 と夕霧へ言った。この人たちは涙にむせかえっているのであるから、
「何とも申し上げようのないことですから、私の心も少し落ち着き、宮様の御気分もお静まりになったころにまた参りましょう。どうしてそんな急変が来たのか、私はその理由だけを知りたい」
 と大将は女房に言った。露骨には言わないが少将は御息所の煩悶した一昼夜のことを少し夕霧に知らせて、
「そう申してまいればお恨み言になっていけません。今日は頭が混乱しておりまして間違ってお話し申し上げることがあるかもしれません。それでは宮様のお悲しみもいずれはおあきらめにならなければならないことでございますから、御気分のお落ち着きになりますころにまたおいでくださいまし」
 と言った。その人たちも気を顛倒《てんとう》させている様子を見ては、大将も言いたいことが口から出ない。
「私の心なども暗闇《まっくら》になったように思われるのですから、宮様としてはごもっともです。極力お慰め申し上げて、あなたがたの力で今後少しのお返事でもいただけるように計らってください」
 などと言いおいて、長い立ち話をしていることもさすがに出入りの人の多い今日の山荘では軽々しく見られることであろうとはばかって大将は帰ることにした。今夜のうちに済ませるために納棺その他のことを着々進行させている物音にも、盛大ならぬ葬儀の悲哀が感ぜられて、大将はこの近くにある自家の荘園から侍たちを招いて、いろいろな役を分担して助けることを命じていった。急なことであったから自然簡単で済ませることになった葬儀が、これによって外見をきわめてよくすることができるようになった。大和守《やまとのかみ》も、
「すべて殿様のありがたい御親切のおかげでございます」
 と感謝していた。
 母君を何も残らぬ無にしておしまいになったことで、宮は伏し転《まろ》んで悲しんでおいでになった。親は子にこのかたがたのような片時離れぬ習慣はつけておくべきでないと思い、宮のこの御状態を女房たちはまた歎き合った。大和守が葬儀の跡の始末を皆してから、
「こんなふうになさいまして、まだながく寂しい山荘においでになることは御無理です。いっそうお悲しみが紛れないことになりましょう」
 などと宮へ申し上げるのであったが、宮は母君の煙におなりになった場所にせめて近くいたいと思召《おぼしめ》す心から、このままここへ永住あそばすお考えを持っておいでになった。忌中だけこもっている僧たちは東の座敷からそちらの廊の座敷、下屋《しもや》までを使って、わずかな仕切りをして住んでいた。西の端の座敷を急ごしらえの居間にして宮はおいでになるのである。朝になることも夜になることも宮は忘れておいでになるうちに日がたって九月になった。山おろしが烈《はげ》しくなり、もう葉のない枝は防風林でも皆なくなった。寂しさの身にしむこの季節のことであるから、空の色にも悲しみが誘われて、宮は歎《なげ》きを続けておいでになる。命さえも思うどおりにならぬと悲しんでおいでになるのであった。女房たちも二重三重に悲しみをするばかりである。夕霧からは毎日のようにお見舞いの手紙が送られた。寂しい念仏僧を喜ばせるに足るような物もしばしば贈られた。宮へは真心の見える手紙を次々にお送りして、自分の恋に対して御冷淡である恨みを語るほかには、今も御息所の死を悲しむ真情を言い続けた消息であった。しかも宮はそれらを手に取ってながめようともあそばさないのである。あのいまわしかった事件を、衰弱しきった病体で御息所は確かに悲しみもだえて死んだことをお思いになると、そのことが母君の後世《ごせ》の妨げにもなったような気があそばされて、悲しさが胸に詰まるほどにも思召されるのであるから、大将に触れたことを言うと、その人を恨めしく思召してお泣きになるのを見て、女房たちも手の出しようがないのである。一行のお返事さえ得られないのを、初めの間は悲しみにおぼれておいでになるからであろうと大将は解釈していたが、今に至るも同じことであるのを見ては、どんな悲しみにも際限はあるはずであるのに、今になってもまだ自分の音信《たより》に取り合わぬ態度をお続けになるのはどうしたことであろう、あまりに人情がおわかりにならぬと恨めしがるようになった。関係もないことをただ文学的につづり、花とか蝶《ちょう》とか言っているのであったなら、冷眼に御覧になることもやむをえないことであるが、自身の悲しいことに同情して音信《たより》をする人には、親しみを覚えていただけるわけではないか、祖母の大宮がお亡《かく》れになって、自分が非常に悲しんでいる時に、太政大臣はそれほどにも思わないで、だれも経験しなければならぬ尊親の死であるというふうに見ていて、儀式がかったことだけを派手《はで》に行なって万事|了《おわ》るという様子であったのに、自分は反感を感じたものだし、かえって昔の婿でおありになった六条院が懇切に身を入れてあとの仏事のことなどをいろいろとあそばされたのに感激したものである。これは自分の父であるというだけで思ったことではない、その時に故人の柏木《かしわぎ》が自分は好きになったのである。静かな性質で人情のよくわかる彼は、自分と同じように祖母の宮の死を深く悲しんでいたのに心を惹《ひ》かれたものであった。この宮は何という感受性の乏しいお心なのであろうと、こんなことを毎日思い続けていた。夫人は山荘の宮と大将の関係はどうなっていたのであろう、御息所とは始終手紙の往復をしていたようであるがと腑《ふ》に落ちず思って、夕方空にながめ入って物思いをしている良人《おっと》の所へ、若君に短い手紙を持たせてやった。ちょっとした紙の端なのである。

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哀れをもいかに知りてか慰めん在《あ》るや恋しき無きや悲しき

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どちらだか私にはわからないのですから。
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 夕霧は微笑しながら嫉妬《しっと》が夫人にいろいろなことを言わせるものであると思った。御息所を対象にしていたろうとはあまりにも不似合いな忖度《そんたく》であると思ったのである。すぐに返事を書いたが、それは実際問題を避けた無事なものである。

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何《いづ》れとも分きて眺《なが》めん消えかへる露も草葉の上と見ぬ世に

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人生のことがことごとく悲しい。
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 まだこんなふうに隠しだてをされるのであるかと、人生の悲しみはさしおいて夫人は歎《なげ》いた。

夕霧一 版本说明

底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
   1994(平成6)年6月15日39版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年1月15日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:柳沢成雄
2003年5月16日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

40 夕霧二

[#地から3字上げ]帰りこし都の家に音無しの滝はおちね
[#地から3字上げ]ど涙流るる        (晶子)

 恋しさのおさえられない大将はまたも小野《おの》の山荘に宮をお訪《たず》ねしようとした。四十九日の忌《いみ》も過ごしてから静かに事の運ぶようにするのがいいのであるとも知っているのであるが、それまでにまだあまりに時日があり過ぎる、もう噂《うわさ》を恐れる必要もない、この際はどの男性でも取る方法で進みさえすれば成り立ってしまう結合であろうとこんな気になっているのであるから、夫人の嫉妬《しっと》も眼中に置かなかった。宮のお心はまだ自分へ傾くことはなくても、「一夜ばかりの」といって長い契りを望んだ御息所《みやすどころ》の手紙が自分の所にある以上は、もうこの運命からお脱しになることはできないはずであると恃《たの》むところがあった。九月の十幾日であって、野山の色はあさはかな人間をさえもしみじみと悲しませているころであった。山おろしに木の葉も峰の葛《くず》の葉も争って立てる音の中から、僧の念仏の声だけが聞こえる山荘の内には人げも少なく、蕭条《しょうじょう》とした庭の垣《かき》のすぐ外には鹿《しか》が出て来たりして、山の田に百姓の鳴らす鳴子《なるこ》の音にも逃げずに、黄になった稲の中で啼《な》く声にも愁《うれ》いがあるようであった。滝の水は物思いをする人に威嚇《いかく》を与えるようにもとどろいていた。叢《くさむら》の中の虫だけが鳴き弱った音《ね》で悲しみを訴えている。枯れた草の中から竜胆《りんどう》が悠長に出て咲いているのが寒そうであることなども皆このごろの景色《けしき》として珍しくはないのであるが、折《おり》と所とが人を寂しがらせ、悲しがらせるのであった。
 夕霧は例の西の妻戸の前で中へものを言い入れたのであるが、そのまま立って物思わしそうにあたりをながめていた。柔らかな気のする程度に着|馴《な》らした直衣《のうし》の下に濃い紫のきれいな擣目《うちめ》の服が重なって、もう光の弱った夕日が無遠慮にさしてくるのを、まぶしそうに、そしてわざとらしくなく扇をかざして避けている手つきは女にこれだけの美しさがあればよいと思われるほどで、それでさえこうはゆかぬものをなどと思って女房たちはのぞいていた。寂しい人たちにとってはよい慰安になるであろうと思われる美しい様子で、特に名ざして少将を呼び出した。狭い縁側ではあるが、他の女がまたその後ろに聞いているかもしれぬ不安があるために、声高には話しえない大将であった。
「もう少し近くへ寄ってください。好意を持ってくれませんか、この遠方へまで御訪問して来る私の誠意を認めてくだすったら、最も親密なお取り扱いがあってしかるべきだと思いますよ。霧がとても深くおりてきますよ」
 と言って、ちょっと山のほうをながめてから大将がぜひもっと近くへ来てくれと言うので、余儀なく鈍《にび》色の几帳《きちょう》を簾《すだれ》から少し押し出すほどにして、裾《すそ》を細く巻くようにした少将は近くへ身を置いた。この人は大和守《やまとのかみ》の妹で、御息所《みやすどころ》の姪《めい》であるというほかにも、子供の時から御息所のそばで世話になっていた人であったから喪服の色は濃かった。黒を重ねた上に黒の小袿《こうちぎ》を着ていた。
「御息所のお亡《かく》れになったのを悲しむことと宮様のいつまでも御冷淡であらせられるのをお恨みするのが私の心の全部になって、ほかのことは頭にありませんから、だれからも私は怪しまれてしかたがありません。もう私に忍耐の力というものがなくなりましたよ」
 これを初めにして、夕霧はいろいろと恋の苦しみを訴えた。御息所の最後の手紙に書かれてあったことも言って非常に泣く。少将もまして非常に泣く。
「その時のことでございますがね、あなた様がおいでにならぬばかりか、御自身のお返事もおもらいになれないままで暗くなってまいりますのに悲観をあそばしましてとうとう意識をお失いになりましたのに物怪《もののけ》がつけこんで、そのまま蘇生《そせい》がおできにならなかったのだと私は拝見いたしました。以前の御不幸のございました時にも、もうそんなふうにおなりになるのでないかと私どもがお案じいたしましたようなことがおりおりございましたが、宮様がお悲しみになってめいっておいであそばすのをおなだめになりたいとお思いになるお心の強さから、御健康をお持ち直しになったのでございます。あなた様についての御息所のこのお悲しみ方を宮様はただ呆然《ぼうぜん》として見ておいでになりました」
 あきらめられぬようにこんなことを少将は言っていて、まだ頭はかなり混乱しているふうであった。
「そうではあっても、宮様はもう常態にお復しになってしかるべきだと思う。私に対してあまりな知らず顔をお作りになるのは、思いやりのないことではありませんか。もったいないことですが、孤独におなりになった宮様にだれがお力になるとお思いになるのだろう。法皇様はいっさい塵界《じんかい》と交渉を絶っておいでになる御生活ぶりですから、御相談事などは申し上げられないでしょう。あなたがたが熱心になって宮様の私に対する御冷酷さをお改めになるようによくお話し申し上げてください。皆宿命があって、一生孤独でいようとあそばしても、そうなって行かないということもお話し申すといい。人生が望みどおりに皆なるものであれば、この悲しい死別はなされなくてもよかったわけではありませんか」
 などと夕霧は多く言うのであるが、少将は返事もできずに歎息《たんそく》ばかりしていた。鹿《しか》がひどく啼《な》くのを聞いていて、「われ劣らめや」(秋なれば山とよむまで啼く鹿にわれ劣らめや独《ひと》り寝《ね》る夜は)と吐息《といき》をついたあとで、

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里遠み小野の篠原《しのはら》分けて来てわれもしかこそ声も惜しまね
[#ここで字下げ終わり]

 と大将が言うと、

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ふぢ衣露けき秋の山人は鹿のなく音《ね》に音《ね》をぞ添へつる
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 少将のこの返歌はよろしくもないが、低く忍んで言う声《こわ》づかいなどを優美に感じる夕霧であった。宮へいろいろとお取り次ぎもさせたが、
「この悲しみの中から自分を取りもどす日がございましたら、始終お心にかけてお尋ねくださいますお礼も申し上げられるかと思います」
 と礼儀としてだけのことより宮からはお返辞がない。大将は失望して歎《なげ》きながら帰って行くのであった。途中も車の中から身にしむ秋の終わりがたの空をながめていると、十三日の月が出て暗い気持ちなどにはふさわしくないはなやかな光を地上に投げかけた。それにも誘われて一条の宮の前で車をしばらくとどめさせた。以前よりもまた荒れた気のするお邸《やしき》であった。南側の土塀《どべい》のくずれた所から中をのぞくと、大きな建物の戸は皆おろされてあって人影も見えない。月だけが前の流れに浮かんでいるのを見て、柏木《かしわぎ》がよくここで音楽の遊びなどをしたその当時のことが思い出された。

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見し人の影すみはてぬ池水にひとり宿|守《も》る秋の夜の月
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 こう口ずさみながら家へ帰って来た大将は、そのまま縁に近い座敷で月にながめ入りながら恋人の冷たさばかりを歎いていた。
「あんなふうにしていらっしゃることは以前になかったことですね。およしになればいいのに」
 と言って女房らは譏《そし》った。夫人は痛切に良人《おっと》のこの変わりようを悲しんでいた。これは心がほかへ飛んで行っているという状態なのであろう、そうしたことに馴《な》らされた六条院の夫人たちを何かといえばよい例に引いて、自分をがさつな、思いやりのない女のように言う良人は無理である、自分も結婚した初めからそう馴らされて来たのであったなら、穏健なあきらめができていて、こんな時の辛抱《しんぼう》もしよいに違いない、珍しく忠実な良人を持つ妻として親兄弟をはじめとして世間からあやかり者のように言われて来た自分が、最後にみじめな捨てられた女になるのであろうかと歎いているのである。夜も明けがた近くなるのであるが、夫婦はどちらも離れた気持ちで身をそむけたまま何を言おうともしなかった。
 起きるとまたすぐに、朝霧の晴れ間も待たれぬようにして大将は山荘への手紙に筆を取っていた。不愉快に思いながらも夫人はもういつかのように奪おうとはしなかった。書いてしばらくそれをながめながら読んで見ているのが、低い声ではあったが、一部だけは夫人の耳にもはいって来た。

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いつとかは驚かすべきあけぬ夜の夢さめてとか言ひし一言
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「上よりおつる」(いかにしていかによからん小野山の上よりおつる音無しの滝)と書かれたものらしい。巻いて上包みをしたあとでも「いかによからん」などと夕霧は口にしていた。侍を呼んで手紙の使いはすぐに小野へ出された。内容の全部はよくわからなかったが、返事だけは手に入れて読みたいものである、それによって真相が明らかになるであろうと夫人は思っていた。
 朝おそくなってから小野の返事が来た。濃い紫色の、堅苦しい紙へ例の少将が書いたものであった。今日もまた自分たちの力で宮をお動かしすることのできなかったことが書かれてあって、
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お気の毒に存じますものですから、あなた様のお手紙へむだ書きをあそばしたのを盗んでまいりました。
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 と書いて、中へその所だけを破ったのが入れてあった。読んでだけはもらえたのであるということでうれしくなる大将の心もみじめなものである。むだ書きふうにお書きになったお歌は、骨を折って読んでみると、

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朝夕に泣く音《ね》を立つる小野山はたえぬ涙や音無しの滝
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 と解すべきものらしい。また寂しいお心に合いそうな古歌などの書かれてある宮のお字は美しかった。他人のことで、こんなことを夢中になるまでの関心をもって楽しんだり、悲しんだりしているのを、歯がゆく病的なことに思っていたが、自分のことになると恋する心は堪えがたいものである、どうしてこうまでになったのかと反省をしようとするのであるが、それもできないことであった。
 六条院も大将の恋愛問題をお聞きになって、この人がなんらの浮いたこともせず、批難のしようもない堅実な人物であることに満足しておいでになって、御自身の青春時代に好色な評判を多少お取りになった不面目をこの人がつぐなってくれるもののように思っておいでになったことが裏切られていくような寂しさをお感じになった。この事件の気の毒な影響から双方で犠牲を払う結果になるのであろう、全然関係のないところの女性ではなくて、妻の兄の未亡人の宮との問題であるから、舅《しゅうと》の大臣などもどう思うことであろう、それほどの思慮を持たないのではあるまいが、宿命というものから人はのがれられずに起こってきたことであろう、ともかくも自分の干渉すべきことでないと院はお考えになった。結局双方とも婦人の損になることで気の毒であると歎いておいでになるのであった。御自身の経験されたことに照らして見、また大将のこの現状によって、亡《な》きのちの世が不安になったことを紫夫人にお言いになると女王《にょおう》は顔を赤くして自分があとに残らねばならぬほど、早くこの世から去っておしまいになる心でおいでになるのであろうかと恨めしく思うふうであった。
「女ほど窮屈なものはありませんね。心の惹《ひ》かれることも、恋しい感情も皆おさえて知らぬふうをしておとなしくしていなければならないのでは生きがいもなし、人生の退屈さと悲哀とを紛らすことができないではありませんか。そうかといって感情に乏しい女になっては無価値だし、どうしてこんなふうに育ったのかと親さえも軽蔑《けいべつ》したくなりますからね。ただ心でだけ思って、お坊様が気の毒がる無言太子のようになって、細かな感情も動きながら黙っていなければならない人にするのも無慈悲な親になる。こうであればああであり、それであればこうになる、どうして中庸を得るようにすればいいかと、そんなことを私が考えるのも、他の女性のためではなく女一《にょいち》の宮《みや》を完全な女性にしたいからですよ」
 と院は言っておいでになった。
 夕霧が六条院へ来た時に、実状を知りたく思召《おぼしめ》す心から、院が、
「御息所《みやすどころ》の忌《いみ》がもう済んだだろうね。時はずんずんとたつからね。私が遁世《とんせい》の望みを持ち始めた時からももう三十年たっている。味気ないことだ。夕べの露にも異ならない命を持って安んじていられるわけはないのだからね。どうかして髪を剃《そ》り落としたいと望みながらのんきなふうを装っている。これはいけないことだね」
 こんな話をおしかけになった。
「不幸ばかりで、もうこの世に未練はなかろうと思われます人でも、さて遁世はなかなかできないものらしいのでございますから、あなた様などは御無理もございません」
 などと言って、また大将は、
「御息所の四十九日の仏事のことなども大和守《やまとのかみ》一人の手でやっております。気の毒なことでございます。よい身寄りのない人は自身についた幸福だけで生きている間はよろしゅうございますが、死んだあとになってみますと気の毒なものです」
 とも言った。
「御息所の仏事は院からもお世話をあそばすだろうよ。女二《にょに》の宮《みや》はどんなに悲しんでおいでになることだろう。その当時はよくわからなかったが、近年になって事に触れて私の見たところではあの御息所は相当にりっぱな人らしい。院の後宮の才女には違いなかった。そんな人の亡《な》くなっていくことは惜しい。生きておればよいと思う人がそんなふうに皆死んでゆくではないか。院もお悲しみになったということだ。あの宮さんはここに来ておられる宮さんに次いでの御愛子だったのだよ。きっとごりっぱだろう」
「さあ宮様はどんな方でございますか。御息所は無難な女性と見受けました。そう親密につきあっていたのではございませんが、しかし、何でもない時に人格の片影は見えるものでございますからね」
 などと言って、女二の宮のことを話題にせず大将は素知らぬふうを見せているのである。これほど強い心でしている恋は、親の言葉くらいで思いとどまらせえられるものでない、用いない忠告を賢げに言うのもおもしろいことではないとお思いになって、院は何の勧告をもあそばさなかった。
 大将は御息所の法事をするのにあらゆる尽力をしていた。こんなことはすぐに評判になるもので、太政大臣家へも聞こえていった。不都合な話であると女性の側の悪いようにそこでは言われておいでになる宮がお気の毒である。法事の当日は昔の縁故で大臣家の子息たちも参会した。派手《はで》な誦経《ずきょう》の寄付が大臣からもあった。寄付はまだほかからも多く来た。競争的にこうしたことをするのが今日の流行である。
 宮はこのまま小野の山荘で遁世《とんせい》の身になっておしまいになる志望がおありになったのであるが、御寺《みてら》の院にこのことをお報じ申し上げた人があって、
「そんなことはよろしくない。皆がいろいろな変わった境遇にいることも望ましいことではないが、保護者のない者が尼になったために、かえって浮いた名を立てられることがあったり、俗でいる以上に煩悩を作らなければならないことができたりしては、この世の幸福も未来の幸福も共に無にしてしまうことになる。自分が僧になっている上に、三の宮が出家をしている。今また二の宮が同じことをしては、子孫の絶えていく一家と見られるのも、世の中を捨てた自分にとってはかまわないことであるが、必ずしもまた今競って出家は実現するに及ばないことだということは自分にもできる。不幸な時にこの世を捨てることをするのは見苦しいものである。自然に悟りができてくる時節を待って、冷静に判断をしてしなければならぬことです」
 こんな意味のことをたびたび御忠告になった。大将との恋愛事件がお耳にはいっていたのである。大将の愛が十分でないために悲観して尼になったと宮がお言われになることを院はおあやぶみになるのであった。そうとはお思いになっても公然大将の夫人になっておしまいになることを姫宮の完全な幸福とお認めになることもおできにならないのであるが、その問題に触れていっては宮が羞恥《しゅうち》に堪えられないであろうと思召《おぼしめ》すとかわいそうなお気持ちがして、せめてこの際は自分だけでも知らぬ顔をしていてやりたいと思召した。
 大将も立てられる噂《うわさ》に言いわけをしてきたこれまでの態度はもう改めるほうがよい時期になったと思い、女二の宮が結婚を御承諾になるのを待つことはせずに、御息所の希望したことであったからというように世間へは思わせることにして、この場合はしかたがないから故人にちょっとした責任を負わせることくらい許してもらうことにして、いつから始まったということをあいまいにして夫婦になろう、今さら恋の涙のありたけを流して、宮のお心を動かそうと努めるのも自分に似合わしくないことであると思って、山荘を引き上げて一条の邸《やしき》へお移りになる日をおよそいつということもこちらできめた夕霧は、大和守を呼んで、大将夫人としての宮のお帰りになる儀式等についての設けを命じたのであった。邸の修理をさせ、勝ち気な御息所が旧態を保たせていたとはいうものの、行き届かない所のあった家の中を、みがき出したように美しくして、壁代《かべしろ》、屏風《びょうぶ》、几帳《きちょう》、帳台、昼の座席なども最も高雅な、洗練された趣味で製作させるように命じてあった。
 当日は夕霧自身が一条に来ていて、車や前駆の役を勤める人たちを山荘へ迎えに出した。宮はどうしても帰らぬと言っておいでになるのを、女房たちは百方おなだめしていたし、大和守も意見を申し上げた。
「その仰せは承ることができません。お一人きりのお心細い御境遇が悲しく存ぜられまして、御葬送以来ただ今までは、私としてお尽くしいたしうるだけのことはいたしてまいりました。しかし私は地方長官でございますから、お預かりしております国の用がうちやってはおけませんので、近くまた大和へまいらねばならないのでございます。あなた様のただ今からのお世話をだれに頼んでまいってよいという人もございませんから、どうすればよいかと思っております場合に左大将が力を入れてくださるのでございますから、あなた様御一身について考えますれば、御再婚をあそばすことをこれが最上のこととは申されませんのでございますが、しかし昔の内親王様がたにもそうした例は幾つもあったことで、御自分の御意志でもなく、運命に従って皆そうおなりになったのでございますから、何もあなた様お一方が世間から批難されるはずもないのでございます。これほどのお方のお志をお退けになりますのは、あまりにも御幼稚なことと申すほかはございません。女性の方でも独立して行けぬことはないと思召すでしょうが、実際問題になりますと、御自身をお護《まも》りになることと、経済的のこととで御苦労ばかりがどんなに多いかしれません。それよりも十分大事に尊重申される御良人《ごりょうじん》にお助けられになってこそ、あなた様の御天分も十分に発揮させることができるのでございます。どうかそのお心におなりくださいませ」
 大和守はまた、
「あなたたちが宮様へよく御|会得《えとく》のゆくようにお話し申し上げないのが悪いのです。そうかというとまたこうしたことに立ち至る最初の動機などはあなたがたの不注意でお起こしになったりして」
 と少将や左近を責めた。
 女房が皆集まって来て口々にお促しするのに御反抗がおできにならないで、きれいな色のお召し物などをお着せかえ申したりするままに宮はなっておいでになるのであるが、切り捨ててしまいたく思召すお髪《ぐし》を後ろから前へ引き寄せてごらんになると、それは六尺ほどの長さで、以前よりは少し量が減っていても、他の者の目にはやはりきわめておみごとなものに見えるのであるが、御自身では非常に衰えてしまった、もう結婚などのできる自分ではない、いろいろな不幸にむしばまれた自分なのだからとお思い続けになって、お召しかえになった姿をまたそのまま横たえておしまいになった。
「時間が違ってしまう。夜がふけてしまうだろう」
 などと言って、お供をする人たちは騒いでいた。時雨《しぐれ》があわただしく山荘を打って、全体の気分が非常に悲しくなった。

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上りにし峰の煙に立ちまじり思はぬ方になびかずもがな
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 とお口ずさみになったとおりに宮は思召すのであるが、そのころは鋏刀《はさみ》などというものを皆隠して、お手ずから尼におなりになるようなことのないように女房たちが警戒申し上げていたから、そんなふうにお騒ぎをせずとも、惜しく尊重すべき自分でもないものを、しいて尼になってみずからを清くしようとも思わず、すればかえって人の反感を買うにすぎないことも知っているのであるから、と思召して宮は御本意を遂げようともあそばさないのである。女房は皆移転の用意に急いで、お櫛箱《ぐしばこ》、お手箱、唐櫃《からびつ》その他のお道具を、それも仮の物であったから袋くらいに皆詰めてすでに運ばせてしまったから、宮お一人が残っておいでになることもおできにならずに、泣く泣く車へお乗りになりながらも、あたりばかりがおながめられになって、こちらへおいでになる時に、御息所《みやすどころ》が病苦がありながらも、お髪《ぐし》をなでてお繕いして車からお下《お》ろししたことなどをお思い出しになると、涙がお目を暗くばかりした。お護《まも》り刀とともに経の箱がお席の脇《わき》へ積まれたのを御覧になって、

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恋しさの慰めがたき形見にて涙に曇る玉の箱かな
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 とお歌いあそばされた。黒塗りのをまだお作らせになる間がなくて、御息所が始終使っていた螺鈿《らでん》の箱をそれにしておありになるのである。御息所の容体の悪い時に誦経《ずきょう》の布施として僧へお出しになった品であったが、形見に見たいからとまたお手もとへお取り返しになったものである。浦島の子のように箱を守ってお帰りになる宮であった。
 一条へお着きになると、ここは悲しい色などはどこにもなく、人が多く来ていて他家のようになっていた。車を寄せてお下《お》りになろうとする時に、御自邸という気がされない不快な心持ちにおなりになって、動こうとあそばさないのを、あまりに少女らしいことであると言って女房たちは困っていた。大将は東の対の南のほうの座敷を仮に自身の使う座敷にこしらえて、もう邸《やしき》の主人のようにしていた。
 三条の家では、だれもが、
「急に別なお家《うち》と別な奥様がおできになったとはどうしたことでしょう。いつごろから始まった関係なのでしょう」
 と言って驚いていた。多情な恋愛生活などをしなかった人は、こうした思いがけぬことを実行してしまうものである。しかしだれも以前からあった関係をはじめて公表したことと解釈していて、まだ宮のお心は結婚に向いていぬことなどを想像する人もない。いずれにもせよ宮の御ために至極お気の毒なことばかりである。
 御結婚の最初の日の儀式が精進物のお料理であることは縁起のよろしくなく見えることであったが、お食事などのことが終わって、一段落のついた時に、夕霧はこちらへ来て宮の御寝室への案内を、少将にしいた。
「いつまでもお変わりにならぬ長いお志でございますなら、今日明日だけをお待ちくださいませ。もとのお住居《すまい》へお帰りになりますとまたお悲しみが新しくなりまして、生きた方のようでもなく泣き寝におやすみになったのでございます。おなだめいたしましてもかえってお恨みになるのでございますから、私どももその苦痛をいたしたくございません。殿様のことを宮様に申し上げることはできないのでございます」
 と少将は言う。
「変なことではないか、聡明《そうめい》な方のように想像していたのに、こんなことでは幼稚なところの抜けぬ方と思うほかはないではないか」
 夕霧が自分の考えを言って、宮のためにも、自分のためにも世間の批議を許さぬ用意の十分あることを説くと、
「それはそうでございましょうが、ただ今ではお命がこのお悲しみでどうかおなりになるのでないかということだけを私どもは心配いたしておりまして、そのほかのことは何も考えられないのでございます。殿様、お願いでございますから、しいて御無理なことはあそばさないでくださいませ」
 と少将は手をすり合わせて頼んだ。
「聞いたことも見たこともないお取り扱いだ。過去の一人の男ほどにも愛していただけない自分が哀れになる。世間へも何の面目があると思う」
 失望してこう言う夕霧を見てはさすがに同情心も起こった。
「聞いたことも見たこともないと申しますことは、あなた様のあまりにお早まりになった御用意のことでございましょう。道理はどちらにあると世間が申すでございましょうか」
 と少し少将は笑った。こんなふうに強く抵抗をしてみても、今はよその人でなく主人と召使の関係になっている相手であるから、拒み続けることはさせないで、少将をつれて、おおよその見当をつけた宮の御寝室へはいって行った。宮はあまりに思いやりのない心であると恨めしく思召されて、若々しいしかただと女房たちが言ってもよいという気におなりになって、内蔵《うちぐら》の中へ敷き物を一つお敷かせになって、中から戸に錠をかけてお寝《やす》みになった。しかもこうしておられることもただ時間の問題である、こんなふうにも常規を逸してしまった人は、いつまで自分をこうさせてはおくまいと悲しんでおいでになった。大将は驚くべき冷酷なお心であると恨めしく思ったが、これほどの抵抗を受けたからといって、自分の恋は一歩もあとへ退くものではない、必ず成功を見る時が来るのであるというこんな自信を持ってこの夜を明かすのであって、渓《たに》を隔てて寝るという山鳥の夫婦のような気がした。ようやく明けがたになった。こうして冷淡に扱われた顔を皆に見せることが恥ずかしくて大将は出て行こうとする時に、
「ただ少しだけ戸をおあけください。お話ししたいことがあるのですから」
 としきりに望んだがなんらの反応も見えない。

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「うらみわび胸あきがたき冬の夜にまたさしまさる関の岩かど
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 言いようもない冷たいお心です」
 と言って、それから泣く泣く出て行った。
 大将は六条院へ来て休息をした。花散里《はなちるさと》夫人が、
「一条の宮様と御結婚なすったと太政大臣家あたりではお噂《うわさ》しているようですが、ほんとうのことはどんなことなのでしょう」
 とおおように尋ねた。御簾《みす》に几帳《きちょう》を添えて立ててあったが、横から優しい継母の顔も見えるのである。
「そんなふうに噂《うわさ》もされるでしょう。亡《な》くなられた御息所《みやすどころ》は、最初私が申し込んだころにはもってのほかのことのように言われたものですが、病気がいよいよ悪くなったころに、ほかに託される人のないのが心細かったのですか、自分の死後の宮様を御後見するようにというような遺言をされたものですから、初めから好きだった方でもあるのですから、こういうことにしたのですが、それをいろいろに付会した噂もするでしょう。そう騒ぐことでないことを人は問題にしたがりますね」
 と夕霧は笑って、
「ところが御本人はまだ尼になりたいとばかり考えておいでになるのですから、それもそうおさせして、いろいろに続き合った面倒な人たちから悪く言われることもなくしたほうがよいとは思われますが、私としては御息所の遺言を守らねばならぬ責任感があって、ともかくも形だけは私が良人《おっと》になって同棲《どうせい》することにしたのです。院がこちらへおいでになりました時にもお話のついでにそのとおりに申し上げておいてください。堅く通して来ながら、今になって人が批難をするような恋を始めるとはけしからんなどとお言いにならないかと遠慮をしていたのですが、実際恋愛だけは人の忠告にも自身の心にも従えないものなのですからね」
 とも忍びやかに言うのだった。
「私は人の作り事かと思って聞いていましたが、そんなことでもあるのですね。世間にはたくさんあることですが、三条の姫君がどう思っていらっしゃるだろうかとおかわいそうですよ。今まであんなに幸福だったのですから」
「可憐《かれん》な人のようにお言いになる姫君ですね。がさつな鬼のような女ですよ」
 と言って、また、
「決してそのほうもおろそかになどはいたしませんよ。失礼ですがあなた様御自身の御境遇から御推察なすってください。穏やかにだれへも好意を持って暮らすのが最後の勝利を得る道ではございませんか。嫉妬《しっと》深いやかましく言う女に対しては、当座こそ面倒だと思ってこちらも慎むことになるでしょうが、永久にそうしていられるものではありませんから、ほかに対象を作る日になると、いっそうかれはやかましくなり、こちらは倦怠《けんたい》と反感をその女から覚えるだけになります。そうしたことで、こちらの南の女王の態度といい、あなた様の善良さといい、皆手本にすべきものだと私は信じております」
 と継母をほめると、夫人は笑って、
「物の例にお引きになればなるほど、私が愛されていない妻であることが明瞭《めいりょう》になりますよ。それにしましてもおかしいことは、院は御自身の多情なお癖はお忘れになったように、少しの恋愛事件をお起こしになるとたいへんなことのようにお訓《さと》しになろうとしたり、蔭《かげ》でも御心配になったりするのを拝見しますと、賢がる人が自己のことを棚《たな》に上げているということのような気がしてなりませんよ」
 こう花散里夫人が言った。
「そうですよ。始終品行のことで教訓を受けますよ。親の言葉がなくても私は浮気《うわき》なことなどをする男でもないのに」
 大将は非常におかしいと思うふうであった。
 院のお居間へも来た大将を御覧になって、院は新事実を知っておいでになったが、知った顔を見せる必要はないとしておいでになって、ただ顔をながめておいでになるのであった。それは非常に美しくて今が男の美の盛りのような夕霧であった。今問題になっているような恋愛事件をこの人が起こしても、だれも当然のことと認めてしまうに違いないと思召された。鬼神でも罪を許すであろうほどな鮮明な美貌《びぼう》からは若い光と匂《にお》いが散りこぼれるようである。感情にまだ多少の欠陥のある青年者でもなく、どこも皆完全に発達したきれいな貴人であると院は御覧になって、問題の起こるのももっともである。女でいてこの人を愛せずにおられるはずもなく、鏡を見てみずから慢心をせぬわけもなかろうとわが子ながらもお思いになる院でおありになった。
 昼近くなって大将は三条の家へ帰ったのであった。家へはいるともうすぐに何人もの同じほどの子供たちがそばへまつわりに来た。夫人は帳台の中に寝ていた。大将がそこへ行っても目も見合わせようとしない。恨めしいのであろう、もっともであると夕霧も知っているのであるが、気にとめぬふうをして夫人の顔の上にかかった夜着の端をのけると、
「ここをどこと思っておいでになったのですか。私はもう死んでしまいましたよ。平生から私のことを鬼だとお言いになりますから、いっそほんとうの鬼になろうと思って」
 と夫人は言った。
「あなたの気持ちは鬼以上だけれど、あなたの顔はそうでないから私はきらいになれないだろう」
 何一つやましいこともないようにこんな冗談《じょうだん》を言う良人《おっと》を夫人は不快に思って、
「美しい恋をする人たちの中に混じって生きていられない私ですから、どんな所でも行ってしまいます、もうあなたの念頭になぞ置かれたくない。長くいっしょにいたことすら後悔しているのですから」
 と言って、起き上がった夫人の愛嬌《あいきょう》のある顔が真赤《まっか》になっていて一種の魅力をもっていた。
「子供らしく始終腹をたてる鬼だから、もう見なれて怖《おそ》ろしい気はしなくなった。少し恐ろしいところを添えたいね」
 と良人が冗談事《じょうだんごと》にしてしまおうとするのを、
「何を言っているのですか。おとなしく死んでおしまいなさいよ。私も死にますよ。いろんなことを聞いているとますますあなたがいやになりますよ。置いて死ねばまたどんなことをなさるかと気がかりだから」
 と腹をたてるのであるが、ますます愛嬌の出てくる夫人を夕霧は笑顔《えがお》で見ながら、
「近くで見るのがいやになっても、私の噂を無関心には聞かないでしょう。あなたはどんなに二人の宿縁の深いかを知らすために、私を殺して自分も死のうというのですね。二人の葬儀をいっしょにしてもらうというような約束は前にしてあったのだからね」
 大将はまだ夫人の嫉妬《しっと》に取り合わないふうをして、いろいろにすかしたり、なだめたりしていると、若々しく単純な性質の夫人であるから、良人の言葉はいいかげんな言葉であると思いながらも機嫌《きげん》が直ってゆくのを、哀れに思いながらも、大将の心は一条の宮へ飛んでいた。あちらも意志の強いばかりの女性とはお見えにならぬが、やはり自分との結婚を肯定することはできずに、尼にでもなっておしまいになれば、自分の不名誉であると思うと、当分は毎夜あちらに行っていねばならぬとあわただしい気がして、日の暮れていく空をながめても、まだ今日でさえお返事をくださらないではないかと煩悶《はんもん》された。昨日から今日へかけて何一つ食べなかった夫人が夕食をとったりしていた。
「昔から私はあなたのために、どれほどの苦労をしたことだろう。大臣が冷酷な処置をおとりになったから、失恋男とだれにも言われるのを我慢して、あちこちからある縁談を皆断わって、すべて棄権をしてしまっていたようなことは女だってそうはできないことだと皆言いましたよ。どうしてそんなにしていられただろうと、自分ながら若い時の自重心を認めないではいられないのですからね。今のあなたは私をあくまで憎んでいても、愛すべき人たちが家の中いっぱいにいるのだから、あなた一人の問題ではなくなったような現在に、軽々しい挙動はできないではありませんか。よく見ていてください。どんなに変わらぬ愛を持っている私であるかを、長い将来に見てください。命だけではあなたとさえ引き離されることがあるでしょうがね」
 こんな話になって大将は泣き出した。夫人も昔のことを思い出すと、あんなにもして周囲に打ち勝って育ててきた恋から夫婦になっている自分たちではないかと、さすがに宿縁の深さも思われるのであった。畳み目の消えた衣服を脱《ぬ》ぎ捨てて、ことにきれいなのを幾つも重ね、薫香《たきもの》で袖《そで》を燻《くす》べることもして、化粧もよくした良人が出かけて行く姿を、灯《ひ》の明りで見ていると涙が流れてきた。夕霧の脱いだ単衣《ひとえ》の袖を、夫人は自分の座のほうへ引き寄せて、

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「馴《な》るる身を恨みんよりは松島のあまの衣にたちやかへまし
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 どうしてもこのままでは辛抱《しんぼう》ができない」
 と独言《ひとりごと》するのに夕霧は気づくと、出かける足をとめて、
「ほんとうに困った心ですね。

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松島のあまの濡衣《ぬれぎぬ》馴《な》れぬとて脱ぎ変へつてふ名を立ためやは」
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 と言った。急いだからであろうが平凡な歌である。
 一条ではまだ前夜のまま宮が内蔵《くら》からお出にならないために、女房たちが、
「こんなふうにいつまでもしておいでになりましては、若々しい、もののおわかりにならぬ方だという評判も立ちましょうから、平生のお座敷へお帰りになりまして、そちらでお心持ちを殿様の御了解なさいますようにお話しあそばせばよろしいではございませんか」
 と言うのを、もっともなことに宮もお思いになるのであるが、世間でこれからの御自身がお受けになる譏《そし》りもつらく、過去のあるころにその人に好意を持っておいでになった御自身をさえ恨めしく、そんなことから母君を失ったとお考えになると最もいとわしくて、この晩もお逢《あ》いにはならなかった。
「あまりに、御冷酷過ぎる」
 こんな気持ちをいろいろに言って取り次がせて夕霧はいた。女房たちも同情をせずにおられないのであった。
「少しでも普通の人らしい気分が帰ってくる時まで、忘れずにいてくだすったならとおっしゃるのでございます。母君の喪中だけはほかのことをいっさい思わずに謹慎して暮らしたいという思召しが濃厚でおありあそばす一方では、知らぬ者がないほどにあなた様のことが世間へ知れましたのを残念がっておいでになるのでございます」
「私の愛は噂《うわさ》とか何とかいうものに左右されない絶大なものなのだがね。そんなことが理解していただけないとは苦しいものだ」
 と大将は歎息して、
「普通にお居間のほうへおいでになれば、物越しで私の心持ちをお話しするだけにとどめて、それ以上のことはまだいつまでも待っていていいのです」
 同じようなことをまた取り次がせるのであったが、
「弱いものがこんなに悲しみに疲れております際に、しいていろいろなことをおっしゃるのが非常にお恨めしく思われるのでございます。人が見てどう私が思われることでしょう。その一部は私の不幸なせいでもあるでしょうが、あなた様がお一人ぎめをあそばしたからだとこれを思います」
 とまた御抗弁になった。まだ親しもうとあそばすふうはない。そうは言っても、いつまでも真の夫婦になりえないことは、人の口から世間へも伝わるであろうから恥ずかしいと、この女房たちに対してさえきまり悪く思う大将であった。
「実際のことは宮様の御意志どおりの関係にとどめるにしても、この状態はあまりに変則だ。またそうであるからといって、私が断然来なくなったら、宮様はどういう世評をお取りになるだろう。あまりに人生を悲観なされ過ぎて、御幼稚な態度をお改めにならないのを私は宮様のために惜しむ」
 などと大将が責めるのに道理があるように少将は思い、また夕霧の様子には気の毒で見ておられぬところがあって、女房たちが通って行く出入り口にしてある内蔵の北の戸から大将を入れた。ひどいことをする恨めしい人たちであると宮は女房をお思いになり、こうしてだれの心も利己的になるのであるから、これ以上のことを女房たちからされないものでもないとお考えになると、その人ら以外に頼む者のない今の御境遇をかえすがえす悲しくお思いになった。男は宮のお心の動かねばならぬようにして多くささやくのであるが、宮はただ恨めしくばかりお思いになって、この人に親しみを見いだそうとはあそばさない。
「こんなふうにあらん限りの侮蔑《ぶべつ》を加えられております私が非常に恥ずかしくて、あるまじい恋をし始めました初めの自分を後悔いたしますが、これは取り返しうるものではありませんし、あなた様のためにももうそれはしてならないことです。ですからもう御自分はどうでもよいという徹底した弱い心におなりなさい。思うことのかなわない時に身を投げる人があるのですから、私のこの愛情を深い水とお思いになって、それへ身を捨てるとお思いになればよいと思います」
 と夕霧は言った。単衣《ひとえ》の着物にお身体《からだ》を包むようにして、ほかへお見せになる強さといっては声を出してお泣きになることよりおできにならないのも、あくまで女らしくお気の毒なのをながめていて、なぜこうであろう、こんなにまで自分をお愛しになることが不可能なのであろうか、どんなに許しがたく思う人といっても、これほどの志を見ていては自然に心のゆるんでくるものであるが、岩や木以上に無情なふうをお見せになるのは、前生の約束がそうであるためで、自分に憎悪《ぞうお》をお持ちにならねばならぬ運命を持っておいでになるのではなかろうかと、こんなことを思った時から大将はあまりなお扱いに憤りに似た気持ちが起こって、三条の夫人が今ごろどう思っているかと考えだすと、単純な幼心に思い合った昔のこと、近年になって望みがかない、同棲《どうせい》することのできて以来の信頼し合った夫婦の情味などが思われて、自身のし始めたことではあるが、この恋が味気なくなって、もうしいて宮の御|機嫌《きげん》をとろうとも努めずに歎き明かした。こんなみじめなことで来たり出て行ったりすることもきまり悪くこの人は思って、今日はこちらにとどまっていることにして落ち着いているのにも、宮は反感がお持たれになって、いよいようといふうをお見せになることが増してくるのを、幼稚なお心の方であると、恨めしく思いながらも哀れに感じていた。蔵《くら》の中も別段細かなものがたくさん置かれてあるのでなく、香の唐櫃《からびつ》、お置き棚《だな》などだけを体裁よくあちこちの隅《すみ》へ置いて、感じよく居間に作って宮はおいでになるのである。中は暗い気のする所へ、出たらしい朝日の光がさして来た時に、夕霧は被《かず》いでおいでになる宮の夜着の端をのけて、乱れたお髪《ぐし》を手でなで直しなどしながらお顔を少し見た。上品で、あくまで女らしく艶《えん》なお顔であった。男は正しく装っている時以上に、部屋の中での柔らかな姿が顔を引き立ててきれいに見えた。柏木《かしわぎ》が普通の風采《ふうさい》でしかないのにもかかわらず思い上がり切っていて、宮を美人でないと思うふうを時々見せたことを宮はお思い出しになると、その当時よりも衰えてしまった自分をこの人は愛し続けることができないであろうとお考えられになって、恥ずかしくてならぬ気があそばされるのであった。
 宮はなるべく楽観的にものを考えることにお努めになってみずから慰めようとしておいでになるのであった。ただ複雑な関係になって、あちらへもこちらへも済まぬわけになることを苦しくお思いになるのと、おりが母君の喪中であることによってこうした冷ややかな態度をおとり続けになるのである。
 大将の手水《ちょうず》や朝餉《あさげ》の粥《かゆ》が宮のお居間のほうへ運ばれた。この際に喪の色を不吉として、なるべく目につかぬようにこの室の東のほうには屏風《びょうぶ》を立て、中央の室《へや》との仕切りの所には香染めの几帳《きちょう》を置いて、目に立つ巻き絵物などは避けた沈《じん》の木製の二段の棚《たな》などを手ぎわよく配置してあるのは皆|大和守《やまとのかみ》のしたことであった。派手《はで》な色でない山吹《やまぶき》色、黒みのある紅、深い紫、青鈍《あおにび》などに喪服を着かえさせ、薄紫、青|朽葉《くちば》などの裳《も》を目だたせず用いさせた女房たちが大将の給仕をした。今まで婦人がただけのお住居《すまい》であって、規律のくずれていたのを引き締めて、少数の侍を巧みに使い不都合のないようにしているのも、皆一人の大和守が利巧《りこう》な男だからである。こうして思いがけず勢力のある宮の御良人《ごりょうじん》がおできになったことを聞いて、もとは勤めていなかった家司《けいし》などが突然現われて来て事務所に詰め、仕事に取りかかっていた。
 実質はともかくも、この家の主人らしい生活を大将が一条で始めている数日間を、三条の夫人はもう捨てられ果てたもののように見て、これほど愛をことごとく新しい人に移すこともしないであろうと信頼していたのは自分の誤解であった、忠実であった良人がほかに恋人のできた時は、愛の痕跡《こんせき》も残さず変わってしまうものだと人の言うのは嘘《うそ》でないと、苦しい体験をはじめてするという気もしてこの侮辱にじっと堪えていることはできないことであると思って、父の大臣家へ方角|除《よ》けに行くと言って邸《やしき》を出て行った。女御《にょご》が実家に帰っている時でもあったから、姉君にも逢《あ》って、悩ましい気持ちの少し紛らすこともできた雲井《くもい》の雁《かり》夫人は、平生のようにすぐ翌日に邸へ帰るようなこともせず父の家の客になっていた。これはすぐに左大将へも聞こえて行った。そんなことがあるようにも予感されたことである、はげしい性質の人であるからと大将は思った。大臣もまたりっぱな人物でありながら大人《たいじん》らしい寛大さの欠けた性格であるから、一徹に目にものを見せようとされないものでもない、失敬である、もう絶交するというような態度をとられて、家庭の醜態が外へ知られることになってはならぬと驚いて、三条へ帰って見ると、子供は半分ほどあとに残されているのであった。姫君たちと幼少な子だけを夫人はつれて行ったのである。父を見つけて喜んでまつわりに来る子もあれば、母を恋しがって泣く子もあるのを、大将は心苦しく思った。手紙をたびたびやって迎えの車を出すが、夫人からは返事もして来なかった。こうして妻に意地を張られるようなことは、自分らの貴族の間にはないことであるがと、うとましく思いながらも、大臣へ対しての義理を思って、日の暮れるのを待って自身で夕霧は迎えに行った。
「寝殿にいらっしゃいます」
 ということで、平生行って使っている座敷のほうには女房だけがいた。男の子供たちだけは乳母《めのと》に添ってここにいた。
「今さら若々しい態度をとるあなたではありませんか。かわいい人たちをあちらこちらへ置きはなしにして、自身は寝殿でお姫様に帰った気でいられるあなたの気持ちは解釈に苦しむ。私への愛情がそんなふうに少ないとは私にもわかっているのですが、昔からあなたにばかり惹《ひ》かれる心を私は持っているし、今ではおおぜいのかわいそうな子供ができているのですから、二人の結合のゆるむことはないと信じていたのに、ちょっとしたことにこだわって、こんな扱いを私になさることはいいことだろうか」
 取り次ぎによって夕霧はこう妻を責めた。
「もうすべてのことがお気に入らないものになってしまったのですから、お困りになる私の性質は今さら直す必要もないと思います。かわいそうな子供たちだけを愛してくださればうれしく思います」
 と夫人は返事をさせた。
「おとなしい御|挨拶《あいさつ》だ。結局はだれの不名誉になることとお思いになるのだろう」
 と言って、しいて夫人の出て来ることも求めずに、この晩は一人で寝ることにした。どちらつかずの境遇になったと思いながら、子供たちをそばへ寝させて大将は女二《にょに》の宮《みや》の御様子も想像するのであった。どんなにまた煩悶《はんもん》をしておいでになる夜であろうなどと考えると苦しくなって、こんな遣《や》る瀬《せ》ない苦しみばかりをせねばならぬ恋というものをなぜおもしろいことに人は思うのであろうと、懲りてしまいそうな気もした。夜が明けた時に、
「こんなことを若夫婦のように言い合っているのも恥ずかしいことですから、だめならだめとあきらめますが、もう一度だけもとどおりになってほしいという私の希望をいれたらどうですか。三条にいる小さい人たちもかわいそうな顔をして母を恋しがっていましたが、選《よ》って残しておいでになったのにはそれだけの考えがあるのでしょうから、あなたに愛されない子供達を私の手でどうにか育てましょう」
 とまた多少|威嚇《いかく》的なことを夫人へ言ってやった。一本気なこの人は自分の生んだ子供たちまでもほかの家へつれて行くかもしれぬという不安を夫人は覚えた。
「姫君を本邸のほうへ帰してください。顔を見に来ることもこうしたきまりの悪い思いを始終しなければならないことですから、たびたびはようしません。あちらに残っている子供たちも寂しくてかわいそうですから、せめていっしょに置いてやりたいと思います」
 とまた大将は言ってよこした。そうしてから小さくてきれいな顔をした姫君たちが父のいる座敷へつれられて来た。夕霧はかわいく思って女の子たちを見た。
「お母様の言うとおりになってはいけませんよ。ものの判断のできない女になっては悪いからね」
 などと教えていた。
 大臣は娘と婿のこの事件を聞いて外聞を悪がっていた。
「しばらく静観をしているべきだった。大将にも考えがあってしていたことだろうからね。婦人が反抗的に家を出て来るようなことは軽率なことに見られて、かえって人の同情を失ってしまう。しかしもうそうした態度を取りかけた以上は、すぐに負けて出てはならない。そのうちに先方の誠意のありなしもわかることだから」
 と娘に言って、一条の宮へ蔵人《くろうど》少将を使いにして大臣は手紙をお送りするのであった。

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契《ちぎ》りあれや君を心にとどめおきて哀れと思ひ恨めしと聞く

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無関心にはなれません因縁があるのでございますね。
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 この手紙を持って、少将はずんずん宮家へはいって来た。南の縁側に敷き物を出したが、女房たちは応接に出るのを気づらく思った。まして宮はわびしい気持ちになっておいでになった。この人は兄弟の中で最も風采《ふうさい》のよい人で、落ち着いた態度で邸《やしき》の中を見まわしながらも、亡《な》き兄のことを思い出しているふうであった。
「始終伺っている所のような気になって私はいるのですが、そちらでは親しい者とお認めくださらないかもしれませんね」
 などと皮肉を少し言う。大臣への返事をしにくく宮は思召して、
「私にはどうしても書かれない」
 こうお言いになると、
「お返事をなさいませんと、あちらでは礼儀のないようにお思いになるでございましょうし、私どもが代わって御|挨拶《あいさつ》をいたしておいてよい方でもございませんから」
 女房たちが集まって、なおもお書きになることをお促しすると、宮はまずお泣きになって、御息所《みやすどころ》が生きていたなら、どんなに不愉快なことと自分の今日のことを思っても、身に代えて罪は隠してくれるであろうと母君の大きな愛を思い出しながら、お書きになる紙の上には、墨よりも涙のほうが多く伝わって来てお字が続かない。

[#ここから2字下げ]
何故《なにゆゑ》か世に数ならぬ身一つを憂《う》しとも思ひ悲しとも聞く
[#ここで字下げ終わり]

 と実感のままお書きになり、それだけにして包んでお出しになった。少将は女房たちとしばらく話をしていたが、
「時々伺っている私が、こうした御簾《みす》の前にお置かれすることは、あまりに哀れですよ。これからはあなたがたを友人と思って始終まいりますから、お座敷の出入りも許していただければ、今日までの志が酬《むく》いられた気がするでしょう」
 などという言葉を残して蔵人少将は帰った。
 こんなことから宮の御感情はまたまた硬化していくのに対して、夕霧が煩悶《はんもん》と焦躁《しょうそう》で夢中になっている間、一方で雲井の雁夫人の苦悶《くもん》は深まるばかりであった。こんな噂《うわさ》を聞いている典侍《ないしのすけ》は、自分を許しがたい存在として嫉妬《しっと》し続ける夫人にとって今度こそ侮りがたい相手が出現したではないかと思って、手紙などは時々送っているのであったから、見舞いを書いて出した。

[#ここから2字下げ]
数ならば身に知られまし世の憂《う》さを人のためにも濡《ぬ》らす袖《そで》かな
[#ここで字下げ終わり]

 失敬なというような気も夫人はするのであったが、物の身にしむころで、しかも退屈な中にいてはこれにも哀れは覚えないでもなかった。

[#ここから2字下げ]
人の世の憂きを哀れと見しかども身に代へんとは思はざりしを
[#ここで字下げ終わり]

 とだけ書かれた返事に、典侍はそのとおりに思うことであろうと同情した。
 夫人と結婚のできた以前の青春時代には、この典侍だけを隠れた愛人にして慰められていた大将であったが、夫人を得てからは来ることもたまさかになってしまった。さすがに子供の数だけはふえていった。夫人の生んだのは、長男、三男、四男、六男と、長女、二女、四女、五女で、典侍は三女、六女、二男、五男を持っていた。大将の子は皆で十二人であるが、皆よい子で、それぞれの特色を持って成長していった。典侍の生んだ男の子は顔もよく、才もあって皆すぐれていた。三女と二男は六条院の花散里《はなちるさと》夫人が手もとへ引き取って世話をしていた。その子供たちは院も始終御覧になって愛しておいでになった。それはまったく理想的にいっているわけである。

夕霧二 版本说明

底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
   1994(平成6)年6月15日39版発行
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※校正には、2002(平成14)年1月15日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:柳沢成雄
2003年5月16日作成
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41 御法

[#地から3字上げ]なほ春のましろき花と見ゆれどもとも
[#地から3字上げ]に死ぬまで悲しかりけり  (晶子)

 紫夫人はあの大病以後病身になって、どこということもなく始終|煩《わずら》っていた。たいした悪い容体になるのではなかったが、すぐれない、同じような不健康さが一年余りも続いた今では目に立って弱々しい姿になったことで、院は非常に心痛をしておいでになった。しばらくでもこの人の死んだあとのこの世にいるのは悲しいことであろうと知っておいでになったし、夫人自身も人生の幸福には不足を感じるところとてもなく、気がかりな思いの残る子もない人なのであるから、こまやかに思い合った過去を持っていて自分の先に欠けてしまうことは、院をどんなに不幸なお心持ちにすることであろうという点だけを心の中で物哀れに感じているのであった。未来の世のためにと思って夫人は功徳になることを多くしながらも、やはり出家して今後しばらくでも命のある間は仏勤めを十分にしたいということを始終院へお話しして、夫人は許しを得たがっているのであるが、院は御同意をあそばさなかった。それは院御自身にも出家は希望していられることなのであるが、夫人が熱心にそうしたいと言っている時に、御自身もいっしょにそれを断行しようかというお心もないではないものの、いったん仏道にはいった以上は、仮にもこの世を顧みることはしたくないというお考えで、未来の世では一つの蓮華《れんげ》の上に安住しようと約束しておいでになる御夫婦であっても、この世での出家後の生活は全然区別を立てたものにせねばならぬという御本意から、こうして病弱な身体《からだ》になってしまった夫人と、離れておしまいになることは気がかりで、悟道にはいった新生活も内から破れていくことを院は恐れて躊躇《ちゅうちょ》をしておいでになるのである。結局は深い考えもなく簡単に出家してしまう人よりも、道にはいることが遅れるわけである。院の同意されぬのを見ぬ顔にして尼になってしまうことも見苦しいことであるし、自分の心にも満足のできぬことであろうからと思って、この点で夫人は院をお恨めしく思った。また自分自身も前生の罪の深いものであろうと不安がりもした。以前から自身の願《がん》果たしのために書かせてあった千部の法華《ほけ》経の供養を夫人はこの際することとした。自邸のような気のする二条の院でこの催しをすることにした。七僧の法服をはじめとして、以下の僧へ等差をつけて纏頭《てんとう》にする僧服類をことに精撰して夫人は作らせてあった。そのほかのすべてのことにも費用を惜しまぬ行き届いた仏事の準備ができているのである。内輪《うちわ》事のように言っていたので、院はみずから計画に参加あそばさなかったが、女の催しでこれほど手落ちなく事の運ばれることは珍しいほどに万事のととのったのをお知りになって、仏道のほうにも深い理解のあることで夫人をうれしく思召した院は、御自身の手ではただ来賓を饗応《きょうおう》する座敷の装飾その他のことだけをおさせになった。音楽舞曲のほうのことは左大将が好意で世話をした。宮中、東宮、院の后《きさき》の宮、中宮《ちゅうぐう》をはじめとして、法事へ諸家からの誦経《ずきょう》の寄進、捧《ささ》げ物なども大がかりなものが多いばかりでなく、この法会《ほうえ》に志を現わしたいと願わない世人もない有様であったから、華麗な仏会の式場が現出したわけである。いつの間にこの大部の経巻等を夫人が仕度《したく》したかと参列者は皆驚いた。長い年月を使った夫人の志に敬服したのである。花散里《はなちるさと》夫人、明石《あかし》夫人なども来会した。南と東の戸をあけて夫人は聴聞の席にした。それは寝殿の西の内蔵《うちぐら》であった。北側の部屋《へや》に各夫人の席を襖子《からかみ》だけの隔てで設けてあった。
 三月の十日であったから花の真盛《まっさか》りである。天気もうららかで暖かい日なので、快くて御仏《みほとけ》のおいでになる世界に近い感じもすることから、あさはかな人たちすらも思わず信仰にはいる機縁を得そうであった。薪《たきぎ》こる(法華《ほけ》経はいかにして得し薪こり菜摘み水|汲《く》みかくしてぞ得し)歌を同音に人々が唱える声の終わって、今までと反対に式場の静まりかえる気分は物哀れなものであるが、まして病になっている夫人の心は寂しくてならなかった。明石夫人の所へ女王《にょおう》は三の宮にお持たせして次の歌を贈った。

[#ここから2字下げ]
惜しからぬこの身ながらも限りとて薪《たきぎ》尽きなんことの悲しさ
[#ここで字下げ終わり]

 夫人の心細い気持ちに共鳴したふうのものを返しにしては、認識不足を人から譏《そし》られることであろうと思って、明石はそれに触れなかった。

[#ここから2字下げ]
薪こる思ひは今日を初めにてこの世に願ふ法《のり》ぞはるけき
[#ここで字下げ終わり]

 経声も楽音も混じっておもしろく夜は明けていくのであった。朝ぼらけの靄《もや》の間にはいろいろの花の木がなお女王の心を春に惹《ひ》きとどめようと絢爛《けんらん》の美を競っていたし春の小鳥のさえずりも笛の声に劣らぬ気がして、身にしむこともおもしろさもきわまるかと思われるころに、「陵王《りょうおう》」が舞われて、殿上の貴紳たちが舞い人へ肩から脱いで与える纏頭《てんとう》の衣服の色彩などもこの朝はただ美しくばかり思われた。親王がた、高官らも音楽に名のある人はみずからその芸を惜しまずこの場で見せて遊んだ。上から下まで来会者が歓楽に酔っているのを見ても、余命の少ないことを知っている夫人の心だけは悲しかった。
 昨日は例外に終日起きていたせいか夫人は苦しがって横になっていた。これまでこうしたおりごとに必ず集まって来て、音楽舞楽の何かの一役を勤める人たちの容貌《ようぼう》や風采《ふうさい》にも、その芸にも逢《あ》うことが今日で終わるのかというようなことばかりが思われる夫人であったから、平生は注意の払われない顔も目にとまって、少しのことにも物哀れな気持ちが誘われて来賓席を夫人は見渡しているのであった。まして四季の遊び事に競争心は必ずあっても、さすがに長くつちかわれた友情というもののあった夫人たちに対しては、だれも永久に生き残る人はないであろうが、まず自分一人がこの中から消えていくのであると思われるのが女王の心に悲しかった。宴が終わってそれぞれの夫人が帰って行く時なども、生死の別れほど別れが惜しまれた。花散里夫人の所へ、
 
[#ここから2字下げ]
絶えぬべき御法《みのり》ながらぞ頼まるる世々にと結ぶ中の契りを
[#ここで字下げ終わり]

 と書いて紫の女王は送った。

[#ここから2字下げ]
結びおく契りは絶えじおほかたの残り少なき御法なりとも
[#ここで字下げ終わり]

 これは返事である。供養に続いて不断の読経《どきょう》、懺法《せんぼう》などもこの二条の院で院はおさせになるのであった。祈祷《きとう》は常におさせになっていたが、たいした効果も見えないために、わざわざ遠い寺々などでさせることにもお計らいになった。
 夏になると夫人は暑気のためにも死ぬようになることが多かった。病名も定まらぬ程度のものであるが、ただ衰弱がひどかった。堪えがたい苦しみをするというのでもない。女房たちの心にも、どうおなりになるのであろう、このまま危篤になっておしまいになるのではなかろうかという不安が生じてきて、惜しく悲しくばかりそれらの人々も思って歎いていた。こんなふうであったから院は中宮を御所から二条の院へ退出おさせになった。当分東の対《たい》にお住みになるはずであったから、いったんこの西の対へおはいりになることにより、お迎えの儀式なども定例どおりにしていながらも、この宮のますますお栄えになる未来の日までを見ずに終わるかというように夫人は悲しんだ。お供をして来た役人たちの姓名の披露《ひろう》される時にも、だれがいる、かれも来ていると、女王は深く耳にとまる気がした。高官たちも多数に来ていたのである。しばらくぶりに、実母子以上の愛情が相互にある二人の女性はしめやかに語り合っておいでになった。院がはいっておいでになったが、
「今夜は巣を追われた鳥のようでかわいそうな私はどこかで寝ることにしよう」
 と言って、他の室《へや》へ行っておしまいになった。起きていた夫人の姿を御覧になったことがおうれしそうであったが、それはしいてよいように見てみずから慰めておいでになるのにすぎないのである。
「離れた所では、こちらからあちらへ歩いてお帰りになることがたいへんですし、私もまたあちらへ上がることはもうできなくなっていますから」
 と夫人は言っていて、中宮はしばらくこの病室のあるほうの対におとどまりになることになった。明石《あかし》夫人もこちらへ来てしんみりとした会話が日々かわされた。女王の心の中では頼みたく、言っておきたく思うことが幾つかあったが、賢そうに死後のことを今から言うように取られるのを恥じて、そうした問題には触れないのであった。ただ人生のはかなさをおおように、言葉少なに、しかも軽々しくはなしに話すのが、露骨に死期の近いことを言うよりもどんなに心細い気持ちでいるかを思わせた。女王《にょうおう》は孫である宮たちを見ても、
「あなたがたがどうおなりになるだろうと、将来が見たいような気がしましたのも、私のようにつまらない者でいながら、知らず知らず命を惜しんでいたわけでしょうか」
 こんなことを言って涙ぐむその顔が非常に美しかった。なぜそんなふうにばかり感ぜられるのであろうとお思いになって、中宮はお泣きになった。遺言のようにはせず話の中などで時々、
「長く私に仕えてくれました人たちの中で、たいした身寄りのないようなかわいそうなだれだれなどを、私がいなくなりましたあとで、あなたから気をつけてやってください」
 などというほどにしか死後のことは言わないのである。
 病室で読経《どきよう》の始められる日になってから中宮は東の対へお移りになった。三の宮は幾人もの宮様がたの中にことに愛らしいお姿でそばへ遊びにおいでになるのを、病苦の薄らいだ時などに女王は前へおすわらせして、女房たちの聞いていないのを見ると、
「私がいなくなりましたら、あなたは思い出してくださるでしょうね」
 などと言うのであったが、宮は、
「恋しいでしょう。私は御所の陛下よりも中宮様よりもお祖母《ばあ》様が好きなんだ。いらっしゃらなくなったら私は悲しいでしょうよ」
 とお言いになって、目をこすって涙を紛らしておいでになる宮のお姿のおかわいいために、夫人は微笑をして見ているのであったが、目からは涙がこぼれた。
「あなたが大人におなりになったら、ここへお住みになって、この対の前の紅梅と桜とは花の時分に十分愛しておながめなさいね。時々はまた仏様へもお供えになってね」
 と言うと、宮はおうなずきになりながら、夫人の顔を見守っておいでになったが、涙が落ちそうになったので、立ってお行きになった。手もとでお育てしたために夫人はこの宮と姫君にお別れすることをことに悲しく思っていた。
 ようやく秋が来て京の中も涼しくなると、紫夫人の病気も少し快くなったようには見えるのであるが、どうかするとまたもとのような容体にかえるのであった。まだ身にしむほどの秋風が吹くのではないが、しめっぽく曇る心をばかり持って夫人は日を送った。中宮《ちゅうぐう》は御所へおはいりにならず、もう少しここにおいでになるほうがよいことになるでしょうと女王はお言いしたいのであるが、死期を予感しているように賢がって聞こえぬかと恥ずかしく思われもしたし、御所からの御催促の御使《みつか》いのひっきりなしに来ることに御遠慮がされもして、おとどめすることも申さないでいるうちに、夫人がもう東の対へ出て来ることができないために、宮のほうからそちらへ行こうと中宮が仰せられた。
 失礼であると思い心苦しく思いながらも、お目にかからないでいることも悲しくて、西の対へ宮のお居間を設けさせて、夫人はなつかしい宮をお迎えしたのであった。夫人は非常に痩《や》せてしまったが、かえってこれが上品で、最も艶《えん》な姿になったように思われた。これまであまりにはなやかであった盛りの時は、花などに比べて見られたものであるが、今は限りもない美の域に達して比較するものはもう地上になかった。その人が人生をはかなく、心細く思っている様子は、見るものの心をまでなんとなく悲しいものにさせた。
 風がすごく吹く日の夕方に、前の庭をながめるために、夫人は起きて脇息《きょうそく》によりかかっているのを、おりからおいでになった院が御覧になって、
「今日はそんなに起きていられるのですね。宮がおいでになる時にだけ気分が晴れやかになるようですね」
 とお言いになった。わずかに小康を得ているだけのことにも喜んでおいでになる院のお気持ちが、夫人には心苦しくて、この命がいよいよ終わった時にはどれほどお悲しみになるであろうと思うと物哀れになって、

[#ここから2字下げ]
おくと見るほどぞはかなきともすれば風に乱るる萩《はぎ》の上露
[#ここで字下げ終わり]

 と言った。そのとおりに折れ返った萩の枝にとどまっているべくもない露にその命を比べたのであったし、時もまた秋風の立っている悲しい夕べであったから、

[#ここから2字下げ]
ややもせば消えを争ふ露の世に後《おく》れ先きだつ程《ほど》へずもがな
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 とお言いになる院は、涙をお隠しになる余裕もないふうでおありになった。宮は、

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秋風にしばし留まらぬ露の世をたれか草葉の上とのみ見ん
[#ここで字下げ終わり]

 とお告げになるのであった。美貌《びぼう》の二女性が最も親しい家族として一堂に会することが快心のことであるにつけても、こうして千年を過ごす方法はないかと院はお思われになるのであったが、命は何の力でもとどめがたいものであるのは悲しい事実である。
「もうあちらへおいでなさいね。私は気分が悪くなってまいりました。病中と申してもあまり失礼ですから」
 といって、女王は几帳《きちょう》を引き寄せて横になるのであったが、平生に超《こ》えて心細い様子であるために、どんな気持ちがするのかと不安に思召《おぼしめ》して、宮は手をおとらえになって泣く泣く母君を見ておいでになったが、あの最後の歌の露が消えてゆくように終焉《しゅうえん》の迫ってきたことが明らかになったので、誦経《ずきょう》の使いが寺々へ数も知らずつかわされ、院内は騒ぎ立った。以前も一度こんなふうになった夫人が蘇生《そせい》した例のあることによって、物怪《もののけ》のすることかと院はお疑いになって、夜通しさまざまのことを試みさせられたが、かいもなくて翌朝の未明にまったくこと切れてしまった。
 宮もお居間にお帰りにならぬままで臨終に立ち会えたことを、うれしくも悲しくも思召した。御良人《ごりょうじん》も御娘《みむすめ》も、これを人生の常としてだれも経験していることとはお思いになれないで、言語に絶した悲しみ方をしておいでになるのである。二条の院の中は絶望して心を取り乱した人ばかりになった。院はお心の静めようもないふうで、大将を几帳のそばへお呼び寄せになって、
「もうだめになったことは確かなようだ。長く希望していた出家のことをこの際に遂げさせてやらないのは惨酷なように思われるが、加持に来ていた僧たちも読経《どきょう》の僧たちも皆することをやめて帰ったとしても、少しは残っているのもあろうから、この世の利益はもう必要がなくなった今では冥土《めいど》のお手引きに仏をお願いすることにして、髪を切って尼にすることをそのだれかにさせてくれ。相当な僧ではだれが残っているか」
 こうお言いになる御様子にも、自制しておいでになるのであろうが、御血色もまったくないようで、涙がとまらず流れているお顔を、ごもっともなことであると大将は悲しく見た。
「物怪などが周囲の者を驚かすために、そうしたことをすることもあるのですが、絶望の御状態とはそうしたわけではないのでございましょうか。それでございましたら、ただ今承りましたことは結構なことでございまして、一日一夜でも道におはいりになっただけのことは報いられるでしょうが、しかしもうまったくお亡《な》くなりになったのでございましたら、死後のお髪《ぐし》の形を変えますだけのことがあの世の光にはならないでしょう。そして眼《め》で見る遺族たちの悲しみだけが増大することになるだけのことでございますから、私はいかがかと存じます」
 と大将は言って、忌中をこの院でこもり続けようとする志のある僧たちの中から人選して念仏をさせることを命じたりすることなども皆この人がした。今日までだいそれた恋の心をいだくというのではなかったが、どんな時にまたあの野分《のわき》の夕べに隙見《すきみ》を遂げた程度にでも、また美しい継母が見られるのであろう、声すらも聞かれぬ運命で自分は終わるのであろうかというあこがれだけは念頭から去らなかったものであるが、声だけは永遠に聞かせてもらえない宿命であったとしても、遺骸《いがい》になった人にせよもう一度見る機会は今この時以外にあるわけもないと夕霧は思うと、声も立てて泣かれてしまうのであった。
 あるだけの女房は皆泣き騒いでいるのを、
「少し静かに、しばらく静かに」
 と制するようにして、ものを言う間に几帳の垂れ絹を手で上げて見たが、まだほのぼのとしはじめたばかりの夜明けの光でよく見えないために、灯《ひ》を近くへ寄せてうかがうと、麗人の女王《にょうおう》は遺骸になってなお美しくきれいで、その顔を大将がのぞいていても隠そうとする心はもう残っていなかった。院は、
「このとおりにまだなんら変わったところはないが、生きた人でないことだけはだれにもわかるではないか」
 こうお言いになって、袖《そで》で顔をおさえておいでになるのを見ては、大将もしきりに涙がこぼれて、目も見えないのを、しいて引きあけて、遺骸をながめることをしたがかえって悲しみは増してくるばかりで、気も失うのではないかと夕霧はみずから思った。横にむぞうさになびけた髪が豊かで、清らかで、少しのもつれもなくつやつやとして美しい。明るい灯のもとに顔の色は白く光るようで、生きた佳人の、人から見られぬよう見られぬようと願う心の休みなく働いているのよりも、己《おのれ》をあやぶむことも、他を疑うこともない純粋なふうで寝ている美女の魅力は大きかった。少々の欠点があってもなお夕霧の心は恍惚《こうこつ》としていたであろうが、見れば見るほど故人の美貌《びぼう》の完全であることが認識されるばかりであったから、この自分を離れてしまうような気持ちのする心はそのままこの遺骸にとどまってしまうのではないかというような奇妙なことも夕霧は思った。
 長く仕えていた女房の中に意識の確かにあるような者はない状態であったから、院は非常に悲しい気持ちをしいておしずめになって、遺骸の始末などをあそばすのであった。昔も愛人や妻の死におあいになった経験はおありになっても、まだこんなことまでも手ずから世話あそばされたことはなかったから、自身としては空前絶後の悲しみであると見ておいでになるのであった。紫の女王の遺骸はその日のうちに納棺された。どれほど愛すればとて遺骸は遺骸として葬送せねばならぬのが人生の悲しい掟《おきて》であった。
 はるばると広い野にあいた場所がないほどにも葬送の人の集まったいかめしい儀式であったが、送られた人ははかない煙になって間もなく立ち昇《のぼ》ってしまった。当然のことではあるがこれをも人々は悲しんだ。空を歩いているような気持ちで院は人によりかかって足を運んでおいでになるのを見ては、あの高貴な御身分でと低級な頭のものさえも御同情して泣かない者はなかった。遺骸の供をして来た女房たちはまして夢の中に彷徨《ほうこう》しているような気持ちになっていて、車から転《ころ》び落ちそうに見えるのを従者たちは扱いかねていた。昔、大将の母君の葵《あおい》夫人の葬送の夜明けのことを院は思い出しておいでになったが、その時はなお月の形が明瞭《めいりょう》に見えた御記憶があった。今は心も目も暗闇《くらやみ》のうちのような気のあそばされる院でおありになった。女王は十四日に薨去《こうきょ》したのであって、これは十五日の夜明けのことである。
 はなやかな日が上って、野原一面に置き渡した露がすみずみまできらめく所をお通りになりながら、院はいっそうこの時人生というものをいとわしく悲しく思召して、残った自分の命といっても、もう長くは保ちえられるものではないであろうから、こうした苦しみを見る時に、昔からの希望であった出家も遂げたいとしきりにお思われになるのであったが、気の弱さを史上に残すことが顧慮されて、当分はこのままで忍ぶほかはないと御決心はあそばされても、なお胸の悲しみはせき上がってくるのであった。
 夕霧も、紫夫人の忌中を二条院にこもることにして、かりそめにも出かけるようなことはなく、明け暮れ院のおそばにいて、心苦しい御|悲歎《ひたん》をもっともなことであると御同情をして見ながら、いろいろと、お慰めの言葉を尽くしていた。
 風が野分《のわき》ふうに吹く夕方に、大将は昔のことを思い出して、ほのかにだけは見ることができた人だったのにと、過ぎ去った秋の夕べが恋しく思われるとともに、また麗人の終わりの姿を見て夢のようであったことも人知れず忍んでいると非常に悲しくなるのを、人目に怪しまれまいとする紛らわしには、阿弥陀仏《あみだぶつ》、阿弥陀仏と唱えて数珠《じゅず》の緒を繰ることをした。涙の玉も混ぜてである。

[#ここから2字下げ]
いにしへの秋の夕べの恋しきに今はと見えし明け暗《ぐ》れの夢
[#ここで字下げ終わり]

 この夢の酔いごこちは永遠の悲しみの澱《おり》を大将の胸に残したようである。りっぱな僧たちを集めて忌籠《いみごも》りの念仏をさせることは普通であるが、なおそのほかに法華《ほけ》経をも院がお読ませになっているのも両様の悲哀を招く声のように聞こえた。
 寝ても起きても涙のかわくまもなく目はいつも霧におおわれたお気持ちで院は日を送っておいでになった。一生を回顧してごらんになると、鏡に写る容貌《ようぼう》をはじめとして恵まれた人物として世に登場したことは確かであるが、幼年時代からすでに人生の無常を悟らせられるようなことが次々周囲に起こって、これによって仏道へはいれと仏の促《うなが》すのをしいて知らぬふうに世の中から離脱することのできなかったために、過去にも未来にもこんなことがあろうとは思われぬ大なる悲しみを体験させられることになった、これほど悲しみのしずめがたい心を持っている間は、仏の道にもはいることは不可能であろうとみずからおあやぶまれになる院は、この心持ちを少しゆるやかにされたいと阿弥陀仏を念じておいでになった。
 忌中の院をお見舞いになるかたがたは宮中をはじめとして、皆形式的ではなくたびたびの使いをおつかわしになるのであった。仏道から言えばいっさいのことは院の御念頭から除《の》けられてよいわけではあるが、さすがに悲しみにぼけたふうには人から見られたくない、こうした一生の末になって妻を失った悲しみに堪えないで入道したという名の残ることだけははばかっておいでになるために、見えぬ拘束を受けて自由に出家のおできにならぬこともこのごろの悲しみに添った一つの悲しみになった。
 太政大臣は人が不幸であるおりに傍観していられぬ性質であったから、紫夫人というような不世出の佳人の突然に死んだことを惜しがり、院に御同情してたびたび見舞いの手紙をお送りした。昔大将の母君が亡《な》くなったのも秋のこのごろのことであったと思い出して、大臣は当時の悲しみもまた心の中に湧《わ》き出してくるのであったが、その時に妹の死を惜しんだ人たちも多くすでに故人になっている、先立つということも、後《おく》れるということもたいした差のない時間のことではないかなどと考えて、もののしんみりと感ぜられる夕方に庭をながめていた。息子《むすこ》の蔵人《くろうど》少将を使いにして六条院へ手紙を持たせてあげた。人生の悲しみをいろいろと言って、古い親友をお慰めする長い文章の書かれてある端のほうに、

[#ここから2字下げ]
古《いにし》への秋さへ今のここちして濡《ぬ》れにし袖《そで》に露ぞ置き添ふ
[#ここで字下げ終わり]

 という歌もあった。ちょうど院も、過去になったいろいろな場合を思い出しておいでになる時であったから、大臣の言う昔の秋も、早く死別した妻のことも皆一つの恋しさになって流れてくる涙の中で返事をお書きになるのであった。

[#ここから2字下げ]
露けさは昔今とも思ほえずおほかた秋の世こそつらけれ
[#ここで字下げ終わり]

 悲しいことだけを書いておいては、あまりに弱いことであると批難するであろう、大臣の性格を知っておいでになる院は御注意をみずからあそばして、たびたび厚意のある御慰問を受けているといって、悦《よろこ》びの言葉などもお書き加えになるのをお忘れにならなかった。
 薄墨色を着ると葵《あおい》夫人の死んだ時にお歌いになったその喪服よりも、今度は少し濃い色のを着て悲しみを示された。
 どんな幸運に恵まれていても、理由のない世間の嫉妬《しっと》を受けることがあるものであるし、またその人自身にも驕慢《きょうまん》な心ができてそのために人の苦しめられる人もあるのであるが、紫の女王という人は不思議なほどの人気があって、何につけても渇仰《かつごう》され、ほめられる唯一の瑕《きず》のない珠《たま》のような存在であり、善良な貴女《きじょ》であったのであるから、たいした関係のない世間一般の人たちまでも今年の秋は虫の声にも、風の音にも、また得がたいこの世の宝を失った悲しみに誘われて、涙を落とさない者はないのである。ましてほのかにでも女王を見たことのある人たちにとって、女王を失った悲しみはとうてい忘られるものではなかった。女王が親しく手もとに使っていた女房たちで、たとい少しの間にもせよ夫人に後《おく》れて生き残っている命を恨めしいと思って尼になる者もあった。尼になってまだ満足ができずに遠く世と離れた田舎《いなか》へ住居《すまい》を移そうとする者もあった。
 冷泉《れいぜい》院の后《きさき》の宮も御同情のこもるお手紙を始終お寄せになった。故人を忍ぶことをお書きになった奥に、

[#ここから2字下げ]
枯れはつる野べをうしとや亡《な》き人の秋に心をとどめざりけん

[#ここから1字下げ]
はじめてわかった気もいたします。
[#ここで字下げ終わり]
 とお書きになったものを、院はお悲しみの中でも繰り返しお読みになって、いつまでもながめておいでになった。趣味の洗練された方として、思うことも書きかわしうる方はまだお一人この方があるとお思いになって、院は少しうれいの紛れる気持ちをお覚えになりながら涙の流れ続けるためにお筆が進まなかった。

[#ここから2字下げ]
昇《のぼ》りにし雲井ながらも返り見よわれ飽きはてぬ常ならぬ世に
[#ここで字下げ終わり]

 お返事をお書き了《お》えになったあとでもなお院は見えぬものに見入っておいでになった。
 お気持ちを強くあそばすことができずに悲しみにぼけたところがあるようにみずからお認めになる院はもとの夫人の居間のほうにばかりおいでになった。仏像をお据《す》えになった前に少数の女房だけを侍《はべ》らせて、ゆるやかに仏勤めをあそばす院でおありになった。千年もごいっしょにいたく思召《おぼしめ》した最愛の夫人も死に奪われておしまいにならねばならなかったことがお気の毒である。もうこの世にはなんらの執着も残らぬことを自覚あそばされて、遁世《とんせい》の人とおなりになるお用意ばかりを院はしておいでになるのであるが、人聞きということでまた躊躇《ちゅうちょ》しておいでになるのはよくないことかもしれない。
 夫人の法事についても順序立てて人へお命じになることは悲しみに疲れておできにならない院に代わって大将がすべて指図《さしず》をしていた。自分の命も今日が終わりになるのであろうとお考えられになる日も多かったが、結局四十九日の忌《いみ》の明けるのを御覧になることになったかと院は夢のように思召した。中宮《ちゅうぐう》なども紫夫人を忘れる時なく慕っておいでになった。

御法 版本说明

底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
   1994(平成6)年6月15日39版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年1月15日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:柳沢成雄
2003年10月6日作成
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42 まぼろし

[#地から3字上げ]大空の日の光さへつくる世のやうやく
[#地から3字上げ]近きここちこそすれ    (晶子)

 春の光を御覧になっても、六条院の暗いお気持ちが改まるものでもないのに、表へは新年の賀を申し入れる人たちが続いて参入するのを院はお加減が悪いようにお見せになって、御簾《みす》の中にばかりおいでになった。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮のおいでになった時にだけはお居間のほうでお会いになろうという気持ちにおなりになって、まず歌をお取り次がせになった。

[#ここから2字下げ]
わが宿は花もてはやす人もなし何にか春の訪《たづ》ねきつらん
[#ここで字下げ終わり]

 宮は涙ぐんでおしまいになって、

[#ここから2字下げ]
香をとめて来つるかひなくおほかたの花の便《たよ》りと言ひやなすべき
[#ここで字下げ終わり]

 と返しを申された。紅梅の木の下を通って対のほうへ歩いておいでになる宮の、御|風采《ふうさい》のなつかしいのを御覧になっても、今ではこの人以外に紅梅の美と並べてよい人も存在しなくなったのであると院はお思いになった。花はほのかに開いて美しい紅を見せていた。音楽の遊びをされるのでもなく、常の新春に変わったことばかりであった。
 女房なども長く夫人に仕えた者はまだ喪服の濃い色を改めずにいて、なお醒《さ》ましがたい悲しみにおぼれていた。他の夫人たちの所へお出かけになることがなくて、院が常にこちらでばかり暮らしておいでになることだけを皆慰めにしていた。これまで執心がおありになるのでもなく、時々情人らしくお扱いになった人たちに対しては独居をあそばすようになってからはかえって冷淡におなりになって、他の人たちへのごとく主従としてお親しみになるだけで、夜もだれかれと幾人も寝室へ侍《はべ》らせて、御退屈さから夫人の在世中の話などをあそばしたりした。次第に恋愛から超越しておしまいになった院は、まだこうした純粋なお心になれなかった時代に、怨《うら》めしそうな様子がおりおり夫人に見えたことなどもお思い出しになって、なぜ戯れ事にせよ、また運命がしからしめたにせよ、そうした誘惑に自分が打ち勝ちえないで、あの人を苦しめたのであろう、聡明《そうめい》な人であったから、十分の理解は持っていながらも、あくまで怨《うら》みきるということはなくて、どの人と交渉の生じた場合にも一度ずつはどうなることかと不安におびえたふうが見えたと院は回顧あそばされて、そうした煩悶《はんもん》を女王《にょおう》にさせたことを後悔される思いが胸からあふれ出るようにお感じになるのであった。
 そのころのことを見ていた人で、今も残っている女房は少しずつ当時の夫人の様子を話し出しもした。入道の宮が六条院へ入嫁になった時には、なんら色に出すことをしなかった夫人であったが、事に触れて見えた味気ないという気持ちの哀れであった中にも、雪の降った夜明けに、戸のあけられるまでを待つ間、身内も冷え切るように思われ、はげしい荒れ模様の空も自分を悲しくしたのであったが、はいって行くと、なごやかな気分を見せて迎えながらも、袖《そで》がひどく涙でぬれていたのを、隠そうと努めた夫人の美質などを、院は夜通し思い続けておいでになって、夢にでも十分にその姿を見ることができるであろうか、どんな世にまためぐり合うことができるのであろうかとばかりあこがれておいでになった。夜明けに部屋《へや》へさがって行く女房なのであろうが、
「まあずいぶん降った雪」
 と縁側で言うのが聞こえた。その昔の時のままなようなお気持ちがされるのであったが、夫人は御横にいなかった。なんという寂しいことであろうと院は思召《おぼしめ》した。

[#ここから2字下げ]
うき世にはゆき消えなんと思ひつつ思ひのほかになほぞ程《ほど》経《ふ》る
[#ここで字下げ終わり]

 こうした時を何かによって紛らわしておいでになる院は、すぐに召し寄せて手水《ちょうず》をお使いになった。女房たちは埋《うず》んでおいた火を起こし出して火鉢《ひばち》をおそばへおあげするのであった。中納言の君や中将の君はお居間に来てお話し相手を勤めた。
「独《ひと》り寝《ね》がなんともいえないほど寂しく思われる夜だった。これでも安んじていられる自分だのに、つまらぬ関係をたくさんに作ってきたものだ」
 とめいったふうに院は言っておいでになった。自分までもここを捨てて行ったなら、この人たちはどんなに憂鬱《ゆううつ》になるだろうなどとお思いになって、居間の中がお見渡されになるのであった。目だたぬように仏勤めをあそばして、経をお読みになる声を聞いていては、ただの場合でも涙の流れるものであるのに、まして院のお悲しみに深い同情を寄せている女房たちであったから、痛切においたましく思われた。
「この世のことではあまり不足を感じなくともよいはずの身分に生まれていながら、だれよりも不幸であると思わなければならぬことが絶えず周囲に起こってくる。これは自分に人生のはかなさを体験すべく仏がお計らいになるのだと思われる。それをしいて知らぬ顔にしてきたものだから、こうして命の終わりも近い時になって、最も悲しい経験をすることになったのだ。これで負って来た業《ごう》も果たせた気がして、安らかな境地が自分の心にできて、執着の残るものもない私だが、あなたたちと以前よりも、より親密にして数か月を暮らしてきたことで、あなたたちとの別れにもう一度心が乱れないかという不安が自分にできてきた。弱い私の心じゃないか」
 とお言いになって、目をおおさえになるふうをしてお紛らしになろうとするにもかかわらず、院のお涙のこぼれるのを見る女房たちは、ましてとめどもなく泣かれるのであった。そうしていよいよ院が見捨てておしまいになることの歎《なげ》かわしさをだれも訴えたいのであるが、言い出しうる者もなかった。皆むせ返っていたからである。こんなふうに歎きに明かしておしまいになる朝、物思いに一日をお暮らしになった夕方などのしんみりとした時間には、愛人関係が以前あった人たちを居間に集めて語り合うのを慰めにあそばす院でおありになった。
 中将の君というのはまだ小さい時から夫人に仕えてきた人であったが、院はいつとなく無関心でありえなくおなりになったか情人にしておしまいになったのを、彼女は夫人に対して自責の念に堪えないで、院の愛の手を避けるようにばかりしていたが、夫人の歿後《ぼつご》は愛欲を離れて、だれよりもすぐれて故人の愛していた女房であったとお思われになることによって、形見と見てこの人に院は愛を持っておいでになった。性質も容貌《ようぼう》も皆よくて、喪服姿がうない松に似た可憐《かれん》な女である。親しくない女房には顔もあまりお見せにならないこのごろの院でおありになった。お近しくした高官たちとか、御兄弟の宮がたとかは始終お訪《たず》ねされるのであるがあまり御面会になることもない。人と逢《あ》っている時だけはよく自制して醜態を見せまいとしても、長く悲しみに浸っていてぼけた自分がどんなあやまちを客の前でしてしまうかもしれぬ、そうしたことがのちに語り伝えられることはいやである、歎き疲れて人に逢うこともできないと言われるのも、恥ずかしいことは同じであるが、話だけで想像されることよりも実際人の目で見られたことの噂《うわさ》になるほうが迷惑になるとお思いになって、大将などにも御簾《みす》越しでしかお逢いにならなかった。こんなふうに悲歎に心が顛倒《てんとう》したように人が言うであろう間を静かに過ごしてから、と出家の日をお思いになって、まだ人間の中をお去りになることをされないのであった。
 他の夫人たちの所へ稀《まれ》においでになることがあっても、そこでその人々が紫の女王でないことから新しいお悲しみが心に湧《わ》いて涙ばかりが流れるのをみずからお恥じになってどちらへももう出かけられることがなくなっていた。中宮《ちゅうぐう》は御所へお入れになったのであるが、三の宮だけは寂しさのお慰めにここへとどめてお置きになった。
「お祖母《ばあ》様がおっしゃったから」
 とお言いになって、宮は対の前の紅梅と桜を責任があるように見まわっておいでになるのを、院は哀れに思召《おぼしめ》した。
 二月になると、花の木が盛りなのも、まだ早いのも、梢《こずえ》が皆|霞《かす》んで見える中に、女王の形見の紅梅に鶯《うぐいす》が来てはなやかに啼《な》くのを、院は縁へ出てながめておいでになった。

[#ここから2字下げ]
植ゑて見し花の主人《あるじ》もなき宿に知らず顔にて来居る鶯
[#ここで字下げ終わり]

 春の空を仰いで吐息《といき》をおつかれになった。
 春が深くなっていくにしたがって庭の木立ちが昔の色を皆備えてお胸を痛くするばかりであったから、この世でもないほどに遠くて、鳥の声もせぬ山奥へはいりたくばかり院はお思いになるのであった。山吹の咲き誇った盛りの花も涙のような露にぬれているところばかりがお目についた。よそでは一重桜が散り、八重の盛りが過ぎて樺桜《かばざくら》が咲き、藤《ふじ》はそのあとで紫を伸べるのが春の順序であるが、この庭は花の遅速を巧みに利用して、散り過ぎた梢はあとの花が隠してしまうように女王がしてあったために、いつまでも光る春がとどまっているようなのである。若宮が、
「私の桜がとうとう咲いた。いつまでも散らしたくないな。木のまわりに几帳《きちょう》を立てて、切れを垂《た》れておいたら風も寄って来ないだろうと思う」
 たいした発明をされたようにこう言っておいでになる顔のお美しさに院も微笑をあそばした。
「覆《おお》うばかりの袖《そで》がほしいと歌った人よりも宮の考えのほうが合理的だね」
 などとお言いになって、この宮だけを相手にして院は暮らしておいでになるのであった。
「あなたと仲よくしていることも、もう長くはないのですよ。私の命はまだあっても、絶対にお逢いすることができなくなるのです」
 とまた院は涙ぐんでお言いになるのを、宮は悲しくお思いになって、
「お祖母《ばあ》様のおっしゃったことと同じことをなぜおっしゃるの、不吉ですよ、お祖父《じい》様」
 と言って、顔を下に伏せて御自身の袖などを手で引き出したりして涙を宮はお隠しになっていた。欄干の隅《すみ》の所へ院はおよりかかりになって、庭をも御簾《みす》の中をもながめておいでになった。女房の中にはまだ喪服を着ているのがあった。普通の服を着ているのも、皆|派手《はで》な色彩を避けていた。院御自身の直衣《のうし》も色は普通のものであるが、わざとじみな無地なのを着けておいでになるのであった。座敷の中の装飾なども簡素になっていて目に寂しい。

[#ここから2字下げ]
今はとて荒《あら》しやはてん亡《な》き人の心とどめし春の垣根《かきね》を
[#ここで字下げ終わり]

 とお歌いになる院は真心からお悲しそうであった。
 徒然《とぜん》さに院は入道の宮の御殿へおいでになった。若宮も人に抱かれて従っておいでになって、こちらの若宮といっしょに走りまわってお遊びになるのであった。花の木をおいたわりになる責任もお忘れになるくらいにおふざけになった。
 尼宮は仏前で経を読んでおいでになった。たいした信仰によっておはいりになった道でもなかったが、人生になんらの不安もお感じになるものもなくて、余裕のある御身分であるために、専心に仏勤めがおできになり、その他のことにいっさい無関心でおいでになる御様子の見えるのを院はうらやましく思召した。こうした浅い動機で仏の御|弟子《でし》になられた方にも劣る自分であると残念にお思いになるのである。閼伽棚《あかだな》に置かれた花に夕日が照って美しいのを御覧になって、
「春の好きだった人の亡くなってからは、庭の花も情けなくばかり見えるのですが、こうした仏にお供えしてある花には好意が持たれますよ」
 とお言いになった院は、また、
「対の前の山吹《やまぶき》はほかでは見られない山吹ですよ、花の房《ふさ》などがずいぶん大きいのですよ。品よく咲こうなどとは思っていない花と見えますが、にぎやかな派手《はで》なほうではすぐれたものですね。植えた人がいない春だとも知らずに例年よりもまたきれいに咲いているのが哀れに思われます」
 と仰せられた。宮はお返辞に、
「谷には春も」(光なき谷には春もよそなれば咲きてとく散るもの思《も》ひもなし)
 とお言いになるのであった。言うこともほかにありそうなものを自分の悲しみを嘲笑《ちょうしょう》するにあたるようなことをお言いになるとはと院は心に思召《おぼしめ》しながらも、紫の女王はこうした思いやりのないことを言い出すこともすることも最後まで絶対にない女性であったと、少女時代からの故夫人のことを追想してごらんになると、その時はこう、あの時はこうと、才気と貴女らしい匂《にお》いの多かった性格、容姿、言った言葉などばかりがお思われになって、涙のこぼれてきたのを院はお恥じになった。
 夕方の霞《かすみ》が物をおぼろに見せる美しい時間であったから、院はそこからすぐ明石《あかし》夫人の住居《すまい》をお訪《たず》ねになった。久しくおいでがなかったのであるから突然なことに夫人は驚いたのであったが、すぐに感じよく席を設けてお迎えするようなところに、この人のだれよりも怜悧《れいり》な性質は見えるものの、また故人はこうでもない高雅な上品さがあったと思い比べられては、その幻ばかりが追われるようにおなりになって、悲しみがさらにまさってくるのを、院は御自身ながらどうすれば慰む心であろうと苦しく思召した。こちらでは落ち着いて昔の話などを院はしておいでになった。
「人をあまりに愛することは結果のよくないものだと、私は昔から知っていたし、またそのほかのことにも執着心がこの世に残らぬようにと心がけていて、一時逆境に置かれたころなどは、いろいろな理想もこの世に持ったと言っても、それは実現性のないことにきめて、どんな野山の果てで自分の命を果たしてしまっても惜しいものもないとだけは思えたものだが、年がいって死期が近づくころになって、いろいろな係累をふやすことになったために、今まで出家も遂げることができないでいるのが自分で歯がゆくてならない」
 などと院はお言いになって、夫人と死別したばかりの悲しみでないように言っておいでになるが、明石の心には院の御内心は何によって苦しんでおいでになるかはよくわかっていて、道理なことであるとおいたわしく思った。
「他人から見まして、この世に未練の残るわけもないような人も、その人自身には捨てられない絆《ほだし》が幾つもあるものなのでございますから、ましてあなた様などがどうしてそう楽々と遁世《とんせい》の道をおとりになることがおできになれましょう。深い考えもなく出家をいたす者はあとで見苦しいことも起こして、かえってそうならねばよかったように世間から申されることもあるものでございますから、道におはいりになりますことをお急ぎにならずにおいでになりますのが、あとでごりっぱな悟りをお得《え》になる過程になるかと存ぜられます。昔の例を承りましても、突然心の傷つけられますような悲しみにあいますとか、大きな失望をいたしましたとか申すような時に厭世《えんせい》的になって出家をいたすと申すことはあまりほめられないことになっているではございませんか。もうしばらく御|発心《ほっしん》をお延ばしになりまして、宮様がたも大人におなりになり御不安なことなどはいっさいないころまで、このままで御家族に動揺をお与えあそばさないようにしていただけましたらうれしかろうと存じます」
 などとまじめに言っている明石に院は好感をお持ちになることができた。
「そんなになるまで待っていることが思慮深いのだったら、それよりもあさはかなほうがましなようだね」
 などとお言いになって、昔から悲しいことに多くあっておいでになった話もあそばされた。
「昔、中宮がお崩《かく》れになった春には、桜が咲いたのを見ても、『野べの桜し心あらば』(深草の野べの桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け)と思われたものですよ。それはごりっぱな方であることが小さいころから心にしみ込んでいたために、お崩れになった時にも私がだれよりもすぐれて悲しかったのです。恋愛の深さ浅さと故人を惜しむ情とは別なものだと思う。長く同棲《どうせい》した妻に別れて、病的にまで悲しんで、その人が忘れられないのも恋愛の点ばかりでそうなのではありませんよ。少女時代から自分が育て上げてきた人といっしょに年をとってしまった今になって、一人だけが残されて一方が亡《な》くなってしまったということが、みずから憐《あわれ》まれもし、故人を悲しまれもして、その時あの時と、あの人の感情の美しさの現われた時とかあの人の芸術とか複雑にいろいろなことが思わせられるために、深い哀愁に落ちていくのです」
 などと、夜がふけるまで、昔をも今をも話しておいでになって、このまま明石夫人のところで泊まっていってもよい夜であるがとはお思いになりながら院のお帰りになるのを見て、明石夫人は一抹《いちまつ》の物足りなさを感じたに違いない。院も御自身のことではあるが、怪しく変わってしまった心であるとお思いになった。
 お帰りになるとまた仏勤めをあそばして夜中ごろに昼のお居間で仮臥《かりぶし》のようにしてお寝《やす》みになった。
 翌朝早く院は明石《あかし》夫人へ手紙をお書きになった。

[#ここから2字下げ]
泣く泣くも帰りにしかな仮の世はいづくもつひのとこよならぬに
[#ここで字下げ終わり]

 という歌であった。昨夜《ゆうべ》の院のお仕打ちは恨めしかったのであるが、こんなふうに別人であるように悲しみに疲れておいでになる御様子を思っては自身のことはさしおいて明石は涙ぐまれるのであった。

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かりがゐし苗代水の絶えしよりうつりし花の影をだに見ず
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 いつも変わらぬ明石の返歌の美しい字を御覧になっても、この人を無礼な闖入者《ちんにゅうしゃ》のように初めは思っていた女王が、近年になって互いに友情を持ち合うようになり、自尊心を傷つけない程度の交わりをしていたのであるが、明石はそれとも気がつかなかったであろうなどとも院は来し方のことを思っておいでになった。お寂しくてならぬ時にだけは明石夫人のその場合のような簡単な訪問を夫人たちの所へあそばされる院でおありになった。妻妾《さいしょう》と夜を共にあそばすようなことはどこでもないのである。
 夏の更衣《ころもがえ》に花散里《はなちるさと》夫人からお召し物が奉られた。

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夏ごろもたちかへてける今日ばかり古き思ひもすすみやはする
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 この歌が添えられてあった。お返事、

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羽衣のうすきにかはる今日よりは空蝉《うつせみ》の世ぞいとど悲しき
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 賀茂《かも》祭りの日につれづれで、
「今日は祭りの行列を見に出ようと思って世間ではだれも興奮をしているだろう」
 こんなことをお言いになって、賀茂の社前の光景を目に描いておいでになった。
「女房たちは皆寂しいだろう、実家のほうへ行って、そこから見物に出ればいい」
 などとも言っておいでになった。中将の君が東の座敷でうたた寝しているそばへ院が寄ってお行きになると、美しい小柄な中将の君は起き上がった。赤くなっている顔を恥じて隠しているが、少し癖づいてふくれた髪の横に見えるのがはなやかに見えた。紅の黄がちな色の袴《はかま》をはき、単衣《ひとえ》も萱草《かんぞう》色を着て、濃い鈍《にび》色に黒を重ねた喪服に、裳《も》や唐衣《からぎぬ》も脱いでいたのを、中将はにわかに上へ引き掛けたりしていた。葵《あおい》の横に置かれてあったのを院は手にお取りになって、
「何という草だったかね。名も忘れてしまったよ」
 とお言いになると、

[#ここから2字下げ]
さもこそは寄るべの水に水草《みぐさ》ゐめ今日のかざしよ名さへ忘るる
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 と恥じらいながら中将は言った。そうであったと哀れにお思いになって、

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おほかたは思ひ捨ててし世なれどもあふひはなほやつみおかすべき
[#ここで字下げ終わり]

 こんなこともお言いになり、なおこの人にだけは聖《ひじり》の心持ちにもなれず、行為もお見せになることはおできにならないのであった。
 五月雨《さみだれ》の薄暗い世界の中では物思いを続けておいでになるばかりの院は、寂しかったが十幾日かの月がふと雲間から現われた珍しい夜に大将が御前に来ていた。花|橘《たちばな》の木が月の光のもとにあざやかに立って薫《かお》りも風に付いておりおりはいってきた。「千世をならせる」というこれと深い関係の杜鵑《ほととぎす》が啼《な》けばよいと待っているうちに、にわかに雲が湧《わ》き出してきて、はげしく雨の降るのに添って吹き出した風のために、燈籠《とうろう》の灯《ひ》も消えそうになって、空の暗さが深く思われる時に「蕭蕭暗雨打窓声《せうせうあんうまどをうつこゑ》」などと、珍しい詩ではないが院のお歌いになる美声をお聞きすると、恋を解する女に聞かしむべきものであると惜しまれた。
「独身生活というものは、私一人が経験しているものでもないが、怪しいほど寂しいものだ。山へはいってしまう前にこうして習慣をつけておくことは非常によいことだと思う」
 などと院はお言いになって、
「女房たち、ここへ菓子でも出すがよい。男たちに命じるほどのことでもないから」
 などとも気をつけておいでになった。夕霧は空をおながめになる院の寂しい御表情を見ていて、こんなふうにいつまでもいつまでも故人を悲しんでおいでになっては、出家をされても透徹した信仰におはいりになることはむずかしくはないかと思っていた。ほのかな隙見《すきみ》をしただけの面影すら忘られないのであるからまして院が女王のためのお悲しみの深さは道理至極であると言わねばならぬと同情も申していた。
「昨日か今日のことのように思っておりますうちに御一周忌にももう近づいてまいります。御法事はどんなふうにあそばすおつもりでございますか」
 と大将が言うと、
「何も普通と違ったことをしようと思っていない。女王が作らせたままになっている極楽の曼陀羅《まんだら》をその節に供養すればいいことと思う。書いておいた経もたくさんあるはずなのだが、某僧都は故人からどうするかをよく聞いてあるようだから、それに加えてすることも皆僧都の意見によることにしようと思う」
 と院は仰せられた。
「御自身の御法要についてのことまでもお仕度《したく》をあそばしておかれましたことは、お考え深いことでしたが、お二方の上で申しますと、この世での御縁は短かったのですから、せめて形見になる人をお残しくだすったらと存じますと残念でございます」
「しかし子は早く死なずに現存している妻のほうにも少なかったのだからね。私自身が子は少なくしか持てない宿命だったのだろう。あなたによって子孫を広げてもらえばいい」
 などと院はお言いになるのであって、何につけても忍びがたい悲しみの外へ誘い出されることをお恐れになり、故人のこともあまりお話しにならぬうちに、「いにしへのこと語らへば時鳥《ほととぎす》いかに知りてか古声《ふるごゑ》に啼《な》く」と言いたいような杜鵑《ほととぎす》が啼いた。待たれていた声なのであるが、

[#ここから2字下げ]
亡《な》き人を忍ぶる宵《よひ》の村雨《むらさめ》に濡《ぬ》れてや来つる山ほととぎす
[#ここで字下げ終わり]

 前よりもいっそう悲しいまなざしで空を院はおながめになった。夕霧は、

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郭公《ほととぎす》君につてなん古さとの花|橘《たちばな》は今盛りぞと
[#ここで字下げ終わり]

 と歌った。この時に女房たちもそれぞれ歌を詠《よ》んだのであるがここには省いておく。
 大将はそのまま宿直《とのい》することにした。御独居生活の心苦しさに時々夕霧はこうしておそばで泊まってゆくのであるが、紫の女王のいたころにはたやすく近い所へも寄ることを院はお許しにならなかった帳台のかたわらに寝ることによっても、大将は昔が今にならぬことを悲しんだ。
 暑いころに涼しい水亭《すいてい》に出て院がながめておいでになる池には、蓮《はす》の花が盛りに咲いていた。恋しい人への追懐のためにこの花の前にもうつろな気持ちを覚えておいでになるうちに、日も暮れに近くなった。はなやかに蜩《ひぐらし》の鳴く声を聞きながら、撫子《なでしこ》が夕映《ゆうば》えの空の美しい光を受けている庭もただ一人見ておいでになることは味気ないことでおありになった。

[#ここから2字下げ]
つれづれとわが泣き暮らす夏の日をかごとがましき虫の声かな
[#ここで字下げ終わり]

 蛍《ほたる》が多く飛びかうのにも、「夕殿《せきでん》に蛍飛んで思ひ悄然《せうぜん》」などと、お口に上る詩も楊妃《ようひ》に別れた玄宗の悲しみをいうものであった。

[#ここから2字下げ]
夜を知る蛍を見ても悲しきは時ぞともなき思ひなりけり
[#ここで字下げ終わり]

 七月七日も例年に変わった七夕《たなばた》で、音楽の遊びも行なわれずに、寂しい退屈さをただお感じになる日になった。星合いの空をながめに出る女房もなかった。
 未明に一人|臥《ぶ》しの床をお離れになって妻戸をお押しあけになると、前庭の草木の露の一面に光っているのが、渡殿《わたどの》のほうの入り口越しに見えた。縁の外へお出になって、

[#ここから2字下げ]
七夕の逢《あ》ふ瀬は雲のよそに見て別れの庭の露ぞ置き添ふ
[#ここで字下げ終わり]

 こう口ずさんでおいでになった。
 秋風らしい風の吹き始めるころからは法事の仕度《したく》のために、院のお悲しみも少し紛れていた。あれから一年たったかとお思いになると呆然《ぼうぜん》ともおなりになるのである。命日である十四日には上から下まで六条院の中の人々は精進潔斎して、曼陀羅《まんだら》の供養に列するのであった。例の宵《よい》の仏前のお勤めのために手水《ちょうず》を差し上げる役にあたった中将の君の扇に、

[#ここから2字下げ]
君恋ふる涙ははてもなきものを今日をば何のはてといふらん
[#ここで字下げ終わり]

 と書かれてあったのを、手に取ってお読みになってから、院がまたその横へ、

[#ここから2字下げ]
人恋ふるわが身も末になりゆけど残り多かる涙なりけり
[#ここで字下げ終わり]

 とお書き添えになった。
 九月になり被綿《きせわた》をした菊を御覧になって、

[#ここから2字下げ]
もろともにおきゐし菊の朝露もひとり袂《たもと》にかかる秋かな
[#ここで字下げ終わり]

 と院はお歌いになった。
 十月は時雨《しぐれ》がちな季節であったからいっそう院のお心はお寂しそうで、夕方の空の色なども言いようもなく心細く御覧になるのであって、「いつも時雨は降りしかど」(かく袖《そで》ひづるをりはなかりき)などと口ずさんでおいでになった。空を渡る雁《かり》が翼を並べて行くのもうらやましくお見守られになるのである。

[#ここから2字下げ]
大空を通ふまぼろし夢にだに見えこぬ魂《たま》の行く方《へ》尋ねよ
[#ここで字下げ終わり]

 何によっても慰められぬ月日がたっていくにしたがい、院のお悲しみは深くばかりになった。
 五節《ごせち》などといって、世の中がはなやかに明るくなるころ、大将の子息たちが殿上勤めにはじめて出たといって、六条院へ来た。二人とも非常に美しい。母方の叔父《おじ》である頭《とうの》中将や蔵人《くろうど》少将などが青摺《あおず》りの小忌衣《おみごろも》のきれいな姿で少年たちに付き添って来たのである。朗らかなふうのこうした若い人たちを御覧になる院は、御自身の青春の日もお振り返られになって昔のこの日の舞い姫に心をお惹《ひ》かれになったことなどもさすがになつかしいこととお思い出しになった。

[#ここから2字下げ]
宮人は豊《とよ》の明りにいそぐ今日《けふ》日かげも知らで暮らしつるかな
[#ここで字下げ終わり]

 今年をこんなふうに隠忍してお通しになった院は、もう次の春になれば出家を実現させてよいわけであるとその用意を少しずつ始めようとされるのであったが、物哀れなお気持ちばかりがされた。院内の人々にもそれぞれ等差をつけて物を与えておいでになるのであった。目だつほどに今日までの御生活に区切りをつけるようなことにはしてお見せにならないのであるが、近くお仕えする人たちには、院が出家の実行を期しておいでになることがうかがえて、今年の終わってしまうことを非常に心細くだれも思った。人の目については不都合であるとお思いになった古い恋愛関係の手紙類をなお破るのは惜しい気があそばされたのか、だれのも少しずつ残してお置きになったのを、何かの時にお見つけになり破らせなどして、また改めて始末をしにおかかりになったのであるが、須磨《すま》の幽居時代に方々から送られた手紙などもあるうちに、紫の女王《にょおう》のだけは別に一束になっていた。御自身がしてお置きになったのであるが、古い昔のことであったと前の世のことのようにお思われになりながらも、中をあけてお読みになると、今書かれたもののように、夫人の墨の跡が生き生きとしていた。これは永久に形見として見るによいものであると思召《おぼしめ》されたが、こんなものも見てならぬ身の上になろうとするのでないかと、気がおつきになって、親しい女房二、三人をお招きになって、居間の中でお破らせになった。こんな場合でなくても、亡《な》くなった人の手紙を目に見ることは悲しいものであるのに、いっさいの感情を滅却させねばならぬ世界へ踏み入ろうとあそばす前の院のお心に女王の文字がどれほどはげしい悲しみをもたらしたかは御想像申し上げられることである。御気分はくらくなって涙は昔の墨の跡に添って流れるのが、女房たちの手前もきまり悪く恥ずかしくおなりになって、古手紙を少し前方へ押しやって、

[#ここから2字下げ]
死出の山越えにし人を慕ふとて跡を見つつもなほまどふかな
[#ここで字下げ終わり]

 と仰せられた。女房たちも御遠慮がされてくわしく読むことはできないのであったが、端々の文字の少しずつわかっていくだけさえも非常に悲しかった。同じ世にいて、近い所に別れ別れになっている悲しみを、実感のままに書かれてある故人の文章が、その当時以上に今のお心を打つのは道理なことである。こんなにめめしく悲しんで自分は見苦しいとお思いになって、よくもお読みにならないで長く書かれた女王の手紙の横に、

[#ここから2字下げ]
かきつめて見るもかひなし藻塩草《もしほぐさ》同じ雲井の煙とをなれ
[#ここで字下げ終わり]

 とお書きになって、それも皆焼かせておしまいになった。
 仏名の僧を迎える行事も今年きりのことであるとお思いになると、僧の錫杖《しゃくじょう》の音も身に沁《し》んでお聞かれになった。院のために行く末長く寿命の保たれることを僧たちの祈り唱えるのも、院のお心には仏へ恥ずかしくお思われになった。雪が大降りになって厚く積もった。帰ろうとする導師を院は御前へお呼びになって、杯を賜わったりすることなども普通の仏名式の日以上の手厚いおねぎらいであった。纏頭《てんとう》なども賜わった。長くこの院へお出入りし、御所の御用も勤めているお馴染《なじ》み深い僧が、頭の色もようやく変わって老法師になった姿も院には哀れにお思われになるのであった。この日も例の宮がた、高官たちが多数に参入した。梅の花の少し花らしく顔を上げ出したのが、雪の中にきわだって美しく見える日であったから、音楽の遊びもあってしかるべきなのであるが、本年中はなお管絃《かんげん》もむせび泣きの声をたてるもののように思召されるお心から、そのことはなくて、詩歌を歌わせてお聞きになるくらいのことでとどめられた。導師へ院が杯をおさしになった時のお歌は、

[#ここから2字下げ]
春までの命も知らず雪のうちに色づく梅を今日かざしてん
[#ここで字下げ終わり]

 というのであって、お返し、

[#ここから2字下げ]
千代の春見るべきものと祈りおきてわが身ぞ雪とともにふりぬる
[#ここで字下げ終わり]

 参会者の作も多かったが省いておく。院の御|美貌《びぼう》は昔の光源氏でおありになった時よりもさらに光彩が添ってお見えになるのを仰いで、この老いた僧はとめどなく涙を流した。
 今年が終わることを心細く思召す院であったから、若宮が、
「儺追《なやら》いをするのに、何を投げさせたらいちばん高い音がするだろう」
 などと言って、お走り歩きになるのを御覧になっても、このかわいい人も見られぬ生活にはいるのであるとお思いになるのがお寂しかった。

[#ここから2字下げ]
物|思《も》ふと過ぐる月日も知らぬまに年もわが世も今日や尽きぬる
[#ここで字下げ終わり]

 元日の参賀の客のためにことにはなやかな仕度《したく》を院はさせておいでになった。親王がた、大臣たちへのお贈り物、それ以下の人たちへの纏頭《てんとう》の品などもきわめてりっぱなものを用意させておいでになった。

まぼろし 版本说明

底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
   1994(平成6)年6月15日39版発行
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※校正には、2002(平成14)年1月15日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:kompass
2004年2月6日作成
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43 雲隠れ

[#地から3字上げ]かきくらす涙か雲かしらねどもひかり
[#地から3字上げ]見せねばかかぬ一章    (晶子)

[#「雲隠れ」の帖は冒頭の晶子詞のみで本文はありません。]

雲隠れ 版本说明

底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
   2002(平成14)年1月15日44版発行
入力:kompass
校正:多羅尾伴内
2004年2月6日作成
青空文庫作成ファイル:
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44 匂宮

[#地から3字上げ]春の日の光の名残《なごり》花ぞのに匂《にほ》ひ薫《かを》ると
[#地から3字上げ]思ほゆるかな       (晶子)

 光君《ひかるきみ》がおかくれになったあとに、そのすぐれた美貌《びぼう》を継ぐと見える人は多くの遺族の中にも求めることが困難であった。院の陛下はおそれおおくて数に引きたてまつるべきでない。今の帝《みかど》の第三の宮と、同じ六条院で成長した朱雀《すざく》院の女三《にょさん》の宮《みや》の若君の二人《ふたり》がとりどりに美貌の名を取っておいでになって、実際すぐれた貴公子でおありになったが、光源氏がそうであったようにまばゆいほどの美男というのではないようである。ただ普通の人としてはまことにりっぱで艶《えん》な姿の備わっている方たちである上に、あらゆる条件のそろった身分でおありになることも、光源氏にやや過ぎていて、人々の尊敬している心が実質以上に美なる人、すぐれた人にする傾向があった。紫夫人が特に愛してお育てした方であったから、三の宮は二条の院に住んでおいでになるのである。むろん東宮は特別な方として御大切にあそばすのであるが、帝もお后《きさき》もこの三の宮を非常にお愛しになって、御所の中へお住居《すまい》の御殿も持たせておありになるが、宮はそれよりも気楽な自邸の生活をお喜びになって、二条の院におおかたはおいでになるのであった。御元服後は三の宮を兵部卿《ひょうぶきょう》の宮と申し上げるのであった。女一《にょいち》の宮《みや》は六条院の南の町の東の対《たい》を、昔のとおりに部屋《へや》の模様変えもあそばされずに住んでおいでになって、明け暮れ昔の美しい養祖母の女王《にょおう》を恋しがっておいでになった。二の宮も同じ六条院の寝殿を時々行ってお休みになる所にあそばして、御所では梅壺《うめつぼ》をお住居に使っておいでになったが、右大臣の二女をお嫁《めと》りになっていた。次の太子に擬せられておいでになる方で、臣下が御尊敬申していることも並み並みでなくて、その御人格も堅実な方であった。
 源右大臣には何人もの令嬢があって、長女は東宮に侍していて、競争者もないよい位置を得ているのである。下の令嬢はまた順序どおりに三の宮がお嫁《めと》りになるのであろうと世間も見ているし、中宮《ちゅうぐう》もそのお心でおありになるのであるが、兵部卿の宮にそのお心がないのである。恋愛結婚でなければいやであると思っておいでになるふうなのであった。夕霧の大臣も同じように娘たちを御兄弟の宮方に嫁《とつ》がせることを世間へはばかっているのであったが、もし懇望されるなら同意をするのに躊躇《ちゅうちょ》はしないというふうを見せて、兵部卿の宮に十分の好意を見せていた。大臣の六女は現在における自信のある貴公子の憧憬《どうけい》の的になっていた。
 六条院がおいでにならぬようになってから、夫人がたは皆泣く泣くそれぞれの家へ移ってしまったのであって、花散里《はなちるさと》といわれた夫人は遺産として与えられた東の院へ行ったのであった。中宮は大部分宮中においでになったから、院の中は寂しく人少なになったのを、夕霧の右大臣は、
「昔の人の上で見ても、生きている時に心をこめて作り上げた家が、死後に顧みる者もないような廃邸になっていることは、栄枯盛衰を露骨に形にして見せている気がしてよろしくないものだから、せめて私一代だけは六条院を荒らさないことにしたいと思う。近くの町が人通りも少なく、寂しくなるようなことはさせたくない」
 と言って、東北の町へあの一条の宮をお移しして、三条の邸《やしき》と一夜置きに月十五日ずつ正しく分けて泊っていた。二条の院と言って作りみがかれ、六条院の春の御殿と言って地上の極楽のように言われた玉の台《うてな》もただ一人の女性の子孫のためになされたものであったかと見えて、明石《あかし》夫人は幾人もの宮様がたのお世話をして幸福に暮らしていた。夕霧はどの夫人に対しても院がお扱いになったとおりに、皆母として奉仕しているのであるが、紫の女王がこんなふうに院のおあとへ残っておいでになれば、どんなに自分は誠意をもってお尽くしすることであろう、終わりまで特別な自分の好意というものを受けてもらえるというようなことはなかったと思うと、今も大臣は残念でならぬように思うのであった。
 天下の人で六条院をお慕いせぬ者はなくて、何につけても火が消えたように思って歎《なげ》かぬおりはないのであった。まして院に親しくお仕えしていた人たち、夫人がた、宮がたが院にお別れした悲しみに流す涙というものはどれほどの量であるかしれないのである。それとともに今も紫夫人を追慕する思いはだれにもあって、人からその女王の思い出されていない時というものはないのである。春の花の盛りは短くても印象は深く残るものであるというべきであろう。
 二品《にほん》の宮《みや》の若君は院が御寄託あそばされたために、冷泉《れいぜい》院の陛下がことにお愛しになった。院の后の宮も皇子などをお持ちにならずお心細く思召《おぼしめ》したのであったから、この人をお世話あそばして老後の力にしたいと望んでおいでになった。元服の式も院の御所であげられた。十四の歳であった。その二月に侍従になって、秋にはもう右近衛《うこんえ》の中将に昇進した。推薦権をお持ちになる位階の陞叙《しょうじょ》もこの人へお加えになって、なぜそんなにお急ぎになるかと思うようにずんずんと上へお進ませになるのであった。お住居の御殿に近い対をこの人の曹司《ぞうし》におあてになって、装飾などは院御自身の御意匠でおさせになり、若い女房から童女、下仕えの者までもすぐれた者をお選《よ》りととのえになった。人が姫君をかしずく以上の華奢《かしゃ》な生活をおさせになるようでまばゆく見えた。院のおそばの女房の中からも、后の宮の女房の中からも容貌《ようぼう》のすぐれた、感じのよい、品のある女は皆中将の曹司付きにあそばされ、院にいることがどこにいるよりも好きになるようにとお計らいになったのであって、うれしい玩具品《がんぐひん》のように思召すのであった。亡《な》くなった太政大臣の女御《にょご》の腹からただお一方の内親王がお生まれになったのを、院が非常に珍重あそばすのに変わらず中将をお扱いになるのである。それは一つは后の宮をお愛しになることが年月とともに増してゆくことによるものらしくて、それほどまでにはと話を聞いては人が信じないほど中将を院はお愛しになった。
 現在の母宮は仏勤めをばかりしておいでになって、月ごとの念仏、年に二度の法華《ほっけ》の八講、またそのほかのおりおりの仏事などを怠らずあそばすだけがお役目のようで、出入りする中将をかえって御自身のほうが子のように頼みにしておいでになったから、お気の毒でおそばにもいたかったし、院からも、宮中からも始終お呼ばれはするし、東宮も御弟の宮がたも親友のように思召していっしょにお遊びになろうとされるしするために、暇がなく苦しい中将は一つの身を幾つかに分けて使うことができぬかとさえ歎息《たんそく》していた。時々耳にはいって、子供心にも腑《ふ》に落ちず思ったことは、今も不可解のままで心に残っているが、尋ねる人もなかった。宮にはそうした不審をいだいているとさえお思われすることのはばかられる問題であったから、ただ自身の心のうちでだけ絶え間なくそのことを考えて、
「どういうことから自分が生まれるようになったのか、何の宿命でこんな煩悶《はんもん》を負って自分は人となったのか、善巧《ぜんぎょう》太子はみずから釈迦《しゃか》の子であることを悟ったというが、そうした知慧《ちえ》がほしい」
 と独言《ひとりごと》をする時もあった。

[#ここから2字下げ]
おぼつかなたれに問はまし如何《いか》にして始めも果ても知らぬわが身ぞ
[#ここで字下げ終わり]

 返事はだれもしてくれない。自身の健康などもこんなことでそこなってゆくような気がして中将は歎《なげ》かれるのであった。宮がお年の若盛りに尼におなりになったのも、いったいどれほどの信仰がおありになったために、にわかに出家を断行あそばされたのか、自分の生まれてくることが不祥なことであったために、厭世《えんせい》的なお気持ちにもなられたのであろう、人がその秘密を悟らずにいるとは思われない、暗闇《くらがり》に置くべき問題であるから自分には人が告げないのであろうと中将は思った。朝暮《あけくれ》仏勤めはしておいでになるようではあるが、確固とした信念がおありになるとは思えない女の悟りだけでは御仏《みほとけ》の救いの手もおぼつかない、五つの戒めも完全に保っておゆきになれるかも疑問なのであるから、自分がその精神だけを補うことにして、後世だけでも御安楽にしてさしあげたく思った。この人はお崩《かく》れになった院も、自分というもののために不快な思いにお悩まされになったかもしれぬと思うと、次の世界ででももう一度お逢《あ》いしたいという望みが起こり、元服して社会へ出ることを厭《いと》わしがったのであるが、意志を通すこともできなくて、出仕する身になった時から、八方のはなやかな勢いがこの人を飾ることになっても、これはうれしいとは思われないで、ただ静かな落ち着いた人になっていた。帝も母宮の御縁故でこの中将に深い愛をお持ちになったし、中宮はもとより同じ院内で御自身の宮たちといっしょに生《お》い立って、いっしょにお遊ばせになったころのお扱いをお変えにならなかった。
「末に生まれてかわいそうな子です。一人前になるまでを自分が見てやることもできない」
 と、院が仰せられたことをお思いになって、憐《あわれ》みを深くかけておいでになるのである。夕霧の右大臣も自身の公達《きんだち》よりもこの人を秘蔵がって丁寧に扱うのであった。昔の光源氏は帝王の無二の御愛子ではあったが、嫉妬《しっと》する反対派があったり、母方の保護者がなかったりして、聡明《そうめい》な資質から遠慮深く世の中に臨んでおいでになって、一世の騒乱になりかねぬようなことになった時も、いさぎよく自身で渦中《かちゅう》を去り、宗教を深く信じて冷静に百年の計をされたのである。この中将は若年ですでにあらゆる条件のそろった恵まれた環境に置かれていた。そしてそれに相当した優秀な男子でもあるのである。仏が仮に人として出現されたかと思われるところがこの人にあった。容貌《ようぼう》もどこが最も美しいというところはなくて、目を驚かすものもないが、ただ艶《えん》で貴人らしくて、賢明らしいところが万人に異なっているのである。この世のものとも思われぬ高尚《こうしょう》な香を身体《からだ》に持っているのが最も特異な点である。遠くにいてさえこの人の追い風は人を驚かすのであった。これほどの身分の人が風采《ふうさい》をかまわずにありのままで人中へ出るわけはなく、少しでも人よりすぐれた印象を与えたいという用意はするはずであるが、怪しいほど放散するにおいに忍び歩きをするのも不自由なのをうるさがって、あまり薫香《たきもの》などは用いない。それでもこの人の家に蔵《しま》われた薫香《たきもの》が異なった高雅な香の添うものになり、庭の花の木もこの人の袖《そで》が触れるために、春雨の降る日の枝の雫《しずく》も身にしむ香を放つことになった。秋の野のだれのでもない藤袴《ふじばかま》はこの人が通ればもとの香が隠れてなつかしい香に変わるのであった。こんなに不思議な清香の備わった人である点を兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は他のことよりもうらやましく思召《おぼしめ》して、競争心をお燃やしになることになった。宮のは人工的にすぐれた薫香をお召し物へお焚《た》きしめになるのを朝夕のお仕事にあそばし、御自邸の庭にも春の花は梅を主にして、秋は人の愛する女郎花《おみなえし》、小男鹿《さおしか》のつまにする萩《はぎ》の花などはお顧みにならずに、不老の菊、衰えてゆく藤袴、見ばえのせぬ吾木香《われもこう》などという香のあるものを霜枯れのころまでもお愛し続けになるような風流をしておいでになるのであった。昔の光源氏はこうしたかたよったことはされなかったものである。
 源中将は始終宮の二条の院へお伺いするのであって、音楽の遊びの行なわれる時にも優越を誇るような笛の音を吹き立てる相手を、互いに好敵手と認める若いどうしであった。世間も黙ってはいなかった。匂《にお》う兵部卿、薫《かお》る中将とやかましく言って、すぐれた娘を持つ貴族たちはこの貴公子たちを婿に擬して、好奇心の起こるようにしむける者もあるのを、宮は相手の女の価値を相当なものと考えられる人へは手紙を送ってごらんになって、なお細かく相手を観察しようとされるのであった。しかも熱心にだれを得なければならぬとお思いになる女はなかった。冷泉《れいぜい》院の女一《にょいち》の宮《みや》と結婚ができたらうれしいであろうと匂宮《におうみや》がお思いになるのは、母君の女御も人格のりっぱな尊敬すべき才女であって、姫君もさもあるはずにすぐれた評判をとっておいでになる方だからである。遠くからの評判だけではなく匂宮は姫宮のおそばにいる女房から細かな御様子を聞いてもおいでになるのであったから、忍びがたく恋のようにも今ではなっていた。
 中将は人生を味気ないものと悟っているのであるから、寂しいからといって、恋愛などをしては、かえってこの世を捨てる際の妨げになるであろうということを知っていて、保護者との関係の煩瑣《はんさ》な女性に求婚するようなことははばかられるのであった。自身では永久にこの冷静な態度が続けられるものと思っていたであろうが、それはただ現在の薫中将が熱情をもって愛する人がないからであろうと思われる。親兄弟の同意せぬ恋愛結婚などはまして遂行すべくもない薫である。十九になった歳《とし》に三位の参議になって、なお中将も兼ねていた。帝も后も愛を傾けておいでになる人で、臣下としてこれ以上幸福な存在はないと見られる薫ではあるが、心の中には純粋な六条院の御子と思われぬ不幸な認識がひそんでいて、楽天的にはなれない人で、貴公子に共通な放縦な生活をするようなことも好まなかった。静かに落ち着いたものの見方をする老成なふうの男であると人からも見られていた。兵部卿の宮の恋が年とともに態度の加わる院の一品《いっぽん》の姫宮も、一つの院の中にいる薫には、ことに触れて御様子がわかりもするのであって、評判どおりに優秀な御素質の貴女らしいことを知っては、こんな方を妻にできれば生きがいを感じることであろうと思うのであるが、院が御実子同然な御待遇を薫に与えておいでになるものの、姫宮との間だけは厳重にお隔てになるのを知っていては、しいて御交際を求めにゆく気にはなれないのであった。自分ながらも予期せぬ恋の初めの路《みち》に踏み入るようなことがもしあっては、宮のためにも、自身のためにもよろしくないと思って、親しもうとは心がけなかった。
 人に愛さるべく作られたような風采《ふうさい》のある薫《かおる》であったから、かりそめの戯れを言いかけたにすぎない女からも皆好意を持たれて、やむなく情人関係になったような、まじめには愛人と認めていない相手も多くなったが、女のためには秘密にするほうがよいと思って、皆|蔭《かげ》のことにしておいて、無情だと思われぬ程度にだれの所へも人目を紛らして通って行くのを、女のほうではかえって気が詰まるように苦しく思い、薫の誘うままに三条の母宮の所へ女房勤めに集まって来るのが多くなった。冷淡な態度を始終見せられているのも苦痛ではあったが、絶縁されるよりはと心細い恋人たちは思って、女房勤めをする身分でない人々もこうして薫とはかない関係を続けることで慰んでいるのであった。さすがになつかしい、目に見るだけでも情感を受けられる人であったから、どの女もしいてみずからを欺くようにしてこの境遇に満足していた。
「宮様の御存命中は毎日お目にかかることを怠らないつもりだから」
 と薫中将は言っていた。こんなふうの人であったから、夕霧の右大臣もおおぜいある娘の中の一人は匂宮へ、一人はこの人の妻にさせたいという希望は持っていても、言いだすことをはばかっていた。なんといっても内輪どうしのことであって、世間の聞こえもおもしろくないとは大臣も知っているのであるが、この二人のすぐれた貴公子に準じて見るほどの人もない世の中ではしかたがないと考えられるのであった。雲井《くもい》の雁《かり》夫人の生んだ娘たちよりも藤典侍《とうてんじ》にできた六女はすぐれて美しく、性質も欠点のない令嬢なのであった。劣った母に生まれた子として世間が軽蔑《けいべつ》して見ることを惜しく思って、女二の宮が子供をお持ちになることができずに寂しい御様子であるために、六の君を大臣は典侍の所から迎えて宮の御養女に差し上げた。よい機会に二人の公子に姫君の気配《けはい》をそれとなく示したなら、必ず熱心な求婚者になしうるであろう、すぐれた女の価値を知ることは、すぐれた男でなければできぬはずであると大臣は思って、六の君を后の候補者というような大形《おおぎょう》な扱いをせず、はなやかに、人目を引くような派手《はで》な扱いをして貴公子の心を多く惹《ひ》くようにしていた。
 御所の正月の弓の競技のあとで、左大将でもある夕霧の大臣の家で宴会の開かれるのを、大臣は六条院ですることにして匂宮にも御来会を願っていた。賭弓《かけゆみ》の席には皇子がたの御元服あそばしたのは皆出ておいでになった。后腹《きさきばら》の宮は皆|気高《けだか》くお美しい中にも、風流男《みやびお》の名を取っておいでになる兵部卿の宮はやはりすぐれて御|風采《ふうさい》がりっぱにお見えになった。第四の皇子は常陸《ひたち》の大守でおありになるが、この方は更衣腹《こういばら》で、思いなしかずっと見劣りがされた。例のことであるが勝負は左ばかりが勝ち続けた。例年よりも早く競技は終わって左右の大将は退出するのであったが、匂宮、常陸の宮、后腹の五の宮を大臣の大将は自身の車へいっしょにお乗せして帰ろうとした。薫は負け方の右中将で、そっと退出して行こうとしていた車を、大臣は、
「宮様がたがおいでになるお送りにおいでにならないか」
 と言ってとどめさせて、子息の衛門督《えもんのかみ》、権《ごん》中納言、右大弁そのほかの高官をそれへ混ぜて乗せさせて六条院へ来た。
 やや遠い路《みち》を来るうちに雪も少し降り出して艶《えん》な気のする黄昏時《たそがれどき》であった。笛などもおもしろく吹き立ててはいって行った。六条院は、ここ以外にはどんな御仏《みほとけ》の国でもこうした日の遊び場所に適した所はないであろうと思われた。寝殿の南の庇《ひさし》の間の端に定例どおり中将が南向いて席につき、北向きに主人の座に対して来会者の親王がた、高官たちの席が作ってあった。酒杯が出て夜がおもしろくなったころに「求子《もとめこ》」が舞われた。左の手で抑《おさ》え、右の手で抑えて幾度か袖《そで》を斜めにするこの時の風の動きに庭の梅の香がさっと家の中へはいってきて、源中将が身に持つにおいを誘うのも艶な趣のあることであった。わずかな透き間からのぞく女房なども、
「闇《やみ》はあやなし(梅の花色こそ見えね香やは隠るる)という時間にもあの方のにおいだけはだれにだってわかります」
 と言って薫をほめていた。大臣もそう思っていた。容貌《ようぼう》も風采《ふうさい》も平生以上にまたすぐれて見える薫が行儀正しく坐《ざ》しているのを見て、
「右近衛《うこんえ》の中将も声をお加えなさい。あまりに客らしくしているではありませんか」
 と言うと、感じのよいほどの中音で、「神のます」など、求子《もとめこ》の一ふしをうたった。

匂宮 版本说明

底本:「全訳源氏物語 下巻」角川文庫、角川書店
   1972(昭和47)年2月25日改版初版発行
   1995(平成7)年5月30日40版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月10日44版を使用しました。
※「一品」のルビは底本では「いっぼん」となっていましたが、「匂宮」以外の作品では「いっぽん」で統一されていましたので直しました。
入力:上田英代
校正:高橋真也
2003年8月12日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

45 紅梅

[#地から3字上げ]うぐひすも問はば問へかし紅梅の花の
[#地から3字上げ]あるじはのどやかに待つ  (晶子)

 今|按察使《あぜち》大納言といわれている人は、故人になった太政大臣の次男であった。亡《な》き柏木《かしわぎ》の衛門督《えもんのかみ》のすぐの弟である。子供のころから頭角を現わしていて、朗らかで派手《はで》なところのある人だったため、月日とともに地位が進んで、今では自然に権力もできて世間の信望を負っていた。夫人は二人あったが、初めからの妻は亡《な》くなって、現在の夫人は最近までいた太政大臣の長女で、真木柱《まきばしら》を離れて行くのに悲しんだ姫君を、式部卿《しきぶきょう》の宮家で、これもお亡くなりになった兵部卿《ひょうぶきょう》の宮と結婚をおさせになった人なのである。宮がお薨《かく》れになったあとで大納言が忍んで通うようになっていたが、年月のたつうちには夫婦として公然に同棲《どうせい》することにもなった。子供は前の夫人から生まれた二人の娘だけであったのを、寂しがって神仏にも祈って今の夫人との間に一人の男の子を設けた。夫人は兵部卿の宮の形見の姫君を一人持っているのである。隔てを置かずに夫婦は母の違った娘と、父のない娘を愛撫《あいぶ》しているのであったが、そちらこちらの姫君付きの女房などの間にうるさい争いなどの起こる時もあるのを、夫人はきわめて明るい快活な性質であったから、継娘《ままむすめ》のほうの女房の罪をつまびらかにしようとはせず、自身の娘のために不利なこともそのまま荒だてずに済ますよう骨を折ったから、家庭はきわめて平和であった。
 姫君たちが皆同じほど大人《おとな》になったから裳着《もぎ》の式などを大納言は行なった。七間の寝殿を広く大きく造って、南の座敷には大納言の長女、西のほうには二女、東の座敷には宮の姫君を住ませているのであった。ちょっと思うとこの姫君は心細い身の上のようで気の毒だが、曾祖父《そうそふ》の宮、祖父の太政大臣、父宮などの遺産の分配されたのが多くて、夫人は、高級の貴女の生活の様式をくずさず愛女をかしずくことができて、奥ゆかしい佳人の存在と人から認められていた。妙齢の娘のある家の常で、大納言家へは求婚者が続々現われてきたし、宮中や東宮からお話があるようにもなったが、陛下のおそばには中宮《ちゅうぐう》がおいでになる、どんな人が出て行ってもその方と同じだけの御|寵愛《ちょうあい》が得られるわけもない、そう言って身を卑下して後宮の一員に備わっているだけではつまらない、東宮には夕霧の左大臣の長女が侍していて、太子の寵を専《もっぱ》らにしているのであるから、競争することは困難であっても、そんなふうにばかり考えていては、人にまさった幸福を得させたいと思う女の子に宮仕えをさせるのを断念しなければならぬことになって、未来の楽しみがいもなかったことになると大納言は思って、長女を東宮へ奉ることにした。年はもう十七、八で美しいはなやかな気のする姫君であった。二女も近い年で、上品な澄みきったような美は姉君にもまさった人であったから、普通の人と結婚させることは惜しく、兵部卿の宮が求婚されたならばと、大納言はそんな望みを持っていた。大納言の一人|息子《むすこ》の若君を匂宮《におうみや》は御所などでお見つけになる時があると、そばへお呼びになってよくおかわいがりになった。聡明《そうめい》らしいよい額つきをした子である。
「弟だけを見ていて満足ができないと大納言に言ってくれ」
 などとお言いになるのを、そのまま父に話すと、大納言は笑顔《えがお》を見せてうれしそうにした。
「人にけおされるような宮仕えよりは兵部卿の宮などにこそ自信のある娘は差し上げるのがいいと私は思う。一所懸命におかしずきすれば命も延びるような気のする宮様だから」
 と言いながらも大納言はまず長女を東宮の後宮へ入れる準備をして、春日《かすが》の神意どおりに藤原《ふじわら》氏の皇后を自分の代に出すことができて、父の大臣は院の女御《にょご》を后位の競争に失敗させ、苦い思いをしたままで亡《な》くなったのであるから、霊の慰むようにもなればいいと心の中では祈っていた。その人は間もなく太子|宮《きゅう》へはいった。付き添いの女房から御|寵愛《ちょうあい》があるという報告が大納言へあった。後宮の生活に馴《な》れないうちは親身の者が付いていなくてはといって、真木柱夫人がいっしょに御所へ行っていた。優しいこの継母《ままはは》はよく世話をして周囲にも気を配ることを怠らないのであった。
 大納言家の内が急に寂しくなった気がして、西の姫君などは始終いっしょに暮らした姉妹《きょうだい》なのであるから、物足らぬ寂しい思いをしていた。東の姫君も大納言の実子の姉妹とは親しく睦《むつ》び合ってきたのであって、夜分などは皆一つの寝室で休むことにしていて、音楽の稽古《けいこ》をはじめ、遊戯ごとにもいつも東の姫君を師のようにして習ったものである。東の女王《にょおう》は非常な内気で、母の夫人にさえも顔を向けて話すことなどはなく、病気と思われるほどに恥ずかしがるところはあるが、性質が明るくて愛嬌《あいきょう》のある点はだれよりもすぐれていた。こんなふうに東宮へ長女を奉ったり、二女の将来の目算をしたりして、自身の娘にだけ力を入れているように見られぬかと大納言は恥じて、
「姫君にどういうふうな結婚をさせようという方針をきめて言ってください。二人の娘に変わらぬ尽力を私はするつもりなのだから」
 と大納言は夫人に言ったのであるが、
「結婚などという人並みな空想をあの人に持つことはできませんほど弱い気質なのでございます、それで普通の計らいをしましてはかえって不幸を招くことになると思いますから、運命に任せておくことにしまして、私の生きております間は手もとへ置くことにいたします。それから先は非常に心細く想像されますが、尼になるという道もあるのですし、その時にはもう自身の処置を誤らないだけになっていると思います」
 などと夫人は泣きながら言って、大納言の好意を謝していた。
 東の姫君にも同じように父親らしくふるまっている大納言ではあったが、どんな容貌《ようぼう》なのかを見たく思って、
「いつもお隠れになるのは困ったことだ」
 と恨みながら、人知れず見る機会をうかがっていたが、絶対と言ってもよいほど、姫君は影すらも継父に見せないのであった。
「お母様の留守の間は私が代理になって、どんな用の時にも私はこちらへ来るつもりなのだが、まだ親と認めないお扱いを受けるのに悲観されます」
 などと、御簾《みす》の前にすわって言っている時、姫君はほのかに返辞くらいはしていた。声やら、気配《けはい》やらの品のよさに美しい容貌も想像される可憐《かれん》な人であった。大納言は自分の娘たちをすぐれたものと見て慢心しているが、この人には劣っているかもしれぬ、だから世界の広いことは個人を安心させないことになる、類がないと思っていても、それ以上な価値の備わったものが他にあることにもなるのであろうなどと思って、いっそう好奇心が惹《ひ》かれた。
「ここ数月の間はなんとなく家の中がざわついていまして、あなたの琴の音を長く聞くこともありませんでしたよ。西にいる人は琵琶《びわ》の稽古《けいこ》を熱心にしていますよ。上達する自信があるのでしょうか。琵琶はまずく弾《ひ》かれると我慢のならないものです。できますればよく教えてやってください。この老人はどの芸といって特に深く稽古をしたものといってはないのですが、昔の黄金時代に行なわれた音楽の遊びに参加しただけの功徳で、すべての音楽を通じて耳だけはよく発達しているのです。たくさんはお聞かせになりませんが、時々お聞きするあなたの琵琶の音にはよく昔のその時代を思い出させるものがありますよ。現在では六条院からお譲りになった芸で、左大臣だけが名手として残しておいでになりますが、薫《かおる》中納言、匂宮の若いお二人はすべての点で昔の盛りの御代《みよ》の人に劣らないと思われる天才的な人たちで、熱心におやりになる音楽のほうで言えば、宮様の撥音《ばちおと》の少し弱い点は六条院に及ばぬところであると私は思っているのです。ところがあなたのは非常に院のお撥音に似ています。琵琶は絃《いと》のおさえ方の確かなのがよいということになっていますが、柱《じ》をさす間だけ撥音の変わる時の艶な響きは女の弾き手のみが現わしうるもので、かえって女の名手の琵琶のほうを私はおもしろく思いますよ。今からお弾きになりませんか。女房たち、お楽器を」
 と大納言は言った。女房らは大納言に対してあまり隠れようとはしないのであるが、若い高級の女房の一人で、顔を見せたがらないのが、じっとして動かないのを大納言は、
「お付きの人たちさえも私を他人扱いするのがくやしい」
 と腹をたてて見せたりもした。
 若君が御所へ上がろうとして直衣《のうし》姿で父の所へ来た。正装をしてみずら[#「みずら」に傍点]を結った形よりも美しく見える子を、大納言は非常にかわいく思うふうであった。夫人も行っている麗景殿《れいげいでん》へすることづてを大納言はするのであった。
「お任せしておいて、今夜も私は失礼するだろうと思う、と言うのだよ。気分が少し悪いからと申してくれ」
 と言ったあとで、
「笛を少し吹け、何かというと御前の音楽の集まりにお呼ばれするではないか。困るね。幼稚な芸のものを」
 微笑をしながらこう言って、双調を子に吹かせた。一人息子がおもしろく笛を吹き出すのを待っていて、
「悪くはなくなってゆくのも、こちらのお姉様の所で、自然合わさせていただくことになるからだろうね。ぜひただ今も掻《か》き合わせてやってください」
 と責められて、女王は困っているふうであったが、爪弾《つまび》きで琵琶をよく合うように少し鳴らした。大納言は口笛で上手《じょうず》な拍子をとるのだった。この座敷の東の側に沿って、軒に近く立った紅梅の美しく咲いたのを大納言は見て、
「こちらの梅はことによい。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は宮中においでになるだろうから、一枝折らせてお持ちするがいい。『知る人ぞ知る』(色をも香をも)」
 こう子供に言いながらまた、大納言は、
「光源氏がいわゆる盛りの大将でいられた時代に、子供でちょうどこの子のようにして始終お近づきしたことが今でも私には恋しくてなりません。この宮がたを世間の人はお褒《ほ》めするし、実際愛さるべく作られて来た人のような風采《ふうさい》はお持ちになりますが、光源氏の片端の片端にもお当たりにならないように私の思うのは、すばらしいと子供心にお見上げしたころの深い印象によるものなのかもしれません。われわれでさえ院をお思い出しするとお別れしたことは慰みようもない悲しみになるのですから、家族の方がたでお死に別れをしたあとに生き残らねばならなかった人たちは不幸な宿命を負っているのだという気がします」
 こんなことを女王に語って、大納言は深く身にしむふうでしおれかえってしまった。この気持ちが促しもして大納言は、梅の枝を折らせるとすぐに若君を御所へ上がらせることにした。
「しかたがない。阿難《あなん》が身体《からだ》から光を放った時に、釈迦《しゃか》がもう一度出現されたと解釈した生《なま》賢い僧があったということだから、院を悲しむ心の慰めにはせめて匂宮へでも消息を奉ることだ」
 と言って、

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心ありて風の匂《にほ》はす園の梅にまづ鶯《うぐひす》の訪《と》はずやあるべき
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 この歌を紅の紙に、青年らしい書きようにしたためたのを、若君の懐紙《ふところがみ》の中へはさんで行かせるのを、少年は親しみたく思う宮であったから、喜んで御所へ急いだ。
 兵部卿の宮が中宮のお宿直《とのい》座敷から御自身の曹司《ぞうし》のほうへ行こうとしていられるところへ按察使《あぜち》大納言家の若君は来た。殿上役人がおおぜいあとからお供して来た中へ混じって来た子供を、宮はお見つけになって、
「昨日《きのう》はなぜ早く退出したの、今日《きょう》はいつごろから来ていた」
 などとお尋ねになった。
「昨日はあまり早く退《さが》りましたのが残念だったものですから、まだ宮様が御所にいらっしゃると人が言うものですから、急いで」
 子供らしくはあるが、若君は親しい調子で申し上げた。
「御所でなくても時々はもっと気楽な家のほうへも遊びに来るがいいよ。若い人がどこからともなくたくさん集まって来る所だよ」
 と宮はお言いになる。この子一人を相手にお話をあそばされるので、他の人たちは遠慮をしてやや遠くへのいていたり、ほかへ行ってしまったりして、静かになった時に、宮が、
「東宮様から少し暇がいただけたのだね、君をおかわいがりになってお放しにならないようだったのに、私の所へ来ている間に御|寵愛《ちょうあい》を人に奪われては恥だろう」
 とおからかいになると、
「あまりおまつわりになるので苦しくてなりませんでした。あなた様は」
 と子供は言いさして黙ってしまったのをまた宮は冗談《じょうだん》にして、
「私を貧弱な無勢力なものだと思って、嫌《きら》いになったって、そうなの。もっともだけれど少しくちおしいね。昔の宮様のお嬢様で、東の姫君という方にね私を愛してくださらないかって、そっとお話ししてくれないか」
 こんなことをお言いだしになったのをきっかけにして、若君は紅梅の枝を差し上げた。
「私の意志を通じたあとでこれがもらえたのならよかったろう」
 とお言いになって、宮は珍重あそばすように、いつまでも花の枝を見ておいでになった。枝ぶりもよく花弁の大きさもすぐれた美しい梅であった。
「色はむろん紅梅がはなやかでよいが、香は白梅に劣るとされているのだが、これは両方とも備わっているね」
 宮がことにお好みになる花であったから、差し上げがいのあるほど大事にあそばすのであった。
「今夜は御所に宿直《とのい》をするのだろう。このまま私の所にいるがいいよ」
 こうお言いになってお放しにならぬために、若君は東宮へ伺うこともできずに兵部卿の宮のお曹司《ぞうし》へ泊まることにした。
 花も羞恥《しゅうち》を感じるであろうと思われるにおいの高い宮のおそば近くに寝《やす》んでいることを、若君は子供心に非常にうれしく思っていた。
「この花の持ち主の方はなぜ東宮へお上がりにならなかったのかね」
「よく存じませんけれど、宮仕えよりも普通の結婚を父母は望んでいるのではございませんでしょうか」
 などと若君はお答えしていた。大納言の希望は自身の娘のほうであることも宮は他から聞き込んでおいでになるのであるが、憧憬《あこがれ》をお持ちになるのは東の女王《にょおう》のほうであったから、花の返事も明瞭《めいりょう》にあそばしたくないお気持ちがあって、翌朝若君の帰る時に、感激のないただ事のようにして、

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花の香に誘はれぬべき身なりせば花のたよりを過ぐさましやは
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 こんな歌をおことづてになるのであった。
「大人《おとな》などには話さないで、そっと女王さんに私の言ったことを取り次ぐのだよ」
 と返す返す宮は仰せられた。若君も東の姉君を他の姉よりも愛しているのであって、かえって他の姉たちは顔も見せるほどにして近づかせ、普通の家の兄弟と変わらないのであるが、重々しい上品さのある女王を、幸福の多い、はなやかな境遇に置いてみたいと常に望んでいるのに、太子の後宮へはいった姉が両親からはなばなしく扱われるのを見て、それも姉なのであるからよいわけであっても、不満足な気がするために、せめてこの宮を東の女王の良人《おっと》にしてみたいと心がけている時に、うれしい花の使いをすることになったのである。
 昨日は大納言から歌をお贈りしたのであるから、まず宮のお返事を若君は父に見せた。
「おじらしになる歌だね。あまりに多情な御生活をされることに感心しないでいることをお聞きになって、左大臣や自分などに対しては慎しみ深くお見せになるのがおかしい。浮気《うわき》男におなりになるのもやむをえないほどきれいに生まれておいでになる方が、まじめ顔をされてはかえってお価値《ねうち》も下がるだろうが」
 などと陰口《かげぐち》をしながら、今日も御所へ出す若君にまた、

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本《もと》つ香の匂《にほ》へる君が袖《そで》なれば花もえならぬ名をや散らさん

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風流狂のようでございますがお許しください。
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 こんなふうな消息をあかずに書いて持たせてあげた。遊びの気分でなくまじめに娘の所へ自分を誘おうとするのであろうかと、さすがに宮は興奮をお感じになった。

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花の香を匂はす宿に尋《と》め行かば色に愛《め》づとや人の咎《とが》めん
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 と、まだ受け入れがたい気持ちを書いてお返しになったのを、大納言は飽き足らず思った。
 真木柱《まきばしら》夫人が帰って来て、御所であった話をした時に、
「若君がいつかお上《かみ》のお宿直をいたしまして、翌朝東宮様へまいりました時に、よい香がついておりましたのを、だれもそんなことを気づかずにおりましたのに東宮様はすぐお悟りになりまして、兵部卿の宮の所へ伺っていたのだろう、だから冷淡にして私の所へは来なかったのだと冗談《じょうだん》をおっしゃいまして、おかしゅうございました。宮様からお手紙でもまいったのでございますか」
 こんなことを良人に問うた。
「そう。梅の花がお好きな方だから、あちらの座敷の前の紅梅が盛りで、あまりきれいだったから折って差し上げたのです。宮のお移り香は実際|馥郁《ふくいく》たるものだね。後宮の方たちだってああも巧妙に焚《た》きしめることはできないらしいがね。源中納言のはそうした人工的の香ではなくて、自身の持っている芳香が高いのですよ。どんなすぐれた前生の因縁で生まれた人なのだろう。同じ花だがどんな根があって高い香の花は咲くのかと思うと梅にも敬意を表したくなるからね。梅は匂宮《におうみや》がお好みになる花にできていますね」
 花の話からもまた兵部卿の宮のことを言う大納言であった。
 東の女王は細かい感情ももう皆備わる妙齢になっているのであるから、匂宮がお寄せになる好意を気づかないのではないが、結婚をして世間並みな生活をすることなどは断念していた。世間もまのあたり勢力のある父の子である方を好都合であるように思うのか、西の姫君のほうへは求婚者が次ぎ次ぎ現われてきて、はなやかな空気もそこでは作られるが、こちらは蔭《かげ》の国のように引っ込んで暮らしている様子を、匂宮はお聞きになって、御自身の趣味にかなった相手とますますお思いになることになり、始終大納言家の若君をお呼び寄せになっては、そっと手紙をおことづてになるのを、大納言はこの宮を二女の婿に擬して、お申し込みさえあればと用意もしていることで夫人は心苦しく思って、
「行き違いになって、そんな気持ちなどをまったく持っていない人のほうへいろいろと好意を寄せた手紙をくだすってもむだなことなのに」
 こんなことを言うことがあった。少しのお返事すらも女王のせぬことでいよいよ宮はおいらだちになって、負けたくないお気持ちも出て、より多く熱の加わった手紙を書いてお送りになるのであった。
 良人《おっと》を失望させてもしかたがない、婿にしてみたい気のする輝かしい未来も予想される方であると思って、夫人は時々どうしようかという気になることもあるのであるが、あまり多情で、恋人を多くお持ちになり、八の宮の姫君にも執心されてたびたび宇治にまでお出かけになることも噂《うわさ》されるのであるから、女王のために頼もしい良人になっていただけるとは思われない、不幸な境遇の娘であるから、もし結婚をさせることになれば万全の縁でなければ人笑われになるばかりであると、だいたいの心はお断わりすることにきめてしまって、御身分柄のもったいなさに、母として夫人が時々お返事を出したりだけはしていた。

紅梅 版本说明

底本:「全訳源氏物語 下巻」角川文庫、角川書店
   1972(昭和47)年2月25日改版初版発行
   1995(平成7)年5月30日40版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には2002(平成14)年4月10日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:砂場清隆
2004年3月17日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

46 竹河

[#地から3字上げ]姫たちは常少女《とこをとめ》にて春ごとに花あらそひ
[#地から3字上げ]をくり返せかし       (晶子)

 ここに書くのは源氏の君一族とも離れた、最近に亡《な》くなった関白太政大臣の家の話である。つまらぬ女房の生き残ったのが語って聞かせたのを書くのであるから、紫の筆の跡には遠いものになるであろう。またそうした女たちの一人が、光源氏の子孫と言われる人の中に、正当の子孫と、そうでないのとがあるように思われるのは、自分などよりももっと記憶の不確かな老人が語り伝えて来たことで、間違いがあるのではないかと不思議がって言ったこともあるのであるから、今書いていくことも皆真実のことでなかったかもしれないのである。
 玉鬘《たまかずら》の尚侍《ないしのかみ》の生んだ故人の関白の子は男三人と女二人であったが、どの子の未来も幸福にさせたい、どんなふうに、こんなふうにと空想を大臣は描いて、成長するのをもどかしいほどに思っているうちに、突然亡くなったので、遺族は夢のような気がして、大臣の志していた姫君を宮中へ入れることもそのままに捨てておくよりしかたがなかった。世間の人は目の前の勢いにばかり寄ってゆくものであったから、強大な権力をふるっていた関白のあとも、財産、領地などは少なくならないが、出入りする人が見る見る減って、寂しく静かな家になった。玉鬘夫人の兄弟たちは広く栄えているのであるが、貴族たちの肉親どうしの愛は一般人よりもかえって薄いもので、大臣の生きている間さえもそう親密に往来をしなかった上に、大臣が少し思いやりのない、むら気な性質で恨みを買うこともしたためにか、遺族の力になろうとする人も格別ないのであった。六条院は初めと変わらず子の一人として尚侍を見ておいでになって、御遺言状の遺産の分配をお書きになったものにも、冷泉《れいぜい》院の中宮の次へ尚侍をお加えになったために、夕霧の右大臣などはかえって兄弟の情をこの夫人に持っていて、何かの場合には援助することも忘れなかった。男の子たちは元服などもして、それぞれ一人並みになっていたから、父の勢力に引かれておれば思うようにゆくところがゆかぬもどかしさはあるといっても、自然に放任しておいても年々に出世はできるはずであった。姫君たちをどうさせればよいことかと尚侍は煩悶《はんもん》しているのである。帝《みかど》にも宮仕えを深く希望することを大臣は申し上げてあったので、もう妙齢に達したはずであると、年月をお数えになって入内《じゅだい》の御催促が絶えずあるのであるが、中宮《ちゅうぐう》お一人にますます寵《ちょう》が集まって、他の後宮たちのみじめである中へ、おくれて上がって行ってねたまれることも苦しいことであろうと思われるし、また存在のわからぬ哀れな後宮に娘のなっていることも親として見るに堪えられないことであるからと思って、尚侍はお請けをするのに躊躇《ちゅうちょ》されるのであった。冷泉院から御懇切に女御《にょご》として院参《いんざん》をさせるようにとお望みになって、昔尚侍がお志を無視して大臣へ嫁《とつ》いでしまったことまでもまた恨めしげに仰せられて、
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今ではいっそう年もとり、光の淡《うす》い身の上になっていて取柄《とりえ》はないでしょうが、安心のできる親代わりとして私にください。
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 お手紙にはこんなふうなお言葉もあるのであったから、これはどうであろう、自分が前生の宿縁で結婚をしたあとでお目にかかったのを飽きたらず思召《おぼしめ》したことが、恥ずかしくもったいないことだったのであるから、お詫《わ》びに代えようかなどとも思って、なお尚侍は迷っていた。美人であるという評判があって恋をする人たちも多かった。右大臣家の蔵人《くろうど》少将とか言われている子息は、三条の夫人の子で、近い兄たちよりも先に役も進み大事がられている子で、性質も善良なできのよい人が熱心な求婚者になっていた。父母のどちらから言っても近い間柄であったから、右大臣家の息子《むすこ》たちの遊びに来る時はあまり隔てのない取り扱いをこの家ではしているのであって、女房たちにも懇意な者ができ、意志を通じるのに便宜があるところから、夜昼この家に来ていて、うるさい気もしながら心苦しい求婚者とは尚侍も見ていた。母の雲井《くもい》の雁《かり》夫人からもそのことについての手紙も始終寄せられていた。
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まだ軽い身分ですが、しかもお許しくださる御好意を、あるいはお持ちくださることかと思われます。
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 と夕霧の大臣からも言ってよこされた。玉鬘《たまかずら》夫人は上の姫君をただの男とは決して結婚させまいと思っていた。次の姫君はもう少し少将の官位が進んだのちなら与えてもさしつかえがないかもしれぬと思っていた。少将は許しがなければ盗み取ろうとするまでに深い執着を持っているのである。もってのほかの縁と玉鬘夫人は思っているのではないが、女のほうで同意をせぬうちに暴力で結婚が遂行されることは、世間へ聞こえた時、こちらにも隙《すき》のあったことになってよろしくないと思って、蔵人少将の取り次ぎをする女房に、
「決して過失をあなたたちから起こしてはなりませんよ」
 といましめているので、その女も恐れて手の出しようがないのである。
 六条院が晩年に朱雀《すざく》院の姫宮にお生ませになった若君で、冷泉院が御子のように大事にあそばす四位の侍従は、そのころ十四、五で、まだ小さく、幼いはずであるが、年齢よりも大人《おとな》びて感じのよい若公達《わかきんだち》になっていて、将来の有望なことが今から思われる風貌《ふうぼう》の備わった人であるのを、尚侍は婿にしてみたいように思っていた。この邸《やしき》は女三《にょさん》の尼宮《あまみや》の三条のお邸に近かったから、源侍従は何かの時にはよくここの子息たちに誘われて遊びにも来るのであった。妙齢の女性のいる家であるから、出入りする若い男で、自身をよく見られたいと願わぬ人はないのであるが、容貌の美しいのは始終来る蔵人少将、感じのよい貴人らしい艶《えん》な姿のあることはこの四位の侍従に超《こ》えた人もなかった。六条院の御子という思いなしがしからしめるのか、源侍従はほかからも特別なすぐれた存在として扱われている人である。若い女房たちはことさら大騒ぎしてこの人をほめたたえるのであった。尚侍も、
「人が言うとおりだね、実際すばらしい公達ね」
 などと言っていて、自身が出て親しく話などもするのであった。
「院の御親切を思うと、お別れしてしまったことが、ひどい損失のような気がして、悲しくばかりなる私が、お形見と思ってお顔を見ることのできる方でも、右大臣はあまりにごりっぱな御身分で、何かの機会でもなければお逢《あ》いすることもできないのだから」
 と言っていて、尚侍は源侍従を弟と思って親しみを持っているのであったから、その人も近い親戚《しんせき》の家としてここへ出てくるのである。若い人に共通した浮わついたことも言わず、落ち着いたふうを見せていることで、二人の姫君付きの女房は皆物足らぬように思って、いどみかかるふうな冗談《じょうだん》もよく言いかけるのだった。
 正月の元日に尚侍《ないしのかみ》の弟の大納言、子供の時に父といっしょに来て、二条の院で高砂《たかさご》を歌った人であるその人、藤《とう》中納言、これは真木柱《まきばしら》の君と同じ母から生まれた関白の長子、などが賀を述べに来た。右大臣も子息を六人ともつれて出てきた。容貌を初めとしてまた並ぶ人なきりっぱな大官と見えた。子息たちもそれぞれきれいで、年齢の割合からいって、皆官位が進んでいた。物思いなどは少しも知らずにいるであろうと見えた。いつものように蔵人少将はことに秘蔵|息子《むすこ》らしくその中でも見えたが、気の浮かぬふうが見え、恋をしている男らしく思われた。
 大臣は几帳《きちょう》だけを隔てにして、尚侍と昔に変わらぬふうで語るのであった。
「用のない時にも伺わなければならないのを、失礼ばかりしています。年がいってしまいまして、御所へまいる以外の外出がもういっさいおっくうに思われるものですから、昔の話を伺いたい気持ちになります時も、そのままに済ませてしまうようになるのを遺憾に思います。若い息子たちは何の御用にでもお使いください。誠意を認めていただくようにするがいいと教えております」
「もうこの家などはだれの念頭にも置いていただけないものになっておりますのに、お忘れになりませんで御親切にお訪《たず》ねくださいましたのをうれしく存じますにつけましても、院の御厚志が私を今になっても幸福にしてくださるのだとかたじけなく思うのでございます」
 尚侍はこんなことを言ったついでに、冷泉院からあった仰せについて大臣へ相談をかけた。
「しかとした後援者を持ちませんものが、そうした所へ出てまいっては、かえって苦しみますばかりかとも思われますが」
「宮中からもお話があるということですが、どちらへおきめになっていいことでしょうね。院は御位《みくらい》をお去りになりまして、盛りの御時代は過ぎたように、ちょっと考えては思うでしょうが、たぐいもない御|美貌《びぼう》でいらっしゃるのですから、まだお若々しくて、りっぱに育った娘があれば、差し上げたいという気に私もなるのですが、すぐれた後宮がおありになるのですから、その中へはいらせてよいような娘は私になくて、いつも残念に思われるのです。いったい女一《にょいち》の宮《みや》の女御は同意されているのですか。これまでもよく人がそちらへの御遠慮から院参を断念したりするのでしたが」
 と大臣は質《ただ》した。
「女御さんから、つれづれで退屈な時間もあなたに代わってその人の世話をしてあげることで紛らしたいなどとお勧めになるものですから、私も院参を問題として考えるようになったのでございます」
 と尚侍は言っていた。あとからも来た高官たちはここでいっしょになって三条の宮へ参賀をするのであった。朱雀《すざく》院の御恩顧を受けた人たちとか、六条院に近づいていた人たちとかは今も入道の宮へ時おりの敬意を表しにまいることを怠らないのであった。この家の左近中将、右中弁、侍従なども大臣の供をして出て行った。大臣の率いて行く人数にも勢力の強大さが思われた。
 夕方になって源侍従の薫《かおる》がこの家へ来た。昼間|玉鬘《たまかずら》夫人の前へ現われたこの人よりもやや年長の公達《きんだち》も、それぞれの特色が備わっていて悪いところもなく皆きれいであったが、あとに来たこの人にはそれらを越えた美があって、だれの目も引きつけられるのであった。美しい物好きな若い女房たちなどは、
「やっぱり違っておいでになる」
 などと言った。
「こちらのお姫様にはこの方を並べてみないでは」
 こんなことを聞きにくいまでに言ってほめる。そう騒がれるのにたるほどの優雅な挙止を源侍従は見せていて、身から放つ香も清かった。貴族の姫君といわれるような人でも頭のよい人はこの人をすぐれた人と言うのはもっともなことだとくらい認めるかと思われた。尚侍は念誦堂《ねんずどう》にいたのであったが、
「こちらへ」
 と言わせるので、東の階《きざはし》から上がって、妻戸の口の御簾《みす》の前へ薫はすわった。前になった庭の若木の梅が、まだ開かぬ蕾《つぼみ》を並べていて、鶯《うぐいす》の初声《はつね》もととのわぬ背景を負ったこの人は、恋愛に関した戯れでも言わせたいような美しい男であったから、女房たちはいろいろな話をしかけるのであるが、静かに言葉少なな応対だけより侍従がしないのをくやしがって、宰相の君という高級の女房が歌を詠《よ》みかけた。

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折りて見ばいとど匂《にほ》ひもまさるやと少し色めけ梅の初花
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 速く歌のできたことを薫は感心しながら、

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「よそにては※[#「てへん+宛」、第3水準1-84-80]木《もぎき》なりとや定むらん下に匂へる梅の初花
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 疑わしくお思いになるなら袖《そで》を触れてごらんなさい」
 などと言っていると、また女房は、
「真実《ほんとう》は色よりも香」
 口々にこんなことを言って、引き揺らんばかりに騒いでいるのを、奥のほうからいざって出た玉鬘夫人が見て、
「困った人、あなたたちは。きまじめな人をつかまえて恥ずかしい気もしないのかね」
 とそっと言っていた。きまじめな人にしてしまわれた、あわれむべき名だと源侍従は思った。この家の侍従はまだ殿上の勤めもしていないので、参賀する所も少なくて早く家に帰って来てここへ出て来た。浅香《せんこう》の木の折敷《おしき》二つに菓子と杯を載せて御簾《みす》から出された。
「右大臣はお年がゆけばゆくほど院によくお似ましになるが、侍従はお似になったところはお顔にないが、様子にしめやかな艶《えん》なところがあって、院のお若盛りがそうでおありになったであろうと想像されます」
 などと薫の帰ったあとで尚侍は言って、昔をなつかしくばかり追想していた。あたりに残ったかんばしい香までも女房たちはほめ合っていた。
 源侍従はきまじめ男と言われたことを残念がって、二十日過ぎの梅の盛りになったころ、恋愛を解しない、一味の欠けた人のように言われる不名誉を清算させようと思って、藤《とう》侍従を訪問に行った。中門をはいって行くと、そこには自身と同じ直衣《のうし》姿の人が立っていた。隠れようとその人がするのを引きとめて見ると蔵人《くろうど》少将であった。寝殿の西座敷のほうで琵琶《びわ》と十三|絃《げん》の音がするために、夢中になって立ち聞きをしていたらしい。苦しそうだ、人が至当と認めぬ望みを持つことは仏の道から言っても罪作りなことになるであろうと薫は思った。琴の音がやんだので、
「さあ案内をしてください。私にはよく勝手がわかっていないから」
 と言って、蔵人少将とつれだって西の渡殿《わたどの》の前の紅梅の木のあたりを歩きながら、催馬楽《さいばら》の「梅が枝」を歌って行く時に、薫の侍従から放散する香は梅の花の香以上にさっと内へにおってはいったために、家の人は妻戸を押しあけて和琴を歌に合わせて弾《ひ》きだした。呂《りょ》の声の歌に対しては女の琴では合わせうるものでないのに、自信のある弾き手だと思った薫は、少将といっしょにもう一度「梅が枝」を繰り返した。琵琶も非常にはなやかな音だった。まったく芸術的な家であるとおもしろくなった薫は、元日とは変わった打ち解けたふうになって、冗談《じょうだん》なども今夜は言った。
 御簾《みす》の中から和琴を差し出されたが、二人の公達《きんだち》は譲り合って手を触れないでいると、夫人は末の子の侍従を使いにして、
「あなたのは昔の太政大臣の爪音《つまおと》によく以ているということですから、ぜひお聞きしたいと思っているのです。今夜は鶯《うぐいす》に誘われたことにしてお弾きくだすってもいいでしょう」
 と言わせた。恥ずかしがって引っ込んでしまうほどのことでもないと思って、たいして熱心にもならず薫の弾きだした琴の音は、音波の遠く広がってゆくはなやかな気のされるものだった。接近することの少なかった親ではあるが、亡《な》くなったと思うと心細くてならぬ尚侍《ないしのかみ》が、和琴に追慕の心を誘われて身にしむ思いをしていた。
「この人は不思議なほど亡くなった大納言によく似ておいでになって、琴の音などはそのままのような気がされました」
 と言って、尚侍の泣くのも年のいったせいかもしれない。少将もよい声で「さき草」を歌った。批評家などがいないために、皆興に乗じていろいろな曲を次々に弾き、歌も多く歌われた。この家の侍従は父のほうに似たのか音楽などは不得意で、友人に杯をすすめる役ばかりしているのを、友から、
「君も勧杯の辞にだけでも何かをするものだよ」
 と言われて、「竹河《たけかわ》」をいっしょに歌ったが、まだ少年らしい声ではあるがおもしろく聞こえた。御簾《みす》の中からもまた杯が出された。
「あまり酔っては、平生心に抑制していることまでも言ってしまうということですよ。その時はどうなさいますか」
 などと言って、薫の侍従は杯を容易に受けない。小袿《こうちぎ》を下に重ねた細長のなつかしい薫香《たきもの》のにおいの染《し》んだのを、この場のにわかの纏頭《てんとう》に尚侍は出したのであるが、
「どうしたからいただくのだかわからない」
 と言って、薫はこの家の藤侍従の肩へそれを載せかけて帰ろうとした。引きとめて渡そうとしたのを、
「ちょっとおじゃまするつもりでいておそくなりましたよ」
 とだけ言って逃げて行った。
 蔵人少将はこの源侍従が意味ありげに訪問した今夜のようなことが続けば、だれも皆好意をその人にばかり持つようになるであろう、自分はいよいよみじめなものになると悲観していて、御簾《みす》の中の人へ恨めしがるようなこともあとに残って言っていた。

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人は皆花に心を移すらん一人ぞ惑ふ春の夜の闇《やみ》
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 こう言って、歎息《たんそく》しながら帰ろうとしている少将に、御簾の中の人が、

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折からや哀れも知らん梅の花ただかばかりに移りしもせじ
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 と返歌をした。
 翌朝になって源侍従から藤侍従の所へ、
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 昨夜は失礼をして帰りましたが皆さんのお気持ちを悪くしなかったかと心配しています。
[#ここで字下げ終わり]
 と、婦人たちにも見せてほしいらしく仮名がちに書いて、端に、

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竹河《たけかは》のはしうちいでし一節《ひとふし》に深き心の底は知りきや
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 という歌もある手紙を送って来た。すぐに寝殿へこの手紙を持って行かれて、侍従の母夫人や兄弟たちもいっしょに見た。
「字も上手だね。まあどうして今からこんなに何もかもととのった人なのだろう。小さいうちに院とお別れになって、お母様の宮様が甘やかすばかりにしてお育てになった方だけれど、光った将来が今から見える人になっていらっしゃる」
 などと尚侍は言って、自分の息子たちの字の拙《つたな》さをたしなめたりした。藤侍従の返事は実際幼稚な字で書かれた。
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昨夜はあまり早くお帰りになったことで皆何とか言ってました。

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竹河によを更《ふ》かさじと急ぎしもいかなる節《ふし》を思ひおかまし
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 この時以来薫は藤侍従の部屋《へや》へよく来ることになって、姫君への憧憬《あこがれ》を常に伝えさせるのであった。少将が想像したとおりに、家の者は皆この人をひいきにすることになった。まだ少年らしい弟の侍従も、この人を姉の婿にして、同じ家の中で睦《むつ》み合いたいと願っていた。
 三月になって、咲く桜、散る桜が混じって春の気分の高潮に達したころ、閑散な家では退屈さに婦人たちさえ端近く出て、庭の景色《けしき》ばかりがながめまわされるのであった。玉鬘《たまかずら》夫人の姫君たちはちょうど十八、九くらいであって、容貌《ようぼう》にも性質にもとりどりな美しさがあった。姫君のほうは鮮明に気高《けだか》い美貌《びぼう》で、はなやかな感じのする人である。普通の人の妻にはふさわしくないと母君が高く評価しているのももっともに思われるのである。桜の色の細長に、山吹《やまぶき》などという時節に合った色を幾つか下にして重なった裾《すそ》に至るまで、どこからも愛嬌《あいきょう》がこぼれ落ちるように見えた。身のとりなしにも貴女《きじょ》らしい品のよさが添っている。もう一人の姫君はまた薄紅梅の上着にうつりのよいたくさんな黒々とした髪を持っていた。柳の糸のように掛かっているのである。背が高くて、艶《えん》に澄み切った清楚《せいそ》な感じのする聡明《そうめい》らしい顔ではあるが、はなやかな美は全然姉君一人のもののように女房たちも認めていた。碁を打つために姉妹《きょうだい》は今向き合っていた。髪の質のよさ、鬢《びん》の毛の顔への掛かりぐあいなど両姫君とも共通してみごとなものであった。侍従が審査役になって、姫君たちのそばについているのを兄たちがのぞいて、
「侍従はすばらしくなったね。碁の審査役にしていただけるのだからね」
 と、大人らしくからかいながら、几帳《きちょう》のすぐそばにすわってしまうと、女房たちは急に居ずまいを直したりした。上の兄の中将が、
「公務で忙しくしているうちに、姫君の愛顧を侍従に独占されてしまったのはつまらないね」
 と言うと、次の兄の右中弁が、
「弁官はまた特別に御用が多いから、忠誠ぶりを見ていただけないからといっても、少しは斟酌《しんしゃく》していただかないでは」
 と言う。兄たちの言う冗談《じょうだん》に困って碁を打ちさして恥じらっている姫君たちは美しかった。
「御所の中を歩いていても、お父様がおいでになったらと思うことが多い」
 などと言って、中将は涙ぐんで妹たちを見ていた。もう二十七、八であったから風采《ふうさい》もりっぱになっていて、妹たちを父の望んでいたようにはなやかな後宮の人として見たく思っているのである。庭の花の木の中でもことに美しい桜の枝を折らせて、姫君たちが、
「この花が一番いいのね」
 などと言って楽しんでいるのを見て、中将が、
「あなたがたが子供の時に、この桜の木を私のだ私のだと取り合いをした時に、お父様は姉さんのものだとおきめになって、お母様は小さい人のだとおきめになったから、泣く騒ぎまではしなかったけれど、双方とも不満足な顔をしたことを覚えていますか」
 こんなことを言いだして、また、
「この桜が老い木になったことでも、過ぎ去った歳月が数えられて、力になっていただけたどの方にもどの方にも死に別れてしまった不幸な自分のことが思われる」
 とも言って、泣きもし、笑いもしながら平生ほど時間のたつのを気にせずに中将は母の家にいた。他家の婿になっていて、こちらへ来て静かに暮らす余裕のある日などを持たないのであるが、今日は花に心が惹《ひ》かれて落ち着いているのである。尚侍はまだこうした人々を子にして持っているほどの年になっているとは見えぬほど今日も若々しくて、盛りの美貌《びぼう》とさえ思われた。冷泉《れいぜい》院の帝《みかど》は姫君を御懇望になっているが真実はやはり昔の尚侍を恋しく思われになるのであって、何かによって交渉の起こる機会がないかとお考えになった末、姫君のことを熱心にお申し入れになったのである。院参の問題はこの子息たちが反対した。
「どうしても見ばえのせぬことをするように思われますよ。現在の勢力のある所へ人が寄って行くのも、自然なことなのですからね。院はごりっぱな御|風采《ふうさい》で、あの方の後宮に侍することができれば女として幸福至極だろうとは思いますが、盛りの過ぎた方だと今の御位置からは思われますからね。音楽だって、花だって、鳥だってその時その時に適したものでなければ魅力はありません。東宮はどうですか」
 などと中将が言う。
「それはどうかね。初めからりっぱな方が上がっておいでになって、御|寵愛《ちょうあい》をもっぱらにしておいでになるのだから、それだけでも資格のない人があとではいって行っては、苦痛なことばかり多いだろうと思うからね。お父様がほんとうにいてくだすったら、この人たちの遠い未来まではわからないとしても、さしあたっては何の引け目もなしにどこへでもお出しになっただろうがね」
 と尚侍《ないしのかみ》が言いだしたために、めいった空気に満ちてきたのもぜひないことである。
 中将などが立って行ったあとで、姫君たちは打ちさしておいた碁をまた打ちにかかった。昔から争っていた桜の木を賭《か》けにして、
「三度打つ中で、二度勝った人の桜にしましょう」
 などと戯れに言い合っていた。
 暗くなったので勝負を縁側に近い所へ出てしていた。御簾《みす》を巻き上げて、双方の女房も固唾《かたず》をのんで碁盤の上を見守っている。ちょうどこの時にいつもの蔵人《くろうど》少将は侍従の所へ来たのであったが、侍従は兄たちといっしょに外へ出たあとであったから、人気《ひとけ》も少なく静かな邸《やしき》の中を少将は一人で歩いていたが、廊《わたどの》の戸のあいた所が目について、静かにそこへ寄って行って、のぞいて見ると、向こうの座敷では姫君たちが碁の勝負をしていた。こんな所を見ることのできたことは、仏の出現される前へ来合わせたと同じほどな幸福感を少将に与えた。夕明りも霞《かす》んだ日のことでさやかには物を見せないのであるが、つくづくとながめているうちに、桜の色を着たほうの人が恋しい姫君であることも見分けることができた。「散りなんのちの」という歌のように、のちの形見にも面影をしたいほど麗艶《れいえん》な顔であった。いよいよこの人をほかへやることが苦しく少将に思われた。若い女房たちの打ち解けた姿なども夕明りに皆美しく見えた。碁は右が勝った。
「高麗《こま》の乱声《らんじょう》(競馬の時に右が勝てば奏される楽)がなぜ始まらないの」
 と得意になって言う女房もある。
「右がひいきで西のお座敷のほうに寄っていた花を、今まで左方に貸してお置きあそばしたきまりがつきましたのですね」
 などと愉快そうに右方の者ははやしたてる。少将には何があるのかもよくわからないのであるが、その中へ混じっていっしょに遊びたい気のするものの、だれも見ないと信じている人たちの所へ出て行くことは無作法であろうと思ってそのまま帰った。
 もう一度だけああした機会にあえないであろうかと、少将はそののちも恋人の邸をうかがい歩いた。
 姫君たちは毎日花争いに暮らしているのであったが、風の荒く吹き出した日の夕方に梢《こずえ》から乱れて散る落花を、惜しく残念に思って、負け方の姫君は、

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桜ゆゑ風に心の騒ぐかな思ひぐまなき花と見る見る
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 こんな歌を作った。そのほうにいる宰相の君が、

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咲くと見てかつは散りぬる花なれば負くるを深き怨《うら》みともせず
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 と慰める。右の姫君、

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風に散ることは世の常枝ながらうつろふ花をただにしも見じ
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 右の女房の大輔《たゆう》、

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心ありて池の汀《みぎは》に落つる花|泡《あわ》となりてもわが方に寄れ
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 勝ったほうの童女が庭の花の下へ降りて行って、花をたくさん集めて持って来た。

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大空の風に散れども桜花おのがものぞと掻《か》き集《つ》めて見る
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 左の童女の馴君《なれき》がそれに答えて、

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「桜花|匂《にほ》ひあまたに散らさじとおほふばかりの袖《そで》はありやは
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 気が狭いというものですね」
 などと悪く言う。
 そんなことをしているうちにずんずん月日のたっていくことも妙齢の娘たちを持っている尚侍を心細がらせて、一人で姫君たちの将来のことばかりを考えていた。
 院からは毎日のように御催促の消息をお送りになった。女御《にょご》からも、
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私を他人のようにお思いになるのですか。院は、私が中ではばんでいるように憎んでおいでになりますから、それはお戯れではあっても、私としてつらいことですから、できますならなるべく近いうちにそのことの実現されますように。
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 こんなふうに懇切に言って来た。それが宿命であるために、こうまでお望みになるのであろうから、御辞退するのはもったいないと尚侍は考えるようになった。手道具類は父の大臣がすでに十分の準備をしておいたのであるから、新しく作らせる必要もなくて、ただ女房の装束類その他の簡単な物だけを、娘の院参のために玉鬘夫人は用意していた。姫君の運命が決せられたことを聞いて、蔵人少将は死ぬほど悲しんで、母の夫人にどうかしてほしいと責めた。夫人は困って、
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私の出てまいる問題でないことに私が触れますのも、盲目的な親の愛からでございます。この気持ちを御理解してくださいますならば、なんとか子供の心を慰むるようにお計らいくださいませんか。
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 などといたいたしく訴えて来たのを、尚侍は、
「気の毒で困ってしまうばかり」
 と歎息《たんそく》をしながら、
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どの道をとりますことが娘の幸福であるかもわからないのですが、院からの仰せがたびたびになるものですから、私は思い悩んでいます。御愛情をお持ちくださるなら、しばらくお忍びくだすって、慰安の方法を私が講じますのを待ってもらいますことが、世間体もよろしいかと思われます。
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 こんな返事を書いたのは、姉君の院参を済ませてから妹を与えたいという考えらしい。同時にそれをするのも世間へ見せびらかすようなことにもなるし、少将の官をも少し進ませてからにしたほうがいいからと、こんなふうに玉鬘《たまかずら》夫人は思っているのであったが、男はこの望みどおりに妹の姫君へ恋を移すのは不可能に思っているのである。ほのかに顔を見てからは面影に立つほど恋しくて、どんな日にこの人をまた見ることができるであろうかとばかり歎《なげ》いているのであったから、もう望みのないこととしてあきらめねばならぬことになったのを非常に悲しんだ。今さら何のかいもあることではなくても、なお自分の気持ちだけは通じておきたいと思って、少将が侍従の部屋《へや》へ訪《たず》ねて行くと、その時侍従は源侍従から来た手紙を読んでいたのであって、隠してしまおうとするのを、少将は奪い取ってしまった。秘密があるように思われたくもないと思って、侍従はしいて取り返そうとはしなかった。それは表面にそのことは言わずに、ただなんとなく人生が暗くなったというようなことばかりの書かれた手紙であった。

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つれなくて過ぐる月日を数へつつ物|怨《うら》めしき春の暮れかな
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 ともある。こんなふうに、余裕のある恨み方をするだけで足りている人もある。自分があまりに無我夢中になって恋にあせることが一つはこの家の人に好感を与えなかったのであろうと、少将はこんなことを思ってさえも胸の痛くなるのを覚えるために、あまり侍従とも話をせずに、親しくする女房の中将の君の部屋のほうへ歩いて行きながらも、これもむだなことに違いないと歎息ばかりをしていた。侍従が源侍従へ書く返事の相談をするために、母の所へ出て行くのを見ても少将は腹がたつのであった。若い人であるから失恋の悲しみに落ちては救われようもなくなったようにばかり思うのだった。
 見苦しいほどにも恨めしがり、悲しがって言い続ける少将の相手になっている中将の君は、いたましく思って返辞もあまりできないのであった。碁の勝負のあった夕方に隙見《すきみ》をしたことも少将は言いだして、
「せめてあの瞬間の楽しさだけでも、もう一度経験したい。何を目的にして今後私は生きて行くのでしょう。けれど先はもう短い気のする私ですよ。無情も情けであるというように、死んでしまえるならかえってこれがよかったかもしれませんね」
 まじめにこんなことを言うのである。同情はしていても、何とも慰める言葉のないことではないかと中将の君は思うのであった。夫人が姉君に代えて二女を許そうとしていることが少しもうれしいふうでないのは、あの桜の夕べにあけ放された座敷までことごとくこの人は見ることができたために、こうした病的なまでの恋を一人の姫君に寄せるようになったのであろうと思うと、道理にも思えた。
「姫君がお聞きになりましたら、いっそうけしからん考えを持っておいでになるとお思いになって、御同情が減るでしょう。私のお気の毒に思っておりました気持ちも、もうなくなりましたよ。むちゃなことばかりお言いになるから」
 正面から中将が攻撃すると、
「そんなことはかまわない。人は死ぬ時になると何もこわいものはなくなりますよ。それにしても碁の勝負にお負けになったのは気の毒だった。私を寛大にお扱いくだすって、あの時目くばせをしてそばへ呼んでくだすったら、よい助言ができたのに、勝たせてあげたのに」
 などと言って、また、

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いでやなぞ数ならぬ身にかなはぬは人に負けじの心なりけり
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 とも歌った。中将の君が笑いながら、

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わりなしや強きによらん勝ち負けを心一つにいかが任する
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 と言う態度までも、冷淡に思われる少将であった。

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哀れとて手を許せかし生き死にを君に任するわが身とならば
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 冗談《じょうだん》を混ぜては笑いもし、また泣きもして少将は夜通し中将の君の局《つぼね》から去らなかった。
 翌日はもう四月になっていた。兄弟たちは季の変わり目で皆御所へまいるのであったが、少将一人はめいりこんで物思いを続けているのを、母の夫人は涙ぐんで見ていた。大臣も、
「院の御感情を害してはならないし、自分がそうした間題に携わるのもいかがと思ったので、せっかく正月に逢《あ》っていながら何も言いださなかったのは間違いだった。私の口からぜひと懇望すれば同意の得られないことはなかったろうにと思われるのに」
 などと言っていた。この日もいつものように、少将からは、

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花を見て春は暮らしつ今日《けふ》よりや繁《しげ》きなげきの下に惑はん
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 という歌が恋人へ送られた。姫君の居間で高級な女房たちだけで、失望した求婚者たちのいたましいことが言い並べられている時に、中将の君が、
「生き死にを君に任すとお言いになりました時には、それを言葉だけのこととは思われなかったのですから気の毒でございましたよ」
 と言っているのを、尚侍は哀れに聞いていた。大臣やその夫人に対する義理と思って、なお娘を忘れぬ志があるなら、その時には誠意の見せ方があると、妹君をそれにあてて玉鬘《たまかずら》夫人は思っているのである。しかし院参を阻止しようとするような態度はきわめて不愉快であるとしていた。どれほどりっぱな人であっても、普通人には絶対に与えられぬと父である関白も思っていた娘なのであるから、院参をさせることすら未来の光明のない点で尚侍《ないしのかみ》は寂しく思っていたところへ、少将のこの手紙が来て女房たちはあわれがっていた。中将の君の返事、

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今日ぞ知る空をながむるけしきにて花に心を移しけりとも
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「まあお気の毒な、ただ言葉の遊戯にしてしまうことになるではありませんか」
 などと横から言う人もあったが、中将の君はうるさがって書き変えなかった。
 四月の九日に尚侍の長女は院の後宮へはいることになった。右大臣は車とか、前駆をする人たちとかを数多くつかわした。雲井《くもい》の雁《かり》夫人は姉の尚侍をうらめしくは思っているが、今まではそれほど親密に手紙も書きかわさなかったのに、あの問題があって、たびたび書いて送ることになったのに、それきりまたうとくなってしまうのもよろしくないと思って、纏頭《てんとう》用として女の衣裳《いしょう》を幾組みも贈った。
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気の抜けたようになっております人を介抱いたしますのにかかっておりまして、私はまだ何も知らなかったのでしたが、知らせてくださいませんことは、うとうとしいあそばされ方だとお怨《うら》みいたします。
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 という手紙が添っていた。おおように言いながらも恨みのほのめかせてあるのを尚侍は哀れに思った。大臣からも手紙が送られた。
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私も上がろうと思っていたのですが、あやにく謹慎日にあたるものですから失礼いたします。息子たちはどんな御用にでもお心安くお使いください。
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 と言って、源少将、兵衛佐《ひょうえのすけ》などをつかわした。
「御親切は十分ある方だ」
 と言って玉鬘《たまかずら》夫人は喜んでいた。弟の大納言の所からも女房用にする車をよこした。この人の夫人は故関白の長女でもあったから、どちらからいっても親密でなければならないのであるが、実際はそうでもなかった。藤中納言は自身で来て、異腹の弟の中将や弁の公達《きんだち》といっしょになり、今日の世話に立ち働いていた。父の関白がいたならばと、何につけてもこの人たちは思われるのであった。蔵人少将は例のように綿々と恨みを書いて、
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もう生ききれなく見えます命のさすがに悲しい私を、哀れに思うとただ一言でも言ってくださいましたら、それが力になってしばらくはなお命を保つこともできるでしょう。
[#ここで字下げ終わり]
 などとも言ってあるのを、中将の君が持って行った時に、居間では二人の姫君が別れることを悲しんでめいったふうになっていた。夜も昼もたいていいっしょにいた二人で、居間と居間の間に戸があって西東になっていることをすら飽き足らぬことに思って、双方どちらかが一人の居間へ行っていたような姉妹《きょうだい》が、別れ別れになるのを悲観しているのである。ことに美しく化粧がされ、晴れ着をつけさせられている姫君は非常に美しかった。父が天子の後宮の第一人にも擬していた自分であったがと、そんなことを思い出していて、寂しい気持ちに姫君がなっていた時であったから、少将の手紙も手に取って読んでみた。りっぱに父もあり母もそろっている家の子でいて、なぜこうした感情の節制もない手紙を書くのであろうと姫君はいぶかりながらも、それかぎりであきらめようと書かれてあるのを、真実のことかとも思って、少将の手紙の端のほうへ、

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哀れてふ常ならぬ世の一言もいかなる人に掛くるものぞは

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生死の問題についてだけほのかにその感じもいたします。
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 とだけ書いて、
「こう言ってあげたらどう」
 と姫君が言ったのを、中将の君はそのまま蔵人《くろうど》少将へ送ってやった。
 珍しい獲物のようにこれが非常にうれしかったにつけても、今日が何の日であるかと思うと、また少将の涙はとめどもなく流れた。またすぐに、「恋ひ死なばたが名は立たん」などと恨めしそうなことを書いて、

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生ける世の死には心に任せねば聞かでややまん君が一言

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塚《つか》の上にでも哀れをかけてくださるあなただと思うことができましたら、すぐにも死にたくなるでしょうが。
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 こんなことも二度めの手紙にあるのを読んで、姫君はせねばよい返事をしたのが残念だ、あのまま送ってやったらしいと苦しく思って、もうものも言わなくなった。
 院へ従って行く女房も童女もきれいな人ばかりが選ばれた。儀式は御所へ女御《にょご》の上がる時と変わらないものであった。尚侍はまず女御のほうへ行って話などをした。新女御は夜が更《ふ》けてからお宿直《とのい》に上がって行ったのである。后《きさき》の宮も女御たちも、もう皆長く侍しておられる人たちばかりで、若い人といってはない所へ、花のような美しい新女御が上がったのであるから、院の御寵愛がこれに集まらぬわけはない。たいへんなお覚えであった。上ない御位《みくらい》におわしました当時とは違って、唯人《ただびと》のようにしておいでになる院の御姿は、よりお美しく、より光る御顔と見えた。尚侍が当分娘に添って院にとどまっていることであろうと、院は御期待あそばされたのであるが、早く帰ってしまったのを残念に思召《おぼしめ》し、恨めしくも思召した。
 院は源侍従を始終おそばへお置きになって愛しておいでになるのであって、昔の光源氏が帝《みかど》の御寵児であったころと同じように幸福に見えた。院の中では后の宮のほうへも、女一《にょいち》の宮《みや》の御母女御のほうへもこの人は皆心安く出入りしているのである。新女御にも敬意を表しに行くことをしながら、心のうちでは、失敗した求婚者をどう見ているかと知りたく思っていた。
 ある夕方のしめやかな気のする時に、薫《かおる》の侍従は藤《とう》侍従とつれ立って院のお庭を歩いていたが、新女御の住居《すまい》に近い所の五葉《ごよう》の木に藤《ふじ》が美しくかかって咲いているのを、水のそばの石に、苔《こけ》を敷き物に代えて二人は腰をかけてながめていた。露骨には言わないのであるが、失恋の気持ちをそれとなく薫は友にもらすのであった。

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手にかくるものにしあらば藤の花松よりまさる色を見ましや
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 と言って、花を見上げた薫の様子が身に沁《し》んで気の毒に思われた藤侍従は、自身は無力で友のために尽くすことができなかったということをほのめかして薫をなだめていた。

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紫の色は通へど藤の花心にえこそ任せざりけれ
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 まじめな性質の人であったから深く同情をしていた。薫は失恋にそれほど苦しみもしていなかったが残念ではあった。
 蔵人少将はどうすればよいかも自身でわからぬほど失恋の苦に悩んで、自殺もしかねまじい気色《けしき》に見えた。求婚者だった人の中では目標を二女に移すのもあった。蔵人少将を母夫人への義理で二女の婿にもと思い、かつて尚侍はほのめかしたこともあったが、あの時以後もう少将はこの家を訪《たず》ねることをしなくなった。院へは右大臣家の子息たちが以前から親しくまいっているのであったが、蔵人少将は新女御のまいって以来あまり伺候することがなくて、まれまれに殿上の詰め所へ顔を出してもその人はすぐに逃げるようにして帰った。
 帝は、故人の関白の意志は姫君を入内させることであって、院へ奉ることではなかったのを、遺族のとった処置は腑《ふ》に落ちぬことに思召《おぼしめ》して、中将をお呼びになってお尋ねがあった。
「天機よろしくはありませんでした。ですから世間の人も心の中でまずいことに思うことだと私が申し上げたのに、お母様は、信じるところがおありにでもなるように院参のほうへおきめになったものですから、私らが意見を異にしているようなことは言われなかったのです。ああしたお言葉をお上《かみ》からいただくようでは私の前途も悲観されます」
 中将は不愉快げに母を責めるのだった。
「何も私がそうでなければならぬときめたことではなく、ずいぶん躊躇《ちゅうちょ》をしたことなのだがね。お気の毒に存じ上げるほどぜひにと院の陛下が御懇望あそばすのだもの、後援者のない人は宮中にはいってからのみじめさを思って、はげしい競争などはもうだれもなさらないような院の後宮へ奉ったのですよ。だれも皆よくないことであれば忠告をしてくれればいいのだけれど、その時は黙っていて、今になると右大臣さんなども私の処置が悪かったように、それとなくおっしゃるのだから苦しくてなりませんよ。皆宿命なのですよ」
 と穏やかに尚侍は言っていた。心も格別騒いではいないのである。
「その前生の因縁というものは、目に見えないものですから、お上がああ仰せられる時に、あの妹は前生からの約束がありましてなどという弁解は申し上げられないではありませんか。中宮《ちゅうぐう》がいらっしゃるからと御遠慮をなすっても、院の御所には叔母《おば》様の女御さんがおいでになったではありませんか。世話をしてやろうとか、何とか、言っていらっしゃって御了解があるようでも、いつまでそれが続くことですかね、私は見ていましょう。御所には中宮がおいでになるからって、後宮がほかにだれも侍していないでしょうか。君に仕えたてまつることでは義理とか遠慮とかをだれも超越してしまうことができると言って、宮仕えをおもしろいものに昔から言うのではありませんか。院の女御が感情を害されるようなことが起こってきて、世間でいろんな噂《うわさ》をされるようになれば、初めからこちらのしたことが間違いだったとだれにも思われるでしょう」
 などとも中将は言った。兄弟がまたいっしょになっても非難するのを玉鬘《たまかずら》夫人は苦しく思った。
 その新女御を院が御|寵愛《ちょうあい》あそばすことは月日とともに深くなった。七月からは妊娠をした。悪阻《つわり》に悩んでいる新女御の姿もまた美しい。世の中の男が騒いだのはもっともである、これほどの人を話だけでも無関心で聞いておられるわけはないのであると思われた。御|愛姫《あいき》を慰めようと思召して、音楽の遊びをその御殿でおさせになることが多くて、院は源侍従をも近くへお招きになるので、その人の琴の音《ね》などを薫は聞くことができた。この侍従が正月に「梅が枝」を歌いながら訪《たず》ねて行った時に、合わせて和琴を弾《ひ》いた中将の君も常にそのお役を命ぜられていた。薫は弾き手のだれであるかを音に知って、その夜の追想が引き出されもした。
 翌年の正月には男踏歌《おとことうか》があった。殿上の若い役人の中で音楽のたしなみのある人は多かったが、その中でもすぐれた者としての選にはいって薫の侍従は右の歌手の頭《とう》になった。あの蔵人《くろうど》少将は奏楽者の中にはいっていた。初春の十四日の明るい月夜に、踏歌の人たちは御所と冷泉《れいぜい》院へまいった。叔母《おば》の女御も新女御も見物席を賜わって見物した。親王がた、高官たちも同時に院へ伺候した。源右大臣と、その舅家《きゅうけ》の太政大臣の二系統の人たち以外にはなやかなきれいな人はないように見える夜である。宮中で行なった時よりも、院の御所の踏歌を晴れがましいことに思って、人々は細心な用意を見せて舞った。また奏し合った中でも蔵人少将は、新女御が見ておられるであろうと思って興奮をおさえることができないのである。美しい物でもないこの夜の綿の花も、挿頭《かざ》す若|公達《きんだち》に引き立てられて見えた。姿も声も皆よかった。「竹河」を歌って階《きざはし》のもとへ歩み寄る時、少将の心にもまた去年の一月の夜の記憶がよみがえってきたために、粗相も起こしかねないほどの衝動を受けて涙ぐんでいた。后《きさき》の宮の御前で踏歌がさらにあるため、院もまたそちらへおいでになって御覧になるのであった。深更になるにしたがって澄み渡った月は昼より明るく照らすので、御簾《みす》の中からどう見られているかということに上気して、少将は院のお庭を歩くのでなく漂って行く気持ちでまいった。杯を受けて飲むことが少ないと言って、自身一人が責められることになるのも恥ずかしかった。
 踏歌の人たちは夜通しあちらこちらとまわったために翌日は疲労して寝ていた。薫侍従に院からのお召があった。
「苦しいことだ。しばらく休養したいのに」
 と言いながら伺候した。御所で踏歌を御覧になった様子などを院はお尋ねになるのであった。
「歌頭《かとう》は今まで年長者がするものなのだが、それに選ばれるほど認められているのだと思って満足した」
 と仰せられてかわいく思召す御さまである。「万春楽《ばんしゅんらく》」(踏歌の地に弾《ひ》く曲)の譜をお口にあそばしながら新女御の御殿へおいでになる院のお供を薫はした。前夜の見物に自邸のほうから来ていた人たちが多くて、平生よりも御簾の中のけはいがはなやかに感ぜられるのである。渡殿《わたどの》の口の所にしばらく薫はいて、声になじみのある女房らと話などをしていた。
「昨夜の月はあまりに明るくて困りましたよ。蔵人少将が輝くように見えましたね。御所のほうではそうでもありませんでしたが」
 などと言う薫の言葉を聞いて、心に哀れを覚えている女房もあった。
「夜のことでよくわかりませんでしたが、あなたがだれよりもごりっぱだったということは一致した評でございました」
 などと口|上手《じょうず》なことも言って、また中から、

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竹河のその夜のことは思ひいづや忍ぶばかりの節《ふし》はなけれど
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 だれかの言ったこの歌に、薫は涙ぐまれたことで、自分の心にも深くしみついている恋であることがわかった。

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流れての頼みむなしき竹河に世はうきものと思ひ知りにき
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 と答えて、物思いのふうの見えるのを女房たちはおかしがった。その人たちも薫は蔵人少将などのように露骨に恋は告げなかったが、心の中に思いを作っていたのであろうと憐《あわれ》んではいたのである。
「少しよけいなことまでも言ったようですが、他言をなさいませんように」
 と言って、薫が立って行こうとする時に、
「こちらへ来るように」
 と、院の仰せが伝えられたので、晴れがましく思いながら新女御の座敷のほうへ薫はまいった。
「以前六条院で踏歌の翌朝に、婦人がたばかりの音楽の遊びがあったそうで、おもしろかったと右大臣が言っていた。何から言っても六条院がその周囲へお集めになったほどのすぐれた人が今は少なくなったようだ。音楽のよくできる婦人などもたくさん集まっていたのだからおもしろいことが多かったであろう」
 などと、その時代を御追想になる院は、楽器の用意をおさせになって、新女御には十三|絃《げん》、薫には琵琶《びわ》をお与えになった。御自身は和琴をお弾《ひ》きになりながら「この殿」などをお歌いあそばされた。新女御の琴は未熟らしい話もあったのであるが、今では傷のない芸にお手ずからお仕込みになったのである。はなやかできれいな音を出すことができ、歌もの、曲ものも上手《じょうず》に弾いた。何にもすぐれた素質を持っているらしい、容貌《ようぼう》も必ず美しいであろうと薫は心の惹《ひ》かれるのを覚えた。こんなことがよくあって、新女御と薫の侍従は親しくなっていた。反感を引くようにまでは怨《うら》みかけたりはしなかったが、何かのおりには失恋の歎《なげ》きをかすめて言う薫を、女御のほうではどう思ったか知らない。
 四月に院の第二皇女がお生まれになった。きわめてはなやかなことの現われてきたのではないが、院のお心持ちを尊重して、右大臣を初めとして産養《うぶやしない》を奉る人が多かった。尚侍はお抱きした手から離せぬようにお愛し申し上げていたが、院から早くまいるようにという御催促がしきりにあるので、五十日目ぐらいに、新女御は宮をおつれ申して院へまいった。院はただお一人の内親王のほかには御子を持たせられなかったのであるから、珍しく美しい少皇女をお得になったことで非常な御満足をあそばされた。
 以前よりもいっそう御|寵愛《ちょうあい》がまさって、院のこの御殿においでになることの多くなったのを、叔母《おば》の女御付きの女房たちなどは、こんな目にあわないではならなかったろうかなどと思ってねたんだ。叔母と姪《めい》との二人の女御《にょご》の間には嫉妬《しっと》も憎しみも見えないのであるが、双方の女房の中には争いを起こす者があったりして、中将が母に言ったことは、兄の直覚で真実を予言したものであったと思われた。尚侍《ないしのかみ》も、こんな問題が続いて起こる果てはどうなることであろう、娘の立場が不利になっていくのは疑いないことである、院の御愛情は保てても、長く侍しておられる人たちから、不快な存在のように新女御が見られることになっては見苦しいと思っていた。
 帝《みかど》も院へ姫君を奉ったことで御不快がっておいでになり、たびたびその仰せがあるということを告げる人があったために、尚侍は申しわけなく思って、二女を公式の女官にして宮中へ差し上げることにきめて、自身の尚侍の職を譲った。尚侍の辞任と新任命は官で重大なこととして取り扱われるのであったから、ずっと以前から玉鬘《たまかずら》には辞意があったのに許されなかったところへ、娘へ譲りたいと申し出たのを、帝は御|伯父《おじ》であった大臣の功労を思召す御心《みこころ》から、古い昔に例のあったことをお思いになって、大臣の未亡人の願いをお納《い》れになり、故太政大臣の女《じょ》は新尚侍に任命された。これはこの人に定められてあった運命で、母の夫人の単独に辞職を申し出た時にはお許しがなかったのであろうと思われた。真実は後宮であって、尚侍の動かない地位だけは得ているのであるから、競争者の中に立つようなこともなくて、気楽に宮中におられることとして玉鬘夫人は安心したのであるが、少将のことを雲井《くもい》の雁《かり》夫人から再度申し込んで来た以前のことに対して、自分はそれに代える優遇法を考えていると言ったのであったがどう思っているであろうと、そのことだけを気の済まぬことに思った。二男の弁を使いにして玉鬘夫人は右大臣へ隔てのない相談をすることにした。宮中からこういう仰せがあるということを言って、
「娘を宮仕えにばかり出したがると世間で言われるようなことがないかと、そんなことを私は心配しております」
 と伝えさせると、
「お上《かみ》が不愉快に思召すのがお道理であるように私も承っております。それに公職におつきになったのですから、その点ででも宮中に出仕しないのは間違いです。早くお上げになるほうがいいと思います」
 という言葉で大臣は答えて来た。院の女御の場合のように、中宮の御了解を得ることに努めてから、玉鬘は二女を御所へ奉った。良人《おっと》の大臣が生きておれば、わが子は肩身狭くかくしてまでの宮仕えはせずともよかったはずであると夫人は物哀れな気持ちをまた得たのであった。姉君は有名な美人であることを帝もお知りあそばされていたのであったが、その人でない妹のまいったことで御満足はあそばされないようであったが、この人も洗練された貴女のふうのある人であった。前尚侍はこれが終わってのち尼になる考えを持っていたが、
「あちらもこちらもまだお世話をなさらなければならぬことが多いのですから、今日ではまだ仏勤めをなさいますのに十分の時間がなくて、尼におなりになったかいもなくなるでしょう。もうしばらくの間そのままで、どちらの姫君のことも、これで安心というところまで見きわめになってから、専念に道をお求めになるほうがいい」
 と子息たちが言うので、そのことも停滞した形であった。
 御所の娘のほうへは時々夫人が出かけて行って、二、三日とどまって世話をやいていもするのであったが、昔をお忘れきりにならぬお心の見える院の御所のほうへは、まいらねばならぬことがあっても夫人は行かないのであった。迷惑しながら、もったいなく心苦しく存じ上げた昔があるために、だれの反対をも無視して長女を院へ差し上げたが、自分の上にまで仮にもせよ浮いた名の伝えられることになっては、これほど恥ずかしいことはないのであるからと夫人は思っていても、そのことは新女御に言われぬことであったから、自分を昔から父は特別なもののように愛してくれて、母は桜の争いの時を初めとして、何によらず妹の肩を持つほうであったから、こんなふうに愛の厚薄をお見せになるのであると長女は恨めしがっていた。昔にかかわるお恨めしさのほうが深い院も、女御に御同情あそばして、母夫人を冷淡であると言っておいでになった。
「過去の人間の所へよこされたあなたが軽蔑《けいべつ》されるのももっともだ」
 などと仰せになって、そんなことによってもますますこの人をお愛しになった。
 次の年にはまた新女御が院の皇子をお生みした。院の多くの後宮の人たちにそうしたことは絶えてなかったのであるから、この宿命の現われに世人も驚かされた。院はまして限りもなく珍しく思召《おぼしめ》してこの若宮をお愛しになった。在位の時であったなら、どれほどこの宮の地位を光彩あるものになしえたかもしれぬ、もう今では過去へ退いた自分から生まれた一親王にこの宮はすぎないのが残念であるとも院は思召した。女一《にょいち》の宮《みや》を唯一の御子としてお愛しになった院が、こんなふうに新しい皇子、皇女の父におなりあそばされたことも、かねて思いがけぬことであった中にも、はじめてお得になった男宮をことさら院の御珍重あそばすようになったことで、女一の宮の母女御も、こんなにまで専寵《せんちょう》の人をおつくりにならないでもいいはずであると、院をお恨み申し上げるようになり、新女御をねたむようにもなった。そうなってから新女御の立場はますます苦しくなり、双方の女房の間に苦い空気がかもされてゆけば、自然二人の女御の交情も隔たってゆく。世間のこととしても、人の新しい愛人に対するよりも、古い妻に同情は多く寄るものであるから、院に奉仕する上下の役人たちも、貴《とうと》い御地位にあらせられる后の宮、女一の宮の女御のほうに正しい道理のあるように見て、新女御のことは反感を持って何かと言い歩くというような状態になったのを、兄の公達らも、夫人に、
「だから私たちの申したことは間違っていなかったでしょう」
 と言って責めた。夫人もまた世間の噂《うわさ》と院の御所の空気に苦労ばかりがされて、
「かわいそうな女御さんほどに苦しまないでも幸福をやすやすと得ている人は世間に多いのだろうがね。条件のそろった幸運に恵まれている人でなければ宮仕えを考えてはならないことだよ」
 と歎息《たんそく》していた。以前の求婚者で、順当に出世ができ、婿君であっても恥ずかしく思われない人が幾人もあった。その中でも源侍従と言われた最も若かった公子は参議中将になっていて、今では「匂《にお》いの人」「薫《かお》る人」と世間で騒ぐ一人になっていた。重々しく落ち着いた人格で、尊い親王がた、大臣家から令嬢との縁談を申し込まれても承知しないという取り沙汰《ざた》を聞いても、
「以前はまだたよりない若い方だったが、りっぱになってゆかれるらしい」
 玉鬘《たまかずら》夫人は寂しそうに言っていた。
 蔵人《くろうど》の少将だった人も三位の中将とか言われて、もう相当な勢いを持っていた。
「あの方は風采《ふうさい》だっておよろしかったではありませんか」
 などと言って、少し蓮葉《はすは》な性質の女房らは、
「今のうるさい御境遇よりはそのほうがよかったのですね」
 とささやいたりしていた。しかし今も玉鬘夫人の長女に好意を持つ者があった。この三位中将は初恋を忘れることができず、悲しくも、恨めしくも思って、左大臣家の令嬢と結婚をしたのであるが、妻に対する愛情が起こらないで「道のはてなる常陸《ひたち》帯」(かごとばかりも逢《あ》はんとぞ思ふ)などと、もう翌日はむだ書きに書いていたのは、まだ何を空想しているのかわからない。院の新女御は人事関係の面倒さに自邸へ下がっていることが多くなった。母の夫人は娘のために描いた夢が破れてしまったことを残念がっていた。御所へ上がったほうの姫君はかえってはなやかに幸福な日を送っていて、世間からも聡明《そうめい》で趣味の高い後宮の人と認められていた。
 左大臣が薨《な》くなったので、右が左に移って、按察使《あぜち》大納言で左大将にもなっていた玉鬘夫人の弟が右大臣に上った。それ以下の高官たちにも異動が及んで、薫中将は中納言になり、三位の中将は参議になった。幸運な人は前にも言った二つの系統のほかに見られない時代と思われた。源中納言は礼まわりに前尚侍の所へ来て、庭で拝礼をした。夫人は客を前に迎えて、
「こんなあばら家《や》になっていきます家を、お通り過ぎにならず、お寄りくださいます御好意を拝見いたしましても、六条院の皆御恩だと昔が思われてなりません」
 などと言っている声に愛嬌《あいきょう》があって、はなやかに美しい顔も想像されるのであった。こんなふうでいられるから、院の陛下は今もこの人がお忘れになれないのであるとそのうち一つの事件をお引き起こしになる可能性もあることを薫は感じた。
「陞任《しょうにん》をたいした喜びとは思っておりませんが、この場合の御|挨拶《あいさつ》にはどこよりも先にと思って上がったのです。通り過ぎるなどというお言葉は平生の怠慢をおしかりになっておっしゃることですか」
 新中納言はこう言うのであった。
「今日のようなおめでたい日に老人の繰り言などはお聞かせすべきでないと御遠慮はされますが、ただの日にお訪《たず》ねくださるお暇はおありにならないのですし、手紙に書いてあげますほどの筋道のあることではないのですから、聞いてくださいませ。院に侍しております人がね、苦しい立場に置かれまして煩悶《はんもん》をばかりしておりましてね。はじめは女一の宮の女御さんを力のように思っていましたし、后の宮様も六条院の御関係で御寛大に御覧くださるだろうと考えていたことですが、今日はどちらも無礼な闖入者《ちんにゅうしゃ》としてお憎みあそばすようでしてね。困りましてね。宮様がただけは院へお置き申して、存在を皆様にきらわれる人だけを、せめて家《うち》で気楽に暮らすようにと思いまして帰らせたのですが、それがまた悪評の種を蒔《ま》くことになったらしゅうございます。院も御|機嫌《きげん》を悪くあそばしたようなお手紙をくださいますのですよ。機会がありましたら、あなたからこちらの気待ちをほのめかしてお取りなしくださいませ。離れようのない関係を双方にお持ちしているのですから、お上げしました初めは、どちらからも御好意を持っていただけるものと頼みにしたものですが、結果はこれでございますもの、私の考えが幼稚であったことばかりを後悔いたしております」
 玉鬘《たまかずら》夫人は歎息《たんそく》をしていた。
「そんなにまで御心配をなさることではないと思います。昔から後宮の人というものは皆そうしたものになっているのですからね、ただ今では御位《みくらい》をお去りになって無事閑散な御境遇でも、後宮にだけは平和の来ることはないのですから、第三者が見れば君寵《くんちょう》に変わりはないと見えることもその人自身にとっては些細《ささい》な差が生じるだけでも恨めしくなるものらしいですよ。つまらぬことに感情を動かすのが女御《にょご》后《きさき》の通弊ですよ。それくらいの故障もないとお思いになって宮廷へお上げになったのですか。御認識不足だったのですね。ものを気におかけにならないで冷静にながめていらっしゃればいいのです。男が出て奏上するような問題ではありませんよ」
 と遠慮なく薫が言うと、
「お逢《あ》いしたら聞いていただこうと思って、あなたをお待ちばかりしていましたのに、私をおたしなめにばかりなるそのあなたの理窟《りくつ》も、私は表面しか御覧にならない理窟だと思いますよ」
 こう言って玉鬘夫人は笑っていた。人の母らしく子のために気をもむらしい様子ではあるが、態度はいたって若々しく娘らしかった。新女御もこんな人なのであろう、宇治の姫君に心の惹《ひ》かれるのも、こうした感じよさをその人も持っているからであると源中納言は思っていた。
 若い尚侍《ないしのかみ》もこのごろは御所から帰って来ていた。そちらもあちらも姫君時代よりも全体の様子の重々しくなった、若い閑暇《ひま》の多い婦人の居所になっていることが思われ、御簾《みす》の中の目を晴れがましく覚えながらも、静かな落ち着きを見せている薫を、夫人は婿にしておいたならと思って見ていた。
 新右大臣の家はすぐ東隣であった。大臣の任官|披露《ひろう》の大|饗宴《きょうえん》に招かれた公達《きんだち》などがそこにはおおぜい集まっていた。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は左大臣家の賭弓《のりゆみ》の二次会、相撲の時の宴会などには出席されたことを思って、第一の貴賓として右大臣は御招待申し上げたのであったが、おいでにならなかった。大臣は秘蔵にしている二女のためにこの宮を婿に擬しているらしいのであるが、どうしたことか宮は御冷淡であった。来賓の中で源中納言の以前よりもいっそうりっぱな青年高官と見える欠点のない容姿に右大臣もその夫人も目をとめた。
 饗宴の張られる隣のにぎやかな物の気配《けはい》、行きちがう車の音、先払いの声々にも昔のことが思い出されて、故太政大臣家の人たちは物哀れな気持ちになっていた。
「兵部卿の宮がお薨《かく》れになって間もなく、今度の右大臣が通い始めたのを、軽佻《けいちょう》なことのように人は非難したものだけれど、愛情が長く変わらず夫婦にまでなったのは、一面から見て感心な人たちと言っていい。だから世の中のことは何を最上の幸福の道とはきめて言えないのだね」
 などと玉鬘《たまかずら》夫人は言っていた。
 左大臣の息子の参議中将が隣に大饗《だいきょう》のあった翌日の夕方ごろにこの家へ訪《たず》ねて来た。院の女御が家に帰っていることでいっそう美しく見える身の作りもして来たのである。
「よい役人にしていただきましたことなどは何とも思われません。心に願ったことのかなわない悲しみは月がたてばたつほど積っていってどうしようもありません」
 と言いながら涙をぬぐう様子でややわざとらしい。二十七、八で、盛りの美貌《びぼう》を持つはなやかな人である。
 帰ったあとで、
「困った公達《きんだち》だね。何でも思いのままになるものと見ていて、官位の問題などは念頭に置いていないようだね。こちらの大臣がお薨《かく》れにならなければ、ここの若い人たちもあの人ら並みに、恋愛の遊戯を夢中になってしただろうにね」
 と言って、玉鬘夫人は歎息《たんそく》をしていた。右兵衛督《うひょうえのかみ》、右大弁で参議にならないため太政官の政務に携わらないのを夫人は愁《うれ》わしがっていた。侍従と言われていた末子は頭《とうの》中将になっていた。年齢からいってだれも官等の陞進《しょうしん》がおそいほうではないのであるが、人におくれると言って歎《なげ》いている。参議の職はいかにも若い高官らしく、ぐあいがいいのだけれど。

竹河 版本说明

底本:「全訳源氏物語 下巻」角川文庫、角川書店
   1972(昭和47)年2月25日改版初版発行
   1995(平成7)年5月30日40版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月10日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:kompass
2004年3月17日作成
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47 橋姫

[#地から3字上げ]しめやかにこころの濡《ぬ》れぬ川霧の立ち
[#地から3字上げ]まふ家はあはれなるかな  (晶子)

 そのころ世間から存在を無視されておいでになる古い親王がおいでになった。母方なども高い貴族で、帝《みかど》の御継嗣におなりになってもよい御資格の備わった方であったが、時代が移って、反対側へ政権の行ってしまうことになった変動のあとでは、まったく無勢力な方におなりになって、外戚《がいせき》の人たちも輝かしい未来の希望を失ったことに皆悲観をして、だれもいろいろな形でこの世から逃避をしてしまい、公にも私にもたよりのない孤立の宮でおありになるのである。夫人も昔の大臣の娘であったが、心細い逆境に置かれて、結婚の初めに親たちの描いていた夢を思い出してみると、あまりな距離のある今日の境遇が悲しみになることもあるが、唯一の妻として愛されていることに慰められていて、互いに信頼を持つ相愛の御夫妻ではあった。年月がたっても子をお持ちになることがなかったために、寂しい退屈をまぎらすような美しい子供がほしいと宮は時々お言いになるのであったが、思いがけぬころに一人の美しい女王《にょおう》が生まれた。これを非常に愛してお育てになるうちに、また続いて夫人が妊娠した時に、今度は男であればよいとお望みになったにかかわらずまた姫君が生まれた。安産だったのであるが、産後に病をして夫人は死んだ。この悲しい事実の前に宮は歎《なげ》きに溺《おぼ》れておいでになった。世の中にいればいるほど冷遇されて、堪えがたいことは多くても、捨てがたい優しい妻が自分の心を遁世《とんせい》の道へおもむかしめない絆《ほだし》になって、今日までは僧にもならなかったのである、一人生き残って男やもめになったことは堪えがたいことではないが、小さい子供たちを男手で育ててゆくことも親王の体面としてよろしくないことであるから、この際に入道しようとこうも宮は思召《おぼしめ》したのであるが、保護者もない二人の幼い姫君をお捨てになることを悲しく思召して、そのまま実行を延ばしておいでになるうちに年月がたち、それぞれ成長していく女王たちの美しい顔を御覧になるのを、毎日お慰めにして暮らしておいでになった。あとで生まれたほうの女王を侍女たちも、
「この方のお産があって奥様がお亡《な》くなりになったと思うと残念な気がして」
 こんなことを言って熱心に世話もしないのであったが、宮は終焉《しゅうえん》の床で、夫人がもう意識も朦朧《もうろう》になっていながら、生まれた姫君を気がかりに思うふうで、
「私はもう生きられませんから、この子だけを形見だとお思いになって愛してやってください」
 と一言だけ言い置いたことをお思いになって、夫人の命の亡ぶ際にこの世へ出た子に対しては、その宿命が恨めしくお思いになるはずであるが、仏の思召しでこうなったのであろう、命の終わりにまでこの子をかわいく思い、自分に頼んで行ったのであるからとことさらこの女王を愛しておいでになった。端麗な容貌《ようぼう》で、普通の美に超《こ》えた姫君であった。姉君は静かな貴女《きじょ》らしいところが見えて、容貌にも身のとりなしにもすぐれた品のよさのある女王であった。宮がこの姫君をたいせつにあそばすお気持ちにはまた格別なものがあって、どちらも劣りまさりなくおかしずきになっていたが、お心にかなわぬことが多く、年月に添えて宮家の御財政は窮迫していった。女房たちも心細がって辛抱《しんぼう》ができずに一人一人とお邸《やしき》から出て行った。夫人の死んだ際で、妹君の乳母《めのと》などにも適当な人間をお選びになる余裕もなかったため、身分の低い乳母には低い節操よりなくて、まだ姫君の小さいうちにお邸《やしき》を出てしまった。それ以後は宮がお手ずから幼い女王の世話をあそばされた。
 さすがにお邸は広くてみごとなものであったが、池や山の形にだけ以前の面影を残して荒廃する庭を、つれづれな御生活の宮はよくながめておいでになった。家司《けいし》などにも気のきいた者などはなくて、修繕を少しずつ加えるような方法もとらないから、雑草が高く伸び、軒の忍草《しのぶ》が得意に青をひろげていた。その季節季節の草木も、同じ趣味のある夫人といっしょにおながめになることで昔はお心の慰めになったのであるが、孤独の今の宮のお目はそうした自然の色もただ寂しく親しめないものに見られて、持仏の装飾だけを特にごりっぱにおさせになり、毎日仏勤めばかりをしてお暮らしになった。子という絆《きずな》に引かれて出家のできぬことすら不幸な運命であると残念がられる宮でおありになったから、まして普通の人がするような再婚などを今さらしようとは思わぬ、とこういう気持ちは年月と共に加わり、それだけ世の中から遠のいておゆきになる宮であって、お心だけは僧と同じになっておいでになり、夫人の歿後《ぼつご》は異性をお求めになるようなお心は戯れにもお持ちになることはなかった。
「そんなにいつまでも夫人のことばかりを思っておいでにならないでもいいではないか。妻に死別した直後にはこれほど悲しいことはないと思うのが普通だろうが、時がたてばたったように心境の変化がなくてはならない。世間のだれもがするようにあとの夫人を選定されて、結婚をなすったら、宮家の心細い御経済も緩和されると思うが」
 こんなお陰口《かげぐち》も言いながら似合わしい第二の夫人のお取り持ちをしようとする人たちも相当多いのであるが、宮は耳をお傾けにならなかった。
 念誦《ねんじゅ》をあそばすひまひまは姫君たちの相手におなりになって、もうだいぶ大きくなった二女王に琴の稽古《けいこ》をおさせになったり、碁を打たせたり、詩の中の漢字の偏を付け比べる遊戯をおさせになったりしてごらんになるのであるが、第一女王は品よく奥深さのある容貌《ようぼう》を備え、第二の姫君はおおようで、可憐《かれん》な姿をして、そして内気に恥ずかしがるふうのあるのもとりどりの美しさであった。春のうららかな日のもとで池の水鳥が羽を並べて游泳《ゆうえい》をしながらそれぞれにさえずる声なども、常は無関心に見もし、聞きもしておいでになる心に、ふと番《つが》いの離れぬうらやましさをお感じさせる庭をながめながら、女王たちに宮は琴を教えておいでになった。小さい美しい恰好《かっこう》でそれぞれの楽器を熱心に鳴らす音もおもしろく聞かれるために、宮は涙を目にお浮かべになりながら、

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「打ち捨ててつがひ去りにし水鳥のかりのこの世に立ち後《おく》れけん
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 悲しい運命を負っているものだ」
 とお言いになり、その涙をおぬぐいになった。御容貌のお美しい親王である。長い精進の御生活にやせきっておいでになるが、そのためにまたいっそう艶《えん》なお姿にもお見えになった。姫君たちとおいでになる時は礼儀をおくずしにならずに、古くなった直衣《のうし》を上に着ておいでになる御様子も貴人らしかった。大姫君が硯《すずり》を静かに自身のほうへ引き寄せて、手習いのように硯石の上へ字を書いているのを、宮は御覧になって、
「これにお書きなさい。硯へ字を書くものでありませんよ」
 と、紙をお渡しになると、女王は恥ずかしそうに書く。

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いかでかく巣立ちけるぞと思ふにもうき水鳥の契りをぞ知る
[#ここで字下げ終わり]

 よい歌ではないがその時は身に沁《し》んで思われた。未来のあるいい字ではあるがまだよく続けては書けないのである。
「若君もお書きなさい」
 とお言いになると、これはもう少し幼い字で、長くかかって書いた。

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泣く泣くも羽うち被《き》する君なくばわれぞ巣|守《も》りになるべかりける
[#ここで字下げ終わり]

 もう着ふるした衣服を着ていて、この場に女房たちの侍しているのもない、可憐《かれん》な美しい姉妹《きょうだい》を寂しい家の中に御覧になる父宮が心苦しく思召さないわけもない。経巻を片手にお持ちになって御覧になり、宮は琴に合わせて歌をうたっておいでになった。
 大姫君には琵琶《びわ》、中姫君(三女のなき時も次女は中姫と呼ぶ)には十三|絃《げん》の琴をそれに合わせながら始終教えておいでになるために、おもしろく弾くようになっていた。父帝にも母女御にも早くお死に別れになって、はかばかしい保護者をお持ちにならなんだために、宮は学問などを深くあそばす時がなかった。まして処世法などは知っておいでになるわけもない貴人と申してもまた驚くばかり上品で、おおような女のような弱い性質を備えておいでになって、父帝からお譲りになった御遺産とか、外戚《がいせき》の祖父である大臣の遺産とか、永久に減るものと思われない多くのものが、どこへだれが盗んで行ったか、なくなったかもしれぬことになってしまって、ただ室内の道具などにだけ華奢《かしゃ》な品々が多く残っていた。伺候する者もなく、お力になって差し上げようとする人たちもない。御徒然なために雅楽寮の音楽専門家のうちのすぐれたのをお呼び寄せになり、芸事ばかりを熱心にお習いになって大人《おとな》におなりになった方であるから、音楽にはひいでておいでになるのである。光源氏の弟宮の八の宮と呼ばれた方で、冷泉《れいぜい》院が東宮でおありになった時代に、朱雀《すざく》院の御母后が廃太子のことを計画されて、この八の宮をそれにお代えしようとされ、その方の派の人たちに利用をおされになったことがあるため、光源氏の派からは冷ややかにお扱われになり、それに続いてこの世は光源氏派だけの栄える世になって今日に及んでいるのであるから、八の宮は世の中と絶縁したふうにおなりになり、その上に不幸のために僧と同じような暮らしをあそばして、現世《げんぜ》の夢は皆捨てておしまいになったのである。
 そのうちに八の宮のお邸《やしき》は火事で焼亡してしまった。この災難のために京の中でほかにお住みになるほどの所も、適当な邸もおありにならなかったので、宇治によい山荘を持っておいでになったから、そこへ行って住まれることになった。世の中に執着はお持ちにならぬが、いよいよ京を離れておしまいになることは宮のお心に悲しかった。網代《あじろ》の漁をする場所に近い川のそばで、静かな山里の住居《すまい》をお求めになることには適せぬところもあるがしかたのない御事であった。町の中でなく山や水の景には恵まれた里であったから、それらをながめては寂しい物思いを多くお作りになる宮であった。こうした都に遠い田舎《いなか》へお移りになっても、妻がいたならばという歎きをあそばさない時とてはなかった。

[#ここから2字下げ]
見し人も宿も煙となりにしをなどてわが身の消え残りけん
[#ここで字下げ終わり]

 これではお生きがいもあるまいと思われるほど故人にこがれておいでになるのであった。京にお住いになった時すら来訪がなかったのであるから、山の重なった中へはるばるお訪《たず》ねする人などはない。朝立った霧が終日山を這《は》っている日のような暗い気持ちで宮は暮らしておいでになったが、この宇治に聖僧として尊敬してよい阿闍梨《あじゃり》が一人いた。仏道の学問の深くあることを世間からも認められていながら、宮廷の御用の時などにもなるべく出るのを避けて、宇治の自坊にばかりこもっているのであったが、八の宮が宇治の山荘へ移っておいでになって、孤独な生活をお始めになり、仏道を研究されようとして、宗教の書物を読んでおいでになるのを知って、ありがたいことに思い時々御訪問に来るのであった。今まで独学的に読んでおいでになった書物に書かれたことの、深い意味と理解のしかたをお授けするようなことも阿闍梨はできた。この世はただかりそめのものであること、味気ない所であることをさらにこの僧からお教えられになって、
「もう心だけは仏の御弟子《みでし》に変わらないのですが、私には御承知のように年のゆかぬ子供がいることで、この世との縁を切りえずに僧にもなれない」
 などと、お思いになることも隔てなく阿闍梨へ宮はお語りになるのだった。この阿闍梨は冷泉院へもお出入りしていて、院へ経などをお教え申し上げる人であった。ある時京へ出たついでに宇治の阿闍梨は院の御所へまいったが、院は例のような仏書をお出しになって質問などをあそばした。その日に阿闍梨が、
「八の宮様は御|聡明《そうめい》で、宗教の学問はよほど深くおできになっております。仏様に何かのお考えがあってこの世へお出しになった方ではございますまいか。悟りきっておいでになる御心境はりっぱな高僧のようにもお見えになります」
 こんなお話をした。
「まだ出家はされていないのか。『俗聖《ぞくひじり》』などと若い者たちが名をつけているが、お気の毒な人だ」
 と院は言っておいでになった。薫《かおる》の中将もこの時御前にいて、自分も人生をいとわしく思いながらまだ仏勤めもたいしてようせずに、怠りがちなのは遺憾であると心の中で思い、俗ながら高僧の精神で生きるのにはどんな心得がいるのであろうと、八の宮のお噂《うわさ》に耳をとめていた。
「出家のお志は十分にお持ちになるのでございますが、最初は奥様へのお思いやりで躊躇《ちゅうちょ》なされましたし、今日になってはまた哀れな女王《にょおう》がたを残しておかれることで決断がつかないと御自身で仰せになります」
 阿闍梨はこう院へ申していた。優美なふうはないが、音楽だけは好きな阿闍梨が、
「八の宮の姫君がたが合奏をなさいます琴や琵琶の音が私の寺へ、宇治川の波音といっしょに聞こえてまいりますのが、非常にけっこうで、極楽の遊びが思われます」
 こんな昔風なほめ方をするのに、院の帝《みかど》は微笑をお見せになって、
「そんな聖の家で育てられていては、そうした芸術的な趣味には欠けているかと想像もされるのに珍しいことだね。宮が気がかりにお思いになる人を、順序から言って私のほうがしばらくでも長くこの世におられるとすれば、私へ託してお置きにならないだろうか」
 とも仰せられた。院の帝は十の宮でおありになった。朱雀《すざく》院が晩年に六条院へお託しになった姫宮の例をお思いになって、その姫君たちを得たい、つれづれをあるいは慰められるかもしれないと思召すのである。年の若い薫中将はかえって姫君たちの話に好奇心などは動かされずに、八の宮の悟り澄ましておいでになる御心境ばかりが羨望《せんぼう》されて、お目にかかりたいと深く思うのであった。
 阿闍梨が帰って行く時にも、
「必ず宇治へ伺わせていただいて、宮のお教えを受けようと私は思いますから、あなたからまず内々思召しを伺っておいてください」
 と薫は頼んだ。院の帝はお言葉で、
「寂しいお住居《すまい》の御様子を人づてで聞くことができました」
 とも宮へお伝えさせになった。また、

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世をいとふ心は山に通へども八重立つ雲を君や隔つる
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 という御歌もお託しになった。
 阿闍梨は八の宮をお喜ばせするこのお役の誇りを先立てて山荘へまいった。普通の人から立てられる使いもまれな山蔭《やまかげ》へ、院のお便《たよ》りを持って阿闍梨が来たのであったから、宮は非常にうれしく思召して山里らしい酒肴《しゅこう》もお出しになっておねぎらいになった。お返事、

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跡たえて心すむとはなけれども世を宇治山に宿をこそ借れ
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 宗教のことは卑下してお言いにならず、寂しい人間としての御近況をお報じになったために、院は宮がまだ不平をこの世に持っておいでになるものとして御同情をあそばされた。
 阿闍梨は薫中将が宗教的な人物であることなどをお話しして、
「仏道の学問を深くしたい望みを少年時代から持っているのでございますが、専念にそのほうを勉強いたしますことは、私ごとき頭脳のよろしくないものが、優越者か何かのようにこの世を見下すまちがった態度のように思われますのを、それ自体がまちがったことでしょうが、恐れておりまして、目だたせずしようといたしますために、怠ることにもなり、ほかのことに紛れるようになりいたしまして今日までまいったのですが、けっこうな御境地に達しておられますあなた様のことを承ったものですから、ぜひお教えを得たいと望まれてなりませんなどと丁寧なお言づてを受けてまいりました」
 などと語った。宮は、
「人生をかりそめと悟り、いとわしく思う心の起り始めるのも、その人自身に不幸のあった時とか、社会から冷遇されたとか、そんな動機によることですが、年がまだ若くて、思うことが何によらずできる身の上で、不満足などこの世になさそうな人が、そんなにまた後世のことを念頭に置いて研究して行こうとされるのは珍しいことですね。私などはどうした宿命だったのでしょうか、これでもこの世がいやにならぬか、これでも濁世《じょくせ》を離れる気にならぬかと、仏がおためしになるような不幸を幾つも見たあとで、ようやく仏教の精神がわかってきたが、わかった時にはもう修行をする命が少なくなっていて、道の深奥を究《きわ》めることは不可能とあきらめているのだから、年だけは若くても私の及ばない法《のり》の友かと思われる」
 とお言いになって、その後双方から手紙の書きかわされることになり、薫中将が自身でお訪《たず》ねして行くようになった。
 阿闍梨から話に聞いて想像したよりも目に見ては寂しい八の宮の山荘であった。仮の庵《いおり》という体裁で簡単にできているのである。山荘といっても風流な趣を尽くした贅沢《ぜいたく》なものもあるが、ここは荒い水音、波の響きの強さに、思っていることも心から消される気もされて、夜などは夢を見るだけの睡眠が続けられそうもない。素朴《そぼく》といえば素朴、すごいといえばすごい山荘である。僧のごとく悟っておいでになる宮のためにはこんな家においでになることは、人生を捨てやすくなることであろうが姫君たちはどんな気持ちで暮らしておいでになるであろう、世間の女に見るような柔らかな感じなどは失っておいでになるであろうとこんな観察も薫はされるのであった。
 仏間になっている所とは襖子《からかみ》一重隔てた座敷に女王たちは住んでいるらしく思われた。異性に興味を持つ男であれば、交際をし始めて、どんな性質の人たちかとまず試みたいという気は起こすことであろうと思われる空気も山荘にはあった。しかしそうした異性に心の動かされぬ人たるべく遠くに師とする方を尋ねて来ながら、普通の男らしく山荘の若い女性に誘惑を試みる言行があってはならないと薫は思い返して、宮のお気の毒な御生活を懇切に御補助することを心がけることにして、たびたび伺っては、かねて願ったように俗体で深く信仰の道にはいるその方法とか、あるいは経文の解釈とかを宮から伺おうとした。学問的ばかりでなく、柔らかに比喩《ひゆ》をお用いになったりなどして、宮が説明あそばすことはよく薫の心にはいった。高僧と言われる人とか、学才のある僧とかは世間に多いがあまりに人間と離れ過ぎた感がして、きつい気のする有名な僧都《そうず》とか、僧正とかいうような人は、また一方では多忙でもあるがために、無愛想《ぶあいそう》なふうを見せて、質問したいことも躊躇《ちゅうちょ》されるものであるし、また人格は低くてただ僧になっているという点にだけ敬意も持てるような人で、下品な、言葉づかいも卑しいのが、玄人《くろうと》らしく馴《な》れた調子で経文の説明を聞かせたりするのは反感が起こることでもあって、昼間は公務のために暇がない薫のような人は、静かな宵《よい》などに、寝室の近くへ招いて話し相手をさせる気になれないものであるが、気高《けだか》い、優美な御|風采《ふうさい》の八の宮の、お言いになるのは同じ道の教えに引用される例なども、平生の生活によき感化をお与えになる親しみの多いものを混ぜたりあそばされることで効果が多いのである。最も深い悟りに達しておられるというのではないが、貴人は直覚でものを見ることが穎敏《えいびん》であるから、学問のある僧の知らぬことも体得しておいでになって、次第になじみの深くなるにしたがい、薫《かおる》の思慕の情は加わるばかりで、始終お逢いしたくばかり思われ、公務の忙しいために長く山荘をお訪ねできない時などは恋しく宮をお思いした。
 薫がこんなふうに八の宮を尊敬するがために冷泉《れいぜい》院からもよく御消息があって、長い間そうしたお使いの来ることもなく寂しくばかり見えた山荘に、京の人の影を見ることのあるようになった。そして院から御補助の金品を年に何度か御寄贈もされることになった。薫も何かの機会を見ては、風流な物をも、実用的な品をも贈ることを怠らなかった。こんなふうでもう三年ほどもたった。
 秋の末であったが、四季に分けて宮があそばす念仏の催しも、この時節は河《かわ》に近い山荘では網代《あじろ》に当たる波の音も騒がしくやかましいからとお言いになって、阿闍梨《あじゃり》の寺へおいでになり、念仏のため御堂《みどう》に七日間おこもりになることになった。姫君たちは平生よりもなお寂しく山荘で暮らさねばならなかった。ちょうどそのころ薫中将は、長く宇治へ伺わないことを思って、その晩の有明月《ありあけづき》の上り出した時刻から微行《しのび》で、従者たちをも簡単な人数にして八の宮をお訪ねしようとした。河の北の岸に山荘はあったから船などは要しないのである。薫は馬で来たのだった。宇治へ近くなるにしたがい霧が濃く道をふさいで行く手も見えない林の中を分けて行くと、荒々しい風が立ち、ほろほろと散りかかる木の葉の露がつめたかった。ひどく薫は濡《ぬ》れてしまった。こうした山里の夜の路《みち》などを歩くことをあまり経験せぬ人であったから、身にしむようにも思い、またおもしろいように思われた。

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山おろしに堪へぬ木の葉の露よりもあやなく脆《もろ》きわが涙かな
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 村の者を驚かせないために随身に人払いの声も立てさせないのである。左右が柴垣《しばがき》になっている小路《こみち》を通り、浅い流れも踏み越えて行く馬の足音なども忍ばせているのであるが、薫の身についた芳香を風が吹き散らすために、覚えもない香を寝ざめの窓の内に嗅《か》いで驚く人々もあった。
 宮の山荘にもう間もない所まで来ると、何の楽器の音とも聞き分けられぬほどの音楽の声がかすかにすごく聞こえてきた。山荘の姉妹《きょうだい》の女王《にょおう》はよく何かを合奏しているという話は聞いたが、機会もなくて、宮の有名な琴の御音も自分はまだお聞きすることができないのである、ちょうどよい時であると思って山荘の門をはいって行くと、その声は琵琶《びわ》であった。所がらでそう思われるのか、平凡な楽音とは聞かれなかった。掻《か》き返す音もきれいでおもしろかった。十三|絃《げん》の艶《えん》な音も絶え絶えに混じって聞こえる。しばらくこのまま聞いていたく薫は思うのであったが、音はたてずにいても、薫のにおいに驚いて宿直《とのい》の侍風の武骨らしい男などが外へ出て来た。こうこうで宮が寺へこもっておいでになるとその男は言って、
「すぐお寺へおしらせ申し上げましょう」
 とも言うのだった。
「その必要はない。日数をきめて行っておられる時に、おじゃまをするのはいけないからね。こんなにも途中で濡《ぬ》れて来て、またこのまま帰らねばならぬ私に御同情をしてくださるように姫君がたへお願いして、なんとか仰せがあれば、それだけで私は満足だよ」
 と薫が言うと、醜い顔に笑《えみ》を見せて、
「さように申し上げましょう」
 と言って、あちらへ行こうとするのを、
「ちょっと」
 と、もう一度薫はそばへ呼んで、
「長い間、人の話にだけ聞いていて、ぜひ伺わせていただきたいと願っていた姫君がたの御合奏が始まっているのだから、こんないい機会はない、しばらく物蔭《ものかげ》に隠れてお聞きしていたいと思うが、そんな場所はあるだろうか。ずうずうしくこのままお座敷のそばへ行っては皆やめておしまいになるだろうから」
 と言う薫の美しい風采《ふうさい》はこうした男をさえ感動させた。
「だれも聞く人のおいでにならない時にはいつもこんなふうにしてお二方で弾《ひ》いておいでになるのでございますが、下人《げにん》でも京のほうからまいった者のございます時は少しの音もおさせになりません。宮様は姫君がたのおいでになることをお隠しになる思召《おぼしめ》しでそうさせておいでになるらしゅうございます」
 丁寧な恰好《かっこう》でこう言うと、薫は笑って、
「それはむだなお骨折りと申すべきだ。そんなにお隠しになっても人は皆知っていて、りっぱな姫君の例にお引きするのだからね」
 と言ってから、
「案内を頼む。私は好色漢では決してないから安心するがよい。そうしてお二人で音楽を楽しんでおいでになるところがただ拝見したくてならぬだけなのだよ」
 親しげに頼むと、
「それはとてもたいへんなことでございます。あとになりまして私がどんなに悪く言われることかしれません」
 と言いながらも、その座敷とこちらの庭の間に透垣《すいがき》がしてあることを言って、そこの垣へ寄って見ることを教えた。薫の供に来た人たちは西の廊《わたどの》の一室へ皆通してこの侍が接待をするのだった。
 月が美しい程度に霧をきている空をながめるために、簾《すだれ》を短く巻き上げて人々はいた。薄着で寒そうな姿をした童女が一人と、それと同じような恰好《かっこう》をした女房とが見える。座敷の中の一人は柱を少し楯《たて》のようにしてすわっているが、琵琶を前へ置き、撥《ばち》を手でもてあそんでいた。この人は雲間から出てにわかに明るい月の光のさし込んで来た時に、
「扇でなくて、これでも月は招いてもいいのですね」
 と言って空をのぞいた顔は、非常に可憐《かれん》で美しいものらしかった。横になっていたほうの人は、上半身を琴の上へ傾けて、
「入り日を呼ぶ撥はあっても、月をそれでお招きになろうなどとは、だれも思わないお考えですわね」
 と言って笑った。この人のほうに貴女《きじょ》らしい美は多いようであった。
「でも、これだって月には縁があるのですもの」
 こんな冗談《じょうだん》を言い合っている二人の姫君は、薫がほかで想像していたのとは違って非常に感じのよい柔らかみの多い麗人であった。女房などの愛読している昔の小説には必ずこうした佳人のことが出てくるのを、いつも不自然な作り事であると反感を持ったものであるが、事実として意外な所に意外なすぐれた女性の存在することを知ったと思うのであった。
 若い人は動揺せずにあられようはずもない。霧が深いために女王たちの顔を細かに見ることができないのを、もう一度また雲間を破って月が出てくれればいいと薫の願っているうちに、座敷の奥のほうから来客のあることを報じた者があったのか、御簾《みす》をおろして、縁側に出ていた人たちも中へはいってしまった。あわてたふうなどは見せずに、静かに奥へ皆が引っこんだ気配《けはい》には聞こえてこようはずの衣擦《きぬず》れの音も、新しい絹の気《け》がないのか添わないで寂しいが優雅で薫の心に深い印象を残した。
 薫は隙見《すきみ》した場所を静かにはなれて、京へ車を呼ばせる使いを立てたりした。宮家の先刻の侍に、
「宮様のお留守にあやにく伺ったのですが、あなたの好意で私は屈託を少し忘れることもできましたよ。私の伺ったことをお奥へ申し上げてください。山路《やまみち》の夜霧に濡《ぬ》れながら伺った奇特さを認めていただくつもりです」
 と薫が言うと、侍はすぐに奥へ行った。薫が隙見をしたことなどは知らずに、弾《ひ》いて遊んでいた琵琶や琴の音をあるいは聞かれたかもしれぬということで姫君たちは恥ずかしく思った。よい香の混じった風の吹き通ったことも確かな事実であったが、思いがけぬ時刻であったために、薫中将の来訪とは気のつかなかったのは、何たる神経の鈍いことであったろうと二女王は羞恥《しゅうち》に堪えられなく思うのであった。取り次ぎ役の侍の気のきかぬことがもどかしくなって、薫は無遠慮にあたるかもしれぬが、山荘住まいの現在の女王がたはとがめもされまいと思い、まだ霧の深い時間であったから、さっきのぞいたほうの座敷の縁へ歩いて行き、御簾《みす》の前へすわったのであった。田舎《いなか》風の染《し》んだ若い女房などは客と応答する言葉もわからず、敷き物を出すことすら不馴《ふな》れであった。
「このお座敷の御簾の前にしか座が頂戴《ちょうだい》できないのでしょうか。あさはかな心だけでは決して訪《たず》ねてまいれるものでないと、何里の夜路《よみち》をまいって自身でも認めうるのですから、御待遇を改めていただきたいものですね。たびたびこうしてこちらへ上がっております誠意だけはわかっていただいているものと頼もしくは思っております」
 まじめに薫はこう言った。若い女房にはこの応対にあたりうる者もなく、皆きまり悪く上気している者ばかりであったから、部屋《へや》へ下がって寝ているある一人を、起こしにやっている間の不体裁が苦しくて、大姫君は、
「何もわからぬ者ばかりがいるのですから、わかった顔をいたしましてお返辞を申し上げることなどはできないのでございます」
 と、品のよい、消えるような声で言った。
「人生の憂《う》さがわかりながら私の知らず顔をしていますのも、世の中のならわしに従っているだけなのです。宮様はすでに私の気持ちをお知りになっておられますのに、あなた様だけが俗世界の一人としか私をお認めくださらないのは残念です。世間を超越された宮様のこの御生活の中においでになりますあなた様がたのお心の境地は澄みきったものでしょうから、こうした男の志の深さ浅さも御明察くだすったらうれしいことだろうと私は思います。世間並みの一時的な感情で御交際を求める男と同じように私を御覧になるのではありませんか。私がどんな誘惑にも打ち勝って来ている男であることは、すでに今までにお耳へはいっていることかとも思われます。独身生活を続けております私が求める友情をお許しくだすって、私もまた寂しいあなた様のお心を慰める友になりえて親密なおつきあいができましたらどんなにうれしいかと思われます」
 などと薫の多く言うのに対して、大姫君は返辞がしにくくなって困っているところへ、起こしにやった老女が来たために、応答をそれに譲った。その女は出すぎた物言いをするのであった。
「まあもったいない、失礼なお席でございますこと。なぜ御簾《みす》の中へお席を設けませんでしたでしょう。若い人たちというものは人様の見分けができませんでねえ」
 などと老人らしい声で言っていることにも女王たちはきまり悪さを覚えていた。
「この世においでになる人の数にもおあたりになりませんようなお暮らしをあそばして、当然おいでにならなければならない方でさえも段々遠々しくばかりなっておしまいになりますのに、あなた様の御好意のかたじけなさは、私ども風情《ふぜい》のつまらぬ者さえも驚きの目をみはるばかりでございます。でございますから、お若い女王様がたも常に感激はしておいでになりながらも、そのとおりにお話しあそばすことはおできにならないのでございましょう」
 控えめにせず物なれたふうに言い続けることに反感は起こりながらも、この人の田舎《いなか》風でなく上流の女房生活をしたらしい品のよい声《こわ》づかいに薫は感心して、
「取りつきようもない皆さんばかりでしたのに、あなたが出て来てくださいまして、私の誠心誠意をくんでいてくださる方を得ましたことは、私の大きい幸福です」
 こう御簾に身を寄せて言っている薫を、几帳《きちょう》の間からのぞいて見ると、曙《あけぼの》の光でようやく物の色がわかる時間であったから、簡単な服装をわざわざして来たらしい狩衣《かりぎぬ》姿の、夜露に濡《ぬ》れたのもわかったし、またこの世界のものでないような芳香もそこには漂っていることにも気づかれた。この老女はどうしたのか泣きだした。
「あまり出すぎたことをしてお気持ちを悪くしましてはと存じまして、私は自分をおさえておりましたが、悲しい昔の話をどうかして機会を作りまして、少しでもお話しさせていただき、あなた様の御承知あそばさなかったことを、お知らせもしたいということを私は長い間仏様の念誦《ねんず》をいたしますにも混ぜて願っておりましたその効験で、こうしたおりが得られたのでしょうが、お話よりも先に涙におぼれてしまいまして、申し上げることができません」
 身体《からだ》を慄《ふる》わせて言う老女の様子に真剣味が見えて、老人はだれもよく泣くものであると知っている薫《かおる》であったが、こんなにまで悲しがるのが不思議に思われて、
「この御山荘へ伺うことになりましてからずいぶん年月はたちますが、こちらのほうにも一人もおなじみがなくて寂しくばかり思われていたのです。昔のことを知っておいでになるというあなたにお逢《あ》いすることができて、私はにわかに心強くなったのですから、この機会に何でもお話しください」
 と言った。
「ほんとうにこんなよいおりはございません。またあるといたしましても、私は老人でございますから、それまでにどうなるかもしれたものではありませんので、ただこうした老女がいると申すことを覚えておいていただくためにお話しいたします。三条の宮にお仕えしておりました小侍従が亡《な》くなりましたことはほのかに聞いて承知しておりました。昔親しくいたしました同じ年ごろの人がたいてい亡くなりましたあとで、この五、六年こちらの宮家へ私は御奉公いたしております。ご存じではございますまい、ただいま藤《とう》大納言と申し上げます方のお兄様で、衛門督《えもんのかみ》でお亡《かく》れになりました方のことを何かの話の中ででもお聞きになったことがございますでしょうか。私どもにとりましては、お亡れになりましたのがまだ昨日《きのう》のようにばかり思われまして、その時の悲しみが忘れられないのでございますが、数えてみますと、あなた様がこんな大人《おとな》にまでなっておいでになるだけの年月がたっているのでございますから、夢のようですよ。私はつまらない女でございましたが、人に知らせてならぬことで、しかもお心でお思いになりますことを私には時々お話ししてくだすったのでございました。御病気がお悪くて、もう頼みのない時になりまして、私をお呼びになって、少し御遺言をあそばしたことがあるのでございます。それはあなた様に御関係のあるお話なのでございましたから、これだけお話を申し上げましたあとを、まだお聞きになりたく思召すのでございましたら、また別な時間をお作りくださいまし。若い女房たちは私が出てまいって、あまりに話し込んでおりますことで、出すぎた真似《まね》をするように、反感を持ちまして何か言っておりますのももっともなことでございますから」
 さすがにこれだけにとめて老女はあとを言おうとしなかった。怪しい夢のような話である。巫女《みこ》などが問わず語りをするようなものであると、薫は信を置きがたく思いながらも、始終心の隅《すみ》から消すことのできない疑いに関したことであったから、なお話の核心に触れたくは思ったが、今もこの人が言ったように、女房たちが見ている所であって、老女と二人向き合って昔話に夜を明してしまうことも優雅なことではないと気がついて、
「私には何の心あたりもないことですが、昔のお話であると思うと身にしみます。ですからぜひ今の話のあとをそのうちお聞かせください。霧が晴れて現わになっては恥ずかしい姿になっていて、私の心よりも劣った形を姫君がたのお目にかけることになるのは苦痛ですから失礼します」
 と薫が言って、立った時に宮の行っておいでになる寺の鐘がかすかに聞こえてきた。霧はますます濃くなっていて、宮のおいでになる場所と山荘の隔たりが物哀れに感ぜられた。薫は姫君たちの心持ちを思いやって同情の念がしきりに動くのだった。二人とも引っ込みがちに内気なふうになるのも道理であるなどと思われた。

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「朝ぼらけ家路も見えず尋ねこし槙《まき》の尾山は霧こめてけり
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 心細いことです」
 と言って、またもとの席に帰って、川霧をながめている薫は、優雅な姿として都人の中にも定評のある人なのであるから、まして山荘の人たちの目はどれほど驚かされたかもしれない。
 だれも皆恥じて取り次ぐことのできないふうであるのを見て、大姫君がまたつつましいふうで自身で言った。

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雲のゐる峰のかけぢを秋霧のいとど隔つる頃《ころ》にもあるかな
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 そのあとで歎息《たんそく》するらしい息づかいの聞こえるのも非常に哀れであった。若い男の感情を刺激するような美しいものなどは何もない山荘ではあるが、こうした心苦しさから辞し去ることが躊躇《ちゅうちょ》される薫であった。しかも明るくなっていくことは恐ろしくて、
「お近づきしてかえってまた飽き足りません感を与えられましたが、もう少しおなじみになりましてからお恨みも申し上げることにしましょう。お恨みというのは形式どおりなお取り扱いを受けましたことで、誠意がわかっていただけなかったことです」
 こんな言葉を残したままあちらへ行った。そして宿直《とのい》の侍が用意してあった西向きの座敷のほうで休息した。
「網代《あじろ》に人がたくさん寄っているようだが、しかも氷魚《ひお》は寄らないようじゃないか、だれの顔も寂しそうだ」
 などと、たびたび供に来てこの辺のことがよくわかるようになっている薫の供の者は庭先で言っている。貧弱な船に刈った柴《しば》を積んで川のあちらこちらを行く者もあった。だれも世を渡る仕事の楽でなさが水の上にさえ見えて哀れである。自分だけは不安なく玉の台《うてな》に永住することのできるようにきめてしまうことは不可能な人生であるなどと薫は考えるのであった。薫は硯《すずり》を借りて奥へ消息を書いた。

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橋姫の心を汲《く》みて高瀬さす棹《さを》の雫《しづく》に袖《そで》ぞ濡《ぬ》れぬる

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寂しいながめばかりをしておいでになるのでしょう。
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 そしてこれを侍に持たせてやった。その男は寒そうに鳥肌《とりはだ》になった顔で、女王の居間のほうへ客の手紙を届けに来た。返事を書く紙は香の焚《た》きこめたものでなければと思いながら、それよりもまず早くせねばと、

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さしかへる宇治の川長《かはをさ》朝夕の雫や袖をくたしはつらん

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身も浮かぶほどの涙でございます。
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 大姫君は美しい字でこう書いた。こんなことも皆ととのった人であると薫は思い、心が多く残るのであったが、
「お車が京からまいりました」
 と言って、供の者が促し立てるので、薫は侍を呼んで、
「宮様がお帰りになりますころにまた必ずまいります」
 などと言っていた。濡れた衣服は皆この侍に与えてしまった。そして取り寄せた直衣《のうし》に薫は着がえたのであった。
 薫は帰ってからも宇治の老女のした話が気にかかった。また姫君たちの想像した以上におおような、柔らかい感じのする美しい人であった面影が目に残って、捨て去ることは容易でない人生であることが心弱く思われもした。薫は消息を宇治の姫君へ書くことにした。それは恋の手紙というふうでもなかった。白い厚い色紙に、筆を撰《えら》んで美しく書いた。
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突然に伺った者が多く語り過ぎると思召《おぼしめ》さないかと心がひけまして、何分の一もお話ができませんで帰りましたのは苦しいことでした。ちょっと申し上げましたように、今後はお居間の御簾の前へ御安心くだすって私の座をお与えください。お山ごもりがいつで終わりますかを承りたく思います。そのころ上がりまして、宮様にお目にかかれませんでした心を慰めたく存じております。
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 などとまじめに言ってあるのを、使いに出す左近将監《さこんのじょう》である人に渡して、あの老女に逢《あ》って届けるようにと薫は命じた。宿直の侍が寒そうな姿であちこちと用に歩きまわったのを哀れに思い出して、大きな重詰めの料理などを幾つも作らせて贈るのであった。そのまた宮のおこもりになった寺のほうへも薫は贈り物を差し上げた。山ごもりの僧たちも寒さに向かう時節であるから心細かろうと思いやって、宮からその人々へ布施としてお出しになるようにと絹とか、綿とかも多く贈った。
 お籠《こも》りを済ませて寺からお帰りになろうとされる日であったから、ごいっしょにこもった法師たちへ、綿、絹、袈裟《けさ》、衣服などをだれにも一つずつは分かたれるようにして、全体へ宮からお下賜になった。
 宿直《とのい》の侍は薫の脱いで行った艶《えん》な狩衣《かりぎぬ》、高級品の白綾《しらあや》の衣服などの、なよなよとして美しい香のするのを着たが、自身だけは作り変えることができないのであるから似合わしくない香が放散するのを、だれからも怪しまれるので迷惑をしていた。着物のために不行儀もできず、人の驚異とする高いにおいをなくしたいと思ったが、すすぐことのできないのに苦しんでいるのも滑稽《こっけい》であった。
 薫は姫君の返事の感じよく若々しく書かれたのを見てうれしく思った。
 宇治では寺からお帰りになった宮へ、女房たちが薫から手紙の送られたことを申し上げてそれをお目にかけた。
「これは求婚者扱いに冷淡になどする性質の相手ではないよ。そんなふうを見せてはかえってこちらの恥になるよ。普通の若者とは違ったすぐれた人格者だから、自分がいなくなったらと、こんなことをただ一言でも言っておけば遺族のために必ず尽くしてくれる心だと私は見ている」
 などと宮はお言いになった。
 宮から山寺の客に過ぎた見舞いの品々の贈られた好意を感謝するというお手紙をいただいたので、また宇治へ御訪問をしようと思った薫は、匂宮《におうみや》がああしたような、人に忘られた所にいる佳人を発見するのはおもしろいことであろう、予期以上に接近して心の惹《ひ》かれる恋がしてみたいと、そんな空想をしておいでになることを思い、宇治の女王《にょおう》たちの話を、やや誇張も加えてお告げすることによって、宮のお心を煽動してみようと思い、閑暇《ひま》な日の夕方に兵部卿《ひょうぶきょう》の宮をお訪《たず》ねしに行った。例のとおりにいろいろな話をしたあとで、薫は宇治の宮のことを語り出した。霧の夜明けに隙見《すきみ》したことをくわしく説明するのには宮も興味を覚えておいでになった。理想的な姫君だったと、薫はおおげさに技巧を用いて宇治の女王の美を語り続けるのであった。
「その女王のお返事を、なぜ私に見せてくれなかったのですか。私だったら親友には見せるがね」
 と宮はお恨みになった。
「そうですね。あなたはたくさんのお手もとへまいる手紙の片端すらお見せになりません。あちらの女王がたのことは私のような欠陥のある人間などの対象にしておくべきではありませんから、ぜひあなたのお目にかけたい方々だと思っているのですが、どんなふうにすれば御接近ができるでしょう。身分のない者は恋愛がしたければ自由に恋愛もできるのですから、皆それ相当におもしろい恋愛生活はしているようですがね。男の興味を惹《ひ》くような女が物思いをしながら、世間の目から隠れて住んでいるようなことも郊外とか田舎《いなか》とかにはあるのですね。その話の女性たちも人間離れのした信心くさい、堅い感じのする人たちであろうと、私は長く軽蔑《けいべつ》して考えていまして、少しも興味が持てなかったものです。ほのかな月の光で見た目が誤っておりませんでしたら、確かに欠点のない美人です。様子といい、身のとりなしといい、それだけの人は美の極致としてよいことになるかと思います」
 と薫は言うのである。しまいには宮は真心から、普通の人などに心の惹《ひ》かれることのない人がこれほど熱心にたたえるのはすぐれた美貌《びぼう》の主に違いないとお信じになるようになり、非常な興味を宇治の女王たちにお持ちになることになった。
「今後もよくさぐって来て私に知らせてください」
 宮はこうお言いになって、御自身の自由の欠けた尊貴さをいとわしくお思いになるふうまでもお見せになるのを、薫はおかしく思った。
「しかし、そうした危険なことはしないほうがいいですね。この世へ執着を作るべきでないという信念を持っております私が、そうした中へはいって行って、自分ながら抑制できませんようなことになっては、すべての理想がこわれてしまうでしょうから」
「たいそうだね、例のとおりの坊様くさいことを言っている君のその態度がいつまで続くか見たいものだ」
 宮はお笑いになった。
 薫の心は宇治の宮で老女がほのめかした話からまた古い疑問が擡頭《たいとう》していて、人生が悲しく見えてならないこのごろであったから、美しい感じを受けたことにも、ほかから耳にはいってくるすぐれた女性の噂《うわさ》などにも自身は興味をそう持てないのであった。
 十月になって五、六日ごろに薫《かおる》は宇治へ出かけた。
「季節ですから網代《あじろ》の漁をさせてごらんになるとおもしろうございます」
 と進言する従者もあったが、
「そんなことはいやだ。こちらも氷魚《ひお》とか蜉蝣《ひおむし》とかに変わらないはかない人間だからね」
 としりぞけて、多数の人はつれずに身軽に網代車に乗り、作らせてあった平絹の直衣《のうし》指貫《さしぬき》をわざわざ身につけて行った。宮は非常にお喜びになり、この土地特有な料理などを作らせておもてなしになった。日が暮れてからは灯《ひ》を近くへお置きになり、薫といっしょに研究しておいでになった経文の解釈などについて阿闍梨《あじゃり》をも寺からお迎えになって意見をお言わせになったりもした。主客ともに睡《ねむ》ることなしに夜通し宗教を談じているのであるが、荒く吹く河風《かわかぜ》、木の葉の散る音、水の響きなどは、身にしむという程度にはとどまらずに恐怖をさえも与える心細い山荘であった。もう明け方に近いと思われる時刻になって、薫は前の月の霧の夜明けが思い出されるから、話を音楽に移して言った。
「先日霧の濃く降っておりました明け方に、珍しい楽音を、ただ一声と申すほど伺いまして、それきりおやめになって聞かせていただけませんでしたことが残念に思われてなりません」
「色も香も思わない人に私がなってからは音楽のことなどにもうとくなるばかりで皆忘れていますよ」
 宮はこうお言いになりながらも、侍に命じて琴をお取り寄せになった。
「こんなことをするのが不似合いになりましたよ。導いてくださるものがあると、それにひかれて忘れたものも思い出すでしょうから」
 と言って、琵琶をも薫のためにお出させになった。薫はちょっと手に取って、調べてみたが、
「ほのかに承った時のこれが楽器とは思われません。特別な琵琶であるように思いましたのは、やはり弾き手がお違いになるからでございました」
 と言って、熱心に弾こうとはしなかった。
「とんでもない誤解ですよ。あなたの耳にとまるような芸がどこからここへ伝わってくるものですか、誤解ですよ」
 宮はこうお言いになりながら琴をお弾きになるのであったが、それは身にしむ音で、すごい感じがした。庭の松風の伴奏がしからしめるのかもしれない。忘れたというふうにあそばしながら一つの曲の一節だけを弾いて宮はおやめになった。
「私の家では時々鳴ることのある十三絃はちょっとおもしろい手筋のように思われることもありますが、私が熱心に見てやらなくなってもう長くなりますからね。現在家の者の弾いているものは皆前の川の波音を標準にして稽古《けいこ》をしているだけの我流の芸にすぎません。むろん普通の拍子には合わないものになっているのですよ」
 そのあとで、
「箏《そう》の琴をお弾きなさい」
 と姫君の居間のほうへ言っておやりになったが、
「何も知らずに弾いていたのを、聞かれただけでも恥ずかしいのに、公然とまずいものをお聞かせできるものでない」
 女王は二人とも弾くのを肯《がえん》じない。父宮はたびたび勧めにおやりになったが、何かと口実を作って断わり、弾こうと姫君たちのしないのを薫は残念に思った。宮は片親でお育てになった姫君たちが素直にお言葉どおりのことをしないのを恥ずかしく思召すふうであった。
「女の子供のいることをなるべく人に知らせたくないと思ってね、私はだれも頼まずに自分の手だけで教育もしてきたのですが、もういつどうなるかもしれぬ命になってみると、さすがにまだ若い者は将来どんなふうにおちぶれてしまうことかと、その気がかりだけがこの世を辞して行く際の道の障《さわ》りになる気がするのです」
 とお言いになるのに、薫は心苦しいことであると同情された。
「表だちました責任者になりませんでも、私の力でお尽くしのできますことだけは私がいたしますから、御信用くだすっていいと存じております。しばらくでもあなた様よりあとに残って生きているといたしますれば、こうしたお言葉をいただきました以上、決してたがえることはいたしません」
 薫がこう申し上げると、
「非常にうれしいことです」
 と宮はお言いになった。
 明け方のお勤めを仏前で宮のあそばされる間に、薫は先夜の老女に面会を求めた。これは姫君方のお世話役を宮がおさせておいでになる女で、弁の君という名であった。年は六十に少し足らぬほどであるが、優雅なふうのある女で、品よく昔の話をしだした。柏木《かしわぎ》が日夜|煩悶《はんもん》を続けた果てに病を得て、死に至ったことを言って非常に弁は泣いた。他人であっても同情の念の禁じられないことであろうと思われる昔話を、まして長年月の間、真実のことが知りたくて、自分が生まれてくるに至った初めを、仏を念じる時にも、まずこの真実を明らかに知らせたまえと祈った効験でか、こうして夢のように、偶然のめぐり合わせで肉身のことが聞かれたと思っている薫には涙がとめどもなく流れるのであった。
「それにしてもその昔の秘密を知っている人が残っておいでになって、驚くべく恥ずかしい話を私に聞かせてくださるのですが、ほかにもまだこのことを知っている人があるでしょうか。今日まで私はその秘密の片端すらも聞くことがありませんでしたが」
 と薫は言った。
「小侍従と私のほかは決して知っている者はございません。また一言でも私から他人に話したこともございません。こんなつまらぬ女でございますが、夜昼おそばにお付きしていたものですから、殿様の御様子に腑《ふ》に落ちぬところがありまして、私が真実のことをお悟りすることになりましてからは、お苦しみのお心に余りますような時々には、私から小侍従へ、小侍従から私と言うことにしまして、たまさかのお手紙をお取りかわしになりました。失礼になってはなりませんからくわしいことは申し上げません。殿様の御容体が危篤になりましてから、私へほんの少しの御遺言があったのでございますが、私|風情《ふぜい》ではどうしてそれをあなた様にお伝え申し上げてよろしいか方法もつきませんで、仏に念誦《ねんず》をいたします時にも、そのことを心に持ってしておりましたために、あなた様にこのお話ができることになりまして、仏様の存在もまた明らかになりました。お目にかける物もあるのでございます。お渡しいたすことができません以上はもう焼いてしまおうかとも存じました。危うい命の老人が持っていまして、歿後《ぼつご》に落ち散ることになってはならぬと気がかりにいたしながら、この宮へ時々あなた様が御訪問においでになることがあるようになりましてからは、これはよい機会が与えられるかもしれぬと頼もしくなりまして、今日《きょう》のようなおりの早く現われてまいりますようにと、念じておりました力はえらいものでございますね。人間がなしえたこととこれは思われません」
 弁は泣く泣く薫の生まれた時のこともよく覚えていて話して聞かせた。
「大納言様がお亡《かく》れになりました悲しみで私の母も病気になりまして、その後しばらくして亡《な》くなりましたものですから、二つの喪服を重ねて着ねばならぬ私だったのでございます。そのうち長く私のことをかれこれと思っていた者がございまして、だましてつれ出されました果ては西海の端までもつれて行きましてね、京のことはいっさいわからない境遇に置かれていますうちに、その人もそこで亡くなりましてから、十年めほどの、違った世界の気がいたしますような京へ上ってまいったのでございますが、こちらの宮様は私の父方の縁故で童女時代に上がっていたことがあるものですから、もうはなやかな所へお勤めもできない姿になっております私は、冷泉《れいぜい》院の女御《にょご》様などの所へ、大納言様の続きでまいってもよろしかったのでございますが、それも恥ずかしくてできませんで、こうして山の中の朽ち木になっております。小侍従はいつごろ亡くなったのでございましょう。若盛りの人として記憶にございます人があらかた故人になっております世の中に、寂しい思いをいたしながら、さすがにまだ死なれずに私はおりました」
 弁が長話をしている間に、この前のように夜が明けはなれてしまった。
「この昔話はいくら聞いても聞きたりないほど聞いていたく思うことですが、だれも聞かない所でまたよく話し合いましょう。侍従といった人は、ほのかな記憶によると、私の五、六歳の時ににわかに胸を苦しがりだして死んだと聞いたようですよ。あなたに逢うことができなかったら、私は肉親を肉親とも知らない罪の深い人間で一生を終わることでした」
 などと薫は言った。小さく巻き合わせた手紙の反古《ほご》の黴《かび》臭いのを袋に縫い入れたものを弁は薫に渡した。
「あなた様のお手で御処分くださいませ。もう自分は生きられなくなったと大納言様は仰せになりまして、このお手紙を集めて私へくださいましたから、私は小侍従に逢いました節に、そちら様へ届きますように、確かに手渡しをいたそうと思っておりましたのに、そのまま小侍従に逢われないでしまいましたことも、私情だけでなく、大納言のお心の通らなかったことになりますことで私は悲しんでおりました」
 弁はこう言うのであった。薫はなにげなくその包を袖《そで》の中へしまった。こうした老人は問わず語りに、不思議な事件として自分の出生の初めを人にもらすことはなかったであろうかと、薫は苦しい気持ちも覚えるのであったが、かえすがえす秘密を厳守したことを言っているのであるから、それが真実であるかもしれぬと慰められないでもなかった。
 山荘の朝の食事に粥《かゆ》、強飯《こわめし》などが出された。昨日《きのう》は休暇が得られたのであるが、今日は陛下の御謹慎日も終わって、平常どおりに宮中の事務を執らねばならないことであろうし、また冷泉院の女一《にょいち》の宮《みや》の御病気もお見舞い申し上げねばならぬことで、かたがた京へ帰らねばならぬ、近いうちにもう一度|紅葉《もみじ》の散らぬ先にお訪ねするということを、薫は宮へ取り次ぎをもって申し上げさせた。
「こんなふうにたびたびお訪ねくださる光栄を得て、山蔭《やまかげ》の家も明るくなってきた気がします」
 と宮からの御|挨拶《あいさつ》も伝えられた。
 薫は自邸に帰って、弁から得た袋をまず取り出してみるのであった。支那《しな》の浮き織りの綾《あや》でできた袋で、上という字が書かれてあった。細い組み紐《ひも》で口を結んだ端を紙で封じてあるのへ、大納言の名が書かれてある。薫はあけるのも恐ろしい気がした。いろいろな紙に書かれて、たまさか来た女三の宮のお手紙が五、六通あった。そのほかには柏木《かしわぎ》の手で、病はいよいよ重くなり、忍んでお逢《あ》いすることも困難になったこの時に、さらに見たい心の惹《ひ》かれる珍しいことがそちらには添っている、あなたが尼におなりになったということもまた悲しく承っているというようなことを檀紙《だんし》五、六枚に一字ずつ鳥の足跡のように書きつけてあって、

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目の前にこの世をそむく君よりもよそに別るる魂《たま》ぞ悲しき
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 という歌もある。また奥に、
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珍しく承った芽ばえの二葉を、私|風情《ふぜい》が関心を持つとは申されませんが、

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命あらばそれとも見まし人知れず岩根にとめし松の生《お》ひ末
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 よく書き終えることもできなかったような乱れた文字でなった手紙であって、上には侍従の君へと書いてあった。蠹《しみ》の巣のようになっていて、古い黴《かび》臭い香もしながら字は明瞭《めいりょう》に残って、今書かれたとも思われる文章のこまごまと確かな筋の通っているのを読んで、実際これが散逸していたなら自分としては恥ずかしいことであるし、故人のためにも気の毒なことになるのであった、こんな苦しい思いを経験するものは自分以外にないであろうと思うと薫の心は限りもなく憂鬱《ゆううつ》になって、宮中へ出ようとしていた考えも実行がものうくなった。母宮のお居間のほうへ行ってみると、無邪気な若々しい御様子で経を読んでおいでになったが、恥ずかしそうに経巻を隠しておしまいになった。今さら自分が秘密を知ったとはお知らせする必要もないことであると思って、薫は心一つにそのことを納めておくことにした。

橋姫 版本说明

底本:「全訳源氏物語 下巻」角川文庫、角川書店
   1972(昭和47)年2月25日改版初版発行
   1995(平成7)年5月30日40版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月10日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:鈴木厚司
2004年3月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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48 椎が本

[#地から3字上げ]朝の月涙のごとくましろけれ御寺《みてら》の鐘
[#地から3字上げ]の水渡る時        (晶子)

 二月の二十日《はつか》過ぎに兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は大和《やまと》の初瀬《はせ》寺へ参詣《さんけい》をあそばされることになった。古い御宿願には相違ないが、中に宇治という土地があることからこれが今度実現するに及んだものらしい。宇治は憂《う》き里であると名をさえ悲しんだ古人もあるのに、またこのように心をおひかれになるというのも、八の宮の姫君たちがおいでになるからである。高官も多くお供をした。殿上役人はむろんのことで、この行に漏れた人は少数にすぎない。
 六条院の御遺産として右大臣の有《ゆう》になっている土地は河《かわ》の向こうにずっと続いていて、ながめのよい別荘もあった。そこに往復とも中宿りの接待が設けられてあり、大臣もお帰りの時は宇治まで出迎えることになっていたが、謹慎日がにわかにめぐり合わせて来て、しかも重く慎まねばならぬことを陰陽師《おんようじ》から告げられたために、自身で伺えないことのお詫びの挨拶《あいさつ》を持って代理が京から来た。宮は苦手《にがて》としておいでになる右大臣が来ずに、お親しみの深い薫《かおる》の宰相中将が京から来たのをかえってお喜びになり、八の宮邸との交渉がこの人さえおれば都合よく運ぶであろうと満足しておいでになった。右大臣という人物にはいつも気づまりさを匂宮《におうみや》はお覚えになるらしい。右大臣の息子《むすこ》の右大弁、侍従宰相、権中将、蔵人兵衛佐《くろうどひょうえのすけ》などは初めからお随《つ》きしていた。帝《みかど》も后《きさき》の宮もすぐれてお愛しになる宮であったから、世間の尊敬することも大きかった。まして六条院一統の人たちは末の末まで私の主君のようにこの宮にかしずくのであった。別荘には山里らしい風流な設備《しつらい》がしてあって、碁、双六《すごろく》、弾碁《たぎ》の盤なども出されてあるので、お供の人たちは皆好きな遊びをしてこの日を楽しんでいた。宮は旅なれぬお身体《からだ》であったから疲労をお覚えになったし、この土地にしばらく休養していたいという思召《おぼしめ》しも十分にあって、横たわっておいでになったが、夕方になって楽器をお出させになり、音楽の遊びにおかかりになった。こうした大きい河のほとりというものは水音が横から楽音を助けてことさらおもしろく聞かれた。
 聖人の宮のお住居《すまい》はここから船ですぐに渡って行けるような場所に位置していたから、追い風に混じる琴笛の音を聞いておいでになりながら昔のことがお心に浮かんできて、
「笛を非常におもしろく吹く。だれだろう。昔の六条院の吹かれたのは愛嬌《あいきょう》のある美しい味のものだった。今聞こえるのは音が澄みのぼって重厚なところがあるのは、以前の太政大臣の一統の笛に似ているようだ」
 など独言《ひとりごと》を言っておいでになった。
「ずいぶん長い年月が私をああした遊びから離していた。人間の愉楽とするものと遠ざかった寂しい生活を今日までどれだけしているかというようなことをむだにも数えられる」
 こんなことをお言いになりながらも、姫君たちの人並みを超《こ》えたりっぱさがお思われになって、宝玉を埋めているような遺憾もお覚えにならぬではなく、源宰相中将という人を、できるなら婿としてみたいが、かれにはそうした心がないらしい、しかも自分はその人以外の浮薄な男へ女王《にょおう》たちは与える気になれないのであるとお思いになって、物思いを八の宮がしておいでになる対岸では、春の夜といえども長くばかりお思われになるのであるが、右大臣の別荘のほうの客たちはおもしろい旅の夜の酔いごこちに夜のあっけなく明けるのを歎いていた。
 匂宮はこの日に宇治を立って帰京されるのが物足らぬこととばかりお思われになった。遠くはるばると霞《かす》んだ空を負って、散る桜もあり、今開いてゆく桜もあるのが見渡される奥には、晴れやかに起き伏しする河添い柳も続いて、宇治の流れはそれを倒影にしていた。都人の林泉にはないこうした広い風景を見捨てて帰りがたく思召されるのである。薫はこの機会もはずさず八の宮邸へまいりたく思うのであったが、多数の人の見る前で、自分だけが船を出してそちらへ行くのは軽率に見られはせぬかと躊躇《ちゅうちょ》している時に八の宮からお使いが来た。お手紙は薫へあったのである。

[#ここから2字下げ]
山風に霞《かすみ》吹き解く声はあれど隔てて見ゆる遠《をち》の白波
[#ここで字下げ終わり]

 漢字のくずし字が美しく書かれてあった。兵部卿の宮は、少なからぬ関心を持っておいでになる所からのおたよりとお知りになり、うれしく思召して、
「このお返事は私から出そう」
 とお言いになって、次の歌をお書きになった。

[#ここから2字下げ]
遠近《をちこち》の汀《みぎは》の波は隔つともなほ吹き通へ宇治の川風
[#ここで字下げ終わり]

 薫は自身でまいることにした。音楽好きな公達《きんだち》を誘って同船して行ったのであった。船の上では「酣酔楽《かんすいらく》」が奏された。
 河に臨んだ廊の縁から流れの水面に向かってかかっている橋の形などはきわめて風雅で、宮の洗練された御趣味もうかがわれるものであった。右大臣の別荘も田舎《いなか》らしくはしてあったが、宮のお邸《やしき》はそれ以上に素朴《そぼく》な土地の色が取り入れられてあって、網代屏風《あじろびょうぶ》などというものも立っていた。寂《さび》の味の豊かにある室内の飾りもおもしろく、あるいは兵部卿の宮の初瀬|詣《もう》での御帰途に立ち寄る客があるかもしれぬとして、よく清掃されてもあった。すぐれた名品の楽器なども、わざとらしくなく宮はお取り出しになって、参入者たちへ提供され、一越《いちこち》調で「桜人」の歌われるのをお聞きになった。名手の誉《ほま》れをとっておいでになる八の宮の御琴の音をこの機会にお聞きしたい望みをだれも持っていたのであるが、十三絃を合い間合い間にほかのものに合わせてだけお弾《ひ》きになるにとどまった。平生お聞きし慣れないせいか、奥深いよい音として若い人々は承った。山里らしい御|饗応《きょうおう》が綺麗《きれい》な形式であって、皆人がほかで想像していたに似ず王族の端である公達《きんだち》が数人、王の四位の年輩者というような人らが、常に八の宮へ御同情申していたのか、縁故の多少でもあるのはお手つだいに来ていた。酒瓶《しゅへい》を持って勧める人も皆さっぱりとしたふうをしていた。一種古風な親王家らしいよさのある御歓待の席と見えた。船で来た人たちには女王の様子も想像して好奇心の惹《ひ》かれる気のしたのもあるはずである。
 兵部卿の宮はまして美しいと薫から聞いておいでになった姉妹《きょうだい》の姫君に興味をいだいておいでになって、自由な行動のおできにならぬことを、今までから憾《うら》みに思っておいでになったのであるから、この機会になりとも女王への初めの消息を送りたいとお思いになり、そのお心持ちがしまいに抑《おさ》えきれずに、美しい桜の枝をお折らせになって、お供に来ていた殿上の侍童のきれいな少年をお使いにされお手紙をお送りになった。

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山桜にほふあたりに尋ね来て同じ挿頭《かざし》を折りてけるかな

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野を睦《むつ》まじみ(ひと夜寝にける)
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 というような御消息である。お返事はむずかしい、自分にはと二人の女王は譲り合っていたが、こんな場合はただ風流な交際として軽く相手をしておくべきで、あとまで引くことのないように、大事をとり過ぎた態度に出るのはかえって感じのよくないものであるというようなことを、古い女房などが申したために、宮は中姫君に返事をお書かせになった。

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挿頭《かざし》折る花のたよりに山賤《やまがつ》の垣根《かきね》を過ぎぬ春の旅人

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野を分きてしも
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 これが美しい貴女《きじょ》らしい手跡で書かれてあった。河風《かわかぜ》も当代の親王、古親王の隔てを見せず吹き通うのであったから、南の岸の楽音は古宮家の人の耳を喜ばせた。
 迎えの勅使として藤《とう》大納言が来たほかにまた無数にまいったお迎えの人々をしたがえて兵部卿の宮は宇治をお立ちになった。若い人たちは心の残るふうに河のほうをいつまでも顧みして行った。宮はまたよい機会をとらえて再遊することを期しておいでになるのである。一行の人々の山と水の風景を題にした作が詩にも歌にも多くできたのであるが細かには筆者も知らない。
 周囲に御遠慮があって宇治の姫君へ再三の消息のおできにならなかったことを匂宮は飽き足らぬように思召して、それからは薫の手をわずらわさずに、直接のお文《ふみ》がしばしば八の宮へ行くことになった。父君の宮も、
「初めどおりにお返事を出すがよい。求婚者風にこちらでは扱わないでおこう。交友として無聊《ぶりょう》を慰める相手にはなるだろう。風流男でいられる方が若い女王のいることをお聞きになっての軽い遊びの心持ちだろうから」
 こんなふうにお勧めになる時などには中姫君が書いた。大姫君は遊びとしてさえ恋愛を取り扱うことなどはいとわしがるような高潔な自重心のある女性であった。
 いつでも心細い山荘住まいのうちにも、春の日永《ひなが》の退屈さから催される物思いは二人の女王から離れなかった。いよいよ完成された美は父宮のお心にかえって悲哀をもたらした。欠点でもあるのであれば惜しい存在であると歎かれることは少なかろうがなどと煩悶《はんもん》をあそばされるのであった。大姫君は二十五、中姫君は二十三になっていた。
 宮のために今年は重く謹慎をあそばされねばならぬ年と占われていた。心細い気をお覚えになって、仏勤めを平生以上にゆるみなくあそばす八の宮であった。この世に何の愛着をも今はお持ちにならぬお心であったから、未来の世のためにいっさいを捨てて仏弟子《ぶつでし》の生活にもおはいりになりたいのであったが、ただ二女王をこのままにしておく点に御不安があって、深い信仰はおありになっても、このことでなすべからぬ煩悶《はんもん》をするようになるのは遺憾であると思召すらしいのを、奉仕する女房たちはお察ししていたが、そのことについて宮は、必ずしも理想どおりではなくとも、世間体もよく、親として、それくらいであれば譲歩してもよいと思われる男が求婚して来たなら、立ち入って婿としての世話はやかないままで結婚を許そう、一人だけがそうした生活にはいれば、それに大体のことは頼みうることにもなって安心は得られるであろうが、それほどにまで誠意を見せて婚を求める人もない。まれまれにはちょっとした機会と仲介人を得て、そうした話もあるが、皆まだ若々しい人たちが一時的に好奇心を動かして、初瀬《はせ》、春日《かすが》への中休みの宇治での遊び心のような恋文《こいぶみ》を送って来る程度にとどまり、こうした閑居をあそばすだけの宮として、女王にはたいした敬意も持たず礼のない軽蔑《けいべつ》的な交渉をして来るのなどには、その場だけの返事をすら女王にお書かせにならない。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮だけはどうしてもこの恋を遂げたいという熱意を持っておいでになる。これも前生の約束事であったのかもしれぬ。
 源宰相中将はその秋中納言になった。いよいよはなやかな高官になったわけであるが、心には物思いが絶えずあった。自身の出生した初めの因縁に疑いを持っていたころよりも、真相を知った時に始まった過去の肉親に対する愛と同情とともに、かの世でしているであろう罪についての苦闘を思いやることが重苦しい負担に覚えられ、その父の罪の軽くなるほどにも自身で仏勤めがしたいと願われるのであった。あの話をした老女に好意を持ち、人目を紛らすだけの用意をして常に物質の保護を怠らぬようになった。
 中納言はしばらく宇治の宮をお訪《たず》ねせずにいたことを急に思い出して出かけた。街《まち》の中にはまだはいって来ぬ秋であったが、音羽山が近くなったころから風の音も冷ややかに吹くようになり、槙《まき》の尾山の木の葉も少し色づいたのに気がついた。進むにしたがって景色《けしき》の美しくなるのを薫《かおる》は感じつつ行った。
 中納言をお迎えになった宮は平生にも増して喜びをお見せになり、心細く思召すことを何かと多くこの人へお話しになるのであった。お亡くなりになったあとでは女王たちを時々|訪《たず》ねて来てやってほしいと思召すこと、親戚《しんせき》の端の者として心にとめておいてほしいと思召すことを、正面からはお言いにならぬのではあるが、御希望として仰せられることで、薫は、
「一言でも承っておきます以上、決して私はなすべきを怠る者ではございません。この世に欲望を持つことのないようにと心がけまして、世の中に対して人よりは冷淡な態度をとっておりますから、立身をいたすことも望まれませんが、私の生きておりますかぎりは、ただ今と変わりのない志を御家族にお見せ申したいと考えております」
 とお答えしたのを、八の宮はうれしく思召し御満足をあそばされた。おそく昇《のぼ》るころの月が出て山の姿が静かに現われた深夜に、宮は念誦《ねんず》をあそばしながら薫へ昔の話をお聞かせになった。
「近ごろの世の中というものはどうなっているのか私には少しもわからない。御所などでこうした秋の月夜に音楽の演奏されるのに私も侍していて、その当時感じたことですが、名人ばかりが集まって、とりどりな技術を発揮させる御前の合奏よりも、上手《じょうず》だという名のある女御《にょご》、更衣《こうい》のいる局《つぼね》々で心の内では競争心を持ち、表面は風流に交際している人たちの曹司《ぞうし》の夜ふけになって物音の静まった時刻に、何ということのない悩ましさを心に持って、ほのかに弾き出される琴の音などにすぐれたものがたくさんありましたよ。何事にも女は人の慰めになることで能事が終わるほどのものですが、それがまた人を動かす力は少なくないのですね。だから女は罪が深いとされているのでしょう。親として子の案ぜられる点でも、男の子はさまで親を懊悩《おうのう》させはしないだろうが、女はどうせ女で、親が何と思っても宿命に従わせるほかはないのでしょうが、それでも愍然《ふびん》に思われて、親のためには大きな羈絆《きはん》になりますよ」
 と抽象論としてお言いになる言葉を聞いてもお道理至極である、どんなに女王《にょおう》がたを御心配になっておられるかということが薫にわかるのであった。
「あなた様のお教えのとおりに、私も苦しい羈絆を持つまいと決心してまいりましたせいですか、自身にはそうした苦しい親心というものを経験いたしませんが、ただ一つ私には音楽という愛着の覚えられるものがございまして、それによって遁世《とんせい》もできずにおります。賢明な迦葉《かしょう》もやはりそんな心があって舞をしたりしたものでしょうか」
 などと言って、いつぞや少し聞いた琴と琵琶の調べを今一度聞きたいと熱心に宮へお願いする薫であった。
 家族と薫を親しくさせる第一歩にそれをさせようと思召すのか、宮は御自身で女王たちの室《へや》へお行きになって、ぜひにと弾奏をお勧めになった。十三|絃《げん》の琴がほのかにかき鳴らされてやんだ。人けの少ない宮の内に、身にしむ初秋の夜のわざとらしからぬ琴の音のするのは感じのよいものであったが、女王たちにすれば、よい気になって合奏などはできぬと思うのが道理だと思われた。
「こんなにして御交際する初めを作ったのですから、若い子らにしばらく客人をまかせておくことにしよう」
 それから宮は仏間へおはいりになるのだったが、

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「われなくて草の庵《いほり》は荒れぬともこの一ことは枯れじとぞ思ふ
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 こうしてお話のできるのもこれが最終になるような心細い感情を私はおさえることができずに、親心のたあいないこともたくさん言ったでしょう。すまないことです」
 と言ってお泣きになった。薫は、

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「いかならん世にか枯れせん長き世の契り結べる草の庵は
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 御所の相撲《すもう》などということも済みまして、時間のできますのを待ちましてまた伺いましょう」
 などと言っていた。別室で薫はあの昔語りを聞かせてくれた老女を呼び出して、悲しくもなつかしくも思われる話の続きをさせて聞いた。落ちようとする月は明るく座敷の中を照らして、薫の透《す》き影は艶《えん》に御簾《みす》のあちらから見えた。
 隣の室《へや》には奥へ寄って女王たちがすわっていた。普通の求婚者の言葉ではなく、優雅な話題をこしらえてその人たちにも薫は話していたが、言うべき時には姫君も返辞をした。兵部卿の宮が非常に興味を持っておいでになる女性たちであるということを思って、自分ながらもこんなに接近していながら一歩を進めようとすることをしないのは、これを普通の男と違った点とすべきである。自然に自分への愛を相手が覚えてくれるのを急ぐこととも思われないと考えているのが薫の本心であった。しかも恋愛の成立を希望していないわけではないのである。こうした交際でおりふしの風物について書きかわす相手としては満足を与える女性であったから、宿縁のために他と結婚するようなことが女王にあっては遺憾を覚えるであろう、自分の存在している以上は断じてそれはさせたくないというふうに思っていた。まだ夜の明けきらぬ時刻に薫は帰って行った。
 心細い御様子でみずから余命の少ないふうに観じておいでになった八の宮の御事が始終心にかかって、忙しい時が過ぎたならまた宇治をお訪《たず》ねしようと薫は考えていた。兵部卿の宮も秋季のうちに紅葉見《もみじみ》として行きたいと思召してよい機会をうかがっておいでになった。お手紙はしばしば行く。女のほうでは真心からの恋とは認めていないのであるから、うるさがるふうは見せずに、微温的に扱った返事だけは時々出していた。
 秋がふけてゆくにしたがって八の宮は健康でなくおなりになって、いつもおいでになる山の寺へ行って、念仏だけでも専念にしたいと思召しになり、女王たちにも現在の感想と、知りがたい明日についての注意などをお話しになるのであった。
「人生のそれが常で、皆死んで行かねばならないのだが、その際にも家族の上のことで、何か安心が見いだせれば、それを慰めにして悲しみに勝つこともできるものらしいが、私の場合は、このあとをだれが引き受けて行ってくれるという人もないあなたがたを残して行くのだから非常に悲しい。けれどもこんなことに妨げられて純一な信仰を得ることができなくなれば、すべてがだめなことになって、永久の闇《やみ》に迷っていなければならなくなります。あなたがたを眼前に置きながらも死んで行く日は別れねばならないのだから、死後のことにまで干渉をするのではないが、私だけでなく、あなたがたの祖父母の方がたの不名誉になるような軽率な結婚などはしてならない。根底もない一時的な人の誘惑に引かれてこの山荘を出て行くようなことはしないようになさい。ただ自分は普通の人の運命と違った運命を持っている人間であると自分を思って、生涯《しょうがい》をここで果たす気になっているがいい。その堅い信念さえ持っておれば、長いと思う人生もいつか済んでゆくものなのだ。ことに女であるあなたたちは、世間並みの幸福を願わずに堪え忍んでいることでいろいろと人から批難をされるようなこともなく一生を過ごすがいいでしょう」
 お聞きしている姫君らは、どう自分たちがなって行くかというような不安さよりも、父君がお亡《かく》れになっては人生に片時も生きていられるものでないという平生からの心持ちが、こんなふうな孤児になっての将来のことなどをお言いになることによって、言いようもない悲しみになって、宮は心の中でこそ娘への愛情から離れようと努力はしておいでになったであろうが、明け暮れそばにいてあたたかい手で育《はぐく》んでおいでになったのであるから、にわかにそうした意見をお言いだしになったのは、冷酷なのではないが、女王たちにとってうらめしく思われるのはもっともと見えた。
 明日は寺へおはいりになろうとする日、平生のようでなくそちらこちら家の中を宮はながめまわっておいでになった。一時的に仮り住居《ずまい》となされたまま年月をお過ごしになった、あまりにも簡単な建物についても、自分の亡《な》くなったあとでこんな家に若い女王たちがなお辛抱《しんぼう》を続けて住んでいられるであろうかとお思いになり、宮は涙ぐみながら念誦《ねんず》をあそばされる御容姿にも、清楚《せいそ》な美があった。年をとった女房らをお呼び出しになって、
「私がどんな所にいても安心していられるように女王たちへ仕えてくれ。何事があっても初めから人目を惹《ひ》かぬ家であったなら、そこの娘がのちに堕落しようとも問題にする者もない。自分らの家では、それはしかしもう世間の人の眼中にはないであろうがね。ともかくもふがいない堕落をしていっては御先祖にすまないのだからね。貧しい簡素な生活よりできないのはほかにもあることだから、それはいいのだ。貴族の娘は貴族らしく品位を落とさないで他の軽侮を受けない身の持ち方で終始するのが世間へ対しても、それら自身にも潔《いさぎよ》いことだろうと思う。世間並みな幸福を得させようとしてすることも、そのとおりにならないではかえって悲惨だから、決して軽率な考えでおまえがたが女王らに過失をさせるような計らいをしてはならない」
 などとお言い聞かせになった。
 いよいよその朝早くお出かけになろうとする時にも、宮は女王たちの居間へおいでになって、
「私の留守の間を心細く思わずにお暮らしなさい。機嫌《きげん》よく音楽でももてあそんでいるがよい。何事も思うままにならぬ人生なのだから悲観ばかりはせずにいなさい」
 ともお言いになり、顧みがちに寺へおいでになったのであった。たださえ寂しい境遇の女王たちはいっそう心細さを感じて、物思いばかりがされ、明け暮れ二人はいっしょにいて話し合いながら、
「どちらか一人がいなかったらどうして暮らされるでしょう。でも明日のことはわかりませんからね。もし二人が別れてしまうことになったらどうしましょう」
 などとも言い、泣きも笑いもするのであった。遊戯に属したことも、勉強事もいっしょにして慰め合っていた。御寺《みてら》で行なっておいでになる三昧《さんまい》の日数が今日で終わるはずであるといって、女王たちは父宮のお帰りになるのを待っていた日の夕方に山の寺から宮のお使いが来た。
「今朝《けさ》から身体《からだ》のぐあいが悪くて家のほうへ帰られぬ。風邪《かぜ》かと思うのでその手当てなどを今日《きょう》はしています。平生以上にあなたがたと逢《あ》いたく思う時なのにあやにくなことです」
 というお言葉が伝えられた。姫君たちは驚きに胸が一時にふさがれた気もしながら、綿の厚い宮のお衣服を作らせてお送りなどした。それに続いて二、三日もまだ宮は山をお出になることができない。
 御容体を聞きに出荘から手紙の使いを出すと、
「大病にかかったとは思われない。ただどことなく苦しいだけであるから、少しでもよろしくなれば帰ろうと思う。今はつとめて心身を安静にしようとしている」
 と言葉でのお返事があった。
 阿闍梨《あじゃり》はずっと付き添って御看護をしていた。
「たいした御病患とは思われませんが、あるいはこれが御寿命の終わりになるのかもしれません。姫君がたのことを何も心配あそばすには及びません。人にはそれぞれ独立した宿命というものがあるのでございますから、あなた様は決して気がかりとあそばされることはないのでございます」
 こう阿闍梨は言い、いよいよ恩愛の情をお捨てになることをお教え申し上げて、
「今になりまして、ここからお出になるようなことはなさらぬがよろしゅうございます」
 といさめるのであった。これは八月の二十日ごろのことであった。深くものが身にしむ時節でもあって、姫君がたの心には朝霧夕霧の晴れ間もなく歎《なげ》きが続いた。有り明けの月が派手《はで》に光を放って、宇治川の水の鮮明に澄んで見えるころ、そちらに向いて揚げ戸を上げさせて、二人は外の景色《けしき》にながめ入っていると、鐘の声がかすかに響いてきた。夜が明けたのであると思っているところへ、寺から人が来て、
「宮様はこの夜中ごろにお薨《かく》れになりました」
 と泣く泣く伝えた。その一つの報《し》らせが次の瞬間にはあるのでないかと、気にしない間もなかったのであったが、いよいよそれを聞く身になった姫君たちは失心したようになった。あまりに悲しい時は涙がどこかへ行くものらしい。二人の女王《にょおう》は何も言わずに俯伏《うつぶ》しになっていた。父君の死というものも日々|枕頭《ちんとう》にいて看護してきたあとに至ったことであれば、世の習いとしてあきらめようもあるのであろうが、病中にお逢いもできなかったままでこうなったことを姫君らの歎くのももっともである。しばらくでも父君に別れたあとに生きているのを肯定しない心を二人とも持っていて、自分も死なねばならぬと泣き沈んでいるが、命は失った人にも、失おうとする人にも、左右する自由はないものであるからしかたがない。阿闍梨《あじゃり》にはずっと以前から御遺言があったことであるから、葬送のこともお約束の言葉どおりにこの僧が扱ってした。御遺骸になっておいでになる父君でも、もう一度見たいと姫君たちは望んだのであるが、
「今さらそんなことをなさるべきではありません。御病中にも私は姫君がたにもお逢いにならぬがよろしいと申し上げていたのですから、こうなりましてから、互いに無益《むやく》な執着を作ることになり、あなたがたの将来のためにもなりません」
 阿闍梨は許そうとしなかった。御臨終までの御様子を話されることによっても、阿闍梨のあまりな出世間ぶりを姫君たちは恨めしく憎くさえ思った。
 出家のお志は昔から深かった宮でおありになったが、まったくの孤児になる姫君を置いておおきになるのが心がかりで、生きている間はせめてかたわらを離れず守る父になっておいでになることで、また一方のやる瀬ない人の世の寂しさも紛らしておいでになったのである。それも永久のことにはならなくて、生死の線に隔てられておしまいになったことは、亡き宮のためにも、お慕いする女王がたのためにも悲しいことであった。
 薫《かおる》も宇治の八の宮の訃《ふ》を承った。あまりにはかない人の命が悲しまれ、尊い人格の御方が惜しまれて、もう一度ゆっくりお話のしたかったことが多く残っているように思われて、人生の悲哀がしみじみ痛感されて泣いた。これが最終の会見であるかもしれぬとお言いになったが、いつの時にも人生のはかなさ脆《もろ》さをお感じになっておられる方のお言葉であったから、特別なお気持ちで仰せられるとも聞かず、このように早くその悲しい期が至るとも思わなかったと考えると、かえすがえすも悲しかった。阿闍梨《あじゃり》の所へも、山荘のほうへも弔問の品々を多く薫は贈った。こんな好意を見せる人はほかになかったのであるから、悲しみに沈んでいながらも二人の女王は昔からもこうした好意のある補助は絶えずしてくれる薫であることを思わざるをえなかった。
 普通の家の親の死でも、その場合にはこれほどの悲しいことはないように思われるのであるから、ましてただお一人を頼みにして今日まで来た姫君たちはどれほど深い悲しみをしていることであろうと薫は宇治の山荘を想像して、仏事のための費用などを多く阿闍梨に寄せた。邸《やしき》のほうへも老いた弁の君の所へというようにして金品を贈り、誦経《ずきょう》の用にすべき物などさえも送った。
 いつも夜のままのような暗い月日もたって九月になった。野山の色はまして人に涙を催させることが多く、争って落ちる木の葉の音、宇治川の響き、滝なす涙も皆一つのもののようになって、この女王たちをますます深い悲しみの谷へ追った。こんなふうでは、命は前生からきまったものとは言え、そのしばらくの間さえ堪えて生きがたいことにならぬかと女房たちは姫君らを思い、心細がっていろいろに慰めようとするのであった。
 この山荘にも念仏をする僧が来ていて、宮のお住みになった座敷は安置された仏像をお形見と見ねばならぬ今となっては、そこに時々伺候した人たちが忌籠《きごも》りをして仏勤めをしていた。
 兵部卿《ひょうぶきょう》の宮からもたびたび慰問のお手紙が来た。このおりからそうした性質のお文《ふみ》には返事を書こうとする気にもならず打ち捨ててあったから、中納言にはこんな態度をとらないはずであるのに、自分だけはいつまでもよそよそしく扱われると女王を恨めしがっておいでになった。紅葉《もみじ》の季節に詩会を宇治でしようと匂宮《におうみや》はしておいでになったのであるが、恋しい人の所が喪の家になっている今はそのかいもないとおやめになったが、残念に思召した。
 八の宮の四十九日の忌も済んだ。時間は悲しみを緩和するはずであると宮は思召して、長い消息を宇治へお書きになった。時雨《しぐれ》が時をおいて通って行くような日の夕方であった。

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牡鹿《をじか》鳴く秋の山里いかならん小萩《こはぎ》が露のかかる夕暮れ

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こうした空模様の日に、恋する人はどんなに寂しい気持ちになっているかを思いやってくださらないのは冷淡にすぎます。枯れてゆく野の景色《けしき》も平気でながめておられぬ私です。
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 などという文字である。
「このお言葉のように、あまりに尊貴な方を無視する態度を取り続けてきたのですからね、何かあなたからお返事をお出しなさい」
 と、大姫君は例のように中の君に勧めて書かせようとした。中の君は今日まで生きていて硯《すずり》などを引き寄せてものを書くことがあろうなどとはあの際に思われなかったのである、情けなく、時というものがたってしまったではないかなどと思うと、また急に涙がわいて目がくらみ、何も見えなくなったので、硯は横へ押しやって、
「やっぱり私は書けません。こんなふうに近ごろは起きてすわったりできるようになりましたことでも、悲しみの日も限りがあるというのはほんとうなのだろうかと思うと、自分がいやになるのですもの」
 と可憐《かれん》な様子で言って、泣きしおれているのも、姉君の身には心苦しく思われることであった。夕方に来た使いが、
「もう十時がだいぶ過ぎてまいりました。今夜のうちに帰れるでしょうか」
 と言っていると聞いて、今夜は泊まってゆくようにと言わせたが、
「いえ、どうしても今晩のうちにお返事をお渡し申し上げませんでは」
 と急ぐのがかわいそうで、大姫君は自分は悲しみから超越しているというふうを見せるためでなく、ただ中の君が書きかねているのに同情して、

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涙のみきりふさがれる山里は籬《まがき》に鹿《しか》ぞもろ声に鳴く
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 という返事を、黒い紙の上の夜の墨の跡はよくも見分けられないのであるが、それを骨折ろうともせず、筆まかせに書いて包むとすぐに女房へ渡した。
 お使いの男は木幡《こはた》山を通るのに、雨気の空でことに暗く恐ろしい道を、臆病《おくびょう》でない者が選ばれて来たのか、気味の悪い篠原《ささはら》道を馬もとめずに早打ちに走らせて一時間ほどで二条の院へ帰り着いた。御前へ召されて出た時もひどく服の濡《ぬ》れていたのを宮は御覧になって物を賜わった。
 これまで書いて来た人の手でない字で、それよりは少し年上らしいところがあり、才識のある人らしい書きぶりなどを宮は御覧になって、しかしどちらが姉の女王か、中姫君なのかと熱心にながめ入っておいでになり、寝室へおはいりにならないで起きたままでいらせられる、この時間の長さに、どれほどお心にしむお手紙なのであろうなどと女房たちはささやいて反感も持った。眠たかったからであろう。
 兵部卿の宮はまだ朝霧の濃く残っている刻にお起きになって、また宇治への消息をお書きになった。

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朝霧に友惑はせる鹿の音《ね》を大方にやは哀れとも聞く

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私の心から発するものは二つの鹿の声にも劣らぬ哀音です。
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 というのである。
 風流遊びに身を入れ過ぎるのも余所見《よそみ》がよろしくない、父宮がついておいでになるというのを力にして、今まではそうした戯れに答えたりすることも安心してできたのであるが、孤児の境遇になって思わぬ過失を引き起こすようなことがあっては、ああして気がかりなふうに仰せられた自分たちのために、この世においでにならぬ御名にさえ疵《きず》をおつけすることになってはならぬと、何事にも控え目になっている女王はどちらからも返事をしなかった。この兵部卿の宮などは軽薄な求婚者と同じには女王たちも見ていなかった。ちょっとした走り書きの消息の文章にもお墨の跡にも美しい艶《えん》な趣の見えるのを、たくさんはそうした意味を扱った手紙を見てはいなかったが、これこそすぐれた男の文《ふみ》というものであろうとは思いながらも、そうした尊貴な風流男につきあうことも、今の自分らに相応せぬことであるから、感情を傷つけることがあっても、世外の人のようにして超然としていようと姫君たちは思っていた。薫《かおる》からの手紙だけはあちらからもまじめに親切なことを多く書かれてくるのであったから、こちらからも冷淡なふうは見せず常に返事が出された。
 忌中が過ぎてから薫が訪《たず》ねて来た。東の縁に沿った座敷を、父宮の服喪のために一段低くした所にこのごろはいる姫君たちの所へ来て、まず老いた弁を薫は呼び出した。悲しみに暗い日を送っている女王《にょおう》らに近く、まばゆい感じのするほどの芳香を放つ人が来たのであったから、きまり悪く姫君たちは思って、言いかけられることにも返辞ができないでいると、
「こんなふうな隔てがましい扱いはなさらないで、昔の宮様が私を御待遇くださいましたように心安くさせていただけばお見舞いにまいりがいもあるというものです。柔らかいふうに気どった若い人たちのするようなことは経験しないものですから、お取り次ぎを中にしてでは言葉も次々に出てまいりません」
 と薫は言った。
「どうしてそれで生きていたかと思われるような私たちで、生きてはおりましてもまだ悲しい夢に彷徨《ほうこう》しているばかりでございます。知らず知らず空の光を見るようになりますことも遠慮がされまして、外に近い所までは出られないのでございます」
 という姫君の挨拶《あいさつ》が伝えられてきた。
「それを申せば限りもない御孝心を持たれますこととは深く存じております。日月の光のもとへ晴れ晴れしく御自身からお出ましになることこそはばかりがおありになるでしょうが、私としましてはまた宮様をお失いいたしましての悲しみをほかのだれに告げようもないことですし、あなた様がたのお歎きの慰みにもなることも申し上げたいものですから、しいて近くへお出ましを願っているわけです」
 こう薫が言うと、それを取り次いだ女房が、
「あちらで仰せになりますとおりに、お悲しみにお沈みあそばすのをお慰めになりたいと思召す御好意をおくみになりませんでは」
 などと言葉を添えて姫君を動かそうとする。ああは言いながらも大姫君の心にもようやく悲しみの静まって来たこのごろになって、宮の御葬送以来薫の尽くしてくれたいろいろな親切がわかっているのであるから、亡《な》き父宮への厚情からこんな辺鄙《へんぴ》な土地へまで遺族を訪《たず》ねてくれる志はうれしく思われて、少しいざって出た。薫は大姫君に持っている愛を語り、また宮が最後に御委託の言葉のあったのなどをこまごまとなつかしい調子で語っていて、荒く強いふうなどはない人であるからうとましい気などはしないのであるが、親兄弟でない人にこうして声を聞かせ、力にしてたよるように思われるふうになるのも、父君の御在世の時にはせずとよいことであったと思うと、大姫君はさすがに苦しい気がして恥ずかしく思われるのであったが、ほのかに一言くらいの返辞を時々する様子にも、悲しみに茫然《ぼうぜん》となっているらしいことが思われるのに薫は同情していた。御簾《みす》の向こうの黒い几帳《きちょう》の透《す》き影が悲しく、その人の姿はまして寂しい喪の色に包まれていることであろうと思い、あの隙見《すきみ》をした夜明けのことと思い比べられた。

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色変はる浅茅《あさぢ》を見ても墨染めにやつるる袖《そで》を思ひこそやれ
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 これを独言《ひとりごと》のように言う薫であった。

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色変はる袖をば露の宿りにてわが身ぞさらに置き所なき
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 はずるる糸は(侘《わ》び人の涙の玉の緒とぞなりぬる)とだけ、あとの声は消えたまま非常に悲しくなったふうで奥へはいったことが感じられた。それをひきとめて話し続けうるほどの親しみは見せがたい薫は、身にしむ思いばかりをしていた。老いた弁が極端に変わった代理役に出て来て、古い昔のこと、最近に昔となった宮のことを混ぜていずれも悲しい思いを薫に与える話ばかりをした。自身にかかわる夢のような古い秘密に携わった女であったから、醜く衰えた女と毛ぎらいもせず薫は親しく向き合っているのであった。
「私は幼年時代に院とお別れした不幸な者で、悲しいものは人生だとその当時から身にしみ渡るほど思い続けているのですから、大人《おとな》になっていくにしたがって進んでいく官位や、世間から望みをかけられていることなどはうれしいこととも思われないのです。私の願うのはこうした静かな場所に閑居のできることでしたから、八の宮の御生活がしっくり私の理想に合ったように思って近づきたてまつったのですが、こんなふうに悲しく一生をお終わりになったので、また人生をいとわしいものに思うことが深くなったのです。しかしあとの御遺族のことなどを申し上げるのは失礼ですが、自分が生きていくのに努力してでも御遺言をまちがいなく遂行したい心に今はなっています。なぜ私が努力を要するかと言いますと、思いも寄らぬ昔話をあなたがお聞かせになったものですから、いっそうこの世に跡を残さない身になりたい欲求が大きくなったのです」
 と、薫の泣きながら言うのを聞いている弁はまして大泣きに泣いて、言葉も出しえないふうであった。薫の容姿には柏木《かしわぎ》の再来かと思われる点があったから、年月のたつうちに思い紛れていた故主のことがまた新しい悲しみになってきて、弁は涙におぼれていた。この女は柏木の大納言の乳母《めのと》の子であって、父はここの女王たちの母夫人の母方の叔父《おじ》の左中弁で、亡くなった人だったのである。長い間|田舎《いなか》に行っていて、宮の夫人もお亡くなりになったのち、昔の太政大臣家とは縁が薄くなってしまい、八の宮が夫人の縁でお呼び寄せになった人なのである。身分もたいした者でなく、奉公ずれのしたところもあるが、賢い女であるのを宮はお認めになって、姫君たちのお世話役にしてお置きになったのである。柏木の大納言と女三《にょさん》の宮《みや》に関したことは、長い月日になじんで何の隠し事もたいていは持たぬ姫君たちにも今まで秘密を打ち明けて言ってはなかったのであるが、薫は、老人は問わず語りをするものになっているのであるから、普通の世間話のような誇張は混ぜて言わなかったまでも、あの貴女《きじょ》らしい貴女の二人は知っているのであるかもしれぬと想像されるのが残念でもあり、また気の毒な者に自分を思わせていることがすまぬようにも思われたりもした。こんなことによっても女王の一人を自分は得ておかないではならぬという心を薫に持たせることになるかもしれない。
 女ばかりの家族の所へ泊まって行くこともやましい気がして、帰ろうとしながらも薫は、これが最終の会見になるかもしれぬと八の宮がお言いになった時、近い日のうちにそんなことになるはずもないという誤った自信を持って、それきりお訪《たず》ねすることなしに宮をお失いした、それも秋の初めで、今もまだ秋ではないか、多くの日もたたぬうちに、どこの世界へお行きになったかもわからぬことになるとははかないことではないかと歎かれた。
 別段普通の貴人めいた装飾がしてあるのでもなく簡素にお住まいをしておいでになったが、いつも浄《きよ》く掃除《そうじ》の行き届いた山荘であったのに、荒法師たちが多く出入りして、ちょっとした隔ての物を立てて臨時の詰め所をあちこちに作っているような家に今はなっていた。念誦《ねんず》の室《へや》の飾りつけなどはもとのままであるが、仏像は向かいの山の寺のほうへ近日移されるはずであるということを聞いた薫は、こんな僧たちまでもいなくなったあとに残る女王たちの心は寂しいことであろうと思うと、胸さえも痛くなって、その人たちが憐《あわ》れまれてならない。
「もう非常に暗い時刻になりました」
 と従者が告げて来たために、外をながめていた所から立ち上がった時に雁《かり》が啼《な》いて通った。

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秋霧の晴れぬ雲井にいとどしくこの世をかりと言ひ知らすらん
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 薫の歌である。
 兵部卿《ひょうぶきょう》の宮に薫がお逢《あ》いする時にはいつも宇治の姫君たちが話題の中心になった。反対されるかもしれぬ父君の親王もおいでにならなくなって、結婚はただ女王の自由意志で決まるだけであると見ておいでになって、宮は引き続き誠意を書き送っておいでになった。女のほうではこの相手に対しては短いお返事も書きにくいように思っていた。好色な風流男というお名が拡《ひろ》まっていて、好奇心からいいようにばかり想像をしておいでになる方へ、はなやかな世間とは没交渉のような侘《わ》び居をするものが、出す返事などはどんなに時代おくれなものと見られるかしれぬと歎《たん》じているのであった。
 いつとなくたってしまうのは月日でないか、人生のはかなさ脆《もろ》さを知りながらも、自分らに悲しい日の近づいているものとも知らずに、ただ一般的に頼みがたいものは人生であるとしていて、親子三人が別々な時に死ぬるものともせず、滅ぶのはいっしょであるような妄想《もうそう》を持ち、それをまた慰めにもしていた過去を思ってみても幸福な世を自分らは持っていたのではないが、父君がおいでになるということによって、何とない安心が得られ、他から威《おど》す者もない、他を恐れることもないとして生きていた、それが今日では風さえ荒い音をして吹けば心がおびえるし、平生見かけない人たちが幾人も門をはいって来て案内を求める声を聞けばはっと思わせられもするし、恐ろしく情けないことの多くなったのは堪えられぬことであると、涙の中で姉妹《きょうだい》が語り合っているうちにその年も暮れるのであった。
 雪や霰《あられ》の多いころはどこでもはげしくなる風の音も、今はじめて寂しい恐ろしい山住みをする身になったかのごとく思って宇治の姫君たちは聞いていた。女房らが話の中で、
「いよいよ年が変わりますよ。心細い悲しい生活が改まるような春の来ることが待たれますよ」
 などと言っているのが聞こえる。何かに希望をつないでいるらしい。そんな春は絶対にないはずであると姫君たちは思っていた。宮が時々念仏におこもりになったために、向かいの山寺に人の出はいりすることもあったのであるが、阿闍梨《あじゃり》も音問《おとずれ》の使いはおりおり送っても、宮のおいでにならぬ山荘へ彼自身は来てもかいのないこととして顔を見せない。時のたつにつれて山荘の人の目にはいる人影は少なくなるばかりであった。気にとまらなかった村民などさえもたまさかに訪《たず》ねてくれる時はうれしく思うようになった。寒い日に向かうことであるから燃料の枝とか、木の実とかを拾い集めてささげる山の男もあった。阿闍梨の寺から炭などを贈って来た時に、
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年々のことになっておりますのが、ただ今になりまして中絶させますのは寂しいことですから。
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 という挨拶《あいさつ》があった。冬季の僧たちのために、必ず毎年綿入れの衣服類を宮が寺へ納められたのを思い出して、女王もそれらの品々を使いに託した。荷を運んで来た僧や子供侍が向かいの山の寺へ上がって行く姿が見え隠れに山荘から数えられた。雪の深く積もった日であった。泣く泣く姫君は縁側の近くへ出て見送っていたのである。宮はたとい出家をあそばされても、生きてさえおいでになればこんなふうに使いが常に往来《ゆきき》することによって自分らは慰められたであろう、どんなに心細い日を送っても、また父君にお逢《あ》いのできる日はあったはずであるなどと二人は語り合って、大姫君、

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君なくて岩のかけ道絶えしより松の雪をも何とかは見る
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 中の君、

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奥山の松葉に積もる雪とだに消えにし人を思はましかば
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 消えた人でない雪はまたまた降りそって積もっていく、うらやましいまでに。
 薫《かおる》は新年になれば事が多くて、行こうとしても急には宇治へ出かけられまいと思って山荘の姫君がたを訪《たず》ねてきた。雪の深く降り積もった日には、まして人並みなものの影すら見がたい家に、美しい風采《ふうさい》の若い高官が身軽に来てくれたことは貴女たちをさえ感激させたのであろう、平生よりも心を配って客の座の設けなどについて大姫君は女房らへ指図《さしず》を下していた。喪の黒漆でない火鉢《ひばち》を、しまいこんだ所から取り出して塵《ちり》を払いなどしながらも、女房は亡き宮がこの客をどのように喜んでお迎えになったかというようなことを姫君に申しているのであった。みずから出て話すことはなお晴れがましいこととして姫君は躊躇《ちゅうちょ》していたが、あまりに思いやりのないように薫のほうでは思うふうであったから、しかたなしに物越しで相手の言葉を聞くことになった。打ち解けたとまではいわれぬが、前の時分よりは少し長く続けた言葉で応答をする様子に、不完全なところのない貴女らしさが見えた。こうした性質の交際だけでは満足ができぬと薫は思い、これはやや突然な心の動き方である、人は変わるものである、本来の自分はそうした方面へ進むはずではないのであるが、どうなっていくことかなどと自己を批判していた。
「兵部卿の宮が、私に御自身への同情心が欠けていると恨んでおられることがあるのです。故人の宮様が、姫君がたについて私への最後のお言葉などを、何かのついでに申し上げたのかもしれません。また女性に興味をお持ちになるお心から想像をたくましくあそばしての恋であるかもしれません。私が女王《にょおう》がたにこの御縁談を取りなして成功させるだけの好意を示すべきであるのに、こちらでは御冷淡な態度をおとり続けになりますので、私がかえって妨げをしているのではないかというふうにたびたび仰せられるものですから、そうしましたことは私のしたいと思うことではありませんが、また御紹介しておつれ申し上げるくらいを断然お断わりするというふうにもまいらないのです。どうしてお手紙などをそう御冷淡にお扱いになるのでしょう。好色な方のように世間では言うようですが、普通に恋を漁《あさ》る方ではありません。女に対して一つの見識を立てておいでになる方ですよ。遊戯的に手紙をおやりになる相手があさはかで、たやすく受け入れようとするのなどは軽蔑《けいべつ》して接近されるようなこともないという話です。何事の上にも自意識が薄くてなるにまかせている人は他から勧められるままに結婚もして、欠点が目について気に入らぬところはあっても、これが運命なのであろう、今さらしかたがないと我慢して済ますでしょうから、かえってほかから見てまじめな移り気のない男に見えもするでしょう。しかしそうでない場合もあって、男はそのために身を持ちくずし、一方は捨てられた妻で終わるという悲惨なことにもなるのです。お心を惹《ひ》く点の多い女性にお逢《あ》いになって、その女性が宮をお愛しするかぎりは軽々しく初めに変わった態度をおとりになるような恐れのない方だと私は思っています。だれもよく観察申し上げないようなことも私だけは細かくお知り申し上げている宮です。もし似合わしい御縁だと思召すようでしたら、私はこちらの者としてできるだけのことを御新婦のためにいたしましょう。ただ道が遠い所ですから奔走する私の足が痛くなることでしょう」
 忠実に話し続ける薫の言葉を聞いていて、これを自分の問題であるとは思わぬ大姫君は、姉として年長者らしい、母代わりのよい挨拶《あいさつ》がしたいと思うのであったが、その言葉が見つからないままに、
「何とも申し上げることはございません。一つのことをあまり熱心にお話しなさいますものですから、私は戸惑いをして」
 と笑ってしまったのもおおようで、美しい感じを相手に受け取らせた。
「あなたの問題として御判断を願っていることではございません。そちらは雪の中を分けてまいりました志だけをお認めになっていただけばよろしいのです。先ほどの話は姉君としてお考えおきください。宮の対象にあそばされる方はまた別の方のようです。御手跡の主の不分明な点についてのお話も少し承ったことがあるのですが、あちらへのお返事はどちらの女王様がなさっていらっしゃいますか」
 と薫は尋ねていた。よくも自分が戯れにもお相手になってそののちの手紙を書くことをしなかった、それはたいしたことではないが、こんなことを言われた際に、どれほど恥ずかしいかもしれないからと大姫君は思っていても、返辞はできないで、

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雪深き山の桟道《かけはし》君ならでまたふみ通ふ跡を見ぬかな
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 こう書いて出すと、
「釈明のお言葉を承りますことはかえって私としては不安です」
 と薫は言って、

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「つららとぢ駒《こま》踏みしだく山河《やまかは》を導《しる》べしがてらまづや渡らん
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 それが許されましたなら影さえ見ゆる(浅香山影さへ見ゆる山の井の浅くは人をわれ思《も》はなくに)の歌の深い真心に報いられるというものです」
 といどむふうを見せた。思わぬ方向に話の転じてきたことから大姫君はやや不快になって返辞らしい返辞もしない。俗界から離れた聖人のふうには見えぬが、現代の若い人たちのように気どったところはなく、落ち着いた気安さのある人らしいと大姫君は薫を見ていた。若い男はそうあるべきであると思うとおりの人のようであった。言葉の引っかかりのできる時々に、ややもすれば薫は自身の恋を語ろうとするのであるが、気づかないふうばかりを相手が作るために気恥ずかしくて、それからは八の宮の御在世になったころの話をまじめにするようになった。
 日が暮れたならば雪は空も見えぬまでに高くなるであろうと思う従者たちは、主人の注意を促す咳《せき》払いなどをしだしたために、帰ろうとして薫は、
「何たる寂しいお住居《すまい》でしょう。全然山荘のような静かな家を私は別に一つ持っておりまして、うるさく人などは来ない所ですが、そこへ移ってみようかとだけでも思ってくださいましたらどんなにうれしいでしょう」
 こんなことを女王に言っていた。けっこうなお話であると、片耳に聞いて笑顔《えがお》を見せる女房のあるのを、醜い考え方をする人たちである、そんな結果がどうして現われてこようと、姫君は見もし聞きもしていた。
 菓子などが品よく客に供えられ、従者たちへは体裁のいい酒肴《しゅこう》が出された。いつぞや薫からもらった衣服の芳香を持ちあぐんだ宿直《とのい》の侍も鬘髭《かずらひげ》といわれる見栄《みえ》のよくない顔をして客の取り持ちに出ていた。こんな男だけが守護役を勤めているのかと薫は見て、前へ呼んだ。
「どうだね。宮がおいでにならなくなって心細いだろうが、よく勤めをしていてくれるね」
 と優しく慰めてやった。悲しそうな顔になって髭男《ひげおとこ》は泣き出した。
「何の身寄りも助け手も持たない私でございまして、ただお一方のお情けでこの宮に三十幾年お世話になっております。若い時でさえそれでございましたから、今日になりましてはましてどこを頼みにして行く所がございましょう」
 こんな話をするので、ますますみじめに見える髭男であった。
 宮のお居間だったお座敷の戸を薫があけてみると、床には塵《ちり》が厚く積もっていたが、仏だけは花に飾られておわしました。姫君たちが看経《かんきん》したあとと思われる。畳などは皆取り払われてあるのであった。御自分に出家の遂げられる日があったならと、それに薫が追随して行くことをお許しになったことなどを思い出して、

[#ここから2字下げ]
立ち寄らん蔭《かげ》と頼みし椎《しひ》が本《もと》むなしき床になりにけるかな
[#ここで字下げ終わり]

 と歌い、柱によりかかっている薫《かおる》を、若い女房などはのぞき見をしてほめたたえていた。
 この近くの薫の領地の用を扱っている幾つかの所へ馬の秣《まぐさ》などを取りにやると、主人は顔も知らぬような田舎《いなか》男がおおぜい隊をなさんばかりにして山荘にいる薫へ敬意を表しに来た。見苦しいことであると薫は思ったのであるが、髭男を取り次ぎにして命じることだけを伝えさせた。この邸《やしき》のために今夜も用を勤めるようにと荘園の者へ言い置かせて薫は山荘を出た。
 一月にはもう空もうららかに春光を見せ、川べりの氷が日ごとに解けていくのを見ても、山荘の女王たちはよくも今まで生きていたものであるというような気がされて、なおも父宮の御事が偲ばれた。あの阿闍梨《あじゃり》の所から、雪解《ゆきげ》の水の中から摘んだといって、芹《せり》や蕨《わらび》を贈って来た。斎《きよ》めの置き台の上に載せられてあるのを見て、山ではこうした植物の新鮮な色を見ることで時の移り変わりのわかるのがおもしろいと女房たちが言っているのを、姫君たちは何がおもしろいのかわからぬと聞いていた。

[#ここから2字下げ]
君が折る峰のわらびと見ましかば知られやせまし春のしるしも
雪深き汀《みぎは》の小芹《こぜり》誰《た》がために摘みかはやさん親無しにして
[#ここで字下げ終わり]

 二人はこんなことを言い合うことだけを慰めにして日を送っていた。薫からも匂宮《におうみや》からも春が来れば来るで、おりを過ぐさぬ手紙が送られる。例のようにたいしたことも書かれていないのであるから、話を伝えた人も、それらの内容は省いて語らなかった。
 兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は春の花盛りのころに、去年の春の挿頭《かざし》の花の歌の贈答がお思い出されになるのであったが、その時のお供をした公達《きんだち》などの河《かわ》を渡ってお訪《たず》ねした八の宮の風雅な山荘を、宮が薨去《こうきょ》になってあれきり見られぬことになったのは残念であると口々に話し合っていた時にも、宮のお心は動かずにいるはずもなかった。

[#ここから2字下げ]
つてに見し宿の桜をこの春に霞《かすみ》隔てず折りて挿頭《かざ》さん
[#ここで字下げ終わり]

 積極的なこんなお歌が宮から贈られた時に、思いも寄らぬことを言っておいでになるとは思ったが、つれづれな時でもあったから、美しい文字で書かれたものに対し、表面の意にだけむくいる好意をお示しして、

[#ここから2字下げ]
いづくとか尋ねて折らん墨染めに霞こめたる宿の桜を
[#ここで字下げ終わり]

 とお返しをした。中姫君である。いつもこんなふうに遠い所に立つものの態度を変えないのを宮は飽き足らずに思っておいでになった。こうしたお気持ちのつのっている時にはいつも中納言をいろいろに言って責めも恨みもされるのである。おかしく思いながらも、ひとかどの後見人顔をして、
「浮気《うわき》な御行跡が私の目につく時もございますからね。そうした方であってはと将来が不安でならなくなるのでございましょう」
 などと申すと、
「気に入った人が発見できない過渡時代だからですよ」
 宮はこんな言いわけをあそばされる。
 右大臣は末女《すえむすめ》の六の君に何の関心もお持ちにならぬ宮を少し怨《うら》めしがっていた。宮は親戚《しんせき》の中でのそれはありきたりの役まわりをするにすぎないことで、世間体もおもしろくないことである上に、大臣からたいそうな婿扱いを受けることもうるさく、蔭《かげ》でしていることにも目をつけてかれこれと言われるのもめんどうだから結婚を承諾する気にはなれないのであるとひそかに言っておいでになって、以前から予定されているようでありながら実現する可能性に乏しかった。
 その年に三条の宮は火事で焼けて、入道の宮も仮に六条院へお移りになることがあったりして、薫は繁忙なために宇治へも久しく行くことができなかった。まじめな男の心というものは、匂宮などの風流男とは違っていて、気長に考えて、いずれはその人をこそ一生の妻とする女性であるが、あちらに愛情の生まれるまでは力ずくがましい結婚はしたくないと思い、故人の宮への情誼《じょうぎ》を重く考える点で女王《にょおう》の心が動いてくるようにと願っているのであった。
 その夏は平生よりも暑いのをだれもわびしがっている年で、薫も宇治川に近い家は涼しいはずであると思い出して、にわかに山荘へ来ることになった。朝涼のころに出かけて来たのであったが、ここではもうまぶしい日があやにくにも正面からさしてきていたので、西向きの座敷のほうに席をして髭侍《ひげざむらい》を呼んで話をさせていた。
 その時に隣の中央の室《へや》の仏前に女王たちはいたのであるが、客に近いのを避けて居間のほうへ行こうとしているかすかな音は、立てまいとしているが薫の所へは聞こえてきた。このままでいるよりも見ることができるなら見たいものであると願って、こことの間の襖子《からかみ》の掛け金の所にある小さい穴を以前から薫は見ておいたのであったから、こちら側の屏風《びょうぶ》は横へ寄せてのぞいて見た。ちょうどその前に几帳《きちょう》が立てられてあるのを知って、残念に思いながら引き返そうとする時に、風が隣室とその前の室との間の御簾《みす》を吹き上げそうになったため、
「お客様のいらっしゃる時にいけませんわね、そのお几帳をここに立てて、十分に下を張らせたらいいでしょう」
 と言い出した女房がある。愚かしいことだとみずから思いながらもうれしさに心をおどらせて、またのぞくと、高いのも低いのも几帳は皆その御簾ぎわへ持って行かれて、あけてある東側の襖子から居間へはいろうと姫君たちはするものらしかった。その二人の中の一方が庭に向いた側の御簾から庇《ひさし》の室越《まご》しに、薫の従者たちの庭をあちらこちら歩いて涼をとろうとするのをのぞこうとした。濃い鈍《にび》色の単衣《ひとえ》に、萱草《かんぞう》色の喪の袴《はかま》の鮮明な色をしたのを着けているのが、派手《はで》な趣のあるものであると感じられたのも着ている人によってのことに違いない。帯は仮なように結び、袖口《そでぐち》に引き入れて見せない用意をしながら数珠《じゅず》を手へ掛けていた。すらりとした姿で、髪は袿《うちぎ》の端に少し足らぬだけの長さと見え、裾《すそ》のほうまで少しのたるみもなくつやつやと多く美しく下がっている。正面から見るのではないが、きわめて可憐《かれん》で、はなやかで、柔らかみがあっておおような様子は、名高い女一《にょいち》の宮《みや》の美貌《びぼう》もこんなのであろうと、ほのかにお姿を見た昔の記憶がまたたどられた。いざって出て、
「あちらの襖子は少しあらわになっていて心配なようね」
 と言い、こちらを見上げた今一人にはきわめて奥ゆかしい貴女《きじょ》らしさがあった。頭の形、髪のはえぎわなどは前の人よりもいっそう上品で、艶《えん》なところもすぐれていた。
「あちらのお座敷には屏風《びょうぶ》も引いてございます。何もこの瞬間にのぞいて御覧になることもございますまい」
 と安心しているふうに言う若い女房もあった。
「でも何だか気が置かれる。ひょっとそんなことがあればたいへんね」
 なお気がかりそうに言って、東の室《ま》へいざってはいる人に気高《けだか》い心憎さが添って見えた。着ているのは黒い袷《あわせ》の一|襲《かさね》で、初めの人と同じような姿であったが、この人には人を惹《ひ》きつけるような柔らかさ、艶《えん》なところが多くあった。また弱々しい感じも持っていた。髪も多かったのがさわやいだ程度に減ったらしく裾のほうが見えた。その色は翡翠《ひすい》がかり、糸を縒《よ》り掛けたように見えるのであった。紫の紙に書いた経巻を片手に持っていたが、その手は前の人よりも細く痩《や》せているようであった。立っていたほうの姫君が襖子の口の所へまで行ってから、こちらを向いて何であったか笑ったのが非常に愛嬌《あいきょう》のある顔に見えた。

椎が本 版本说明

底本:「全訳源氏物語 下巻」角川文庫、角川書店
   1972(昭和47)年2月25日改版初版発行
   1995(平成7)年5月30日40版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月10日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:kompass
2004年3月21日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

49 総角

[#地から3字上げ]心をば火の思ひもて焼かましと願ひき
[#地から3字上げ]身をば煙にぞする     (晶子)

 長い年月|馴《な》れた河風《かわかぜ》の音も、今年の秋は耳騒がしく、悲しみを加重するものとばかり宇治の姫君たちは聞きながら、父宮の御一周忌の仏事の用意をしていた。大体の仕度《したく》は源中納言と山の御寺《みてら》の阿闍梨《あじゃり》の手でなされてあって、女王《にょおう》たちはただ僧たちへ出す法服のこと、経巻の装幀《そうてい》そのほかのこまごまとしたものを、何がなければ不都合であるとか、何を必要とするとかいうようなことを周囲の女たちが注意するままに手もとで作らせることしかできないのであったから、薫《かおる》のような後援者がついておればこそ、これまでに事も運ぶのであるがと思われた。
 薫は自身でも出かけて来て、除服後の姫君たちの衣服その他を周到にそろえた贈り物をした。その時に阿闍梨も寺から出て来た。二人の姫君は名香《みょうこう》の飾りの糸を組んでいる時で、「かくてもへぬる」(身をうしと思ふに消えぬものなればかくてもへぬるものにぞありける)などと言い尽くせぬ悲しみを語っていたのであるため、結び上げた総角《あげまき》(組み紐の結んだ塊《かたまり》)の房《ふさ》が御簾《みす》の端から、几帳《きちょう》のほころびをとおして見えたので、薫はそれとうなずいた。
「自身の涙を玉に貫《さ》そうと言いました伊勢《いせ》もあなたがたと同じような気持ちだったのでしょうね」
 こうした文学的なことを薫が言っても、それに応じたようなことで答えをするのも恥ずかしくて、心のうちでは貫之《つらゆき》朝臣《あそん》が「糸に縒《よ》るものならなくに別れ路《ぢ》は心細くも思ほゆるかな」と言い、生きての別れをさえ寂しがったのではなかったかなどと考えていた。御仏《みほとけ》への願文を文章博士《もんじょうはかせ》に作らせる下書きをした硯《すずり》のついでに、薫は、

[#ここから2字下げ]
あげまきに長き契りを結びこめ同じところに縒《よ》りも合はなん
[#ここで字下げ終わり]

 と書いて大姫君に見せた。またとうるさく女王は思いながらも、

[#ここから2字下げ]
貫《ぬ》きもあへずもろき涙の玉の緒に長き契りをいかが結ばん
[#ここで字下げ終わり]

 と返しを書いて出した。「逢はずば何を」(片糸をこなたかなたに縒りかけて合はずば何を玉の緒にせん)と薫は歎かれるのであるが、自身のことを正面から言うことはできずに、洩《も》らす溜息《ためいき》に代える程度により口へ出しえないのは、姫君のあまりに高貴な気に打たれてしまうことが多いからであった。それで兵部卿《ひょうぶきょう》の宮と中の君の縁組みのことを熱心なふうに言い出した。
「それほど深くお思いになるのでなく好奇心をお働かせになることが多くて、お申し込みになったのを、冷淡にお扱われになるために、負けぬ気を出しておいでになるだけではないかと、私は考えもしまして、いろいろにして御様子を見ていますが、どうも誠心誠意でお始めになった恋愛としか思われません。それをどうしてただ今のようなふうにばかりこちらではお扱いになるのでしょう。ものの判断がおできにならぬほどの少女ではおられない聡明《そうめい》なあなたの御意見をよく伺いたいと私は思っているのですが、いつまでも御相談相手にしてくださいませんのは、私の純粋な信頼をおくみいただけない、恨めしいことだと思っています。可否だけでも言ってくださいませんか」
 薫はまじめであった。
「あなたの御親切に感謝しておりますればこそ、こんなにまで世間に例のございませんほどにもお親しくおつきあい申し上げているのでございます。それがおわかりになりませんのは、あなたのほうに不純な点がおありになるのではないかと疑われます。少女でもないとおっしゃいますが、実際こんな寄るべない身の上になっていましては、ありとあらゆることを普通の人であれば考え尽くしていなければなりませんのに、どんなことにも幼稚で、ことに今のお話のようなことは、宮が生きておいでになりましたころにも、こんな話があればとかそうであればとか将来の問題としてほかの話の中ででもおっしゃらなかったことでしたから、やはり宮様のお心は、私たちはただこのままで、他の方のような結婚の幸福というようなことは念頭に置かずに一生を過ごすようにとお考えになったに違いないとそう思っているものですから、兵部卿の宮様のことにつきましても可否の言葉の出しようがないのでございます。けれど妹は若くて、こうした山陰《やまかげ》に永久に朽ちさせてしまうのがあまりに心苦しゅうございましてね、なにも私と同じ道を取らずともよいはずであるとも考えられまして、ほかのほうのことも空想いたしますが、どんな運命が前途にありますことか」
 と言って、物思わしそうに大姫君の歎息をするのが哀れであった。中の君の結婚談にもせよはっきりと年長者らしく、若い貴女は縁組みの話の賛否を言い切りうるはずはないのである、と同情した薫は、別の所で例の老女の弁を呼び出して、
「以前は宮様を仏道の導きとしてお訪《たず》ねしていたものですが、お心細くお見えになるようになった御|薨去《こうきょ》前になって、お二方の将来のことを私の計らいに任せるというような仰せがあったのですよ。ところが宮様の御希望あそばしたようになろうとは姫君がたはお思いにならないで、限りなくささげる尊敬と熱情を無視されるのですから、何か別に対象とあそばされる人があるのではないかという疑いとでもいうようなものが私の心に起こってきましたよ。あなたは世間で言っていることも聞いておいでになるでしょう、変わった性情から私は人間並みに結婚をしようというような考えは全然捨てていたものでした。それが宿命というものなのでしょうか、こちらの姫君に心をお惹《ひ》かれすることになって、今ではもう世間の噂《うわさ》にも上っているだろうと思われるまでになっているのですから、できることなら宮様の御遺志にもかなう結果を生じさせたいと私の思うのは、勝手なことかはしれませんが、だれからも批難をされないでいいことかと思う。例のあることだしね」
 と薫は話し続け、また、
「兵部卿の宮様のことも、私がお勧めしている以上は安心して御承諾くだすっていいものを、そうでないのはお二方の女王様にそれぞれ別なお望みがあるのではないのですか。あなたからでもよく聞きたいものですよ。ねえ、どんなお望みがあるのだろう」
 とも、物思わしそうにして言うのであった。こんな時によくない女房であれば、姫君がたを批難したり、自身の立場を有利にしようとしたり試みるものであるが、弁はそんな女ではなかった。心の中では二人の女王の上にこの縁がそれぞれ成立すればどんなにいいであろうとは思っているのであるが、
「初めからそんなふうに少し変わった御性格なのでございますからね。どうして、どうしてほかの方を対象にお考えなどなさるものでございますか。女房なども宮様のおいでになりました当時と申しても何の頼もしいところのある親王家ではなかったのですから、わが身を犠牲にしますのを喜びません人たちは、それぞれに相当な行く先を作ってお暇をとってまいるのでございましてね。昔のいろいろな関係で切るにも切られぬ主従の御縁のある人でも、こんなにだれもが出て行ってしまいますのを見ておりましては、しばらくでも残っているのがいやでならぬふうを見せましてね、そしてまたその人たちは姫君がたに、『宮様の御在世中はお相手によって尊貴なお家を傷つけるかと御遠慮もあそばしたでしょうが、お心細いお二人きりにおなりになったのですもの、どんな結婚でもなすったらいいはずです、それをとやかくと言う人はもののわからぬ人間だとかえって軽蔑あそばしたらいいのです、どうしてこんなふうにばかりしておいでになることができますか、松の葉を食べて行をするという坊様たちでさえ、生きんがために都合のよい一派一派を開いていくものでございますから』などと、こんないやなことを申しましてね、若い姫君がたのお心を苦しめまして利己的に媒介者になろうといたしますが、女王様はそんな浮薄な言葉にお動きになるような方がたではございません。お妹様だけには人並みな幸福を得させたいとお考えになっているようでございます。こうした路《みち》のたいへんな所へ御訪問をお欠かしあそばさないあなた様の御好意は長い年月の間によくおわかりになっていらっしゃることでもございますし、ただ今になりましてはことさらあなた様のあたたかい御|庇護《ひご》のもとにいらっしゃるわけでございますからね。大姫君は中の君様をお望みになればとそう希《ねが》っていらっしゃるらしゅうございます。兵部卿の宮様からお手紙は始終おいただきになるのですが、それは誠意のある求婚者だとも認めておられないようでございます」
 弁は姫君の意志を伝えようとしただけである。
「宮様の御遺言を身に沁《し》んで承った私は、生きているかぎりこちらのお世話を申し上げる義務があると思うのですから、両女王のどなたでもお許しくだされば結婚してもいいわけですが、同じことのようで、しかも姫君が中姫君のために私を撰《えら》んでくださいましたことはうれしいことですが、ともかくも私が捨てたい世にただ一つ深く心の惹かれる感じを味わい、また死後までもこの思いは残ろうと思った方から、ほかの方へ愛を移すことはできるものでありませんよ。改めて心をそう持とうとしても無理なことです。私の望むところは世間並みの恋の成立ではありません。ただ今のようなふうに何かを隔てたままでも、何事に限らず話し合う相手にいつまでもなっていていただきたいだけです。私には姉妹《きょうだい》などでそうした間柄になりうるような人もなくて寂しいのですよ。人生の身にしむ点も、おもしろいことも、困ることも、その時その時ただ一人で感じているだけであるのが物足りないのです。中宮《ちゅうぐう》はあまりに御身分が高過ぎて、なれなれしく私の思うとおりのことを何から何まで申し上げられないし、三条の宮様は母とも思われぬ若々しいお気持ちの方ではありましても、子は子の分があって、どんな話も申し上げるというわけにはゆきません。そのほかの女性というものはすべて皆私には遠い遠い所にいるとしか考えられませんで、私にいつも孤独の感を覚えています。心細いのですよ。その場かぎりの戯れ事でも恋愛に関したことはまぶしい気がして、人から見れば見苦しい頑固《がんこ》な男になっているのです。まして深く恋しく思う方にはそれをお話しすることも困難なことに思われます。恨めしく思ったり、悲しんだりしている恋の悶《もだ》えもお知らせすることができなくて、われながら変わった生まれつきが憎まれます。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮のことも私がお受け合いする以上は不安もなかろうと思って任せてくだすってよさそうなものですがね」
 こんなことを薫《かおる》は言っていた。老いた弁もまたこの心細い身の上の姫君たちに上もない二つの縁が成立するようにとは切に願うところであったが、二|女王《にょおう》ともに天性の気品の高さに、自身の思うことのすべてが言われなかった。
 薫は今夜を泊まることにして姫君とのどかに話がしたいと思う心から、その日を何するとなく山川をながめ暮らした。この人の態度が不鮮明になり、何かにつけて怨《うら》みがましくものを言う近ごろの様子に、煩わしさを覚え出した姫君は、親しく語り合うことがいよいよ苦しいのであったが、その他の点では世にもまれな誠意をこの一家のために見せる薫であったから、冷ややかには扱いかねて、その夜も話の相手をする承諾はしたのであった。
 仏間と客室の間の戸をあけさせ、奥のほうの仏前には灯を明るくともし、隣との仕切りには御簾《みす》へ屏風《びょうぶ》を添えて姫君は出ていた。客の座にも灯の台は運ばれたのであるが、
「少し疲れていて失礼な恰好《かっこう》をしていますから」
 と言い、それをやめさせて薫は身を横たえていた。菓子などが客の夕餐《ゆうげ》に代えて供えられてあった。従者にも食事が出してあった。廊の座敷にあたるような部屋《へや》にその人たちは集められていて、こちらを静かにさせておき、客は女王と話をかわしていた。打ち解けた様子はないながらになつかしく愛嬌《あいきょう》の添ったふうでものを言う女王があくまでも恋しくてあせり立つ心を薫はみずから感じていた。この何でもないものを越えがたい障害物のように見なして恋人に接近なしえない心弱さは愚かしくさえ自分を見せているのではないかと、こんなことを心中では思うのであるが、素知らぬふうを作って、世間にあったことについて、身にしむ話も、おもしろく聞かされることもいろいろと語り続ける中納言であった。女王は女房たちに近い所を離れずいるように命じておいたのであるが、今夜の客は交渉をどう進ませようと思っているか計られないところがあるように思う心から、姫君をさまで護ろうとはしていず、遠くへ退いていて、御仏《みほとけ》の灯《ひ》もかかげに出る者はなかった。姫君は恐ろしい気がしてそっと女房を呼んだがだれも出て来る様子がない。
「何ですか気分がよろしくなくなって困りますから、少し休みまして、夜明け方にまたお話を承りましょう」
 と、今や奥へはいろうとする様子が姫君に見えた。
「遠く山路《やまみち》を来ました者はあなた以上に身体《からだ》が悩ましいのですが、話を聞いていただくことができ、また承ることの喜びに慰んでこうしておりますのに、私だけをお置きになってあちらへおいでになっては心細いではありませんか」
 薫はこう言って屏風《びょうぶ》を押しあけてこちらの室《へや》へ身体《からだ》をすべり入らせた。恐ろしくて向こうの室へもう半分の身を行かせていたのを、薫に引きとめられたのが非常に残念で、
「隔てなくいたしますというのはこんなことを申すのでしょうか。奇怪なことではございませんか」
 と批難の言葉を発するのがいよいよ魅力を薫に覚えしめた。
「隔てないというお気持ちが少しも見えないあなたに、よくわかっていただこうと思うからです。奇怪であるとは、私が無礼なことでもするとお思いになるのではありませんか。仏のお前でどんな誓言でも私は立てます。決してあなたのお気持ちを破るような行為には出まいと初めから私は思っているのですから、お恐れになることはありませんよ。私がこんなに正直におとなしくしておそばにいることはだれも想像しないことでしょうが、私はこれだけで満足して夜を明かします」
 こう言って、薫は感じのいいほどな灯《ひ》のあかりで姫君のこぼれかかった黒髪を手で払ってやりながら見た顔は、想像していたように艶麗《えんれい》であった。何の厳重な締まりもないこの山荘へ、自分のような自己を抑制する意志のない男が闖入《ちんにゅう》したとすれば、このままで置くはずもなく、たやすくそうした人の妻にこの人はなり終わるところであった、どうして今までそれを不安とせずに結婚を急ごうとはしなかったかとみずからを批難する気にもなっている薫であったが、言いようもなく情けながって泣いている女王が可憐《かれん》で、これ以上の何の行為もできない。こんなふうの接近のしかたでなく、自然に許される日もあるであろうとのちの日を思い、男性の力で恋を得ようとはせず、初めの心は隠して相手を上手《じょうず》になだめていた。
「こんな心を突然お起こしになる方とも知らず、並みに過ぎて親しく今までおつきあいをしておりました。喪の姿などをあらわに御覧になろうとなさいましたあなたのお心の思いやりなさもわかりましたし、また私の抵抗の役だたなさも思われまして悲しくてなりません」
 と恨みを言って、姫君は他人に見られる用意の何一つなかった自身の喪服姿を灯影《ほかげ》で見られるのが非常にきまり悪く思うふうで泣いていた。
「そんなにもお悲しみになるのは、私がお気に入らないからだと恥じられて、なんともお慰めのいたしようがありません。喪服を召していらっしゃる場合ということで私をお叱《しか》りなさいますのはごもっともですが、私があなたをお慕い申し上げるようになりましてからの年月の長さを思っていただけば、今始めたことのように、それにかかわっていなくともよいわけでなかろうかと思います。あなたが私の近づくのを拒否される理由としてお言いになったことは、かえって私の長い間持ち続けてきた熱情を回顧させる結果しか見せませんよ」
 薫はそれに続いてあの琵琶《びわ》と琴の合奏されていた夜の有明月《ありあけづき》に隙見《すきみ》をした時のことを言い、それからのちのいろいろな場合に恋しい心のおさえがたいものになっていったことなどを多くの言葉で語った。姫君は聞きながら、そんなことがあったかと昔の秋の夜明けのことに堪えられぬ羞恥《しゅうち》を覚え、そうした心を下に秘めて長い年月の間|表面《うわべ》をあくまでも冷静に作っていたのであるかと、身にしみ入る気もするのであった。薫はその横にあった短い几帳《きちょう》で御仏のほうとの隔てを作って、仮に隣へ寄り添って寝ていた。名香が高くにおい、樒《しきみ》の香も室に満ちている所であったから、だれよりも求道《ぐどう》心の深い薫にとっては不浄な思いは現わすべくもなく、また墨染めの喪服姿の恋人にしいてほしいままな力を加えることはのちに世の中へ聞こえて浅薄な男と見られることになり、自分の至上とするこの恋を踏みにじることになるであろうから、服喪の期が過ぎるのを待とう。そうしてまたこの人の心も少し自分のほうへなびく形になった時にと、しいて心をゆるやかにすることを努めた。秋の夜というものは、こうした山の家でなくても身にしむものの多いものであるのに、まして峰の嵐《あらし》も、庭に鳴く虫の声も絶え間なくてここは心細さを覚えさせるものに満ちていた。人生のはかなさを話題にして語る薫の言葉に時々答えて言う姫君の言葉は皆美しく感じのよいものであった。
 宵《よい》を早くから眠っていた女房たちは、この話し声から悪い想像を描いて皆|部屋《へや》のほうへ行ってしまった。召使は信じがたいものであると父宮の言ってお置きになったことも女王は思い出していて、親の保護がなくなれば女も男も自分らを軽侮して、すでにもう今夜のような目にあっているではないかと悲しみ、宇治の河音《かわおと》とともに多くの涙が流れるのであった。そして明け方になった。薫の従者はもう起き出して、主人に帰りを促すらしい作り咳《ぜき》の音を立て、幾つの馬のいななきの声の聞こえるのを、薫は人の話に聞いている旅宿の朝に思い比べて興を覚えていた。
 薫は明りのさしてくるのが見えたほうの襖子《からかみ》をあけて、身にしむ秋の空を二人でながめようとした。女王も少しいざって出た。軒も狭い山荘作りの家であったから、忍ぶ草の葉の露も次第に多く光っていく。室の中もそれに準じて白んでいくのである。二人とも艶《えん》な容姿の男女であった。
「同じほどの友情を持ち合って、こんなふうにいつまでも月花に慰められながら、はかない人生を送りたいのですよ」
 薫がなつかしいふうにこんなことをささやくのを聞いていて、女王はようやく恐怖から放たれた気もするのであった。
「こんなにあからさまにしてお目にかかるのでなく、何かを隔ててお話をし合うのでしたら、私はもう少しも隔てなどを残しておかない心でおります」
 と女は言った。外は明るくなりきって、幾種類もの川べの鳥が目をさまして飛び立つ羽音も近くでする。黎明《れいめい》の鐘の音がかすかに響いてきた、この時刻ですらこうしてあらわな所に出ているのが女は恥ずかしいものであるのにと女王は苦しく思うふうであった。
「私が恋の成功者のように朝早くは出かけられないではありませんか。かえってまた他人はそんなことからよけいな想像をするだろうと思われますよ。ただこれまでどおり普通に私をお扱いくださるのがいいのですよ。そして世間のとは内容の違った夫婦とお思いくだすって、今後もこの程度の接近を許しておいてください。あなたに礼を失うような真似《まね》は決してする男でないと私を信じていてください。これほどに譲歩してもなおこの恋を護《まも》ろうとする男に同情のないあなたが恨めしくなるではありませんか」
 こんなことを言っていて、薫はなおすぐに出て行こうとはしない。それは非常に見苦しいことだと姫君はしていて、
「これからは今あなたがお言いになったとおりにもいたしましょう。今朝《けさ》だけは私の申すことをお聞き入れになってくださいませ」
 と言う。いかにも心を苦しめているのが見える。
「私も苦しんでいるのですよ。朝の別れというものをまだ経験しない私は、昔の歌のように帰り路《みち》に頭がぼうとしてしまう気がするのですよ」
 薫《かおる》が幾度も歎息《たんそく》をもらしている時に、鶏もどちらかのほうで遠声ではあるが幾度も鳴いた。京のような気がふと薫にした。

[#ここから2字下げ]
山里の哀れ知らるる声々にとりあつめたる朝ぼらけかな
[#ここで字下げ終わり]

 姫君はそれに答えて、

[#ここから2字下げ]
鳥の音も聞こえぬ山と思ひしをよにうきことはたづねきにけり
[#ここで字下げ終わり]

 と言った。姫君の居間の襖子《からかみ》の口まで送って行った。そして中の間を昨夜《ゆうべ》はいった戸口から客室のほうへ出て薫は横になったが、もとより眠りは得られない。別れて来た人が恋しくて、こんなにも思われるなら今まで気長な態度がとれなかったはずであるとも歎かれて、京へ帰る気もしないのであった。
 姫君は人がどんな想像をしているかと思うのが恥ずかしくて、すぐにも枕《まくら》へつくことはできなかった。いろいろな思いが女王の胸にわく。親のない娘の心細さにつけこむような女房の取り次いでくる幾件かの縁談、その青年たちが今一歩思いやりのないことを進めた時に、自分はどうなるであろうと、心にもなく、人の妻になってしまう運命が自分を待っているのであろうと、いろいろにも考え合わせてみれば、薫は良人《おっと》として飽き足らぬところはなく、父宮も先方にその希望があればと、そんなことを時々お洩《も》らしになったようであった。けれども自分はやはり独身で通そう、自分よりも若く、盛りの美貌《びぼう》を持っていて、この境遇に似合わしくなく、いたましく見える中の君に薫を譲って、人並みな結婚をさせることができればうれしいことであろう、自分のことでなくなれば力の及ぶかぎりの世話を結婚する中の君のためにすることができよう、自分が結婚するのではだれがそうした役を勤めてくれよう、親もない、姉もない。薫が今少し平凡な男であれば、長く持ち続けられた好意に対してむくいるために、妻になる気が起きたかもしれぬ。けれどあの人はそうでない、あまりにすぐれた男である、気品が高く近づきにくいふうもあるではないか、自分には不似合いに思われてならぬ、自分は今までどおりの寂しい運命のままで一人いようと、思い続けて朝まで泣いていたあとの身体《からだ》のぐあいがよろしくなくて、中姫君の寝ている帳台の奥のほうへはいって横になった。
 昨夜は平常とは変わっておそくまで話し声がするのを怪しく思いながら、中の君は寝入ったのであったから、大姫君のこうして来たのがうれしくて、夜着を姉の上へ掛けようとした時に、高いにおいがくゆりかかるように立つのを知った。あの宿直《とのい》の侍が衣服をもらって、困りきった薫のにおいであることが思い合わされて、男の熱情と力に姉君が負けたというようなこともあったであろうかと気の毒で、それからまたよく眠りに入ったようにして何も言わなかった。
 薫は朝になってからまた老女の弁に逢《あ》いたいと呼び出して、昨日《きのう》も話した自身の気持ちをこまごまとまた語って行き、そして姫君へは礼儀的な挨拶《あいさつ》を言い入れて帰った。
 昨日は総角《あげまき》を言葉のくさびにして歌を贈答したりしていたが、催馬楽歌《さいばらうた》の「尋《ひろ》ばかり隔てて寝たれどかよりあひにけり」というようなあやまちをその人としてしまったように妹も思うことであろうと恥ずかしくて、気分が悪いということにして大姫君はずっと床を離れずにいた。女房たちは、
「もう御仏事までに日がいくらもなくなりましたのに、そのほかには小さいこともはかばかしくできる人もない時のあやにくな姫君の御病気ですね」
 などと言っていた。組紐が皆出来そろってから、中の君が来て、
「飾りの房《ふさ》は私にどうしてよいかわからないのですよ」
 と訴えるのを聞いて、もうその時にあたりも暗くなっていたのに紛らして、姫君は起きていっしょに紐結びを作りなどした。
 源中納言からの手紙の来た時、
「今朝《けさ》から身体《からだ》を悪くしておりますから」
 と取り次ぎに言わせて、返事を出さなかったのを、あまりに苦々しい態度だと譏《そし》る女たちもあった。
 喪の期が過ぎて除服をするにつけても、片時も父君のあとには生き残る命と思わなかったものが、こうまで月日を重ねてきたかと、これさえ薄命の中に数えて二人の女王《にょおう》の泣いているのも気の毒であった。一か年|真黒《まっくろ》な服を着ていた麗人たちの薄鈍《うすにび》色に変わったのも艶《えん》に見えた。姉君の思っているように、中の君は美しい盛りの姿と見えて、喪の間にまたひときわ立ちまさったようにも思われる。髪を洗わせなどした中の君の姿を大姫君はながめているだけで人生の悲しみも皆忘れてしまう気がするほどな麗容だった。姫君はすべて思うとおりな気がして、結婚して良人《おっと》に幻滅を覚えさせることはよもあるまいと頼もしくうれしくて、自身のほかには保護者のない妹君を親心になって大事がる姉女王であった。
 薫はいくぶんの遠慮がされた恋人の喪服ももう脱がれた時と思って、結婚の初めには不吉として人のきらう九月ではあったが、待ちきれぬ心でまた宇治へ行った。これまでのようにして話し合いたいと取り次ぎの女は薫の意を伝えて来るのであったが、
「不注意からまた病をしまして苦しんでいる際ですから」
 というような返事ばかりを言わせて大姫君は会おうとしなかった。
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存外にあなたは人情味に欠けた方です。女房たちが私をどう見ていることでしょう。
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 と今度は文《ふみ》に書いて薫がよこした。
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父の喪服を脱ぎました際の悲しみがずっと続きまして、かえって今のほうが深い暗さの中に沈んでおります私ですから、お話を承ることができませぬ。
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 返事はこう書いて出された。しかたのない気のする薫は、例のように弁を呼び出して、この人の力を借ろうと相談した。心細いこの山荘にいて源中納言だけを唯一の庇護者《ひごしゃ》と信じてたよる心のある女房たちは、弁からの話を聞いて、この結婚を成立させることほどよいことはないと皆言いあわせ、どんなにしても姫君の寝室へ薫を導こうと手はずを決めていた。
 姫君は女房たちがどんなことを計画しているかを深くは知らないのであるが、弁を特別な者にしてなつけている薫であるから、自分として油断のできぬ考えをしているかもしれぬ、昔の小説の中の姫君なども、自身の意志から恋の過失をしてしまうのは少ないのである、他の女房と質は違っても、弁には弁の利己心が働くはずであるからと、なんとなく今日の家の中の空気のただならぬのによって思い寄るところがあった。薫がしいて近づいて来た時には妹を自分の代わりに与えよう、目的としたものに劣っていたところで、そうして縁の結ばれた以上は軽率に捨ててしまうような性格の薫ではないのだから、ましてほのかにでも顔を見れば多大な慰めを感じるに価する妹ではないか、こんなことは話として持ち出しても、眼前に目的を変えて見せる人があるはずはない、この間から弁に言わせてもいるが、初めの志に違うなどと言って聞き入れるふうがないというのは、自分に対して今まで言っていたことが、こんなに根底の浅いものであったかと思わせることを避けているにすぎまい、とこう考えを決める姫君であったが、少しそのことを中の君に知らせておかないでその計らいをするのは仏法の罪を作ることではあるまいかと、先夜の闖入者に苦しんだ経験から妹の女王がかわいそうになり、ほかの話をした続きに、
「お亡《な》くなりになったお父様のお言葉は、たとえこうした心細い生活でも、それを続けて行かねばならぬとして、浮薄な恋愛を、感情の動くままにして、世間の物笑いになるなということでしたね。一生お父様の信仰生活へおはいりになるお妨げをしてきたその罪だけでもたいへんなのだから、せめて終わりの御訓戒にそむきたくないと私は思って、独身でいるのを心細いなどと考えないのですがね、女房たちまでむやみに気の強い女のように言って悪く見ているのは困ったものですわね。まあそう変わった人間に思われていてもいいとして、私のあなたと暮らしている月日があなたの青春をむだにしてしまうのではないかと、私はそれが始終惜しく思われてならないのですよ。気の毒でかわいそうでね。だからあなただけは普通の女らしく結婚をして、あなたの幸福を見ることで私も慰められるようになりたい気がします」
 と言うと、どんな考えがあって姉君はこんなことを言いだしたのであろうと急に情けなく中の君はなって、
「あなたお一人だけにお残しになった御訓戒だったのでしょうか。あなたほど聡明《そうめい》でない私のほうをことに気がかりにお父様は思召してのお言葉かと私は思っています。心細さはこうしていつもごいっしょにいることだけで慰めるほかに何があるでしょう」
 少し恨めしがるふうに中の君の言うのが道理に思われて姫君はかわいそうに見た。
「いいえね、女房たちが私らを頑固《がんこ》過ぎる女だと言いもし、思いもしているらしいから、いろいろとほかの道のことも考えたのですよ」
 あとはこんなふうにだけより言わなかった。日は暮れていくが京の客は帰ろうとしない。姫君は困ったことであると思っていた。弁が来て薫の言葉を伝えてから、あの人の恨むのが道理であると言葉を尽くして言うのに対して、答えもせず、歎息をしている姫君は、どうすればよい自分なのであろう、父宮さえおいでになれば、何となるにもせよ、だれの妻になるにもせよ、娘として取り扱われて、宿命というものがある人生であってみれば、自身の意志でなくとも人の妻になることもあろうし、結婚生活が不幸なことになっても、親に選ばれた良人《おっと》であるからと、そう恥を思わずにも済むであろう、周囲にいる女房は皆年を取っていて、賢げな顔をしては自身の頼まれた男との縁組みだけが最上のことのように言って勧めに来るが、そんなことがどうしてよかろう、彼女らの見る世界は狭く、その判断力は信じられないと思っている姫君は、その人たちが力で引き動かそうとせんばかりにして言うことも、いやなこととより聞かれず心の動くことはないのである。どんなことも話し合う妹の女王はこうした結婚とか恋愛とかいうことについては姫君よりもいっそう関心を持たぬようであったから、圧迫を感じる近ごろの話をしても、そう深く苦しい心境に立ち入っては来てくれないのであったから、姫君は一人で歎くほかはなかった。室《へや》の奥のほうに向こうを向いてすわっている女王の後ろでは薄鈍《うすにび》でない他のお召し物に姫君をお着かえさせるようにとか女房らが言っていて、だれもが今夜で結婚が成立するもののようにして、こそこそとその用意をするらしいのを、姫君はあさましく思っていた。皆が心を合わせてすれば、狭い山荘の内で隠れている所もないのである。
 薫はこんなふうにだれもが騒ぎ立てることを願っていず、そうした者を介在させずにいつから始まったことともなく恋の成立していくのを以前から望んでいたのであって、姫君の心が自分へ傾くことのない間はこのままの関係でよいとも思っているのであるが、老女の弁が自身だけでは足らぬように思って、他の女たちに助力を求めたために、あらわにだれもが私語することになったのである。多少洗練されたところはあっても、もともとあさはかな女であるにすぎぬ弁が、その上老いて頭の働きが鈍くなっているせいでもあろう。不快に思っていた姫君は、弁の出て来た時に、
「お亡《かく》れになりました宮様も、珍しい同情をお寄せくださる方だと始終喜んでばかりおいでになりましたし、今になっては何でも皆御親切におすがりするほかもない私たちで、例もないようなお親しみをもって御交際をしてまいりましたが、意外なお望みがまじっていまして、あなた様はお恨みになり、私は失望をいたすことになりました。人間としてはなやかな幸福を得たいと願う身でございましたら、あなた様の御好意に決しておそむきなどはいたされません。しかし、私は昔から現世のことに執着を持たぬ女だものですから、お言いくださいますことはただ苦しいばかりにしか承れないのでございます。それで思いますのは妹のことでございます。むなしくその人に青春を過ぎさせてしまうのが私として忍ばれないことに思われます。この山荘の生活も、あなた様の御好意だけで続けていかれる現状なのですから、父を御追慕してくださいますお志がございましたら、妹を私に代えてお愛しくださいませ。身は身として、心は皆妹のために与えていくつもりでございますとね。この意味をもっとあなたが敷衍《ふえん》して申し上げたらいいでしょう」
 と、恥じながらも要領よく姫君は言った。弁は同情を禁じがたく思った。
「あなた様のそういう思召《おぼしめ》しは私にもわかっているものでございますから、骨を折りまして、そうなりますようにと申し上げるのですが、どうしても自分の心をほかへ移すことはできない、中姫君と自分が結婚をすれば兵部卿《ひょうぶきょう》の宮様のお恨みも負うことになる、そちらの御縁組が成り立てばまた自分は中姫君に十分のお世話を申し上げるつもりだとおっしゃるのでございます。それもけっこうなお話なのでございますから、お二方ともそうした良縁をお得になりまして、まれな御誠意をもって奥様がたをあの貴公子様がたが御大切にあそばす時のごりっぱさは世間に類のないものになりますでございましょう。失礼な言葉ですが、こんなふうに不十分なお暮らしをあそばすのを拝見しておりますと、どうおなりになるのかと、私どもは不安で、悲しくてなりませんのにお一方様のお心持ちはまだ私はわかっておりませんでございますが、ともかくも最も高いお身分の方でいらっしゃいます。宮様の御遺言どおりにしたいと思召すのはごもっともですが、それは似合わしからぬ人が求婚者として現われてまいらぬかと、その場合を御心配あそばして仰せになりましたことで、中納言様にどちらかの女王《にょおう》様をお娶《めと》りになるお心があったなら、そのお一人の縁故で今一人の女王様のことも安心ができてどんなにうれしいだろうと、おりおり私どもへお話しあそばしたことがあるのでございますよ。どんな貴い御身分の方でも親御様にお死に別れになったあとでは、思いも寄らぬつまらぬ人と夫婦になっておしまいになるというような結果を見ますのさえたくさんに例のあることでございまして、それはしかたのないこととして、だれも噂《うわさ》にかけはいたしません。ましてこんな理想的と申しましょうか、作り事ほどに何もかものおそろいになった方で、そして御愛情が深くて、誠心誠意御結婚を望んでおいでになる方がおありになりますのに、しいてそれを冷ややかにお扱いになりまして、御遺言だからと申して、仏の道へおはいりになるようなことをなさいましても、仙人《せんにん》のように雲や霞《かすみ》を召し上がって生きて行くことはできるでございましょうか」
 とも能弁に言い続ける老女を憎いように思い、姫君はうつぶしになって泣いていた。中の君もわけはわからぬながら姉君の様子を気の毒に思ってながめていた。そしていっしょに常の夜のように寝室へはいった。
 薫が客となって泊まっている今夜であることを姫君は思うと気がかりで、どういう処置を取ろうかと考えられるのであったが、特に四方の戸をしめきってこもっておられるような所もない山荘なのであるから、中の君の上に柔らかな地質の美しい夜着を被《か》け、まだ暑さもまったく去っているという時候でもないのであるから、少し自身は離れて寝についた。
 弁は姫君の言ったことを薫に伝えた。どうしてそんなに結婚がいとわしくばかり思われるのであろう、聖僧のようでおありになった父宮の感化がしからしめるのかと、人生の無常さを深く悟っている心は、自分の内にも共通なものが見いだせる薫には、それが感じ悪くは思われない。
「ではもう物越しでお話をし合うことも今夜はしたくないという気におなりになったのだね。最後のこととして今夜だけでいいから御寝室へ私をそっと導いて行ってください」
 と中納言は言った。老女はその頼み事をよく運ばせようとして、他の女房たちを皆早く寝させてしまい、計画を知らせてある人たちとともに油断なく時の来るのを待っていた。荒い風が吹き出して簡単な蔀戸《しとみど》などはひしひしと折れそうな音をたてているのに紛れて人が忍び寄る音などは姫君の気づくところとなるまいと女房らは思い、静かに薫を導いて行った。二人の女王の同じ帳台に寝ている点を不安に思ったのであるが、これが毎夜の習慣であったから、今夜だけを別室に一人一人でとは初めから姫君に言いかねたのである。二人のどちらがどれとは薫にわかっているはずであるからと弁は思っていた。
 物思いに眠りえない姫君はこのかすかな足音の聞こえて来た時、静かに起きて帳台を出た。それは非常に迅速に行なわれたことであった。無心によく眠《ね》入っていた中の君を思うと、胸が鳴って、なんという残酷なことをしようとする自分であろう、起こしていっしょに隠れようかともいったんは躊躇《ちゅうちょ》したが、思いながらもそれは実行できずに、慄《ふる》えながら帳台のほうを見ると、ほのかに灯《ひ》の光を浴びながら、袿《うちぎ》姿で、さも来|馴《な》れた所だというようにして、帳《とばり》の垂《た》れ布を引き上げて薫ははいって行った。非常に妹がかわいそうで、さめて妹はどんな気がすることであろうと悲しみながら、ちょっと壁の面に添って屏風《びょうぶ》の立てられてあった後ろへ姫君ははいってしまった。ただ抽象的な話として言ってみた時でさえ、自分の考え方を恨めしいふうに言った人であるから、ましてこんなことを謀《はか》った自分はうとましい姉だと思われ、憎くさえ思われることであろうと、思い続けるにつけても、だれも頼みになる身内の者を持たない不幸が、この悲しみをさせるのであろうと思われ、あの最後に山の御寺《みてら》へおいでになった時、父宮をお見送りしたのが今のように思われて、堪えられぬまで父君を恋しく思う姫君であった。
 薫は帳台の中に寝ていたのは一人であったことを知って、これは弁の計っておいたことと見てうれしく、心はときめいてくるのであったが、そのうちその人でないことがわかった。よく似てはいたが、美しく可憐《かれん》な点はこの人がまさっているかと見えた。驚いている顔を見て、この人は何も知らずにいたのであろうと思われるのが哀れであったし、また思ってみれば隠れてしまった恋人も情けなく恨めしかったから、これもまた他の人に渡しがたい愛着は覚えながらも、やはり最初の恋をもり立ててゆく障害になることは行ないたくない。そのようにたやすく相手の変えられる恋であったかとあの人に思われたくない、この人のことはそうなるべき宿命であれば、またその時というものがあろう、その時になれば自分も初めの恋人と違った人とこの人を思わず同じだけに愛することができようという分別のできた薫は、例のように美しくなつかしい話ぶりで、ただ可憐な人と相手を見るだけで語り明かした。
 老いた女房はただの話し声だけのする帳台の様子に失敗したことを思い、また一人はすっと出て行ったらしい音も聞いたので、中の君はどこへおいでになったのであろうか、わけのわからぬことであるといろいろな想像をしていた。
「でも何か思いも寄らぬことがあるのでしょうね」
 とも言っていた。
「私たちがお顔を拝見すると、こちらの顔の皺《しわ》までも伸び、若がえりさえできると思うようなりっぱな御|風采《ふうさい》の中納言様をなぜお避けになるのでしょう。私の思うのには、これは世間でいう魔が姫君に憑《つ》いているのですよ」
 歯の落ちこぼれた女が無愛嬌《ぶあいきょう》な表情でこう言いもする。
「魔ですって、まあいやな、そんなものにどうして憑かれておいでになるものですか。ただあまりに人間離れのした環境に置かれておいでになりましたから、夫婦の道というようなことも上手《じょうず》に説明してあげる人もないし、殿方が近づいておいでになるとむしょうに恐ろしくおなりになるのですよ。そのうち馴《な》れておしまいになれば、お愛しになることもできますよ」
 こんなことを言う者もあってしまいには皆いい気になり、どうか都合よくいけばいいと言い言いだれも寝入ってしまった。鼾《いびき》までもかきだした不行儀な女もあった。恋人のために秋の夜さえも早く明ける気がしたと故人の歌ったような間柄になっている女性といたわけではないが、夜はあっけなく明けた気がして、薫《かおる》は女王《にょおう》のいずれもが劣らぬ妍麗《けんれい》さの備わったその一人と平淡な話ばかりしたままで別れて行くのを飽き足らぬここちもしたのであった。
「あなたも私を愛してください。冷酷な女王さんをお見習いになってはいけませんよ」
 など、またまた機会のあろうことを暗示して出て行った。自分のことでありながら限りない淡泊な行動をとったと、夢のような気も薫はするのであるが、それでもなお無情な人の真の心持ちをもう一度見きわめた上で、次の問題に移るべきであると、不満足な心をなだめながら帰って来た例の客室で横たわっていた。
 弁が帳台の所へ来て、
「お見えになりませんが、中姫君はどちらにおいでになるのでございましょう」
 と言うのを聞いて、突然なことの身辺に起こって、昨夜の幾時間かを親兄弟でもない男と共にいたという羞恥《しゅうち》心から、中の君は黙ってはいたが、どんな事情があの始末をもたらしたのであろうと考えるのであった。昨日語られたことを思い出してみると中の君の恨めしく思われるのは姉君であった。今一人の壁の中の蟋蟀《こおろぎ》は暁の光に誘われて出て来た。中の君がどう思っているだろうと気の毒で互いにものが言われない。ひどい仕向けである。今からのちもまたどんなことがしいられるかもしれぬ、姉をさえ信じることのできぬのがこの世であるかと中姫君は思いもだえていた。
 弁は客室へ行って薫から、姫君が冷酷にも閨《ねや》へ身代わりを置いて隠れてしまった話をされ、そんなだれも同情を惜しむほどな強い拒みようを姫君はされたのであるかと驚きにぼんやりとなっていた。
「今までのつめたいお扱いは、それでもまだ私に希望を捨てさせないものがあって、私には慰められるところもありましたがね、今日という今日はほんとうに恥ずかしくなってしまって、宇治川へ身も投げたい気になりましたよ。私のどんな行為の犠牲にしてもよいというように御寝所へ捨ててお置きになった女王さんのお気の毒だったことを思うと、私は今死んでしまうこともならない気がされます。妻になっていただきたいなどということはどちらの女王さんにも私はもう望まないことにしますよ。中姫君を強制的に妻にしては一生恨みの残ることになりますからね。りっぱな兵部卿の宮様からの申し込みを受けておいでになる方だから、御自身でこうと決めておいでになることもあるだろうと私は知っていますから、あの方に近づいて行こうとは思われないし、こうした恥ずかしい立場に置かれた私が、またまいって女王がたにお逢《あ》いするのははばかられます。あなたにお頼みしておくが、愚かな恋をしていた私の話をせめて女房たちにだけでも知られないように黙っていてください」
 こう恨みを告げたあとで、平生よりも早く薫は帰ってしまった。中姫君のためにも中納言のためにも気の毒な結果を作ったと弁は昨夜の仲間の人たちとささやき合った。大姫君も事情はよくわかっていないのであったから、妹の女王に薫が深い愛を覚えなかったのではあるまいかと、早く帰ったことについて胸を騒がせた、妹が哀れでもあった。すべての女房たちの仕業《しわざ》の悪かったことに基因しているのであると思った。さまざまに大姫君が煩悶《はんもん》をしている時に源中納言からの手紙が来た。平生よりもこの使いがうれしく感ぜられたのも不思議であった。
 秋を感じないように片枝は青く、半ばは濃く色づいた紅葉《もみじ》の枝に、

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おなじ枝《え》を分きて染めける山姫にいづれか深き色と問はばや
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 あれほど恨めしがっていたことも多く言わず、簡単にこの歌にしたのが手紙の内容であるのを見て、愛が確かにあるようでもなく、ただこんなふうにだけ取り扱って別れてしまう心なのであろうかと思うことで姫君が苦痛を感じている時に、だれもだれもが返事を早くと促すのを聞いて、あなたからと今日は中の君に言うのも恥じられ、自分でするのも書きにくく思い乱れていた。

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山姫の染むる心はわかねども移らふかたや深きなるらん
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 事実に触れるでもなく書かれてある総角《あげまき》の姫君の字の美しさに、やはり自分はこの人を忘れ果てることはできないであろうと薫は思った。自分の半身のような妹であるからと中の君を薦《すす》めるふうはたびたび見せられたのであるのに、自分がそれに従わないために謀《はか》ったものに違いない、その苦心をむだにした今になって、ただ恨めしさから冷淡を装っていれば初めからの願いはいよいよ実現難になるであろう、中に今まで立たせておいた老女にさえ、自分の愛の深さを見失わせることになり、浮いた恋だったとされてしまうのが残念である。何にもせよ一人の人にこれほどまでも心の惹《ひ》かれることになった初めがくやしい、ただはかないこの世を捨ててしまいたいと願っている精神にも矛盾する身になっているではないかと自分でさえ恥ずかしく思われることである、いわんや世間の浮気《うわき》者のように、その恋人の妹にまた恋をし始めるということはできないことであると薫《かおる》は思い明かした。
 次の朝の有明《ありあけ》月夜に薫は兵部卿《ひょうぶきょう》の宮の御殿へまいった。三条の宮が火事で焼けてから母宮とともに薫は仮に六条院へ来て住んでいるのであったから、同じ院内にもおいでになる兵部卿の宮の所へは始終伺うのである。宮もこの人が近く来て住み、朝夕に往来のできることで満足をしておいでになった。整然としたお住居《すまい》は前庭の草木のなびく姿も、咲く花も他の所と異なり、流れに影を置く月も絵のように見えた。薫が想像したとおりに宮はもう起きておいでになった。風が運んでくるにおいにこの特殊な人をお感じになって、お驚きになった宮は、すぐに直衣《のうし》を召し、姿を正して縁へ出ておいでになった。階《きざはし》を上がりきらぬ所に薫がすわると、宮はもっと上にともお言いにならず、御自身も欄干《おばしま》によりかかって話をおかわしになるのであった。世間話のうちに宇治のこともお言いだしになり、薫の仲介者としての熱意のなさをお恨みになったが、無理である、自分の恋をさえ遂げえないものをと薫は思っている。宇治へ行って恋人に逢いたいというふうの宮にお見えになるのを知り、平生よりもくわしく山荘の事情、妹の女王のことなどを薫はお話し申した。夜明け前のまたちょっと暗くなる時間であって、霧が立ち、空の色が冷ややかに見え、月は霧にさえぎられて木立ちの下も暗く艶《えん》な趣のあるようになった。そのために薫はまた宇治が恋しくなった。宮が、
「今度あなたが行く時に必ず誘ってください。うちやって行ってはいけませんよ」
 とお言いになっても、薫の迷惑そうにしているのを御覧になって、

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女郎花《をみなへし》咲ける大野をふせぎつつ心せばくやしめを結《ゆ》ふらん
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 とお言いになった、冗談《じょうだん》のように。

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「霧深きあしたの原の女郎花心をよせて見る人ぞ見る
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 だれでも見られるわけではありませんから」
 などと薫も言った。
「うるさいことを言うね」
 腹をたててもお見せになる宮様であった。今までから宮のこの御希望はしばしばお聞きしていたのであるが、中の君をよくは知らず、交際をせぬ薫であったから、不安さがあって、容貌《ようぼう》は御想像どおりであっても、性情などに近づいて物足りなさをお感じになることはあるまいかとあやぶんで、お聞き入れ申し上げなかったのである。思いもよらずその人に近づいたことによって、今は不安も心からぬぐわれた薫は、大姫君がわざわざ謀って身代わりにさせようとした気持ちを無視することも思いやりのないことではあるが、そのようにたやすく恋は改めうるものとは思われない心から、まずその人は宮にお任せしよう、そして女の恨みも宮のお恨みも受けぬことにしたいとこう思い決めたともお知りにならず、自分がはばんでいるようにお言いになるのがおかしかった。
「あなたには多情な癖がおありになるのですからね、結局物思いをさせるだけだと考えられますからです」
 女がたの後見者と見せて薫がこう言う。
「まあ見ていたまえ、私にはまだこんなに心の惹《ひ》かれた相手はなかったのだからね」
 宮はまじめにこう仰せられた。
「女王がたにはまだあなたさまを婿君にお迎えする心がなさそうなものですから、私の役は苦心を要するのでございますよ」
 と言って、薫は山荘へ御案内して行ってからのことをこまごまと御注意申し上げていた。
 二十六日の彼岸の終わりの日が結婚の吉日になっていたから、薫はいろいろと考えを組み立てて、だれの目にもつかぬように一人で計らい、兵部卿の宮を宇治へお伴いして出かけた。御母|中宮《ちゅうぐう》のお耳にはいっては、こうした恋の御微行などはきびしくお制しになり、おさせにならぬはずであったから、自分の立場が困ることになるとは思うのであるが、匂宮《におうみや》の切にお望みになることであったから、すべてを秘密にして扱うのも苦しかった。
 対岸のしかるべき場所へ御休息させておくことも船の渡しなどがめんどうであったから、山荘に近い自身の荘園の中の人の家へひとまず宮をお降ろしして、自身だけで女王たちの山荘へはいった。宮がおいでになったところで見とがめるような人たちもなく、宿直《とのい》をする一人の侍だけが時々見まわりに外へ出るだけのことであったが、それにも気《け》どらすまいとしての計らいであった。中納言がおいでになったと山荘の女房たちは皆緊張していた。女王《にょおう》らは困る気がせずにおられるのではないが、総角の姫君は、自分はもうあとへ退《の》いて代わりの人を推薦しておいたのであるからと思っていた。中の君は薫の対象にしているのは自分でないことが明らかなのであるから、今度はああした驚きをせずに済むことであろうと思いながらも、情けなく思われたあの夜からは、姉君をも以前ほどに信頼せず、油断をせぬ覚悟はしていた。取り次ぎをもっての話がいつまでもかわされていることで、今夜もどうなることかと女房らは苦しがった。
 薫は使いを出して兵部卿の宮を山荘へお迎え申してから、弁を呼んで、
「姫君にもう一言だけお話しすることが残っているのです。あの方が私の恋に全然取り合ってくださらないのはもうわかってしまいました。それで恥ずかしいことですが、この間の方の所へもうしばらくのちに私を、あの時のようにして案内して行ってくださいませんか」
 真実《まこと》らしく薫がこう言うと、どちらでも結局は同じことであるからと弁は心を決めて、そして大姫君の所へ行き、そのとおりに告げると、自分の思ったとおりにあの人は妹に恋を移したとうれしく、安心ができ、寝室へ行く通り路《みち》にはならぬ縁近い座敷の襖子《からかみ》をよく閉《し》めた上で、その向こうへしばらく語るはずの薫を招じた。
「ただ一言申し上げたいのですが、人に聞こえますほどの大声を出すこともどうかと思われますから、少しお開《あ》けくださいませんか。これではだめなのです」
「これでもよくわかるのですよ」
 と言って姫君は応じない。愛人を新しくする際に虚心平気でそれをするのでないことをこの人は言おうとするのであろうか、今までからこんなふうにしては話し合った間柄なのだから、あまり冷ややかにものを言わぬようにして、そして夜をふかさせずに立ち去らしめようと思い、この席を姫君は与えたのであったが、襖子の間から女の袖《そで》をとらえて引き寄せた薫は、心に積もる恨みを告げた。困ったことである、話すことをなぜ許したのであろうと後悔がされ、恐ろしくさえ思うのであるが、上手《じょうず》にここを去らせようとする心から、妹は自分と同じなのであるからということを、それとなく言っている心持ちなどを男は哀れに思った。
 兵部卿の宮は薫がお教えしたとおりに、あの夜の戸口によって扇をお鳴らしになると、弁が来て導いた。今一人の女王のほうへこうして薫を導き馴《な》れた女であろうと宮はおもしろくお思いになりながら、ついておいでになり、寝室へおはいりになったのも知らずに、大姫君は上手《じょうず》に中の君のほうへ薫を行かせようということを考えていた。おかしくも思い、また気の毒にも思われて、事実を知らせずにおいていつまでも恨まれるのは苦しいことであろうと薫は告白をすることにした。
「兵部卿の宮様がいっしょに来たいとお望みになりましたから、お断わりをしかねて御同伴申し上げたのですが、物音もおさせにならずどこかへおはいりになりました。この賢ぶった男を上手におだましになったのかもしれません。どちらつかずの哀れな見苦しい私になるでしょう」
 聞く姫君はまったく意外なことであったから、ものもわからなくなるほどに残念な気がして、この人が憎く、
「いろいろ奇怪なことをあそばすあなたとは存じ上げずに、私どもは幼稚な心であなたを御信用申していましたのが、あなたには滑稽《こっけい》に見えて侮辱をお与えになったのでございますね」
 総角《あげまき》の女王は極度に口惜《くちお》しがっていた。
「もう時があるべきことをあらせたのです。私がどんなに道理を申し上げても足りなくお思いになるのでしたなら、私を打擲《ちょうちゃく》でも何でもしてください。あの女王様の心は私よりも高い身分の方にあったのです。それに宿命というものがあって、それは人間の力で左右できませんから、あの女王さんには私をお愛しくださることがなかったのです。その御様子が見えてお気の毒でしたし、愛されえない自分が恥ずかしくて、あの方のお心から退却するほかはなかったのです。もうしかたがないとあきらめてくだすって私の妻になってくださればいいではありませんか。どんなに堅く襖子は閉《し》めてお置きになりましても、あなたと私の間柄を精神的の交際以上に進んでいなかったとはだれも想像いたしますまい。御案内して差し上げた方のお心にも、私がこうして苦しい悶《もだ》えをしながら夜を明かすとはおわかりになっていますまい」
 と言う薫は襖子をさえ破りかねぬ興奮を見せているのであったから、うとましくは思いながら、言いなだめようと姫君はして、なお話の相手はし続けた。
「あなたがお言いになります宿命というものは目に見えないものですから、私どもにはただ事実に対して涙ばかりが胸をふさぐのを感じます。何というなされ方だろうとあさましいのでございます。こんなことが言い伝えに残りましたら、昔の荒唐無稽《こうとうむけい》な、誇張の多い小説の筋と同じように思われることでしょう。どうしてそんなことをお考え出しになったのかとばかり思われまして、私たち姉妹《きょうだい》への御好意とはそれがどうして考えられましょう。こんなにいろいろにして私をお苦しめにならないでくださいまし。惜しくございません命でも、もしもまだ続いていくようでしたら、私もまた落ち着いてお話のできることがあろうと思います。ただ今のことを伺いましたら、急に真暗《まっくら》な気持ちになりまして、身体《からだ》も苦しくてなりません。私はここで休みますからお許しくださいませ」
 絶望的な力のない声ではあるが、理窟《りくつ》を立てて言われたのが、薫には気恥ずかしく思われ、またその人が可憐《かれん》にも思われて、
「あなた、私のお愛しする方、どんなにもあなたの御意志に従いたいというのが私の願いなのですから、こんなにまで一徹なところもお目にかけたのです。言いようもなく憎いうとましい人間と私を見ていらっしゃるのですから、申すことも何も申されません。いよいよ私は人生の外へ踏み出さなければならぬ気がします」
 と言って薫は歎息《たんそく》をもらしたが、また、
「ではこの隔てを置いたままで話させていただきましょう。まったく顧みをなさらないようなことはしないでください」
 こうも言いながら袖《そで》から手を離した。姫君は身を後ろへ引いたが、あちらへ行ってもしまわないのを哀れに思う薫であった。
「こうしてお隣にいることだけを慰めに思って今夜は明かしましょう。決して決してこれ以上のことを求めません」
 と言い、襖子を中にしてこちらの室《へや》で眠ろうとしたが、ここは川の音のはげしい山荘である、目を閉じてもすぐにさめる。夜の風の声も強い。峰を隔てた山鳥の妹背《いもせ》のような気がして苦しかった。いつものように夜が白《しら》み始めると御寺《みてら》の鐘が山から聞こえてきた。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮を気にして咳《せき》払いを薫《かおる》は作った。実際妙な役をすることになったものである。

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「しるべせしわれやかへりて惑ふべき心もゆかぬ明けぐれの道
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 こんな例が世間にもあるでしょうか」
 と薫が言うと、

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かたがたにくらす心を思ひやれ人やりならぬ道にまどはば
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 ほのかに姫君の答える歌も、よく聞き取れぬもどかしさと飽き足りなさに、
「たいへんに遠いではありませんか。あまりに御同情のないあなたですね」
 恨みを告げているころ、ほのぼのと夜の明けるのにうながされて兵部卿の宮は昨夜《ゆうべ》の戸口から外へおいでになった。柔らかなその御動作に従って立つ香はことさら用意して燻《た》きしめておいでになった匂宮らしかった。
 老いた女房たちはそことここから薫の帰って行くことに不審をいだいたが、これも中納言の計ったことであれば安心していてよいと考えていた。
 暗い間に着こうと京の人は道を急がせた。帰りはことに遠くお思われになる宮であった。たやすく常に行かれぬことを今から思召《おぼしめ》すからである。しかも「夜をや隔てん」(若草の新手枕《にひてまくら》をまきそめて夜をや隔てん憎からなくに)とお思われになるからであろう。まだ人の多く出入りせぬころに車は六条院に着けられ、廊のほうで降りて、女乗りの車と見せ隠れるようにしてはいって来たあとで顔を見合わせて笑った。
「あなたの忠実な御奉仕を受けたと感謝しますよ」
 宮はこう冗談《じょうだん》を仰せられた。自身の愚かしさの人のよさがみずから嘲笑《ちょうしょう》されるのであるが、薫は昨夜の始末を何も申し上げなかった。すぐ宮は文《ふみ》を書いて宇治へお送りになった。
 山荘の女王はどちらも夢を見たあとのような気がして思い乱れていた。あの手この手と計画をしながら、気《け》ぶりも初めにお見せにならなかったと中の君は恨んでいて、姉の女王と目を見合わせようともしない。自身がまったく局外の人であったことを明らかに話すこともできぬ姫君は、中の君を遠く気の毒にながめていた。女房たちも、
「昨夜は中姫君のほうにどうしたことがありましたのでございましょう」
 などと、大姫君から事実をそれとなく探ろうとして言うのであったが、ただぼんやりとしたふうで保護者の君はいるだけであったから、不思議なことであると皆思っていた。宮のお手紙も解いて姫君は中の君に見せるのであったが、その人は起き上がろうともしない。時間のたつことを言って使いが催促をしてくる。

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よのつねに思ひやすらん露深き路《みち》のささ原分けて来つるも
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 書き馴《な》れたみごとな字で、ことさら今日は艶《えん》な筆の跡であったが、ただ鑑賞して見ていた時と違った気持ちでそれに対しては気のめいる悩ましさを覚えさせられる姫君が、保護者らしく返事を代わってすることも恥ずかしく思われて、いろいろに言って中の君に書かせた。薄紫の細長一領に、三重|襲《かさね》の袴《はかま》を添えて纏頭《てんとう》に出したのを使いが固辞して受けぬために、物へ包んで供の人へ渡した。結婚の後朝《ごちょう》の使いとして特別な人を宮はお選びになったのではなく、これまで宇治へ文《ふみ》使いの役をしていた侍童だったのである。これはわざとだれにも知られまいとの宮のお計らいだったのであるから、纏頭のことをお聞きになった時、あの気のきいたふうを見せた老女の仕業《しわざ》であろうとやや不快にお思いになった。
 この夜も薫をお誘いになったのであるが、冷泉《れいぜい》院のほうに必ず自分がまいらねばならぬ御用があったからと申して応じなかった。ともすればそうであってはならぬ場合に悟りすました冷静さを見せる友であると宮は憎いようにお思いになった。宇治の大姫君を薫は情人にしていると信じておいでになるからである。
 もうしかたがない、こちらの望んだ結果でなかったと言ってもおろそかにはできない婿君であると弱くなった心から総角の姫君は思って、儀式の装飾の品なども十分にそろっているわけではないが、風流な好みを見せた飾りつけをして第二の夜の宮をお待ちした。遠い路《みち》を急いで宮のお着きになった時は、姫君の心に喜びがわいた。自分にもこうした感情の起こるのは予期しなかったことに違いない。新婦の女王《にょおう》は化粧をされ、服をかえさせられながらも、明るい色の袖《そで》の上が涙でどこまでも、濡《ぬ》れていくのを見ると、姉君も泣いて、
「私はこの世に長く生きていようとも、それを楽しいことに思おうともしない人ですから、ただ毎日願っていることは、あなただけが幸《しあわ》せになってほしいということだったのですよ。それに女房たちもこれを良縁だとうるさいまでに言うのですからね、なんといっても、私たちと違って年をとっていろいろな経験を持っている人たちには、こうした問題についての判断がよくできるものだろう、私一人の意志を立てて、いつまでも二人の独身女であってはなるまいと考えるようになったことはあっても、突然な今度のようなことであなたの心を乱させようなどとは少しも思わなかったのですよ。でもね、これが人の言う逃げようもない宿命だったのでしょうね。私の心も苦しんでいますよ、すこしあなたの気分の晴れてきたころに、私が今度のことに関係していなかったことの弁明もして聞いてもらいますよ。知らぬ私をあまりに恨んではあなたが罪を作ることになります」
 と姫君が中の君の髪を繕いながら言ったのに対して、中の君は何とも返辞はしなかったが、さすがに、こうまで自分を愛して言う姉君であるから、危険な道へ進めようとしたわけではあるまい、そうであるにもかかわらず、薄い愛より与えぬ人の妻になって、自分のために姉君へまた新しい物思いをさせることが悲しいと、今後の日を思って歎いていた。
 闖入《ちんにゅう》者に驚きあきれていた夜の顔さえ美しい人であったのにまして、今夜は美しい服を着け、化粧の施されている女王を宮は御覧になって、いっそうこまやかに御愛情の深まっていくにつけても、たやすく通いがたい長い路《みち》が中を隔てているのを、胸の痛くなるほどにも苦しく思召《おぼしめ》されて、真心から変わらぬ将来の誓いをされるのだったが、姫君はまだ自身の愛のわいてくるのを覚えなかった。わからないのであった。非常に大事にかしずかれた高貴な姫君といっても、世間というものと今少し多く交渉を持っていて、親とか兄弟とかの所へ出入りする異性があったなら、羞恥《しゅうち》心などもこれほどになくて済むであろうと思われる。召使いどもにあがめられる生活はしていないが、山里であったから世間に遠くて、人に馴《な》れていない中の君は、地からわいたような良人《おっと》がただ恥ずかしい人とより思われないのであって、自分の言うことなどは田舎《いなか》風に聞こえることばかりであろうと思って、ちょっとした宮へのお返辞もできかねた。しかしながら二女王を比べて言えば、貴女らしい才の美しいひらめきなどはこの人のほうに多いのである。
 三日にあたる夜は餠《もち》を新夫婦に供するものであると女房たちが言うため、そうした祝いもすることかと総角の姫君は思い、自身の居間でそれを作らせているのであったが、勝手がよくわからなかった。自分が年長者らしくこんなことを扱うのも、人が何と思って見ることかとはばかられる心から、赤らめている顔が非常に美しかった。姉心というのか、おおように気高《けだか》い性格でいて、妹の女王のためには何かと優しいこまごまとした世話もする姫君であった。源中納言から、
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今夜はまいって、雑用のお手つだいもいたしたく思うのですが、先夜の宿直《とのい》にお貸しくださいました所が所ですから、少し身体《からだ》をそこねまして、まだ癒《なお》らない私は、どうしても出かけられませぬ。
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 と、二枚の檀紙に続けて書いた手紙を添え、今夜の祝儀の酒肴《しゅこう》類、それからまた縫わせる間のなかった衣服地のいろいろを巻いたままで入れ、幾つもの懸子《かけご》へ分けて納めた箱を弁の所へ持たせてよこした。女房たち用にということであった。母宮のお住居《すまい》にいた時であって、思うままにも取りまとめる間がなかったものらしい。普通の絹や綾《あや》も下のほうには詰め敷かれてあって、女王がたにと思ったらしい二|襲《かさね》の特に美しく作られた物の、その一つのほうの単衣《ひとえ》の袖《そで》に、次の歌が書かれてあった、少し昔風なことであるが。

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さよ衣着てなれきとは言はずとも恨言《かごと》ばかりはかけずしもあらじ
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 これは戯れに威嚇《いかく》して見せたのである。中の君に対して言われているのであろうが、いずれにもせよ羞恥《しゅうち》を感ぜずにはいられないことであったから、返事の書きようもなく姫君の困っている間に、纏頭《てんとう》を辞する意味で使いのおもだった人は帰ってしまった。下の侍の一人を呼びとめて姫君の歌が渡された。

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隔てなき心ばかりは通ふとも馴《な》れし袖とはかけじとぞ思ふ
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 心のかき乱されていたあの夜の名残《なごり》で、思っただけの平凡な歌より詠《よ》まれなかったのであろうと受け取った薫は哀れに思った。
 兵部卿の宮はその夜宮中へおいでになったのであるが、新婦の宇治へ行くことが非常な難事にお思われになって、人知れず心を苦しめておいでになる時に、中宮《ちゅうぐう》が、
「どんなに言ってもあなたはいつまでも一人でおいでになるものだから、このごろは私の耳にもあなたの浮いた話が少しずつはいってくるようになりましたよ。それはよくないことですよ。風流好きとか、何々趣味の人とか人に違った評判は立てられないほうがいいのですよ。お上《かみ》もあなたのことを御心配しておいでになります」
 と仰せになって、私邸に行っておいでがちな点で御忠告をあそばしたために、兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は時が時であったから苦しくお思いになって、桐壺《きりつぼ》の宿直《とのい》所へおいでになり、手紙を書いて宇治へお送りになったあとも、心が落ち着かず吐息《といき》をついておいでになるところへ源中納言が来た。宇治がたの人とお思いになるとうれしくて、
「どうしたらいいだろう。こんなに暗くなってしまったのに、出られないので煩悶《はんもん》をしているのですよ」
 こうお言いになり、歎かわしそうなふうをお見せになったが、なおよく宮の新婦に対する真心の深さをきわめたく思った薫《かおる》は、
「しばらくぶりで御所へおいでになりましたあなた様が、今夜|宿直《とのい》をあそばさないですぐお出かけになっては、中宮様はよろしくなく思召すでしょう。先ほど私は、台盤所のほうで中宮様のお言葉を聞いておりまして、私がよろしくないお手引きをいたしましたことでお叱《しか》りを受けるのでないかと顔色の変わるのを覚えました」
 と申して見た。
「私がひどく悪いようにおっしゃるではないか。たいていのことは人がいいかげんなことを申し上げているからなのだろう。世間から非難をされるようなことは何もしていないではないか。何にせよ窮窟な身の上であることがいけないね。こんな身分でなければと思う」
 心の底からそう思召すふうで仰せられるのを見て、お気の毒になった薫は、
「どうせ同じことでございますから、今晩のあなた様の罪は私が被《き》ることにいたしましょう、どんな犠牲もいといません。木幡《こばた》の山に馬はいかがでございましょう(山城の木幡の里に馬はあれど徒歩《かち》よりぞ行く君を思ひかね)いっそうお噂《うわさ》は立つことになりましても」
 こう申し上げた。夜はますます暗くなっていくばかりであったから、忍びかねて宮は馬でお出かけになることになった。
「お供にはかえって私のまいらぬほうがよろしゅうございましょう。私は宿直《とのい》することにいたしまして、あなた様のために何かと都合よくお計らいいたしましょう」
 と言って、薫は残ることにした。
 薫が中宮の御殿へまいると、
「兵部卿の宮さんはお出かけになったらしい。困った御行跡ね。お上《かみ》がお聞きになれば必ず私がよく忠告をしてあげないからだとお思いになってお小言をあそばすだろうから困るのよ」
 こうお后《きさき》は仰せになった。多くの宮様が皆|大人《おとな》になっておいでになるのであるが、御母宮はいよいよ若々しいお美しさが増してお見えになるのであった。女一《にょいち》の宮《みや》もこんなのでおありになるのであろう、どんな機会によって自分はこれほど一の宮へ接近することができるであろう、お声だけでも聞きうることができようと、幼い日からのあこがれが今またこの人の心を哀れにさせた。好色な人が思うまじき人を思うことになるのも、こうした間柄で、さすがにある程度まで近づくことが許されていて、しかもきびしい隔てがその中に立てられているというような時に、苦しみもし、悶《もだ》えもするのであろう、自分のように異性への関心の淡いものはないのであるが、それでさえもなお動き始めた心はおさえがたいものなのであるから、などと薫は思っていた。侍女たちは容貌《ようぼう》も性情も皆すぐれていて、欠点のある者は少なく、どれにもよいところが備わり、また中には特に目だつほどの人もあるが、恋のあやまちはすまいと決めているから、薫は中宮の御殿に来ていてもまじめにばかりしていた。わざとこの人の目につくようにふるまう人もないのではない。気品を傷つけないようにと上下とも慎み深く暮らす女房たちにも、個性はそれぞれ違ったものであるから、美しい薫への好奇心が、おさえられつつも外へ現われて見える人などに、薫は憐《あわ》れみも感じ、心の惹《ひ》かれそうになることがあっても、何事も無常の人世なのであるからと冷静に考えては見ぬふりを続けた。
 宇治では薫から大形《おおぎょう》な使いなどもよこされてあるのに、深更まで宮はお見えにならず、お手紙の使いだけの来たために、これであるから頼もしい方とは思われなかったのであると、姉女王が煩悶《はんもん》していたうちに、夜中近くなって、荒い風の吹き立つ中に、兵部卿の宮は艶《えん》なにおいを携えて、美しいお姿をお見せになったのであったから、喜びを覚えないわけもない。新夫人の中の君も前に似ぬ好意をお持ちしたことと思われる。中の君は非常に美しい盛りの容貌《ようぼう》を、まして今夜は周囲の人たちによってきれいに粧《よそお》われていたのであったから、また類《たぐい》もない麗人と思われた。多くの美女を知っておいでになる宮の御目にも欠点をお見いだしになることはなくて、姿も心も接近してますますすぐれたことの明らかになった恋人であると思召すばかりであったから、山荘の老いた女房などは満足したか自身の表情がどんなに醜いかも知らずに、ゆがんだ笑顔《えがお》をしながら中の君を見て、これほどにもりっぱな方が凡人の妻におなりになったとしたらどんなに残念に思われるであろう、御運よく理想的な良人《おっと》をお持ちになることができてよかったと言い合い、大姫君が薫の熱心な求婚に応じようとしないのをひそかに非難していた。こうした中年になった人たちが薫から贈られた美しいいろいろな絹で衣装を縫って、それぞれ似合いもせぬ盛装をしている中に一人でも感じのよいと思われる女房はなかった。総角《あげまき》の姫君がこれを見て、自分も盛りの過ぎた女である、このごろ鏡を見ると顔は痩《や》せてばかりゆく、この人たちでも自身では皆相当にきれいであるという自信を持っていて、醜いと認める者はないはずである、頭の後ろの形がどうなっているかも思わずに額髪《ひたいがみ》だけを深く顔に引っかけて化粧をした顔を恥ずかしいとは思わぬらしい。自分はまだあれほどにはなっていず、目も鼻も正しい形をしていると思うのは、わがことであって身勝手な思いなしによるものなのであろうと気恥ずかしいような思いをしながら茫《ぼう》と外をながめつつ寝ていた。すべての整ったりっぱな青年である源中納言の妻になることはいよいよ似合わしからぬことと自分は思われる、もう一、二年すれば衰え方がもっと急速度になることであろう、もともと貧弱な体質の自分なのであるからと、大姫君はほっそりとした手首を袖の外に出しながら人生の悲しみを深く味わっていた。
 兵部卿の宮は今夜のお出かけにくかったことをお考えになると、将来も不安におなりになって、今さえそれでお胸がふさがれてしまうようになるのであった。中宮の仰せられた話などをされて、
「変わりない愛を持っていながら来られない日が続いても疑いは持たないでください。仮にもおろそかにあなたを思っているのだったら、こんな苦心を払って今夜なども出て来られるはずはありません。それだのに私の愛を信じることがおできにならないで、煩悶《はんもん》したりされるのが気の毒で、自分のことはどうともなれとまで思って出かけて来たのですよ。始終これが続けられるとも思われませんからね、あなたの住むのに都合のよい所をこしらえて私の近くへ移したく思いますよ」
 宮はこれを真心からお言いになるのであったが、間の途絶えるであろうことを今からお言いになるのは、名高い多情な生活から、恨ませまいための予防の線をお張りになるのであろうと、心細さに馴《な》らされた女王《にょおう》は前途をも悲観せずにはおられなかった。夜明けに近い空模様を、横の妻戸を押しあけて宮は女王も誘って出ておながめになるのであった。霧が深く立って特色のある宇治の寂しい景色《けしき》の作られている中を、例の柴船《しばふね》のかすかに動いて通って行くあとには、白い波が筋をなして漂っていた。珍しい景をかたわらにした家であると風流心《みやびごころ》におもしろく宮は思召した。東の山の上からほのめいてきた暁の微光に見る中の君の容姿は整いきった美しさで、最上の所にかしずかれた内親王もこれにまさるまいとお思われになった。現在の帝《みかど》の皇子であるからという気持ちで自分のほうの思い上がっているのは誤りである、この人の持つよさを今以上によく見もし、知りもしたいと思召す心がいっぱいになり、その人を少し見ることがおできになってかえってより多くがお望まれになった。河音《かわおと》はうれしい響きではなかったし、宇治橋のただ古くて長いのが限界を去らずにあったりして、霧の晴れていった時には、荒涼たる感じの与えられる岸のあたりも悲しみになった。
「どうしてこんな土地に長い間いることができたのですか」
 とお言いになり、宮の涙ぐんでおいでになるのを見て、女王は恥ずかしい気がした。そして今よく見る宮のお姿はきわめて艶《えん》であった。この世かぎりでない契りをおささやきになるのを聞いていて、思いがけず結ばれた人とはいえ、かえってあの冷静なふうの中納言を良人《おっと》にしたよりはこの運命のほうが気安いと女王は思っているのであった。あの人の熱愛している人は自分でなくもあったし、澄みきったような心の様子に現われて見える点でも親しまれないところがあった、しかもこの宮をそのころの自分はどう思っていたであろう、まして遠い遠い所の存在としていた。短いお手紙に返事をすることすら恥ずかしかった方であるのに、今の心はそうでない、久しくおいでにならぬことがあれば心細いであろうと思われるのも、われながら怪しく恥ずかしい変わりようであると中の君は心で思った。お供の人たちが次々に促しの声を立てるのを聞いておいでになって、京へはいって人目を引くように明るくならぬようにと、宮はおいでになろうとする際も御自身の意志でない通い路《じ》の途絶えによって、思い乱れることのないようにとかえすがえすもお言いになった。

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中絶えんものならなくに橋姫の片敷く袖《そで》や夜半《よは》に濡《ぬ》らさん
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 帰ろうとしてまた躊躇《ちゅうちょ》をあそばされた宮がこの歌をささやかれたのである。

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絶えせじのわが頼みにや宇治橋のはるけき中を待ち渡るべき
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 などとだけ言い、言葉は少ないながらも女王の様子に別れの悲しみの見えるのをお知りになり、たぐいもない愛情を宮は覚えておいでになった。
 若い女性の心に感動を与えぬはずのない宮の御朝姿を見送って、あとに残ったにおいなどの身にしむ人にいつか女王はなっていた。お立ちのおそかった今朝《けさ》になってはじめて女房たちは宮をおのぞき見した。
「中納言様はなつかしい御気品のよさに特別なところがおありになります。今一段上の御身分という思いなしからでしょうか、はなやかな御|美貌《びぼう》は何と申し上げようもないくらいにお見えになりましたね」
 こんなことを言ってほめそやした。
 京への道すがら、別れにめいったふうを見せた女王をお思い出しになって、このままもう一度山荘へ引き返したいと、御自身ながら見苦しく思召すまで恋しくお思われになるのであったが、世間の取り沙汰《ざた》を恐れてお帰りになって以来、容易にお通いになれずお手紙だけを日ごとに幾通もお送りになった。誠意がないのではおありになるまいと思いながらもお途絶えの日が積もっていくことで、姉の女王は思い悩んで、こんな結果を見て苦労をすることがないようにと願っていたものを、自身が当事者である以上に苦しいことであると歎かれるのであったが、これを表面に見せてはいっそう中の君が気をめいらせることになろうと思う心から、気にせぬふうを装いながらも、自分だけでも結婚しての苦を味わうまいといよいよ薫の望むことに心の離れていく大姫君であった。
 薫も兵部卿の宮の宇治へおいでになれない事情を知っていて、山荘の女王が待ち遠しく思うことであろうと、自身の責任であるように思い、宮にそれとなくお促しもし、宮の御近状にも注意を怠らなかったが、宮が宇治の女王に愛情を傾倒しておいでになることは明らかになったために、今の状態はこうでも不安がることはないと中の君のために胸をなでおろす思いをした。
 九月の十日で、野山の秋の色がだれにも思いやられる時である、空は暗い時雨《しぐれ》をこぼし、恐ろしい気のする雲の出ている夕べであった、宮は平生以上に宇治の人がお思われになって、何が起ころうとも行ってみようか、どうしたものかとお一人では決断がおできにならないで迷っておいでになるところへ、そのお思いを想像することのできた薫がお訪《たず》ねして来た。
「山里のほうはどうでしょう」
 中納言の言ったことはこれであった。お喜びになって、
「では今からいっしょに出かけよう」
 とお言いになったため、匂宮《におうみや》のお車に薫中納言は御同車して京を出た。山路へかかってくるにしたがって、山荘で物思いをしている恋人を多く哀れにお思いになる宮でおありになった。同車の人へもその点で御自身も苦しんでおいでになることばかりをお話しになった。行く秋の黄昏《たそがれ》時の心細さの覚えられる路《みち》へ、冷たい雨が降りそそいでいた。衣服を湿らせてしまったために、高い香《かおり》はまして一つになって散り広がるのが艶《えん》で、村人たちは高華な夢に行き逢《あ》ったように思った。
 毎日毎日婿君の情の薄さをかこっていた山荘の女房たちは、悦《よろこ》びを胸に満たせてお席を作ったりなどしていた。京のあちらこちらへ女房勤めに出ている娘とか姪《めい》とかをにわかに手もとへ呼び寄せて、中の君のそば仕えをさせることにした女房も二、三人あったのである。今まで軽蔑《けいべつ》をしていた浮薄な人たちにとって、尊貴な婿君の出現は驚異に価することであった。
 大姫君はこの寂しい夜を訪《たず》ねたもうた宮をうれしく思うのであったが、少し迷惑な人が添って来たと薫《かおる》を思わないでもないものの、慎重な、思いやりのある態度を恋にも忘れずにいてくれた人とその人を思う時、匂宮の御行為はそうでなかったと比較がされ感謝の念は禁じられなかった。中の君の婿君として宮に山荘相当な御|饗応《きょうおう》を申し上げて、薫は主人がたの人として気安く扱いながらも、客室の座敷に据《す》えられただけであるのを恨めしくその人は思っていた。さすがに気の毒に思われて姫君は物越しで話すことにした。自分の心の弱さからつまずいて、またも初めに恋は返されたではないか、こんな状態を続けていくことはもう自分には不可能であると思い、薫は言葉を尽くして恋人に恨みを告げようとした。ようやくこの人の尊敬すべき気持ちも悟った姫君であるが、中の君が結婚をしたために物思いに沈むことの多くなったことによって、いっそう恋愛というものをいとわしいものに思い込むようになり、これ以上の接近は許すまい、清い愛を今では感じている相手であるが、この人を恨むことが結婚すれば生じるに違いない、自身もこの人も変わらぬ友情を続けていきたいとこう深く心に決めているためであった。宮についての話になって、薫のほうから中の君の様子などを聞くと、少しずつ近ごろのことで、薫の想像していたようなことも姫君は語った。薫は気の毒になり、宮が深い愛着をお持ちになること、自分が探って知っている御自由のない近ごろの憂鬱《ゆううつ》なお日送りなどを話していた。姫君は平生より機嫌《きげん》よく話したあとで、
「こんなふうな、新たな心配にとらわれておりますことも終わりまして、気の静まりましたころにまたよくお話を伺いましょう」
 と言った。反感を起こさせるような冷淡さはなくて、しかも襖子《からかみ》は堅く閉ざされてあった。しいてその隔てを取り除こうとするのは甚だしく同情のないふるまいであると姫君の思っているのを知っている薫は、この人に考えがあることであろう、軽々しく他人の妻になってしまうようなことはないと信じられる人であるからと、いつもゆとりのある心のこの人は、恋に心を焦《こが》しながらもそれをおさえることはできた。
「あなたの御意志はどこまでも尊重しますが、こうして物越しでお話ししていることの不満足感を救ってだけはください。先日のように近くへまいってお話をさせていただきたいのです」
 と責めてみたが、
「このごろの私は平生よりも衰えていましてね、顔を御覧になって不愉快におなりになりはしないかと、どうしたのでしょう、そんなことの気になる心もあるのですよ」
 と言い、ほのかに総角の姫君の笑った気配《けはい》などに怪しいほどの魅力のあるのを薫は感じた。
「そんなつきも離れもせぬお心に引きずられてまいって、私はしまいにどうなるのでしょう」
 こんなことを言い、男は歎息をしがちに夜を明かした。
 兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は、薫が今も一人臥《ひとりね》をするにすぎない宇治の夜とは想像もされないで、
「中納言が主人がたぶって、寝室に長くいるのが恨めしい」
 とお言いになるのを、不思議な言葉のように中の君はお聞きしていた。
 無理をしておいでになっても、すぐにまたお帰りにならねばならぬ苦しさに宮も深い悲しみを覚えておいでになった。こうしたお心を知らない中の君は、どうなってしまうことか、世間の物笑いになることかと歎いているのであるから、恋愛というものはして苦しむほかのないことであると思われた。京でも多情な名は取っておいでになりながら、ひそかに通ってお行きになる所とてはさすがにない宮でおありになった。六条院では左大臣が同じ邸内に住んでいて、匂宮の夫人に擬している六の君に何の興味もお持ちにならぬ宮をうらめしいようにも思っているらしかった。好色男的な生活をしていられるといって、容赦なく宮のことを御非難して帝《みかど》にまでも不満な気持ちをお洩《も》らし申し上げるふうであったから、八の宮の姫君という、だれにも意外な感を与える人を夫人としてお迎えになることにはばかられるところが多かった。軽い恋愛相手にしておいでになる女性は、宮仕えの体裁で二条の院なり、六条院なりへお入れになることも自由にお計らいになることができて、かえってお気楽であった。そうした並み並みの情人とは少しも思っておいでにならないのであって、もし世の中が移り、帝《みかど》と后《きさき》のかねての御希望が実現される日になれば、だれよりも高い位置にこの人をすえたいと思うのであるからと、現在の宮のお心は宇治の中の君に傾き尽くされていて、その人をいかにして幸福ならしめ常に相見る方法をいかにして得ようかとばかり考えておいでになった。中納言は火災後再築している三条の宮のでき上がり次第によい方法を講じて大姫君を迎えようと考えていた。やはり人臣の列にある人は気楽だといってよい。
 これほど愛しておいでになりながら、結婚を秘密のことにしておありになるために、宮にも中の君にも煩悶《はんもん》の絶えないらしいことが気の毒で、このお二人の関係を自分から中宮《ちゅうぐう》に申し上げて御了解を得ることにしたい。当座はお騒がれになって、めんどうな目に宮はおあいになるかもしれぬが、中の君のほうのためを思えば、それは一時的なことであって、直接苦痛になることもあるまい、こんなふうに夜も明かし果てずに帰ってお行きになる宮のお気持ちのつらさはさぞとお察しができて心苦しい、結婚が公然に認められるようになれば、中の君に十分な物質的援助をして、宮の夫人たるに恥のない扱いを兄代わりになってしてみたい、とこう思うようになった薫は、しいて内密事とはせずに、このごろも冬の衣がえの季節になっているが、自分のほかにだれがその仕度《したく》に力を貸すものがあろうと思いやって、御帳《みちょう》の懸《か》け絹、壁代《かべしろ》などというものは、三条の宮の新築されて移転する準備に作らせてあったから、それらを間に合わせに使用されたいというふうに伝えて宇治へ送った。またいろいろな山荘の女房たちの着用するものも自身の乳母《めのと》などに命じて公然にも製作させた薫であった。
 十月の一日ごろは網代《あじろ》の漁も始まっていて、宇治へ遊ぶのに最も興味の多い時であることを申して中納言が宮をお誘いしたために、兵部卿の宮は紅葉見《もみじみ》の宇治行きをお思い立ちになった。宮にお付きしていて親しく思召《おぼしめ》される役人のほかに殿上役人の中で特に宮のお愛しになる人たちだけを数にして微行のお遊びのつもりであったのであるが、大きな勢いを負っておいでになる宮でおありになったから、いつとなくたいそうな催しになっていき、予定の人数のほかに左大臣家の宰相中将がお供申し上げた。高官としては源中納言だけが随《したが》いたてまつった。殿上役人の数は多かった。
 必ず女王《にょおう》たちの山荘へお寄りになることを信じている薫から、
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宮のお供をして相当な数の客が来ることを考えてお置きください。先年の春のお遊びに私と伺った人たちもまた参邸を望んで、不意にお訪《たず》ねしようとするかもしれません。
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 などとこまごま注意をしてきたために、御簾《みす》を掛け変えさせ、あちこちの座敷の掃除《そうじ》をさせ、庭の岩蔭《いわかげ》にたまった紅葉《もみじ》の朽ち葉を見苦しくない程度に払わせ、小流れの水草をかき取らせなど女王はさせた。薫のほうからは菓子のよいのなども持たせて来、また接待役に出す若い人たちも来させてあった。こんなにもする薫の世話を平気で受けていることは気づらいことに姫君は思っていたが、たよるところはほかにないのであるから、こうした因縁と思いあきらめて好意を受けることにし、兵部卿の宮をお迎えする用意をととのえた。
 遊びの一行は船で河《かわ》を上り下りしながらおもしろい音楽を奏する声も山荘へよく聞こえた。目にも見えないことではなかった。若い女房らは河に面した座敷のほうから皆のぞいていた。宮がどこにおいでになるのかはよくわからないのであるが、それらしく紅葉の枝の厚く屋形に葺《ふ》いた船があって、よい吹奏楽はそこから水の上へ流れていた。河風がはなやかに誘っているのである。だれもが敬愛しておかしずきしていることはこうした微行のお遊びの際にもいかめしくうかがわれる宮を、年に一度の歓会しかない七夕《たなばた》の彦星《ひこぼし》に似たまれな訪《おとず》れよりも待ちえられないにしても、婿君と見ることは幸福に違いないと思われた。
 宮は詩をお作りになる思召《おぼしめ》しで文章博士《もんじょうはかせ》などを随《したが》えておいでになるのである。夕方に船は皆岸へ寄せられて、奏楽は続いて行なわれたが、船中で詩の筵《えん》は開かれたのであった。音楽をする人は紅葉の小枝の濃いの淡《うす》いのを冠に挿《さ》して海仙楽《かいせんらく》の合奏を始めた。だれもだれも楽しんでいる中で、宮だけは「いかなれば近江《あふみ》の海ぞかかるてふ人をみるめの絶えてなければ」という歌の気持ちを覚えておいでになって、遠方人《おちかたびと》の心(七夕のあまのと渡るこよひさへ遠方人のつれなかるらん)はどうであろうとお思いになり、ただ一人|茫然《ぼうぜん》としておいでになるのであった。おりに合った題が出されて、詩の人は創作をするのに興奮していた。船中の人の動きの少し静まっていくころを待って山荘へ行こうと薫も思い、そのことを宮へお耳打ちしていたうちに、御所から中宮のお言葉を受けて宰相の兄の衛門督《えもんのかみ》がはなばなしく随身《ずいじん》を引き連れ、正装姿でお使いにまいった。こうした御遊行はひそかになされたことであっても、自然に世間へ噂《うわさ》に伝わり、あとの例にもなることであるのに、重々しい高官の御随行のわずかなままでお出かけになったことがお耳にはいって、衛門督が派遣され、ほかにも殿上役人を多く伴わせて御一行に加えられたのである。こんなためにもまた騒がしくなって、思う人を持つお二人は目的の所へ行かれぬ悲哀が苦痛にまでなって、どんなこともおもしろくは思われなくなった。宮のお心などは知らずに酔い乱れて、だれも音楽などに夢中になった姿で夜を明かした。それでも次の日になればという期待を宮は持っておいでになったが、また朝になってから中宮|大夫《だゆう》とまた多くの殿上役人が来た。宮は落ちいぬ心になっておいでになって、このまま帰る気などにはおなりになれなかった。
 山荘の中の君の所へはお文《ふみ》が送られた。風流なことなどは言っておいでになる余裕がお心になく、ただまじめにこまごまとお心持ちをお伝えになったものであったが、人が多く侍している際であるからと思って女王は返事をしてこなかった。自身のような哀れな身の上の者が愛人となっているのに、不釣合《ふつりあ》いな方であると女は深く思ったに違いない。遠い道が間にある時は相見る日のまれなのも道理なことに思われ、こんな状態に置かれていても忘られてはいないのであろうとみずから慰めることもできた中の君であったが、近い所に来て派手《はで》なお遊びぶりを見せられただけで、立ち寄ろうとされない宮をお恨めしく思い、くちおしくも思って悶《もだ》えずにはいられなかった。
 宮はまして憂鬱《ゆううつ》な気持ちにおなりになって、恋しい人に逢《あ》われぬ不愉快さをどうしようもなく思召された。網代《あじろ》の氷魚《ひお》の漁もことに多くて、きれいないろいろの紅葉にそれを混ぜて幾つとなく籠《かご》にしつらえるのに侍などは興じていた。上下とも遊山《ゆさん》の喜びに浸っている時に、宮だけは悲しみに胸を満たせて空のほうばかりを見ておいでになった。そうするとお目につくのは女王の山荘の木立ちであった。大木の常磐木《ときわぎ》へおもしろくかかった蔦紅葉《つたもみじ》の色さえも高雅さの現われのように見え、遠くからはすごくさえ思われる一構えがそれであるのを、中納言も船にながめて、自分がたいそうに前触れをしておいたことがかえって物思いを深くさせる結果を見ることになったかと歎かわしく思った。
 一昨年の春薫に伴われて八の宮の山荘をお訪ねした公達《きんだち》は、その時の川べの桜を思い出して、父宮を失われた女王たちがなおそこにおられることはどんなに心細いことであろうと同情し合っていた。一人を兵部卿の宮が隠れた愛人にしておいでになるという噂を聞いている人もあったであろうと思われる。事情を知らぬ人も多いのであるから、ただ孤女になられた女王のことを、こうした山里に隠れていても、若い麗人のことは自然に世間が知っているものであるから、
「非常な美人だということですよ。十三|絃《げん》の琴の名手だそうです。故人の宮様がそのほうの教育をよくされておいたために」
 などと口々に言っていた。宰相の中将が、

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いつぞやも花の盛りに一目見し木の下《もと》さへや秋はさびしき
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 八の宮に縁故の深い人であるからと思って薫にこう言った。その人、

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桜こそ思ひ知らすれ咲きにほふ花も紅葉《もみぢ》も常ならぬ世に
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 衛門督《えもんのかみ》、

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いづこより秋は行きけん山里の紅葉の蔭《かげ》は過ぎうきものを
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 中宮大夫、

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見し人もなき山里の岩がきに心長くも這《は》へる葛《くず》かな
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 だれよりも老人であるから泣いていた。八の宮がお若かったころのことを思い出しているのであろう。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮が、

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秋はてて寂しさまさる木《こ》の本《もと》を吹きな過ぐしそ嶺《みね》の松風
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 とお歌いになって、ひどく悲しそうに涙ぐんでおいでになるのを見て、秘密を知っている人は、評判どおりに宮はその人を深く愛しておいでになるらしい、こんな機会にさえそこへおいでになることがおできにならないのはお気の毒であると思っているのであるが、そうした人たちだけをつれて山荘へおはいりになることも御実行のできないことであった。人々の作った詩のおもしろい一節などを皆口ずさんだりしていて、歌のほうも平生とは違った旅のことであるから相当に多くできていたが、酒酔いをした頭から出たものであるから、少しを採録したところで、佳作はなくつまらぬから省く。
 山荘では宮の一行が宇治を立って行かれた気配《けはい》を相当に遠ざかるまで聞こえた前駆の声で知り、うれしい気持ちはしなかった。御歓待の仕度《したく》をしていた人たちは皆はなはだしく失望をした。大姫君はましてこの感を深く覚えているのであった。やはり噂されるように多情でわがままな恋の生活を事とされる宮様らしい、よそながら恋愛談を人のするのを聞いていると、男というものは女に向かって嘘《うそ》を上手《じょうず》に言うものであるらしい、愛していない人を愛しているふうに巧みな言葉を使うものであると、自分の家にいるつまらぬ女たちが身の上話にしているのを聞いていた時は、身分のない人たちの中にだけはそうしたふまじめな男もあるのであろう、貴族として立っている人は、世間の批評もはばかって慎むところもあるのであろうと思っていたのは、自分の認識が足りなかったのである、多情な方のように父宮も聞いておいでになって、交際はおさせになったがこの家の婿になどとはお考えにならなかったものらしかったのに、不思議なほど熱心に求婚され、すでにもう縁は結ばれてしまい、それによっていっそう自分までが心の苦労を多くし不幸さを加えることになったのは歎かわしいことである。接近して愛の薄くおなりになった宮のお相手の妹を、中納言は軽蔑《けいべつ》して考えないであろうか、りっぱな女房がいるのではないが、それでもその人たちがどう思うかも恥ずかしい。人笑われな運命になったと煩悶《はんもん》することによって姉女王は健康をさえもそこねるようになった。当の中の君はたまさかにしかお逢《あ》いしない良人《おっと》であるが、熱情的な愛をささやかれていて、今眼前にどんなことがあろうともお心のまったく変わるようなことはあるまい、常においでになることのできないのも余儀ない障《さわ》りがあるからに相違ないとたのむところもあるのであった。ここしばらくおいでにならなかったのであるから切なく思わぬはずもないのに、近くへお姿をお現わしになっただけで行っておしまいになったことでは恨めしく残念な思いをして気をめいらせているのが、総角《あげまき》の姫君には堪えられぬほど哀れに見えた。世間並みの姫君らしい宮殿にかしずかれていたならば、この邸《やしき》がこんな貧弱なものでなければ宮は素通りをなされなかったはずであるのにと思われるのである。自分もまだ生きているとすれば、こうした目にあわされるであろう、中納言がいろいろな言葉で清い恋を求めるというのも、自分をためそうとする心だけであって、自分一人は友情以上に出まいとしていても、あの人の本心がそれでないのでは行くところは知れきったことで、自分のしりぞけるのにも力の限度がある、家にいる女たちは媒介役の失敗に懲りもせず、今もどうかして中納言を自分の良人《おっと》にさせたいと望まない者もないのであるから、自分の気持ちは尊重されず、結果としては自分があの人の妻にされてしまうことになるのであろう、これが取りも直さず父君が、みずからをよく護《まも》っていくようにと仰せられたことに違いない、不幸な自分たちは母君をも早く失い、父宮にもお別れしてしまったが、薄命な者であるからどうなってもよいと自身を軽く扱って、見苦しい捨てられた妻というものになり、お亡《な》くなりになったあとの父君のお心までをお悩ましさせることになるのは悲しい。自分一人だけでもそうした物思いに沈まないで済む処女を保ったままで病死をしてしまいたいと、こんなことを明け暮れ思い続ける大姫君は、心細い死の予感をさえ覚えて、中の君を見ても哀れで、自分にまで死に別れたあとではいっそう慰みどころのない人になるであろう、美しいこの人をながめることが自分の唯一の慰安で、どうかして幸福な女にさせたいとばかり願っていた、どんなに高貴な方を良人に持ったといっても、今度のような侮辱を受けながらなお尼にもならず妻として孤閨《こけい》を守っていくことは例もないほど恥ずかしいことに違いないと、それからそれへと思い続けていく大姫君は、自分ら姉妹《きょうだい》は現世で少しの慰めも得られないままで終わる運命を持つものらしいと心細くなるのであった。
 兵部卿の宮は御帰京になったあとでまたすぐに微行で宇治へお行きになろうとしたのであったが、
「兵部卿の宮様は宇治の八の宮の姫君とひそかな関係を結んでおいでになりまして、突然に時々近郊の御旅行と申すようなことをお思い立ちになるのでございます。御軽率すぎることだと世間でもよろしくはお噂《うわさ》いたしません」
 と左大臣の息子《むすこ》の衛門督《えもんのかみ》がそっと中宮へ申し上げたために、中宮も御心配をあそばし、帝《みかど》も常から宮のお身持ちを気づかわしく思召していられたのであったから、これによっていっそう監視が厳重になり、兵部卿の宮を宮中から一歩もお出しにならぬような計らいをあそばされた。そして左大臣の六女との結婚はお諾《ゆる》しにならなかった宮へ、強制的にその人を夫人になさしめたもうというようなこともお定めになった。中納言はそれを聞いて憂鬱《ゆううつ》になっていた。自分があまりに人と変わり過ぎているのである、どんな宿命でか八の宮が姫君たちを気がかりに仰せられた言葉も忘られなかったし、またその女王たちもすぐれた女性であるのを発見してからは、世間に無視されていることがあまりに不合理に惜しいことに思われ、人の幸福な夫人にさせたいことが念頭を去らなかったし、ちょうど兵部卿の宮も熱心に希望あそばされたことであったために、自分の対象とする姫君は違っているのに、今一人の女王を自分に娶《めと》らせようと当の人がされるのをうれしくなく思うところから、宮とその方とを結ばせてしまった。今思うとそれは軽率なことであった。二人とも自分の妻にしても非難する人はなかったはずである、今さら取り返されるものではないが、愚かしい行動をしたと煩悶《はんもん》をしているのである。
 宮はまして宇治の女王《にょおう》がお心にかからぬ時とてもなかった。恋しくお思いになり、知らぬまにどんなことになっているかもしれぬという不安もお覚えになるのである。
「非常にお気に入った人がおありになるのだったら、私の女房の一人にしてここへ来させて、目だたない愛しようをしていればいいでしょう。あなたは東宮様、二の宮さんに続いて特別なものとして未来の地位をお上《かみ》はお考えになっていらっしゃるのですから、軽率な恋愛問題などを起こして、人から指弾されるのはよろしくありませんからね」
 こんなふうに中宮《ちゅうぐう》は始終御忠告をあそばされるのであった。
 はげしく時雨《しぐれ》が降って御所へまいる者も少ない日、兵部卿の宮は姉君の女一《にょいち》の宮《みや》の御殿へおいでになった。お居間に侍している女房の数も多くなくて、姫君は今静かに絵などを御覧になっているところであった。几帳《きちょう》だけを隔てにしてお二方はお話しになった。限りもない気品のある貴女《きじょ》らしさとともに、なよなよとした柔らかさを備えたもうた姫宮を、この世にこれ以上の高華な美を持つ女性はなかろうと、昔から兵部卿の宮は思っておいでになって、これに近い人というのは冷泉《れいぜい》院の内親王だけであろうと信じておいでになり、世間から受けておいでになる尊敬の度も、御容姿も、御|聡明《そうめい》さも人のお噂する言葉から想像されて、宮の覚えておいでになる院の宮への恋を、なんらお通じになる機会というものがなく、しかも忘れる時なく心に持っておいでになる兵部卿の宮なのであるが、あの宇治の山里の人の可憐《かれん》で高い気品の備わったところなどは、これらの最高の貴女に比べても劣らないであろうと、姉君のお姿からも中の君が聯想《れんそう》されて、恋しくてならず思召す心の慰めに、そこに置かれてあったたくさんな絵を見ておいでになると、美しい彩色絵の中に、恋する男の住居《すまい》などを描いたのがあって、いろいろな姿の山里の風景も添っていた。恋人の宇治の山荘の景色《けしき》に似たものへお目がとまって、姫君の御了解を得てこの絵は中の君へ送ってやりたいと宮はお思いになった。伊勢《いせ》物語を描いた絵もあって、妹に琴を教えていて、「うら若みねよげに見ゆる若草を人の結ばんことをしぞ思ふ」と業平《なりひら》が言っている絵をどんなふうに御覧になるかと、お心を引く気におなりになり、少し近くへお寄りになって、
「昔の人も同胞《きょうだい》は隔てなく暮らしたものですよ。あなたは物足らないお扱いばかりをなさいますが」
 とお言いになったのを、姫宮はどんな絵のことかと思召すふうであったから、兵部卿の宮はそれを巻いて几帳《きちょう》の下から中へお押しやりになった。下向きになってその絵を御覧になる一品《いっぽん》の宮《みや》のお髪《ぐし》が、なびいて外へもこぼれ出た片端に面影を想像して、この美しい人が兄弟でなかったならという心持ちに匂宮《におうみや》はなっておいでになった。おさえがたいそうした気分から、

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若草のねみんものとは思はねど結ぼほれたるここちこそすれ
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 こんなことを申された。姫宮に侍している女房たちは匂宮の前へ出るのをことに恥じて皆何かの後ろへはいって隠れているのである。ことにもよるではないか、不快なことを言うものであると思召す姫宮は、何もお言いにならないのであった。この理由から「うらなく物の思はるるかな」と答えた妹の姫も蓮葉《はすは》な気があそばされて好感をお持ちになることができなかった。六条院の紫夫人が宮たちの中で特にこのお二人を手もとでおいつくしみしたのであったから、最も親しいものにして双方で愛しておいでになった。姫宮を中宮は非常にお大事にあそばして、よきが上にもよくおかしずきになるならわしから、侍女なども精選して付けておありになった。少しの欠点でもある女房は恥ずかしくてお仕えができにくいのである。貴族の令嬢が多く女房になっていた。移りやすい心の兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は、そうした中に物新しい感じのされる人を情人にお持ちになりなどして、宇治の人をお忘れになるのではないながらも、逢《あ》いに行こうとはされずに日がたった。
 待つほうの人からいえば、これが長い時間に思われて、やはりこんなふうにして忘られてしまうのかと、心細く物思いばかりがされた。そんなころにちょうど中納言が訪《たず》ねて来た。総角《あげまき》の姫君が病気になったと聞いて見舞いに来たのである。ちょっとしたことにもすぐ影響が現われてくるというほどの病体ではなかったが、姫君はそれに託して対談するのを断わった。
「おしらせを聞くとすぐに、驚いて遠い路《みち》を上がった私なのですから、ぜひ御病床の近くへお通しください」
 と言って、不安でこのままでは帰れぬふうを見せるために、女王の病室の御簾《みす》の前へ座が作られ、薫《かおる》はそこへ行った。困ったことであると姫君は苦しがっていたが、そう冷ややかなふうは見せるのでもなかった。頭を枕《まくら》から上げて返辞などをした。宮が御意志でもなくお寄りにならなかった紅葉《もみじ》の船の日のことを薫は言い、
「気永《きなが》に見ていてください。はらはらとお心をつかってお恨みしたりなさらないように」
 などと教えるようにも言う。
「私は格別愚痴をこぼしたりはいたしませんが、亡《な》くなられました宮様が、御教訓を残してお置きになりましたのは、こうしたこともあらせまい思召しかと思いまして、あの人がかわいそうでございます」
 それに続いて大姫君の歎く気配《けはい》がした。心苦しくて、薫は自身すらも恥ずかしくなって、
「人生というものは、何も皆思いどおりにいくものではありませんからね。そんなことには少しも経験をお持ちにならないあなたがたにとっては、恨めしくばかりお思われになることもあるでしょうが、まあしいてもそれを静めて時をお待ちなさい。決してこのまま悪くなっていく御縁ではないと私は信じています」
 などと言いながらも、自身のことでなく他の人の恋でこの弁明はしているのであると思うと、奇妙な気がしないでもなかった。夜になるときまって苦しくなる病状であったから、他人が病室の近くに来ていることは中の君が迷惑することと思って、やはりいつもの客室のほうへ寝床をしつらえて人々が案内を申し出るのであったが、
「始終気がかりでならなく思われる方が、ましてこんなふうにお悪くなっておいでになるのを聞くと、すぐにも上がった私を、病室からお遠ざけになるのは無意味ですよ。こんな場合のお世話なんぞも、私以外のだれが行き届いてできますか」
 などと、老女の弁に語って、始めさせる祈祷《きとう》についての計らいも薫はした。そんなことは恥ずかしい、死にたいとさえ思うほどの無価値な自分ではないかと大姫君は聞いていて思うのであったが、好意を持ってくれる人に対して、思いやりのないように思われるのも苦しくて、まあ生きていてもよいという気になったという、こんな、優しい感情もある女王なのであった。
 次の朝になって、薫のほうから、
「少し御気分はおよろしいようですか。せめて昨日《きのう》ほどにでもしてお話がしたい」
 と、言ってやると、
「次第に悪くなっていくのでしょうか、今日はたいへん苦しゅうございます。それではこちらへ」
 という挨拶《あいさつ》があった。中納言は哀れにそれを聞いて、どんなふうに苦しいのであろうと思い、以前よりも親しみを見せられるのも悪くなっていく前兆ではあるまいかと胸騒ぎがし、近く寄って行きいろいろな話をした。
「今私は苦しくてお返辞ができません。少しよくなりましたらねえ」
 こうかすかな声で言う哀れな恋人が心苦しくて、薫は歎息《たんそく》をしていた。さすがにこうしてずっと今日もいることはできない人であったから、気がかりにしながらも帰京をしようとして、
「こういう所ではお病気の際などに不便でしかたがない。家を変えてみる療法に託してしかるべき所へ私はお移ししようと思う」
 などと言い置き、御寺《みてら》の阿闍梨《あじゃり》にも熱心に祈祷《きとう》をするように告げさせて山荘を出た。
 薫の従者でたびたびの訪問について来た男で山荘の若い女房と情人関係になった者があった。二人の中の話に、兵部卿の宮には監視がきびしく付き、外出を禁じられておいでになることを言い、
「左大臣のお嬢さんと御結婚をおさせになることになっているのだが、大臣のほうでは年来の志望が達せられるので二つ返辞というものなのだから、この年内に実現されることだろう。宮はその話に気がお進みにならないで、御所の中で放縦《ほうじゅう》な生活をして楽しんでおいでになるから、お上《かみ》や中宮様の御処置も当を得なかったわけになるのだね。自家《うち》の殿様は決してそんなのじゃない、あまりまじめ過ぎる点で皆が困っているほどなのだ。ここへこうたびたびおいでになることだけが驚くべき御執心を一人の方に持っておられると言ってだれも感心していることだ」
 とも言った。こんな話を聞きましたと、その女が他の女房たちの中で語っているのを中の君は聞いて、ふさがり続けた胸がまたその上にもふさがって、もういよいよ自分から離れておしまいになる方と解釈しなければならない、りっぱな夫人をお得になるまでの仮の恋を自分へ運んでおいでになったにすぎなかったのであろう、さすがに中納言などへのはばかりで手紙だけは今でも情のあるようなことを書いておよこしになるのであろうと考えられるのであったが、恨めしいと人の思うよりも、恥ずかしい自身の置き場がない気がして、しおれて横になっていた。病女王はそれが耳にはいった時から、いっそうこの世に長くいたいとは思われなくなった。つまらぬ女たちではあるが、その人たちもどんなにこの始末を嘲笑《ちょうしょう》して思っているかもしれぬと思われる苦しさから、聞こえぬふうをして寝ているのであった。中の君は物思いをする人の姿態といわれる肱《かいな》を枕《まくら》にしたうたた寝をしているのであるが、その姿が可憐《かれん》で、髪が肩の横にたまっているところなどの美しいのを、病|女王《にょおう》はながめながら、親のいさめ(たらちねの親のいさめしうたた寝云々)の言葉というものがかえすがえす思い出されて悲しくなり、あの世の中でも罪の深い人の堕《お》ちる所へ父君は行っておいでにはなるまい、たとえどこにもせよおいでになる所へ自分を迎えてほしい、こんなに悲しい思いばかりを見ている自分たちを捨ててお置きになって、父君は夢にさえも現われてきてはくださらないではないかと思い続けて、夕方の空の色がすごくなり、時雨《しぐれ》が降り、木立ちの下を吹き払う風の音を寂しく聞きながら、過去のこと、のちの日のことをはかなんで病床にいる姿には、またもない品よさが備わり、白の衣服を着て、頭は梳《す》くこともしないでいるのであるが、もつれたところもなくきれいに筋がそろったまま横に投げやりになっている髪の色に少し青みのできたのも艶《えん》な趣を添えたと見える。目つき額つきの美しさはすぐれた女の顔というもののよくわかる人に見せたいようであった。うたた寝していたほうの女王は、荒い風の音に驚かされて起き上がった。山吹《やまぶき》の色、淡紫《うすむらさき》などの明るい取り合わせの着物は着ていたが顔はまたことさらに美しく、染めたように美しく、花々とした色で、物思いなどは少しも知らぬというようにも見えた。
「お父様を夢に見たのですよ。物思わしそうにして、ちょうどこの辺の所においでになりましたわ」
 と言うのを聞いて病女王の心はいっそう悲しくなった。
「お亡《かく》れになってから、どうかして夢の中ででもお逢《あ》いしたいと私はいつも思っているのに少しも出ておいでにならないのですよ」
 と言ったあとで、二人は非常に泣いた。このごろは明け暮れ自分が思っているのであるから、ふと出ておいでになることもあったのであろう、どうしても父君のおそばへ行きたい、人の妻にもならず、子なども持たない清い身を持ってあの世へ行きたい、と大姫君は来世のことまでも考えていた。支那《しな》の昔にあったという反魂香《はんごんこう》も、恋しい父君のためにほしいとあこがれていた。暗くなってしまったころに兵部卿の宮のお使いが来た。こうした一瞬間は二女王の物思いも休んだはずである。中の君はすぐに読もうともしなかった。
「やっぱりおとなしくおおような態度を見せてお返事を書いておあげなさい。私がこのまま亡くなれば、今以上にあなたは心細い境遇になって、どんな人の媒介役を女房が勤めようとするかもしれないのですからね。私はそれが気がかりで、心の残る気もしますよ。でもこの方が時々でも手紙を送っておいでになるくらいの関心をあなたに持っていらっしゃる間は、そんな無茶なことをしようとする女もなかろうと思うと、恨めしいながらもなお頼みにされますよ」
 と姫君が言うと、
「先に死ぬことなどをお思いになるのはひどいお姉様。悲しいではありませんか」
 中の君はこう言って、いよいよ夜着の中へ深く顔を隠してしまった。
「自分の命が自分の思うままにはならないのですからね。私はあの時すぐにお父様のあとを追って行きたかったのだけれど、まだこうして生きているのですからね。明日はもう自分と関係のない人生になるかもしれないのに、やはりあとのことで心を苦しめていますのも、だれのために私が尽くしたいと思うからでしょう」
 と大姫君は灯を近くへ寄せさせて宮のお手紙を読んだ。いつものようにこまやかな心が書かれ、

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ながむるは同じ雲井をいかなればおぼつかなさを添ふる時雨《しぐれ》ぞ
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 とある。袖《そで》を涙で濡《ぬ》らすというようなことがあの方にあるのであろうか、男のだれもが言う言葉ではないかと見ながらも怨《うら》めしさはまさっていくばかりであった。
 世にもまれな美男でいらせられる方が、より多く人に愛されようと艶《えん》に作っておいでになるお姿に、若い心の惹《ひ》かれていぬわけはない。隔たる日の遠くなればなるほど恋しく宮をお思いするのは中の君であって、あれほどに、あれほどな誓言までしておいでになったのであるから、どんなことがあってもこのままよその人になっておしまいになることはあるまいと思いかえす心が常に横にあった。お返事を今夜のうちにお届けせねばならぬと使いが急がし立てるために、女房が促すのに負けて、ただ一言だけを中の君は書いた。

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あられ降る深山《みやま》の里は朝夕にながむる空もかきくらしつつ
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 それは十月の三十日のことであった。
 逢《あ》わぬ日が一月以上になるではないかと、宮は自責を感じておいでになりながら、今夜こそ今夜こそと期しておいでになっても、障《さわ》りが次から次へと多くてお出かけになることができないうちに、今年の五節《ごせち》は十一月にはいってすぐになり、御所辺の空気ははなやかなものになって、それに引かれておいでになるというのでもなく、わざわざ宇治をお訪《たず》ねになろうとしないのでもなく、日が紛れてたっていく。
 この間を宇治のほうではどんなに待ち遠に思ったかしれない。かりそめの情人をお作りになってもそんなことで慰められておいでになるわけではなく、宮の恋しく思召《おぼしめ》す人はただ一人の中の君であった。左大臣家の姫君との縁組みについて、中宮《ちゅうぐう》も今では御譲歩をあそばして、
「あなたにとって強大な後援者を結婚で得てお置きになった上で、そのほかに愛している人があるなら、お迎えになって重々しく夫人の一人としてお扱いになればよろしいではないか」
 と仰せられるようになったが、
「もうしばらくお待ちください。私に考えがあるのですから」
 となおいなみ続けておいでになる兵部卿の宮であった。かりそめの恋人は作っても、勢いのある正妻などを持ってあの人に苦しい思いはさせたくないと宮の思っておいでになることなどは、宇治へわからぬことであったから、月日に添えて物思いが加わるばかりである。
 薫《かおる》も宮を自分の観察していたよりも軽薄なお心であった、世間で見ているような方ではないとお信じ申していて、宇治の女王たちへ取りなしていたのが恥ずかしくなり、女のほうを心からかわいそうに思って、あまり宮へ近づいてまいらないようになった。そして山荘のほうへは病む女王の容体を聞きにやることを怠らなかった。
 十一月になって少しよいという報告を薫は得ていて、それがちょうど公私の用の繁多な時であったため、五、六日見舞いの使いを出さずにいたことを急に思い出して、まだいろいろな用のあったのも捨てておいて自身で出かけて行った。祈祷《きとう》は恢復《かいふく》するまでとこの人から命じてあったのであったのに、少し快いようになったからといって阿闍梨《あじゃり》も寺へ帰してあった。それで山荘のうちはいっそう寂寞《せきばく》たるものになっていた。例の弁が出て来て病女王のことを報告した。
「どこがお痛いというところもございませんような、御大病とは思えぬ御容体でおありになりながら、物を少しも召し上がらないのでございますよ。だいたい御体質が繊弱でいらっしゃいますところへ、兵部卿《ひょうぶきょう》の宮様のことが起こってまいりましてからは、ひどく物思いをばかりなさいます方におなりになりまして、ちょっとしたお菓子をさえも召し上がろうとはなさらなかったおせいでございますよ、御衰弱がひどうございましてね、頼み少ないふうになっておしまいになりました。私は情けない長命《ながいき》をいたしまして、悲しい目にあいますより前に死にたいと念じているのでございます」
 と言い終えることもできぬように泣くのが道理に思われた。
「なぜそれをどなたもどなたも私へ知らせてくださらなかったのですか。冷泉《れいぜい》院のほうにも御所のほうにもむやみに御用の多い幾日だったものですから、私のほうの使いも出しかねていた間に、ずいぶん御心配していたのです」
 と言って、この前の病室にすぐ隣った所へはいって行った。枕《まくら》に近い所に坐《ざ》して薫はものを言うのであったが、声もなくなったようで姫君の返辞を聞くことができない。
「こんなに重くおなりになるまで、どなたもおしらせくださらなかったのが恨めしい。私がどんなに御心配しているかが、皆さんに通じなかったのですか」
 と言い、まず御寺《みてら》の阿闍梨《あじゃり》、それから祈祷《きとう》に効験のあると言われる僧たちを皆山荘へ薫は招いた。祈祷と読経《どきょう》を翌日から始めさせて、手つだいの殿上役人、自家の侍たちが多く呼び寄せられ、上下の人が集まって来たので、前日までの心細げな山荘の光景は跡もなく、頼もしく見られる家となった。日が暮れると例の客室へ席を移すことを女房たちは望み、湯漬《ゆづ》けなどのもてなしをしようとしたのであるが、来ることのおくれた自分は、今はせめて近い所にいて看病がしたいと薫は言い、南の縁付きの室《ま》は僧の室《へや》になっていたから、東側の部屋《へや》で、それよりも病床に密接している所に屏風《びょうぶ》などを立てさせてはいった。これを中の君は迷惑に思ったのであるが、薫と姫君との間柄に友情以上のものが結ばれていることと信じている女房たちは、他人としては扱わないのであった。
 初夜から始めさせた法華経《ほけきょう》を続けて読ませていた。尊い声を持った僧の十二人のそれを勤めているのが感じよく思われた。灯《ひ》は僧たちのいる南の室《ま》にあって、内側の暗くなっている病室へ薫はすべり入るようにして行って、病んだ恋人を見た。老いた女房の二、三人が付いていた。中の君はそっと物蔭《ものかげ》へ隠れてしまったのであったから、ただ一人床上に横たわっている総角《あげまき》の病女王のそばへ寄って薫は、
「どうしてあなたは声だけでも聞かせてくださらないのですか」
 と言って、手を取った。
「心ではあなたのおいでになったことがわかっていながら、ものを言うのが苦しいものですから失礼いたしました。しばらくおいでにならないものですから、もうお目にかかれないままで死んで行くのかと思っていました」
 息よりも低い声で病者はこう言った。
「あなたにさえ待たれるほど長く出て来ませんでしたね、私は」
 しゃくり上げて薫は泣いた。この人の頬《ほお》に触れる髪の毛が熱で少し熱くなっていた。
「あなたはなんという罪な性格を持っておいでになって、人をお悲しませになったのでしょう。その最後にこんな病気におなりになった」
 耳に口を押し当てていろいろと薫が言うと、姫君はうるさくも恥ずかしくも思って、袖《そで》で顔をふさいでしまった。平生よりもなおなよなよとした姿になって横たわっているのを見ながら、この人を死なせたらどんな気持ちがするであろうと胸も押しつぶされたように薫はなっていた。
「毎日の御|介抱《かいほう》が、御心配といっしょになってたいへんだったでしょう。今夜だけでもゆっくりとお休みなさい。私がお付きしていますから」
 見えぬ蔭にいる中の君に薫がこう言うと、不安心には思いながらも、何か直接に話したいことがあるのであろうと思って、若い女王《にょおう》は少し遠くへ行った。真向《まっこ》うへ顔を持ってくるのでなくても、近く寄り添って来る薫に、大姫君は羞恥《しゅうち》を覚えるのであったが、これだけの宿縁はあったのであろうと思い、危険な線は踏み越えようとしなかった同情の深さを、今一人の男性に比べて思うと、一種の愛はわく姫君であった。死んだあとの思い出にも気強く、思いやりのない女には思われまいとして、かたわらの人を押しやろうとはしなかった。
 一夜じゅうかたわらにいて、時々は湯なども薫は勧めるのであったが、少しもそれは聞き入れなかった。悲しいことである、この命をどうして引きとめることができるであろうと薫は思い悩むのであった。不断経を読む僧が夜明けごろに人の代わる時しばらく前の人と同音に唱える経声が尊く聞こえた。阿闍梨《あじゃり》も夜居《よい》の護持僧を勤めていて、少し居眠りをしたあとでさめて、陀羅尼《だらに》を読み出したのが、老いたしわがれ声ではあったが老巧者らしく頼もしく聞かれた。
「今夜の御様子はいかがでございますか」
 などと阿闍梨は薫に問うたついでに、
「宮様はどんな所においでになりましょう。必ずもう清浄な世界においでになると私は思っているのですが、先日の夢にお見上げすることができまして、それはまだ俗のお姿をしていられまして、人生を深くいとわしい所と信じていたから、執着の残ることは何もなかったのだが、少し心配に思われる点があって、今しばらくの間志す所へも行きつかずにいるのが残念だ。こうした私の気持ちを救うような方法を講じてくれとはっきりと仰せられたのですが、そうした場合に速く何をしてよろしいか私にはよい考えが出ないものですから、ともかくもできますことでと思いまして、修行の弟子《でし》五、六人にある念仏を続けさせております。それからまた気づきまして常不軽《じょうふきょう》の行ないに弟子を歩かせております」
 こんなことを言うのを聞いて薫は非常に泣いた。父君の成仏《じょうぶつ》の道の妨げをさえしているかと病女王もそれを聞いて、そのまま息も絶えんばかりに悲しんだ。ぜひとも父君がまだ冥府《めいふ》の道をさまよっておいでになるうちに自分も行って、同じ所へまいりたいと思うのであった。阿闍梨は多く語らずに座を立って行った。
 この常不軽の行《ぎょう》はこの辺の村々をはじめとして、京の町々にまでもまわって家々の門《かど》に額を突く行であって、寒い夜明けの風を避けるために、師の阿闍梨《あじゃり》のまいっている山荘へはいり、中門の所へすわって回向《えこう》の言葉を述べているその末段に言われることが、故人の遺族の身にしみじみとしむのであった。客である中納言も仏に帰依する人であったから、これも泣きながら聞いていた。
 中の君が姉君を気づかわしく思うあまりに病床に近く来て、奥のほうの几帳《きちょう》の蔭に来ている気配《けはい》を薫は知り、居ずまいを正して、
「不軽の声をどうお聞きになりましたか、おごそかな宗派のほうではしないことですが尊いものですね」
 と言い、また、

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霜さゆる汀《みぎは》の千鳥うちわびて鳴く音《ね》悲しき朝ぼらけかな
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 これをただ言葉のようにして言った。
 恨めしい恋人に似たところのある人とは思うが返辞の声は出しかねて、弁に代わらせた。

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あかつきの霜うち払ひ鳴く千鳥もの思ふ人の心をや知る
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 あまりに似合わしくない代わり役であったが、つたなくもない声《こわ》づかいで弁はこの役を勤めた。こうした言葉の贈答にも、遠慮深くはありながらなつかしい才気のにおいの覚えられるこの女王とも、姉女王を死が奪ったあとではよそよそになってしまわねばならぬではないか、何もかも失うことになればどんな気がするであろうと薫は恐ろしいことのようにさえ思った。阿闍梨の夢に八の宮が現われておいでになったことを思っても、このいたましい二人の女王があの世からお気がかりにお見えになることかもしれぬと思われる薫は、山の御寺《みてら》へも誦経《ずきょう》の使いを出し、そのほかの所々へも読経《どきょう》をさせる使いをすぐに立てた。宮廷のほうへも、私邸のほうへもお暇《いとま》を乞《こ》い、神々への祭り、祓《はらい》までも隙《ひま》なくさせて姫君の快癒《かいゆ》のみ待つ薫であったが、見えぬ罪により得ている病ではないのであったから、効験は現われてこなかった。病者自身が、生かせてほしいと仏に願っておればともかくであるが、女王にすれば、病になったのを幸いとして死にたいと念じていることであるから、祈祷《きとう》の効目《ききめ》もないわけである。死ぬほうがよい、中納言がこうしてつききりになっていて介抱《かいほう》をされるのでは、癒《なお》ったあとの自分はその妻になるよりほかの道はない、そうかといって、今見る熱愛とのちの日の愛情とが変わり、自分も恨むことになり、煩悶《はんもん》が絶えなくなるのはいとわしい。もしこの病で死ぬことができなかった場合には、病身であることに託して尼になろう、そうしてこそ互いの愛は永久に保たれることになるのであるから、ぜひそうしなければならぬと姫君は深く思うようになって、死ぬにしても、生きるにしても出家のことはぜひ実行したいと考えるのであるが、そんな賢げに聞こえることは薫に言い出されなくて、中の君に、
「私の病気は癒るのでないような気がしますからね、仏のお弟子《でし》になることによって、命の助かる例もあると言いますから、あなたからそのことを阿闍梨に頼んでください」
 こう言ってみた。皆が泣いて、
「とんでもない仰せでございます。あんなに御心配をしていらっしゃいます中納言様がどれほど御落胆あそばすかしれません」
 だれもこんなことを言って、唯一の庇護者《ひごしゃ》である薫《かおる》にこの望みを取り次ごうとしないのを病女王は残念に思っていた。
 女王の病のために薫が宇治に滞在していることを、それからそれへと話に聞き、慰問にわざわざ来る人もあった。深く愛している様子を察している部下の人、家職の人たちはいろいろの祈祷を依頼しにまわるのに狂奔していた。
 今日は五節《ごせち》の当日であると薫は京を思いやっていた。風がひどくなり、雪もあわただしく降り荒れていた。京の中の天気はこんなでもあるまいがと切実に心細さを感じていた薫は、この人と夫婦になれずに終わるのであろうかと考えられる点に、運命の恨めしさはあったが、そんなことは今さら思うべきでない、なつかしい可憐《かれん》なふうで、ただしばらくでも以前のように思うことの言い合える時があればいいのであるがと物思わしくしていた。明るくならないままで日が暮れた。

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かきくもり日かげも見えぬ奥山に心をくらすころにもあるかな
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 薫の歌である。この人のいてくれるのをだれも力に頼んでいた。
 いつもの近い席に薫がいる時に、几帳《きちょう》などを風が乱暴に吹き上げるため中の君は向こうのほうへはいった。老いた女房などもきまり悪がって隠れてしまった間に、近々と病床へ薫は寄って、
「どんな御気分ですか、私が精神を集中して快くおなりになるのを祈っているのに、その効《かい》がなくて、もう声すら聞かせていただけなくなったのは悲しいことじゃありませんか。私をあとに残して行っておしまいになったらどんなに恨めしいでしょう」
 泣く泣くこう言った。もう意識もおぼろになったようでありながら女王は薫のけはいを知って袖《そで》で顔をよく隠していた。
「少しでもよろしい間があれば、あなたにお話し申したいこともあるのですが、何をしようとしても消えていくようにばかりなさるのは悲しゅうございます」
 薫を深く憐《あわれ》むふうのあるのを知って、いよいよ男の涙はとめどなく流れるのであるが、周囲で頼み少なく思っているとは知らせたくないと思って慎もうとしても、泣く声の立つのをどうしようもなかった。自分とはどんな宿命で、心の限り愛していながら、恨めしい思いを多く味わわせられるだけでこの人と別れねばならぬのであろう、少し悪い感じでも与えられれば、それによってせめても失う者の苦しみをなだめることになるであろう、と思って見つめる薫であったが、いよいよ可憐《かれん》で、美しい点ばかりが見いだされる。腕《かいな》なども細く細く細くなって影のようにはかなくは見えながらも色合いが変わらず、白く美しくなよなよとして、白い服の柔らかなのを身につけ夜着は少し下へ押しやってある。それはちょうど中に胴というもののない雛《ひな》人形を寝かせたようなのである。髪は多すぎるとは思われぬほどの量《かさ》で床の上にあった。枕《まくら》から下がったあたりがつやつやと美しいのを見ても、この人がどうなってしまうのであろう、助かりそうも見えぬではないかと限りなく惜しまれた。長く病臥《びょうが》していて何のつくろいもしていない人が、盛装して気どった美人というものよりはるかにすぐれていて、見ているうちに魂も、この人と合致するために自分を離れて行くように思われた。
「あなたがいよいよ私を捨ててお行きになることになったら、私も生きていませんよ。けれど、人の命は思うようになるものでなく、生きていねばならぬことになりましたら、私は深い山へはいってしまおうと思います。ただその際にお妹様を心細い状態であとへお残しするだけが苦痛に思われます」
 中納言は少しでもものを言わせたいために、病者が最も関心を持つはずの人のことを言ってみると、姫君は顔を隠していた袖《そで》を少し引き直して、
「私はこうして短命で終わる予感があったものですから、あなたの御好意を解しないように思われますのが苦しくて、残っていく人を私の代わりと思ってくださるようにとそう願っていたのですが、あなたがそのとおりにしてくださいましたら、どんなに安心だったかと思いましてね、それだけが心残りで死なれない気もいたします」
 と言った。
「こんなふうに悲しい思いばかりをしなければならないのが私の宿命だったのでしょう。私はあなた以外のだれとも夫婦になる気は持ってなかったものですから、あなたの好意にもそむいたわけなのです。今さら残念であの方がお気の毒でなりません。しかし御心配をなさることはありませんよ。あの方のことは」
 などともなだめていた薫は、姫君が苦しそうなふうであるのを見て、修法の僧などを近くへ呼び入れさせ、効験をよく現わす人々に加持をさせた。そして自身でも念じ入っていた。人生をことさらいとわしくなっている薫でないために、道へ深く入れようとされる仏などが、今こうした大きな悲しみをさせるのではなかろうか。見ているうちに何かの植物が枯れていくように総角《あげまき》の姫君の死んだのは悲しいことであった。引きとめることもできず、足摺《あしず》りしたいほどに薫は思い、人が何と思うともはばかる気はなくなっていた。臨終と見て中の君が自分もともに死にたいとはげしい悲嘆にくれたのも道理である。涙におぼれている女王を、例の忠告好きの女房たちは、こんな場合に肉親がそばで歎くのはよろしくないことになっていると言って、無理に他の室へ伴って行った。
 源中納言は死んだのを見ていても、これは事実でないであろう、夢ではないかと思って、台の灯《ひ》を高く掲げて近くへ寄せ、恋人をながめるのであったが、少し袖《そで》で隠している顔もただ眠っているようで、変わったと思われるところもなく美しく横たわっている姫君を、このままにして乾燥した玉虫の骸《から》のように永久に自分から離さずに置く方法があればよいと、こんなことも思った。遺骸《いがい》として始末するために人が髪を直した時に、さっと芳香が立った。それはなつかしい生きていた日のままのにおいであった。どの点でこの人に欠点があるとしてのけにくい執着を除けばいいのであろう、あまりにも完全な女性であった。この人の死が自分を信仰へ導こうとする仏の方便であるならば、恐怖もされるような、悲しみも忘れられるほど変相を見せられたいと仏を念じているのであるが、悲しみはますます深まるばかりであったから、せめて早く煙にすることをしようと思い、葬送の儀式のことなどを命じてさせるのもまた苦しいことであった。空を歩くような気持ちを覚えて薫は葬場へ行ったのであるが、火葬の煙さえも多くは立たなかったのにはかなさをさらに感じて山荘へ帰った。
 忌籠《きごも》りする僧の数も多くて、心細さは少し慰むはずであったが、中の君はだれにもだれにも先立たれた不幸な女として人から見られるのすら恥ずかしいと思い沈んでいて、この人も生きた姫君とは思われないほどであった。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮からも御慰問の品々が贈られたのであるが、恨めしいと思い込んだ姉君の気持ちを、ついに緩和させずじまいになされた方だと思うと、中の君はお受けしてうれしいとは思わなかった。
 中納言は人生の悲しみを切実に味わった今度のことを機会に、出家したいと思う心はあるのであるが、三条の母宮の思召しもはばかられ、それとこの中の君の境遇の心細さは見捨てられないものに思われて煩悶《はんもん》をしながら、故|女王《にょおう》の言ったとおりに、短命で死ぬ人の代わりに中の君を娶《めと》るのもよかった、自分の身を分けた同じものに思えと言われても、恋の相手を変える気にその当時の自分はなれなかった、こんな孤独の人にして物思いをさせるのであったなら、故人を忍ぶ相手として二人で語り合う身になっておればよかったのであるとも思った。かりそめにも京へ出ることをせず、物思いをしてこもっていることを知って、世間の人も故人を薫が深く愛していたことを知り、宮中をはじめとして諸方面からの慰問の使いが山荘を多く訪《おとず》れた。
 女王の歿後《ぼつご》の日はずんずんとたっていく。七日七日の法要にも尊いことを多くして志の深い弔いを故人のために怠らぬ源中納言も、妻を失った良人《おっと》でないため喪服は着けることのできないため、ことに大姫君を尊敬して仕えた女房らの濃い墨染めの袖《そで》を見ても、

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くれなゐに落つる涙もかひなきはかたみの色を染めぬなりけり
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 こんなことがつぶやかれ、浅い紅《くれない》の下の単衣《ひとえ》の袖を涙に濡《ぬ》らしているこの人は、あくまで艶《えん》できれいであった。女房たちがのぞきながら、
「姫君のお亡《かく》れになった悲しみは別として、この殿様がこちらにずっとおいでくださいますことに私たちはもう馴《な》らされていて、忌が済んでお帰りになることを思うと、お別れが惜しくて悲しいではありませんか。なんという宿命でしょう。こんなに真心の深い方をお二方とも御冷淡になすって、御縁をお結びにならなかったとはね」
 とも言って泣き合っていた。
「こちらの姫君をあの方のお形見とみなして、今後はいろいろ昔の話を申し上げ、また承りもしたいと思うのです。他人のように思召さないでください」
 と薫は中の君へ言わせたが、すべての点で自分は薄命な女であると思う心から恥じられて、中の君はまだ話し合おうとはしなかった。この女王のほうはあざやかな美人で、娘らしいところと、気高《けだか》いところは多分に持っていたが、なつかしい柔らかな嫋々《じょうじょう》たる美というものは故人に劣っていると事に触れて薫は思った。
 雪の暗く降り暮らした日、終日物思いをしていた薫は、世人が愛しにくいものに言う十二月の月の冴《さ》えてかかった空を、御簾《みす》を巻き上げてながめていると、御寺《みてら》の鐘の声が今日も暮れたとかすかに響いてきた。

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おくれじと空行く月を慕ふかな終《つ》ひにすむべきこの世ならねば
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 風がはげしくなったので、揚げ戸を皆おろさせるのであったが、四辺の山影をうつした宇治川の汀《みぎわ》の氷に宿っている月が美しく見えた。京の家の作りみがいた庭にもこんな趣きは見がたいものであるがと薫は思った。病体にもせよあの人が生きていてくれたならば、こんな景色《けしき》も共にながめて語ることができたであろうと思うと、悲しみが胸から外へあふれ出すような気がした。

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恋ひわびて死ぬる薬のゆかしきに雪の山には跡を消《け》なまし
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 死を求める雪山童子《せつさんどうじ》が鬼に教えられた偈《げ》の文も得たい、それを唱えてこの川へ身を投げ、亡《な》き人に逢《あ》おうと薫《かおる》が思ったというのは、あまりに未練な求道者というべきである。
 中納言は女房たちを皆そばへ呼び集めて、話などをさせて聞いていた。様子のりっぱであることと、親切な性情を知っている女たちであるから、その中の若い人らは身にしむほどの思いで好意を持った。老いた人たちは薫を見ることによっても故人が惜しまれてならなかった。
「御病気の重くなりましたのも、兵部卿《ひょうぶきょう》の宮様のお態度に失望をなさいまして、世間体も恥ずかしいとお思いになりますのを、さすがに中の君様には、それほどにまで思召すとはお隠しになりまして、ただお一人心の中でだけ世の中を悲観し続けていらっしゃいますうちに、お食欲などもまるでなくなっておしまいになりまして、御衰弱に御衰弱が重なってまいったようでございます。表面には物思いをあそばすふうをお見せにならずに、深く胸の中で悩んでいらっしったのでございます。それに中の君様に結婚をおさせになりましたことは父宮様の御遺戒にもそむいたことであったと、いつもそれをお心の苦になさいましたのでございますよ」
 こんなことを言って、いつの時、いつかこうお言いになったことがあるなどと大姫君のことを語って、だれもだれも際限なく泣いた。自分の計らいが原因して苦しい物思いを故人にさせたと、あやまちを取り返しうるものなら取り返したく思って薫は聞いたのであって、恋人の死そのものだけでなく、すべての人生が恨めしく、念誦《ねんず》を哀れなふうにしていて、眠りについたかと思うとまたすぐに目ざめていた。
 この早朝の雪の気《け》の寒い時に、人声が多く聞こえてきて、馬の脚音《あしおと》さえもした。こうした未明に雪を分けてだれも山荘へ近づくはずがないと僧たちもそれを聞いて思っていると、それは目だたぬ狩衣《かりぎぬ》姿で兵部卿の宮が訪ねておいでになったのであった。ひどく衣服を濡《ぬ》らしてはいっておいでになった。妻戸をおたたきになる音に、宮でおありになろうことを想像した薫は、蔭《かげ》になったほうの室へひそかにはいっていた。まだ女王の忌《いみ》の日が残っているのであるが、心がかりに堪えぬように思召して、一晩じゅう雪に吹き迷わされになりながらここへ宮はお着きになったのである。こんな悪天候をものともあそばさなかった御訪問であったから、恨めしさも紛らされていってもいいのであろうが、中の君は逢《あ》ってお話をする気にはなれなかった。宮の御誠意のなさに姉を煩悶《はんもん》させ続けていたころの恥ずかしかったこと、その気持ちを直させることもしていただけなかったのであるから今になって真心をつくしてくださることになっても、もうおそい、かいがないと深く中の君は思うのであって、女房のだれもが道理を説いて勧めた結果、ようやく物越しでお逢いすることになり、宮は今までの怠りのお言いわけをあそばすのであるが、ただじっと聞き入っているばかりの中の君で、この人さえも、あるかないかのような心細い命の人と思われ、続いてどうかなるのではあるまいかと思われる気配《けはい》も見えるのを、宮はお悲しみになって、今日は何事も犠牲にしてよいという気におなりになりお帰りにならないことになった。物越しなどでなく、直接に逢いたいと宮はいろいろお訴えになるのであったが、
「もう少し人ごこちがするようになっているのでしたら」
 と言い、女王はいなみ続けていた。
 このことを薫も聞いて、中の君へ取り次がすのに都合のよい女房を呼んで、
「こちらの真心に対してあさはかにも見える態度を、初めもその後もおとりになった宮を不快にお思いになるのはもっともですが、今少し情状を酌量《しゃくりょう》になって、反感をお起こしにならぬ程度にお扱いになるがよろしい。今まで御経験のなかったためにお苦しいでしょうが」
 などと忠告をさせた。それを聞いた中の君は薫の思うことも恥ずかしくて、いよいよ宮のお話にお答えを申し上げる気になれなくなった。
「あなたはどうしてこんなに気が強いのでしょう。前にあんなに私の心持ちも、周囲の事情もお話ししておいたではありませんか。それを皆お忘れになったのですか」
 とお言いになり、宮は一日をお歎き暮らしになった。夜になるといっそう天気が悪くなり、ますます吹きつのる風の音を聞きながら、寂しい旅寝の床に歎き続けておいでになるのもさすがにおいたましく思われて、女王はまた物越しでお話を聞くことにした。無数の神を証《あかし》に立てて、今からの変わりない愛をお語りになるのを、女王は、どうしてこんなに女へお言いになることに馴《な》れておいでになるのであろうといやな気もするのであるが、遠く離れていてうとましく思うのとは違って、すぐれた御容姿の方が、自分のために悲しんでおいでになるのを見ては、心も動かずにはいないのであった。ただ聞くばかりであったが、

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きしかたを思ひいづるもはかなきを行く末かけて何頼むらん
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 と、はじめてほのかな声で言った。なお飽き足らず思召す宮であった。

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「行く末を短きものと思ひなば目の前にだにそむかざらなん
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 すべてはかない人生にいて、人をお憎みになるような罪はお作りにならないがいいでしょう」
 ともお言いになり、いろいろとおなだめになったが、
「私は気分もよろしくないのでございますから」
 中の君はこう言って奥へはいってしまった。人目も恥ずかしいように思召し、そのまま歎息を続けて宮は夜をお明かしになった。女の恨むのも道理なほどの途絶えを作ったのは自分であるが、あまりに無情な扱い方であると恨めしい涙の落ちてきた時に、ましてそのころの彼女はどれほどに煩悶《はんもん》して涙の寒さを感じたことであろうと、お思われになって、これが過去をお顧みさせることになった。
 中納言が主人がたの座敷に住んでいて、どの女房をも気安いふうに呼び使い、みずから指図《さしず》をしながら宮へ朝餐《ちょうさん》を差し上げたりさせるのを御覧になって、恋人を失ったあとのこの人の生活を気の毒にもお思いになり、趣のあることとも御覧になった。顔色もひどく青白くなり、痩《や》せてぼんやりとしたところも見えるほど物思いにやつれているふうも心苦しく宮は思召して、真心から御慰問の言葉をお告げになった。恋人の死の前後の悲しい心の動揺を今さら言いだしても効《かい》のないことではあるが、だれよりもこの方に聞いていただきたい自分であることを薫は知りながら、言いだせば自分の弱さがあらわになり、一つのことを思いつめる頑固《がんこ》男とお思われすることがはばかられて、言葉少なにしていた。日々泣き暮らしている人であったから、顔変わりがしたのも見苦しくはなくて、いよいよ清楚《せいそ》で艶《えん》なのを宮は御覧になり、女であれば、たとえ中の君などでも必ずこの人に心が移るであろうと、御自身の多情なお心からそんな想像もされるようになった宮は、なんとなくその点がお気がかりになり、どうかしてはるかな途《みち》を通い歩くという譏《そし》りも避け、中の君の恨みを除かせもするために京へ移したいとお思いになるようになった。
 こんなふうに恋人の心は容易に打ち解けるとは見えないし、今一日をここにいることは御所でも悪く思召《おぼしめ》すことであろうこともお心に上るのであったから、宮はお帰りになろうとした。
 真心を尽くして恋人の心を動かそうと宮はお努めになったのであるが、相手の冷淡であることは苦しいものであると、この一点をお思い知らせようとして、この朝も何の言葉も送らずに中の君は宮をお帰ししたのであった。
 年末になればこうした山里でなくても晴れる日は少ないのであるから、まして宇治は荒れ日和《びより》でない日もなく雪が降り積もる中に、物思いをしながらも暮らしている薫は、いつまでも続く夢を見ているようであった。総角《あげまき》の姫君の四十九日の法会も盛んに薫の手で行なわれた。
 このまま新年までも閉じこもっていることはできぬ、御母宮を初めとして自分を長くお待ちになっている所々があるのであるからと思い、いよいよ引き上げようとする薫はまた新たな深い悲しみを覚えた。ずっとこの人が来て住んでいたために、出入りする人の多かった忌中に続いた生活が跡かたもなく消えていくことを寂しがる人々は、姫君の死の当時にもまさって悲しがった。以前間をおいて訪《たず》ねて来たころの交情にもまさり、長く居ついていた忌中に仕え馴《な》れた薫の情味の深さ、精神的なことから物質的なことにまで及ぶ思いやりの多いこの人を今日かぎりに送り出すのかと女房たちは歎きにおぼれていた。
 兵部卿の宮からは、
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お話ししたように、そちらへ出向くことにいろいろ困難なことがあるため、私は心を苦しめておりましたが、ようやくあなたを近日京へ迎える方法が見つかりました。
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 というお手紙が中の君へあった。
 中宮《ちゅうぐう》が宇治の女王《にょおう》との関係をお知りになって、その姉君であった恋人を失った中納言もあれほどの悲しみを見せていることを思うと、並み並みの情人としてはだれも思われないすぐれた女性なのであろうと、兵部卿の宮のお心持ちに御同情をあそばして、二条の院の西の対へ迎えて時々通うようにとそっと仰せがあったのである。女一《にょいち》の宮《みや》に高貴な侍女をお付けになりたいと思召す心から、それに擬しておいでになるのではあるまいかと兵部卿の宮はお思いになりながらも、近くへその人を置いて、常にお逢いになることのできるのはうれしいことであると思召して、この話を薫にもあそばされた。三条の宮を落成させて大姫君を迎えようとしていた自分であるが、その人の形見にせめてわが家の人にしておきたかった中の君であったと、このことでまた心細くなる気もする薫であった。宮の疑っておいでになるような感情はまったく捨てて、その人の保護者は自分のほかにないと、兄めいた義務感を持っているのであった。

総角 版本说明

底本:「全訳源氏物語 下巻」角川文庫、角川書店
   1972(昭和47)年2月25日改版初版発行
   1995(平成7)年5月30日40版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月10日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:kompass
2004年5月3日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

50 早蕨

[#地から3字上げ]早蕨《さわらび》の歌を法師す君に似ずよき言葉を
[#地から3字上げ]ば知らぬめでたさ     (晶子)

「日の光|林藪《やぶ》しわかねばいそのかみ古《ふ》りにし里も花は咲きけり」と言われる春であったから、山荘のほとりのにおいやかになった光を見ても、宇治の中の君は、どうして自分は今まで生きていられたのであろうと、現在を夢のようにばかり思われた。四季時々の花の色も鳥の声も、明け暮れ共に見、共に聞き、それによって歌を作りかわすことをし、人生の心細さも苦しさも話し合うことで慰めを得ていた。それ以外に何の楽しみが自分にあったであろう、美しいとすることも、身にしむことも語って自身の感情を解してくれる姉君を、そのかたわらから死に奪われた人であったから、暗い気持ちをどうすることもできず、父宮のお亡《かく》れになった時の悲しみにややまさった悲しさ恋しさに、日のたつのも悟らぬほど歎き続けているが、命数には定まったものがあって、死にたくても死なれぬのも人生の悲哀の一つであると見られた。
 御寺《みてら》の阿闍梨《あじゃり》の所から、
[#ここから1字下げ]
年が変わりましてのちどんな御様子でおいでになりますか。御仏《みほとけ》へのお祈りは始終いたしております。今になりましてはあなた様お一方のために幸福であれと念じ続けるばかりです。
[#ここで字下げ終わり]
 などという手紙を添え、蕨《わらび》や土筆《つくし》を風流な籠《かご》に入れ、その説明としては、
[#ここから1字下げ]
これは童子どもが山に捜して御仏にささげたものです、初物です。
[#ここで字下げ終わり]
 とも書かれてあった。悪筆で次の歌などは大形《おおぎょう》に一字ずつ離して書いてある。

[#ここから2字下げ]
君にとてあまたの年をつみしかば常を忘れぬ初蕨なり

[#ここから1字下げ]
女王《にょおう》様に読んでお聞かせ申してください。
[#ここで字下げ終わり]
 と女房あてにしてあった。一所懸命に考え出した歌であろうと想像されて、つたない中に言ってある心を身にしむように中の君は思い、筆任せに、それほど深くお思いにならぬことであろうと思われることを、多くの美しい言葉で飾ってお送りになる方の文《ふみ》よりもこのほうに心の引かれる気がして、涙さえこぼれてきたために、返事を自身で書いた。

[#ここから2字下げ]
この春はたれにか見せんなき人のかたみに摘める峰のさわらび
[#ここで字下げ終わり]

 使いには纏頭《てんとう》が出された。
 盛りの美しさを備えた人が、いろいろな物思いのために少し面痩《おもや》せのしたのもかえって貴女《きじょ》らしい艶《えん》な趣の添ったように見え、総角《あげまき》の姫君にもよく似ていた。いっしょにいたころはどちらにも特殊な美しさがあって、似ているように見えなかったのであるが、今ではうかとしておれば大姫君であるという錯覚が起こるのを、遺骸《いがい》だけでも永《なが》くとどめてながめていられるものだったならばと、朝夕に恋しがっていた源中納言の夫人になっておいでになればよかったものを、運命のそれを許さなかったのが惜しいと思い、女房たちは残念がっていた。薫《かおる》の家のほうから始終出て来る人があってそちらのこともこちらの様子も双方でよく知っていた。まだ総角の姫君に死別した悲しみに茫然《ぼうぜん》となっていて、涙目の人になっていると中納言のことの言われているのを聞いて中の君は、中納言の姉君に持っていた愛は浅薄なものではなかったと、いっそう今になって身にしむようにその人の恋が思われるのであった。
 兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は宇治へお通いになることが近ごろになっていっそう困難になり、不可能にさえなったために、中の君を京へ迎えようと決心をあそばした。
 御所の内宴などがあって騒がしいころを過ごしてから薫は、心一つに納めかねるような愁《うれ》いも、その他のだれに話すことができようと思い、匂宮《におうみや》の御殿をお訪《たず》ねした。しめやかな早春の夕べの空の見える所に宮は出ておいでになった。十三|絃《げん》をお弾《ひ》きになりながら、例のお好きな梅の香を愛してもいられたのである。薫はその梅の花の下の枝を少し折って、手に持ちながらはいって来た。艶《えん》な感じが覚えられることであった。宮はこの早春の夕べにふさわしい客をうれしくお思いになり、

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折る人のこころに通ふ花なれや色にはいでず下ににほへる
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 とお言いになると、

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「見る人にかごと寄せける花の枝を心してこそ折るべかりけれ
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 私が困ります」
 薫も冗談《じょうだん》にしてこんなことを申し上げた。並べて見るに最もよく似合った若い貴人と見えた。しんみりとした話になっていって、どうしているかと宇治のことをまず宮はお聞きになった。薫も恋人に死なれた悲しみを言い、初めから今までのその人に関する物思いの連続を、そのおりあのおりと、身にしむようにも、美しくも泣きながら、笑いながらというように話し出したのを、聞いておいでになって、繊細な感情に富んでおいでになり、涙もろい癖の宮は、他人のことながらも、袖《そで》を絞るほどの涙をお流しになって、熱心な受け答えをあそばされるのであった。天もまた哀愁の人に同情するかのように、空を霞《かすみ》がぼんやりこめて、夜になってからは烈《はげ》しく風も吹き出し、まだ冬らしい寒さが寄ってきて灯《ひ》も消えた。「春の夜の闇《やみ》はあやなし」というようなたよりなさではあったが、話す人、聞く人もそれを障《さわ》りにしてそのままにやむ話ではなかった。どんなに語っても中納言は心の晴れることを覚えないままで深更になった。世の中にまたたぐいもないような精神的愛に止まったという薫の話を、必ずしも終わりまでそうではなかったであろうと宮のお思いになるのも、御自身から割り出してお考えになるからであろう。そうではあるが他の点では御想像が穎敏《えいびん》で、薫の気持ちをよく理解され、悲しみも慰めるに足るほどな言葉をお出しになった。一つは御容姿のお美しさが心をよく賺《すか》して、結ぼれの解けぬ歎きを少しずつ語っていかれるのは非常に気の楽になることのように薫に思われたのである。
 宮も近日に中の君を京へお迎えになろうとすることで中納言へ御相談をあそばされると、
「非常にけっこうなことでございます。あのままになりましては私の責任になりますことと苦しく思っておりました。昔の人の名残《なごり》の家も、あの女王があなた様のものであれば、今では私のお訪《たず》ねして行く名目に困っていたのでした。しかしただのお世話は十分に私がせねばならぬ方だと思っていますが、そのことで御感情を害するようなことはないでしょうか」
 と薫は言い、なお故人が以前に、自分と同じものと思えと言い、中の君と自分の結婚を望んだことも少しお話ししたが、あの中の君と兄妹《きょうだい》のような心で語っていた寝室の一夜のことには触れなかった。心の中では、こんなにも悲しまれる日の心の慰めとして妻に得ておくべきであって、宮がなされようとするがごとく京へその人を迎えることもできたのであったと、残念な気持ちがようやく深くなっていくのである。今はもう思っても何の効《かい》もないことを、しかも始終それを思いつめておれば、なしてならぬことをなしたい心も出てくるであろう、それは宮の御ため、中の君、自分のためにも人笑われなことに違いないとこうこの人は反省した。それにしても中の君が京へ移ることになっての仕度《したく》その他について、自分のほかにだれも力になる人はないのであると薫は思い、手もとでいろいろな品の新調などをさせていた。
 宇治でもきれいな若女房、童女などを捜して雇い入れ、女房たちは幸福感に浸っているのであるが、いよいよ父宮の遺愛の宇治の山荘を離れて行くことになるのかと中の君は心細くて歎かればかりする、そうかといって寂しさに堪えてここに独居する決心もできそうになかった。宮から熱愛はしていながらもこのままでは自然に遠い仲になっていくかもしれぬのをどう思っているかと恨んでおよこしになるのも少しお道理に思われるところもあったので、どうすればよいかとばかり煩悶《はんもん》する中の君であった。二月になったらすぐということであったから、近づくにしたがい咲く花の蕾《つぼみ》も大きくふくらんでくるのを見ては、春の花のすべてを見ずに行くことが心残りに思われ、帰雁《きがん》のように霞《かすみ》の山を捨てて行く先は、自身の家でもないことが不安で、宮の愛が永久に変わらぬものと見なされぬ心から寂しい未来も考えられてひそかに思い悩んでいるのであった。
 姉の服喪の期間は三月であって、除服の禊《みそぎ》を行なうことになっているのも飽き足らぬことに中の君は思った。母夫人とは顔も知らぬほどの縁であったから、恋しいとは思いようもなかったが、そのかわりとして子の服喪を姉のためにしたい心であったが、これは定まったことでかってにはならなかった。禊の日の女王の車、前駆を勤める人々、守刀などが薫のほうから送られた。

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はかなしや霞《かすみ》のころもたちしまに花の紐《ひも》とく折《をり》も来にけり
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 添えられたこの歌のように、春の花のいろいろに似た衣服も贈られたのであった。京へ移って行った日に入り用な纏頭《てんとう》に使う品、それらもあまり大形《おおぎょう》には見せずこまごまと気をつけてそろえて届けられたのである。何かのおりには親身な志を見せる薫を喜んで、女房たちは、
「こんなにまでは御兄弟だってなさるものではございませんよ」
 などと中の君に教えるのであった。こうした老いた女の心には物質的の補助ほどありがたいものはないと深く思われるので、自然これを女王《にょおう》に知らせようと努めるのである。若い女房たちは時々来る薫に親しみを持っていて、
「いよいよ姫君がほかの方の所へ行っておしまいになっては、どんなにあの方様が恋しく思召《おぼしめ》すことでしょう」
 と同情していた。
 薫《かおる》自身は山荘の人の京へ立つのが明日という日の早朝に訪《たず》ねて来た。例の客室にはいっていて、月日が自然に恋人と自分を近づけていき、妻とした大姫君を、今度の中の君のようにして京へ迎えることを、自分のほうが先に期していたのであったと思い、大姫君の生きていたころの様子、話した心を思い出して、絶対に自分を避けようとはせず、もってのほかなどと自分をとがめるようなことはなかったのに、自分の気弱さからついに友情以上のものをあの人にいだかせずに終わったと考えると、胸が痛くさえなるほどに残念であった。父宮の喪中にここから仏間にいるのをのぞいて見た北の襖子《からかみ》の穴も恋しく思い出されて、寄って行って見たが、中の室《へや》は戸が皆おろしてあって暗いために何も見えない。女房も薫の来たことによって昔を思い出して泣いていた。中の君はましてとめどもなく流れる涙のために茫《ぼう》となって横たわっていた。
「伺うことのできませんでした間に、何をどうしたということはありませんが、絶えぬ思いの続きました一端でもお話をいたして心の慰めにさせていただきたいと思います。例のように他人らしくお扱いにならないでください。いよいよ今と昔の相違を深く覚えることになって悲しいでしょうから」
 と薫から中の君へ取り次がせてきた。
「失礼だとは思われたくはないけれど、私は今気分も普通でなくて、何だか苦しいのだから、いっそうそんなことでわからぬお返辞を申し上げたりすることになってはならないと御遠慮がされる」
 と言い、中の君は気の進まぬふうであったが、御好意に対してそれではと女房らに諫《いさ》められて、中の襖子の口の所で物越しの対談をすることにした。気品よく艶で、今度はまた以前よりもひときわまさったと女房たちの目も驚くほど美しさがあって、だれにもない清楚《せいそ》な身のとりなしの備わっている薫は、これ以上の男がこの世にはあるまいと見えた。中の君はこの人に亡《な》き姉君のことをさえまた恋しく思われ、身に沁《し》んで薫を見ていた。
「取り返しがたい方のことも、今日は縁起を祝わねばなりませんからお話をさし控えたほうがよろしいでしょう」
 と中納言は言い、ややしばらくして、また、
「今度おいでになるお邸《やしき》の近い所へ、私の家もまたすぐに移転することになっていますから、夜中でも暁でもと能弁家がよく言いますように、何事がありましても私へ御用をお言いくださいましたなら、生きておりますうちはどんなにもしてあなた様のために尽くそうと私は思っているのですが、あなたはどう思ってくださいますか、御迷惑にはお感じになりませんか。出すぎたお世話はいけないかもしれぬのですから、自分の考えをよいこととばかり信じても行なえませんから、お尋ねするのです」
 こう言うと、
「この家を永久に離れたくないように思われます私は、近くへ来るなどとおっしゃるのを承っていますだけでも心が乱れまして、何とお返辞を申し上げてよろしいかもわかりません」
 所々は言おうとする言葉も消して、非常に物悲しく思っている様子の見えるところなどもよく大姫君に似ているのを知って、自身の心からこの人を他へやることになったとくちおしく思われてならぬ薫であったが、効《かい》のないことであったから、あの以前のある夜のことなどは話題にせず、そんなことは忘れてしまったのかと思われるほど平静なふうを見せていた。近い庭の紅梅の色も香もすぐれた木は、鶯《うぐいす》も見すごしがたいように啼《な》いて通るのは、まして「月やあらぬ春や昔の春ならぬ」という歎きをしている人たちの心を打つことであろうと思われた。さっと御簾《みす》を透かして吹く風に、花の香と客の貴人のにおいの混じって立つのも花橘《はなたちばな》ではないが昔恋しい心を誘った。つれづれな生活の慰めにも人生の悲しみを紛らわすためにも、紅梅の花は姉君の愛したものであったと思うことが心からあふれて、

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見る人もあらしにまよふ山里に昔覚ゆる花の香ぞする
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 と言うともなくほのかに絶え絶えに言うのを、薫はなつかしそうに自身の口にのせてから、

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袖《そで》ふれし梅は変はらぬにほひにてねごめうつろふ宿やことなる
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 と自作を告げた。絶えない涙をぬぐい隠して、あまり多くは言わぬ薫であった。
「またこんなふうにして何のお話も申し上げようと思います」
 と最後に言って立って行った。
 薫は中の君の出京について心得ておくことを女房たちに言い、山荘の留守居《るすい》にあの髭男《ひげおとこ》の侍などが残るであろうことを思って、ここに近い領地の支配をする者を呼び寄せて、今後もここへそれらの人の生活に不足せぬほどの物を届けさせる用も命じた。
 弁は中の君の移る二条の院へ従って行こうとも思わず、さまざまのことに出あって自身の長生きするのを恨めしい気がするし、人が見ても無気味な老女と思うであろうから、もう自分は存在しないものと思われるようにと言って、尼になっていた。そして引きこもっていた部屋《へや》から薫はしいて呼び出して、哀れに変わった面影のその人を見た。いつものように大姫君の話を薫はして、
「ここへは今後も時々私は来るつもりなのですが、知った人がいなくなっては心細いのに、あなたがあとへ残ってくれるのは非常にうれしい」
 など皆も言うことができず泣いてしまった。
「世の中をいとえばいとうほど延びてまいります命も恨めしゅうございますし、また私をどうなれとお思いになって、捨ててお死にになったのかと女王《にょおう》様も恨めしゅうございまして、人生に対して片意地になっておりますのも罪の深いことと思われましてね」
 と、尼になるまでの気持ちを弁の訴えるのも老いた女らしく一徹に聞こえるのであったが、薫はよく言い慰めていた。非常に年は取っているが、昔の日に美しかった名残《なごり》の髪を切り捨て後ろ梳《ず》きの尼額になったために、かえって少し若く見え雅味があるようにも思われた。故人の恋しさに堪えない心から、なぜあの人の望みどおりに尼にさせなかったのであろう、そしたならあるいは命が助かっていたかもしれぬではないか、そして二人して御仏《みほとけ》に仕え、ますますこまやかな交情を作っていきたかった、とこんなことさえ思われる薫には、弁の尼姿さえうらやまれてきて、身体《からだ》を隠すようにしている几帳《きちょう》を少し横へ引きやって、親しみ深くいろいろな話をした。見た所はぼけたようではあるが、ものを言う気配《けはい》などに洗練された跡が見え、美しい若い日を持っていたことが想像される。

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さきに立つ涙の川に身を投げば人におくれぬ命ならまし
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 悲しそうな表情で弁の尼は言った。
「それも罪の深いことになるのですよ、そんな死に方をしては極楽へ行けることがまれで、そして暗い中有《ちゅうう》に長くいなければならなくなるのもつまりませんよ、いっさい空《くう》とあきらめるのがいちばんいいのですよ」
 とも薫は教えた。

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「身を投げん涙の川に沈みても恋しき瀬々に忘れしもせじ
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 どんな時が来れば少しでも心の慰むことが発見されるのだろう」
 と薫は言い、終わりもない哀愁をいだかせられる気持ちがした。
 帰って行く気もせず物思いを続けているうちに日も暮れたが、このまま泊まっていくことは人の疑いを招くことになりやすいからと思い帰京した。
 源中納言の悲しんでいた様子を中の君に語って、弁はいっそう慰めがたいふうになっていた。他の女房たちは楽しいふうで、明日の用意に物を縫うのに夢中になっていたり、老いて醜くなった顔に化粧をして座敷の中を行き歩いていたりしている一方で弁は、いよいよ世捨て人らしいふうを見せて、

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人は皆いそぎ立つめる袖のうらに一人もしほをたるるあまかな
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 と中の君へ訴えた。

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「しほたるるあまの衣に異なれやうきたる波に濡《ぬ》るる我が袖
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 世間へ出て人並みな幸福な生活が続けていけるとは思われないのだから、ことによってはここをまた最後の隠れ家として私は帰って来るつもりだから、そうなればまたあなたに逢《あ》うこともできますが、しばらくでも別れ別れになって、寂しいあなたの残るのを捨てていくかと思うと、私の進まない心はいっそう進まなくなります。あなたのような姿になった人だっても、絶対に人づきあいをしないものではないようなのですからね、そうした人と同じ気持ちになって、時々は私の所へも来てください」
 などと女王はなつかしいふうに話していた。大姫君の使っていて、なお用に立つような手道具類は皆この人へのこしておくことに中の君はした。
「だれよりも深くお姉様を悲しんでいてくれるあなたを見ると、深い縁が前生からあったのではなかろうかと、こんなことも思われて特別なものにあなたが見えます」
 こんなことを言われて、いよいよ弁の尼は子供が母を恋しがって泣くように泣く。自身の気持ちをおさえる力も今はないように見えた。
 山荘の中はきれいに片づき、荷物はできて、中の君の乗用車、その他の車が廊に寄せられた。前駆を勤める人の中に四位や五位が多かった。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮御自身でも非常に迎えにおいでになりたかったのであるが、たいそうになってはかえって悪いであろうと、微行の形で新婦をお迎えになることを計らわれたのであって、心配には思召《おぼしめ》された。源中納言のほうからも前駆を多人数よこしてあった。だいたいのことだけは兵部卿の宮が手落ちなくお計りになったのであるが、こまごまとした入り用の物、費用などは皆|薫《かおる》が贈ったのであった。
 出立が早くできないでは日が暮れると女房らも言い、迎えの人たちも促すために、中の君はあわただしくて、今から行く所がどんな所かと思うことで不安な落ち着かぬ悲しい気持ちを抱きながら車上の人になった。大輔《たゆう》という女房が、

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ありふればうれしき瀬にも逢《あ》ひけるを身を宇治川に投げてましかば
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 と言って、笑顔《えがお》をしているのを見ては、弁の尼の心境とはあまりにも相違したものであると中の君はうとましく思った。もう一人の女房、

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過ぎにしが恋しきことも忘れねど今日はた先《ま》づも行く心かな
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 この二人はどちらも長くいた年寄りの女房で、皆大姫君付きになるのを希望した者であったが、利己的に主人を変えて、今日は縁起のよいことより言ってはならぬと言葉を慎んでいるのもいやな世の中であると思う中の君はものも言われなかった。道の長くてけわしい山路であるのをはじめて知り、恨めしくばかり思った宮の通い路の途絶えも無理のない点もあるように思うことができた。白く出た七日の月の霞《かす》んだのを見て、遠い路《みち》に馴《な》れぬ女王《にょおう》は苦しさに歎息《たんそく》しながら、

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ながむれば山より出《い》でて行く月も世に住みわびて山にこそ入れ
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 と口ずさまれるのであった。変わった境遇へこうして移って行ってそのあとはどうなるであろうとばかり危《あや》ぶまれる思いに比べてみれば、今までのことは煩悶《はんもん》の数のうちでもなかったように思われ、昨日《きのう》の世に帰りたくも思われた。
 十時少し過ぎごろに二条の院へ着いた。まぶしい見も知らぬ宮殿の幾つともなく棟《むね》の別れた中門の中へ車は引き入れられ、そのころもう時を計って宮は待っておいでになったのであったから、車の所へ御自身でお寄りになり、夫人をお抱きおろしになった。夫人の居間の装飾の輝くばかりであったことは言うまでもないが、女房の部屋部屋にまで宮の御注意の行き届いた跡が見え、理想的な新婦の住居《すまい》が中の君を待っていたのである。
 宮がどの程度に愛しておいでになるのか、妾《しょう》としてか、情人としての御待遇があるかと世間で見ていた八の宮の姫君はこうしてにわかに兵部卿親王の夫人に定まってしまったのを見て、深くお愛しになっているに違いないと世間も中の君をりっぱな女性として認め、かつ驚いた。
 源中納言はこの二十日ごろに三条の宮へ移ることにしたいと思い、このごろは毎日そこへ来ていろいろな指図《さしず》をしていたのであるが、二条の院に近接した所であったから、中の君の着く夜の気配《けはい》をよそながら知りたく思い、その日は夜がふけるまで、まだ人の住まぬ新築したばかりの家にとどまっているうちに、迎えに出した前駆の人たちが帰って来て、いろいろ報告した。兵部卿の宮が御満足なふうで新婦を御大切にお扱いになる御様子であるということを聞く薫は、うれしい気のする一方ではさすがに、自身の心からではあったが得べき人を他へ行かせてしまったことの後悔が苦しいほど胸につのってきて、取り返し得ることはできぬものであろうかと、こんなうめきに似た独言《ひとりごと》も口から出た。

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しなてるやにほの湖に漕《こ》ぐ船の真帆《まほ》ならねども相見しものを
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 とあの夜のことでちょっと悪く言ってみたい気もした。
 左大臣は六の君を兵部卿の宮に奉るのを、この二月にと思っていた所へ、こうした意外な人をそれより先にというように夫人として堂々とお迎えになり、二条の院にばかりおいでになるようになったのを見て、不快がっているということをお聞きになっては、また気の毒にお思われになる兵部卿の宮は手紙だけを時々六の君へ送っておいでになった。裳着《もぎ》の式の派手《はで》に行なわれることがすでに世間の噂《うわさ》にさえなっていたから、日を延ばすのも見苦しいことに思われて二十幾日にその式はしてしまった。一家の内輪どうしの中の縁組みは感心できぬものであるが、薫の中納言だけは他家の婿に取らせることは惜しい、六の君を改めてその人に娶《めと》らせようか、長く秘密にしていた宇治の愛人を失って憂鬱《ゆううつ》になっているおりからでもあるからと左大臣は思って、ある人に薫の意向を聞かせてみたが、人生のはかなさを実証したことに最近|逢《あ》った自分は、結婚のことなどを思うことはできぬと相手にせぬ様子を聞き、どうして中納言までが懇切に自分のほうから言いだしたことに気のないような返辞をするのであろうと、一時は恨んだものの、兄弟ではあっても敬服せずにおられぬところの備わった薫に、しいて六の君を娶らせることは断念した。
 陽春の花盛りになって、薫は近い二条の院の桜の梢《こずえ》を見やる時にも「あさぢ原主なき宿のさくら花心やすくや風に散るらん」と宇治の山荘が思いやられて恋しいままに、匂宮《におうみや》をお訪ねしに行った。宮はおおかたここにおいでになるようになって、貴人の夫人らしく中の君も住み馴《な》れたのを見て、その人の幸福を喜びながらも怪しいあこがれの心はそれにも消されなかった。ますます中の君が恋しくなっていく。しかし本心は親切で、中の君を深く庇護《ひご》しなければならぬことを忘れなかった。
 宮と薫は何かとお話をし合っていたが、夕方に宮は御所へおいでになろうとして、車の仕度《したく》がなされ、前駆などが多く集まって来たりしたために、客殿を立って西の対の夫人の所へ薫はまわって行った。山荘の寂しい生活をしていた時に変わり、御簾《みす》の内のゆかしさが思われるような、落ち着いた高華な夫人の住居《すまい》がここに営まれていた。美しい童女の透き影の見えるのに声をかけて、中の君へ消息を取り次がせると、褥《しとね》が出され、宇治時代からの女房で薫を知ったふうの人が来て返辞を伝えた。薫は、
「始終お近い所に住んでおりながら、何と申す用がなくて伺いますことは、なれなれしすぎたことだとかえってお咎《とが》めを受けることになるかもしれませぬと御遠慮をしておりますうちに、世界も変わってしまいましたようになりました。お庭の木の梢も霞《かすみ》越しに見ているのですから、身にしむ気のする時も多いのです」
 と取り次がせた、物思わしそうにしている薫の姿の気の毒なのを中の君は見て、あの人が惜しむどおりに大姫君が生きていて、あの人の所に迎えられておれば、近い家のことで、始終消息ができ、花鳥につけても少し愉《たの》しい日送りができたであろうがなどと、姉君を思い出すと、忍耐そのものが生活であったような宇治の時のほうが、かえって悲しみも忍びよかったように思われ、故人の恋しさのつのるばかりであった。女房たちも、
「世間の習いどおりに、うとうとしくあの方様をお扱いになってはなりませぬ。今こうおなりあそばしてからこそ、あの方様の御親切の並み並みでないことがおわかりになった御感謝の心をお見せあそばすべきでございます」
 こう言って勧めているのであったが、にわかに自身で話に出るようなことはなお恥ずかしくて中の君が躊躇《ちゅうちょ》をしている時に、お出かけになろうとする宮が、夫人に言葉をかけるためにこの西の対へおいでになった。きれいなお身なりで、化粧も施され、見て見がいのある宮様であった。薫のこちらに来ていたのを御覧になり、
「どうしてあんなによそよそしい席を与えていらっしゃるのですか。あなたがたの所へはあまりにしすぎると思うほどの親切を見せていた人なのだからね。私のためには多少それは危険を感ずべきことではあっても、あんなに冷遇すれば男はかえって反発的なことを起こすものですよ。近くへお呼びになって昔話でもしたらいいでしょう」
 こんなことを夫人に言われたのであるが、また、
「しかしあまり気を許して話し合うことはどうだろう。疑わしい心が下に見えますからね」
 ともお言いになったので、どうすればよいかわからぬようなめんどうさを中の君は感じた。自分にもまれな好意の寄せられたのを知っているのであったから、今の身になったからといって、うとうとしくできるものでない、あの人も言うように、姉君の代わりと見て、感謝している自分の心をあの人に見せうる機会があればよいと願っているがと中の君は思うものの、さすがに宮がとやかくと嫉妬《しっと》をあそばすのは苦しかった。

早蕨 版本说明

底本:「全訳源氏物語 下巻」角川文庫、角川書店
   1972(昭和47)年2月25日改版初版発行
   1995(平成7)年5月30日40版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月10日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:kompass
2004年3月23日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

51 宿り木

[#地から3字上げ]あふけなく大御《おほみ》むすめをいにしへの人
[#地から3字上げ]に似よとも思ひけるかな  (晶子)

 そのころ後宮《こうきゅう》で藤壺《ふじつぼ》と言われていたのは亡き左大臣の女《むすめ》の女御《にょご》であった。帝《みかど》がまだ東宮でいらせられた時に、最も初めに上がった人であったから、親しみをお持ちになることは殊に深くて、御愛情はお持ちになるのであったが、それの形になって現われるようなこともなくて歳月《としつき》がたつうちに、中宮《ちゅうぐう》のほうには宮たちも多くおできになって、それぞれごりっぱにおなりあそばされたにもかかわらず、この女御は内親王をお一人お生みすることができただけであった。自分が後宮の競争に失敗する悲しい運命を見たかわりに、この宮を長い将来にかけて唯一の慰安にするまでも完全な幸福のある方にしたいと女御は大事にかしずいていた。御|容貌《ようぼう》もお美しかったから帝も愛しておいでになり、中宮からお生まれになった女一《にょいち》の宮《みや》を、世にたぐいもないほど帝が尊重しておいでになることによって、世間がまた格別な敬意を寄せるという、こうした点は別として、皇女としてはなやかな生活をしておいでになることではあまり劣ることもなくて、女御の父大臣の勢力の大きかった名残《なごり》はまだ家に残り、物質的に不自由のないところから、女二の宮の侍女たちの服装をはじめとし、御殿内を季節季節にしたがって変える装飾もはなやかにして、派手《はで》でそして重厚な貴女らしさを失わぬ用意のあるおかしずきをしていた。宮の十四におなりになる年に裳着《もぎ》の式を行なおうとして、その春から専心に仕度《したく》をして、何事も並み並みに平凡にならぬようにしたいと女御は願っていた。自家の祖先から伝わった宝物類も晴れの式に役だてようと捜し出させて、非常に熱心になっていた女御が、夏ごろから物怪《もののけ》に煩《わずら》い始めてまもなく死んだ。残念に思召《おぼしめ》されて帝《みかど》もお歎きになった。優しい人であったため、殿上役人なども御所の内が寂しくなったように言って惜しんだ。直接の関係のなかった女官たちなども藤壺《ふじつぼ》の女御を皆しのんだ。女二の宮はまして若い少女心《おとめごころ》にお心細くも悲しくも思い沈んでおいでになろうことを、哀れに気がかりに思召す帝は、四十九日が過ぎるとまもなくそっと御所へお呼び寄せになった。その藤壺へおいでになって帝は女二の宮を慰めておいでになるのであった。黒い喪服姿になっておいでになる宮は、いっそう可憐《かれん》に見え、品よさがすぐれておいでになった。性質も聡明《そうめい》で、母の女御よりも静かで深みのあることは少しまさっているのをお知りになって、御安心はあそばされるのであったが、実際問題としてはこの方に確かな後援者と見るべき伯父《おじ》はなく、わずかに女御と腹違いの兄弟が大蔵卿《おおくらきょう》、修理|大夫《だゆう》などでいるだけであったから、格別世間から重んぜられてもいず地位の高くもない人を背景にしていることは女の身にとって不利な場合が多いであろうことが哀れであると、帝はただ一人の親となってこの宮のことに全責任のある気のあそばすのもお苦しかった。
 お庭の菊の花がまだ終わりがたにもならず盛りなころ、空模様も時雨《しぐれ》になって寂しい日であったが、帝はどこよりもまず藤壺へおいでになり、故人の女御のことなどをお話し出しになると、宮はおおようではあるが子供らしくはなく、難のないお答えなどされるのを帝はかわいく思召した。こうした人の価値を認めて愛する良人《おっと》のないはずはない、朱雀《すざく》院が姫宮を六条院へお嫁《とつ》がせになった時のことを思ってごらんになると、あの当時は飽き足らぬことである、皇女は一人でおいでになるほうが神聖でいいとも世間で言ったものであるが、源中納言のようなすぐれた子をお持ちになり、それがついているために昔と変わらぬ世の尊敬も女三の宮が受けておいでになる事実もあるではないか、そうでなく独身でおいでになれば、弱い女性の身には、自発的のことでなく過失に堕《お》ちてしまうことがあって、自然人から軽侮を受ける結果になっていたかもしれぬと、こんなことを帝はお思い続けになって、ともかくも自分の位にいるうちに婿をきめておきたい、だれが好配偶者とするに足る人物であろうとお思いになると、その女三の宮の御子の源中納言以外に適当な婿はないということへ帝のお考えは帰着した。内親王の良人《おっと》としてどの点でも似合わしくないところはない、愛人を他に持っていたとしても、妻になった宮を辱《はずか》しめるようなことはしないはずの男である、しかしながら早くしないでは正妻というものをいつまでも持たずにいるわけはないのであるから、その前に自分の意向をかれにほのめかしておきたいとこんなことを帝は時々思召した。
 ある日帝は碁を打っておいでになった。暮れがたになり時雨《しぐれ》の走るのも趣があって、菊へ夕明りのさした色も美しいのを御覧になって、蔵人《くろうど》を召して、
「今殿上の室にはだれとだれがいるか」
 と、お尋ねになった。
「中務卿親王《なかつかさきょうしんのう》、上野《こうずけ》の親王《しんのう》、中納言《ちゅうなごん》源《みなもと》の朝臣《あそん》がおられます」
「中納言の朝臣をこちらへ」
 と、仰せがあって薫《かおる》がまいった。実際源中納言はこうした特別な御|愛寵《あいちょう》によって召される人らしく、遠くからもにおう芳香をはじめとして、高い価値のある風采《ふうさい》を持っていた。
「今日の時雨《しぐれ》は平生よりも明るくて、感じのよい日に思われるのだが、音楽は聞こうという気はしないし、つまらぬことにせよつれづれを慰めるのにはまずこれがいいと思うから」
 と帝はお言いになって、碁盤をそばへお取り寄せになり、薫へ相手をお命じになった。いつもこんなふうに親しくおそばへお呼びになる習慣から、格別何でもなく薫が思っていると、
「よい賭物《かけもの》があっていいはずなんだがね、少しの負けぐらいでそれは渡せない。何だと思う、それを」
 という仰せがあった。お心持ちを悟ったのか薫は平生よりも緊張したふうになっていた。碁の勝負で三番のうち二番を帝はお負けになった。
「くやしいことだ。まあ今日はこの庭の菊一枝を許す」
 このお言葉にお答えはせずに薫は階《きざはし》をおりて、美しい菊の一枝を折って来た。そして、

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世の常の垣根《かきね》ににほふ花ならば心のままに折りて見ましを
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 この歌を奏したのは思召しに添ったことであった。

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霜にあへず枯れにし園の菊なれど残りの色はあせずもあるかな
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 と帝は仰せられた。こんなふうにおりおりおほのめかしになるのを、直接薫は伺いながらも、この人の性質であるから、すぐに進んで出ようとも思わなかった。結婚をするのは自分の本意でない、今までもいろいろな縁談があって、その人々に対して気の毒な感情もありながら、断わり続けてきたのに、今になって妻を持っては、俗人と違うことを標榜《ひょうぼう》していたものが、俗の世間へ帰った気が自分でもして妙なものであろう。恋しくてならぬ人ででもあればともかくもであるがと否定のされる心でまた、これが后腹《きさきばら》の姫君であれば、そうも思わないであろうがと考える中納言はおそれおおくもあまりに思い上がったものである。
 この話を左大臣は聞いて、六の君との縁組みに兵部卿《ひょうぶきょう》の宮の進まぬふうは見せられても、薫は一度はああして断わってみせたものの、ねんごろに頼めばしぶしぶにもせよ結婚をしてくれるはずであると楽観していたのに、意外なことが起こってきそうであると思い、兵部卿の宮は正面からの話にはお乗りにはならないでいて、何かと六の君に交渉を求めて手紙をよくおよこしになるのであるから、それは真実性の少ないものであっても、妻にされれば御愛情の生じないはずもない、どんなに忠実な良人《おっと》になる人があっても地位の低い男にやるのは世間体も悪く、自身の心も満足のできないことであろうからと思って、やはり兵部卿の宮を目標として進むことに定めた。女の子によい婿のあることの困難な世の中になり、帝《みかど》すらも御娘のために婿選びの労をおとりになるのであるから、普通の家の娘が婚期をさえ過ぎさせてしまってはならぬなどと、帝のお考えに多少の非難めいたことも左大臣は言い、中宮へ兵部卿の宮との縁組みの実現されるように訴えることがたびたびになったため、后の宮はお困りになり、宮へ、
「気の毒なように長くそれを望んで大臣は待ち暮らしていたのだのに、口実を作っていつまでもお応じにならないのも無情なことですよ。親王というものは後援者次第で光りもし、光らなくも見えるものなのですよ。お上《かみ》の御代《みよ》ももう末になっていくと始終仰せになるのだからね。あなたはよく考えなければならない。普通の人の場合は定《きま》った夫人を持っていてさらに結婚することは困難なのですよ。それでもあの大臣がまじめ一方でいながら二人の夫人を持ち、双方を同じように愛していくことができているという実例もあるではありませんか。ましてあなたはお上の思召しどおりの地位ができれば、幾人でも侍していていいわけなのだから」
 と、平生にまして長々御教訓をあそばすのを承って、兵部卿の宮御自身も無関心では決しておいでにならない女性のことであったから、それをしいてお拒《こば》みになる理由もないのである。ただ権家《けんか》に婿君としてたいそうな扱いを受けることは、自由を失うことであろうと、その点がいやなようにお思われになるのであるが、母宮のお言葉どおりにこの大臣の反感を多く買っておくことは得策でないと、今になっては抵抗力も少なくおなりになった。多情な御性質であるから、あの按察使《あぜち》大納言の家の紅梅の姫君をもまだ断念してはおいでにならず、なお花|紅葉《もみじ》につけ好奇心の対象としてそこへも御消息はよこしておいでになるのである。
 その年は事なしに終わった。女二の宮の喪期も終わったのであるから、帝はもうおはばかりあそばすことはなくなった。
「御懇望にさえなればすぐにお許しになりたい思召しとうかがわれます」
 こんなふうに薫へ告げに来る人々もあるためあまりに知らず顔に冷淡なのも無礼なことであると、しいて心を引き立てて、女二の宮付きの人を通して、求婚者としての手紙をおりおり送ることもするようになったが、取り合わぬ態度などはもとよりお示しになるはずもない。帝は何月ごろと結婚の期を思召すというようなことも人から聞き、自身でも御許容あそばすことはうかがわれるのであったが、心の中では今も死んだ宇治の人ばかりが恋しく思われて、この悲しみを忘れ尽くせる日があろうとは思われぬために、こうまで心のつながれる因縁のあったあの人と、ついに夫婦とはならずに終わったのはどうしたことなのであろうとそれを怪しがっていた。身分がどれほど低くとも、あの人に少しでも似たところのある人であれば自分は妻として愛するであろう、反魂香《はんごんこう》の煙が描いたという影像だけでも見る方法はないかとこんなことばかりが薫には思われて、女二《にょに》の宮《みや》との結婚の成立を待つ心もないのである。
 左大臣のほうでは六の君の結婚の用意にかかって、八月ごろにと宮へその期を申し上げた。これを二条の院の中の君も聞いた。やはりそうであった、自分などという何のよい背景も持たない女には必ず幸福の破綻《はたん》があるであろうと思いつつ、今日まで来たのである。多情な御性質とはかねて聞いていて、頼みにならぬ方とは思いながらも、いっしょにいては恨めしく思うようなことも宮はしてお見せにならず、深い愛の変わる世もないような約束ばかりをあそばした。それがにわかに権家の娘の良人《おっと》になっておしまいになったなら、どうして静めえられる自分の心であろう、並み並みの身分の男のように、まったく自分から離れておしまいになることはあるまいが、どんなに悩ましい思いを多くせねばならぬことであろう、自分はどうしても薄命な生まれなのであるから、しまいにはまた宇治の山里へ帰ることになるのであろうと考えられるにつけても、出て来たままになるよりも再び帰ることは宇治の里人にも譏《そし》らわしいことであるに違いない、返す返すも父宮の御遺言にそむいて結婚をし、山荘を出て来た自分の誤りが恥ずかしい、しかさせた運命が恨めしいと中の君は思うのであった。姉君はおおようで、柔らかいふうなところばかりが外に見えたが、精神は確《しか》としておいでになった。中納言が今も忘れがたいように姉君の死を悲しみ続けているが、もし生きていたらば、今の自分のような物思いをすることがあったかもしれぬ、そうした未来をよく察して、あの人の妻になろうとされなかった、いろいろに身をかわすようにして中納言の恋からのがれ続けていて、しまいには尼になろうとしたではないか、命が助かっても必ず仏弟子《ぶつでし》になっていたに違いない、今思ってみればきわめて深い思慮のある方であった、父宮も姉君も自分をこの上もない、軽率な女であるとあの世から見ておいでになるであろうと、恥ずかしく悲しく思うのであったが、何も言うまい、言っても効《かい》のないことを言って嫉妬《しっと》がましい心を見られる必要もないと中の君は思い返して、宮の新しい御縁組みのことは耳にはいってこぬふうで過ごしていた。
 宮はこの話のきまってからは、平生よりもまた多く愛情をお示しになり、なつかしいふうに将来のことをどの日もどの日もお話しになり、この世だけでない永久の夫婦の愛をお約しになるのであった。中の君はこの五月ごろから普通でない身体《からだ》の悩ましさを覚えていた。非常に苦しがるようなことはないが、食欲が減退して、毎日横にばかりなっていた。妊婦というものを近く見る御経験のなかった宮は、ただ暑いころであるからこんなふうになっているのであろうと思召したが、さすがに不審に思召すこともあって、
「ひょっとすればあなたに子ができるようになったのではないだろうか。妊婦というものはそんなふうに苦しがるものだそうだから」
 ともお言いになったが、中の君は恥ずかしくて、そうでないふうばかりを作っているのを、進み出て申し上げる人もないため、確かには宮もおわかりにならなかった。
 八月になると、左大臣の姫君の所へ宮がはじめておいでになるのは幾日ということが外から中の君へ聞こえてきた。宮は隔て心をお持ちになるのではないが、お言いだしになることは気の毒でかわいそうに思われておできにならないのを、夫人はそれをさえ恨めしく思っていた。隠れて行なわれることでなく、世間じゅうで知っていることをいつごろとだけもお言いにならぬのであるから、中の君の恨めしくなるのは道理である。この夫人が二条の院へ来てからは、特別な御用事などがないかぎりは御所へお行きになっても、ほかへおまわりになり、泊まってお帰りになるようなことを宮はあそばさないのであって、情人の所をお訪《たず》ねになって孤閨《こけい》を夫人にお守らせになることもなかったのが、にわかに一方で結婚生活をするようになればどんな気がするであろうと、お心苦しくお思われになるため、今から習慣を少しつけさせようとされて、時々御所で宿直《とのい》などをあそばされたりするのを、夫人にはそれも皆恨めしいほうにばかり解釈されたに違いない。中納言もかわいそうなことであると、この問題における中の君を思っていて、宮は浮気《うわき》な御性質なのであるから、愛してはおいでになっても、はなやかな新しい夫人のほうへお心が多く引かれることになるであろう、婚家もまた勢いをたのんでいる所であるから、間断なしに婿君をお引き留めしようとすることになれば、今までとは違った変わり方に中の君は待ち続ける夜を重ねることになっては哀れであるなどと、こんなことが思われるにつけても、なんたることであろう、不都合なのは自分である、何のためにあの人を宮へお譲りしたのであろう、死んだ姫君に恋を覚えてからは、宗教的に澄み切った心も不透明なものになり、盲目的になり、あらゆる情熱を集めてあの人を思いながらも、同意を得ずに男性の力で勝つことは本意でないとはばかって、ただ少しでもあの人に愛されて相思う恋の成立をば夢見て未来の楽しい空想ばかりを自分はしていたのに、あの人は恋を感じぬふうを見せ続け、さすがに冷淡には自分を見ていない証《あかし》として、同じ身だと思えと言って中の君との結婚を勧めたのであったが、自分にとってはただあの人の態度がくやしく恨めしかったところから、あの人の計画をこわして宮と中の君との結婚を行なわせてしまえばなどと、無理な道をとって狂気じみた媒介者になった時のことを思い出すと、不都合なのは自分であったと返す返す薫は悔やまれた。宮もどんな御事情になっていても、あの時のことをお思い出しになれば自分に対してでも少し御遠慮があっていいはずであると思うのであったが、また宮はそんな方ではない、あれ以来あの時のことを話題にされるようなことはないではないか、多情な人というものは、異性にだけでなく、友情においても誠意の少ないものらしいなどとお憎みする心さえ薫に起こった。自身があまりに純一な心から他人をもどかしく思うのであるらしい。あの人を死なせてからの自分の心は帝の御娘を賜わるということになったのもうれしいこととは思われない、中の君を妻に得られていたならと思う心が月日にそえ勝ってくるのも、ただあの人の妹であるということが原因《もと》になっていてその思いが捨てられないのである、姉妹《きょうだい》といううちにもあの二人の女性の持ち合っていた愛は限度もないものであって、臨終に近づいたころにも、残しておく妹を自分と同じものに思えと言い、ほかに心残りはないが、自分がこうなれと願ったあの縁組みをはずされたこと、他へ譲られたことで安心ができず、その成り行きを見るためにだけ生きていたい気がするとあの人が言ったのであったから、あの世で宮の新しい御結婚のことなどを知っては、いっそう自分を恨めしく思うことであろうなどと、切実に寂しい独《ひと》り寝をする夜ごとに薫《かおる》は、風の音にも目のさめてこんなことが思われ、過去と未来を思い、この世を味気なくばかり思った。かりそめの情で愛人とし、女房として家に置いてある人たちの中には、自然と真実の愛も生じてきそうな人もあるはずであるが、事実としてはそんな人もない。いつも独身者の心持ちよりほかを知らなかった。そうした女房勤めしている中には、宇治の姫君たちにも劣らぬ階級の人も、時世の移りで不幸な身の上になり、心細く暮らしていたりしたのを、同情して家へ呼んだというような種類の女房が少なくはないのであるが、異性との交渉はそれほどにとどめて、出家の目的の達せられる時に、取り立ててこの人が心にかかると思われるような愛着の覚えられる人は作らないでおこうと深く思っていた自分であったにもかかわらず、今では死んだ恋人のゆかりの中の君に多く心の惹《ひ》かれている自分が認められる、人並みな恋でない恋に苦しむとは自分のことながらも残念であるなどという思いにとらわれていて、そのまま眠りえずに明かしてしまった暁、立つ霧を隔てて草花の姿のいろいろと美しく見える中にはかない朝顔の混じっているのが特に目にとまる気がした。人生の頼みなさにたとえられた花であるから身に沁《し》んで薫は見られたのであろう。宵《よい》のまま揚げ戸も上げたままにして縁の近い所でうたた寝のようにして横たわり朝になったのであったから、この花の咲いていくところもただ一人薫がながめていたのであった。侍を呼んで、
「北の院へ伺おうと思うから、簡単な車を出させるように」
 と命じてから装束を改めた。
 出かけるために庭へおりて、秋の花の中に混じって立った薫は、わざわざ艶《えん》なふうを見せようとするのではないが、不思議なまで艶で、高貴な品が備わり、気どった風流男などとは比べられぬ美しさがあった。朝顔を手もとへ引き寄せるとはなはだしく露がこぼれた。

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「今朝《けさ》のまの色にや愛《め》でん置く露の消えぬにかかる花と見る見る
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 はかない」
 などと独言《ひとりごと》をしながら薫は折って手にした。女郎花《おみなえし》には触れないで。
 明け放れるのにしたがって霧の濃くなった空の艶な気のする下を二条の院へ向かった薫は、宮のお留守《るす》の日はだれもゆるりと寝ていることであろう、格子や妻戸をたたいて案内を乞《こ》うのも物|馴《な》れぬ男に思われるであろう、あまり早朝に来すぎたと思いながら薫は従者を呼んで、中門のあいた口から中をのぞかせてみると、
「お格子が皆上がっているようでございます。そして女房たちの何かいたします気配《けはい》がいたします」
 と言う。下車して霧の中を美しく薫の歩いてはいって来るのを女房たちは知り、宮がお微《しの》び場所からお帰りになったのかと思っていたが、露に湿った空気が薫の持つ特殊のにおいを運んできたためにだれであるかを悟り、
「やはり特別な方ですね。ただあまりに澄んだふうでいらっしゃるのが物足らないだけね」
 とも若い女房はささやいていた。
 驚いたふうも現わさず、感じのよいほどにその人たちが衣擦《きぬず》れの音を立てて褥《しとね》を出したりする様子も品よく思われた。
「ここにすわってもよいとお許しくださいます点は名誉に思われますが、しかしこうした御簾《みす》の前の遠々しいおもてなしを受けることで悲観されて、たびたびは伺えないのです」
 と薫が言うと、
「それではどういたせばお気が済むのでございますか」
 女房はこう答えた。
「北側のお座敷というような、隠れた室が私などという古なじみのゆるりとさせていただくによい所です。しかしそれも奥様の思召しによることですから、不平は申し上げません」
 と言い、薫は縁側から一段高い長押《なげし》に上半身を寄せかけるようにして坐《ざ》しているのを見て、例の女房たちが、
「ほんの少しあちらへおいであそばせ」
 などと言い、夫人を促していた。
 もとから様子のおとなしい、男の荒さなどは持たぬ薫であるが、いよいよしんみり静かなふうになっていたから、中の君はこの人と対談することの恥ずかしく思われたことも、時がもはや薄らがせてなしやすく思うようになっていた。
「お身体《からだ》が悪いと伺っていますのはどんなふうの御病気ですか」
 などと薫は聞くが、夫人からはかばかしい返辞を得ることはできない。平生よりもめいったふうの見えるのに理由のあることを知っている薫は、それを哀れに見て、こまやかに世の中に処していく心の覚悟というようなものを、兄弟などがあって、教えもし慰めもするふうに言うのであった。声なども特によく似たものともその当時は思わなかったのであるが、怪しいほど薫には昔の人のとおりに聞こえる中の君の声であった。人目に見苦しくなければ、御簾《みす》も引き上げて差し向かいになって話したい、病気をしているという顔が見たい心のいっぱいになるのにも、人間は生きている間次から次へ物思いの続くものであるということはこれである、自分はまたこうした心の悶《もだ》えをしていかねばならぬ身になったと薫はみずから悟った。
「はなやかなこの世の存在ではなくとも、心に物思いをして歎きにわが身をもてあますような人にはならずに、一生を過ごしたいと願っていた私ですが、自身の心から悲しみも見ることになり、愚かしい後悔もこもごも覚えることになりましたのは残念です。官位の昇進が思うようにならぬということを人は最も大きな歎きとしていますが、それよりも私のする歎きのほうが少し罪の深さはまさるだろうと思われます」
 などと言いながら、薫は持って来た花を扇に載せて見ていたが、そのうちに白い朝顔は赤みを帯びてきて、それがまた美しい色に見られるために、御簾の中へ静かにそれを差し入れて、

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よそへてぞ見るべかりける白露の契りかおきし朝顔の花
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 と言った。わざとらしくてこの人が携えて来たのでもないのに、よく露も落とさずにもたらされたものであると思って、中の君がながめ入っているうちに見る見る萎《しぼ》んでいく。

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「消えぬまに枯れぬる花のはかなさにおくるる露はなほぞまされる
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『何にかかれる』(露のいのちぞ)」
 と低い声で言い、それに続けては何も言わず、遠慮深く口をつぐんでしまう中の君のこんなところも故人によく似ていると思うと、薫はまずそれが悲しかった。
「秋はまたいっそう私を憂鬱《ゆううつ》にします。慰むかと思いまして先日も宇治へ行って来たのです。庭も籬《まがき》も実際荒れていましたから、(里は荒れて人はふりにし宿なれや庭も籬も秋ののらなる)堪えがたい気持ちを覚えました。私の父の院がお亡《かく》れになったあとで、晩年出家をされ籠《こも》っておいでになった嵯峨《さが》の院もまた六条院ものぞいて見る者は皆おさえきれず泣かされたものです。木や草の色からも、水の流れからも悲しみは誘われて、皆涙にくれて帰るのが常でした。院の御身辺におられたのは平凡な素質の人もなく皆りっぱな方がたでしたがそれぞれ別な所へ別れて行き、世の中とは隔離した生活を志されたものです、またそうたいした身の上でない女房らは悲しみにおぼれきって、もうどうなってもいいというように山の中へはいったり、つまらぬ田舎《いなか》の人になったりちりぢりに皆なってしまいました。そうして故人の家を事実上荒らし果てたあとで、左大臣がまた来て住まれるようになり、宮がたもそれぞれ別れて六条院をお使いになることになって、ただ今ではまた昔の六条院が再現された形になりました。あれほど大きな悲しみに逢《あ》ったあとでも年月が経《ふ》ればあきらめというものが出てくるものなのであろう、悲しみにも時が限りを示すものであると私はその時見ました。こう私は言っていましても昔の悲しみは少年時代のことでしたから、悲痛としていても悲痛がそれほど身にしまなかったのかもしれません。近く見ました悲しみの夢は、まだそれからさめることもどうすることもできません。どちらも死別によっての感傷には違いありませんが、親の死よりも罪深い恋人関係の人の死のほうに苦痛を多く覚えていますのさえみずから情けないことだと思っています」
 こう言って泣く薫に、にじみ出すほどな情の深さが見えた。大姫君を知らず、愛していなかった人でも、この薫の悲しみにくれた様子を見ては涙のわかないはずもないと思われるのに、まして中の君自身もこのごろの苦い物思いに心細くなっていて、今まで以上にも姉君のことが恋しく思い出されているのであったから、薫の憂いを見てはいっそうその思いがつのって、ものを言われないほどになり、泣くのをおさえきれずになっているのを薫はまた知って、双方で哀れに思い合った。
「世の憂《う》きよりは(山里はものの寂しきことこそあれ世の憂きよりは住みよかりけり)と昔の人の言いましたようにも私はまだ比べて考えることもなくて京に来て住んでおりましたが、このごろになりましてやはり山里へはいって静かな生活をしたいということがしきりに思われるのでございます。でも思ってもすぐに実行のできませんことで弁の尼をうらやましくばかり思っております。今月の二十幾日はあすこの山の御寺《みてら》の鐘を聞いて黙祷《もくとう》をしたい気がしてならないのですが、あなたの御好意でそっと山荘へ私の行けるようにしていただけませんでしょうかと、この御相談を申し上げたく私は思っておりました」
 と中の君は言った。
「宇治をどんなに恋しくお思いになりましてもそれは無理でしょう。あの道を辛抱《しんぼう》して簡単に御婦人が行けるものですか。男でさえ往来するのが恐ろしい道ですからね、私なども思いながらあちらへまいることが延び延びになりがちなのです。宮様の御忌日のことはあの阿闍梨《あじゃり》に万事皆頼んできました。山荘のほうは私の希望を申せば仏様だけのものにしていただきたいのですよ。時々行っては痛い悲しみに襲われる所ですから、罪障消滅のできますような寺にしたいと私は思うのですが、あなたはどうお考えになりますか。あなたの御意見によってどうとも決めたいと思うのですから、ああしたいとか、そうしてもいいとか腹蔵なくおっしゃってください。何事にもあなたのお心持ちをそのまま行なわせていただけばそれで私は満足なのです」
 と言い、まじめな話を薫《かおる》はした。経巻や仏像の供養などもこの人はまた宇治で行なおうとしているらしい。中の君が父宮の御忌日に託して宇治へ行き、そのまま引きこもろうとするのに賛同を求めるふうであるのを知って、
「宇治へ引きこもろうというようなお考えをお出しになってはいけませんよ。どんなことがあっても寛大な心になって見ていらっしゃい」
 などとも忠告した。
 日が高く上ってきて伺候者が集まって来た様子であったから、あまり長居をするのも秘密なことのありそうに誤解を受けることであろうから帰ろうと薫はして、
「どこへまいっても御簾《みす》の外へお置かれするような経験を持たないものですから恥ずかしくなります。またそのうち伺いましょう」
 こう挨拶《あいさつ》をして行ったが、宮は御自身の留守の時を選んでなぜ来たのであろうとお疑いをお持ちになるような方であるからと薫は思い、それを避けるために侍所《さぶらいどころ》の長になっている右京大夫《うきょうだゆう》を呼んで、
「昨夜宮様が御所からお出になったと聞いて伺ったのですが、まだ御帰邸になっておられないので失望をしました。御所へまいってお目にかかったらいいでしょうか」
 と言った。
「今日はお帰りでございましょう」
「ではまた夕方にでも」
 薫はそして二条の院を出た。中の君の物越しの気配《けはい》に触れるごとに、なぜ大姫君の望んだことに自分はそむいて、思慮の足らぬ処置をとったのであろうと後悔ばかりの続いて起こるのを、なぜ自分はこうまで一徹な心であろうと薫は反省もされた。この人はまだ精進を続けて仏勤めばかりを家ではしているのである。母宮はまだ若々しくたよりない御性質ではあるが、薫のこうした生活を危険なことと御覧になって、
「私はもういつまでも生きてはいないのでしょうから、私のいる間は幸福なふうでいてください。あなたが仏道へはいろうとしても、私自身尼になっていながらとめることはできないのだけれど、この世に生きている間の私はそれを寂しくも悲しくも思うことだろうから、結局罪を作ることになるだろうからね」
 とお言いになるのが、薫にはもったいなくもお気の毒にも思われて、母宮のおいでになる所では物思いのないふうを装っていた。
 左大臣家では東の御殿をみがくようにもして設備《しつら》い婿君を迎えるのに遺憾なくととのえて兵部卿《ひょうぶきょう》の宮をお待ちしているのであったが、十六夜《いざよい》の月がだいぶ高くなるまでおいでにならぬため、非常にお気が進まないらしいのであるから将来もどうなることかと不安を覚えながらも使いを出してみると、夕方に御所をお出になって二条の院においでになるというしらせがもたらされた。愛する人を持っておいでになるのであるからと不快に大臣は思ったが、今夜に済まさねば世間体も悪いと思い、息子《むすこ》の頭《とうの》中将を使いとして次の歌をお贈りするのであった。

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大空の月だに宿るわが宿に待つ宵《よひ》過ぎて見えぬ君かな
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 宮はこの日に新婚する自分を目前に見せたくない、あまりにそれは残酷であると思召《おぼしめ》して御所においでになったのであるが、手紙を中の君へおやりになった、その返事がどんなものであったのか、宮が深くお動かされになって、そっとまた二条の院へおはいりになったのである。
 可憐《かれん》な夫人を見て出かけるお気持ちにはならず、気の毒に思召す心からいろいろに将来の長い誓いをさせるのであるが、中の君の慰まない様子をお知りになり、誘うていっしょに月をながめておいでになる時に使いの頭中将は二条の院へ着いたのである。夫人は今までも煩悶《はんもん》は多くしてきたが、外へは出して見せまいとおさえきってきていて、素知らぬふうを作っていたのであるから、今夜に何事があるかも聞かずおおようにしているのを哀れにお思いになる宮であった。頭中将の来たのをお聞きになると、さすがに宮はあちらの人もかわいそうにお思われになり、お出かけになろうとして、
「すぐ帰って来ます。一人で月を見ていてはいけませんよ。気の張り切っていない時などには危険で心配だから」
 とお言いになり、きまりの悪いお気持ちで隠れた廊下から寝殿へお行きになった。お後ろ姿を見送りながら中の君は枕《まくら》も浮き上がるほどな涙の流れるのをみずから恥じた。恨めしい宮に愛情を覚えるのは恥ずかしいことであるとしていたのに、いつかそのほうへ自分は引かれていって、恨みの起こるのもそれがさせるのであると悟ったのである。幼い日から母のない娘で、この世をお愛しにもならぬ父宮を唯一の頼みにしてあの寂しい宇治の山荘に長くいたのであるが、いつとなくそれにも馴《な》れ、徒然《つれづれ》さは覚えながらも、今ほど身にしむ悲しいものとは山荘時代の自分は世の中を知らなかった。父宮と姉君に死に別れたあとでは片時も生きていられないように故人を恋しく悲しく思っていたが、命は失われずあって、軽蔑《けいべつ》した人たちが思ったよりも幸福そうな日が長く続くものとは思われなかったが、自分に対する宮の態度に御誠実さも見え、正妻としてお扱いになるのによって、ようやく物思いも薄らいできていたのであるが、今度の新しい御結婚の噂《うわさ》が事実になってくるにしたがい、過去にも知らなんだ苦しみに身を浸すこととなった、もう宮と自分との間はこれで終わったと思われる、人の死んだ場合とは違って、どんなに新夫人をお愛しになるにもせよ、時々はおいでになることがあろうと思ってよいはずであるが、今夜こうして寂しい自分を置いてお行きになるのを見た刹那《せつな》から、過去も未来も真暗《まっくら》なような気がして心細く、何を思うこともできない、自分ながらあまりに狭量であるのが情けない、生きていればまた悲観しているようなことばかりでもあるまいなどと、みずから慰めようと中の君はするのであるが、姨捨山《おばすてやま》の月(わが心慰めかねつ更科《さらしな》や姨捨山に照る月を見て)ばかりが澄み昇《のぼ》って夜がふけるにしたがい煩悶《はんもん》は加わっていった。松風の音も荒かった山おろしに比べれば穏やかでよい住居《すまい》としているようには今夜は思われずに、山の椎《しい》の葉の音に劣ったように中の君は思うのであった。

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山里の松の蔭《かげ》にもかくばかり身にしむ秋の風はなかりき
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 過去の悲しい夢は忘れたのであろうか。
 老いた女房などが、
「もうおはいりあそばせ、月を長く見ますことはよくないことだと申しますのに。それにこの節ではちょっとしましたお菓子すら召し上がらないのですから、こんなことでどうおなりになりますでしょう。よくございません。以前の悲しいことも私どもにお思い出させになりますのは困ります。おはいりあそばせ」
 こんなことを言う。若い女房らは情けない世の中であると歎息をして、
「宮様の新しい御結婚のこと、ほんとうにいやですね。けれどこの奥様をお捨てあそばすことにはならないでしょう。どんな新しい奥様をお持ちになっても、初めに深くお愛しになった方に対しては情けの残るものだと言いますからね」
 などと言っているのも中の君の耳にはいってくる。見苦しいことである、もうどんなことになっても何とも自分からは言うまい、知らぬふうでいようとこの人が思っているというのは、人には批評をさせまい、自身一人で宮をお恨みしようと思うのであるかもしれない。
「そうじゃありませんか、宮様に比べてあの中納言様の情のお深さ」
 とも老いた女は言い、
「あの方の奥様になっておいでにならないで、こちらの奥様におなりになったというのも不可解な運命というものですね」
 こんなこともささやき合っていたのである。
 宮は中の君を心苦しく思召《おぼしめ》しながらも、新しい人に興味を次々お持ちになる御性質なのであるから、先方に喜ばれるほどに美しく装っていきたいお心から、薫香《くんこう》を多くたきしめてお出かけになった姿は、寸分の隙《すき》もないお若い貴人でおありになった。六条院の東御殿もまた華麗であった。小柄な華奢《きゃしゃ》な姫君というのではなく、よいほどな体格をした新婦であったから、どんな人であろう、たいそうに美人がった柔らかみのない、自尊心の強いような女ではなかろうか、そんな妻であったならいやになるであろうと、こんなことを最初はお思いになったのであるが、そうではないらしくお感じになったのか愛をお持ちになることができた。秋の長夜ではあったが、おそくおいでになったせいでまもなく明けていった。
 兵部卿の宮はお帰りになってもすぐに西の対へおいでになれなかった。しばらく御自身のお居間でお寝《やす》みになってから起きて新夫人の文《ふみ》をお書きになった。あの御様子ではお気に入らないのでもなかったらしいなどと女房たちは陰口《かげぐち》をしていた。
「対の奥様がお気の毒ですね。どんなに大きな愛を宮様が持っておいでになっても、自然|気押《けお》されることも起こるでしょうからね」
 ただの主従でない関係も宮との間に持っている人が多かったから、ここでも嫉妬《しっと》の気はかもされているのである。あちらからの返事をここで見てからと宮は思っておいでになったのであるが、別れて明かしたのもただの夜でないのであるから、どんなに寂しく思っていることであろうと、中の君がお気にかかってそのまま西の対へおいでになった。まだ夜のまま繕われていない夫人の顔が非常に美しく心を惹《ひ》くところがあって、宮のおいでになったことを知りつつ寝たままでいるのも、反感をお招きすることであるからと思い、少し起き上がっている顔の赤みのさした色などが、今朝《けさ》は特別にまたきれいに見えるのであった。何のわけもなく宮は涙ぐんでおしまいになって、しばらく見守っておいでになるのを、中の君は恥ずかしく思って顔を伏せた。そうされてまた、髪の掛かりよう、はえようなどにたぐいもない美を宮はお感じになった。きまりの悪さに愛の言葉などはちょっと口へ出ず、なにげないふうに紛らして、
「どうしてこんなに苦しそうにばかり見えるのだろう。暑さのせいだとあなたは言っていたからやっと涼しくなって、もういいころだと思っているのに、晴れ晴れしくないのはいけないことですね。いろいろ祈祷《きとう》などをさせていても効験《しるし》の見えない気がする。それでも祈祷はもう少し延ばすほうがいいね。効験をよく見せる僧がほしいものだ、何々|僧都《そうず》を夜居《よい》にしてあなたにつけておくのだった」
 というようなまじめらしい話をされるのにもお口じょうずなのがうとましく思われる中の君でもあったが、何もお返辞をしないのは平生に違ったことと思われるであろうとはばかって、
「私は昔もこんな時には普通の人のような祈祷も何もしていただかないで自然になおったのですから」
 と言った。
「それでよくなおっているのですか」
 と宮はお笑いになって、なつかしい愛嬌《あいきょう》の備わった点はこれに比べうる人はないであろうとお思いになったのであるが、お心の一方では新婦をなおよく知りたいとあせるところのおありになるのは、並み並みならずあちらにも愛着を覚えておいでになるのであろう。しかしながらこの人と今いっしょにおいでになっては、昨日《きのう》の愛が減じたとは少しもお感じにならぬのか、未来の世界までもお言いだしになって、変わらない誓いをお立てになるのを聞いていて、中の君は、
「仏の教えのようにこの世は短いものに違いありません。しかもその終わりを待ちますうちにも、あなたが恨めしいことをなさいますのを見なければなりませんから、それよりも未来の世のお約束のほうをお信じしていていいかもしれないと思うことで、まだ懲りずにあなたのお言葉に信頼しようと思います」
 と言い、もう忍びきれなかったのか今日は泣いた。今日までもこんなふうに思っているとはお見せすまいとして自身で紛らわしておさえてきた感情だったのであるが、いろいろと胸の中に重なってきて隠されぬことになり、こぼれ始めた涙はとめようもなく多く流れるのを、恥ずかしく苦しく思って、顔をすっかり向こうに向けているのを、しいて宮はこちらへお引き向けになって、
「二人がいっしょに暮らして、同じように愛しているのだと思っていたのに、あなたのほうにはまだ隔てがあったのですね。それでなければ昨夜《ゆうべ》のうちに心が変わったのですか」
 こうお言いになり宮は御自身の袖《そで》で夫人の涙をおぬぐいになると、
「夜の間の心変わりということからあなたのお気持ちがよく察せられます」
 中の君は言って微笑を見せた。
「ねえ、どうしたのですか、ねえ、なんという幼稚なことをあなたは言いだすのですか。けれどもあなたはほんとうは私へ隔てを持っていないから、心に浮かんだだけのことでもすぐ言ってみるのですね。だから安心だ。どんなにじょうずな言い方をしようとも私が別な妻を一人持ったことは事実なのだから私も隠そうとはしない。けれど私を恨むのはあまりにも世間というものを知らないからですよ。可憐《かれん》だが困ったことだ。まああなたが私の身になって考えてごらんなさい。自身を自身の心のままにできないように私はなっているのですよ。もし光明の世が私の前に開けてくればだれよりもあなたを愛していた証明をしてみせることが一つあるのです。これは軽々しく口にすべきことではないから、ただ命が長くさえあればと思っていてください」
 などと言っておいでになるうちに宮が六条院へお出しになった使いが、先方で勧められた酒に少し酔い過ぎて、斟酌《しんしゃく》すべきことも忘れ、平気でこの西の対の前の庭へ出て来た。美しい纏頭《てんとう》の衣類を肩に掛けているので後朝《ごちょう》の使いであることを人々は知った。いつの間にお手紙は書かれたのであろうと想像するのも快いことではないはずである。宮もしいてお隠しになろうと思召さないのであるが、涙ぐんでいる人の心苦しさに、少し気をきかせばよいものをと、ややにがにがしく使いのことをお思いになったが、もう皆暴露してしまったのであるからとお思いになり、女房に命じて返事の手紙をお受け取らせになった。できるならば朗らかにしていま一人の妻のあることを認めさせてしまおうと思召して、手紙をおあけになると、それは継母《ままはは》の宮のお手になったものらしかったから、少し安心をあそばして、そのままそこへお置きになった。他の人の書いたものにもせよ、宮としてはお気のひけることであったに違いない。
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私などが出すぎたお返事をいたしますことは、失礼だと思いまして、書きますことを勧めるのですが、悩ましそうにばかりいたしておりますから、

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をみなへし萎《しを》れぞ見ゆる朝露のいかに置きける名残《なごり》なるらん
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 貴女《きじょ》らしく美しく書かれてあった。
「恨みがましいことを言われるのも迷惑だ。ほんとうは私はまだ当分気楽にあなたとだけ暮らして行きたかったのだけれど」
 などと宮は言っておいでになったが、一夫一婦であるのを原則とし正当とも見られている普通の人の間にあっては、良人《おっと》が新しい結婚をした場合に、その前からの妻をだれも憐《あわれ》むことになっているが、高い貴族をその道徳で縛ろうとはだれもしない。いずれはそうなるべきであったのである。宮たちと申し上げる中でも、輝く未来を約されておいでになるような兵部卿《ひょうぶきょう》の宮であったから、幾人でも妻はお持ちになっていいのであると世間は見ているから、格別二条の院の夫人が気の毒であるとも思わぬらしい。こんなふうに夫人としての待遇を受けて、深く愛されている中の君を幸福な人であるとさえ言っているのである。
 中の君自身もあまりに水も洩《も》らさぬ夫婦生活に慣らされてきて、にわかに軽く扱われることが歎かわしいのであろうと見えた。こんなに二人と一人というような関係になった場合は、どうして女はそんなに苦悶《くもん》をするのであろうと昔の小説を読んでも思い、他人のことでも腑《ふ》に落ちぬ気がしたのであるが、わが身の上になれば心の痛いものである、苦しいものであると、今になって中の君は知るようになった。宮は前よりもいっそう親しい良人ぶりをお見せになって、
「何も食べぬということは非常によろしくない」
 などとお言いになり、良製の菓子をお取り寄せになりまた特に命じて調製をさせたりもあそばして夫人へお勧めになるのであったが、中の君の指はそれに触れることのないのを御覧になって、
「困ったことだね」
 と宮は歎息をしておいでになったが、日暮れになったので寝殿のほうへおいでになった。涼しい風が吹き立って、空の趣のおもしろい夕べである。はなやかな趣味を持っておいでになったから、こんな場合にはまして美しく御|風采《ふうさい》をお作りになり出てお行きになる宮を知っていて、物哀れな夫人の心には忍び余る愁《うれ》いの生じるのも無理でない。蜩《ひぐらし》の声を聞いても宇治の山陰の家ばかりが恋しくて、

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おほかたに聞かましものを蜩の声うらめしき秋の暮れかな
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 と独言《ひとりご》たれた。今夜はそう更《ふ》かさずに宮はお出かけになった。前駆の人払いの声の遠くなるとともに涙は海人《あま》も釣《つ》り糸を垂《た》れんばかりに流れるのを、われながらあさましいことであると思いつつ中の君は寝ていた。結婚の初めから連続的に物思いをばかりおさせになった宮であると、その時、あの時を思うと、しまいにはうとましくさえ思われた。身体《からだ》の苦しい原因をなしている妊娠も無事に産が済まされるかどうかわからない、短命な一族なのであるから、その場合に死ぬのかもしれないなどと思っていくと、命は惜しく思われぬが、また悲しいことであるとも中の君は思った。またそうした場合に死ぬのは罪の深いことなのであるからなどと眠れぬままに思い明かした。
 次の日は中宮《ちゅうぐう》が御病気におなりになったというので、皆御所へまいったのであるが、少しの御風気《ごふうき》で御心配申し上げることもないとわかった左大臣は、昼のうちに退出した。源中納言を誘って同車して自邸へ向かったのである。この日が三日の露見《ろけん》の式の行なわれる夜になっていた。どんなにしても華麗に大臣は式を行なおうとしているのであろうが、こんな時のことは来賓に限りがあって、派手《はで》にしようもなかろうと思われた。薫《かおる》をそうした席へ連ならせるのはあまりに高貴なふうがあって心恥ずかしく大臣には思われるのであるが、婿君と親密な交情を持つ人は自分の息子《むすこ》たちにもないのであったし、また一家の人として他へ見せるのに誇りも感じられる薫であったから伴って行ったらしい。平生にも似ず兄とともに忙しい気持ちで六条院へはいって、六の君を他人の妻にさせたことを残念に思うふうもなく、何かと式の用を兄のために手つだってくれるのを、大臣は少し物足らぬことに思いもした。
 八時少し過ぐるころに宮はおいでになった。寝殿の南の間の東に寄せて婿君のお席ができていた。高脚《たかあし》の膳《ぜん》が八つ、それに載せた皿は皆きれいで、ほかにまた小さい膳が二つ、飾り脚のついた台に載せたお料理の皿など、見る目にも美しく並べられて、儀式の餠《もち》も供えられてある。こんなありふれたことを書いておくのがはばかられる。
 大臣が新夫婦の居間のほうへ行って、もう夜がふけてしまったからと女房に言い、宮の御出座を促すのであったが、宮は六の君からお離れになりがたいふうで渋っておいでになった。今夜の来賓としては雲井《くもい》の雁《かり》夫人の兄弟である左衛門督《さえもんのかみ》、藤宰相《とうさいしょう》などだけが外から来ていた。やっとしてから出ておいでになった宮のお姿は美しくごりっぱであった。主人がたの頭《とうの》中将が盃《さかずき》を御前へ奉り、膳部を進めた。宮は次々に差し上げる盃を二つ三つお重ねになった。薫が御前のお世話をして御酒《みき》をお勧めしている時に、宮は少し微笑をお洩《も》らしになった。
 以前にこの縁組みの話をあそばして、堅苦しく儀礼ばることの好きな家の娘の婿になることなどは自分に不似合いなことでいやであると薫へお言いになったのを思い出しておいでになるのであろう。中納言のほうでは何も覚えていぬふうで、あくまで慇懃《いんぎん》にしていた。そしてまたこの人は東の対の座敷のほうに設けたお供の役人たちの酒席へまで顔を出して接待をした。はなやかな殿上役人も多かった四位の六人へは女の装束に細長、十人の五位へは三重|襲《がさね》の唐衣《からぎぬ》、裳《も》の腰の模様も四位のとは等差があるもの、六位四人は綾《あや》の細長、袴《はかま》などが出された纏頭《てんとう》であった。この場合の贈り物なども法令に定められていてそれを越えたことはできないのであったから、品質や加工を精選してそろえてあった。召次侍《めしつぎざむらい》、舎人《とねり》などにもまた過分なものが与えられたのである。こうした派手《はで》な式事は目にもまばゆいものであるから、小説などにもまず書かれるのはそれであるが、自分に語った人はいちいち数えておくことができなかったそうであった。
 源中納言の従者の中に、あまり重用《ちょうよう》されない男かもしれぬが、暗い紛れに庭の中へはいって、それらの行なわれるのを見て来て、歎息《たんそく》を洩《も》らし、
「うちの殿様はなぜいざこざをお言いにならないでこちらの殿様の婿におなりにならなかったろう、つまらぬ御独身生活だ」
 と中門の所でつぶやいているのが耳にはいって中納言はおかしく思った。自身たちは夜ふけまで待たされていて、ただつまらぬ眠さを覚えさせられているだけであるのと、婿君の従者が美酒に酔わされて快くどこかの座敷で身を横たえているらしく思われるのとを比較してみてうらやましかったのであろう。
 薫は家に入り寝室で横になりながら、新しい婿として式に臨むことはきまりの悪そうなことである、たいそうな恰好《かっこう》をした舅《しゅうと》が席に出ていて、平生からなじみのある仲にもかかわらず燭《ひ》をあかあかともして勧める盃などを宮は落ち着いて受けておいでになったのはごりっぱなものであったなどと思い出していた。それは実際自分でもすぐれた娘というようなものを持っていれば、この宮以外には御所へでもお上げする気にはなれなかったであろうと思われた薫は、どこの家でも匂宮《におうみや》へ奉ろうとして志を得なかった人はまだ源中納言という同じほどな候補者があると、何にも自分が宮にお並べして言われるのは世間の受けが決して悪くない自分とせねばならないなどと思い上がりもされた。内親王を賜わるという帝の思召《おぼしめ》しなるものが真実であれば、こんなふうに気の進まぬ自分はどうすればいいのであろう、名誉なことにもせよ、自分としてありがたく思われない、女二《にょに》の宮《みや》が死んだ恋人によく似ておいでになったならその時はうれしいであろうがとさすがに否定をしきっているのでもない中納言であった。例のような目のさめがちな独《ひと》り寝のつれづれさを思って按察使《あぜち》の君と言って、他の愛人よりはやや深い愛を感じている女房の部屋《へや》へ行ってその夜は明かした。朝になりきればとて人が奇怪がることでもないのであるが、そんなことも気にするらしく急いで起きた薫を、女は恨めしく思ったに違いない。

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うち渡し世に許しなき関川をみなれそめけん名こそ惜しけれ
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 と按察使は言った。哀れに思われて、

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深からず上は見ゆれど関川のしもの通ひは絶ゆるものかは
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 薫はこう言った。恋の心は深いと言われてさえ頼みにならぬものであるのに、上は浅いと認めて言われるのに女は苦痛を覚えなかったはずはない。妻戸を薫はあけて、
「この夜明けの空のよさを思って早く出て見たかったのだ。こんな深い趣を味わおうとしない人の気が知れないね、風流がる男ではないが、夜長を苦しんで明かしたのちの秋の黎明《れいめい》は、この世から未来の世のことまでが思われて身にしむものだ」
 こんなことを紛らして言いながら薫は出て行った。女を喜ばそうとして上手《じょうず》なことを多く言わないのであるが、艶《えん》な高雅な風采《ふうさい》を備えた人であるために、冷酷であるなどとはどの相手も思っていないのであった。仮なように作られた初めの関係を、そのままにしたくなくて、せめて近くにいて顔だけでも見ることができればというような考えを持つのか、尼になっておいでになる所にもかかわらず、縁故を捜してこの宮へ女房勤めに出ている人々はそれぞれ身にしむ思いをするものらしく見えた。
 兵部卿の宮は式のあったのちの日に新夫人を昼間御覧になることによって、いっそう深い愛をお覚えになった。中くらいな背丈《せたけ》で、全体から受ける感じが清らかな人である。頬《ほお》にかかった髪、頭《かしら》つきはその中でも目だって美しい。皮膚があまりにも白いにおわしい色をした誇らかな気高《けだか》い顔の眸《め》つきはきわめて貴女らしくて、何の欠点もない美人というほかはない。二十一、二であった。少女ではないから完成されぬところもなくて妍麗《けんれい》なる盛りの花と見えた。大事に育てられてきた価値は十分に受けとれた。親の愛でこれを見れば、目もくらむ美女と思われるに違いない。ただ柔らかで愛嬌《あいきょう》があって、可憐《かれん》な点は中の君のよさがお思われになる宮であった。話をされた時にする返辞《へんじ》も羞《は》じらってはいるが、またたよりない気を覚えさせもしない。確かな価値の備わった才女らしい姫君であった。きれいな若い女房が三十人ほど、童女六人が姫君付きで、そうした人の服装なども、きらきらしいものは飽くほど見ておいでになる兵部卿《ひょうぶきょう》の宮だと思い、不思議なほど目だたぬふうに作らせてあった。三条の夫人が生んだ長女を東宮へ奉った時よりも今度の婿迎えを大事に夕霧の大臣は準備したというのも、宮の御声望の高さがさせたことであろう。
 それからのちの宮は二条の院へ気安くおいでになることもおできにならなかった。軽い御身分でなかったから、昼間をそちらへ行っておいでになるということもむずかしくて、六条院の中の南の御殿に以前ずっとおいでになったようにしてお住みになり、日が暮れると東御殿を余所《よそ》にしてお出かけになることもおできになれなかったりして、宮が幾日もおいでにならぬことのあるため、こうなることであろうとは思ったが、すぐにも露骨に冷淡なお扱いを受けることになったではないか、賢い人であれば自分の無価値さをよく知って京へまでは出て来なかったはずであったと、今になっては返す返す宇治を離れて来たことが正気をもってしたこととは思えなくて悲しい中の君は、やはりどうともして宇治へ行くことにしたい、ここを捨てて行くふうではなくて、あちらでしばらくでも心を休めたい、反抗的に行なえば人聞きも悪いであろうが、それならばいいはずである、とこの煩悶《はんもん》を一人で背負いきれぬように思い、恥ずかしくは思ったが源中納言に手紙を送った。
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父君の仏事の日のことは阿闍梨《あじゃり》から報告がございましてくわしく知ることができました。あなたのように昔の名残《なごり》を思ってくださいます方がありませんでしたなら、どんなに故人はみじめであったかと思われますにつけても御親切がうれしくばかり思われます。なおこのお礼はお目にかかれます時に自身で申し上げたいと思います。
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 という文《ふみ》であった。檀紙の上の字も見栄《みえ》をかまわずまじめな書きぶりがしてあるのであるが、それもまた美しく思われた。八の宮の御忌日に僧を集めて法事を宇治で薫が行なってくれたのに対する礼状なのであって、おおげさに謝意は述べてないが好意は深く認めているらしく思われた。平生はこちらから送る手紙の返事さえ気を置くふうに短くより書いて来ない人が、自身でまた口ずからお礼を申し上げたいと思うというようなことの書かれてあることのうれしさに薫の心はときめいた。宮がお得になったはなやかな生活に心が多くお引かれになって、二条の院へはよくもおいでにならないことについての中の君の煩悶《はんもん》も見えるのが哀れで、恋愛的なものではない手紙であるが、手から放たず何度となく薫は繰り返して読んでいた。返事は、
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承りました。先日は僧のようなことを多く申して、昔のことばかりを歎いた私でしたが、それは追想にとらわれざるをえない時節だったからです。名残とお書きになりましたことで、私が故人の宮様にお持ちする感情を少し浅く御覧になっていらっしゃるのではないかと恨めしくなります。
何も皆近く参上してお話しいたしましょう。
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 と、きまじめな文章が、白い厚い色紙に書いて送られた。
 薫《かおる》は翌日の夕方に二条の院の中の君を訪《たず》ねた。中の君を恋しく思う心の添った人であるから、わけもなく服装などが気になり、柔らかな衣服に、備わるが上の薫香《くんこう》をたきしめて来たのであったから、あまりにも高いにおいがあたりに散り、常に使っている丁字《ちょうじ》染めの扇が知らず知らず立てる香などさえ美しい感じを覚えさせた。中の君も昔のあの夜のことが思い出されることもないのではなかったから、父宮と姉君への愛の深さが認識されるにつけても、運命が姉の意志のままになっていたのであったらと心の動揺を覚えたかもしれない。少女ではないのであるから、恨めしい方の心と比べてみて、何につけてもりっぱな薫がわかったのか、平生あまりに遠々しくもてなしていて気の毒であった、人情にうとい女だとこの人が思うかもしれぬと思い、今日は前の室の御簾《みす》の中へ入れて、自身は中央の室の御簾に几帳《きちょう》を添え、少し後ろへ身を引いた形で対談をしようとした。
「お招きくだすったのではありませんが、来てもよろしいとのお許しが珍しくいただけましたお礼に、すぐにもまいりたかったのですが、宮様が来ておいでになると承ったものですから、御都合がお悪いかもしれぬと御遠慮を申して今日にいたしました。これは長い間の私の誠意がようやく認められてまいったのでしょうか。遠さの少し減った御簾の中へお席をいただくことにもなりました。珍しいですね」
 と薫の言うのを聞いて、中の君はさすがにまた恥ずかしくなり、言葉が出ないように思うのであったが、
「この間の御親切なお計らいを聞きまして、感激いたしました心を、いつものようによく申し上げもいたしませんでは、どんなに私がありがたく存じておりますかしれませんような気持ちの一端をさえおわかりになりますまいと残念だったものですから」
 と羞《は》じらいながらできるだけ言葉を省いて言うのが絶え絶えほのかに薫へ聞こえた。
「たいへん遠いではありませんか。細かなお話もし、あなたからも承りたい昔のお話もあるのですから」
 こう言われて中の君は道理に思い、少し身じろぎをして几帳のほうへ寄って来たかすかな音にさえ、衝動を感じる薫であったが、さりげなくいっそう冷静な様子を作りながら、宮の御誠意が案外浅いものであったとお譏《そし》りするようにも言い、また中の君を慰めるような話をも静々としていた。中の君としては宮をお恨めしく思う心などは表へ出してよいことではないのであるから、ただ人生を悲しく恨めしく思っているというふうに紛らして、言葉少なに憂鬱《ゆううつ》なこのごろの心持ちを語り、宇治の山荘へ仮に移ることを薫の手で世話してほしいと頼む心らしく、その希望を告げていた。
「その問題だけは私の一存でお受け合いすることができかねます。宮様へ素直《すなお》にお頼みになりまして、あの方の御意見に従われるのがいいと思いますがね、そうでなくば御感情を害することになって、軽率だとお怒りになったりしましては将来のためにもよくありません。それでなく穏やかに御同意をなされればあちらへのお送り迎えを私の手でどんなにでも都合よく計らいますのにはばかりがあるものですか。夫人をお託しになっても危険のない私であることは宮様がよくご存じです」
 こんなことを言いながらも、話の中に自分は過去にしそこねた結婚について後悔する念に支配ばかりされていて、もう一度昔を今にする工夫《くふう》はないかということを常に思うとほのめかして次第に暗くなっていくころまで帰ろうとしない客に中の君は迷惑を覚えて、
「それではまた、私は身体《からだ》の調子もごく悪いのでございますから、こんなふうでない時がございましたら、お話をよく伺わせていただきます」
 と言い、引っ込んで行ってしまいそうになったのが残念に思われて、薫は、
「それにしてもいつごろ宇治へおいでになろうとお思いになるのですか。伸びてひどくなっていました庭の草なども少しきれいにさせておきたいと思います」
 と、機嫌《きげん》を取るために言うと、しばらく身を後ろへずらしていた中の君がまた、
「もう今月はすぐ終わるでしょうから、来月の初めでもと思います。それは忍んですればいいでしょう。皆の同意を得たりしますようなたいそうなことにいたしませんでも」
 と答えた。その声が非常に可憐《かれん》であって、平生以上にも大姫君と似たこの人が薫の心に恋しくなり、次の言葉も口から出ずよりかかっていた柱の御簾の下から、静かに手を伸ばして夫人の袖《そで》をつかんだ。中の君はこんなことの起こりそうな予感がさっきから自分にあって恐れていたのであると思うと、とがめる言葉も出すことができず、いっそう奥のほうへいざって行こうとした時、持った袖について、親しい男女の間のように、薫は御簾から半身を内に入れて中の君に寄り添って横になった。
「私が間違っていますか、忍んでするのがいいとお言いになったのをうれしいことと取りましたのは聞きそこねだったのでしょうかと、それをもう一度お聞きしようと思っただけです。他人らしくお取り扱いにならないでもよいはずですが、無情なふうをなさるではありませんか」
 こう薫に恨まれても夫人は返辞をする気にもならないで、思わず憎みの心の起こるのをしいておさえながら、
「なんというお心でしょう、こんな方とは想像もできませんようなことをなさいます。人がどう思うでしょう、あさましい」
 とたしなめて、泣かんばかりになっているのにも少し道理はあるとかわいそうに思われる薫が、
「これくらいのことは道徳に触れたことでも何でもありませんよ。これほどにしてお話をした昔を思い出してください。亡《な》くなられた女王《にょおう》さんのお許しもあった私が、近づいたからといって、奇怪なことのように見ていらっしゃるのが恨めしい。好色漢がするような無礼な心を持つ私でないと安心していらっしゃい」
 と言い、激情は見せずゆるやかなふうにして、もう幾月か後悔の日ばかりが続き、苦しいまでになっていく恋の悩みを、初めからこまごまと述べ続け、反省して去ろうとする様子も見せないため、中の君はどうしてよいかもわからず、悲しいという言葉では全部が現わせないほど悲しんでいた。知らない他人よりもかえって恥ずかしく、いとわしくて、泣き出したのを見て、薫は、
「どうしたのですか、あなたは、少女らしい」
 こう非難をしながらも、非常に可憐《かれん》でいたいたしいふうのこの人に、自身を衛《まも》る隙《すき》のないところと、豊かな貴女《きじょ》らしさがあって、あの昔見た夜よりもはるかに完成された美の覚えられることによって、自身のしたことであるが、これを他の人妻にさせ、苦しい煩悶《はんもん》をすることとなったとくやしくなり、薫もまた泣かれるのであった。夫人のそばには二人ほどの女房が侍していたのであるが、知らぬ男の闖入《ちんにゅう》したのであれば、なんということをとも言って中の君を助けに出るのであろうが、この中納言のように親しい間柄の人がこの振舞《ふるまい》をしたのであるから、何か訳のあることであろうと思う心から、近くにいることをはばかって、素知らぬ顔を作り、あちらへ行ってしまったのは夫人のために気の毒なことである。中納言は昔の後悔が立ちのぼる情炎ともなって、おさえがたいのであったであろうが、夫人の処女時代にさえ、どの男性もするような強制的な結合は遂げようとしなかった人であるから、ほしいままな行為はしなかった。こうしたことを細述することはむずかしいと見えて筆者へ話した人はよくも言ってくれなかった。
 どんな時を費やしても効《かい》のないことであって、そして人目に怪しまれるに違いないことであると思った薫は帰って行くのであった。まだ宵《よい》のような気でいたのに、もう夜明けに近くなっていた。こんな時刻では見とがめる人があるかもしれぬと心配がされたというのも中の君の名誉を重んじてのことであった。妊娠のために身体の調子を悪くしているという噂《うわさ》も事実であった。恥ずかしいことに思い、見られまいとしていた上着の腰の上の腹帯にいたましさを多く覚えて一つはあれ以上の行為に出なかったのである、例のことではあるが臆病《おくびょう》なのは自分の心であると思われる薫であったが、思いやりのないことをするのは自分の本意でない、一時の衝動にまかせてなすべからぬことをしてしまっては今後の心が静かでありえようはずもなく、人目を忍んで通って行くのも苦労の多いことであろうし、宮のことと、その新しいこととでもこもごもにあの人が煩悶をするであろうことが想像できるではないかなどとまた賢い反省はしてみても、それでおさえきれる恋の火ではなく、別れて出て来てすでにもう逢いたく恋しい心はどうしようもなかった。どうしてもこの恋を成立させないでは生きておられないようにさえ思うのも、返す返すあやにくな薫の心というべきである。昔より少し痩《や》せて、気高《けだか》く可憐《かれん》であった中の君の面影が身に添ったままでいる気がして、ほかのことは少しも考えられない薫になっていた。宇治へ非常に行きたがっているようであったが、宮がお許しになるはずもない、そうかといって忍んでそれを行なわせることはあの人のためにも、自分のためにも世の非難を多く受けることになってよろしくない。どんなふうな計らいをすれば、世間体のよく、また自分の恋の遂げられることにもなるであろうと、そればかりを思って虚《うつろ》になった心で、物思わしそうに薫は家に寝ていた。
 まだ明けきらぬころに中の君の所へ薫の手紙が届いた。例のように外見はきまじめに大きく封じた立文《たてぶみ》であった。

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いたづらに分けつる路《みち》の露しげみ昔おぼゆる秋の空かな

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冷ややかなおもてなしについて「ことわり知らぬつらさ」(身を知れば恨みぬものをなぞもかくことわり知らぬつらさなるらん)ばかりが申しようもなくつのるのです。
[#ここで字下げ終わり]
 こんな内容である。返事を出さないのもいぶかしいことに人が見るであろうからと、それもつらく思われて、
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承りました。非常に身体《からだ》の苦しい日ですから、お返事は差し上げられませぬ。
[#ここで字下げ終わり]
 と中の君は書いた。
 これをあまりに短い手紙であると、物足らず寂しく思い、美しかった面影ばかりが恋しく思い出された。人妻になったせいか、むやみに恐怖するふうは見せず、貴女らしい気品も多くなった姿で、闖入者を柔らかになつかしいふうに説いて退却させた才気などが思い出されるとともに、ねたましくも、悲しくもいろいろにその人のことばかりが思われる薫《かおる》は、自身ながらわびしく思った。落胆はする必要もない、宮の愛が薄くなってしまえば、あの人は自分ばかりをたよりにするはずである、しかし公然とは夫婦になれず、世間のはばかられる二人であろうが、隠れた恋人としておいても、自分は他に愛する婦人を作るまい、生涯《しょうがい》で唯一の妻とあの人を自分だけは思っていけるであろうなどと、二条の院の夫人のことばかりを思っているというのもけしからぬ心である。反省している時、またその人に清い恋として告白している時には賢い人になっているのであるが、この人すら情けない愛欲から離れられないのは男性の悲哀である。大姫君の死は取り返しのならぬものであったが、その時には今ほど薫は心を乱していなかった。これは道義観さえ超《こ》えていろいろな未来の夢さえ描くものを心に持っていた。
 この日は二条の院へ宮がおいでになったということを聞いて、中の君の保護者をもって任ずる心はなくして、胸が嫉妬《しっと》にとどろき、宮をおうらやましくばかり薫は思った。
 宮は二、三日も六条院にばかりおいでになったのを、御自身の心ながらも恨めしく思召《おぼしめ》されてにわかにお帰りになったのである。もうこの運命は柔順に従うほかはない、恨んでいるとは宮にお見せすまい、宇治へ行こうとしても信頼する人にうとましい心ができているのであるからと中の君は思い、いよいよ右も左も頼むことのできない身になっていると思われ、どうしても自分は薄命な女なのであるとして、生きているうちはあるがままの境遇を認めておおようにしていようと、こう決心をしたのであったから、可憐《かれん》に素直にして、嫉妬《しっと》も知らぬふうを見せていたから、宮はいっそう深い愛をお覚えになり、思いやりをうれしくお感じになって、おいでにならぬ間も忘れていたのではないということなどに言葉を尽くして夫人を慰めておいでになった。腹部も少し高くなり、恥ずかしがっている腹帯の衣服の上に結ばれてあるのにさえ心がお惹《ひ》かれになった。まだ妊娠した人を直接お知りにならぬ方であったから、珍しくさえお思いになった。何事もきれいに整い過ぎた新居においでになったあとで、ここにおいでになるのはすべての点で気安く、なつかしくお思われになるままに、こまやかな将来の日の誓いを繰り返し仰せになるのを聞いていても中の君は、男は皆口が上手《じょうず》で、あの無理な恋を告白した人も上手に話をしたと薫のことを思い出して、今までも情けの深い人であるとは常に思っていたが、ああしたよこしまな恋に自分は好意を持つべくもないと思うことによって、宮の未来のお誓いのほうは、そのとおりであるまいと思いながらも少し信じる心も起こった。それにしてもああまで油断をさせて自分の室の中へあの人がはいって来た時の驚かされようはどうだったであろう、姉君の意志を尊重して夫婦の結合は遂げなかったと話していた心持ちは、珍しい誠意の人と思われるのであるが、あの行為を思えば自分として気の許される人ではないと、中の君はいよいよ男の危険性に用心を感じるにつけても、宮がながく途絶えておいでにならぬことになれば恐ろしいと思われ、言葉には出さないのであるが、以前よりも少し宮へ甘えた心になっていたために、宮はなお可憐に思召され、心を惹《ひ》かれておいでになったが、深く夫人にしみついている中納言のにおいは、薫香《くんこう》をたきしめたのには似ていず特異な香であるのを、においというものをよく研究しておいでになる宮であったから、それとお気づきになって、奇怪なこととして、何事かあったのかと夫人を糺《ただ》そうとされる。宮の疑っておいでになることと事実とはそうかけ離れたものでもなかったから、何ともお答えがしにくくて、苦しそうに沈黙しているのを御覧になる宮は、自分の想像することはありうべきことだ、よも無関心ではおられまいと始終自分は思っていたのであるとお胸が騒いだ。薫のにおいは中の君が下の単衣《ひとえ》なども昨夜のとは脱ぎ替えていたのであるが、その注意にもかかわらず全身に沁《し》んでいたのである。
「あなたの苦しんでいるところを見ると、進むところへまで進んだことだろう」
 とお言いになり、追究されることで夫人は情けなく、身の置き所もない気がした。
「私の愛はどんなに深いかしれないのに、私が二人の妻を持つようになったからといって、自分も同じように自由に人を愛しようというようなことは身分のない者のすることですよ。そんなに私が長く帰って来ませんでしたか、そうでもないではありませんか。私の信じていたよりも愛情の淡《うす》いあなただった」
 などとお責めになるのである。愛する心からこうも思われるのであるというふうにお訊《き》きになっても、ものを言わずにいる中の君に嫉妬《しっと》をあそばして、

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またびとになれける袖《そで》の移り香をわが身にしめて恨みつるかな
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 とお言いになった。夫人は身に覚えのない罪をきせておいでになる宮に弁明もする気にならずに、
「あなたの誤解していらっしゃることについて何と申し上げていいかわかりません。

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見なれぬる中の衣と頼みしをかばかりにてやかけ離れなん」
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 と言って泣いていた。その様子の限りなく可憐《かれん》であるのを宮は御覧になっても、こんな魅力が中納言を惹《ひ》きつけたのであろうとお思いになり、いっそうねたましくおなりになり、御自身もほろほろと涙をおこぼしになったというのは女性的なことである。どんな過失が仮にあったとしても、この人をうとんじてしまうことはできないふうな、美しいいたいたしい中の君の姿に、恨みをばかり言っておいでになることができずに、宮は歎いている人の機嫌《きげん》を直させるために言い慰めもしておいでになった。
 翌朝もゆるりと寝ておいでになって、お起きになってからは手水《ちょうず》も朝の粥《かゆ》もこちらでお済ませになった。座敷の装飾も六条院の新婦の居間の輝くばかり朝鮮、支那《しな》の錦《にしき》で装飾をし尽くしてある目移しには、なごやかな普通の家の居ごこちよさをお覚えになって、女房の中には着疲れさせた服装のも混じっていたりして、静かに見まわされる空気が作られていた。夫人は柔らかな淡紫《うすむらさき》などの上に、撫子《なでしこ》色の細長をゆるやかに重ねていた。何一つ整然としていぬものもないような盛りの美人の新婦に比べてごらんになっても、劣ったともお思われにならず、なつかしい美しさの覚えられるというのは宮の御愛情に相当する人というべきであろう。円《まる》く肥えていた人であったが、少しほっそりとなり、色はいよいよ白くて上品に美しい中の君であった。怪しい疑いを起こさせるにおいなどのついていなかった常の時にも、愛嬌《あいきょう》のある可憐な点はだれよりもすぐれていると見ておいでになった人であるから、この人を兄弟でもない男性が親しい交際をして自然に声も聞き、様子もうかがえる時もあっては、どうして無関心でいられよう、必ず結果は恋を覚えることになるであろうと、宮は御自身の好色な心から想像をあそばして、これまでから恋をささやく明らかな証《あかし》の見える手紙などは来ていぬかとお思いになり、夫人の居間の中の飾り棚《だな》や小さい唐櫃《からびつ》などというものの中をそれとなくお捜しになるのであったが、そんなものはない。ただまじめなことの書かれた短い、文学的でもないようなものは、人に見せぬために別にもしてなくて、物に取り混ぜてあったのを発見あそばして、不思議である、こんな用事を言うものにとどまるはずはないとお疑いの起こることで今日のお心が冷静にならないのも道理である。夫人が魅力を持つばかりでなく中納言の姿もまた趣味の高い女が興味を覚えるのに十分なものであるから、愛に報いぬはずはない、よい一対の男女であるから、相思の仲にもなるであろうと、こんな御想像のされるために、宮はわびしく腹だたしく、ねたましくお思いになった。不安なお気持ちが静まらぬため、その日も二条の院にとどまっておいでになることになり、六条院へはお手紙の使いを二、三度お出しになった。わずかな時間のうちにもそうも言っておやりになるお言葉が積もるのかと老いた女房などは陰口を申していた。
 中納言はこんなに宮が二条の院にとどまっておいでになることを聞いても苦しみを覚えるのであったが、自分は誤っている、愚かな情炎を燃やしてはよろしくない、そうした愛でない清い愛で助けようと決心していた人に対して、思うべからぬことを思ってはならぬとしいて思い返し、このままにしていても、自分の気持ちは汲んでくれる人に違いないという自信の持てるのがうれしかった。女房たちの衣服がなつかしい程度に古びかかっていたようであったのを思って、母宮のお居間へ行き、
「品のよい女物で、お手もとにできているのがあるでしょうか、少し入り用なことがあるのです」
 とお尋ねすると、
「例年の法事は来月ですから、その日の用意の白い生地などがあるだろうと思います。染めたものなどは平生たくさんは私の所に置いてないから、急いで作らせましょう」
 宮はこうお答えになった。
「それには及びません。たいそうなことにいるのではありませんから、できているものでけっこうです」
 と薫《かおる》は申し上げて、裁縫係りの者の所へ尋ねにやりなどして、女の装束幾重ねと、美しい細長などをありあわせのまま使うことにして、下へ着る絹や綾《あや》なども皆添え、自身の着料にできていた紅《あか》い糊絹《のりぎぬ》の槌目《つちめ》の仕上がりのよい物、白い綾の服の幾重ねへ添えたく思った袴《はかま》の地がなくて付け腰だけが一つあったのを、結んで加える時に、それへ、

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結びける契りことなる下紐《したひも》をただひとすぢに恨みやはする
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 と歌を書いた。大輔《たゆう》の君という年のいった女房で、薫の親しい人の所へその贈り物は届けられたのである。
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にわかに思い立って集めた品ですから、よくそろいもせず見苦しいのですが、よいように取り合わせてお使いください。
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 という手紙が添えられてあって、夫人の着料のものは、目だたせぬようにしてはあったが箱へ納めてあって、包みが別になっていた。大輔は中の君へこの報告はしなかったが、今までからこうした好意の贈り物を受け馴《な》れていたことであって、受け取らぬなどと返すべきでなかったから、どうしたものかとも心配することもなく女房たちへ分け与えたので、その人々は縫いにかかっていた。若い女房で宮御夫婦のおそばへよく出る人はことにきれいにさせておこうとしたことだと思われる。下仕えの女中などの古くなった衣服を白の袷《あわせ》に着かえさせることにしたのも目だたないことでかえって感じがよかった。
 この夫人のために薫以外にだれがこうした物質の補いをする者があろう、宮は夫人を愛しておいでになったから、すべて不自由のないようにと計らってはおいでになるのであるが、女房の衣服のことまではお気のおつきにならないところであった。大事がられて御自身でそうした物のことをお考えになることはなかったのであるから、貧しさはどんなに苦しいものであるともお知りにならないのは道理なことである。寒けをさえ覚える恰好《かっこう》で花の露をもてあそんでばかりこの世はいくもののように思っておいでになる宮とは違い、愛する人のためであるから、何かにつけて物質の補助を惜しまない薫の志をまれな好意としてありがたく思っている人たちであるから、宮のお気のつかないことと、気のよくつく薫とを比較して譏《そし》るようなことを言う乳母《めのと》などもあった。童女の中には見苦しくなった姿で混じっていたりするのも目につくことがおりおりあったりして、夫人はそれを恥ずかしく思い、この住居《すまい》をしてかえって苦痛の多くなったようにも人知れず思うことがないでもなかったのであるのに、そしてこのごろは世の中の評判にさえなっている華美な宮の新婚後のお住居《すまい》の様子などを思うと、宮にお付きしている役人たちもどんなにこちらを軽蔑《けいべつ》するであろう、貧しさを笑うであろうという煩悶《はんもん》を中の君がしているのを、薫が思いやって知っていたのであったから、妹でもない人の所へ、よけいな出すぎたことをすると思われるこんなことも、侮《あなど》って礼儀を失ったのではなく、目だつようにしないのは、自分に助けられている夫人の無力を思う人があってはならないと思う心から、忍んでする薫であった。この贈り物があったために、女房の身なりをととのえさせることができ、袿《うちぎ》を織らせたり、綾《あや》を買い入れる費用も皆与えることができた。薫も宮に劣らず大事にかしずかれて育った人で、高い自尊心も持ち、一般の世の中から超越した貴族的な人格も持っているのであるが、宇治の八の宮の山荘へ伺うようになって以来、豊かでない家の生活の寂しさというものは想像以上のものであったと同情を覚え、その御一家だけへではなく、物質的に恵まれない人々をあまねく救うようになったのである。哀れな動機というべきである。
 薫はぜひとも中の君のために邪悪な恋は捨てて、清い同情者の地位にとどまろうとするのであるが、自身の心が思うにまかせず、常に恋しくばかり思われて苦しいために、手紙をもって以前よりもこまごまと書き、不用意に恋の心が出たふうに見せたような消息をよく送るようになったのを、中の君はわびしいことの添ってきた運命であると歎いていた。まったく知らぬ人であったならば、狂気の沙汰《さた》とたしなめ、そうした心を退けるのが容易なことであろうが、昔から特別な後援者と信頼してきて、今さら仲たがいをするのはかえって人目を引くことになろうと思い、さすがにまた薫の愛を憐《あわれ》む心だけはあるのであっても、誘惑に引かれて相手をしているもののようにとられてはならぬとはばかられて煩悶《はんもん》がされた。女房たちも夫人の気持ちのわかりそうな若い人らは皆新しく京へ移った前後から来てなじみが浅く、またなじみの深い人たちといっては昔から宇治にいた老いた女房らであったから、苦しいことも左右の者に洩《も》らすことができず、姉君を思い出さぬおりもなかった。姉君さえおいでになれば中納言も自分へ恋をするようなことにはむろんならなかったはずであると、大姫君の死が悲しく思われ、宮が二心をお持ちになり、恨めしいことも起こりそうに予想されることよりもこの中納言の恋を中の君は苦しいことに思った。
 薫はおさえきれぬものを心に覚えて、例のとおりにしんみりとした夕方に二条の院の中の君を訪《たず》ねて来た。すぐに縁側へ敷き物を出させて、
「身体《からだ》を悪くしております時で、お話を自身で伺えませんのが残念でございます」
 と中の君が取り次がせて来たのを聞くと、薫は恨めしさに涙さえ落ちそうになったのを人目につかぬようにしいて紛らして、
「御病気の時には、知らぬ僧でもお近くへまいるのですから、私も医師並みに御簾《みす》の中へお呼びいただいてもいいわけでしょう。こうした人づてのお言葉は私を失望させてしまいます」
 と言い、情けなさそうにしているのを、先夜の事情を知っている女房らが、
「仰せになりますとおり、お席があまり失礼でございます」
 と言い、中央の母屋《もや》の御簾を皆おろして、夜居の僧のはいる室へ薫を案内したのを、中の君は実際身体も苦しいのであったが、女房もこう言っているのに、あらわに拒絶するのもかえって人を怪しがらせる結果になるかもしれぬと思い、物憂《ものう》く思いながら少しいざって出て話すことにした。
 ごくほのかに時々ものを言う様子に、死んだ恋人の病気の初期のころのことが思われるのもよい兆候でないと薫は非常に悲しくなり、心が真暗《まっくら》になり、すぐにもものが言われず、ためらいながら、話を続けた。ずっと奥のほうに中の君のいるのも恨めしくて、御簾の下から几帳《きちょう》を少し押すような形にして、例のなれなれしげなふうを示すのが苦しく思われ、困ることに考えられて、中の君は少将の君という人をそばへ呼んで、
「私は胸が痛いからしばらくおさえて」
 と言っているのを聞いて、
「胸はおさえるとなお苦しくなるものですが」
 こう言って歎息《たんそく》を洩《も》らしながら薫のすわり直したことにさえ、母屋《もや》の中の夫人は不安が感ぜられた。
「どうしてそんなに始終お苦しいのでしょう。人に聞きますと、初めのうちは気持ちが悪くてもまた快く癒《なお》っている時もあると教えてくれました。あなたはそうお言いになって若々しく私を警戒なさるのでしょう」
 と薫の言うのを聞いて中の君は恥ずかしくなった。
「私は平生いつも胸が痛いのでございます。姉もそんなふうでございました。短命な人は皆こんなふうに煩うものだとか申します」
 と言った。だれも千年の松の命を持っているのでないから、あるいはそんな危険が近づいているのであるかもしれぬと思うと、薫には今の言葉が身に沁《し》んで哀れに思われてきて、夫人がそばへ呼んだ女房の聞くのもはばかる気にはならず、きわめて悪い所だけは口にせぬものの、昔からどんなに深く愛していたかということを、中の君にだけは意味の通じるようにして言い、人には友情とより聞こえぬ上手《じょうず》な話し方を薫がしているために、その人は、今までからだれもが言うとおりに珍しい人情味のある人であるとそばにいて思っていた。表はおおかた総角《あげまき》の姫君と死別した尽きもせぬ悲しみを話題にしているのであった。
「私は少年のころから、この世から離れた身になりたい、正しく仏道へ踏み入るにはどうすればよいかと願うことはそれだけだったのですが、前生の因縁というものだったのでしょうか、そう御接近したわけでもないあの方を恋しく思い始めました時から、私の信仰に傾いた心が違ってきまして、またお死なせしてからはあちらこちらの女性と交渉を始めることもして、悲痛な心を慰めようとしたこともありましたが、そんなことは何の効果もあるものでないことが確かにわかりました。私に魅力を及ぼす人がほかにはこの世にいないことがわかりましたから、好色らしいと誤解されますのは恥ずかしいのですがそうした不良性な愛であなたをお思いしてこそ無礼きわまるものでしょうが、私の望むところは淡々たるもので、ただこれほどの隔てで時々あなたへ直接その時その気持ちをお話し申し上げて、そしてなんとかお言葉をいただくことができます程度の睦《むつ》まじさで御交際することはだれも非難のいたしようもないことでしょう。私の変わった性情は世間一般の人が認めているのですから、どこまでもあなたは御安心していてください」
 などと、恨みもし、泣きもして薫は言うのである。
「御信用しておりませんでしたなら、こんなふうに誤解もされんばかりにまであなたと近しくお話などはいたしませんでしょう。長い間、父のため、姉のために御好意をお見せくださいましたことをよく存じているものですから、普通には説明のできない間柄の保護者と御信頼申し上げて、ただ今ではこちらから何かと御無心に出したりもいたしております」
「そんなことがありましたかどうだか私に覚えはないようです。そればかりのこともたいそうにおっしゃるではありませんか。今度宇治へおいでになりたいという御相談でやっと私の存在をお認めになったようなわけではありませんか。それだけでも哀れな私は満足ができたのですよ。誠意のある者とおわかりになってくだすったのですから、非常にありがたく思っております」
 こんなふうに言って、薫《かおる》には飽き足らぬ恨めしい心は見えるのであるが、聞いている者がいるのであっては、思うままのことを言いえようはずもない。庭のほうへ目をやって見ると、秋の日が次第に暗くなり、虫の声だけが何にも紛れず高く立っているが、築山のほうはもう闇《やみ》になっている。こんな時間になっても驚かずしめやかなふうで柱によりかかって、去ろうと薫のしないのに中の君はやや当惑を感じていた。「恋しさの限りだにある世なりせば」(つらきをしひて歎かざらまし)などと低い声で薫は口ずさんでから、
「私はもうしかたもない悲しみの囚《とりこ》になってしまったのです。どこか閑居をする所がほしいのですが、宇治辺に寺というほどのものでなくとも一つの堂を作って、昔の方の人型《ひとがた》(祓《はらい》をして人に代わって川へ流すもの)か肖像を絵に描《か》かせたのかを置いて、そこで仏勤めをしようという気に近ごろなりました」
 と言った。
「身にしむお話でございますけれど、人型とお言いになりますので『みたらし川にせし禊《みそぎ》』(恋せじと)というようなことが起こるのではないかという不安も覚えられます。代わりのものは真のものでございませんからよろしくございませんから昔の人に気の毒でございますね。黄金《こがね》を与えなければよくは描《か》いてくれませんような絵師があるかもしれぬと思われます」
 こう中の君は言う。
「そうですよ。その絵師というものは決して気に入った肖像を作ってくれないでしょうからね。少し前の時代にその絵から真実の花が降ってきたとかいう伝説の絵師がありますがね、そんな人がいてくれればね」
 何を話していても死んだ人を惜しむ心があふれるように見えるのを中の君は哀れにも思い、自身にとって一つの煩わしさにも思われるのであったが、少し御簾《みす》のそばへ寄って行き、
「人型とお言いになりましたことで、偶然私は一つの話を思い出しました」
 と言い出した。その様子に常に超《こ》えた親しみの見えるのが薫はうれしくて、
「それはどんなお話でしょう」
 こう言いながら几帳の下から中の君の手をとらえた。煩わしい気持ちに中の君はなるのであったが、どうにかしてこの人の恋をやめさせ、安らかにまじわっていきたいと思う心があるため、女房へも知らせぬようにさりげなくしていた。
「長い間そんな人のいますことも私の知りませんでした人が、この夏ごろ遠い国から出てまいりまして、私のここにいますことを聞いて音信《たより》をよこしたのですが、他人とは思いませんものの、はじめて聞いた話を軽率《けいそつ》にそのまま受け入れて親しむこともできぬような気になっておりましたのに、それが先日ここへ逢《あ》いにまいりました。その人の顔が不思議なほど亡《な》くなりました姉に似ていましたのでね、私は愛情らしいものを覚えたのです。形見に見ようと思召すのには適当でございませんことは、女たちも姉とはまるで違った育ち方の人のようだと言っていたことで確かでございますが、顔や様子がどうしてあんなにも似ているのでしょう。それほどなつながりでもございませんのに」
 この中の君の言葉を薫はあるべからざる夢の話ではないかとまで思って聞いた。
「しかるべきわけのあることであなたをお慕いになっておいでになったのでしょう。どうしてただ今までその話を少しもお聞かせくださらなかったのでしょう」
「でも古い事実は私に否定も肯定もできなかったのでございますからね。何のたよりになるものも持たずにさすらっている者もあるだろうとおっしゃって、気がかりなふうにお父様が時々お洩《も》らしになりましたことなどで思い合わされることもあるのですが、過去の不幸だった父がまたそんなことで冷嘲《れいちょう》されますことの添いますのも心苦しゅうございまして」
 中の君のこの言葉によれば、八の宮のかりそめの恋のお相手だった人が得ておいた形見の姫君らしいと薫は悟った。大姫君に似たと言われたことに心が惹《ひ》かれて、
「そのよくおわかりにならないことはそのままでもいいのですから、もう少しくわしくお話をしてくださいませんか」
 と中納言は望んだが、羞恥《しゅうち》を覚えて中の君は細かなことを言って聞かせなかった。
「その人を知りたく思召すのでございましたら、その辺と申すことくらいはお教え申してもいいのでございますが、私もくわしくは存じません。またあまり細かにお話をいたせばいやにおなりになることに違いございませんし」
「幻術師を遠い海へつかわされた話にも劣らず、あの世の人を捜し求めたい心は私にもあるのです。そうした故人の生まれ変わりの人と見ることはできなくても、現在のような慰めのない生活をしているよりはと思う心から、その方に興味が持たれます。人型として見るのに満足しようとする心から申せば山里の御堂《みどう》の本尊を考えないではおられません。なおもう少し確かな話を聞かせてくださいませんか」
 中納言は新しい姫君へにわかに関心を持ち出して中の君を責めるのだった。
「でもお父様が子と認めてお置きになったのでもない人のことを、こんなにお話ししてしまいますのは軽率なことなのですが、神通力のある絵師がほしいとお思いになるあなたをお気の毒に思うものですから」
 こう言ってから、さらに、
「長く遠い国でなど育てられていましたことで、その母が不憫《ふびん》がりまして、私の所へいろいろと訴えて来ましたのを、冷淡に取り合わずにいることはできないでいますうちに、ここへまいったのです。ほのかにしか見ることができませんでしたせいですか、想像していましたよりは見苦しくなく見えました。どういう結婚をさせようかと、それを母親は苦労にしている様子でしたが、あなたの御堂の仏様にしていただきますことはあまりに過分なことだと思います。それほどの資格などはどうしてあるものではありません」
 など夫人は言った。それとなく自分の恋を退ける手段として中の君の考えついたことであろうと想像される点では恨めしいのであったが、故人に似たという人にはさすがに心の惹《ひ》かれる薫であった。自分の恋をあるまじいこととは深く思いながらも、あらわに侮蔑《ぶべつ》を見せぬのも中の君が自分へ同情があるからであろうと思われる点で興奮をして中納言が話し続けているうちに夜もふけわたったのを、夫人は人目にどう映ることかという恐れを持って、相手の隙《すき》を見て突然奥へはいってしまったのを、返す返すも道理なことであると思いながらも薫は、恨めしい、くちおしい気持ちが静められなくて涙までもこぼれてくる不体裁さに恥じられもして、複雑な悶《もだ》えをしながらも、感情にまかせた乱暴な行為に出ることは、恋人のためにも自分のためにも悪いことであろうと、しいて反省をして、平生よりも多く歎息をしながら辞去した。
 こんなに恋しい心はどう処理すればいいのであろう、これが続いていくばかりでは苦しさに堪えられなくなるに違いない、どんなにすれば世間の非難も受けず、しかも恋のかなうことになるであろうなどと、多くの恋愛に鍛え上げてきた心でない青年の中納言であるせいか、自身のためにも中の君のためにも無理で、とうてい平和な道のありえない思いをし続けてその夜は明かした。似ているとあの人が言った人をそのとおりに信じて情人の関係を結ぶようなことはできない、地方官階級の家に養われている人であれば、こちらで行なおうとすることに障害になるものもないであろうが、当人の意志でもない関係を結ぶのはおもしろくないことに相違ないなどと思い、話を聞いた時には一時的に興奮を感じたものの、冷静になってみれば心をさほど惹く価値もないことと薫はしているのであった。
 宇治の山荘を長く見ないでいるといっそうに恋しい昔と遠くなる気がして心細くなる薫は、九月の二十幾日に出かけて行った。主人のない家は河風《かわかぜ》がいっそう吹き荒らして、すごい騒がしい水音ばかりが留守居をし、人影も目につくかつかぬほどにしか徘徊《はいかい》していない。ここに来てこれを見た時から中納言の心は暗くなり、限りもない悲しみを覚えた。弁の尼に逢《あ》いたいと言うと、障子口をあけ、青鈍《あおにび》色の几帳のすぐ向こうへ来て挨拶《あいさつ》をした。
「失礼なのでございますが、このごろの私はまして無気味な姿になっているのでございますから、御遠慮をいたすほうがよいと思われまして」
 と言い、顔は現わさない。
「どんなにあなたが寂しく暮らしておいでになるだろうと思うと、そのあなただけが私の悲しみを語る唯一の相手だと思われて出て来ましたよ。年月はずんずんたっていきました、あれから」
 涙を一目浮かべて薫がこう言った時、老女はましてとめようもない泣き方をした。
「御自身のためでなく、お妹様のために深い物思いを続けておいでになったころは、こんな秋の空であったと思い出しますと、いつでも寂しい私ではございましても、特別に秋風は身に沁《し》んで辛《つろ》うございます。実際今になりますと、大姫様の御心配あそばしましたのがごもっともなような現象が京では起こってまいったようにここでも承りますのは悲しゅうございます」
「一時はどんなふうに見えることがあっても、時さえたてばまた旧態にもどるものであるのに、あの方が一途に悲観をして病気まで得ておしまいになったのは、私がよく説明をしなかったあやまりだと、それを思うと今も悲しいのですよ。中姫君の今経験しておられるようなことは、まず普通のことと言わねばなりますまい。決して宮の御愛情は懸念を要するような薄れ方になっていないと思われます。それよりも言っても言っても悲しいのはやはり死んだ方ですよ。死んでしまってはもう取り返しようがない」
 と言って薫《かおる》は泣いた。
 薫は阿闍梨《あじゃり》を寺から呼んで、大姫君の忌日の法会《ほうえ》に供養する経巻や仏像のことを依託した。また、
「私はこんなふうに時々ここへ来ますが、来てはただ故人の死を悲しむばかりで、霊魂の慰めになることでもない無益な歎きをせぬために、この寝殿を壊《こぼ》ってお山のそばへ堂にして建てたく思うのです。同じくは速くそれに取りかからせたいと思っています」
 とも言い、堂を幾つ建て、廊をどうするかということについて、それぞれ書き示しなど薫のするのを、阿闍梨は尊い考えつきであると並み並みならぬ賛意を表していた。
「昔の方が風雅な山荘として地を選定してお作りになった家を壊《こぼ》つことは無情なことのようでもありますが、その方御自身も仏教を唯一の信仰としておられて、すべてを仏へささげたく思召してもまた御遺族のことをお思いになって、そうした御遺言はしておかれなかったのかと解釈されます。今では兵部卿《ひょうぶきょう》親王の夫人の御所有とすべき家であってみれば、あの宮様の御財産の一つですから、このお邸《やしき》のままで寺にしては不都合でしょう。私としてもかってにそれはできない。それに地所もあまりに川へ接近していて、川のほうから見え過ぎる、ですから寝殿だけを壊《こぼ》って、ここへは新しい建物を代わりに作って差し上げたい私の考えです」
 と薫が言うと、
「きわめて行き届いたお考えでけっこうです。最愛の人を亡《な》くしましてから、その骨を長年袋へ入れ頸《くび》へ掛けていた昔の人が、仏の御方便でその袋をお捨てさせになり、信仰の道へはいったという話もございます。この寝殿を御覧になるにつけましてもお心を悲しみに動かすということはむだなことです。御堂をお建てになることは多くの人を新しく道に導くよき方法でもあり、御霊魂をお慰め申すにも役だつことでもございます。急いで取りかかりましょう。陰陽《おんよう》の博士《はかせ》が選びます吉日に、経験のある建築師二、三人をおよこしくださいましたならば、細かなことはまた仏家の定式がありますから、それに準じて作らせることにいたしましょう」
 阿闍梨はこう言って受け合った。いろいろときめることをきめ、領地の預かり人たちを呼んで、御堂の建築の件について、すべて阿闍梨の命令どおりにするようにと薫は言いつけたりしているうちに短い秋の日は暮れてしまったので、山荘で一泊していくことに薫はした。
 この寝殿を見ることも今度限りになるであろうと思い、薫はあちらこちらの間をまわって見たが、仏像なども皆御寺のほうへ移してしまったので、弁の尼のお勤めをするだけの仏具が置かれてある寂しい仏室《ぶつま》を見て、こんな所にどんな気持ちで彼女は毎日暮らしているのであろうと薫は哀れに思った。
「この寝殿は建て直させることにします。でき上がるまでは廊の座敷へ住んでおいでなさい。二条の院の女王《にょおう》様のほうへお送りすべきものは私の荘園の者を呼んで持たせておあげなさい」
 などと薫はこまごまとした注意までも弁の尼にしていた。ほかの場所ではこんな老いた女などは視野の外に置いて関心を持たずにいるのであろうが、弁に対しては深い同情を持つ薫は、夜も近い室へ寝させて昔の話をした。弁も聞く人のないのに安心して、藤《とう》大納言のことなどもこまごまと薫に聞かせた。
「もう御容体がおむずかしくなりましてから、お生まれになりました方をしきりに見たく思召す御様子のございましたのが始終私には忘れられないことだったのでございましたのに、その時から申せばずっと末の世になりまして、こうしてお目にかかることができますのも、大納言様の御在世中真心でお仕えいたしました報いが自然に現われてまいりましたのかと、うれしくも悲しくも思い知られるのでございます。長過ぎる命を持ちまして、さまざまの悲しいことにあうと申す私の宿命が恥ずかしく、情けなくてなりません。二条の院の女王様から時々は逢いに出て来い、それきり来ようとしないのは私を愛していないのだろうなどとおっしゃってくださるおりもございますが、縁起の悪い姿になった私は、もう阿弥陀《あみだ》様以外にお逢い申したい方もございません」
 などと弁の尼は言った。大姫君の話も多く語った。親しく仕えて見聞きした話をし、いつどんな時にこうお言いになったとか、自然の風物に心の動いた時々に、故人の詠《よ》んだ歌などを、不似合いな語り手とは見えずに、声だけは慄《ふる》えていたが上手《じょうず》に伝え、おおようで言葉の少ない人であったが、そうした文学的なところもあったかと、薫はさらに故人をなつかしく思った。宮の夫人はそれに比べて少し派手《はで》な性質であって、心を許さない人には毅然《きぜん》とした態度もとる型の人らしくはあるが、自分へは同情が深く、どうして自分の恋から身をはずそう、事のない友情だけで永久に親しみたいと思うところがあると薫は二人の女王を比較して思ったりした。こんな話のついでにあの人型のことを薫は言い出してみた。
「京にこのごろその人はいるのでございますかねえ。昔のことを私は人から聞いて知っているだけでございます。八の宮様がまだこの山荘へおいでになりませぬ以前のことで、奥様がお亡《かく》れになって近いころに中将の君と言っておりました、よい女房で、性質などもよい人を、宮様はかりそめなように愛人にあそばしたのを、だれも知った者はございませんでしたところ、女の子をその人が生みました時に、宮様がそんなことが起こるかもしれぬという懸念《けねん》を持っておいでになったものですから、それ以後の御態度がすっかりと変わりまして、絶対にお近づきになることはなかったのでございます。それが動機でありのすさびというものにお懲りになりまして、坊様と同じ御生活をあそばすことになったので、中将はお仕えしていますこともきまり悪くなりまして下がったのですが、それからのちに陸奥守《むつのかみ》の家内になって任国へ行っておりまして、上京しました時に、姫君は無事に御成長なさいましたとこちらへほのめかしてまいりましたのを、宮様がお聞きになりまして、そんな音信《たより》をこちらへしてくる必要はないはずだと言い切っておしまいになりましたので、中将は歎いていたと申します。それがまた主人が常陸介《ひたちのすけ》になっていっしょに東《あずま》へまいりましたが、それきり消息をだれも聞かなかったのでございます。この春常陸介が上ってまいりまして、中将が中の君様の所へ訪《たず》ねてまいりましたと申すことはちょっと聞きましてございます。姫君は二十くらいになっていらっしゃるのでしょう。非常に美しい方におなりになったのを拝見する悲しさなどを、まだ中将さんの若いころ小説のようにして書いたりしたこともございました」
 すべてを聞いた薫は、それではほんとうのことらしい。その人を見たいという心が起こった。
「昔の姫君に少しでも似た人があれば遠い国へでも尋ねて行きたい心のある私なのだから、子として宮がお数えにならなかったとしても結局妹さんであることは違いのないことなのですから、私のこの心持ちをわざわざ正面から伝えるようにではなく、こう言っていたとだけを、何かの手紙が来たついでにでも言っておいてください」
 とだけ薫は頼んだ。
「お母さんは八の宮の奥様の姪《めい》にあたる人なのでございます。私とも血の続いた人なのですが、昔は双方とも遠い国に住んでいまして、たびたび逢うようなことはなかったのでございます。先日京から大輔《たゆう》が手紙をよこしまして、あの方がどうかして宮様のお墓へでもお行きになりたいと言っていらっしゃるから、そのつもりでということでしたが、中将からは久しぶりの音信《たより》というものもくれません。でございますからそのうちこちらへお見えになるでしょう。その節にあなた様の仰せをお伝えいたしましょう」
 夜が明けたので薫は帰ろうとしたが、昨夜遅れて京から届いた絹とか綿とかいうような物を御寺《みてら》の阿闍梨《あじゃり》へ届けさせることにした。弁の尼にも贈った。寺の下級の僧たち、尼君の召使いなどのために布類までも用意させてきて薫は与えたのだった。心細い形の生活であるが、こうして中納言が始終補助してくれるために、気楽に質素な暮らしが弁にできるのである。
 堪えがたいまでに吹き通す木枯《こがら》しに、残る枝もなく葉を落とした紅葉《もみじ》の、積もりに積もり、だれも踏んだ跡も見えない庭にながめ入って、帰って行く気の進まなく見える薫であった。よい形をした常磐木《ときわぎ》にまとった蔦《つた》の紅葉だけがまだ残った紅《あか》さであった。こだに[#「こだに」に傍点]の蔓《つる》などを少し引きちぎらせて中の君への贈り物にするらしく薫は従者に持たせた。

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やどり木と思ひ出《い》でずば木のもとの旅寝もいかに寂しからまし
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 と口ずさんでいるのを聞いて、弁が、

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荒れはつる朽ち木のもとを宿り木と思ひおきけるほどの悲しさ
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 という。あくまで老いた女らしい尼であるが、趣味を知らなくないことで悪い気持ちは中納言にしなかった。
 二条の院へ宿り木の紅葉を薫の贈ったのは、ちょうど宮が来ておいでになる時であった。
「三条の宮から」
 と言って使いが何心もなく持って来たのを、夫人はいつものとおり自分の困るようなことの書かれてある手紙が添っているのではないかと気にしていたが隠しうるものでもなかった。宮が、
「美しい蔦だね」
 と意味ありげにお言いになって、お手もとへ取り寄せて御覧になるのであったが、手紙には、
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このごろはどんな御様子でおられますか。山里へ行ってまいりまして、さらにまた峰の朝霧に悲しみを引き出される結果を見ました。そんな話はまたまいって申し上げましょう。あちらの寝殿を御堂に直すことを阿闍梨《あじゃり》に命じて来ました。お許しを得ましてから、他の場所へ移すことにも着手させましょう。弁の尼へあなたから御承諾になるならぬをお言いやりになってください。
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 こう書かれてあった。
「よくもしらじらしく書けた手紙だ。私がこちらにいると聞いていたのだろう」
 と宮はお言いになるのであった。少しはそうであったかもしれない。夫人は用事だけの言われてあったのをうれしく思ったのであるが、どこまでも疑ったものの言いようを宮があそばすのをうるさく思い、恨めしそうにしている顔が非常に美しくて、この人が犯せばどんな過失も許す気になるであろうと宮は見ておいでになった。
「返事をお書きなさい。私は見ないようにしているから」
 宮はわざとほかのほうへ向いておしまいになった。そうお言いになったからと言って、書かないでは怪しまれることであろうと夫人は思い、
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山里へおいでになりましたことはおうらやましいことと承りました。あちらは仰せのように御堂にいたすのがよろしいことと思っておりました。しかしまた私自身のために隠れ家として必要のあることを思い、荒廃はいたさせたくない願いもあったのですが、あなたのお計らいで両様の望みがかないますればありがたいことと存じます。
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 と返事を書いた。こんなふうの友情をかわすだけの二人であろうと思っておいでになりながらも、御自身のお心慣らいから秘密があるように察せられて、御不安がのけがたいのであろう。枯れ枯れになった庭の植え込みの中の薄《すすき》が何草よりも高く手を出して招いている形が美しく、また穂を持たないのも露を貫き玉を掛けた身をなびかせていることなどは平凡なことであるが夕風の吹いている草原は身にしむことが多いものである。

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穂にいでぬ物思ふらししのすすき招く袂《たもと》の露しげくして
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 柔らかになったお小袖《こそで》の上に直衣《のうし》だけをお被《き》になり、琵琶《びわ》を宮は弾《ひ》いておいでになった。黄鐘調《おうじきちょう》の掻《か》き合わせに美しい音を出しておいでになる時、夫人は好きな音楽であったから、恨めしいふうばかりはしておられず、小さい几帳《きちょう》の横から脇息《きょうそく》によりかかって少し姿を現わしているのが非常に可憐《かれん》に見えた。

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「あきはつる野べのけしきもしの薄《すすき》ほのめく風につけてこそ知れ
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『わが身一つの』(おほかたのわが身一つのうきからになべての世をも恨みつるかな)」
 と言ううちに涙ぐまれてくるのも、さすがに恥ずかしく扇で紛らしているその気分も愛すべきであると宮はお思われになるのであるが、こんな人であるからほかの男も忘れがたく思うのであろうと疑いをお持ちになるのが夫人の身に恨めしいことに相違ない。白菊がまだよく紫に色を変えないで、いろいろ繕われてあるのはことに移ろい方のおそい中にどうしたのか一本だけきれいに紫になっているのを宮はお折らせになり「花中偏愛菊《はなのなかにひとへにきくをあいす》」と誦《ず》しておいでになったが、
「某《なにがし》親王がこの花を愛しておいでになった夕方ですよ、天人が飛んで来て琵琶《びわ》の手を教えたというのはね。何事もあさはかになって天人の心を動かすような音楽というものはもはや地上からなくなってしまったのは情けない」
 とお言いになり、楽器を下へ置いておしまいになったのを、中の君は残念に思い、
「人間の心だけはあさはかにもなったでしょうが、昔から伝わっております音楽などはそれほどにも堕落はしておりませんでしょう」
 こう言って、自身でおぼつかなくなっている手を耳から探り出したいと願うふうが見えた。宮は、
「それでは単独《ひとり》で弾《ひ》いているのは寂しいものだから、あなたが合わせなさい」
 とお言いになって、女房に十三|絃《げん》をお出させになって、夫人に弾かせようとあそばされるのだったが、
「昔は先生になってくださる方がございましたけれど、そんな時にもろくろく私はお習い取りすることはできなかったのですもの」
 恥ずかしそうに言って、中の君は楽器に手を触れようともしない。
「これくらいのことにもまだあなたは隔てというものを見せるのは情けないではありませんか、このごろ通って行く所の人は、まだ心が解けるというほどの間柄になっていないのに、未成品的な琴を聞かせなさいと言えば遠慮をせずに弾きますよ。女は柔らかい素直なのがいいとあの中納言も言っていましたよ。あの人へはこんなに遠慮をばかり見せないのでしょう。非常な仲よしなのだから」
 などと薫《かおる》のことまでも言葉に出してお恨みになったため、夫人は歎息をしながら少し琴を弾いた。近ごろ使われぬ琴は緒がゆるんでいたから盤渉調《ばんじきちょう》にしてお合わせになった。夫人の掻き合わせの爪音《つまおと》が美しい。催馬楽《さいばら》の「伊勢《いせ》の海」をお歌いになる宮のお声の品よくおきれいであるのを、そっと几帳の後ろなどへ来て聞いていた女房たちは満足した笑《え》みを皆見せていた。
「二人の奥様をお持ちあそばすのはお恨めしいことですが、それも世のならわしなのですからね、やはりこの奥様を幸福な方と申し上げるほかはありませんよ。こうした所の大事な奥様になってお暮らしになる方とは思うこともできませんようでしたもとの生活へ、また帰りたいようによくおっしゃるのはどうしたことでしょう」
 といちずになって言う老いた女房はかえって若い女房たちから、
「静かになさい」
 と制されていた。
 琵琶《びわ》などをお教えになりながら三、四日二条の院に宮がとどまっておいでになり、謹慎日になったからというような口実を作って六条院へおいでにならないのを左大臣家の人々は恨めしがってい、大臣が御所から退出した帰り路《みち》に二条の院へ出て来た。
「たいそうなふうをして何しにおいでになったのかと言いたい」
 などとお言いになり、宮は不機嫌《ふきげん》になっておいでになったが、客殿のほうへ行って御面会になった。
「何かの機会のない限りはこの院へ上がることがなくなっております私には目に見るものすべてが身に沁《し》んでなりません」
 とも言い、六条院のお話などをしばらくしていたあとで、大臣は宮をお誘い出して行くのであった。子息たちその他の高級役人、殿上役人なども多く引き連れている勢力の偉大さを見て、比較にもならぬ世間的に無力な身の上を中の君は思ってめいった気持ちになっていた。女房らはのぞきながら、
「ほんとうにおきれいな大臣様、あんなにごりっぱな御子息様たちで、皆若盛りでお美しいと申してよい方たちが、だれもお父様に及ぶ方はないじゃありませんか、なんという美男でいらっしゃるのでしょう」
 と中には言う者もあった。また、
「あんなおおぎょうなふうをなすって、わざわざお迎えなどにおいでになるなんてくちおしい。世の中って楽なものではありませんね」
 と歎息する女もあった。夫人自身も寂しい来し方を思い出し、あのはなやかな人たちの世界の一隅《いちぐう》を占めることは不可能な影の淡《うす》い身の上であることがいよいよ心細く思われて、やはり自分は宇治へ隠退してしまうのが無難であろうと考えられるのであった。
 日は早くたち年も暮れた。一月の終わりから普通でない身体の苦痛を夫人は感じだしたのを、宮もまだ産をする婦人の悩みをお見になった御経験はなかったので、どうなるのかと御心配をあそばして、今まで祈祷《きとう》などをほうぼうでさせておいでになった上に、さらにほかでも修法を始めることをお命じになった。非常に容体が危険に見えたために中宮《ちゅうぐう》からもお見舞いの使いが来た。中の君が二条の院へ迎えられてから足かけ三年になるが、御|良人《おっと》の宮の御愛情だけはおろそかなものでないだけで、一般からはまだ直接親王夫人に相当する尊敬は払われていなかったのに、この時にはだれも皆驚いて見舞いの使いを立て、自身でも二条の院へ来た。
 源中納言は宮の御心配しておいでになるのにも劣らぬ不安を覚えて、気づかわしくてならないのであっても、表面的な見舞いに行くほかは近づいて尋ねることもできずに、ひそかに祈祷などをさせていた。この人の婚約者の女二《にょに》の宮《みや》の裳着《もぎ》の式が目前のことになり、世間はその日の盛んな儀礼の用意に騒いでいる時であって、すべてを帝《みかど》御自身が責任者であるようにお世話をあそばし、これでは後援する外戚《がいせき》のないほうがかえって幸福が大きいとも見られ、亡《な》き母君の藤壺《ふじつぼ》の女御《にょご》が姫宮のために用意してあった数々の調度の上に、宮中の作物所《つくりものどころ》とか、地方長官などとかへ御下命になって作製おさせになったものが無数にでき上がってい、その式の済んだあとで通い始めるようにとの御内意が薫へ伝達されている時であったから、婿方でも平常と違う緊張をしているはずであるが、なおいままでどおりにそちらのことはどうでもいいと思われ、中の君の産の重いことばかりを哀れに思って歎息を続ける薫であった。
 二月の朔日《ついたち》に直物《なおしもの》といって、一月の除目《じもく》の時にし残された官吏の昇任更任の行なわれる際に、薫は権《ごん》大納言になり、右大将を兼任することになった。今まで左大将を兼ねていた右大臣が軍職のほうだけを辞し、右が左に移り、右大将が親補されたのである。新任の挨拶《あいさつ》にほうぼうをまわった薫は、兵部卿《ひょうぶきょう》の宮へもまいった。夫人が悩んでいる時であって、宮は二条の院の西の対においでになったから、こちらへ薫は来たのであった。僧などが来ていて儀礼を受けるには不都合な場所であるのにと宮はお驚きになり、新しいお直衣《のうし》に裾《すそ》の長い下襲《したがさね》を召してお身なりをおととのえになって、客の礼に対する答《とう》の拝礼を階下へ降りてあそばされたが、大将もりっぱであったし、宮もきわめてごりっぱなお姿と見えた。この日は右近衛府《うこんえふ》の下僚の招宴をして纏頭《てんとう》を出すならわしであったから、自邸でとは言っていたが、近くに中の君の悩んでいる二条の院があることで少し躊躇《ちゅうちょ》していると、夕霧の左大臣が弟のために自家で宴会をしようと言いだしたので六条院で行なった。皇子がたも相伴の客として宴にお列《つらな》りになり、高級の官吏なども招きに応じて来たのが多数にあって、新任大臣の大饗宴《だいきょうえん》にも劣らない盛大な、少し騒がし過ぎるほどのものになった。兵部卿の宮も出ておいでになったのであるが、夫人のことがお気づかわしいために、まだ宴の終わらぬうちに急いで二条の院へお帰りになったのを、左大臣家の新夫人は不満足に思い、ねたましがった。同じほどに愛されているのであるが権家の娘であることに驕《おご》っている心からそう思われたのであろう。
 ようやくその夜明けに二条の院の夫人は男児を生んだ。宮も非常にお喜びになった。右大将も昇任の悦《よろこ》びと同時にこの報を得ることのできたのをうれしく思った。昨夜の宴に出ていただいたお礼を述べに来るのとともに、御男子出産の喜びを申しに、薫は家へ帰るとすぐに二条の院へ来たのであった。
 兵部卿の宮がそのままずっと二条の院におられたから、お喜びを申しに伺候しない人もなかった。産養《うぶやしない》の三日の夜は父宮のお催しで、五日には右大将から産養を奉った。屯食《とんじき》五十具、碁手《ごて》の銭、椀飯《おうばん》などという定まったものはその例に従い、産婦の夫人へ料理の重ね箱三十、嬰児《えいじ》の服を五枚重ねにしたもの、襁褓《むつき》などに目だたぬ華奢《かしゃ》の尽くされてあるのも、よく見ればわかるのであった。父宮へも浅香木の折敷《おしき》、高坏《たかつき》などに料理、ふずく(麺類《めんるい》)などが奉られたのである。女房たちは重詰めの料理のほかに、籠《かご》入りの菓子三十が添えて出された。たいそうに人目を引くことはわざとしなかったのである。七日の夜は中宮からのお産養であったから、席に列《つらな》る人が多かった。中宮|大夫《だゆう》を初めとして殿上役人、高級官吏は数も知れぬほどまいったのだった。帝も出産を聞召《きこしめ》して、兵部卿の宮がはじめて父になった喜びのしるしをぜひとも贈るべきであると仰せになり、太刀《たち》を新王子に賜わった。九日も左大臣からの産養があった。愛嬢の競争者の夫人を喜ばないのであるが、宮の思召しをはばかって、当夜は子息たちを何人も送り、接客の用を果たさせもした。
 夫人もこの幾月間物思いをし続けると同時に、身体の苦しさも並み並みでなく、心細くばかり思っていたのであったが、こうしたはなやかな空気に包まれる日が来て少し慰んだかもしれない。
 右大将はこんなふうに動揺されぬ位置が中の君にできてしまい、王子の母君となってしまっては、自分の恋に対して冷淡さが加わるばかりであろうし、宮の愛はこの夫人に多く傾くばかりであろうと思われるのはくちおしい気のすることであったが、最初から願っていた中の君の幸福というものがこれで確実になったとする点ではうれしく思わないではいられなかった。
 その月の二十幾日に女二の宮の裳着の式が行なわれ、翌夜に右大将は藤壺《ふじつぼ》へまいった。これに儀式らしいものはなくて、ひそかなことになっていた。天下の大事のように見えるほどおかしずきになった姫宮の御|良人《おっと》に一臣下の男がなるのに不満が覚えられる。婚約はお許しになっておいても、結婚をそう急いでおさせにならないでもよいではないかと非難らしいことを申す者もあったが、お思い立ちになったことはすぐ実行にお移しになる帝《みかど》の御性質から、過去に例のないまで帝の婿として薫を厚遇しようとお考えになってあそばすことらしかった。帝の御婿になる人は昔も今もたくさんあろうが、まだ御盛んな御在位中にただの人間のように婿取りに熱中あそばしたというようなことは少なかったであろう。左大臣も、
「右大将はすばらしい運命を持った男ですね。六条院すら朱雀《すざく》院の晩年に御出家をされる際にあの母宮をお得になったくらいのことだし、私などはましてだれもお許しにならないのをかってに拾ったにすぎない」
 こんなことを言った。夫人の宮はそのとおりであったことがお恥ずかしくて返辞をあそばすこともできなかった。
 三日目の夜は大蔵卿《おおくらきょう》を初めとして、女二の宮の後見に帝のあてておいでになる人々、宮付きの役人に仰せがあって、右大将の前駆の人たち、随身、車役、舎人《とねり》にまで纏頭《てんとう》を賜わった。普通の家の新郎の扱い方に少しも変わらないのであった。それからのちは忍び忍びに藤壺へ薫は通って行った。心の中では昔のこと、昔にゆかりのある人のことばかりが思われて、昼はひねもす物思いに暮らして、夜になるとわが意志でもなく女二の宮をお訪ねに行くのも、そうした習慣のなかった人であるからおっくうで苦しく思われる薫は、御所から自邸へ宮をお迎えしようと考えついた。そのことを尼宮はうれしく思召《おぼしめ》して、御自身のお住居《すまい》になっている寝殿を全部新婦の宮へ譲ろうと仰せになったのであるが、それはもったいないことであると薫は言って、自身の念誦《ねんず》講堂との間に廊を造らせていた。西側の座敷のほうへ宮をお迎えするつもりらしい。東の対なども焼けてのちにまたみごとな建築ができていたのをさらに設備を美しくさせていた。薫のそうした用意をしていることが帝のお耳にはいり、結婚してすぐに良人《おっと》の家へはいるのはどんなものであろうと不安に思召されるのであった。帝も子をお愛しになる心の闇《やみ》は同じことなのである。尼宮の所へ勅使がまいり、お手紙のあった中にも、ただ女二の宮のことばかりが書かれてあった。お亡《な》くなりになった朱雀院が特別にこの尼宮を御援助になるようにと遺託しておありになったために、出家をされたのちでも二品《にほん》内親王の御待遇はお変えにならず、宮からお願いになることは皆御採用になるというほどの御好意を帝は示しておいでになったのである。こうした最高の方を舅君《しゅうとぎみ》とし、母宮として、たいせつにお扱われする名誉もどうしたものか薫の心には特別うれしいとは思われずに、今もともすれば物思い顔をしていて、宇治の御堂の造営を大事に考えて急がせていた。
 兵部卿の宮の若君の五十日になる日を数えていて、その式用の祝いの餠《もち》の用意を熱心にして、竹の籠《かご》、檜《ひのき》の籠などまでも自身で考案した。沈《じん》の木、紫檀《したん》、銀、黄金などのすぐれた工匠を多く家に置いている人であったから、その人々はわれ劣らじと製作に励んでいた。
 薫はまた宮のおいでにならぬひまに二条の院の夫人を訪れた。思いなしか重々しさと高貴さが添ったように中の君を薫は思った。もう薫は結婚もしたのであるから、自分の迷惑になるような気持ちは皆紛れてしまっているであろうと安心して夫人は出て来たのであったが、やはり同じように寂しい表情をし、涙ぐんでいて、
「自分の意志でない結婚をした苦痛というものはまた予想外に堪えられないものだとわかりまして、煩悶《はんもん》ばかりが多くなりました」
 と、新婦の宮に同情の欠けたようなことを薫《かおる》は言って夫人に訴えた。
「とんだことをおっしゃいます。そういうことをいつの間にか人が聞くようになってはたいへんですよ」
 こう中の君は言いながらも、だれが見ても光栄の人になっていて、それにも慰められずまだ故人が忘れられないように言うこの人の愛の純粋さをうれしく思っていた。姉君が生きていたらとも思うのであったが、しかしそれも自分と同じように勝ち味のない競争者を持って薄運を歎くにとどまることになったであろう、富のない自分らは世の中から何につけても尊重されていくものではないらしいとまた思うことによって姉君がどこまでも情に負けず結婚はせまいとした心持ちのえらさが思われた。
 薫が若君をぜひ見せてほしいと言っているのを聞いて、恥ずかしくは思いながら、この人に隔て心を持つようには取られたくない、無理な恋を受け入れぬと恨まれる以外のことで、この人の感情は害したくないと中の君は思い、自身では何とも返辞をせずに、乳母《めのと》に抱かせた若君を御簾《みす》の外へ出して見せさせた。いうまでもなく醜い子であるはずはない。驚くほど色が白く、美しくて、高い声を立てて笑《え》んでみせる若君を見て薫は、これが自分の子であったならと思い、うらやましい気のしたというのは、この人の心も人間生活に離れにくくなったのであろうか。しかしこの人は、死んだ恋人が普通に自分の妻になっていて、こうした人を形見に残しておいてくれたならばと思うのであって、自身が名誉な結婚をしたと見られている女二の宮から早く生まれる子があればよいなどとは夢にも考えないというのはあまりにも変わった人である。こんなふうに死んで取り返しようのない人にばかり未練を持ち、新しい妻の内親王に愛情を持たないことなどはあまり書くのがお気の毒である。こんな変人を帝が特にお愛しになって、婿にまではあそばされるはずはないのである。公人としての才能が完全なものであったのであろうと見ておくよりしかたがない。
 これほどの幼い人をはばからず見せてくれた夫人の好意もうれしくて、平生以上にこまやかに話をしているうちに日が暮れたため、他で夜の刻をふかしてはならぬ境遇になったことも苦しく思い、薫は歎息を洩《も》らしながら帰って行った。
「なんというよいにおいでしょう。『折りつれば袖《そで》こそにほへ梅の花』というように、鶯《うぐいす》もかぎつけて来るかもしれませんね」
 などと騒いでいる女房もあった。
 夏になると御所から三条の宮は方角|塞《ふさ》がりになるために、四月の朔日《ついたち》の、まだ春と夏の節分の来ない間に女二の宮を薫は自邸へお迎えすることにした。
 その前日に帝は藤壺《ふじつぼ》へおいでになって、藤花《とうか》の宴をあそばされた。南の庇《ひさし》の間の御簾《みす》を上げて御座の椅子《いす》が立てられてあった。これは帝のお催しで宮が御主催になったのではない。高級役人や殿上人の饗膳《きょうぜん》などは内蔵寮《くらりょう》から供えられた。左大臣、按察使《あぜち》大納言、藤《とう》中納言、左兵衛督《さひょうえのかみ》などがまいって、皇子がたでは兵部卿《ひょうぶきょう》の宮、常陸《ひたち》の宮などが侍された。南の庭の藤の花の下に殿上人の席ができてあった。後涼殿の東に楽人たちが召されてあって、日の暮れごろから双調を吹き出し、お座敷の上では姫宮のほうから御遊の楽器が出され、大臣を初めとして人々がそれを御前へ運んだ。六条院が自筆でおしたためになり、三条の尼宮へお与えになった琴の譜二巻を五葉の枝につけて左大臣は持って出、由来を御|披露《ひろう》して奉った。次々に十三|絃《げん》、琵琶《びわ》、和琴《わごん》の名楽器が取り出された。朱雀《すざく》院から伝わった物で薫の所有するものである。笛は柏木《かしわぎ》の大納言が夢に出て伝える人を夕霧へ暗示した形見のもので、非常によい音《ね》の出るものであると六条院がお愛しになったものを、右大将へ贈るのはこの美しい機会以外にないと思い、薫のためにこの人が用意してきたのであるらしい。大臣に和琴、兵部卿の宮に琵琶の役を仰せつけに[#「仰せつけに」は底本では「仰けつけに」]なった。笛の右大将はこの日比類もなく妙音を吹き立てた。殿上役人の中にも唱歌の役にふさわしい人は呼び出され、おもしろい合奏の夜になった。御前へ女二《にょに》の宮《みや》のほうから粉熟《ふずく》が奉られた。沈《じん》の木の折敷《おしき》が四つ、紫檀《したん》の高坏《たかつき》、藤色の村濃《むらご》の打敷《うちしき》には同じ花の折り枝が刺繍《ぬい》で出してあった。銀の陽器《ようき》、瑠璃《るり》の杯《さかずき》瓶子《へいし》は紺瑠璃《こんるり》であった。兵衛督が御前の給仕をした。お杯を奉る時に、大臣は自分がたびたび出るのはよろしくないし、その役にしかるべき宮がたもおいでにならぬからと言い、右大将にこの晴れの役を譲った。薫は遠慮をして辞退をしていたが、帝もその御希望がおありになるようであったから、お杯をささげて「おし[#「おし」に傍点]」という声の出し方、身のとりなしなども、御前ではだれもする役であるが比べるものもないりっぱさに見えるのも、今日は婿君としての思いなしが添うからであるかもしれぬ。返しのお杯を賜わって、階下へ下り舞踏の礼をした姿などは輝くようであった。皇子がた、大臣などがお杯を賜わるのさえきわめて光栄なことであるのに、これはまして御婿として御歓待あそばす御心《みこころ》がおありになる場合であったから、幸福そのもののような形に見えたが、階級は定まったことであったから、大臣、按察使《あぜち》大納言の下《しも》の座に帰って来て着いた時は心苦しくさえ見えた。按察使大納言は自分こそこの光栄に浴そうとした者ではないか、うらやましいことであると心で思っていた。昔この宮の母君の女御《にょご》に恋をしていて、その人が後宮にはいってからも始終忘られぬ消息を送っていたのであって、しまいにはまたお生みした姫宮を得たい心を起こすようになり、宮の御後見役代わりの御良人《ごりょうじん》になることを人づてにお望み申し上げたつもりであったのが、その人はむだなことを知って奏上もしなかったのであったから、按察使は残念に思い、右大将は天才に生まれて来ているとしても、現在の帝がこうした婿かしずきをあそばすべきでない、禁廷の中のお居間に近い殿舎で一臣下が新婚の夢を結び、果ては宴会とか何とか派手《はで》なことをあそばすなどとは意を得ないなどとお譏《そし》り申し上げてはいたが、さすがに藤花の御宴に心が惹《ひ》かれて参列していて、心の中では腹をたてていた。燭を手にして歌を文台の所へ置きに来る人は皆得意顔に見えたが、こんな場合の歌は型にはまった古くさいものが多いに違いないのであるから、わざわざ調べて書こうと筆者はしなかった。上流の人とても佳作が成るわけではないが、しるしだけに一、二を聞いて書いておく。次のは右大将が庭へ下《お》りて藤《ふじ》の花を折って来た時に、帝へ申し上げた歌だそうである。

[#ここから2字下げ]
すべらぎのかざしに折ると藤の花及ばぬ枝に袖かけてけり
[#ここで字下げ終わり]

 したり顔なのに少々反感が起こるではないか。

[#ここから2字下げ]
よろづ代をかけてにほはん花なれば今日《けふ》をも飽かぬ色とこそ見れ
[#ここで字下げ終わり]

 これは御製である。まただれかの作、

[#ここから2字下げ]
君がため折れるかざしは紫の雲に劣らぬ花のけしきか
世の常の色とも見えず雲井まで立ちのぼりける藤波の花
[#ここで字下げ終わり]

 あとのは腹をたてていた大納言の歌らしく思われる。どの歌にも筆者の聞きそこねがあってまちがったところがあるかもしれない。だいたいこんなふうの歌で、感激させられるところの少ないもののようであった。
 夜がふけるにしたがって音楽は佳境にはいっていった。薫が「あなたふと」を歌った声が限りもなくよかった。按察使も昔はすぐれた声を持った人であったから、今もりっぱに合わせて歌った。左大臣の七男が童《わらわ》の姿で笙《しょう》の笛を吹いたのが珍しくおもしろかったので帝から御衣を賜わった。大臣は階下で舞踏の礼をした。もう夜明け近くなってから帝は常の御殿へお帰りになった。纏頭《てんとう》は高級官人と皇子がたへは帝から、殿上役人と楽人たちへは姫宮のほうから品々に等差をつけてお出しになった。
 その翌晩薫は姫宮を自邸へお迎えして行ったのであった。儀式は派手《はで》なものであった。女官たちはほとんど皆お送りに来た。庇《ひさし》の御車に宮は召され、庇のない糸毛車《いとげのくるま》が三つ、黄金《こがね》作りの檳榔毛車《びろうげのくるま》が六つ、ただの檳榔毛車が二十、網代《あじろ》車が二つお供をした。女房三十人、童女と下仕えが八人ずつ侍していたのであるが、また大将家からも儀装車十二に自邸の女房を載せて迎えに出した。お送りの高級役人、殿上人、六位の蔵人《くろうど》などに皆|華奢《かしゃ》な服装をさせておありになった。
 こうしてお迎えした女二の宮を、薫は妻として心安く観察するようになったが、宮はお美しかった。小柄で上品に落ち着いて、どこという欠点もお持ちにならないのを知って、自分の宿命というものも悪くはないようであると喜んだとはいうものの、それで過去の悲しい恋の傷がいやされたのでは少しもなかった。今もどんな時にも紛れる方もなく昔ばかりが恋しく思われる薫であったから、自分としては生きているうちにそれに対する慰めは得られないに違いない、仏になってはじめて、恨めしい因縁は何の報いであるということが判然することにより忘られることにもなろうと思い、寺の建築のことにばかり心が行くのであった。
 賀茂《かも》の祭りなどがあって、世間の騒がしいころも過ぎた二十幾日に薫はまた宇治へ行った。建造中の御堂を見て、これからすべきことを命じてから、古山荘を訪《たず》ねずに行くのは心残りに思われて、そのほうへ車をやっている時、女車で、あまりたいそうなのではないが一つ、荒々しい東国男の腰に武器を携えた侍がおおぜい付き、下僕の数もおおぜいで、不安のなさそうな旅の一行が橋を渡って来るのが見えた。田舎《いなか》風な連中であると見ながら下《お》りて、大将は山荘の内にはいり、前駆の者などがまだ門の所で騒がしくしている時に見ると、宇治橋を来た一行もこの山荘をさして来るものらしかった。随身《ずいじん》たちががやがやというのを薫《かおる》は制して、だれかとあとから来る一行を尋ねさせてみると、妙ななまり声で、
「前|常陸守《ひたちのかみ》様のお嬢様が初瀬《はせ》のお寺へお詣《まい》りになっての帰りです。行く時もここへお泊まりになったのです」
 と答えたのを聞いて、薫はそれであった、話に聞いた人であったと思い出して、従者たちは見えない所へ隠すようにして入れ、
「早くお車を入れなさい。もう一人ここへ客に来ている人はありますが、心安い方で隠れたお座敷のほうにおられますから」
 とあとの人々へ言わせた。薫の供の人々も皆|狩衣《かりぎぬ》姿などで目にたたぬようにはしているが、やはり貴族に使われている人と見えるのか、はばかって皆馬などを後ろへ退《すさ》らせてかしこまっていた。
 車は入れて廊の西の端へ着けた。改造後の寝殿はまだできたばかりで御簾《みす》も皆は掛けてない。格子が皆おろしてある中の二間の間の襖子《からかみ》の穴から薫はのぞいていた。堅い上着が音をたてるのでそれは脱いで、直衣《のうし》と指貫《さしぬき》だけの姿になっていた。車の人はすぐにもおりて来ない、弁の尼の所へ人をやって、りっぱな客の来ていられる様子であるがどなたかというようなことを聞いているらしい。薫は車の主を問わせた時から山荘の人々に、自分が来ているとは決して言うなと口どめをまずしておいたので皆心得ていて、
「早くお降りなさいまし。お客様はおいでになりますが別のお座敷においでになります」
 と言わせた。
 若い女房が一人車からおりて主人のために簾《すだれ》を掲げていた。警固の物々しい騎士たちに比べてこの女房は物馴《ものな》れた都風をしていた。年の行った女房がもう一人降りて来て、
「お早く」
 と言う。
「何だか晴れがましい気がして」
 と言う声はほのかであったが品よく聞こえた。
「またそれをおっしゃいます。こちらはこの前もお座敷が皆しまっていたではございませんか。あすこに人が見ねばどこに見る人がございましょう」
 と女房はわかったふうなことを言う。恥ずかしそうにおりて来る人を見ると、その頭の形、全体のほっそりとした姿は薫に昔の人を思い出させるものであろうと思われた。扇をいっぱいに拡《ひろ》げて隠していて顔の見られないために薫は胸騒ぎを覚えた。車の床は高く、降りる所は低いのであったが、二人の女房はやすやすと出て来たにもかかわらず、苦しそうに下をながめて長くかかっておりた人は家の中へいざり入った。紅紫の袿《うちぎ》に撫子《なでしこ》色らしい細長を着、淡緑《うすみどり》の小袿を着ていた。向こうの室は薫ののぞく襖子《からかみ》の向こうに四尺の几帳《きちょう》は立てられてあるが、それよりも穴のほうが高い所にあるためすべてがこちらから見えるのである。この隣室をまだ令嬢は気がかりに思うふうで、あちら向きになって身を横たえていた。
「ほんとうにお気の毒でございました。泉河《いずみがわ》の渡しも今日は恐ろしゅうございましたね。二月の時には水が少なかったせいかよろしかったのでございます」
「なあに、あなた、東国の道中を思えばこわい所などこの辺にはあるものですか」
 実際女房は二人とも苦しい気もなくこんなことを言い合っているが、主人は何も言わずにひれ伏していた。袖から見える腕《かいな》の美しさなども常陸《ひたち》さんなどと言われる者の家族とは見えず貴女《きじょ》らしい。薫は腰の痛くなるまで立ちすくんでいるのだったが、人のいるとは知らすまいとしてなおじっと動かずに見ていると、若いほうの女房が、
「まあよいにおいがしますこと、尼さんがたいていらっしゃるのでしょうか」
 と驚いてみせた。老いたほうのも、
「ほんとうにいい香ね。京の人は何といっても風流なものですね。ここほどけっこうな所はないと御主人様は思召《おぼしめ》すふうでしたが、東国ではこんな薫香《くんこう》を合わせてお作りになることはできませんでしたね。尼さんはこうした簡単な暮らしをしていらっしゃってもよいものを着ていらっしゃいますわね、鈍《にび》色だって青色だって特別によく染まった物を使っていらっしゃるではありませんか」
 と言ってほめていた。向こうのほうの縁側から童女が来て、
「お湯でも召し上がりますように」
 と言い、折敷《おしき》に載せた物をいろいろ運び入れた。菓子を近くへ持って来て、
「ちょっと申し上げます。こんな物を召し上がりません」
 と令嬢を起こしているが、その人は聞き入れない。それで二人だけで栗《くり》などをほろほろと音をさせて食べ始めたのも、薫には見|馴《な》れぬことであったから眉《まゆ》がひそめられ、しばらく襖子の所を退《の》いて見たものの、心を惹《ひ》くものがあってもとの所へ来て隣の隙見《すきみ》を続けた。こうした階級より上の若い女を、中宮《ちゅうぐう》の御殿をはじめとしてそこここで顔の美しいもの、上品なものを多く知っているはずの薫には、格別すぐれた人でなければ目にも心にもとどまらないために、人からあまりに美の観照点が違い過ぎるとまで非難されるほどであって、今目の前にいるのは何のすぐれたところもある人と見えないのであるが、おさえがたい好奇心のわき上がるのも不思議であった。尼君は薫のほうへも挨拶《あいさつ》を取り次がせてよこしたのであるが、御気分が悪いとお言いになって、しばらく休息をしておいでになると、従者がしかるべく断わっていたので、この姫君を得たいように言っておいでになったのであるから、こうした機会に交際を始めようとして、夜を待つために一室にこもっているのであろうと解釈して、こうしてその人が隣室をのぞいているとも知らず、いつもの薫の領地の支配者らが機嫌《きげん》伺いに来て重詰めや料理を届けたのを、東国の一行の従者などにも出すことにし、いろいろと上手《じょうず》に計らっておいてから、姿を改めて隣室へ現われて来た。先刻ほめられていたとおりに身ぎれいにしていて、顔も気品があってよかった。
「昨日お着きになるかとお待ちしていたのですが、どうなすって今日もこんなにお着きがおそくなったのでしょう」
 こんなことを弁の尼が言うと、老いたほうの女が、
「お苦しい御様子ばかりが見えますものですから、昨日は泉河のそばで泊まることにしまして、今朝《けさ》も御無理なように見えましたから、そこをゆるりと立つことにしたものですから」
 姫君を呼び起こしたために、その時やっとその人は起きてすわった。尼君に恥じて身体《からだ》をそばめている側面の顔が薫の所からよく見える。上品な眸《め》つき、髪のぐあいが大姫君の顔も細かによくは見なかった薫であったが、これを見るにつけてただこのとおりであったと思い出され、例のように涙がこぼれた。弁の尼が何か言うことに返辞をする声はほのかではあるが中の君にもまたよく似ていた。心の惹《ひ》かれる人である、こんなに姉たちに似た人の存在を今まで自分は知らずにいたとは迂闊《うかつ》なことであった。これよりも低い身分の人であっても恋しい面影をこんなにまで備えた人であれば自分は愛を感ぜずにはおられない気がするのに、ましてこれは認められなかったというだけで八の宮の御娘ではないかと思ってみると、限りもなくなつかしさうれしさがわいてきた。今すぐにも隣室へはいって行き、「あなたは生きていたではありませんか」と言い、自身の心を慰めたい、蓬莱《ほうらい》へ使いをやってただ証《しるし》の簪《かんざし》だけ得た帝は飽き足らなかったであろう、これは同じ人ではないが、自分の悲しみでうつろになった心をいくぶん補わせることにはなるであろうと薫が思ったというのは宿縁があったものであろう。
 尼君はしばらく話していただけであちらへ行ってしまった。女房らの不思議がっていたかおりを自身も嗅《か》いで、薫ののぞいていることを悟ったためによけいなことは何も言わなかったものらしい。
 日も暮れていったので、薫も静かに座へもどり、上着を被《き》たりなどして、いつも尼君と話す襖子《からかみ》の口へその人を呼んで姫君のことなどを聞いた。
「都合よく私がここで落ち合うことになったのですが、どうでした私が前に頼んでおいた話は」
 と薫が言うと、
「仰せを承りましてからは、よい機会があればとばかり待っていたのでございますが、そのうち年も暮れまして、今年になりましてから二月に初瀬《はせ》参りの時にはじめてお逢いすることになったのでございます。お母さんにあなた様の思召しをほのめかしてみますと、大姫君とはあまりに懸隔のあるお身代わりでおそれおおいと申しておりましたが、ちょうどそのころはあなた様のほうにもお取り込みのございましたころで、お暇《ひま》もないと承っておりましたし、こうした問題はことにまたお避けになる必要があると存じましてその御報告をいたしますことも控えておりました。ところがまたこの月にもお詣《まい》りをなさいまして、今日もお帰りがけにお寄りになったのでございます。往復に必ずおいでになりますのもお亡《な》くなりになりました宮様をお慕いになるお心からでございましょう。お母さんがさしつかえがあって今度はお一人でお越しになったものですから、あなた様が御同宿あそばすなどとは申されないのでございます」
 こう弁の尼は答えた。
「見苦しい出歩きを人に知らすまいと思って、客は私だと言うなと言っておきましたが、どこまで命令は守られることかあてにはならない。供の者などは口が軽いものですからね。だからいいではありませんか、一人で来ていられるのはかえって気安く思われますからね、こんなに深い因縁があって同じ所へ来合わせたと伝えてください」
 と薫が言うと、
「にわかな御因縁話でございますね」と言い、
「それではそう申しましょう」
 立って行こうとする弁に、

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かほ鳥の声も聞きしにかよふやと繁《しげ》みを分けてけふぞたづぬる
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 口ずさみのようにして薫はこの歌を告げたのを、姫君の所へ行って弁は話した。

宿り木 版本说明

底本:「全訳源氏物語 下巻」角川文庫、角川書店
   1972(昭和47)年2月25日改版初版発行
   1995(平成7)年5月30日40版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月10日44版を使用しました。
※「あきはつる野べのけしきもしの薄《すすき》ほのめく風につけてこそ知れ」の歌の前には、底本ではカギ括弧が二つありましたが、一つにしました。
入力:上田英代
校正:鈴木厚司
2004年8月6日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

52 東屋

[#地から3字上げ]ありし世の霧来て袖を濡《ぬ》らしけりわり
[#地から3字上げ]なけれども宇治近づけば  (晶子)

 源右大将は常陸守《ひたちのかみ》の養女に興味は覚えながらも、しいて筑波《つくば》の葉山|繁山《しげやま》を分け入るのは軽々しいことと人の批議するのが思われ、自身でも恥ずかしい気のされる家であるために、はばかって手紙すら送りえずにいた。ただ弁の尼の所からは母の常陸夫人へ、姫君を妻に得たいと薫《かおる》が熱心に望んでいることをたびたびほのめかして来るのであったが、真実の愛が姫に生じていることとも想像されず、薫のすぐれた人物であることは聞き知っていて、この縁談の受けられるほどの身の上であったならと悲観を母はするばかりであった。
 常陸守の子は死んだ夫人ののこしたのも幾人かあり、この夫人の生んだ中にも父親が姫君と言わせて大事にしている娘があって、それから下にもまだ幼いのまで次々に五、六人はある。上の娘たちには守《かみ》が骨を折って婿選びをし、結婚をさせているが、夫人の連れ子の姫君は別もののように思って、なんらの愛情も示さず、結婚について考えてやることもしないのを、妻は恨めしがっていて、どうかしてすぐれた良人《おっと》を持たせ、姫君を幸福な人妻にさせてみたいと明け暮れそれを心がけていた。容貌《ようぼう》が十人並みのものであって、平凡な守《かみ》の娘と混ぜておいてもわからぬほどの人であれば、こんなに自分は見苦しいまでの苦労はしない、そうした人たちとは別もののように、もったいない貴女《きじょ》のふうに成人した姫君であったから、心苦しい存在なのであると夫人は思っていた。娘がおおぜいいると聞いて、ともかくも世間から公達《きんだち》と思われている人なども結婚の申し込みに来るのがおおぜいあった。前夫人の生んだ二、三人は皆相当な相手を選んで結婚をさせてしまった今は、自身の姫君のためによい人を選んで結婚をさせるだけでいいのであると思い、明け暮れ夫人は姫君を大事にかしずいていた。守《かみ》も賤《いや》しい出身ではなかった。高級役人であった家の子孫で、親戚《しんせき》も皆よく、財産はすばらしいほど持っていたから自尊心も強く、生活も派手《はで》に物好みを尽くしている割合には、荒々しい田舎《いなか》めいた趣味が混じっていた。若い時分から陸奥《むつ》などという京からはるかな国に行っていたから、声などもそうした地方の人と同じような訛《なまり》声の濁りを帯びたものになり、権勢の家に対しては非常に恭順にして恐れかしこむ態度をとる点などは隙《すき》のない人間のようでもあった。優美に音楽を愛するようなことには遠く、弓を巧みに引いた。たかが地方官階級だと軽蔑《けいべつ》もせずよい若い女房なども多く仕えていて、それらに美装をさせておくことを怠らないで、腰折歌《こしおれうた》の会、批判の会、庚申《こうしん》の夜の催しをし、人を集めて派手《はで》に見苦しく遊ぶいわゆる風流好きであったから、求婚者たちは、やれ貴族的であるとか、守の顔だちが上品であるとか、よいふうにばかりしいて言って出入りしている中に、左近衛《さこんえ》少将で年は二十二、三くらい、性質は落ち着いていて、学問はできると人から認められている男であっても、格別目だつ才気も持たないせいで、第一の結婚にも破れたのが、ねんごろに申し込んで来ていた。常陸夫人は多くの求婚者の中でこれは人物に欠点が少ない、結婚すれば不幸な娘によく同情もするであろう、風采《ふうさい》も上品である、これ以上の貴族は、どんなに富に寄りつく人は多いとしても、地方官の家へ縁組みを求めるはずはないのであるからと思い、姫君のほうへその手紙などは取り次いで、返事をするほうがよいと認める時には、書くことを教えて書かせなどしていた。夫人はひとりぎめをして、守は愛さないでも自分は姫君の婿を命がけで大事にしてみせる、姫君の美しい容姿を知ったなら、どんな人であっても愛せずにはおられまいと思い立って、八月ぐらいと仲人《なこうど》と約束をし、手道具の新調をさせ、遊戯用の器具なども特に美しく作らせ、巻き絵、螺鈿《らでん》の仕上がりのよいのは皆姫君の物として別に隠して、できの悪いのを守の娘の物にきめて良人《おっと》に見せるのであったが、守は何の識別もできる男でなかったからそれで済んだ。座敷の飾りになるという物はどれもこれも買い入れて、秘蔵娘の居間はそれらでいっぱいで、わずかに目をすきから出して外がうかがえるくらいにも手道具を並べ立て、琴や琵琶の稽古《けいこ》をさせるために、御所の内教坊《ないきょうぼう》辺の楽師を迎えて師匠にさせていた。曲の中の一つの手事が弾《ひ》けたといっては、師匠に拝礼もせんばかりに守は喜んで、その人を贈り物でうずめるほどな大騒ぎをした。派手《はで》に聞こえる曲などを教えて、師匠が教え子と合奏をしている時には涙まで流して感激する。荒々しい心にもさすがに音楽はいいものであると知っているのであろう。こんなことを少し物を識《し》った女である夫人は見苦しがって、冷淡に見ていることで守は腹をたてて、俺《わし》の秘蔵子をほかの娘ほどに愛さないとよく恨んだ。
 八月にと仲人から通じられていた左近少将はやっとその月が近づくと、同じことなら月の初めにと催促をして来た時、守の実の子でなく、母である自分一人が万事気をもんできた娘であることを言い、その真相を前に明らかにしておかねば婿になる人は、そんなことでのちに失望をすることがあるかもしれぬと思い、夫人は初めから仲へ立っていたその男を近くへ呼んで、
「今度お相手に選んでくださいました子につきましては、いろいろ遠慮がありましてね、こちらからお話を進める心はなかったのですが、前々からおっしゃってくださいますのを、先が並み並みの方でもいらっしゃらないためにもったいなくお気の毒に思われまして、お取り決めしたのですが、お父様の今ではない方なのですから、私一人で仕度《したく》をしていまして、そんなことで不都合だらけでお気に入らぬことはないかと今から心配をしています。娘は何人もありますが、保護者の父親《てておや》のあります子は、そのほうで心配をしてくれますことと安心していまして、この方の身の納まりだけを私はいろいろと苦労にして考えていまして、たくさんの若い方をそれとなく観察していたのですが、不安に思われることがどこかにある方ばかりで、結婚にまで話を進められませんでしたのに、少将さんは同情心に厚い性質だと伺いまして、こちらの資格の欠けたのも忘れてお約束をするまでになったのですが、私の大事な方を愛してくださらないようなことが起こり、世間体までも悪くなることがあっては悲しいだろうと思われます」
 と語った。
 仲介者はさっそく少将の所へ行って、常陸夫人の言葉を伝えた。すると少将の機嫌《きげん》は見る見る悪くなった。
「初めから実子でないという話は少しも聞かなかったじゃないか。同じようなものだけれど、人聞きも一段劣る気がするし、出入りするにも家の人に好意を持たれることが少ないだろう。君はよくも聞かないでいいかげんなことを取り次いだものだね」
 と少将が言うので仲人はかわいそうになり、
「私はもとよりくわしいことは知らなかったのですよ。あの家の内部に身内の者がいるものですから話をお取り次ぎしたのです。何人もの中で最も大切にかしずいている娘とだけ聞いていましたから、守の子だろうと信じてしまったのですよ。奥さんの連れ子があるなどとは少しも知りませんでした。容貌《ようぼう》も性質もすぐれていること、奥さんが非常に愛していて、名誉な結婚をさせようと大事がっていられることなどを聞いたものですから、あなたが常陸家に結婚を申し込むのによいつてがないかと言っていらっしゃるのを聞いて、私にはそうしたちょっとした便宜がありますとお話ししたのが初めです。決していいかげんなことを言ったのではありませんよ。それは濡衣《ぬれぎぬ》というものです」
 意地が悪くて多弁な男であったから、こんなふうに息まいてくるのを聞いていて、少将は上品でない表情を見せて言うのだった。
「地方官階級の家と縁組みをすることなどは人がよく言うことでないのだが、現代では貴族の婿をあがめて、後援をよくしてくれることに見栄《みえ》の悪さを我慢する人もあるようになったのだからね。どうせ同じようなものだとしても、世間には、わざわざ継《まま》娘の婿にまでなってあの家の余沢をこうむりたがったように見えるからね。源少納言や讃岐守《さぬきのかみ》は得意顔で出入りするであろうが、こちらはあまり好意を持たれない婿で通って行くのもみじめなものだよ」
 仲人《なこうど》は追従男で、利己心の強い性質から、少将のためにも、自身のためにも都合よく話を変えさせようと思った。
「守の実の娘がお望みでしたら、まだ若過ぎるようでも、そう話をしてみましょうか。何人もの中で姫君と言わせている守の秘蔵娘があるそうです」
「しかしだね、初めから申し込んでいた相手をすっぽかして、もう一人の娘に求婚をするのも見苦しいじゃないか。けれど私は初めからあの守の人物がりっぱだから感心して、後援者になってほしくて考えついた話なのだ。私は少しも美人を妻にしたいと思ってはいないよ。貴族の家の艶《えん》な娘がほしければたやすく得られることも知っているのだ。しかし貧しくて風雅な生活を楽しもうとする人間が、しまいには堕落した行為もすることになり、人から人とも思われないようになっていくのを見ると、少々人には譏《そし》られても物質的に恵まれた生活がしたくなる。守に君からその話を伝えてくれて、相談に乗ってくれそうなら、何もそう義理にこだわっている必要もまたないのだ」
 少将はこう言った。仲人は妹が常陸家の継子《ままこ》の姫君の女房をしている関係で、恋の手紙なども取り次がせ始めたのであったが、守に直接|逢《あ》ったこともないのだった。
 仲人はあつかましく守の住居《すまい》のほうへ行って、
「申し上げたいことがあって伺いました」
 と取り次がせた。守は自分の家へ時々出入りするとは聞いているが、前へ呼んだこともない男が、何の話をしようとするのであろうと、荒々しい不機嫌《ふきげん》な様子を見せたが、
「左近少将さんからのお話を取り次ぎますために」
 と男が言わせたので逢った。仲人は取りつきにくく思うふうで近くへ寄って、
「少将さんは幾月か前から奥さんに、お嬢さんとの御結婚の話でおたよりをしておいでになったのですが、お許しになりまして、今月にと言ってくだすったものですから、吉日を選んでおいでになりますうちに、そのお嬢さんは奥さんのお子さんであっても常陸守さんのお嬢さんでない、公達《きんだち》が婿におなりになっては、世間でただ物持ちの余慶をこうむりたいだけで結婚したと悪くばかり言われるでしょう。地方官の婿になる人は私の主君のように大事がられて、手に載せるばかりにされるのを望んで縁組みをする人たちがあるのに、さすがにその望みも貫徹されず、あまり好意をも持たれぬ一段劣った婿で出入りをされるのはよろしくないとまあこんなふうな忠告をある人がしたのだそうです。それはその人だけでなく何人となく皆同じことを言ったそうで、少将さんは今どうすればいいかと煩悶《はんもん》をしておられます。初めから自分は実力のある後援者を得たいと思って、それに最も適した方として選んだ家なのだ。実子でないお嬢さんがあるなどとは少しも知らなかったのだから、初めからの志望どおりに、まだ年のお若い方が幾人かいらっしゃるそうだから、そのお一人との結婚のお許しが得られたらうれしいだろう、この話を申し上げて思召《おぼしめ》しを伺って来いと申されたものですから」
 などと言った。常陸守は、
「そんな話の進行していたことなどを私はくわしく知りませんでした。私としては実子と同じようにしてやらなければならない人なのですが、つまらぬ子供もおおぜいいるものですから、意気地《いくじ》のない私は力いっぱいにその者らの世話にかかっていますと、家内は自身の娘だけを分け隔てをして愛さないと意地悪く言ったりしたことがありまして、私にいっさい口を入れさせなくなった人のことですから、ほのかに少将さんからお手紙が来るということだけは聞いていたのですが、私を信頼してくだすっての思召しとは知りませんでした。それは非常にうれしいお話です。私の特別かわいく思う女の子があります。おおぜいの子供の中に、その子だけは命に代えたいほどに愛されます。申し込まれる方はいろいろありますが、現代の人は皆移り気なふうになっていますから、娘に苦労をさせたくない心から、まだ相手をよう決めずにいます。どうにかして不安の伴わない結婚をさせたいと、毎日そればかりを思っていましたが、少将様におかせられては、御尊父様の故大将様にも若くからおそば近くまいっていた縁もありまして、身内の者としてお小さい時からおりこうなお生まれを知っておりましたから、今もお邸《やしき》へ伺候もしたく思いながら、続いて遠国に暮らすことになりましてからは、京にいますうちは何をいたすもおっくうで参候も実行できませんでしたような私へ、ありがたいお申し込みをしてくださいましたことは返す返す恐縮されます。仰せどおりに娘を差し上げますのはたやすいことですが、今までの計画を無視されたように思って家内から恨まれるという点で少しはばかられます」
 とこまごまと述べた。さいさきがよさそうであると仲人《なこうど》はうれしく思った。
「そんなことまでもお考えになる必要はございませんでしょう。少将さんのお心は、お母様はとにかく、お嬢さんのお父様お一人のお許しが得たいと願っていらっしゃるのでして、お年は若くても御実子のお嬢様で、たいせつにあそばしていらっしゃる方と御結婚の御同意が得られますことで十分満足されることでしょう。御実子でない方と連れ添って、まがい物の婿のようになることはしたくないと仰せになりました。人物はまことにごりっぱで、世間の評判もたいした方ですよ。若い公達《きんだち》といいましても、あの方だけは女に取り入ろうと気どることなどはなさらない。下情にもよく通じておられます。領地は何か所もおありになるのですよ。現在の御収入は少ないようでも、貴族は家についた勢いというものがあるのですから、ただの人の物持ちになっていばっているのなどその比じゃありませんとも。来年は必ず四位《しい》におなりになるでしょう。この次の蔵人頭《くろうどのかみ》はまちがいなくあの方にあたると帝《みかど》が御自身でお約束になったんですよ。何の欠け目もない青年|朝臣《あそん》でいて妻をまだ定《き》めないのはどうしたことだ、しかるべく選定して後見の舅《しゅうと》を定めるがいい。自分がいる以上高級官吏には今日明日にでも上げてやろうとそう帝は仰せになるのですよ。だれよりもいちばん帝の御信任を受けていられるのはあの少将さんなのですよ。実際御性格だってすぐれた重々しい人ですよ。理想的な婿君ではありませんか。幸いあちらからお話があるのですから、この場合にぐずぐずしていずに話をお定めになるのが上策でしょう。実際あちらには縁談が降るほどあるのですからね。あなたの躊躇《ちゅうちょ》して渋っておられるのが知れましたら、ほかの口の話をお定めになるでしょう。私はただあなたのためにこの御良縁をお勧めするのですよ」
 仲人が出まかせなよいことずくめを言い続けるのを、驚くほど田舎《いなか》めいた心になっている守であったから、うれしそうに笑顔《えがお》をして聞いていた。
「現在の御収入の少ないことなどはお話しになる要はない。私が控えている以上は、頭の上へまでもささげて大事にしますよ。決して足らぬ思いはさせません。いつまでもお尽くしすることができずに中途で私が亡《な》くなることがあっても、遺産の領地は一つだってあの娘以外に与えるものではありませんから、御安心くだすっていいのです。子供はおおぜいおりますが、あの娘にだけ私は特別な愛情を持っているのです。真心をもって愛してくださる方であれば、大臣の位置を得たく思いになり、うんと運動費を使いたくおなりになった時にも事は欠かせますまい。現在の帝がそれほど愛護される方では、もうそれで十分で、私などが手を出す必要もないくらいのものでしょう。帝の御後見以外のものは少将さんのためにも私の女の子のためにもたいした結果になりますまい」
 守《かみ》がおおげさに承諾の意を表したために、仲人はうれしくなって、妹にこの事情も語らず、夫人のほうへも寄って行かずに帰り、仲人は守《かみ》の言ったことを、幸福そのものをもたらしたようにして少将へ報告した。少将は心に少し田舎者《いなかもの》らしいことを言うとは思ったが、うれしくないこともなさそうな表情をして聞いていた。大臣になる運動費でも出そうと言ったことだけはあまりな妄想《もうそう》であるとおかしかった。
「それについて奥さんのほうへは話して来たかね。奥さんの考えていた人と別な人と結婚をしようというのだからね。私の利己主義からそうなったなどと中傷をする人もあるだろうから、このことはどんなものだかね」
 少し躊躇《ちゅうちょ》するふうを見せるのを仲人は皆まで言わせずに、
「そんな御心配は無用です。奥さんだって今度のお嬢さんを大事にしておられるのですからね。ただいちばん年長の娘さんで、婚期も過ぎそうになっている点で、前の方のことを心配して、そちらへ話をお取り次ぎになっただけのものですよ」
 と言うのであった。今まではその人のことを特別に大事にしている娘であると言っていた同じ男の口から、にわかにこう言われるのを信じてよいかどうかわからぬとは少将も思ったが、やはり利己的な考えが勝ちを占めて、一度は恨めしがられ、誹謗《ひぼう》はされても、一生楽々と暮らしうることは願わしいと処世法の要領を得た男であったから、決心をして、夫人と約束をした日どりまでも変えずにその夜から常陸守《ひたちのかみ》の娘の所へ通い始めることにした。
 夫人は良人《おっと》にも言わず一人で姫君の結婚の仕度《したく》をして、女房の服装を調べさせ、座敷の中などを品よく飾り、姫君には髪を洗わせ、化粧をさせてみると、少将などというほどの男の妻にするのは惜しいようで、憐《あわれ》むべき人である、父宮に子と認められて成長していたなら、たとえ宮のお亡《かく》れになったあとでも、源大将などの申し込みは晴れがましいことにもせよ、受け入れなくもなかったはずである、しかしながら自分の心だけではこうも思うものの、ほかから見れば守の子同然に思うことであろうし、また真相を知っても私生児と見てかえって軽蔑《けいべつ》するであろうことが悲しいなどと夫人は思い続けていた。どうすればいいのであろう、婚期の過ぎてしまうことも幸福でない、家柄のよい無事な男が今度のように懇切に言って来たのであるから与えるほうがいいのであろうかなどと、結局そのほうへ心が傾いたというのも、仲人が守へ言ったと同じようなよいことずくめの話に、まして女の人はやすやすと欺《あざむ》かれたからであるかもしれぬ。もう明日《あす》か明後日《あさって》になったかと思うと、心が落ち着かず忙がしく、どこにもひとところにじっとしておられず夫人がいらいらとしている所へ、外から守がはいって来て、長々と雄弁に次のようなことを言った。
「私を除《の》け者にしておいて、私の大事な娘の求婚者を自分の子のほうへ取ろうとあなたはしたのか、ばかばかしく幼稚な話だ。あなたのりっぱな娘さんを入り用だと思う公達《きんだち》はなさそうだね。卑賤な私|風情《ふぜい》の女の子をぜひ妻にと言ってくださるので、うまく計画をしたつもりだろうが、それは初めの精神と違うと言ってほかの縁談を定《き》めようとされていたから、それなら思召しどおりこちらの子のほうにと言って私は定めてしまった」
 何の思いやりもなく守はこの奇怪な報告を得意になって妻へした。夫人はあきれてものも言われない。そんなことであったかと思うと、人生の情けなさが一時に胸へせき上がってきて涙が落ちそうにまでなったから、静かに立って歩み去った。姫君の所へ行ってみると、可憐《かれん》な美しい姿でその人はすわっていた。夫人はなんとなく安心を覚えた。どんな運命がここに現われてきても、この人がだれよりも不遇で置かれるはずはないと思われるのである。姫君の乳母《めのと》を相手に夫人は、
「いやなものは人の心だね。私は同じようにだれも娘と思って世話をしているものの、この方と縁を結ぶ人には命までも譲りたい気でいるのだのに、父親がないと聞いて、軽蔑《けいべつ》をして、まだ年のゆかない、でき上がっていない子などを、この方をさしおいて娶《めと》るというようなことができるものなんだねえ。そんな人をまた婿にすることなどは絶対にもう私はいやだけれど、守が名誉に思って大騒ぎしているのを見ると、それがちょうど似合いの婿《むこ》舅《しゅうと》だと思われるよ。私はいっさい口を入れないつもりよ。私はこの家でない所へ当分行っていたい」
 こう歎きながら言うのであった。乳母も腹がたってならない。姫君が軽蔑されたと思うからである。
「いいのですよ奥様。これも結局お姫様の御運が強かったから、あの人と結婚をなさらないで済むことになったのですよ。そんな人にはこの方の価値《ねうち》はわかりますまい。お姫様はものの理解の正しい同情心の厚い方にお嫁《とつ》がせいたしとうございます。源右大将様の御|風采《ふうさい》をほのかにしか拝見いたしませんでしたが、まるで命も延びそうな気がいたしましたよ。親切なお申し込みもあるのですから、御運に任せてあの方を婿君になさいましよ」
「まあ恐ろしい。人の話に聞くと、長い間すぐれた女性とでなければ結婚をしないとお言いになって、左大臣、按察使《あぜち》大納言、式部卿《しきぶきょう》の宮様などから婿君にといって懇望されていらっしゃったのを無視しておいでになったあとで帝の御秘蔵の宮様を奥様におもらいになった方だもの、どんなにすぐれたように見える人だってほんとうに愛してくださるものかね。あのお母様の尼宮の女房にして時々は愛してやろうとは思ってくださるだろうがね。それはごりっぱな所だけれど、そんな関係に置かれているのは苦しいものだからね。二条の院の奥様を幸福な方だと人は申しているけれど、やはり物思いのやむ間もないふうでおありになるのを見ると、どんな人でもいいから唯一の妻として愛してくださる良人《おっと》よりほかは頼もしいもののないことは私自身の経験でも知っている。お亡《な》くなりになった八の宮様は情味のある方らしく見えて、美男で艶《えん》なお姿はしていらしったけれど、私を軽いものとしてお扱いになったのが、どんなに情けなく恨めしかったことだったろう。守は言語道断な情味の欠けた醜い人だけれど、私を一人の妻としてほかにはだれも愛していないことで、私は絶対な安心が得られて今日まで来ましたよ。何かの時に今度のような、ぶしつけな、愛想《あいそう》のないことをするのはしかたがないがね、物思いをさせられたり、嫉妬《しっと》を覚えさせられたりすることもなく、よく双方で口喧嘩《くちげんか》はしても、しかたのないと思うことは、またよくあきらめてしまうのが私ら夫婦なのだ。高級のお役人、親王様と言われて、優美に、高雅な生活をしていらっしゃる方を対象としていても、こちらに資格がなくてはつまらないものよ。すべてのことは自身の世間的価値によって定《き》まることなのだと思うと、この方がどこまでもかわいそうに思われるがね、どうかして人笑いにならない幸福な結婚をさせたいと思う」
 二人は姫君の将来のことをいろいろと相談し合った。
 守《かみ》は婿取りの仕度《したく》を一所懸命にして、
「女房などはこちらにいいのがたくさんあるようだから、当分あちらの娘付きにさせておくがいい。帳台の帛《きれ》なども新調しただろう、にわかなことで間に合わないから、それをそのまま用いることにして、こちらの座敷を使おう」
 西座敷のほうへもそんなことを言いに来て、大騒ぎに騒いでいた。夫人が感じよくさっぱりと装飾しておいた姫君の座敷へ、よけいに幾つもの屏風《びょうぶ》を持って来て立て、飾り棚《だな》、二階棚なども気持ちの悪いほど並べ、そんなのを標準にしてすべての用意のととのえられているのを、夫人は見苦しく思うのであるが、いっさい口出しをすまいと言い切ったのであったから、傍観しているばかりであった。姫君は北側の座敷へ移っていた。
「あなたの心は皆わかってしまった。同じあなたの子なのだから、どんなに愛に厚薄はあっても、今度のような場合に打ちやりにしておけるものでないだろうと思っていたのはまちがいだった。もういいよ。世間には母親のある子ばかりではないのだから」
 と守は言い、愛嬢を昼から乳母《めのと》と二人で撫《な》でるようにして繕い立てていたから、そう醜いふうの娘とは見えなかった。今が十五、六で、背丈《せたけ》が低く肥《ふと》った、きれいな髪の持ち主で、小袿《こうちぎ》の丈《たけ》と同じほどの髪のすそはふさやかであった。その髪をことさら賞美して撫でまわしている守であった。
「家内がほかの計画を立てていた人をわざわざ実子の婿にせずともいいとは思ったが、あまりに人物がりっぱなもので、われもわれもと婿に取りたがるというのを聞いて、よそへ取られてしまうのは残念だったから」
 と、あの仲人《なこうど》の口車に乗せられた守の言っているのも愚かしい限りであった。
 左近少将もこの派手《はで》な舅《しゅうと》ぶりに満足して、夫人のほうもやむをえず同意したことと解釈をし、以前に約束のしてあった夜から来始めた。守の妻と姫君の乳母はあさましくこれをながめていたのであった。ひがんだようには見られまいと夫人は世話に手を貸そうとも思っていたが、それをするのも気が進まないままに、二条の院の中の君へまず手紙を送ることにした。
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用事がございませんで手紙を差し上げますのもなれなれしくいたしすぎることになり、失礼かと存じまして、御機嫌《ごきげん》はどうかと始終気にいたしながらお尋ねも申し上げませんでした。あの方に謹慎の日がまわってまいりまして、しばらくどこかへ所を変えさせたいと思うのでございますが、そっとおそばへまいらせていただいていてはどんなものでしょう。人目につかぬお部屋《へや》が拝借できますれば非常にうれしいことと存じます。つまらぬ私には十分の保護もできませんで、あの方を苦しい立場に置きますことのしばしばある悲しい世でございますのに、お助け所と考えられますのはまずあなた様だけでございます。
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 泣きながら書かれたものであるこの手紙を、中の君は哀れと思ったが、父宮が、あくまで子とあそばさなかった人を、父や姉の異議の聞きようのない世になって、自分が姉妹《きょうだい》としてつきあうのも気のとがめることであるが、また自分がかまわずにおいた結果、低い女房勤めなどをするようになることも心苦しいことに思われるであろう、自分の計らい方一つから姉妹がちりぢりになってしまうことも父宮のためにお気の毒なことであると思い悩まれるのであった。常陸《ひたち》夫人は大輔《たゆう》のところへも姫君についての心苦しさをやや強く書いて言って来たのであったから、
「何かわけがあることでございましょう。冷淡に断わっておしまいになってはいけません。ああした劣った人から生まれた方が姉妹《きょうだい》の中に混じっておいでになることは、どこにも例のあることでございます。先方が無情だと思いますような処置をおとりになってはなりません」
 などと夫人に取りなして、
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それではお居間から西のほうに目だたぬ場所をこしらえましたから、いいお座敷ではありませんがごしんぼうをなさいますならしばらくお預かりになろうとおっしゃいます。
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 と昔の朋輩《ほうばい》の中将へ返事をした。その人はうれしく思ってさっそく姫君を二条の院の夫人へ預ける決心をした。姫君も姉君と親しみたくてならぬ心であったから、かえって少将の問題が機会を作ったのを喜んだ。
 常陸守は婿の少将の三日の夜の儀式をどんなふうに派手《はで》に行なおうかと思案をしたのであるが、高尚《こうしょう》なことは何もわからぬ男であったから、ただ荒い東国産の絹を無数に投げ出し、酒肴《しゅこう》も座が狭くなるほどにも運び出すような歓待《もてなし》ぶりをしたのを、卑しい従者らは大恩恵に逢《あ》ったように思って喜んだから、主人の少将もけっこうなことに思い、りこうな舅《しゅうと》の持ち方をしたと喜んだ。常陸夫人はこの儀式のある間は外へ出て行くのも意地の悪いことに思われるであろうと我慢をして、ただ父親がするままを見ていた。婿君の昼の座敷、侍の詰め所というような室《へや》を幾つも用意するために、家は広いのであるが、長女の婿の源少納言が東の対《たい》を使っていたし、そのほかに男の子も多いのであるから空室《あきま》もなくなった。今まで姫君のいた座敷へ四日めからは婿が住み着くことになっていては、廊座敷などという軽々しい所へ姫君を置くのはどうしても哀れでしんぼうのならぬことと夫人に思われて、考えあぐんだ末に中の君へ預けようとしたのである。だれもが八の宮の三女として姫君を見ないところから、私生児として軽蔑《けいべつ》するのであろうと思い、お認めにならなかった宮の御娘の女王《にょおう》の所を選んでしいて姫君の隠れ場所にしたのであった。
 姫君には乳母《めのと》と若い女房二、三人がついて来た。西向きの座敷の北にあたった所を部屋に与えられた。長い間遠く離れていた間柄ではあるが、母方の血縁のある常陸夫人であったから、来た時には中の君も他人扱いにはせず、顔を見せずに隠れて話すようなこともせず、親王夫人らしい気品を持って、若君の世話などをする様子も近く見せられるのを、わが娘に比べて常陸夫人がうらやましく思うのも哀れである。自分も八の宮夫人と家柄の懸隔のあるわけではない、叔母《おば》と姪《めい》だったのではないか、女房になって仕えていたという点で、自分の生んだ姫君は宮の女王の一人に数えられず私生児として今度のように、露骨に人から軽侮の態度をとられることにもなったと思う心から、こんなふうにしいて親しみ寄ろうとするのも悲しい心である。
 その一室には物忌《ものいみ》という札が貼《は》られ、だれも出入りをしなかった。常陸夫人も二、三日姫君に添ってそこにいた。以前の訪問の時と違い、今度はこんなふうでゆるりと二条の院の生活を昔の中将は観察することができた。
 兵部卿《ひょうぶきょう》の宮が二条の院へおいでになった。好奇心から常陸夫人は物の間からのぞいて見るのであったが、宮は非常にお美しくて、折った桜の枝のような風采《ふうさい》をしておいでになった。自身が信頼して、強情《ごうじょう》で恨めしいところはあっても、機嫌《きげん》をそこねまいとしている常陸守よりも姿も身分もずっとすぐれたような四位や五位の役人が皆おそばに来てひざまずいて、いろいろなことを申し上げたり、御意を伺ったりしていた。また年若な五位などで、この夫人にはだれとも顔のわからぬお供も多かった。自身の継子の式部丞《しきぶのじょう》で蔵人《くろうど》を兼ねている男が御所の御使《みつか》いになって来た。こんな役を勤めながらも、おそば近くへはよう来ない。あまりにも普通人と懸隔のある高貴さに驚いて、これは人間世界のほかから降《くだ》っておいでになった方ではないかという気が常陸の妻にはされた。こんな方に連れ添っておいでになる中の君は幸福であると思った。ただ話で聞いていては、どんなりっぱな方でも女に物思いをおさせになってはよろしくないと、憎いような想像をしていた自分は誤りであった、このお美しい風采《ふうさい》を見れば、七夕《たなばた》のように年に一度だけ来る良人《おっと》であっても女は幸福に思わなくてはならないなどと思っている時、宮は若君を抱いてあやしておいでになった。夫人は短い几帳《きちょう》を間に置いてすわっていたが、その隔ての几帳を横へ押しやって話などを宮はしておいでになるのである。またもない似合わしい美貌《びぼう》の御夫婦であると見えるのであった。八の宮の豊かでおありにならなかった御生活ぶりに比べて思うと、同じ親王と申し上げても恵まれぬ方、恵まれた方の隔たりはこれほどもあるものかという気のする常陸夫人だった。几帳の中へおはいりになったあとでは乳母《めのと》などと若君のお相手をしていた。伺候した者の集まって来ていることが時々申し上げられても、疲れていて気分がよろしくないと仰せになって、夫人の室《へや》から宮はお出にならなかった。お食膳《しょくぜん》がこちらの室へ運ばれて来た。すべてのことが気高《けだか》く高雅であった。自身が姫君の生活に善美を尽くしていると信じていたことも、比較して見ていた目は地方官階級の趣味にほかならなかったと常陸夫人は思うようになった。自分の姫君もこうした親王とお並べしても不似合いでない容姿を備えていると思われる。財力を頼みにして父親がお后《きさき》にもさせようと願っている娘たちは、同じわが子であっても全然そうした美の備わっていないことを思うと、これからは姫君の良人を謙遜《けんそん》して選ぶ必要はない、自重心を持たなければならぬと一晩じゅういろいろな空想を常陸夫人はし続けた。
 朝おそくなってから宮はお起きになり、病身になっておいでになる中宮《ちゅうぐう》がまた少しお悪いとお聞きになって御所へまいろうとされ、衣服を改めなどしておいでになった。心が惹《ひ》かれてまた常陸夫人がのぞくと、正しく装束をされたお姿はまた似るものもないほど気高くお美しい宮は、若君へお心が残るようにいろいろとあやしておいでになる。粥《かゆ》、強飯《こわいい》などを召し上がり、この西の対からお車に召されるのであった。今朝《けさ》からまいっていて控え所のほうにいた人々はこの時になってお縁側へ出て来て何かと御|挨拶《あいさつ》を申し上げたりしている中に、気どったふうを見せながら平凡でおもしろみのない顔をし、直衣《のうし》に太刀《たち》を佩《は》いているのがあった。宮のおいでになる前では目にもとまらぬ男であったが、
「あれがあの常陸守の婿の少将じゃありませんか。初めはあの姫君の婿にと定められていたのに、守《かみ》の娘をもらってかばってもらおうという腹で、女にもでき上がっていない子供を細君にしたのですよ。そんなことをこちらなどで噂《うわさ》する者はありませんがね、守の邸《やしき》に知った人があって私はその事情を知っているのですよ」
 とほかの一人にささやいている女房があった。常陸の妻が聞いているとは知らずにこんなことの言われているのにもその人ははっとして、少将を相当な風采《ふうさい》をした男と認めた以前の自身すらも、残念に腹だたしく、あの男と結婚をさせれば姫君の一生は平凡なものになってしまうのであったと思い、あれ以来軽蔑はしているのであったが、いっそうその感を深くする常陸の妻であった。若君が這《は》い出して御簾《みす》の端からのぞいているのに宮はお気づきになって、またもどっておいでになった。
「中宮様の御気分がよろしいようだったら早く退出して来よう。まだお苦しいふうな御容体だったら今夜は宿直《とのい》しよう。この人がいては一晩でもほかにいる間は気がかりで苦しくてならない」
 こう女房へお言いになりながらしばらく若君をお慰めになってから出てお行きになる宮の御様子は見ても見ても飽くことのないほどお美しかったのが、行っておしまいになったあとに物足りなさと寂しさを常陸夫人は感じた。
 昔の中将が言葉を尽くして宮の御容姿をほめたたえているのを聞いていて、夫人はこの人も田舎《いなか》びたものであると思って笑っていた。
「奥様にお別れになりましたのはお生まれになったばかしでございましたから、どうおなりあそばすことかとわれわれも不安でなりませんでしたし、宮様も御心配あそばしたものでございますが、あなた様は御幸運を持ってお生まれになったものですから、宇治のような山ふところでごりっぱにお育ちになったのでございます。ほんとうに残念でございます。大姫君のお亡《かく》れになりましたことはあきらめきれません」
 などと泣きながら常陸の妻は言う。中の君も泣いていた。
「人生が恨めしくばかり思われて心細い時にも、また生きていれば少し慰みになる時もあって、そんなおりおりに、生まれた時にお別れしたお母様のことは、そうした運命だったのだからと、お顔を知らないのだからあきらめはつくのだけれど、お姉様のことはいつも生きていてくだすったらと思われて悲しいのですよ。大将さんが今でもまだどんなことにも心の慰められることがないとお悲しみになるほどの、深い愛をお姉様に持っておいでになったことがわかると、いっそうお死にになったのが残念でね」
 と中の君は言った。
「大将様はあんなに、例《ためし》もないほど婿君として帝《みかど》がお大事にあそばすために、御|驕慢《きょうまん》になってそんなふうなこともお言いになるのではありますまいか。大姫君が生きておいでになっても、そのために宮様との御結婚をお断わりあそばすとも思われませんもの」
「まあお姉様だって、だれもが逢《あ》っているような悲しい目は見ていらっしゃるだろうからね。かえって先にお死にになってよかったかもしれない。すべてを見てしまわないためによい想像ばかりをしておられるようなものだと思うけれどね。でもね大将はどういう宿縁があるのか怪しいほど昔の恋を忘れずにおいでになってね、お父様の後世《ごせ》のことまでもよく心配してくだすって仏事などもよく親切に御自身の手でしてくださるのですよ」
 と中の君は、感謝している心を別段誇張もせずに常陸夫人へ語って聞かせた。
「お亡《かく》れになった姫君の代わりにほしいと、物の数でもございません方のことさえも宇治の弁の尼からお言わせになりましてございます。私はそんなだいそれたことは考えもいたしませんが『紫の一本《ひともと》ゆゑに』(むさし野の草は皆がら哀れとぞ思ふ)と申しますように、大姫君の妹様というだけでお思いになるのかとおそれおおい申しようですが、哀れに思われますほどな真心な恋をなすったのでございますね」
 などと常陸夫人は話したついでに、姫君を将来どう取り扱っていいかと煩悶《はんもん》しているということを泣く泣く中の君へ訴えた。細かに言ったのではないが、二条の院の女房らの間にまで噂《うわさ》をされるようになっていることであるからと思い、左近少将が軽蔑《けいべつ》したことなどをほのめかして言った。
「私の命のございます間は、ただお顔を見るだけを朝夕の慰めにして、そばでお暮らしさせるつもりでございますが、死にましたあとは不幸な女になって世の中へ出て苦労をおさせすることになるかと思いますのが悲しくて、いっそ尼にして深い山へお住ませすることにすれば、人生への慾《よく》は忘れてしまうことになってよろしかろうなどと、考えあぐんでは思いついたりもいたします」
「ほんとうに気の毒なことだけれどそれは一人だけのことでなく父を亡《な》くした人は皆そうよ。それに女は独身で置いてくれないのが世の中の慣《なら》いで一生一人でいるようにとお父様が定《き》めておいでになった私でさえ、自分の意志でなしにこうして人妻になっているのだから、まして無理なことですよ。尼にさせることもあまりにきれいで惜しい人ですよ」
 中の君が姉らしくこう言うのを聞いて常陸《ひたち》夫人は喜んでいた。年はいっているがりっぱできれいな顔の女であった。肥《ふと》り過ぎたところは常陸さんと言われるのにかなっていた。
「お亡くなりになりました宮様が子としてお認めくださらなかったために、みじめな方はいっそうみじめなものになって、人からもお侮《あなど》られになると悲しがっておりましたが、あなた様へお近づきいたしますのをお許しくださいまして、御親切な身のふり方まで御心配くださいますことで、昔の宮様のお恨めしさも慰められます」
 そのあとで常陸さんはあちらこちらと伴われて行った良人《おっと》の任国の話をし、陸奥《むつ》の浮嶋《うきしま》の身にしむ景色《けしき》なども聞かせた。
「あの『わが身一つのうきからに』(なべての世をも恨みつるかな)というふうに悲しんでばかりいました常陸時代のことも詳しくお話し申し上げることもいたしまして、始終おそばにまいっていたい心になりましたけれど、家《うち》のほうではわんぱくな子供たちのおおぜいが、私のおりませんのを寂しがって騒いでいることかと思いますと、さすがに気が落ち着きません。ああした階級の家へはいってしまいましたことで、私自身も情けなく思うことが多いのでございますから、この方だけはあなた様の思召《おぼしめ》しにお任せいたしますから、どうとも将来のことをお定《き》めくださいまし」
 この常陸夫人の頼みを聞いて、中の君も、この人の言うとおり妹は地方官級の人の妻などにさせたくないと思っていた。姫君は容貌《ようぼう》といい、性質といい憎むことのできぬ可憐《かれん》な人であった。ひどく恥ずかしがるふうも見せず、感じよく少女らしくはあるが機智《きち》の影が見えなくはない。夫人の居室に侍している女房たちに見られぬように、上手《じょうず》に顔の隠れるようにしてすわっていた。ものの言いようなども総角《あげまき》の姫君に怪しいまでよく似ているのであった。あの人型《ひとがた》がほしいと言った人に与えたいとその人のことが中の君の心に浮かんだちょうどその時に、右大将の入来を人が知らせに来た。居室にいた女房たちはいつものように几帳《きちょう》の垂《た》れ絹を引き直しなどして用意をした。姫君の母は、
「では私ものぞかせていただきましょう。少しお見かけしただけの人が、たいへんにおほめしていましたけれど、こちらの宮様のお姿とは比較すべきではございますまい」
 と言っていたが、女房たちは、
「さあ、どうでしょう。どちらがおすぐれになっていらっしゃるか私たちにはきめられませんわね」
 こんなことを言う。中の君が、
「二人で向かい合っていらっしゃるのを見た時、宮はうるおいのない醜《わる》いお顔のようにお見えになった。別々に見れば優劣はない方がたのように見えるのだけれど、美しい人というものは一方の美をそこねるものだから困るのね」
 と言うと、人々は笑って、
「けれど宮様だけはおそこなわれにならないでしょう。どんな方だって宮様にお勝ちになる美貌《びぼう》を持っておいでになるはずはございませんもの」
 などと言うころ、客は今下車するのであるらしく、前駆の人払いの声がやかましく立てられていたが、急には薫《かおる》の姿がここへ現われては来なかった。
 待ち遠しく人々が思うころに縁側を歩んで来た大将は、派手《はで》な美貌というのではなしに、艶《えん》で上品な美しさを持っていて、だれもその人に羞恥《しゅうち》を覚えさせられぬ者はなく、知らず知らず額髪も直されるのであった。貴人らしく、この上なく典雅な風采《ふうさい》が薫には備わっていた。御所から退出した帰り途《みち》らしい。前駆の者がひしめいている気配《けはい》がここにも聞こえる。
「昨晩中宮がお悪いということを聞きまして、御所へまいってみますと、宮様がたはどなたも侍しておられないので、お気の毒に存じ上げてこちらの宮様の代わりに今まで御所にいたのです。今朝《けさ》も宮様のおいでになるのがお早くなかったので、これはあなたの罪でしょうと私は解釈していたのですよ」
 と大将は言った。
「ほんとうに深いお思いやりをなさいますこと」
 夫人はこう答えただけである。宮が御所にとどまっておいでになるのを見てこの人はまた中の君と話したくなって来たものらしい。
 いつものようになつかしい調子で薫は話し続けていたが、ともすればただ昔ばかりが忘られなくて、現在の生活に興味の持たれぬことを混ぜて中の君へ訴えようとするのであった。この人の言っているように長い時間を隔ててなお恋の続いているわけはない、これは熱愛するようにその昔に言い始めたことであったから、忘れていぬふうを装うのではないかと女王《にょおう》は疑ってもみたが、人の心は外見にもよく現われてくるものであるから、しばらく見ているうちに、この人の故人への思慕の情が岩木でない人にはよくわかるのであった。この人を思う心も縷々《るる》と言われるのに中の君は困っていて、恋の心をやめさせる禊《みそぎ》をさせたい気にもなったか、人型《ひとがた》の話をしだして、
「このごろはあの人、そっとこの家《うち》に来ています」
 とほのめかすと、男もそれをただごととして聞かれなかった。牽引力《けんいんりょく》のそこにもあるのを覚えたが、にわかにそちらへ恋を移す気にこの人はなれなかった。
「でもその御本尊が私の願望を皆受け入れてくださるのであれば尊敬されますがね。いつも悩まされてばかりいるようでは、信仰も続きませんよ」
「まあ、あなたの信仰ってそれくらいなのですね」
 ほのかに中の君の笑うのも薫には美しく聞かれた。
「では完全に私の希望をお伝えください。御自身の一時のがれの口実だと伺っていると、あとに何も残らなかった昔のことが思い出されて恐ろしくなります」
 こう言ってまた薫は涙ぐんだ。

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見し人のかたしろならば身に添へて恋しき瀬々のなでものにせん
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 これを例の冗談《じょうだん》にして言い紛らわしてしまった。

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「みそぎ河《がは》瀬々にいださんなでものを身に添ふかげとたれか頼まん
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『ひくてあまたに』(大ぬさの引く手あまたになりぬれば思へどえこそ頼まざりけれ)とか申すようなことで、出過ぎたことですが私は心配されます」
「『つひによるせ』(大ぬさと名にこそ立てれ流れてもつひの寄る瀬はありけるものを)はどこであると私が思っていることはあなたにだけはおわかりになるはずですし、その話のほうのははかない水の泡《あわ》と争って流れる撫物《なでもの》でしかないのですから、あなたのお言葉のようにたいした効果を私にもたらしてくれもしないでしょう。私はどうすれば空虚になった心が満たされるのでしょう」
 こんなことを言いながら薫が長く帰って行こうとしないのもうるさくて、中の君は、
「ちょっと泊りがけでまいっている客も怪しく思わないかと遠慮がされますから、今夜だけは早くお帰りくださいまし」
 と言い、上手《じょうず》に帰りを促した。
「ではお客様に、それは私の長い間の願いだったことを言ってくだすって、にわかな思いつきの浅薄な志だと取られないようにしていただけば、私も自信がついて接近して行けるでしょう。恋愛の経験の少ない私には、女性の好意を求めに行くようなことなどは今さら恥ずかしくてできなくなっています」
 薫はこう頼んで帰って行った。姫君の母は薫をりっぱだと思い、理想的な貴人であると心でほめて、乳母《めのと》が左近少将への復讐《ふくしゅう》として思いつき、たびたび勧めたのを、あるまじいことだと退けていたが、あの風采《ふうさい》の大将であれば、たまさかな通い方をされても忍ぶことができよう、自分の娘は平凡人の妻とさせるにはあまりに惜しい美が備わっているのに、東国の野蛮な人たちばかりを見て来た目では、あの少将をすら優美な姿と見て婿にも擬してみたと、くちおしいまでにも破れた以前の姫君の婚約者のことをこの女は思うようになった。
 よりかかっていた柱にも敷き物にも残った薫のにおいのかんばしさを口にしては誇張したわざとらしいことにさえなるであろうと思われた。おりおり見る人さえもそのたびごとにほめざるを得ない薫であったのである。
「お経をたくさん読んだ人に、その報いの現われてくることの書いてある中に、芳香を身体《からだ》に持つということを最高のものに仏様が書いておありになるのも道理だと思われますね。薬王品《やくおうぼん》などにも特にそれが書いてありますね。牛頭栴檀《ごずせんだん》の香とかこわいような名だけれど、私たちは大将様にお近づきできることで仏様のお言葉に嘘《うそ》のないことをわからせていただきました。御幼少の時から仏勤めをよくあそばしたからよ」
「でもこの世だけの信仰の結果とは思われませんね。どんな前生を持っていらっしゃったのか、それが知りたくなりますわ」
 などとも言って口々にほめるのを、常陸《ひたち》夫人は知らず知らず微笑して聞いていた。中の君はそっと薫に託された話をした。
「一度お思いになったことは執拗《しつよう》なほどにもお忘れにならない、まれな頼もしい性質でね。それは今はまあ御新婚された時などで、めんどうが多い気もあなたはするでしょうけれど、あなたが尼にさせようかなどとも思っておいでになるのなら、その気で試みてごらんになったらどう」
「つらい思いも味わわせず、人に軽蔑《けいべつ》もさせたく思いません心から、鶏《とり》の声も聞こえませぬような僧房住まいをおさせする気になっていたのですが、大将さんをはじめてお見上げして、ああした方にはたとえ下《しも》仕えにでも御奉公できますことは生きがいがあることと思われましてございます。年のいった者でもそう思うのですから、まして若い人はあの方に好感を持つことだろうと思われますものの、相手がごりっぱであればあるだけ卑下がされまして、物思いの種を心に蒔《ま》かせることになりはしないでしょうかと苦労に考えられます。身分の高低にかかわらず、女というものはねたましがらせられることで、この世のため、未来の世のために罪ばかりを作ることになるものだと思いますと、それがかわいそうでございます。しかし何も皆あなたの思召《おぼしめ》し次第でございます。どんなにでもお定《き》めになって、お世話をくださいませ」
 と常陸夫人の言うのを聞いていて、中の君は重い責任を負わされた気がして、
「今までの親切な心を知っているだけで将来のことは私に保証ができないのだから、そう言われるとどうしてよいかわからない」
 と歎息をしたままでその話はしなくなった。
 夜が明けると車などを持って来て、常陸守の帰りを促す腹だたしげな、威嚇《いかく》的な言葉を使いが伝えたため、
「もったいないことですが、万事あなた様をお頼みに思わせていただきまして、あの方をお手もとへ置いてまいります。『いかならん巌《いはほ》の中に住まばかは』(世のうきことの聞こえこざらん)とばかり苦しんでおります間だけを隠してあげてくださいませ。哀れな人と御覧くださいまして、教えられておりませんことをお教えくださいませ」
 などと、昔の中将の君は夫人に泣きながら頼んでおいて帰って行こうとした。姫君は母に別れていたこともない習慣から心細く思うのであったが、はなやかな貴族の家庭にしばらくでも混じって行けるようになったことはさすがにうれしかった。
 常陸夫人の車の引き出されるころは少し明るくなっていたが、ちょうどこの時に宮は御所からお帰りになった。若君に心がお惹《ひ》かれになるために御微行の体で車なども例のようでなく簡単なのに召しておいでになったのと行き合って、常陸家の車は立ちどまり、宮のお車は廊に寄せられてお下《お》りになるのであった。だれの車だろう、まだ暗いのに急いで出て行くではないかと宮は目をおとめになった。こんなふうにして人目を忍んで通う男は帰って行くものであると、御自身の経験から悪い疑いもお抱きになった。
「常陸様がお帰りになるのでございます」
 と、出る車に従った者は言った。
「りっぱなさまだね」
 と若い前駆の笑い合っているのを聞いて、常陸の妻は、こんなにまで懸隔のある身分であったかと悲しんだ。ただ姫君のために自分も人並みな尊敬の払われる身分がほしいと思った。まして姫君自身をわが階級に置くことは惜しい悲しいことであるといよいよこの人は考えるようになった。
 宮は夫人の居間へおはいりになって、
「常陸さんという人があなたの所へ通っているのではないか、艶《えん》な夜明けに急いで出て行った車付きの者が、なんだかわざとらしいこしらえ物のようだった」
 まだ疑いながらお言いになるのであった。人聞きの恥ずかしい困ったことをお言いになると思い、
「大輔《たゆう》などの若いころの朋輩《ほうばい》は何のはなやかな恰好《かっこう》もしていませんのに、仔細《しさい》のありそうにおっしゃいますのね。人がどんなに悪く解釈するかもしれないようなことにわざとしてお話しなさいます。『なき名は立てで』(ただに忘れね)」
 と言って、顔をそむける夫人は可憐《かれん》で美しかった。そのまま寝室に宮は朝おそくまで寝《やす》んでおいでになったが、伺候者が多数に集まって来たために、正殿のほうへお行きになった。
 中宮《ちゅうぐう》の御病気はたいしたものでなくすぐ快くおなりになったことにだれも安心して、まいっていた左大臣家の子息たちなどもごいっしょに碁を打ち韻塞《いんふたぎ》などしてこの日を暮した。
 夕方に宮が西の対へおいでになった時に、夫人は髪を洗っていた。女房たちも部屋《へや》へそれぞれはいって休息などをしていて、夫人の居間にはだれというほどの者もいなかった。小さい童女を使いにして、
「おりの悪い髪洗いではありませんか。一人ぼっちで退屈をしていなければならない」
 と宮は言っておやりになった。
「ほんとうに、いつもはお留守の時にお済ませするのに、せんだってうちはおっくうがりになってあそばさなかったし、今日が過ぎれば今月に吉日はないし、九、十月はいけないことになるしと思って、おさせしたのですがね」
 と大輔は気の毒がり、若君も寝ていたのでお寂しかろうと思い、女房のだれかれをお居間へやった。
 宮はそちらこちらと縁側を歩いておいでになったが、西のほうに見|馴《な》れぬ童女が出ていたのにお目がとまり、新しい女房が来ているのであろうかとお思いになって、そこの座敷を隣室からおのぞきになった。間《あい》の襖子《からかみ》の細めにあいた所から御覧になると、襖子の向こうから一尺ほど離れた所に屏風《びょうぶ》が立ててあった。その間の御簾《みす》に添えて几帳が置かれてある。几帳の垂《た》れ帛《ぎぬ》が一枚上へ掲げられてあって、紫苑《しおん》色のはなやかな上に淡黄《うすき》の厚織物らしいのの重なった袖口《そでぐち》がそこから見えた。屏風の端が一つたたまれてあったために、心にもなくそれらを見られているらしい。相当によい家から出た新しい女房なのであろうと宮は思召して、立っておいでになった室《へや》から、女のいる室へ続いた庇《ひさし》の間《あい》の襖子をそっと押しあけて、静かにはいっておいでになったのをだれも気がつかずにいた。
 向こう側の北の中庭の植え込みの花がいろいろに咲き乱れた、小流れのそばの岩のあたりの美しいのを姫君は横になってながめていたのである。初めから少しあいていた襖子をさらに広くあけて屏風の横から中をおのぞきになったが、宮がおいでになろうなどとは思いも寄らぬことであったから、いつも中の君のほうから通って来る女房が来たのであろうと思い、起き上がったのは、宮のお目に非常に美しくうつって見える人であった。例の多情なお心から、この機会をはずすまいとあそばすように、衣服の裾《すそ》を片手でお抑《おさ》えになり、片手で今はいっておいでになった襖子を締め切り、屏風の後ろへおすわりになった。
 怪しく思って扇を顔にかざしながら見返った姫君はきれいであった。扇をそのままにさせて手をお捉《とら》えになり、
「あなたはだれ。名が聞きたい」
 とお言いになるのを聞いて、姫君は恐ろしくなった。ただ戯れ事の相手として御自身は顔を外のほうへお向けになり、だれと知れないように宮はしておいでになるので、近ごろ時々話に聞いた大将なのかもしれぬ、においの高いのもそれらしいと考えられることによって、姫君ははずかしくてならなかった。乳母は何か人が来ているようなのがいぶかしいと思い、向こう側の屏風を押しあけてこの室へはいって来た。
「まあどういたしたことでございましょう。けしからぬことをあそばします」
 と責めるのであったが、女房級の者に主君が戯れているのにとがめ立てさるべきことでもないと宮はしておいでになるのであった。はじめて御覧になった人なのであるが、女相手にお話をあそばすことの上手《じょうず》な宮は、いろいろと姫君へお言いかけになって、日は暮れてしまったが、
「だれだと言ってくれない間はあちらへ行かない」
 と仰せになり、なれなれしくそばへ寄って横におなりになった。宮様であったと気のついた乳母は、途方にくれてぼんやりとしていた。
「お明りは燈籠《とうろう》にしてください。今すぐ奥様がお居間へおいでになります」
 とあちらで女房の言う声がした。そして居間の前以外の格子はばたばたと下《お》ろされていた。この室は別にして平生使用されていない所であったから、高い棚厨子《たなずし》一具が置かれ、袋に入れた屏風なども所々に寄せ掛けてあって、やり放しな座敷と見えた。こうした客が来ているために居間のほうからは通路に一間だけ襖子があけられてあるのである。そこから女房の右近という大輔《たゆう》の娘が来て、一室一室格子を下ろしながらこちらへ近づいて来る。
「まあ暗い、まだお灯《あかり》も差し上げなかったのでございますね。まだお暑苦しいのに早くお格子を下ろしてしまって暗闇《くらやみ》に迷うではありませんかね」
 こう言ってまた下ろした格子を上げている音を、宮は困ったように聞いておいでになった。乳母もまたその人への体裁の悪さを思っていたが、上手に取り繕うこともできず、しかも気がさ者の、そして無智《むち》な女であったから、
「ちょっと申し上げます。ここに奇怪なことをなさる方がございますの、困ってしまいまして、私はここから動けないのでございますよ」
 と声をかけた。何事であろうと思って、暗い室へ手探りではいると、袿姿《うちぎすがた》の男がよい香をたてて姫君の横で寝ていた。右近はすぐに例のお癖を宮がお出しになったのであろうとさとった。姫君が意志でもなく男の力におさえられておいでになるのであろうと想像されるために、
「ほんとうに、これは見苦しいことでございます。右近などは御忠告の申し上げようもございませんから、すぐあちらへまいりまして奥様にそっとお話をいたしましょう」
 と言って、立って行くのを姫君も乳母もつらく思ったが、宮は平然としておいでになって、驚くべく艶美な人である、いったい誰なのであろうか、右近の言葉づかいによっても普通の女房ではなさそうであると、心得がたくお思いになって、何ものであるかを名のろうとしない人を恨めしがっていろいろと言っておいでになった。うとましいというふうも見せないのであるが、非常に困っていて死ぬほどにも思っている様子が哀れで、情味をこめた言葉で慰めておいでになった。
 右近は北の座敷の始末を夫人に告げ、
「お気の毒でございます。どんなに苦しく思っていらっしゃるでしょう」
 と言うと、
「いつものいやな一面を出してお見せになるのだね。あの人のお母さんも軽佻《けいちょう》なことをなさる方だと思うようになるだろうね。安心していらっしゃいと何度も私は言っておいたのに」
 こう中の君は言って、姫君を憐《あわ》れむのであったが、どう言って制しにやっていいかわからず、女房たちも少し若くて美しい者は皆情人にしておしまいになるような悪癖がおありになる方なのに、またどうしてあの人のいることが宮に知られることになったのであろうと、あさましさにそれきりものも言われない。
「今日は高官の方がたくさん伺候なすった日で、こんな時にはお遊びに時間をお忘れになって、こちらへおいでになるのがお遅《おそ》くなるのですものね、いつも皆奥様なども寝《やす》んでおしまいになっていますわね。それにしてもどうすればいいことでしょう。あの乳母《ばあや》が気のききませんことね。私はじっとおそばに見ていて、宮様をお引っ張りして来たいようにも思いましたよ」
 などと右近が少将という女房といっしょに姫君へ同情をしている時、御所から人が来て、中宮が今日の夕方からお胸を苦しがっておいであそばしたのが、ただ今急に御容体が重くなった御様子であると、宮へお取り次ぎを頼んだ。
「あやにくな時の御病気ですこと、お気の毒でも申し上げてきましょう」
 と立って行く右近に、少将は、
「もうだめなことを、憎まれ者になって宮様をお威《おど》しするのはおよしなさい」
 と言った。
「まだそんなことはありませんよ」
 このささやき合いを夫人は聞いていて、なんたるお悪癖であろう、少し賢い人は自分をまであさましく思ってしまうであろうと歎息をしていた。
 右近は西北の座敷へ行き、使いの言葉以上に誇張して中宮の御病気をあわただしげに宮へ申し上げたが、動じない御様子で宮はお言いになった。
「だれが来たのか、例のとおりにたいそうに言っておどすのだね」
「中宮のお侍の平《たいら》の重常《しげつね》と名のりましてございます」
 右近はこう申した。別れて行くことを非常に残念に思召されて、宮は人がどう思ってもいいという気になっておいでになるのであるが、右近が出て行って、西の庭先へお使いを呼び、詳しく聞こうとした時に、最初に取り次いだ人もそこへ来て言葉を助けた。
「中務《なかつかさ》の宮もおいでになりました。中宮大夫もただ今まいられます。お車の引き出されます所を見てまいりました」
 そうしたように発作的にお悪くおなりになることがおりおりあるものであるから、嘘《うそ》ではないらしいと思召すようになった宮は、夫人の手前もきまり悪くおなりになり、女へまたの機会を待つことをこまごまとお言い残しになってお立ち去りになった。
 姫君は恐ろしい夢のさめたような気になり、汗びったりになっていた。乳母は横へ来て扇であおいだりしながら、
「こういう御殿というものは人がざわざわとしていまして、少しも気が許せません。宮様が一度お近づきになった以上、ここにおいでになってよいことはございませんよ。まあ恐ろしい。どんな貴婦人からでも嫉妬《しっと》をお受けになることはたまらないことですよ。全然別な方にお愛されになるとも、またあとで悪くなりましてもそれは運命としてお従いにならなければなりません。宮様のお相手におなりになっては世間体も悪いことになろうと思いまして、私はまるで蝦蟇《がま》の相になってじっとおにらみしていますと、気味の悪い卑しい女めと思召して手をひどくおつねりになりましたのは匹夫の恋のようで滑稽《こっけい》に存じました。お家《うち》のほうでは今日もひどい御夫婦|喧嘩《げんか》をあそばしたそうですよ。ただ一人の娘のために自分の子供たちを打ちやっておいて行った。大事な婿君のお来始めになったばかりによそへ行っているのは不都合だなどと、乱暴なほどに守はお言いになりましたそうで、下《しも》の侍でさえ奥様をお気の毒だと言っていました。こうしたいろいろなことの起こるのも皆あの少将さんのせいですよ。利己的な結婚|沙汰《ざた》さえなければ、おりおり不愉快なことはありましてもまずまず平和なうちに今までどおりあなた様もおいでになれたのですがね」
 歎息をしながら乳母はこう言うのであった。
 姫君の身にとっては家のことなどは考える余裕もない。ただ闖入者《ちんにゅうしゃ》が来て、経験したこともない恥ずかしい思いを味わわされたについても、中の君はどう思うことであろうと、せつなく苦しくて、うつ伏しになって泣いていた。見ている乳母は途方に暮れて、
「そんなにお悲しがりになることはございませんよ。お母様のない人こそみじめで悲しいものなのですよ。ほかから見れば父親のない人は哀れなものに思われますが、性質の悪い継母《ままはは》に憎まれているよりはずっとあなたなどはお楽なのですよ。どうにかよろしいように私が計らいますからね、そんなに気をめいらせないでおいでなさいませ。どんな時にも初瀬《はせ》の観音がついてあなたを守っておいでになりますからね、観音様はあなたをお憐《あわれ》みになりますよ。お参りつけあそばさない方を、何度も続けてあの山へおつれ申しましたのも、あなたを軽蔑《けいべつ》する人たちに、あんな幸運に恵まれたかと驚かす日に逢《あ》いたいと念じているからでしたよ。あなたは人笑われなふうでお終わりになる方なものですか」
 と言い、楽観させようと努めた。
 宮はすぐお出かけになるのであった。そのほうが御所へ近いからであるのか西門のほうを通ってお行きになるので、ものをお言いになるお声が姫君の所へ聞こえてきた。上品な美しいお声で、恋愛の扱われた故《ふる》い詩を口ずさんで通ってお行きになることで、煩わしい気持ちを姫君は覚えていた。お替え馬なども引き出して、お付きして宿直《とのい》を申し上げる人十数人ばかりを率いておいでになった。
 中の君は姫君がどんなに迷惑を覚えていることであろうとかわいそうで、知らず顔に、
「中宮《ちゅうぐう》様の御病気のお知らせがあって、宮様は御所へお上がりになりましたから、今夜はお帰りがないと思います。髪を洗ったせいですか、気分がよくなくてじっとしていますが、こちらへおいでなさい。退屈でもあるでしょう」
 と言わせてやった。
「ただ今は身体《からだ》が少し苦しくなっておりますから、癒《なお》りましてから」
 姫君からは乳母を使いにしてこう返事をして来た。どんな病気かとまた中の君が問いにやると、
「何ということはないのですが、ただ苦しいのでございます」
 とあちらでは言った。少将と右近とは目くばせをして、夫人は片腹痛く思うであろうと言っているのは姫君のために気の毒なことである。
 夫人は心で残念なことになった、薫《かおる》が相当熱心になって望んでいた妹であったのに、そんな過失をしたことが知れるようになれば軽蔑《けいべつ》するであろう、宮という放縦なことを常としていられる方は、ないことにも疑念を持ちうるさくお責めにもなるが、また少々の悪いことがあってもぜひもないようにおあきらめになりそうであるが、あの人はそうでなく、何とも言わないままで情けないことにするであろうのを思うと、妹はどんなに気恥ずかしいことかしれぬ、運命は思いがけぬ憂苦を妹に加えることになった、長い間見ず知らずだった人なのであるが、逢《あ》って見れば性質も容貌《ようぼう》もよく、愛せずにはいられなくなった妹であったのに、こんなことが起こってくるとはなんたることであろう、人生とは複雑にむずかしいものである、自分は今の身の上に満足しているものではないが、妹のような辱《はずか》しめもあるいは受けそうであった境遇にいたにもかかわらず、そうはならずに正しく人の妻になりえた点だけは幸福と言わねばなるまい、もう自分は薫が恋をさえ忘れてくれて、以前の友情でつきあって行けることになれば、何も深く憂えずに暮らす女になろうと思った。多い髪であるから、急にはかわかしきれずにすわっていねばならぬのが苦しかった。白い服を一重だけ着ている中の君は繊細《きゃしゃ》で美しい。
 姫君はほんとうに身体が苦しくなっていたのであるが、乳母は、
「そんなふうにしておいでになっては、痛くない腹をさぐられます。何か事のあったように女王《にょおう》様はお思いになっていらっしゃるかもしれませんから、ただおおようなふうにしてあちらへいらっしゃいませ。右近さんなどには事実を初めからお話しいたしますよ」
 と言い、しいて促し立てておき、夫人の居室《いま》の襖子《からかみ》の前へまで行き、
「右近さんにちょっとお話しいたしたいことが」
 と言った。出て来たその人に、
「御|冗談《じょうだん》をなさいました方様のために、お姫様は驚いて気もお失いになるばかりなのですよ。ほんとうのひどい目にでもおあいになった人のように苦しいふうをお見せになるのでお気の毒でなりません。奥様から慰めてあげていただきたいと私はお願いに出たのでございます。過失もなさいませんでしたのに、恥ずかしくてならぬように思召すのもお道理でございますよ。異性のことがよくわかっておいでになる方であれば、これは何でもないことだとおわかりになるのでしょうが、そうでないところに純粋なところも持っていらっしゃるのだと拝見しています」
 と言っておき、姫君を引き起こして夫人の所へ伴って行くのであった。人のするままに任せて、他人がどんな想像をしているだろうと思うことに羞恥《しゅうち》は覚えるのであるが、柔らかなおおよう過ぎたほどの性質の人であったから、乳母に押し出されて夫人の居間の中へはいった。額髪などの汗と涙でひどく濡《ぬ》れたのを隠したく思い、灯《あかり》のほうから顔をそむけた姫君は、夫人をこれ以上の美人はないと常にながめている女房たちが見て、劣ったふうもなく、貴女《きじょ》らしく美しい、宮がこの方をお愛しになるようになったら気まずいことを見ることになろう、これほどの人でなくても、新しい人をお喜びになる宮の御性質であるからと、夫人に侍していた二人ほどの女房は、姫君の隠しきれない顔を見て思っていた。中の君はなつかしいふうで話していて、
「あなたの家と違った所だとここを思わないでいらっしゃいよ。お姉様がお亡《かく》れになってから、私は姉様のことばかりが思われて、忘れることなどは少しもできなくてね、自分の運命ほど悲しいものはないと思って暮らしていたのですがね、あなたという姉様によく似た人を見ることができるようになって、ずいぶん慰められてますよ。私にはほかにあなたのような妹はないのですから、お父様の御愛情を私から受け取る気になってくだすったらうれしいだろうと思います」
 などとも夫人は語るのであったが、宮から愛のささやきをお受けした心のひけ目がある上に、よい環境に置かれていなかった人は、姉君に応じて何もものが言えないというふうがあって、
「長い間とうていおそばなどへまいれるものでないと思っていましたのに、こんなに御親切にいろいろとしていただけるのですもの、どんなことも皆慰められる気がいたします」
 とだけ、少女《おとめ》らしい声で言った。夫人が絵などを出させて、右近に言葉書きを読ませ、いっしょに見ようとすると、姫君は前へ出て、恥じてばかりもいず熱心に見いだした灯影《ひかげ》の顔には何の欠点もなく、どこも皆美しくきれいであった。清い額つきがにおうように思われて、おおような貴女《きじょ》らしさには総角《あげまき》の姫君がただ思い出されるばかりであったから、夫人は絵のほうはあまり目にとめず、身にしむ顔をした人である、どうしてこうまで似ているのであろう、大姫君は宮に、自分は母君に似ていると古くからいる女房たちは言っていたようである、よく似た顔というものは人が想像もできぬほど似ているものであると、故人に思い比べられて夫人は姫君を涙ぐんでながめていた。故人は限りもなく上品で気高《けだか》くありながら柔らかな趣を持ち、なよなよとしすぎるほどの姿であった。この人はまだ身のこなしなどに洗練の足らぬところがあり、また遠慮をすぎるせいか美しい趣は劣って見える、重々しいところを加えさせるようにすれば大将の妻の一人になっても不似合いには見えまいなどと、姉心になって気もつかっている中の君であった。話し合って夜明け近くまでなってから寝《やす》んだのであるが、夫人はそばへ寝させて、父宮についてお亡《かく》れになるまでの御様子などを、ことごとくではないが話して聞かせた。聞けば聞くほど恋しく、ついにお逢いすることがなく終わったことをくやしく悲しく姫君は思った。
 昨夜のできごとを知っている女房たちは、
「実際はどんなことだったのでしょう、おかわいらしいお顔をしていらっしゃるあの方を、奥様はあんなに大事にしておいでになっても、もう泥土《でいど》に落ちた花ではありませんか、気の毒な」
 と一人が言うのを、右近は、
「そこまでは進まなかったのでしょう。あの乳母《ばあや》が私をつかまえて、放すものかというようにもしてこぼしていた話にも、そこまでも行った御|冗談《じょうだん》だったとは言ってませんでしたよ。宮様も近づきながら恋を成り立たせえなかったような意味の詩を口ずさんでおいでになりましたもの。けれどもそれはわざとそうお見せになろうとするためか私は知りませんよ」
 やや釈明的にも言い、二人は姫君に同情した。
 乳母《めのと》は車の拝借を申し出て常陸《ひたち》様の所へ帰って行った。常陸夫人に昨夜のことを報告するとはっと驚いたふうが見えた。女房たちもけしからぬことだと言いもし、思いもするであろう、夫人はまたどんなふうに思うことか、嫉妬《しっと》の憎しみというものは貴婦人も何もいっしょなのであるからと、自身の性情から一大事のように思い、じっとはしておられず、その夕方に二条の院へまいった。宮のおいでにならぬ時であったから常陸の妻は気安く思い、
「まだ幼稚なところの改まりません方をおそばへ置いてまいりましたものですから、あなた様にお任せして安心はさせていただいていながら、気がかりでならぬような思いもいたされまして、いっこう落ち着いてもいられないふうでいますものですから、下品な人たちに腹をたてられたり、怨《うら》まれたりもいたしましてございます」
 と昔の中将の君は言いだした。
「そんなにあなたが言うほど幼稚な人でもないのに、気がかりでならぬように言って興奮しておいでになるから、私はおこられるのではないかと心配ですよ」
 と笑った夫人の眼つきの気品の高さにも常陸の妻は心の鬼から親子を恥知らずのように見られている気がした。胸の中ではどんなに口惜しがっておいでになるかもしれぬと思うと、あの問題には触れていくことができないのであった。
「こうしておそばへ置いていただきますことは、長い間の念願のかないました気が私もしまして、世間の人に聞かれましても、あの人の名誉になることと存じますが、しかし考えますれば、あまりにも無遠慮なことでございます。尼にして深い山へ入れてしまいましたほうが賢明ないたし方だったのでしょうが」
 と言って泣くのも中の君にはかわいそうで、
「ここにお置きになって、何もあなたが気がかりに思う必要はないのですよ。十分のことはできなくても、私が愛していないのなら不安は不安でしょうが、そうではありませんよ。悪い癖をお出しになる方が時々ここへはおいでになるけれど、女房たちだって皆知っていて警戒をしますから、あの人の迷惑になるようにはしないだろうと思いますけれど、あなたはどんな想像をしておいでになるの」
 こう言っていた。
「あなた様の御愛情を疑うということは決してございません。昔の宮様があの方を子にしてくださいませんでしたことも、あなたへお恨みする筋はないのでございます。それは別にいたしましても、あなた様と私とは血縁があるのでございますから、それだけでおすがりもいたすのでございます」
 などと真心を見せて言ったあとで、
「明日《あす》と明後日《あさって》があの方のために大事な謹慎日なのでございますが、こういたしましたお出入りの人の多い所でない場所でその間を過ごさせまして、またおつれいたしましょう」
 と常陸夫人は言い、姫君をつれて行こうとするのであった。中の君はこれを本意《ほい》ないことに思ったが、とめることはできなかった。あのできごとに心の乱れている女であったから、あまり長く話もせずに去った。
 姫君のための何かの場合に使おうと思い、この人は家をかねて一つ用意させてあった。三条辺でしゃれた作りの家なのであるが、まだまったくはでき上がっていず、行き渡った装飾がされているのでもなかった。
「あなた一人で苦労が尽きない。薄命な自分などは、明日というようなものを頼みにせず早く死んでおればよかったのですよ。自分だけは生まれた家にもふさわしくない地方官の家の中にはいって、一生をしんぼうもしよう、ただあなたをそうした人と同じように扱わせることが忍ばれないことに思われましてね、お姉様をおたよらせしてやったのですが、醜いことがそこで起こればいっそう世間体の恥ずかしいことになります。いやなことですよ。不都合な家でもこの家に隠れていらっしゃい。だれにも知れないようにしてね、私はどんなにでもしてあなたのためによくしてあげますから」
 こう言い置いて常陸の妻は娘のところから帰ろうとした。姫君は泣いて、生きているだけでさえ人迷惑な自分らしいと気をめいらせているのがかわいそうに見えた。親の心にはまして不憫《ふびん》で、もったいないほど美しいこの人を、その価値にふさわしい結婚がさせたいと思う心から、二条の院でのできごとのようなことが噂《うわさ》になり、その名の傷つけられるのを残念がっているのであった。聡明《そうめい》な点もある女ながらすぐ腹をたてるわがままなところも持つ女なのである。守《かみ》の本宅のほうにも隠して住ませておくことはできたのであるが、そうしたみじめな起居《おきふし》はさせたくないとして別居をさせ始めたのであって、生まれてからずっといっしょにばかりいた母と子であるため、双方で心細く思い、悲しがっているのである。
「ここはまだよくでき上がっていないで、危険でもある家ですからね、よく気をおつけなさい。宿直《とのい》をする侍のことなども私はよく命じておきましたけれど、まったく安心はできない。でも家のほうで腹をたてたり、恨んだりする人がありますから帰りますよ」
 泣く泣く母は帰って行った。
 婿の少将の歓待を最も大事なこととしている守《かみ》は、妻がいっしょに家にいてしないのを怒《おこ》るのである。夫人は不愉快で、この少将のために姫君の身に災難も降りかかることになったと、だれよりも愛する子のことであったから、反感ばかりがその男に持たれて、気を入れた世話などはできなかった。二条の院の宮の御前でみすぼらしく見た時から軽蔑《けいべつ》する気になった夫人であったから、姫君の婿として大事に扱ってみたいなどと好意を持ったことは忘れていた。家ではどんなふうに見えるであろう、まだ自家の中で打ち解けた姿をしているところを自分は見なかったと思い、少将がくつろいでいる昼ごろに今では守《かみ》の愛嬢の居室《いま》に使われている西座敷へ来て夫人は物蔭《ものかげ》からのぞいた。柔らかい白綾《しろあや》の服の上に、薄紫の打ち目のきれいにできた上着などを重ねて、縁側に近い所へ、庭の植え込みを見るために出てすわっている姿は、決して醜い男だとは見えない。娘は未完成に見える若さで、無邪気に身を横たえていた。母の目には兵部卿《ひょうぶきょう》の宮が夫人と並んでおいでになった時の華麗さが浮かんできて、どちらもつまらぬ夫婦であるとまた思った。そばにいる女房らに冗談《じょうだん》を言っている余裕のある様子などをながめていると、この間のように美しい気《け》もない男とは見えないため、二条の院でのぞいた時のは他の少将であったかと思う時も時、
「兵部卿の宮のお邸《やしき》の萩《はぎ》はきれいなものだよ。どうしてあんな種があったのだろう。同じ花でも枝ぶりがなんというよさだったろう。この間伺った時にはもうすぐお出かけになる時だったから折っていただいて来ることができなかったよ。その時『うつろはんことだに惜しき秋萩に』というのをお歌いになった宮様を若い人たちに見せたかったよ」
 と言うではないか。そして少将は自身でも歌を作っていた。あの利己心をなまなましく見せた時のことを思うと人とも見なされない男で、はなはだしく幻滅を感じさせた男に、ろくな歌はできるはずもないと母はつぶやかれたのであるが、そうまでも軽蔑してしまうことのできぬふうはさすがにしているため、どう答えるかためそうと思い、

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しめゆひし小萩が上もまよはぬにいかなる露にうつる下葉ぞ
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 と取り次がせてやると、少将は姑《しゅうとめ》を気の毒に思って、

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「宮城野《みやぎの》の小萩がもとと知らませばつゆも心を分かずぞあらまし
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 そのうち自身でこの申しわけをさせていただきましょう」
 と返事を伝えさせた。八の宮のことを聞いて知ったらしいと思うと、いっそうその娘が大事に思われ、どうして他の子などといっしょに扱われようと考えられる母であった。理由もなくこの時に薫《かおる》の面影が目に見えてきて、心の惹《ひ》かれる思いがした。同じように美貌《びぼう》でおありになるとは宮を思ったが、こうした憧憬《どうけい》を持って思うことはできない。娘を侮って無法に私室へ闖入《ちんにゅう》あそばされた方であると思うとくちおしいのである。大将は娘に興味を持っておいでになりながら直接に恋の手紙を送ろうともせず、表面はあくまで素知らぬ顔で通しているのも階級的な差別に因《もと》づくと思われるのはつらいがりっぱな態度であるなどと、母親は薫にばかり好感の持たれる自分を認め、若い姫君はまして二人の貴人を比較して見て大将に心の傾くことであろうと思われる。姫君の婿にしようなどと少将のような無価値な男を思ったことが自分にあったのが恥ずかしいなどと母は姫君についての物思いばかりをし続け、ああもして、こうもなってとよいほうへと空想を進めるのであったが、また反省してみて、自分の願いは実現が困難なことである、あの高貴さと、あの風采《ふうさい》の備わった大将は、もっともっと資格の完全な人を愛するはずである、顧みられる価値が姫君にあるかどうかは疑わしい。世間を見ると、容貌と性情は尊卑の階級によって自然に備わるものらしい。自分の子供たちの中に、だれ一人姫君に近い容貌《ようぼう》を持つ者がないではないか、少将は家ではすぐれた美男のように良人《おっと》などは見、自分ももとはそう思っていたのが、兵部卿の宮とお見くらべした時に、つまらなさを知ったということからでも推理していくことができるのである。現代の帝王の御秘蔵の内親王を妻にしている人の、いま一人の妻に姫君を擬してみるのは恥ずかしいと、こんなことを考えていくと、しまいには頭も茫《ぼう》としてくるのであった。
 仮り住居《ずまい》にいる姫君は退屈していた。庭の草も目ざわりになるばかりできたないし、東国なまりの男たちばかりが出入りする人影であったし、慰めになる花はなかったし、落ち着かぬ所に晴れ晴れしからず暮らしている若い姫君の心には、宮の夫人が恋しく思われてならなかった。闖入《ちんにゅう》しておいでになった宮の御様子もさすがに思い出されて、内容はこまごまともわからなかったものの身にしむお話しぶりでいろいろと自分へお告げになったことがあった、お帰りになったあとで周囲に残っていたかんばしいにおいがまだ今も自分の身に残っている気がして、恐ろしい思いをしたことさえ姫君は追想された。母のほうからはしみじみと情のこもった手紙が送って来られた。こんなにも愛してくれる母に心配ばかりをかける自身の運命が悲しくて姫君は泣いてしまった。
[#ここから1字下げ]
馴《な》れないあなたの日送りはどんなにつれづれかと思います。しばらくしんぼうをしていらっしゃい。
[#ここで字下げ終わり]
 とも書かれてあった、返事に、
[#ここから1字下げ] 
退屈なことなどはなんでもありません。かえって今が気楽でよいという気もします。

[#ここから2字下げ]
ひたぶるに嬉《うれ》しからまし世の中にあらぬ所と思はましかば
[#ここで字下げ終わり]

 と姫君は書いた。この歌の幼稚な表現にも母の夫人はほろほろと泣いて、こんなに漂泊人《さすらいびと》のようにさせておく親の無力さが悲しくなり、

[#ここから2字下げ]
うき世にはあらぬ所を求めても君が盛りを見るよしもがな
[#ここで字下げ終わり]

 歌らしくもないこんな歌をよみ、親子はそうした贈答を心の慰めにした。
 例年のように秋のふけて行くころになれば、寝ざめ寝ざめに故人のことばかりの思われて悲しい薫は、御堂《みどう》の竣成したしらせがあったのを機に宇治の山荘へ行った。かなり久しく出て来なかったのであったから、山の紅葉《もみじ》も珍しい気がしてながめられた。毀《こぼ》ったあとへ新たにできた寝殿は晴れ晴れしいものになっているのであった。簡素に僧のように八の宮の暮らしておいでになった昔を思うと、その方の恋しく思われる薫は、改築したことさえ後悔される気になり、平生よりも愁《うれ》わしいふうであたりをながめていた。当時の山荘の半分は寺に似た気分が出ていたが、半分は繊細に優しく女王《にょおう》たちの住居《すまい》らしく設備《しつら》われてあったのを、網代屏風《あじろびょうぶ》というような荒々しい装飾品は皆薫の計らいで御堂の坊のほうへ運ばせてしまい、そして風雅な山荘に適した道具類を別に造らせて、ことさら簡素に見せようともせず、きれいに上品な貴人の家らしく飾らせてあった。小流れのそばの岩に薫は腰を掛けていたが、その座は離れにくかった。

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絶えはてぬ清水《しみず》になどかなき人の面影をだにとどめざりけん
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 と歌い、涙をふきながら弁の尼の室《へや》のほうへ来た薫を、尼は悲しがって見た。座敷の長押《なげし》へ仮なように身体《からだ》を置いて、御簾《みす》の端を引き上げながら薫は話した。弁の尼は几帳《きちょう》で姿を包んでいた。薫は話のついでに、
「あの話の人ね、せんだって二条の院に来ていられると聞いていましたがね、今さら愛を求めに歩く男のようなことは私にできなくて、そのままにしていますよ。やはりこの話はあなたから言ってくださるほうがいい」
 人型《ひとがた》の姫君のことを言いだした。
「この間あのお母様から手紙がまいりました。謹慎日の場所を捜しあぐねて、あちらこちらとお変わらせしていますってね。そして現在もみじめな小家などにお置きしているのがおかわいそうなのですが、もう少し近い所ならお住ませするのにそちらは最も安心のできる所と思いますが、荒い山路《やまみち》が中にあることを思うと躊躇《ちゅうちょ》がされて実行ができませんと、こんなことを書いて来ておりました」
「私だけはだれも皆恐ろしがるその山道をいつまでも飽かずに出て来る人なのですね。どんな深い宿縁があってのことかと思うのは身にしむことですよ」
 例のように薫は涙ぐんでいた。
「ではその小さい簡単な家というのへ手紙をやってください。あなた自身で出かけてくれませんか」
 と言う。
「あなた様の御用を勤めますことは喜んでいたしますが、京へ出ますことはいやでございましてね、二条の院へさえ私はまだ伺わないのでございます」
「いいではありませんか、いちいちあちらへ報告されるのであれば遠慮もいるでしょうが、愛宕《あたご》山にこもった上人《しょうにん》も利生方便《りしょうほうべん》のためには京へ出るではありませんか。仏へ立てた誓いを破った人の願いのかなうようにされることも大|功徳《くどく》じゃありませんか」
「でも『人わたすことだになきを』(何をかもながらの橋と身のなりにけん)と申しますような老朽した尼が、ある事件に策動したという評判でも立ちましてはね」
 と言い、弁が躊躇して行こうとしないのを、
「ちょうどそんな仮住みをしているのは都合がよいというものですから、そうしてください」
 例の薫のようでもなくしいて言い、
「明後日《あさって》あたりに車をよこしましょう。そして仮住居の場所を車の者へ教えておいてください。私が訪《たず》ねて行くことがあっても無法なことなどできるものではないから安心なさい」
 と微笑しながら言うのを弁は聞いていて、迷惑なことが引き起こされるのではなかろうかと思いながらも、大将は浮薄な性質の人ではないのであるから、自分のためにも慎重に考えていてくれるに違いないという気になった。
「それでは承知いたしました。お邸《やしき》とは近いのでございますから、そちらへお手紙を持たせておつかわしくださいませ。平生行きません所へそのお話を私が独断《ひとりぎめ》で来てするように思われますのも、今さら伊賀刀女《いがとうめ》(そのころ媒介をし歩いた種類の女)になりましたようできまりが悪うございます」
「手紙を書くことはなんでもありませんがね、人はいろいろな噂《うわさ》をしたがるものですからね、右大将は常陸守《ひたちのかみ》の娘に恋をしているというようなことが言われそうで危険《けんのん》ですよ。その常陸の旦那《だんな》は荒武者なんだってね」
 と薫が言ったので弁は笑ったが、心では姫君がかわいそうに思われた。
 暗くなりかかったので大将は帰って行くのであった。林の下草の美しい花や、紅葉《もみじ》を折らせた薫は夫人の宮にそれらをお見せした。りっぱな方なのであるが敬遠した形で、良人《おっと》らしい親しみを薫は持たないらしい。帝《みかど》からは普通の父親のように始終尼宮へお手紙で頼んでおいでになるのでもあって、薫は女二《にょに》の宮《みや》をたいせつな人にはしていた。宮中、院の御所へのお勤め以外にまた一つの役目がふえたように思われるのもこの人に苦しいことであった。
 薫は弁に約束した日の早朝に、親しい下級の侍に、人にまだ顔を知られていぬ牛付き男をつれさせて山荘へ迎えに出した。荘園のほうにいる男たちの中から田舎《いなか》者らしく見えるのを選んでつけさせるように薫は命じてあった。
 ぜひ出てくるようにとの薫の手紙であったから、弁の尼はこの役を勤めることが気恥ずかしく、気乗りもせず思いながら化粧をして車に乗った。野路《のみち》山路《やまみち》の景色《けしき》を見ても、薫が宇治へ来始めたころからのことばかりがいろいろと思われ、総角《あげまき》の姫君の死を悲しみ続けて目ざす家へ弁は着いた。簡単な住居《すまい》であったから、気楽に門の中へ車を入れ、自身の来たことをついて来た侍に言わせると、姫君の初瀬詣《はせもう》での時に供をした若い女房が出て来て、車から下《お》りるのを助けてくれた。
 つまらぬ庭ばかりをながめて日を送っていた姫君は、話のできる人の来たのを喜んで居間へ通した。親であった方に近く奉公した人と思うことで親しまれるのであるらしい。
「はじめてお目にかかりました時から、あなたに昔の姫君のお姿がそのまま残っていますことで、始終恋しくばかりお思いするのでしたが、こんなにも世の中から離れてしまいました身の上では兵部卿《ひょうぶきょう》の宮様のほうへも伺いにくくてまいれませんほどで、ついお訪《たず》ねもできないのでございました。それなのに、右大将が御自分のためにぜひあなたへお話を申しに行けとやかましくおっしゃるものですから、思い立って出てまいりました」
 と弁は言った。姫君も乳母《めのと》もりっぱな風采《ふうさい》を知っていた大将であったから、まだあの話を忘れずに続けて申し込んでくれることに喜びは覚えたのであるが、こんなに急に策を立てて接近しようと薫がしていたことには気づかない。
 夜の八時過ぎに宇治から用があって人が来たと言って、ひそかに門がたたかれた。弁は薫であろうと思っているので、門をあけさせたから、車はずっと中へはいって来た。家の人は皆不思議に思っていると、尼君に面会させてほしいと言い、宇治の荘園の預かりの人の名を告げさせると、尼君は妻戸の口へいざって出た。小雨が降っていて風は冷ややかに室《へや》の中へ吹き入るのといっしょにかんばしいかおりが通ってきたことによって、来訪者の何者であるかに家の人は気づいた。だれもだれも心ときめきはされるのであるが、何の用意もない時であるのに、あわてて、どんな相談を客は尼としてあったのであろうと言い合った。
「静かな所で、今日までどんなに私が思い続けて来たかということもお聞かせしたいと思って来ました」
 と薫は姫君へ取り次がせた。どんな言葉で話に答えていけばよいかと心配そうにしている姫君を、困ったものであるというように見ていた乳母が、
「わざわざおいでになった方を、庭にお立たせしたままでお帰しする法はございませんよ。本家の奥様へ、こうこうでございますとそっと申し上げてみましょう。近いのですから」
 と言った。
「そんなふうに騒ぐことではありませんよ。若い方どうしがお話をなさるだけのことで、そんなにものが進むことですか。怪しいほどにもおあせりにならない落ち着いた方ですもの、人の同意のないままで恋を成立させようとは決してなさいますまい」
 こう言ってとめたのは弁の尼であった。雨脚《あめあし》がややはげしくなり、空は暗くばかりなっていく。宿直《とのい》の侍が怪しい語音《ごいん》で家の外を見まわりに歩き、
「建物の東南のくずれている所があぶない、お客の車を中へ入れてしまうものなら入れさせて門をしめてしまってくれ、こうした人の供の人間に油断ができないのだよ」
 などと言い合っている声の聞こえてくるようなことも薫にとって気味の悪いはじめての経験であった。「さののわたりに家もあらなくに」(わりなくも降りくる雨か三輪が崎《さき》)などと口ずさみながら、田舎《いなか》めいた縁の端にいるのであった。

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さしとむるむぐらやしげき東屋《あづまや》のあまりほどふる雨そそぎかな
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 と言い、雨を払うために振った袖の追い風のかんばしさには、東国の荒武者どもも驚いたに違いない。
 室内へ案内することをいろいろに言って望まれた家の人は、断わりようがなくて南の縁に付いた座敷へ席を作って薫《かおる》は招じられた。姫君は話すために出ることを承知しなかったが、女房らが押し出すようにして客の座へ近づかせた。遣戸《やりど》というものをしめ、声の通うだけの隙《すき》があけてある所で、
「飛騨《ひだ》の匠《たくみ》が恨めしくなる隔てですね。よその家でこんな板の戸の外にすわることなどはまだ私の経験しないことだから苦しく思われます」
 などと訴えていた薫は、どんなにしたのか姫君の居室《いま》のほうへはいってしまった。
 人型《ひとがた》としてほしかったことなどは言わず、ただ宇治で思いがけぬ隙間《すきま》からのぞいた時から恋しい人になったことを言い、これが宿縁というものか怪しいまで心が惹《ひ》かれているということをささやいた。可憐《かれん》なおおような姫君に薫は期待のはずれた気はせず深い愛を覚えた。
 そのうち夜は明けていくようであったが、鶏《とり》などは鳴かず、大通りに近い家であったから、通行する者がだらしない声で、何とかかとか、有る名でないような名を呼び合って何人もの行く物音がするのであった。こんな未明の街《まち》で見る行商人などというものは、頭へ物を載せているのが鬼のようであると聞いたが、そうした者が通って行くらしいと、泊まり馴《な》れない小家に寝た薫はおもしろくも思った。宿直《とのい》した侍も門をあけて出て行く音がした。また夜番をした者などが部屋《へや》へ寝にはいったらしい音を聞いてから、薫は人を呼んで車を妻戸の所へ寄せさせた。そして姫君を抱いて乗せた。家の人たちはだれも皆結婚の翌朝のこうしたことをあっけないように言って騒ぎ、
「それに結婚に悪い月の九月でしょう。心配でなりません、どうしたことでしょう」
 とも言うのを、弁は気の毒に思い、
「すぐおつれになるなどとは意外なことに違いありませんが、殿様にはお考えがあることでしょう。心配などはしないほうがいいのですよ。九月でも明日が節分になっていますから」
 と慰めていた。この日は十三日であった。尼は、
「今度はごいっしょにまいらないことにいたしましょう。二条の院の奥様が私のまいったことをお聞きになることもあるでしょうから、伺わないわけにはまいりません。そっと来てそっと帰ったなどとお思われましても義理が立ちません」
 と言い、同行をしようとしないのであったが、すぐに中の君に今度のことを聞かれるのも心恥ずかしいことに薫は思い、
「それはまたあとでお目にかかってお詫《わ》びをすればいいではありませんか。あちらへ行って知っている者がそばにいないでは心細い所ですからね。ぜひおいでなさい」
 と薫はいっしょにここを出ていくように勧めた。そして、
「だれかお付きが一人来られますか」
 と言ったので、姫君の始終そばにいる侍従という女房が行くことになり、尼君はそれといっしょに陪乗《ばいじょう》した。姫君の乳母《めのと》や、尼の供をして来た童女なども取り残されて茫然《ぼうぜん》としていた。
 近いどこかの場所へ行くことかと侍従などは思っていたが、宇治へ車は向かっているのであった。途中で付け変える牛の用意も薫はさせてあった。河原を過ぎて法性寺《ほうしょうじ》のあたりを行くころに夜は明け放れた。若い侍従はほのかに宇治で見かけた時から美貌《びぼう》な薫に好意を持っていたのであるから、だれが見て何と言おうとも意に介しない覚悟ができていた。姫君ははなはだしい衝動を受けたあとで、失心したようにうつ伏しになっていたのを、
「石の多い所は、そうしていれば苦しいものですよ」
 と言い、薫は途中から抱きかかえた。薄物の細長を中に掛けて隔ては作ってあったが、はなやかに出た朝日の光に前方も後方もあらわに見えるようになってからは、弁は自身の尼姿が恥じられるとともに、薫を良人《おっと》として大姫君のいで立って行くこうした供をする日を期していたにもかかわらず、その女王《にょおう》は亡《な》くなってしまい、長生きをした咎《とが》に意外な姫君と薫の同車する片端にいることになったと思われることで悲しくなり、隠そうとするのであるが悲しい表情の現われて、泣きもするのを侍従は憎らしがった。縁起を祝う結婚の初めに、尼姿で同車して来たのさえ不都合であるのに、涙目まで見せるではないかと蔑《さげす》んだ。弁の感情がどう細かに動いているかも知らず、老人は泣き虫であるからしかたがないと思うからである。薫も姫君を愛すべき人とは見ているのであるが、秋の空の気配《けはい》にも昔の恋しさがつのり山を深く行くに従って霧が立ち渡っているように視野をさえぎる涙を覚えた。外をながめながら後ろの板へよりかかっていた薫の重なった袖《そで》が、長く外へ出ていて、川霧に濡《ぬ》れ、紅《あか》い下の単衣《ひとえ》の上へ、直衣《のうし》の縹《あさぎ》の色がべったり染まったのを、車の落とし掛けの所に見つけて薫は中へ引き入れた。

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かたみぞと見るにつけても朝霧の所せきまで濡るる袖かな
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 この歌を心にもなく薫が口に出したのを聞いていて尼は袖を絞るほどにも涙で濡らしていた。若い侍従は奇怪な現象である、うれしいはずの晴れの旅ではないかと不快がっていた。おさえ切れぬらしい弁の忍び泣きの声を聞いていて、自身も涙をすすり上げた薫は、新婦がどう思うことであろうと心苦しくなって、
「長い間この路《みち》を通って行ったものだと思うと、なんということなしに身にしむものが覚えられますよ。少し起き上がってこの辺の山の景色《けしき》なども御覧なさい。あまりに引っ込んでばかりいるではありませんか」
 と、慰めるように言って、しいて身体《からだ》を起こさせると、姫君は美しい形に扇で顔をさし隠しながら、恥ずかしそうにあたりを見まわした目つきなどは総角《あげまき》の姫君を思い出させるのに十分であったが、おおように過ぎてたよりないところがこの人にはあって、あぶなっかしい気がされなくもなかった。若々しくはありながら自己を護《まも》る用意の備わった人であったのをこれに比べて思うことによって、昔を思う薫の悲しみは大空をさえもうずめるほどのものになった。
 山荘へ着いた時に薫は、その人でない新婦を伴って来たことを、この家にとまっているかもしれぬ故人の霊に恥じたが、こんなふうに体面も思わぬような恋をすることになったのはだれのためでもない、昔が忘れられないからではないかなどと思い続けて、家へはいってからは新婦をいたわる心でしばらく離れていた。女は母がどう思うであろうと歎かわしい心を、艶《えん》な風采《ふうさい》の人からしんみりと愛をささやかれることに慰めて車から下《お》りて来たのであった。
 尼君は主人たちの寝殿の戸口へは下りずに、別な廊のほうへ車をまわさせて下りたのを、それほど正式にせずともよい山荘ではないかと薫は思ったのであった。荘園のほうからは例のように人がたくさん来た。薫の食事はそちらから運ばれ、姫君のは弁の尼が調じて出した。山中の途《みち》は陰気であったが山荘のながめは晴れ晴れしかった。自然の川をも山をも巧みに取り扱った新しい庭園をながめて、昨日までの仮|住居《ずまい》の退屈さが慰められる姫君であったが、どう自分を待遇しようとする大将なのであろうとその点が不安でならなかった。薫は京へ手紙を書いていた。
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未完成でした仏堂の装飾などについて、いろいろ指図《さしず》を要することがありまして、昨夜はそれに時を費やし、また今日はそれを備えつけるのに吉日でしたから、急に宇治へ出かけたのでした。ここまで来ますと疲れが出ましたのとともに、謹慎日であることに気がついたものですから、明日までずっと滞留することにしようと思います。
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 というような文意で、母宮へも、夫人の宮へも書かれたのである。
 部屋着になって、直衣《のうし》姿の時よりももっと艶《えん》に見える薫のはいって来たのを見ると、姫君は恥ずかしくなったが、顔を隠すこともできずそのままでいた。母の夫人の作らせた美服をいろいろと重ねて着ているが、少し田舎《いなか》風なところが混じって見えるのにも、昔の恋人が着古したものを着ながらも貴女《きじょ》らしい艶なところの多かったことの思い出される薫であった。姫君の髪の裾《すそ》はきわだって品よく美しかった。女二の宮のお髪《ぐし》のすばらしさにも劣らないであろうと薫は思った。そんなことから、この人をどう取り扱うべきであろう、今すぐに妻の一人としてどこかの家へ迎えて住ませることは、世間から非難を受けることであろうし、そうかといって他の侍妾《じしょう》らといっしょに女房並みに待遇しては自分の本意にそむくなどと思われて心を苦しめていたが、当分は山荘へこのまま隠しておこうと思うようになった。しかし始終逢うことができないでは物足らず寂しいであろうと考えられ、愛着の覚えられるままにこまやかに将来を誓いなどしてその日を暮らした。八の宮のことも話題にして、昔の話もこまごまと語って聞かせ、戯れもまた言ってみるのであったが、女はただ恥ずかしがってばかりいて、何も言わぬのを物足らず薫は思ったが、欠点らしくは見えても、こうしたたよりないところのあるのは、よく教育していけばよいのである、田舎《いなか》風に洒落《しゃれ》たところができていて、品悪く蓮葉《はすっぱ》であれば、人型《ひとがた》もまた無用とするかもしれないのであると思い直しもした。山荘に備えつけてあった琴や十三|絃《げん》を出させて、こうしたたしなみはましてないであろうと残念な気のする薫は一人で弾《ひ》きながら、宮がお亡《かく》れになったのち、この家で楽器などというものに久しく手を触れたことがなかったと、自身の爪音《つまおと》さえも珍しく思われ、なつかしい絃声を手探りで出し、目は昔の夢を見るように外へ注いでいるうちに、月も出てきた。宮の琴の音は、音量の豊かなものではなかったが、美しい声が出て身にしむところがあったと思い、
「あなたが宮様もお姉様もおいでになったころに、ここで大人《おとな》になっていたら、あなたの価値はもっとりっぱになっていたでしょうね。宮様の御様子は子でない私でさえ始終恋しく思い出されるのですよ。どうしてあなたは遠い国などから長く帰れなかったのだろう」
 薫のこう言うのを恥ずかしく聞いて、手で白い扇をもてあそびながら横たわっている姫君の顔色は、透くように白くて、艶《えん》な額髪の所などが総角《あげまき》の姫君をよく思い出させ、薫は心の惹《ひ》かれるのを覚えた。ほかの教育はともかく、こうした音楽などは自分の手で教えて行きたいと薫は思い、
「こんなものを少しやってみたことがありますか。吾《わ》が妻《つま》という琴などは弾いたでしょう」
 などと問うてみた。
「そうしたやまと言葉も使い馴《な》れないのですもの、まして音楽などは」
 姫君はこう答えた。機智《きち》もありそうには見えた。この山荘に置いて、思いのままに来て逢うことのできないのを今すでに薫は苦痛と覚えるのは深く愛を感じているからなのであろう。楽器は向こうへ押しやって、「楚王台上夜琴声《そわうだいじやうのよるのきんせい》」と薫が歌い出したのを、姫君の上に描いていた美しい夢が現実のことになったように侍従は聞いて思っていた。その詩は前の句に「斑女閨中秋扇色《はんによけいちゆうしうせんのいろ》」という女の悲しい故事の言われてあることも知らない無学さからであったのであろう。悪いものを口にしたと薫はあとで思った。
 尼君のほうから菓子などが運ばれてきた。箱の蓋《ふた》へ楓《かえで》や蔦《つた》の紅葉《もみじ》を敷いてみやびやかに菓子の盛られてある下の紙に、書いてある字が明るい月光で目についたのを、よく読もうと顔を寄せているのが、食欲が急に起こったように他からは見えておかしかった。

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やどり木は色変はりぬる秋なれど昔おぼえて澄める月かな
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 と古風に書かれてある歌の心に、薫は羞恥《しゅうち》を覚え、哀れも感じて、

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里の名も昔ながらに見し人の面《おも》がはりせる閨《ねや》の月かげ
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 返事ともなくこう口ずさんでいたのを、侍従が弁の尼へ伝えたそうである。

東屋 版本说明

底本:「全訳源氏物語 下巻」角川文庫、角川書店
   1972(昭和47)年2月25日改版初版発行
   1995(平成7)年5月30日40版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月10日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:kompass
2004年8月6日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

53 浮舟

[#地から3字上げ]何よりも危ふきものとかねて見し小舟の
[#地から3字上げ]中にみづからを置く     (晶子)

 兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は美しい人をほのかに御覧になったあの秋の夕べのことをどうしてもお忘れになることができなかった。たいした貴族の娘ではないらしかったが婉嬋《えんぜん》とした美貌《びぼう》の人であったと、好色な方であったから、それきり消えるようにいなくなってしまったことを残念でたまらぬように思召《おぼしめ》しては、夫人に対しても、
「何でもない恋の遊戯をしようとするくらいのことにもあなたはよく嫉妬《しっと》する、そんな人とは思わなかったのに」
 こんなふうにお言いになり、怨《うら》みをお洩《も》らしになるおりおり、中の君は苦しくてありのままのことを言ってしまおうとも思わないではなかったが、妻の一人としての待遇はしていないにもせよ軽々しい情人とは思わずに愛して、世間の目にはつかぬようにと宇治へ隠してある妹の姫君のことを、お話ししても宮の御性情ではそのままにしてお置きにはなれまい、女房にでもそうした関係を結びたくおなりになった人の所へは無反省にそうした人の実家へまでもお出かけになるような多情さがおありになるのであるから、これはまして相当に月日もたつ今になっても思い込んでお忘れになれない相手であっては、必ず醜い事件をお起こしになるであろう、ほかから聞いておしまいになればそれはしかたがない、大将のためにも姫君のためにも不幸になるのを知っておいでになっても、それに遠慮のおできになる方ではないから、そうした場合に姫君が他人でない点で、自分は多く恥を覚えることであろう、何にもせよ自分のあやまりから悪いほうへ運命の進む動機は作るまいと反省して、宮の恋に同情はしながらも姫君の現在の境遇を語ろうとしなかった。上手《じょうず》な嘘《うそ》で繕うことはできない性質であったから、表面は良人《おっと》を恨み、深い嫉妬を内に抱いている世間並みの妻に見られているほかはなかった。
 薫《かおる》の大将は恋人を信じて逢《あ》うことにあせりもせず、待ち遠に思うであろうと心苦しく思いやりながらも、行動の人目につきやすい大官になっている身では、何かの名目ができなくては行きにくい宇治の道であった。「恋しくば来ても見よかし千早振る神のいさむる道ならなくに」と抽象的に言われたその道よりもこの道のほうが困難であると言わねばならない。けれどもそのうちに自分は十分にその人をいたわる方法を考えている、宇治へ行って見る時に覚える憂鬱《ゆううつ》を消すためにその人を置いておきたいと思ったのが最初の考えなのであるから、しばらく滞留していてよい口実を作り、近いうちにゆるりとした気持ちで行って逢《あ》おう、そうして当分は隠れた妻としておき、彼女の心にも不安を感じさせないようにしてやり、自分のために非難の声が高く起こらないふうにして妻であることを自然に世間へ認めさせるのがよいであろう、にわかにだれの娘か、いつからというようなことを私議されるのも煩わしく初めの精神と違ってくる、また二条の院の女王《にょおう》に聞かれても、思い出の山荘から、身代わりの人さえ得ればよかったのであるというようにつれて出て、昔をもう念頭に置いていないように見えるのも不本意であると思い、恋しい心をおさえているのも、例の恋に呑気《のんき》な性質だったからであろう。しかし京へ迎える家は用意して、忍んで作らせていた。少し心の暇が少なくなったようであるがなお二条の院の夫人に尽くすことは怠らなかった。これを知っている女房などは不思議にも思うのであったが、世の中というものがようやくわかってきた中の君にはこうした薫の誠意が認識できるようになり、これこそ恋した人を死後までも長く忘れない深い愛の例にもすべき志であると哀れを覚えさせられることも少なくないのであった。世の信望を得ていることも多くて、官位の昇進の目ざましい薫であったから、宮があまりにも真心のない態度をお見せになったりする時には、不運な自分である、姉君の心にきめたままにはなっていないで、陰で多くの煩悶《はんもん》をせねばならぬ妻になっていると、こんなことも思われた。けれども逢って話などをすることはもうあまりできないようになっていた。宇治時代と今とはあまりにも年月が隔たり過ぎ、どんな情誼《じょうぎ》を結んでいる二人であるとも知らぬ人は、身分のない人たちの間では世話になった、世話をしたというくらいのことでいつまでも親しみ合っていて、それが穏当に見える、こうした高い貴族の中では例のないことであるなどと誹謗《ひぼう》するかもしれぬという遠慮もあり、宮が続いてこの交情に疑いを持っておいでになるのが今になっていよいよ煩わしく思われもする心から、自然うとうとしいふうを見せていくようになったのであるが、薫のほうではそれにもかかわらず、好意を持ち続けた。宮も多情な御性質がわざわいして情けなく夫人をお思わせになるようなことも時々はまじるが若君がかわいく成長してくるのを御覧になっては、他の人から自分の子は生まれないかもしれぬと思召し、夫人を尊重あそばすようになり、隔てのない妻としてはだれよりもお愛しになるため、以前よりは少し物思いをすることの少ない日を中の君は送っていた。
 正月の元日の過ぎたあとで宮は二条の院へ来ておいでになって、歳《とし》の一つ加わった若君をそばへ置き愛しておいでになった。午《ひる》ごろであるが、小さい童女が緑の薄様《うすよう》の手紙の大きい形のと、小さい髭籠《ひげかご》を小松につけたのと、また別の立文《たてぶみ》の手紙とを持ち、むぞうさに走って来て夫人の前へそれを置いた。宮が、
「それはどこからよこしたのか」
 とお言いになった。
「宇治から大輔《たゆう》さんの所に差し上げたいと言ってまいりました使いが、うろうろとしているのを見たものですから、いつものように大輔さんがまた奥様へお目にかけるお手紙だろうと思いまして、私、受け取ってまいりました」
 せかせかと早口で申した。
「この籠は金の箔《はく》で塗った籠でございますね、松もほんとうのものらしくできた枝ですわ」
 うれしそうな顔で言うのを御覧になって、宮もお笑いになり、
「では私もどんなによくできているかを見よう」
 と言い、受け取ろうとあそばされたのを、夫人は困ったことと思い、
「手紙だけは大輔の所へ持ってお行き」
 こういう顔が少し赤くなっていたのを宮はお見とがめになり、大将がさりげなくして送って来た文《ふみ》なのであろうか、宇治と言わせて来たのもその人の考えつきそうなことであると、こんな想像をあそばして、手紙を童女から御自身の手へお取りになった。さすがにそれであったならどんなことになろう、夫人はどんなに恥じて苦しがるであろうとお思いになると躊躇《ちゅうちょ》もされるのであって、
「あけて私が読みますよ。恨みますか、あなたは」
 とお言いになると、
「そんなもの、女房どうしで書き合っています平凡な手紙などを御覧になってもおもしろくも何ともないでしょう」
 夫人は騒がぬふうであった。
「じゃあ見よう。女仲間の手紙にはどんなことが書かれてあるものだろう」
 とお言いになり、あけてお見になると、若々しい字で、
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その後お目にかかることもできませんままで年も暮れたのでございました。山里は寂しゅうございます。峰から靄《もや》の離れることもありませんで。
[#ここで字下げ終わり]
 などとある奥に、
[#ここから1字下げ]
これを若君に差し上げます。つまらぬものでございますが。
[#ここで字下げ終わり]
 と書いてある。ことに貴女らしいふうも見えぬ手紙ではあるが、心当たりのおありにならぬために、また立文のほうを御覧になると、いかにも女房らしい字で、
[#ここから1字下げ]
新年になりまして、そちら様はいかがでいらっしゃいますか。御主人様、また皆様がたにもお喜びの多い春かと存じ上げます。ここはごりっぱな風流なお邸《やしき》ですが、お若い方にふさわしい所とは思われません。つれづれな日ばかりをお送りになりますよりは、時々そちら様へお上がりになって、お気をお晴らしになるのがよろしいと存じ上げるのですが、あのめんどうなことの起こりました日のことで恐ろしいように懲りておいでになりまして、あいかわらずめいったふうでおいでになります。若君様へこちらから卯槌《うづち》を差し上げられます。そまつな品ですから奥様の御覧にならぬ時に差し上げてくださいと仰せになりました。
[#ここで字下げ終わり]
 こまごまと、年の初めの縁起も忘れて、主人のことを哀訴している、かたくならしい心も見える手紙を、宮は何度となく読んで御覧になり、怪しく思召して、
「もう言ってもいいでしょう、だれの手紙ですか」
 と夫人へお言いになった。
「以前あの山荘にいました人の娘が、訳があってこのごろあそこにいるということを聞いていました。それでしょう」
 この答えをお聞きになった宮は、普通の二人の女房が同じ階級の者として一人のことの言われてある文章でもないし、めんどうが起こったと書いてあるのは、あの時のことをさして言うに違いないとお悟りになった。卯槌が美しい細工で作られてあるのは、閑暇《ひま》の多い人の仕事と見えた。またぶり[#「またぶり」に傍点]に山橘《やまたちばな》の実を作ってならせてあるのへ付けてあったのは、

[#ここから2字下げ]
まだふりぬものにはあれど君がため深き心にまつとしらなん
[#ここで字下げ終わり]

 こんな平凡な歌であったが、常に心にかかっている人の作であるかもしれぬということで興味をお覚えになった。
「返事を書いてあげなさい。無情じゃありませんか。隠す必要もない手紙を私が見ただけだのに、なぜ機嫌《きげん》を悪くしたのですか、では私はあちらへ行こう」
 こんな言葉を残して宮は夫人の居間から出てお行きになった。中の君は少将などに、
「宮様に見られてしまって、あの人がかわいそうだったね。小さい子が使いから受け取ったのだろうけれど、だれも気がつかなかったのかねえ」
 ひそかにこんなことを言っていた。
「私どもが気がついておりましたなら、どうして持たせて差し上げなどするものでございますか、全体この子はあさはかに出過ぎる子でございます。将来のことは子供の時を見てよく想像されるものですが、おっとりとしています子には見込みがございますけれど」
 などと憎むのを見て、
「まあそんなに言わないでね。子供に腹をたてるものではない」
 と夫人は制した。去年の冬にある人から童女として奉公させた子であるが、顔のきれいなために宮もかわいがっておいでになった。
 御自身の居間のほうへおいでになった宮は、不思議なことでないか、あれからのちも宇治へ行くことを大将はやめないと聞いていたが、そっと泊まる夜もあると人が言った時に、深い恋をした人の面影の残る山荘だからといっても、ああした所に宿泊までするのかと思ったのは、こうした新しい情人を隠していたためなのであろうと、思い合わされることもおありになって、学問のほうの用で自邸でもお使いになる大内記が、薫の家の人によるべのあることをお思い出しになり、居間へお呼びになった。韻塞《いんふたぎ》をされるはずになっていたから、詩集のしかるべきものを選んでここの棚《たな》へ積んでおくことなどをお命じになったあとで、
「右大将が宇治へ行かれることは今でも同じかね。寺をりっぱに作ったそうだね。一度見たいものだ」
 こんな話をおしかけになった。
「たいへんなものでございます。不断の三昧《さんまい》堂などもけっこうな設計でお作らせになったと申すことを聞きました。宇治へおいでになりますことは昨年の秋ごろから以前よりもはげしくなったようでございます。下の者のそっと申しておりますのを聞きますと、愛人を隠しておいておありになるようでございます。かなり大事にしていられる人らしゅうございます。大将のあのへんのあちらこちらの荘園の者が皆仰せで山荘の御用を勤めております。代る代る宿直《とのい》をおさせになったりもするようです。京のお邸《やしき》からも、そっと目だたせずに入り用な物品を山荘へ送らせておいでになります。どんな幸運の人が、しかしながら心細い山荘住まいをさせられておいでになるのだろうと、この話を十二月に聞いたと私に話した者は言いましてございます」
 と大内記は言った。すべてがこれで明らかになったと宮はお喜びになった。
「どういう人と言っていなかったかね、あの山荘にもとからいる尼のめんどうを大将は見てやっていると聞いたが、そのまちがいではないだろうね」
「尼さんは廊の座敷に住んでおります。その方は今度建ちました御殿のほうに、きれいな女房などもたくさん使って、品よく住んでおいでになるようでございます」
「おもしろい話だね、どういうつもりで、どこの婦人をそうして隠しているのだろう。なんといってもあの人のすることは特色があるね、左大臣などはあの人があまりに宗教に傾き過ぎて、山の寺などに夜さえも泊まることをするのは、身分柄軽率な譏《そし》りを受けることだと非難をしておられると聞いたが、実際は信仰のための微行などというものはできるものではない、やはり昔の恋人の家であるから、それに心が惹《ひ》かれて行くのだと私に言う者もあった。それがまた当を得た解釈ではなかったのだね、愛人を隠してあるなどとは驚くね。君はどう思う。だれよりも自分はまじめな人間であると標榜《ひょうぼう》している人が、そんな常識で想像もできぬようなことを仕組んで愛人をそっと持つなどということは」
 と宮はおかしそうにお言いになった。大内記は右大将の家に古くから使っている家司《けいし》の婿であったから秘密な話も耳にはいるのであろう。宮のお心の中では、どんな策を用いてその薫《かおる》の愛人をあの夕べの女であるか、そうでないかと見きわめたらいいであろう、あの大将がそれほどに大事にしておく人はひととおりな美人ではあるまい、またその女が自分の妻とどういう関係で親しいのであろうとお思われになり、薫と心を合わせて夫人があくまで隠そうとしていることがねたましく、いささか不快なことにもお思われになった。
 それ以来|兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は宇治の女のことばかりがお思われになった。宮中の賭弓《のりゆみ》、内宴などが終わるとおひまになって、一月の除目《じもく》などという普通人の夢中になって奔走してまわることには何のかかわりもお持ちにならないのであるから、微行で宇治へ行ってみることをどう実現さすべきであるかとばかり腐心しておいでになった。大内記は除目に得たい官があってどうかして宮の御歓心を得ておこうと夜昼心を使っているころであったのを、宮はまた好意をお見せになって、おそばの用に始終お使いになり、ある時、
「どんな困難なことでも私の言うことに骨を折ってくれるだろうか」
 とお言いだしになった。内記はかしこまって頭を下げていた。
「この間の話の大将の宇治に置いてある人ね、それは以前に私の情人だった女で、ある時から行くえ不明になっているのが、大将に愛されてどこかへ囲われているという話をこの間聞いてね、確かにその人かどうかをほかに分明にする手段はないから、あそこへ行って、ちょっとした隙間《すきま》からのぞくようにして見定めたいと思うのだ。それを少しも人に気《け》どらせないでする方法はどういうふうにすればいいだろう」
 宮はこうお言いになるのであった。めんどうの多い仰せであるとは思うのであるが、
「宇治へおいでになりますのには荒い山越しの路《みち》を行かねばなりませんが、距離にいたせばさほど遠いわけではございません。夕方お出ましになれば夜の十時ごろにはお着きになることができましょう。そして夜明けにお帰りになればよろしいでしょう。人に秘密を悟られますのは供の口から洩《も》れるのが多いのでございますが、それも侍たちの性質などはちょっとわかりかねますから、人選がむずかしいのでございます」
 と申した。
「そうだ。宇治へは昔も一、二度行った経験がある。軽率なことをすると言われることで遠慮がされるのだよ」
 とお言いになりながら返す返すもしてよい行動ではないと自身のお心をおさえようとされたのであるが、もうこんなことまで言っておしまいになったあとではおやめになることができなくなり、お供には昔もよく使いに行き、宇治の山荘の勝手をよく知った者二、三人、それから内記、乳母《めのと》の子で蔵人《くろうど》から五位になった若い男と、特に親しい者だけをお選びになり、大将は今日明日宇治へ行くことはないというころを、薫の家の内部の消息のよくわかる内記に聞いてお置きになってお出かけになる兵部卿の宮であったが、覚えのある路《みち》をおとりになるにつけても昔がお思い出されになり、あやしいまでに何事も打ちあけ合う友情を持ち、自分を伴って恋人の家へ入れてくれたほどの好意を知らず顔に、その人へ済まぬ心を起こして同じ宇治へ行くと、悩ましい気持ちを覚えておいでになった。京の中でも、浮気《うわき》な方とは申せ、極端な微行は経験しておいでにならないのであるが、簡単なお身なりをあそばして、大部分はお馬でおいでになることになっていた。お気持ちも無気味で、恐ろしくさえおありになるのであるが、好奇心の人一倍多い方であったから、山路《やまみち》を深く進んでおいでになったころには、こうして行ってその人を見ることができたらどんなにうれしいであろう、のぞくだけで自分の行ったことを知らせる方法がなかったら物足らぬ気がするであろうとお思いになるとまた胸が鳴った。法性寺のあたりまではお車で、それから馬をお用いになったのである。
 急いでおいでになったため、宮は九時ごろに宇治へお着きになった。内記は山荘の中のことをよく知った右大将家の人から聞いていたので、宿直《とのい》の侍の詰めているほうへは行かずに、葦垣《あしがき》で仕切ってある西の庭のほうへそっとまわって、垣根を少しこわして中へはいった。聞いただけは知っていたが、まだ来たことのない家であって、たよりない気はしながら、人の少ない所であるため、庭をまわり、寝殿の南に面した座敷に灯《ひ》のほのかにともり、そこにそよそよと絹の触れ合う音を聞いて行き、宮へそう申し上げた。
「まだ人は起きているようでございます。ここからいらっしゃいまし」
 と内記は言い、自身の通った路へ宮をお導きして行った。静かに縁側へお上がりになり、格子に隙間《すきま》の見える所へ宮はお寄りになったが、中の伊予簾《いよすだれ》がさらさらと鳴るのもつつましく思召《おぼしめ》された。きれいに新しくされた御殿であるが、さすがに山荘として作られた家であるから、普請《ふしん》が荒くて、戸に穴の隙《すき》などもあったのを、だれが来てのぞくことがあろうと安心してふさがないでおいたものらしい。几帳《きちょう》の垂帛《たれ》を上へ掛けて、それがまた横へ押しやられてあった。灯を明るくともして縫い物をしている女が三、四人いた。美しい童女は糸を縒《よ》っていたが、宮はその顔にお見覚えがあった。あの夕べの灯影《ほかげ》で御覧になった者だったのである。思いなしでそう見えるのかとお疑われにもなったが、また右近とその時に呼ばれていた若い女房も座に見えた。主君である人の、肱《かいな》を枕《まくら》にして灯《ひ》をながめた眼《め》つき、髪のこぼれかかった額つきが貴女《きじょ》らしく艶《えん》で、西の対の夫人によく似ていた。宮のお見つけになった右近は服地に折り目をつけるために身をかがめながら、
「お宅へお帰りになりましたら、早くおもどりになることは容易ではございませんでしょうが、殿様は除目《じもく》にお携わりになったあとで、来月の初めには必ずおいでになりましょうと、昨日の使いも申しておりました。お手紙にはどう書いていらっしったのでございますか」
 と言っていたが、姫君は返辞もせず物思わしいふうをしている。
「おいでになります時にわざとおはずしになったようになりましてもよろしくございません」
 と、また言うと、それと向き合っている女が、
「そう申し上げてお置きになりませんではいけませんね。お詣《まい》りをなさいますことをね。軽々しくそっとお外出をなさいますことも今はもうよろしくないと思います。そしてお詣りが済めばすぐにおもどりなさいまし。ここは心細いお住居《すまい》のようですが、気楽で、のんびりとした日送りに馴《な》れましたから、お宅はかえって旅の宿のような気がして苦しゅうございましょうよ」
 とも言う。また一人が、
「まあ当分はお動きにならずに、殿様の思召しのままここでごしんぼうをしていらっしゃるのがおおようで、お品のいいことではないでしょうか。京へお呼び寄せになりましたあとで穏やかに親御様にもお逢《あ》いあそばすことになさいませよ。まま[#「まま」に傍点]さんが性急《せっかち》ですからね、急にお詣りをおさせしてお宅のほうへもお寄りさせようと、こんなことを独《ひと》りぎめにきめてお宅へ言ってあげたのがよくないと思います。昔の人だって今の人だってもよくしんぼうをして気のゆるやかに持てる人が最後の勝利を占めていると私は思うのですよ」
 こんなことも言っている。
「どうしてまま[#「まま」に傍点]をここまで来させたのでしょう。あちらへ置いて来るべき人をね。老人というものはよけいなことまでも考え出すものだのに」
 右近のにがにがしそうにこう言うのは、乳母というような人の悪口かとも聞こえた。そうだ、差し出者がいたのだったとお思い出しになる宮は夢を見ている気があそばされた。女たちは聞く者が恥ずかしくなるようなことまで言い合って、
「二条の院の奥様はほんとうに御幸福な方ね。左大臣様は権力にまかせて大騒ぎになるのだけれど、若様がお生まれになってからは女王《にょおう》様の御|寵愛《ちょうあい》が図抜けてきたのですもの。まま[#「まま」に傍点]のようなうるさい人がおそばにいないでゆったりと上品に奥様らしく皆がおさせしているのがいい効果を見せたのですよ」
「殿様さえ奥様を深くお愛しになれば、こちらもお劣りになるものですか」
 こんなことの言われた時、姫君は少し起き上がって、
「醜いことは言わないでね。よその人には劣らない人になりたいとか何とか思っても、女王様のことに私などを引き合いに出して言わないでね。もしあちらへ聞こえることがあれば恥ずかしい」
 と言った。どんな血族にあたる人なのであろう、よく似た様子をしているではないかと宮は比べてお思いになるのであった。気品があって艶《えん》なところはあちらがまさっていた。この人はただ可憐《かれん》で、こまごまとしたところに美が満ちているのである。たとえ欠点があっても、あれほど興味を持って捜し当てたいとお希《ねが》いになった人であれば、その人をお見つけになった以上あとへお退《ひ》きになるはずもない御気性であって、まして残る隈《くま》もなく御覧になるのは、まれな美貌《びぼう》の持ち主なのであったから、どんなにもしてこれが自分のものになる工夫《くふう》はないであろうかと無我夢中になっておしまいになった。物詣《ものもう》でに行く前夜であるらしい、親の家というものもあるらしい、今ここでこの人を得ないでまた逢いうる機会は望めない、実行はもう今夜に限られている、どうすればよいかと宮はお思いになりながら、なおじっとのぞいておいでになると、右近が、
「眠くなりましたよ。昨晩はとうとう徹夜をしてしまったのですもの、明日早く起きてもこれだけは縫えましょう。どんなに急いでお迎いが京を出て来ましても、八、九時にはなることでしょうから」
 と言い、皆も縫いさした物をまとめて几帳《きちょう》の上に懸《か》けたりなどして、そのままそこへうたた寝のふうに横たわってしまった。姫君も少し奥のほうへはいって寝た。右近は北側の室へはいって行ったがしばらくして出て来た。そして姫君の閨《ねや》の裾《すそ》のほうで寝た。眠がっていた人たちであったから、皆すぐに寝入った様子を見てお置きになった宮は、そのほかに手段はないことであったから、そっと今まで立っておいでになった前の格子をおたたきになった。右近は聞きつけて、
「だれですか」
 と言った。咳払いをあそばしただけで貴人らしい気配《けはい》を知り、薫《かおる》の来たと思った右近が起きて来た。
「ともかくもこの戸を早く」
 とお言いになると、
「思いがけません時間においでになったものでございますね。もうよほど夜がふけておりましょうのに」
 右近はこう言った。
「どこかへ行かれるのだと仲信《なかのぶ》が言ったので、驚いてすぐに出て来たのだが、よくないことに出あったよ。ともかくも早く」
 声を薫によく似せてお使いになり、低く言っておいでになるのであったから、違った人であることなどは思いも寄らずに格子をあけ放した。
「道でひどい災難にあってね、恥ずかしい姿になっている。灯《ひ》を暗くするように」
 とお言いになったので、右近はあわてて灯を遠くへやってしまった。
「私を人に見せぬようにしてくれ。私が来たと言って、寝ている人を起こさないように」
 賢い方はもとから少し似たお声をすっかり薫と聞こえるようにしてものをお言いになり、寝室へおはいりになった。ひどい災難とお言いになったのはどんな姿にされておしまいになったのであろうと右近は同情して、自身も隠れるようにしながらのぞいて見た。繊細ななよなよとした姿は持っておいでになったし、かんばしいにおいも劣っておいでにならなかった。嘘《うそ》の大将は姫君に近く寄って上着を脱ぎ捨て、良人《おっと》らしく横へ寝たのを見て、
「そこではあまりに端近でございます。いつものお床へ」
 などと右近は言ったのであるが、何とも答えはなかった。上へ夜着を掛けて、仮寝をしていた人たちを起こし、皆少し遠くへさがって寝た。
 薫の従者たちはいつでもすぐに荘園のほうへ行ってしまったので、女房などはあまり顔を知らなんだから、宮のお言葉をそのままに信じて、
「深いお志からの御微行でしたわね。ひどい目におあいになったりあそばしてお気の毒なんですのに、お姫様は事情をご存じないようですね」
 などと賢がっている女もあった。
「静かになさいよ。夜は小声の話ほどよけいに目に立つものですよ」
 こんなふうに仲間に注意もされてそのまま寝てしまった。
 姫君は夜の男が薫でないことを知った。あさましさに驚いたが、相手は声も立てさせない。あの二条の院の秋の夕べに人が集まって来た時でさえ、この人と恋を成り立たせねばならぬと狂おしいほどに思召した方であるから、はげしい愛撫《あいぶ》の力でこの人を意のままにあそばしたことは言うまでもない。初めからこれは闖入《ちんにゅう》者であると知っていたならば今少し抵抗のしかたもあったのであろうが、こうなれば夢であるような気がするばかりの姫君であった。女のやや落ち着いたのを御覧になって、あの秋の夕べの恨めしかったこと、それ以来今日まで狂おしくあこがれていたことなどをお告げになることによって、兵部卿《ひょうぶきょう》の宮でおありになることを姫君は知った。いよいよ羞恥《しゅうち》を覚えて、姉の女王がどうお思いになるであろうと思うともうどうしようもなくなった人はひどく泣いた。宮も今後会見することは不可能であろうと思召《おぼしめ》されるためにお泣きになるのであった。
 夜はずんずんと明けていく。お供の人たちが注意を申し上げるように咳払いなどをする。右近がそれを聞いて用をするためにおいでになる所の近くへ来た。宮は別れて出てお行きになるお気持ちにはなれず、どこまでもお心の惹《ひ》かれるのをお覚えになったが、そうかといってこのままでおいでになることもおできにならないことであった。京で捜されまわるようなことはあっても、今日だけはここに隠れていよう、世間をはばかるということもよく生きようがためである、自分は今別れて行けば死ぬことになるとお心をおきめになった宮は、右近を近くへお呼びになって、
「思いやりのないことと思うだろうが、今日は帰りたくない。従者らはここに近いどこかでよく人目を避けて時間を送るように。それから時方《ときかた》は京へ行って山寺へ忍んで参籠《さんろう》していると上手《じょうず》にとりなしをしておけと言ってくれるがいい」
 と仰せられた。右近はあさましさにあきれて、何の気なしに大将であると思い、戸をあけてお入れした昨夜の過失を思うと、気も失うばかりになったが、しいて冷静になろうとした。もう今になってはどんなに騒ぎ立てても効《かい》のないことであって、しかも御身分に対して失礼である。あの二条の院の短い時間にさえ深い御執心をあそばすふうの見えたのも、こんなにならねばならぬ二人の宿縁というものであろう、人間のした過失とは言えないことであるとみずから慰めて、
「今日は御自宅のほうからお迎いの車がまいることになっておりますのに、姫君はどうあそばすおつもりでいらっしゃるのでございましょう。こういたしました運命の現われにつきましては、私らが何を申すことができましょう。ただこの場合がよろしくございません。今日はお帰りあそばしまして、お志がございましたなら、また別なよい日をお待ちくださいまし」
 と申し上げた。世なれたふうに言うものであると思召して、
「自分は長い物思いに頭がぼけているから、人がどんな非難をしてもかまわぬ気になっている。どうしても別れて帰れないのだ。少しでも自重心が残っていれば自分のような身分の者が、これはできることと思うか。どこかへ行く迎えの車が来た時には急に謹慎日になったとでも言えばいいではないか。秘密はだれのためにも護《まも》らなければならないと考えてくれ。それよりほかのことは皆自分にできないことなのだよ」
 こうお言いになり。この相手から覚えさせられる愛着の強さをみずからお悟りになる宮は、非難も正義も皆お忘れになった。
 右近がお帰りを促している人らのほうへ出て行き、宮はこうこうお言いになると言い、
「そんなことはおよろしくないことですということをあなたがたからまた申し上げてみてください。こうした無理なことを最初仰せになりました時に、あなたがたがそれをお諫《いさ》めにならなかったとはどうしたことでしょう。愚かしくどうしてお言葉どおりに御案内しておいでになったのでしょう。途中でもここでも失礼なことを申し上げる人間が出て来ましたらどんなことになったでしょう」
 とたしなめた。内記は予想したとおりに事態がめんどうになったと思いながら立っていた。
「時方とおっしゃるのはどなたですか」
「私です」
 大内記時方は笑いながら、
「ひどいお叱《しか》りですから恐ろしくて、私でないと言って逃げ出そうかと思いました。それは冗談《じょうだん》ですが、まじめに申し上げれば、あまりにも恋いこがれておいでになりますお気の毒な宮様をお見上げしては、だれだって自身のことなどはどうなってもいいという気になりますよ。宮様のお言いつけはよくわかりました。宿直《とのい》の人も皆起きましたから」
 と言い、すぐに去って行った。右近は宮がとどまっておいでになるのをどう取り繕えばいいだろうと苦しんだ。起き出して来た女房たちに、
「殿様は理由《わけ》があって、今日は絶対にお姿をだれにもお見せになりたくない思召しなんですよ。途中で災難におあいになったらしい。お召し物などを今夜になってからそっとお届けさせるようにお供へお命じになるお取り次ぎを今私はしましたよ」
 などと言った。女房の一人が、
「まあこわいこと。木幡《こばた》山という所はそんな所ですってね。いつものように先払いもさせずにお忍びでお出かけになったからですよ。たいへんなことだったのですね。お気の毒な」
 と言うのを、
「まあ静かにお言いなさいよ。ここの下の侍衆が聞けば、それからまたどんなことを起こすかしれませんから」
 こうまた言う右近の心の中では嘘《うそ》を語るのが恐ろしかった。あやにくにこんな時に大将からの使いが来たなら、家の中の人へどうまた自分は言うべきであろうと右近は思い、初瀬《はせ》の観音様、今日一日が無事で過ぎますようにと大願を立てた。石山寺へ参詣《さんけい》させようとして母の夫人から迎えがよこされることになっている日なのである。右近をはじめ供をして行く者は前日から精進潔斎《しょうじんけっさい》をしていたので、
「では今日はおいでになれなくなったのですわね。残念なことですね」
 とも言っていた。
 八時ごろになって格子などを上げ、右近が姫君の居間の用を一人で勤めた。その室の御簾《みす》を皆下げて、物忌《ものいみ》と書いた紙をつけたりした。母夫人自身も迎えに出て来るかと思い、姫君が悪夢を見て、そのために謹慎をしているとその時には言わせるつもりであった。
 寝室へ二人分の洗面盥《せんめんだらい》の運ばれたというのは普通のことであるが、宮はそんな物にも嫉妬《しっと》をお覚えになった。薫が来て、こうした朝の寝起きにこの手盥で顔を洗うのであろうとお思いになるとにわかに不快におなりになり、
「あなたがお洗いになったあとの水で私は洗おう。こちらのは使いたくない」
 とお言いになった。今まで感情をおさえて冷静なふうを作る薫に馴《な》れていた姫君は、しばらくでもいっしょにいることができねば死ぬであろうと激情をおおわずお見せになる宮を、熱愛するというのはこんなことを言うのであろうと思うのであったが、奇怪な運命を負った自分である、このあやまちが外へ知れた時、どんなふうに思われる自分であろうとまず第一に宮の夫人が不快に思うであろうことを悲しんでいる時、恋人が何人《なにびと》の娘であるのかおわかりにならぬ宮が、
「あなたがだれの子であるかを私の知らないことは返す返すも遺憾だ。ねえ、ありのままに言っておしまいなさいよ。悪い家であってもそんなことで私の愛が動揺するものでも何でもない。いよいよ愛するようになるでしょう」
 とお言いになり、しいて訊《き》こうとあそばすのに対しては絶対に口をつぐんでいる姫君が、そのほかのことでは美しい口ぶりで愛嬌《あいきょう》のある返辞などもして、愛を受け入れたふうの見えるのを宮は限りなく可憐《かれん》にお思いになった。
 九時ごろに石山行きの迎えの人たちが山荘へ着いた。車を二台持って来たのであって、例の東国の荒武者が、七、八人、多くの僕《しもべ》を従えていた。下品な様子でがやがやと話しながら門をはいって来たのを、女房らは片腹痛がり、見えぬ所へはいっているように言ってやりなどしていた。右近はどうすればいいことであろう、殿様が来ておいでになると言っても、あれほどの大官が京から離れていることはだれの耳にもはいっていることであろうからと思い、他の女房と相談することもせず手紙を常陸《ひたち》夫人へ書くのであった。
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昨夜からお穢《けが》れのことが起こりまして、お詣《まい》りがおできになれなくなりましたことで残念に思召《おぼしめ》すのでございましたが、その上昨晩は悪いお夢を御覧になりましたそうですから、せめて今日一日を謹慎日になさいませと申しあげましたのでお引きこもりになっておられます。返す返すお詣りのやまりましたことを私どもも残り惜しく思っております。何かの暗示でこれはあるいは実行あそばさないほうがよいのかとも存ぜられます。
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 これが済んでから右近は常陸家の人々に食事をさせたりした。弁の尼のほうにもにわかに物忌《ものいみ》になって出かけぬということを言ってやった。
 平生はつれづれで退屈で、かすんだ山ぎわの空ばかりをながめて時のたつのをもどかしがる姫君であるが、時のたち日の暮れていくのを真底からわびしがっておいでになる方のお気持ちが反映して、はかなく日の暮れてしまった気もした。ただ二人きりでおいでになって、春の一日の間見ても飽かぬ恋人を宮はながめてお暮らしになったのである。欠点と思われるところはどこにもない愛嬌《あいきょう》の多い美貌《びぼう》で女はあった。そうは言っても二条の院の女王には劣っているのである。まして派手《はで》な盛りの花のような六条の夫人に比べてよいほどの容貌ではないが、たぐいもない熱情で愛しておいでになるお心から、まだ過去にも現在にも見たことのないような美人であると宮は思召した。姫君はまた清楚《せいそ》な風采《ふうさい》の大将を良人《おっと》にして、これ以上の美男はこの世にないであろうと信じていたのが、どこもどこもきれいでおありになる宮は、その人にまさった美貌の方であると思うようになった。
 硯《すずり》を引き寄せて宮は紙へ無駄《むだ》書きをいろいろとあそばし、上手《じょうず》な絵などを描《か》いてお見せになったりするため、若い心はそのほうへ多く傾いていきそうであった。
「逢いに来たくても私の来られない間はこれを見ていらっしゃいよ」
 とお言いになり、美しい男と女のいっしょにいる絵をお描《か》きになって、
「いつもこうしていたい」
 とお言いになると同時に涙をおこぼしになった。

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「長き世をたのめてもなほ悲しきはただ明日知らぬ命なりけり
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 こんなにまであなたが恋しいことから前途が不安に思われてなりませんよ。意志のとおりの行動ができないで、どうして来ようかと苦心を重ねる間に死んでしまいそうな気がします。あの冷淡だったあなたをそのままにしておかずに、どうして捜し出して再会を遂げたのだろう、かえって苦しくなるばかりだったのに」
 女は宮が墨をつけてお渡しになった筆で、

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心をば歎かざらまし命のみ定めなき世と思はましかば
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 と書いた。自分の恋の変わることを恐れる心があるらしいと、宮はこれを御覧になっていよいよ可憐にお思われになった。
「どんな人の変わりやすかったのに懲りたのですか」
 などとほほえんでお言いになり、薫《かおる》がいつからここへ伴って来たのかと、その時を聞き出そうとあそばすのを女は苦しがって、
「私の申せませんことをなぜそんなにしつこくお訊《き》きになりますの」
 と恨みを言うのも若々しく見えた。そのうちわかることであろうと思召しながら、直接今この人に言わせて見たいお気持ちになっておいでになるのであった。
 夜になってから京へいったんお帰しになった時方《ときかた》が来て右近に面会した。
「中宮《ちゅうぐう》様からもお使いがまいっておりました。左大臣も機嫌《きげん》を悪くなさいまして、だれにもお行き先をお言いにならぬような微行をなさるのは軽率で、無礼者にどこでお逢いになるかもしれぬことになって、お上《かみ》の耳にはいれば自分の落ち度になるからとやかましくおっしゃいました。東山にえらい上人《しょうにん》があるという話をお聞きになって逢いにおいでになったのですと、私は披露《ひろう》しておきました」
 こう宮へ取り次がせることを述べたあとで、
「女の方は罪の深いものですね。私のようなきまじめな者さえその圏内へお引き入れになって作り事までお言わせになりますからね」
 と時方は右近へ言った。
「上人にしてお置きになったのはよろしゅうございましたわね、あなたの嘘《うそ》の罪もそれで消滅することになるでしょう。ほんとうに意外なことを意外な時に宮様はお思いつきになったものでございますわね。前からおいでになりたいという思召しを洩《も》らしてお置きくださいましたら、もったいない方でいらっしゃるのですもの、どうにかいい取り計らいようもありましたのに、御思案の足らない御行動でございましたわね」
 右近は礼儀としての好意を表して言った。そして居間のほうへ行き、聞いたとおりを宮へ申し上げた。中宮の御心配あそばされること、左大臣の言葉も道理にお思われになり、姫君へ、
「私は窮屈そのもののような身の上がわびしくてならない。軽い殿上役人級の地位にしばらく置いてほしい。これからどうすればいいのでしょう。このうるさいことをはばかって出て来ないでおられる私とは思われない。大将も聞けばどんなに感情を害することだろう。濃い親戚《しんせき》関係とはいうものの不思議なくらい少年時代から仲よくつきあってきた人に、こうした秘密が知れれば恥ずかしいことだろうと思う。それからまた男は身勝手で自己の不誠意は棚《たな》へ上げて女の変心したのを責めるものだというから、自身の愛の足りなかったことは反省せずに、あなたが恨まれることになりはしないかということまで心配されますよ。夢にも人に知られないようにして、ここでない所へあなたをつれて行ってしまおうと私は考えていますよ」
 とお言いになった。
 次の日もとどまっておいでになることはできなかったから、帰ろうとあそばすのであったが、魂は恋人の袖《そで》の中にとどめてお置きになるように見えた。せめて明るくならぬうちにとお供の人たちは咳《せき》払いをしてお促しするのであった。
 妻戸の所へ女をいっしょにつれておいでになって、さてそこから別れてお行きになることがおできにならない。
 
[#ここから2字下げ]
世に知らず惑ふべきかな先に立つ涙も道をかきくらしつつ
[#ここで字下げ終わり]

 女も限りなく別れを悲しんだ。

[#ここから2字下げ]
涙をもほどなき袖《そで》にせきかねていかに別れをとどむべき身ぞ
[#ここで字下げ終わり]

 風の音も荒くなっていた霜の深い暁に、衣服さえも冷やかな触感を与えるとお覚えになり、宮は馬へお乗りになったものの、何度となく引き返したくおなりになったのを、お供の人がしいて冷酷に心を持ちお馬を急がせてまた歩ませたために、お心でもなく山荘を後ろにあそばすことになった。時方ともう一人の五位が馬の口を取っていたのである。けわしい所を越えてから自身らも馬に乗った。宇治川の汀《みぎわ》の氷を踏み鳴らす馬の足音すらも宮のお心を悲しませた。昔もこの道だけで山踏みをした自分である、不思議な因縁の続く宇治の道ではないかと思召《おぼしめ》した。
 二条の院へお帰りになった兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は、恋人のありかについて夫人があくまでも沈黙を守り続けたのは同情のないことであったとお恨めしくお思われになる心から、御自身の居間のほうへおはいりになりお寝《やす》みになったが、お寝つきになれなかったし、お寂しくはあったし、お物思いがつのるばかりであるため、結局夫人の所へおいでになることになった。
 何も知らぬふうで中の君はきれいな顔をしていた。まれな美女であると御覧になった人よりもこれはまた一段まさった容姿であるとお認めになりながら、夫人の顔からよく似ていた恋人がお思い出されになった刹那《せつな》に胸のふさがれた気があそばすのであったから、深く物思いのある御様子で帳台へはいってお寝みになろうとした。
 伴ってお行きになった中の君に、
「私は身体《からだ》のぐあいが非常に悪い。これでだめになってしまうのではないかと心細いのですよ。私は非常にあなたを愛して死んで行っても、死んだあとであなたの心はすぐに変わってしまい、他の人を愛するようになるのでしょう。人間の一念というものはいつか成就するものだから、あの人だってそうだ。願いのかなう日があるに違いない」
 とお言いになった。こんな奇怪なことを至極まじめにお言いになるではないかと中の君は思い、
「こうした醜い疑いを持っておいでになることを大将がお聞きになれば、何か中傷をしたかと私の思われますのがあさましゅうございます。薄幸な私はただいじめるために言っていらっしゃることでも重大なことのように苦しみます」
 と言って、夫人はあちらへ顔を向けた。宮も真剣なふうにおなりになって、
「いじめるためなどでなく、真底からあなたを恨んでいることが私にあったらどうしますか。私はあなたのために決して薄情な良人《おっと》でなかったはずだ。珍しいとまで世間で言われているくらいですよ。それだのに、あなたはあの人ほどに私を愛していてくれない。それも宿縁によることだろうとは思うけれど、私に正直なことを言ってくれない点が恨めしくてならない」
 と言っておいでになりながら、その宿縁が並み並みでなかったから思う人に再会することができたとお思われになることで涙ぐまれたもう宮であった。いつものように冗談《じょうだん》混じりのことでなく、どこまでもまじめでおありになるのが気の毒で、どんな噂《うわさ》をお聞きになったのであろうと驚かれる夫人は、返辞もできなくなってしまった。初めがあんなことであった自分は良人《おっと》の尊敬に値せぬように思われているのであろう、姉の女王《にょおう》への恋のために常識も失うばかりであった人が、導いて結ばせた縁であって、自分はまた姉の死後にまで持たれる誠意に好感を持つようになったことが原因で、愛を失った妻になったのであろうと過去のことも思われて、いろいろなことが皆悲しくて心をめいらせている中の君はいよいよ可憐《かれん》な人に見えた。
 あの恋人を発見したとはなおしばらくの間知らせずにおこうとお思いになるために、ほかのことに思わせて宮は怨言《えんげん》を洩《も》らしておいでになるのを、中の君はただ薫《かおる》のことでまじめに恨みを告げておいでになるものと思い込み、だれが嘘《うそ》をほんとうらしく言ったのであろうなどと思っていて、無根のことは無根のことであると宮のお認めにならぬ間は、妻としていっしょにいることも恥ずかしいと考えられた。
 御所から中宮のお手紙の使いがまいったと申し上げられた時に、驚いてお起きになった宮は、まだ解けないお気持ちのままで御自身の室のほうへ行っておしまいになった。
 お手紙の内容は昨日お逢いになれなかったことで御心配をあそばしたことが言われてあるのであった。
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気分がよろしければおいでなさい。久しくお逢いしないでいるのですから。
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 などと言うものであったから、御心配をおさせ申すのは苦しいと思召しながら、実際病気らしい御気分であったためその日は参内されなかった。高官たちが幾人も伺候したが皆|御簾《みす》の外へまでお来させになっただけであった。
 夕方に源大将が出て来た。こちらへとお言いになって、御自身のそばへこの時はお迎えになった。
「御病気でいらせられますそうで、中宮様もお逢いあそばせないのを寂しく思召すふうでございました。どんな御症状ですか」
 と薫はお尋ねした。顔を御覧になった時から胸騒ぎのひどくなったため、言葉少なに宮は相手をしておいでになった。僧がかった人とはいいながらも、人間的な感情を人の学びがたいまでにも殺している男ではないか。あれほど可憐な人に寂しい山荘住まいをさせ、日々待ち暮らさせているようなこともこの人にはできるのであるなどと宮はお思いになり、平生はそんな話でない時にさえ、まじめ男であることを薫は標榜《ひょうぼう》しているが、こんなことがあるではないかなどと微細なことまでもあげてお責めになる宮でおありになったから、宇治の人を発見された以上は、どんなにそれでおからかいになるかもしれないのに、今日は冗談《じょうだん》も口へお出しになることはなくて、苦しい御様子が見えるため、
「困ったことでございますね。たいしてお悪いのではなくて、しかも同じような容体の続きますのは悪い兆候でございます。風邪《かぜ》をまずお癒《なお》しになる必要がございますよ」
 などとまじめに見舞いを言いおいて薫は帰った。上品な男である、あの人と自分をどんなふうにあの恋人は比較して見ることだろうなどと、何事も宇治の人を離れては思うことのおできにならない心に宮はなっておいでになった。
 宇治の山荘の人たちは石山|詣《まい》りも中止になってつれづれを覚えていた。宮からのお手紙はあらんかぎりの熱情を盛って長くお書きになったのが行った。それを送ることにすら苦心はいったのである。時方《ときかた》と呼ばれていたあの五位の家来で、何も知らぬ侍を選んでその使いはさせた。右近を以前知っていた人が大将の供をして行って、話などをした時から、またしきりに好意を運んでくるのであると右近は他の朋輩《ほうばい》に言っていた。際限なく嘘《うそ》を言わねばならぬ右近になっているのである。
 二月になった。逢いたいとこがれ続けておいでになる宮でおありになるが宇治へお出かけになることは困難であった。こう煩悶《はんもん》ばかりをしていては若死にするほかはあるまいと命の心細さまでもそれに添えてお歎かれになった。
 薫は公務の少しひまになったころ例のように微行で宇治へ出かけた。寺へ行き仏に謁し、誦経《ずきょう》をさせ、僧へ物を与えなどして夕方から山荘へはいった。微行とはいっても、これはしいて人目を避ける必要もないわけで、相当に従者は率いて狩衣《かりぎぬ》姿ではなく、烏帽子直衣《えぼしのうし》姿ではいって来た時から、洗練された気品はあたりを圧した。姫君は罪を犯した身で薫を迎えることが苦しく天地に恥じられて恐ろしいにもかかわらず、不条理な恋を持って接近しておいでになった人のことが忘れられない心もあって、またこの人に貞操な女らしくして逢うことが非常に情けなかった。自分は今まで愛していた人への情けも皆捨てるほかはない気がすると宮はお語りになったのであったが、そのお言葉どおりに御病気に託してどちらの夫人の所へもおいでになることはなくて、おそばで始終修法ばかりを行なわせておいでになるというそうであるのに、自分が大将と夫婦らしくしていたということをお聞きになればどんなふうにお憎みになるであろうと思われるのも苦しかった。薫はまた別箇の存在と見えて優美なふうで、ながく来られなかった言いわけなどをするにも多くの言葉は用いない。恋しい悲しいとひたひたと迫って言うことはないが、常に逢いがたい人に持つ恋の苦しさを品よく言う効果は、誇張された多くの言葉がもたらすそれにまさって、心を惹《ひ》く力は強く、女の愛は自然に得られる風格が備わっていた、恋の相手に艶《えん》な趣を覚えしめることよりも、行く末長く信頼のできる人柄である点で、今一人よりはるかにまさっていた。自分が意外な恋をしていることをこの人が知れば、真心からどんなに歎くことであろう、狂おしいようにも自分を熱愛する人に自分も愛は覚えるが、それはまじめな人間の心とは言えない、軽佻《けいちょう》至極なことである、この人にうとまれ、捨てられてしまった時は、どんなに深い傷手《いたで》を心に受けることであろうなどと煩悶をしている様子も、薫の目にはしばらくのうちにめざましく心の成長した跡と見える。つれづれな山荘の生活をしていれば、ありとあらゆる物思いは皆覚えるはずであるからとかわいそうであるため、平生よりも熱心に語り慰めるのであった。
「新築させている家がどうやら形にはなりましたよ。この間見に行ったのですが、ここよりは水のある場所に近くて、桜なども相当にあります。三条の宮とも距離は遠くないのです。そこへ来れば毎日でも逢えないことはないのですから、この春のうちに都合さえよければあなたを移そうと思う」
 と薫の言うのを聞いていて、隠れてのどかに住む家の用意をさせているとは昨日《きのう》の宮のお手紙に書かれてあったことである、大将がこうもきめているのをお知りにならずに今もそんなことを考えておいでになるのかと哀れに思われない姫君ではないが、たとえそうであってもこの人からのがれて宮のほうへ行くようなことはなすべきでないと思うとまた面影に宮のお顔が見える。自分ながらも悪い心である、こんな心を持たせるようにされたのは恨めしい宮様であるとそれからそれへと思い続けて姫君は泣き出した。
「あなたがこんなふうでなくおおようだったら、私も心配がなくておられたのですよ。だれか中傷をした者でもあったのですか、少しでもあなたをおろそかに思っていれば、こんなにして逢いに来られる私の身分でも道程《みちのり》でもないのに」
 などと薫は言い、月初めの夕月夜に少し縁へ近い所へ出て横になりながら二人は外を見ていた。薫は昔の人を思い、女は新しい物思いになった恋に苦しみ、双方とも離れ離れのことを考えていた。山のほうは霞がぼんやりと隠していて、寒い洲崎《すさき》のほうに鷺《さぎ》の立っている姿があたりの景によき調和を見せてい、はるばると長い宇治橋が向こうにはかかり、柴船《しばぶね》が川の上の所々を行きちがって通るのも他と違った感傷的な風景であったから、見るたびに昔のことが今のような気がして、この姫君ほどの人でない女にもせよ、いっしょにおれば憐《あわれ》みはわいてくるであろうと思われるのに、まして恋しい人に似たところが多く、かわりとして見てもそう格段な価値の相違もない人が、ようやく思想も成熟してき、都なれていく様子の美しさも時とともに加わる人であるからと薫は満足感に似たものを覚えて相手を見ていたが、女はいろいろな煩悶のために、ともすれば涙のこぼれる様子であるのを大将はなだめかねていた。

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「宇治橋の長き契りは朽ちせじをあやぶむ方に心騒ぐな
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 そのうち私の愛を理解できますよ」
 と言った。

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絶え間のみ世には危ふき宇治橋を朽ちせぬものとなほたのめとや
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 と女は言う。
 今まで来て逢っていた時よりも別れて行くのがつらく、少しの時間でも多くそばにいたい気のする薫であったが、世間はいろいろな批評をしたがるものであるから、今まで事もなく隠すことのできた愛人との間のことが、今になって暴露することになってはまずい、よい時節に公表もできるのを待とうと思い夜明けに帰った。
 感情の豊かに備わった女になったと薫は宇治の人のことを思い、哀れに思い出されることは以前に倍した。
 二月の十日に宮中で詩会があって、兵部卿《ひょうぶきょう》の宮もお出になり、右大将もまいった。この季節によくかなった音楽の感じは皆よくて、兵部卿の宮の御美声は人に深い感銘をお与えになるものであって、曲は梅が枝を歌われたのである。何事にも天才を持っておいでになる方であったが、よこしまな恋に心を打ち込んでおいでになるだけは罪の深いことである。
 にわかに雪が大降りになって、風もはげしく出てきたので、音楽遊びは予定より早く終わりを告げた。兵部卿の宮の宿直所《とのいどころ》に今日の参会者たちは集まって行き夜の食事をいただいたりしていた。右大将は部下の者か何かに命じることがあって少し縁側に近い所へ出ていたが、やや深く積もった雪が星の光にほのめいている夜であって「春の夜の闇《やみ》はあやなし梅の花色こそ見えね香《か》やはかくるる」薫《かおる》の身からこんな気が放たれるような時「衣かたしきこよひもや」(われを待つらん宇治の橋姫)と口ずさんでいるのがしめやかな世界へ人を誘う力があった。宇治の橋姫を言っているではないかと、さっきから転寝《うたたね》をしておいでになった宮のお心は騒いだ。深く愛していないことはないらしい、橋姫の一人臥《ひとりね》の袖《そで》を自分だけの思いやるものとしていたが、同じ思いを運ぶ人もあるのかと身に沁《し》んでお思いになった。わびしいことである、これほどりっぱな男を持っている女が、自分のほうへ多く好意をもってくれようとは信じられないと、ねたましくもまた思召《おぼしめ》された。
 雪が高く積もったこの翌朝、御前へ創作の詩を御持参になる宮のお姿は、今が美しい真盛りの方と見えた。右大将も同じ年ごろであった。二つ三つ上ではないかと思われるところにまた完《まった》いような美があって、わざと作り出した若い貴人の手本かとも思われる。帝《みかど》の御婿としてこれほどふさわしい人はないと世人も大将のことを言っていた。学才も高く、政治家としての素養に欠けたところもない人であった。
 各人の詩がどれも講じられ参会者は皆退散した。兵部卿の宮の詩が、ことに傑作であったと人々の賞讃《しょうさん》するのも宮にはうれしいことともお思われにならない。詩作などがどんな気でできたのであろうとぼんやりしておいでになるのである。薫に宇治の人を思うふうの見えたことで驚かされたようにも思っておいでになるのであったから、無理な策をあそばして宇治へお出かけになることになった。
 京の中ではあとから来る仲間を待っているほどに消え残った雪も、山路に深くおはいりになるにしたがって厚く積もっているのに気がおつきになった。平生以上に見わけがたい細路をおいでになるのであったから、供の人たちも泣き出さんばかりに恐ろしがっていて、山賊の出ることなどをあやぶんでいた。案内役の内記は式部|少輔《しょうゆう》を兼任する官吏であった。二つとも隆《りゅう》とした文事の役であるのが、しなれたように袴《はかま》を高くくくり上げたりしてお付きして行くのもおかしかった。
 山荘では宮のほうから出向くからというおしらせを受けていたが、こうした深い雪にそれは御実行あそばせないことと思って気を許していると、夜がふけてから、右近を呼び出して従者が宮のおいでになったことを伝えた。うれしいお志であると姫君は感激を覚えていた。右近はこんなことが続出して、行く末はどうおなりになるかと姫君のために苦しくも思うのであるが、こうした夜によくもと思う心はこの人にもあった。お断わりのしようもないとして、自身と同じように姫君から睦《むつ》まじく思われている若い女房で、少し頭のよい人を一人相談相手にしようとした。
「少しめんどうな問題なのですが、その秘密を私といっしょに姫君のために隠すことに骨を折ってくださいな」
 と言ったのであった。そして二人で宮を姫君の所へ御案内した。途中で濡れておいでになった宮のお衣服から立つ高いにおいに困るわけであったが、大将のにおいのように紛らわせた。
 夜のうちにお帰りになることは、逢いえぬ悲しさに別れの苦しさを加えるだけのものになるであろうからと思召した宮は、この家にとどまっておいでになる窮屈さもまたおつらくて、時方《ときかた》に計らわせて、川向いのある家へ恋人を伴って行く用意をさせるために先へそのほうへおやりになった内記が夜ふけになってから山荘へ来た。
「すべて整いましてございます」
 と時方は取り次がせた。にわかに何事を起こそうとあそばすのであろうと右近の心は騒いで、不意に眠りからさまされたのでもあったから身体がふるえてならなかった。子供が雪遊びをしているようにわなわなとふるえていた。どうしてそんなことをと異議をお言わせになるひまもお与えにならず宮は姫君を抱いて外へお出になった。右近はあとを繕うために残り、侍従に供をさせて出した。はかないあぶなっかしいものであると山荘の人が毎日ながめていた小舟へ宮は姫君をお乗せになり、船が岸を離れた時にははるかにも知らぬ世界へ伴って行かれる気のした姫君は、心細さに堅くお胸へすがっているのも可憐に宮は思召された。有明《ありあけ》の月が澄んだ空にかかり、水面も曇りなく明るかった。
「これが橘《たちばな》の小嶋でございます」
 と言い、船のしばらくとどめられた所を御覧になると、大きい岩のような形に見えて常磐木《ときわぎ》のおもしろい姿に繁茂した嶋が倒影もつくっていた。
「あれを御覧なさい。川の中にあってはかなくは見えますが千年の命のある緑が深いではありませんか」
 とお言いになり、

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年|経《ふ》とも変はらんものか橘の小嶋の崎《さき》に契るこころは
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 とお告げになった。女も珍しい楽しい路《みち》のような気がして、

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橘の小嶋は色も変はらじをこの浮舟ぞ行くへ知られぬ
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 こんなお返辞をした。月夜の美と恋人の艶《えん》な容姿が添って、宇治川にこんな趣があったかと宮は恍惚《こうこつ》としておいでになった。
 対岸に着いた時、船からお上がりになるのに、浮舟《うきふね》の姫君を人に抱かせることは心苦しくて、宮が御自身でおかかえになり、そしてまた人が横から宮のお身体《からだ》をささえて行くのであった。見苦しいことをあそばすものである、何人《なにびと》をこれほどにも大騒ぎあそばすのであろうと従者たちはながめた。
 時方の叔父《おじ》の因幡守《いなばのかみ》をしている人の荘園の中に小さい別荘ができていて、それを宮はお用いになるのである。まだよく家の中の装飾などもととのっていず、網代屏風《あじろびょうぶ》などという宮はお目にもあそばしたことのないような荒々しい物が立ててある。風を特に防ぐ用をするとも思われない。垣《かき》のあたりにはむら消えの雪がたまり、今もまた空が曇ってきて小降りに降る雪もある。そのうち日が雲から出て軒の垂氷《つらら》の受ける朝の光とともに人の容貌《ようぼう》も皆ひときわ美しくなったように見えた。宮は人目をお避けになるために軽装のお狩衣姿であった。浮舟の姫君の着ていた上着は抱いておいでになる時お脱がせになったので、繊細《きゃしゃ》な身体つきが見えて美しかった。自分は繕いようもないこんな姿で、高雅なまぶしいほどの人と向かい合っているのではないかと浮舟は思うのであるが、隠れようもなかった。少し着|馴《な》らした白い衣服を五枚ばかり重ねているだけであるが、袖口から裾のあたりまで全体が優美に見えた。いろいろな服を多く重ねた人よりも上手《じょうず》に着こなしていた。宮は御妻妾でもこれほど略装になっているのはお見馴れにならないことであったから、こんなことさえも感じよく美しいとばかりお思われになった。侍従もきれいな若女房であった。右近だけでなくこの人にまで自分の秘密を残りなく見られることになったのを浮舟は苦しく思った。宮も右近のほかのこの女房のことを、
「何という名かね。自分のことを言うなよ」
 と仰せられた。侍従はこれを身に余る喜びとした。別荘|守《もり》の男から主人と思って大事がられるために、時方は宮のお座敷には遣戸《やりど》一重隔てた室《ま》で得意にふるまっていた。声を縮めるようにしてかしこまって話す男に、時方は宮への御遠慮で返辞もよくすることができず心で滑稽《こっけい》のことだと思っていた。
「恐ろしいような占いを出されたので、京を出て来てここで謹慎をしているのだから、だれも来させてはならないよ」
 と内記は命じていた。
 だれも来ぬ所で宮はお気楽に浮舟と時をお過ごしになった。この間大将が来た時にもこうしたふうにして逢ったのであろうとお思いになり、宮は恨みごとをいろいろと仰せられた。夫人の女二《にょに》の宮《みや》を大将がどんなに尊重して暮らしているかというようなこともお聞かせになった。宇治の橋姫を思いやった口ずさみはお伝えにならぬのも利己的だと申さねばならない。時方がお手水《ちょうず》や菓子などを取り次いで持って来るのを御覧になり、
「大事にされているお客の旦那《だんな》。ここへ来るのを見られるな」
 と宮はお言いになった。侍従は若い色めかしい心から、こうした日をおもしろく思い、内記と話をばかりしていた。浮舟の姫君は雪の深く積もった中から自身の住居《すまい》のほうを望むと、霧の絶え間絶え間から木立ちのほうばかりが見えた。鏡をかけたようにきらきらと夕日に輝いている山をさして、昨夜の苦しい路《みち》のことを誇張も加えて宮が語っておいでになった。
 
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峰の雪|汀《みぎは》の氷踏み分けて君にぞ惑ふ道にまどはず
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「木幡《こばた》の里に馬はあれど」(かちよりぞ来る君を思ひかね)などと、別荘に備えられてあるそまつな硯《すずり》などをお出させになり、無駄《むだ》書きを宮はしておいでになった。

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降り乱れ汀《みぎは》に凍《こほ》る雪よりも中空《なかぞら》にてぞわれは消《け》ぬべき
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 とその上へ浮舟は書いた。中空という言葉は一方にも牽引《けんいん》力のあることを言うのであろうと宮のお恨みになるのを聞いていて、誤解されやすいことを書いたと思い、女は恥ずかしくて破ってしまった。
 そうでなくてさえ美しい魅力のある方が、より多く女の心を得ようとしていろいろとお言いになる言葉も御様子も若い姫君を動かすに十分である。
 謹慎日を二日間ということにしておありになったので、あわただしいこともなくゆっくりと暮らしておいでになるうちに相思の情は深くなるばかりであった。右近は例のように姫君のためにその場その場を取り繕い、言い紛らして衣服などを持たせてよこした。次の日は乱れた髪を少し解かさせて、深い紅の上に紅梅色の厚織物などの取り合わせのよい服装を浮舟はしていた。侍従も平常《ふだん》用の裳《も》を締めたまま来ていたのが、あとから送ってこられたきれいなものにすべて脱ぎ変えたので、脱いだほうの裳を宮は浮舟にお掛けさせになり手水を使わせておいでになった。女一《にょいち》の宮《みや》の女房にこの人を上げたらどんなにお喜びになって大事にされることであろう、大貴族の娘も多く侍しているのであるが、これほどの容貌《きりょう》の人はほかにないであろうと、裳を着けた姿からふとこんなことも宮はお思いになった。見苦しいまでに戯れ暮らしておいでになり、忍んでほかへ隠してしまう計画について繰り返し繰り返し宮はお話しになるのである。それまでに大将が来ても兄弟以上の親しみを持たぬというようなことを誓えとお言いになるのを、女は無理なことであると思い、返辞をすることができず、涙までもこぼれてくる様子を御覧になり、自分の目前ですらその人に引かれる心を隠すことができぬかと胸の痛くなるようなねたましさも宮はお覚えになった。恨み言も言い、御自身のお心もちを泣いてお告げになりもしたあとで、第三日めの未明に北岸の山荘へおもどりになろうとして、例のように抱いて船から姫君をお伴いになるのであったが、
「あなたが深く愛している人も、こんなにまで奉仕はしないでしょう。わかりましたか」
 とお言いになると、そうであったというように思って、浮舟がうなずいているのが可憐《かれん》であった。右近は妻戸を開いて姫君を中へ迎えた。そのまま別れてお帰りにならねばならぬのも、飽き足らぬ悲しいことに宮は思召した。
 こんなお帰りの場合などはやはり二条の院へおはいりになるのが例であった。宮はそれ以来健康をおそこねになり、召し上がり物などは少しもおとりにならなかった。日がたつにしたがいお顔色が青んでゆき、お痩《や》せになるのを、御所でもその他の所々でも非常に気づかわれ、お見舞いの人が多くまいるために人目の隙に宇治へおやりになるお手紙もこまごまとはお書きになれなかった。
 山荘のほうでもあのやかましやの乳母《めのと》のまま[#「まま」に傍点]が娘の産でしばらくほかへ行っていたのがこのごろは帰っているために、宮のお文《ふみ》を心おきなく読むことはできなくなった。姫君の寂しい生活も、今後どんなふうに大将がよき待遇をしようとするかという夢を持つことで母の常陸《ひたち》夫人も心を慰めていたのであったが、公然ではないようであるが、近いうちに京へ迎えることに薫《かおる》のきめたことで、世間への体裁もよくなるとうれしく思い、新しい女房を捜し始め、童女の見よいのがあると宇治へ送るようにしていた。浮舟自身もようやく開かれていく光明の運命の見えだしたことで、初めから望んだのはこのほかのことではなかった、この日を待ち続けていたのであると思いながらも、一方で熱情をお寄せになる宮のことを思い出し、愛が足らぬとお恨みになったこと、その時あの時のお言葉と面影が始終つきまとって離れず、少し眠るともう夢に見る、困ったことであると思った。
 雨が幾日も降り続いたころ、いっそう宇治は通って行くべくもない世界になったように宮は思召され、恋しさに堪えられなくおなりになり「たらちねの親のかふこの繭ごもりいぶせくもあるか妹《いも》に逢はずて」親の愛護の深いのは苦しいものであると、もったいないことすらお思われになった。恋の思いを多くの言葉でお書き続けになり、

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ながめやるそなたの雲も見えぬまで空さへくるる頃《ころ》のわびしさ
[#ここで字下げおわり]

 こんな歌もお添えになった筆まかせの書体もみごとであった。高い見識があるのでもない若い浮舟はこれにさえ多く動かされ、その人と同じ恋しさも覚えたのであるが、初めに永久の愛の告げられた大将の言葉にはさすがに奥深いものがあり、他に優越した人格の備わっていることなども思われ、異性として親しんだ最初の人であるためか、今も一方へ没頭しきれぬ感情はあった。自分の醜聞が耳にはいって、あの人にうとまれては生きておられぬ気がする、自分が幸福な女性になることを待ち続ける母も、不行跡な娘であったと幻滅を覚え、世間体を恥じることであろう、また現在は火の恋をお持ちになる方も、多情なお生まれつきを聞いているのであるから、どうお心が変わるかしれない、またそうにもならず京のどこかへ隠されて妻妾《さいしょう》の一人として待遇されることができてくれば二条の院の女王《にょおう》からどんなに不快に思われることであろう。隠れていてもいつか人に知れるものであるから、あの秋の日暮れ時に一目お逢いしただけの縁でもこうして捜し出される結果を見たように、姉である方に、自分がどうしているか、どんな恋愛からどうなったかが知れていかないはずはないと、考えをたどっていけば、宮の御手へ将来をゆだねてしまうのは善事を行なうことでない、大将に愛されなくなるほうがどんなに苦痛であるかしれぬと煩悶している時に薫からの使いが山荘へ来た。かわるがわるに二人の男の消息を読むことは気恥ずかしくて、浮舟はまださっきの宮のほうの長い手紙ばかりを寝ながら見ていると、それと知って侍従と右近は顔を見合わせて、姫君の心はのちの情人に移ったと言わないようで言っていた。
「ごもっともですわ。殿様は二人とない美男でいらっしゃると思っていましたのは前のことで、宮様はなんと申してもすぐれていらっしゃいますもの、お部屋着になっておいでになった時の愛嬌《あいきょう》などはどうだったでしょう。私ならその方があれまではげしく思っておいでになるのを見れば黙視していられないでしょう。中宮《ちゅうぐう》様の女房を志願して、そして始終お逢いのできるようにしますわ」
 こう言っているのは侍従である。
「危険な人ね、あなたは。殿様よりすぐれた風采《ふうさい》の方がどこにあるものですか。お顔はまあともかくも、お気質《きだて》なり、御様子なりすばらしいのは殿様ですよ。何にしてもお姫様はどうおなりあそばすかしら」
 右近はこう言っていた。今まで一人で苦心をしていた時よりも侍従という仲間が一人できて、嘘《うそ》ごとが作りやすくなっていた。あとから来たほうの手紙には、
[#ここから1字下げ]
思いながら行きえないで日を送っています。ときどきはあなたのほうから手紙で私を責めてくださるほうがうれしい。私の愛は決して浅いものではないのですよ。
[#ここで字下げ終わり]
 などと書かれ、端のほうに、

[#ここから2字下げ]
ながめやる遠《をち》の里人いかならんはれぬながめにかきくらすころ

[#ここから1字下げ]
平生以上にあなたの恋しく思われるころです。
[#ここで字下げ終わり]
 とも書かれてあった。白い色紙を立文《たてぶみ》にしてあった。文字も繊細《きゃしゃ》な美しさはないが貴人の書らしかった。宮のお手紙は内容の多いものであったが、小さく結び文にしてあって、どちらにもとりどりの趣があるのである。
「さきのほうのお返事を、だれも見ませんうちにお書きなさいまし」
 と右近は言ったが、
「宮様へ今日は何も申し上げる気はしない」
 と恥じたふうで浮舟《うきふね》は言い、無駄《むだ》書きに、

[#ここから2字下げ]
里の名をわが身に知れば山城の宇治のわたりぞいとど住みうき
[#ここで字下げ終わり]

 と書いていた。浮舟は宮の描《か》いてお置きになった絵をときどき出して見ては泣かれるのであった。こうした関係を長く続けていってはならないと反省はするが、薫のほうへ引き取られて宮との御縁の絶たれることは悲しく思われてならぬらしい。

[#ここから2字下げ]
かきくらし晴れせぬ峰のあま雲に浮きて世をふる身ともなさばや
[#ここで字下げ終わり]

 こう浮舟が書いてきたのを御覧になり、兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は声をたててお泣きになった。自分ばかりが熱愛しているのでなく、彼女も自分を恋しく思うことがあるのであろうと想像をあそばすと、浮舟の姫君が物思わしそうにしていた面影がお目の前に立って悲しかった。
 薫は余裕のある気持ちで浮舟から来た返事を読み、かわいそうにどんなに物思いをしているであろうと恋しく思った。

[#ここから2字下げ]
つれづれと身を知る雨のをやまねば袖さへいとど水《み》かさまさりて
[#ここで字下げ終わり]

 という歌を長く手から放たずながめ入っていたのであった。
 薫は夫人の宮とお話をしていたついでに、
「無礼だとあなたがお思いにならぬかと不安に思いながら、ずっと以前から愛していました女が一人あるのです。京の街《まち》の中でもない遠い所に置き放しにしてありますために、物思いばかりいたしているふうなのがかわいそうで、町の中へ呼び寄せてやろうと思います。少年時代から私は人に違った心を持っていまして、宗教のほうへはいって一生を送ろうと覚悟していたのですが、あなたと結婚をして今では出家も実行できませんから、そうなってみますとだれにも隠してあった人のことも気の毒になりまして罪を作っているように思われるものですから」
 と浮舟のことを言い、また、
「あなたのどんなことが私の苦痛になるものかまだ私は知らないのですもの」
 宮はこうお言いになった。
「お上《かみ》へそんなことで私を中傷する人ができないかと心配するのですよ。世間の人はいろいろなことを言いたがるものですからね、けれど今の関係は世間が問題にするにも足りないものなのですが」
 などと薫は言っていた。
 新築させた邸《やしき》へ浮舟を入れようと思っていたが、そのために家までも作ったと派手《はで》な取り沙汰《ざた》などをされるのは苦しいことであると薫は思い、ひそかに襖子《からかみ》を張らせなどすることを、人もあろうに内記の妻の親である大蔵の五位へ心安いままに命じたのであったから、時方《ときかた》から話は皆兵部卿の宮のほうへ聞こえてしまった。
「絵師も大将の御随身の中にいますものとか、御従属しております人の中とかからお選びになりまして、さすがに歴としたお邸《やしき》の準備を宇治の方のためにさせておいでになります」
 と申すのをお聞きになって、いっそう宮はおあせりになり、御自身の乳母《めのと》が遠国の長官の妻になって良人《おっと》の任地へ行ってしまうその家が下京のほうにあるのをお知りになり、
「自分が世間へ知らせずに隠して置きたい女のためにしばらくその家を借りたい」
 と御相談になると、女とはどんな人なのであろうと乳母は思ったが、熱心に仰せられることであったから、お否み申し上げるのはもったいないように思われて承諾した。この家がお見つかりになったために宮は少し御安心をあそばされた。三月の末日に乳母は家を出るはずであったから、その日に宇治から恋人を移そうと計画をしておいでになるのであった。こう思っている、秘密に秘密にしてお置きなさいと書いておやりになったのであるが、御自身で宇治へおいでになることは至難のことになっていた。
 山荘のほうからも乳母は気のはしこくつく女であるからお迎えすることは不可能であると右近が書いてきた。
 薫からは四月十日と移転の日をきめて来た。「誘ふ水あらばいなんとぞ思ふ」とは思われないで、女はいかに進退すべきかに迷い、不安さに母の所へしばらく行ってよく考えを定めればいいであろうと思われたが、少将の妻になっている常陸守《ひたちのかみ》の娘の産期が近づいたため、祈祷《きとう》とか読経《どきょう》とかをさせるために家のほうは騒いでいて、懸案だった石山|詣《もう》でもできなくなり、母のほうから宇治の山荘へ出て来た。乳母がさっそく出て来て、
「殿様のほうから、女房たちの衣装をこまごまと気をおつけになりましてたくさんな材料をくださいましたから、どうかしてきれいな体裁をととのえたいと思っておりますけれど、私の頭で考えますことではろくなことはできそうにございません」
 などと得意そうに語る。母もうれしそうであった。浮舟の姫君は逃亡というような意外なことを自分が起こして問題になれば、この人たちはどんなにかなしむことであろう。一方の宮はまたどんな深い山へはいろうとも必ずお捜し出しになり、しまいには自分もあの方も社会的に葬られる結果になるであろう、自分の手へ来て隠れるようにとは今朝《けさ》も手紙に書いておよこしになったのであるが、どうすればよいのであろうと思い、気分までも悪くなり横になっていた。
「どうしてそんなに平生と違って顔色が悪く、痩《や》せておしまいになったのだろう」
 と母は浮舟を見て驚いていた。
「このごろずっとそんなふうでいらっしゃいまして、物は召し上がりませんし、お苦しそうにばかりしていらっしゃるのでございます」
 乳母はこう告げた。
「怪しいことね。物怪《もののけ》か何かが憑《つ》いたのだろうか。あるいはと思うこともあるけれど、石山|詣《まい》りの時は穢《けが》れで延びたのだし」
 と言われている時片腹痛さで伏し目になっている姫君だった。
 夜になって月が明るく出た。川の上の有明《ありあけ》月夜のことがまた思い出されて、とめどなく涙の流れるのもけしからぬ自分の心であると浮舟は思った。
 母は昔の話などをしていて弁の尼も呼びにやった。尼は総角《あげまき》の姫君のことを話し出し、
「考え深い方でいらっしゃいまして、御兄弟のことをあまりに御心配なさいまして、みすみす病気を重くしておしまいになりお亡《かく》れになったんですよ」
 と歎いていた。
「生きておいでになりましたら、宮の奥様の所と同じにおつきあいをあそばすことができまして、ただ今まで御苦労の多うございましたのを、お取り返しになれますほどおしあわせにおなりあそばされたのでしょうに」
 尼のこの言葉を常陸夫人は喜ばなかった。自分の娘も八の宮の王女である、これから願っていたような幸福の道を進んで行ったならば二人の女王に劣る人とは見えぬはずであるなどという空想をして、
「ずっとこの方では苦労をし続けてきたのですが、少しそれがゆるんで大将さんのところへ迎えられて行くことになりましたら、ここへ私の出てまいるようなこともあまりできますまい。まあ今のうちに昔のお話をゆるりとしておくことだと思うのですがね」
 などと言っていた。
「私などは縁起でもない恰好《かっこう》をしてと思いまして、こちらへ出てまいってこまごまとしたお話を申し上げますのも御遠慮がされて引っ込んでいましたものの、京へ行っておしまいになれば、心細くなることでございましょう。でもね、こうしたお住まいをしていらっしゃるのは何だかたよりない気のしたものですが、私もうれしいことに違いございません。重々しいお身の上のある方がこんなにも御丁寧にしてお迎えになるのは、奥様のお一人と思召すお心がおありになるからだと私へお話のあったことがございます。将来御不安なことなどは決してございませんよ」
「まああとのことはわかりませんが、現在はまあこうした御親切をお見せくださるものですから、最初いろいろとお骨を折ってくださいましたあなたの御恩が思われます。宮の奥様はもったいないほどこの方を愛してあげてくださいましたのですが、あちらではめんどうが少し起こりかけましてね、ごやっかいにならせてお置きすることもできませんで、行きどころのないような孤独の方になっておいでになったので私は心配しておりましたがねえ」
 尼は笑って、
「あの宮様は騒がしいくらい御多情な方でね、利巧《りこう》な若い女房は御奉仕がいたしにくいそうですよ。ほかのことはごりっぱな方なのですがね、そんなことで奥様が無礼だとお思いになることがないかと御心配が絶えないなどと大輔《たゆう》の娘が話していましたよ」
 こう言うのを、女房ですらその遠慮はするのである、まして自分は夫人の妹でないかと思いながら、横たわった浮舟は聞いていた。
「まあこわい話ですね。大将さんは内親王様を奥様に持っておいでになりましても、この方とは縁の遠い奥様ですもの、悪くお思われになっても、よくても、それはどちらでもともったいないことですが思っています。二条の院の奥様に苦労をおかけ申すようなことをこの方がなさいましたら、私はどんなにこの方がかわいそうでも二度と逢うことはいたしますまい、他人になりますよ」
 母が尼に話すこの言葉で肝も砕かれたように浮舟の姫君は思った。やはり自殺をすることにしよう。このままでは自分の醜聞が広がってしまうに違いない、どんなことが自分のために起こるかもしれぬなどと、姫君が胸をおさえて思っている山荘の外には宇治川が恐ろしい水音を響かせて流れて行くのを、常陸夫人は聞いて、
「川といってもこんなこわい気のするものばかりでもありませんのにね、ひどくすごい所に長く置いておおきになったのですもの、大将さんが同情して京へ迎えてくださるのがもっともですよ」
 そう言う常陸夫人は得意そうであった。女房たちも川の水勢の荒いことなどを言い合い、
「先日も渡守《わたしもり》の孫の子供が舟の棹《さお》を差しそこねて落ちてしまったそうです。人がよく死ぬ水だそうでございます」
 などと言っていた。
 浮舟の姫君は今思っているように自分が行くえを不明にして死んでしまえば、親もだれも当分は力を落として悲しがるであろうが、生きていて世間の物笑いに自分がされるようであればその時の悲しみは短時日で済まず永久に続くことであろう、死ぬほうがよいと考えてみると、そのほうには故障があるとは思えず快く決行のできる気になるもののまた悲しくはあった。母の愛情から出る言葉を寝たようにして聞きながら浮舟は思い乱れていた。いたましいふうに痩せてしまったことを乳母にも言い、適当な祈祷《きとう》をさせてほしいと言い、祭や祓《はらい》などのことについても命じるところがあった。「恋せじと御手洗《みたらし》川にせし禊《みそぎ》神は受けずもなりにけらしな」そんな禊もさせたい人であるのを知らない人たちがいろいろに言って騒いでいるのである。
「女房の数が少ないようですね。確かに信用のできる人を捜しておくことですね。見ず知らずの女は当分雇わないことにしなさいよ。りっぱな方の奥様どうしというものは、御本人たちは寛大な態度をとっていらっしゃっても、嫉妬《しっと》はどこにもあるわけでね、お付きの者のことなどからよくないことも起こりますからね、悪いきっかけというようなものを作らないように女たちには気をおつけなさいよ」
 などと、注意のし残しもないように言い置いてから、
「家で寝ている人も気がかりだから」
 と言い、母の帰ろうとするのを、物思いの多い心細い浮舟は、もうこれかぎり逢うこともできないで死ぬのかと悲しんだ。
「身体《からだ》の悪い間はお目にかからないでいるのが心細いのですから、私はしばらくでも家のほうへ行きとうございます」
 別れにくそうに言うのであった。
「私もそうさせたいのだけれど、家《うち》のほうも今は混雑しているのですよ。あなたに付いている人たちもあちらへ移る用意の縫い物などを家ではできませんよ、狭くなっていてね。『武生《たけふ》の国府《こふ》に』(われはありと親には申したれ)においでになっても、私はそっと行きますよ。つまらぬ身の上ですから、それだけはあなたのために遠慮されますがね」
 と母は泣きながら言っていた。
 薫《かおる》からまたも手紙の使いが来た。病気と聞いて今日はどうかと尋ねて来たのである。
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自身で行きたいのですが、いろいろな用が多くて実行もできません。近いうちにあなたを迎えうることになって、かえって時間のたつことのもどかしさに気のあせるのを覚えます。
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 こんなことも書かれてあった。
 兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は昨日の手紙に返事のなかったことで、
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まだ迷っているのですか、「風の靡《なび》き」(にけりな里の海人《あま》の焚《た》く藻《も》の煙心弱さに)のたよりなさに以前よりもいっそうぼんやりと物思いを続けています。
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 などとこのほうは長かった。この前の前、雨の降った日に山荘で落ち合った使いがまたこの日出逢うことになって、大将の随身は式部|少輔《しょう》の所でときどき見かける男が来ているのに不審を覚えて、
「あんたは何の用でたびたびここへ来るのかね」
 と訊《き》いた。
「自分の知った人に用があるもんだから」
「自分の知った人に艶《えん》な恰好《かっこう》の手紙などを渡すのかね。理由《わけ》がありそうだね、隠しているのはどんなことだ」
「真実《ほんとう》は守《かみ》(時方は出雲権守《いずものごんのかみ》でもあった)さんの手紙を女房へ渡しに来るのさ」
 随身は想像と違ったこの答えをいぶかしく思ったがどちらも山荘を辞して来た。随身は利巧《りこう》者であったから、つれて来ている小侍に、
「あの男のあとを知らぬ顔でつけて行け、どの邸《やしき》へはいるかよく見て来い」
 と命じてやった。さきの使いは兵部卿の宮のお邸へ行き、式部少輔に返事の手紙を渡していたと小侍は帰って来て報告した。それほどにしてうかがわれているとも宮のほうの侍は気がつかず、またどんな秘密があることとも知らなかったので近衛《このえ》の随身に見あらわされることになったのである。
 随身は大将の邸へ行き、ちょうど出かけようとしている薫に、返事を人から渡させようとした。今日は直衣《のうし》姿で、六条院へ中宮が帰っておいでになるころであったから伺候しようと薫はしていたのである。前駆を勤めさせる者も多く呼んでなかった。随身が取り次ぎを頼む人に、
「妙なことがあったものですから、よく調べてと思いましてただ今までかかりました」
 と言っているのを片耳にはさみながら、乗車するために出て来た薫が、
「何かあったか」
 と聞いた。取り次いだ人もいることであったから随身は黙ってかしこまってだけいた。様子のありそうなことであると見たが薫はこのまま出かけてしまった。
 中宮《ちゅうぐう》がまた少し御病気でおありになるということで宮達も皆集まって来ておいでになった。高官たちもたくさんまいっていて騒いでいたがたいしたことはおありにならなかった。内記は太政官の吏員であったから、役向きのことが忙しかったのかおそくなって出て来た。そして宇治の返事の来たのを宮に、台盤所《だいばんどころ》へ来ておいでになって戸口へお呼びになった宮へ差し上げていたのをちょうどその時中宮の御前から出て来た大将が何心なく横目に見て、大事な恋人からよこしたものらしい文《ふみ》であるとおかしく思い、ちょっと立ちどまっていた。宮は引きあけて読んでおいでになる、紅の薄様《うすよう》に細かく書かれた手紙のようである。文に夢中になっておいでになる時に、左大臣も御前を立って外のほうへ歩いて来るのを見て、薫は自身の休息室から今出るふうにして大臣の来たことを宮へ御注意するための咳《せき》払いをした。これで宮がお隠しになったあとへ都合よく大臣は来ることになった。宮は驚いたふうに直衣《のうし》の紐《ひも》を掛けておいでになった。薫も兄の大臣の前に膝《ひざ》を折り、
「私はもう下がってまいろうと思います。いつもの物怪《もののけ》は久しく禍《わざわい》をいたしませんでしたのに恐ろしいことでございます。叡山《えいざん》の座主《ざす》をすぐ呼びにやりましょう」
 とだけ言い、忙しそうに立って行った。
 夜のふけたころだれも皆六条院から退出した。左大臣は宮をお先立てして幾人もの子息の高官、殿上人を率いていて東の御殿へ行った。右大将はそれに少し遅れて自邸へ帰るのであった。随身が告げることのありそうなふうであったのを怪しく思っていたから、前駆の人たちなどが馬からおりて炬火《たいまつ》に火をつけさせたりしている時に、薫は随身を近くへ呼んだ。
「さっきの話はどんなことか」
「今朝《けさ》宇治に出雲権守時方朝臣《いずもごんのかみときかたあそん》の所におります侍が来ておりまして、紫の薄様に書いて桜の枝につけられました手紙を西の妻戸から女房に渡しているのを見ましてございます。見つけまして何かと聞きただしますと、申すことが作りごとらしいものでございますから、信用はできないと存じまして、小侍をそっとつけてやりますと、兵部卿の宮のお邸へまいり、式部|少輔《しょう》にその返事を渡したそうでございます」
 と言う。薫は不思議なことであると思い、
「その返事をあちらではどんなふうにして出したか」
「それは見なかったのでございます。別の戸口から出して渡したらしいのでございます。下人から聞きますと赤い色紙のきれいなものだったと申すことです」
 この言葉から思い合わせると、宮の見ておいでになった文がそれに相違ないと薫は思った。そんなにまで苦心をして調べ出して来たのは気のきいた男であると思ったが、人がすでに集まって来ていたからそれ以上の細かいことは言わせずに済ませた。
 薫は車で来る途々《みちみち》の話を思い、恐ろしいほど異性に対しては神経の過敏に働く宮である、どんな機会にあの人のことをお知りになったのであろう、そしてどうして誘惑をお始めになったのであろう、あの田舎《いなか》の宇治に住ませてあれば、そうした危険には隔離されているもののように思い、安心していたのはなんたる自分の幼稚な考え方であったろう、それにしても互いに知らぬ人の愛人と恋愛の遊戯をすることも世間にはあるであろうが、自分と宮とは親友の間柄で、人が怪しむほどにも助けられ、お助けして恋の媒介をすら勤めた自分の愛人を誘惑などあそばされてよいわけはないと思うと不快でならなかった。西の対の夫人を非常に恋しく思いながら、ある線を越えて行かない自分はりっぱでないか、しかも親密にするのは宮家へはいってからの夫人としてではない、宮に対してやましい思いをお持ちするのがいやで、恋しい心を抑制しているのは愚かなことであったかも知れぬ、ずっとこのごろ宮は御病気のようで始終お見舞いの人々に取り巻かれておいでになりながら、どうして宇治へのお手紙は書かれたのであろう、またどうしてお通いになることができたのであろう、遠くはるかな恋の道ではないか、だれにも想像のつかぬ所へ行ってお泊まりになることがあり、所在を捜されておいでになる時があるという御評判も聞いた、罪な恋におぼれて御|煩悶《はんもん》から名のない病気におかかりになっているのであろう、昔のことを思い出しても、あの山荘へお通いになることの可能でない間は見てもいられぬほどお気の毒に思いやつれておいでになったものであると薫は思い、またいろいろと思い合わせてみると、女が非常に物思いをしていたこともこの理由があってのことであったと、一つが明らかになると次々にうなずかれていくことも多くて女がうとましく思われた。完全な人というものは少ないものである、可憐《かれん》でおおように見えながら媚態《びたい》の備わったのが彼女である、宮のお相手には全く似合わしいものであるから、すべて今からお譲りしてしまいたい気も薫はしたが、正妻として結婚した女にそうした過失をされたというのでなく、今後も愛人としての彼女を失ってしまっては恋しくなるであろうと、未練らしく思われないこともなかった。自分が捨ててしまえば必ず宮はどこかへ呼び寄せてお置きになるであろう、女がどんな不名誉なことになろうとも思いやりはおできになるまい、今までからそんな人を二、三人も女一《にょいち》の宮《みや》の女房に推挙されたことがある、そうした境遇になった時、自分は見るに忍びないつらさを味わうであろうと思い、捨てる気は起こらないで、どうするつもりかも見たく思い、家へ帰った。薫は手紙を宇治へ書いた。
 大将は例の随身を使いに選び、自身で人のない時にそば近くへ呼んだ。
「時方朝臣は今でも仲信《なかのぶ》の家に通っているか」
「そうでございます」
「宇治へいつもその使いをやるのだね。零落をしていた女だから時方も恋をしていたことがあるかもしれないね」
 と歎息をして見せ、
「人に見られないようにして行け、見られれば恥ずかしいよ」
 と言った。時方が始終大将のことをいろいろと訊《き》きたがり、山荘の中のことを聞いていたのは、自身のためでなく他の方のためにしていたことであったに違いないし、大将もまたそれを隠そうとしているのであると、物なれた思いやりをして何とも問わず、薫も低い人間にくわしいことは知らせたくないと思っているのであった。
 山荘では大将家からの使いが平生よりもたびたび来ることでも不安が覚えられる浮舟の君であった。手紙はただ、

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浪《なみ》こゆる頃《ころ》とも知らず末の松まつらんとのみ思ひけるかな

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人にこの歌をお話しになって笑ってはいけませんよ。
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 と書かれてあるだけであったが、いぶかしいと思った瞬間から姫君の胸はふさがってしまった。相手の言おうとしていることを知っているような返事を書くことも恥ずかしく、誤聞であろうと言いわけをするのもやましく思われて、手紙をもとのように巻き、
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どこかほかへのお手紙かと存じます、身体《からだ》を悪くしていまして、今日は何も申し上げられません。
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と書き添えて返した。
 薫《かおる》はそれを見て、さすがに才気の見えることをする、あの人にこんなことができるとは思わなかったと思い、微笑をしているのは、どこまでも憎いというような気にはなっていないからであろう。
 正面からではないが薫がほのめかして来たことで浮舟《うきふね》の煩悶はまたふえた。とうとう自分は恥さらしな女になってしまうのであろうといっそう悲しがっているところへ右近が来て、
「殿様のお手紙をなぜお返しになったのでございますか。縁起の悪いことでございますのに」
 と言った。
「私に理由《わけ》のわからないことが書かれていたから、持って行く先をまちがえたのでしょうって書いて」
 浮舟から聞くまでもなく、不思議に思ってすでに手紙は使いへ渡す前に右近が読んであったのである。意地悪な右近ではないか。見たとは姫君へ言わずに、
「あなた様はほんとうにお気の毒でございます。お苦しいのはお三人ともですけれどね。殿様は秘密をお悟りになったらしゅうございますね」
 と言われて、浮舟の顔はさっと赤くなり、ものを言うこともしなかった。手紙を見たとは思わずに、来た使いなどから薫の様子が伝えられたのであろうと思っても、だれがそう言っているかとも問えなかった。右近と侍従がどう想像しているであろう、恥ずかしいことである、自発的に惹《ひ》き起こした恋愛問題ではないが、情けない運命であると、横たわったまま思い沈んでいると、侍従と二人で右近は忠告を試みようとした。
「私の姉は常陸《ひたち》で二人の情人を持ったのでございます。どの階級にもそうした関係はあるものでございましてね、どちらからも深く思われていたのでございますから、どうすればよいかと迷っていながらも、姉はあとのほうの男を少しよけいに愛していたのですね、それを嫉妬《しっと》しまして、前の男があとの男を殺してしまったのでございます。そして自身も姉を捨ててしまいました。お館《やかた》でもよい侍を一人なくしておしまいになったのでございます。殺したほうもよい郎党だったのですがそんな過失をしてしまった男は使わないとお国から逐《お》われてしまいました。皆女がよろしくない二心を持ったから起こったことだとお言いになりましてお館の中にも置いていただけなくなりましたので、東国人になってしまいまして、まま[#「まま」に傍点]は今でも恋しがって泣いております。罪の深いことだとこんなことも思われるのでございますよ。悪い話のついでに申すようでございますが、貴族の方でも低い身分の者でも二つに愛を分けて煩悶《はんもん》をするということは悪いことでございますよ。貴族は命のやり取りなどはなさいませんでも、死ぬにもまさった名誉の損というものがあるのですからね。かえって辛《つろ》うございます。ともかくもどちらかお一人にきめておしまいなさいましよ、宮様も殿様以上に誠意を持っておいでになるのでしたら、それでもよろしいではありませんか。さっぱりとお気持ちを清算しておしまいになりまして、あまり煩悶はせぬようになさいませ。痩《や》せて病気にまでなっておいでになってはつまらないではございませんか。奥様があれほどにもあなた様のことを御心配していらっしゃるではありませんか。私の母のまま[#「まま」に傍点]が殿様のほうへおいでになることと思い込みまして夢中になって御用意を申しておりますのを見ますと、それはやめて別の所へ行くとお言いになりますのもつらいことだろうと思います。またまま[#「まま」に傍点]がかわいそうにも思われます」
 と右近が言う横から、侍従が、
「まあそんなこわい気もするほどのことを申し上げないでお置きなさいよ。こうなりましたのも皆宿命というものですよ。ただお心の中で少しでも多く愛のお感じられになる方の所へお行きになることになさいませ。ほんとうにあの御身分の方があんなにまで思い込んだふうでいらっしゃったのですもの、お引っ越しの御用意だと言って皆が騒いでいます仕事を私はいっしょにする気もしないのですよ。しばらくは隠れたままのことにしてお置きになりましても、お心のお惹《ひ》かれになる方に一生をお託しあそばすのがいいと私は思います」
 と宮の御|美貌《びぼう》を愛する心から片寄った進言をする。
「なにも私はぜひ大将様のほうにと言うのではありません、どちらでもよろしゅうございますから、事が起こらずにこの問題が解決されますようにと、初瀬《はせ》、石山の観音様にも願を立てているのです。大将様の御荘園の御用をしていますのは皆武力を持った荒い人たちで、仲間が無数に宇治にいるのですからね、この山城、大和《やまと》の殿様の領地というものは皆ここの内舎人《うちとねり》といわれている人に縁故を持った人が支配しています。内舎人の婿の右近の大夫《たゆう》というのが党主のようになっていろいろのことをきめるようですよ。貴族どうしは同情のないことを相手にさせようとは思っていらっしゃらないでしょうが、思いやりのないこの辺の田舎侍《いなかざむらい》がかわるがわる宿直《とのい》に来ていますから、自身の当番の時におちどのないようにと思いまして、どんな失礼なしぐさを宮様の御微行にしかけるかわかりません。せんだっての時のことなどほんとうに今思ってもこわいようでございます。宮様のほうでは人目を思召してお付きもたくさんおつれにならないで、だれかわからぬようにしていらっしゃいますから、あの荒男どもがお見つけしましたらどんなことが起こりますかと心配ばかりいたしました」
 浮舟の姫君は、自分が宮に多く心を惹《ひ》かれているときめてこの人たちのいっているのを聞くのも恥ずかしい、自分はどちらをどうとも判断もできないのに苦しんでいるのである、夢の中のようになす術《すべ》を知らないのである、はげしく自分をお思いになる方に対しては、なぜこうまでもと感激はしているが、良人《おっと》と思い、月日の長く積もった人から離れてしまおうとは思えないためにこんな煩悶がされるのである、右近が言ったように、これから表面に出て悪いことが起こってくればどうしようとつくづくと思い沈んでいた。
「私はどうしてでも死にたい、人並みでない情けない私になったのだもの、こんな情けないことは低い身分の人たちにだってたくさんないはずね」
 こう言って姫君はうつ伏しになって泣く。
「そんなに御心配をなさるものではありません。お心を少しでも楽にお持ちあそばすようにと思って申し上げたことでございますよ。お心に苦しいことがありましてもお気にとめておいであそばさないようにおおようにしておいでになりましたあなた様が、この問題が起こりました時からいらいらとなさいますふうの見えますのはどうしたことでしょう」
 とも右近はなだめていた。この人たちも思い乱れているのである。乳母は得意になって染めたり裁ったりしていた。新しく来た童女のかわいい顔をしたのを姫君のそばへ呼んで、
「まあこんな人でもお慰めに御覧なさいましよ。いつもお気分がすぐれないようにお寝《やす》みになっていらっしゃるのは物怪《もののけ》などがおしあわせの道を妨げようとするのかもしれませんね」
 と言いながらも歎いていた。
 大将からはあの返した手紙に対して言ってくることもなくそのまま幾日かたった。右近が姫君をおどすために話した内舎人という者が山荘へ現われて来た。噂《うわさ》どおりに荒々しい武骨なふうの老人が、声まで宇治の内舎人らしいこわい声で、
「もののわかる女房衆にお話がしたい」
 と取り次がせたために、右近が出て行った。
「殿様からお召しがありましたので、今朝から京へまいって今が帰りです。いろいろと御用を仰せつけられましたついでに、こうしてここに奥様をお置きになっていらっしゃって、夜中でも夜明けでも御用には私らが宇治にいるのであるからと思召して、京のお邸から宿直の侍などはおよこしにならなかったところが、このごろになって、こちらの女房衆の所へよその人が通って来る話を聞いた、不届きだ、宿直に行っている者は出入りの人の名を聞いたはずだ、知らないで門を通すはずはないではないか、何という人が来たのかとこうお尋ねになったのですが、私は何も承知しないことですから、私は重い病気をしておりまして、そんなことのありましたのも、来た人はだれかということも存じません。ただしお役にたつような男はかわるがわる差し上げてあるのですから、ただ今お話のようなとんでもない事件がありますれば私の耳にはいっていぬはずはございませんとお取り次ぎをもって申していただいて来ました。気をつけて別荘を守れ、悪いことが起これば重い罰を加えるからという仰せがあったので、どんな罰にあうのかと恐れていますよ」
 これを聞いていて右近は、梟《ふくろう》の啼《な》き声を聞くより恐ろしく感じた。答えもできず内舎人を帰したあとで、
「とうとうこんなことになりました。私が申していたとおりのことをお聞きになることになりました。大将様はあの秘密を皆お知りになったのですよ。お手紙もあれからまいりませんね」
 などと姫君に言って歎息をした。乳母は内舎人の話を少し聞いていて、
「よく御注意をしてくださいましたわね。盗人《ぬすっと》などの多い土地だのに宿直の人だって初めほど頼もしい人は来ていなかったのですからね、代役だと言って下っぱの者をよこすようになって、その人たちというものは夜まわりをすらしないのですから」
 と喜んでいた。浮舟はこうして寂しい運命のきわまっていくことを感じている時、宮から決心ができたはずであるとお言いになり、「君に逢はんその日はいつぞ松の木の苔《こけ》の乱れてものをこそ思へ」というようなことばかり書いておいでになった。どちらへ行っても残る一人に障《さわ》りのないことは望めない、自分の命だけを捨てるのが穏やかな解決法であろう、昔は恋を寄せてくる二人の男の優劣のなさに思い迷っただけでも身を投げた人もあったのである、生きておれば必ず情けないことにあわねばならぬ自分の命などは惜しくもない、母もしばらくは歎くであろうが、おおぜいの子の世話をすることで自然に自分の死のことは忘れてしまうであろう、生きていて身をあやまり、嘲笑《ちょうしょう》を浴びる人になってしまうのは、母のためには自分の死んだよりも苦しいことに違いないと浮舟は死のほうへ心をきめていった。子供らしくおおようで、なよなよと柔らかな姫君と見えるが、人生の意義というものを悟るだけの学識も与えられずに成長した人であるから自殺というような思いきったこともする気になったらしい。あとで人の迷惑になりそうな反古《ほご》類を破って、一度には処分せずある物は焼き、また水へ投げ入れさせなどしておいおいに皆なくしていった。秘密の片端も知らぬ女房などは、ほかへ移転をされるのであるから、つれづれな日送りをしておいでになる間にたまった手習いの紙などを破ってしまうのであろうと思っていた。侍従などの見つける時には、
「なぜそんなことをなさいますか。思い合った中でお取りかわしになったお手紙は、人にはお見せになるものではありませんでも、箱の底へでもしまってお置きになりまして、時々出して御覧になりますのが、どの女性にも共通した楽しいことになっておりますよ。この上もないお紙をお使いになりまして、美しい御文章でおしたためになったものを、そんなに皆お破りになりますのは情けないことではございませんか」
 こんなふうに言ってとめる。
「いいのよ。私にはもう長い命はないようだからね。あとへ残ってはお書きになった方の迷惑にもなって気の毒よ。悪い趣味だ、愛人の手紙などをしまっておくなどとまたお思いになる方があっても恥ずかしいしね」
 などと浮舟は言うのであった。死というものの心細い本質を思ってはまだ自殺の決行はできないらしいのももっともである。親よりも先に死んで行く人は罪が深くなるそうであるがなどとさすがに仏教の教理も聞いていて思いもするのである。
 二十日過ぎにもなった。宮が交渉しておありになった家の住み主が二十八日に家をあけて立つことになっていて、
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その二十八日の夜に必ず迎えに行きます。下人などに出かけるのを悟らせぬように気をおつけなさい。自分のほうから秘密のもれるようなことは絶対にありません。疑いを持たずにいてください。
[#ここで字下げ終わり]
 というようなお手紙が来た。そうした無理な工作をしておいでになっても、もう一度お話をすることすら不可能でそのままお帰しすることになるのは悲しい。またどんな短時間でもこの家へお入れすることはできるものでないと思う浮舟《うきふね》が失望して自身を恨みながらお帰りになる様子を想像すると、常に去らない幻がまたありありと見えて、悲しかった。宮のお手紙を顔に押しあててしばらくは忍んで泣いていたが、そのうち声にも出してひどく泣いた。右近が、
「お姫様はこんなふうにしていらっしゃいますと人が皆悟ってしまいます。近ごろは不審を起こしかけた人たちもあるようでございます。こんなに一つのことを断ち切れない御心配になさいませんで、宮様へは御同意なさいましたことを書いておあげなさいましよ。私がおります以上、どんな大それたことでございましても取り繕いまして、こんなお小さいお身体《からだ》一つは空からでもおつれ出しいたします」
 と言うのを聞いて、
「そんなふうに私の心を解釈されるのが苦しい。そうしたいと私が望んでいるのならそれでいいけれど、してはならないことだと、どんなことも皆私は否定しているのに、このお手紙のように信じていらっしゃるのかと思うと、あの方はこれからのちにまたどんなことをあそばすだろうと不安でならなくて、私は今運命を悲しんでいるのよ」
 と浮舟は言い、お返事は書かなかった。
 兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は出奔してくることを浮舟が受諾して来ないし、返事さえ一つ一つは書いてよこさなくなったのは、大将が上手《じょうず》に、その人をなだめてしまい、自分へ来るより安定のありそうな境遇を選ばせることにしたのであろう、それは道理でもあると思召すのであったが、御自身としては残念でねたましく、今の態度はこうであっても、確かに自分をあの人は愛していたのだ、逢わないうちに周囲の者からよけいな忠告をされて、そのほうへ心が傾いたのであろうと物思いをしておいでになると、「わが恋はむなしき空に満ちぬらし思ひやれども行き方のなき」というふうにもなっていくため、例の無理をあそばして宇治へおいでになった。
 蘆垣《あしがき》のところへ近づいておいでになると、これまでとは変わり、
「そこへ来るのはだれだ」
 と緊張した声でとがめる者が幾人もあった。そこからやや遠ざかっておいでになり、行きなれた侍だけをおやりになったが、それをさえ誰何《すいか》した。以前の様子と変わったことをめんどうに思い、
「京から急用のお手紙を持って来たのです」
 と侍は言った。右近の使っている侍の名を言って呼んでもらった。右近はこの上にもまた難儀なことが起こってくると思った。
「どうしても今夜はだめでございます。非常に恐縮しておりますが」
 と宮へ申し上げさせた。宮はどうしてこんな冷淡な取り扱いをするのであろうと、途方にくれたように思召して、
「ともかくも時方《ときかた》が行って、侍従を呼び出して都合をつけさせてくれ」
 とお言いになり、内記をまたおやりになった。時方は才子であったから上手に宇治侍を欺《あざむ》いて、侍従を呼び、話すことができた。
「どうしたのでしょうか、大将様から仰せがあったのだと言いまして、宿直《とのい》する人が出過ぎたことばかりを言うようになりまして困ります。お姫様がめいってばかりいらっしゃいますのは、宮様の思召しにお報いになることがおできになりませんからかとお気の毒に拝見いたしております。ことに今夜はあの人らが厳重に見張っておりますから、お逢いにいらっしゃいましてはかえって悪いことになりそうでございます。またおよろしい日においでくださいますことを、前に知らせてお置きくださいましたら私ども秘密になんとかいたして都合をつけます」
 と侍従は言い、乳母《めのと》が寝敏《いざと》いことも語った。時方は、
「並みたいていの道をおいでになったのではありませんからね、よくよくお逢いになりたい御様子なんですから、失望をおさせいたすようなお返辞はもったいなくて私からできません。それではあなたがそこまで来てくだすって、私も言葉を添えますが、あなたからお断わりを申し上げるようにしてください」
 と言って、誘い出そうとした。それは無理である、ぜひそうしてと言い合っているうちにも夜もずっとふけてきた。
 馬上の宮は少し遠くへ立っておいでになるのであったが、田舎風《いなかふう》な犬が集まって来て吠《ほ》え散らす。恐ろしい気がしてお供の少ない軽いお出歩きであったから、無法者が走って出て来たならどう防いでよいかなどと、四、五人の者は心配していた。
「どうしても来てくださることですよ。早く、早く」
 とせきたてて時方は侍従をつれて来るのであった。髪を右の脇《わき》から前へ曲げて持っている侍従は美しい女房であった。馬に乗せようとするが承知しないために、衣服の裾《すそ》を時方は持ってやりながら歩かせて行くのである。自身の沓《くつ》を侍従にはかせて、内記は供男の草鞋《わらじ》ようのものを借りてつけた。
 宮のおそばへまいって山荘の事情をお話し申し上げ、侍従を伴って来たことをお知らせしたが、お話しになる場所というようなものもなくて、田舎家の垣根《かきね》の雑草の中にあふり[#「あふり」に傍点]というものを敷いて、そこへ宮をおおろしした。宮もこんな所で災厄《さいやく》にあって終わる運命で自分はあるのかもしれぬとお思われになり非常にお泣きになった。心の弱い者はましてきわめて悲しいことであるとお見上げしていた。どんな仇敵《きゅうてき》でも、鬼であっても、そこなえまいと見える美貌《びぼう》をお持ちになるはずである。しばらく躊躇《ちゅうちょ》をあそばしてから、
「ちょっとひと言だけ話をすることもできないのだろうか。どうして今になってそんなに厳重に見張るのだろう。そばの者がどんなことを言ってあの方の自由意志を曲げさせたのか」
 と侍従へ仰せられた。山荘内のことをくわしく申し上げて、
「またおいでの思召しのございます前からおっしゃってくださいまして、私どもにできますことをさせてくださいませ。こんなもったいない御様子を拝見いたします以上、私は自分を喜んで犠牲にもいたしまして、よろしい計らいをいたします」
 と侍従は申した。御自身も人目をはばかっておいでになるのであるから、恋人をだけお恨みになることもおできにならなかった。
 夜はふけにふけてゆく。初めから吠えかかった犬はそれなりも声も休めずに騒がしく啼《な》く。従者がそれを追いかけようとすると、山荘のほうでは弓の弦《つる》を鳴らし、荒武者の声で「火の用心」などと呼ぶ。落ち着かぬお心から帰ろうとあそばしながらも、宮のお心は非常に悲しかった。

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「いづくにか身をば捨てんとしら雲のかからぬ山もなく泣くぞ行く
[#ここで字下げ終わり]

 ではもう別れて行こう」
 とお言いになり、侍従をお帰しになった。宮の御様子は艶《えん》で、夜中の霧に湿ったお召し物から立つ香はたとえようもなく感じのいいものであった。
 侍従は泣く泣く帰って来た。右近が宮のおいでをお断わり申し上げたことを言ってから浮舟はいよいよ煩悶を深くして寝ていたが、侍従のはいって来て、外での様子を話すのに対して返辞はしないながら枕《まくら》も浮き上がらんばかりの涙の出るのを、この人がどう思うかとまた恥じられもした。
 翌朝も泣きはらした目を思うと浮舟は起きるのがつらくていつまでも寝ていた。
 起きてからははかなそうな姿で、しかも仏へ敬意を表する型として帯の端を肩から後ろ向きに掛けなどしながら浮舟の姫君は経を読んでいた。親よりも先に死ぬ罪が許されたいためである。宮のお描《か》きになった絵を出してながめているうちに、その時の手つき、美しかったお顔などがまだ近い所にあるように見えてくる。そんなにも心から離れない方であるから、最後にひと言のお話もできなかった昨夜のことは悲しくてならないはずである。初めから同じように永久愛して変わるまいと言っていた大将も、自分が死んだあとではどんなに歎くことであろうと思い、その人への恋を忘れて心の変わったために死んだと自殺後に言う人もあろうことの想像されるのも恥ずかしかったが、軽薄な女と思われ、宮のほうへ奔《はし》ったと大将に思われるよりはまだそのほうがいいと思い続けて、

[#ここから2字下げ]
歎きわび身をば捨つとも亡《な》きかげに浮き名流さんことをこそ思へ
[#ここで字下げ終わり]

 と詠《よ》まれもした。母も恋しかった。平生は思い出すこともない異父の弟妹の醜い顔をした人たちも恋しかった。二条の院の女王《にょうおう》を思い出してみても、恋しい。またそのほかにももう一度だけ逢いたいと思われるのが多い。女房たちは皆晴れと思う移転の時の用に物を染めたり、縫い物をしたり、何やかやとそうしたことについて話し合っているが浮舟は耳に聞こうともしない。夜になると人に見つけられずに家を出て行くのはどこをどうして行けばいいかという計画ばかりされて眠れぬために気分も悪く、病人のようになっている浮舟であった。朝になれば川のほうをながめながら「羊の歩み」よりも早く死期の近づいてくることが悲しまれた。
 宮からは悲しかった夜のことをお言いになり激情にあふれたお手紙を贈られた。死期に人の見るかもしれぬものであるからと思うと、このお返事にも浮舟は思うだけのことを書かなかった。

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からをだにうき世の中にとどめずばいづくをはかと君も恨みん
[#ここで字下げ終わり]

 とだけ書いて出した。
 姫君は大将へも遺書としてのものを書いておきたく思ったが、あちらへもそちらへも書いておいて、親友でおありになる人たちの話に上ることがあれば、情操のないことと思われるかもしれぬ、朧《おぼろ》にぼかしておいて、どうなったかわからぬように自分の消えてしまうのがいいのであると思い返した。
 京の使いが母の手紙を持って来た。
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昨夜の悪夢の中であなたを見たものですから、ほうぼうの寺へ誦経《ずきょう》を頼みました。その夢のあとは眠られなかったものですから、今日また昼寝をしました夢に、人が大不吉だという夢の中でまたあなたを見たのです。驚きながらこの手紙を書きます。謹慎日はよく謹慎してお暮らしなさい。寂しいそのお家《うち》へ時々おいでになります大将の関係から、どんな呪《のろい》を受けておいでになるかわからないのにあなたは病気だし、ちょうどこんな時に悪夢が続くので心配しています。私が行きたいのだけれど、少将の妻の産前の容体が不安で、物怪風《もののけふう》に煩っていますから、しばらくでもそばを離れますことは主人がやかましいため出かけられませぬ。そこの近くの寺へも誦経を頼みなさい。
[#ここで字下げ終わり]
 と書いて、寺へ納めるべき物、寺への依頼状も添えて持たせて来たのであった。
 もう死ぬ覚悟をしている自分とも知らずに、こんなに心をつかっているかと浮舟《うきふね》は母の愛を悲しく思った。寺へその使いをやった間に、母への返事を姫君は書くのであった。言いたいことは多かったが気恥ずかしくて、ただ、

[#ここから2字下げ]
のちにまた逢ひ見んことを思はなんこのよの夢に心まどはで
[#ここで字下げ終わり]

 とだけ書いた。誦経の初めの鐘の音が川風に混じって聞こえてくるのをつくづくと聞いて浮舟は寝ていた。

[#ここから2字下げ]
鐘の音《ね》の絶ゆる響きに音を添へてわが世尽きぬと君に伝へよ
[#ここで字下げ終わり]

 これは寺から使いがもらって来た経巻へ書きつけた歌であるが、使いは朝になってから帰るというために木の枝へ結びつけて渡すようにしておいた。乳母《めのと》が、
「何だか胸騒ぎがしてならない。奥様も悪夢をたくさん見ると書いておよこしになったのだから、宿直《とのい》の人によく気をつけるように言いなさい」
 と言っているのを、今夜脱出して川へ行こうとする浮舟は迷惑に思って聞いていた。
「お食事の進みませんのはどうしたことでしょう。お湯漬《ゆづ》けでもちょっと召し上がってごらんになりませんか」
 などと世話をやくのを、利巧《りこう》ぶっても老人ふうになってしまったこの女は、自分が死んでしまえばどこへ行くであろうと、そんなことも想像して浮舟は悲しかった。もう寿命とは別にこの世から消えて行こうと思っているとほのめかして乳母に言おうとすると、まず自分自身が驚かされて涙の流れるのを隠そうとすれば、それでものが言えなかった。右近が近くへ来て、寝仕度《ねじたく》をしながら、
「あんまり物思いをあそばすと、物思いする魂は身体《からだ》を離れてしまいますから、奥様へも悪い夢になって現われるのでございましょう。どちらか一方へお心をお集めになって、どうにでも成り行きにおまかせなさいませ」
 と歎息もしつつ告げた。
 柔らかい着物を顔に押し当てるようにして浮舟の姫君は寝たそうである。

浮舟 版本说明

底本:「全訳源氏物語 下巻」角川文庫、角川書店
   1972(昭和47)年2月25日改版初版発行
   1995(平成7)年5月30日40版発行
※「宇治橋の長き契りは朽ちせじをあやぶむ方に心騒ぐな」の歌の前には、底本ではカギ括弧が二つありましたが、一つにしました。
※「薫《かおる》からまたも手紙の使いが来た。病気と聞いて今日はどうかと尋ねて来たのである。」は底本では、2字下げになっていますが、地の文と判断し、字下げ処理は入れませんでした。
※「自身で行きたいのですが、いろいろな用が多くて実行もできません。近いうちにあなたを迎えうることになって、かえって時間のたつことのもどかしさに気のあせるのを覚えます。」の冒頭は2字下げになっていますが、他の手紙文に合わせて全体を1字下げとしました。
※「蘆垣」と「葦垣」、「式部|少輔《しょうゆう》」と「式部|少輔《しょう》」の混在は底本通りにしました。
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月10日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:柳沢成雄
2005年2月23日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

54 蜻蛉

[#地から3字上げ]ひと時は目に見しものをかげろふのあ
[#地から3字上げ]るかなきかを知らぬはかなき(晶子)

 宇治の山荘では浮舟《うきふね》の姫君の姿のなくなったことに驚き、いろいろと捜し求めるのに努めたが、何のかいもなかった。小説の中の姫君が人に盗まれた翌朝のようであって、このいたましい騒ぎはくわしく書くことができない。
 京からの前日の使いが泊まって帰らなかったため、母夫人は不安がってまた次の使いをよこした。まだ鶏の鳴いているころに出立たせたと言っている使いにどうこの始末を書いて帰したものであろうと、乳母《めのと》をはじめとして女房たちは頭を混乱させていた。何のわけでどうなったかと推理してゆくことができずに、ただ騒いでいる時、浮舟の秘密に関与していた右近《うこん》と侍従だけには最近の姫君の悲しみよう、煩悶《はんもん》のしようの並み並みでなかったことから、川へ身を投げたという想像がつくのであった。泣く泣く夫人の送ってきた手紙をあけて見ると、
[#ここから1字下げ]
あまりにあなたが心配で安眠のできないせいでしょうか、今夜は夢の中であなたを見ることすらよくできないのです。眠ったかと思うと何かに襲われて苦しむのです。そんなことで気分もよろしくなくて困ります。移転される日の近くなったことは知っていますが、それまでの間をこの家へあなたを来させていたく思います。今日は雨になりそうですからだめでしょうが。
[#ここで字下げ終わり]
 と書かれてあった。昨夜浮舟の書いた返事もあけて読みながら右近は非常に泣いた。こんな覚悟をしておいでになったので心細いようなことをお言いになったのである、小さい時から少しの隔てもなく親しみ合った主従ではないか、隠し事は塵《ちり》ほどもなかった間柄ではないか、それだのに最後に自分をおうとみになり自殺の気《け》ぶりもお見せにならなかったのは恨めしいと思うと、泣いても泣いても足らず足摺《あしず》りということをしてもだえているのが子供のようであった。悲しんでいたことにはよく気はついていたのであるが、自殺などという恐ろしいことの決行できる方とは見えず、優しい柔らかい心の持ち主だったではないかと、まだ事実を事実として信じることができずにただ悲しいばかりの右近であった。乳母はかえってはげしい驚きのために放心して、
「どうすればいいだろう、どうすれば」
 とばかり言っているのである。
 兵部卿《ひょうぶきょう》の宮も普通でない気配《けはい》のある返事をお読みになったため、どんなふうな気になっているのであろう、自分を愛していることは確かであるが、移り気であると自分の言われていることに疑いを持っていたから、大将の手へ行くのではなくどこともなく行くえをくらまそうとするのではあるまいか、と不安でならずお思いになって使いをお出しになった。
 使いが来てみると家の中は女の泣き叫ぶ声に満ちていてお手紙を受け取ろうとする者もない。どうしたことかと下《しも》の女中に聞くと、
「姫君が昨晩にわかにお亡《かく》れになりましたので、女房がたはだれも気を失ったようになっていらっしゃるのですよ。御用をお取り次ぎしましてもだめでしょう」
 と言った。何の事情も知らぬ男であったから、くわしく聞くこともせずに帰ってまいった。そして山荘の出来事を取り次ぎによっておしらせしたのであった。宮は夢とよりお思われにならない。ひどく病をしているというふうでもなく、いつも気分がすぐれぬとは書いてあったが、昨日《きのう》の返事にはそれも書かず、平生のものよりも情の見えることを言って来たではないかと不思議にばかりお思われになって、時方《ときかた》に自身で宇治へ行き確かなことを調べて来るようにお命じになった。
「あの大将のお耳にどんなことがはいったのですか、宿直《とのい》をする者が忠実に役を勤めないというお叱《しか》りがあったとかで、私の侍が使いにまいったり、帰ったりいたしますのさえ、見つけますと調べ立てるようなことをする者らがあるそうなのですから、口実なしに私が行きまして、それが大将さんへ知れますとあなた様の御迷惑になることが起こるのではございませんでしょうか。そしてまた人が急病でお死にになった所などというものはおおぜいの人が集まってもいるでしょうから」
「だからといって、訳のわからぬままにしておけるものではない。何とか口実を作って行って、こちらの味方になっている侍従などに逢《あ》って、真相を確かめて来てくれ。どんなことをこういうふうに言っているかをね。下人というものはよくまちがったことを聞いて来たりするものだから」
 こう仰せられる宮の御様子においたましいところの見えるのももったいなくて時方はその夕方から宇治へ出かけた。この人たちが急いで行けば早く行き着くこともできるのであった。少し降っていた雨はやんだが泥濘《ぬかるみ》の路《みち》につかれていたし、はじめから侍風に装っていたのであるし、目だつこともなく門をはいることのできた山荘の中は混雑していた。今夜のうちにお葬儀をしてしまうのであるなどと皆の言っているのを聞いて時方はひどく驚かされた。右近に面会を求めたが逢えない。
「何が何やらわからぬふうになっていまして、起き上がる力もないのです。夜分おそくにでもなりましたらおいでくださいませ。お目にかかれませんのは残念でございます」
 と取り次ぎをもって言わせた。
「そうではありましょうが、こちらの御事情がわからぬままでは帰りようがありません。もう一人の方にでも逢わせてください」
 時方がせつに言ったために侍従が出て来た。
「とんだことになりまして、だれも想像のできませんようなふうでお亡《な》くなりになったものですから、悲しいなどと申す言葉では私どもの心持ちは出てまいりません。夢のように思いまして、だれも皆|呆然《ぼうぜん》としておりますとだけ申し上げてくださいませ。少しこうしました気持ちの納りますころになれば、その前にどんなに煩悶をしておいでになりましたかと申すことや、あの宮様のおいであそばした晩に心苦しく思召《おぼしめ》した御様子などもお話し申し上げることができるかと思います。触穢《しょくえ》の期間の過ぎました時分にもう一度またお立ち寄りください」
 と言って侍従ははげしく泣く。奥のほうにも泣き声が幾いろにも聞こえて、乳母らしく思われる声で、
「お姫様どこへいらっしゃいました。帰っておいでくださいませ。御|遺骸《いがい》さえ見られませんとはなんたる悲しいことでしょう。毎日毎日拝見しても飽くことのないあなた様でした。そのあなた様の御幸福におなりになるのを祈りますことで生きがいのあった私ではございませんか、それにあなた様は打ちやってお行きになりまして、どこへ行ったとも知らせてくださらない。鬼神でもあなた様を取り込めてしまうことはできないはずです。人が非常に惜しむ人は帝釈天《たいしゃくてん》も返してくださるものです。お姫様を取ったのは人にもせよ鬼にもせよ返しに来てください。御遺骸だけでも見せてほしい」
 こう叫んでいるうちに不審な点のあるのに気のついた時方は、
「真相を知らせてください。だれかがお隠しになったのですか。確かに知りたく思召して、御自身の代わりにおよこしになった私は使いです。今ははっきりしないままでも事は済むでしょうがあとでほんとうのことがお耳にはいった節、御報告が違っていたものでしたら使いの罪になります。まただれだれに逢えと、御好意を持つものと思召して御名ざしになったのに対しても相済まぬこととお思いになりませんか。一人の女性に傾倒される方は外国の歴史などにもありますが、宮様のあの方への御熱愛ほどのものはこの世にもう一つとはないと私は拝見しているのです」
 と言った。道理なことで、この場合の宮の御感情はさもこそと恐察される、隠しても姫君の普通の死でない噂《うわさ》は立つことであろうから、今申し上げておくほうがよいと侍従は思い、
「だれかがお隠ししたかという疑いも起こることでしたなら、こんなふうに家じゅうの人が悲しみにおぼれることもないでしょう。お悲しみになってめいったふうになっていらっしゃいましたころに、殿様のほうから少しめんどうなふうの仰せがあったのです。お母様である方も、あのわめいております乳母なども初めからの方へ迎えられておいでになりますことの用意に夢中でしたし、宮様のお志に感激しておいでになりました姫君の思召しはまた別でしたから、それでお頭《つむり》が混乱してしまったのでしょう、思いも寄らぬことになりまして心身ともに失っておしまいになったので、あの乳母のようなむちゃな叫びもされるのですよ」
 さすがに正面から言おうとはせずにほのめかしていることのあるのを内記も知った。
「それではまたお静かになってから改めて伺いましょう。立ちながらの話にしてはあまりに失礼なことになります。そのうち宮様御自身でもおいでになることになりましょう」
「もったいない、それはいけません。今になりましていっさいの秘密の暴露してしまいますことは、お亡《な》くなりになりました方のためにあるいは光栄なことかも存じませんが、十分隠したく思召したことですから、秘密は秘密のままにしてお置きくださいますほうが御好志になります」
 などと侍従は言い、姫君の最後が普通の死でないことをほかへ洩《も》らすまいとしていても、自然に事実は事実として人が悟ってしまうことであろうと思い、[#「、」は底本では「。」]こんな会談を長くしていることも避けねばならぬと思う心から時方を促して去らしめた。
 雨の降る最中に常陸《ひたち》夫人が来た。遺骸があっての死は悲しいといっても無常の世にいては、どれほど愛していた人でもある時は甘んじて受けなければならぬのが人生の掟《おきて》であるが、これは何と思いあきらめてよいことかと悲しがった。苦しい恋の結末をそうしてつけたことなどは想像のできぬことで、身を投げたなどとは思い寄ることもできず、鬼が食ってしまったか、狐《きつね》というようなものが取って行ったのであろうか、昔の怪奇な小説にはそんなこともあるがと夫人は思うのであった。また常に恐れている大将の正妻の宮の周囲に性質の悪い乳母というような者がいて、薫《かおる》が浮舟をここへ隠して置いてあることを知り、だまして人につれ出させるようなことがあったのではあるまいかと、召使いに疑いをかけて、
「近ごろ来た女房で気心の知れなかったのがいましたか」
 と問うた。
「そんなのはあまりにこちらが寂しいと申していやがりまして、辛抱《しんぼう》もできませんで、京へお移りになればすぐにまいりますというような挨拶《あいさつ》をしまして、仕事などだけを引き受けて持って帰ったりしまして、現在ここにいるのはございません」
 答えはこうであった。もとからいた女房も実家へ行っていたりして人数は少ない時だったのである。侍従などはそれまでの姫君の煩悶を知っていて、死んでしまいたいと言って泣き入っていたことを思い、書いておいたものを読んで「なきかげに」という歌も硯《すずり》の下にあったのを見つけては、騒がしい響きを立てる宇治川が姫君を呑《の》んでしまったかと、恐ろしいものとしてそのほうが見られるのであった。ともかくも死んでおしまいになった人が、どこへだれに誘拐《ゆうかい》されて行っているかというように疑われているのは気の毒なことであると右近と話し合い、あの秘密の関係も自発的に招いた過失ではないのであるから、親である人に死後に知られても姫君として多く恥じるところもないのであると言い、ありのままに話して、五里霧中に迷っているような心境をだけでも救いたいと夫人を思い、また故人も遺骸を始末するのが世の常の営みなのであるから、そのまま空で悲しんでばかりいることをしていては日が重なるにしたがい秘密は早く世の中へ知られてしまうことでもある、その体裁も相談して作るほうがよい、どうしても真実を母夫人に知らす必要があるとして、ひそかに兵部卿の宮との関係、そののち大将に秘密を悟られて姫君が煩悶した話をするのであったが、語る人も魂が消えるようになり、聞く人もさらに予期せぬ悲哀の落ち重なってきたふためきをどうすることもできないふうであった。それではこの荒い川へ身を投げて死んだのかと思うと、母の夫人は自身もそこへはいってしまいたい気を覚えた。流れて行ったほうを捜させて遺骸だけでも丁寧に納めたいと夫人は言いだしたが、もう大海へ押し流されたに違いない、効果は収めることができずに人の噂だけが高くなることははばからなければならぬことを二人は忠告した。どうすればよいかと思うと胸がせき上がってくる気のする常陸夫人は、どうと定めることもできずに茫《ぼう》としているのを二人がたすけて、車を寄せさせて姫君の常に坐《ざ》していた敷き物、身近に置いた手道具、もぬけになっていた夜具などを入れ、乳母の子の僧と、それの叔父《おじ》にあたる阿闍梨《あじゃり》、そのまた親しい弟子《でし》、もとから心安い老僧などで忌中を籠《こも》ろうとして来ていた人たちなどだけに真実のことを知らせ遺骸のあってする葬式のように繕わせて出す時、乳母は悲しがって泣き転《まろ》んだ。宇治の五位、その舅《しゅうと》の内舎人《うちとねり》などという以前に嚇《おど》しに来た人たちが来て、
「お葬式のことは殿様と御相談なすってから、日どりもきめてりっぱになさるのがよろしいでしょう」
 などと言っていたが、
「どうしても今夜のうちにしたい理由《わけ》があるのです、目だたぬようにと思う理由もあるのです」
 と言い、その車を川向かいの山の前の原へやり、人も近くは寄せずに、真実のことを知らせてある僧たちだけを立ち合わせて焼いてしまった。火は長くも燃えていなかった。田舎《いなか》の人はこうした作法はかえって都人より大事にするもので、そしてこの場合の縁起を言ったりすることもうるさいほどにするものであったから、大家の夫人の葬儀とも思われぬ貧弱な式であったと譏《そし》る人があったり、また側室であった人の場合はこんなふうにして済まされるのが京の風俗であるなどと言ったり、いずれにもせようれしくない取り沙汰《ざた》を人はした。そうした階級の人がどう思ったかということさえもつつましいこの場合に、大将が遺骸も残さず死んだと聞いては必ずどこかへ失踪《しっそう》をしてしまったことと疑うであろうし、親族関係の濃い宮様のほうへその話の伝わってゆかぬはずもない、その時に宮がお隠しになったと大将は思うまい、どんな人が隠しているかと思い想像もされるに違いない、生きていた間は高い貴人たちに愛される運命を持った人が、死後に醜い疑いをかけられるのはもってのほかであると女房らは思い、山荘の中の下人たちにも今朝《けさ》姫君の姿の見えなかった騒ぎに、思わずも実相を悟らせることになった者らへは口堅めを厳重にし、知らなかったのにはあくまでも普通の死であったように取り繕うことに侍従と右近は骨を折った。時間がたったのちには浮舟の姫君が死を決意するまでの経過を宮へも大将へもお話しすることができようが、今は興ざめさせるような死に方を人の口から次へ次へと聞こえることは故人のために気の毒であると思い、この二人が自身らの責任を感じる心から深く隠すことに努めた。
 この時に薫は母宮が御病気におなりになって石山寺へ参籠《さんろう》をあそばされるのに従って行っていて騒がしく暮らしていたのであった。京よりもまだ遠くにいて宇治のことが気がかりでならぬ薫でもあったが、はかばかしく消息をする人もなかったために、葬儀にも大将家の使いの立ち合わなかったのは山荘の人々の情けなく思うところであったが、荘園の人が石山へ行ってはじめて姫君の死は薫へ報じられたのであった。使いはその翌日の早朝に宇治へ来た。
[#ここから1字下げ]
非常なことの起こったしらせを受け、すぐにも自分で行くべきですが、母宮の御病気のために日数をきめて籠《こも》っているために、それも実行ができません、昨夜にもう葬送を行なったということですが、なぜそれは私へ相談をしませんでしたか、そして日を延べることが普通ではありませんか。しかも簡単に儀式をしてしまったと聞いて残念に思います。どうしてもこうしても同じことですが、一人の人間の最後の式ですから、田舎《いなか》の人たちの譏《そし》りを受けたりすることになっては、自分のためにも迷惑です。
[#ここで字下げ終わり]
 と、あの親しく思っている大蔵|大輔《たゆう》を使いにして言わせたのであった。使いの来たことでまた悲しみが新しくなったし、答える言葉も何と言ってよいかわからぬ時であってみれば、人々は泣くのを挨拶《あいさつ》に代えて何とも申し出すことはできなかった。
 薫は思いがけぬ愛人の死に落胆をして、情けない場所である、幽鬼などが住んでいてそうした災厄《さいやく》をしばしば起こすのでなかろうか、それと気もつかずにどうして長く宇治などへ置いていたのだろう、不快な関係がほかに結ばれたらしいことなども、ああした不用心な所へ住ませておいたために隙《すき》をうかがわせることになったに違いない、と思われるのも皆自分の非常識に原因したことであると胸が痛くなるほどにも悔まれた。御病気で専念に仏へ祈っておいでになる母宮のおそばでこんな煩悶《はんもん》をしているのはよろしくないと思い薫は京の邸《やしき》へ帰った。夫人の宮のところへは行かずに、
「たいしたことではないのですが、身辺に不幸が起こったものですから、しばらく落ち着きますまで、縁起の悪いことにもなりますから謹慎していようと思います」
 などと御挨拶をしておいて、一人で人生の深い悲しみを味わっていた。浮舟《うきふね》の容姿の愛嬌《あいきょう》があって、美しかったことなどを思い出すと、非常に恋しくなり、悲しくなる薫は、その人の生きていた時には、それをそうと認めようとはせずに、たびたび逢いに行こうともせず、寂しい思いばかりをさせて来たのであろうと思う後悔があとからあとからわいてくる。恋愛について物思いの絶えない宿命をになっている自分である、信仰生活を志していながら俗から離れずにいるのを仏が憎んでおいでになるのであろうか、悟らせようとしての方便には未来の慈悲を隠してこんな残酷な目も仏はお見せになるものであると、思い続けて仏勤めをばかりしていた。
 浮舟をお失いになった兵部卿の宮は、まして二、三日は失心したようになっておいでになったため、どうした物怪《もののけ》が憑《つ》いたかと周囲の人たちが騒いでいるうちに、ようやく涙が流れ尽くしてお心が静まってきたと同時に、生きていた日の浮舟が恋しくばかりお思い出されになるのであった。他人には重く病気をしているふうを見せて、亡《な》き恋人を思う悲歎に沈んでいることは知らせないでいるのであると、御自身では思召したが、自然御様子にそれが現われるものであるから、どんなことにお出逢いになって、こんなに命もあぶないまでに悲しんでおいでになるのであろうという人もあるために、大将もそれを知り、故人とは自分の想像したような関係を作っておいでになったらしい、手紙をおやりになったりするだけのことではないのであった、宮が御覧になれば必ず深い愛着をお覚えになるはずの人であった、生きていたならば自分は裏切られた男としての醜名を取らなければならないのであったと、こう思うようになってからは少し故人へのあこがれがさめた気のする薫であった。
 兵部卿の宮の御病気見舞いに伺候せぬ人もなく、世間の騒ぎにもなっている場合であるのに、たいした喪というわけでもないのに、自分がお見舞いにならないのも僻見をいだいているように見られることであろうからと思い、薫は二条の院へ伺った。この時分に式部卿《しきぶきょう》の宮と言われておいでになった親王もお薨《かく》れになったので、薫は父方の叔父《おじ》の喪に薄鈍《うすにび》色の喪服を着けているのも、心の中では亡き愛人への志にもなる似合わしいことであると思っていた。顔は少し痩《や》せていよいよ艶《えん》に見えた。お見舞い客が皆去ったあとの静かな夕方であった。
 宮は御病気らしくお見えにはなっても、ただお気持ちが重く沈んでしかたがないという御状態にすぎないのであったから、うとうとしい人とは御面会にならぬが、お居間の中へ平生はお通しになる御親交のある人たちとはお逢いになるのであったから、薫を御引見になったが、その人の顔を御覧になると理由もなく恥ずかしくお思われになり、心弱くなっておいでになるのが隠しきれぬような涙になって出るのをきまり悪く思召しながらも、よく心持ちをお抑《おさ》えになり、
「たいした病気ではありませんが、だれもが悪くなってゆく兆候のある容体だと言って騒ぐものですから、お上《かみ》も中宮《ちゅうぐう》様も御心配あそばされるのが苦しく思われてね。それにつけてもまた人生の心細さが感ぜられてなりませんよ」
 こうお言いになり、ちょっと袖《そで》で押すほどに拭《ぬぐ》うてお済ませになるつもりでおありになった涙が、どうしたかとめどもなく流れ落ちるのを、見苦しいと思召すのであるが、浮舟のために泣くとは大将に気のつくはずもなかろう、ただ人生にめめしく執着をしていると見えるだけであろうと、薫の心中を御推測のできぬ宮は思っておいでになった。やはり恋人の死ばかりを悲しんでおいでになるのであった、いつごろからあった事実なのであろう、自分を滑稽《こっけい》な男と長い間笑っておいでになったのであろうと思い、薫は悲しみもそれで忘れることができているのを宮は御覧になり、死んだ愛人に対して非常に冷淡なものである、ものの痛切に悲しい時には全然関係のないことにさえ涙が誘われ、空を鳴いて通る鳥の声にも哀傷の思いは催されるはずではないか、自分が何の悲しみによって病んでいるかを知ったなら、同情から平気には見ておられぬ人なのであるが、人生の無常を深く悟り澄ました人はこんなに冷静なふうでいられるのであろうとうらやましく、御自身の及びがたさをお覚えになるのであるが、「我妹子《わぎもこ》が来ては寄り添ふ真木柱《まきばしら》そも睦《むつ》まじやゆかりと思へば」という歌のように、あの人を愛した男であるとお思いになるとこの人にさえ愛のお持たれになる兵部卿《ひょうぶきょう》の宮であった。この人とある日は向かい合っていたのかとお思いになると、形見であるというように薫の顔がお見守られになった。いろいろな世間話を申しているうちに、絶対に浮舟のことは言いださぬという態度はお取りしたくないと思い、
「私は昔からどんなこともあなた様に申し上げないで、自分だけで思っているのがとても苦しいのではございますが、今では知らぬまに私のような者も大官になっておりますし、ましてあなた様はいろいろとお忙しい身の上でお閑暇《ひま》などはありますまいと存じまして、宿直《とのい》などをいつでも申し上げて話を聞いていただくようなこともできませず日を過ごしておりましたが、こんなことをひとつお聞きください。昔も御承知のあの山里に若死にをしました恋人と同じ血統《ちすじ》の人が意外な所に一人いると聞きまして、昔の人の形見にときどき顔を見て慰めにしようと思ったのですが、ちょうど私といたしましては、そんなことをしては、世間からわけもなく悪く批評をされる時だったものですから、昔の寂しい山里へつれて行ってあったのでございます。そして始終は訪《たず》ねて行ってやることもない間柄になっていましたし、その人も私一人にたよる心もなかったように見えましたが、唯一の妻としては、そうした不純な心のあることは捨ておけないことですが、愛人としておくぶんには許されなくはないものですから、可憐《かれん》に見ておりましたが突然|亡《な》くなったのでございます。人生の悲哀がまたしみじみと味わわれまして、寂しい思いをしております。もうそのことはお耳にもどちらからかはいっておりますでしょう」
 と言って、この時になって泣き出した。薫《かおる》としてもこれほど悲しむふうはお見せすまいと自戒していたのであったが、こぼれ始めてはとどめがたい涙になった。その様子に別な意味もあるふうなのを宮もお悟りになり、気の毒に思召したが、素知らぬふうをあそばした。
「御愁傷をお察しします。そのことは昨日ちょっと聞いたのでした。御弔問をしたく思いましたが、秘密にしておありになるのだとも聞いたものですから」
 言葉少なにこうお言いになった。長く言うに堪えがたいお気持ちになっておいでになったのである。
「お目にかけましたら興味をお覚えになりますだけの価値のある女性でしたが、それは私の思いますだけでなくあなたの奥様のほうの縁故のある人でしたから、もう顔など知っておいでになったかもしれません」
 などと少しほのめかして薫は、
「御病気中はうるさい世の中のことなどをお耳に入れましては御安静をお妨げすることになってもよろしくございません。よく御養生をなさいまし」
 と申して辞し去った。非常に悲しがっておいでになった、故人を哀れな存在とは見たが、現在の帝王と后《きさき》があれほど御大切にあそばされる皇子で、御|容貌《ようぼう》といい、学才と申して今の世に並ぶ人もない方で、すぐれた夫人たちをお持ちになりながら、あの人に心をお傾け尽くしになり、修法、読経《どきょう》、祭り、祓《はらい》とその道々で御|恢復《かいふく》のことに騒ぎ立っているのも、ただあの人の死の悲しみによってのことではないか、自分も今日の身になっていて、帝《みかど》の御女《おんむすめ》を妻にしながら、可憐《かれん》なあの人を思ったことは第一の妻に劣らなかったではないか、まして死んでしまった今の悲しみはどうしようもないほどに思われる、見苦しい、こんなふうにはほかから見られまいと忍んでいるのであるがと薫は思い乱れながら「人非木石皆有情《ひとほくせきにあらずみなうじやう》、不如不逢傾城色《しかずけいせいのいろにあはざるに》」と口ずさんで寝室にはいった。葬儀なども簡単に済ませたことを宮も飽き足らず思召したことであろうと哀れに思われて、母の身分がよろしくなくて、異父の弟などが幾人も立ち合ってなどとあとに言われることを避けて急いでしたのであろうがと不愉快に薫は思った。くわしい様子も聞かないでいることも物足らず思われ、自身で宇治へ行ってみたいと思うのであるが、喪の家へそのまま忌の明けるまで籠《こも》っているのも自分としてははばかられる、行くだけ行ってすぐに帰るのも心苦しいことであると思いもだえていた。
 月が変わって、今日は宇治へ行ってみようと薫の思う日の夕方の気持ちはまた寂しく、橘《たちばな》の香もいろいろな連想《れんそう》を起こさせてなつかしい時に、杜鵑《ほととぎす》が二声ほど鳴いて通った。「亡《な》き人の宿に通はばほととぎすかけて音《ね》にのみなくと告げなん」などと古歌を口にしたままではまだ物足らず思われ、二条の院へ兵部卿の宮の来ておいでになる日であったから、橘の枝を折らせて、歌をつけて差し上げた。

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忍び音《ね》や君も泣くらんかひもなきしでのたをさに心通はば
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 宮は中の君の顔の浮舟によく似たのに心を慰めて、二人で庭をながめておいでになる時であった。言外に意味のあるような歌であると宮は御覧になり、

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橘の匂《にほ》ふあたりはほととぎす心してこそ鳴くべかりけれ

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なんだかかかりあいのあるようなことが言われますね。
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 とお返事をあそばした。宮と浮舟の姫君の関係もまたその人の死も何に基因するかも今は皆わかってしまった中の君は、姉の女王《にょおう》も妹の姫君も物思いがもとで皆若死にをしたあとに、自分だけが残っているのは感情の鈍《にぶ》い質であるからであろうか、それといってもいつまでも生きていられることかと心細く思った。宮も隠してお置きになっても、いずれは知れてしまうことであるのに、隔てを置いたままでいるのは苦しいことであると思召して、浮舟との関係を少しは取り繕って夫人へお話しになった。
「だれであるのかをあなたがどこまでも隠そうとしたのが恨めしかったために反発《はんぱつ》的にそんなことにまで進んでしまったのですよ」
 など、泣きも笑いもしながらお語りになる相手が、恋人の姉であることにお慰みになるところも多かった。形式が簡単でなく、ちょっとお身体《からだ》の悪いことのあっても騒ぎがはなはだしくなり、見舞いに集まる人も多く、父の大臣、その息子《むすこ》たちと絶え間なしに病床に付き添っているようなところと変わり、二条の院においでになることは気楽でなつかしい気分を十分お得になられることであったのである。浮舟の死んだことはまだ夢のようにばかりお思われになり、どうして急にそうなったかという不審がお解けにならぬため、例の内記たちをお召しになり、右近を呼びにおつかわしになった。
 母の常陸夫人も宇治川の音を聞くと自身も引き入れられるような悲しみが続くために困って京へ帰って行った。念仏の役を勤める僧だけが頼もしい人のようなかすかな家と見えたが、内記がはいって行っても、人が来るとすぐに外を見まわりに来るような宿直《とのい》の侍もない。今はこうであるのに、あの最後の時にだけはこんな者たちが妨げて宮をお入れしなかったと時方《ときかた》らは思い出して悲しんだ。それほどまでに悲しみにお溺《おぼ》れにならずともよいではないかと、常は非難がましく宮をお思いしている人たちであるが、ここへ来て見ると、あの無理をして通っておいでになったあの場合、その場合が思い出され、宮にお抱かれして船に乗った方の美しかったことなどを思い出すと、だれも心強くなっておられる者はなくなって皆泣いていた。
 右近が出て来て非常に泣くのももっともなことと思われた。宮がこういう思召しで迎えのために自分らをおつかわしになったということを語ると、今になって他の女房たちからも怪しいことと言われ、思われするであろうことが苦しく考えられて、
「まいりましてもよくおわかりいただきますほどな細かなお話がまだできます自信がございません。お四十九日が済みましたあとで、ちょっと外へまいると申すような体裁を作りましても不自然でないころになりました時、私はもう生きても居られない気はいたしますものの、まだ生き延びておられましたなら、お召しがございませんでも伺いまして、ほんとうに夢のようでございました悲しいお話も申し上げたいと思います」
 と言い、今は動きそうにもない。内記も泣いて、
「私は何も細かい御関係のことまでは知らないのですし、事情もわかりませんが、宮様がどんなに深い愛をお持ちになりましたかということだけは存じ上げていたものですから、あなたがたとも急いで御懇意にならずとも、しまいには御主人としてお仕えする方についておいでになる方と思いまして呑気《のんき》にして来たのですが、お亡《かく》れになってはじめてあなたがたにもいろいろと御心配をお掛けしたことが相済まぬ、あなた様はよくお尽くしくださいましたと感謝の念でいっぱいに心がなりました」
 などと言っていた。
「車も宮御自身でお指図《さしず》になってお持たせになったのですから、あき車をまた引かせては帰れません。もう一人の方でも来てくださいませんか」
と内記が言うので、右近は侍従を呼び、
「あなたが伺ってください、私の代わりに」
 と言った。
「あなたでさえもお話を申し上げる自信が持てないのに、私にどうしてそれができましょう。それにしましても忌中の者がお邸《やしき》へまいったりすることは縁起の悪いことではございませんか」
「御病気のためにいろいろなふうに御謹慎をなさらねばならなくなっていらっしゃいますが、そんなこともかまっておいでになれない御様子なのです。また考えてみますと、あれほどお愛しになった方のためには宮様御自身が忌におこもりになってもよろしいわけなのですからね、もう忌の残りが幾日もあるのではないのですから、ぜひお一人だけは来てください」
 内記がこう責めるので、侍従も宮の御様子をおなつかしく思い出している心から、もう一度お目にかかりうる機会などというものはありえないことであるから、こうした時にでもと願うようになり、まいることにした。黒い服ながら引き繕って着た姿はきれいであった。裳《も》は現在では主人のいない家であったから喪の色のも作らなかったため、淡紫《うすむらさき》のを持たせて車に乗った。姫君がおいでになったなら、宮にこうして迎えられておいでになったであろう、自分はその時にお付きして行こうと心にきめていたのであったがと思い出すのは悲しかった。途中をずっと泣きながら侍従は二条の院へまいった。
 兵部卿の宮は侍従の来たしらせをお受けになっても身にしむようにお思われになった。夫人へは恥ずかしくてお話しにはならなかったのである。宮は寝殿のほうへおいでになり、そこの廊のほうへ車を着けさせて侍従を下《お》ろさせになった。
 浮舟《うきふね》のことをくわしく聞こうとあそばすと、そのずっと前から煩悶《はんもん》をし続けていたこと、その前夜にひどく泣いたことなどを言い、
「怪しいほどお口数の少ない方で、内気でいらっしゃいましたから、遺言らしいことは何もなさいませんでした。夢にも自殺などという強いことのおできになるとは思われませんでした」
 などと侍従が話すことによって、宮はいっそうお悲しみが深くなり、命数が尽きて死んだということよりも、どんなに物思いを多くして恐ろしい川へなど身を投げたのであろうと御想像あそばすのが苦しく、その時に見つけることができてとどめえたならばと、沸きかえるような心持ちにおなりになるのであるが、今ではすべてむなしいことであった。
「あのお手紙を始末してお焼きになりました時に、なぜ私らの頭が働かなかったのでございましょう」
 と侍従は言ったりして、夜の明けるまで語っても語り足りないというふうであった。寺からもらった経巻へ書いて母君の返事にした歌のことなどもお話しした。侍従などは何とも宮の思っておいでにならなかった女であったが、哀れに思召すために、
「自分の所にいるがよい。あちらにいる奥さんもあの人には他人でなかったのだから」
 と仰せられたが、
「そうしてお仕えさせていただきましては何も何も悲しいことになりましょう。ともかくもお忌を済ませましてから、どうとも身の振り方を考えます」
 侍従はこう申し上げた。
「また来るがいい」
 こんな人とすらも別れるのを悲しく宮は思召した。浮舟のために作らせておありになった櫛《くし》の箱一具、衣裳《いしょう》箱一つを宮は贈り物にあそばした。その人のためにお設けになった物は多かったのであるが、これはただ内記に託しておこしらえになっただけのものであった。
 突然山荘を出て来て、こうした戴《いただ》き物をして帰っては他の人々が何と思うであろう、少し困ったことであると侍従は思ったのであるが、御辞退のできることでもなかった。
 宇治へ帰った侍従は右近と二人でひそかに櫛の箱と衣箱の衣裳をつれづれなままにこまごまと見た。はなやかな錦繍《きんしゅう》の服と精巧な作の箱、その中の小箱を見ながらも二人は非常に泣いた。喪にこもっている自分たちはこれをどう隠しておればいいかということにも苦心を要した。
 薫も思い余って宇治へ行くことにした。途中からもう昔のことがいろいろと胸へ集まってきて、どんな因縁で八の宮の所へ自分は行き始めたのであろう、二人の女王に失恋をして、父宮から子とも認められなかった人にまで縁が生じ、この一家との結ばれによって物思いばかりを自分はし続ける、尊い悟りをお持ちになった方へ仏の導きで近づき、未来の世界での交わりを約していながら、女王に心を引かれ始めて、信仰をよそにした報いを受けるのであろうと、こんなことも思われた。
 大将は右近を前に呼んで話そうとしたが、悲しみが先に立ちはかばかしい質問もできない。
「もう忌の残りの日も少なくなったのだから済んでからと思ったが、どうしても待ちきれないものがあって来た。どんな病状でにわかにあの方は死ぬようになられたか」
 と問われ、右近は弁の尼なども姫君の遺骸のなくなっていたことは気《け》どっているのであるから、隠してもしまいには薫の耳にはいることに違いない、かえってことを蔽《おお》おうとして誤解を招くことになっては姫君が気の毒である、あの不始末を処理するためにはいろいろな嘘《うそ》も言われたのであるが、このまじめな人に対しては、今までも逢《あ》った時にはこうも弁解しああも言ってと考えていたことは皆忘れてしまい、嘘は恐ろしくなり真実の話をした。これは薫の想像にものぼらなかったことであったから、驚きのためにしばらくはものも言われなかった。それを真実とは信じがたい、普通の人が煩悶《はんもん》をしたり、悲しんだりする場合にも多くは口に言わずおおようにしていた人にどうしてそんな恐ろしいことが思い立たれるか、そのほかの事実を自分へこう取り繕って言うのではなかろうかと、いっそう心の乱れてゆくのを覚える薫であったが、しかしあの人をお隠しになったようでもなく宮が悲しんでおいでになったことは著しいことであったし、この家の様子も、死が作り事であれば自然に気配《けはい》が違っているはずであるのに、自分の来たのを見ると人は上から下まで集まって来て泣き騒いでいるではないかと考え、
「奥さんといっしょに行ってしまった人があるか、もっと詳細にその時のことを言ってくれ。私に誠意がないからほかへ行ってしまう気にあの人がなったとは思われない。何もなくてにわかにそんなことができるか、私は信じることができない」
 と言った。予期した詰問であると右近は恐れた。
「もうおわかりになっていらっしゃいましたでしょうが、宮様の姫君としてお育てられになったのではございませんでしたから、心でいろいろ御苦労をなされた方でございます。それが寂しいお住まいをなさることになりましてからはいつからともなく物思いをなさいますことになりましたのですが、たまさかにもせよあなた様がおいでになります時のお喜びで過去の不幸も御自身でお慰めになりながらも始終お逢いあそばすことのできますような日の出現を、口に出してはおっしゃいませんでしたが始終そればかり待っておいでになったふうでございました。ようやくそのお望みのかないます御様子と私どもにもうかがえますことがございまして、うれしく存じて御用意にかかっておりまして、常陸守《ひたちのかみ》の奥様もやっとお喜びになることができた御様子でお仕度《したく》のことなどをあちらからもいろいろとお世話をしていらっしゃいましたころになりまして、姫君には御合点のゆかぬような御消息がございましたそうで、それと同時に宿直《とのい》をいたしている侍たちが女房の中に品行の修まらぬ者があるとか京のお邸《やしき》で申されたとか言いだしまして、ものの理解のない田舎《いなか》の人が無遠慮なことをよく言ってまいったりすることになりますし、あなた様から久しくおたよりもございませんことなどから、自分は薄命なものだと小さい時から知っていたのを、人並みの幸福を得させようと心を砕いておいでになる母君が、また今になって自分が世間の笑われものになったりしては、どんなに力を落とすだろうと、こんなお心持ちをそれとなく私どもへ始終言ってお歎きになりました。それ以外に何があるかと考えましても、何も思い当たることはございません。鬼が隠すことがありましても片端くらいは残すでしょうのに」
 と言って右近の泣く様子は、見ていても堪えられなくなるほどのものであったから、宮との例の恋愛の事実は無根でないらしいと悟った時から少し紛れていた薫の悲しみがよみがえり、せきあえぬふうにこの人も泣いた。
「自分の身が自分の思っているとおりにはできず、晴れがましい身の上になってしまったのだから、逢って慰めたいという心の起こる時も、そのうち近くへ呼び寄せ、家の妻にも不安を覚えさせないようにしてから、長い将来を幸福にしたいと、自分をおさえてきたのを、誠意がなかったように思われたのも、かえってあの人に二心があったからではないかという気がされる。もうそんなことは言わずにおこうと思ったが、だれも聞いていないのだから事実を私に聞かせてくれ、それは兵部卿《ひょうぶきょう》の宮様のことだ。いつごろからのことだったのか、恋愛の技術には長じておいでになる方だから、女の心をよくお引きつけになって、始終お逢いできぬ歎きがこうさせておしまいになり、命もなくしたのではないかと思う。隠さずに真実を言ってくれ。自分に少しの欺瞞《ぎまん》もないことを言ってほしい」
 と薫《かおる》の言うのを聞いて、確かなことを皆知っておしまいになったようである、この方もお気の毒であるし、故人もおかわいそうであると右近は思った。
「情けないことをお聞きあそばしたものでございますね。右近がおそばにおらぬ時といってはございませんでしたのに」
 と言い、右近はしばらく黙っていたが、
「そんなこともお聞きになっていらっしゃいましょうが、お姉様の二条の院の奥様の所へ行っておいでになりました時、思いがけずそのお部屋《へや》へ宮様がお見えになったことがあるのでございますが、失礼なことも皆でいろいろ申し上げましてお立ち去りを願ったのでございました。実はそれを恐ろしいことに思召して、あの三条の仮屋《かりや》のような所にしばらくお住いになったのでございます。それからは決してお在処《ありか》をお知らせしますまいと警戒をいたしておりましたのに、どういたしましたことか今年《ことし》の二月ごろからおたよりがまいるようになりました。お手紙はたびたびまいったのですが、丁寧にお頼みになることもございませんでしたのを、もったいないことで、そうしてお置きになりますことはかえって悪い結果を生みますと私などがお勧めいたしましたので、一度か二度はお返事をあそばしたことがあったようでございます。それ以外のことは何もございません」
 こう言った。そう言うべきことである、しいてそれ以上を聞くのもこの人がかわいそうであると薫は思い、じっとひと所をながめながら、宮をお愛ししたのであろうが、自分をもおろそかには思えなかったらしい、迷い迷って死におもむいたのであろう、自分がこうした寂しい場所へさえ置かなんだならば、世の中の波にもまれることはあっても、自殺までもすることはなかったであろうと思うと、この川のあったがために悲しい結末を見ることになったのであると、宇治の流れを憎く思う薫であった。恋しい人の縁で荒い山路《やまみち》を往復《ゆきかえり》することを何とも思わなかった薫は、この時になって宇治という名を聞くことさえいやであるように思った。宮の夫人があの姫君のことを初めに戯れて人型《ひとがた》と名づけて言ったのも、川へ流れてゆく前兆を作ったものであったかと思うと、何にもせよ自分の軽率さから死なせたという責任も感じられた。母の現在の身分が身分であったから、葬式なども簡単にしてしまったのであろうと不快に思ったこともくわしく聞いたことによって、そうした想像をしたことが気の毒になり、母としてはどんなに悲しがっていることであろう、あの身分の母の子としてはりっぱ過ぎた姫君であったのを、陰のことは知らずに自分との縁により、姫君が煩悶をしたこともあったとして悲しんでいることかもしれぬなどと同情がされるのであった。穢《けが》れというものはこの家にないはずであるが、供の人たちへの手前もあって家の上へは上がらず車の榻《しじ》という台を腰掛けにして妻戸の前で今まで薫は右近と語っていたのである。これを長く続けているのも見苦しく思われて茂った木の下の苔《こけ》の上を座にしてしばらく休んでいた。もう山荘に来てみることも心を悲しくするばかりであろうから、今後来ることはないであろうと思い、その辺を見まわして、

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われもまたうきふるさとをあれはてばたれ宿り木の蔭《かげ》をしのばん
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 こんな歌を口ずさんだ。
 以前の阿闍梨《あじゃり》も今は律師になっていた。その人を呼び寄せて浮舟《うきふね》の法事のことを大将は指図《さしず》していた。念仏の僧の数を増させることなども命じたのであった。自殺者の罪の重いことを考えてその滅罪の方法も大将はとりたい、七日七日に経巻と仏像の供養をすることなども言い置いて、暗くなったのに帰って行く時、あの人がいたならば今夜は帰ることでないのであると悲しかった。尼君の所へ人をやったが、
「私と申すものが凶事のしるしのように思われまして、心をめいらせておりますこのごろは、以前よりもいっそうぼけてしまいまして、うつ伏しに寝《やす》んだままでおります」
 と言い、話しに出てこなかったので、しいて逢おうとは言わなかった。
 途《みち》すがら薫は浮舟を早く京へ迎えなかったことの後悔ばかりを覚えて、水の音の聞こえてくる間は心が騒いでしかたがなかった。遺骸だけでも捜してやることをしなかったと残念でならないのであった。どんなふうになってどこの海の底の貝殻《かいがら》に混じってしまったかと思うと遣瀬《やるせ》なく悲しいのであった。
 常陸夫人は京に産をする娘のあるために潔斎潔斎ときびしく言われる家へははいれないで、他のところにいて悲しみの休む間《ひま》もないのである、その娘もまたどうなることかと不安だったがそれは安産した。穢《けが》れがあってはこれも見に行くことができないのである、そのほかの子供たちのことも皆忘れたようになり、茫然《ぼうぜん》としている時に右大将からそっと使いが来て手紙をもらった。ぼけている心にもそれはうれしかったが、また悲しくもなった。
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思いがけぬ不幸にあい、まずあなたに悲しみを訴えたいと思ったのですが、心が落ち着かず、また涙に目も暗くなる気がして実行はできませんでした。ましてあなたはどんなに悲しんでおいでになることだろう。涙に沈んでおいでになることだろうと思いますと、手紙をあげてもお読みにはなれまいと遠慮も申しているうちに日がずんずんとたちました。人生の常なさがことごとに形となってわれらをおびやかします。この悲しみにも堪える力の許されて、私が生きていましたなら、故人の縁のあった者として何かのことは御相談もしてください。
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 などとこまやかな心で書かれたものだった。使いにはあの大蔵|大輔《たゆう》が来たのである。
「すべてを気長に考えていたものですから、かなり月日はたっていても、必ずしも私を誠意のある婿とは思ってくださらなかったでしょう。しかし今は何につけてもあなたの御一家のことは念頭に置いて忘れますまい。またそのように内々信じてくだすって、お力になるものと思っていてください。小さい息子《むすこ》さんたちもあるそうですが、仕官をおさせになる場合には必ず後援をするつもりで私はいます」
 と、言葉でも伝えさせた。ひどく忌む性質の穢れでもないからと言って、夫人はしいて大輔を座敷へ招じた。そして返事を泣く泣く書いていた。
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悲しい思いをいたしますだけでは死なれませぬ命を歎いております私へ、もったいないおいたわりの言葉などのいただけますとは夢想もいたしませんでした。故人がおりました間、心細い様子は見ておりながら、それは私自身の無力からであると存じまして、ただおそれ多い行く末かけてのあたたかいお言葉一つを頼みにいたしておりましたが、死なせましてあとではあの地との因縁が悲しくばかり思われてなりません。いろいろと将来のことでうれしい仰せを賜わりましたことで、命の延びることにもなりまして、今しばらく生きてまいれますことになりましたら、その息子たちのことであなた様のお力におすがり申し上げる日もあろうと思いますにつけましても、あの人の亡くなってありませぬ現在の悲しみに目も涙で暗くなるばかりでございまして、感謝の思いも書き尽くすことができませんのをお許しください。
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 などと書いた。使いへの贈り物に普通の品を出すべき場合ではないし、またそれだけでは不満足な感じをあとでみずから覚えさせられることであろうからと思い、貴重品として将来は故人の姫君に与えようと考えていた高級な斑犀《はんさい》の石帯《せきたい》とすぐれた太刀《たち》などを袋に入れ、車へ使いが乗る時いっしょに積ませた。
「これは故人の志でございます」
 と言わせて贈ったのであった。
 帰った使いは贈られた品を大将に見せると、
「よけいなことをするものだね」
 と薫は言った。使いの伝えた言葉は、
「奥さんが自身でお逢いになりまして、非常に悲しい御様子で、泣く泣くいろいろの話をなさいました。若い息子たちのことまでも御親切におっしゃっていただきましたことはもったいないことで、うれしく存じますが、しかしながらまたあまりに恐縮な当方の身分でございますから、人には何のためにとは絶対に知らせぬようにいたしまして、できのよろしい子供たちだけを皆お邸《やしき》へ差し上げることにしましょうということでした」
 その言葉どおりに奇妙な親戚《しんせき》関係と人には見られることであろうが、宮中へそうした地方官が娘を差し上げないこともないのであるし、また素質がよくて帝王がそれをお愛しになることになってもお譏《そし》りする者はないはずである、人臣である人たちはまして世間から無視されている階級の家の娘を妻にしている類も多いのである、常陸守《ひたちのかみ》の娘であったと人が言っても自分の恋愛の径路が悪いものであれば指弾もされようが、そんなことではないのであるからはばかる必要もない、一人の大事な娘を不幸に死なせた母親を、その子ののこした縁故から一家に名誉の及ぶことで慰めるほどの好意はぜひとも自分の見せてやらねばならないのが道であると薫は思った。
 母の隠れ家へは常陸守が来て立ちながら話すのであったが、娘に出産のあったおりもおりにだれかの触穢《しょくえ》を言い立てて引きこもっていることなどで腹だたしいふうに言っていた。去年の夏以来姫君がどこにいるかをありのままには夫人の言ってなかった常陸守であったから、寂しい生活をしていることであろうと思いもし、言いもしていたのを大将に京へ迎え入れられたあとで、名誉な結婚をしたと知らせようとも夫人が思っていたうちに浮舟は死んでしまったのであったから、隠しておくのもむだなことであると夫人は思い、薫と結婚をして宇治に住まわせられていたこと、そして病んで死んだ話を泣く泣く語るのであった。薫からもらった手紙も出して見せると、貴人を崇拝する田舎《いなか》風な性質になっている守は驚きもし臆《おく》しもしながら繰り返し繰り返し薫の手紙を読んでいる。
「幸福で名誉な地位を得ていて死んだ方だ。自分も大将の家人《けにん》の数にはしていただいている者で、お邸へはまいることがあっても近くお使いになることもなかった。とても気高《けだか》い殿様なのだ。息子たちのことを言ってくだすったのは非常にあれらのために頼もしいことだ」
 こう言って喜ぶのを見ても、まして姫君が大将夫人として生きていたならばと思わないではいられない夫人は、臥《ふ》しまろんで泣いていた。守もこの時になってはじめて泣いた。しかしながら浮舟が生きているとすれば、かえって異父弟の世話を引き受けようなどと薫はしなかったことであろうと思われる。自身の過失から常陸夫人の愛女を死なせたのがかわいそうで、せめて慰めを与えることだけはしたいと思う心から、他の譏《そし》りがあろうとも深く気にとめまいという気になっているのである。
 薫は四十九日の法事の用意をさせながらも実際はどうあの人はなったのであろう、まだ一点の疑いは残されていると思うのであるが、仏への供養をすることは人の生死にかかわらず罪になることではないからと思い、ひそかに宇治の律師の寺で行なわせることにしているのであった。六十人の僧に出す布施の用意もいかめしく薫はさせた。母夫人も法会には来ていて、式をはなやかにする寄進などをした。兵部卿の宮からは右近の手もとへ銀の壺《つぼ》へ黄金の貨幣を詰めたのをお送りになった。人目に立つほどの派手《はで》なことはあそばせなかったのである。ただ右近が志として供物にしたのを、事情を知らぬ人たちはどうしてそんなことをしたかと不思議がった。薫のほうからは家司《けいし》の中でも親しく思われる人たちを幾人もよこしてあった。在世中はだれもその存在を知らなんだ夫人の法事を、薫がこんなにまで丁寧に営むことによって、どんな婦人であったのかと驚いて思ってみる人たちも多かったが、常陸守が来ていて、はばかりもなく法会《ほうえ》の主人顔に事を扱っているのをいぶかしくだれも見た。少将の子の生まれたあとの祝いを、どんなに派手に行なおうかと腐心して、家の中にない物は少なく、[#「、」は底本では「。」]支那《しな》、朝鮮の珍奇な織り物などをどうしてどう使おうと驕《おご》った考えを持っていた守ではあったが、それは趣味の洗練されない人のことであるから、美しい結果は上がらなかった。それに比べてこの法会の場内の荘厳をきわめたものになっているのを見て、生きていたならば、自分らと同等の階級に置かれる運命の人でなかったのであったと守は悟った。兵部卿の宮の夫人も誦経《ずきょう》の寄付をし、七僧への供膳《きょうぜん》の物を贈った。
 今になって隠れた妻のあったことを帝《みかど》もお聞きになり、そうした人を深く愛していたのであろうが、女二《にょに》の宮《みや》への遠慮から宇治などへ隠しておいたのであろう、そして死なせたのは気の毒であると思召した。
 浮舟の死のために若い二人の貴人の心の中はいつまでも悲しくて、正しくない情炎の盛んに立ちのぼっていたころにそのことがあったため、ことに宮のお歎きは非常なものであったが、元来が多情な御性質であったから、慰めになるかと恋の遊戯もお試みになるようなこともようやくあるようになった。薫は故人ののこした身内の者の世話などを熱心にしてやりながらも、恋しさを忘られなく思っていた。
 中宮《ちゅうぐう》もまだそのまま叔父《おじ》の宮の喪のために六条院においでになるのであったが、二の宮はそのあいた式部卿にお移りになった。お身柄が一段重々しくおなりになったために、始終母宮の所へおいでになることもできぬことになったが、兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は寂しく悲しいままによくおいでになっては姉君の一品《いっぽん》の宮の御殿を慰め所にあそばした。すぐれた美貌《びぼう》であらせられる姫宮をよく御覧になれぬことを物足らぬことにしておいでになるのであった。右大将が多数の女房の中で深い交際をしている小宰相《こさいしょう》という人は容貌《ようぼう》などもきれいであった。価値の高い女として中宮も愛しておいでになった。琴の爪音《つまおと》も琵琶《びわ》の撥音《ばちおと》も人よりはすぐれていて、手紙を書いてもまた人と話しをしても洗練されたところの見える人であった。兵部卿の宮も長くこの人に恋を持っておいでになるのであって、例の上手《じょうず》に説き伏せようとお試みになるのであるが、誘惑をされてだれも陥るような御関係を作りたくないと強い態度を変えないのを、薫《かおる》はおもしろい人であると思って好意が持たれるのである。このごろの薫が物思いにとらわれているのも知っていて、黙っていることができぬ気もして手紙を書いて送った。

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哀れ知る心は人におくれねど数ならぬ身に消えつつぞ経《ふ》る

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私が代わって死んでおあげすればよかったように思われます。
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 と感じのよい色の紙に書かれてあった。身にしむような夕方時のしめっぽい気持ちをよく察して訪《たず》ねの文《ふみ》を送った心持ちを薫は感謝せずにはおられなかった。

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つれなしとここら世を見るうき身だに人の知るまで歎きやはする
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 これを返歌にした。
 答礼のつもりで、
「寂しい時の御慰問のお手紙はことにありがたく思われました」
 と言いに小宰相の家を薫は訪《たず》ねて行った。貴人らしい重々しさが十分に備わり、こんなふうに中宮の女房の自宅へなど、今までは一度も行ったことのない薫が訪ねて来た所としては貧弱な邸《やしき》であった。局《つぼね》などと言われる狭い短い板の間の戸口に寄って薫の坐《ざ》しているのを片腹痛いことに思う小宰相であったが、さすがにあまりに卑下もせず感じのよいほどに話し相手をした。失った人よりもこの人のほうに才識のひらめきがあるではないか、なぜ女房などに出たのであろう、自分の妻の一人として持っていてもよかった人であったのにと薫は思っていた。しかしながら友情以上に進んでいこうとするふうを少しも薫は見せていなかった。
 蓮《はす》の花の盛りのころに中宮は法華《ほけ》経の八講を行なわせられた。六条院のため、紫夫人のため、などと、故人になられた尊親のために経巻や仏像の供養をあそばされ、いかめしく尊い法会《ほうえ》であった。第五巻の講ぜられる日などは御陪観する価値の十分にあるものであったから、あちらこちらの女の手蔓《てづる》を頼んで参入して拝見する人も多かった。五日めの朝の講座が終わって仏前の飾りが取り払われ、室内の装飾を改めるために、北側の座敷などへも皆人がはいって、旧態にかえそうとする騒ぎのために、西の廊の座敷のほうへ一品の姫宮は行っておいでになった。日々の多くの講義に聞き疲れて女房たちも皆|部屋《へや》へ上がっていて、お居間に侍している者の少ない夕方に、薫の大将は衣服を改めて、今日退出する僧の一人に必ず言っておく用で釣殿《つりどの》のほうへ行ってみたが、もう僧たちは退散したあとで、だれもいなかったから、池の見えるほうへ行ってしばらく休息したあとで、人影も少なくなっているのを見て、この人の女の友人である小宰相などのために、隔てを仮に几帳《きちょう》などでして休息所のできているのはここらであろうか、人の衣擦《きぬず》れの音がすると思い、内廊下の襖子《からかみ》の細くあいた所から、静かに中をのぞいて見ると、平生女房級の人の部屋《へや》になっている時などとは違い、晴れ晴れしく室内の装飾ができていて、幾つも立ち違いに置かれた几帳はかえって、その間から向こうが見通されてあらわなのであった。氷を何かの蓋《ふた》の上に置いて、それを割ろうとする人が大騒ぎしている。大人《おとな》の女房が三人ほど、それと童女がいた。大人は唐衣《からぎぬ》、童女は袗《かざみ》も上に着ずくつろいだ姿になっていたから、宮などの御座所になっているものとも見えないのに、白い羅《うすもの》を着て、手の上に氷の小さい一切れを置き、騒いでいる人たちを少し微笑をしながらながめておいでになる方のお顔が、言葉では言い現わせぬほどにお美しかった。非常に暑い日であったから、多いお髪《ぐし》を苦しく思召すのか肩からこちら側へ少し寄せて斜めになびかせておいでになる美しさはたとえるものもないお姿であった。多くの美人を今まで見てきたが、それらに比べられようとは思われない高貴な美であった。御前にいる人は皆土のような顔をしたものばかりであるとも思われるのであったが、気を静めて見ると、黄の涼絹《すずし》の単衣《ひとえ》に淡紫《うすむらさき》の裳《も》をつけて扇を使っている人などは少し気品があり、女らしく思われたが、そうした人にとって氷は取り扱いにくそうに見えた。
「そのままにして、御覧だけなさいましよ」
 と朋輩《ほうばい》に言って笑った声に愛嬌《あいきょう》があった。声を聞いた時に薫は、はじめてその人が友人の小宰相であることを知った。とどめた人のあったにもかかわらず氷を割ってしまった人々は、手ごとに一つずつの塊《かたまり》を持ち、頭の髪の上に載せたり、胸に当てたり見苦しいことをする人もあるらしかった。小宰相は自身の分を紙に包み、宮へもそのようにして差し上げると、美しいお手をお出しになって、その紙で掌《て》をおぬぐいになった。
「もう私は持たない、雫《しずく》がめんどうだから」
 と、お言いになる声をほのかに聞くことのできたのが薫のかぎりもない喜びになった。まだごくお小さい時に、自分も無心にお見上げして、美しい幼女でおありになると思った。それ以後は絶対にこの宮を拝見する機会を持たなかったのであるが、なんという神か仏かがこんなところを自分の目に見せてくれたのであろうと思い、また過去の経験にあるように、こうした隙見《すきみ》がもとで長い物思いを作らせられたと同じく、自分を苦しくさせるための神仏の計らいであろうかとも思われて、落ち着かぬ心で見つめていた。ここの対の北側の座敷に涼んでいた下級の女房の一人が、この襖子《からかみ》は急な用を思いついてあけたままで出て来たのを、この時分に思い出して、人に気づかれては叱《しか》られることであろうとあわてて帰って来た。襖子に寄り添った直衣《のうし》姿の男を見て、だれであろうと胸を騒がせながら、自分の姿のあらわに見られることなどは忘れて、廊下をまっすぐに急いで来るのであった。自分はすぐにここから離れて行ってだれであるとも知られまい、好色男らしく思われることであるからと思い、すばやく薫は隠れてしまった。その女房はたいへんなことになった、自分はお几帳《きちょう》なども外から見えるほどの隙《すき》をあけて来たではないか、左大臣家の公達《きんだち》なのであろう、他家の人がこんな所へまで来るはずはないのである、これが問題になればだれが襖子をあけたかと必ず言われるであろう、あの人の着ていたのは単衣《ひとえ》も袴《はかま》も涼絹《すずし》であったから、音がたたないで内側の人は早く気づかなかったのであろうと苦しんでいた。
 薫は漸く僧に近い心になりかかった時に、宇治の宮の姫君たちによって煩悩《ぼんのう》を作り始め、またこれからは一品《いっぽん》の宮《みや》のために物思いを作る人になる自分なのであろう、その二十《はたち》のころに出家をしていたなら、今ごろは深い山の生活にも馴《な》れてしまい、こうした乱れ心をいだくことはなかったであろうと思い続けられるのも苦しかった。なぜあの方を長い間見たいと願った自分なのであろう、何のかいがあろう、苦しいもだえを得るだけであったのにと思った。
 翌朝起きた薫は夫人の女二の宮の美しいお姿をながめて、必ずしもこれ以上の御|美貌《びぼう》であったのではあるまいと心を満ち足りたようにしいてしながら、また、少しも似ておいでにならない、超人間的にまであの方は気品よくはなやかで、言いようもない美しさであった。あるいは思いなしかもしれぬ、その場合がことさらに人の美を輝かせるものだったかもしれぬと薫は思い、
「非常に暑い。もっと薄いお召し物を宮様にお着せ申せ。女は平生と違った服装をしていることなどのあるのが美しい感じを与えるものだからね。あちらへ行って大弐《だいに》に、薄物の単衣《ひとえ》を縫って来るように命じるがいい」
 と言いだした。侍している女房たちは宮のお美しさにより多く異彩の添うのを楽しんでの言葉ととって喜んでいた。いつものように一人で念誦《ねんず》をする室《へや》のほうへ薫は行っていて、昼ごろに来てみると、命じておいた夫人の宮のお服が縫い上がって几帳《きちょう》にかけられてあった。
「どうしてこれをお着にならぬのですか、人がたくさん見ている時に肌《はだ》の透く物を着るのは他をないがしろにすることにもあたりますが、今ならいいでしょう」
 と薫は言って、手ずからお着せしていた。宮のお袴《はかま》も昨日の方と同じ紅であった。お髪《ぐし》の多さ、その裾《すそ》のすばらしさなどは劣ってもお見えにならぬのであるが、美にも幾つの級があるものか女二の宮が昨日の方に似ておいでになったとは思われなかった。氷を取り寄せて女房たちに薫は割らせ、その一塊《ひとかたまり》を取って宮にお持たせしたりしながら心では自身の稚態がおかしかった。絵に描《か》いて恋人の代わりにながめる人もないのではない、ましてこれは代わりとして見るのにかけ離れた人ではないはずであると思うのであるが、昨日こんなにしてあの中に自分もいっしょに混じっていて、満足のできるほどあの方をながめることができたのであったならと思うと、心ともなく歎息の声が発せられた。
「一品の宮さんへお手紙をおあげになることがありますか」
「御所にいましたころ、お上《かみ》がそうおっしゃったものですから、差し上げたこともありましたけれど、ずいぶん長く御交渉はなくなっています」
「人臣の妻におなりになったからといって、あちらからお手紙をくださらなくなったのでしょうが、悲観させられますね。そのうち私から中宮へあなたが恨んでおいでになると申し上げよう」
 と薫は言う。
「そんなこと、お恨みなど私はしているものでございますか。いやでございます」
「身分が悪くなったからといって軽蔑《けいべつ》をなさるらしいから、こちらからは御遠慮して消息を差し上げないとそんなふうに言いましょう」
 こんなことを言ってその日は暮らし、翌日になって大将は中宮の御殿へまいった。例の兵部卿《ひょうぶきょう》の宮も来ておいでになった。丁子《ちょうじ》の香と色の染《し》んだ羅《うすもの》の上に、濃い直衣《のうし》を着ておいでになる感じは美しかった。一品《いっぽん》の宮《みや》のお姿にも劣らず、白く清らかな皮膚の色で、以前より少しお痩《や》せになったのがなおさらお美しく見せた。女宮によく似ておいでになるということから、またおさえている恋しさがわき上がるのを、あるまじいことであると思い、静めようとするのもあの日の前には知らぬ苦しみであった。兵部卿の宮は絵をたくさんに持って来ておいでになったが、そのうちの幾つかを女房に姫宮のほうへ持たせておあげになり、御自身もあちらへおいでになった。
 薫は后の宮のお近くへ寄って行き、御八講の尊かったことを言い、六条院のことも少しお話し申し上げながら、残った絵を拝見している時に、
「私の所に来ておいでになります宮さんが、宮廷から離れて屈託した気持ちになっておられますのをお気の毒だと見ております。一品の宮様のお消息などをいただけませんことを人妻に降《くだ》ったことで愛をお捨てになったように思って楽しまないふうなのでございますが、こういたしたものなどをときどき見せてあげてくだすってはいかがでしょう。私がその使いはいたします。私どものほうのも持ってまいります」
 と中宮へ申し上げると、
「まあそんなことで御交際をおやめになるものですか。同じ御所の中におられたころは、近いものですからときどき手紙が通ったのでしょうが、遠く離れ離れにおなりになった時からお手紙が途絶え始めて、そのままになったことなのでしょう。そのうち私からお勧めしてお書きになるようにしますよ。そちらからだってお手紙をお送りになればいいのにね」
 と、宮は仰せられた。
「そちらからは出過ぎたように思われておできにならないのでしょう。初めから御交渉のなかった方にいたしましても、私と宮様がたとの縁の続きに愛しておあげくださることになるのがうれしい成り行きなのですが、まして以前から御交際のあった間柄でおありになるのですから、私の所へ来られましたあとでお捨てになるのは、あの宮さんにとっておかわいそうなことです」
 などと申しているのを、恋が言わせることと中宮はお悟りにならなかった。
 薫は中宮のお居間を辞して、先夜の好意のある女友人にも逢おう、あの思い出の廊の座敷を心の慰めに見て行こうと思い、縁側伝いに西に向いて歩いて行った。御簾《みす》の中にいる女房たちはそれだけのことにすら心づかいのされる薫の大将であった。渡殿《わたどの》のほうには左大臣の息子らがいて、女房たちと話し合っている様子であったから、この人は妻戸のところにすわって、
「始終この院へはまいっている私ですが、こちらの宮様の御殿へ伺うことができないでいますと、自然老人めいた気持ちになるようになったのですが、これからはそうしていまいと決心してまいったのですよ。馴《な》れない人間の恰好《かっこう》は滑稽《こっけい》なものに若い人たちからは見られることでしょう」
 甥《おい》の公子たちのほうを見ながらこう言っていた。
「ただ今からお習いになりましたなら新鮮なお若さが拝見されることでしょう」
 などと戯れて言う女房らからも怪しいまでの高雅な感じの受け取られるのであった。何をおもな話題にするというのでもなく、世間話を平生よりもしんみりと話し込んで薫《かおる》はいた。
 姫宮は中宮《ちゅうぐう》の御殿のほうへおいでになった。后の宮が、
「大将があちらへ行きましたか」
 とお尋ねになると、一品の宮のお供をしてこちらへ来た大納言の君が、
「小宰相に話があると言っていらっしゃいました」
 と申した。
「まじめな人であって、さすがに女の友だちにも心の惹《ひ》かれるところがあってむだ話もして行きたいのだろうがね。才能のない人が相手をしては恥ずかしい。女の価値がすぐ見破られるからね。小宰相ならまず安心だけれど」
 こんなことをお言いになる宮は、御弟なのであるが、薫に周囲を観察されることを恥ずかしく思召し、女房らも飽き足らず思われるところを見せぬようにしてほしいと思召すのである。
「あの人をだれよりも御ひいきになさいまして、部屋のほうへも寄ってお行きになることがよくあるようでございます。しんみりとお話をしておいでになることもございまして夜がふけてお帰りになることはありましても恋愛関係と申すようなことはなさそうに思われます。あの人兵部卿の宮様の御性情には反感を持っておりまして、お返辞すらよくいたさないようでございますのはもったいないことでございます」
 と言い、大納言の君が笑うと、中宮もお笑いになって、
「あの宮の多情な本質が直感できるのだからいいね。どうしてあの方の悪癖を直させたらいいだろう、恥ずかしいと私は思う。だれも皆そう思っているだろうね」
 こうお語りになった。
「妙な話を私は聞いたのでございます。あの大将さんのお亡《なく》しになりました人は兵部卿の宮様の二条の院の奥様のお妹さんだったそうでございます。前常陸守の妻はその方の叔母《おば》であるとも、母であるとも申しますのはどういう理由《わけ》であるのかよく存じません。その大将の愛人の所へそっと兵部卿の宮様も通ってお行きになったということでございまして、大将さんがそれをお聞きになりましたのか、にわかに宇治から京へ迎えようとなすって、監視の人などをきびしくお付けになりましたころに、宮様はまたおいでになったのでございますが、家の中へおはいりになることができませんで、危険なことでございますが、お馬のままで外に立っておいでになり、それなり帰っておしまいになったということでございまして、女も宮様をお慕いしていたのでしょうか、にわかに行くえがわからなくなりましたのを、川へ身を投げたのであろうと、乳母《うば》というような者が泣き騒いで言っていたそうでございます」
 大納言の君はこんな話を申し上げた。中宮がお驚きになったことは言うまでもない。
「だれがまあそんな噂話《うわさばなし》をしていたの、ほんとうにかわいそうな話ではないか。そんな出来事はすぐ噂になるものだのに、そうでもなし、また大将もそんなふうには話さずに、人生の悲哀を強調して話すだけで、また宇治の宮さんの一族が皆短命で死ぬのは悲しいことだとは言っていたけれども」
「ほんとうでございますか、どうでございますか、しもざまの者は確かでないこともほんとうらしく話にいたすものですが、その宇治の山荘におりました下童《しもわらわ》がついこのごろ宰相の実家のほうへ来まして、確かなことのように申していたそうでございます。そうした死に方をなさいましたことを世間へ知らすまい、自殺などという思いきったことをした人だと言わすまいと皆が隠すことに骨を折ったそうでございます。それで大将さんもくわしいお話をあそばさなかったのではないでしょうか」
「その話をまたほかへ行ってするなと宰相からお言わせよ。そうした問題で宮は自身をだいなしにしておしまいになることにもなり、世間からも軽蔑《けいべつ》されることにおなりになるだろう」
 こうお言いになって、中宮は非常に御心配をあそばす御様子であった。
 それからまもなく一品の宮から女二の宮へお手紙が来た。御手跡のおみごとであるのを見ることのできたことが薫にはうれしくて、期待にはずれないごりっぱさである、もっと早くこれが拝見できる方法を講ずべきであったなどと思った。多くの美しい絵などを中宮からもお送りになった。お礼として薫からもそれにまさった絵を集めて差し上げることにした。小説の芹川《せりかわ》の大将が女一の宮を恋して秋の日の夕方に思い侘《わ》びて家から出て行くところを描《か》いた絵はよく自身の心持ちが写されているように思われる薫であった。その人のように成功すべき恋でないのが残念であった。

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荻《をぎ》の葉に露吹き結ぶ秋風も夕べぞわきて身にはしみにける
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 と書き添えたい気がするのであるが、そうしたことは気《け》ぶりにも知れたならばどんなことの言われるかしれぬ世の中であるからと、思うことすらも洩《も》らしがたい恋に心を悩ませ、はては宇治の大姫君さえ生きていてくれたならば、その人を妻とすることができていたのであれば、どんな人を見ても心の動揺することなどはなかったはずである。現代の帝王の御女《おんむすめ》を賜わるといっても、自分はお受けをしなかったはずである、また自分がそれほど愛している妻があるとわかっておいでになって姫宮をお嫁《とつ》がせになることもなかろう、何といっても自分の心の混乱し始めたのは宇治の橋姫のせいであると、こんなことを思ってゆくうちに薫の心はまた二条の院の女王の上に走って、恋しくも恨めしくもなり、取り返されぬ昔を愚かしいまでに残念に思った。もうどうすることもできないことなのであると、それを心に片づけたあとでは、また自殺をしてしまった浮舟《うきふね》が、思想的に幼稚でよこしまな情熱に逢《あ》ってたちまち動かされていった軽率さを認めながらも、さすがに煩悶を多くしていたこと、そのころに自分の気持ちの変わったことで、自責の念から歎きに沈んでいた様子を宇治で聞いて知ったことも思い出され、妻というような厳粛な意味の相手ではなく、心安く可憐《かれん》な愛人としておきたいと思うのにはふさわしくかわいい女性であったと考えられ、もう宮に不快の念を持つまい、女をも恨むまい、ただ自分の非常識から若い愛人をああした場所へ置き放しにしていたのがあやまちの原因だったのであると、こんなふうに物思いの末にはあきらめをつけることにもなった。
 静かな落ち着いた薫さえこんなふうに恋愛については身体《からだ》にもさわるほどな苦しみも時には味わうのであるから、まして浮舟をお失いになった兵部卿の宮は心を慰めかねておいでになって、その人の形見の人として悲しみを語り合う人さえもおありでなく、対の夫人だけは哀れな人であったと言ってくれはするものの、姉妹《きょうだい》として交わっていた期間はわずかなことであったから、深い悲しみは覚えているはずもない、また宮としては思召すままに恋しい悲しいとお言いになることも、夫人に向かってのことであるからお心のとがめられることであるために、あの山荘の侍従をお呼び寄せになった。女房たちは皆ちりぢりに去ってしまったあとに、乳母《めのと》と右近、侍従だけは故人が最も親しんだ人たちであったから、喪の家から離れず、一方は親子であって、侍従は関係のない間柄ではあるが、いっしょに山荘へ残って暮らしていたのであったが、荒々しい川音を聞くのも、そのうち京の邸《やしき》へ姫君の迎えられて行く日を楽しみにして辛抱《しんぼう》されたものの、情けなく、気味悪くばかり思われて、京のちょっとした知り合いの家へこのごろは侍従だけが移って来ていた。宮がお捜させになってこのまま二条の院の女房になるようにと仰せになるのであったが、夫人はともかくも、他の女房たちから浮舟の姫君と宮とのあるまじい情交の起こっていたことで何かと非難がましいことを言われるであろうことが思われお受けをしなかった。中宮の女房になってお仕えしたいとそれとなく内記に言ってもらうと、
「それはよい。そして自分が陰で勤めよくなるようにしてやろう」
 と言う宮のお返辞であった。侍従は姫君を失った心細さも慰むかと思い、手蔓《てづる》を求めて目的の宮仕えをする身になった。見た目のきれいな下級女房であると人も認めて、侍従は悪くも言われていなかった。大将もよくまいるのを蔭《かげ》で見るたびに昔が思われる物哀れな心になった。貴族の姫君たちだけのお仕えしている場所だと聞いていて、そうした上の女房たちの顔をこのごろ皆見知るようになってから考えても、浮舟の姫君ほどの美貌の人はないようであった。
 今年の春お薨《かく》れになった式部卿《しきぶきょう》の宮の姫君を、継母《ままはは》の夫人が愛しないで、自身の兄の右馬頭《うまのかみ》で平凡な男が恋をしているのに、姫君をかわいそうとも思わずに与えようとしていることを中宮へある人から申し上げると、
「気の毒な、宮様がたいへん大事になすった女王《にょおう》さんを、そんな廃《すた》り者にしてしまおうとするなどとは」
 と憐《あわれ》んで仰せられた。
「たよりない心細い思いをしているあなたにそうしたあたたかい同情を寄せてくださるのだから、中宮へお仕えしたら」
 と、兄の侍従も宮仕えを勧めた女王を、このごろ中宮は手もとへ侍女にお迎えになった。女一《にょいち》の宮《みや》のお相手として置くのによい貴女《きじょ》と思召して、特別な御待遇を賜わって侍しているのであったが、お仕えする身であるかぎり、やはり宮の君などと言われ、唐衣《からぎぬ》までは着ぬが裳《も》だけはつけて勤めているのは哀れなことであった。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は、この人だけは恋しい故人に似た顔をしているであろう。式部卿の宮と八の宮は御兄弟なのであるからなどと、例の多情なお心は、昔の人の恋しいために、新たな好奇心もお起こしになることがやまず、いつとなく宮の君を恋の対象としてお考えになるようになった。
 人生は味気ないとこの女王についても薫は思うのであった。まだ昨今というほどのことではないか、東宮の後宮へお入れになろうと父宮がお思いになり、自分へも娶《めと》らせようとされた姫君である、栄えた人のたちまち衰えてゆくのを見ては、水へはいってしまった人はそれを見ぬだけ賢明であったかもしれぬなどと薫は思い、他の女房に対するよりもこの女王に好意を寄せていた。
 六条院に中宮《ちゅうぐう》のおいでになることは、宮中のお住居《すまい》よりも広く住みよくだれも思い、時々まいるだけで始終は侍していぬ人までも皆上がって来ていて、はるばると多く続いた対、廊、渡殿の座敷は女房で満ちていた。左大臣は父君の院の御在世当時にも劣らず中宮のためにあらゆる物をととのえて奉仕していた。末広がりになった一族であったから、かえって昔よりも六条院のはなやかさはまさってさえ見えた。兵部卿の宮が今までのようなふうでおありになれば、この集まった女性の中のある人々とこの幾月かのうちにはどんな問題を起こしておいでになるかもしれないのであるが、すっかりと冷静におなりになり、人から見れば少し性質がお変わりになったかと思われたのであるが、近ごろになってまた宮の君にお心を惹《ひ》かれ、御本性どおりにつきまとっておいでになった。
 秋冷の日になって中宮は宮中へ帰ろうとあそばされるのであったが、秋の盛りの紅葉《もみじ》の季にここで逢えないのは残り惜しいことであると若い女房たちは言い、だれも皆実家にいず、このごろは六条院にまいっていた。水を愛し、月の景色《けしき》を喜んで音楽の催しなども常にあった。兵部卿の宮は常よりもはなやかな六条院を愛して、この空気の中心のようになっておいでになるのである。朝夕にお顔を見ていながらも、いつも今咲きそめた花に逢《あ》う気のされる兵部卿の宮であった。薫はそれほど入り立っていないのであるために、若い中宮の女房たちは、この人が来れば緊張してしまうのであった。ちょうどこの二人の若い貴人の同時に中宮のお居間に来合わせている時であったが、宇治にいた侍従は物蔭からのぞいて、どちらにもせよこのりっぱな方々の一人に愛されて生きておいでになればよかった。恵まれておいでになった幸運をわれから捨てておしまいになった姫君であると思い、他の人には宇治の山荘のこと、薫の愛人であった姫君のことなどは知ったふうには言ってないことであったから心一つに残念がっていた。兵部卿の宮が御所のお話などを細かく母宮へしかかっておいでにもなったため、薫がお居間を出て行こうとするのを見、自分を見つけさすまい、一年の忌の来るのも済まさずに宇治を去ったのは故人へ情のないことであるとは思われたくないと思い、侍従はすぐに隠れてしまった。
 東の廊の座敷のあいた戸口に女房たちがおおぜいいてひそひそと話などをしている所へ薫は行き、
「私をあなたがたは親しい者として見てくださるでしょうか、女にだって私ほど安心してつきあえるものではありませんよ。それでも男ですから、あなたがたのまだ聞いていない新しい話も時にはお聞かせすることができるのですよ。おいおい私の存在価値がわかっていただけるだろうという自信がそれでもできましたからうれしく思っています」
 こんな戯れを言いかけた。だれも晴れがましく思い、返辞をしにくく思っている中に、弁の君という少し年輩の女が、
「お親しみくださる縁故のない者がかえって私のように恥じて引っ込んでいないことになります。ものは皆合理的にばかりなってゆくものではございませんですね。だれの家のだれの子でございますからと申しておつきあいを願うわけのものでもありませんけれど、羞恥《しゅうち》心を取り忘れたようにお相手に出ました者はそれだけの御|挨拶《あいさつ》をいたしておきませんではと存じますから」
 と言った。
「羞恥心も何も用のない相手だと私の見られましたのは残念ですね」
 こんなことを薫《かおる》は言いながら室《へや》の中を見ると、唐衣《からぎぬ》は肩からはずして横へ押しやり、くつろいだふうになって手習いなどを今までしていた人たちらしい。硯《すずり》の蓋《ふた》に短く摘んだ草花などが置かれてあるのはこの人らがもてあそんだものらしい。ある人は几帳の立ててある後ろへ隠れ、ある人は向こうを向き、ある者は押しあけられてある戸に姿の隠れるようにしてすわっているので、頭の形だけが美しく見えた。すべて感じよく思って薫は硯を引き寄せ、

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女郎花《をみなへし》乱るる野べにまじるとも露のあだ名をわれにかけめや
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 こう書いて、
「安心していらっしゃればいいのに」
 と言い、すぐ近くの襖子《からかみ》のほうを向いている人に見せると、相手は身動きもせず、しかもおおように早く、

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花といへば名こそあだなれをみなへしなべての露に乱れやはする
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 と書いた。手跡は、少ない文字であるが気品の見える感じよいものであるのを、薫は何という女房であろうと思って見ていた。今から中宮のお居間へこの戸口を通って行こうとして、薫の来たために出るにも出られずなった人らしく思われた。弁の君は、
「わざと老人じみたことをお言いになっては反感が起こるものですよ」
 と言い、

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「旅寝してなほ試みよをみなへし盛りの色に移り移らず
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 そのあとであなたをどんな性質で、お堅いともそうでないとも、きめましょう」
 とも言う。

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宿貸さば一夜は寝なんおほかたの花に移らぬ心なりとも
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 薫が言ったのである。
「私を侮辱あそばすのでございますね。自分のことではございませんよ。一般的に抗議を申し上げただけでございます」
 と弁は言う。こんなふうに戯れ言も薫は長くは言っていないらしく見えるのを若い女房たちは飽き足らず思っていた。
「思いやりのないことをしましたね。あなたの道をあけましょう。とりわけて私に顔をお見せにならない態度には理由のあることでしょう」
 と言い、薫の立って行くのを見て、だれもが弁のようにはしゃぐ者のように思われぬかと気にする人もあった。東の高欄によりかかって、叢《くさむら》の中に夕明りを待って咲きそめる花のある植え込みを薫はながめていた。何も皆身にしむように思われる薫は、「就中断腸是秋天《なかんづくはらわたをたつはこれあきのてん》」と低い声で口ずさんでいた。先刻の人らしい衣擦《きぬず》れの音がして、中央の室《へや》から抜けてあちらへ行った。兵部卿の宮がそこへ歩いておいでになって、
「ここから今あちらへ行ったのはだれか」
 と他の者に尋ねておいでになった。
「一品《いっぽん》の宮《みや》様のほうの中将さんでございます」
 と答える声も御簾《みす》の中でした。おもしろくないことである、だれであろうとかりそめにもせよ好奇心の起こった人が、すぐにだれそれであると名ざしをして聞かれるではないか、とその女がかわいそうに思われ、また兵部卿の宮には皆よくお馴《な》れしていて、隠すところもなくなっているのがなんとなくうらやましい気もする薫であった。自由に接近してお行きになることができ、上手《じょうず》な技巧で誘惑をあそばされては女も負けることになるのであろう、自分にはそんなことができず、こちらの人たちとは、縁の遠いうとうとしいものになっているのが残念である。侍している人の中で、どうかして近ごろ兵部卿の宮がはげしく恋をしておいでになる人を自分のものにして、あの時に自分が苦しんだような思いを宮にもお味わわせしたい。聡明な女であれば自分のほうを愛するはずであるとは思われるが、こちらの考えどおりな心を持っているかどうかは頼みになるものでないと思われるにつけても、二条の院の女王が、宮のああした御放縦な恋愛生活を飽き足らず見て、自分の愛を頼むようになり、それを恋にまでなってはならぬ、世間の批評がうるさいと思いながら友情だけはいつも捨てぬのは珍しく聡明な態度で、自分としてはうれしいかぎりである、そんなすぐれた女性はこのおおぜいの若い女房たちの中に一人でもあるであろうか、深く接近して見ぬせいかないように思われる、物思いに寝ざめがちな慰めに恋愛の遊戯も少し習いたいと思うが、もう今は似合わしくないと薫は思った。例の氷を割られた日の西の渡殿へ、その日のようにふらふらと薫が来てしまったのも不思議であった。姫宮は夜だけ母宮の御殿のほうへおいでになるため、もうお留守になっていて、女房たちだけで月を見ると言い、渡殿に打ち解けて集まっていた。十三|絃《げん》の琴を懐しい音《ね》で弾《ひ》くのが聞こえた。人々の思いもよらぬこんな時に薫が出て来て、
「なぜ人を懊悩《おうのう》させるように琴など鳴らしていらっしゃるのですか。(遊仙窟《いうせんくつ》。耳聞猶気絶《みみにきくもなほきたえんとす》、眼見若為憐《めにみていかばかりおもしろからん》)」
 こう言うのに驚いたはずであるが、少し上げた御簾《みす》をおろしなどもせず、一人は身を起こして、
「崔季珪《さいきけい》のようなお兄様がいらっしゃるかしら」
 と言う。その声は中将の君といわれていた女であった。
「私は宮様の母方の叔父《おじ》なのですよ。(遊仙窟。容貌似舅潘安仁外甥《かんばせはをぢはんあんじんににたりぐわいせいなればなり》、気調如兄崔季珪小妹《きざしはあにさいきけいのごとしいもうとなればなり》)」
 こんな冗談《じょうだん》を言ったあとで、
「いつものように中宮様のほうへ行っておしまいになったのでしょうね、宮様はお里住まいの間は何をしていらっしゃるのですか」
 思わずこんな問いを薫は発することになった。
「どこにいらっしゃいましても、別にこれという変わったことはあそばしません。ただいつもこんなふうでお暮らしになっていらっしゃるばかり」
 聞いていて美しいお身の上であると思うことで知らず知らず歎息の声の洩《も》れて出たのを、怪しむ人があるかもしれぬと思う紛らわしに、女房たちが前へ出した和琴《わごん》を、調子もそのままでかき鳴らす薫であった。律の調べは秋の季によく合うと言われるものであったから、気も入れて弾かぬ琴の音であるが、みずから感じの悪いものとは思われぬものの、長くも弾いていなかったのを、熱心に聞きいっていた人たちはかえって残り多さも出て苦しんだ。自分の母宮もこの姫宮に劣る御身分ではない、ただ后腹というわずかな違いがあっただけで朱雀《すざく》院の帝《みかど》の御待遇も、当帝の一品《いっぽん》の宮を尊重あそばすのに変わりはなかったにもかかわらず、この宮をめぐる雰囲気《ふんいき》とそれとに違ったもののあるのは不思議である。明石《あかし》の女のもたらしたものはことごとく高華なものであったとこんなことを思う続きに薫は運命が自分を置いた所はすぐれた所であるに違いない、まして女二の宮とともに一品の宮までも妻に得ていたならばどれほど輝かしい運命であったであろうと思ったのは無理なことと言わねばならない。
 宮の君はここの西の対の一所を自室に賜わって住んでいた。若い女房たちが何人もいる気配《けはい》がそこにして皆月夜の庭の景色《けしき》を見ていた。そうであったあの人も浮舟らと同じ桐壺《きりつぼ》の帝《みかど》の御孫であったと薫は思い出して、
「式部卿の宮様に私を愛していただいたものなのだから」
 と独言《ひとりごと》を言いその座敷の前へ行ってみた。美しい姿の童女が略服になって、二、三人縁側へ出ていたが、薫を見て晴れがましいというように中へ隠れてしまった。これが普通の所の情景であると今見て来た廊の座敷と比べて薫は思った。南の隅《すみ》の間のそばで咳《せき》払いをすると、少し年のいったような女房が出て来た。
「人知れず好意を持っている者ですなどと申せば、それはだれも言うことだとお聞きになるでしょうし、またそうした若い人たちの口|真似《まね》をすることも私にはできません。それよりも言葉でない実質的な御用に立つことはないかと捜しております」
 と言うと、その女は女王にも取り次がず、賢がって、
「思いがけぬお身の上におなりあそばしましたことにつきましても、宮様がどんなにいろいろなお望みを姫君の将来にかけておいでになりましたかと思われまして、悲しゅうございます。いつも御親切に仰せくださいまして、お宮仕えにおいでになりました御非難のお言葉なども、ごもっともだと女王《にょおう》様は言っておいでになることでございますよ」
 こんなことを言う。並み並みの家の娘などのように聞こえることもはばからず言う女であるといやな気のした薫は、
「もとから血族であるためというようなことでなしに、好意を持つ男として、何かの御用をお命じくだすったらうれしいだろうと思います。うとうとしくお取り次ぎでお話などをしてくださるだけでは私も尽くしたいことがお尽くしできない」
 と言った。そうであったというふうに女房たちは思い、姫君を引き動かすばかりにしたはずであったから、
「松も昔の(たれをかも知る人にせん高砂《たかさご》の)と申すような孤立のたよりなさの思われます私を、血族の者とお認めくださいましておっしゃってくださいますあなたは頼もしい方に思われます」
 取り次ぎの者に言うというふうにでもなしに、こういう声は若々しく愛嬌《あいきょう》があって優しい味があった。ただの女房としてであればよい感じに受け取れたであろうが、今の身になっては、すぐに人に逢ってこれだけの言葉もみずから発しなければならぬものと思うようになったかと考えるとこの人を飽き足らぬものに薫は思われた。容貌《ようぼう》も必ず艶《えん》な人であろうと思い、見たい心も覚えたが、この人がまた宮のお心を乱す原因になることであろうと思われ、絶対の信用の持てない人は相手にしたくない気にもなった。この人こそは最上の家庭に生まれ、大事がられて育った、典型的な姫君というのに不足のない人で、他に幾人《いくたり》もない身の上だったのであるが、自分として頼もしい女性と思われぬのはどうしたことであろう、僧のような父宮に育てられ、都を離れた山里で大人《おとな》になった人が姉女王にもせよ中の君にもせよ、皆完全な貴女《きじょ》になっていたではないか、このはかない性情の人、軽々しい人と今の心からは軽侮の念で見られる人も、こうしたわずかな接触で覚えさせた感じは悪いものでなかった、と薫は八の宮の姫君たちのことばかりがなつかしまれるのであった。
 宇治の姫君たちとはどれもこれも恨めしい結果に終わったのであったとつくづくと思い続けていた夕方に、はかない姿でかげろう蜻蛉《とんぼ》の飛びちがうのを見て、

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ありと見て手にはとられず見ればまた行くへもしらず消えしかげろふ
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「あはれともうしともいはじかげろふのあるかなきかに消ゆる世なれば」と例のように独言《ひとりごと》を言っていた。

蜻蛉 版本说明

底本:「全訳源氏物語 下巻」角川文庫、角川書店
   1972(昭和47)年2月25日改版初版発行
   1995(平成7)年5月30日40版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月10日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:鈴木厚司
2004年8月20日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

55 手習

[#地から3字上げ]ほど近き法《のり》の御山《みやま》をたのみたる女郎花《をみなへし》
[#地から3字上げ]かと見ゆるなりけれ    (晶子)

 そのころ比叡《ひえ》の横川《よかわ》に某僧都《なにがしそうず》といって人格の高い僧があった。八十を越えた母と五十くらいの妹を持っていた。この親子の尼君が昔かけた願果たしに大和《やまと》の初瀬《はせ》へ参詣《さんけい》した。僧都は親しくてよい弟子《でし》としている阿闍梨《あじゃり》を付き添わせてやったのであって、仏像、経巻の供養を初瀬では行なわせた。そのほかにも功徳のことを多くして帰る途中の奈良坂《ならざか》という山越えをしたころから大尼君のほうが病気になった。このままで京へまで伴ってはどんなことになろうもしれぬと、一行の人々は心配して宇治の知った人の家へ一日とまって静養させることにしたが、容体が悪くなっていくようであったから横川へしらせの使いを出した。僧都は今年《ことし》じゅう山から降りないことを心に誓っていたのであったが、老いた母を旅中で死なせることになってはならぬと胸を騒がせてすぐに宇治へ来た。ほかから見ればもう惜しまれる年齢でもない尼君であるが、孝心深い僧都は自身もし、また弟子の中の祈祷《きとう》の効験をよく現わす僧などにも命じていたこの客室での騒ぎを家主は聞き、その人は御嶽《みたけ》参詣のために精進潔斎《しょうじんけっさい》をしているころであったため、高齢の人が大病になっていてはいつ死穢《しえ》の家になるかもしれぬと不安がり、迷惑そうに蔭《かげ》で言っているのを聞き、道理なことであると気の毒に思われたし、またその家は狭く、座敷もきたないため、もう京へ伴ってもよいほどに病人はなっていたが、陰陽道《おんようどう》の神のために方角がふさがり、尼君たちの住居《すまい》のほうへは帰って行かれぬので、お亡《かく》れになった朱雀《すざく》院の御領で、宇治の院という所はこの近くにあるはずだと僧都は思い出し、その院守《いんもり》を知っていたこの人は、一、二日宿泊をさせてほしいと頼みにやると、ちょうど昨日初瀬へ家族といっしょに行ったと言い、貧相な番人の翁《おきな》を使いは伴って帰って来た。
「おいでになるのでございましたらがらっ[#「がらっ」に傍点]としております寝殿をお使いになるほかはございませんでしょう。初瀬や奈良へおいでになる方はいつもそこへお泊まりになります」
 と翁は言った。
「それでけっこうだ。官有の邸《やしき》だけれどほかの人もいなくて気楽だろうから」
 僧都はこう言って、また弟子を検分に出した。番人の翁はこうした旅人を迎えるのに馴《な》れていて、短時間に簡単な設備を済ませて迎えに来た。僧都は尼君たちよりも先に行った。非常に荒れていて恐ろしい気のする所であると僧都はあたりをながめて、
「坊様たち、お経を読め」
 などと言っていた。初瀬へついて行った阿闍梨と、もう一人同じほどの僧が何を懸念《けねん》したのか、下級僧にふさわしく強い恰好《かっこう》をした一人に炬火《たいまつ》を持たせて、人もはいって来ぬ所になっている庭の後ろのほうを見まわりに行った。森かと見えるほど繁《しげ》った大木の下の所を、気味の悪い場所であると思ってながめていると、そこに白いものの拡《ひろ》がっているのが目にはいった。あれは何であろうと立ちどまって炬火を明るくさせて見ると、それはすわった人の姿であった。
「狐《きつね》が化けているのだろうか。不届な、正体を見あらわしてやろう」
 と言った一人の阿闍梨は少し白い物へ近づきかけた。
「およしなさい。悪いものですよ」
 もう一人の阿闍梨はこう言ってとめながら、変化《へんげ》を退ける指の印を組んでいるのであったが、さすがにそのほうを見入っていた。髪の毛がさかだってしまうほどの恐怖の覚えられることでありながら、炬火を持った僧は無思慮に大胆さを見せ、近くへ行ってよく見ると、それは長くつやつやとした髪を持ち、大きい木の根の荒々しいのへ寄ってひどく泣いている女なのであった。
「珍しいことですね。僧都様のお目にかけたい気がします」
「そう、不思議千万なことだ」
 と言い、一人の阿闍梨は師へ報告に行った。
「狐が人に化けることは昔から聞いているが、まだ自分は見たことがない」
 こう言いながら僧都は庭へおりて来た。
 尼君たちがこちらへ移って来る用意に召使の男女がいろいろの物を運び込む騒ぎの済んだあとで、ただ四、五人だけがまた庭の怪しい物を見に出たが、さっき見たのと少しも変わっていない。怪しくてそのまま次の刻に移るまでもながめていた。
「早く夜が明けてしまえばいい。人か何かよく見きわめよう」
 と言い、心で真言《しんごん》の頌《じゅ》を読み、印を作っていたが、そのために明らかになったか、僧都は、
「これは人だ。決して怪しいものではない。そばへ寄って聞いてみるがよい。死んではいない。あるいはまた死んだ者を捨てたのが蘇生《そせい》したのかもしれぬ」
 と言った。
「そんなことはないでしょう。この院の中へ死人を人の捨てたりすることはできないことでございます。真実の人間でございましても、狐とか木精《こだま》とかいうものが誘拐《ゆうかい》してつれて来たのでしょう。かわいそうなことでございます。そうした魔物の住む所なのでございましょう」
 と一人の阿闍梨は言い、番人の翁を呼ぼうとすると山響《やまびこ》の答えるのも無気味であった。翁は変な恰好《かっこう》をし、顔をつき出すふうにして出て来た。
「ここに若い女の方が住んでおられるのですか。こんなことが起こっているが」
 と言って、見ると、
「狐の業《わざ》ですよ。この木の下でときどき奇態なことをして見せます。一昨年《おととし》の秋もここに住んでおります人の子供の二歳《ふたつ》になりますのを取って来てここへ捨ててありましたが、私どもは馴《な》れていまして格別驚きもしませんじゃった」
「その子供は死んでしまったのか」
「いいえ、生き返りました。狐はそうした人騒がせはしますが無力なものでさあ」
 なんでもなく思うらしい。
「夜ふけに召し上がりましたもののにおいを嗅《か》いで出て来たのでしょう」
「ではそんなものの仕事かもしれん。まあとっく[#「とっく」に傍点]と見るがいい」
 僧都は弟子たちにこう命じた。初めから怖気《おじけ》を見せなかった僧がそばへ寄って行った。
「幽鬼《おに》か、神か、狐か、木精《こだま》か、高僧のおいでになる前で正体を隠すことはできないはずだ、名を言ってごらん、名を」
 と言って着物の端を手で引くと、その者は顔を襟《えり》に引き入れてますます泣く。
「聞き分けのない幽鬼《おに》だ。顔を隠そうたって隠せるか」
 こう言いながら顔を見ようとするのであったが、心では昔話にあるような目も鼻もない女鬼《めおに》かもしれぬと恐ろしいのを、勇敢さを人に知らせたい欲望から、着物を引いて脱がせようとすると、その者はうつ伏しになって、声もたつほど泣く。何にもせよこんな不思議な現われは世にないことであるから、どうなるかを最後まで見ようと皆の思っているうちに雨になり、次第に強い降りになってきそうであった。
「このまま置けば死にましょう。垣根《かきね》の所へまででも出しましょう」
 と一人が言う。
「真の人間の姿だ。人間の命のそこなわれるのがわかっていながら捨てておくのは悲しいことだ。池の魚、山の鹿《しか》でも人に捕えられて死にかかっているのを助けないでおくのは非常に悲しいことなのだから、人間の命は短いものなのだからね、一日だって保てる命なら、それだけでも保たせないではならない。鬼か神に魅入《みい》られても、また人に置き捨てにされ、悪だくみなどでこうした目にあうことになった人でも、それは天命で死ぬのではない、横死《おうし》をすることになるのだから、御仏《みほとけ》は必ずお救いになるはずのものなのだ。生きうるか、どうかもう少し手当をして湯を飲ませなどもして試みてみよう。それでも死ねばしかたがないだけだ」
 と僧都《そうず》は言い、その強がりの僧に抱かせて家の中へ運ばせるのを、弟子たちの中に、
「よけいなことだがなあ。重い病人のおられる所へ、えたいの知れないものをつれて行くのでは穢《けが》れが生じて結果はおもしろくないことになるがなあ」
 と非難する者もあった。また、
「変化《へんげ》のものであるにせよ、みすみすまだ生きている人をこんな大雨に打たせて死なせてしまうのはあわれむべきことだから」
 こう言う者もあった。下《しも》の者は物をおおぎょうに言いふらすものであるからと思い、あまり人の寄って来ない陰のほうの座敷へ拾った人を寝させた。
 尼君たちの車が着き、大尼君がおろされる時に苦しがると言って皆は騒いだ。
 少し静まってから僧都は弟子に、
「あの婦人はどうなったか」
 と問うた。
「なよなよとしていましてものも申しません。確かによみがえったとも思われません。何かに魂を取られている人なのでしょう」
 こう答えているのを僧都の妹の尼君が聞いて、
「何でございますの」
 と尋ねた。こんなことがあったのだと僧都は語り、
「自分は六十何年生きているがまだ見たこともないことにあった」
 と言うのを聞いて、尼君は、
「まあ、私が初瀬《はせ》でお籠《こも》りをしている時に見た夢があったのですよ。どんな人なのでしょう、ともかく見せてください」
 泣きながら尼君は言うのであった。
「すぐその遣戸《やりど》の向こう側に置きましたよ。すぐ御覧なさい」
 兄の言葉を聞いて尼君は急いでそのほうへ行った。だれもそばにいず打ちやられてあった人は若くて美しく、白い綾《あや》の服一重ねを着て、紅の袴《はかま》をはいていた。薫香《くんこう》のにおいがかんばしくついていてかぎりもなく気品が高い。自分の恋い悲しんでいる死んだ娘が帰って来たのであろうと尼君は言い、女房をやって自身の室《へや》へ抱き入れさせた。発見された場所がどんな無気味なものであったかを知らない女たちは、恐ろしいとも思わずそれをしたのである。生きているようでもないが、さすがに目をほのかにあけて見上げた時、
「何かおっしゃいよ。どんなことでこんなふうになっていらっしゃるのですか」
 と尼君は言ってみたが、依然失心状態が続く。湯を持って来させて自身から口へ注ぎ入れなどするが、衰弱は加わっていくばかりと見えた。
「この人を拾うことができて、そしてまた死なせてしまう悲しみを味わわなければならぬだろうか」
 と尼君は言い、
「この人は死にそうですよ。加持をしてください」
 と初瀬へ行った阿闍梨《あじゃり》へ頼んだ。
「だからむだな世話焼きをされるものだと言ったことだった」
 この人はつぶやいたが、憑《つ》きもののために経を読んで祈っていた。僧都もそこへちょっと来て、
「どうかね。何がこうさせたかをよく物怪《もののけ》を懲らして言わせるがよい」
 と言っていたが、女は弱々しく今にも消えていく命のように見えた。
「むずかしいらしい。思いがけぬ死穢《しえ》に触れることになって、われわれはここから出られなくなるだろうし、身分のある人らしく思われるから、死んでもそのまま捨てることはならないだろう。困ったことにかかり合ったものだ」
 弟子たちはこんなことを言っているのである。
「まあ静かにしてください。人にこの人のことは言わないでくださいよ。めんどうが起こるといけませんから」
 と口固めをしておいて、尼君は親の病よりもこの人をどんなにしても生かせたいということで夢中になり、親身の者のようにじっと添っていた。知らない人であったが、容貌《ようぼう》が非常に美しい人であったから、このまま死なせたくないと惜しんで、どの女房も皆よく世話をした。さすがにときどきは目をあけて見上げなどするが、いつも涙を流しているのを見て、
「まあ悲しい。私の恋しい死んだ子の代わりに仏様が私の所へ導いて来てくだすった方だと思って私は喜んでますのに、このままになってはかえって以前にました物思いをする私になるでしょう。宿縁があればこそこうして出逢うことになったあなたと私に違いないのですよ。なんとか少しでもものをお言いなさいよ」
 こう長々と言われたあとで、やっと、
「生きることができましても、私はもうこの世にいらない人間でございます。人に見せないでこの川へ落としてしまってください」
 低い声で病人は言った。何にもせよ珍しくものを言いだしたことをうれしく尼君は思った。
「悲しいことを、まあどうしてそんなことをお言いになりますの、どうしてそんな所に来ておいでになったの」
 と尋ねても、もうそれきり何も言わなかった。身体《からだ》にひょっと傷でもできているのではないかと思って調べてみたが、疵《きず》らしい疵もなく、ただ美しいばかりであったから、心は驚きに満たされ、さらに悲しみを覚え、実際兄の弟子たちの言うように、変化《へんげ》のものであってしばらく人の心を乱そうがためにこんな姿で現われたのではないかと疑われもした。
 一行は二日ほどここに滞留していて、老尼と拾った若い貴女《きじょ》のために祈りをし、加持をする声が絶え間もなく聞こえていた。宇治の村の人で、僧都に以前仕えたことのあった男が、宇治の院に僧都が泊まっていると聞いて訪《たず》ねて来ていろいろと話をするのを聞いていると、
「以前の八の宮様の姫君で、右大将が通って来ておいでになった方が、たいした御病気でもなしににわかにお亡《かく》れになったといってこの辺では騒ぎになっております。そのお葬式のお手つだいに行ったりしたものですから昨日は伺うことができませんでした」
 こんなことも言っている。そうした貴女の霊魂を鬼が奪って持って来たのがこの人ではあるまいかと思われた尼君は、今は目に見ているが跡形もなく消えてしまう人のように思われ、危うくも恐ろしくも拾った姫君を思った。女房らが、
「昨夜ここから見えた灯《ひ》はそんな大きい野べ送りの灯とも見えなんだけれど」
 と言うと、
「わざわざ簡単になすったのですよ」
 こんな説明をした。死穢に触れた男であるから病人の家に近づかせてはならないと言い、立ち話をさせただけで追い返した。
「大将さんが八の宮の姫君を奥様にしていらっしゃったのは、お亡《な》くなりになってもうだいぶ時がたっていることだのに、だれのことをいうのだろう。姫宮と結婚をしておいでになる方だから、そんな隠れた愛人などをお持ちになるはずもないことだし」
 とも尼君は言っていた。
 大尼君の病気は癒《い》えてしまった。それに方角の障《さわ》りもなくなったことであるから、こうした怪異めいたことを見る所に長くいるのはよろしくないといって、僧都の一行は帰ることになった。拾った貴女はまだ弱々しく見えた。途中が心配である、いたいたしいことであると女房たちは言い合っていた。二つの車の一台の僧都と大尼君の乗ったのにはその人に奉仕している尼が二人乗り、次の車には尼夫人が病の人を自身とともに乗せ、ほかに一人の女房を乗せて出た。車をやり通させずに所々でとめて病人に湯を飲ませたりした。比叡《ひえ》の坂本《さかもと》の小野という所にこの尼君たちの家はあった。そこへの道程《みちのり》は長かった。途中で休息する所を考えておけばよかったと言いながらも小野の家へ夜ふけになって帰り着いた。僧都は母を、尼君はこの知らぬ人を世話して皆抱きおろして休ませた。
 老いた尼君はいつもすぐれた健康を持っているのではない上、遠い旅をしたあとであったから、その後しばらくはわずらっていたもののようやく快癒《かいゆ》したふうの見えたために僧都は横川《よかわ》の寺へ帰った。身もとの知れない若い女の病人を伴って来たというようなことは僧としてよい噂《うわさ》にならぬことであったから、初めから知らぬ人には何も話さなかった。尼君もまた同行した人たちに口固めをしているのであって、もし捜しに来る人もあったならばと思うことがこの人を不安にしていた。どうしてあの田舎人ばかりのいる所にこの人がこぼされたように落ちていたのであろう、初瀬へでも参詣《さんけい》した人が途中で病気になったのを継母《ままはは》などという人が悪意で捨てさせたのであろうと、このごろではそんな想像をするようになった。河《かわ》へ流してほしいと言った一言以外にまだ今まで何も言わないのであったからたよりなく思った。そのうち健康《じょうぶ》にさせて手もとで養うことにしたいと尼君は願っているのであるが、いつまでも寝たままで起き上がれそうにもなく、重態な様子でその人はいたから、このまま衰弱して死んでしまうのではなかろうかと思われはするものの無関心にはなれそうもなかった。初瀬で見た夢の話もして、宇治で初めから祈らせていた阿闍梨にも尼君はそっと祈祷《きとう》をさせていた。それでもはかばかしくないことに気をもんで尼君は僧都の所へ手紙を書いた。
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ぜひ下山してくださいまして私の病人を助けてくださいまし。重態なようでしかも今日まで死なずにいることのできた人には、何かがきっと憑《つ》いていて禍《わざわ》いをしているものらしく思われます。私の仏のお兄様、京へまでお出になるのはよろしくないかもしれませんが、ここへまでおいでくださるだけのことはお籠《こも》りに障《さわ》ることでもないではございませんか。
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 などと、切な願いを言い続けたものであった。不思議なことである、今までまだ死なずにおられた人を、あの時うちやっておけばむろん死んだに違いない、前生の因縁があったからこそ、自分が見つけることにもなったのであろう、試みにどこまでも助けることに骨を折ってみよう、それでとめられない命であったなら、その人の業が尽きたのだとあきらめてしまおうと僧都は思って山をおりた。
 うれしく思った尼君は僧都を拝みながら今までの経過を話した。
「こんなに長わずらいをする人というものはどこかしら病人らしい気味悪さが自然にでてくるものですが、そんなことはないのでございますよ。少しも衰えたふうはなくて、きれいで清らかなのですよ。そうした人ですから危篤にも見えながら生きられるのでしょうね」
 尼君は真心から病人を愛して泣く泣く言うのであった。
「はじめ見た時から珍しい美貌《びぼう》の人だったね。どんなふうでいます」
 と言い、僧都は病室をのぞいた。
「実際この人はすぐれた麗人だね。前生での功徳《くどく》の報いでこうした容姿を得て生まれたのだろうが、また宿命の中にどんな障《さわ》りがあってこんな目にあうことになったのだろう。何かほかから思いあたるような話を聞きましたか」
「少しもございません。そんなことを考える必要はないと思います。私へ初瀬《はせ》の観音様がくだすった人ですもの」
 と尼君は言う。
「それにはそれの順序がありますよ。虚無から人の出てくるものではないからね」
 などと僧都《そうず》は言い、不思議な女性のために修法を始めた。宮中からのお召しさえ辞退して山にこもっている自分が、だれとも知らぬ女のために自身で祈祷《きとう》をしていることが評判になっては困ることであると僧都も思い、弟子たちも言って、修法の声を人に聞かすまいと隠すようにした。いろいろと非難がましく言う弟子たちに僧都は、
「静かにするがよい。自分は無慚《むざん》の僧で、御仏《みほとけ》の戒めを知らず知らず破っていたことも多かったであろうが、女に関することだけではまだ人の譏《そし》りを受けず、みずから認める過失はなかった。年六十を過ぎた今になって世の非難を受けてもしかたのないことに関与するのも、前生からの約束事だろう」
 と言った。
「悪口好きな人たちに悪く解釈され、評判が立ちますればそれが根本の仏法の疵《きず》になることでございましょう」
 快く思っていない弟子はこんな答えをした。自分のする修法の間に効験のない場合にはと非常な決心までもして夜明けまで続けた加持のあとで、他の人に物怪《もののけ》を移し、どんなものがこうまで人を苦しめるかと話をさせるため、弟子の阿闍梨《あじゃり》がとりどりにまた加持をした。そうしていると先月以来少しも現われて来なかった物怪が法に懲らされてものを言いだした。
「自分はここへまで来て、こんなに懲らされるはずの者ではない。生きている時にはよく仏の勤めをした僧であったが、少しの憾《うら》みをこの世に遺《のこ》したために、成仏ができずさまよい歩くうちに、美しい人の幾人もいる所へ住みつくことになり、一人は死なせてしまったが、この人は自身から人生を恨んで、どうしても死にたいということを夜昼言っていたから、自分の近づくのに都合がよくて、暗い晩に一人でいたのを取って来たのだ。けれども観音がいろいろにして守っておられるため、とうとうこの僧都に負けてしまった。もう帰る」
 叫ぶようにこれは言われたのである。
「そう言う者はだれか」
 と問うたが、移してあった人が単純な者でわきまえの少なかったせいか、それをつまびらかに言うことをなしえなかった。
 浮舟《うきふね》の姫君はこの時気分が癒《なお》り、意識が少し確かになって見まわすと、一人として知った顔はなく、皆老いた僧、顔のゆがんだ尼たちだけであったから、未知の国へ来た気がして非常に悲しくなった。以前のことを思い出そうとするが、どこに住んでいたとも、何という人で自分があったかということすらしかと記憶から呼び出すことができないのであった。ただ自分は入水《じゅすい》する決心をして身を投げに行ったということが意識に上ってきた。そしてどこへ来たのであろうとしいて過去を思い出してみると、生きていることがもう堪えがたく悲しいことに思われて、家の人の寝たあとで妻戸をあけて外へ出てみると、風が強く吹いていて川波の音響も荒かったため、一人であることが恐ろしくなり、前後も考えて見ず縁側から足を下へおろしたが、どちらへ向いて行ってよいかもわからず、今さら家の中へ帰って行くこともできず、気強く自殺を思い立ちながら、人に見つけられるような恥にあうよりは鬼でも何でも自分を食べて死なせてほしいと口で言いながらそのままじっと縁側によりかかっていた所へ、きれいな男が出て来て、「さあおいでなさい私の所へ」と言い、抱いて行く気のしたのを、宮様と申した方がされることと自分は思ったが、そのまま失心したもののようであった。知らぬ所へ自分をすわらせてその男は消えてしまったのを見て、自分はこんなことになって、目的とした自殺も遂げられなかったと思い、ひどく泣いていたと思うがそれからのことは何も記憶にない。今人々の語っているのを聞くとそれから多くの日がたったようである。どんなに醜態を人の前にさらした自分で、どんなに知らぬ人の介抱《かいほう》を受けてきたのかと思うと恥ずかしく、そしてしまいには今のように蘇生《そせい》をしてしまったのであると思われるのが残念で、かえって失心状態であった今日までは意識してではなくものもときどきは食べてきた浮舟の姫君であったが、今は少しの湯さえ飲もうとしない。
「どうしてそんなにたよりないふうをばかりお見せになりますか。もうずっと発熱することもなくなって、病苦はあなたから去ったように見えるのを私は喜んでいますのに」
 こう言って、尼夫人という緊張した看病人がそばを離れず世話をしていた。他の女房たちも惜しい美貌《びぼう》の浮舟の君の恢復《かいふく》を祈って皆真心を尽くして世話をした。浮舟の心では今もどうかして死にたいと願うのであったが、あのあぶない時にすら助かった人の命であったから、望んでいる死は近寄って来ず、恢復のほうへこの人は運ばれていった。ようやく頭を上げることができるようになり、食事もするようになったころにかえって重い病中よりも顔の痩《や》せが見えてきた。この人の命を取りとめえたことがうれしく、そのうち健康体になるであろうと尼君は喜んでいるのに、
「尼にしてくださいませ、そうなってしまえば生きてもよいという気になれるでしょうから」
 と言い、浮舟は出家を望んだ。
「いたいたしいあなたをどうしてそんなことにされますか」
 と尼君は言い、頭の頂の髪少しを切り、五戒だけを受けさせた。それだけで安心はできないのであるが、賢《さか》しげにしいてそれを実現させてくれとも言えなかった。山の僧都は、
「もう大丈夫です。このくらいのところで快癒を御仏におすがりすることはやめたらいいでしょう」
 と言い残して寺へ帰った。
 予期もせぬ夢のような人が現われたものであるというように尼君は恢復期の浮舟を喜んで、しいて勧めて起こし、髪を自身で梳《す》いてやった。長い病中打ちやられてあった髪であるが、はなはだしくは乱れていないで、まもなく縺《もつ》れもほぐれて梳《す》きおろされてしまうと、つやつやと光沢が出てきれいに見えた。「百年《ももとせ》に一とせ足らぬ九十九髪《つくもがみ》」というような人たちの中へ、目もくらむような美しい天女が降って来たように見えるのも、跡なくかき消される姿ではないかという危うさを尼君に覚えさせることになった。
「なぜあなたに人情がわからないのでしょう。私がどんなにあなたを愛しているかしれないのに、物隠しをしてばかりおいでになりますね。どこの何という家の方で、なぜ宇治というような所へ来ておいでになりましたの」
 尼君から熱心に聞かれて浮舟の姫君は恥ずかしく思った。
「重くわずらっておりましたうちに皆忘れてしまったのでしょうか、どんなふうにどこにいたかを少しも覚えていないのですよ。ただね、私は夕方ごとに庭へ近い所に出て寂しい景色《けしき》をながめていたらしゅうございます。そんな時に近くにあった大木の蔭《かげ》から人が出て来まして私をつれて行ったという気がします。それ以外のことは自分ながらも、だれであるかも思い出されないのですよ」
 と姫君は可憐《かれん》なふうで言い、
「私がまだ生きているということをだれにも知られたくないと思います。それを人が知ってしまっては悲しゅうございます」
 と告げて泣いた。あまり聞かれるのが苦しいふうであったから尼君はそれ以上を尋ねようとしなかった。かぐや姫を竹の中に見つけた翁《おきな》よりも貴重な発見をしたように思われるこの人は、どんな隙《すき》から消えていくかもしれぬということが不安に思われてならぬ尼夫人であった。この家の人も貴族であった。若いほうの尼君は高級官吏の妻であったが、良人《おっと》に死に別れたあとで、一人よりない娘を大事に育てていて、よい公達《きんだち》を婿にすることができ、その世話を楽しんでしていたのであるが、娘は病になって死んだ。それを非常に悲しみ尼になってこの山里へ移って来たのである。忘れる時もなく恋しい娘の形見とも思うことのできる人を見つけたいとつれづれなあまりに願っていた人が、意外な、容貌《ようぼう》も様子も死んだ子にまさった姫君を拾いえたのであったから、現実のことともこれを思うことができず、変わりなしにこの幸福の続いていくかどうかをあやぶみながらもうれしく思っている尼君であった。年はいっているがきれいで、品がよく、身のとりなしにも気高《けだか》いところがあった。ここは浮舟のいた宇治の山荘よりは水の音も静かで優しかった。庭の作りも雅味があって、木の姿が皆よく、前の植え込みの灌木《かんぼく》や草も上手《じょうず》に作られてあった。
 秋になると空の色も人の哀愁をそそるようになり、門前の田は稲を刈るころになって、田舎《いなか》らしい催し事をし、若い女は唄《うた》を高声に歌ってはうれしがっていた。引かれる鳴子の音もおもしろくて浮舟は常陸《ひたち》に住んだ秋が思い出されるのであった。同じ小野ではあるが夕霧の御息所《みやすどころ》のいた山荘などよりも奥で、山によりかかった家であったから、松影が深く庭に落ち、風の音も心細い思いをさせる所で、つれづれになってはだれも勤行ばかりをする仏前の声が寂しく心をぬらした。尼君は月の明るい夜などに琴を弾《ひ》いた。少将の尼という人は琵琶《びわ》を弾いて相手を勤めていた。
「音楽をなさいますか。でなくては退屈でしょう」
 と尼君は姫君に言っていた。昔も母の行く国々へつれまわられていて、静かにそうしたものの稽古《けいこ》をする間もなかった自分は風雅なことの端も知らないで人となった、こんな年のいった人たちさえ音楽の道を楽しんでいるのを見るおりおりに浮舟《うきふね》の姫君はあわれな過去の自身が思い出されるのであった。そして何の信念も持ちえなかった自分であったとはかなまれて、手習いに、

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身を投げし涙の川の早き瀬にしがらみかけてたれかとどめし
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 こんな歌を書いていた。よいことの拾い出せない過去から思えば将来も同じ薄命道を続けて歩んで行くだけであろうと自身がうとましくさえなった。
 月の明るい夜ごとに老いた女たちは気どった歌を詠《よ》んだり、昔の思い出話をするのであったが、その中へ混じりえない浮舟の姫君はただつくづくと物思いをして、

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われかくて浮き世の中にめぐるともたれかは知らん月の都に
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 こんな歌も詠まれた。自殺を決意した時には、もう一度逢いたく思った人も多かったが、他の人々のことはそう思い出されもしない。母がどんなに悲しんだことであろう。乳母《めのと》がどうかして自分に人並みの幸福を得させたいとあせっていたかしれぬのにあの成り行きを見て、さぞ落胆をしたことであろう、今はどこにいるだろう、自分がまだ生きていると知りえようはずがない、気の合った人もないままに、主従とはいえ隔てのない友情を持ち合ったあの右近《うこん》のこともおりおりは思い出される浮舟であった。若い女がこうした山の家に世の中をあきらめて暮らすことは不可能なことであったから、そうした女房はいず、長く使われている尼姿の七、八人だけが常の女房であった。その人たちの娘とか孫とかいう人らで、京で宮仕えをしているのも、また普通の家庭にいるのも時々出て来ることがあった。そうした人が宇治時代の関係者の所へ出入りすることもあって、自分の生きていることが宮にも大将にも知れることになったならきわめて恥ずかしいことである、ここへ来た経路についてどんな悪い想像をされるかもしれぬ、過去において正しく踏みえた人の道ではなかったのであるからと思う羞恥《しゅうち》心から、姫君は京の人たちには決して姿を見せることをしなかった。尼君は侍従という女房とこもき[#「こもき」に傍点]という童女を姫君付きにしてあった。容貌も性質も昔日の都の女たちにくらべがたいものであった。何につけても人の世とは別な世界というものはこれであろうと思われる。こんなふうに人にかくれてばかりいる浮舟を、この人の言うとおりにめんどうなつながりを世間に持っていて、それからのがれたい理由《わけ》が何ぞあるのであろうと尼君も今では思うようになって、くわしいことは家の人々にも知らせないように努めていた。
 尼君の昔の婿は現在では中将になっていた。弟の禅師が僧都の弟子になって山にこもっているのを訪《たず》ねに兄たちはよく寺へ上った。横川《よかわ》へ行く道にあたっているために中将はときどき小野の尼君を訪ねに寄った。前払《さきばら》いの声が聞こえ、品のよい男が門をはいって来るのを、家からながめて浮舟の姫君は、いつでも目だたぬふうにしてあの宇治の山荘へ来た薫《かおる》の幻影をさやかに見た。心細い家ではあるが住みなれた人は満足して、きれいにあたりが作ってあって、垣《かき》に植えた撫子《なでしこ》も形よく、女郎花《おみなえし》、桔梗《ききょう》などの咲きそめた植え込みの庭へいろいろの狩衣《かりぎぬ》姿をした若い男たちが付き添い、中将も同じ装束ではいって来たのであった。
 南向きの座敷へ席が設けられたのでそこへすわり、沈んだふうを見せてその辺を見まわしていた。年は二十七、八で、整った男盛りと見え、あさはかでなく見せたい様子を作っていた。尼君は隣室の襖子《からかみ》の口へまで来て対談した。少し泣いたあとで、
「過ぎた月日の長くなりましたことで、あの時代といいますものが遠い世のような気がいたされながら、おいでくださいますのを山里に添えられる光明のように思われまして、今でもあなたをお待ちすることが心から離れませんのを不思議に思っております」
 と言うのを聞いて、中将は湿った気持ちになり、
「昔のことの思われない時もないのですが、世の中から離脱したことを標榜《ひょうぼう》しておいでになるような今の御生活に対して、古いことにとらわれている自分が恥ずかしくって、お訪ねいたすのも怠りがちになってしまいました。山ごもりをしている弟もまたうらやましくなり、僧都《そうず》のお寺へはよくまいるのですが、ぜひ同行したいという人が多いものですから、お寄りするのを妨げられる結果になりまして、失礼もしましたが、今日は都合よくその連中を断わって来ました」
 と言っていた。
「山ごもりをおうらみになったりしては、かえって近ごろの流行かぶれに思われますよ。昔をお忘れにならないお志は現代の風潮と変わったありがたいことと、お噂《うわさ》を聞いて思うことが多うございます」
 などと言うのは尼君であった。ついて来た人々に水飯《すいはん》が饗応《きょうおう》され、中将には蓮《はす》の実などを出した。そんな間食をしたりすることもここでは遠慮なくできる中将であったから、おりから俄雨《にわかあめ》の降り出したのにも出かけるのをとめられて尼君となおもしみじみとした話をかわしていた。娘を失ったことよりも情のこまやかであったこの婿君を家の人でなくしてしまったことが、より以上尼君に悲痛なことであって、娘はなぜ忘れ形見でも残していかなかったかとそれを歎いている心から、たまさかにこうして中将の訪問を受けるのは非常な悦《よろこ》びであったから、大事な秘密としていることもつい口へ出てしまうことになりそうであった。
 浮舟の姫君は昔について尼君とは異なった悲しみを多く覚え、庭のほうをながめ入っている顔が非常に美しい。同じ白といってもただ白い一方でしかない、目に情けなく見える単衣《ひとえ》に、袴《はかま》も檜皮《ひはだ》色の尼の袴を作りなれたせいか黒ずんだ赤のを着けさせられていて、こんな物も昔着た物に似たところのないものであると姫君は思いながら、そのこわごわとしたのをそのまま着た姿もこの人だけには美しい感じに受け取れた。女房たちが、
「このごろはお亡《かく》れになった姫君が帰っておいでになった気がしているのに、中将様さえも来ておいでになってはいよいよその時代が今であるような錯覚が起こりますね。できるならば昔どおりにこの姫君と御夫婦におさせしたい、よくお似合いになるお二人でしょう」
 こんなことを言っているのも浮舟の耳にはいった。思いも寄らぬことである、普通の女の生活に帰って、どんな人とにもせよ結婚をすることなどはしようと思わない、それによって自分はただ昔を思うばかりの人になるであろうから、もうそうした身の上には絶対になるまい、そして昔を忘れたいと浮舟の姫君は思った。
 尼君が内へ引っ込んだあとで、中将は降りやまぬ雨をながめることに退屈を覚え、少将といった人の声に聞き覚えがあってそばへ呼び寄せた。
「昔のなじみの人たちは今も皆ここにおられるのであろうかと、思ってみる時があっても、こうした御訪問も自然できなくなってしまっている私を、薄情なようにも皆さんは思っておられるでしょう」
 こんなことを中将は言った。親しく中将にも仕えていた女房であったから、昔の妻についての思い出話をしたあとで、
「私がさっき廊の端を通ったころに、風がひどく吹いていて、簾《すだれ》が騒がしく動く紛れに、その合い間から、普通の女房とは思われない人の後ろへ引いた髪が見えたから、尼様たちのお住居《すまい》にだれが来ておられるのかと驚きましたよ」
 と中将が言いだした。姫君が立って隣室へお行きになった後ろ姿を見たのであろうと少将は思い、まして細かに見せたなら多大に心の惹《ひ》かれることであろう、あの方に比べれば昔の方はずっと劣っておいでになったのであるが、まだ忘られぬように恋しがっている人であるからと少将は心に思い、ひとり決めではなやかに事の発展していくことを予期して、
「お亡《かく》れになった姫君のことがお忘れになれませんで困っていらっしゃいます時に、思いがけぬ姫君をお見つけになりまして、今では明け暮れの慰めにして奥様がお世話をしておいでになるのですが、そのお姿を不思議にお目におとめになりましたのでございますね」
 こう語った。そんなおもしろい事実があったのかと興味のわいてきた中将は、どうした家の娘であろう、それとなく今少将が言うとおりに美しい人らしくほのかに見ただけの人からかえって深い印象の与えられたのを中将は感じた。くわしく聞こうとするのであるが、少将は事実をそのまま告げようとはせずに、
「そのうちおわかりになるでしょう」
 とだけ言っているのに対して、にわかに質問をしつこくするのも恥ずかしくなり、従者が、
「雨もやみました。日が暮れるでしょうから」
 と促《うなが》す声のままに中将は出かけようとするのであった。縁側を少し離れた所に咲いた女郎花《おみなえし》を手に折って「何にほふらん」(女郎花人のもの言ひさがにくき世に)と口ずさんで立っていた。
「人から何とか言われるのをさすがに恐れておいでになるのですね」
 などと古めかしい人らはそれをほめていた。
「ますますきれいにおなりになってりっぱだね。できることなら昔どおりの間柄になってつきあいたい」
 と尼君も言っているのであった。
「藤《とう》中納言のお家《うち》へは始終通っておいでになると見せておいでになって、気に入った奥さんでないらしくてね、お父様のお邸《やしき》に暮らしておいでになることのほうが多いということだね」
 こんな話も女房相手にしてから、浮舟へ、
「あなたはまだ私に隔て心を持っておいでになるのが恨めしくてなりませんよ。もう何事も宿命によるのだとあきらめておしまいになって、晴れ晴れしくなってくださいよ。この五、六年片時も忘れることができなくて悲しい悲しいと思っていた人のことも、あなたという方をそばで見るようになってからは忘れてしまいましたよ私は。あなたをお愛しになった方がたがこの世においでになっても、もうあなたはお亡《な》くなりになったものと今ではあきらめておいでになりましょうよ。何のことだってその当時ほどに人は思わないものですからね」
 と言うのを聞くうちにも姫君は涙ぐまれてくるのであった。
「私は何も隔てをお置きする気などはないのですけれども、不思議な蘇生《そせい》をしましてからは、何も皆夢のようにしか思い出せなくなっていまして、別の世界へ生まれた人はこんな気がするものであろうと感じられますから、身寄りというものがこの世にまだあるとも、思っていません私は、あなたの愛だけを頼みにしているのでございます」
 と言う浮舟《うきふね》の顔に純真さが見えてかわいいのを尼君は笑《え》みながら見守っていた。
 山の寺へ着いた中将を僧都も喜んで迎え、いろいろと世上の話を聞いたりした。その夜は宿泊することにして尊い声の出る僧たちに経を読ませて遊び明かした。弟の禅師とこまやかな話をしているうちに中将は、
「小野へ寄って来たがね、身にしむ思いを味わわせられた。出家したあとまであれだけ高雅な趣味のある生活のできる人は少ないだろうね」
 こんなことを言い、続いて、
「風が御簾《みす》を吹き上げた時に、髪の長い美しい人を見た。あらわになったと気のついたように立って行ったが、後ろ姿が平凡な人とは見えなかった。ああした所に若い貴女などは置いていいものでないね。明け暮れ見る人といっては坊様だけだから、のぞく者がないかと使う神経が弛緩《ちかん》してしまうからね、気の毒だよ」
 こんな話をした。
「この春|初瀬《はせ》へ詣《まい》って不思議な縁でおつれになった若いお嬢さんだということです」
 禅師は自身の携わった事件でなく知るはずもなかったから細かには言わない。
「かわいそうな人なのだね、どんな家の人だろう。世の中が悲しくなったればこそそうした寺へ来て隠れていたのだろうからね。昔の小説の中のことのようだ」
 と中将は言った。
 翌日山からの帰途にもまた、
「通り過ぎることができぬ気になって」
 こんなことを言って小野の家へ立ち寄った。ここでは迎えることを期していて食事の仕度《したく》もできていた。昔どおりに給仕をする少将の尼の普通に異なった袖口《そでぐち》の色も悪い感じはせず美しく思われた。尼夫人は昨日《きのう》よりもまだひどい涙目になって中将を見た。感謝しているのである。話のついでに中将が、
「このお家《うち》に来ておいでになる若い方はどなたですか」
 と尋ねた。めんどうになるような気はするのであったが、すでに隙見《すきみ》をしたらしい人に隠すふうを見せるのはよろしくないと思った尼君は、
「昔の人のことをあまり心に持っていますのは罪の深いことになると思いまして、ここ幾月か前から娘の代わりに家へ住ませることになった人のことでしょう。どういう理由か沈んだふうでばかりいまして、自分の存在が、人に知れますことをいやがっておりますから、こんな谷底へだれがあなたを捜しに来ますかと私は慰めて隠すようにしてあげているのですが、どうしてその人のことがおわかりになったのでしょう」
「かりに突然求婚者になって現われた私としましても、遠い路《みち》も思わず来たということで特典を与えられなければならないのですからね、ましてあなたが昔の人と思ってお世話をしていらっしゃる方であれば、私の志を昔に継いで受け入れてくだすっていいはずだと思います。どんな理由で人生を悲観していられる方なのですかねえ。慰めておあげしたく思われますよ」
 好奇心の隠せぬふうで中将は言った。帰りぎわに懐紙へ、

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あだし野の風になびくな女郎花《をみなへし》われしめゆはん路《みち》遠くとも
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 と書いて、少将の尼に姫君の所へ持たせてやった。尼君もそばでいっしょに読んだ。
「返しを書いておあげなさい。紳士ですから、それがあとのめんどうを起こすことになりますまいからね」
 こう勧められても、
「まずい字ですから、どうしてそんなことが」
 と言い、浮舟の聞き入れないのを見て、失礼になることだからと尼君が、
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お話しいたしましたように、世間|馴《な》れぬ内気な人ですから、

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移し植ゑて思ひ乱れぬ女郎花浮き世をそむく草の庵《いほり》に
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 と書いて出した。はじめてのことであってはこれが普通であろうと思って中将は帰った。
 中将は小野の人に手紙を送ることもさすがに今さら若々しいことに思われてできず、しかもほのかに見た姿は忘れることができずに苦しんでいた。厭世《えんせい》的になっているのは何の理由であるかはわからぬが哀れに思われて、八月の十日過ぎにはまた小鷹狩《こたかが》りの帰りに小野の家へ寄った。例の少将の尼を呼び出して、
「お姿を少し隙見で知りました時から落ち着いておられなくなりました」
 と取り次がせた。浮舟の姫君は返辞をしてよいことと認めず黙っていると、尼君が、
「待乳《まつち》の山の(たれをかも待乳の山の女郎花秋と契れる人ぞあるらし)と見ております」
 と言わせた。それから昔の姑《しゅうとめ》と婿は対談したのであるが、
「気の毒な様子で暮らしておいでになるとお話しになりました方のことをくわしく承りたく思います。満足のできない生活が続くものですから、山寺へでもはいってしまいたくなるのですが、同意されるはずもない両親を思いまして、そのままにしています私は、幸福な人には自分の沈んだ心から親しんでいく気になれませんが、不幸な人には慰め合うようになりたく思われてなりません」
 中将は熱心に言う。
「不しあわせをお話しになろうとなさいますのには相当したお相手だと思いますけれど、あの方はこのまま俗の姿ではもういたくないということを始終言うほどにも悲観的になっています。私ら年のいった人間でさえいよいよ出家する時には心細かったのですから、春秋に富んだ人に、それが実行できますかどうかと私はあぶながっています」
 尼君は親がって言うのであった。姫君の所へ行ってはまた、
「あまり冷淡な人だと思われますよ。少しでも返辞を取り次がせておあげなさいよ。こんなわび住まいをしている人たちというものは、自尊心は陰へ隠して人情味のある交際をするものなのですよ」
 などと言うのであるが、
「私は人とどんなふうにものを言うものなのか、その方法すら知らないのですもの。私は何の点でも人並みではございません」
 浮舟の姫君はそのまま横になってしまった。中将はあちらで、
「どちらへおいでになったのですか、御冷遇を受けますね。『秋を契《ちぎ》れる』はただ私をおからかいになっただけなのですか」
 などと尼君を恨めしそうに言い、

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松虫の声をたづねて来しかどもまた荻原《をぎはら》の露にまどひぬ
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 と歌いかけた。
「まあおかわいそうに、歌のお返しでもなさいよ」
 尼夫人はこう姫君に迫るのであったが、そんな恋愛の遊戯めいたことをする気はなく、また一度歌を詠《よ》めば、こうした時々に返しを返しをと責められるであろうことも煩わしいと思う心から、ものも言わずにいるのを見て尼夫人も女房もあまりにふがいない人と思うらしかった。尼君は若い時代に機智《きち》を誇った才女であったのであろう。

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「秋の野の露分け来たる狩りごろも葎《むぐら》茂れる宿にかこつな
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 迷惑がっておられます」
 と言っているのを、浮舟は聞きながら、こうしたことからまだ自分の世の中にいることが昔の人々に知れ始めることにならないであろうかと苦しく思っていた。姫君の気持ちも知らずに、昔の姫君と同じくこの婿君をもなつかしがることの多い女房たちは、
「ただちょっと深い意味でもなくお立ち寄りになった方ですから、お話をなすってもよろしくない方へ進出しようなどとは大丈夫なさいませんから、御結婚問題などは別にして、好意のある程度のお返辞だけはしておあげなさいまし」
 などと言い、身体《からだ》も引き動かすばかりに言うのであった。さすがに年を取った女たちは尼君が柄にもなく若々しく歌らしくもない歌をいい気で詠《よ》んで中将の相手をしていることは興ざめることと思っているのである。
 なんという不幸な自分であろう、捨てるのに躊躇《ちゅうちょ》しなかった命さえもまだ残っていて、この先どうなっていくのであろう、全く死んだ者として何人《なんびと》からも忘れられたいと思い悩んで、横になったままの姿で浮舟《うきふね》はいた。中将は何かほかにも愁《うれ》わしいことがあるのか、ひどく歎息《たんそく》をして、笛を鳴らしながら「鹿《しか》の鳴く音《ね》に」(山里は秋こそことにわびしけれ鹿の鳴く音に目をさましつつ)などと口ずさんでいる様子は相当な男と見えた。
「ここへまいっては昔の思い出に心は苦しみますし、また新しく私をあわれんでくだすってよい方はその心になってくださらないし『世のうき目見えぬ山路』とも思われません」
 と恨めしそうに言い、帰ろうとした時に、尼君が、
「あたら夜を(あたら夜の月と花とを同じくは心知れらん人に見せばや)お帰りになるのですか」
 と言って、御簾《みす》の所へ出て来た。
「もうたくさんですよ。山里も悲しいものだということがわかりましたから」
 などと中将は言い、新しい姫君へむやみに接近したいふうを見せることもしたくない、ほのかに少し見た人の印象のよかったばかりに、空虚で退屈な心の補いに恋をし始めたにすぎない相手があまりに冷淡に思い上がった態度をとっているのは場所柄にもふさわしくないことであると不快に思われる心から、帰ろうとするのであったが、尼君は笛の音に別れることすらも惜しくて、

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深き夜の月を哀れと見ぬ人や山の端《は》近き宿にとまらぬ
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 と奥様は仰せられますと取り次ぎで言わせたのを聞くとまたときめくものを覚えた。

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山の端に入るまで月をながめ見ん閨《ねや》の板間もしるしありやと
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 こんな返しを伝えさせている時、この家の大尼君が、さっきから笛の音を聞いていて、心の惹《ひ》かれるままに出て来た。間で咳《せき》ばかりの出るふるえ声で話をするこの老人はかえって昔のことを言いだしたりはしない。笛を吹く人がだれであるかもわからぬらしい。
「さあそこの琴をあなたはお弾《ひ》きよ。横笛は月夜に聞くのがいいね。どこにいるか、童女たち、琴を奥様におあげなさい」
 と言っている。さっきから大尼君らしいと中将は察して聞いていたのであるが、この家のどこにこうした大年寄が無事に暮らしていたのであろうと思い、老若《ろうにゃく》も差別のない無常の世がこれによってまた思われて悲しまれるのであった。盤渉調《ばんしきちょう》を上手《じょうず》に吹いて、
「さあ、それではお合わせください」
 と言う。これも相応に風流好きな尼夫人は、
「あなたのお笛は昔聞きましたよりもずっと巧妙におなりになったように思いますのも、平生山風以外に聞くもののないせいかもしれません。私のはまちがいだらけになっているでしょう」
 と言いながら琴を弾いた。現代の人はあまり琴の器楽を好まなくなって、弾き手も少なくなったためか、珍しく身にしむように思って、中将は相手の絃《いと》の音《ね》を聞いた。松風もゆるやかに伴奏をし、月光も笛の音を引き立てるようにさしていたから、いよいよ大尼君を喜ばせることになって、宵《よい》まどいもせず起き続けていた。
「昔はこの年寄りも和琴をうまく弾きこなしたものですがねえ、今は弾き方も変わっているかしれませんね。息子《むすこ》の僧都《そうず》から、聞き苦しい、念仏よりほかのことをあなたはしないようになさいと叱《しか》られましてね。それじゃあ弾かせてもらわないでもいいと思って弾かないのですよ。それに私の手もとにある和琴は名器なのですよ」
 大尼君はこんなふうに言い続けて弾きたそうに見えた。中将は忍び笑いをして、
「僧都がおとめになるのはどうしたことでしょう。極楽という所では菩薩《ぼさつ》なども皆音楽の遊びをして、天人は舞って遊ぶということなどで極楽がありがたく思われるのですがね。仏勤めの障《さわ》りになることでもありませんしね、今夜はそれを伺わせてください」
 とからかう気で言った言葉に、大尼君は満足して、
「さあ座敷がかりの童女たち、和琴《あずま》を持っておいでよ」
 この短い言葉の間にも咳《せき》は引っきりなしに出た。尼夫人も女房たちも大尼君に琴を弾かれては見苦しいことになるとは思ったが、このためには僧都をさえも恨めしそうに人へ訴える人であるからと同情して自由にさせておいた。楽器が来ると、笛で何が吹かれていたかも思ってみず、ただ自身だけがよい気持ちになって、爪音《つまおと》もさわやかに弾き出した。笛も琴も音のやんだのは自分の音楽をもっぱらに賞美したい心なのであろうと当人は解釈して、ちりふり[#「ちりふり」に傍点]、ちりちり[#「ちりちり」に傍点]、たりたり[#「たりたり」に傍点]などとかき返してははしゃいだ言葉もつけて言うのも古めかしいことのかぎりであった。
「おもしろいですね。ただ今では聞くことのできないような言葉がついていて」
 などと中将がほめるのを、耳の遠い老尼はそばの者に聞き返して、
「今の若い者はこんなことが好きでなさそうですよ。この家《うち》に幾月か前から来ておいでになる姫君も、容貌《きりょう》はいいらしいが、少しもこうしたむだな遊びをなさらず引っ込んでばかりおいでになりますよ」
 と、賢《さかし》がって言うのを尼夫人などは片腹痛く思った。大老人のあずま琴で興味のしらけてしまった席から中将の帰って行く時も山おろしが吹いていた。それに混じって聞こえてくる笛の音が美しく思われて人々は寝ないで夜を明かした。
 翌日中将の所から、
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昨日は昔と今の歎きに心が乱されてしまいまして、失礼な帰り方をしました。

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忘られぬ昔のことも笛竹の継ぎし節《ふし》にも音《ね》ぞ泣かれける

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あの方へ私の誠意を認めてくださるようにお教えください。内に忍んでいるだけで足る心でしたならこんな軽はずみ男と見られますようなことまでは決して申し上げないでしょう。
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 と言う消息が尼君へあった。これを見て昔の婿君をなつかしんでいる尼夫人は泣きやむことができぬふうに涙を流したあとで返事を書いた。

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笛の音に昔のことも忍ばれて帰りしほども袖ぞ濡《ぬ》れにし

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不思議なほど普通の若い人と違った人のことは老人の問わず語りからも御承知のできたことと思います。
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 と言うのである。
 恋しく思う人の字でなく、見なれた昔の姑《しゅうとめ》の字であるのに興味が持てず、そのまま中将は置き放しにしたことであろうと思われる。
 荻《おぎ》の葉に通う秋風ほどもたびたび中将から手紙の送られるのは困ったことである。人の心というものはどうしていちずに集まってくるのであろう、と昔の苦しい経験もこのごろはようやく思い出されるようになった浮舟は思い、もう自分に恋愛をさせぬよう、また人からもその思いのかからぬように早くしていただきたいと仏へ頼む意味で経を習って姫君は読んでいた。心の中でもそれを念じていた。こんなふうに寂しい道を選んでいる浮舟を、若い人でありながらおもしろい空気も格別作らず、うっとうしいのがその性質なのであろうと周囲の人は思った。容貌《ようぼう》のすぐれて美しいことでほかの欠点はとがめる気もせず朝暮の目の慰めにしていた。少し笑ったりする時には、珍しく華麗なものを見せられる喜びを皆した。
 九月になって尼夫人は初瀬《はせ》へ詣《まい》ることになった。さびしく心細いばかりであった自分は故人のことばかりが思われてならなかったのに、この姫君のように可憐で肉身とより思えぬ人を得たことは観音の利益であると信じて尼君はお礼詣りをするのであった。
「さあいっしょに行きましょう。だれにわかることがあるものですか。同じ仏様でもあのお寺などにこもってお願いすることは効験《ききめ》があってよい結果を見た例がたくさんあるのですよ」
 と言って、尼君は姫君に同行を勧めるのであったが、昔母や乳母《めのと》などがこれと同じことを言ってたびたびお詣りをさせたが、自分には、何のかいもなかった、命さえも意《こころ》のままにならず、言いようもない悲しい身になっているではないか、と浮舟は思ううちにもこの一家の知らぬ人々に伴われてあの山路《やまみち》を自分の来たことは恥ずかしい事実であったと身に沁《し》んでさえ思われた。強情《ごうじょう》らしくは言わずに、
「私は気分が始終悪うございますから、そうした遠路《とおみち》をしましてまた悪くなるようなことがないかと心配ですから」
 と断わっていた。いかにもそうした物恐れをしそうな人であると思って、尼君はしいても言わなかった。

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はかなくて世にふる川のうき瀬には訪ねも行かじ二本《ふたもと》の杉《すぎ》
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 と書いた歌が手習い紙の中に混じっていたのを尼君が見つけて、
「二本《ふたもと》とお書きになるのでは、もう一度お逢いになりたいと思う方があるのですね」
 と冗談《じょうだん》で言いあてられたために、姫君ははっとして顔を赤くしたのも愛嬌《あいきょう》の添ったことで美しかった。

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ふる川の杉の本立《もとだち》知らねども過ぎにし人によそへてぞ見る
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 平凡なものであるが尼君は考える間もないほどのうちにこんな歌を告げた。目だたぬようにして行くことにしていたのであるが、だれもかれもが行きたがり、留守《るす》宅の人の少ない中へ姫君を置いて行くのを尼君は心配して、賢い少将の尼と、左衛門《さえもん》という年のいった女房、これと童女だけを置いて行った。
 皆が出立して行く影を浮舟《うきふね》はいつまでもながめていた。昔に変わった荒涼たる生活とはいいながらも、今の自分には尼君だけがたよりに思われたのに、その自分を愛してくれる唯一の人と別れているのは心細いものであるなどと思い、つれづれを感じているうちに中将から手紙が来た。
「お読みあそばせよ」
 と言うが、浮舟は聞きも入れなかった。そして常よりもまた寂しくなった家の庭をながめ入り、過去のこと、これからあとのことを思っては歎息ばかりされるのであった。
「拝見していましても苦しくなるほどお滅入《めい》りになっていらっしゃいますね。碁をお打ちなさいませよ」
 と少将が言う。
「下手《へた》でしょうがないのですよ」
 と言いながらも打つ気に浮舟はなった。盤を取りにやって少将は自信がありそうに先手を姫君に打たせたが、さんざんなほど自身は弱くて負けた。それでまた次の勝負に移った。
「尼奥様が早くお帰りになればよい、姫君の碁をお見せしたい。あの方はお強いのですよ。僧都様はお若い時からたいへん碁がお好きで、自信たっぷりでいらっしゃいましたところがね、尼奥様は碁聖《きせい》上人になって自慢をしようとは思いませんが、あなたの碁には負けないでしょうとお言いになりまして、勝負をお始めになりますと、そのとおりに僧都様が二目《にもく》お負けになりました。碁聖の碁よりもあなたのほうがもっとお強いらしい。まあ珍しい打ち手でいらっしゃいます」
 と少将はおもしろがって言うのであった。昔はたまにより見ることのなかった年のいった尼梳《あます》きの額に、面と向かって始終相手をさせられるようになってはいやである。興味を持たれてはうるさい、めんどうなことに手を出したものであると思った浮舟の姫君は、気分が悪いと言って横になった。
「時々は晴れ晴れしい気持ちにもおなりあそばせよ。惜しいではございませんか、青春を沈んでばかりおいでになりますことは。ほんとうに玉に瑕《きず》のある気がされます」
 などと少将は言った。夕風の音も身に沁《し》んで思い出されることも多い人は、

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心には秋の夕べをわかねどもながむる袖《そで》に露ぞ乱るる
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 こんな歌も詠《よ》まれた。月が出て景色《けしき》のおもしろくなった時分に、昼間手紙をよこした中将が出て来た。
 いやなことである、なんということであろうと思った姫君が奥のほうへはいって行くのを見て、
「それはあまりでございますよ。あちらのお志もこんなおりからにはことに深さのまさるものですもの、ほのかにでもお話しになることを聞いておあげなさいませ。あちらのお言葉が染《しみ》になってお身体《からだ》へつくようにも反感を持っていらっしゃるのですね」
 少将にこんなふうに言われれば言われるほど不安になる姫君であった。姫君もいっしょに旅に出かけたと少将は客へ言ったのであるが、昼間の使いが一人は残っておられる、というようなことを聞いて行ったものらしくて中将は信じない。いろいろと言葉を尽くして姫君の無情さを恨み、
「お話をしいて聞かせてほしいとは申しません。ただお近い所で、私のする話をお聞きくだすって、その結果私に好意を持つことがおできにならぬならそうと言いきっていただきたいのです」
 こんなことをどれほど言っても答えのないのでくさくさした中将は、
「情けなさすぎます。この場所は人の繊細な感情を味わってくださるのに最も適した所ではありませんか。こんな扱いをしておいでになって何ともお思いにならないのですか」
 とあざけるようにも言い、

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「山里の秋の夜深き哀れをも物思ふ人は思ひこそ知れ
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 御自身の寂しいお心持ちからでも御同情はしてくだすっていいはずですが」
 と姫君へ取り次がせたのを伝えたあとで、少将が、
「尼奥様がおいでにならない時ですから、紛らしてお返しをしておいていただくこともできません。何とかお言いあそばさないではあまりに人間離れのした方と思われるでしょう」
 こう責めるために、

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うきものと思ひも知らで過ぐす身を物思ふ人と人は知りけり
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 と浮舟が返しともなく口へ上せたのを聞いて、少将が伝えるのを中将はうれしく聞いた。
「ほんの少しだけ近くへ出て来てください」
 と中将が言ったと言い、少将らは姫君の心を動かそうとするのであるが、姫君はこの人々を恨めしがっているばかりであった。
「あやしいほどにも御冷淡になさるではありませんか」
 と言いながら女房がまた忠告を試みにはいって来た時に、姫君はもう座にはいなくて、平生はかりにも行って見ることのなかった大尼君の室《へや》へはいって行っていた。少将がそれをあきれたように思って帰って来て客に告げると、
「こんな住居《すまい》におられる人というものは感情が人より細かくなって、恋愛に対してだけでなく一般的にも同情深くなっておられるのがほんとうだ。感じ方のあらあらしい人以上に冷たい扱いを私にされるではないか。これまでに恋の破局を見た方なのですか。そんなことでなく、ほかの理由があるのかね。この家《うち》にはいつまでおいでになるのですか」
 などと言って聞きたがる中将であったが、細かい事実を女房も話すはずはない。
「思いがけず奥様が初瀬《はせ》のお寺でお逢いになりまして、お話し合いになりました時、御縁続きであることがおわかりになりこちらへおいでになることにもなったのでございます」
 とだけ言っていた。
 浮舟の姫君はめんどうな性質の人であると聞いていた老尼の所でうつ伏しになっているのであったが、眠入《ねい》ることなどはむろんできない。宵惑いの大尼君は大きい鼾《いびき》の声をたてていたし、その前のほうにも後差《あとざ》しの形で二人の尼女房が寝ていて、それも主に劣るまいとするように鼾《いびき》をかいていた。姫君は恐ろしくなって今夜自分はこの人たちに食われてしまうのではないかと思うと、それも惜しい命ではないが、例の気弱さから死にに行った人が細い橋をあぶながって後ろへもどって来た話のように、わびしく思われてならなかった。童女のこもき[#「こもき」に傍点]を従えて来ていたのであるが、ませた少女は珍しい異性が風流男らしく気どってすわっているあちらの座敷のほうに心が惹《ひ》かれて帰って行った。今にこもき[#「こもき」に傍点]が来るであろう、あろうと姫君は待っているのであるが、頼みがいのない童女は主を捨てはなしにしておいた。
 中将は誠意の認められないのに失望して帰ってしまった。そのあとでは、
「人情がわからない方ね。引っ込み思案でばかりいらっしゃる。あれだけの容貌《きりょう》を持っておいでになりながら」
 などと姫君を譏《そし》って皆一所で寝てしまった。
 夜中時分かと思われるころに大尼君はひどい咳《せき》を続けて、それから起きた。灯《ひ》の明りに見える頭の毛は白くて、その上に黒い布をかぶっていて、姫君が来ているのをいぶかって鼬鼠《いたち》はそうした形をするというように、額に片手をあてながら、
「怪しい、これはだれかねえ」
 としつこそうな声で言い姫君のほうを見越した時には、今自分は食べられてしまうのであるという気が浮舟にした。幽鬼が自分を伴って行った時は失心状態であったから何も知らなかったが、それよりも今が恐ろしく思われる姫君は、長くわずらったあとで蘇生《そせい》して、またいろいろな過去の思い出に苦しみ、そして今またこわいとも怖《おそ》ろしいとも言いようのない目に自分はあっている、しかも死んでいたならばこれ以上恐ろしい形相《ぎょうそう》のものの中に置かれていた自分に違いないとも思われるのであった。昔からのことが眠れないままに次々に思い出される浮舟は、自分は悲しいことに満たされた生涯《しょうがい》であったとより思われない。父君はお姿も見ることができなかった。そして遠い東の国を母についてあちらこちらとまわって歩き、たまさかにめぐり合うことのできて、うれしくも頼もしくも思った姉君の所で意外な障《さわ》りにあい、すぐに別れてしまうことになって、結婚ができ、その人を信頼することでようやく過去の不幸も慰められていく時に自分は過失をしてしまったことに思い至ると、宮を少しでもお愛しする心になっていたことが恥ずかしくてならない。あの方のために自分はこうした漂泊《さすらい》の身になった、橘《たちばな》の小嶋の色に寄せて変わらぬ恋を告げられたのをなぜうれしく思ったのかと疑われてならない。愛も恋もさめ果てた気がする。はじめから淡《うす》いながらも変わらぬ愛を持ってくれた人のことは、あの時、その時とその人についてのいろいろの場合が思い出されて、宮に対する思いとは比較にならぬ深い愛を覚える浮舟《うきふね》の姫君であった。こうしてまだ生きているとその人に聞かれる時の恥ずかしさに比してよいものはないと思われる。そうであってさすがにまた、この世にいる間にあの人をよそながらも見る日があるだろうかとも悲しまれるのであった。自分はまだよくない執着を持っている、そんなことは思うまいなどと心を変えようともした。
 ようやく鶏の鳴く声が聞こえてきた。浮舟は非常にうれしかった。母の声を聞くことができたならましてうれしいことであろうと、こんなことを姫君は思い明かして気分も悪かった。あちらへ帰るのに付き添って来てくれるものは早く来てもくれないために、そのままなお横たわっていると前夜の鼾《いびき》の尼女房は早く起きて、粥《かゆ》などというまずいものを喜んで食べていた。
「姫君も早く召し上がりませ」
 などとそばへ来て世話のやかれるのも気味が悪かった。こうした朝になれない気がして、
「身体《からだ》の調子がよくありませんから」
 と穏やかな言葉で断わっているのに、しいて勧めて食べさせようとされるのもうるさかった。
 下品な姿の僧がこの家へおおぜい来て、
「僧都《そうず》さんが今日《きょう》御下山になりますよ」
 などと庭で言っている。
「なぜにわかにそうなったのですか」
「一品《いっぽん》の宮《みや》様が物怪《もののけ》でわずらっておいでになって、本山の座主《ざす》が修法をしておいでになりますが、やはり僧都が出て来ないでは効果の見えることはないということになって、昨日は二度もお召しの使いがあったのです。左大臣家の四位少将が昨夜夜ふけてからまたおいでになって、中宮《ちゅうぐう》様のお手紙などをお持ちになったものですから、下山の決意をなさったのですよ」
 などと自慢げに言っている。ここへ僧都の立ち寄った時に、恥ずかしくても逢って尼にしてほしいと願おう、とがめだてをしそうな尼夫人も留守で他の人も少ない時で都合がよいと考えついた浮舟は起きて、
「僧都様が山をお下《お》りになりました時に、出家をさせていただきたいと存じますから、そんなふうにあなた様からもおとりなしをくださいまし」
 と大尼君に言うと、その人はぼけたふうにうなずいた。
 常の居間へ帰った浮丹は、尼君がこれまで髪を自身以外の者に梳《す》くことをさせなかったことを思うと、女房に手を触れさせるのがいやに思われるのであるが、自身ではできないことであったから、ただ少しだけ解きおろしながら、母君にもう一度以前のままの自身を見せないで終わるのかと思うと悲しかった。重い病のために髪も少し減った気が自身ではするのであるが、何ほど衰えたとも見えない。非常にたくさんで六尺ほどもある末のほうのことに美しかったところなどはさらにこまかく美しくなったようである。「たらちねはかかれとてしも」(うば玉のわが黒髪を撫《な》でずやありけん)独言《ひとりごと》に浮舟は言っていた。
 夕方に僧都が寺から来た。南の座敷が掃除《そうじ》され装飾されて、そこを円《まる》い頭が幾つも立ち動くのを見るのも、今日の姫君の心には恐ろしかった。僧都は母の尼の所へ行き、
「あれから御機嫌《ごきげん》はどうでしたか」
 などと尋ねていた。
「東の夫人は参詣《さんけい》に出られたそうですね。あちらにいた人はまだおいでですか」
「そうですよ。昨夜《ゆうべ》は私の所へ来て泊まりましたよ。身体《からだ》が悪いからあなたに尼の戒を受けさせてほしいと言っておられましたよ」
 と大尼君は語った。そこを立って僧都は姫君の居間へ来た。
「ここにいらっしゃるのですか」
 と言い、几帳《きちょう》の前へすわった。
「あの時偶然あなたをお助けすることになったのも前生の約束事と私は見ていて、祈祷《きとう》に骨を折りましたが、僧は用事がなくては女性に手紙をあげることができず、御無沙汰《ごぶさた》してしまいました。こんな人間離れのした生活をする者の家などにどうして今までおいでになりますか」
 こう僧都は言った。
「私はもう生きていまいと思った者ですが、不思議なお救いを受けまして今日《きょう》までおりますのが悲しく思われます。一方ではいろいろと御親切にお世話をしてくださいました御恩は私のようなあさはかな者にも深く身に沁《し》んでかたじけなく思われているのでございますから、このままにしていましてはまだ生き続けることができない気のいたしますのをお助けくだすって尼にしてくださいませ。ぜひそうしていただきとうございます。生きていましてもとうてい普通の身ではおられない気のする私なのでございますから」
 と姫君は言う。
「まだ若いあなたがどうしてそんなことを深く思い込むのだろう。かえって罪になることですよ。決心をした時は強い信念があるようでも、年月がたつうちに女の身をもっては罪に堕《お》ちて行きやすいものなのです」
 などと僧都は言うのであったが、
「私は子供の時から物思いをせねばならぬ運命に置かれておりまして、母なども尼にして世話がしたいなどと申したことがございます。まして少し大人になりまして人生がわかりかけてきましてからは、普通の人にはならずにこの世でよく仏勤めのできる境遇を選んで、せめて後世《ごせ》にだけでも安楽を得たいという希望が次第に大きくなっておりましたが、仏様からそのお許しを得ます日の近づきますためか、病身になってしまいました。どうぞこのお願いをかなえてくださいませ」
 浮舟の姫君はこう泣きながら頼むのであった。不思議なことである、人に優越した容姿を得ている人が、どうして世の中をいとわしく思うようになったのだろう、しかしいつか現われてきた物怪《もののけ》もこの人は生きるのをいとわしがっていたと語った。理由のないことではあるまい、この人はあのままおけば今まで生きている人ではなかったのである。悪い物怪にみいられ始めた人であるから、今後も危険がないとは思えないと僧都は考えて、
「ともかくも思い立って望まれることは御仏の善行として最もおほめになることなのです。私自身僧であって反対などのできることではありません。尼の戒を授けるのは簡単なことですが、御所の急な御用で山を出て来て、今夜のうちに宮中へ出なければならないことになっていますからね、そして明日から御修法《みしほ》を始めるとすると七日して退出することになるでしょう。その時にしましょう」
 僧都はこう言った。尼夫人がこの家にいる時であれば必ずとめるに違いないと思うと、遂行が不可能になるのが残念に思われる浮舟の君は、
「ただ病気のためにそういたしましたようになりましては効力が少のうございましょう。私はかなり身体《からだ》の調子が悪いのでございますから、重態になりましたあとでは形式だけのことのようになるのが残念でございますから、無理なお願いではございますが今日《こんにち》に授戒をさせていただきとうございます」
 と言って、姫君は非常に泣いた。単純な僧の心にはこれがたまらず哀れに思われて、
「もう夜はだいぶふけたでしょう。山から下って来ることを、昔は何とも思わなかったものだが、年のいくにしたがって疲れがひどくなるものだから、休息をして御所へまいろうと私は思ったのだが、そんなにも早いことを望まれるのならさっそく戒を授けましょう」
 と言うのを聞いて浮舟はうれしくなった。鋏《はさみ》と櫛《くし》の箱の蓋《ふた》を僧都の前へ出すと、
「どこにいるかね、坊様たち。こちらへ来てくれ」
 僧都は弟子《でし》を呼んだ。はじめに宇治でこの人を発見した夜の阿闍梨《あじゃり》が二人とも来ていたので、それを座敷の中へ来させて、
「髪をお切り申せ」
 と言った。道理である、まれな美貌《びぼう》の人であるから、俗の姿でこの世にいては煩累となることが多いに違いないと阿闍梨らも思った。そうではあっても、几帳《きちょう》の垂帛《たれぎぬ》の縫開《ぬいあ》けから手で外へかき出した髪のあまりのみごとさにしばらく鋏の手を動かすことはできなかった。
 座敷でこのことのあるころ、少将の尼は、それも師の供をして下って来た兄の阿闍梨と話すために自室に行っていた。左衛門《さえもん》も一行の中に知人があったため、その僧のもてなしに心を配っていた。こうした家ではそれぞれの懇意な相手ができていて、馳走《ちそう》をふるまったりするものであったから。こんなことでこもき[#「こもき」に傍点]だけが姫君の居間に侍していたのであるが、こちらへ来て、少将の尼に座敷でのことを報告した。少将があわてふためいて行って見ると、僧都は姫君に自身の法衣《ほうえ》と袈裟《けさ》を仮にと言って着せ、
「お母様のおいでになるほうにと向かって拝みなさい」
 と言っていた。方角の見当もつかないことを思った時に、忍びかねて浮舟は泣き出した。
「まあなんとしたことでございますか。思慮の欠けたことをなさいます。奥様がお帰りになりましてどうこれをお言いになりましょう」
 少将はこう言って止めようとするのであったが、信仰の境地に進み入ろうと一歩踏み出した人の心を騒がすことはよろしくないと思った僧都が制したために、少将もそばへ寄って妨げることはできなかった。「流転三界中《るてんさんがいちゅう》、恩愛不能断《おんあいふのうだん》」と教える言葉には、もうすでにすでに自分はそれから解脱《げだつ》していたではないかとさすがに浮舟をして思わせた。多い髪はよく切りかねて阿闍梨が、
「またあとでゆるりと尼君たちに直させてください」
 と言っていた。額髪の所は僧都《そうず》が切った。
「この花の姿を捨てても後悔してはなりませんぞ」
 などと言い、尊い御仏の御弟子の道を説き聞かせた。出家のことはそう簡単に行くものでないと尼君たちから言われていたことを、自分はこうもすみやかに済ませてもらった。生きた仏はかくのごとく効験を目《ま》のあたりに見せるものであると浮舟は思った。
 僧都の一行の出て行ったあとはまたもとの静かな家になった。夜の風の鳴るのを聞きながら尼女房たちは、
「この心細い家にお住みになるのもしばらくの御|辛抱《しんぼう》で、近い将来に幸福な御生活へおはいりになるものと、あなた様のその日をお待ちしていましたのに、こんなことを決行しておしまいになりまして、これからをどうあそばすつもりでございましょう。老い衰えた者でも出家をしてしまいますと、人生へのつながりがこれで断然切れたことが認識されまして悲しいものでございますよ」
 なおも惜しんで言うのであったが、
「私の心はこれで安静が得られてうれしいのですよ。人生と隔たってしまったのはいいことだと思います」
 こう浮舟は答えていて、はじめて胸の開けた気もした。
 翌朝になるとさすがにだれにも同意を求めずにしたことであったから、その人たちに変わった姿を見せるのは恥ずかしくてならぬように思う姫君であった。髪の裾《すそ》がにわかに上の方へ上がって、もつれもできて拡《ひろ》がった不ぞろいになった端を、めんどうな説法などはせずに直してくれる人はないであろうかと思うのであるが、何につけても気おくれがされて、居間の中を暗くしてすわっていた。自分の感想を人へ書くようなことも、もとからよくできない人であったし、ましてだれを対象として叙述して行くという人もないのであるから、ただ硯《すずり》に向かって思いのわく時には手習いに書くだけを能事として、よく歌などを書いていた。

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なきものに身をも人をも思ひつつ捨ててし世をぞさらに捨てつる
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 もうこれで終わったのである。
 こんな文字を書いてみずから身にしむように見ていた。

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限りぞと思ひなりにし世の中をかへすがへすもそむきぬるかな
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 こうした考えばかりが歌にも短文にもなって、筆を動かしている時に中将から手紙が来た。一家は昨夜《ゆうべ》のことがあって騒然としていて、来た使いにもそのことを言って帰した。
 中将は落胆した。宗教に傾いた心から自分の恋の言葉に少しの答えを与えることもし始めては煩いになると避けていたものらしい、それにしても惜しいことである。美しいように少し見た髪を、確かに見せてくれぬかと女房に先夜も頼むと、よい時にと約束をしてくれたのであったがと残念で、二度目の使いを出した。
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御|挨拶《あいさつ》のいたしようもないことを承りました。

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岸遠く漕《こ》ぎ離るらんあま船に乗りおくれじと急がるるかな
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 平生に変わって姫君はこの手紙を手に取って読んだ。もの哀れなふうに心のなっていた時であったから、書く気になったものか、ほんの紙の端に、

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こころこそ浮き世の岸を離るれど行くへも知らぬあまの浮き木ぞ
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 と例の手習い書きにした。これを少将の尼は包んで中将へ送ることにした。
「せめて清書でもしてあげてほしい」
「どういたしまして、かえって書きそこねたり悪くしてしまうだけでございます」
 こんなことで中将の手もとへ来たのであった。
 恋しい人の珍しい返事が、うれしいとともに、今は取り返しのならぬ身にあの人はなったのであると悲しく思われた。
 初瀬詣《はせまい》りから帰って来た尼君の悲しみは限りもないものであった。
「私が尼になっているのですから、お勧めもすべきことだったとしいて思おうとしますが、若いあなたがこれからどうおなりになることでしょう。私はもう長くは生きていられない年で、死期《しご》が今日にも明日にも来るかもしれないのですから、あなたのことだけは安心して死ねますようにと思いましてね、いろいろな空想も作って、仏様にもお祈りをしたことだったのですよ」
 と泣きまろんで悲しみに堪えぬふうの尼君を見ても、実母が遺骸《いがい》すらもとめないで死んだものと自分を認めた時の悲しみは、これ以上にまたどんなものであったであろうと想像され浮舟《うきふね》は悲しかった。いつものように何とも言わずに暗い横のほうへ顔を向けている姫君の若々しく美しいのに尼君の悲しみはややゆるめられて、たよりない同情心に欠けた恨めしい人であると思いながらも泣く泣く尼君は法衣の仕度《したく》に取りかかった。鈍《にび》色の物の用意に不足もなかったから、小袿《こうちぎ》、袈裟《けさ》などがまもなくでき上がった。女房たちもそうした色のものを縫い、それを着せる時には、思いがけぬ山里の光明とながめてきた人を悲しい尼の服で包むことになったと惜しがり、僧都《そうず》を恨みもし、譏《そし》りもした。
 一品《いっぽん》の宮《みや》の御病気は、あの弟子僧の自慢どおりに僧都の修法によって、目に見えるほどの奇瑞《きずい》があって御|恢復《かいふく》になったため、いよいよこの僧都に尊敬が集まった。病後がまだ不安であるという中宮《ちゅうぐう》の思召《おぼしめ》しがあって、修法をお延ばさせになったので、予定どおりに退出することができずに僧都はまだ御所に侍していた。
 雨などの降ってしめやかな夜に僧都は夜居の役を承った。御病中の奉仕に疲れの出た人などは皆|部屋《へや》へ下がって休息などしていて、お居間の中に侍した女房の数の少ないおり、中宮は姫宮と同じ帳台においでになって、僧都へ、
「昔からずっとあなたに信頼を続けていましたが、その中でも今度見せてくださいましたお祈りの力によって、あなたさえいてくだされば後世《ごせ》の道も明るいに違いないと頼もしさがふえました」
 こんなお言葉を賜わった。
「もう私の生命《いのち》も久しく続くものでございませんことを仏様から教えられておりますうちにも、今年と来年が危険であるということが示されておりましたから、専念に御仏を念じようと存じまして、山へ引きこもっておりましたのでございますが、あなた様からのおそれおおい仰せ言で出てまいりました」
 などと僧都は申し上げていた。お憑《つ》きした物怪《もののけ》が執念深いものであったこと、いろいろとちがった人の名を言って出たりするのが恐ろしいということ、などを申していた話のついでに、
「怪しい経験を私はいたしました。今年の三月に年をとりました母が願のことで初瀬へまいったのでございましたが、帰り途《みち》に宇治の院と申す所で一行は宿泊いたしたのでございます。そういたしましたような人の住まぬ大きい建物には必ず悪霊などが来たりしておりまして、病気になっておりました母のためにも悪い結果をもたらすまいかと心配をいたしておりますと、はたしてこんなことがあったのでございます」
 と、あの宇治で浮舟の姫君を発見した当時のことを申し上げた。
「ほんとうに不思議なことがあるものね」
 と仰せになって、気味悪く思召す中宮は近くに眠っていた女房たちをお起こさせになった。大将と友人になっている宰相の君は初めからこの話を聞いていた。起こされた人たちには少しく話の筋がわからなかった。僧都は中宮が恐ろしく思召すふうであるのを知って、不謹慎なことを申し上げてしまったと思い、その夜のことだけは細説するのをやめた。
「その女の人が今度のお召しに出仕いたします時、途中で小野に住んでおります母と妹の尼の所へ立ち寄りますと、出てまいりまして、私に泣く泣く出家の希望を述べて授戒を求めましたので落飾させてまいりました。私の妹で以前の衛門督《えもんのかみ》の未亡人の尼君が、亡《な》くしました女の子の代わりと思いまして、その人を愛して、それで自身も幸福を感じていましたわけで、ずいぶん大事にいたわっていたのでございますから、私の手で尼にしましたのを恨んでいるらしゅうございます。実際|容貌《ようぼう》のまれにすぐれた女性でございましたから、仏勤めにやつれてゆくであろうことが哀れに思われました。いったいだれの娘だったのでございましょう」
 能弁な人であったから、あの長話を休まずすると、
「どうしてそんな所へ美しいお姫様を取って行ったのでしょう」
 宰相の君がこう尋ねた。
「いや、それは知らない。あるいは妹の尼などに話しているかもしれません。実際に貴族の家の人であれば、行くえの知れなくなったことが噂《うわさ》にならないはずはないわけですから、そんな人ではありますまい。田舎《いなか》の人の娘にもそうした麗質の備わった人があるかもしれません。竜《りゅう》の中から仏が生まれておいでになったということがなければですがね、しかし平凡な家の子としては前生で善因を得て生まれて来た人に違いございません。そんな人なのでございます」
 などと僧都は言っていた。そのころに宇治で自殺したと言われている人を中宮は考えておいでになった。宰相の君も実家の姉の話に行くえを失ったと聞いた宇治の姫君のことが胸に浮かび、それではないかと思ったのであるが、忖度《そんたく》するだけで断言することはできなかった。僧都もまた、
「その人も生きていると人に知らせたくない、知れればよろしくないようなことを起こしそうな人のあるように、それとなく言っているふうなのでございますから、どこまでも秘密として私も黙しているべきでしたが、あまりに不思議な事実でございますからその点だけをお耳に入れましたわけでございます」
 と言い、隠そうとするふうであったから宰相はだれにもそのことは言わなかった。中宮はこの人にだけ、
「僧都のした話は宇治の姫君のことらしい、大将に聞かせてやりたい」
 とお言いになったが、その人のためにも女のためにも恥として隠すはずであることを、決定的にそれとすることもできないままで人格の高い弟に言いだすのも恥ずかしいことであると思召されて沈黙しておいでになった。
 姫宮が全癒《ぜんゆ》あそばしたので僧都も山の寺へ帰ることになった。小野の家へ寄ってみると、尼君は非常に恨めしがって、
「かえってこんなふうになっておしまいになっては、将来のことで、罪にならぬことも罪を得る結果になるでしょうのに、相談もしてくださらなかったのが不満足に思われてなりません」
 と言ったが、もうかいのないことであった。
「今後はもう仏のお勤めだけを専心になさい。老い人も若い人も無常の差のないのが人生ですよ。はかないものであるとお悟りになったのも、まして道理に思われるあなたですからね」
 この僧都の言葉も浮舟は恥ずかしく聞いた。宇治で発見された時からのことを思えばそれに違いないからである。
「法服を新しくなさい」
 僧都はこう言って、御所からの賜わり物の綾《あや》とかうすものとかを贈った。
「私の生きています間は、あなたに十分尽くします。何も心配することはありません。無常の世に生まれて人間の言う栄華にまとわれていては、これを自身のためにも人のためにも快く捨てることができなくなるものです。この寂しい林の中にお勤めの生活をしていては、何に恨めしさの起こることがありますか、何を恥ずかしく思うことをしますか、人間の命のある間は木の葉の薄さほどのものですよ」
 こう説き聞かせて、「松門暁到月徘徊《しようもんあかつきにいたりてつきはいくわいす》」(柏城尽日風蕭瑟《はくじやうひねもすかぜせうしつ》)と僧であるが文学的の素養の豊かな人は添えて聞かせてもくれた。唐の詩で陵園を守る後宮人を歌ったものである。かねて願っていたようなよい師であると思って姫君は感激していた。
 ある日風がひねもす吹きやまず、寂しい音が立っていたから、心細くなっている時に、来ていた僧の一人が、
「山伏《やまぶし》というものはこんな日にこそ声を出して泣きたくなるものだ」
 と言っているのを聞き、姫君は自分ももう山伏になったのである、だから涙がとまらないのであろうと思いながら、縁側に近い所へ出て外を見ると、軒の向こうの山路《やまみち》をいろいろの狩衣《かりぎぬ》を着て通るのが見えた。叡山《えいざん》へ上がる人もこの道を通るのはまれであって、黒谷という所から歩いて行く僧の影を時々見ることがあるだけだったのに、普通の服装の人を見いだしたのは珍しく思われたのであったが、それは失恋した中将であった。もうかいのないこととしても、自分の心を告げておきたいと思って来たのであるが、紅葉《もみじ》の美しく染まって他の所よりもきれいにいろいろと混じって立った庭であったから、門をはいるとすぐにもう行く秋の身にしむことを中将は感じた。この風雅な場所に住む美しい人を恋人にしていたならば興味の多いことであろうなどと思った。
「少し閑散になりまして、退屈なものですから、こちらの紅葉も見ごろになっていようと思って出かけて来ました。いつもここはいい所ですね。なつかしい一夜の宿が借りたくなる所です」
 こう言って中将は庭をながめていた。感じやすい涙を持った尼君はもう泣いていた。

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木がらしの吹きにし山の麓《ふもと》には立ち隠るべき蔭《かげ》だにぞなき
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 と言うと、

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待つ人もあらじと思ふ山里の梢《こずゑ》を見つつなほぞ過ぎうき
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 と中将は返しをした。尼になった人のことをまだあきらめきれぬように言い、
「お変わりになった姿を少しだけのぞかせてください」
 と少将の尼に求めた。それだけのことでも約束してくれた義務としてしなければならぬと責められて、少将が姫君の室へはいってみると、人に見せないのは惜しいような美しい恰好《かっこう》で浮舟の姫君はいるのであった。淡鈍《うすにび》色の綾《あや》を着て、中に萱草《かんぞう》色という透明な明るさのある色を着た、小柄な姿が美しく、近代的な容貌《ようぼう》を持ち、髪の裾《すそ》には五重の扇を拡《ひろ》げたようなはなやかさがあった。濃厚に化粧をした顔のように素顔も見えてほの赤くにおわしいのである。仏勤めはするのであるがまだ数珠《じゅず》は近い几帳《きちょう》の棹《さお》に掛けられてあって、経を読んでいる様子は絵にも描《か》きたいばかりの姫君であった。少将は自身でも見るたびに涙のとどめがたい姫君の姿を、恋する男の目にはどう映るであろうと思い、よいおりでもあったのか襖子《からかみ》の鍵穴《かぎあな》を中将に教えて目の邪魔《じゃま》になる几帳などは横へ引いておいた。これほどの美貌の人とは想像もしなかった、自分の理想に合致した麗人であったものをと思うと、尼にさせてしまったことが自身の過失であったように残念にくちおしく思われる心を、これをよくおさえることができなくっては、静かにすべき隙見《すきみ》に激情のままの身じろぎの音もたててしまうかもしれぬと気づいて立ち退《の》いた。こんな美女を失った人が捜さずに済ませる法があろうか、まただれそれ、だれの娘の行くえが知れぬとか、または人を怨《うら》んで尼になったとか自然|噂《うわさ》にはなるものであるがと返す返すいぶかしく思われた。尼になってもこんな美しい人は決して愛人にして悪感《おかん》の起こるものではあるまい、かえって心が強く惹《ひ》かれることになるであろう、極秘裡《ごくひり》にやはりあの人を自分のものにしようと、こんなことを心にきめた中将は、こちらの尼君の座敷に来て、気を入れて話をしていた。
「俗の人でおいでになった間は、私と御交際くださるにもいろいろさしさわりがあったでしょうが、落飾されたあとでは気楽につきあっていただける気がします。そんなふうにあなたからもお話しになっておいてください。昔のことが忘られないために、こんなふうに御訪問をしていますが、またもう一つ友情というものを持ち合う相手がふえれば幸福になりうるでしょう」
 などと言った。
「将来がどうなるかと心細く、気がかりでなりませんのに、厚い御友情でお世話をくださる方があるのはうれしいことでございます。亡くなりましたあとのこともそう承って安心されます」
 と言って尼君は泣くのであった。こんな様子を見せるのはよほど濃い尼君の血族に違いないがだれであろうと中将はなおいぶかしがった。
「将来のお世話は命も不定《ふじょう》のものですし、私も生き抜く自信の少ないものですが、そうお話を承った以上は決して忘れることはありません。あの方に縁のある方が実際この世におられないのでしょうか、そんなことがまだ少し不安で、それは障《さわ》りになることでもありませんが、隔ての一つ残されている気はします」
「普通の形でおいでになれば、いつまたそんな人が来られるかもしれませんが、もう現世《げんせ》の縁を絶った身の上になっておられる以上は私も安心しておられます。自身の気持ちもそう見えますからね」
 こんなふうに話し合った。中将は姫君のほうへも次の歌を書いて送るのであった。

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おほかたの世をそむきける君なれど厭《いと》ふによせて身こそつらけれ
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 誠意をもって将来までも力になろうと言っていることなども尼君は伝えた。
「兄弟だと思っておいでなさいよ。人生のはかなさなどを話し合ってみれば慰みになるでしょう」
「見識のある方のお話などを伺っても、私にはよく理解できないのが残念でございます」
 とだけ言っても、世を厭《いと》うように人を厭うたという言葉について浮舟《うきふね》は何も答えなかった。思いのほかな過失をしてしまった過去を思うと自分ながらうとましい身である、何ともものを感じることのない朽ち木のようになって人から無視されて一生を終えようと、姫君はこの精神を通そうとしていた。そうした気持ちから、今までは憂鬱《ゆううつ》から自己を解放することのできなかった人であるが、近ごろは少し晴れ晴れしくなって、尼君と遊び事をしたり、碁を打ったりして暮らすこともある。仏勤めもよくして法華経《ほけきょう》はもとより他の経なども多く読んだ。
 雪が深く降り積んで、出入りする人影も皆無になったころは寂しさのきわまりなさを姫君は覚えた。
 年が明けた。しかし小野の山蔭《やまかげ》には春のきざしらしいものは何も見ることができない。すっかり凍った流れから音の響きがないのさえ心細くて、「君にぞ惑ふ道に惑はず」とお言いになった人はすべての禍根《かこん》を作った方であると、もう愛は覚えずなっているのであるが、そのおりの光景だけはなつかしく目に描かれた。

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かきくらす野山の雪をながめてもふりにしことぞ今日も悲しき
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 などと書いたりする手習いは仏勤めの合い間に今もしていた。自分のいなくなった春から次の春に移ったことで、自分を思い出している人もあろうなどと去年の思い出されることが多かった。そまつな籠《かご》に若菜を盛って人が持参したのを見て、

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山里の雪間の若菜摘みはやしなほ生《お》ひさきの頼まるるかな
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 という歌を添えて姫君の所へ尼君は持たせてよこした。

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雪深き野べの若菜も今よりは君がためにぞ年もつむべき
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 と書いて来た返しを見て、実感であろうと哀れに思うのであった。尼姫君などでなく、宝とも花とも見て大事にしたかった人であるのにと真心から尼君は悲しがって泣いた。
 寝室の縁に近い紅梅の色の香も昔の花に変わらぬ木を、ことさら姫君が愛しているのは「春や昔の」(春ならぬわが身一つはもとの身にして)と忍ばれることがあるからであろう。御仏に後夜《ごや》の勤行《ごんぎょう》の閼伽《あか》の花を供える時、下級の尼の年若なのを呼んで、この紅梅の枝を折らせると、恨みを言うように花がこぼれ、香もこの時に強く立った。

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袖ふれし人こそ見えね花の香のそれかとにほふ春のあけぼの
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 姫君のその時の作である。
 大尼君の孫で紀伊守《きいのかみ》になっている人がこのころ上京していて訪《たず》ねて来た。三十くらいできれいな風采《ふうさい》をし思い上がった顔つきをしていた。大尼君の所で去年のこととか、一昨年《おととし》のこととかを訊《き》こうとしているのであったが、ぼけてしまったふうであったから、そこを辞して叔母《おば》の尼君の所へ来た。
「非常に老いぼれておしまいになりましたね。気の毒ですね。御老体のお世話をすることもできずに遠い国で年を送っていますのは相済まぬことだと思っているのですよ。両親のいなくなりましてからは、お祖母《ばあ》さんだけがその代わりのたいせつな方だと思って来たのですがね。常陸《ひたち》夫人からはたよりがまいりますか」
 と言うのはこの人の女の兄弟のことらしい。
「歳月がたつにしたがって周囲が寂しくなりますよ。常陸は久しく手紙をよこしませんよ。上京するまでお祖母《ばあ》様がいらっしゃるかどうかあぶないようでもあるのですよ」
 浮舟の姫君は自身の親と同じ名の呼ばれていることにわけもなく耳がとまるのであったが、また客が、
「京へ出てまいってもすぐに伺えませんでした。地方官としてこちらでする仕事がたくさんでめんどうなことも中にはあるのです。それに昨日《きのう》こそは伺おうと思っていたのですが、それも右大将さんの宇治へおいでになったお供に行ってしまいましてね。以前の八の宮の住んでおいでになった所に終日おいでになったのですよ。宮の姫君の所へ通っておられたのですが、最初の方は前にお亡《な》くしになって、そのお妹さんをまたそこへ隠すように住ませて通っておいでになったのですが、去年の春またお亡くなりになったのです。一周忌の仏事をされることになっていまして、宇治の寺の律師をお呼び寄せになって、その日の指図《さしず》をしておいでになりましてね。私もその方に供える女の装束一そろいの調製を命ぜられましたが、あなたの手でこしらえてくださらないでしょうか。織らすものは急いで織り屋へ命じることにしますから」
 こう言うのを姫君が聞いていて身にしまぬわけもない、人に不審を起こさせまいと奥のほうに向いていた。尼君が、
「あの聖《ひじり》の宮《みや》様の姫君は二人と聞いていましたがね、兵部卿《ひょうぶきょう》の宮の奥様はどうなの、そのお一人でしょう」
 と問うた。
「大将さんのあとのほうの御愛人は八の宮の庶子でいらっしゃったのでしょう。正当な奥様という待遇はしておいでにならなかったのですが、今では非常に悲しがっておいでになります。初めの方にお別れになった時もたいへんで、もう少しで出家もされるところでした」
 こんなことも語っている。大将の家来の一人であるらしいと思うと、さすがに恐ろしく思われる姫君であった。
「しかもお二人とも同じ宇治でお亡《な》くしになったのですから不思議ですね。昨日《きのう》もお気の毒なことでした。川に近い所で水をおのぞきになって非常にお泣きになりましたよ、家《うち》へお上がりになって柱へお書きになった歌は、

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見し人は影もとまらぬ水の上に落ち添ふ涙いとどせきあへず
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 というのでした。口にはあまりお出しにならない方ですが、御様子でお悲しいことがよくうかがえるのです。女だったらどんなに心が惹《ひ》かれるかしれない方だと思われました。私は少年時代から優雅な方だと心に沁《し》んで思われた方ですからね、現代の第一の権家はどこであっても、私はそのほうへ行きたくありませんで、大将の御|庇護《ひご》にあずかるのを幸福に感じて今日まで来ました」
 この話を聞いていて、高い見識を備えたというのでもないこうした人さえ薫《かおる》のすぐれたところは見知っているのであると浮舟は思った。
「それでも、光源氏と初めはお言われになったお父様の六条院の御容姿にはかなうまいと思うがねえ。まあ何にもせよ現在の世の中でほめたたえられる方というのは六条院の御子孫に限られてますね。まず左大臣」
「そうです。御容貌がりっぱでおきれいで、いかにも重臣らしい貫禄《かんろく》がおありになりますよ。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は御美貌の点では最優秀な方だと思えますね。女だったら私もあの方の女房になる望みを持つことでしょう」
 などと今の世間を多く知らぬ叔母《おば》を教えようとするように紀伊守《きいのかみ》は言い続けた。浮舟の姫君はおかしくも聞き、身にしむ節《ふし》のあるのも覚え、語られた貴人たちも仮作の人物のような気がし、しまいには自身までも小説の中の一人ではないかと思われるのであった。宇治の話によって大将が今も自分の死をいたんでいることを知り、悲しみのわく心にはまた、まして母はどれほど思い乱れていることであろうと推理して想像することもできたが、かえって哀れな尼になっている自分の姿を見せては悲しみを増させることとなろうと思った。
 紀伊守から頼まれた女装束に使う材料を尼君が手もとで染めさせたりなどしているのを見ては不思議なことにあうように浮舟は思われるのであるが、自身がその人であったなどとは言いだせなかった。
 裁縫《たちぬい》をしていた女房の一人が、
「これはいかがでございますか。あなた様はきれいに端がお縒《よ》れになりますから」
 と言って小袿《こうちぎ》につける単衣《ひとえ》の生地を持って来た時、悲しいような気になった姫君は、気分が悪いからと言って手にも触れずに横になってしまった。尼君は急ぎの仕事も打ちやって、どんなふうに身体《からだ》が悪くなったのかと心配してそばへ寄って来た。紅《あか》い単衣の生地の上に、桜色の厚織物を仮に重ねて見せ、
「姫君にはこんなのをお着せしたいのに、情けない墨染めの姿におなりになって」
 と言う女房があった。

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あま衣変はれる身にやありし世のかたみの袖《そで》をかけて忍ばん
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 と浮舟の姫君は書き、行くえの知れぬことになって人々を悲しませた自分の噂はいつか伝わって来ることであろうから、真実のことを尼君のさとる日になって、憎いほどにも隠し続けたと自分を思うかもしれぬと知った心から、
「昔のことは皆忘れていましたけれども、こうしたお仕立て物などをなさいますのを見ますとなんだか悲しい気になるのですよ」
 とおおように尼君へ言った。
「どんなになっておいでになっても、昔のことはいろいろ恋しくお思い出しになるに違いないのに、今になってもそうした話を聞かせてくださらないのが恨めしくてなりませんよ。この家《うち》ではこんな普通の衣服の色の取り合わせをしたりすることが長くなかったのですから、品のないものにしかでき上がらないでね、死んだ人が生きておればと、そんなことを思い出していますが、あなたにもそうしてお世話をなさいました方がいらっしゃるのですか。私のように死なせてしまった娘さえも、どんな所へ行っているのだろう、どの世界というだけでも聞きたいとばかし思われるのですからね、御両親は行くえのわからなくなったあなたをどんなに恋しく思っておいでになるかしれませんね」
「あの時まで両親の一人だけはおりました。あれからのち死んでしまったかもしれません」
 こう言ううちに涙の落ちてくるのを紛らして、浮舟は、
「思い出しましてはかえって苦しくばかりなるものですから、お話ができなかったのでございますよ。少しの隔て心もあなたにお持ちしておりません」
 と簡単に言うのであった。
 薫は一周忌の仏事を営み、はかない結末になったものであると浮舟《うきふね》を悲しんだ。あの常陸守の子で仕官していたのは蔵人《くろうど》にしてやり、自身の右近衛府《うこんえふ》の将監《しょうげん》をも兼ねさせてやった。まだ童形《どうぎょう》でいる者の中できれいな顔の子を手もとへ使おうと思っていた。
 雨が降りなどしてしんみりとした夜に大将は中宮《ちゅうぐう》の御殿へまいった。お居間にあまり人のいない時で、親しくお話ができるのであった。
「ずっと引っ込みました山里に、以前から愛していた人を置いてございましたのを、人から何かと言われましたが、前生の因縁でこの人が好きになったのだ、だれも心の惹《ひ》かれる相手というものはそうした約束事になっているのだからと、非難を恐れもしませんでしたが、亡《な》くしてしまいまして、これも悲しい名のついた所のせいであろうと、土地に好意が持たれなくなりましてからは久しく出かけることもいたしませんでしたが、ひさびさ先日ほかの用もあってまいりまして、この家《うち》は人生のはかなさをいろいろにして私へ思い知らせ、仏道へ深く私を導こうとされる聖《ひじり》が私のためにことさらこしらえておかれた場所であったと気がついて帰りました」
 薫のこの言葉から中宮は僧都《そうず》の話をお思い出しになり、かわいそうに思召《おぼしめ》して、
「そのお家《うち》には目に見えぬこわいものが住んでいるのではありませんか。どんなふうでその方は亡くなりましたか」
 とお尋ねになったのを、二人までも恋人の死んだことを知っておいでになって、幽鬼のせいと思召してのお言葉であろうと大将は解釈した。
「そんなこともございましょう。そうした人けのまれな所には必ず悪いものが来て住みつきますから。それに亡くなりようも普通ではございませんでした」
 薫はくわしく申し上げることはしなかった。こうして隠そうとしている話に触れてゆくのはよろしくないし、事実を自分に知られたと思うのはいたましいと思召されて、兵部卿の宮が憂悶《ゆうもん》しておいでになり、そのころ病気にもおなりになったこともお思いになっては、宮の心情も哀れにお思われになり、いずれにしても口の出されぬ人のことであるとして、話そうとあそばしたこともおやめになった。中宮は小宰相にそっと、
「大将があの人のことを今も恋しいふうに話したからかわいそうで、私はあの話をしてしまうところだったけれど、確かにそれときめても言えないことでもあったから、気がひけて言うことができなかった。あなたは僧都にいろいろ質問もして聞いていたのだから、恥に感じさせるようなことは言わずに、こんなことがあったとほかの話のついでに僧都の言ったことを話してあげなさいね」
 とお言いになった。
「宮様でさえお言いにくく思召すことを他人の私がそれをお話し申し上げますことは」
 小宰相はこう申すのであったが、
「それはまたそれでいいのよ。私にはまた気の毒で言いにくいわけもあってね」
 これは兵部卿の宮がかかわりを持っておいでになるために仰せられるのであろうと小宰相はさとった。
 小宰相の部屋《へや》へ寄って、世間話などをする薫《かおる》に、その人は僧都の話を告げた。意外千万な、珍しい話を聞いて驚かぬはずはない。中宮が宇治の家のことをお尋ねになったのも、この話をしようとあそばすお心だったらしい。なぜ御自身で語ってくださらなかったのであろうと思われて恨めしかったが、自身もあの人の死の真相を初めから聞かされなかったために、知ってからも疑いが解けないで人に自殺したなどとは言わなかった。かえって他へは真実のことが洩《も》れているのであろう、当事者どうしで秘密にしようと努めることも知れてしまわない世の中ではないのであるからと思い続け、小宰相にも自殺する目的のあった人だったとは言いだすことにまだ口重い気がして薫はならない。
「まだ今日さえ不審の晴れない人のことに似た話ですね。それで、その人はまだ生きていますか」
 と言うと、
「あの僧都が山から出ました日に尼になすったそうです。重くわずらっています間にも、人が皆惜しんで尼にはさせなかったのでありましたが、その人自身がぜひそうなりたいと言ってなってしまったと僧都はお言いになりました」
 小宰相はこう答えた。
 場所も宇治であり、そのころのことを考えてみれば皆符合することばかりであるために、どうすればもっとくわしく聞くことができるであろう、自分自身が一所懸命になってその人を捜し求めるのも、人から単純過ぎた男と見られるであろう。またあの宮のお耳にはいることがあれば必ず捨ててはお置きにならずお近づきになり、いったんはいった仏の御弟子《みでし》の道も妨げておしまいになることであろう、もうすでに宮は知っておいでになって、その話を大将へくわしくはあそばさぬようにと頼んでお置きになったために、こうした珍しい話がお耳にはいっていながら、御自身では中宮が言ってくださらなかったのかもしれぬ。宮がまだあの関係を続けようとしておいでになるのであれば、どんなにあの人を愛していても、自分はもうあの時のまま死んだ人と思うことにしてしまおう、生死の線が隔てた二人と思い、いつかは黄色の泉のほとりで風の吹き寄せるままに逢いうることがあるかもしれぬのを待とう、愛人として取り返すために心をつかうことはしないほうがよかろうなどと煩悶《はんもん》する大将であった。
 やはりその話に触れようとあそばさないであろうかと思われるのであったが、中宮の思召すところが知りたくて、機会を作って薫はお話しにまいった。
「突然死なせてしまったと私の思っていました人が漂泊《さすら》ってこの世にまだおりますような話を聞かされました。そんなことがあろうはずはないと思われますものの、また自殺などの決行できる強い性質ではなかったことを考えますと、その話のように人に助けられておりますのが性格に似合わしいことのようにも思われるのでございます」
 と言い、その話を以前よりも細かに申し上げ、兵部卿《ひょうぶきょう》の宮のことを、尊敬を払うふうで、お恨み申しているようには申さずお話をして、
「拾われて生きていますことがあの方のお耳にはいっているのでございましたら、私が女を疑って見る能力の欠けた愚か者に見えることでございますから、なお生きているとも知らぬふうにしてそのまま置こうかとも思います」
 と申すのであった。
「僧都が宇治の話をした晩はね、こわいような気のする晩でしたからね、くわしくは聞かなかったあのことですね。兵部卿の宮が知っておいでになるはずは絶対にありません。何とも批評のしようのない性質だと私もよく歎息させられる方なのだから、ましてその話を聞かせてはめんどうをお起こしになるでしょう。恋愛問題では軽薄な多情男だとばかり言われておいでになる方だから、私は悲しんでいます」
 中宮はこう仰せになった。聡明《そうめい》な方であるから人が夜話にしたことではあっても、必ずしもほかへお洩らしになることはなかろうと薫は思った。
 住んでいる家は小野のどこにあるのであろう。どんなふうに世間体を作ってあの人にまた逢おう、何よりも僧都にまず逢ってみてくわしいことをともかくも知っておく必要があると薫は明け暮れこのことをばかり思い悩んだ。
 毎月八の日には必ず何かの仏事を行なう習慣になっていて、薬師仏の供養をその時にすることもあるので叡山《えいざん》へも時々行く大将であったから、そこの帰りに横川《よかわ》へ寄ろうと思い、浮舟の異父弟をも供の中へ入れて行った。母とか弟とかそうした人たちにさえすぐには知らすことをすまい、その場の都合で今日すぐに尼の家を訪《たず》ねることになるかもしれぬ。夢のような再会を遂げるその時に、俗縁の親しみを覚えさせるのがよいかもしれぬと思ったのかもしれない。その人とわかったあとでも、異様な尼たちのいる所へ行き、予期せぬ事実などの聞かされることがあっては悲しいであろうなどと、行く途中でも薫はいろいろと煩悶《はんもん》をしたそうである。

手習 版本说明

底本:「全訳源氏物語 下巻」角川文庫、角川書店
   1972(昭和47)年2月25日改版初版発行
   1995(平成7)年5月30日40版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には2002(平成14)年4月10日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:砂場清隆
2004年8月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

56 夢の浮橋

[#地から3字上げ]明けくれに昔こひしきこころもて生く
[#地から3字上げ]る世もはたゆめのうきはし (晶子)

 薫《かおる》は山の延暦寺《えんりゃくじ》に着いて、常のとおりに経巻と仏像の供養を営んだ。横川《よかわ》の寺へは翌日行ったのであるが、僧都《そうず》は大将の親しい来駕《らいが》を喜んで迎えた。これまでからも祈祷《きとう》に関した用でつきあっていたのであるが、特に親しいという間柄にはなっていなかったところが、今度の一品《いっぽん》の宮《みや》の御病気の際に、この僧都が修法を申し上げて著るしい効果を上げたのを見た時から、大きな尊敬を払うようになって、以前に増した交情を生じたために、重々しい身でわざわざこの山寺へ訪ねて来てくれたとしてあらんかぎりの歓待《もてなし》をした。ゆるりと落ち着いて話などをしている客に湯漬《ゆづ》けなどが出された。あたりのやや静かになったころ、
「小野の辺にお知り合いの所がありますか」
 と薫は尋ねた。
「そうです。それは古くなった家なのでございます。私に朽尼《くちあま》とも申すべき母がありまして、京にたいした邸《やしき》があるのでもありませんから、私が寺にこもっております間は、近くに来ておれば夜中でも暁でも何かの時に私が役だつことになるかと思いまして小野に住ませてあるのでございます」
「あの辺は近年まで住宅も相応にあったそうですが、このごろは家が少なくなったそうですね」
 と言ったあとで、薫は座を進めて低い声になり、
「確かなこととも思われませんし、またあなたへお尋ねしましては、なぜ私がそれを深く知ろうとするのかと不思議にお思いになるであろうしとはばかられるのですが、その山里のお家《うち》で私に関係のある人がお世話になっているということを聞きましたが、事実であるとすれば、そうなるまでの経路などもお話し申しておきたいと考えていましたうちに、あなたのお弟子にしていただいて尼の戒を授けられたということが伝わってきましたが、真実でしょうか。まだ年も若くて親などもある人ですから、私の行き届かない所からなくしたように恨まれてもしかたのない人なのですが」
 と薫は言った。僧都は予期のとおりあの人はただの家の娘ではなかった。貴女《きじょ》であろうとは初めから考えられたことであった。自身で来てこれほどに言っておられる人であれば、深く愛された人に違いないと思うと、自分は僧であるにせよ、あまりに分別なくあの人の望みにまかせて出家をさせてしまったものであると胸がふさがり、返辞をどうすれば障《さわ》りなく聞こえるであろうと考えられるのであった。事実をもう皆知っておられるらしい、これだけのことがすでにわかっている上で、探りにかかられては何も何も暴露してしまうはずである、隠してはかえって迷惑が起こるであろうという結論を僧都は得て、
「どういうことでこんなことが起こりましたかと、昨年来不思議にばかり思われていました方のことかと思われます」
 と言い、
「小野の母と妹の尼が初瀬《はせ》寺に願がございまして参詣《さんけい》いたしました帰りに宇治の院という所に休んでおりますうちに、母の尼が旅疲れで発病いたしまして、重そうに見えると申すしらせが私の所へあったものですから、私も宇治へ出かけたのです。そうしますとあちらで不思議なことが起こったと言いだしまして、母の介抱《かいほう》もさしおきまして、妹の尼はどうしてもこの方の命を助けたいと騒ぎ出しました。その若い病人も死人同様になっていましたがさすがに呼吸《いき》はあったのですから、昔の小説の殯殿《ひんでん》に置いた死骸《しがい》が蘇生《そせい》したという話を妹は思い出しまして、そんなことかと私の弟子の中の祈祷《きとう》の上手《じょうず》な僧を呼び寄せましてかわるがわる加持をさせなどしておりました。私は、惜しむべき年齢《とし》ではないのですが、旅の途中で病みました母に、正念に念仏もさせて終わらせたいと仏のお助けを乞《こ》うておりましてその人のほうはくわしく見ませんでした。何がそうさせていたかと思ってみますと、天狗《てんぐ》、木精《こだま》などというものが欺いて伴って来たものらしく解釈がされます。助けて京へ伴って来ましたあとも三月くらいは死んだ人と変わらぬようだったのですが、以前の衛門督《えもんのかみ》の妻でございました私の妹の尼は、一人より持っておりませんでした女の子をなくしましてから時はたっても、悲しみに沈んでおりましたのが、同じほどの年恰好《としかっこう》ではありましたし、非常に美しい人でもある人を拾うことのできましたのは、観音が自分へ下すったのだと言って喜びまして、気も狂わんばかりに私へこの人の命を救えと頼むものですから、私も坂本《さかもと》へ下ってまいり、その時は私自身で祈祷をし、護身法も行なってあげました。それからは失心状態でも放心状態でもなくなり、次第によろしくなられたのでございますが、自身ではまだ憑かれたものの離れてしまわない気がする、これに妨げられずに未来の世界を思うようになりたいと私へ悲しいお話があったものですから、出家は自分のほうからお勧めもしたいことであるからと申して授戒を行なわせてさしあげたのでございます。あなたに御関係のある方などとは、空では悟りようもありませんでした。不思議な出来事なのですから、人にも話せば捜しておいでになる方の注意を引くことになったかもしれないのでしたが、世間に聞こえては煩わしいことになるであろうと申して、妹の尼はそれをとめましたので、長く秘密にいたしてまいったのでございます」
 こう物語った。いよいよ事実であったのかと薫は、小宰相から少し聞いた話から山へまで遠く僧都を尋ねて来たのではあるが、全然死んだと思っていた人が、確かにこの世に存在していたのかという驚きをまたも覚えて、夢の中の気持ちがし、心の打たれたことによって涙ぐまれるのを、高僧を前に置いてこんな弱さを見せるものでないと反省され、冷静なふうを作っていたが僧都には、薫の感じていることがわかり、これほどにも愛していた人を、生きていても死んだのと同じような尼の身に自分はしてしまったと過失をした気になり、罪を作ったという自責も覚えて、
「悪いものに魅入《みい》られになったということも前生の約束事なのですよ。必ず高い家の子でおありになったのでしょう。前生のどんなあやまちでさすらいの身などにおなりになったのでしょうか」
 と僧都は問うてみた。
「王族の端とまあいうほどの人です。私も妻として結婚をしたのではありません。あることが動機になって恋愛がそこへまで進んでしまった間柄でした。がしかし、そんなにまで人の好意にすがって養われねばならぬような待遇を私はしていたのではありませんのに、不思議に跡かたもなくなってしまったものですから、身を投げたかなどと、それによってまたいろいろな想像もしていたわけです。罪の軽くなる御処置をお取りくだすったのですから、安心のできたことと私は思うのですが、母親である人が非常に恋しがり悲しがっておりますから、それだけには知らせてもやりたく思いますものの、その結果長く隠しておいでになりました尼様の御本意に違い、断ち切れぬ親子の情で訪ねて行ったりすることになるかもしれぬと思われます」
 などと薫は言ったあとで、
「御迷惑なことと思いますが、その坂本までいっしょにお下りくださいませんでしょうか。細かい事実を承ることができましたあとで、なおそのまま捨てておいてよい人では初めからなかったのですから、夢のようなことを、この話を承った時を機としても話し合いたいと私は思うのです」
 こう言う様子に、その人を深く思うことのうかがわれるため、出家|遁世《とんせい》の姿になり、髪も髭《ひげ》も剃《そ》った僧たちでさえ恋愛の心のおさえられぬ者があるのである、まして女というものに戒行が保てるものかどうかあぶないものである、かえって罪に堕《おと》すことに自分は携わってしまったと僧都は煩悶《はんもん》した。そして、
「下山しますことは今日明日さしつかえます。日が変わりましたらまいりまして、あちらからお手紙をお差し上げになるように計らいましょう」
 こう答えた。薫はたよりない気もするのであったが、ぜひなどとしいることは、にわかにあせりだしたことに見られて恥ずかしいと思い、それではと言って帰ろうとした。姫君の異父弟は供の中にいた。他の兄弟よりも美しいその子を大将は近くへ呼んで、
「これがその人と近い身内の者です。この少年をせめて使いに出しましょう、短いお手紙を一つお書きください。私とは初めからお言いにならずに、だれか尋ね求めている人があるということをお書きください」
 と薫が言うと、
「そのお手引きをいたすことで私は必ず罪に堕《お》ちましょう。事実は申し上げたとおりです。もうあなたが今すぐお寄りになって、お話しになることをお話しになる、それは何の罪にもあなたのおなりになることではありません」
 僧都はこう言うのであった。薫は笑って、
「あなたの罪になるようなお手引きを願ったと取っておいでになるのは誤解ですよ。私は今日まで俗の姿でおりますだけでも怪しいほど信仰を深く持つ男です。少年の時代から遁世の志を持っているのですが、三条の宮様がお一人きりで、私のような者一人をたよりに思召すのが断ち切れぬ絆《きずな》になりまして、そのまま今も世に交わっておりますうちに自然に位などというものも高くなり、自身の意志にかなった生活もできないことになりますと、心は仏の道に傾きながら、行為は罪になるほうへ引かれても行っておりましたが、それは公私のやむをえぬことに生じた枝葉ともいうべきことです。そのほかではこれは仏の戒めであると教えられましたことは、いささかのこともそれに触れたくないと心がけ、慎んでいまして、心の中は僧に変わりはないと信じる私です。ましてそれは不善のはなはだしいものですから、どうして道にはいった人を誘惑したりすることをしましょう。お信じください。ただ逢いまして気の毒な母親の話などをよくしてやりますことができれば私の心が楽になることと思うからです」
 と、昔から仏の教えを奉じることの深さを薫《かおる》は告げた。僧都《そうず》も道理であるとうなずき、尊い心がけであることをほめなどするうちに日も暮れたため、中宿りに小野へ寄ることはふさわしい道順であると薫は思ったが、突然に行くのはやはりよろしくなかろうと考え、帰ることにきめた時、この常陸《ひたち》の子を僧都は愛らしいとほめた。
「この少年に持たせてやります手紙に彼女の昔の知人のことをほのめかしておいてください」
 と薫が言ったので、僧都はさっそく手紙を書いた。
「ときどきは山へも登って来て遊んで行きなさい。私にあなたは縁がないのでもないからね」
 などとも言った。少年は縁のあるという理由がわからないのであるが、手紙を受け取ってすぐに供の中へまじった。
 坂本へ近くなった所で、
「前駆の者は列を分かれ分かれにして声も低くして行くように」
 と大将は注意した。
 小野では深く繁《しげ》った夏山に向かい、流れの蛍《ほたる》だけを昔に似たものと慰めに見ている浮舟《うきふね》の姫君であったが、軒の間から見える山の傾斜の道をたくさんの炬火《たいまつ》が続いておりて来るのを見るために尼たちは縁の端へ出ていた。
「どなたがお通りになるのでしょう。前駆の人がたくさんなように見えますね。昼間|横川《よかわ》の方へ海布《め》の引乾《ひきぼし》を差し上げた時に、大将さんがおいでになって、にわかに饗応《きょうおう》の仕度《したく》をしている時で、いいおりだったというお返事がありましたよ」
「大将さんというのは今の女二《にょに》の宮《みや》のたしか御良人《ごりょうじん》でいらっしゃる方ですね」
 などと言っているのも、世間に通じない田舎《いなか》めいたことであった。
 あの人たちが言うように実際大将が通るのであろうかと浮舟が思っている時に、かつてこれに似た山路《やまみち》を薫の通って来たころ、特色のある声を出した随身の声が他の声にまじって聞こえてきた。月日が過ぎれば過ぎるほど昔を恋しく思ったりすることは何にもならぬむだなことであると情けなく姫君は思い、阿弥陀仏《あみだぶつ》を讃仰《さんごう》することに紛らせ、平生よりも物数を言わずにいた。
 薫は常陸の子を帰途にすぐ小野の家へやろうと思ったのであるが、従えている人の多いために避けて邸《やしき》へ帰り、翌朝になってから僧都の手紙を持たせてやることにして、きわめて親しく思う人で、おおぎょうにならぬもの二、三人だけを付け、昔も宇治の使いをよくさせた随身も添えてやるのであった。聞く人のない時に、その子を薫はそばへ呼んで、
「おまえの亡くなった姉様の顔は覚えているか、もう死んだ人だとあきらめていたのだが、確かに生きていられるのだよ。ほかの人たちには知らしたくないと思っているのだから、おまえが行って逢って来るがいい。母にはまだ今のうちは言わないほうがいい。驚いて大騒ぎをするだろうから、そんなことはかえって知らない人にまでいろいろなことを知らせてしまうことになるよ。母の悲しみを思って私はあの人を捜し出すのにこんなに骨を折っているのだ。ある時までは口外するな」
 といましめるのを聞いて、子供心にも、兄弟は多いが上の姫君の美に及ぶ人はだれもないと思い込んでいたところが、死んでしまったと聞き非常に悲しいことであるといつもいつも思っているのに、こんなうれしい話を知ったのであるから感激して涙もこぼれてくるのを、恥ずかしいと思い、
「はあい」
 と荒々しい声を出して紛らした。
 小野の家へはまだ早朝に僧都の所から、
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昨夜大将のお使いで小君《こぎみ》がおいでになりましたか。お家のことなどくわしいお話を伺って茫然《ぼうぜん》となり、恐縮しておりますと姫君に申し上げてください。私自身がまいって申し上げたいこともたくさんあるのですが、今日明日を過ごしてから伺います。
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 こんな手紙が尼君へ来た。驚いて姫君の所へ持って来て見せるとその人は顔を赤くして、自分のことが明らかに知れてしまったのであろうか、物隠しをし続けたと尼君に恨まれてもしかたのない義理の立たぬことであると思うと、返辞のしようもなくそのまま黙っていると、
「今でもいいのですから言ってください。恨めしいお心ですね、私に隔てをお持ちになって」
 と恨めしがるのであるが、何がどうであるかの理解はまだできないで、尼君はただわくわくとしているうちに、
「山の僧都のお手紙を持っておいでになった方があります」
 と女房がしらせに来た。怪しく尼君は思うのであるが、今度のがものを分明にしてくれる兄の手紙であろう、使いでもあろうと思い、
「こちらへ」
 と言わせると、きれいなきゃしゃな姿で美装した童《わらべ》が縁を歩いて来た。円座を出すと、御簾《みす》の所へ膝《ひざ》をついて、
「こんなふうなお取り扱いは受けないでいいように僧都はおっしゃったのでしたが」
 その子はこう言った。尼君が自身で応接に出た。持参された僧都の手紙を受け取って見ると、入道の姫君の御方へ、山よりとして署名が正しくしてあった。
 まちがいではないかということもできぬ気がして姫君は奥のほうへ引っ込んで、人に顔も見合わせない。平生も晴れ晴れしくふるまう人ではないが、こんなふうであるために、
「どうしたことでしょう」
 などと言い、尼君が僧都の手紙を開いて読むと、
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今朝《けさ》この寺へ右大将殿がおいでになりまして、あなたのことをお聞きになりましたため、初めからのことをくわしく皆お話しいたしました。深い相思の人をお置きになって、いやしい人たちの中にまじり、出家をされましたことは、かえって仏がお責めになるべきことであるのを、お話から承知し、驚いております。しかたのないことです。もとの夫婦の道へお帰りになって、一方が作る愛執の念を晴らさせておあげになり、なお一日の出家の功徳は無量とされているのですから、もとに帰られたあとも御仏をおたよりになされるがよろしいと私は申し上げます。いろいろのことはまた自身でまいって申し上げましょう。また十分ではなくてもこの小君が今日のことをあなたに通じてくださるかと思います。
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 書面を見れば事が明瞭《めいりょう》になるはずであっても、姫君のほかの人はまだわけがわからぬとばかり思っていた。
「あの小君は何にあたる方ですか、恨めしい方、今になってもお隠しなさるのね」
 と尼君に責められて、少し外のほうを向いて見ると、来た小君は自殺の決心をした夕べにも恋しく思われた弟であった。同じ家にいたころはまだわんぱくで、両親の愛におごっていて、憎らしいところもあったが、母が非常に愛していて、宇治へもときどきつれて来たので、そのうち少し大きくもなっていて双方で姉弟《きょうだい》の愛を感じ合うようになっていた子であると思い出してさえ夢のようにばかり浮舟には思われた。何よりも母がどうしているかと聞きたく思われるのであった。他の人々のことは近ごろになってだれからともなく噂《うわさ》が耳にはいるのであったが、母の消息はほのかにすらも知ることができなかったと思うと、弟を見たことでいっそう悲しくなり、ほろほろ涙をこぼして姫君は泣いた。小君は美しくて少し似たところもあるように他人の目には思われるのであったから、
「御|姉弟《きょうだい》なのでしょう。お話ししたく思っていらっしゃることもあるでしょうから、座敷の中へお通ししましょう」
 と尼君が言う。それには及ばぬ、もう自分は死んだものとだれも思ってしまったのであろうのに、今さら尼という変わった姿になって、身内の者に逢うのは恥ずかしいと浮舟は思い、しばらく黙っていたあとで、
「身の上をくらましておきますために、いろいろなことを言うかとお思いになるのが恥ずかしくて、何もこれまでは申されなかったのですよ。想像もできませんような生きた屍《しかばね》になっておりました私を、御覧になったのはあなたですが、どんなに醜いことだったでしょう。私の無感覚で久しくおりましたうちに精神というものもどうなってしまったのですか、過去のことは自身のことでありながら思い出せないでいますうち、紀伊守《きいのかみ》とお言いになる人が世間話をしておいでになったうちに、私の身の上ではないかとほのかに記憶の呼び返されることがございました。それからのちにいろいろと考えてみましても、はかばかしく心によみがえってくる事実はないのですが、私のために一人の親であった母は今どうしておられるだろうとそればかりは始終思われて恋しくも悲しくもなるのでしたが、今日見ますと、この少年は小さい時に見た顔のように思われまして、それによって忍びがたい気持ちはしますが、そんな人たちにも私の生きていることは知られたくないと思いますから、逢わないことにしたいと思います。もし生きておりましたならば今申しました母にだけは逢いとうございます。僧都《そうず》様が手紙にお書きになりました人などには断然私はいないことにしてしまいたいと思うのでございます。なんとか上手《じょうず》にお言いくだすって、まちがいだったというようにおっしゃって、お隠しくださいませ」
 と浮舟の姫君は言った。
「むずかしいことだと思いますね。僧都さんの性質は僧というものはそんなものであるという以上に公明正大なのですからね、もう何の虚偽もまじらぬお話をお伝えしてしまいなすったでしょうよ。隠そうとしましてもほかからずんずん事実が証明されてゆきますよ。それに御身分が並み並みのお姫様ではいらっしゃらないのだし」
 この尼君から聞き、姫君が女王《にょおう》様であったということにだれも興奮していて、
「ひどく気のお強いことになりますから」
 皆で言い合わせて浮舟のいる室《へや》との間に几帳《きちょう》を立てて少年を座敷に導いた。この子も姉君は生きているのだと聞かされてきているが、姉弟らしくものを言いかけるのに羞恥《しゅうち》も覚えて、
「もう一つ別なお手紙も持って来ているのですが、僧都のお言葉によってすべてが明らかになっていますのに、どうしてこんなに白々しくお扱いになりますか」
 とだけ伏し目になって言った。
「まあ御覧なさい、かわいらしい方ね」
 などと尼君は女房に言い、
「お手紙を御覧になる方はここにいらっしゃるとまあ申してよいのですよ。こうしてあつかましく出ていますわれわれはまだ何がどうであったのかも理解できないでおります。だからあなたから私たちに話してください。お小さい方をこうしたお使いにお選びになりましたのにはわけもあることでしょう」
 と少年に言った。
「知らない者のようにお扱いになる方の所ではお話のしようもありません。お愛しくださらなくなった私からはもう何も申し上げません。ただこのお手紙は人づてでなく差し上げるようにと仰せつけられて来たのですから、ぜひ手ずからお渡しさせてください」
 こう小君が言うと、
「もっともじゃありませんか、そんなに意地をかたく張るものではありませんよ。あなたは優しい方だのに、一方では手のつけられぬ方ですね」
 と尼君は言い、いろいろに言葉を変えて勧め、几帳のきわへ押し寄せたのを知らず知らずそのままになってすわっている人の様子が、他人でないことは直感されるために、そこへ手紙を差し入れた。
「お返事を早くいただいて帰りたいと思います」
 うといふうを見せられることが恨めしく、少年は急ぐように言う。尼君は大将の手紙を解いて姫君に見せるのであった。昔のままの手跡で、紙のにおいは並みはずれなまでに高い。ほのかにのぞき見をして風流好きな尼君は美しいものと思った。
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 尼におなりになったという、なんとも言いようのない、私にとっては罪なお心も、僧都の高潔な心に逢って、私もお許しする気になって、そのことにはもう触れずに、過去のあの時の悲しみがどんなものであったかということだけでも話し合いたいとあせる心はわれながらもあき足らず見えます。まして他人の目にはどんなふうに映るでしょう。
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 と書きも終わっていないで次の歌がある。

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法《のり》の師を訪《たづ》ぬる道をしるべにて思はぬ山にふみまどふかな

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この人をお見忘れになったでしょうか。私は行くえを失った方の形見にそば近く置いて慰めにながめている少年です。
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 とも書かれてあった。こう詳細に知って書いてある人に存在の紛らしようもない自分ではないか、そうかといってその人にも、願わぬことにもかかわらず変わった姿を見つけられた時の恥ずかしさはどうであろうと浮舟《うきふね》は煩悶して、もともと弱々しい性質のこの人はなすことも知らないふうになっていた。さすがに泣いてひれ伏したままになっているのを、
「あまりに並みをはずれた御様子ね」
 と言い、尼君は困っていた。どうお返事を言えばいいのかと責められて、
「今は心がかき乱されています。少し冷静になりましてから返事をいたしましょう。昔のことを思い出しましても少しもお話しするようなことは見いだせません。ですから落ち着きましたらこのお手紙の心のわかることがあるかもしれません。今日はこのまま持ってお帰しください。ひょっといただく人が違っていたりしては片腹痛いではございませんか」
 と姫君は言い、手紙は拡《ひろ》げたままで尼君のほうへ押しやった。
「それでは困るではありませんか。あまりに失礼な態度をお見せになるのでは、そばにいる人も申しわけがありません」
 多くの言葉でこんなことの言われるのも不快で、顔までも上に着た物の中へ引き入れて浮舟は寝ていた。
 主人の尼君は少年の話し相手に出て、
「物怪《もののけ》の仕業《しわざ》でしょうね。普通のふうにお見えになる時もなくて始終御病気続きでね。それで落飾もなすったのを、御縁のある方が訪ねておいでになった時に、これでは申しわけがないとそばにいて気をもんでおりましたとおりに、大将さんの奥様でおありになったのでございますってね。それをはじめて承知いたしまして、なんともお詫《わ》びのしかたもないように思います。ずっと御気分は晴れ晴れしくないのですが、思いがけぬ御消息のございましたことでまたお心も乱れるのでしょう。平生以上に今日はお気むずかしくなっていらっしゃるようですよ」
 などと語っていた。山里相応な饗応《きょうおう》をするのであったが、少年の心は落ち着かぬらしかった。
「私がお使いに選ばれて来ましたことに対しても何かひと言だけは言ってくださいませんか」
「ほんとうに」
 と言い、それを伝えたが、姫君はものも言われないふうであるのに、尼君は失望して、
「ただこんなようにたよりないふうでおいでになったと御報告をなさるほかはありますまい。はるかに雲が隔てるというほどの山でもないのですから、山風は吹きましてもまた必ずお立ち寄りくださるでしょう」
 と小君《こぎみ》に言った。期待もなしに長くとどまっていることもよろしくないと思って少年は去ろうとした。恋しい姿の姉に再会する喜びを心にいだいて来たのであったから、落胆して大将邸へまいった。
 大将は少年の帰りを今か今かと思って待っていたのであったが、こうした要領を得ないふうで帰って来たのに失望し、その人のために持つ悲しみはかえって深められた気がして、いろいろなことも想像されるのであった。だれかがひそかに恋人として置いてあるのではあるまいかなどと、あのころ恨めしいあまりに軽蔑《けいべつ》してもみた人であったから、その習慣で自身でもよけいなことを思うとまで思われた。

夢の浮橋 版本说明

底本:「全訳源氏物語 下巻」角川文庫、角川書店
   1972(昭和47)年2月25日改版初版発行
   1995(平成7)年5月30日40版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月10日44版発行を使用しました。
入力:上田英代
校正:柳沢成雄
2003年3月23日作成
青空文庫作成ファイル:
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